じじぃの「人の生きざま_45_宮崎・駿」

宮崎駿 - あのひと検索 SPYSEE
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崖の上のポニョ予告 動画 YouTube
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ジブリの人気名曲7選【メドレー】 動画 YouTube
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となりのトトロ

宮崎駿監督にアカデミー名誉賞 黒沢明さん以来2人目 2014年8月29日 朝日新聞デジタル
 米映画芸術科学アカデミーは28日、今年のアカデミー賞名誉賞をアニメ映画監督の宮崎駿さん(73)ら3人に贈ると発表した。日本人の同賞受賞者は、1990年に贈られた黒沢明監督以来、2人目。授賞式は11月8日に米ハリウッドである。
http://www.asahi.com/articles/ASG8Y2FFTG8YUHBI006.html
世界に誇る50人の日本人 「成功の遺伝史」 2013年12月30日 日本テレビ
【MC】たけし&くりぃむ上田 【ゲスト】伊集院光劇団ひとり鈴木奈々武田鉄矢茂木健一郎山岸舞彩荒川静香HIDEBOH星野仙一、Mr.マリック、米村でんじろう、その他
人生には大きな影響を受けた人物が必ずいる…引き継がれたその熱きDNAの「遺伝」の「歴史」→「遺伝史」と名付け、スポーツ選手、映画監督、漫画家、政治家、作家、キャラクター…日本が世界に誇る話題50人のルーツを徹底解剖!
今年9月に引退を発表した宮崎駿監督のルーツを鈴木敏夫さんが紹介。
児童文学に読みふける毎日を送っていた宮崎さんは、作家の中川李枝子著「いやいやえん」という児童書に出会った。宮崎作品には中川さんが大きな影響を与えたという。そして、「となりのトトロ」で使われた曲の作詞は中川さんが担当した。
http://www.ntv.co.jp/idenshi/
宮崎駿 ウィキペディアWikipedia)より
宮粼 駿(みやざき はやお、1941年〈昭和16年〉1月5日 - )は、日本のアニメーション作家、映画監督、漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。
株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館館主。
【来歴】
宮崎駿は、一族が経営する「宮崎航空興学」の役員を務める一家の4人兄弟の二男に生まれ、太平洋戦争中であっても何不自由なく幼年時代を過ごした。
学習院大学に進学したが、当時は大学に漫画サークルが無かったため、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志し漫画を描き続けていたが、漫画かアニメーションかを悩んだ末に、アニメーションの世界へ進む事を決断する。学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に定期採用で入社し、動画などを手がける。
1973年には、高畑、小田部とともにズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍し、『アルプスの少女ハイジ』の準備に入る。1974年TVアニメ、『アルプスの少女ハイジ』で全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。主要スタッフとして1年半番組を引っ張った。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。
1978年、『未来少年コナン』(NHK)で事実上の初監督を務める。名義上は演出であり監督ではないが、他に監督はいなかった。演出を行いながら、オリジナル・スケッチ(ストーリーボード)・設定・キャラクターデザイン・メカデザインを全話担当し、大半の絵コンテ、レイアウトを描いた上、スタッフの作った脚本・絵コンテ・レイアウト・原画を、高畑勲応援分を除き全て1人でチェックするという、前代未聞の超人的な作業量をこなした。持ち前の高度な作家性を発揮して、原作「残された人びと」の悲壮なイメージを大幅に改変し、オリジナルといってもよい作品を作り上げた。後に宮崎アニメと呼ばれる作品群の原点とも言える。視聴率は低調だったが、この作品に衝撃を受け、後にアニメーターやアニメ演出家となった者はかなり多い。
テレコム・アニメーションフィルムによる日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に大塚康生高畑勲らと共に携わり、アメリカとの間を行き来したが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』などの原型となるオリジナル企画を構想しているが実現には至らなかった。
『コナン』の時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメーション企画を彼に持ち掛ける。企画は短編の筈だったが次第に拡大、「原作付き企画」のハクをつけるべく1982年『アニメージュ』2月号より『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力により、当時映画事業に意欲的だった徳間書店徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し、宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメーション映画として製作・公開された。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。
1997年に公開された『もののけ姫』は、ジブリ史上最大の製作費、宮崎の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行記録を15年ぶりに塗り替える大ヒット作となった。
2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2350万人、興行収入304億円と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。日本国外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメーション部門作品賞を受賞した。
2004年公開の『ハウルの動く城』は、宣伝を極めて抑えた公開であったにもかかわらず公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。さらにヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞し、その年の米アカデミー賞の長編アニメ部門に再びノミネートするなど前作同様日本国外においても高く評価された。2005年には、ヴェネツィア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞。2006年には、アメリカ映画界最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮崎はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。
2008年7月19日に、新作『崖の上のポニョ』を公開。公開後1か月で興行収入100億円を突破する興行成績を挙げ、ヴェネツィア国際映画祭での上映は約5分のスタンディングオベーションで迎えられた。
2013年に、自身の同名漫画を原作としたアニメーション映画『風立ちぬ』を公開。同年9月1日、宮崎が長編映画の製作から引退することをスタジオジブリ社長星野康二が発表。
上記の通り何度かの引退宣言と現役復帰を繰り返しているが、スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーは2003年のインタビューにおいて「毎回、全身全霊を打ち込むから、そうなってしまうのですよ」「本人には、だます気などさらさらない」と説明している。
2014年、三鷹の森ジブリ美術館の企画展示「クルミわり人形とネズミの王さま展」の企画・制作・監修を手がけた。8月、アカデミー名誉賞の受賞が決定。日本人としては黒澤明以来2人目の快挙となる。

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『映画道楽』 鈴木敏夫/著 ぴあ 2005年発行 (一部抜粋しています)
プロデューサー事始め
僕はアニメーションだって映画の1つだろうと、宮崎駿と相談して企画書を作って提出したんです。
最初に提出したのは、僕が仮タイトルをつけた『戦国魔城』というチャンバラものでした。宮さんの場合、作品を作るときにいろんなイメージが重なるんですが、岩見重太郎のヒヒ対峙とか俵藤太のムカデ退治。ああいうものを作ってみたいというのがあったんです。それは単に昔話として面白いというよりも、巨大なものをやっつけるところに日本の伝統があるんじゃないかと。タイトルにも『魔城』とあるように城も出てくるんですが、雰囲気は映画『もののけ姫』をもっと素朴にした、その原型みたいな企画でしたね。
結局、この企画はうまくいきませんでした。会議に大映の人が加わって、「映画は原作のないものを作って当てるような、そんな簡単なものじゃない」と言われました。僕は、頭にきましてね。宮さんに「ダメでした。原作のないものは映画化できないと言われました」と伝えたんです。そうしたら宮さんが「じゃあ、原作を描いちゃいましょうか?」と提案してきたんです。それで漫画版『風の谷のナウシカ』が生まれるんです。
最初はビックリしたんですよ。ある日突然、宮さんが『風の谷のナウシカ』だと言い出して。何しろそれまでは、日本を舞台にした冒険活劇をやろうとしていたわけですからね。宮さんは、最初から主人公は女の子でいきたいと言ってました。ちょうどその頃、宮さんはギリシャ神話を読んでいて、中に『虫愛ずる姫君』というのが出てきましてね。最初はそれで原作を作って、アニメーションにしようなんて話もしていたんですが、そのうちに「鈴木さん、最初からアニメーション化を目論んで原作を描くのは不純すぎる。どうせ漫画を描くのなら、普段出来ないものをやろう。アニメーションでは絶対に出来ないものをね」という考えになっていたんです。当初の目的とは違っていましたが、とにかく『風の谷のナウシカ』の連載を始めることが決まりました。
するとある日、宮さんから電話がかかってきて、「ちょっと、来てくれ」と言うんです。行ってみますと、絵のパターンが3種類ありました。右側の絵は背景なんかがスカスカなんですね。「これだと1日に24枚ぐらい描ける」と。一番左側の絵はものすごく描きこんであって、「これは1日1枚しか描けない」と言うんです。もう1つがその中間のパターンでした。そこで話し合って、結局、一番描きこんだ左側のパターンでいくことに決まるんです。まさか原作が終わるまで10年以上かかるとは、そのとき思ってもみませんでしたけれど。
当時はあだち充の『タッチ』が全盛で、優しさの時代でした。僕はその逆をやろうよと宮さんに言いました。また、その頃の漫画はほとんどが読みきり連載でした。これもやめよう、続いていく物語でいいんだ、その方が面白いものが出来ると。こうして『風の谷のナウシカ』の連載が『アニメージュ』で始まるんです。
連載を始めてみると、やはりアニメーション映画にしたくなったんですね。もう一度、会社に企画書を出してみようと思いました。でも、今回は僕1人ではなく、当時同僚だった亀山修というのと、誰それを仲間に引き入れようと考えたんです。それで標的にしたのが、徳間書店の宣伝部長でした。
もう時効だからこういう話をしてもいいと思うのですが、映画『風の谷のナウシカ』誕生のきっかけは「バクチ」でした。
当時、会社ではチンチロリンが流行っていたんですよ。その宣伝部長を捕まえて、一晩チンチロリンをやって亀山と2人でその人に負けようと。僕と亀山はチンチロリンが上手だから、相手がどうすれば気持ちよく勝てるかを知っていました。1人○万円ずつ負けようと相談して、見事に2人とも○万円負けたんです。お金を出そうとしたら、宣伝部長は気のいい人で「X万円でいいよ」と言ってくれました。チンチロリンをやっている間、僕らはずっと『風の谷のナウシカ』の話をしていたんですね。そうしたら、夜が明けて、大げさに言うと、その日のうちに映画化が決定しました。宣伝部長から電話がかかってきたのは昼ぐらいでした。「敏ちゃん、出来るかもしれないぞ」と言うんです。彼はまず、博報堂に行ったんです。そうしたら、博報堂の担当者の仲間に、宮崎駿の弟さんがいたんです。それで弟さんとその日に会って、徳間書店博報堂で作ったらいいんじゃないかという話が決まった。今で言う製作委員会方式のスタートですね。徳間社長も、企画の内容より、博報堂と組んで映画を作るということに面白さを感じてくれましてね。それで『風の谷のナウシカ』にGOサインが出たんですよ。
誤解がないように言っておきますが、当時、出版社に勤めていたら、バクチは身につけるべき「教養」の1つでしたね。それくらい出来ないと編集者になれない。まだ日本がのんびりだった時代の話ですねえ。
漫画映画とアニメーション映画
2005年春、新生スタジオジブリが誕生します。
組織として独立した会社になりますけど、やることは何も前と変わりません。これまで通りです。別にヒット作品をシステム的に造れる体制を整備して、会社を永続的に運営していくつもりもないんです。ですから、現場のスタッフには、これまでも技術を身につけろと言い続けてきた。腕さえ身につけたら、どこへ行っても生きていけるわけでしょう。ズルイと言われるかもしれないけれど、新会社のスタジオジブリは宮さんと高畑さんに好きな物を作ってもらう会社なんです。
これまでのジブリ作品は、全部が収支プラスなんですよ。それは周りから奇跡と呼ばれています。でも、奇蹟にはいつか終わりが来るんです。それも、そんなに遠いことではない。そうなったとき、宮さんが東映動画で技術を身につけて監督になっていったように、ジブリで育った誰かがどこかでその精神を受け継いでいってくれればいいんじゃないか。僕はそう思っているんです。

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