じじぃの「科学・芸術_52_アレクサンドリアの灯台」

The Lighthouse of Alexandria and the Ancient Port of Alexandria 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kRTPugHpUho
ALEXANDRIA - Egypt [HD] 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HSBRCytZFME
アレクサンドリア灯台 (想像図)

アレクサンドリア図書館の謎 古代の知の宝庫を読み解く ルチャーノ・カンフォラ 工作舎
古代アレクサンドリア図書館が郷愁をそそる。
ここを訪れば、すべての学芸に通じることが出来た、幻の図書館。
70万卷もの美しい蔵書、癒される植物園、珍奇な動物園、贅を凝らした天文台、美麗なる大劇場と公共浴場、深夜も煌々と輝くファロスの灯台、とまさしく学芸の都である。
http://aishoren.exblog.jp/14371579/
『人間の歴史〈2〉』 M・イリーン、E・セガール/著、作袋一平/訳 岩波少年文庫 1986年発行
読者は、これがおなじみの場所か、とじぶんの目をうたがう (一部抜粋しています)
エジプトが、そこに住んでいる人びとには、きゅうくつで、ちっぽけな家のように思われていた時代があった。海はどうにも手がつけられない壁であったし、よそものは敵であり、悪魔の子であった。
その海は、世界にひらく門のように、大きくあけはなされた。そして海の門のまえに、一つの都市が生まれて、世界の中心になった……
アレクサンドリアはまだ遠い。あたりは海の波ばかりだ。だが船乗りたちのするどい目は、はやくもはるかな灯台のタワーをみつける。タワーはしだいに水のなかからせりあがってくる。とおもううちに、そのタワーが、もっとずっと高いべつのタワーの上にのっかっているさまが、みえてくる。
風は船の帆をふくらませる。鉛をしこんだ百本のカイが、かるく台座をすべって、いちどに水泡をたてる。だが船乗りたちは、船がタワーのほうにすすむのではなくて、タワーが船のほうに泳いでくるような気がする。そのタワーのてっぺんには、海のあるじ、ポセイドンが立って、三つまたのホコをうちふりながら、外国のお客をかんげいする。
一そうや二そうではなく、数十そうの船が世界のはてからアレクサンドリアにやってくる。
港はこみ合っている。三層カイの軽快な軍船のとなりには、いく千トンの穀物をつんで、身動きもよくできない重い船がいかりをおろしている。だがそんな大きい図体も、いく階にも高くそびえる王の乗船にくらべれば、ごく小さいものにみえる。
遠来のお客は目をみはって、かざりたてられた浮き城をながめる。こぎ手の列は三十、カジは四つ、カイはマストのように長い。
港から出ていく船があり、港にはいってくる船がある。
はいってくる船よりも、出ていく船のほうが重い、ということはひと目でわかる。船足が水にふかく沈み、のろのろと向きを変える。かなりの重荷をつみこんだものらしい。
やっと上陸すると、お客はたちまちにぎやかな群衆にまきこまれる。おなじようなべつのお客と、もうみわけがつかない。ここではどこのことばでしゃべったらいいのかしら? どこのことばでもしゃべらない、といったほうが早道のようだ。ここにはギリシャ人もいれば、ユダヤ人もいる。フェニキア人も、ローマ人も、ペルシャ人もいる。ほら、そこにいるのは、黄金と象牙の国からきたまっ黒なヌビア人だ。こっちにいるのは、香料のふるさと、アラビアからきた白ひげの族長だ。
アレクサンドリアにはアレクサンドリア語というのがある。それは群衆のなかの人びとのように、ギリシャ語、エジプト語ユダヤ語など、いろいろなことばがまじり合ってできたものである。
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東洋からはここに香料、象牙、ダチョウの羽根、インドのハガネ、軍用のインド象などがはこばれる。ナイル川は西洋と東洋を一つにむすんだ。船が通れるひろい運河は紅海をナイルとむすびつけ、ナイルを通って船はアレクサンドリアへ、さらに地中海へとすすむ。
エジプト王プトレマイオス代だいの肖像つきの金貨、ギリシャのつぼ、色ガラスのさかずき、ビーズの首かざり、うでわは、アレクサンドリアから東へ、中国へと出ていき、それといれかわりに中国からは、海をこえ、原野をこえて、きれいなもようの絹織物がはいってくる。
その中国でもやはり人びとははたらいていた。自然とたたかい、かんがい用の水路をつくり、土地をたがやし、都市を建設し、川に橋をかけ、街道に石をしいた。
アレクサンドロス大王がその大国家をつくりあげたころ、中国では諸侯国の一つ、秦の王がほかの諸侯国の王をみんな平定して、秦の最初の皇帝、つまり始皇帝の名のりをあげた。
七十万の農民のどれいが皇帝のみやこ、咸陽(シエンヤン)をつくった。かれらは渭水(いすい)の両岸にトドマツ、ゲッケイジュ、サンゴの木で、二列に宮殿をたてた。川に屋根つきの橋をかけた。両岸の宮殿はこの橋でつながれた。
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このエジプトの都市にあるものは、すべて海外からきたものばからだ。エジプト王だってエジプト人ではなくて、アレクサンドロスの武将のひとり、プトレマイオスの子孫だ。アレクサンドリア生まれの人のなかにも、エジプト人よりは、ギリシャ人のほうがずっと多い。まえにはエジプト人は、どんな場合でも、ギリシャ人とひとつ食卓にすわることを、ちょうちしなかった。ところがいまアレクサンドリアでは、ギリシャ人が半エジプト人になってしまったので、エジプト人ギリシャ人をいろいろみならうようになった。