2012-05-25-Fri
虚のグリッド
今日は課題提出前ラス2のエスキース。
他の人に比べ、考えすぎて遅れをとっていたものの、ようやくどうにか形が見えてきて何となくほっとしている。明日からまた気合入れて、一気に。
中間では、コンセプトと構成し直した地盤については上手くまとまったものの、上に被さる建築については結局満足いくものが出せず、悶々と時間だけが過ぎていたが、今回の話でだいぶ見えてきたようだ。(今更ではあるが。)
計画の骨子としては、
が元々考えていたもの。
これに、地盤を掘り込んでつくられるもの、地盤から外形が(柱・壁によって)建ち上がることでつくられるものをプラスして模型を進めていたところ、貰えたアドバイスとしては、
これによって、虚のグリッドを形成する。
柱のグリッドにのってその上を屋根が覆うことと、そのグリッドをはずれ、無関係に壁が走ることで、roof planとplanとの応答関係をつくれれば最高。うまくいくか。
1-12 campo marzio 1762 / giovanni battista piranesi
参考にしたいのは、ピラネージのcampo marzio 。
これも、グリッドの上に壁や柱がのるわけではなく、開口部を繋ぐ線がグリッドになっている。
これが虚のグリッドで、実はこのような細切れの(小さな)グリッドの方が人間のスケールにとっては都市軸や街区のグリッドよりも、安定した統一性や秩序を感じやすいかもしれない。
2012-05-13-Sun
morphosis
Morphosis: Buildings and Projects Volume 1 (Morphosis; Buildings and Projects)
- 作者: Peter Cook,George Rand
- 出版社/メーカー: Rizzoli
- 発売日: 1994/09/15
- メディア: ペーパーバック
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アクソメと模型表現が力強い。最近のよりも初期の頃の荒々しい感じが好きだ。
自分にはできないことをやっている点で凄く魅力的なので、手元に置いておきたくなって先日つい購入してしまった。
事務所の近くに建築の古書・洋書を取り扱っているお店を見つけたのがちょっと嬉しかったのもある。暇を見つけてまた遊びにいこう。
2012-05-12-Sat
場所性と建築
1-10,1-11 Amsterdam Orphanage / Aldo van Eyck
先日のエントリで、建築と場所性は抜き差しならない関係にあり、人間による生きた空間において密接な関わりを有しているのではないかという論を参照したけれども、よくよく考えてみても全くその通りであると思っている。
地盤(というか地面、ground)と建築が融合して形づくる風景は、建築の主流を占めてきた形態そのものの面白さや斬新さとはベクトルが違うかもしれないが(勿論構造的な面でも新しい試みは行われているし)、プログラムや用途が変更されたとしても"その場所にしか有り得ない"強度のある風景であるはずだ。
そういった意味で、西欧の街における古代ローマを基盤とする都市を参照していくと、都市の軸や広場を支えているヒエラルキーが薄っすらと見えてくるようだ。それは軸性や中心性という点がなるほどと思ったのと結構深い関係があり、新しく建てられる建築においても過去の積層から軸や場所性を読み取る作業の必要性がひしひしと感じられる。
今回課題で本当にやりたいのは、周辺の住宅地のボリュームが創りだす平均的なグリッドパタンのリズムを公園内部に引き込むことによって、地盤のレヴェルを再構成することが一つ。つまり、地盤はその場所と周辺が元来有している環境の連続性を切断すること無く、敷地内へと浸透させることが必要で、そして建築については、地盤とは異なる秩序をもって風景を創出したいということ。これらふたつのエレメントはそれぞれ相互に応答しあうことによって、"ここにしかないもの"を創りだせる可能性を生み出せるんではないか、という考えに現在至っている。
来週が中間なので、ひとまずこれまでの考えをまとめることと、地盤のスタディは一端終えて、現在進めている建築のスタディを何とか形にして図面にするまでを一気にやってしまいたい。
今はAldo van Eyckあたりを参考にグリッドパタンの構築をどうやるか考えている・・・。オランダのデ・ステイルが何だったのかも興味があるし、レムが状況打開しようとした構造主義偏重の時代についても一度考えを巡らせておきたい。
(追記)
cf) 歴史のなかの都市グリッド | 伊藤毅 ‹ Issue No.45 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース (10+1記事より)
C・ジッテの広場の造形然り、原広司の均質空間論然り、その理論が潜在的に持っている等質性が場所性を無視することで、均質なグリッドパタンによる都市形成の弊害が起きていると至るところで述べられている。
2012-05-08-Tue
場所の概念
毎週火曜は外部から呼ばれた作家の話を伺っている。今日は自分のユニットの板屋先生の話。彼は古代ローマにおける伝統的建築の骨格(archi-type)を援用し、場所と時間に根ざした場を構成することを目指しているのが特徴的。また、たまたま資料を貰った入江先生による建築における内外の関係についての考察も併せて自分の中でリンクすることがあり、非常に興味深いのでちょっとメモ。
建築とは、人間によって<具体的に生きられ体験される空間>である。人間が存在して初めて意味を持つ空間、人間とともにあってこそ存在する主体的な空間である。その本質は”空間”にこそあって、形態はそれ自体が造形の目的なのではなく、空間構成の一手段でしかない。(――前川道郎)
このような視点で建築を捉え直すと、建築は”場所を築くこと”と言い換えることが出来る。場所という概念は、M.ハイデガーによって実存的空間概念を「空間」と「性格」に分け、各々に「定位(orientation)」と「同一化(identification)」を照応するという形で定義されているが、それはすなわち対象を見ている自らの座標を同定することが出来、相対的な中心と軸がなければ、場所を認識することはできないという風に捉えることもできる。
しかしながら、中心性や軸性というものは扱うのが難しく、近年の建築・都市分野で一般的に行われる”設計”において、製図板の上でしか描かれることのない幾何学性の議論に終始しているのが現状であるともいえる。周辺の街並みに壁面線を合わせる作業ひとつとっても、なぜそれが必要で、その場所にしか有り得ないと言えるのか、自信が無い。
一方で、『建築芸術とは”目標”と”進路”という2つの契機を媒介とする空間形成である』(――Dagobert Frey)とされているが、これもある意味で軸性という側面が示されている。そこには、建築の各部分が継時的に観照される点が特性の一つとして挙げられるが、これには私が見る立場と観られる立場が関係付けられることによって、そこに場所が生成されるのではないか。外から内への移行、内から外への移行によって、それが強く意識されるのだとするならば、そこで初めて軸性というものに”気づく”のであって、初めからその存在を把握しているとは言えないかもしれない。
エルトリア・ローマ、古典期・ギリシャを経て近代主義建築の均質空間(成立しているかはわからないが、、)という流れの中で、中心性や軸性という議論は多くなされてきた。それは、あくまで場所の概念から人間による”生きられる空間”を構造化するために用いる手段であって、その意味を履き違えてはならない。










