じじぃの「科学・芸術_706_エルベの誓い・ドレスデン無差別爆撃」

Elbe Day - the history - a short review [HD 1080] 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a-jxR53AMUA
Встреча на Эльбе 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=E1wpanRN_qc
Elbe Day, 1945. American and Russian Troops Meeting

エルベの誓い ウィキペディアWikipedia) より
エルベの誓い(エルベのちかい)は、第二次世界大戦末期の1945年4月25日に、ナチス・ドイツを壊滅させるために東進を続ける連合国のアメリカ軍と、西進を続けるソ連赤軍がドイツ東部を流れるエルベ川の沿岸、ザクセン州トルガウ(英語版)で初めて出会った出来事を指す。これはベルリン陥落の1週間前であり、トルガウはドレスデンとマクデブルクのほぼ中間点にあり、終戦後は東ドイツに属した。
この事件はソビエト連邦では「エルベ川の出会い」(ロシア語: Встреча на Эльбе)と呼ばれ、また同名の映画(監督はグリゴーリー・アレクサンドロフ、音楽:ドミートリイ・ショスタコーヴィチ)が作られていて、アメリカ合衆国では「エルベ・デイ」(英語: Elbe Day)として記憶されていて、日本ではこのソ連映画の最後に両軍代表が平和を誓いあうシーンから、通常「エルベの誓い」と呼ばれている。

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『エルベの誓い (母と子でみる)』 早乙女勝元/著 草の根出版会 2001年発行
古都ドレスデンで考えたこと より
チャーチルの指示を受けたイギリス爆撃軍団のA・ハリス司令官は、ヤルタ会議の前にドレスデン爆撃の準備を完了していた。しかし、もどかしくも足踏み状態だったのは、あいにくと悪天候続きだったからである。
ようやく、目標上空の雲が切れた。ヤルタ会議は幕を閉じたばかりだったが、それでも押せ押せで行けとばかりに、2月13日午後6時、イギリス中部の航空基地に出撃命令が出た。
英空軍の第一次爆撃隊は、224機。目標はエルベ川沿いの旧市街地である。さらに14日未明、第二次爆撃隊529機が連続波状的に目標へ殺到。4発のランカスター重爆撃機による二波に及ぶ夜間爆撃で、約3000トンの爆弾・焼夷弾が、ドレスデン市内へたたきつけられた。
14日零時過ぎ、今度は米空軍へバトンタッチだった。第8航空軍の爆撃機B17 314機が、護衛のP51戦闘機200機とともに出撃。783トンの爆弾投下のほか、至るところでP51の機銃弾が火をぐいた。爆撃による大火災は、300キロの遠方からも見えたほどだという。
英米軍によるドレスデンへの投下弾は、総計3800トン近くになるが、これは同年3月10日東京大空襲のB29によるそれの2倍強である。市街地は4日間から1週間近くも燃え続けた。75%が廃墟となり、人口約60万人のうち35〜40万人が住居を失って、罹災者となった。最大の犠牲というべき死者数は、3万5000人から10万余まで、さまざまな数字が入り乱れている。
人的被害はもちろんのことだが、古都ドレスデンは、あまりにも貴重な文化遺産を失った。戦後20年をかけて復興したものの、旧状のまま忠実に再現できたのはツヴィンガー宮殿ほかそういくつもなく、ザクセン国王時代に建設された宮殿都市の完全再建は、ほど遠い。
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ドレスデンを去るに当って、校外のハイデンフリートホフ墓地にある犠牲者たちの記念碑まで足を延ばしたが、次の一文が刻まれていた。
  一体何人が死んだのだろうか
  誰がその数を知っているのだろうか
  君の傷の深さを
  君たちの苦痛の重みを
  人間の手によってなされた
  地獄の炎のなかで
  燃やされた君よ
  人びとよ!