じじぃの「人の死にざま_1182_杉村・春子」

大島優子 ドラマ 「女の一代記 杉村春子の生涯」 2005年 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3NnJ37ZRS44
小津安二郎 - 浮草物語/Yasujiro Ozu - A Story of Floating Weeds(1934) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Iu1kV5ZRk0Q
杉村春子 ウィキペディアWikipedia)より
杉村春子(すぎむらはるこ、1906年1月6日 - 1997年4月4日)は、広島県広島市出身の新劇女優。本名は石山春子。旧姓は中野であり、杉村は芸名である。
築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の屋台骨を支え続け、演劇史・文化史に大きな足跡を残した文字通り、日本を代表するカリスマ女優。称号は東京都名誉都民。
【来歴・人物】
遊女の私生児として広島市の色街に出生。幼時に母親が死んだため、材木商の養女にもらわれ何不自由なく育つ。
戦後、『女の一生』の再演は文学座が立ち直るきっかけとなった。経営の苦労を身に染みて知る杉村はお客を大切にした。このことは新劇の商業演劇進出の走りといわれる。
女の一生』のほか、『華岡青洲の妻』、『欲望という名の電車』、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』など創作劇、翻訳劇のいずれの分野でも、リアルな女性像を描き出した。
舞台のみならず、映画・テレビでも幅広く活躍。映画初出演は築地小劇場時代の1927年に小山内薫が監督をした『黎明』か1932年、初代水谷八重子と共演した『浪子』か、1937年、『浅草の灯』か、文献によって記述が異なる。その後も小津安二郎黒澤明成瀬巳喜男豊田四郎木下惠介といった名監督たちから、既存の映画俳優には無い自然でリアルな演技力を高く評価され、『東京物語』を初め日本映画史を彩る名作群約100本に出演、映画史にもその名を刻んだ。小津組でたった一人、読み合わせへの不参と"縫い"(かけ持ち)を許された俳優であった。森雅之と共に最も映画に貢献した新劇俳優でもある。
杉村は多くの演劇人の目標であった。
1997年70年の芸能生活で仕事を一度も降りたことがなかった杉村だが、1月19日NHKドラマ『棘・おんなの遺言状』の収録中に貧血と腰痛を訴えて入院し降板、代役は南美江が演じた。
2月に入り文学座の会見では「十二指腸潰瘍」と発表されたが、そのときすでに膵臓がんでもあると、医師から文学座の社長・戌井市郎北村和夫江守徹など近しい人にだけ知らされていたという。

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『人生の終いじたく だって気になるじゃない、死んだ後のこと。』 中村メイコ/著 青春出版社 2010年発行
病室でも”女優”だった杉村春子さん (一部抜粋しています)
本番前に小道具さんが長火鉢をおいていきます。そのときはじめて観る長火鉢を杉村春子さんが撫でながら、「何十年と私、この長火鉢と暮らしましてね」とおやりになる。すると、そういう長火鉢に見えてくるからふしぎです。
希代の盟友には、「杉村春子説」というのがあります。
女優は結婚しないほうがいい、ましてや子どもなど産まないほうがいいというものです。
杉村さんはおっしゃっています――。
「芸者をやっているときは芸者に見えなければならない、お姫さまをやっているときはお姫さまに見えなければならないのが女優です。その女優から、家庭の垢だの、子持ちであることなどがチラリとでも覗いたら、高い入場料を払って観にこられたお客さまに失礼です。こっそり恋愛しても、こっそり子どもを産んでもかまわないけど、正式に結婚して、ましてや、自慢げに『何人子どもがいます』なんていうのはもってのほかです」
杉村春子説に反発する女優さんもたくさんいたでしょうし、私などは、まさに杉村春子説にそむいた代表格のようなものです。
杉村さんとは5歳のとき、豊田四郎監督の『小島の春』という作品でご一緒してからの、長い長いつきあいでした。お仕事でご一緒することは、その後はあまりなかったけれど、杉村さんの公演はどんなことがあってもかならず観にいったものです。
3人の子どもたちがだいぶ大きくなった頃、久しぶりに先生の楽屋を訪ねたことがあります。
「先生、私は2歳半からですから、もうずいぶん長く役者をやっています。そのわりにはいまだに代表作といわれるものもないし、当たり狂言もありません。やっぱり早々と結婚して、子どもを3人産んで、おかあさんをやってしまったからでしょうかねえ」
ほかの女優さんたちなら、「メイコちゃんにはね、カンナちゃんという作品があるじゃないの」とか、「3人のお子さんという作品を残したのだから」などと慰めてくださるところですが、杉村さんだけは私の目をじっと見すえて、
「あたり前ですよ、片手間で女優はできません。その証拠に、私の夫は3人とも先に死んだわ」
シャキッとしておっしゃったのです。気分がスカッとしました。
片手間では女優はできない、そう杉村先生がきっぱりおっしゃるんだもの、私は恋もしたし、結婚もしたし、3人の子どもを産んで育てたのだから、代表作も当たり狂言もなくて当たり前。この程度の仕事しかできないのは当然なんだ、と。
慰めの言葉よりも、杉村さんの厳しい言葉にかえって救われた気がしました。
最後に杉村さんのお芝居を観たのは、最晩年の、もう80代後半でした。いつもと変わらない艶やかなお芝居でした。「杉村先生、どうしてあんなにも色っぽいんですか。今日もステキでした」。すると、「メイコちゃん、嘘よぉ。帰ったら、クタクタババアで、這いずって歩いているんだから」。
それから間もなくして入院され、ほとんどはじめてのこの入院で、半年足らずののちに91歳で亡くなられました。入院は極秘にされていたので、お見舞いにも行けず、入院中のご様子などは知らずにいました。
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杉村春子 Google 検索
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