じじぃの「未解決ファイル_250_我思う、ゆえに我あり」

Neurons and What They Do ~ An Animated Guide 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vyNkAuX29OU
デカルト

 ニューロン

ヒトの脳にある神経細胞(ニューロン)の数を教えてください。 2014/9/9 Yahoo!知恵袋
回答
リンクの記述によりますと、100 billion, つまり1000億ですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12135302602
NHKドキュメンタリー 時空を超えて 「“私”は何者なのか?」 (追加)  2016年7月8日 NHK Eテレ
【語り】モーガン・フリーマン
カリフォルニア大学 児童心理学者のアリソン・ゴプニックは、人間が初めて自分を認識するのはいつなのかを解明しようとしています。
自分が何者であるのか。最も重要な部分は人生のかなり初期の段階で学びます。
人間の場合、鏡に映った自分を自分と認識するのは生後6ヵ月経ってからです。
ゴプニックはクッキーのラベルが付いた箱で、3歳のジェニーヴァがどこまで認識しているかテストをします。
ゴプニック、「箱の中には何が入ってると思う?」
ジェニーヴァ、「クッキー」
中身を取り出し、それがマーカーペンだと知ったジェニーヴァはクッキーが入っていると思ったこととうまく折り合いがつけられません。
4歳のジムにも同じテストをしてみました。
ゴプニック、「箱の中には何が入ってると思う?」
ジム、「クッキー」
中身を取り出し、それがマーカーペンだと知ったジム。
ゴプニック、「最初は箱が閉まってたよね? 開ける前は何が入っていると思った?」
ジム、「クッキー」
ゴプニック、「本当は何が入ってた?」
ジム、「マーカー」
自分を自分と認識するのは生後6ヵ月ごろからなのに対して、他人の心を読み取り始めるのは、4歳児ごろからなのです。
http://www4.nhk.or.jp/P3452/
デカルトは正しかった! 脳は興奮して記憶再生 2014/03/24 マイナビニュース
脳の記憶にかかわるニューロンで興奮性シグナルが強まって記憶が再生されることを、東京大学大学院薬学系研究科の池谷裕二(いけがや ゆうじ)准教授らがマウスで発見した。
脳が精密な興奮性調節に基づいて記憶を再生することを裏付けるもので、3月16日の米科学誌ネイチャーニューロサイエンスのオンライン版に発表した。池谷准教授は「(17世紀のフランスの哲学者)デカルト(1596~1650年)が洞察した記憶再生の仕組みの謎を365年ぶりに解決した。このデカルトの洞察は本質を突いていた」と発見の意義を強調している。
池谷准教授は「今回の発見で、記憶の仕組みの解明に大きく前進した。デカルトが最晩年の1949年に著した『情念論』で記憶ができる仕組みを洞察しているが、その洞察こそ、今回発見した現象そのものだった。さすがデカルト、その先見性に感心している。この発見で、認知症統合失調症など記憶の変調による病気の糸口を探れる可能性もある」と話している。
http://news.mynavi.jp/news/2014/03/24/183/
我思う、ゆえに我あり ウィキペディアWikipedia)より
我思う、ゆえに我あり」(仏: Je pense, donc je suis)は、デカルトがフランス語の自著『方法序説』(Discours de la methode)の中で提唱した有名な命題である。『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われているが、一様でなく、その解釈について争いがある。
【情念論】
デカルトにとって精神の経験には精神が新しい経験を獲得する場合の受動と精神が経験の原因となっている場合の能動の二種類があり、精神の能動・受動性は身体の能動・受動性と逆になるように相互に作用する。前者は知覚または認識であり、後者は意志のはたらきであるとデカルトは見なしている。そして人間の情念とは動物精気が運動することによってもたらされ、動物精気が血中を通じて脳に到達することで情念が表れると論じる。
特にデカルトは情念の原因が脳の中央に位置する松果腺にあると考え、身体運動の原因でもあると考えていた。デカルトはさまざまな種類の情念を検討しているが、まず基本的な情念として愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ、驚きの六つがあり、これらが複合化することによって情念は複雑化していく。情念の働きを抑制するためにデカルトは謙遜、勇気などの徳を守ることを主張しており、知恵とは情念を支配する意義があると分析している。

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『死と神秘と夢のボーダーランド - 死ぬとき、脳はなにを感じるか』 ケヴィン・ネルソン/著、小松淳子/訳 インターシフト 20013年発行
3つの意識状態 霊的覚醒の場
私たちの脳細胞はおよそ1千億個。偶然にも、地球が属している銀河系、天の川の星の数とほぼ同じが。天の川銀河では恒星が円盤状の集団を作って回転しているのだが、それらの巨大な球体版を思い浮かべるといい。それが脳だ。ひとつの星が輝くか否かは、10万を超える他の星々との関係によって決まる。そして輝いた時、その点滅パターンが何かの拍子に、”宇宙の舞”を舞い始め、自己を認識して意識を生み出す。脳の中で煌めくニューロンの星々はいかにして意識をもたらすのか? 意識と霊的体験は相交わるのだろうか?
デカルトの予言
歴史を通して、体外離脱体験は私たちにさまざまな影響を及ぼし、民間伝承や神話、霊性、文献、芸術、宗教などに表現の場を見つけてきた。自分の身体を見下ろしながら浮遊した、それどころか、肉体から遠く離れて途方もない旅をしたという体験は、古代、現代、いずれの文化においても、非物質的な魂(ある意味で自分である)の存在証明として報告されている。精神と身体、あるいは、心と脳を分けて考えた人物としてまっ先に思い浮かぶのは、17世紀の哲学者ルネ・デカルトだ。記号を使った算法を発見史、哲学の分野でおそらく最も有名な我思う、ゆえに我ありという命題を提唱しいたデカルトは、”動物”的な肉体と”人間”的な精神との間に明確な境界線を引いた。動物は、意識はあっても魂を持たず、不滅の霊魂と非物質的にして理性的なる魂の属性である言語、素行、知恵を操ることのできない、考えずに反射だけで反応する自動機械だと考えたからである。
デカルトは脳の奥深くにある小さな松果腺(松果体)を魂の”座”と呼び、これが物質的な脳に霊的な精神をもたらすとした。左右の大脳半球の間に位置し、液体で満たされた脳室内にちんまりとぶら下がっている豆粒大の球形に近いこの腺を、脳の中枢と見なしたのだ。
デカルトが松果腺に白羽の矢を立てた根拠をすべて推し量ることはできないが、これは左右の脳の合流点となっている唯一の構造物だ。彼にとっては、この統合が重要な意味を持っていた。断片化していない、つまり統一された意識を仲介しうるのは、脳内の唯一無二の構造物のみと推論したからである。脳の左右の半球を結んでいる松果腺なら、脳と身体の左右両側を支配できるはずだ。松果腺は、身体にある他の腺と同じように、”動物精気”を分泌する。それが潮流のように渦を巻いて脳内の空洞の隅々に行き渡り、筋肉を介して手足や目、顔を動かす。そう考えたのだ。臨床の現場にいて、脳障害のせいで自己が断片化した患者を日々目の当たりにしている私には、心と脳の間に線を引くデカルトの考え方は如何せん受け入れがたい。脳の理解を超える心の根底にあるのは、科学ではなく信仰だ。しかし、デカルトには、予言の力もあった。こんな一文を残している。「私がこれまでにこの上ない真実として受け止めてきたものは何であれ、感覚から、あるいは感覚を通して知り得た知識である。しかし、感覚はともすれば我々を欺くものであるから、一度でも我々を欺いたことのある感覚には決して完全なる信を置かぬのが賢明だ」
こと体外離脱体験に関する限り、これに勝る、言い得て妙な言葉はない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
2014年9月14日、『NHKスペシャル』で「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」を観た。
「私」という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき「私」は何を見るのだろうか。
立花さんは、ケンタッキー大学医学部脳神経外科のケヴィン・ネルソン教授を訪ねた。
ネルソン教授は語る。
脳細胞はおよそ1000億個からなり、ニューロン神経細胞)の数も1000億個からなる。
このニューロンは1つ1つがコンピュータであり、記憶を呼び起こしているのだという。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言った。
人間の意識(心)には1000億個ものニューロンというコンピュータが連結し、作動していたのである?