2012-01-29
じじぃの「人の死にざま_817_エリザベス1世」
エリザベス1世 - あのひと検索 SPYSEE
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エリザベス1世 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
エリザベス1世(1533年9月7日 - 1603年3月24日)は、イングランドとアイルランドの女王(在位:1558年 - 1603年)。
ヘンリー8世の王女として生まれたが、エリザベスの出生2年半後に母のアン・ブーリンが処刑されたため、彼女は庶子とされた。弟のエドワード6世はジェーン・グレイへの王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としている。続くカトリックのメアリ1世の治世ではエリザベスはプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されたものの、1558年にメアリ1世が死去すると王位を継承した。
エリザベスはウィリアム・セシルをはじめとする有能な顧問団を得て統治を開始し、最初の仕事として、父の政策を踏襲し「国王至上法」を発令し、「礼拝統一法」によってイングランド国教会を国家の主柱として位置づけた。
リザベスの治世はウィリアム・シェイクスピアやクリストファー・マーロウといった劇作家によるイギリス・ルネサンス演劇やフランシス・ドレークやジョン・ホーキンスなど優れた航海士の英国人冒険者たちが活躍にしたエリザベス時代として知られる。
一部の歴史家たちはこういった評価には慎重である。彼らはエリザベスを運に恵まれた短気な、そしてしばしば優柔不断な統治者と捉えている。治世の終わりには一連の経済的そして軍事的な諸問題によって彼女の人気は衰え、臣下たちは彼女の死に安堵している。
1588年4月29日、スペイン無敵艦隊がパルマ公率いるスペイン陸軍をネーデルラントからイングランド南東部へ輸送すべく英仏海峡へ向けて出港した。無敵艦隊には幾つもの誤算と不運が重なり、イングランド軍による火船攻撃によって混乱した無敵艦隊は7月29日のグラヴリンヌ沖で敗北し、艦隊は北東へ潰走した。帰路、アイルランド沿岸で嵐に巻き込まれて大損害を出したスペイン艦隊残余は散りじりになって本国へ帰還した。
【死去】
1602年秋まで女王の健康状態は良好だったが、友人たちの死が続き、彼女は深刻な鬱病に陥った。1603年2月のノッティンガム伯爵夫人キャサリン・ハワードの死去はとりわけ衝撃となった。3月に彼女の健康状態が悪化し「座り込み、そして拭いがたい憂鬱」のままとなる。1603年3月24日午前2時か3時、エリザベスはリッチモンド宮殿で死去した。69歳没。
数時間後、セシルと枢密院は彼らの計画を実行に移し、スコットランド王ジェームス6世をイングランド王であると宣言した。
【評価】
近年の歴史家はエリザベスについてより複雑な見解を取っている。エリザベスの治世は無敵艦隊の撃退や1587年と1596年のカディス港など、スペインに対する襲撃で有名だが、一部の歴史家は陸海における軍事的失敗について指摘した。アイルランド問題もまた彼女の汚点になる。スペインやハプスブルクに対するプロテスタント国家の勇敢な守護者と言うよりも、彼女は外交政策について慎重であったと、より多く見なされている。彼女は海外のプロテスタントへ最小限の援助しか与えず、海外で戦う司令官たちに資金を供給することにも失敗していた。
エリザベスは国民意識を形づくるイギリス国教会を確立させ、今日も健在である。
主として防衛的な外交政策にもかかわらず、エリザベスの治世はイングランドの国際的な地位を高めた。教皇シクストゥス5世は「彼女は単なる女、島の半分の女主人に過ぎない」「にもかかわらず、彼女はスペイン、フランス、帝国そして全ての者たちから恐れられる存在となった」と驚嘆している。エリザベスの元で国民は新たな自信と(分裂したキリスト教世界での)独立意識を得た。
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『井沢元彦の英雄の世界史』 井沢元彦/著 廣済堂文庫 2008年発行
波乱を生きた女王 エリザベス1世 (一部抜粋しています)
スペインの無敵艦隊を撃破し、大英帝国繁栄の基礎を築いた女王が、エリザベス1世である。彼女は1533年、イングランド王ヘンリー8世と、その2人目の妻アン・ブーリンの間に生まれる。
彼女の人生は、その幕開けから波乱に満ちていた。ヘンリー8世がアンとの結婚を望んだとき、彼には王妃キャサリンがいたからだ。当時のイングランドはカトリックである。当然、離婚は許されない。熱心なカトリック信者だったヘンリーは、ローマ教皇に何とか離婚を認めてくれるよう願い出るが許されない。そこでヘンリーはカトリックから離れることを決意する。イギリス国教会の誕生である。そして、アンとの再婚を果たし、生まれたのがエリザベスなのだ。だが、それほどの思いをして結婚したアンを、ヘンリーはわずか3年後に処刑してしまう。理由は不義密通とされているのだが、実際には3人目の妻となるジェーンへの心移りが原因らしい。母が処刑されたため、エリザベスは非摘出子とされ、一時期王位継承権を失う。そして、実はこのことが、後にスコットランド女王メアリー・スチュアートとイングランドの継承権をめぐって争う原因となるのだ。
エリザベスのことを語る上で、その生涯のライバルともいえるメアリー・スチュアートのことは外せない。メアリーが生まれたのは1542年、父はスコットランド王ジェームズ5世。母はフランス貴族のメアリーである。彼女は父の死によって、生後わずか1週間で王位に就いている。その後、6歳でフランス皇太子フランソワと婚約して渡仏。16歳で正式にフランス皇太子妃となる。
ちょうどその頃、イングランド王ヘンリー8世が死んだ。イングランドでは、3番目の妻ジェーンが生んだエドワード6世が王位を継ぐが、そのエドワードも6年後に病没、最初の妻キャサリンの産んだメアリーが女王の座に就いた。彼女の治世ではエリザベスは、陰謀に加担した嫌疑がかけられロンドン塔に投獄されるなど苦難を味わっている。そのメアリーが1558年に没し、エリザベスが王位に就くのだが、彼女の即位に反対するものがあった。フランス王アンリ2世である。アンリ2世は、エリザベスが一時期、非摘出子として王位継承権が剥奪されたことを理由に、イングランドの王位継承権を持つ自分の息子の妃であるメアリー・スチュアートの王位継承を主張したのである。メアリーと エリザベスの確執はここから始まる。
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エリザベスとメアリーの間には熾烈な「女の戦い」があった。またメアリーがスコットランド女王だったときのエピソードだが、 エリザベスは自分のもとを訪れたスコットランド大使メルヴィルに、「私とメアリーではどちらが美しいか」と尋ねたという。困った大使は、「イングランドでは陛下が、スコットランドではメアリー陛下が一番お美しいです」と答え、その場を何とか切り抜けたという。美しさで優劣を量ろうとするあたりが、何とも女性らしい。
だがそんなエリザベスも、幽閉したとはいえ、それなりの待遇でメアリーを遇している。そして、メアリーにイングランドの王位継承権を主張することを止めるよう和解も申しこんでいるのだ。しかし、メアリーはそれを拒否し続けた。拒否するどころか、彼女はエリザベスの暗殺謀議に加担してしまう。だがここには、カトリックとイギリス国教会の争いが深く関係している。スコットランドで生まれ、カトリックの強いフランスで育ったメアリーは熱心なカトリック信徒であった。それに対しエリザベスは、自分の出生とも大きく関わっている国教会の確立に努めていた。つまり、イギリス国内に残るカトリック勢力が、メアリーを旗印として王位纂奪計画を画策し、メアリーはそれに利用されたのである。そして、ついにイングランドの裁判所は、メアリーに死刑の判決を下す。だがそれでもエリザベスは、メアリーの死刑執行令状への署名を約3ヵ月に渡って渋っている。その間、メアリーも必死で自己弁護を試みたが、1587年2月、議会に押し切られるかたちで、エリザベスは死刑執行令状に署名する。これによってメアリーは幽閉先のフォザリンゲイ城で断頭刑に処せられた。メアリー45歳、エリザベス54歳であった。
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エリザベス1世の言葉
「私は国家と結婚している」
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