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老兵は黙って去りゆくのみ

2018-08-13

じじぃの「小さいものはみんなうつくし・わくわく感・かわいい文化!目からウロコ研究」

06:09

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ポケモン大好き

『人を幸せにする目からウロコ!研究』 萩原一郎/編著 岩波ジュニア新書 2014年発行

かわいいの系統的研究 【執筆者】大倉典子 より

私は、これまで「人にやさしい情報の形とは?」というキャッチフレーズを掲げ、21世紀の情報化社会において、女性・子供や幼児・障害者高齢者等等の社会的弱者こそがその恩恵に浴すべきだという考えの下(もと)で、種々の研究をおこなってきました。

例えば2005年頃から、これらの社会的弱者が安心して暮らせるために必要な「生活空間の条件」を明確化し、安心空間のガイドラインの策定に寄与することをめざして、「誰もが安心して暮らせる社会を実現するための、生活空間の条件の感性実験による導出」を実施しました。またこの研究と並行して、SONY社製のAIBOを用いて、利用者に精神的な安定状態を得やすくする「脳波を用いたAIBOの操作制御システム」の研究も行いました。そしてこれらの研究の成果として、人間が空間やペットロボットに対して抱く「安心感」や「快適感」といった感性的な価値を、アンケートや生体信号(脳波心拍数など)を用いて測定することが可能になりました。

しかし、「『安心感』や『快適感』だけでは、現在の日本社会の閉塞感は打ち破れないのではないか?」、そう考えた私は、この閉塞感を打ち破るための、もっと日本を元気にするようなキーワードとして「わくわく」という言葉に着目し、「わくわく感」という感性的な価値について、研究を進めるようになりました。

     ・

それまでにも「かわいい」ものに関する研究はありましたが、それらの対象は、いずれも少女や子供や動物やそのしぐさ、あるいはそれらを模した人工物(例えばフィギュアやぬいぐるみなど)やそのしぐさで、人工物自体の「かわいさ」に焦点を当てた研究はありませんでした。

それに対し、この研究では、人工物の「かわいさ」、すなわち人工物の形や色や大きさや材質等の物理属性に起因する「かわいさ」を解析し、その結果から「かわいい」人工物を構成する手法を明確化することを目的としています。(ここで、かわいいものを見るとわくわくすることも考えられることから、この研究は「わくわく感」の一環と考えることもできます。

新しい研究に取り込む際、最初にするのは先行研究の調査です。しかし私がこの研究を始めた当初、「かわいい」を対象として調査を行いました。

日本において、現在の「かわいい」という価値に関する記述の起源は、平安時代に著された枕草子の146段にあると言われています。ここで著者である清少納言は、「うつくしきもの」として以下の例を挙げています。

 ・瓜に歯を立てている子供の顔

 ・スズメの雛(ひな)に向かって「チュッ、チュッ」と呼んでやると、こちらにピョンピョンやってくるところ

 ・3歳ぐらいの子供が地面に落ちている小さな変なものを見つけて突然に駆け出すと、小さな手で掴(つか)みとり、大人のところにもってきて見せる様子

 ・尼(あま)のような頭の少女が、日に被(かぶ)さる髪をかきあげるのではなく、顔を傾けてものを見る様子

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かわいいものを見たときのときめきを測定しようと考え、既に述べた「かわいい大きさ」の実験では、アンケートでかわいさの程度を評価してもらうと同時に、生体信号も測定しました。生体信号には脳波、皮膚電気抵抗などがありますが、この実験では、実験協力者(20代男女)が「かわいい」と感じたときに、心拍(1分間の拍動数)が約3拍上がることがわかりました。一方、かわいくないと思ったときは、心拍に変化はありませんでした。同様の結果は、別の複数の実験でも確認されており、さらに脳波でも「かわいい」と感じたときの変化を検知できそうで、現在さらに研究を進めているところです。

じじぃの「科学・芸術_573_フィレンツェ・高級ブランド品」

06:07

フィレンツェ旅行ガイド | エクスペディア 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=kwAMGzB36eE

フィレンツェお土産ベスト10!老舗サンタマリアノヴェッラ薬局 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=nQ4Yfitm9BU

Scarpelli, Florentine mosaic

フィレンツェ――比類なき文化都市の歴史』 池上俊一/著 岩波新書 2018年発行

近現代の苦悩と輝き より

イタリア統一国家になってからは、いちだんと多くの外国人がやって来た。この地に想を得て筆を執る作家も多かった。ジョージ・エリオットの『ロモラ』(1862/63)やヘンリー・ジェイムズの『ある婦人の肖像』(1881)などがその例である。またイギリスヴィクトリアフィレンツェが大いに気に入り、3度も訪れている。フィレンツェを訪れた外国人たちは、昼間はカフェやクラブでコーヒーチョコレートを飲みながら情報交換したり談笑したりし、夜ともなれば劇場で演劇・オペラを鑑賞した。

こうした英米人の文人知識人は、なぜ大挙してフィレンツェを目指したのだろうか。たとえばイギリス美術評論家ジョン・ラスキンが『フィレンツェの朝』(1875-1877)で主張した――それを後続のヴィクトリア朝期の文人が無数に反復した――ところでは、フィレンツェは、方向性を見失った北方芸術と、勇気と美徳を欠いていた南方芸術の中間にあって「北方人の熱意を平和の芸術へと導き、ビザンツ人の夢を慈愛の火で燃え立たせた」というような、理想の芸術を生み出す奇跡的な場所と考えられた――ということかもしれない。

おそらく彼を筆頭に19世紀のたいていの文人には、フィレンツェは実際に暮らしやすいかどうかに関係なく、どこもかしこも美しい快適無比の町と見えたようだ。彼らは町じゅうにあちこちほっつき歩きながら、いたるところに美を見つけ、チメブーエやジョット・ダナテッロやミケランジェロがそこにいるかのように、うっとりと夢想に耽ったのだろう。

こうして、自分たちの名誉のために美を創造して、日々その意義を語り合い批評し合っていたルネサンス期のフィレンツェ人とはうって変わり、外部に大きく開かれ、記憶と賞翫(しょうがん)の美しき都となったフィレンツェでは、外国人の嘆賞の声を聞きながら、当の市民は何を思っていたのだろうか。

1870年10月、住民投票の結果、ローマイタリア王国への併合が圧倒的多数の賛成で決まり、翌年にはローマが統一イタリア首都となった。首都の座を明け渡したフィレンツェでは、人口は激減し経済も停滞、一地方都市に戻ってしまった。しかしイタリア首都でなくなったことはマイナスばかりではない。空き家になった邸館には美術館、学会などが入ったからである。

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芸術のリーダーとして14ー16世紀に世界に輝いていたフィレンツェは、もはやその衰退から立ち直ることはなく、とりわけ近代には、過去の輝かしい遺産に、まずは先に述べたように国内外の文人や趣味人を、ついで一般観光客を蝟集(いしゅう)させることになる。ここには創造性のカケラもないが、より地道な分野ではフィレンツェの創造性は健在だということを、見逃さないようにしよう。「物づくり」「職人技」である。

フィレンツェの物づくりの大半は、大規模な工場での大量生産ではなく、まさに小さな工房でひとつひとつ丁寧に手作りしていく家内工業である。家具、靴、メガネ、バッグ、布地、ランジェリー、マット、刺繍品、額縁、軽量器機、陶磁器、ガラス工芸、麦藁帽子、文具、宝飾、楽器、時計……など数え上げればきりがないほど、その質の良さとデザイン性で世界的に名を知られるメーカーが多数ある。16世紀半ばまで遡る宝石商のセッテパッシのように、きわめて良い伝統を誇る店もある。とくに仕立屋や靴屋は、美しく気品があり飽きの来ない製品作りで令名が高い。

1950年代以降、フィレンツェイタリア・モードの中心地として世界的にその名が轟いたのは、フィレンツェの貴族ジョヴァンニ・バッティスタ・ジョルジーニのファッション・ショー企画によるところが大きかった。だからブチュラッティ、グッチ、サルヴァトーレ・フェラガモエミリオ・プッチなど有名ブランドがフィレンツェに本店を構えているのは当然だろう。こうして現在のフィレンツェは、目眩くようなルネサンス期の美術品と、現代の洒落た工芸品・ファッション品によって世界じゅうの観光客を集めているのである。