2010-06-09
じじぃの「塩の功罪を知る幸福度」考
http://www.youtube.com/watch?v=LJyOIFfig0s
みんなの家庭の医学 「内蔵のむくみ」 (追加) 2011年11月1日 テレビ朝日
塩分の摂り過ぎ → 動脈硬化 → 全身に血液を送り出す心臓のポンプ機能が低下 → 心不全(ひどいと突然倒れ、そのまま息を引き取ってしまう)
醤油差しを霧吹きのようにして醤油を出すと、醤油の量を少なくコントロールする効果がある。
http://kenko.asahi.co.jp/doctor/broad_111101.php
【中国ブログ】日本の醤油はなぜ世界で普及するのか 2009/10/31 サーチナ
和食とは切っても切れない調味料、「醤油(しょうゆ)」。元をたどれば中国に起源があるが、醤油は日本で独自に発展した調味料だ。17世紀にはすでに輸出も始まっており、醤油は今日では100ヵ国以上の国に輸出されているという。
味や使われている原料は異なるが、醤油に似た調味料はアジア各国に存在し、中国にも醤油が存在する。この醤油について、中国人ブロガーのfengfazhiyi(ハンドルネーム)氏が「日本の醤油は米国人に人気がある」と題する文章を自らのブログに掲載した。
まず氏は、「日本で最もポピュラーな調味料と言えば、醤油を挙げることができるだろう。日本料理に醤油を欠かすことは不可能だ」と指摘し、「日本の醤油には『こいくち』、『うすくち』など数種類存在する」と紹介。
続けて、醤油には食欲を増進させる成分が300種類ほども含まれており、魚や肉の臭いを消す効果もあると紹介する。
さらに氏は、日本の醤油は世界各国に輸出されており、その国々で広く受け入れられている、と指摘。続けて、中国にも醤油があるというのに、なぜ中国の醤油は外国人から受け入れられないのだろうか?と疑問を綴り、「米国人から美しい漢字がプリントされていた中国の醤油はとてもおいしいと褒められたことがあった。後日、スーパーでその醤油を見てみたところ、それは中国の醤油ではなく、日本の醤油だった」と失望の声を綴った。
◆解説
大豆を発酵させることによって作られる日本の醤油は、世界各国で消費されている。米国では日本の醤油メーカー、キッコーマンが1957年に醤油の販売を開始し、醤油をベースにした照り焼き料理を米国で普及させた。今となってはテリヤキは米国人に人気のある料理となっているという。
一方、中国の醤油も大豆を発酵させて作られるが、味やにおいともに日本の醤油よりも強いのが特徴的だ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1031&f=national_1031_014.shtml
・塩加減は、なぜ、難しいのか?
日本料理であれ、西洋料理であれ、塩加減というのはじつに難しい。塩が足らなければ、もの足りなさが残り、ピンとこない味の料理になる。かといって塩が多すぎれば、塩っ辛くて、とても食えたものではなくなる。
塩加減が難しいのは、塩味は、おいしいと感じられる味覚の範囲が、ひじょうに狭いからである。
さらに、塩味には、調味料としてだけでなく、素材を引きたてる役目もあり、それがいっそう加減を難しくしている。
料理別の塩加減の目安を紹介しておくと、吸い物やゆで物は0.9〜1%。ご飯のおかずになる煮ものが1.5〜2%。生野菜にかけるふり塩で1%前後。
実際に料理を作るときは、最初にドドッと入れず、少しずつ塩を足しながら、そのつど味を確認するのが無難である。
・海水は塩辛いのに、魚の身がしょっぱくならないのは?
いうまでもなく、海水は塩辛い。そして、海にすむ魚は、海水を飲まないと、体内の水分バランスが保てない、事実、魚が四六時中、海水を飲みつづけている。
ただし、海水の塩分濃度は、魚の体液の3倍以上もある。もし、海水をストレートに体内に受け入れていては、いくら魚でもたちまち死んでしまう。
魚が海水を飲んでも塩分過多にならない秘密は、エラの構造にある。飲んだ海水のうち、余分な塩分は、エラにある塩類細胞から排出する仕組みになっている。なた、魚の尿の中には、大量の塩分が混じっている。尿からも塩分を排泄しているのだ。
エラと排泄、これが魚の身がしょっぱくならない秘密だ。
------------------------
塩 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
塩は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって生産される物質。塩味をつける調味料とし、また保存(塩漬け・塩蔵)などの目的で食品に使用されるほか、ソーダ工業用・融氷雪用などにも使用される。
塩分がないと、地球上の多くの生物は生命を維持することができず、生命にとって欠かせないものである。しかし、塩分の取り過ぎは高血圧や腎臓病、心臓病などの遠因となる。そのメカニズムは完全に解明されてはいないが、一般には血中のイオン濃度を一定範囲に保つため水分を取るようになり、血液を含む体液の量が増え血圧が高まるとともに、これを体外に排出するのを司る腎臓に負担がかかるためとされている。
かつての食塩は、マグネシウム、カリウム、カルシウムを含んでおり、それらをほとんど含有しない現代の食塩ではナトリウムのみに偏って過剰摂取することになってしまう。またカリウムにはナトリウムを体外に排出する効果があるので、それを含まない塩はなおさらナトリウムの過剰が問題になる。上記の塩分の過剰摂取の問題も、実際には塩というよりもナトリウムの過剰摂取の問題と言ったほうがよい。
なお、近年は塩化カリウムを添加し塩化ナトリウムを50%程度まで減らした低ナトリウム塩も登場している。
【語源】
古代ローマにおいて、兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給された。英語の salary (サラリー:「給与」)はここに由来している。
食品に関する語彙には当然ながら「塩」に由来するものが多い。ラテン系由来の語彙に限っても、「サラダ(salad)」「ソース(sauce)」「サルサ(salsa)」「ソーセージ(sausaグラムe)」「サラミ(salami)」などは明らかである。
英語の salt (ソルト:塩)はラテン語に由来するわけではないが、より古いインド・ヨーロッパ語の基層において同じ語源につながる語であり、この事実自体、先史時代以来、塩がいかに身近で重要なものだったかを示していると言える。日本でも金が出回る以前には塩壺を数個で城・屋敷を購入することが出来た時代もある。これらを踏まえ、日本の「敵に塩を送る」という行為が「お金を送る=援助する」という意味を持つということに関連していると思われる。
------------------------
塩 味 の 話
ナトリユム(Na)について
最小必要量 成人 500ミリグラム以下 食塩摂取量 10グラム以下/日
人体内の所在 成人の体内には約100グラム含まれる
1/3は骨格、残りは細胞外液中食塩、重炭酸塩、リン酸塩として体液中に含まれる
生理作用 筋肉、神経の興奮性を弱める血漿などの細胞外液の浸透圧保持の調整
欠乏症状 消化液の分泌の減退、特に胃酸が減少する
食欲が減り、倦怠精神に不安がきたす
急激な場合、目眩、無欲、失神などの症状
取りすぎ 腎障害、高血圧など
http://hato233.hp.infoseek.co.jp/kuij-17.htm
朝日新聞・朝刊 2009.2.15
■国民平均では2グラム食塩を減らせば血圧は2ミリHグラム下がり、それによって6%脳卒中が減ると推定されている。
(滋賀医大 上島弘嗣教授)
■塩を多くとると、心臓病や胃がんも増えることがわかっている。
■栄養表示の中のナトリウム量は、2.54倍すると食塩の量になる。
■1滴ずつ出るように作られているしょうゆ差しがある。
■欧米に比べて脂肪やカロリーが少ない長所は残し、塩分をもう少し減らせば、日本の食事はより優れた長寿食になる。
(滋賀医大 上島弘嗣教授)
■石器時代の人は1日0.5〜3グラムの食塩しかとっておらず、人体はこのレベルに適合している。
------------------------
減塩による心血管病・全死亡減少効果は降圧剤療法の効果よりも大きい 2010-04-27 Medwatcher Japan
米国では、成人の1日の食塩摂取を5.8グラム(ナトリウムでは2300ミリグラム)以下にするよう推奨されている。しかし、食塩摂取量は年々増加しており、2005-2006年に男性では平均して1日10.4グラム、女性では7.3グラムも食塩を摂取している。その摂取源は75%が加工食品である。
われわれはあまり大きくない量の食塩摂取抑制が米国人の健康に及ぼすインパクトを明らかにするために、米国35-84歳の成人での冠動脈疾患政策モデルを用い、その心血管病と全死亡の減少をもたらす効果をコンピューター・シミュレーションで検討するとともに、その費用対効果の程度を降圧剤療法、喫煙抑制、肥満抑制などと比較した。
その結果、1日3グラムの食塩摂取抑制は年間で新たな心血管病の発症を60,000-120,000件減少させ、脳卒中を32,000-66,000件、心筋梗塞を54,000-99,000件、全死亡を44,000-92.,000件減少させる。効果は減塩量に比例しており、1日1グラムのわずかな食塩摂取抑制でも効果は大きい(年間で新たな心血管病の発症を20,000-40,000件減少させ、新たな脳卒中を11,000-23,000件、新規・再発心筋梗塞を18,000-35,000件、全死亡を15,000-32.,000件減少させる)。他の介入との心血管疾患・全死亡の減少効果の比較では、1日3グラムの食塩摂取抑制の効果は、降圧剤療法の効果とほぼ等しく、喫煙抑制(喫煙量を半減)、肥満抑制(肥満指数BMIの5%減少)とほぼ同等ないしそれらより効果が大きい。
費用効果の検討では、1日3グラムの食塩摂取抑制は19,400-392,000QALYs(生活の質を調整した生存年数)の増加をもたらし、また医療費を100-240億ドル(約1兆-2.4兆円)節約できると推定された。降圧剤療法との比較では、2010-2019年の10年かけて段階的に1日3グラムの食塩摂取抑制を達成する場合は食塩摂取抑制の費用効果がすべての高血圧症患者に対する降圧剤療法の費用効果よりもはるかに大きかった。10年かけて段階的に1グラムの食塩摂取抑制を達成する場合でも、食塩摂取抑制の費用効果が降圧剤療法の費用効果に勝った。
あまり大きくない量の食塩摂取抑制でも心血管病を大きく減少させ、医療費の削減に効果的である。これを公衆衛生の目標として設定すべきである。
http://www.yakugai.gr.jp/attention/attention.php?id=290
「塩の功罪を知る幸福度」 2010.6.6 MSN産経ニュース
≪高血圧人口4千万人≫
例えばレストランに入る。今どきのことだから、大抵は禁煙席が設けてある。全面禁煙の店も増えた。受動喫煙の被害に理解が広がっている証拠だと思い、荻原俊男さんは満足する。メニューを見る。これも今どきのことだから、料理ごとのカロリーが表示されていることが少なくない。肥満の危険やメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)について知られてきた結果だと、得心する。
不満が芽生えるのはその後である。ここまで親切なのに、どうして塩分表示までしてくれないのかと。日本人の三大死因のうち脳卒中や心臓病を引き起こす高血圧。知らないうちに進行してサイレントキラー(静かな殺し屋)といわれるこの病気の主因が、塩分の取り過ぎであるにもかかわらずだ。
「日本高血圧協会副理事長」。大阪府立急性期・総合医療センター院長と並ぶ、荻原さんの肩書である。同協会は、日本高血圧学会の研究成果を具現化するため、2年前に発足したNPO法人。全国で4千万人と推定される高血圧人口の半減を目指し、各地の医師会や大学と共催で公開講座「ウデをまくろうニッポン」を開いている。世界高血圧デーの5月17日にはJR山手線で、特製の車体広告を施した「高血圧エクスプレス」を走らせた。
「まず訴えたいのは減塩。そして血圧測定器を家庭に、ということですね。各家庭に1台あり、毎日朝と就寝前に計るぐらい血圧に関心を持ってもらえば、高血圧は2千万人に減りますよ」
この減塩が、なかなか日本人には難しい。
≪改定された摂取基準≫
厚生労働省の国民健康・栄養調査(平成20年)では成人男性の1日の平均食塩摂取量は11.9グラム、女性で10.1グラム。今年4月に改定された食事摂取基準は男性9グラム未満、女性7.5グラム未満だから、30%以上も多く取っている。
「みそ、しょうゆの食文化が浸透していますからね。タンパク源としては素晴らしい食品ですが、こと塩分となると要注意食品。冷蔵庫がなかった時代の食を支えた漬物文化も、日本人の味覚にしみついている」
本当に目指してほしい食塩摂取量は6グラム未満だ、と荻原さんは言う。それがいかに難しいかは、みそ汁1杯に約2グラム、しょうゆ大さじ1杯で2.6グラムの食塩が含まれることでわかる。
外食も大敵だ。含まれる塩分量の目安はラーメン6.0グラム、かけそば4.6グラム、牛丼5.4グラム、ビーフカレー3.9グラム。定食類は比較的、塩分を取らずに済むといわれるが、みそ汁や漬物もしっかり食べると、焼き魚定食6.3グラム、サバのみそ煮定食6.7グラム。1食で荻原さんの言う目標量を突破してしまう。
「めん類は汁を飲まない。みそ汁は薄味で1日1杯だけ。漬物は食べない。どうしても食べたいなら塩出しをする」。これが荻原さんが勧める食習慣である。「食卓にしょうゆや塩を置かずに、出された味で食べることも大切ですね」
≪貴重品の歴史変わる≫
食習慣は歴史に根付いている。四季のある日本では、冬の食品保存のために塩を重宝した。その名残は、都道府県別の世帯年間購入量順位(20年の総務省家計調査)に表れている。(1)青森(4571グラム) (2)山形(4298グラム) (3)秋田(4261グラム) (4)長野(3681グラム) (5)岩手(3511グラム)。最下位の奈良は1538グラム。寒冷地と温暖な関西では、塩の摂取量に実に3倍の格差がある。厳しい冬を越すために欠かせない生活物資が塩だったのである。
消費量が、文明度に比例して増えたことも塩の特徴だ。「縄文時代ぐらいから徐々に増えていったと思います。人間に必要な摂取量は2、3グラムで十分だが、豊かになるにつれて塩の道もでき、取る量も増えた。塩味はおいしいし、味覚は慣れが出て、より濃いものを求めるものですから。30グラム近く取っていた時代もあるでしょう」
塩が貴重品だったことをうかがわせる故事にも、日本史は事欠かない。戦国時代の武将、上杉謙信が宿敵・武田信玄の苦境を救ったことから生まれた言葉「敵に塩を送る」。忠臣蔵の悲劇は、浅野内匠頭が吉良上野介に、赤穂の製塩法を教えなかったことが遠因という説もある。江戸時代の武士の日記類には、宿願のために塩断ちをするという記述が多い。塩は取れば取るほど滋養になると、近年まで信じられていたのだ。
「医学界でも塩の害が言われ始めたのはここ数十年のことでしょうか。それだけに協会のPR業務は大事なんです」
塩の功罪を正しく知っている現代人は、ごく短い、幸せな時代を生きているのである。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100606/bdy1006060308000-n1.htm
どうでもいい、じじぃの日記。
この頃、テレビの健康番組を観ていると、やたらに「塩分の取り過ぎに注意」が出てくる。
4/7、NHK 『あさイチ』の「胃ピロリ菌除菌検査胃がん」から
毎年、5万人がなる胃がん。何度も胃を痛めつけられるとがん化することがある。
3つの悪魔
・タバコ 1.6倍
・高血糖 2.2倍
・塩分の取り過ぎ 3倍
3つの悪魔のうち、塩分の取りすぎが一番リスクが大きい。1日の塩分は9グラム以下にしたほうがいい。
キャスターの井ノ原さん、「塩分の取り過ぎに注意といってもなぁ。醤油とか味噌とか気がつかないで取っている」
5/31、日テレ 『DON!』の「仰天最新医療の超技術世界はココまで進んだ」から
日本人の死因 1位.がん 2位.心疾患 3位.脳血管疾患
日本ではがんで死亡する人の率が高いですが、心疾患・脳血管疾患がこれに続いています。これらを合わせるとがんを抜いて1位になってしまいます。動脈硬化はこれらの病気を引き起こす大きな原因になっています。
血管のダメージにある食品が関係している → 食塩の取り過ぎが血管にダメージを与えているのです。
日本で「今年4月に食事摂取基準は男性9グラム未満、女性7.5グラム未満に改定されました」
ラーメン1杯で6.0〜7.0グラムあり、2杯で1日の摂取量を越えてしまいます。ラーメンを食べる場合は残り汁をあまり飲まないことです。
野菜中心のバランスのとれた食事を心がけましょう。
司会の中山さん、「野菜にパラパラとお塩はいいんですよね。ね。ね。」 (しつこく確認している)
6/5、BS朝日 『鳥越俊太郎 医療の現場!』の「知らずにいると怖い 〜高血圧は万病のもと〜」から
街の人に「高血圧」について聞いてみた。
「遺伝じゃないですか」。「しょっぱいものを食べるからじゃないですか」
鳥越 遺伝が関係するんですか。
先生 遺伝に関係があります。遺伝に関係なくてもお酒や、タバコで「高血圧」になります。
野村 食生活は。
先生 食塩です。日本人は塩を多く取る傾向があります。醤油とか、味噌汁に多く入っています。
鳥越 醤油と言われても、醤油は好きなんです。
塩の消費量が、文明度に比例して増えている。
サラリーという言葉は塩(ラテン語 sal)からきている。塩は貴重品だったのだ。
ライオンは獲った獲物を食べるとき、内蔵から食べる。内臓は血管の固まりであり、血は塩分・ミネラルが豊富なのだ。
日本で塩分摂取量が多いのは、青森県、山形県、秋田県だ。都道府県の平均寿命を見ると圧倒的に短いのが青森県だ。
やはり、塩分の取り過ぎはよくないのだ。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7248.html
塩は醤油とか味噌とか気がつかないで取っている。醤油大さじ1杯で2.6グラムの食塩が含まれる。
「塩分(醤油・味噌を含む)の取り過ぎは大変なことになりますよ」
醤油と言われてもなぁ、醤油は大好きなんです。
じじぃの「人の死にざま_288_多田・富」
多田富雄 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84/22405/
リハビリ日数制限問題に関する市民集会(鈴木寛、阿部知子他) 動画 youtube
http://www.youtube.com/watch?v=GntS-nGa2Rs
NHKアーカイブス 「免疫学者 多田富雄の遺(のこ)したもの」 2010年 5月30日放送
国際的な免疫学者、東京大学名誉教授の多田富雄さんが、先月亡くなった。脳梗塞で倒れながらも多くの手記を残し、生きる闘いを続けた多田さんの日々を改めて見つめる。
【司会】桜井洋子 【ゲスト】生命誌研究者・遺伝学者 中村桂子、演出家 笠井賢一
▽NHKスペシャル 「脳梗塞からの再生 免疫学者・多田富雄の闘い」 (2005年制作)
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=700&date=2010-05-30&ch=21&eid=6065
多田富雄 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
多田富雄(1934年3月31日-2010年4月21日)は日本の免疫学者、文筆家である。東京大学名誉教授。詩人の多田不二は大叔父。
【来歴・人物】
茨城県結城市出身。千葉大学医学部卒業後、千葉大学医学部教授、東京大学医学部教授、東京理科大学生命科学研究所所長を歴任。1971年に抑制T細胞を発見するなど免疫学者として優れた業績を残す。野口英世記念医学賞、朝日賞(1981年)、文化功労者(1984年)を受賞。瑞宝重光章(2009年)。
また執筆活動も行い『免疫の意味論』(青土社、1993年)で大佛次郎賞、『独酌余滴』(朝日新聞社、1999年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)で小林秀雄賞を受賞。
能の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった。作品に脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。
2001年、滞在先の金沢にて脳梗塞となり声を失い右半身不随となる。しかし執筆意欲は衰えず、執筆活動を続けた。
2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判し、反対運動を行っていた。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行した。
2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立し、自ら代表を務めた。
2010年4月21日、前立腺ガンによるガン性胸膜炎のため死去。76歳没。
【著書・共著】
・『独酌余滴』(朝日新聞社、1999) のち文庫
・『免疫の「自己」と「非自己」の科学』(NHKブックス・日本放送出版協会、2001)
・(柳澤桂子)『露の身ながら いのちへの対話 往復書簡』(集英社、2004) のち文庫
・(白洲正子)『花供養』(藤原書店、2009)
-------------------
『寡黙なる巨人』 多田富雄/著 集英社 2007年発行 (一部抜粋しています)
・回復する生命−−その2
1昨年(2001年)の5月、私は突然脳梗塞で倒れ、3日の間、死線を彷徨(さまよ)った。気がついたときには右半分が完全に麻痺していた。その瞬間から言葉もいっさいしゃべれなくなった。
全く突然の、信じられない異変だった。私はおしゃべりではないが、人と談笑するのは好きだった。それが一言もしゃべれない。途方にくれた。
今でも夢ではないかと疑うことがある。でも残念ながら夢でない。診断は仮性球麻痺による重度の構音障害で、言葉のほかに嚥下(えんげ)機能も侵され、食事ばかりか水も飲めない。もうそろそろ2年というのに、朝夕チューブを入れて水分を補給している。体のほうはリハビリで幾分よくはなったものの、いまだにしゃべること、水を飲むことは全くできない。杖を突いて、肩と腰を支えられて、50メートル歩くのがやっとだ。筆舌に尽くせないほどの苦痛がまだ続いている。
誰かに起こりうることは自分にも起こる。突然の不幸に苦悩し、絶望して一時は自死まで考えたが、今ではせっせとリハビリに通っている。
わたしの麻痺は重度だから、いくらリハビリをしても回復はおぼつかない。脳の一部は死んでしまったのだ。神経細胞が2度と再生しないのは、よく知られた事実である。
入院中は毎日のスケジュールに従っていればよかったが、退院後のリハビリはつらい。週4日、雨の日も雪の日も、妻に車椅子を押させて病院に通う。そして強制的な機能訓練だ。
私は一生懸命やっているつもりだが、なかなか歩けるようにはならない。こんな苦しいリハビリの訓練を受けるのは何故だろうかと、時々考える。リハビリなんかやめて、電動車椅子にバリアーフリーの部屋、介護保険などを使って、安楽に暮せばいいではないか。
でも私はそうはしないつもりである。いくらつらくても、私はリハビリを楽しみにしている。週に4日間、歩行訓練と言語機能回復のために、病院に通うのが日課になった。私にも家人にも大変な負担だ。そんなことをしても、目立ってよくなる気配は見えない。エンドレスの、不毛の努力をなぜ続けているか。
その理由を書こう。
私には、麻痺が起こってからわかったことがあった。自分では気づいていなかったのだが、脳梗塞の発作のずっと前から、私には衰弱の徴候があったのだ。自分では健康だと信じていたが、本当はそうではなかった。安易な生活に慣れ、単に習慣的に過ごしていたに過ぎなかったのではないか。何よりも生きているという実感があっただろうか。
元気だというだけで、生命そのものは衰弱していた。毎日の予定に忙殺され、そんなことは忘れていただけだ、発作はその延長線上にあった。
それが死線を越えた今では、生きることに精いっぱいだ。もとの体には戻らないが、毎日のリハビリ訓練を待つ心がある。体は回復しないが、生命は回復しているという思いが私にはある。いや、体だって、生死を彷徨っていたころに比べれば少しはよくなっている。
今日はサ行の構音が幾分聞き取れたと言語聴覚士が言ったとか、今週は麻痺した右の大臀筋(だいでんきん)に力がはいっていたと理学療法士にほめられたとか、些細なことが新しい喜びなのだ。リハビリとは人間の尊厳の回復という意味だそうだが、私は生命力の回復、生きる実感の回復だと思う。
まだ一人で立っていることさえままならないが、目に見えない何かが体に充ちてきている、目に見える障害の改善は望めない。でも、何かが確実に回復していると感じる。どうもそれは、長年失っていた生命感、生きている実感らしい。
顕微鏡に微動螺子(ねじ)というのがついている。1回転で何十分の1ミリほどの鏡筒が進んでピントが合う。肉眼では見えぬ速度だ。その微動螺子と同じように、見えない速度で確実に回復していくものを感じるのだ。
生命力の回復なんて、どうもそのようなものらしい。長い冬の間に、目に見えない力が樹木に充ちてきて、いつの間にか芽になっている。蕾(つぼみ)さえも膨らんでいる。その花だって「遅速あり」と古人は言った。その力は誰にも見えない。
ましてや私の場合は、脳神経が侵されたのである。症状はよくなるはずはない。毎年咲く花とは違う。でも長年失っていた生命力が見えない速度で充実し、回復しようとしているのを感じている。そんな力は、皮肉なことに体が丈夫なころは感じることはなかった。
つらいリハビリに汗を流し、痛む関節に歯を食いしばりながら、私はそれを楽しんでいる。失望を繰り返しながらも、体の徐々に充ちてくる生命の力をいとおしんで、毎日の訓練を楽しみにしている。
・苦しみが教えてくれたこと
病気などと無縁だと思っていた私が、脳梗塞で右半身不随になってから、まるで病気のデパートのようにいろいろな病気の巣になってしまった。それも回復不可能なものばかり。まるで「もくらたたきゲーム」のように、次から次に現れる。
2005年の5月には前立腺がんが発見された。すでにリンパ節への転移もあり、切除は不可能な段階であった。出来るのはホルモン療法、といっても積極的なホルモン投与療法をすると脳血栓の再発を招くというので、睾丸(こうがん)を摘除する「去勢法」だけを受けた。若いころ私を苦しめ続けた煩悩の種ともさっぱりおさらばして、身も心も軽くなった。おかげで腫瘍(しゅよう)マーカーも激減したと思う間もなく、次に難題が待っていた。
入院するたびに病気は重くなるらしい。日本の病院は、患者を娑婆(しゃば)から隔絶させ、衰弱させるところのようである。退院するころになると、今度は尿路結石が発見され、そこにMRSA(多剤耐性菌)の院内感染という新手の敵が加わった。退院しても、発熱と排尿困難に苦しめられた。それが少しよくなったかと思うと、今度は喘息(ぜんそく)という強敵が加わった。休む間もなく呼吸困難に悩まされている。
半身麻痺は、体が動かないだけではない。1日中筋肉の緊張が高まって、休んでいても楽ではない。いつも力を入れているようなものだ。それだけではない。私の後遺症には重度の嚥下障害、構音障害が重なっている。物が自由に食えない。水や流動物は飲めない。
食事は私にとって最も苦痛な、危険を伴う儀式である。おかゆは何とか食べられるようになったが、油断すると激しくむせる。ご飯粒(はんつぶ)一粒でも気管に入ると肺炎になる危険がある。排除するための咳ばらいが出来ないのだ。
食後は必ず痰(たん)と咳に悩まされる。あまり苦しいときには、スポンジのブラシを喉に突っ込んで、強制的に咳を起こさせ、異物を排除する。でないと眠ることさえ出来ない。
・
構音障害は、私から会話を奪ってしまった。発作から5年たつが、まだ満足に挨拶も出来ない。
脳梗塞の発作の後、今まで何気なくやってきたこと、たとえば歩くことも、声を出すことも、飲んだり食べたりすることも突然出来なくなった。自分に何が起こったのか理解出来なかった。声を失い、尋ねることも出来なかった。叫ぶことすら不可能な恐怖と絶望の中で、死ぬことばかり考えて日を過ごした。呻き声だけが私に出来る自己表現だった。自死の方法を考えて毎日が過ぎた。今思えば危機一髪だった。
でもこうして生きながらえると、もう死のことなど思わない。苦しみがすでに日常のものとなっているから、黙って付き合わざるを得ないのだ。時には「ああ、難儀なことよ」と落ち込むことがあるが、そんなことでくよくよしても何の役にも立たないことくらいわかっている。
受苦ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである。
病気という抵抗を持っているから、その抵抗に打ち勝ったときの幸福感には格別のものがある。私の毎日はそんな喜びと苦しみが混ざり合って、充実したものになっている。
朝起きた瞬間から抵抗は始まる。硬い装具をつけてもらうと戦闘開始である。「おはよう。今日はうまく立ち上がれるか」と挨拶する。そして鈍重な巨人のように、不器用に背を伸ばす。曲がった骨が痛くてよろけるが、こけると致命的である。緊張する。
一日中、そんな戦いは続く。腰が痛くても、寝転んで休むわけにはいかない。装具をはずさないと横にはなれない。装具をはずすと人出を借りないと起き上れないし、トイレにも行けない。だから一日中硬い装具に縛られたままである。リハビリのない日は、パソコンを打ち続け、風呂に入るまで我慢する。おかげで夜はパタンと熟睡してしまう。週3回のリハビリに通うと、暇な時間はない。ある意味では充実した毎日である。
そんな中で、私はいろいろな喜びを味わっている。私流「病状六尺」である。
病という抵抗のおかげで、何かを達成したときの喜びはたとえようのないものである。初めて一歩歩けたときは、涙が止まらなかったし、初めて左手でワープロを一字一字打って、エッセイを一篇書き上げたときも喜びで体が震えた。
今日は「パ」の発音が出来たといっては喜び、カツサンド一切れが支障なく食べられたといっては感激する。なんでもないことが出来ない身だからこそ、それが出来たときはたとえようもなくうれしいのだ。
そうやって、些細なことに泣き笑いしていると、昔健康なころ無意識に暮らしていたころと比べて、今のほうがもっと生きているという実感を持っていることに気づく。
身体についても新しい発見がある。たとえば頬の痒(かゆ)みを掻(か)くと麻痺した手が不随意に動く。あくびと同時に、麻痺した腕の筋肉が緊張する。猫のあくびとおなじだ。いわゆる錐体外路(すいたいがいろ)系の神経が活動するからだろうか。麻痺で不随になっても、人間の運動系は一体になって動いていることが実感としてわかる。こんなことも健康なときには気づかないで、何でも細分化すれば理解できると思っていた。医学を学んだ身として愚かなことだった。
これからも新しい病気は次々と顔を出すだろう。一度は静かになったがんだけれど、いつかは再発するだろう。でもそのときはそのとき、どうせ一度は捨てた命ではないか。あの発作直後の地獄を経験したのだから、どんな苦しみが待っていようと、耐えられぬはずはない。
病を友にする毎日も、そう悪くないものである。
-------------------
多田富雄の言葉
「目先の研究にとらわれず、寛容で豊かな研究者であれ」
「科学者はシェイクスピアを、文学者は相対性理論を読まなければならない」
「何もかも失った。それを突き詰めていくと何かが見える」
「それは運命を受け入れる力です」
-------------------
