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2005-12-21 首のない裸体―――あるミシマ論のための草稿―――

仮花愛盗禁鏡潮金美永獣美近午宴音真青


この文字列が何に由来するかおわかりだろうか。署名も脈絡もないのに、それが誰の言葉なのかを読む者の意識に強力にかきたてずにはおかない十八文字。朱色の背表紙を持つある文庫本を片手で折り曲げるように撓らせると、裏表紙のカバーがめくれて、縦に直立したこの十八文字が現れる。新潮文庫に収録された三島由紀夫の作品リストの頭文字だけを並べた一行である。


2005年はミシマの名が繰り返し取沙汰された年だった。海外の短編映画祭で次点となった『憂国』のフィルムが発見され、「楯の会」にて起草した憲法私案が公開され、遺作『豊饒の海』の初巻『春の雪』が映画化された。自らの筆名を戯れに魅死魔幽鬼尾と綴って出した書簡集が刊行されたのは数年前のことだが、自死したミシマの何に魅せられているのかを、戦争を知らない子供たちが戦争を語るように、自衛隊市ケ谷駐屯地での割腹自殺を知らない人々が気兼ねなく語り出したような趣きがあった。その多くが、むしろあの歴史的事件を誇大に投影する形で三島論を織り上げているのが、小説の内外を突き抜けて伝説たらんと欲したミシマの死後に、いかにも似つかわしい推移のように感じられる。


と云っても、自分も1970年以後に生まれた人間の一人であり、十代の終わりにミシマを耽読するうちに、いつのまにか伝記的事実を携えたままテクストへ分け入ってしまい、そこで掘り当てた幾筋かの鉱脈を記すことによって、いつか三島研究に新しい一頁を書き加えることができるだろうと夢想した子供らしい過去を持ってもいる。その鉱脈の断続的な露出にこの場で光をあてる前に、毀誉褒貶の激しい三島評価の中から、一対の際立ったコントラストを引き出しておきたい。


黙殺や棄て台詞の類を除くと、三島評価の「最左翼」として定着しているのは、「空虚」という語が重ねられる浅田彰の評言であるらしい。ところが、あらためて『天使が通る』を読み返してみると、そこにあるのは相当数の資料を踏査した上で対象の輪郭を正確に見定めようとする読解があるばかりで、殊更に冷眼視するような態度は見当たらない。とりわけ、文芸誌掲載後の反響に対して、自分たちの対談こそがミシマの「矮小化」から距離を置いているのだと応じているのが目を引く。

この対談の載った三島由紀夫特集(『新潮』一九八八年一月号)の時点で依然として、三島は本気で死んだのだ、「神」なき日本近代において逆説的に「神」を希求すべく最後の侵犯行為を行ったのだ、といった論調が見られた(たとえば富岡幸一郎「仮面の『神学』」)のには、率直に言って唖然とした。三島のなかにそういう意図がまったくなかったわけではないとしても、そんな単純な図式で割り切れる人間でないことは明白ではないか。三島をバタイユらと結び付けて論ずるのも適当ではない。三島がバタイユよりはるかに小心であり、同時に、はるかに頭がいいことは、これまた明白ではないか。『天使が通る』における浅田彰による注記

発言の周辺から二つの論点を引き出すことができる。一つは、自衛隊市ケ谷駐屯地での割腹自殺と同じく、『春の雪』『奔馬』において天皇という禁忌を侵犯することで「天国への裏階段」を駆け登り「絶対」へ到達したのだとしても、『暁の寺』『天人五衰』において仏教の空と重なりつつ破綻していく物語の衰弱と空虚ぶりは只事ではなく、自死と『豊饒の海』を関連づけるには複雑な思考が必要であること。もう一つは、ミシマのバタイユ受容の不確かさ、あるいはミシマの中でバタイユの思想が果たした重要性の不確かさを等閑視すべきではないこと。双方とも、遺された作品に目を通した者には異論を挟む必要を感じさせない基礎的な見解であるように思う。


一方、三島評価の「最右翼」に立って独自の論陣を張っている文学者としては、先頃『群像』に『金閣寺』論を発表した平野啓一郎の名を迷わず挙げられるのだが、やはりというべきか、対極にあるこちらは「絶対者としての天皇」という概念の起源を『金閣寺』の金閣に探り当てることができるかに、一作を対象に据えた評論としては異例ともいうべき130枚近くの紙数が費やされている。


評論中、金閣を焼失させていく炎の壁がミシマにとっての「戦火」であり、放火魔が金閣の究竟頂での自死を試みて果たさなかった場面に作者の「叶わなかった戦死」を重ねようとする箇所などは、いかにもこの戦後文学の名品をしばしば愛読書に挙げる平野啓一郎らしく、見るべきところが見られており、随所に引用すべきところが引用されている。けれども、対象の公開情報をどの程度に蒐集しているかは、その批評の価値の尺度とはならない。ここではむしろ、割腹自殺の地点から振り返って、『金閣寺』で絶対者への到達劇(究竟頂での自死)から訣別(結語の「生きようと思った。」)した筈のミシマが、『鏡子の家』の世俗的不成功のせいで(!)、戦中派生き残り組の倫理的な負い目と相俟って、絶対者への渇望を再燃させた、と簡略的に物語化しようとするこの伝記的作家論が、なぜこのように書かれねばならなかったのかと問うてみると、更に興趣が深まるだろう。長尺の作家論が、ある独特のたたずまいで横たわっているのが見えてくるからである。


平野啓一郎の『金閣寺』論からは、入念な操作によって、二種類の言葉がほぼ完全に排除されている。一つは、作者の「肉声」以外の他者の先行研究の言葉であり、もう一つは、セクシャリティの領域を語る言葉である。この二つの切断線によって囲い込まれた小説言語の一領域が、平野文学の輪郭そのものにきわめて似ていることを、『金閣寺』論を読み終えた読者は意識せざるをえないだろう。一篇から窺える、作品に対する作者の絶対的地位の揺るがなさや、偉人の伝記的事実への嗜好、セクシャリティに対する反動的な忌避(あるいはその裏返しとしての偽悪的な露出)は、平野啓一郎という作家の核から放射され、これまでの作品群のありようを規定してきた強力な描線でもある。それだけではない。評論の冒頭付近で、評者は『金閣寺』がバルザックの『「絶対」の探求』のパロディとして構想されたことを創作ノートを元に種明かししているが、そこで光を当てられたもう一つの種明かしに言及しないわけにはいかない。バルザックの『「絶対」の探求』は錬金術師が「絶対」を追い求めて没落していくさまを描いた中篇である。『金閣寺』とその『「絶対」の探求』とを重ね合わせて見透かした先に、『日蝕』中の、火焙りの刑に処せられて「絶対」へ到達するアンドロギュノスと、「魔女」に深く関わったがために囚われの身となる「錬金術師ピエェル」の姿を見出すことは、さほど難しくはない。この『金閣寺』論は、またとない「彼自身による平野啓一郎」の一ヴァリアントとして、平野研究のための貴重な資料となっているのである。


けれども、冷戦終結から数十年経ってからの左右翼の二項対立的な饒舌が人を退屈させずにはおかないように、死後数十年を経た小説家の評価を二分する両翼を仔細に言挙げしたところで、新たな批評の言葉が生成される筈もないだろう。俗物が拘泥する「評価の高低」という単一の価値軸―――ユークリッド幾何学的に言えば低次元の一次元的な座標軸―――の単一の磁力に巻かれてしまわない程度には思考の自由を保持しつつ、座標軸の両極にある言説を同時に肯定することによって、批評対象のテクスト自身から撚りだした異なる軸を直交させること。それこそが、ミシマの「絶対への志向」という通説の圧力を平野文学に接続して逃がしつつ、この小文が黙々と目指してきたところである。


すなわち、もしも、しばしばバタイユ経由であると誤解されるミシマの「禁忌と侵犯のエロティシズム」が、平野流の伝記的事実に基づいた実証主義的アプローチのみによって、作者固有の私小説的エッセンスであると推定しうるとするなら? おそらく、これまでの三島研究の相貌は、いくらかの変容を余儀なくされるのではないだろうか。


評伝などの二次資料も含めると、すべてがテクストに書かれていることに驚くべきなのか、すべてがテクストに書かれているのに批評がそれをみすみす看過してきたことに驚くべきなのか。代表作を読み解く鍵概念となるのは、「女という禁忌」である。とりわけ、ミシマが戦中に関係を隔絶させられた二人の女性像の断片が、作品群の至るところに痕跡を残しているのが、目敏い読者の目を引きつけずにはおかない。


一人は、戦時中にミシマとの交際が実らずに他家の妻となった「邦子」という女性の痕跡である。出世作『仮面の告白』の刊行後に、作家は知人に宛てたある書簡で、作中のヒロインを「園子」と命名したせいで、モデルにした「邦子」のイメージを喚起できずに苦労したと洩らしている。「園子」の二文字はきっかり「その子」と韻を踏んでいるのだが、指示語を媒介にして呼び出すのでは隔靴掻痒の感があったのだろう。『金閣寺』では、作家は放火犯が一方的な思いを寄せる女性に「有為子」という名を授けて、金閣と同じく完全な美しさで主人公を圧倒し拒絶する存在として登場させた。母音を押韻した「ui子」の系譜は、『鏡子の家』では「紐育」に駐在する清一郎の妻「藤子」に引き継がれる。当時偶然ニューヨークで「邦子」夫人と再会したミシマが、登場人物を海外赴任させてまで描き込んだのは、「清一郎」と婚姻関係にある「藤子」が素性を隠した両性愛者「フランク」と通じてしまう姦通劇だった。この章が、素性を隠した同性愛者「私」が性的関係に至ることができずに「園子」が他の男と婚姻を結ぶという顛末を辿った『仮面の告白』の、十年後の屈折した変奏曲であることは論を俟たない。


もう一人は、戦時中に18才の若さで急逝したミシマの妹「美津子」である。戯曲の方が「告白」を織り込みやすい*1と語っていたミシマは、実妹と母音を踏んだ「iu子」を何度か登場させて、大胆かつ巧緻な劇作を織り上げている。とりわけ、『熱帯樹』の「郁子」が幕開きの直後に小鳥を絞め殺し、母殺しを逡巡した兄を近親相姦に誘い込んで心中へと導く兄妹劇が強烈な印象をもって迫ってくるが、『朱雀家の滅亡』の「璃津子」が許婚を戦死によって失ったのち、二人の婚姻と許婚の出征地変更を許さずに自らは生き延びた「忠臣」の義父に、夭逝した義母の花嫁衣裳を纏って「滅びよ」と命じる終幕も忘れがたい。


「璃津子」の人物像が実妹よりは「邦子」に親しいことからわかるように、複数の女性像を幾重にも重ねて造形するのが、この作家の方法論であるらしい。すると、戦時中に感染症で急死した「美津子」が聖心女子学院の女学生だったという事実と、そのおよそ十年後ミシマが再び結婚を意識しはじめた時期に、同大学英文科に在学中だった正田美智子(現皇后)と知人の紹介で幾度かの逢瀬をもったものの立ち消えになったという事実とが、分かち難いほどに重なり合っているのが見えてはこないだろうか。*2 『春の雪』に描かれた、皇太子妃に内定した令嬢=「絶対の禁忌」を犯す悲恋の物語は、バタイユを受容する遥か以前の作者の実人生に由来するところが大きいのである。『春の雪』の連載が終わりに近づいた頃、ミシマは親しい批評家に「あれは私小説なんだよ」と洩らしたという。*3


女への不能と断絶を描いた『仮面の告白』、女へ至るのを妨害する観念的余剰物(金閣寺)を焼き払った『金閣寺』、女という禁忌をとうとう侵犯するさまを描いた『春の雪』。これらを一線に並べてみると、もっとも世評の高い三作が「女という禁忌」という中核的な主題の周りに生成されていることはもちろん、三作の主題論的な連携にヰタ・セクスアリス的な「物語」を読み取ることすら不可能ではないだろう。また、「女という禁忌」という主題に、少なくともhomosexuality=禁色、近親相姦、天皇の三つの禁忌が結合していることをあらためて強調しておく必要もあるかもしれない。さらに、幼少期のミシマが病身の祖母によって実母の元から隔離されて育てられたという伝記的事実は付け加えておいた方がいいし、ミシマの著作権を管理していた「最後の女性」が「同性愛伝説」に通じる作品や資料の公開を厳然と禁じつづけてきた事実と、その「禁忌」が猶も生きていることにも言及しておく必要がある。*4しかし実のところ、これらの伝記的事実の生々しい露出は、テクストにあたれば誰にでも読みうることにすぎず、読めばわかることを今更らしく指摘したところで、現今の状況下でミシマをどのように読みなすかという批評的営為を推進せしめる力になるはずもない。


それはちょうど、王様の架空の衣装を讃える衆愚に逆らって、「王様は裸だ」と脱神話化の叫びを叫ぶ子供を果敢に演じたとしても、相手の王様が裸を見せたがっているのだとしたら、結果的に宣伝役として奉仕しているにすぎないのと事情が似ている。伝記的事実の作品化などという神話作用に、批評は足をとられるべきではない。実際、伝記的作家論から離れて正確を期すると、細江英公の前で半裸の被写体となったこともある「裸の王様」は単に己の実存的な裸体を見せたがっていたわけではないのだ。作品が開示しているのは、裸体そのものがヴェールのような衣装であり、それがヴェールであることを明かすには暴かねばならず、それが衣装であることを明かすには脱衣せねばならないという逆説である。*5そして、人はこの地点にたやすくニーチェの処女作を呼び出すことができるはずだ。

こうして酒神賛歌を歌っているディオニュソス奉仕者は、同じような類の人によってしか理解されない! アポロ的ギリシア人は、どんなに驚いて彼らを眺めねばならなかったことか! しかもその驚きはいよいよ高まるばかりだったのだ。これらすべてのことが元来自分たちにもそれほど縁遠いものではないということ、それどころか、自分たちのアポロ的意識はただヴェールのようにこのディオニュソス的世界を覆いかくしているにすぎないという身の毛のよだつ思いが、この驚きに混じっていたからである。ニーチェ『悲劇の誕生』

(明晰と理性の神アポロンをいただく)アポロン的存在の薄い皮膜を(酒と陶酔の神デュオニュソスをいただく)ディオニュソス的存在が荒々しく突き破って、渾然一体と相交じり合う劇が、ミシマの作品で執拗に反復されていることに、もう少し多くの文学研究の言葉が費やされるべきではなかったか。アポロン的な「建築」とディオニュソス的な「音楽」を交合させた「建築に音楽があり、音楽に建築がある」という対句が頻出するのはささやかなその直叙だが、『金閣寺』で主人公が女と性的交渉を持とうとすると、「憂鬱な繊細な建築」が現れ、私の「人生との間に立ちはだかり」「巨大な音楽のように世界を充たし、その音楽だけでもって、世界の意味を充足するものになった」と書かれる名高い場面にも、ニーチェ経由の二項対立の秘教的な合一が顕現している。と、こうやってテクストの細部を伝って読みを走らせ、とうとう作家論から逃げ切ったと思ったこの瞬間に、またしても仕組まれた伝記的事実に足をとられるのが、ミシマを読むということなのかもしれない。「最後の一行が浮かばないと書き出せない」としばしば語って、自らの意識家ぶりを顕示していたミシマは、自決の朝、もはや帰ることのない机上にニーチェの『悲劇の誕生』を据えて、市ヶ谷へ赴いたのだという。


したがって、細心に彫琢された裸体の前で「見事な衣装」だと讃嘆の声をそろえる衆愚の輪から抜け出て、「あれは裸体であり、裸体の皮膚の裏側までが赤裸々だ」と孤独な好事家の台詞を呟いたとしても、ミシマを見るこちらを背後から見ているミシマの視野から逃れることはできないのだ。見なくてはならないのは、その裸体に首がついていないこと、嗅ぎ取らねばならないのは、その裸体を熱烈に注視している首がわたしたちの背後に隠れていることである。いま一度、複数の優れた知性の持ち主が、この「首のない裸体」を多頭化しようと試みたり*6、どんな首とも挿げ替えのきく「首のない裸体」の首のなさ*7に注目していることを想起してもいいのではないだろうか。


ミシマに魅惑されたことのある人間は、おのおのの道を辿ってあの首を獲りにいかなくてはならないのだが、幸いにして異なる道がまだ残されているように見える。


ミシマは遺作『豊饒の海』の後に藤原定家の評伝を書きたいと公言していたが、自決によって果たさなかった。この事実は、『豊饒の海』以前にミシマが「若い定家」と絶賛したある歌人の処女歌集の冒頭が「生首」によって飾られているという事実と、謀ったかのようにぴたりと平仄が合っている。春日井建『未青年』で、「海の悪童たちに砂浜へ埋められ」、首だけを出した「ぼくの真上には 病んだ 紫陽花のような日輪が狂つていた」と語られる巻頭の詩文にも、生首と太陽との親密な結びつきがあるが、ここではミシマが贈った序文に続く最初の一句を引いておく。

大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき

おそらくこちらの道は、あの首からミシマという署名を消すこと、続いてミシマの顔を消すことに通じているはずだ。すなわち、「切り離された首」という主題の歴史的な積み重なりの網の目であの首を捕まえて非特権化し、太陽との主題論的な結びつきの光量を生かして、それをいかなる注視によっても首かどうかすら見分けがたくすること。一歩間違えれば神格化へと頽落しかねないそんな危うい道行きの長さを想像するとき、その想像者の念頭にたえず鳴り響くにちがいない詩句は、アポリネールの「地帯」の断片。

さらばさらば

太陽 斬られた首よ

*8



天使が通る (新潮文庫)

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春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

日蝕 (新潮文庫)

日蝕 (新潮文庫)

*1:この発言は「小説では『仮面の告白』にならざるをえなかった」と換言することもできる。

*2:mitsukoとmichikoの音韻上の類似性にも注目。

*3村松剛『三島由紀夫の世界』

*4:安藤武『三島由紀夫の生涯』によれば、村松剛は『三島由紀夫の世界』を執筆する際に、故三島夫人から圧力をかけられたために、同性愛を排除して異性愛を中心にした評伝を書かざるをえなかったという。

*5:後年ミシマはこの逆説に「表面そのものの深み」という逆説的な表現を与えた。

*6:ミシマの『仮面の告白』に対して島田雅彦が『僕は模造人間』を書き、『豊饒の海』四部作に対して『無限カノン』三部作を書いたことの文学的な相関関係を、批評は充分な質と量の言葉をもって語らなければならない。中上健次が『貴種と転生』によって報いられたように。

*7宮台真司のミシマ読解の鋭さは特筆に価すると思う。

*8:尚、この小文は平野啓一郎『顔のない裸体たち』(『新潮』2005年12月号)へのある種の応答として書かれている。

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