げと。
- 毛利康俊(2007)「ざわめきとしての法──システム論的法化論の再定位のために」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40015748904
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- 作者: 日本法社会学会
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2007/10
- メディア: 単行本
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ご尊顔が。
げと。
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ご尊顔が。
げと。
「新しい社会運動」などの抗議運動に見られる、リスクを生み出す側(抗議される側)と危険を告発する側(抗議する側)の、それ自体が危険にみちた対立関係に関心を払うならば、「エコロジー的コミュニケーション」を分析するための概念装置として〈リスク/危険〉という区別にも意味がある。とはいうものの、多くの場合、われわれがどこまで決定の当事者であり、どこまで特定の決定の被害者であるかを明確に線引きするのは困難であるから、あまり〈リスク/危険〉という区別にこだわりすぎるのは得策ではないかもしれない。[p.169]
とほほほほ.....。んもーーーーーなにいってんのーーーー!!!
(困難-であるにも/であるかどうかに-かかわらず) 「決定(者)」や「被害(者)」についての線引き──帰属の様態と帰趨──が問題になることがあり、コミュニケーション参与者たちが それに「なんとかして」取り組んでいる ・・・・ということがあるからこそ、それが社会学的観察の対象になりうるんでしょうに。
明確に線引きすることが困難であることに満ちていることは、社会学的記述の不可能性を帰結するわけじゃないよね?
〈リスク(or 危険)/安全〉ではなく 〈危険/リスク〉で
というルーマンの提案は、
ものですよ。
げと。
まぁまぁよい論文なのではないでしょうか。法律学のひとはこういうのが気になるのねー、というのがわかって面白い。
このあたり↓は考えどころ/見解のわかれるところでしょうな。
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