Hatena::ブログ(Diary)

A SIGHT IN THE SCENE RSSフィード Twitter

20110830

「生きているということ」

「あんな子を連れて恥ずかしげもなく偉そうに。ああやって堂々としてられるのはよっぽどダンナさんがいいんでしょうね」。

母はこの一言をくやしそうにくやしそうにくやしそうに、憤懣やるかたない顔でわたしに言った。今でも折にふれてこの話を出してくる。くやしくてしょうがないんだろう。

わたしはこの話が出る度におかしくて仕方がない。おかしくておかしくて仕方がない。あのね、この一言はぶっちゃけ大きく意訳すると「わたしはとてもしあわせであり、そしてそれは見ただけですぐにわかる」ということになる。「恥ずかしげもなく偉そうに」見えるほど、ごく普通の家族風景であり、しかも配偶者まで褒めていただける。この一言のオチはそういうことだ。

そんなこんなでこの叔母と娘が次に再会するのはわたしの両親の葬式くらいしか機会は無いと思う。その頃には娘はさらに大人になっており、わたしはそのことが誇らしくて仕方がなく、その再会時にもやはり(偉そうに)と思われるのだろう。わはは、ドヤ顔でも練習しておくか。

こんな大勝利宣言のVサインを出来ること。そんなsatomi嬢の記事を読み嬉しくなる。そして、ぼくはこの記事を読みながら、つい1ヶ月ほど前に仕事で東京に出張したときのことを思い出す。

職場の福祉施設が参加した展示会のでの出張イベントで、ワークショップに来られた母子のお母さんが語ってくれたこと。その話が、ぼくの中で大音響のライブ後に止まない耳鳴りのようにある種の感動がリフレインしています。それは、子を「産む」こと、一緒に「生きること」。母の選択と子どもとの人生についての話でした。

次女にダウン症の娘さんを生んだ後、三人目のお子さんを授かったときに、そのお母さんは親戚などに産むことを強く反対されたとのことでした。でも、そのお母さんは、私の子どもだから産むと「決断」した、と言う話でした。

熱がこもったお母さんのお話に、ぼくはその話にただただ、うなづくことしかできませんでした。だけど、ぼくのその母としての産むと「選んだ」ことに胸を打たれました。

科学や医療の発展は、生む前から子どもの障害を判別することを可能にしています。母として「障害」のある子どもを産むことをリスクと考える時代になってきました。それは、それこそsatomiesさんやぼくの出会った母子の親戚が経験したような差別や無理解の問題、または「感情」レベルの恐怖や畏敬とはまた違う意味で、「避ける」ことが技術的に可能にもなっています。

だけど、「産む」「産まない」や「産んだ」「産まなかったら」ということにぼくには心を動かされたり感動することは、まだ家族のいない自分には当事者として深く動かされないし、とても簡単に素直に理解できない、とても難しく歯痒い部分でもあります。正直な感想として。でも、そこではなくて。

社会や関係性、現代の医療や技術、経済的な理由にしても「言い訳」をしてもいいと思うんです。いろんな言い訳ができるはず。多くの葛藤や不安を日々カバンに積めて歩くようなこともしなくても良かったかも知れない、そういうことを、全く前提とせずに、「産む」ことや「(私が)死んだ後のこと」を考えることができる。そういうことは、ぼくには「大勝利宣言のVサイン」であり、自分がまだ若く、でも、いろんなことを諦め始めるアラサーになってしまった今、ぼくの「大勝利宣言のVサイン」とは、「自己選択」としての「生」を、清々と体現すること他ならないんです。

だから、もしsatomiesさんが叔母さんの話に「バッファロー!」と口火を切っても、出張先で出会ったお母さんが三人目を「産まない!と決めたんだ」と語っていたとしても、この感動は変わらないような気がする。「今、ここにある生」を「選んでいる」ことに対する清々とした態度に、惹かれ驚き、心が揺り動かされるのだ。ぼくにはそう感じるんですよね。文字や語りとして言葉や放してが発するオーラみたいな?そんなものを感じる(ような気がする笑)。

展示会も終わり、打ち上げでまた東京に行った際に、そのお母さんのことを聴く機会がありました。向こうもぼくと話したその時のことを覚えてくれていた様子。初めてだったみたい。そんな話をしたのも。で、そうやって自分が自分の選択や子のことを話すことを、あまりして来なかったそのお母さんが、保護者会のような集まりの場所で、その話をしたいとおっしゃっているらしい。「何か目覚めたみたいなんだよね!」と、その打ち上げに来れなかったお母さんの話を関わりをもつ支援者から聞いた。

だけどね。まだ、ぼくはその「大勝利宣言のVサイン」にどうやって答えたらいいか解らないんです。むず痒い、でも確かに感動はしている。耳鳴りのようにこのリフレインは続いてく。今は、答えの代わりに谷川俊太郎の詩「生きる」をラップで歌っているこの若者の動画を。今年亡くなってしまった彼のラップも、むず痒い、でも確実に感じるのは「大勝利宣言のVサイン」。

D

satomiessatomies 2011/08/31 18:48 娘の学校の先生で40歳で妊娠出産された方がいらして。仲が良かったのをいいことに、ちょいと突っ込んだ話を聞いた。
元々は小学校の図工の先生だったんだけれど、障害児学級に関わって、それから養護に異動して、ずっと養護畑。ベテランだし熱心だし、でもそういう子どもを知り尽くしていたからこそ「出生前診断を考える」とか無かった?って聞いた。
なかなか妊娠できなかった、流産も繰り返した、やっと安定期に入るって経験まで進むことができた。もうそこで「神聖な命」としか思えず、なんかさわったら神様に取り上げられてしまうように思ってそんなん考えるどころじゃなかったよ、と。とにかくもう、そっちにもっていかないでください神様、が、最優先だったと。
なんかすごいすとんと落ちて、自分の中でじわじわと残っている話。

ちなみに生まれたお嬢さんはとても健康。小さい子らしい手の焼かせ方に「手を焼く障害児の教育に関して堂々としたベテラン」が、なんともいえない頼りなさそうな顔をして「たいへん…」って言うのがすごくかわいかったです。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/copeindealt/20110830/1314715536