2011-04-07
じじぃの「逆浸透膜(RO)・放射能汚染!トコトンやさしい水処理の本」
日経スペシャル「ガイアの夜明け」(追加) 2011年4月19日放送 テレビ東京
原発に立ち向かう〜ニッポンの技術と家族の絆〜
大阪・吹田市にあるニューメディカ・テック。逆浸透膜(RO)を使った浄水器メーカーである。
宮城県の仙台市の病院と多賀城市の保育園に、この逆浸透膜を使った浄水器の無料貸し出しを行った。
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/
ニューメディカテック株式会社、逆浸透膜浄水器、高性能浄水機、安心、安全な浄水器
逆浸透膜とは?
動物や植物の細胞膜は半透膜と呼ばれ、水溶液から水の分子だけを選択的に浸透させ、他の溶解物は通しません。この「浸透」メカニズムを応用した人口の薄膜の開発と共に、1950年代のアメリカで、海水を淡水化させる研究として始められ、1960年代から70年代にかけて開発された浄水システムを「逆浸透膜浄水システム」と言います。
http://www.eco-systems.jp/mechanism.html
海水を真水に変える逆浸透膜が一気上昇 〜半導体で培った技術が環境に向かう〜 2009年3月27日 セミコンポータル
この逆浸透膜は1960年代にケネディ大統領の命令により米国で開発が始まった。当然のことながら、米国メーカーが先行したが、半導体製造用超純水用途で力をつけた日本メーカーがぐんぐん伸び、いまや世界シェアは50%はあるという。海水淡水化用逆浸透膜のシェアは日東電工がトップであり、ダウケミカル、東レ、東洋紡としのぎを削っている。他の用途を含む逆浸透膜全体では、ダウケミカルが31%、日東電工が28%、東レが15%、東洋紡が5%のシェアとなっている。
https://www.semiconportal.com/archive/blog/insiders/izumiya/post-207.html
寺岡精工/純水造水装置の放射性物質除去能力を測定 2011年04月06日 流通ニュース
寺岡精工は3月31日、逆浸透膜ろ過を用いた純水造水装置「ECOA」の放射性物質除去能力について発表した。
ECOAは水道水をろ過して純水を造水する装置。3月26日から、福島県飯舘村役場の協力を得て放射性物質を含んだ同役場の水道水を原水としたECOAのろ過能力測定を実施した。
3月28日に原水とろ過した水を株式会社化研・水戸研究所に持ち込み測定を実施した。原水の放射性ヨウ素が350〜600Bq/kgで、放射性セシウムは10〜32Bq/kgであったが、ろ過した水からは放射性物質は検出されなかった。
ただ、あくまで測定結果は検出最低値以下であってゼロとなったとは言い切れないという。
同社は、「ろ過水の飲用の可否については、行政機関の発表を踏まえて判断していただきたい。当局が判断する原水の飲用可否に準じてECOAの使用可否判断をしてもらいたい」としている。
http://www.ryutsuu.biz/commodity/d040502.html
放射性物質 ヨウ素、セシウム、ストロンチウム 2011-03-15 ソネガのニュース
比較的影響が小さいものから大きなものまで様々な放射性物質が存在する。特に人体への影響が大きいのが、ヨウ素、セシウム、ストロンチウムだ。
http://sonega101.blog.so-net.ne.jp/2011-03-15-1
『トコトンやさしい水処理の本』 オルガノ/編集 日刊工業新聞社 2009年発行
逆浸透(RO:Reverse Osmosis)膜は、海水から飲用水をつくる(海水淡水化)ために発展してきた技術です。RO膜を使って海水からイオン成分(食塩など)を除いて、真水を得ることができます。
非常に緻密な膜で、水分子以外のイオンや有機物が通り抜けることができない膜のことを半透膜と呼びます。半透膜で仕切られた2つの部屋に濃い食塩水と薄い食塩水が入っているときに、2つの部屋の食塩濃度を同じにする力が働いて、薄い食塩水の部屋から濃い食塩水の部屋に向かって水が移動していきます。水が移動したことで、濃い食塩水の部屋の水位が薄い食塩水の部屋の水位よりも高くなります。この水位の差を与える力を浸透圧と呼んでいます。
次に、半透膜で仕切られた仕切られた2つの部屋に濃い食塩水と薄い食塩水を入れて、濃い食塩水の部屋から力を加えて薄い食塩水の部屋へ水を移動させようとします。このときに浸透圧よりも大きな力を濃い食塩水の部屋にかけることができれば、薄い食塩水の部屋に水の移動が始まります。この現象を逆浸透と呼んでいます。
RO膜に供給された水の浸透圧よりも大きな圧力をかけることで、水以外の成分が除去された処理水を得ることができます。原水の濃度が高くなると浸透圧が大きくなるので、より高圧でRO膜へ給水する必要があります。海水淡水化の場合は、およそ60気圧の圧力が必要になります。RO膜は、高圧に耐える耐圧容器の中に入れて使われます。
RO膜による水処理では、供給水が膜を透過した処理水(透過水)と膜を透過しなかった濃縮水とに分けられます。濃縮水では、原水に入っていた水以外の成分が高濃度に濃縮されます。RO膜を水処理に適応させるようになって、イオン類の除去だけでなく、水中に溶けている低分子の有機物の除去が容易になり、純粋の水質が大きく向上しました。
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どうでもいい、じじぃの日記。
福島第一原発事故で漏れた放射性物質は水道水にも流れ込むのだろうか?
放射性物質のヨウ素は甲状腺に、セシウムは筋肉に、ストロンチウムは骨に蓄積され、放射線を出し続けるのだという。
先日、図書館から『トコトンやさしい水処理の本』という本を借りてきた。
「汚れた水」を「きれいな水」にする方法がいろいろ書かれているが、その1つの方法として「逆浸透膜(RO)」のことが書かれている。
水道水の場合は浄水場でまず、活性炭を用いて特定の物質を選択的に分離、除去し、さらにMF膜を通してウイルスなどを除去し、さらにイオン交換樹脂を通して水を電気的に中性にしている。
水道水でも粒子の荒い放射性物質などは除去されるそうだが、粒子の細かい放射性物質は検出されるそうだ。
逆浸透膜は主に海水から飲用水をつくるフィルターなのだが、このフィルターただものではないのだ。
海水淡水化用逆浸透膜のシェアでは、ダウケミカルが31%、日東電工が28%、東レが15%、東洋紡が5%のシェアとなっていて、日本の世界シェアは50%だ。
日本もなかなか捨てたもんじゃない。
じじぃの「人の死にざま_567_カラヤン」
ヘルベルト・フォン・カラヤン - あのひと検索 SPYSEE
HERBERT VON KARAJAN 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=shYMoJ74Okg
ベートーヴェン交響曲9番「合唱」第4楽章2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=aAy4Hk40-Ao&feature=fvwrel
ヘルベルト・フォン・カラヤン フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヘルベルト・フォン・カラヤンはオーストリアの指揮者。1955年よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の芸術監督の地位にもあったことなどから日本では「楽壇の帝王」と称されることもあった。20世紀後半のクラシック界のみならず、広く知られたマエストロ(巨匠)の一人である。
【人物・来歴】
1908年にオーストリア・ハンガリー帝国(現在のオーストリア共和国)ザルツブルク州のザルツブルクで貴族の子として生まれた。
ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。
1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位に登りつめ、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。
1972年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団団員の養成を目的としたオーケストラ・アカデミー、いわゆるカラヤン・アカデミーを創設した。1982年、自身の映像制作会社テレモンディアルをモンテカルロに設立。ベートーヴェン交響曲全集をはじめとする、主要レパートリーの映像化にも着手した。
カラヤンは指揮者の職業病ともいえる、脊椎の持病にも悩まされ続け、生涯に3度の手術をした。1978年の脳梗塞(『家庭交響曲』のリハーサル中、落とした指揮棒を取ろうとして指揮台から落ちたのが発作の原因であった)等が追い撃ちをかけた。晩年には、歩行も厳しいほど体のコントロールを失うことにもなった。その頃のカラヤンは指揮台の柵につけられた、サドル状の特製の椅子に座って指揮し、長年目をつぶって指揮していたオーケストラのみの曲でも1983年ごろからは目を開いて指揮することが多くなった。
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朝日新聞社 100人の20世紀 下 2000年発行
ヘルベルト・フォン・カラヤン (1908-1989) 81歳で死亡 【執筆者】高橋哲也 (一部抜粋しています)
1887年7月16日、81歳のヘルベルト・フォン・カラヤンはザルツブルク郊外の自宅で、ベッドに横たわっていた。
「医者は、この私が心臓病だというんだよ。ペストだというなら分かるがね」
3日前にはそんな冗談を飛ばして見舞いに来た友人を安心させた。
間近に迫ったザルツブルク音楽祭では、今年もまた主役を演じるつもりだったし、何より、これから訪ねてくる日本人の紳士と、この数年にわたり心血を注いだ事業について相談しなければならなかった。
客が着いたのは昼だった。執事が2階の寝室に案内した。
古い農家を改造した自宅は質素だった。寝室は20畳ほどもある広さだが、使いこまれたクロゼットのほかに目立った調度はない。ベッドに半身を起こし、彼は遠来の客を上機嫌で招き入れた。
スーツ姿の日本人客はソニーの大賀典雄社長(現・相談役)だった。
「何で来たかね?」
いつものあいさつだ。自家用ジェット機を操縦してきたのか、それとも旅客機か・・・・。2人は音楽のほかに、ジェット機操縦という共通の趣味を持っていた。
カラヤンは本題に入った。
「実は、演奏をLD(レーザー・ディスク)で出したいんだがどうだろうか」
LDはデジタルで映像と音声を同時に収録再生する最新愚術だ。CD(コンパクト・ディスク)の澄んだ音に、解像度の高い映像が組み合わされている。まだ普及していないが、ビデオに代わるメディアとして期待されていた。大賀さんが自分の考えを語る。カラヤンは熱心に耳を傾けた。
話が一段落して、カラヤンはベッドサイドのコップに手をのばした。水を飲み干す。その直後、突然後ろに倒れた。
驚いた大賀さんのしらせで執事が駈けつけたが、なす術(すべ)はない。ヘリコプターで医師が呼ばれた。しかし、息を吹き返すことななかった。
大賀さんのショックは大きかった。
「そりゃそうですよ。なにしろ、この目の前で倒れたんですから」
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カラヤンの音楽の美しさは、その天性の才能のたまものだった。正確なテンポ。何十もの楽器の音を1つの音の固まりに仕上げる技術。「流線型の美」と評する者もいた。
レパートリーの広さも強みだった。ドイツ・グラモフォン社で長く音楽プロデューサーを務めたギュンター・ブレストさんは、オペラの録音に入れ揚げているカラヤンに「売れるものを録音してほしい」と泣きついたことがある。
カラヤンはいやな顔もせず、売れ筋のレコード制作を引き受けた。人気の高い交響曲などは、同じ曲で5枚も6枚も新盤を出した。
その彼が、愛したレコードを「古くさいガス灯」と切り捨てる。CDの登場だった。
78年秋、来日中のカラヤンはソニーの盛田昭夫会長の自宅に招かれた。そこでリハーサルの録音を聞かされる。ソニーが開発したデジタル録音のテープだった。
練習中の録音をきらうカラヤンは顔をこわばらせた。しかし次の瞬間、目を輝かせて立ち上がった。
「素晴らしい。これは全く新しい音だ。こんなクリアな音は聞いたことがない」
カラヤンは以来「デジタル派」になる。転向の仕掛け人は、当時ソニーのオーディオ事業本部長、中島平太郎さんだった。中島さんは後で手紙を書く。
「リハーサルを録音したことでご気分を害されたようですが、技術の流れはもう変えられません」
本人から返事が届いた。
「今度はテープではなく、ディスク上のものにデジタル録音してもらいたい。ザルツブルクで私が宣伝します」
約束は、CDの開発発表会で果される。CDの登場でドイツ・グラモフォンは83年から86年にかけ、創立以来の売り上げを記録した。
日本でも、CDは87年から急激に売り上げを伸ばす。CDプレーヤーは据え置きタイプだけで年間100万台以上が売れた。翌88年にはCDがレコードの販売を上回る。大賀さんたちが考えた音楽のデジタル革命は大成功を収めた。
カラヤンが最後の夢をかけたLDは期待したほど成功しなかったが、レコード、CDなど500枚ものカラヤンの音楽的遺産は、いまも世界のファンを魅了している。
録音された曲の中からアダージョ部分ばかり集めて95年に発売されたCD『アダージョ・カラヤン』は世界で500万枚が売れ、クラシックとしては異例の記録をつくった。
関係者は、「彼の録音がどれも高いレベルだったこらこそできたことです」という。
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