初めてのホットエントリ!

 なんと、先日の 天文記事から見る『日本書紀』α群巻とβ群巻 - Cask Strength が、「はてブ」で7usersを集め(11日現在)、拙ブログ初の「注目エントリー」入りを果たしました。書きなぐり・書き捨ての文章がブックマークされて多くの人の目に触れるというのは非常に恥ずかしいものですね・・・。
 ところで、当該エントリーで森氏の「三方沙弥」=「山田史三方」説に疑問を呈しておきましたが、別に山田史三方が三方沙弥でなくても、山田史三方が『日本書紀』β群述作者の一人であるという森氏の説には関係ないではないかと思う人もいるかもしれません。それはそうでしょう。強調したかったのは、そういう人物比定や『日本書紀』の作者探しという作業が、いかほどの意味があるのか、ということでした。現存する限られた資料(『日本書紀』や『続日本紀』といった正史が基本とならざるをえません)に出てくる名前を取り上げて、これがα群の作者、これはβ群の作者、と言われても、

 『日本書紀』成立の謎は、本書によって解明された。

(『日本書紀の謎を解く』228頁)ということにはならないだろうと思います。
 振り返れば、1988年、森氏は「日本語と中国語の交流」(岸俊男編『日本の古代14 ことばと文字』)において、

 α群の音訳については、中国人の手になると考えなければ解けない現象が見られた。α群の文章についても、日本人の手になるとすれば不可解な注釈があった。(中略)それでは、α群の述作を担当した中国人は誰なのか。また、β群の述作にはなぜ中国人が参画しなかったのか。謎の解決はまた新たな謎を呼ぶ。

(中公文庫版、201-202頁)と述べます。その3年後に刊行された『古代の音韻と日本書紀の成立』においても、

 α群を日本の事情に精通しない中国人が著わし、その後、β群を日本人が著わした、というのがおおよその結論である。

(163頁)とします。より慎重な記述ですよね。
 このままで良かったのではないか、というのが、先日申し上げた私の感想だったわけです。
 せっかくの機会なので、「書きなぐり」のままにするのではなく、若干の補足説明を致しました。蛇足に過ぎなかったことを懼れます。