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老兵は黙って去りゆくのみ

2014-09-15

じじぃの「人の死にざま_1414_立石・斧次郎」

06:06

遣米使節団150周年 ド・演歌でお祝い! 動画 Youtube

http://www.youtube.com/watch?v=hxxNlb7lsVA

TOMMY POLKA 動画 Youtube

http://www.youtube.com/watch?v=fjQ1ro7kXh4

ニューヨークで大歓迎を受ける遣米使節団

遣米使節団の立石斧次郎

遣米使節団 Google 検索

https://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%A3%E7%B1%B3%E4%BD%BF%E7%AF%80%E5%9B%A3&rlz=1C1CHPO_jaJP580JP580&espv=2&biw=924&bih=592&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=gvEUVIGDNJGhugTwwIHYBw&ved=0CCgQsAQ

第7回 立石斧次郎 キリンホールディングス

幕末勝海舟福沢諭吉らも随行した1860(万延元)年の遣米使節団には、一人の愛すべきキャラクターがいた。人なつっこい笑顔で、使節団の乗るポーハタン号のマスコット的存在となった17歳の少年、愛称「トミー」である。渡米後、トミーの人気はアメリカ全土に広まり、幕末期のアメリカで最も有名な日本人となった

その後、ハワイ移民官として活躍するなど、英語力を生かした仕事に従事したトミーは、晩年、西伊豆戸田(へだ)村(現・静岡県沼津市戸田)で孫たちに囲まれて暮らした。戊辰戦争などの話はよくするものの、渡米時のこと、「トミー・ポルカ」のことを話すことは全くなかったという。好々爺として周囲の人々に愛されたトミーは、1917(大正6)年、75歳でこの世を去った。

http://www.kirinholdings.co.jp/company/history/person/beer/07.html

137億年の物語 「ブロードウェイを歩いたサムライたちの物語」 2014年9月13日 テレビ東京

【出演者】寺脇康文相内優香宮崎美子 【監修】池上彰

1860年、時はまだ江戸時代。この時期にアメリカニューヨークにわたりブロードウェイを訪れた日本のサムライたちがいたのをご存知でしょうか?

彼らは個人で勝手に行ったのではなく、公式使節として、いわば国の代表として訪問したのです。彼らの目的は何か?また初めてアメリカ文化に触れたサムライたちの今ではちょっと笑ってしまうエピソードの数々も紹介します。

江戸時代日米修好通商条約は、日本初の国際条約だったが、建国したばかりで歴史の浅いアメリカにとっても、初めてむすんだ国際条約でした。

万延元年遣米使節で最年少だった立石斧次郎は、アメリカ人の人気者となりました。

http://www.tv-tokyo.co.jp/137/backnumber/index.html

9月13日 テレビ東京 137億年の物語 「ブロードウェイを歩いたサムライたちの物語」より

遣米使節団77人のサムライ

1860年江戸時代アメリカを訪れた万延元年遣米使節の船には、護衛船として咸臨丸が同行し、勝海舟らが乗っていた。

一行はサンフランシスコからパナマを経由し、ワシントンへ。その後ボルチモアフィラデルフィアを経由して、最終目的地のニューヨークに到着します。

ニューヨークで大歓迎を受ける遣米使節団のイラストが出てきた。

宮崎、「ニューヨークブロードウェイの中をねり歩いたのね。でもどうして、アメリカは日本の使節団を大歓迎したのかね」

寺脇、「いい質問だ」

相内、「日本とアメリカの関係はペリー来航(1853年)から始まりました。鎖国をしていた日本は初めて外国と近代外交をしたのがアメリカだった。対するアメリカも1783年に独立したばかりの新興国。実は日米修好通商条約アメリカにとっても初めての外国との通商条約だったのです」

宮崎、「日本はずっと長崎出島だけで貿易していたからね」

相内、「日本からきたサムライはどこへ行っても大人気でした。新聞記者など、宿泊しているホテルには連日面会を求める人たちが殺到したそうです。なかでも一番人気だったのが見習い通訳として使節団に参加していた17歳の立石斧次郎です」

遣米使節で最年少だった立石斧次郎の写真が出てきた。

宮崎、「17歳。まだあどけないわねえ」

寺脇、「立石斧次郎は明るい性格でアメリカ人にも親しまれ”トミー”の愛称であっという間に人気者になりました」

相内、「日本の使節団はニューヨークでも大人気となりました。中でも抜群の人気を誇ったのは最年少の立石斧次郎。人なつこく、ユーモアのある人柄でアメリカ人の間からは”トミー”の愛称で親しまれました」

立石斧次郎の子孫の男性が語る。

幼少の頃、為八(とめはち)という名前で「ため、ため」と呼ばれていた。それで「トミー」になったのでしょう。

相内、「これはトミーを描いた当時のイラスト(大勢のアメリカ人の中心に立石少年が描かれている)です。大変な人気者だったのです」

みんなにハンカチを振ったり、投げキッスをしたり。

相内、「使節団がアメリカを離れた後も、トミーの人気は衰えません。ついに彼を題材にした『TOMMY POLKA』という曲まで登場。大ヒットしました」

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