じじぃの「人の死にざま_1294_アントン・ヘーシンク」

アントン・ヘーシンク - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF/65733
Judo Tokyo 1964: Geesink (NED) - Kaminaga (JPN) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ErBskc8opN0
GEESINK Antonius Johannes - Netherland
http://www.olympic.org/videos/dutch-judoka
アントン・ヘーシンク ウィキペディアWikipedia)より
アントン・ヘーシンク(Antonius Johannes Geesink、1934年4月6日 - 2010年8月27日)は、オランダ・ユトレヒト出身の柔道家。身長198cm。国士舘大学名誉博士
【晩年】
2010年8月27日、故郷ユトレヒト市内の病院にて死去。76歳没。ウィレム=アレクサンダーオランダ皇太子は「ヘーシンク氏は決して忘れられることのないスポーツ界の英雄だった」と語り、フランス柔道連盟会長のジャン=リュック・ルージェは「我々はすばらしい人物を失った」と声明を残すなど、各界でその死が惜しまれた。翌9月に東京・代々木第一体育館で行われた世界選手権ではその功績を称え、大会初日の9月9日に、会場で追悼式が行われた。
無差別級 柔道 ウィキペディアWikipedia)より
柔道では無差別級が設けられている大会(世界柔道選手権大会)や、無差別級のみで行われる大会(全日本柔道選手権大会)もある。
オリンピックでも1964年の東京オリンピックから1984年のロサンゼルスオリンピックまでは無差別級が設けられていたが(但し1968年のメキシコオリンピックでは柔道競技全体が非実施)、それ以降は廃止されている。

                              • -

『昭和30年代の「意外」な真実』 武田知弘/著 だいわ文庫 2013年発行
スポーツが最も熱かった時代 (一部抜粋しています)
昭和30年代(1955〜1964)は、日本人のスポーツ熱が燃え上がった時代でもあった。
じつは戦前から、日本人のスポーツに対する関心は高かった。日本人は、昔からスポーツをしたり観たりすることが好きだったのである。学生野球はラジオ中継がおこなわれるほど人気が高かったし、水泳や陸上競技、テニスなどでは、世界レベルの選手も多数輩出していた。
野球や水泳はともかく、テニスや陸上競技で世界レベルの選手が排出していたのは驚きだろう。しかし、オリンピックで日本人が初めてメダルを獲得した競技は、じつはテニスである。テニスの男子国別対抗戦デビスカップでも準優勝に輝いているし、当時の世界ランク3位にまで上り詰めた選手もいる。
陸上競技でも、戦前の日本は強豪国の1つで、オリンピック初の金メダルも陸上競技三段跳びであった。当時、三段跳びは日本のお家芸であり、それぞれ別の選手ながら日本がオリンピックで3連覇している。
      ・
東京オリンピックで語り継がれている名勝負の1つに、柔道無差別級の決勝戦がある。柔道は東京オリンピックで初めて採用され、発祥国の日本としては、最も期待していた競技だった。ちなみに、女子柔道の正式採用は、この28年後である。
無差別級の決勝戦には、日本の神永昭夫とオランダのアントン・ヘーシンクが進出した。その結果、ヘーシンクが袈裟固(けさがた)めで押え込んで、一本勝ちをおさめた。この敗戦は、柔道関係者を大きく落胆させた。
当時は、今のような体重別の階級ではなく、軽量級、中量級、重量級、無差別級という大雑把な括(くく)りだった。日本は、無差別級以外の3階級では金メダルを獲っていた。現在の感覚でいえば、「4の3で金メダルなら、それでいいじゃないか」と思いそうなものだが、当時の柔道界を取り巻く雰囲気は違った。
無差別級は、今でこそオリンピックで廃止となっているが、体重制限のない階級であり、最も強い選手を決める戦いとされていた。だから、無差別級を制さなければ、それは真の世界一ではないとみなされていたのだ。
ヘーシンクは14歳で柔道を始め、ヨーロッパで柔道を指導していた道上伯に見出されると、個人的指導を受ける。それ以来、めきめきと力をつけ、日本の講道館にも柔道修行に訪れた。昭和36年におこなわれた第3回世界柔道選手権では、日本人以外で初めて優勝している。
つまり、東京オリンピック以前に、ヘーシンクはすでに世界チャンピオンだったのだ。オリンピック決勝戦の結果は番狂わせでも何でもない。しかも、僅差の判定勝ちなどではなく、袈裟固めで完全に押さえ込まれての一本である。日本柔道界は、まるで城が陥落したかのように落胆した。

                              • -

アントン・ヘーシンク Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AF&sa=N&espv=210&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=owvzUpX1I8avkAXwxIDwDA&ved=0CCYQsAQ4Cg&biw=915&bih=582