いきいきホットライン

 写真家の人がゲスト。
 前半はどうでもよかったのだが、終わり際の投書が奮っていた。乗車券などを券売機で買う折にはお金を準備しておき、手早く機械の処理をし、すぐに立ち去るべきといった夫を非難する妻の意見。夫は仕事はいろいろな可能性を想定して素早く対応できるようにいろいろ準備しておくべきとも言っていたらしいが、妻は子育てや植物を育成するときのことを考えると待つことが重要だと非難していた。
 …アホですか。
 投書の頓珍漢さにアナウンサーもゲストもコメントを一切言わなくて次の話題に進んでいたが、ならなぜ紹介する?とも思った。
 行動を起こすことをシャッターを切るということに喩えて、シャッターを切るまで我慢するしないといっていたが、これはゲストがかわいそうだった。シャッターチャンスが来たからといって、いい写真が取れるとも限らないので、写真家はとにかく数取ることが重要で、撮影機会があったらそれこそ何百枚撮って使える写真があればいいほうという仕事なのだ。シャッターが切れる時にはとにかく切るもんだから、待つなんてことは考えられない作業なんだよね。そりゃ夜明けの一瞬とかを撮りたい時には、その瞬間まで待たなくてはならないが、じゃぁ、その瞬間までにシャッターを切ることが無駄になるかといえば、可能性として無駄にならないと結論付けることなんてとてもできないから、主要な目的に差し支えないのなら、いい瞬間を逃さずシャッターを切らなきゃなんない。もたもた待っていたら取れたかもしれないいい写真を逃してしまうことが確実なので、喩えとして非常に苦しかったと思う。
 まぁんHKの企画した人は反省して、ちゃんと舞台を用意してからまたゲストで呼んであげて下さいってことで。

で、

 明日は成果がどうのこうのというお題らしい。今のうちに言わせてもらうと、よく管理職が部下に向かって早く成果を挙げろと圧力をかける場面が、それこそバブル崩壊後激増したと思うんだが、これは凄く危ない。成果を挙げたいと思っているのは実は部下のほうが切実で、圧力をかけなくとも自分のやった仕事がどういう結果になるのかというのを若手ほど気にするのが普通なのだ。とかく若手は経験が少ないから、案件を処理したときの結果を予測することができない。いろいろ変化をつけたりして数こなすからこそ、どういう仕事をしたらどういう結果になるのかがわかってくるわけで、それこそ今ごろの若手は技術を出し惜しみしてきた団塊などの振る舞いによって教育されていないだけに、仕事のやり方を一から自分で考えなければならない場面が昔より多くなっていて、自分の処理について一々結果を気にしなきゃなんないと思う。自分の処理と結果の因果関係がついていればいいが、往々にしてある結果をもたらした原因をやった本人が正確に把握できないことが多くてこれまた困る。やり方が間違っているのに成功したり、やり方があっているのに、例えば他人がこっそり足を引っ張ったり、上司が見当違いのやり方を指示してダメになったりとかもあると思う。
 経験があれば結果が出るまでにかゝる時間も見当がつくし、その間に事態の推移を落ち着いても見られるのだ。しかし若手にはそれができないから、よけい結果が気になって他の作業に支障が出たりもする。そういう時に管理職はほうれんそうなどといって、やたら報告や連絡を求めていらぬストレスを部下に掛けたり、相談しろなどと言ってよけいな視点を求めて部下を混乱させたりするのは厳禁だ。もちろん適切な報告をさせることや、本人に難問を抱え込ませないよう相談しやすいよう仕向けるといったことはむしろやるべきではある。私事で恐縮だが、報告をさせるだけさせて、実務に関する重要な情報を知らせてもらえなかったり、こちらで抱えて黙って処理したほうが問題が小さいうちに解決できたのに、上司に相談してしまったために問題が拡大して他の同僚にまで面倒を掛けることになってしまったりすることを特に近年たくさん経験してしまったために、どうもほうれんそうには胡散臭さを感じて止まない。自分も10年以上は今の仕事をやっているので、たいていのことに見当がつくようになったという面は大きいと思うが。
 自分には明確な部下がいないのではあるが、それでも問題を発見した時にすぐに当事者(部下・同僚)に知らせたりせず、できるだけ見守って事態の把握に努め、問題が拡大しそうならこっそりテコ入れもしようし、問題が沈静化するようなら黙っておくなどしている。問題になりそうなきっかけを見つけたら、相手の繁忙度を見据えて知らせもしようし、問題を自分で処理してしまって、ほとぼりが冷めた頃にこっそり知らせたりもする。問題がイザ大きくなりもして、収拾できなかったときに責任問題になる可能性があれば、できるだけ問題管理職をパスしてその上の上司に伝わるようなルートを確保したりするのも有効だ。というか以上述べたことが本当に有効であるかはわからないし、自分ではうまく処理しているつもりでもただの思い込みであったりする可能性もあるので、声高に主張する気もない。でも経験上、アホな上司に相談して上手くいかなかったことが多かったために、正直にほうれんそうしても実はないなぁというのが実感である。
 結論として、成果主義になってさらに部下が成果を求めるようにもなっているだろうから、むしろ上司としてはむやみやたらと成果を部下に求めるようなことはせず、部下を育てるつもりで仕事を投げ、自分が設定した成長のポイントを部下がうまくこなしているかどうかを見守りながら、もしポイントが上手くいってなくても責めたり具体的に教えたりするのではなく、ヒントを埋め込んで会話するぐらいの度量は欲しいと思う。そう、性急な成果を求めてはいけないのだ。もし成果を急いでしまったら、それこそF士通の失敗のように、短期で荒稼ぎできるようなところにしか優秀な社員が集まらず、そしてそのなかで過当競争が起こって、ルール違反が横行したりする。優秀な社員を希望する部署にすぐつけたりすると、そういう羽目になることが多いのだろう。そして長期的な視点で成果を求めなきゃなんないところに優秀な社員どころかダメ社員も行かず、ずっとその部署を同じ人間が担当しつづけ、退職時にノウハウが失われたりする。人を支える部署なんてのは特に目に見える成果が挙げられないだけに傾向は顕著だろう。それこそ富J通の人事部のように、そういう部署がダメになると途端に組織内がギスギスして案外悪いほうの成果がいちはやく現れやすい。
 今や同じ部署で何年も過ごす組織は少ないと思うのだが、人間というものはすぐには成長しないし、したとしてもそれを見抜くのは難しい。いろんな部署でいろんな経験をさせて、作業と成果の因果関係を学習させたり、いろんな視点を持たす必要があるだろう。そしてそういう社員を継続的に観察する部署も必要だろう。長年観察してその人の意外な長所や短所が見えてきたりもするのだ。短期的な成果で良好なパフォーマンスを示したからといって、その仕事だけやらせたりするとかえって考えが硬直して、そいつをだめにしてしまう可能性もある。そういうことが昔の人はわかっていたからこそ、年嵩の人ほど成果主義なんてことは言わなかった(言わなくなっていった)と思うのだ。ところがバブルが弾けてから、年をとった経営層がこぞってそれを言い出した。そして現経団連会長のように、自分が権力を握ってから自分の報酬を2倍にあげたりということをやったりするのだ。そりゃ成果を挙げられなくとも給料がもらえると思われ、ナメられてしまうとこれまた若手にとってよくはなかったりする。でも成果主義を実際にやってしまうのと、成果を目標に掲げるのとでは大きな違いがあるのだ。
 今一度いう。短期的な成果で人を判断・処遇してはいけないし、上司たるもの部下に対して性急に成果を求めてはいけない。