北海道胆振東部地震②

函館には午後2時過ぎに着きました
フェリー乗り場は建物の外まで、列ができていました 

最後尾に、フェリー会社の人がいて、次の便は17時頃とのことでした 3時間あれば乗れるかなと思いましたが、列はなかなか進みません 停電の影響で、発券機が使えないので、手作業で発券しているので時間がかかっているとのことでした
待っている間に青森からのフェリーが到着し、「青森消防」と書かれた消防車が次々と下りてきました 被災地に行ったのでしょう
列は建物に入るのに1時間かかり、建物内に入ってからも、1階のロビー内をまさに”蛇”のごとく、くねくねと列を作っていました 

列に並び始めて4時間近くかかって、やっとチケットが買えました 17時のフェリーはすでに出ており、次は20時過ぎとことでした 売店にはほとんどものはありませんでした 朝から何も食べていなかったので、オレンジジュースとおつまみの裂きイカでわずかにカロリーを取りました
次のフェリーは整理番号680番までとアナウンスがあり、私の番号は662番で、乗れることになりました

青函連絡船に乗ったのは、30年くらい前、大学生で東医体の試合で札幌に行った時以来でした 船室ではテレビを見ることができ、今回の地震の被害状況などを初めて知ることができた 
20時15分に出航し、23時55分 青森に到着しました

青森港からはまた、タクシー待ちの列に並び、また長距離は断られるかなとも思いましたが、今度は1回でOKでした カードも使え、これで秋田に帰れるとホッとしました 12時20分に青森を出発し、深夜の高速を飛ばしに飛ばして、3時に自宅に帰れました それから3時間ほど睡眠をとり、7日の診療は予定通り行うことができました

後日、学会は中止になったと知りました
学会を運営した旭川医大の人はさぞかし、大変だったでしょう 中止になったことで準備に1年以上かかているでしょうし、中心となった人はそれ以上、この学会のためだけにやっていたと思うので残念で、残念でしかたなかったでしょう 私も大学に在職していた時、参加者100人から200人規模の学会の事務局長をやったことがありました 生殖医学会ほど大きくはない学会でも、1年以上前から準備をして、まるで医者の仕事ではない事務作業に忙殺される毎日でした それが地震と停電で、今までの苦労が消えてしまったわけですから、残念だったと思います

私自身は、学会で聴こうと思っていた演題が聞けず、残念でした 何かしら、新たに取り入れたり、改善できることが、あったのではないかと思っています 

北海道胆振東部地震

9月6日は1日休診にして、旭川市で行われる生殖医学会に出席する予定でした 9月5日は17時以降は受付は制限して、20時20分 札幌行に乗りました 新千歳空港には1時間弱で到着し、22時過ぎには札幌駅前のホテルに入れました
9月7日 深夜 激しい揺れで目が覚めました テレビをつき、緊急地震速報流れていまっした 震度6強と言っていました 泊まっていた部屋が15階だったせいかかなり横揺れで、机の上の携帯やペットボトルは床に落ちていました しばらくすると揺れは収まりましたが、停電になりました 部屋は非常用電灯がつき、館内放送も始まって、それ以降は眠れませんでした 

6時30分の電車で旭川に行く予定でしたので、6時過ぎに札幌駅に行くと、運休の掲示があり、時計は3時20分で止まっていました

高速バス乗り場に行くと、そこでも、手書きで運休と書かれていました  それでも待っている人も大勢おり、停電が解消されれば、動くのかなとも思えましたが、この時点で学会に行くのは無理だなと判断しました
それなら早く帰ろうと思い、タクシー乗り場の列に並びました 列の前から”新千歳空港に行く人はいませんか?相乗りできます”という人がいたので、相乗りで空港までいくことにしました 途中、信号は作動しておらず、大きな交差点には警察が交通整理をしていました ガソリンスタンドにはすでに車が列をなしコンビニにも列ができていました 東日本大震災の時と同じ状況だと感じました タクシー内でラジオからの情報は有用で、北海道全域で停電していること、JR,バスの運転再開のめどは立っていないことが分かりました
タクシに乗った時は同乗した人は飛行機は飛んでいると言っていましたが、ラジオでは”新千歳空港は閉鎖された”と言っていました”閉鎖”ってどういうこと?と思いましたが、空港に着くと、ロビーにも入れず、道路に人がごった返していました 警察官は大勢いましたが、空港関係者はおらず、どういう状況なのか、見通しはどうなのか全くわかりませんでした トイレも空港の立体駐車場の中で真っ暗のなか携帯の明かりが頼りでした 携帯に帰りの飛行機が欠航になったとメールが届きました 家に電話して、テレビの情報を聞きました NHKでは停電は数時間で解消すると言っているとのことで、このまま待てば、空港は再開するかな?でも航空会社がいったん欠航と決めたなら、それを再開することってあるかな? このままでは帰れない、明日採卵、移植があるのに、予定の人に電話して謝らなければならない、待てよ、明後日帰るとは限らない、いつ再開するかわからない どうしよう、どうしようと頭の中は混乱しました 留守に出勤した培養士から凍結するかどうか相談の電話が来て、”大丈夫ですか?”と言われたが”大変だ"だとしか答えられなかった かみさんからも電話がきて、”明日も休診にするなら、スタッフに来てもらって、予定の患者さんの対応した方がいいんじゃないか”とも言われたけど、決めることはできなかった
空港にいても仕方ないことは確かだし、翌日の採卵の時間までまだ、24時間近くあるわけだから、できることはやろうと思い、ここから出ようと思い、タクシ待ちの列に並びました そこで周囲の人とどうするんですか?などと話していました その人は前日に函館から、高速バスで札幌にきたと言って、時刻表を見せてくれました 9時に函館を出ると14時に札幌に着くとなっていてました 函館まで行けば、新幹線だけは動いていないかな、青函連絡船はどうなのかと思いました タクシの運転手に函館までと言ってもガソリンがないと言われて、数台断られ、空港のタクシより、千歳駅のタクシの方が可能性があると言われ、札幌市に向かうタクシに相乗りさせてもらって、途中の千歳駅で降りました そこでも来るタクシに函館まで言うと数台断られました 並んでいる人にも、”今日は無理でしょう”数台断られて、いきなり函館までは無理でも途中まで、乗り継いでいけないかなと、思って、次のタクシーに言うと、あっさり”いいですよ”と言われ、10時過ぎに函館行きにタクシーを確保できました 函館から先のことはこの時点では決まっておらず、ドライバーも、”無理じゃないですか”と タクシー内でのラジオの情報が役立って、北海道内に交通機関の情報で、”、、、、フェリーは通常通り運航しています”と聞いたときは、ドライバーも拍手してくれました これで北海道をでることできそうだと思いました 途中、支笏湖洞爺湖登別温泉など、観光地を車窓に見ながら、函館に向かいました

祝 金農 準優勝

今日は暑い 秋田市でも37度を超えました
数日前までは金農の活躍で熱くなっていました
甲子園での金農の活躍ははじめ、びっくり、途中から感動になり、最後は誇らしく思いました
初戦の相手が鹿児島実業と決まった時は、失礼ながら、初戦敗退だろうと思っていました
始まってみれば、ピッチャーの吉田選手は大会ナンバー1とのことで、ビックリ。そんなこと秋田の地方大会ではほとんど言われていなかったし、そうなの!!って思いました

ベスト8をかけた相手が横浜に勝った時は、さらにびっくり
この頃から、家族も金農に熱中、金農の試合があった日は、7時のニュース、9時のニュース、10時のニュースステーション熱闘甲子園と何回も見ていました ”吉田君かっこいい””マウスピースをつけている方がいい”天空君もいい”と内容よりもそっちかい。

準々決勝は、土曜日だったので、ライブで見ていましたが、最後2ランスクイズは一瞬何が起こったのわからない感じでした 相手キャッチャーが立ち上がれない様子が印象的でした

準決勝は火曜日の午前中でした 午前10時から12時まで患者さんは4人しか受診せず、いつになく暇で、体外受精の説明を30分くらいかけて行っても、12時きっかりに午前の診療が終わりました TVをつけると8回で、2-0で勝っていました 8回に1点取られて、9回エラーや内野安打で1,2塁になり、ヒヤヒヤ、バクバク 最後のバッターが打った時は落とすなよー叫んでいました

 
勝戦は午後2時からだったので、移植や卵管造影が予定されていたので、さすがに見ることはできませんでしたが、ちょっとした隙に見たら、3回で3-1で負けていました、もしかすると逆転するんじゃないかと思っていましたが、 4時頃に患者さんも途切れたときは大差がついていました 閉会式の様子だけライブで見ました

勝戦の当日や翌日の情報番組では、どれも準優勝した金農の紹介番組になっていて、どっちが勝ったの?と思えるほどでした
それを見ていると、出身校ではないけど、誇らしく思えました

東北連合学会

6月10日に弘前で開催された東北連合産科婦人科学会に参加してきました
弘前に行くのは7年ぶりでした

今回、学会の講演で性教育のに関する講演が多くあり、会長の先生には、日ごろ性教育や低用量ピルのことでいろいろ聞くこともあったので、参加することにしました

土曜の診療が終わってから、車で向かいましたが、久しぶりに県北に行ったので、高速道路が大館能代空港からつながっていることを知りませんでした 大鰐弘前ICまで2時間で着きました 近くなったものです 1日目は学会には間に合わず、懇親会からでした 最近は県内の若手医師や研修医はまったくわからないし、向こうも私のことを知らないだろうと思ったので、飲み会で当院からの患者さんをよろしく、と言って顔を売ってきました

日曜日は朝から学会に参加しました 地方部会では不妊症の演題は少なく、周産期のことや婦人科腫瘍の発表が多く、最近は離れてしまった分野のことで、新鮮に感じられました 産科の講演で、妊娠高血圧症候群や胎児発育不全に、PDE5阻害剤が使われていることは初耳でした PDE5阻害剤は当院でも処方しているEDに対する薬で、使われていたがシアリスだったこともびっくりしました PDE5阻害剤は血管拡張作用があるので、血流が改善して効果か出たのでしょう そのほかにもアスピリン葉酸も効果があるとのでした 妊娠反応陽性だった人に、葉酸を勧めていましたが、妊娠初期だけでなく、後半まで服用するようにと、翌月曜日から変更しました
日曜日午後は、性教育の講演でした お坊さんから、仏教的な観点からの話や日本家族計画協会の理事長からはピルの歴史、日本で承認はアメリカから40年遅れ、北朝鮮からも5年遅れてやっと承認されたことなどが印象深かった 
講演中から、今度、私が中学生や高校生に性教育をする際に、使ってみようと思ったスライドもあり、さっそく今週行く学校で使てみようと思っています

平成29年度の治療成績

ゴールデンウィークも終わり、今年も3分の1が過ぎました 連休中は、医院で、貯まった資料の片づけなどしていました

平成29年度の妊娠例を集計しました
妊娠した人(妊娠反応が出て、胎嚢が確認できた人)は311人でした そのうち、初期流産となった人もいるので、分娩のために、紹介状を書いた人は257人でした
昨年は約200人だったので、50人ほど増えていました

今年は人工授精で妊娠した人が33人と昨年より増えていました
体外受精では凍結胚移植での妊娠が95人と昨年よりやや少なく、その代わり、新鮮胚移植での妊娠が29人と倍以上の増えていました
その要因について、考察中です

詳細は、院内の中待合い張っていあります また、数日後にはホームページにも掲載する予定です

桜&秋田犬

千秋公園の桜も満開で、混雑していました

いつもの閑散とした、広小路からは想像できないほど、混雑していて、どこからこんなに人がくるの?という感じでした
暑かったせいもあり、ババヘラアイスに行列ができていました
 
春が来たなと実感できる瞬間でした

最近できたなかいちの秋田犬ステーションで秋田犬を見てきました
こちらも、人だかり これはいい観光スポットになるでしょう

今日いた秋田犬は 1歳の黒毛(トラ)でした
かわいいけど、、、やはり大きい

脂漏性角化症には紫外線が良くないと言われ、形成外科の先生からは、外出時は日焼け止めクリームを塗るように言われていたので、そうかな?と思いつつも、言われたように顔に日焼け止めクリームを塗って出かけました
日光に当たらないと、ビタミンDもできません 日ごろ、外来で日光に当たることを勧めているし、特に秋田は日照時間も短いのでたまに外で日光に当たることも必要かと、腕まくりして、腕に紫外線を浴びてきました

脂漏性角化症

昨年10月に市内の産婦人科クリニックが閉院してから、患者さんが増え、昼休みもとれない日々が、今年になってからも続いていました 待ち時間も長くなり、申し訳ないと思っていました 3月から、やや軽減し、昼休みもとれるようになって、夕方も7時には終了するようになっています ブログを書こうという気にもなりました

1週間前に脂漏性角化症の治療をしてきました いわゆるシミです 数年前にも、顔にできたイボを取ったのですが、その周囲にあった色素斑が次第に盛りがって目立ってきたので、今回再び取ることにしました
レーザー治療をしたわけですが、所要時間が2-3分だったでしょうか 冷たい風を当てらながら、顔を輪ゴムではじかれるような痛みがありました  当院でモナリザタッチ(膣、外陰レーザー)治療をする際には、麻酔クリームを塗ってから、行っているので、まずは麻酔クリームを塗るのかなと思っていましたが、いきなり始まって、それなりに痛いので、5分以上続いたら、つらかったかもしれません 
”軟膏塗って、1週間後に”と言われて、終了。焼けた匂いがし、見ると表皮が剥がれた状態でした
今日、再診し、傷は治っているので、シミ予防のクリームを塗って、外出する際には日焼け止めを塗って等と言われて、終了。
2か月ごとに半年通院する必要がある言われました 
先週から顔に絆創膏を張っていましたが、だれからも聞かれることはありませんでした 明日からも 絆創膏張っています

たまに患者になると、医者の話し方や、態度で見えてくるところもあり、自分もこう見られているんだろうと、参考になることがありました