中二病でも恋がしたい!戀 第11話

 まぁ、確かにヌルいわな。
 そりゃまぁタイトルからするとこういうところに収束するのは当然なんだけど、自分としては中二病を極めて欲しかったなぁ。おそらく最終回は失望のあまり書く気力が失せるだろうから、今書いてしまうが、この作品ってのはタイトルからして、オナニー(=中二病)から脱却して、ともすればセックスへの衝動へ突き進んでいきかねない思春期の衝動をなんとか、その一歩手前(=恋)に止めるといった、いかにも若者の不安定さを描いたものであって、せっかく中二病をメタ視点で題材として持ってきたのに、なんかフツーのテキストになっちゃったなといった感じ。まぁそのへんはイタリアから一時帰国していた十花が「自分は覚悟して同棲を許したのになんで六花とセックスしてネェの?」という台詞からも明らか。まぁ十花が六花の中二病を文字通り病気と看做しており、その治療に主人公が役立つだろうという見立ては無責任かつ正しいわけで、そのへん主人公の返答であるところの、「いや、お姉さん、放映上セックスしたらマズいからチューで我慢しなきゃなんないでしょ」というのは十花にとっては最善の答えであって、この作品のメインターゲットであるところのオタクの中高生向けとしては確かに文句無く正しいテキスト。
 とはいえ、いやそりゃ思春期で猥談をせがまれて、本当に二人でことに及んだ様子を語られても、それはなんだ、自慢か?と思われるわけで、そういう場面での正しい話題提供は「事に及びたかったんだけど失敗しました」というのが聞くほうに配慮したものではあるが、場を沸かすのはもっと自虐ネタ、つまり「相手がいないからやりたくてもやれないんだけど、仕方なく自分で工夫しようとしてこれこれこういう失敗をしました」ってもの。これだと話を聞いている周囲にとっては彼(女)のいるいないに関係なく周囲の自尊心を傷つけることなく話者の失敗を笑えるというもの。だから丹生谷の失敗談がコメディとして面白いのであって、自分はやはりそこを評価する。いやまぁそれだけだったら下品だし、少年少女が読む(視聴する)ものとしてはアレなんで、そのへん思春期の未熟な人間性を描くってところで言えば別のこの作品はバランスが取れており、わざわざNGを出すことも無い。キャラの設計もよく考えられていて、それぞれの物語上の役割がよく分担されていてしっかりしていた。オモロイのは主人公と丹生谷は基本は(昔だったら)同一人物を分離して作られたと思われることで、これも物語の都合上分けられている役割、分離して各々に持たせられた新しい役割が巧妙に作りこまれている。正直テキストの完成度は良いほうだといえるんだけど、題材が新しくていくらでも可能性があるのにわざわざ古い構造に落とし込んでいるということゝ、これは自分の勝手な要望だがやはりコメディ要素がもっと欲しかったといったところ。
 そういったわけで、最終回はどう考えてもコメディに振った話にはできないだろうし、ヌルい恋愛モノをいまさらって感じなのでこれにてといったところ。

デイリー

 10/10/10/10 ペン/ペン/三魚/ペン Lv114/明石Lv99
 30/30/30/30 夕立/曙/潮/五十鈴


 ついに探照燈が★Maxに。イヴェでは大型のほうを使ったのでこちらのほうの出番は必要なかったとはいえる。割合攻撃ひきつけ効果は実感できるほどではあるが、敵CI抑制効果は感じられないので微妙な装備という印象かな。