想像力の欠如

最近はホワイトバンドってものが世間を賑わせてるみたいです。
ホワイトバンドについての質問です。 http://www.hottokenai.jp/… - 人力検索はてな
なるほど、世の中にはこんなお金儲けの方法もあるんですね。目から鱗です。
世界の貧しさを全面的に押し出して団体活動のための資金を募るのですか。良いですね、これ考えた人は頭が良いです。
そして実際的な面では殆ど意味のなさないイベントを催すことで、寄付者の実感を煽ることも忘れない。
なるほど、こんなやり方されたら、想像力の欠如した人たちなんて一発でやられちゃうじゃないですか。完璧ですよ。

村上春樹を好きになること、嫌いになること

はじめに

ぼくは村上春樹の作品が好きだ。それにこの人の対談などを読んでいるとその頭の良さにまいってしまう。この人は自分の想像力を周りの影響を受けずに育てることができるのだろうと感心してしまうことが殆どだ。
しかし、ぼくはあまり村上春樹を好きなことを口に出そうとは思わない。さて、そのささやかな理由をここに書いておこうと思うのだけれど、あまり上手に書ける自信はない。(だからもしこれ以上読もうと思うのなら、相当の覚悟をしてください。)

村上春樹が描く俗物

殆どの村上春樹の作品では想像力を欠いた俗物を非難している。自分で考える術を持たず、始めから用意された枠組みの中でしか、思考できない人間たちを静かに鋭く糾弾している。
ノルウェイの森』では名前がついて登場する人物以外はすべて俗物のような扱いだ。『ダンス・ダンス・ダンス』、『海辺のカフカ』に見られるように警察官への軽蔑は根強いものが見られる。

村上春樹を好きになること

それ自体は悪いことではない。問題なのは村上春樹に俗物として描かれるような人たちが村上春樹の作品を愛好することである。これが酷い。
想像力を欠いた人たちが村上春樹作品を読んで、孤独感がどうとか、喪失感を感じるとか、胡散臭い理解しかねる文章を書き連ねている。
特に『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を好む層に見られるそのある種の傾向に触れてしまうと、たまらなく悲しくなってくる。

村上春樹を嫌いになること

だからぼくは村上春樹の作品を読んで楽しむことに躊躇してしまう。村上春樹の作品を好きになることは、この人の憎む俗物になっている可能性があるからだ。
だから思い切って言い切れるものじゃないんだ。残念なことだけど。