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老兵は黙って去りゆくのみ

2018-12-12

じじぃの「科学・芸術_692_船乗りシンドバッド・ペルシャの首都クテシフォン」

06:02

Sinbad: Legend of the Seven Seas - Sinbad meets Eris [Japanese] 動画 YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=eTVuUwph4do

ペルシャ クテシフォン

Ctesiphon

シンドバッドとは コトバンク

千夜一夜物語》に登場するバグダッド豪商

7回の航海に出たので〈船乗りシンドバッド〉と呼ばれた。故郷に帰ってその冒険譚を語る。ロック鳥に連れ去られたときダイヤモンドの谷を発見したのはその冒険の一つ。

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ペルシャ湾 横山三四郎/著 新潮選書 2003年発行

船乗りシンドバッドの海 より

アレキサンダー大王の死とその帝国の崩壊で、アラビア征服計画は放棄された。だが、大王の目をペルシャ湾の対岸に向けさせた要因までがなくなったわけではない。乳香(olibanum)や没薬(myrrh)を産するという砂漠の奥の国は、依然として神秘的であり、人々の関心を引きつけて止まないところだった。

そして、ペルシャ湾とその周辺は、紀元前夜から貴重な香料を手に入れようとする民族の競り合いに徐々に、しかし確実に巻き込まれていく。

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インド洋には定期的に季節風が吹く。4月から7月半ばにかけて南西風、11月から3月にかけては北東風である。これをうまく利用できるならば、暗礁が多く、しかも遠まわりの沿岸航海でなく、インド洋を一挙に横断しての航海ができるわけで、ローマではこの季節風のことを地中海人として初めて発見した二との名に因(ちな)んで「ヒッパロスの風」と呼んだ。

アラビアの船乗りたちの秘密だったインド洋横断航路の存在が伝えられると、当時の海上交易様相は劇的に変わった。ギリシャローマ人がインド方面に直接行き、インド人貿易商もエジプトまで来るようになる。そして古代メソポタミア文明インダス文明の橋渡しで繁栄したディルムンさながら、中継貿易で利益を得ていたアラビアはもはや素通りとなって没落の道をたどる。

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こうして広がりつつあった東西の海上交易に、ペルシャ人も参入してくる。紀元226年、アルダシール1世(在位・226-241年)がパルティア(古代イラン王朝)を破り「シャー・ハン・シャー」(王のなかの王)を名乗ってササン朝ペルシャを建ててからである。

それまではパルティア中国との隊商路をおさえ、絹の中継貿易を一手に独占していたが、ササン朝はこの陸のシルクロードを引き継ぐとともに、海上交易も積極的に行う。王朝末期にはホスロー1世(在位・531-579年)が575年、当時、アビシニアエチオピア)に支配されていた南アラビアから支援を求められて兵を送り、解放した。そしてペルシャはそのまま居座って、戦略的にも、また経済的にも重要なアラビア半島の香料産出地帯を領土に併合してしまうのである。海上のスパイス・ルートの支配にペルシャ王が自ら乗り出したわけで、セイロンにまで遠征軍を繰り出したという。

ササン朝ペルシャはアケメネス王朝などのペルシャの伝統の上に地中海世界の影響もあって、かつてない絢爛の繁栄をみせた。インドからアラビア半島に至る広大な帝国のの首都クテシフォンの貴族たちは文芸、学問も尊び、歴代の王はビザンチン帝国はもとより、インド宗教哲学天文学医学関係とあらゆる書籍を集め、翻訳させた。これらの本は後年、ギリシャ語に翻訳され、これによってヨーロッパ人知識を得て近代文明を築いてゆくわけである。

それはさておき、首都クテシフォンには、中国インド、アラビア、エジプトローマなど当時のいわば全世界からの貴重な品々が流れ込んだ。輸入品は生糸、織錦、陶器、化粧料、香料、ガラス、パピルスなど、この見返りとして穀物、手工芸品、絨毯などが輸出された。ササン朝はその位置から物流の中継基地でもあり、とくに生糸の輸入は国家事業とされ、自ら加工しては東ローマ方面に輸出して利益をあげた。

この交易がいかに盛大なものであったかは、ササン朝ペルシャでつくられた、あるいはその意匠を借りた水さしやカットグラスなどの優美工芸品が中国を経て日本にもたらされ、正倉院を満たしていることからもうかがえる。唐の百万都市長安には波斯寺(ペルシャ寺)が設けられ、胡妃(ペルシャ娘)が夜光の杯(ガラスのさかずき)に酒を注いで大変なペルシャ・ブームだったというが、これもペルシャ商人の活躍があればこそだった。

これらの東西貿易は、もはや陸のシルクロードだけによるものではなくなっていた。ペルシャ人たちはティグリス・ユーフラス河口の商港バスラを最大基地に、ペルシャ湾経由、世界各地に船を進める。湾北の港シーラーフも繁栄していったが、ペルシャの商人、船乗りたちはインドセイロンマレー半島などに植民地さえ設けて進出していった。

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