古典輪読会(Corin会)オフィシャルブログ

2009-01-31

【第3回Corin会】『論語』

第3回コリン会『論語

対象テキスト:『論語』(角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

期日:

第1回目 2009年2月7日(土曜)18時〜

第2回目 2009年2月11日(水曜:建国記念日)16時〜

場所:六本木 稲葉宅(詳細はMLにて)


次回のコリン会は論語デス!

古典中の古典!ためになる話もあり、面白い話もあり、色んな角度から読めますね。

「最低1ページだけでも読んで、それをネタに自分と関連付けて話してもらう」という敷居が低いことをウリにしているCorin会としては、どのページでも対応できるし。

論語は関連図書も星の数ほどたくさんあるので、何かお薦めとかあれば教えて下さいね!

RYMRYM 2009/02/09 17:55 今回のテキストはかなり当りだった気がします。著者の加地さんの熱のこもった分かりやすい解説がいいですね。

自分が今回ぐっと来たところは、孔子が「不遇であった」という点ですね。僕はてっきり若いうちからインテリ界のスターダムにのし上がった人かと(勝手に)思ってました。
芸人で言うところの「下積み時代」がかの孔子にもあったわけですね。30代まるまる人に知られなかったと。なので彼が言った「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患えよ(自分が有名じゃないことよりも、いけてる人やポテンシャルのある人に気づけないことを恥じよう)」というせりふは興味深く響きます。本心ももちろんあるでしょうが、こう自分に言い聞かせないとおれない悔しさみたいなのもあったのだろうなと思うと、孔子っていよいよ人間くさいな〜と思いました。以上は誤解なのかもしれませんが、個人的に勝手に孔子に親しみをいだいた今回のコリン会でした。

IsIs 2009/02/10 18:05 前半戦で参加しました。
ホント、RYMの言うとおり、今回のはヒットですねー。
これくらいの抜きがあって、凝縮してあると、こちらの経験がバンバン入ります!

ホント、いっぱい線引くところあったんだけど、
特に2つの軸で言うと、「学び」と「孝」かな。
「学び」の方では、これはもうCorin会のコンセプトそのもののようなもの。
古典の大切さを何度も訴えてるし、
p.135の「述べてつくらず」ってのは、クリエイティブ信仰の強い自分は自戒の念で読みました。p.49「実力のある人はいつか必ず認められます」(…先日のNHK「トップランナー」で千原Jr.も同じこと言ってたな)や、p.52の30代〜40代は実力養成ってことや、
考えさせられるなと思った。

で、二つ目に「孝」では、
p.142で
「孝とは〈親に服従する〉というような単純な意味ではなくて、
〈生命の連続に対する恐れと尊敬〉」ってところが、最近の関心からはバシッと来ました。
最近は、まちづくりみたいなテーマで
自分の一生を超えるものをいかに設計するか?ということをいろいろ考えてます。
何か、そのヒントになるようなものが儒教にはあるのかなと思いました。

とにかく、何か大きな思想に触れた気がして、
これは、まだまだ継続して学んでいかなければいけないテキストですね。

追伸:呉智英『現代人の論語』もよかったなー。
というか、論語関係の出版今も絶えずあるんですね。孔子は生きている。

いなばいなば 2009/02/12 22:25 今回、わしが読んだ詩は、谷川俊太郎の『まっすぐ』という詩です。
《魂のいちばんおいしいところ》っていう詩集はイイよー。


論語は、何故かすごく心に響いて驚いた。それは孔子が流浪の人で、なかなか認められない人で、結構人間くさくて・・・そんな孔子自身の人となりに親近感がわいたからだと思う。そこはRym氏と同じ。
そう言う意味で、この角川の今回の本は名著だと思いますね。アマゾン書評でも評価高かったしね。

また、10年後とかみんなで論語読みたいねー。


あと、僕らの世代での
**************
吾十有五而志於學
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而從心所欲
不踰矩
**************
をそれぞれ考案しよう!って企画もあがって、これはイマの企画とかでやった方がいいかな。
http://utifima.blog90.fc2.com/
これもみんなの意見聞いてみたいなー。

makimaki 2009/02/13 11:56 今回はタイミング合わず、2回とも参加できずで非常に残念でした。
ので、こちらで参加させていただきます。
私が出どころは分からないけど、「なんだか快いと思う行動」の源にあるものが『論語』に書き記してあった感じがして、驚きました。
いっぱい思うところはあるのですが、一つだけ。
予備校時代の英語の先生で、お名前が「恕」という方がいて、それは「はかる」と読むのだそうですが、”思いやりの心をもって…なんて言う親の想いで付けられたのだよ”ってその先生は言っていて。実際つつましく周りを慮る、優しく温かい素敵な先生で、名は体をあらわすのだなあと思っていたら、論語に出てきてた!
p194-195 「一言にして以て終身之を行う可き者有りや⇒其れ恕か」
生涯行うべきことは、思いやり(恕)をもつこと!
なんて!シンプルだけどぐっときた!出典がわかってさらに先生をいとおしく思いました。
今もなお、『男の子を授かったら、つけたい名前ランキング』の上位に入っています。
間違えて「怒」にしちゃわないようにしなきゃ!

makimaki 2009/02/13 11:59 連続でごめんなさい。
いなば氏!

僕らの世代での
**************
吾十有五而志於學
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而從心所欲
不踰矩
**************
をそれぞれ考案しよう!って企画

大賛成です。

ともこともこ 2009/02/14 14:27 古輪会のプロセス+会に初めて参加させていただきましたが、本当に楽しくて勉強になりました。自分の心に響いてくる言葉は時間の経過や経験とともに変化していくのだろうなと思いながら、今の自分のココロに訴えかけてくる言葉を今回幾つか挙げました。
P154 『曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。』
(自分は君子とはほど遠いですが)この古輪会に参加して、同じ志を持っている人が集まるからこそ、一体感が出て、互いに高めあう関係が作れるのだな、と改めて感じました。単なる仲良しグループではなく、一人ひとりがindependentでありながら、互いに共鳴し調和していくグループ・・・互いにプラスのエネルギーの循環を感じるので、力強く、心強く感じています。

P91の『子曰く、学びて思わざれば〜』のところも皆さん挙げていらっしゃいましたが、改めて心に沁みました。「学」と「思」の両面でのクオリティーアップと同時に、バランスよくそれを調和させていく考えは大事ですね。「学」と「思」だけでなく、物事の関係性を考えるとこういったものは非常に多いですが、仕事をする上で考えさせられる、とても重みある言葉だと感じました。

私の朗読した詩は、槙原敬之の「ココロノコンパス」です。過去に友人が、色々悩んでいた時期の自分に送ってくれた歌詞でした。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND34903/index.html
ちなみに、私はまだ曲は聴いたことがありません。笑
なんとなく、詩だけをまだ味わっていますが・・・今度聞かなくちゃですね。

最後に、いなばさん、私もmakiさんと同じく企画に大賛成です!

ShinkShink 2009/02/15 22:54 今回の論語は、クリティカルヒットでした。自分のブログにも書いたのですが、ここにも記します。

今回とくに感じ入ったのは、次の箇所。

●「人に知られないということは、恥ずべきことではない。が、(優れた)人を知らないとうことは、恥ずべきことである」(P50)

早く有名になりたいとか、名を売りたいと焦ることよりも、逆にそういった人物を自分が知っていることを知り、学んでいくことのが重要だよなあと思った。

●「君子(教養人)であれ。小人(知識人)に終わるなかれ」(P67)

これは前から意識してきたこと。ここでいう教養人とは、僕の場合は実学的に学問を活かして問題発見や解決をして行く人のではと。とはいえ、直接的に役に立たなくても、こころが豊かになることはもっと重要。

●「知識や情報をたくさん得ても思考しなければ、どう生かせばいいのかわからない。逆に、思考するばかりで知識や情報がなければ、独善的になってしまう」(P91)

これは、原文は「学びて思わざれば、則ちくらし...」ではじまる有名なもの。実家にいた10代ときに気に入って洗面所に勝手に貼っていた。リフォームされて無くなってましたが。何か学ぶことの重要な点を指摘している気がする。

●「古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る。そう言う人こそ人々の師となる資格がある」(P211)

温故知新。まさに古典を紐解くというのは、そういうことなのかなあと。

●「人格のすぐれている人は、けっして独りではない。必ず(その人を慕ってそのまわりに)人が集まってくる」(P212)

そうありたいものです。「優しさ」、「優れている」、いずれも同じ感じがあたっている。

●「ことばについて理解できない者は、人間を真に理解することはできない」(P252)

これは、これから新しい言語を習得して行く中でこころに止めておきたい。できるだけ現地の言葉でやっていけるように。

まさに温故知新という言葉がぴったりな一冊だった。
生きていく上で美学をどう持っているかが、肝心な切羽詰まったときに重要になるとむかし立花隆さんから学んだ。
だから、多くの文学や古典に触れて多様な価値観を覗き見て、いいところを吸収していくようにと。

論語は、そんな美学というか、普遍性の高い価値を提供してくれている。内容としては、庶民というより当時の支配者階級へ説かれたもののようだが、一個人が主権者である現代の日本社会では皆に関係する。

旅立ち前に、とてもいい本に再会できた気分だった。

PS
朗読した詩は、谷川俊太郎「あなたはそこに」です。

さくりばさくりば 2009/02/22 01:06 お疲れ様です。
今回も楽しくみなさんの感想やコメントを、拝聴・拝読できて本当におもしろかったです。ありがとうございました。

それぞれのみなさんが、挙げておられるところに、そうだよなー、そうかーそうなんだー、と逐一楽しかったです。

僕にとって論語は、血肉になってしまっていて、まさに「イマサラ」的なものになってしまっています。(もちろんこれは、僕が君子であるという意味ではありません。)

でもイマサラとはいっても、それは僕にとって新鮮味が失われているのではなくて、論語に連なるというより、論語もまた連なっているいわゆる儒学に所属している他の書物(詩経、書経、大学、菜根譚、西郷遺訓、言志四録など)と照らし合わせる時に、儒学体系の中における、孔子の個性なり重要性を感じたりします。この、好みが割れていくあたり、仏教徒がどの神将の像を好んで彫るか、どの大天使を教会のてっぺんに仰ぐかということに似ていると思います。

論語はそれ自体体系的な編集でも構造でもないし、孔子の中で体系化されているように見えても、君子豹変すとも言いますw
なので、好きなフレーズに共感して、断片的に楽しむのが適切な感じだなという気がしております。

>makiさん

僕の好きな漢字のno.1は、ここ10年連続「恕」です。
とりたてて、ひとにやさしくあろうとしてやさしくするのではなく、
心の中の優しみが自ずとその心のままに発露するということで、(心の如く)の字のままに恕であるということであるようです。

この、自ずと発露する、すなわち他からの補給を得ずとも、良い「気」が個人の中で満ち満ちて、永遠に慈愛が横溢するに至る、というのは、人間社会においてターミナルの役割を果たすにとどまりません。これはもはやエネルギー保存の法則を凌駕し突き破る理屈です。
実に不可能で厳しい標を示している文字であるなと思います。

さくりばさくりば 2009/02/22 01:08 ちなみに僕の詩朗は、百人一首より
二条大納言 藤原公任

「たきのおとは たえてひさしく なりぬれど
なこそながれて なほきこえけれ」

でした。

makimaki 2009/02/22 11:29 >さくりば氏
>僕の好きな漢字のno.1は、ここ10年連続「恕」です。

(以下、さくりば氏のコメント全部貼り付けたいとこですが…)
いったい何をきっかけに、そして何を原料にしてその「恕」がわき起こってくるのでしょうかね。自ら、他からの補給を得ずともわきおこる、、、のって確かに実感として理解するのが難しいですね。
でも、生まれたときからいずれ「恕」がわきおこって来るように人というものはプログラミングされている、というよりはやはり誰かから必要とされたり純粋な見返りを求めない愛を与えられたり、だれかから「恕」を享受したりすることが(自分の無意識下だとしても)起こっていてそれをもとに発露してくるのではないかと、私は思います。
もちろんわかりやすいところでいえば、親兄弟、近しい友。でも、必ずしも知り合いとか直接話したりしたことがなくても、誰かの書いた文章や作品を見てそれを感じたり、誰か、いや何かから(たとえば自然とか)生きていることの感動を教えてもらったときにそれを感じてもいいと思う。
わたしは、このことを考えるときいつも、「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎さん)をおもいだすんですよね〜
いやあ、今回は皆さんのご意見や感想、そしてさくりば氏の『論語』講義を、生で聞けず残念でした。

>ともこさん
はじめまして。直接お会いしたことはないのですがShinK氏からお話伺いましたし、メーリスの自己紹介文を拝見いたしまして、早く!お会いしたいなあといつも思っています。
『曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。』
です。まさに。UTIFには、本当にいろんな方がいらして刺激的です。静かな水面に、一人一人の個性というしずくがぽたりぽたりとたれ落ちて、できる波紋が他を妨害するでもなくまじりあってきれいな調和を作りつつ見たこともないような「絵」を描く感じで。そこにまたともこさんのような魅力的な新しいしずくがぽちゃり。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
お会いできる日を楽しみにしています!

ともこともこ 2009/02/22 20:38 >makiさん
初めまして!いなばさんのブログで、makiさんのコメントを読ませていただいていたので、何だか勝手に親しみを感じています。私もmakiさんに早くお会いしたいです。UTIFのビジョンと、学び続けられる場、互いにrespectfulな方々がいるこの場にとても惹かれています。知識量も分析の軸も皆さんに及びませんが、この場があることによりココロが燃えているので、一歩一歩、自分を磨いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!

そして!makiさんの美しい描写にとても感動していました。
>静かな水面に、一人一人の個性というしずくがぽたりぽたりとたれ落ちて、できる波紋が他を妨害するでもなくまじりあってきれいな調和を作りつつ見たこともないような「絵」を描く感じで。そこにまたともこさんのような魅力的な新しいしずくがぽちゃり。

目の前に映像が広がっていくようでした。そこへ差し込む光が「思考のテーマ」でしょうか。光によって輝き方や色味が変化し、また美しい絵になっていくのでしょうね!
感動です。。。
本当にこちらこそ、これからもよろしくお願いします。

さくりばさくりば 2009/02/23 02:01 >makiさん のみならず結局皆様

ありがとうございます。確かに、恕は先天的なプログラミングではなさそうですし、身の回りの人から受けた純粋な愛を受けることや、それに倣うことから自分のものにしていきそうですよね。

でも、例えばアフリカの少年兵のように、惨憺たる原体験を持っている人間にも、仁者・君子になる道は開かれているのでないと、儒教の器量にかかわると思っています。
僕が「他からの補給を得ずとも」と言ったのは、主には、愛を施した相手から愛されることがなくても、それによって自分からの愛は全く失速しないという意味で、でしたが、孔子の教えは、愛されたことがない人でも、「道」に沿って行っていれば、これまた自ずと、「形は心を育て(、心は形を求める)」ということで、君子になれるよ、という設計なんじゃないかなと僕は解釈しています。

あと話は連関しつつも変わるのですが、儒教において「仁・恕」と「愛」は僕の理解では大きく違うと思っています。キリスト教の神の愛(アガペー)の、愛する範囲も量も無限に広いのに対し、儒教の愛の愛する範囲は実は案外狭いと思っています。あてる言葉が日本語では同じなのがおかしいのかもしれません。

僕の解釈では、儒教における愛と仁・恕は、途中までは同じ道をたどるのですが、愛の先に仁・恕の世界があって、そこまで行けるかどうかのが、君子になれるかどうかのブレイクポイントであるように思っています。

まず「愛」は、本人の精神や肉体という資源には限りがあることから、その資源が与えられる相手も限定されてきますし、より愛していない人とより愛している人との間で、当然愛の差があります。愛は選択と集中の論理であり、選択され集中された人との関係の中で育まれます。また仏教用語でいうところの「執着」とも近いと思います。

他方、君子の仁・恕においては、まず、君子とはいえ人間たる限りある愛情資源は忠・孝などなど、愛を注ぐべき正しい順序=「道」に沿った形(形=「礼」)で運用されています。

これはおそらく、「道」に沿った運用により効率化されることで(ちなみに、道を外れる人が増えると愛情運用の社会全体における非効率につながります。その状態が、乱れた世の中、ということだと思います。)、愛情資源を、より愛さなくてもよい人にも注ぐことができるし、行為規範を一貫させ透明で信頼に足るものに保つことにより、より愛していない人たちと自分との間で、あまり相手を愛していないことからくる問題が顕在化することをより遠ざけることができる、ということだと思うのです。

このように、選択と集中のなかで閉じた「愛」の回路のなかで終わらず、「道」に沿った愛の運用によって、「愛」が君子によって回路からどんどん横溢していく全体構造へとスケールアップさせていくのが、ただ愛深き人と君子の間のブレイクポイントだと思います。
そして、そうさせていくため、(乱世の中を)いろいろ修行したり工夫したりすることに伴うコストやリスクを一身に引き受けるモチベーションにこそ、仁・恕の本質があると僕は思います。そのモチベーションとは結局、結局たくさんの人に愛されたいなどという自己中心的なものではなく、すべての生きとし生けるものを愛したいのだ、という気持ち。その気持ちをごく自然に持っていてそれは何によっても止められることはしないのだ、というあたりだと思います。

(ここに至ると、無償という点ではだいぶキリスト教のアガペーに近くなってくると思います。ただしアガペーは、神の無限の愛であり、儒教は人間たる君子の有限の愛の、最大化とその先への夢であるという点では違うと思っています。更にもっともっと推し進めると、同じことを言っているところにまで踏み入られるかもしれませんが。)

この無償のモチベーション、愛したいという不断の気持ちは、選択と集中や閉じた愛、仏教的執着にある、ある種の諦めを諦めていないとも言えるでしょうし、他方で、その無垢さ自然さにおいて、空なり無なりという言葉で形容されもして、顔淵に孔子が最も見出していた、君子になる才能なのであろうかなと僕は解釈しています。

ついつい長くなりました。

「君たちはどう生きるか」は大変な名著ですよね!僕もリスペクトシテマス!

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