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老兵は黙って去りゆくのみ

2016-07-16

じじぃの「中華民族の偉大なる復興・東アジアの新国際秩序とは!帝国としての中国」

06:12

都市伝説中国か描く2050年の世界地図...これは怖い 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=D48Isese19c

中国海軍高官「太平洋分割管理」案 を打診 動画 YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=V1SDDUS1EyM

清朝の版図 (赤色は属国

習近平は「中華帝国」を構築しようとしている 2016年6月26日 東洋経済オンライン

●「中華民族の偉大なる復興」とは?

古代から19世紀前半まで、長年にわたってアジアには、「冊封体制」と呼ばれる「パックス・チャイナ」が機能していた。これは、宗主国である中国と、属国朝貢国)である周辺国との「緩やかな主従関係」だ。ただし、中国大陸と海を隔てている日本と、高い山を隔てているインドは、このシステムに組み込まれずに生存できた。

それでは21世紀のアジアは、本当に「パックス・チャイナ」の時代を迎えるのか。中国がこのまま順風満帆に台頭していくなら、かなり高い確率で、「パックス・チャイナ」の時代が到来するだろう。

特に、今年11月に共和党のトランプ候補が、次期アメリカ大統領に当選すれば、その時代に一歩近づく。トランプ候補が主張するように、アメリカ軍アジアから撤退していくなら、「アジアの空白」を埋めるのは、チャイナ・パワーとなるに違いないからだ。

http://toyokeizai.net/articles/-/123718

『帝国としての中国 覇権の論理と現実』 中西輝政/著 東洋経済新報社 2013年発行

現代中国が抱える「大いなる歴史の宿題」 より

この50年、こうした中国の「国体」に内在していた近代国際秩序とのジレンマを覆い隠してきたのは「革命の論理」、つまり「世界革命の正義」を信奉するマルクスレーニン毛沢東思想に基づく”プロレタリア国際主義”のイデオロギーであった。しかし実質的な意味ではもはやこの革命的イデオロギーを喪失しつつある現代の中国では、チベット・新疆・蒙古などの本来の非漢民族地域と、台湾という別個の「政治実体」という、二つのカテゴリーにおける「中国でない中国」との関係が、歴史的な形で浮上する必然性があるのである。

しかし、NATOコソボ介入に当初より中国政府が強烈な反対をした理由が、単にこうした「中国でない中国」への国際介入の可能性への懸念だけからではない。改革・解放による革命思想の喪失によって、中国がまごうかたなき「帝国」となるしかない、という、新しいイデオロギー状況がもともと、その歴史的浮上の文脈を作り出していたともいえる。そしてそのかなたにより重大な「歴史の宿題」が浮上しつつある。

その一つは、これら「中国でない中国」は、一体どのような過程をたどってとりあえず「中国への一部」となったのか、ということである。もう一つはこれら地域よりさらに外縁にあったが本質的にはこれらと同じく異民族地域として、前近代の中華秩序の下でやはり「中国でない中国」の扱いを受けてきたいわゆる朝貢国家群と「本来の中国」との間に19世紀後半に起こった”切断”のもつ意義を、どのように見るべきなのか、ということである。これまで見てきたように、朝鮮半島琉球列島、東南アジアなどに清朝までの前近代の中国が及ぼしてきた宗属的支配は、まさに「中国でない中国」という点で、チベットなどの現体制下の「中国でない中国」と本質的には同じ歴史的地位にあった。

清朝の支配システムにおける、史学用語でいわれる「朝貢国」と「藩部」という地位の差は、両者の今日の運命の相違に直接かかわるものではない。たとえば清朝体制下では「藩部」に属した外蒙古は今日、独立主権国家モンゴルとなっているのに対し、同じく「藩部」として統治されたチベット東トルキスタン1882年以後は新疆省)は今日、中華人民共和国の一部になっている。

また19世紀後半、とくに1870〜80年代、清朝西欧列強や日本の進出に対抗する形で、朝鮮ベトナム琉球などそれまでの朝貢国に対して、一気に直轄統治をめざす支配の強化に乗り出したが、後で見るとおり、いずれの場合も、列強との戦争による敗北などもっぱら力関係の不利によってこれら地域の直接支配はおろか、伝統的な宗属関係さえ無理矢理に放棄させられたのが歴史の実態であった。

こうした列強の「力による圧迫」を不当とし、「帝国主義」の侵略の結果、これら「中国に属する各国」が力によって失われたのだ、という中国近代史のオーソドキシーがもし今後も維持されつづけるとしたら、「富強」を達成した21世紀の中国が、これらかつて「中国に属した各国」の中国への再帰属を求めない根拠はどこに見いだされるのであろうか。その根拠は「民族」になるのか、とすれば現在の」中国の西半分(新疆・チベット)との関係はどうなるのか。他方、朝鮮半島などは長期にわたる別個の政治体としての存在、という歴史的既成事実を重んじ再帰属を求めないということになれば、台湾はどうなるのか。

近代国際秩序を受容したとされる現代中国は、国家主権民族自決といったその中核的な観念において、実はかくも根深い「歴史の宿題」を抱えつづけている。

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『Voice』 2016年6月号

パックス・チャイナの欺瞞 【執筆者】近藤大介 より

そもそもなぜ、中国南シナ海で、強引ともいえる埋め立てを始めたのか。

それを語るには、2012年12月8日にまで遡らねばならない。その前月の11月15日に、胡錦濤から共産党トップ(党中央委員総書記)と人民解放軍トップ(党中央軍事委員会主席)のポストを引き継いだ習近平は、それから3週間余りを経て、初めて地方視察に出かけた。向かった先は、南方の広州軍区だった。この日、南海艦隊の艦艇(海口)に乗船し、軍の幹部たちを前に訓示を垂れた。

中華民族の偉大なる復興という中国の夢は、強国の夢であり、強軍の夢なのだ。中国の夢の実現には、富国強軍、強大な軍隊が必須なのだ。だから軍人は強軍の魂を胸に刻み、党の絶対的な指揮のもと、戦争ができ、かつ戦争に勝てる軍隊となるのだ!」

このとき、習近平の案内役を務めたのは、海軍トップ(主将)の呉勝利海軍司令員だった。それまでは、習近平が呉勝利に対して敬語を使っていたが、この日から逆になった。習近平にとって呉勝利は、長年にわたる「軍師」だったからだ。

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呉勝利には、一つの「持論」があった。それは、「第一列島戦」の中国大陸側を、中国海軍が自らの内海としなければ、「中国の時代」は永遠に到来しないということだった。

「第一列島戦」とは、カムチャッカ半島から千島列島日本列島台湾フィリピン、大スンダ列島をつなぐ南北線である。中国にとっての19世紀の二度の屈辱的戦争――アヘン戦争日清戦争は、いずれもこのラインを突破されたことから起こった。そして第二次世界大戦後、長らくこの「第一列島戦」を支配しているのがアメリカだった。

中国海軍の父」と呼ばれる劉華清元中央政治極常務委員(1916〜2011年)が「海軍第一世代」の代表格なら、呉勝利は「第二世代」の代表格だった。「海軍第二世代」の特徴は、第一世代がソ連海軍を手本にしたのに対し、主にアメリカ海軍を手本にしたことだった。なかでも呉勝利たちが「教科書」にしたのは、アメリカ海軍史家アルフレッド・マハン(1840〜1914年)の「海洋戦略理論」だった。

マハンによれば、海洋覇権国になるには、「二つの確保」が必要である。すなわち制海権を確保することと、通商を活発化させるシーレーン(海上交通路)を確保することだ。

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呉勝利の名を一躍、世界の軍事関係者のあいだに知らしめたのは、2007年5月に訪中したキーティング米太平洋司令官に対して、次のように提案したときだった。

中国アメリカで、ハワイを境に太平洋を二分割しようではないか。アメリカは、太平洋の東側半分と、大西洋を取る。それに対して中国は、太平洋の西側半分と、インド洋を取る。そうすれば、わざわざアメリカの艦隊が、遠く西太平洋東アジアまで出向いてくる必要はなくなる。もし、東アジアに用があるときには、われわれにいってくれればよい」

キーティング大将はジョークかと思いつつも、唖然としたという。

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プライムニュース 「櫻井よしこ×小野寺五典・緊急検証!南シナ海 最終判断」 2016年7月12日 BSフジ

キャスター秋元優里、反町理 【ゲスト】山田吉彦東海大学海洋学部教授)、櫻井よしこジャーナリスト)、小野寺五典(元防衛相

南シナ海裁判九段線容認せず」

仲裁裁判所が南シナ海領有権問題をめぐる中国の主張は法的根拠がないという最終判断を下した。

櫻井よしこ、「南シナ海で起きることは東シナ海でも起きる。中国は船も飛行機も異常なほど増やしている。安倍政権になり、日本も増やしているが、その比ではない。中国の物理的な力が日本では考えられないくらいのスピードとスケールで強化されている。その背後には意思がある。中国は本気で太平洋二分割を狙っている。危機感に目覚めないと守り切れないのではないか」

前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160712_0

後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160712_1

じじぃの「人の死にざま_1710_ラビンドラナート・タゴール(詩人)」

06:10

タゴール

タゴールの詩

ラビンドラナート・タゴール

1861年5月7日 7人兄弟 末っ子。家は10世紀以来の名家で、本来はタークルという呼び名。父は、近代インドの父と見られるラームモーハンローイの弟子で、後にその跡をつぎマハーリジ(人聖)と呼ばれた聖者。

タゴールは、近代インドの最高峰の詩人であり、思想家アジアで始めてのノーベル文学賞を受賞。詩聖として尊敬される他に、音楽・戯曲・小説・絵画・思想・哲学など、あらゆる面で優れた才能を開花させる。その深い智恵と高い精神性は、多くの人達に多大な影響を与えた。自然教育にも力を注ぎ、シャンティニケタン(平和の郷)に、タゴール国際大学設立する。インド国歌バングラディッシュ国歌の作詞作曲者としても名高い。

http://india.hamacco.net/tagore/poem.html

『教科書が教えない歴史〈4〉』 藤岡信勝自由主義史観研究会/編 産経新聞社 1997年発行

「精神を尊ぶ」と感じたタゴール (一部抜粋しています)

 海の岸辺夜は明けて/血の如き雲の曙に/東の小鳥声高く/名誉の凱旋を歌ふ

これは日露戦争に勝利した日本を称えた詩で、日本の短歌をまねてベンガル語インドの方言)で作られています。作者はインド詩人ラビンドラナート・タゴールです。

タゴールは日本では岡倉天心と親交があったことで知られています。また、東洋人として初めてノーベル文学賞を受賞したことは有名です。タゴールは世界の国々を旅して紀行を残しています。

それらの中でも、『日本紀行』は名文として知られています。

タゴールは、祖国インドをはじめアジアの国々が欧米列強支配下の中で、明治維新を起こし独立を守った日本にあこがれるようになります。そして、1916年(大正5年)日本に旅立ちました。

日本紀行』には、タゴールが、はじめて日本で見たものや体験したことの感動が綴られています。それらは、茶道生け花俳句能楽、そして家屋など日本文化を代表するものです。

その中で、日本の子供をみてこんなことが書かれています。「こんな大勢の子供たちが、通りといわず川岸といわず、いたるところで遊んでいるのを、わたしは他国で見たことがない。その理由は、日本人が花を愛(め)でるように、子供たちを愛しているからだ、とわたしは思った」

女性の着物についてはこう書きます。

 「日本女性の服装に、自ら女性であることを強調しようとする試みは見あたらない。他のほとんどの国では、女性の服装に、男性の目を引こうとするような、何らかの態度が見えすいている。この国の女性の着物は美しくはあるが、着物には肉体をほのめかすような企てがほとんど見当たらない」

このように、タゴールは、女性の着物や、日本の舞踏をみて、日本文化の本質は、肉体的・物質的なものよりも、より精神的なものを喜ぶことだと、書いています。

また、タゴールが日本に感動したのは、そうした日本の生活文化に対してだけではありませんでした。明治維新以来、いち早く西洋の文明を取り入れ、それを我がものとしていた日本人への驚きがありました。しかし、タゴールは単に日本の西洋化を喜んだわけではありません。

日本での講演の中でタゴールは、日本人が西洋風な生き方の習慣をして、日本の過去を忘れてしまえば、日本文化の源泉を失うことになると指摘しています。さらに「日本にとって、それにもまして危険なのは、…西洋文明原動力を、日本自身の原動力として受け入れること」と述べました。これは、当時の日本が生活文化の面だけでなく、国家の政策としても欧米の模倣をしていたことに対する警告でした。また、別の講演でタゴールは日本人の聴衆にこう語りかけました。

 「日本はアジアのなかに希望をもたらした。われわれはこの日出る国に感謝を捧げるとともに、日本には果たしてもらうべき東洋の使命がある…。日本の偉大な思想がすべての人に顕現するようにしようではないか」。タゴールは、欧米の支配下にあるアジアに、日本人の目が向くことを願っていたのである。