じじぃの「科学・芸術_712_マックス・ウェーバー『経済と社会』」

Max Weber e Karl Marx

マックス・ウェーバーと近代 (岩波現代文庫) 文庫 - 2003/1 姜尚中 (著) amazon
ウェーバーの学問の今日的意味とは何か。彼は歴史=社会学的研究を通して、近代の合理化が系統的に価値を排除しつつ、イデオロギー的な寓話として審美的宗教やナショナリズム原理主義を甦らせるというアポリアに立ち向かった。
本書は合理化と近代的な知の問題系を明らかにするとともに、現代アメリカニズムの問題をウェーバーを手がかりに読み解いていこうとする試みである。

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社会学がわかる事典』 森下伸也/著 日本実業出版社 2000年発行
客観性とは何か ウェーバー より
デュルケムやジンメルより6年遅れて、ドイツに偉大な知の英雄が生まれた。名はマックス・ウェーバー(1864〜1920)、押しも押されもせぬ社会学史上の第一人者である。学問的博識、徹底した分析と洞察、体系の壮大さと緻密さと深さ、人類の未来に対する情熱と予見力、どれをとってもすさまじく、たんに社会学者というよりは、20世紀最大の思想家とよばれるにふさわしい。
主著『経済と社会』でこれを説明してみよう。まずはその圧倒的なボリューム。日本語に訳すと、ギッシリと活字を組んだ大判の本で5000頁ほどになる。社会学の基本概念、共同体論、階級論、政治社会学、宗教社会学、経済社会学法社会学、都市社会学、国家論とまことに多彩で、シメは音楽社会学。現在のそれぞれの学問水準から見ても内容は超一級、しかも全体が合理化論という有名な理論に収斂している。おまけに、これに比肩しうるような本を、ほかのテーマでもいっぱい書いているのだから、これはもうあきれるほかない。合理化論をはじめ、彼が残した膨大な学問的業績は、本書でも随所で活用されているが、ここでは彼の社会学の方法論とキー・コンセプトを紹介しておこう。
学問のやり方を考える学問、それを方法論とよぶ。ウェーバーはこの方面でも偉大な業績をあげた。価値自由と言う概念がそれだ。学問をやる姿勢として「客観性」ということが大切なのはだれもが知っている。彼はそれをこう考えた。学問をやるのは何らかの問題関心があってのことだが、どんな問題関心にもその背後には何らかの価値観がある。だから、客観的にものごとを見るためには、その価値観にひきずられて主観的にならないよう、つまり色メガネでものごとを見ないよう、つねに自分の価値観を自覚し、それから自由になるよう努力しなければならない。また一方では、自分の価値観そのものが、それでよいのかどうか、たえず吟味する必要があろう。ウェーバーは、前者すなわち「価値からの自由」と後者すなわち「価値への自由」をあわせて価値自由とよび、学問をやる者がいつもわきまえていなければならない倫理であると考えた。
理念型という方法も有名だ。たちえば、学問をするといっても、その動機はいろいろだ。学問を学んで天下国家に役立てようというひともいれば、学問的真理の追究こそ人間がおこないうる最高の使命であるというひともおり、ただ面白く楽しいから学問をしているというひともいる。これらをかりに名づけるとしたら、順に、社会奉仕型、利益追求型、求道型、遊戯型とでもなろうか。学問は概念をもちいて思考する営みであるが、概念はこのようにそれぞれの対象の特徴を強調するデフォルメすることによってできあがる。実際にはまるっきりタイプどおりの対象は存在しないかもしれないのだが、デフォルメ作業によってできあがった概念=理念型があれば、ものごとがすっきり見えてくる。というわけで、ウェーバーは社会科学における理念型の重要性と必然性を説いたのであった。
また、ウェーバーは自分の社会学のやり方を理解社会学とよんだ。彼の立場は社会唯名論に近く、人間ひとつひとつの行為こそ社会の最小の単位にほかならないと考えた。ひとりひとりの行為が結びあわさってG・ジンメルの言う心的相互作用が生まれ、心的相互作用が無数に連結して社会ができあがる。だから、社会学は行為を理解するところからはじまるというわけである。人間は何の動機もなしに行為するわけではないから、行為の理解とは動機、つまり行為の意味の理解を意味する。かくして、意味の理解が社会学の最も基礎的な作業だというわけで、ウェーバーは理解社会学こそ社会学の王道だとしたのである。