じじぃの「科学・芸術_693_ペルシャ湾・石油の海とゾロアスター教」

Zoroastrians Celebrate Fire Festival in Iran 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pB78CnYJfIY
The outside of a fire temple

ペルシャ湾 横山三四郎/著 新潮選書 2003年発行
石油の海と2つの大戦 より
イスラム以前のペルシャの宗教はゾロアスター教である。拝火教ともいうこの宗教は、光明を司るアフラ・マズダを善の神とし、暗黒のアングラ・マイニュを悪の神として、この世は光と暗(やみ)の戦いの場と考え、光明をもたらす火を神聖なものと崇めた。このため遺体を神聖な火で焼くことを忌避し、信徒は死ねば鳥葬とされる。
ペルシャアゼルバイジャンやフゼスタン地方には古代から、消えることのない火を祭ったゾロアスター教の神殿があった。なぜ消えないのか。その神秘的現象は昔の人々には人知を越えたものであり、アフラ・マズダ神の仕業と考えられたが、今日ではその火は地下から噴き出す天然ガスによるものであることが明らかにされている。
このようにペルシャでは古くから天然ガスや石油の気配があった。メソポタミアのイス(今日のイラクのヒート)には天然アスファルトの池があり、シュメール以来、ティグリス・・ユーフラテス川やペルシャ湾の船乗りたちはこの天然アスファルトを船の漏水防止剤に利用してきた。聖書のノアの箱舟はこのアスファルトで漏水防止がほどこされたと記されており、ギルガメシュ叙事詩のなかでも言及されている。
シュメールの王たちが祭壇として築いたジグラードは、焼いた煉瓦を一つ一つ、天然アスファルトをセメント代わりに積み上げたものである。バビロンではネブカドネザル王(2世、前605-562年)がセミラミス女王のために空中庭園を築いたが、その秘密はアスファルトで塗り固めた床にあった。水を通さない床があればこそ、階上に緑の樹木の茂庭園を設けることができた。また『ブルターク英雄伝』によれば、紀元前331年、ガウガメラの会戦でダリウス王を最終的に破り、バビロン入城をはたしたアレキサンダー大王も深淵に燃えて尽きることのない炎、泉のように湧き出てくる石油に目を見張った。
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ペルシャ湾での石油の存在が古くから知られながら、実際に世界の人々がこの資源ゆえに中東に目を向けるようになったのは、これまでに記述してきたこの地球の歴史からみれば極めて最近のことでしかない。
地球上で中東地域を無視できないものにしている石油ブームが最初に始まったのは、アメリカでのことである。ランプ用の油を採っていたクジラが少なくなって鯨油が高騰したため、原油から採取する灯油が見直されて需要が爆発的に増えたのがその発端である。1859年、ペンシルベニアのオイル・クリークでエドウィン・L・ドレークが日量35バレルの油井の掘削に成功するや、この「黒い黄金」の発掘のためその10年前のカリフォルニアのゴールドラッシュを上回る熱狂が繰り広げられた。
原油への需要は、それが灯油のみか潤滑油など、広く利用できることがわかり、とりわけ厨房、暖房用へと用途が広がっていったことから止まるところを知らず伸びていった。こうした石油ブームのなかから、アメリカでは大富豪、ジョン・D・ロックフェラーが生まれ、コーカサスのバクーではスウェーデン人のロベール・ノーベル兄弟の石油王が誕生する。
ペルシャ湾石油の海として脚光をあびるのは、これよりずっと遅れて20世紀に入ってからである。

じじぃの「バタフライ効果・天災は忘れたころに来る!世界を知る101冊」

The Butterfly Effect by Andy Andrews 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=-PggnK1FC3o

世界を知る101冊――科学から何が見えるか』 海部宣男/著 岩波書店 2011年発行
「科学のための科学」と「社会のための科学」 より
「天災は忘れたころに来る」とは寺田寅彦が1923年の関東大震災を調査した経験をふまえて、日ごろ弟子たちに語っていたことだそうである。雪氷学を創始した弟子の中谷宇吉郎がそのことを新聞のエッセイに書き、戦時中、新聞の「一日一語」に選ばれるなどで有名になった。関東大震災の日、9月1日の標語である。そうした経緯もほとんど忘れ去られた2011年3月11日、すさまじい東日本大震災は起きた。
マグニチュード9.0という東日本大震災の規模は、日本の有史以来の地震で最大である。津波の高さも規模も、非常なものだった。だが「未曾有だった」というのは、対策を怠った理由にはならない。津波の高さなら、局地的だが明治29(1896)年と昭和8(1933)年にも30メートル級が三陸を襲っている。最近のコンピューターシミュレーションは、今回の津波被害を予測もしていた。一部だが、予測を活かして災害を免れたところもある。要は、科学的な警告をどう発信し、政策側がどう受け止めるかである。
寺田寅彦は「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」とも警告している(「天災と国防」)。これも今回起きたことであり、直下型地震が大都市に及ぼす被害の大きさは、神戸でも経験済みだ。人工のライフラインに頼る現代社会は抵抗力がひとたび破られるや、一気に瓦解する。自然の大災害は戦争にも劣らぬ惨禍を招くのだからと、昭和の軍備増強ムードの中で「陸軍海軍のほかに」災害に備える「もう一つの科学的国防の常備軍を設け」よと主張した寅彦の信念と勇気には、敬服のほかはない。
自然災害だけではない。科学が社会とその未来に関して発言し提言できることは、非常に多岐にわたっているし、増えつづけている。生物多様系の喪失も人為的地球温暖化の可能性も水の不足も、全地球規模での調査と科学的分析によって、はじめて明確になってきた課題である。科学の調査・研究がなければ、私たちはそうした問題に気付くもことなく、のうのうと暮らしていたことだろう。
生態系の問題は、1950年代のレイチェル・カーソンによる『沈黙の春』(青樹簗一訳、新潮文庫)を嚆矢として次第に理解が広がり、近年、ようやく世界的な議論や運動にまで広がった。
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何度も述べてきたことだが、科学は「知るための科学」であることを基本としてきた。つまり、好奇心を動機とする、サイエンス・フォー・サイエンス(科学のための科学)だ。ちなみに「サイエンス」という英語の原義は「知」「知る」である。
しかし世界の科学者団体の連合とユネスコによる世界科学者会議は1999年、サイエンス・フォー・ソサイエティ―(社会のための科学)というコンセプトを付け加えようと決議した。ここで述べた科学と社会との関係の変化を見据えての決議である。科学者は社会に対して重要な責務を負うことを認識し、科学は人類文明の現状を把握し着実な方向性を打ち出さねばならないという、決意表明でもある。これからの科学は、社会との緊張関係ではなく、協力関係を格段に強めてゆくだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「天災は忘れたころに来る」は、寺田寅彦博士が言ったとされる。
大災害は予測不可能ということなのだろうか。
初期条件の小さなずれが結果に大きな変化をもたらし、結果が予見できなくなるような場合を「カオス」と呼ぶ。
秩序状態から突然に無秩序へ転移する問題については、寺田博士も注目していたらしい。
どっかでのチョウがはねを動かしただけで、ニューヨークに災害を引き起こす?
スーパーコンピュータで確率計算をしたら、ほんのちょっと可能性があったりして。