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8-27

ショウリョウバッタ(精霊バッタ)

| 14:30 |  ショウリョウバッタ(精霊バッタ)を含むブックマーク

 結構大きいショウリョウバッタがいたよー。

f:id:consigliere:20170827142845j:image

f:id:consigliere:20170827142839j:image

 材木の上で一休み。

 名前の由来を調べたところ、『日本国語大辞典』は「精霊(しょうりょう)の名は、盆のころに墓地でよく見られるところからという」(ただし、語源説欄にはこの説は見られず、『言元梯』の「セヲレバッタ(背折螇蚸)の義」というのを挙げる)、wikipediaには、

俗説で、8月の旧盆(精霊祭)の時季になると姿を見せ、精霊流し精霊船に似ることから、この名がついたと言われる(同様の命名にショウリョウトンボがいる)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%BF

 知らなかったー。なお、wikipediaは続けて、

また、オスメスの性差が非常に大きく、別の名前が付くくらい違って見えるので「天と地ほども違う」という意味の「霄壤」から、ショウジョウバッタ(霄壤バッタ)と呼ばれる。

と述べるのですが、これは存疑。「猩猩」(しょうじょう)ではないのかな?

 それにしても不勉強なもので「霄壌」という言い回しは知りませんでした。天地という本来の義から転じて非常に隔たりのあるという比喩表現になったわけですね。「雲泥」の類義語ということかな。辞書を引いたり、検索をしてみても古い用例は見つかりませんでした ←知らなかったことの言い訳w

猶秦越人之相視肥瘠者、実霄壌矣。

道元『永平元禅師清規』上)

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8-4

「毛を茹(し)く」

| 16:06 |  「毛を茹(し)く」を含むブックマーク

 いつも楽しく拝読しているなぶんけんブログ「茹でる」のナゾ - なぶんけんブログもおもしろかったです。

儒家経典の『礼記』では「飲其血、茹其毛=まだ火を使えない頃の人類が肉を生で食べる様子」というかなり血なまぐさいイメージで使われています。

 この「飲其血、茹其毛」はちょっとした思い出のある一節。

 これを典拠とする文が『文選』の序にあります。「冬穴夏巣之時、茹毛飲血之世、世質民淳、斯文未作」です。意味の通りやすい、別になんてことはない文ですね。

 ところが、我が和刻本ではこの「茹毛」を「毛を茹(し)く」あるいは「毛を茹(し)きゐにし」と訓んだりします。

 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544018/5

 この訓はどうやら、呂延済注の「茹、蘊也。言、上古巣居穴処、飲食血肉、蘊藉毛羽」に基づくようで、つまり、「茹毛」を「羽毛を敷いて」あるいは「羽毛を敷いてくるまって」と理解したらしい(「蘊藉」は「くるまる」の意)。

 しかし、このよみかたは明らかにおかしい。なぶんけんブログが指摘するように、「茹」は食べるという意味で(『爾雅』釈言)、典拠である『礼記』の正義にも「『飲其血、茹其毛』者、雖食鳥獣之肉、若不能飽者、則茹食其毛以助飽也」とある通りです。

 「ゆでる」といい、「しく」といい、「茹」字をめぐっては怪しい訓みが多いですな!

 五臣注はいい加減なところが多い、というのはよく言われることですが、『文選』の冒頭部分でこのザマなので、院生だった私もさすがに呆れました。それと同時に、我が国の訓点も素直過ぎるというか少しトホホだな・・・と苦笑いしたのですがw

 なお、当時は不勉強で知らなかったのですが、ずっと後になって、このことはすでに近藤光男氏「学海堂弟子『梁昭明太子文選序注』について」(『吉田教授退官記念 中国文学語学論集』東方書店1985年)において取り上げられていることを知りました。こちらもとても勉強になる論文(『文選李注義疏』に民国18年の自序本と、民国57年の劉拓識語本があるのを知ったのも本論文でした)なので、ご参照ください。

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