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老兵は黙って去りゆくのみ

2018-07-31

じじぃの「科学・芸術_561_松本清張『日本の黒い霧』」

06:03

「毒の伝説・帝銀事件46年目の真実」 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=F5YhrRSz6L0

帝銀事件 平沢貞通死刑囚

No.052 12人の行員を毒殺した銀行強盗帝銀事件

731部隊で真犯人と目(もく)される人物

帝国銀行・椎名町支店に現れた男は、言葉巧みに行員たちに毒物を飲ませて12人を殺害し、金と小切手を奪う。犯人として逮捕されたのは、全くの無実である「平沢貞通(さだみち)」である。一貫して無実を訴え続けるが、平沢には死刑判決が下された。

昭和60年読売新聞帝銀事件に関する記事が掲載された。その内容によると、犯人の行った手口は、当時の日本軍の秘密科学研究所の作成した、毒の扱いに関する指導書と同じものであり、また、目撃証言から、犯人の使用した器具はこの研究所で使われていたものとそっくりであることが判明した、というものである。

「小説 帝銀事件」を書いた松本清張も、後の著作「日本の黒い霧」の中で「帝銀事件の謎」として、「真犯人は731部隊の元隊員」と推理している。

http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/052teigin.htm

『生きるための101冊』 鎌田慧/著 岩波ジュニア新書 1998年発行

『日本の黒い霧』 文春文庫  松本清張 より

日本が米軍によって占領されていた、という歴史的な事実を想いだすひとは、いまやすくなくない。占領は日本がアメリカに戦争を仕掛けた愚行の当然の帰結だったから、いたし方ないことなのだが、その期間に発生した、奇妙な、というよりは異常な事件を、松本清張は緻密に分析し、しかも大胆に書いた。

1960年、日本がアメリカとの軍事同盟である「安保条約」をさらに強化させられようというときの仕事で、ジャーナリズムの力をよく発揮した傑作である。著者は「あとがき」で、「私は「固有な意味での文学」などを書こうとは思わなかった。そういう既成も枠からはずれてもかまわない。自分の思い通りの自由な文章で発表したかった。作者が考えていることを最も効果的に読者に伝達するには、文学の形式などはどうでもよいのである」と書いている。それがこの仕事にたいする著者の気負いをあらわしている。

49年につづけて起こった、三鷹事件、山下事件、松川事件など、鉄道に関係する怪事件は、GHQ占領軍総司令部)の謀略である、との結論である。おなじような事件は、日本の「関東軍」も中国などでおこなっていた。謀略は軍事的目的のために、強引に時代の雰囲気を盛りあげるためにもちいられる。このころになって、GHQは、日本の民主主義をもとめる運動が行きすぎるのを懸念していた。アメリカ政府は日本列島反共の防波堤にしようとしていた。

が、その1年前に起きた「帝銀事件」は、すこし性格がちがう事件だった。48年1月末、東京池袋にさほど遠くない、帝国銀行椎名町支店に、ひとりの男があらわれた。「ちかくで集団赤痢が発生した。心痛軍の命令で全員、予防薬をのまさなければいけない」と彼はいって、薬を自分で飲んでみせた。この結果、16人の行員のうち、14人が苦しんで死亡した。

この事件は、中国を中心に細菌兵器を研究し、戦後、GHQに利用されるようになっていた「石井部隊」の関係者によるもの、というのが定説になった。松本清張はそのもっともはやい主張者だった。犯人として逮捕された平沢貞通は、無実のまま不当に獄中に拘留され、90歳で世を去った。彼は戦後もなお長くつづいた戦争の犠牲者だった。

帝銀事件は、われわれに2つの重要な示唆を与えた。1つは、われわれの個人生活が、いつ、どんな機会に「犯人」に仕立上げられるか知れないという条件の中に棲息している不安であり、1つは、この事件に使われた未だに正体不明のその毒物が、今度の新安保による危惧の中にも生きているということである」

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