Hatena::ブログ(Diary)

老兵は黙って去りゆくのみ

2018-06-12

じじぃの「科学・芸術_514_女性スポーツ・チアリーディング」

06:02

World's Sexiest Cheerleaders | Redheads, Blondes & Brunettes! 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=mZ_kmxzSFRI

Spread ’em girls. looks like Tom Brady’s nearby!

The 100 Hottest Pictures Of Cheerleaders Across All Sports

http://www.rantsports.com/clubhouse/2012/10/04/the-100-hottest-pictures-of-cheerleaders-across-all-sports/#slide_12

『スポーツ国家アメリカ - 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』 鈴木透/著 中公新書 2018年発行

女性解放とスポーツ より

スポーツの世界で、見方によっては黒人以上の差別と偏見にさらされてきたのは、女性たちであった。黒人の場合、アメリカ競技能力主義が人種隔離の論理とは根本的に矛盾していたため、スポーツが白人と黒人の垣根を撤廃する糸口になる可能性は十分あった。しかし女性の場合は、男性と一緒に競技することがそもそも想定されていなかった。そのため、女性競技が仮に認められるにしても、そこには男性の競技との上下関係が作られやすい。その上、女性のスポーツへの参加は、公衆の面前で女性の身体の露出度が上がるという側面もはらんでおり、服装や性道徳の規範に挑戦するという面も持っていたし、それが新たな搾取の契機ともなりかねなかった。スポーツを通じて女性が男性と対等な地位を獲得するためには、女性がスポーツに参加する権利を社会に認めさせ、女性の競技水準を見下す態度や女性スポーツを見世物扱いする風潮を打破しなくてはならなかったのだ。

しかし、産業社会への移行が、女性スポーツ発展の重要な起爆剤になったことも確かだった。それは、近代社会の女性像自体が矛盾をはらんでいたことに関係している。

近代社会の基本原理である諸領域の分割と専門家・分業化への志向は、産業社会における性的役割分担の強化にも波及した。産業社会が求めた理想の女性像は、家庭という領域を司る良妻賢母であった。家庭の外は男性の領域であり、そこは熾烈な競争社会であった。女性はそうした危険な世界から男性によって守られる存在とみなされ、闘争本能を持たず、控えめでつつましく、従順であるべきだとされた。同時に女性は、家庭を安らぎの場として保ち、疲れた男たちを癒し、高い道徳心で男たちを正しく導く存在であることも期待された。

     ・

バスケットボールが女性スポーツの新たな選択肢を提供したのは驚くにあたらない。当初の女子バスケットボールでは、コートを3つに分割し、選手はどこか特定のエリア内でしかプレーできないルールになっており、選手もロングスカートをはいてプレーしていた。それでも、ゴルフやテニスと比べれば接触プレーが要求されたし、サイクリングと違って仲間と得点を競う団体競技としての醍醐味がそこにはあった。

とはいえ、全体としては、20世紀前半を通じて女性のスポーツへの参加が劇的に進むことはなかった。その一方で、スポーツをめぐって女性には別の役割が用意されつつあった。それは、競技に参加することではなく、応援することであった。

元来チアリーディング は男子学生がアメリカンフットボールの試合で行っていたものだった。ところが第二次世界大戦後、大学のアメリカンフットボールの試合のハーフタイムに女子学生にチアリーディングをさせることで場を盛り上げ、観客の目を楽しませようとする趣向が盛んに取り入られるようになる。こうして世界的にも珍しい、女性チアリーダー文化がアメリカに生まれた。現に、チアリーディングと最も関係の深い競技は、アメリカンフットボールバスケットボールという、ともにアメリカ生まれの競技である(日本ではチアリーダーというと野球を連想するだろうが、アメリカでは野球チアリーディングはあまり関係がない。ただし、これらがいずれもアメリカ生まれの競技だという事実は、チアリーディングアメリカ競技の密接な関係をあらためて物語っているように思える)。

女子学生がチアリーダーの役割を受け入れた背景にはいくつかの事情が重なっていた。まず、女性に許された競技が相変わらず限られていたため、女子の運動部そもそも少なかったことがある。運動神経の良さを人前で披露したいなら、チアリーダーは檜舞台だったのだ。また、戦後の若い女性たちの間には結婚願望が非常に強かった。第二次世界大戦に若い男性が多数徴兵され帰らぬ人となっていたため、結婚適齢期の男女比がアンバランスになrこのままでは自分は結婚できないのではないかと心配する若い女性が増えたのだ。実際、1950年代には女子大学生の3分の1程度が中途退学していたが、多くの場合それは結婚が理由だった。チアリーディングは男性の気を引くには格好の舞台であった。つまり、運動の得意な女子学生にとって、いわば自己実現と自己アピールの一石二鳥だったのである。

その後チアリーディングは、女子学生の花形として高校にも広がり、それに憧れて目指そうとする若者層や娘をチアリーダーにしたいと思う親たちの関心も高まった結果、今ではチアリーディングアメリカ大衆文化の一部となっている。全米で恐らく数百万人のチアリーダーが存在するといわれ、チアリーダーは名誉ある役割とみなされている。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20180612/1528750976