『古事記』序文を呉音で読む(『新校 古事記』)

新校古事記

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 積ん読になっていた本書の序文の訓読文を読み始めて「おや?」と思いまして。「混元」(こんぐわん)「気象」(けざう)「乾坤」(かんこん)等々・・・。そうなのです、漢字の音読みを徹底して呉音で読んでいます。
 序文も(本文と同様に)徹底して訓読みするという試みがある一方で、漢文訓読の通例として序文は漢語を適宜音読みするということも普通におこなわれているのですが、その場合でも読みは漢音もしくは慣用に従う場合が多かったわけです。その点で本書は斬新でしょう。
 しかし、斬新なために「皇帝陛下」のルビが「わうたいへいげ」だと、やはり少しむずむずしますね。私が不勉強のために気になる点もあって、「化熊」を「くゑう」とするのですが、「熊」の呉音が「う」というのは何か基づくものがあるのでしょうか。あと、「帝皇日継」の「帝皇」を「てうわう」とするのは単なる誤植でしょうか。
 漢字の音を呉音でよむ方針は本文にも適用されていて、たとえば応神天皇の段に出てくる半島出身者の「卓素」および「西素」は「タクス」「サイス」と読まれており、

卓素…タクソと訓むのが一般的であるが、『古事記』の音仮名は基本的に呉音によっていることから、タクスと訓む。

西素…サイソと訓むのが一般的であるが、呉音によってサイスと訓む。

 (「補注」292頁)と。ただし、『漢辞海』(第三版)は「「素」の呉音を「ス」とする確証は見いだし難い」とする。