~エリム~

ブログタイトルである”エリム”は、「エノクの鍵」という本から
音の響きが美しいので使わせてもらうことにしました。

この、「エノクの鍵」というぶ暑い本、興味があり購入したもののまだまだ読みきれておりません…。
時間が許せば、いつまでも美しい書籍の光の中に埋もれていたいのですが、生活がそれを許さず、、。ですが、時間を作った合間に読む、勉強するのがまずはよいかもしれません。

また、このブログも何かそのような心の光を取り戻せるような内容を書けていけたらよいかなと思っています。

少しお休み

最近は体調も崩し、パソコンもクラッシュし、充電と休養が求められている感じで、mixiもすこしお休みにすることにしました。
(って随分前から日記も書いていないけれど^^;)

引越しと、数々のイベントが重なりすべて強行突破をしたのがまずかったのか、心と体がついていけない。

めまぐるしい変化の真っ只中で、なんだかつかみどころも無い...。

巡礼も心が苦しくなるので自分のハートでGOが出ない限り、参加することを辞めにした。

最近はパソコンがなくても(仕事は困るけれど)、ぜんぜん生きていけるんだなあ、という感じ。
ちょっと依存していたかな、と思う。

毎日の生活がすべてだし、それが心地よい。
見えない存在からの声がうるさい中、やっぱり地に足をつけて生活することが一番なんだと実感。
心も安定してくる。

充電したら、またがんばればいいや。
それではしばらくの間、ご無沙汰いたします。

自分の向かう道

決断しなくては何も進まない状態で、なかなか自分が何をしたいのかが解からない...。

良丸さんにも、あなたは恵まれすぎている、仲間もいて、素敵なパートナーもいて、神様にも守られているのに、自分の立場をわきまえなさいと3時間たっぷりお説教されてしまった(-_-;)

自分の殻に閉じこもっているなんて思っていなかったのに、なにか感情を伴う問題が起こるとそうなってしまう。

問題は大したことないのにね。
パートナーが勝手に引越し先に、相談もなしに一緒に住めそうな人間を引っ張り込もうとしていたこと。(解決済み)
勝手にどんどん進めてしまうことがすごく嫌。
こっちはまだいろいろと整理できていないことがたくさんあるのに。

神様ごとも、自分の問題に囚われて、あまり祈れなくて、申し訳なかったな...。

祈る方も本気でやっていらっしゃるから、参加するときは精神的、肉体的なコンディションを整えないとと思う。


でも、神様ごとに、またしても向っている自分に腹が立つ。

宗教時代のトラウマがまだまだ残っていることに気付く。

同じ大本関連に縁のあるところだし、
早く解放してあげないとね。。


それにしても、みろく大社は闇がキーワード。
闇=無という感覚で、パートナーが言うにはOSHOの感覚に近いのではという。

以前の宗教は光ばかり追い求め、闇を排除していた。
過去に自分が行ってきたことのバランスをとっているのかもしれない。

それに、自分の状態が不安定なのに、他人を、世界平和祈ってどうするのだろう、という思いもある。

でも、いざ聖地に行くと、世界平和を願う。
世の中が光に満たされますように、と願う。
自分が光によってお使いいただきますように、と..。

そんな自分が嫌になるのかもしれない。

自分の幸せもきちんとお祈りすればいいだけのことなのだけど...。


何をするにも、決断して間違ったら方向転換すればよい。
失敗することに対する恐怖がまだあるのかもしれない..。

前に進んでいこうと思う。

引越し決定!

急遽、現在のところから引越しすることになった。
原因は家賃が高いから...。

東京から来たときは、3LDKで6万弱、安い!と思って入居したところ、こちらでは必ずしも安い金額ではないということが判った。

そして、隣の家がうるさい...。

隣の家族はお母さんがヒステリックで、小さな子供を何時間でも叱りつけているのが全部聞こえてくる。
虐待まがいのこともしているし...。
たまに怖くなる。

隣のお母さん、叱る内容を聞いていると、完璧主義な方なんだろうな...と思う。
尺度は世間一般の概念。

そこから離れた生活をしている私は、少しは精神的に自由なのかな、と思う。

でも、今の私は社会復帰は難しいだろうと思うようになった。
まだ、こんな自分、誰も認めてくれないよ、と思っている。
そんな甘くないよ、とか。
世間に対する負い目もまだ残っている。

隣の人も、状況は違うけれど、もしかしたらそういうものがあるのかもしれない。

理想に満たない自分や子供に対しての怒り?
もちろん私のフィルターでもあるから違ってはいるのだろうけれど。
はやく自由になりますように...。
そう思うとあまり苦痛ではなくなった。

そして、やっとこの部屋も卒業。
いい勉強だった。
ただ、海に沈む夕日が毎日見れるのは素敵だった。

ということで、佐敷町というところに来月上旬引っ越します。

バイト先の社長が事業の為に借りていて、まだ資金不足で手がつけられていない家を貸してくださることに。

だから、半年先はまた引越しになるのだろう...。

流れるままに...。

いのちの饗宴

18日、いのちの饗宴2005が開かれた。
開催場所は、くるくまの森。

                                                                • -

あいをよる おもいをつむぐ こころをむすぶ
手紡ぎ、手撚りの糸を草木で染め、手織りされたうさとの布たちは
手仕事を重ねて出来上がっており、
作り手の住む自然の息吹きも一緒に織り込まれ、服となります。
うさとの服を通して伝えたい私の思いは、
みんなもっと自然と共生しようよ
もっと地球と共鳴しようよ
もっと宇宙と共振しようよ
そしたら、ホントの自分がわかるからさあ〜
なのであります。
思いを実現するために努力し続けていると、
必ずその延長線上に共感できる仲間たちとの
出逢いがあります。
そういった仲間たちと一緒に何かをすることにより、
そこに集まったみんなに喜びのエネルギーが循環します。
戦後60周年の節目である今年は、
国内外の数カ所で「いのちの響宴」が開催されます。
干支は60年が1周期です。終戦の年と同じ干支である今年、
いのちの循環に思いを馳せ、平和への祈りを、愛を、
そして感謝を分かち合う宴に、ぜひご一緒しませんか。

●さとう うさぶろう●

                                                                      • -

ただ、ただ、素晴らしかった。
感無量・・。
それぞれの思いが集う。

日出克さん、丸山祐一郎さん、オスマンオランド・ビングルさん、そして、うさとの服のさとううさぶろうさん。

スタッフの皆様。

ありがとう。

9.11の日の祈り

coo772005-09-15

丸さんと、計7人で本土と沖縄を結ぶ巡礼の下見に行くことになった。
(本格的には10月2日からだそうです)

9月9日、午後からの激しい頭痛と吐き気により、10日も予定をキャンセルして寝込んでいた。
11日もすっきりしないまま、車に乗り込み北部へ出発。
何だろうか...、きっとエネルギー的な変化があったのだろう。


今回も、良丸さんがまだ喪中のため聖地への祈りは行われなかったものの、各個人でお祈り。

各場所でメッセージを受け取ることができた。
意味が分からないものもあるけれど、そのメッセージを受け、一緒に参加していたgariさんが祝詞と共に祈ってくださる。。

見えない声が聞こえはじめて、何か役に立てるとなるととてもうれしくなる。

声が聞こえ始め、苦しみの方が多かったからだろうか。


北部の聖地を始めて巡った。
そして、南部とのエネルギーの違いに驚く。

土地に潤いがあり、スピリットが落ち着く感じがした。
戦争で荒らされていないから?

自然が深いからかもしれないけれど、静けさから身体に滋養がもたらされる感じがする。

川の近くでは、エメラルドグリーンの羽を持つトンボ、手長エビ。
素晴らしい自然だけど、ところどころアスファルト化してしまっているところが悔やまれる。


数ヶ所の聖地を巡り、途中でタイヤのパンクに見舞われながら、最後に小高い聖地で美しい空からの光を受け、ミニコンサート。
一緒に参加していらっしゃった”ことほぎ”というユニットを組んでいらっしゃるアーチストのYさん、良丸さんとで「童神」「ミルクユガフ」を歌われた。

美しい空に、美しい光の世界を想う...。


アーチストのYさんは、私と同じ見えない存在や声に翻弄される経験をしている方だった。
仕事をするだけで、毎日毒素が出て足が血だらけだったそうだ...。
それに、仕事がなかなかでき難い状態。分かる..。

いろいろな経験から、「私も通ってきた道、大丈夫!」との声。
身に染みた。
良丸さんにも「ダメそうなときは私も手を貸しますから」
とありがたい言葉。。感謝。

Yさんが言うには、全ては今何をしたら心地よく過ごせるのか。
未来なんて考えない、今が繋がっていくのが未来だから、ということ。

やっぱり頭で考えていたらダメ、ハートで動かないと、ということだ。
言われていたことだけれど、本当やっていかないと..。


…この日、目を閉じると初めて大人の姿の自分のイメージを見た。見えない世界の私はいつも子供だった。
それもかなり無鉄砲な性格の..。
ひとつ脱皮したかな。。