Hatena::ブログ(Diary)

Creative7 RSSフィード

2013-09-08

藤田嗣治の随筆文を、地元紙が「秋田の行事」制作理由に誤用 ― これは、昭和10年銀座コロンバン天井画の完成に際し記した文である。


 秋田魁新報の「北斗星」(2013年9月1日)に、「壁画について」の藤田嗣治の文、「国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(「腕一本 巴里の横顔」、講談社)が引用され、「その思いをぶつけたのが大壁画なのだろう」(2013年9月1日、秋田魁新報として、これが「秋田の行事」についての藤田の思いであるかのように書いてあるが、誤りである。
 この文は「腕一本 巴里の横顔」(近藤史人編、藤田嗣治講談社に収録されているが、元々は、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年昭和59年》、講談社)に収録されたものである。
 「地を泳ぐ」は、昭和17年に出版されたが、昭和8年から昭和16年にかけて藤田嗣治が新聞、雑誌に発表した随筆を集めたもので、「壁画について」の文は、銀座コロンバン天井画の完成後の、昭和10年付けで記述された文である。

 「自分は、さきにブラジル珈琲店の壁画を描き、大阪十合の壁画を描き、今度銀座コロンバンの天井を描いたが、これについても画家の街頭進出を慫慂(しょうよう)したいと思う」
 「画家が、いたずらに名門富豪の個人的愛玩のみに奉仕することなく、大衆のための奉仕も考えなければならないと思う。国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」
 「コロンバン氏が、この挙を敢てして、銀座をして美術に眼を開かしめた功は、大いに讃ゆべきである」

                (「地を泳ぐ」、1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年昭和59年》、講談社

などと述べており、天井画の依頼者、コロンバン氏や完成した天井画を称える意味合いが強い文である。また、パリでは、自分の絵がサロンで一部の富裕層、愛好家を喜ばせていたに過ぎなかったことを反省する意味もあった文である。

 「秋田の行事」を意識して書かれたものではない。

 「秋田の行事」は、その後、1937年(昭和12年)、妻マドレーヌの急死後、平野政吉が提案した美術館建設構想を受け制作されたもので、依頼主の平野政吉個人に捧げる壁画という意味合いが強い作品である。
 作品完成後、「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年《昭和58年》1月9日、朝日新聞と語っている。
 「秋田の行事」は、自ら培って来た画技を発揮し、400年先の後世での評価を強く意識し、藤田が誇りを懸け描いた作品である。

 「詩の国秋田壁画時代を現出させよう」(2013年9月1日、秋田魁新報は、壁画制作への藤田の強い意気込みを示したものである。

 400年先を見据えた藤田嗣治壁画を展示する場として、藤田自身が、広い空間、上方からの自然光、壁画の展示の仕方を助言した現県立美術館(平野政吉美術館)が最も相応しいのは言うまでもないことだろう。





web拍手 by FC2

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/creative7/20130908/1378668980