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Coo's thing about

2012-03-01

生活保護

震災とか不況がどうとかでなく、これからどんどん高齢化に社会が向かうんだから増える一方だろうな。
日本の全世帯5190万に対して151万世帯が受給。100世帯集まったらそのうち3世帯は受給していることになる。
確かに多い。

年金が少なくてやっていけず生活保護に切り替えるパターンもあるらしいので、年金制度の代替措置として受給者が
増えているという現実もある。。表向きの数字の増加の裏には年金制度の機能しきれていない問題もひそんでいる。
高齢者生活保護と中高年の生活保護は意味合いが違うわけで、今後制度的に分割していったほうがいいんじゃないかな。

どっちにしろ消費税増税するしかないよね。
子供持ってると思うもん、次の世代に負担を残せない、って。

2012-01-30

芥川賞の

田中慎弥さんの受賞会見での個性的な振る舞いなどが話題になっている。

MSNニュースでも、「絆はやっかい」というコラムを出していたが、氏らしく斜にかまえた内容で、しかし私は清々しく感じた。
NHKの紅白で日本中みんなひとつだよ!みたいなムードをことさら演出して(国営放送だからそうならざるを得ないから、いいけども)るのに軽く冷めてた私はなんだか氏のコラムに共感してしまった。

東北地震後、募金もあちこちでしたし、東北産のお米・野菜をできるだけ買おうとしたりしてきた。
それでも、私は個人の生活を守っているだけで、被災地の人たちに何ができていると胸を張れることもなく、自分を生きている。

みんな仲良しなんて思い込みと妄想の産物だといちいち茶々を入れたくなる私みたいなひねくれた人間にはなんだか氏のたたずまいは
一種軽快に響くのである。

2012-01-24

人は一国一城の主なわけで

野田聖子さんの50歳での出産と、お子さんが障害を持っていたことについて、ネット上で凄まじい賛否が繰り広げられている。(ほとんどは否定)

同じ子を持つ母として、なんとも言葉にできない
私も、自然に子供を持ちたいと思っていたし、子供が授かればそのほかは何もいらない、自分の命と引き換えても、と思うほどだった。
だから、野田さんのなりふり構わない「母になりたい」という欲求はわからないでもない。

結局、その人の心のひだに踏み込むような部分まで、他人はあーだこーだ言うことはできない。
野田さんのブログがあまりにKYだ、能天気だ、と批判されている。
しかし、あくまで表の顔しか私たちにはわからない。
本当に、あのブログの通り、常識を欠いた人の神経を逆なでするような人なのかもしれない。
逆に、自分の弱みを見せないよう強く生きてきた彼女には人生の試練に打ちひしがれた自分を見せることはできないのかもしれず。
陰で泣いているかもしれず。心を裂かれながら、笑うしかないのかもしれず。

人は自分の人生の王様。
前向きに生きていくためには他人から不快に思われようが、思いこまないと生きていけないことが多々ある。
客観的に見たら、自分はみじめだとわかっていても、
「でも○○だから、○○だったから」
「だって○○だったんだもん」
正当化しながら、自分を美化しながら、生きていく。
誰だってあるだろう。

ときに、自分の人生観が思い込みだったと気が付かされて打ちのめされるときもある。

ただ野田さんは医療技術と倫理という視点にとても大きな問題提起をしたわけで、
それを彼女が自ら選び取った以上、はねかえってくるものは彼女がこれからの人生で受け止めていくしかない。
それがわからないほど、バカでもないだろう。

2012-01-18

ひさびさ〜

ひさびさの日記だ。
どうも、自分の中にあるものを吐き出したいとか、表現したい、っていう欲求の大小は人によって差があるみたい。
毎日ブログ書ける人ってそーいう自己発現欲求みたいのが高いんだと思う。

ま、なにはともあれ。

大阪橋下知事、強気な言動で何かと話題になってるけど。
香山リカが著書(共著)で知事は精神の病気だとかいうようなことを書いたとか。
んで、それに知事激怒して、ツイッターで反撃したとか。

そら、怒るわね。

私は香山さんのスタイル自体は嫌いじゃないんだけども
今の世の中のすぐこうやって「正常」「異常」、「ビョーキ」「非ビョーキ」って分ける風潮が嫌い。

橋下さんが異常とは思わない。
ああいう人、いくらでもいるよ。
橋下さんはキャリアや立場的にストッパーを外しやすいだけ。

そもそも全く異常性のない、すべてにおいて正常と判断されうる人格なんてものがあるとしたら、その方が異常だと思うわ。

そもそも、人をビョーキ、非ビョーキと診断してるのはあまり挫折を知らないエリートたちである。
おそろしい。

2011-11-29

努力できるのは才能

「努力すれば報われる」
というけれど、「努力できれば」という条件が人類が普遍的に持っているものだとしてるなら、嘘だ。

努力は誰でもできるものじゃない。
ここでいう努力というのは、朝ちょっとグレードの高いご飯を食べるためにちょっと時間をかけていつもの目玉焼きベーコンを焼いてみるとか、人見知りだけどちょっと頑張って初対面の人にあいさつしてみたとか、そういう日常的なことではなくて。

一日10時間机に座ってひたすら勉強できる、という努力だったら、その段階で9割以上の人が無理だし。
この手の努力というのは先鋭化された意志や、精製された意識や、高いモチベーションを持っていないとむずかしい。

「努力できる」のは立派な才能だと思う。

というのは、うちの旦那を見ていてそう思うから。
旦那はいちおう「士」業だけど、まさに努力の人だった。

自分の目的に向かって純度の高い労力・時間・思考を捧げることができる。
それは配偶者ながら、尊敬している。

問題は、「努力できる」という才能が誰にでも与えられた標準スペックだと思っている挫折を知らないエリートが
そこを基点に自論を語り出しちゃったときなんではないだろうか。