2009-12-01
じじぃの「放送禁止用語」考
http://www.youtube.com/watch?v=qEdkXR_To-U
・放送禁止用語は誰が決める?
最近はほとんどテレビから姿を消した落語だが、以前、テレビで落語を見ていると、一瞬、落語家の声が聞こえなくなることがあった。
「まるで、オマエさんはXXだね」
XXの部分は、たいてい差別用語や、"公序良俗に反する"放送禁止用語といわれるものだが、いったい誰がどうやって決めているのか?
じつは「この言葉はよくて、この言葉はダメ」という明確な決まりがあるわけではない。放送法という法律の「放送番組編集準則」(放送コード)第44条3項の1に「公安及び善良な風俗を害しないこと」と定められてあるのが唯一の決まりで、具体的な放送禁止用語は各テレビ局の自主的な判断に任されているのである。
ということは、先の落語でも、制作担当者が「落語という古典芸能を忠実に放送するためにはやむをえない」と判断すれば、堂々と放送できるということ。が、実際は、抗議を恐れてか自主規制してしまう場合がほとんどだ。
日本には、言論の自由があるようでないといわれる所以(ゆえん)のひとつである。
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どうでもいい、じじぃの日記。
11/30、フジテレビ 小堺一機氏司会の「ごきげん」を観た。
その番組のなかで、「私○○ができるんですよ」というコーナーでゲストの人に 小堺氏が「放送できる範囲でよろしくね」と言っていた。
ドミニカ出身でお爺さんがドミニカの大統領だったというユージというタレントが「口の中に楽器があるんですよ」。[81]え〜。その後、アナウンサーの海保知理さんが「完全に目を開けて寝てしまうんですよ」。[84]え〜。落語家の笑福亭笑瓶氏が「54歳、前屈でピタッと手が着きます」。[85]え〜。
さすが、みなさん、タレント。
「放送できる範囲でよろしくね」の放送できる範囲とはどんな範囲なのだろう。
『雑学全書』という本に「放送禁止用語は誰が決める?」というのがある。
ネットで「放送禁止用語」をキーに検索してみた。
英語の場合、短縮系の単語で呼ぶことが蔑称になるためNipponに対するニップ、Japanにたいするジャップが蔑称となる。があった。
「Jap」は差別語なのだろうか。「Jap」はJapanの短縮系の単語であり、別に差別語ではないのである。「Jap」と言うときに日本人に敵意を持って言えば差別語になるのである。
落語家の毒蝮三太夫氏の言っているのをまともに聞くと差別語?だらけである。「なんだかみんな湯たんぽみたいな顔してるな」はいいほうで、「汚ねえジジイだねぇ〜。利根川の杭みたいな顔してるな」とか、「オレに会いに来たのかい、この米ヌカみたいな顔したババアは」とか言っている。
この「放送禁止用語は誰が決める?」の中に「日本には、言論の自由があるようでない」がある。
日本は憲法9条もあることだし、民主主義の国で、「日本には、言論の自由があるようでない」はどこからくるのだろうか。
世界報道自由ランキングで1位のデンマーク、ノルウェーと日本とはどこが違っているのだろう。
デンマークで「ムハンマド」の風刺漫画を新聞に掲載し、イスラム教徒がこれに反発。デンマーク製品の不買運動が起こった。あの事件はあれからどうなったのだろうか。
1978年、デンマークでは全ての犯罪につき死刑を廃止した。死刑廃止と言論の自由とは結びついているのだろうか。ヨーロッパでは死刑を廃止している国が多い。また、これらの国々はすべて世界報道自由ランキングの上位の国なのである。
日本にどっぷり、ひたっているじじぃ。
よそから見れば、「日本には、言論の自由があるようでない」のかもしれない。
じじぃの「人の死にざま_123_野口・雨」
野口雨情 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%9B%A8%E6%83%85/7893/
童謡アニメ「赤い靴」 自作のへっぽこ変なflashアニメ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dj0bT0JDd7g
しゃぼん玉/歌詞 ♪シャボン玉飛んだ♪、に込められた野口雨情の思いとは・・・?:♪童謡・唱歌・歌詞ナビ♪ 動画 YouTube
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野口雨情 提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
野口雨情は詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。
【生涯】
廻船問屋を営む名家(楠木正季が先祖と伝えられているが不明)の長男として生まれる。
・
代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など、枚挙にいとまがない。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。
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野口雨情 (1882-1945) 63歳で死亡。
昭和19年1月、雨情は、軽い脳溢血で倒れたあとの病み上がりの身で、妻と8人の子供をかかえて、東京吉祥寺から栃木県河内郡姿川村鶴田に疎開した。
「おれは河原の枯れすすき・・・・」「磯の鵜(う)の鳥や日暮れにゃかえる・・・・」「紅谷の娘のいうことにゃ・・・・」あるいは「十五夜お月さん雲のかげ・・・・」「鳥なぜ啼くの・・・・」「赤い靴はいてた女の子・・・・」「青い眼をしたお人形は・・・・」「黄金虫は金持ちだ・・・・」「しゃぼん玉とんだ・・・・」「あの町この町日が暮れる・・・・」「証 証 証城寺、証城寺の庭は・・・・」「ソソラ ソラ ソラ、兎のダンス・・・・」など、多くの哀調をおびた歌や天真爛漫な童謡を生み出して満天下に愛称された詩人も、印税制度の確立していない時代の上に、戦中無用な疎開者を白眼視する田舎での生活はみじめなものであった。
20燭光の制限の家に40燭光をつけているのをとがめに来た電気会社の係員が、一家が顔のうつるような雑炊をすすっているのを見て、気の毒のあまり黙って帰っていったこともあったという。
雨情は、鶴田に来てからも脳軟化症のようになって寝たり起きたりしていた。ある日座敷にぼんやり坐っている夫に、風邪をひかないように夫人がうしろから羽織を着せようとしたところ、雨情は「死んでいくのに羽織はいらない」といった。(長久保片雲『野口雨情の生涯』)
翌年の1月27日、彼はひっそりとさびしくこの世を去った。B29が日本全土に焼夷弾をまいてゆく空の下に、棺桶は荷車で火葬場に運ばれた。
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赤い靴 野口雨情
一、
赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
ニ、
横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
三、
今では 青い目に なっちゃって
異人さんのお国に いるんだろ
四、
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに逢(あ)うたび 考える
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野口雨情記念館
