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老兵は黙って去りゆくのみ

2013-08-24

じじぃの「未解決ファイル_195_ダイオウイカ」

06:09

NHKスペシャル-深海の巨大生物「伝説のイカ 宿命の闘い」 動画 Youku

http://v.youku.com/v_show/id_XNTkwODMzODk2.html

ダイオウイカを撮影したカメラマンと潜水艇 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=gzBzUifQVPs

ダイオウイカ NHK Google 検索

http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&ei=-68WUq_iF8SNkwXD24CoDg&ved=0CDEQsAQ&q=%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%AB%20NHK&orq=%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%AB++NHK&tbm=isch

「最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王」で紹介された情報 (追加) 2013年12月13日 日本テレビ

・最強の頭脳 決勝戦

頭が透明なドームで覆われているこの深海魚の名前を答えなさい。正解はデメニギス

http://www.ntv.co.jp/zuno/

NHKスペシャル 「世界初撮影! 深海の超巨大イカ」 2013年1月13日

伝説の怪物「ダイオウイカ」。古来より船を沈めると恐れられてきた最大18mに及ぶ世界最大のイカだ。しかし、深海で生きた姿を見た者は誰もいない。地球の海・最後のミステリーといわれる幻の超巨大イカの撮影に、NHK国立科学博物館などの国際チームが挑戦。世界遺産小笠原諸島を舞台に、科学者エンジニアなど11ヵ国から50人のスタッフが結集した。

http://www.nhk.or.jp/ocean/giantcreature/

ダイオウイカ ウィキペディアWikipedia)より

ダイオウイカ(Architeuthis dux)は、開眼目 (Oegopsida) ダイオウイカ科に分類される、巨大なイカの1種(もしくは1属)である。

ダイオウイカ属には複数種があるとする説もあったが、遺伝子的にはきわめて均一な同一種だと判明した。

世界各地に存在する巨大な頭足類の伝説「クラーケン」はダイオウイカをモデルにしているとも考えられている。

【生態】

北アメリカヨーロッパ付近の大西洋ハワイ島付近、日本では小笠原諸島などの広い範囲で発見例があるものの、深海に棲息するため、全体としては発見数が少なく、台風によって浜辺に打ち上げられたり、死骸が漂着するなどの発見例が大半である。

天敵はマッコウクジラであると考えられている。その理由としてマッコウクジラの胃の内容物から本種の痕跡が多く発見されることと、頭部の皮膚に吸盤の跡やその爪により引き裂かれた傷が残っていることが挙げられる。ダイオウイカの吸盤には鋸状の硬い歯が円形をなして備えられており、獲物を捕獲する際にはこれを相手の体に食い込ませることで強く絡みつくと考えられている。また、弱った個体や死骸がサメやシャチ等、他の肉食生物の餌にされたり、幼体時の浮遊期にも稚イカが多くの生物の餌になっていると考えられている。なお、ダイオウイカの卵はクリーム色もしくは白色をしており、およそ1mm程度である。

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『日本の深海 資源と生物のフロンティア 瀧澤美奈子/著 ブルーバックス 2013年発行

謎めく深海生物たち (一部抜粋しています)

巨大なイカが船を襲って転覆させ、人々を海のなかに引きずり込む。海がいまよりも恐れられていた時代、ヨーロッパでは巨大な怪物クラーケンが人々の想像力をかきたてた。そのモデルになったといわれる世界一大きなイカが、ダイオウイカである。直径30センチメートルの目を持ち、特に大きな個体では体長20メートルにもなる。

この巨大イカはめったに人の前に姿を現さない。しかし世界中の水深数百メートルから1000メートルぐらいの深海(中深層)に、たくさん潜んでいるらしい。ダイオウイカをおもな餌とするマッコウクジラが、世界の海に数多く棲息していることからの推定である。

特に日本近海を含む西部北太平洋には、10万頭前後のマッコウクジラが棲息する。なかでも小笠原近海は、秋から初冬にかけてマッコウクジラ子育てをする海域で、ホエールウォッチングのスポットとして有名である。その暗闇の奥では、彼らの餌となるダイオウイカも多数棲息している。

ダイオウイカの生態に関する知見は長いあいだ乏しかったが、2006年から国立科学博物館の窪寺恒巳博士らが、深海魚の漁具にヒントを得た水中映像記録装置を使って、ダイオウイカの観察を何度か成功させ、少しずつ生きている姿が浮かび上がってきた。NHKがたびたびドキュメンタリー番組にして放映し、2012年には世界ではじめて動画撮影に成功、翌年地上波で放映された。その映像をご覧になった方もいるだろう。暗闇のなかに浮かび上がった黄金の輝き、じっとこちらを見つめる大きな瞳に筆者もすっかり魅了され、最後に餌を捨て、美しい体をすべるようにして暗闇に消えていった姿には寂寥感すら覚えた。

新しい装置による観察とともに、ダイオウイカの生態が少しずつ明らかになってきた。たとえば従来、ダイオウイカの運動能力は水深数百メートルの深海で、ただゆらゆらと不活発に浮く程度と思われていたが、力強く泳ぎ回り、触腕をつかって餌を俊敏に襲うことがわかった。また、大蛇が自分の体を巻き付けて捕らえた獲物を弱らせるように、ダイオウイカも長い触腕をぐるぐると獲物に巻き付けて相手を弱らせる姿が確認された。

とはいえ、他の深海生物と同様に謎の多い生物である。もっと知りたいという気持ちとともに、深海という地球最後のフロンティアで、彼らがこれからも安泰な時を刻むことを願う気持ちを抱くのは、筆者だけではないだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。

瀧澤美奈子著『日本の深海 資源と生物のフロンティア』という本を見ていたら、「ダイオウイカ」が出てきた。

「大蛇が自分の体を巻き付けて捕らえた獲物を弱らせるように、ダイオウイカも長い触腕をぐるぐると獲物に巻き付けて相手を弱らせる姿が確認された」

海で水圧は10mごとに1気圧ずつ増すので水深900mだと90気圧かかる。深海に棲む魚などは、水圧のせいで動きが緩慢に見える。

しかし、この間のNHKでやっていた「世界初撮影! 深海の超巨大イカ」。迫力があったなあ。

深海は地球最後のフロンティアだといわれている。まだまだ、謎だらけだ。

じじぃの「人の死にざま_1211_LD・フォレスト」

06:05

リー・デ・フォレスト - あのひと検索 SPYSEE

http://spysee.jp/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88/73864

A small bit of Radio History, Lee De Forest Audion, Marconi 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=ZT0i5iprLos

Radio Broadcasting Program 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=hJIhOMSXt18

リー・デ・フォレスト ウィキペディアWikipedia)より

リー・デ・フォレスト(Lee De Forest、1873年8月26日 - 1961年6月30日)は、180以上の特許を取得したアメリカ発明家、電気・電子技術者。三極管の発明者として名高く、電子工学の発展に寄与したことから、エレクトロニクス時代の父と呼ばれる一人である。また、映画に音声をもたらした基本的発明の1つもデ・フォレストのものである。

いくつかの特許訴訟に関わり、特許料収入のかなりの部分は弁護料に消えた。4度結婚し、25の会社を起業した。ビジネスパートナーに騙されたことがあり、自身も詐欺で訴えられたことがあるが、無罪となった。

IEEEの前身の1つであるアメリカ無線学会 (IRE) の創設メンバーの1人である。

【経歴】

1873年、アイオワ州カウンシルブラフスに生まれる。

マサチューセッツ州中高一貫学校で学んだが、周りに溶け込めず、同級生からサル顔と呼ばれた。1893年コネチカット州にあるエール大学のシェフィールド科学学部 (en) 機械工学科に入学した。朝4時に起床し、芝刈りのアルバイトをするなど、苦学生ではあったが成績はきわめて優秀だった。

マルコーニの発明した無線電信に興味を惹かれ、グリエルモ・マルコーニに宛て就職を依頼する手紙を書くが返事は来なかった。イリノイ工科大学の前身の1つである研究機関 (Armour Institute of Technology) で研究員として働くようになり、無線、燃焼ガスと放電の関係、電波検出器などを研究した。1906年に三極管の一種であるオーディオン管を発明。さらに無線電信の受信機の改良も行った。

1906年1月、電波検出器として機能する二極管(いわゆる検波管)の特許を出願。ジョン・フレミングが1904年に発明した二極管「フレミング管」(w:Fleming valve)に工夫を加えたものである。

さらに研究を進め、3つの電極を持つ、オーディオン管(w:Audion)あるいはド・フォレスト管とも呼ばれる真空管を発明した。二極管のカソード(フィラメント)とアノード(プレート)の間に第三の電極であるグリッドを挿入したもので、信号の増幅に使うことができる。これは世界最初の三極管とみなされている(三極管という呼称ができたのは1919年)。1907年に特許を出願し、1908年2月に米国特許番号第879,532号として発効した。

三極管により信号の増幅ができるようになったことで、電子工学の分野が大きく広がった。

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『近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術』 橋本毅彦/著 岩波新書 2013年発行

デフォレスト――無線通信ラジオ放送 (一部抜粋しています)

電信、電話の後に、電波を使った無線通信が到来する。無線機といえば、イタリア電気工学者G・マルコーニの名前が思い浮かぶ。確かに彼は、1890年代末にヨーロッパ各地で無線通信の実演に成功し、1900年代初めには大西洋を横断する無線通信にも成功した。しかし彼は、実用的な無線技術の開発に貢献した一群の技術者発明家の一人にすぎない。

「無線の発明家」マルコーニに対して、「ラジオの父」と呼ばれる人物がデフォレストである。彼の発明品は、「オーディオン」と名づけられた、真空管の一種である。(ただし、デフォレスト自身は真空管の動作原理を発明当時正確には理解していなかったので、厳密にはこの用語は正しくない。だがここでは煩雑さを避けるために真空管という用語をつかうことにする)

マルコーニの無線機がパルス信号(モールス符号)を送受信したのに対して、デフォレストが一貫して追い求めたのは音声を伝えつ無線通信であり、彼の真空管はそのために不可欠な装置となった。さらに彼は、不特定多数の受信者に音声を伝えるラジオ放送の実現に人生を捧げた。

技術史家ヒュー・エイトケンは、無線技術の歴史について『シントニーとスパーク』『連続的な波』という2冊の優れた著作を書いている。この2つのタイトルはマルコーニの無線機から次世代の無線技術への進化を端的に表している。マルコーニの無線機は断続的なスパークを発信装置として利用した。その後、音声を伝えることを目指した技術者は、連続的な波をなんとか作り出そうとした。その際に重要な役割を果たしたのが、デフォレストの真空管だったのである。

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本章の冒頭で紹介したエイトケンは、デフォレストの実験ノートをチェックし、デフォレストが確かにバーナーの実験を行い、フレミングの発明が公表される以前にこれらのアイデアを生み出したことを確認している。しかしその一方で、当時デフォレストは、真空管の動作原理を正しく理解していなかったと指摘する。バーナーとのアナロジーから真空管を製作し利用していた彼は、真空管のフィラメントがガラス管内の気体を熱してイオン化し、電極への運動を可能にすると理解していた。つまり、デフォレストは自身の発明したオーディオンを「真空管」(真空中の陰極から電子を放出させ、それを制御する装置。電子管ともいう)としてではなく、「熱イオン管」として理解していたのである。あたかも動作原理をタタ式理解していたかのように書かれている回想の最後の部分は、それゆえ修正しなければならない。

デフォレストはオーディオンを用いて音声を送受信する実験を試みた。それに適した太い低温の声をもつ若い助手に手伝ってもらい、1906年12月31日、室内での実験に成功した。三極管を翌年1月に特許申請し、春にはデフォレスト・ラジオ電話会社を設立した。ハドソン川を往来するフェリーに実験装置を積み込み、岸で待機する無線機と無線電話によって交信する実験を成功させた。

だが事業を起こすには資金が必要である。デフォレストは母校エール大学を卒業し財界で活躍している人々にオーディオンを搭載した無線機の可能性を説き、資金の支援を依頼した。しかし彼らはデフォレストに耳を貸そうとしなかった。

そこに大変魅力的な助っ人が現れた。コーネル大学工学部を卒業したノラ・スタントン・ブラッチである・大学で土木工学を学び、ニューヨーク市の水道局に勤めていた彼女は、デフォレストの無線電話の考えに魅了され、仕事を辞めてコロンビア大学電気工学を学び、デフォレストの仕事を手伝いたいと強く希望した。2人は意気投合し、1908年に結婚、新婚旅行の行き先はヨーロッパだった。彼らはフランスのパリに到着すると、大胆な計画を実行に移した。エッフェル塔で無線の送信実験を行ったのである。

彼らはエッフェル塔のメインアンテナから蓄音器の音楽を一晩中送信し続けた。遠くマルセイユから、エッフェル塔からの音楽を受信したという知らせが届いた。フランスの新聞は、アメリカ人の無線電話実験の成功を大々的に報じた。

この成功を知ったイギリス海軍無線電話技術に関心を示し、デフォレストにアプローチした。しかしすでに海軍はマルコーニ社と契約していたため、デフォレストの会社とは契約を結べないことが判明した。実験は成功したものの。事業契約に至らなかったデフォレスト社は、ほどなくして破産してしまった。

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ラジオ放送の起源として通常記録されるのは、1920年に開始されたウェスチングハウス社のフランク・コンラッドによる無線放送である。コンラッドが蓄音器からの音楽を放送したところ、聴衆者から好評で迎えられ、リクエストなどの手紙も受け取った。最初は日曜の夜だけ放送していたのを、平日の夜にも放送するようになり、ライブの演奏も放送したりするようになる。ウェスチングハウス社の経営陣は、好調なコンラッドの音楽放送に注目し、自社の無線機器の売り上げにつながると考えて、1920年11月に大きな送信施設を設置した。放送局の誕生である。その後、ラジオ放送は本格的なブームを迎え、急速に全米中に広がっていった。

デフォレストはこのラジオ放送の始まりに関わることはなかった。彼はその後映画に関心を寄せ、映写技術の改良に専念していった。

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リー・デ・フォレスト Google 検索

https://www.google.co.jp/search?tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=4f8WUt_jF42akAW6lYHYDg&ved=0CCsQsAQ&biw=1030&bih=626&q=%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%EF%BD%A5%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%20%E7%94%BB%E5%83%8F