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老兵は黙って去りゆくのみ

2016-07-28

じじぃの「ある大物タレントの死・モルヒネの過剰投与が死を早めた?今週の遺言」

06:22

大橋巨泉 CM 1969年 パイロット万年筆 エリートS 「ハッパフミフミ」篇 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=41xGjcQxw04

クイズダービー

大橋巨泉さんが死去、82歳…モルヒネ系鎮痛剤の誤投与で体力失う 2016年7月20日  Yahoo!ニュース

所属事務所などによると、大橋さんは2013年11月にステージ4の中咽頭がんを患い、以来3度のがん手術、4回の放射線治療を行い、回復を図った。しかし、今年4月に発症した2度の腸閉塞と手術による衰弱、さらに在宅介護で用いたモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により体力を失い、4月11日に緊急入院をしていた。

大橋さんは東京都出身で、早稲田大学在学中から、当時ブームだったモダンジャズ・コンサートの司会者として活躍。大学中退後、ジャズ評論家や放送作家を経て、テレビ司会者に転身。「巨泉前武ゲバゲバ90分!!」「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの司会を務め、軽妙な弁舌で人気を集めた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160720-00000534-sanspo-ent

週刊現代 2016年8月6日

独占! 無念の死 最後は寝たきりに 巨泉さん家族の怒り「あの医者、あの薬に殺された」 始まりはモルヒネの「誤投与」だった (一部抜粋しています)

確かに3度にわたるがんの手術と4回の放射線治療に加え、昨年の11月に発症した腸閉塞によるダメージは大きかった。だが、今年の4月に受けた在宅介護において医療機関モルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端に体力が低下したことも、死期を早めた可能性が少なからずある。

もしあの時、モルヒネを大量に投与されていなければ、もっと生きられたのではないか――。

冒頭の寿々子さんの言葉からは、そう悔やむ気持ちがひしひしと伝わってくる。

事の経緯を振り返る。巨泉さんが20年にわたり続けてきた、本誌コラム『今週の遺言』(6月27日掲載)の最終回にはこう書かれている。

 <3月27日に国立がん研究センター中央病院に緊急入院して検査をしたが、幸いがんは見つからなかった。(中略)CVポート(胸に埋め込む点滴補助器具)をすれば自宅での在宅介護で問題ないと言われ、がんセンターを4月5日に退院したのである。しかしこの在宅介護が大ピンチの始まりになろうとは神のみぞ知るであった。

 退院した5日の午後、我が家を訪ねてきた在宅介護の院長は、いきなりボクに「大橋さん。どこで死にたいですか?」と訊いてきた。以前にも書いたようにボクは既に死ぬ覚悟はできていたのだが、「エッ?俺もう死ぬの?」と呆然とした。次に「痛い所はありますか?」と訊くから「背中が痛い」と答えたら、直ぐにモルヒネ系の鎮痛剤のオプソやMSコンチンが薬局から大量に届いた。院長は毎日来るのだが特に何もしない。この頃からボクの記憶は曖昧になる>

http://wgen.kodansha.ne.jp/archives/34529/

どうでもいい、じじぃの日記。

今月12日に大橋巨泉さんが亡くなった。

巨泉さんはテレビの草創期から黄金期にかけて活躍した。一時代の終わりを感じさせる。

自分が病気がちなこともあり、闘病生活していた巨泉さんが書いた週刊現代『今週の遺言』をこの1年ほどずっと読んでいた。

6月27日掲載の最終回には、もう死を覚悟しているようなことが書かれていた。それから約20日ぐらいで亡くなっていることになる。

どうも、最後はモルヒネの過剰投与が原因らしい。

自分の意思を貫いて生きた巨泉さんだったが、最後の最後で正常な判断ができなくなって亡くなったような気がする。

じじぃの「科学・芸術_16_中国の紙の製法が西洋に伝わった訳」

06:21

El Cid 1961 1080p BluRay x264 anoXmous 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=LtuvHew1zi4

NHK高校講座 世界史 「第13回 十字軍の時代」

まずは、地中海の東にある、エルサレム旧市街を訪れます。

ユダヤ教キリスト教イスラームの3つの宗教の聖地です。

しかし、今も多くの宗教的対立が起こっています。

これまで、エルサレムをめぐって、さまざまな民族が争ってきました。

そのきっかけとなったのが、11世紀末に始まった十字軍の遠征でした。

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume013.html

エル・シド (映画) ウィキペディアWikipedia)より

エル・シド』(原題:El Cid)は、1961年制作のイタリアアメリカ合衆国合作の映画。アンソニー・マン監督。チャールトン・ヘストンソフィア・ローレン出演。

11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族エル・シドことロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(Rodrigo Diaz de Vivar)の生涯を描いた作品。

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『逆説の世界史 2 一神教タブー民族差別 井沢元彦/著 小学館 2016年発行

遠征と聖地エルサレム キリスト教VSイスラム教連鎖する憎悪」の原点 (一部抜粋しています)

しかし、栄えたウマイヤ朝も内部の矛盾から崩壊していく。ウマイヤ朝は領内にいるイスラム教徒以外の異教徒に対して改宗は強制せず、そのかわりに税金人頭税)を納めさせていた。ところが、同じ税金アラブ人以外のイスラム教徒にも課していたのである。これはアラブ人優遇政策であり、明らかな不公平でもある。

そこで、「そもそもウマイヤ朝は正当なカリフであるアリーの子孫を虐殺するという不正によって成り立った王朝であるから従うべきではない」と考える人たち、つまりシーア派ウマイヤ朝の崩壊を策すようになった。もちろん、こういう動きは教義の違いに端を発することだが、シーア派の信者にはアラブ人優遇政策に反感を持つペルシャ人が多く、アラブ人とペルシャ人ではそもそも肌の色が違うことも、両者の対立に拍車をかけたかもしれない。

この対立を利用したのが、スンニー派アラブ人でありながらシーア派との協調関係を築くことに成功したハーシム家出身のサッファーフ(通称は「アブル・アッバース」)である。彼は750年にウマイヤ朝を滅ぼし、カリフの座を奪うことに成功した(カリフ在位750〜754年)。

アッバース朝(750〜1258年)の誕生である。

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最終的に3つに分裂してしまったイスラム帝国のうち、最も有力だったアッバース朝建国の翌年の西暦751年に、タラス河畔の戦いで当時の中国「唐」の大軍を破った。そこで捕虜となった唐人に製紙職人がいて、その結果、イスラム社会ひいては西欧社会に紙の製法が伝わったということは、文化史そして情報史上に大事件として特筆しておかねばなるまい。

現在の欧米社会には他の社会に対する歴史的偏見がある。英語「ペーパー(paper)」の語源はエジプトの「パピルスpapyrus)」であるが、パピルスは紙ではない。植物の繊維を張り合わせただけで、折りたたむと破損してしまう。だから巻物(スクロール)にするしかない。しかし、紙は植物の繊維を砕いて鋳物のように成形したもので、前後左右に折りたためるという決定的な長所がある。これによって初めて冊子(コーデックス)つまり一般に言う「本」を作ることが可能になった。これは人類の文明に対する偉大な貢献である。その功績は中国人のもので、エジプト人や欧米人のものではない。

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後に蒸気機関を開発し、その力で世界を植民地化した欧米諸国は、現在までの世界の「勝者」であるが故に、昔は中国イスラム帝国に、学問や科学技術ではるかに及ばない時代があったということを封印したいらしい。

しかし、それは歴史上の事実ではない。なぜそんな偏見がはびこるかと言えば、1つは今述べたように彼らが「勝者」になったからだが、もう1つは一神教の偏見、つまり相手を「無信の徒」と見る感覚がその原因だろう。正しい神を信じていない人間が、正しい神を信じた人間より優れた技術を持つはずがない、という思い込みである。

そしてその思い込みが加速されたのが、まさに十字軍の時代であった。

それ以前はキリスト教徒イスラム教徒対立はそれほど深刻ではなかった。その証拠となる歴史的事実は、スペインの偉大な英雄「エル・シッド(El Cid)」の生涯である。