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2016’04.06, Wed

#030 作者の生い立ちから読んでみる...絵本「ちいさい おうち」

 一昨日だったでしょうか。

 「米国の優れた子ども向け絵本に贈られる「コールデコット賞」について」という記事を執筆し、歴代の受賞した絵本を紹介しました。

 1943年の受賞作が「ちいさい おうち」でした。

 なぜかとても絵本「ちいさい おうち」気になって、家の本棚を探していたらやはり出てきました。

 購入して何度も読み返しましたが、なぜかその時はピンときませんでした。それは、この絵本が1942年に執筆されたことを知らず(翻訳版の出版は1962年です)、また作者のバージニア・リー・バートンのことも知らないでいたからだと思い、少し調べてから「ちいさい おうち」を読み返してみました。

 ということで、本日紹介する絵本は「ちいさい おうち」です。



ちいさいおうち


 ここからはネタバレを含みます。ご注意下さい。


 むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちいさいおうちが ありました。
 それは、ちいさい きれいなうちでした。
 しっかり じょうぶに たてられていました。
 この じょうぶないえを たてたひとは いいました。

 「どんなにたくさん おかねをくれるといわれても、このいえを うることはできないぞ。わたしたちの まごの まごの そのまた まごのときまで、このいえは きっとりっぱに たっているだろう。」


 こんな文章で始まる物語。丘の上に、小さいお家があって、その周り木々がおおい、犬猫、鳥たち、そしてこの家の住人が外でくつろいでいます・・・「ちいさいおうち」の一番最初に描かれている挿絵です。


 それから長い間、丘の上から周りの景色を眺めて幸せに暮らしてきた「ちいさいおうち」。

 毎日見る風景は同じようでいて少しずつ違っています。でも、小さいお家だけはいつも変わらず同じでした。お日様をながめ、夜にはお月様を眺め、星を眺めました。

 すると、ずっと向こうの遠いところに街の灯りが見えました。小さいお家はその街の灯りを見ながら、街はどんなところなんだろうか?街に住んだら、どんな気持ちがするだろうか?・・・と、小さいお家は思いました。

 小さいお家が辺りを眺めて暮らすうち、時はだんだん経っていき、それと一緒に周りの景色も変わりました。春、夏、秋、冬___季節の移り変わりのすべてを小さいお家はじっと見ていました。


 ___ところが、ある日、田舎の曲がりくねった道を車が走ってくるのを見て、小さいお家は驚きました。

 それは自動車でした。そしてまもなく自動車はどんどん増えていき、馬車は減っていきました。それからしばらくして広い道路が小さいお家の前にできました。気がつけば、小さいお家の前をたくさんの自動車やトラックが街まで行ったり来たりするようになりました。

 それから後も、畑の中に新しい道路が後から後からできました。それから大きな建物___大きい家、アパート、公団住宅、学校、お店、駐車場___などがいっぱいでき、小さいお家をすっかり囲んでしまいました。

 いまはもう、小さいお家に住む人はなく、掃除をしてくれる人もいません。・・・小さいお家は、ただそこにじっと座っていました。

 もう夜になっても辺りは静かになりません。小さいお家のすぐ前の街灯は一晩中ついていました。「ここは、もう街になってしまったんだ」と、小さいお家は思いました。・・・街はあまり好きになれないような気がしました。ヒナギクもないし、リンゴの木もありません。

 そのうち、小さいお家の前を電車が行ったり来たりするようになりました。さらに、小さいお家の前を高架線が行ったり来たりするようになりました。辺りの空気は、ホコリと煙にまみれ、騒音はやかましく、小さいお家はガタガタと揺れました。もう四季の変化を感じることもできないとおもいました。

 そのうち、今度は小さいお家の下の地面のなかを、地下鉄が行ったり来たりするようになりました。人々は前よりももっと忙しく駆け歩くようになり、いまでは小さいお家を振り返って見る人もいません。

 そのうち小さいお家の建物が取り壊され、今度は地下室がある大きなビルが建てられました。片方は25階建てで、もう片方は35階建てでした。こうなると、小さいお家にお日様が見えるのは昼の間だけ。夜はお月様も星も見えません。・・・小さいお家は、街はイヤだと思いました。

 小さいお家はすっかりションボリしてしまいました。家がすっかりみすぼらしくなってしまったからです。


 ___ところが、ある春の朝、男の子と女の子を連れた男の人と女の人が小さいお家の前を通りかかりました。

 女の人はそこを大急ぎで通り過ぎず、小さいお家をじっと見ました。・・・その女の人は、この家を建てた人の孫の孫のそのまた孫にあたる人でした。女の人はご主人に言いました。

 「あの家は、私のお婆さんが小さいときに住んでいた家にそっくりです。その家はずっと田舎にあって、丘にヒナギクが咲き、リンゴの木も植わっていました。」

 調べていると確かに女の人の言うとおりで、小さいお家は引っ越しをすることになりました。始めのうちは引っ越しは怖いと思っていた小さいお家でしたが、すぐに慣れて面白いと思いました。

 長い旅を経て、小さいお家の引っ越し先が見つかりました。そこは小さな丘で、周りにはリンゴの木もありました。壊れていた窓や鎧戸も直してもらい、外側は昔と同じピンクに塗られました。小さいお家は嬉しそうにニッコリしました。

 また、お日様やお月様、星を見ることができ、季節の移り変わりを眺めることもできるのです。それに、小さいお家にはまた人が住み、面倒を見てもらえることになりました。


 ここからは翻訳文のまま記載します。


 ちいさいおうちは もう二どと まちへ いきたいとは おもわないでしょう・・・
 もう二どと まちに すみたいなどと おもうことはないでしょう・・・
 ちいさいおうちのまえでは ほしが またたき・・・
 お月さまも でました・・・
 はるです・・・

 いなかでは、 なにもかもが たいへん しずかでした。


 おしまい。


 とても有名なお話なので、ご存じのかたも多いと思います。

 小さいお家がすべてのページに描かれ、定点観測のような構図です。常に周りの景色が変化していく。それと同時に挿絵のタッチも暗くなっていきます。

 この「ちいさい おうち」が出版されたのは1942年です。

 日本でいうなら昭和17年。第二次世界大戦真っ直中で、同年6月に日本はミッドウェー海戦で敗北しました。

 「ちいさいおうち」では、地下鉄のことに触れています。米国での地下鉄運行についてWikipdiaで調べてみました。


 ボストン高架鉄道は、最初の地下鉄区間であるトレモント通り地下鉄(現在のグリーンラインの地下区間)を1897年から1898年に開業させた。

 この路線は、路面電車を直通運転させる目的で作られたという点で、都市高速鉄道として建設された他都市の地下鉄路線とは性格が異なるが、アメリカで最初の地下鉄で、この事は現在のMBTAもしばしば宣伝している。

 1901年には、メインライン高架鉄道(現 オレンジライン)が開通した。この路線は市街外延部から都心へ路線を延ばし、都心部は地下構造になっていた。

 その後まもなく、アトランティック通り高架鉄道(1940年代に廃止)が開業した。両者はニューヨーク地下鉄よりも3年早く登場した(ニューヨーク高架鉄道は遥か以前から存在していたが)ボストン最初の都市高速鉄道であった。


 ずっとニューヨークかと思っていましたが、米国初の地下鉄運行、高架鉄道を開通させた都市はボストンでした。


 ここで「ちいさい おうち」の作者、バージニア・リー・バートンの生い立ちについて調べてみます。以下はWikipedia英語版のバージニア・リー・バートンの記事を要約したものです(翻訳が微妙なところはご了承ください)。


  • 1925年(16歳) 両親が離婚。父親はボストンへ戻る。バージニア・リー・バートンは、地元の学校を卒業後、サンフランシスコの芸術学校の奨学金を獲得。学校で芸術とバレエを学ぶ。在学中はアラバマに住み長時間かけて学校まで通学。
  • 1928年(19歳) 芸術学校卒業後、バージニア・リー・バートンは父親のいるボストンへ引っ越す。そのときに新聞「Boston Evening Transcript」のスケッチャーの仕事を見つける。
  • 1930年(21歳) ボストン美術館学校に通い、彫刻家ジョージ・ディミトリオスに絵の教えを受ける。
  • 1931年(22歳) 彫刻家ジョージ・ディミトリオスと結婚。
  • 1932年(23歳) リンカーンへ引っ越し、長男アーリスが生まれる。その後、グロスター近くの海辺の村フォリー・コーブに引っ越す
  • 1935年(26歳) 次男マイケルが生まれる。
  • 1937年(28歳) 絵本「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」を長男アーリスのために執筆。
    いたずらきかんしゃちゅうちゅう (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
  • 1939年(30歳) 絵本「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」を次男マイケルのために執筆。
    Mike Mulligan and His Steam Shovel (Sandpiper Books)
  • 1941年(32歳) マサチューセッツ州ケープアンにFolly Cove Designersを設立。
  • 1942年(33歳) 絵本「ちいさい おうち」を夫のために執筆。
    ちいさいおうち
  • 1943年(34歳) 絵本「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」を執筆。
    はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
  • 1952年(43歳) 絵本「ちいさいケーブルカーのメーベル」を執筆。
    ちいさいケーブルカーのメーベル (1980年)
  • 1962年(53歳) 絵本「せいめいのれきし―地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし」を執筆。
    せいめいのれきし―地球上にせいめいがうまれたときからいままでのおはなし (大型絵本)
  • 1964年(55歳) バージニア・リー・バートン、日本へ来日。
  • 1968年(59歳) 肺癌により死去。59歳没。

 とにかく引っ越しの多い人生だったと感じました。

 やはり、ボストンとの接点もありました。

 ニュートン・センター → サンディエゴ → カーメル・バイ・ザ・シー → アラバマ → ボストン → リンカーン → フォリー・コーブに落ち着きます。

 バージニア・リー・バートンが幼少期に過ごした、サンディエゴもカーメル・バイ・ザ・シーも海がある観光地です。そこでの生活がとても気に入っていたとしたら、おそらく(あくまでも推測です。米国で暮らしたことがないので)、急激な勢いで近代化していくボストンが息苦しくなっていったのではないでしょうか。

 骨折をした父親の世話のためにボストンに留まったバージニア・リー・バートンですから、気軽に引っ越すこともできなかったのかもしれません。

 絵本「ちいさい おうち」には地下鉄も高架鉄道も出てきます。映像を見る限りですが、おそらく実際に目にしたボストンの風景をあらわしているような気がして成りません。Youtubeで探した1930年代のボストンの風景。まさに、「ちいさいおうち」が「街はイヤだ」と思っている風景だったのかもしれません。



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 そう考えると、この「ちいさい おうち」の主人公のちいさいおうちは作者バージニア・リー・バートンだったのかもしれません。彼女は、ちいさいおうちを通して、自分が感じたことを表現していた・・・とも思えます。

 バージニア・リー・バートンが結婚したあとに移り住んだというフォリー・コーブ。


 Youtubeにアップされていた「バージニア・リー・バートンの入江」の動画を見てみると疑問に思っていた答えがありました。フォリー・コープで彼女が住んでいた家というのは、もともとは車道に面していたそうです。それを果樹園の中に移築し、ヒナギクの花を植えたとか。

 その10年後に絵本「ちいさいおうち」が生まれたそうです。

 ・・・やはり、私の思ったとおりでした。ちいさいおうちは、バージニア・リー・バートンの人生そのものだったのでしょうね。ご主人のために執筆したというのもうなずけます。絵本「ちいさい おうち」が執筆された背景を知ることで、私自身の受け止め方も大きく変わりました。

 この絵本を「自然破壊、環境破壊への警笛を鳴らしている」と唱える人もいます。私も深読みし過ぎて最初はそう思っていました。正直、お説教くさい絵本だなと。

 でも、いまは、自然が大好きだったバージニア・リー・バートンが、苦手な都会に住みながらも自分の安住できる土地を求め努力し続けていた・・・そんな作者自身の自分探しのお話に思えます。

 絵本「ちいさい おうち」冒頭の、ちいさいおうちを建てた人の言葉___

 「どんなにたくさん おかねをくれるといわれても、このいえを うることはできないぞ。わたしたちの まごの まごの そのまた まごのときまで、このいえは きっとりっぱに たっているだろう。」

 この言葉がとても深いものに感じました。



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 「ちいさい おうち」に登場するヒナギクの色は白。表紙にも描かれています。

 ・・・白いヒナギクの花言葉は、自然の喜、無意識、無邪気だそう。バージニア・リー・バートンもとても無邪気な人だったのでしょうね。

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