じじぃの「人の死にざま_948_御船・千鶴子」

御船千鶴子 - あのひと検索 SPYSEE
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御船千鶴子 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=desKMPlwi3o
知ってるつもり?! 「実録『リング』・御船千鶴子の謎」 2000/5/14 放送 日本テレビ
千鶴子に不思議な力があったか…という事はともかく、彼女が千里眼騒動の被害者であった事は間違いない。歴史の闇に消えていった千里眼の女・御船千鶴子は今、一体我々に何を語りかけているのであろうか?
90年の時を越え、空前のホラーブームと言われる現代、科学で解明出来ないミステリアスなものに魅かれる人間の心の奥底にあるものとは何なのかを考えてゆく。
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/000514.html
『透視も念写も事実である―― 福来友吉千里眼事件』 寺沢龍/著  草思社 2004年発行
千里眼と呼ばれた御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子らに超能力の実験をおこない、その成果を発表したため東京帝大を追放された超心理学者・福来友吉の悲劇を描く。
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1274.html
御船千鶴子 ウィキペディアWikipedia)より
御船千鶴子(1886 - 1911)は、透視能力を持つ超能力者として福来友吉博士に紹介された女性。
【超能力の検証】
現在では、千鶴子の「能力」の実在は極めて疑わしいとされている。「透視」に成功した場合でも、意識が集中できないとして彼女は常に観察者に対して背を向けて「透視」しており、側面や正面からの観察は頑なに拒否していた。そして成功した場合は常に糊付けで封印された容器が多く、それも10分近く時間をかけている。これだけの時間をかければ、つばをつけて封をはがし、また貼り付けて体温で乾かすことが可能という実際の検証結果も示されている。
当時から千鶴子の「千里眼」は疑問視されていた。第一に、医院を訪れる患者に対しては正面から向き合っていたにも関わらず、透視の際には、能力を発揮するためと言って人に背を向けていたのである。福来も、観察者に背を向けていることが疑いを招くと考えて、再三千鶴子を説得していたが、千鶴子は応じていない。さらに、福来の最初の実験は、本人を目の前にしたものではない。19通の割り印つきの封筒を郵便で送って、中身を透視して返送してもらうものだったが、「透視」されて返却されたのは7通で、残りのうち3通は「うっかり火鉢に落として燃えた」、他は「疲れて出来ない」ということだった。疲れて出来ないなら、そのまま封筒を返送すればよいのだが、彼女はこの封筒を返却していない。封をはがして、元通りにするのに失敗したと見るほうが妥当である。また、問題になった鉛管実験の時、千鶴子は2つの鉛管を持っていたわけだが、千鶴子本人は、山川から預かった方は判らなかったので、代わりに練習用の方を透視したと語っている。しかし、練習用の鉛管だとは告げずに透視結果を報告しており、山川から預かった鉛管は最初隠していたため、ごまかしを試みて失敗した可能性が高い。その他の透視も、偶然か、普通の観察力の鋭さで説明がつく。
【フィクション作品】
鈴木光司の小説『リング』に登場する超能力者、山村貞子の母親のモデルであると言われた。作中では貞子の母「山村志津子」が、1950年代に大学教授に才能を見出されてマスコミを賑わすものの、衆目の前で鉛の容器に入れられたサイコロの目を当てる実験に失敗し、世間からのバッシングに耐え切れず自殺したという設定が語られている。しかし、当の鈴木光司御船千鶴子のことを知ったのは小説の完成後のことであるとしている。
テレビドラマ『トリック』では、無印のエピソード8「千里眼の男」及び木曜ドラマ版エピソード5「念で物を生みだす女」の放送で千鶴子の生涯が紹介された。

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『千鶴子には見えていた!―透視は、あっても不思議はない 』 竹内久美子/著 文藝春秋 2007年発行
透視は、あっても不思議はない より
長尾郁子という、千鶴子に遅れて登場し、もっと強力な能力の持ち主がいるのですが、その郁子までもがその翌月に病死する。
さらに、日本の近代化に「迷信」の類は妨げであるという風潮が高まってきた。千鶴子の能力を認めたはずの学者の多くは保身になり、福来は孤立無援となった。そしてとうとう大正2年、大学をやめさせられることになり、一連の出来事はスキャンダルとして葬り去られてしまったのです。
世界をリードしていた研究のつまらない結末。何とももったいない話だと思いませんか? (詳しいことは『透視と念写』 [復刻版] 福来友吉著、福来出版、『透視も念写も事実である』寺沢龍著、草思社を参照)。

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『世界と日本の怪人物FILE』 歴史雑学探究倶楽部/編集 学研 2010年発行
御船千鶴子(みふねちづこ) (一部抜粋しています)
90年代に起きたホラーブームの火付け役となった、鈴木光司の小説『リング』と『らせん』。物語の中で、恐るべき呪いの恐怖を巻き起こす貞子にはモデルがいる。高橋貞子だ。そして、貞子の母親のモデルといわれているのが御船千鶴子である。彼女は、「千里眼夫人」の異名を持ち、日本で初めてその能力が学術的研究の対象となった透視能力者なのだ。
熊本県宇土郡松合村(現在の宇城市)で漢方医の家に生まれた千鶴子には、先天性の難聴があった。成人する頃には右耳の聴力がかなり落ちていたというが、聴力の低下を補うべく別の能力が発達したのか、彼女には不思議な力が芽生えつつあった。
それを顕著に示す出来事が、20代前半に起きている。千鶴子は22歳で結婚するが、まもなく離婚して実家に戻った。離婚の原因は定かではないが、夫の財布から消えた金を姑が持っていることを言い当て、疑いをかけられた姑が自殺未遂を起こしたからではないかといわれている。当時の千鶴子には、すでに透視能力が備わっていたのだ。
千鶴子の能力をさらに引き出したのは、姉の夫である清原猛雄だった。清原の本職は中学(現在の高校)の体操教師だったが、彼は催眠術と催眠療法を操る人物でもあった。千鶴子を催眠状態にして透視実験を行った際に優れた結果が得られたことで、清原は本腰を入れて千鶴子のサポートを始める。
千鶴子は樹皮の下にいる虫の存在を言い当てたり、海で紛失した指輪の場所を指し示すといった透視能力を発揮していった。また、病気の診断に役立てようと、人体透視も行っていたという。一説には、千鶴子の透視によって炭鉱が発見されたともいわれている。
こうした千鶴子の評判を耳にして、彼女に関心を持った東京帝国大学助教授の福来友吉博士は、京都帝国大学医科大学精神病理学教授だった今村新吉博士の協力のもとで透視実験を行った。実験は、茶壺に入れた名刺を読み取るというもので、千鶴子は見事に名刺に書かれた名前を言い当ててみせたのだ。
福来博士がこの実験結果を心理学会で発表すると、世間は大きな関心を寄せた。すぐに千鶴子のもとへ続々と透視の依頼が殺到し、彼女は一躍。時代の寵児(ちょうじ)へと昇りつめたのである。
だが、千鶴子の透視には、立ち会う人々に背を向け、対象物に手を触れて精神統一をしなければ成し得ないという欠点があった。この欠点が千鶴子の能力に疑惑をもたらすことになる。
さらに、1910年9月、東京帝国大学総長も務めた物理学の権威、山川健次郎らの立ち会いのもとで、鉛管の中野文字を透視する実験が行われた際には、不審な出来事が生じた。千鶴子は山川側が用意した鉛管を透視するはずだったが、当日使用したのは普通の練習で使っているものだったのである。
この出来事をきっかけに、メディアはこぞって千鶴子の能力に否定的な姿勢を示すようになり、千鶴子だけでなく、彼女の実家も世間の非難に晒(さら)されることになる。
そして、渦中の千鶴子が服毒自殺を図ってこの世を去ったのは、翌年の1月のことであった。

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