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老兵は黙って去りゆくのみ

2018-11-17

じじぃの「科学・芸術_667_イスラームの拡大・ムハンマドの教団」

06:03

Umar Ibn Khattab RA 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=NO1MnFmcuv0

イスラームの拡大

ムハンマドマホメット 世界史の窓

622年にイスラーム教を創始した預言者マホメットメッカの大商人の家に生まれ、40歳でアッラーの啓示を受け、布教を開始した。

メッカで迫害されメディナに移り、教団(ウンマ)を形成、630年にメッカを征服してカーバ一神教神殿とした。その結果、諸部族が次々と帰順しアラビア半島の政治的・宗教的統一を果たし、632年に死去した。その言行録『コーラン』はイスラーム教の聖典とされている。

https://www.y-history.net/appendix/wh0501-005.html

『人類はどこへ行くのか (興亡の世界史)』 杉山正明、大塚柳太郎、福井憲彦/著 講談社 2009年発行

宗教」は人類に何をもたらしたか より

今やイスラーム教徒は世界に13億人ともいわれる膨大な人数にふくれあがった。世界の人口のうち、4人に1人はイスラーム教徒である。しかも現代の地球上fでは、かつてのようなキリスト教圏とかイスラーム圏とかの棲み分けの区別がなくなり、アメリカヨーロッパのようなキリスト教圏にも多数のイスラーム教徒が住んでいる。

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さて、神の使徒であると同時に最後の預言者でもあるとの確信を得て布教を始めたムハンマドは、若者を中心に次第に信徒を獲得したものの、メッカの支配貴族クライシュ部族の迫害を受け、622年、ヤスリブ(のちのメディナ)への移住を強いられた。しかし、メディナに移ってからはあらゆることが激変した。それまで異常なまでに終末論的で緊張感にあふれていた神の啓示は、善人には素晴らしい天国を約束するといった明るいものに変った。

現実世界でも神の啓示に象徴されるかのように、信徒たちはムハンマドを絶対的な指導者と仰いで結果を固め、イスラーム共同体ウンマ)を成立させて、それは教団国家といえるものにまで発展、バドルの戦いなど、いくつかの戦闘を経てかつての故郷メッカを併呑し、アラビア半島を統一するまでになった。宗教上の始祖が剣を振るって戦うという事態を受けて、国家と宗教が一体となったイスラームの政治形態がここに生まれたのである。

632年の預言者ムハンマドの死は、イスラーム共同体に分裂の危機をもたらしたが、もっとも古い信徒であるアブー=バクルが「神の使徒代理」、すなわちカリフとなって分裂は回避された。アブー=バクルの役割は預言者の遺志を継承することであった。ムハンマドの死によってアラブ部族は同盟という契約関係が解消されたとして、イスラーム共同体から離反する動きを見せたが、アブー=バクルは首謀者を徹底的に排除し、アラブ部族イスラーム共同体のなかに引き戻した。このことがアラブ統一の民族的エネルギーを生み出し、それは大征服となってアラビア半島の外界へ向けられ、第2代カリフのウマルに引き継がれた。

アラブ軍はウマルの在位10年間に、ビザンツ帝国支配下にあったシリアエジプトを征服して西はバルカ地方まで、東はイラク全土を征服したあとイラン本土に入り、ホジスターン、ジバール両州を征服した。さらに第3代カリフ-ウスマーンの治世前半には、ササン朝ペルシャ帝国の大部分はアラブ軍の手中に帰し、651年、皇帝ヤズドギルド3世が暗殺されてササン朝が滅亡した。

大征服の成功は、ペルシャビザンツ両帝国の長年の抗争による疲弊もさることながら、アラブ自身の民族的発展とイスラームとの結びつきによるところが大きかった。大征服事業は、東西貿易の経験から得た組織力と結束力をもつ都市民出身の教団指導者たちが、これまで部族闘争に終始していたアラブ遊牧民に規律と統制を与えて、その戦闘力を巧みに利用した所産であった。このようなアラブ組織化にもっとも貢献したのはカリフ-ウマルであるが、初期のイスラーム国家体制を確固たるものにしたのもウマルであった。

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