2010年01月03日-日
■ミチコとハッチン 第18話 
しかし、ヒロシとは会えずじまい。で、ミチコとハッチンはヒロシが二人から逃げていると断定。トマト工場でビンゴと思ったんだが、肩透かしが続くねぇ。
擬似家族モノってのはそうなんだけど、教会での擬似家族とミチコとの擬似家族との選択に迷いはなかったみたいだな。エル・カザドも擬似家族モノで、舞台がやはりラテンアメリカっぽいとこだったけど、どちらもよく泣かされる。
■ミチコとハッチン 第19話 
ところで、ミチコはどうやって後を追いかけたんだ?。
なんかもうヒロシはいてもいなくてもどうでも良くなっているな。物語上はアツコは退場なのか?。対立軸としてはミチコとハッチンvsヒロシ、サトシvsシンスケってラインが残っているような気がするが、もうちょっと複雑な部分も残されているような気が。
■ミチコとハッチン 第21話 
とうとうサトシも退場。
たしかにヒロシに会うのはミチコとハッチンだけでもいいわけなんだが、なんか寂しいな。いよいよミチコ達も追いつめられて次回最終回か。ヒロシも実在しているのやらしていないのやら、どっちでも話は進んでいくよな。
■ミチコとハッチン 第22話 
まぁヒロシはミチコとハッチンの二人を行動に駆り立てる役割さえ果たせてればよいので、物語に深く関わらなくてもいいと言えばそうなんだが。ここまで割り切ると清々しいぐらいだな。後半部はほとんど後日譚ながら、いろいろ詰め込まれているような感じがした。アツコは言葉通りに他人行儀に登場したが、その後のミチコへの扱いは、さすがに知り合いそのものゝ対応だわな。遊園地での誤射はアツコ・リカルドあたりが冤罪なく進めてそう。
ハッチンとヒロシが飛行機に乗って空を飛び、ミチコはバイクで地を走るってのは、その直後の両者の境遇を暗示しているんだろうなという気はしたが、あんまり意味はないかな。それよりハッチンが小さいながらもバイクに乗っているってのが嬉しいわな。ハッチンがヤンママになっていたが、なるほどハッチン自体がそういう経緯で生まれたんだろうなという想像がつく。そんなこんなのお膳立てに助けながらの静的エンディングはさすがにうるうるキましたよ。さすがに全員が心を入れ替えたようなウソ臭いハッピーエンドではなく、落ち着くべきところに落ち着いたという、無理のないエンディング。
動画的にはブラスミに通じるものが感じられた。さすがにブラスミのほうが経験値が上がっているような出来だが、こちらのほうが演出意図がよく伝わっているのか、不足は感じられない。ハッチンが涙を流すところが、リサのそれと同じでなんとも。
ノンストップで視聴したので、疲れた。やっぱ一話一話見て、じっくりとはいわないまでも、ある程度の咀嚼や試行錯誤をする時間があったほうが、スピード感は無くともそれなりに味わい尽くすことができそう。総評はまた後ほど…。
■ミチコとハッチン 総評 
とは書いたものゝ、実はあまり総評をやる気が無い。この作品のシリーズ終盤でぼんやり気付いたことがあって、それが妙に気になっているのだ。自分の感覚でうだうだ書き散らすので申し訳ないが、〜のような気がするって不確定な情報を多用するのでご容赦いただきたい。
その、気になったことってのは、端的にいえばこの作品は「生んだだけの親の否定」ってことだ。昔の物語ってのは、育ての親がいながら、生みの親を捜して、その「本当の親」を見つけてメデタシメデタシといったものが多かったような気がする。ところが、この作品は序盤はそういうの(ミチコに対しては初めの男を神聖視させる)を匂わせながら、その実仲間の絆を中盤で強調し、最後育ての親に収斂させていったのだ。そして結論として、例えばヒロシは情けない男ながらも、家族を支えるために変化を示して暖かい関係を継続させたという昔話にありがちなハッピーエンドにしてもいいのだが、してない。
昔の物語にしたって、ダメな男はやっぱダメって認識はあったと思う。が、なにせ昔は生きること自体がしんどい時代だったわけで、生みの親が子供を手放すのもしかたがないという風潮もあったのだろう。で、そういう厳しい時代だからこそ現実を超越してすべてがうまくいくハッピーエンドなストーリーを提供する必要があったのだろう。
それにしてもだ。現代日本は不況や悪政のため庶民に生きづらい世の中になったとはいえ、昭和初期のような、地球寒冷化による不作を伴う、全体的に貧乏な時代と比べれば、はるかに社会保障が充実しており、贅沢さえ言わなければ生きつづけることができるわけだ。その中でクレーマーやモンペなど、というかモンスターペアレンツなど、子供をダシにして自分勝手する親が増えた。昔からバカ親は居たそうだが、そういう理不尽が社会的に認められる風潮がほとんど無く、現在はむしろそういうクレームをマスゴミや政府が推奨しているような時代だ。昔は結婚前の性交渉はおおっぴらには認められなかったと思うんだが、今や出来婚という恥ずかしい行為を授かり婚と推奨しているぐらい物事が転倒している。そういう風潮で、親が子供をきちんと育てず、先ほど挙げたように子供をダシに自分が楽をしようとするとか、児童虐待をしたりとか、親が子供の売春の手引きをするとか(これは昔もあったようだが…)、親が子供を大事に育てるということから逆行しているような感じがする。
そういうわけで、子供と真剣に向き合うミチコというのを提示しているんじゃないかと思ったのである。昔だったら子供は親の背中を見て育つと言われたぐらいなので、本当なら台詞にしなかったものなのだが、全力で守るなんて何度も言っているのは、強調のためだろう。ミチコは終盤、ハッチンを昔の男と会うためのダシにしていると指摘されていたが、ミチコ自身さすがにハッチンの親とは思っていなくとも、孤児院での経験から年長者が子供に対してどうあるべきかなんてのはわかっていたわけで、そういうミチコの態度にハッチンも信頼すべき大人としてミチコを認めていく。で、そういう役割を果たさないヒロシをハッチンは最初っから認めていないし、ヒロシの行動を熟慮して、最後には拒絶に近い立場になっていた。それで、赤の他人であるミチコを待ちわびて、自分から会いに行く。で、視聴者としてその行動に違和感を全く感じない。
この作品を視聴して、思い浮かべた作品があって、一つはエル・カザド、もう一つはR.O.D the TV、で、もう一つは男はつらいよだった。ミチコはかなり性格的に強引ながらも、ポジション的には寅さんなわけだ。で、旅で知り合ったゲストはなぜか寅さんの人間的魅力に惹かれていく。ハッチンは現状に拘束されてがんじがらめにされており、その境遇から解き放つ人間を求めており、ご都合主義的にミチコが現れて強引にハッチンを攫うわけなんだが、そのミチコにハッチンは最初は抵抗を示しながらも惹かれていくってのは構成的に男はつらいよと似ていると思うのだ。寅さんはヒロインと物語の最後では必ず別れなければならないが、ハッチンは逆。で、昔は「他人は他人」だったのが、今は「身内というよりは他人との協調」がテーマとなっている。
社会的変遷を書くと長くなるのでやめておくが、昔の「元の鞘に収まる」ってのが時代遅れとなり、こういうストーリーが提示されるってのは、自分の世代だと時代の変化を感じさせる。いや、自分が子供の頃だって社会は既に壊れていたような気はするのだが。
さて、そういうわけで、結論もヘッタクレも無いのだが、もはや今は無条件に自分を受け入れてくれる安住の地なんてどこにもなくて、そういうのは作らなきゃなんないんだよというメッセージのようにも思えた。全体がそうなっているとも思わないんだけど。でも人と人との繋がりについては始終考えさせられた。
第1話の段階では現代日本を活写している部分が大きいと感じていたんだけど、いざ見終わってみるとそれほどでもなかったかな。全体的には非常にクォリティの高い作品で、やっぱ名作かおもろかでまようんだけど、ちょっとしたクサさを除けば、今のところ名作評価と考えてます。スタッフの皆様にはこういう良質の作品を提供していただいて感謝したいぐらいです。もうちょっといろいろ言及したい部分はあるのですが、ひとまず擱くことに。

マングローブでのミチハチでの作画における技術やこだわりは、間違いなくブラスミで結実していると思います。
動画に限らず、背景、風俗、人物などの造り込みと書き込みにおける世界観の構築という点において、この二作品の魅力は見事に共通していると思いました。
残念ながら、ミチハチとブラスミの視聴者は相容れないようで、両方視聴しているサイト様は少ないようですが…。ですからcorydalisさんの感想に、同じ事を感じている方もいるのだと安堵しました。
自分はハッチンの描写でぼんやり気付きましたが、順序としては逆ですね。ブラスミはまだ最終回を視聴しておりませんが、脚本と動画が練られていると感じました。ブラスミは結構言及されているサイト様は多いようですが、ミチハチはそもそも視聴されている方が少ないのではないでしょうか。
自分はテキストとしての出来はミチハチのほうに軍配を上げたいと思っております。ブラスミも悪くは無いんですが、ぜひマングローブにはオリジナル作品をぶち上げて欲しいと思う次第。でも売り上げは原作付きのほうがいいんでしょうね。ミチハチはブラスミに見られるような萌え表現がほとんど無いので、視聴者が相容れないってのはわかるような気がします。