じじぃの「人の死にざま_1070_丸山・眞男」

丸山眞男 - あのひと検索 SPYSEE
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戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか第3回 丸山眞男政治学者たち 前編 動画 dailymotion
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丸山眞男 ウィキペディアWikipedia)より
丸山眞男(まるやままさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体丸山真男とも表記される。
丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。マックス・ヴェーバーの影響を強く受けた学者の一人であり、近代主義者を自称し、それまでの皇国史観とは異なる、西洋哲学と社会学を土台とした学術的な日本政治思想史を論じた。
【経歴】
1914年、ジャーナリスト・丸山幹治の次男として、大阪府に生まれた。郷里は長野県。兄に芸能プロデューサー・音楽評論家の丸山鉄雄がいる。1921年(大正10年)には東京四谷に転居。父の友人・長谷川如是閑らの影響を受け、大正デモクラシーの潮流のなかで思想形成をおこなう。四谷第一小学校、府立一中(現・都立日比谷高校)を経て、旧制一高に進学。1933年(昭和8年)、一高の三年生時には長谷川を弁士とする唯物論研究会の講演に赴いたために警察に検挙され、特別高等警察の取調べを受けた。
1950年(昭和25年)より東京大学法学部教授。1960年代後半になると逆に、欺瞞に満ちた戦後民主主義の象徴として全共闘の学生などから激しく糾弾された。心労と病気が重なったことで、1971年(昭和46年)に東大を早期退職した。1974年(昭和49年)に東京大学名誉教授。

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文藝春秋 創刊90周年記念号
激動の90年、歴史を動かした90人 「丸山眞男 独裁者にはユーモア感覚がない」 【執筆者】苅部直東京大学教授) (一部抜粋しています)
1960(昭和35)年6月1日、世の中がいわゆる安保問題で大揺れだったころ、朝日新聞(東京版)の朝刊は文化面のほぼ半頁をさいて、「東大全学教官研究集会の講演から」という記事を掲載している。そこで長々と紹介されているのは、法学部で英米法を担当した教授(のち最高裁判官)、伊藤正巳と、日本政治思想史を教える教授である丸山眞男、この2人が前日に行った講演である。
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この安保反対運動をきっかけにして、丸山眞男の名前は学界と論壇をこえて一般に知られるようになるが、良かれ悪しかれその有名人化を可能にしたのは、知識人の存在をめぐる、いまでは失われた環境なのである。
丸山の講演は「この事態の政治学的問題点」と題したもので、直後に出た『朝日ジャーナル』6月12日号に全文が掲載されている。その最後で丸山は、帝国憲法時代からの日本の歴史をふりかえる。昭和の戦争期に見られた抑圧体制の崩壊ののち、私たちは日本国憲法によって「徹底した民主的な議会主義政治」を確立した。しかしいまや、議会主義そのものが「空虚化」し、戦時中のような「権力的な統合」への回帰を見せはじめている。そこで丸山は、国会を解散し採決を撤回すること、そのために「一般市民」が声を挙げることを、講演で訴えた。
憲法の規定によってデモクラシーの制度が導入されたとしても、人々が政治の動きを監視し、それに声をあげるような精神の態度がないかぎり、「民主主義」は空文化してしまう。政治学者として、また論壇人として、丸山は終戦直後からそう訴え続けていた。
『現代政治の思想と行動』(1956〜57年)や『日本の思想』(1961年)といったその著書が、好評を持って世に迎えられ(少なくともいまよりは)多くの学生に読まれるといったことがなかったら、戦後の政治は一般庶民の権力者に対する不信と、その裏返しの追従によってのみ、ひたすら彩られていたのではないか。そんな風にも思わせるほど、人々を政治参加へ誘い、「民主主義」の内実を満たさせようとする熱気が、丸山の言葉にはあふれている。
しかし、政治参加の意味を説き、人々を選挙へデモへと煽動するデモクラットとしてのみ、丸山眞男をとらえると、その思想の重大な一面を身落としてしまうだろう。安保反対運動と同じ年、1960年の10月から翌年の2月にかけて、丸山は東大法学部で「政治学」(政治言論)の講義も例外的に行っており、その講義録が没後に公刊されている(『丸山眞男講義録』第3冊、東京大学出版会)。
この講義で丸山が展開しているのは、ふつうの政治学講義によくあるような、政治体制の類似論や研究方法論ではないし、民主主義の理念の礼賛でもない。冒頭で論じているのは「政治的リアリズムと状況認識」である。丸山はしばしば、理解力のない批判者からは現実主義を書いた理想家と酷評されたが、本人がみずからの政治観を学生に語るにあたって「リアリズム」をまず説いたことは、注目しておいていいだろう。
ただし、ここに言うリアリズムとは、目の前に広がっている現実の動きにひたすら順応し、それに棹さしてゆけばいいという処世術ではない。現実がこれまでの経緯の延長線上に動いてゆくのは、さまざまにありうる可能性の一つにすぎないと構え、複数の可能性を絶えず探ってゆくこと。そうした距離を持った視点をもちながら、少しでもいい方向へ現実を導くように、柔軟な判断を続ける。そうした政治家に要求されるリアリズムが、権力を監視する市民の側にも必要だ。そう丸山は説いたのである。
このように、現実を距離をもって見つめるためには、やはり何らかの理想を心の内に持っていることが必要だろう。その意味で「民主主義」や「自由」や「基本的人権」は、政治について本当の意味で現実的に考えるときに、必要な原理なのである。しかし同時に、丸山がここで「距離の感覚」を持ち続けるためには「ユーモア」が不可欠であると説いていることに注目したい。「独裁者にはユーモア感覚がない」。丸山のこの言葉、独裁者にかぎらず、いまの政治家や官僚や市民運動家の多くにもあてはまりそうである。

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丸山眞男 Google 検索
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じじぃの「広がり続ける格差社会・中高年のサバイバルとは!村上龍」

池上彰のニュースそうだったのか!! 2015年10月10日 バラエティ動画
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-77146.html
北朝鮮の民主主義レベルは世界最下位!アジアでは日本1位、韓国2位=英機関調査 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=us9C_Fkc-3Q
なかよしテレビSP 1/2 (骨盤枕に高須院長が反論!)(忍び寄る孤独死の恐怖)2012.11.27 動画 デイリーモーション
http://www.dailymotion.com/video/xvf1dr_yyyyyyysp-1-2-yyy-yyyyyyyyyyy-yyyyyyyyyy-2012-11-27_shortfilms
池上彰のニュースそうだったのか!! (追加) 2015年10月10日 テレビ朝日
【ニュース解説】池上彰 【進行】宇賀なつみ 【ゲスト】岡江久美子北村晴男坂上忍小籔千豊、ビビる大木、遼河はるひ新井恵理那
多数決で決める民主主義と優秀なリーダーがひっぱる独裁、経済活動は自由だけど、格差が大きい資本主義とそんなに裕福ではないけれど、みんなが平等の社会主義、あなたはどの国が幸せだと思いますか?
様々な国の形を知ることで日本のあり方を改めて池上彰が考えます。独裁=悪ではない!?独裁的国家だけど、みんなが裕福で幸せな国!?税金はものすごく高いけど、老後の心配も貯金も一切いらない国!?いろいろな国を知りましょう!
英国のエコノミスト誌が発表した世界民主主義ランキングで、世界167ヵ国中、日本は20位だった。1位はノルウェー、2位はスウェーデンと北欧が続き、英国は16位、米国は19位、韓国は21位、フランスは23位で民主主義国とされ、独裁主義体制の国の中で中国は144位、北朝鮮は最下位の167位だった。
→ https://en.wikipedia.org/wiki/Democracy_Index
意外にも日本はアメリカに近い格差社会であった。
http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami-news/
ジニ係数 ウィキペディアWikipedia)より
ジニ係数(Gini coefficient, Gini's coefficient)とは、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標。ローレンツ曲線をもとに、1936年、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された。所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される。
【日本の所得ジニ係数の推移】
上記所得再分配調査の結果に寄れば、日本のジニ係数は、当初の高齢化によるとされる急激な上昇分を社会保障の再分配によってほとんど吸収してるが、十分ではなく税による再分配が弱まっているために、ジニ係数の上昇を早めている。原因として、中間所得層に対する税率が OECD 各国に比べて低すぎること、労働年齢層に対する社会保障が少ないことが明らかにされ、養育に対する支援も少ないことで子育て世帯の貧困率を高めている可能性があることが指摘されている。
2008年のOECDレポートでは、日本のジニ指数は80年代より毎年上昇していたが、2000年以降の4年間にかけては下落したと報告されている。しかしそれでも日本の貧困レベルはOECD諸国の中で4番目に高いと指摘している。

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文藝春秋 創刊90周年記念二月号
老後への覚悟を持て 村上龍
60歳をむかえた時代のリーダーが考える中高年のサバイバルとは (一部抜粋しています)
50代半ばになると、体力が落ちてきたことを感じ始めました。ちょうど55歳のときに、自分と同年代の中高年向けの職業ガイドを作る計画が持ち上がったんです。9年前に作った『13歳のハローワーク』という中学生向けの職業ガイドが好評だったこともあり、今度は自分と同年代の、老後の入口に立つ中高年の人々に向けたものを作りたいと考えた。
けれでも、取材を始めてすぐ、13歳と55歳では状況がまったく違うことが分かった。13歳の中学生には膨大な時間があるので、大人になるまでにいかようにも変わる可能性がある。けれども人間55歳ともなると、それまでの人生でやってきたことを生かすしかない。さらに今の中高年の間には明らかな経済的格差があり、階層ごとに必要とされる情報が全く異なるので、世代全般を対象とした職業ガイドを作ることは無理だとわかりました。
その格差とはどういうものかというと……ビジネスの現場ではよく「二対六対二」の法則と言われます。組織の中には常に二割の上位層、六割の中位層、二割の下位層が存在し、企業の場合なら優秀な上位二割が多くの利潤を生みだし、六割がそれを支えルーティンワークなどをこなし、二割の「お荷物」が必ず存在するという法則です。
この比率が中高年の経済状況にもあてはまる。悠々自適の老後を遅れるのは二割の人々で、お金の心配をしながら老後を送らなければいけない中間層が六割を占める。ボトムの困窮層も二割で、この人たちは明日の生活にも困るような人々です。
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いまの中高年を描こうとするときに、会社や家庭の庇護を失った人間が、新たな庇護を得て救われるような物語は書けない。たとえば熟年離婚した主婦が、結婚相談所で紹介された男性に飽き足らずに、最後に夫の良さを再発見してよりを戻す、と書いてしまうと、リアルじゃないと思う。今の小説を書く作家として、そこにどういう新しい人生との出会いを描くか、今回いちばん心を砕いた部分です。僕が描きたかったのは、中高年が庇護にかわる新たな関係性を見つけて、新たな人生に出会う瞬間かもしれない。「庇護する」「庇護される」に代わる関係は「信頼する」「信頼される」関係だと思います。
僕が書いた営業マンは、早期退職後にキャンピングカーを購入して、妻と全国を回ろうと計画して、浮き立つ気持ちで家族に話したところ、妻の否定的な態度に困惑し、おおいに傷つき、精神状態にまで変調まできたす。会社勤め時代の庇護と従属を軸とした人間関係しか知らない彼は、妻が自分とは別人格で、妻には妻の時間があるという単純なことに気付いていなかったんです。
彼は、妻の人格を尊重して新たな信頼関係を築きなおすことになります。しかし、日本社会には「信頼とは何か」という共通認識もない。言葉だけは流通しているのに、その概念についてのコンセンサスが社会にない。
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盆暮れに贈り物をするようなことでは、信頼関係は築けない。どこかに尊敬があり、お互いに努力がある。それは家族の間でも同じことです。その単純なことを、日本人の多くは軽視してきた気がしてなりません。
これだけは言えますが、定年後には信頼できる友人がいたほうがいい。でもそういう友人は、フェイスブックや異業種交流会で広がっていくわけではない。こればかりは自然に出来ていくもので、戦略的につくれるものではありません。
メディアでは、「日本はこれからどうなるのか」「日本の中高年はどうなるのか」という問題設定を相変わらずしていますが、そう聞かれても僕は分かりません。これまで述べてきたように、「日本」単位で物事を考えるのは、もう有効ではないと思うからです。
中高年一人一人にとっては、日本がよくなるかならないか、ということは大した問題ではありません。日本がよくなると、つられて自分がよくなるわけではないし、自分がいまダメなのは、日本がダメだからではない。
高度成長期と違って、日本経済の回復と自分の境遇が必ずしもリンクしていない。悠悠自適層も中間層も困窮層の人も、自分がどう生きていくかは自分で考え、生き延びなきゃいけない時代なのです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
文藝春秋』創刊90周年記念二月号を見ていたら、村上龍「老後への覚悟を持て」に「中高年のサバイバル」のことが書かれていた。
ビジネスの現場ではよく「二対六対二」の法則と言われます。組織の中には常に二割の上位層、六割の中位層、二割の下位層が存在し、企業の場合なら優秀な上位二割が多くの利潤を生みだし、六割がそれを支えルーティンワークなどをこなし、二割の「お荷物」が必ず存在するという法則です。
この比率が中高年の経済状況にもあてはまる。悠々自適の老後を遅れるのは二割の人々で、お金の心配をしながら老後を送らなければいけない中間層が六割を占める。ボトムの困窮層も二割で、この人たちは明日の生活にも困るような人々です。
こういう比率の法則があるとは知らなかった。オレなんかは「お荷物」層だったんだろうなあ。
日本がよくなると、つられて自分がよくなるわけではないし、自分がいまダメなのは、日本がダメだからではない。
高度成長期と違って、日本経済の回復と自分の境遇が必ずしもリンクしていない。悠悠自適層も中間層も困窮層の人も、自分がどう生きていくかは自分で考え、生き延びなきゃいけない時代なのです。
格差社会はストレスが溜まる社会だ。あまりいい社会じゃないようだ。