Hatena::ブログ(Diary)

老兵は黙って去りゆくのみ

2009-10-11

じじぃの「未解決ファイル_37_エチゼンクラゲ」

06:09

サイエンスZERO 海の生物の不思議 〜クラゲとフグの力を (追加) 動画 YouTube

http://v.youku.com/v_show/id_XMjc5MjkzMDM2.html

エチゼンクラゲ 提供: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)

エチゼンクラゲ(越前水母、越前海月、Nemopilema nomurai)は刺胞動物門鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属に属する動物である。大型の食用クラゲの1種で、傘の直径が2メートル重さ150キログラムになるものもある。体色は灰色・褐色・薄桃色などの変異があり、日本では人が刺されたという報告は殆どされていないが、最近の研究では毒性が高めである事が判った。

また、体の90%以上が水分である。東シナ海黄海渤海から日本海にかけて分布する。ときに大量発生すると漁網を破るなどの被害を与えることがある。ビゼンクラゲなどとともに食用にされる。

【生態】

生態について現時点で知られていることは少ない。生活史は既に知られている他の根口クラゲ類と同様である。餌は主に小型の動物プランクトンだろうと考えられている。最近の研究で天敵としてアジやカワハギがあげられる。特にカワハギは集団でエチゼンクラゲを襲うことが判明し、石川県のカワハギ漁の漁師がエチゼンクラゲをカワハギ漁の餌として実験して効果が確認されている。

【大量発生による被害】

近年日本沿岸で大発生を繰り返しており、巨大な群が漁網に充満するなど、底曵き網や定置網といった、クラゲ漁を目的としない漁業を著しく妨害している。またエチゼンクラゲの毒により、このクラゲと一緒に捕らえられた本来の漁獲の目的となる魚介類の商品価値を下げてしまう被害もでている。1958年エチゼンクラゲ津軽海峡まで漂い、時節柄浮遊機雷と誤認されて青函連絡船が運行停止になったことがあった。 古くからクラゲ漁を行っていない地域では、販路の確保や将来の漁獲の安定の見込みもないままにクラゲ漁用の漁具や加工設備を膨大な投資を行って整備するわけにもいかず、苦慮している。

大量発生の原因として、産卵地である黄海沿岸の開発進行による富栄養化地球温暖化による海水温上昇、日本近海の沿岸開発による自然海岸の喪失でクラゲに適した環境になった。などの説が挙げられている。特に三峡ダムなどの開発が原因ではないかという仮説が立てられており、国立環境研究所などが検証を始めている。また、魚類の乱獲によって動物性プランクトンがあまってしまい、それを餌とするエチゼンクラゲが大量発生、さらにはエチゼンクラゲの高密度個体群によって魚の卵や稚魚が食害されて、さらに魚類が減るという悪循環のメカニズムになっているのではないかとの指摘がある。 いずれも仮説の域を出ておらず、今後の研究の進展が待たれる。

なお、福井県では「エチゼンクラゲ」の名称が報道される度に福井県産の海産物のイメージダウンになることを危惧して「大型クラゲ」などと言い換えをするように報道各社に要望している。

----------------

『生物を科学する辞典』 市石博、早山明彦、降幡高志、その他著 東京堂出版 2007年発行 (一部抜粋しています)

巨大クラゲはなぜ大発生した?

近年、日本海側を中心に、元来日本近海ではあまり見られないエチゼンクラゲが大量に流れ着いている。傘の直径が2m重さ150kgにもなる巨大なクラゲのため、漁業用の網に入ると網が破れてしまったり、せっかく捕獲した魚もクラゲの毒で対色が変化し、商品価値が下がるなど漁業に大きな被害をおよぼしている。このクラゲは1958年に大量発生が記録された後、1997年まで記録されなかった。そして2005、2006年と連続して大量発生が報告された。ではなぜこのような巨大クラゲが大発生したのであろうか。

この疑問点に答える前に、クラゲについての基本的な事がらをまとめておこう。まずはクラゲがどのようにして増えていくのかである。一口にクラゲといってもさまざまな種類があるので、ここではエチゼンクラゲミズクラゲが属する鉢クラゲ類の生活史を紹介する。雌雄異体(しゆういたい)である成熟したクラゲは、それぞれ卵と精子を海中または傘の内側にあるポケット状の部分に放出する。卵は受精すると分裂(卵割)をくり返し、楕円のプラヌラ幼虫になる。この幼虫は回転しながら遊泳し、海底の岩などに付着してイソギンチャクのようなポリプに変化する。やがてポリプは無性生殖によってたくさんの個体が折り重なったストロビラという状態を経て、一つ一つの個体がエフィラという若いクラゲとなって海中をふわふわと泳ぎ出す。エフィラは水中のプランクトンをどんどんと食べて、短期間のうちにゼラチン質を厚くしたクラゲへと育っていく。

このような生活史をもつクラゲの寿命はどのようになっているのだろうか。エチゼンクラゲの場合、5月ごろ出現して翌年の1月ごろには見られなくなるので、推定される寿命は約8ヵ月である。大型のクラゲはだいたいこのくらいの寿命だが、一般に小型になるとその寿命は短くなる。寿命の長いミズクラゲで最大20ヵ月(一般的には8ヵ月)、短いもので数時間で死んでしまうハネウミヒドラクラゲのようなものもいる。こうしてみると、エチゼンクラゲのような大型のものでも寿命は1年未満でわれわれ哺乳類の仲間と比べると圧倒的に短い。そしてその分、成長速度はきわめて速い。

エチゼンクラゲやミズくらげなどは群を成して海水面を覆う。このような群を作るのは、クラゲの遊泳力が弱いために海流に流されて潮目に集積されるのが原因である。しかし、その構成個体を調べてみると、成熟個体ばかりが集まっているので、能動的に有性生殖の相手を求めているのではないかと考えられている。日本に大量に東シナ海から押し寄せてくるエチゼンクラゲの場合は、日本近海で幼生個体が見つからないことから、子孫を残すことなく死んでしまう死滅回遊であると思われる。ただしこのようなことをくり返しているうちに、将来環境条件に適応して日本で発生する可能性は否定できない。

本題に戻ろう。日本へ大量にエチゼンクラゲがやってきたきたのは、中国沿岸域で異常な数のエフィラがポリプから遊離して育ったことが直接の原因ではないかと考えられている。それは長江の河口付近が富栄養化して多量の栄養物質が流入してきたこと(三峡ダムの影響?)、中国での水産物需要が増し、餌をめぐる競争者がいなくなったこと、海水温の上昇などが上げられる。ただし、このどれも仮説の域を出ず、このような条件ではミズクラゲも大発生してもおかしくない。自然の仕組みを知ることはなかなか難しいが、今後の調査が待たれる。

----------------

どうでもいい、じじぃの日記。

『生物を科学する辞典』に「エチゼンクラゲ」のことが載っている。

ネットで「エチゼンクラゲ」をキーに検索してみたら、北京オリンピックが開催された去年、エチゼンクラゲは一匹も日本海で発見されなかったそうだ。今年は大量発生した2005、2006年に匹敵する数の来遊見通しとなっているそうである。

エチゼンクラゲが大量発生する原因ははっきりしていないが、東シナ海黄海渤海の環境悪化が原因ではないかといわれている。

先日、テレビで、エチゼンクラゲを食べるウマヅラハギをやっていた。カワハギでも同じだが、アジやイシダイなんかもエチゼンクラゲを食べるのだそうだ。

ただ、エチゼンクラゲが海にプカ、プカ浮いているだけで、ウマヅラハギやカワハギのすむ海域とは違うので、自然的な食物連鎖とはならないようだ。

エチゼンクラゲの発生と北京オリンピックとは何か関係があるのだろうか。

なぜ、中国からエチゼンクラゲに関する情報が入ってこないのだろうか。

中国の経済発展はめざましい。しかし中国人の一人当たりの所得は日本人の10分の1なのだそうだ。我々だって豊かになる権利があるんだ。自分がもし、中国人だったら、やはりそう思うだろう。車だって持ってみたいだろう。

今後、ますます東シナ海黄海渤海の環境悪化が進むだろう。そして、大量発生するエチゼンクラゲ中国の経済発展のバロメータなのかもしれない。

じじぃの「人の死にざま_78_ベネディクト」

06:02

ルース・ベネディクト - あのひと検索 SPYSEE

http://spysee.jp/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88/23189/

ルース・ベネディクト 提供: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)

ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日-1948年9月17日)は、アメリカ文化人類学者。ニューヨーク生まれ。

菊と刀

ルース・ベネディクトの『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)は、日本文化を説明した文化人類学の著作である。『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。ベネディクトは、フランツ・ボアズより教わった急進的な文化相対主義の概念を日本文化適用するべく、恩や義理などといった日本文化『固有』の価値を提唱した。

倉智恒夫によれば、『菊と刀』の認識パターンは、フランス人ルイ・カザミヤンによるイギリス論の、『イギリス魂-その歴史的風貌』(1927年、現代教養文庫)と共通するものがあるという。なおカザミヤンについては島田謹二の研究(白水社)がある。ほかに訳書は『大英国』(白水社)、『近代英国』(創文社)がある。

ベネディクトは、日本を訪れたことはなかったが、日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、日本文化の解明を試みた。菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論であり、出版から50年以上たった現在でも不変の価値を持ち続ける古典的な著作とされる場合もある。

菊と刀』は日本文化の価値体系の独自性を強調する。しかし、最近ではそれを懐疑する傾向も見られる。すなわち日本文化が西洋文化とは対極の位置に置かれていることに、批判の目が向けられている。また、日本の文化を外的な批判を意識する恥の文化と決め付け、欧米の文化を内的な良心を意識する罪の文化と定義し、倫理的に後者が優れているとの主張を展開したことへの批判もある。

なお左翼日本文化研究家・ダグラス・ラミスは、『菊と刀』には、未開民族を見るようなまなざしがあるとして批判している(『内なる外国』)。

第二次世界大戦後】

彼女は戦後も教育活動を続け、死のわずか2ヵ月前に漸く正教授に任じられた。1948年9月17日、ニューヨークで亡くなっている。

----------------

日本教養全集 18 『菊と刀 ルース・ベネディクト 訳 長谷川松治 (一部抜粋しています)

子供の遊び仲間は、非常に無遠慮に、互いに悪口−−大人になったのちならば、侮辱となるような悪口−−を言い合い、自慢−−大人になったのちならば、深刻な恥辱感をひき起こすような自慢−−をし合う。日本人は穏やかな微笑を眼にたたえながら、「子供は恥を知らないものだからね」と言う。そして「だからこそあのように幸福なんだ」と付け加える。これは幼児と成人との間の根本的な相違である。何となれば、大人について「あいつは恥を知らない」と言えば、その人が全く破廉恥漢である、ということになるからである。

     ・

しかしながら日本人は、自らに多大の要求を課する。世人から仲間はずれにされ、誹謗を受けるという大きな脅威を避けるために、彼らはせっかく味を覚えた個人的な楽しみを棄てなければならない。彼らは人生の重大事においては、これらの衝動を抑制しなければならない。このような型に違反するごく少数の人々は、自らに対す絵う尊敬の念すら喪失するという危険におちいる。自らを尊重する(「自重」する)人間は、「善」か「悪」かではなくて、「期待どおりの人間」になるか、「期待はずれの人間」になるか、ということを目安としてその進路を定め、世人一般の「期待」にそうために、自己の個人的要求を棄てる。こういう人たちこそ、「恥を知り」、無限に慎重なりっぱな人間である。こういう人たちこそ、自分の家に、自分の村に、また自分の国に名誉をもたらす人びとである。こういうふうにいて醸し出される緊張は非常に大きなものであって、日本を東洋の指導者とし、世界の一大強国としたような、ああいう高慢な大望となって現われる。しかしながら、このような緊張は個人には重い負担である。人はしくじりをしないようにまた多大の自己犠牲を忍んで行なう一連の行為において、誰からも自分の行ないをけなされないように、気を配らなければならない。時には、こらえにこらえた鬱憤を爆発させ、極度に攻撃的な行動をする場合もある。彼らがそのような攻撃的態度にかり立てられるのは、アメリカ人のように、自分の主義主張や自由が脅かされた時ではなくて、侮辱、もしくは誹謗されたと認めたときである。その時、彼らの危険な自我は、もし可能ならばその誹謗者に向かって、そうでなければ自分自身に向かって爆発する。

訳者あとがき

菊と刀』の基礎になったのは、著者ルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中、他の多くの学者とともに動員されて働いていた、戦時情報局の命令で行った日本研究であるが、それは第一章のなかで述べられているとおり、終盤を迎えた太平洋戦争になるべく早く決着をつけ、さらにその後に予想される戦後処理、日本占領行政の基本方針策定という、緊急の実際的目的に役立てようとするものであった。

彼女は、自分に課せられた日本研究を行うに当って、文化を異にする他民族の行動は、いかに異様に見えるものであっても、またいかに矛盾に満ちているように思われようと、必ず、その民族特有の社会構造・人間関係にもとづく、一貫した内面的論理によって貫かれているものであるという、多年にわたる未開社会の研究を通じて獲得した、文化人類学的確信の上に立って仕事を進めていった。その結果、みごとに日本人の生活と文化の全体像をとらえ、日本人の行動の内面的意味ならびにその究極の動機をするどく分析することに成功した。そして、それらの分析を通じて最後に、西欧人の文化が罪意識を主軸とする「罪の文化」であるのに対して、日本文化は恥意識を中核として動く「恥の文化」であるという、有名な結論に達した。この点に関して、まま、ベネディクト日本文化を西欧文化より劣った文化、おくれた文化ときめつけたと取る向きがあるようだが、単に基本的類型の差異を指摘したまでであって、優劣の比較をしているのではないことは、本文をよく読めば明らかなことである。

----------------

【そのいつつ】ルース・ベネディクト、『菊と刀 中田英樹のブログ

http://blog.goo.ne.jp/nakatahideki/e/d7da7a8dd74d43bcd9a1504e7219e2ff

ルース・ベネディクト Google 検索

http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88++%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&ei=UlaRS6zSG4yTkAWLx7WBDQ&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CBMQsAQwAA