Hatena::ブログ(Diary)

川合典子ブログ

2018-03-08

高校入試でスピーキングのテストをすることについて(都道府県の教育委員会はもう少し待っていただきたいと思います。)



2018年5月、アスキーメディアワークスの項目(太字の部分)に文章を書き加えました。




お願い

「スピーキングのテストが子供たちを親の収入によって差別するもの」であることは多くの方々に知っていただきたいと思います。  けれども、私一個人では限界がありますので、皆さんのご協力をお願いいたします。

私のブログを読んでくださった方々は、どうぞ、「スピーキングテストは子供を親の収入で差別するものだ」ということを周りの方々にお話しください。  特に、教育の現場にいらっしゃる先生方は、ほかの先生方にもお話しください。  勉強会など、たくさんの先生方がお集まりになるときに、お伝えいただけるとありがたいと思います。

一生懸命訴えても、一個人では限界がありますので、どうぞ皆さんのご協力をお願い致します。  子供たちが学校で、13歳から、「自分は親の収入のために、ほかの子のように学べないものがある」と思うのはかわいそうです。  そのために、高校入試でも不利になる、と英語の時間のたびに思わなければならないのは、かわいそうです。  すべての子供がスピーキングの基本スキルを学校で学べるように文部科学省にしてほしいと思います。  全国の中学、高校の先生方にこの事実(スピーキングのテストは子供を親の収入で差別するものだということ)を知っていただけるよう、ご協力をお願いいたします。




* * * 3月9日以下の文を付け加えました。* * *
今まで使っていた六法全書が古くなったので、新しい六法全書を注文していて、今日届きました。
中を見ていたら、教育基本法が載っていました。

第4条(教育の機会均等)
すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない。

こういう文が書かれていました。  
国が中学校で、英語教育を行い、正しい発音の習得が、英語教育の基本的学習事項であれば、これをすべての中学生が学び、身に着けるよう体制を整えることは文部科学省の仕事だと思います。  高校受験、大学受験にスピーキングのテストを行うのであれば、生徒全員が、スピーキングの基礎、すなわち正しい発音の習得ができるようにするのは文部科学省の仕事であると思います。  それを学校で教えず、経済的に余裕のある家庭の子供しかみにつけられないのであれば、これは明らかに、教育基本法に違反するものだと思います。
私は法律専門家ではありませんから詳しくはわかりませんが、経済的に余裕のある家庭の子供しか学べないことを公立高校、国公立大学の入学試験に出題することは、教育基本法に違反するものではないのでしょうか。  教育基本法に違反する入学試験の実施は止めていただきたいと思います。
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今日のブログをお読みになる前に下の2つのブログをまだお読みになっていない方は、先にそちらをご覧ください。  そのほうが今日のブログは分かりやすいと思います。

(1)  2017年10月12日のブログ「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。

(2)  2017年11月2日のブログ「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?



最近、高校入試にスピーキングのテストを導入するという話をよく聞きますので、今日はそのことについて、述べたいと思います。

まず、高校入試の出題範囲を考えてみたいと思います。

高校入試の出題範囲は、中学校で学習した内容です。  中学校で学習していないことは公立高校の入試には出題されません。  もし、中学校で教えないような難解な文法問題が公立高校の入試で出題されたら、必ず、中学校の先生方から、「不適切だ」と指摘されて、その問題は採点の対象から外されるでしょう。  では、スピーキングの基本的なスキル、つまり正しい発音で文章を話すことを、中学校で教えているか、といえば、新学習指導要領でも、教えていません。

発音習得は上の(1)のブログに書かれているように行いますが、現在、生徒たちは発音練習に使う音声モデルさえ与えられていません。  授業中にCDを聞かせられるでしょうが、発音を習得するには、教室で1,2回CDを聞く程度ではとても、正しい発音で文をしゃべれるようにはなりません。  家庭学習で何回も音声モデルを聞きながら、同じように言う練習をしなければできません。

私は4,5年前、知り合いから、使用した後の中学一年生の教科書をもらって、中身を見ましたが、発音記号は全部ではなく、7割くらいが欄外に書いてありました。  日本人が注意を要するものを選んだのでしょう。  最後の単語リストのページには単語は発音記号付きで書いてありましたが、基本的な発音はどうやって発音するのか、その説明は書いてありませんでした。  先生がご説明されるのかもしれませんが、教科書を見る限り、発音記号ごとの発音の仕方の指導は、それほど重要性をもって行われていない、という印象を受けました。

50年前、私が中学一年生の時に親に買ってもらったテープの教材も、発音記号ごとの発音の仕方は書いてありませんでした。  指示書には、「テープをよく聞いて、聞こえた通りに発音しましょう」としか書いてありませんでした。  確かに音を聞いて聞こえた通りに言う練習は発音練習の9割以上を占める大事な練習なのですが、その前に一つだけしなければならないことがあります。  それは基本の発音はどうやって発音するのか知ることです。  当時、中学生の私には、自分の口をどうしたら、同じ音が出せるのか、わかりませんでした。  学校で発音記号ごとの発音は習った気がしますが、先生の説明だけではよくわからない点があったので、ラジオの英語番組を聞いたり、発音記号ごとの口の形の写真を見たりして、勉強しました。  そうやっていろいろな説明を見て、中学一年の自分でも、よく理解できる説明を選んで参考にしました。  (私のDVDの音の説明がとても簡単なのは、こういう理由です。  中学生の私は、ひとことで言えるような音の特徴でないと、文章の発音練習の時、思い出せませんでした。 こまかい音の解説など思い出していたら、とても文章の発音練習などできませんでした。)  

最初は、発音記号ごとの発音の仕方を教えてもらわないと、中学生は、どうやって発音したらよいのか、わからないと思います。  私が見た限り、もらった教科書には発音記号ごとの発音の仕方は、書いてありませんでした。  また、教科書には音声をきくCDもついていませんでした。  基本の発音の仕方を習ったら、それから先の練習は、すべて自分の耳を使って文章を聞こえた通りに発音していく練習を行う必要があります。  発音練習の9割以上はCDを使った文章の練習に費やされます。  ですからCDなしに、どうやって、生徒は、基本の発音や文章の発音を練習するのだろうと思いました。

日本人は音声モデルなしに、正しい発音を習得することは、出来ません。  日本人はヨーロッパの言語を話す人たちと同じ英語習得の方法は取れません。  ヨーロッパの人たちは発音練習をしないで、英語を話してもある程度、通じます。  母国語をしゃべっている段階で、子音を単独で、発音できます。  音の体系も英語と似ています。  でも日本人は日本語が子音と母音を常にセットにして一つの音を構成する、という性質を持つため、発音練習なしに、通じる英語を話すことはできません。  つまり、これでは、中学時代に学校でスピーキングの基本的なスキルは、身に着けられない、ということです。

従って、高校入試でスピーキングのテストをするということは「中学時代に教えられていない」「練習するすべも与えられていない」スキルをテストする、ということですので、不適切です。

では、「学校で教えてくれない」「練習できない」スピーキングを高校入試でテストされることになったら親はどうするか?  といえば、スピーキングの基本的なスキル、すなわち「正しい発音で文を話すこと」を教えてくれる塾や会話学校に子供を行かせることになります。

これはお金がかかりますので、経済的に余裕のある家庭の子供しか習いに行けません。  経済的に余裕のない家庭の子供はスピーキングの基本的なスキルを習いに行くことはできません。  つまり、15歳の時点で、親の経済力によって、子供の進路に差別が持ち込まれる、ということです。

その原因は文部科学省にあります。  

英語教育において、「正しい発音」は、最も基本的なスキルです。  スピーキングの能力の基本です。  通じない発音で、どれほど高い英語力をつけても、相手に理解されなかったら、英語が出来ないのと同じになってしまうからです。

「正しい発音の習得」が、基本中の基本なら文部科学省が学校で、子供たちに正しい発音を習得させるのが、当然でしょう。  それをしないで、塾や会話学校に丸投げするから、入試において差別が発生するのです。  

文部科学省は、自分の職務をきちんと遂行してください。  正しい発音を生徒に習得させる責任を放棄しないでください。  英語の基本スキルの習得を塾や会話学校に丸投げしないで下さい。  文部科学省は税金で仕事をしているのですから、自分達がするべき「英語の基本的スキルの習得」はきちんと学校教育で行ってください。 

文部科学省が学校教育で子供たちに「正しい発音」を習得させていないのに、公立高校の入試にスピーキングのテストを導入するのは、生徒を親の収入で差別することであり、13歳から15歳の義務教育期間中の子供の教育に差別を持ち込むものです。

この原因は何かというと、中学時代に発音習得をしたことのない人(つまり3技能しか習得していない人)が、学習指導要領の作成にかかわって、「4技能」「4技能」と提唱するからです。  中学時代に発音習得をしたことのない人は、中学生のスピーキングスキルの習得の仕方を知らないのに、「中学生の英語教育は4技能」「4技能」と提唱するから、高校入試に、中学校で教えていないスピーキングのテストが入って来るような問題が発生するのです。


私がなぜ、2017年3月31日に公示された新学習指導要領を書いた人が中学時代にまともに発音習得をした経験がない、と分かるのか、その理由を説明します。

新学習指導要領には生徒に「自分の考えをまとめて英語で話させる」とか「即興で英語で話させる」とかいう学習活動がたくさん書かれています。  しかし、これを正しい発音で行うのは非常に難しいことです。  なぜかというと、自分の考えをまとめて英語でしゃべろうとするとき、頭の中はそれを表現する英語を考えることでいっぱいになります。  ほかのことは考えられません。  当然発音に注意など払っていられません。  「発音に注意しないでしゃべっても正しい発音で言える」という状態を身に着けるには、2年間くらい音声モデルを使って繰り返し英文を正しい発音、イントネーション、リズムで言う練習をしなければ、出来るようには成りません。  自分でやってみればわかります。

なのに、新学習指導要領では、音声モデルによる発音練習には一言も触れず(本当はこれが、初期の学習者にとって一番大事なことです。  耳で聞いていない音は発音できないからです。)、いきなり、「自分の考えを英語で話す」とか「即興で英語で話す」などの学習活動を行わせています。  ですから、この学習指導要領を作成した人は、中学時代にまともに、発音習得を行った経験がない、ということがわかるのです。

今は、発音習得については昔よりいろいろなことが研究されて、わかってきています。  「耳が聞いていない音は発音できない」ということもわかっています。 

50年前、中学1年生になった私は、4月に英語の授業が始まって、教室で、先生がかけてくれるテープの音声の後について、教科書を音読しました。  でも、家に帰って復習のために教科書を読もうとするとあのテープの発音の通りには読めませんでした。

I have a book. という文を「アイハヴァブック」と発音しても、私が発音する「アイハヴァブック」はテープの発音とは違う、とわかります。  もちろん私はHAVE の/ ヴ / の音は /b/  ではなく /v/ で発音していました。  でも、文全体の発音は私と教室で聞いたテープの発音とでは全然違う。  それは中学生の私にも、容易にわかりました。  では、「何がちがうのか」 というと、それは、もう一度テープの発音を聞いてみないとわかりません。  教室で一回聞いたくらいでは頭に残っていませんから、もう一度、実物を聞かないとわかりません。  でも、当時、教科書の英語が録音してあるテープなど、買うことはできませんでした。  市販されていませんでした。  困った私は、親に頼んでテープの教材を買ってもらいました。  中学生の私はまず、お手本の文を何回も聞かないと同じには言えませんでした。  お手本の文を何回も聞くということは中学生の発音習得には欠かせないことなのです。  学校で1,2回聞いただけでは家で、発音練習はできないのです。

今回の、中学校の学習指導要領の中に「音声モデルについて英文を言う」という練習が全く書かれていないで、いきなり自分の作った英文をしゃべらせる、という指導法が書かれているのを見た時、「これを書いた人は中学時代に発音習得をしていない」とすぐにわかりました。

自分がやっていないことについて、指導計画は立てられないのに、そういう人(中学時代に3技能しか習得していない人)が、中学校の学習指導要領を書いて、「4技能」「4技能」というから、高校入試に、学校で教えていないスピーキングのテストが入ってしまうような問題が発生するのです。




私が、一番最初に文部科学省の方針に反対したのは、2015年6月1日のブログでした。

題は、
文部科学省の方針(中学校、高校の英語の授業を英語で行う)を実施すると、中学生、高校生がカタカナ発音で話し始めます。
というものでした。
「英語で授業」を行うとカタカナ発音が定着する。  言い換えれば、「英語で授業」の方針では、「正しい発音の習得が出来ない」という問題点を指摘しました。

今回の4技能についても、「正しい発音」を教えないのに高校入試でスピーキングのテストをするのは、差別の問題が起こると指摘しました。

二つの問題に共通するのは、「学校教育で、正しい発音の習得が出来ない」ということです。

なぜ、文部科学省の方針に繰り返し、発音の問題が起こってくるか、というと、スピーキングの基本的な技術、つまり、正しい発音の習得を中学時代にしていない英語教育の専門家が文部科学省の学習指導要領の作成にいつもかかわっているからです。  4技能のうち、3技能しか中学時代に習得していない英語教育の専門家がいつも文部科学省の方針の作成にかかわっているから、繰り返し、「正しい発音が習得できない」という問題が起こってくるのです。

私はスピーキングのテストをするのが悪いといっているわけではありません。  テストをするなら、学校で、スピーキングの基礎(正しい発音)をきちんとすべての生徒に教えてください、練習するための音声モデルも与えてください、と言っているのです。  それをしないで、(つまり塾や会話学校にスピーキングの基本技術の習得を丸投げして)高校入試でスピーキングのテストをすることが問題だといっているのです。

英語教育において、「正しい発音の習得」は基本中の基本です。  と同時に、「日本人の英語が通じない」という問題を解決するのに、最も重要なことです。であれば、生徒に正しい発音を身に着けさせることは、文部科学省の最重要課題であるはずです。  正しい発音を習得させない英語教育などあり得ないのです。  文部科学省は、税金で仕事をしているのですから、基本スキルくらい学校教育で教えるよう体制を整えてください。  学校教育で教えるべきことを安易に塾や会話学校に丸投げしないでください。
文部科学省が仕事を丸投げすれば、13歳から15歳という義務教育期間中の子供が、親の収入のために教育内容で差別を受けることになります。  経済的に余裕のある家庭の子供は、13歳から15歳の間に発音を学ぶことが出来て、経済的に余裕のない家庭の子供は義務教育期間中に正しい発音を身に着けられなくなります。  これは、義務教育の理念に反するのではないですか。

以上の理由で、公立高校の入試にスピーキングのテストを導入するのはもう少し待っていただきたいと思います。  文部科学省が、中学校で、スピーキングの基本的な技術(正しい発音)を生徒に習得させる教育を行うまで待っていただきたいと思います。  練習するための音声モデルも生徒に与えないで入試でスピーキングのテストをするのは、子供に対する不当な差別を生み出します。  都道府県が、公立高校の入試にスピーキングテストを導入するのは、文部科学省の対応を待ってからにしていただきたいと思います。

こういう深刻な問題を引き起こしますので、中学時代に正しい発音を習得していない人(つまり中学時代に3技能しか習得していない人)は、今後英語教育に口を出さないでください。  今まで「英語で授業」だとか、今回の4技能だとか、問題ばかり起こしているからです。  こちらのブログを見ると、この4技能を提唱している英語教師が「英語で授業」も文部科学省に持ち込んだことが分かります。

文部科学省も、いつまでも中学時代に3技能しか習得していない教師に頼らないで、自分達の仕事は自分達で勉強して、方針を決められたらどうですか。  学校教育は私たちの税金で行われているのですから、英語の基本的なスキル(正しい発音)の習得は、学校教育で行うのが正しいやり方です。  義務教育できちんと教えてください。  安易な丸投げはやめてください。  15歳で、親の収入によって、差別を受けるのでは、子供たちがあまりにもかわいそうです。 



高校入試でスピーキングのテストが導入されれば、全国規模で、15歳からの差別が始まり、格差社会がさらに加速します。
格差社会は、若者に閉塞感(へいそくかん)をもたらし、閉塞感は若者たちに負のエネルギーを蓄積させます。  行き場なく蓄積された若者の負のエネルギーは常にはけ口を求めて社会の不安定要素となり日本の将来に影を落とします。  

文部科学省はすべての中学一年生に音声のモデルを与えて、将来、国際社会で活躍できるチャンスをすべての生徒に与えてください。  子供たちが希望を持てる社会は必ず発展します。

それに対して、抑圧された若者の負のエネルギーは、社会に対する無差別な怒りに変わる場合もあります。  英語教育改革などと言いながら、差別を生むような英語教育は決して子供のためにも、国のためにもならないと思います。

同じ教室で学びながら隣の席の子は正しい発音が習いに行けて、自分は習いに行けない。  高校入試も不利になる。  このような状況は作り出してはならないと思います。  幼い心に、差別や格差がしみこみます。  13歳から子供たちは「自分は何かをあきらめなければならない人間なのだ」と知るようになります。  これでは英語を好きになれというほうが無理でしょう。  英語の時間はまさに幼い心が差別を実感する時間に変わります。  こんな状況は決して、日本の義務教育に作り出してはならないと思います。  私たちの税金で行われている義務教育は当然、平等であるべきです。  そこに差別を持ち込んで、納税者の理解が得られると思っているのでしょうか。  「自分のうちは、お金がないんだから、勉強できなくてもしょうがない。」 毎日、そんなことを子供に思わせるのですか。  お金がない家の子でも勉強できるのが義務教育でしょう。  教室で子供たちに差別を実感させるくらいなら、英語教育改革などやめたほうがいいです。  子供の心を傷つけ、希望を失わせて、日本の国力が上がるわけないです。  学校で差別をして、子供が生き生きと勉強できるわけがないでしょう。  子供が生き生きと勉強出来ない国に、明るい未来はありません。  文部科学省は教育行政をつかさどる役所なのに、義務教育に差別を持ち込むのですか。  塾や会話学校に自分の仕事を丸投げして、義務教育に差別を持ち込むのですか。

高校入試、大学入試を問わず、現状での、スピーキングテストの導入は、子供たちに対する、教育の差別を生み出します。



今日のブログについて、英語教育の専門家の中に不快感を感じる方がいらっしゃるということは承知しております。  けれども15歳で、親の収入によって、子供の進路を差別するような学校教育は、決して、大人はしてはならない、と私は思っております。  子供は、自分で自分を守ることはできません。  大人が守らなければならないと思っておりますので、書かせていただきました。


ここから先は、いつも書いていることです。
最初のパートは、今も全国の高校生に、全く効果のない「英語で授業」という被害を与え続けている石渡誠氏の詐欺指導法について書いてあります。  
次のパートは、「英語耳」の松澤喜好氏にランキングの妨害をやめてもらうお願いをしています。  事実関係ブログ「7年前の出来事(隠ぺい工作までして10年間も「著者が盗作を豪語する本」を売り続ける悪質出版社、KADOKAWA/アスキーメディアワークス)」に書いてあります。



* * *

7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。

* 私の子供たちが全文和訳をして宿題をやっていた理由 *

石渡誠氏の2017年1月23日のブログに書かれていた「無料学習法プログラム レッスン1 英語脳の構築法」のビデオを見せていただきました。(こちらで見せていただきました。)  

石渡誠氏は学習者にまず、インプットではなく、アウトプットをすることを勧めています。  つまり、英文を声に出して言うことを勧めています。  私はこれがよく理解できませんでした。

学習者が「英文を声に出して言える」ということは、すでにその英文のインプットが終わっているということです。  英語のinput という単語の意味は「入力する」とか、「投入する」という意味です。 つまり「入れる」ということです。  学習者が「その英文を声に出して言える」状態であれば、すでにその英文のインプットが終わっているという意味です。  石渡誠氏は英語のinputという単語の意味を間違って理解しています。  英語のinputという単語には、「苦行のように勉強する」というような意味はありません。  

もし、アメリカの学校で、「外国語習得におけるinput と output の関係をのべなさい」 という宿題が出て、石渡氏のように、「アウトプットをするとインプットが出来る」と書いたら、先生は、この生徒はinput の意味を正しく理解していない、と思うでしょうし、input と output の関係を正しく理解していない、と判断するでしょう。  そうするとせっかく宿題をやって提出しても、宿題の評価がAでも、Bでも、Cでも、Dでもなく、F(Failure 落第点)になってしまうのです。  input という一つの単語の意味を正確に把握しなかったために、せっかくやった宿題の評価がF(Failure 落第点)になってしまうのです。  だから私の子供たちは、宿題をするときに、単語も文も自分が分かる日本語に訳して、細部まで正確に理解してやっていたのです。

宿題というのは、何かを読んで、理解すればおしまい。というものはほとんどなく、それを読んだ後、先生のプリントの質問に答えたり、図解して説明したり、何らかの作業をしなければなりません。  その時、最初の英文を間違って理解していると、せっかくやった宿題がみんな無駄になってしまうのです。  あるいは、やりながら、「この先の作業がよくわからない」という問題にぶつかります。  ですから、子供たちは宿題をするときは、英単語も英文も自分が分かる日本語に訳して、正確に理解してからやっていたのです。

仕事や学問で英語を使おうと思ったら、英語の意味は正確に理解することが必要です。  初級、中級の段階で、正確に英語の意味を理解するから、上級になったとき、英語のまま理解しても何の問題も起こらないのです。  どんなに英語をペラペラしゃべっているように見えても、意味が間違っていたら、高い英語力は持てません。  だから初級、中級の間は母国語に訳して正確に理解するのです。

石渡誠氏がこのビデオ「無料学習法プログラム レッスン1 英語脳の構築法」の後半で、言いたいのは、「何回も声に出して英文を言えば覚える」ということでしょう。  そんなことは英語学習者はみんな知っています。  昔からみんなやっています。  それが「英語脳の構築法」だったら、今頃日本人はみんな英語脳を持っていたはずです。  そうではなくて英語脳は大量のインプットによって出来上がります。

石渡誠氏は松本亨氏の言うことをどうしても正当化したいのでしょうが、「アウトプットが先でインプットが後だ」とか、あまり強引な理屈は、どうかと思います。  松本亨氏の言うことを正当化するためなら、英語教育において事実として確立されている方法(インプットとアウトプットの関係)も違うというわけですから、無理があります。  松本亨氏の方法を正当化するためなら、事実もねじ曲げるということは、松本亨氏の方法は、事実を捻じ曲げなければ、正しいと証明もできない方法だということです。  つまり、もともと間違っているということです。



松本亨氏の方法は、「英語で考える指導法」というよりは、「英語でしゃべる指導法」とおっしゃったほうが良いのではないですか。  初級者や中級者は自分の言いたいことを和文英訳してしゃべるしかないのですから。(こちらのブログに説明してあります)

けれども「自分の言いたいことを英語でしゃべる指導法」も問題がないわけではありません。  松本亨氏の学校の理事長先生は「校内日本語禁止は松本先生が達成された素晴らしいことです」とおっしゃっていましたが、最初に2年くらいかけて、正しい発音を定着させてから行わないと、生徒は日本語発音のまま話すことになります。  自分の言いたい文章を正しい発音で言えるようになるには、2年間くらい音声モデルのある文で徹底して発音練習しないとできるようにならないのです。  「ワタービッグトゥリー」の発音のひどさは今でも忘れられません。  これでは日本人の英語が通じないという問題は解決できません。  やはり松本亨氏の指導法は机上の空論でした。

英語で考えるようにもなりませんし、単語の意味は正しく習得できませんし、発音は日本語発音になりますし、松本亨氏の指導法は机上の空論でした。

そして、この「机上の空論 − 英語で考える詐欺指導法」を提唱する人々によって、持ち込まれたのが、文部科学省の方針「英語で授業」です。  高校では2013年からもう5年も行われています。  私は2013年からずっとこの方法は効果がない、と言い続けています。  効果がないだけでなく、「日本語発音になる」「生徒の理解が不十分になる」など様々な害悪があります。  なのに、2017年3月31日に公示された中学校の新学習指導要領でも、「英語の授業は英語で行う」と記されています。(こちらのブログに書いてあります)  英語習得について何も知らない文部科学省が「英語で考える詐欺指導法」に騙されて、日本の英語教育の方針を決めているのですから、日本人の英語力が上がるはずはないでしょう。  文部科学省にアドバイスしている「英語教育の専門家(?)」も「机上の空論 − 英語で考える詐欺指導法」に騙されて、高校の先生方の強い反対を押し切って、5年も「英語で授業」をやらせているのですから、生徒の英語力が上がるはずはないでしょう。

* * *

私は随分長い間、アマゾンの自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  その外国人の方の言った通りになるのかどうか知りませんが、少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも18年前、このことの結末がどうなるのか聞かされていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。  

松澤さんは、2016年7月からずっと私の本のランキングを妨害をしていますから、もう1年7か月も犯罪行為を繰り返しているわけです。 

もう妨害はやめてください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、著者が自分のホームページで、盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。  いくら著作権法に「アイデアに対する規定」がなくても、他人のアイデアを盗って書いたのなら、盗作は盗作でしょう。 「著者自身がその実技が出来ない」ということ自体「盗作」の何よりの証拠です。(詳細はこちらです。) 

2008年、読者から盗作だと批判を受けて、「英語耳ボイトレ」と本の題名を変えた時、KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、「本当に声楽と英語の発声法の類似点を言ってきた一個人」を葬(ほうむ)ってしまえば、松澤氏の盗作の事実など、誰も知ることはなくなると思って、読者からの批判を徹底的に無視して、「英語耳ボイトレ」を売り続けたのでしょう。  本の題名も、表紙も松澤氏の前作と同じにすれば、読者に本当のことを知られることなく、一個人など簡単に葬れると判断したのでしょう。 

今、松澤喜好氏がアマゾンの私の本のランキングを下げ続けているのは、あの時のKADOKAWA/アスキーメディアワークスと同じ論理ですね。  川合典子を葬(ほうむ)ってしまえば、自分の盗作の事実はなくなって、前のようにベストセラーの著者として、人々からもてはやされる、そう思っているからでしょう。

だから2年近くも毎日のように、私の本のランキングを下げ続けるのでしょう。  (2月14日には、本のランキングを前日より、20個近くも下げられていましたので、あまりにもひどいと思い、このパートを書き加えました。)  そういう意味では、出版社でありながら、商業道徳も省みず個人を葬り去ろうとしてきたKADOKAWA/アスキーメディアワークスの責任は大きいと思います。

私は、2年近くも毎日のようにランキングを下げられて、非常に理不尽な思いがします。
KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、それでも、社会で企業活動を行う会社なのですか。  個人を葬(ほうむ)り去ろうとするような企業があるなど、信じられないです。

「他人のアイデアを盗る」「隠ぺい工作をする」「個人をつぶす」「批判は徹底的に無視して一切対応はしない」  これがKADOKAWA/アスキーメディアワークスの社長の方針ですか?  随分反社会的な企業ですね。 株式会社KADOKAWAは、東証一部上場企業なのでしょう?  東京証券取引所で一部に上場されるには、企業として様々な基準をクリアーしているからでしょう。  でしたらなぜ、KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、こんなに汚いビジネスのやり方をするのですか。

相手が一個人ならどんなひどいことをしても世間に知られることはない、そう思っているからでしょう。  「世間に知られなければ、どんなひどいことをしてでも本を売る」これがKADOKAWA/アスキーメディアワークスのやり方でしょう。  KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、とてもお天道様に顔を向けて「正しい企業活動をしています」といえるような企業ではありません。  世間に知られないとわかれば、裏で、こんなに汚いビジネスのやり方をして、10年間も知らぬ存ぜぬを通してきたのですから。  読者を欺(あざむ)いて平然と本を売ってきたのですから。  そして、これから先も何事もなかったかのように平然として通していく気でしょう。  「世間に知られず、何事もなかったかのように不祥事を処理する」これが、株式会社KADOKAWAの方針でしょう。  そうすれば、「10年間、商業道徳に反する出版をして、これだけの苦痛を人に与えてきたことに対して、謝罪も何もしなくていい」そう考えたのでしょう。  株式会社KADOKAWAも「同じ穴のムジナ」ですね。  「都合の悪いことは徹底的に無視して、なんの問題も存在していないかのように装う」というやり方は、あの時のアスキーメディアワークスとそっくりです。  株式会社KADOKAWA松原眞樹社長と、あの時のアスキーメディアワークス塚田正晃社長は、対応の仕方がそっくりです。

株式会社KADOKAWAが東証一部上場企業だなんて、信じられないです。  KADOKAWA/アスキーメディアワークスがやっていることは、反社会的な企業と同じです。  だから読者から「恥を知れ」とまで言われるのでしょう。

(2018年5月、私は下のようなニュースをこちらのサイトhttps://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180509/Cyzo_201805_post_161065.html?_p=2で読みました。

「2018年4月、KADOKAWAの組織再編で、「組織名としてのアスキー・メディアワークスは消滅することになりました。さすがに伝統のある名前だけに組織名から外すのは社内でも様々な意見があったそうです。(出版業界関係者)」

私は、出版業界のことは何も知りませんので、真偽もわかりませんが、こういうニュースを読みました。
ただ、もし本当でしたら、組織変更にはそれなりの理由があるのでしょうが、10年間、アスキーメディアワークスの被害を受けてきた私にとっては、結果的には、隠ぺいと同じです。  誠意ある対応をする前に当事者がマネジメントによって、消滅させられたからです。 問題の書籍「英語耳ボイトレ」も何事もなかったかのように消滅させるのですか。  これも、松原眞樹社長の方針ですか。 相手が一個人なら、どんなにひどいことをしても世間に知られることはないと、お考えですか。)  


太字の部分の文章は2015年12月19日のブログ「7年前の出来事(隠ぺい工作までして、10年間も「著者が盗作を豪語する本」を売り続ける悪質出版社、KADOKAWA/アスキーメディアワークス)のブログの最後に転載いたしました。)

* * *

私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

* * *

ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 



* * *

英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。


松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪も損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。

私のDVDで発音練習をするときは、耳に注意を集中して音を聞いて下さい。
最初はテキストを見ながら練習していただいて結構ですが、文字に気を取られていると、実際の音よりも自分がこうだと思っている音のまま発音していることが多くあります。

私はDVDの単語の発音の練習のところで、Life や Leg のLの音をほんの一瞬ですが、日本語化しない「長さのあるL」で発音しています。  そういう音をできるだけよく聞いて、同じように言ってください。

Fight や Fin の Fの音も長さをもって発音しています。  Way や Wet の W の音も長さを保持して発音しています。  それを耳でよく聞いて同じように言ってください。

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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。

2018-01-19

グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(最終回)

昨日、グローバルな世界でやっていくための学校教育について述べました。  グローバルな社会でやっていくにはもちろん英語も必要になります。  ただ、英語教育については、小学校からやらなくてもこちらのように勉強していただければ、十分な英語コミュニケーション能力が身につきます。  この中の最終段階に行う、大量のインプットについて、今日は大学教育の関係者の方々にお願いしたいことがありましたので、それを書かせていただくことにしました。
 
アメリカイギリスの7歳から14歳くらいの生徒が読むレベルの英語の本を大学の図書館においていただけないでしょうか。  具体的に言うと、私が「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」の中に書いた、オリジナルセブンのレベルの本です。

それと、アメリカやイギリスの高校生が課題図書として読む英語の本を揃えて、大学の図書館においていただけないでしょうか。  そして、学生がそれらの本を自由に手に取って中を見て読みたい本を選んで読める環境を提供していただけないでしょうか。  大学には、「難しい、大人の読む英書」は揃えてあると思いますが、こういう初歩からの英書はおそらく置いていないと思います。  けれども、英語をスラスラ読めるようになるには、こういう初歩のレベルの本をたくさん読んで、目や頭を英語に慣らしていかなければ読めるようにはなりません。

いきなり大学の授業で使うような原書を読んでも、なかなか英語をスラスラ読めるようになりません。  (これは、私の経験から申し上げています。)

英書をスラスラ読めるようにすることは、自分の言いたいことが英語でスラスラ頭に浮かんでくるようになるために必要なことです。  大学3年生で、専門分野の英書を読んだり、英語で講義を聞く前に、こういうやさしい英書を1,2年生でたくさん読んで、頭の中で、英語がスラスラ処理できるようになっておくことが必要です。

英語のニュアンスもこういう大量の読書によってわかるようになります。

例えば、Freedom を日本語に訳さないでFreedom, Freedom と言ってもアメリカ人にとってのFreedom がどんなものかわかりませんけれど、学生が、アメリカの高校の課題図書であるジョージ・オーウェルの「Nineteen Eighty-Four」を大学の図書館で読んだとします。  

この作品を読むと全体主義の中で生きる人間の生活がどんなものかよくわかります。  個人の自由というのがどれほど人間にとって、大事なものかわかります。  自由がない生活というのは、とても「人間として生きている」とは言えないのではないか、ということを考えさせられます。  それほど、「自由」 − 身体的な自由ばかりでなく、心の中の自由、思想の自由も含めて − 「自由」は人間にとって、大事なものだということが、作品を通して、迫ってきます。

そうすると、こういう作品を高校生の段階で、読む国の人々の価値観や考え方がわかります。  高校の課題図書というのは、ある問題意識をもたせて何かを学ばせるために読ませるわけですから、その英書の世界に一定の期間、没入して大量に読んでいくと、英語を使う国の人々の価値観や社会の問題など、様々なことを知る手掛かりになります。 

大量の読書によって、英語のニュアンスも分かるようになりますし、言いたいことが英語で頭に浮かぶようにもなりますので、大学生の英語力を上げるには、大量の読書は不可欠です。  

それほど重要なのに、今までは、大量の英文読書を可能にする材料(やさしい英語の本)やそれを自分で選べる場所は、ありませんでした。  大人が読む難しい本なら、おいてありますが、日本の高校を卒業した段階でもスラスラ読めるやさしい本を学生がたくさん手に取って選べる環境はありませんでした。  ぜひ、大学の図書館で、そういう英書のコーナーを設けて学生が自由に英書を読めるようにしていただきたいと思います。  

大学生に「Magic Tree House」? などと思うかもしれませんが、いきなり難しい本で挫折して英書を読むことをあきらめてしまうより、やさしい本から読んで徐々に英語力を上げていく、という方法を取ったほうが、学生にとって無理なく英語力を高めて行けます。  その次に、英語を母国語とする国の高校生が課題図書として読む英書(例えば今例に挙げましたジョージ・オーウェルの「Nineteen Eighty-Four」や「カッコーの巣の上で」などは、アメリカの高校の先生からもらった課題図書のリストにありました。)を読んでいくと英語を母国語として使う人々の価値観や英語のニュアンスなども分かるようになります。

大量のインプットは自分の言いたいことが自然に英語で頭に浮かんでくるようになるのに不可欠です。  けれども今まで学生にそういう本を提供できる場はありませんでした。  ぜひ、大学の図書館でそういう場を学生に提供してくださるよう、お願い致します。




私は、最初の本を出版した時、一つの夢を持っていました。  

アメリカにいた時、私は娘のリーディングの課題をするために現地の図書館の小、中学生が利用する本が置いてあるコーナーをよく利用しました。  そこで、自由に、本を手に取って中を見て、面白そうな本を見つけてはよく読みました。  やさしい本は、スラスラ読めました。  物語だけでなく、理科の本や社会の本もたくさん置いてありました。  理科で習う現象や、大統領選挙の仕組みなどが、小、中学生にもよくわかるやさしい英語で書いてありました。  

辞書を引きながらやっと読んだ、大学時代のゼミの本とは全然違う読み方ができました。  まるで、日本語の本を読むように本の世界に入れました。  私のその経験が、後の大量の読書につながりました。

日本には、こういうやさしい英書を手に取って、中身を見て、好きな本を選んで読める、という環境はありません。  だから英書を読むことの重要性を言っても、難解な英書をやっと読んでいたら、その重要性もわからないのだろうと私は思いました。

それで、最初の本を出版した時、私は、もし本が売れて、お金がたまったら、英語学習者に、私がアメリカの図書館で経験したことと同じ経験ができる場を提供したい、と思いました。  小さい部屋を借りて、アメリカの図書館にあった本と同じ本を揃えて、その図書室を皆さんに開放したい、そう思いました。  本をたくさん売ることが大変なことは知っています。  でも、日本にそういう場が一つもないのですから、作って、皆さんに利用してもらいたい、と思いました。

アメリカから200冊も英語の本を持って帰ってきたのも、日本に帰って英語を教えるようになったら、こういう本を読んだことのない生徒さんにぜひ読んでもらおうと思っていたからでした。  そして、予想したとおり、読んでくれた生徒さんは、「英語の本にこんなに面白い本があるなんて初めて知りました。」とおっしゃいました。  「やっぱり、夢中になって読める本があれば、大量のインプットも、そんなに大変ではなくなる」そう思いました。  それで、ますます、私は、図書室を作って、皆さんに開放したいという思いを強く持つようになりました。

アマゾンで私の本のランキングの妨害を続ける松澤喜好氏にあんなに怒ったのも、その夢を邪魔しないでもらいたかったからです。  でも、もうそれができなくなりました。

去年私は無理をして、股関節を傷めてしまいました。  最初は、痛くて、駅までも歩いていけなくなりました。    医者に炎症を抑える薬をもらい、脚の筋肉を鍛える体操を続けて、今は夕食を作る間ぐらいは、立っていられるようになりました。  外出も、電車がすいている昼間に、手に物を持たず、キャリーバッグを引いて、駅のエレベーターを利用すれば、出来るようになりました。

けれども、無理をするとまた痛くなりますので、長い時間歩かないように気を付けています。

こういう状態では、たくさんの本を書棚に置いたり、返却された本をあちこちに運んで戻すような作業はもう自分ではできないと思いました。  なかなか、長い間の夢は、あきらめられなかったのですが、去年の暮れ、窓拭きも障子の張替えもできないまま、新しい年を迎えなければならなかったとき、「自分で、図書の管理もできないなら、図書室は、開けない」と納得しました。  残念ですけれど、仕方ありません。

今までの英語教育では、やさしい英語の本を高校教育を終えた人にたくさん読んでもらうことは、まったく考えられてきませんでした。  やさしい本なんて、大学生の読むものではないと思われていたからでしょう。  でも、いきなり難しい本から読むとほとんどの人が挫折してしまいます。  また、読むことは、話すこととは関係ないと思われてきた事もあったでしょう。  けれども、大量の英語のインプットは、英語で言いたいことがスラスラしゃべれるようになるためには絶対に必要なことです。  これについては2013年6月3日のブログを読んでいただければわかります。  

いわゆる英語脳も大量のインプットによって出来上がります。  少なくとも「英語脳」というくらいですから、英語の言語体系ができるくらい大量のインプットが必要なのです。  そして英語脳が聞くことと話すことだけでは出来ないのは、「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただければわかります。  (読まなくてもお分かりになる方もいらっしゃるでしょう。  夫に「言語体系というのは、話す聞く、だけではなくて、読む書くもしないと出来ないらしい」と言ったら、「当たり前だ」と言われましたから。) 

大学生の英語力を上げるために、やさしい英書と、アメリカやイギリスで高校生が課題図書として読む英書をぜひ、大学の図書館に揃えていただきたいと思います。  学生が好きな英書を自由に手に取って選んで読める環境をぜひ大学生に提供していただきたいと思います。   一定の期間、英書に没入して読むことによって 英語を母国語とする人々の考え方や社会の価値観を吸収してもらうことは、英語力の向上に非常に役に立ちます。  多読をすれば、必ず、大学生の英語力は上がります。   

国を挙げて、子供たちの英語力向上に取り組んでいるのですから、そのための環境を整えることも、プランの中に入れていただきたいと思います。

この後は、いつも書いていることですが、今回は、
(1)次の石渡誠氏のパートに「私の子供たちが全文和訳をして宿題をやっていた理由」という文章が付け加えてあります。(2月に太字で書き加えた文章があります。)  
(2)2番目の松澤氏のパートの最後にKADOKAWA/アスキーメディアワークスについて付け加えた文章があります。(2月に太字で書き加えた文章があります。)
(3)最後の「発音練習について」という項目の最後に付け加えた文章があります。

* * *

7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。

* 私の子供たちが全文和訳をして宿題をやっていた理由 *

石渡誠氏の2017年1月23日のブログに書かれていた「無料学習法プログラム レッスン1 英語脳の構築法」のビデオを見せていただきました。(こちらで見せていただきました。)  

石渡誠氏は学習者にまず、インプットではなく、アウトプットをすることを勧めています。  つまり、英文を声に出して言うことを勧めています。  私はこれがよく理解できませんでした。

学習者が「英文を声に出して言える」ということは、すでにその英文のインプットが終わっているということです。  英語のinput という単語の意味は「入力する」とか、「投入する」という意味です。 つまり「入れる」ということです。  学習者が「その英文を声に出して言える」状態であれば、すでにその英文のインプットが終わっているという意味です。  石渡誠氏は英語のinputという単語の意味を間違って理解しています。  英語のinputという単語には、「苦行のように勉強する」というような意味はありません。  

もし、アメリカの学校で、「外国語習得におけるinput と output の関係をのべなさい」 という宿題が出て、石渡氏のように、「アウトプットをするとインプットが出来る」と書いたら、先生は、この生徒はinput の意味を正しく理解していない、と思うでしょうし、input と output の関係を正しく理解していない、と判断するでしょう。  そうするとせっかく宿題をやって提出しても、宿題の評価がAでも、Bでも、Cでも、Dでもなく、F(Failure 落第点)になってしまうのです。  input という一つの単語の意味を正確に把握しなかったために、せっかくやった宿題の評価がF(Failure 落第点)になってしまうのです。  だから私の子供たちは、宿題をするときに、単語も文も自分が分かる日本語に訳して、細部まで正確に理解してやっていたのです。

宿題というのは、何かを読んで、理解すればおしまい。というものはほとんどなく、それを読んだ後、先生のプリントの質問に答えたり、図解して説明したり、何らかの作業をしなければなりません。  その時、最初の英文を間違って理解していると、せっかくやった宿題がみんな無駄になってしまうのです。  あるいは、やりながら、「この先の作業がよくわからない」という問題にぶつかります。  ですから、子供たちは宿題をするときは、英単語も英文も自分が分かる日本語に訳して、正確に理解してからやっていたのです。

仕事や学問で英語を使おうと思ったら、英語の意味は正確に理解することが必要です。  初級、中級の段階で、正確に英語の意味を理解するから、上級になったとき、英語のまま理解しても何の問題も起こらないのです。  どんなに英語をペラペラしゃべっているように見えても、意味が間違っていたら、高い英語力は持てません。  だから初級、中級の間は母国語に訳して正確に理解するのです。

石渡誠氏がこのビデオ「無料学習法プログラム レッスン1 英語脳の構築法」の後半で、言いたいのは、「何回も声に出して英文を言えば覚える」ということでしょう。  そんなことは英語学習者はみんな知っています。  昔からみんなやっています。  それが「英語脳の構築法」だったら、今頃日本人はみんな英語脳を持っていたはずです。  そうではなくて英語脳は大量のインプットによって出来上がります。

石渡誠氏は松本亨氏の言うことをどうしても正当化したいのでしょうが、「アウトプットが先でインプットが後だ」とか、あまり強引な理屈は、どうかと思います。  松本亨氏の言うことを正当化するためなら、英語教育において事実として確立されている方法(インプットとアウトプットの関係)も違うというわけですから、無理があります。  松本亨氏の方法を正当化するためなら、事実もねじ曲げるということは、松本亨氏の方法は、事実を捻じ曲げなければ、正しいと証明もできない方法だということです。  つまり、もともと間違っているということです。



松本亨氏の方法は、「英語で考える指導法」というよりは、「英語でしゃべる指導法」とおっしゃったほうが良いのではないですか。  初級者や中級者は自分の言いたいことを和文英訳してしゃべるしかないのですから。(こちらのブログに説明してあります)

けれども「自分の言いたいことを英語でしゃべる指導法」も問題がないわけではありません。  松本亨氏の学校の理事長先生は「校内日本語禁止は松本先生が達成された素晴らしいことです」とおっしゃっていましたが、最初に2年くらいかけて、正しい発音を定着させてから行わないと、生徒は日本語発音のまま話すことになります。  自分の言いたい文章を正しい発音で言えるようになるには、2年間くらい音声モデルのある文で徹底して発音練習しないとできるようにならないのです。  「ワタービッグトゥリー」の発音のひどさは今でも忘れられません。  これでは日本人の英語が通じないという問題は解決できません。  やはり松本亨氏の指導法は机上の空論でした。

英語で考えるようにもなりませんし、単語の意味は正しく習得できませんし、発音は日本語発音になりますし、松本亨氏の指導法は机上の空論でした。

そして、この「机上の空論 − 英語で考える詐欺指導法」を提唱する人々によって、持ち込まれたのが、文部科学省の方針「英語で授業」です。  高校では2013年からもう5年も行われています。  私は2013年からずっとこの方法は効果がない、と言い続けています。  効果がないだけでなく、「日本語発音になる」「生徒の理解が不十分になる」など様々な害悪があります。  なのに、2017年3月31日に公示された中学校の新学習指導要領でも、「英語の授業は英語で行う」と記されています。(こちらのブログに書いてあります)  英語習得について何も知らない文部科学省が「英語で考える詐欺指導法」に騙されて、日本の英語教育の方針を決めているのですから、日本人の英語力が上がるはずはないでしょう。  文部科学省にアドバイスしている「英語教育の専門家(?)」も「机上の空論 − 英語で考える詐欺指導法」に騙されて、高校の先生方の強い反対を押し切って、5年も「英語で授業」をやらせているのですから、生徒の英語力が上がるはずはないでしょう。

* * *

私は随分長い間、アマゾンの自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。   

もう妨害はやめてください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、著者が自分のホームページで、盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。  いくら著作権法に「アイデアに対する規定」がなくても、他人のアイデアを盗って書いたのなら、盗作は盗作でしょう。 「著者自身がその実技が出来ない」ということ自体「盗作」の何よりの証拠です。  だから松澤氏も、「松澤は盗作!というのはすごーい!」と自分のホームページに書いたのでしょう。  
(詳細はこちらです。) 


2008年、読者から盗作だと批判を受けて、「英語耳ボイトレ」と本の題名を変えた時、KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、「本当に声楽と英語の発声法の類似点を言ってきた一個人」を葬(ほうむ)ってしまえば、松澤氏の盗作の事実など、誰も知ることはなくなると思って、読者からの批判を徹底的に無視して、「英語耳ボイトレ」を売り続けたのでしょう。  本の題名も、表紙も松澤氏の前作と同じにすれば、読者に本当のことを知られることなく、一個人など簡単に葬れると判断したのでしょう。 

今、松澤喜好氏がアマゾンの私の本のランキングを下げ続けているのは、あの時のKADOKAWA/アスキーメディアワークスと同じ論理ですね。  川合典子を葬(ほうむ)ってしまえば、自分の盗作の事実はなくなって、前のようにベストセラーの著者として、人々からもてはやされる、そう思っているからでしょう。

だから2年近くも毎日のように、私の本のランキングを下げ続けるのでしょう。  (2月14日には、本のランキングを前日より、20個近くも下げられていましたので、あまりにもひどいと思い、このパートを書き加えました。)  そういう意味では、出版社でありながら、商業道徳も省みず個人を葬り去ろうとしてきたKADOKAWA/アスキーメディアワークスの責任は大きいと思います。

私は、2年近くも毎日のようにランキングを下げられて、非常に理不尽な思いがします。
KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、それでも、社会で企業活動を行う会社なのですか。  個人を葬(ほうむ)り去ろうとするような企業があるなど、信じられないです。

「他人のアイデアを盗る」「隠ぺい工作をする」「個人をつぶす」「批判は徹底的に無視して一切対応はしない」  これがKADOKAWA/アスキーメディアワークスの社長の方針ですか?  随分反社会的な企業ですね。 株式会社KADOKAWAは、東証一部上場企業なのでしょう?  東京証券取引所で一部に上場されるには、企業として様々な基準をクリアーしているからでしょう。  でしたらなぜ、KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、こんなに汚いビジネスのやり方をするのですか。

相手が一個人ならどんなひどいことをしても世間に知られることはない、そう思っているからでしょう。  「世間に知られなければ、どんなひどいことをしてでも本を売る」これがKADOKAWA/アスキーメディアワークスのやり方でしょう。   KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、とてもお天道様に顔を向けて「正しい企業活動をしています」といえるような企業ではありません。  世間に知られないとわかれば、裏で、こんなに汚いビジネスのやり方をして、10年間も知らぬ存ぜぬを通してきたのですから。  読者を欺(あざむ)いて平然と本を売ってきたのですから。  そして、これから先も何事もなかったかのように平然として通していく気でしょう。  「世間に知られず、何事もなかったかのように不祥事を処理する」これが、株式会社KADOKAWAの方針でしょう。  そうすれば、「10年間、商業道徳に反する出版をして、これだけの苦痛を人に与えてきたことに対して、謝罪も何もしなくていい」そう考えたのでしょう。  株式会社KADOKAWAも「同じ穴のムジナ」ですね。  「都合の悪いことは徹底的に無視して、なんの問題も存在していないかのように装う」というやり方は、あの時のアスキーメディアワークスとそっくりです。  株式会社KADOKAWA松原眞樹社長と、あの時のアスキーメディアワークス塚田正晃社長は、対応の仕方がそっくりです。

株式会社KADOKAWAが東証一部上場企業だなんて、信じられないです。  KADOKAWA/アスキーメディアワークスがやっていることは、反社会的な企業と同じです。 だから読者から「恥を知れ」とまで言われるのでしょう。

(2018年5月、私は下のようなニュースをこちらのサイトhttps://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20180509/Cyzo_201805_post_161065.html?_p=2で読みました。

「2018年4月、KADOKAWAの組織再編で、「組織名としてのアスキー・メディアワークスは消滅することになりました。さすがに伝統のある名前だけに組織名から外すのは社内でも様々な意見があったそうです。(出版業界関係者)」

私は、出版業界のことは何も知りませんので、真偽もわかりませんが、こういうニュースを読みました。  
ただ、もし本当でしたら、組織変更にはそれなりの理由があるのでしょうが、10年間、アスキーメディアワークスの被害を受けてきた私にとっては、結果的には、隠ぺいと同じです。  誠意ある対応をする前に当事者がマネジメントによって、消滅させられたからです。  問題の書籍「英語耳ボイトレ」も何事もなかったかのように消滅させるのですか。  これも松原眞樹社長の方針ですか。  相手が一個人なら、どんなにひどいことをしても世間に知られることはない、とお考えですか。)  
  

太字の部分の文章は2015年12月19日のブログ「7年前の出来事(隠ぺい工作までして、10年間も「著者が盗作を豪語する本」を売り続ける悪質出版社、KADOKAWA/アスキーメディアワークス)のブログの最後に転載いたしました。)

* * *

私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

* * *

ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 



* * *

英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。


松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪も損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。

私のDVDで発音練習をするときは、耳に注意を集中して音を聞いて下さい。
最初はテキストを見ながら練習していただいて結構ですが、文字に気を取られていると、実際の音よりも自分がこうだと思っている音のまま発音していることが多くあります。

私はDVDの単語の発音の練習のところで、Life や Leg のLの音をほんの一瞬ですが、日本語化しない「長さのあるL」で発音しています。  そういう音をできるだけよく聞いて、同じように言ってください。

Fight や Fin の Fの音も長さをもって発音しています。  Way や Wet の W の音も長さを保持して発音しています。  それを耳でよく聞いて同じように言ってください。

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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。

2018-01-18

グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(2)

私は2年位前からアメリカの高校の先生にお願いしてアメリカで生徒が書かされるエッセイ(小論文)の形式を一つずつ、実際に書いて教えていただいています。  (今は家の都合で、書く時間が取れずに中断していますが)

先生がくれた資料によると、エッセイ(小論文)には大きく分けて4つのタイプがあります。

1.Narrative essays
2.Descriptive essays
3.Expository essays
4.Argumentative (Persuasive) essays

私がこの4つのタイプの中で注目したのは、4.Argumentative (Persuasive) essays でした。  日本語で言うと、人を説得するタイプのエッセイです。  (昨日の江戸幕府の例はこのタイプのエッセイになります。)  よく例に出されるのが、「日本は海外援助を増やすべきだ」などのテーマで、自分の意見を述べるエッセイです。  賛成でも反対でも、その選択自体はどちらでもよく、その自分の意見に他の人も納得できるような理由を提示して、その理由を裏付ける事実や例をあげて、自説を展開していくタイプのエッセイです。 

このタイプのエッセイには正解がどちらか、というようなことはなく、自分がそう思う理由と、その理由を裏付ける事実や例が、読み手に取って、十分納得のいくものであれば、高い評価を得られます。

ですから、どれだけ人が納得できる理由や事実を選んでエッセイに入れるか、ということが生徒の能力として重要になってくるわけです。 


私は、アメリカで、先生からこのタイプのエッセイの書き方を習ったとき、日本の生徒たちがこういう訓練を小さいときから受けないのは、これからの時代、かなりのハンディキャップになる、と感じました。  なぜなら、このエッセイを書くときに考える、「理由」や「例や事実」の選び方によっては、他人の意見や判断に、強い影響力を行使できるからです。

国際社会で、価値観の違う国々が集まって何かを決めていくとき、相手が何を重要と考え、どういうことに影響されるかを知って、それを納得させられる理由を前面に出して、話し合いに当たれば、自分の望む方向で、相手も納得してくれる可能性が高いです。

こういうスキルを小さいころから訓練している人々と、比べると、日本の子供たちは、全く何も訓練されていないのですから、非常に不利だと思いました。  

しかもそういう人たちは、小さいころから、人前で自分の意見を言う、という訓練も受けていますから、自信をもって言うことが出来ます。  こういうことも場数を踏んでいない日本の子供たちは、不利になると思いました。


人間は事実や出来事を全部、同じように認識しているつもりでも、その中から、どういう事実をピックアップするかで、相手に与えるインパクトが違ってきます。  そういうことを小学校高学年くらいから訓練を受けて知っている、というのは、他人の考えに影響を与える方法を知っているという点で、有利だと思いました。  具体的には、4年生くらいから、やさしい課題で、自分の意見を書いて、その理由と理由を裏付けする事実や例を挙げて、説明する練習をします。  課題は年齢が上がるに従い高度になりますが、大学生まで、この形式は変わりませんので、大人になれば、そういう論理の組み立て方、説得する力のある事実の選び方などは、上手になるでしょう。


日本では、今までは、知識を暗記することが主な教育でしたけれど、これだけコンピュータが普及し、インターネットも使えるようになったら、知識を覚える教育は、ある程度にして、知識をどう使うか、その先の能力を鍛える教育をしていかないと、子供たちのこれからの社会をいきる力が育てられないと思います。 

身に着けた知識を踏まえて、何を目的として、どう考え、どう表現して自分以外の人々の協力を結集していけるか、そういう力を育てる教育をしていかないと、これからのグローバルな社会でやっていけない、と思います。

知識を覚えるだけの教育は、子供たちの力の半分しか使っていない、私はそう思いました。  現在、国際社会で働いている方々は、個人の経験と努力で、一生懸命そういう状況に対処していらっしゃると思いますが、これからは、そういうことを教育の場で、訓練していくことは大事だと思います。

大学生になって、「論理的に考える」とかプレゼンテーションディスカッションをしろと言っても、そういうことは、小さいときから学校教育の場で、訓練していかないとできるようには成りません。  よくディベートのことが言われますが、ディベートもいきなりするわけではなく、こうやって、自分の考えを論理的に組み立てて書くエッセイの練習をして、先生の指導のもとに基本的なスキルを体得しながら、並行してディベートもするようになっていくのだということを今回子供たちのやっている課題を見て分かりました。  いきなり、ディべートをするわけではありません。



グローバルな世界に対応する教育というと英語のことばかり言いますけれど、英語については中学校でこちらのような学習をしてもらえば身につきます。  中学3年間で身につくものを小学校、中学校合わせて7年間もかけなくていいと思います。

一方、発表(プレゼンテーション)をする練習や論理的に考える、他人にわかりやすく書く練習をするのは、小学校からやっていかなければ、出来るようになりません。  特に人前で意見を言う練習(プレゼンテーションの練習)は小学校一年生からやらなければ、子供たちは絶対に変わらないでしょう。(こちらのブログ

私はグローバルな社会でやっていける子供たちを育てるために、小学校で教えるのは、この2つだと思います。  今まで、子供たちは、そういう指導を学校で受けることはありませんでした。  それでは、何の訓練も受けずに、異文化の世界に出ていくようなものです。  小学校では、文化の違う国を理解する授業も始まっていますが、「理解する」だけでなくそこに発信するにはどういう点に注意して発信を行えば効果的な発信ができるか、その練習はまだ、本格的に行われていないでしょう。  理解しているだけではなく、効果的に発信する方法を教え、訓練する必要があります。

こんなにコンピュータが普及して子供たちでもインターネットも使える時代なのですから、「どうすれば必要なことについて調べられるか」を知っていれば、知識だけを増やすことを、そんなに高い目標にしなくてもいいと思います。

グローバルな時代を生きる彼らに役立つ能力を育てるには、学んだ知識をどう使って、自分が「こうしたい」と思う方向で、どうやって多くの人々の協力を得られるか、そういう方法を教えて訓練していくことだと思います。



そして、世界の国々の中には、すでにその能力を小学生の時から鍛えている国があるという現実があります。  日本の教育は新しい時代に合わせて変えるべきだ、と誰もが思っています。  私たち、親の世代がなき後の世界を生きていく子供たちに今、大人ができるのは、そういう社会で、生きていける能力を教育で子供たちに育てていくことだと思います。  今まで開発されることのなかった、子供たちの中にある、もう半分の能力を引き出して育てていくことだと思います。  知識を身につけるだけでなく、身につけた知識をどう使って、自分達の実現したいことを現実にしていくか、そういうすべを身につける教育が必要です。

堂々と意見を述べている人は、「自信があって正しい」という印象を与えます。(こちらのブログを参照してください)内容が論理的ならば、その印象はさらに強くなります。  世界の国々の中で、そういうことを小学校から訓練している国があることを考えると、日本は、グローバル化に対応した学校教育として、英語で「ゲーム」だとか「歌」だとか、チイチイパッパみたいな英語教育を小学校でやっている場合ではないと、私は、思います。  (小学校から英語を勉強しても、子供の英語は、自動的に大人の英語にはならないのです。(こちらのブログに書いてあります) 成長していく年齢に応じた英語を使えるようにするには、大人になるまで、それぞれの年齢で英語を勉強していかなければなりません。)

そういう国では、論理的な思考力をつけるために、上に書きました説得的な文章だけでなく、その基礎になる説明的な文章を書く練習も小学生から始めています。
例えば、2つの物事を「比較」して説明する文章や、「原因と結果」を説明する文章などの書き方の基礎を小学校4年生くらいから学びます。  「比較」や「原因と結果」を明確にとらえる練習をすることが、説得的な文章の論理性をさらに増すことができるからでしょう。  小学校で英語をするより、プレゼンテーションの練習や、論理的に説明する文章の基礎を学ぶほうがずっと、グローバル化に対応した教育ができると思います。  何度も言いますが、英語については、こちらのように中学校で勉強していただけば、15歳のレベルで、完璧な英語コミュニケーション能力が付きます。  中学3年間で身につくものを小学校から7年もやらなくていいと思います。 

(続く)

* * *

この後は、いつも書いていることです。

* * *

7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。

* * *

私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。    

もう妨害はやめてください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。)

* * *
私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

* * *

ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 



* * *

英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。


松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。



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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。

2018-01-17

グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(1)

私はこちらのブログで、グローバルな世界でやっていける子供たちを育てるには答えが一つしかない教育では出来ないと述べました。  答えが一つだけの教育というのは知識を教えること、暗記することが最終的な目標になる教育です。

では、答えが一つではない教育というのはどういうものかというと学んだ知識を基に考え、自分なりの結論を出し、その考え方や結論を相手に分かりやすく提示していく能力をつけていく教育です。

例えば日本史の授業で、江戸時代について学んだとします。  従来の教育では江戸時代の出来事について学んで暗記をします。  そこで勉強は終わります。  そうではなくて学んだことを踏まえたうえで、自分で考える課題を与えていきます。  例えば、

徳川幕府が265年という長期にわたって安定して存続できたのはなぜだと思いますか。  その理由を考え、具体的な出来事や例を挙げて説明しなさい。」

こういう課題があったとします。

生徒Aは、この課題を考えて、「徳川幕府が265年も続いたのは財政が窮迫するたびに幕府が改革を行ったからだ」と考え、江戸の3大改革を具体例として挙げて説明します。

生徒Bは、「徳川幕府が265年も続いた理由は幕府の制度の中にあった。  他の大名が強大になることを防ぐ仕組みがあったからだ」と考え、その例として、参勤交代の制度を上げて、説明します。  外様大名が参勤交代によって、莫大な費用を使わされたことが、幕府の反対勢力が強大になることを防いでいた、と説明します。

生徒Cは、「鎖国をしていたから徳川幕府は長期にわたって安定した統治を維持できた」と考えるかもしれませんし、生徒Dは、「武士道という忠誠心を育てる教育によって、「主は主足らずとも臣は臣たるべし」と教え込み、いかなる理由があっても現在の秩序を維持することが最も大事だと、武士に教え込んでいたから」と述べるかもしれません。

先生は日本史を踏まえて、生徒の意見とそれを裏付ける事実や例が適切であれば、高い評価を与えます。

この過程で生徒は、次の5つの作業をします。

(1).江戸時代の出来事を復習する
(2).なぜ徳川幕府が長期にわたって存続したか考え、自分の結論を出す。
(3).自分が考えた理由の根拠となった事実や例(江戸時代の出来事)から、読む人も納得できるものを選ぶ。
(4).読む人にわかりやすく、理由とその根拠となった例や事実を組み合わせて文章の構成を考える。 
(5).エッセイ(小論文)を書く。


従来の勉強ですと、(1).で勉強は終わりますけれど、ここでは(2).(3).(4).(5)と新たに「自分が考える」という作業が入ってきます。  また自分自身の中で考えをまとめる作業と、自分の意見を読む人に分かりやすく表現する、という他人の視点から考える訓練も入ってきます。

これが国際化、グローバルな社会でやっていける能力を育てる訓練になります。

この課題の答えは一つではありません。  教師は生徒の意見が史実に基づき、論理的に矛盾がなく、納得できるものであれば、高い評価をします。

つまり、生徒がどれだけ説得力のある理由を考えるか、自分の考えを裏付ける力のある事実や例を選ぶことができるかによって、評価が変わって来るということです。  それが、考えたり、必要な具体例や事実を選ぶ能力を訓練することになります。

これは日本史の例ですが、国語ならこういう問題もできるでしょう。

夏目漱石の「こころ」を勉強した後に、「もし、先生が自殺をせずに、生きていくとしたら、自分が犯したと思っている罪とどう向き合って生きて行ったらよいですか?  先生が自殺をしなかったと仮定して、「こころ」の続編を書きなさい」

自分が人を死に追いやってしまったと思っている場合、生きていくのは、相当つらいと思いますが、それでも、生きていくにはどうしたらよいか、生徒は考えて、続編を書くことになります。

漱石ファンからは、「それでは漱石ではなくなってしまう、と不満が出るかもしれませんが、若い人には悩みにぶつかったときに「生きる」という観点から考えてほしいと思いましたので、こういう課題を考えてみました。

この課題も答えは一つではありません。  本当に生きていく支えとなるものを生徒がそれぞれ考えて主人公に持たせなければなりません。  そして、実際に、書くときには、先生の性格を読み取っていないと、後半のストーリーは書けません。  

理科のテストについては、何年か前に、こういう話を聞きました。

娘の高校の帰国生の保護者の方々と昼食をとったときのことでした。  イギリスの学校から来たお子さんのお母さんから聞いた話です。

「理科の問題で見たんだけれど、”発芽の条件は、水と空気と適切な温度です。  それを調べるためには、どのような実験をしたらよいか、書きなさい”というのがあったの。  きっと日本だったら、”発芽に必要な条件を3つ書きなさい”という問題で終わりだろうな、と思った」と言っていました。  

これは、答えは、みんな似たような形になると思いますが、そこに「考える」という過程があるので、意味があると思います。  「水がある場合とない場合を比べればいいけれど、そのためには、他の条件が同じでなければいけないんだな」とか、いろいろと考えることが必要になります。  これが、意味があると思います。  この課題については、Youtubeに映像で答えが載っていましたので、すでに、こういう教育はされているのかもしれませんね。  一度こういうことを自分で考えたことがあると、他に何かを調べていくときにも、応用できます。



「知識を暗記する」だけだと、生徒は、自分の能力の半分しか使っていないと思います。  知識を勉強したら、それで終わり、というのでは頭の半分しか使っていません。  学んだ知識をもとに「課題を考える」「相手にわかりやすく説明する」こういうことを訓練していくと、今まで使われていなかった、子供たちの能力を開発していくことになります。

そして、「自分で筋道を立てて考える」「相手にわかりやすく説明する」こういう能力は異文化の中で日本人が活躍していくために必要です。  なぜ、論理的に筋道を立てて考えるか、というとそのほうが、誤った道に入り込んでしまう可能性が少ない、ということのほかに、そういう説明の仕方のほうが、違うバックグラウンドを持っている人にも理解しやすいという点があるからでしょう。  今までこういう指導が日本の学校教育で行われることはほとんどありませんでしたが、これからは、学校でこの能力を鍛えることは、グローバルな世界でやっていける子供たちを育てるために必要だと思います。

課題は、先生方が「今、生徒に何を考えてほしいか」、この視点からお選びになったものであれば、なんでもよいと思います。  例えば、現在の日本の置かれた状況を考えると、今までと同じやり方では、乗り越えられないことがたくさんあります。  日本の歴史の中で、こういう時代はなかったか、といえば、ありました。  幕末から明治時代にかけてがそうでした。  もし、こういう時代に自分がどう生きて行ったらよいか考えるきっかけを生徒に与えたいと思えば、明治時代を学んだあとに、「幕末から明治時代にかけて生きた人々の中で、自分が最も共感する人物は誰ですか。  その人が行った具体的な行動や思想を上げて、説明しなさい。」というような課題も考えられます。  

こういう課題が出されたら、生徒は、まず幕末から明治時代にかけて学んだことを復習し、自分が最も共感できる人物を選びます。  そして、その理由を相手にわかりやすく、具体的な例や事実を入れて説明していきます。  この過程で先ほどの(1)から(5)の手順をすることになります。

こういう課題は、先にこちらのブログで述べましたプレゼンテーション練習と合わせて行うと、自分が知らない人物を選んだクラスメートの発表を聞いて、新たに他の生徒がその人物に興味を持つこともあります。  クラスの発表を聞きながら、自分が知らなかった人物の業績を学ぶこともできます。

日本は、アメリカとは、グローバル化に向けた、社会の発展の段階が違いますので、どういう課題を選ぶかは、日本人が独自に持つ問題を考えて先生方がお選びになるのが、いいと思います。  先生方が、今、子供たちに何を考えてほしいのか、そういう視点からお選びになるのが、一番いいと思います。

次回に続く 

この後は、いつも書いていることです。
 
* * *

7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。


* * *

私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。    

もう妨害はやめてください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。) 

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私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

* * *

ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 



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英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。


松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。



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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。

 

2017-11-30

和文英訳(最終回) 松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法  英語学習者が実際にはできない机上の空論でした 

2006年にアメリカから帰国して娘の受験が終わった後、私はもう一度、松本亨氏の「英語で考えるには そのヒケツと練習」]という赤い本を読んでみました。  石渡誠氏は、2017年1月19日のブログの動画で、この赤い本は「英語の神様のような先生」松本亨先生によって書かれたと紹介しています。  読んでみて私が最も違和感を感じたのは、「Part Five Interpreting 日本語を英語に」という章の最初のページ(173ページ)に書いてあった次の文章でした。

「私は英語は日本語に訳すなというが、日本語は大いに英語に訳せという。」

松本亨氏の言っていることを表にするとこうなります。


(1)    日本語 <−−−−  英語   (X) やってはいけない 

(2)    日本語  −−−−> 英語   (O) 大いにやってよい 

英語学習に矢印が一方向だけ、日本語を英語にすることだけ、というのは、読んだ瞬間におかしいと思いました。  

英語を日本語に訳すことは禁止して、日本語から英語に訳すことだけをさせる場合、生徒は、日本語に対応する英語をどこから持って来るのでしょうか。  日本語訳と結びついた英語は生徒の頭のどこにも入っていません。  

英語教育においては、常にインプットがあって、アウトプットが成り立つものです。 インプットを禁止して、アウトプットだけやらせる方法は、英語教育には存在しません。 入れていないものは出せません。  この文を読んだ瞬間に、この方法は成立しない、と思いました。  

いくら「英語の神様のような先生」(松本亨氏)が書いた、と石渡誠氏が言っても、間違っているものは間違っています。

おりしも私は2年間、子供たちの教科書を全文和訳して教え、3年目から、子供たちが英語を自由に使うのを見た直後でしたから、英語から日本語に訳すプロセスを否定する(つまり、子供たちが英語学習の中で最も苦しい思いをして2年間やってきたことを否定する)この指導法には到底賛成できませんでした。  

あの、「英語を日本語に訳した苦しい2年間」があったからこそ3年目から彼らは日本語を英語にすることもできるようになったのです。  英語を日本語に訳させないで、日本語から英語に訳すことだけ奨励するなどという教え方は、英語教育には存在しません。  インプットはさせないで、アウトプットだけさせる方法など、生徒たちにできるはずはありません。  

この方法は英語教育の原理を知らない松本亨氏が頭の中で考えた架空の方法です。  論理的にも成り立ちません。  松本亨氏はご自身は非常に英語が堪能でいらしたようですが、インプットがなければアウトプットはできないという英語教育の原理はご存じなかったようです。


なぜ松本亨氏がこういう架空の方法を提唱するようになったかというと、問題の原因を間違って特定したからです。

日本人の英語が上手にならないのはなぜか?  彼はその原因を考えました。  そして彼の出した答えは、「日本人が英語を学ぶときに日本語訳を使うからだ」でした。

これが間違っていたのです。  日本語訳を使うことが日本人の英語力向上を妨げていたのなら、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになるはずはありません。

しかし、当時、私のようにそのことを彼に言う人はいなかったのでしょう。  彼は日本語訳が元凶だと決めつけ、日本語訳の使用禁止を提唱したのです。  本来、日本語訳は禁止してはいけないものだったのです。  英語の意味を日本語に訳して頭に入れておかなければ初級者、中級者は、自分の言いたいこと(日本語)を英語に訳してしゃべることもできません。  英語を日本語訳で理解して、頭に入れることは大事なインプットの過程だったのです。  松本亨氏は、日本語訳を禁止して、インプットを空白にし、アウトプットだけを行わせるという英語教育の原理として成り立たない練習を提唱したのでした。

その練習方法は、「日本語を使わないで単語の意味を言う」、 「日本語に訳さないで英書を読む」など、初級者、中級者にはできないものばかりでした。 

私の娘もアメリカの学校で英単語の意味を英語で言う課題をやっていました。  夜遅くまで、ベッドの上に座って、ブツブツ暗記していました。  けれども娘はそこに書いてある英単語とそれを説明する英文を全部日本語に訳して意味がわかってから暗記していました。  これが、正しい英語学習のやりかたです。  

日本人は最初は日本語と結びついて覚えた英語しか、インプットとして使えないのです。  最初に、子供たちの頭の中にあった言語体系は日本語だけでした。  彼らは、膨大な量の英文を日本語に訳すことによって、自分の頭の中にある日本語の言語体系に対応する英語を一つ一つ覚えていきました。   そして、日本語の言語体系を模して英語の言語体系を構築していきました。 


日本語訳を使わせない松本亨氏の方法では、日本語訳と結び付いた英語のインプットは、やってはいけないことになっているので、インプットの過程は常に空白です。  日本語の言語体系にどの英語が対応するのかもわかりません。  頭の貯蔵庫には、日本語訳と結びついた英語の在庫はゼロです。  貯蔵庫は常に空っぽです。  ここからアウトプットに使う英語を出して来いと言われても、在庫ゼロですから何も出せません。 


日本語訳は元凶でもありませんし、初級者、中級者は自分の言いたいことを和文英訳して話すために必要ですし、上級者は、英語で理解したことは、みんな日本語で言えるのですから、英語学習すべての段階で、日本語訳を排除する必要はどこにもありません。

日本語訳は、英語と日本語を結ぶ唯一の接点です。  これがなければ、初級者、中級者は英語を理解できません。  言いたいことを英語にすることもできません。  日本語訳は、日本人が英語の世界に入る入り口なのです。

確かに英語のFreedom  と日本語の自由は全く同じではありません。  しかし、「束縛されない状態」という意味では、両方とも同じです。  初期の学習者が英語と日本語の同じ概念を手掛かりに学習するのは、導入の仕方として適切です。

「そのあと、たくさん英語を読んだり、映画を見たり、歴史を学んだりして、アメリカ人にとってのFreedom が日本人にとっての自由とは少し違う、ということを理解する。」  それは正しい学習のプロセスです。  私の子供たちもそういう過程を通りました。  ですから、日本語訳は、学習者が、最初に英語の世界に入るために必要なものです。



皆さんは、小さいころ冒険小説やおとぎ話でこういうパターンのお話を聞いたことがあると思います。

ある村に一人の若者がいました。  自分の生まれた村が危機に陥り、 それを救うために彼は、魔法の翡翠の玉を求めて旅に出ます。  数々の危険な目にあいながらやっと魔法の玉がある城にたどり着いたのですが、扉が硬く閉ざされて開けることが出来ません。  その時、扉の横に小さなくぼみがあるのに彼は気づきます。  そのくぼみの形は、自分が旅立つときに母親がくれた、一族の紋章が彫り込まれたペンダントと同じ形でした。  若者はペンダントを取り、そのくぼみにはめ込むと、紋章はまばゆいばかりにひかり、城の扉が開きました。  彼は城に入り魔法の翡翠の玉を手に入れ、村を救いました。

こういうお話は冒険小説にはよくありますね。  私は、子供たちが小さいころ、息子の日本語のために毎晩冒険小説を読んで聞かせましたので(こちらのブログ)こういうパターンはよく読みました。

日本語訳というのはこのペンダントと同じです。  英語に合体させると、英語が何もわからない初心者でも英語の世界の扉が開いて、その入り口に立てるのです。  ですから日本語訳は英語学習者が、どうしても使わなければならないものなのです。  これを使わないと英語の世界の入り口にも立てません。

そういう意味では、松本亨氏は、「日本語訳を使ってはいけない」と提唱して、初級者中級者が、英語の世界の入り口にも立てない架空の方法を提唱していたことになります。

「英語で考える指導法」と言われれば、だれでも、それをすれば英語で考えられるようになると思います。  「英語を英語で理解する指導法」と言われれば、だれでもそれをすれば、英語を英語で理解できるようになると錯覚します。  けれども実際には、松本亨氏の「日本語訳を使わせない方法」は、インプットの過程を空白にしますので、英語の教育法として成立しえないものだったのです。


「英語で授業」などやっていたら、高校生は、英作文に使う単語の日本語訳も知らなくなって、大学受験も突破できなくなります。  先回、Smile と Laugh の例を出しましたけれど、生徒はSmile Smile Smile。。。。。 Laugh Laugh Laugh。。。。。。と言っていれば、この2つの単語の意味や違いが判るわけではありません。   意味や違いを生徒が分かる日本語で、きちんと教えていくのが英語教育です。  

どうぞ高校の先生方は日本語で授業をしてください。  生徒が分かる言葉で大事なことを教えてください。  日本語訳もきちんと教えて、生徒が言いたいことを英文に訳して話せるようにしてください。

もともと先生方は「英語で授業」に反対していらっしゃいましたから、日本語で授業をすることは当然だと思っていらっしゃると思います。  

英語で授業は中学や高校でするものではありません。  中学校で発音をマスターし、高校で語順の通り理解できるようになり、大学1,2年で大量のインプットを行った後、3年生くらいが無理のない適切な時期でしょう。  中学高校で「英語で授業」などやっている暇があったら、意味が分かるようになった英単語をたくさん覚えさせる方がはるかに英語力は上がります。  日本語訳を知らなかったら、中学生高校生は言いたいことを英語で言うこともできません。



2006年にアメリカから帰国した私は、日本で英語学習に日本語訳を使ってはいけないと思っている人が多いことに驚きました。  

私はアメリカで子供たちの英語習得過程を見て、日本語できちんと理解することこそが英語力の強固な基礎を作ることを知りましたので、日本中に広まっているこの誤解を解かなければいけないと思いました。 

そして経験に基づいて、論理的に日本語訳の重要性を指摘しながら、私は心情的に日本語訳がかわいそうだという気がしました。  こちらのブログを読んでいただくとお分かりになりますが、日本語訳は学習者が初期に英語を理解するとき、とても役に立ってくれますが、学習者が英語が堪能になったときは、自ら学習者の頭の中から消えていきます。  だから、英語学習にとても貢献してくれたのに、英語が堪能になった人の中には日本語訳が悪いと決めつけて日本語訳を非難する人もいるのですね。  

私も自分の息子が「僕は最初から全部自分で出来たんだよね」といったことがあるので、英語ができるようになった人がそう感じることは知っていました。  でも、指導者までもが日本語訳が悪いというのは、インプットがあって初めてアウトプットができるという英語教育の原理を知らなすぎます。

初級中級の時は自分だって、助けてもらった日本語訳に感謝するどころか、非難するというのは、恩を忘れているもいいところです。  それでも日本語訳は何も言わず、また新しい初級者中級者が日本語訳を使って勉強すると、ちゃんと意味が理解できるように助けてくれます。

日本語は私たちの母国語です。  文字通り母のような言語だと思います。  母親は自分がどんなに悪く言われても自分の子供が幸せだったら、そんなことはなんとも思いません。

私たちの母国語、日本語もそうですね。  学習者が初級中級の時は一生懸命英語の理解を助けてくれて、学習者が英語が堪能になると、自分の役目が終わったことを自覚し、自ら消えていきます。  そして、自分が学習を助けた人が、「日本語訳が悪い」と非難しても、黙って、また、新しい初級者中級者を助けてくれるのです。

たとえそれが松本亨氏の生徒でも、石渡誠氏の生徒でも「あなたの先生は私を非難するから助けてあげない」とは言いません。  日本語訳は、どちらの生徒さんであっても和文英訳の助けとなって、言いたいことを英語で言えるようにサポートしてくれます。  それを知らないのは、「英語で考える指導法」を提唱者する松本亨氏と石渡誠氏だけです。

この日本語訳が日本人の英語力が上がらない原因だと非難する指導者は、関係ないことに責任をなすり付けている人と同じです。  例えていうなら、「自分の英語力が上がらないのは母親のせいだ」とごねている息子みたいなものです。  

日本語訳に初期のころ助けてもらったことを感謝こそしても、非難するなど、とんでもないことです。  初級者のころ英語力を上げる手伝いをしてくれたものに対して感謝の気持ちもない人が提唱する指導法など、効果があるわけないでしょう。



「英語ができない人は日本語訳を使って、できるようになった人は使わない」  そういう表面的なことだけ見ていると、「英語学習のレベルによって日本語訳の役割が違う」という本質を見抜けません。

日本に帰ってきて、日本のほどんどの人たちが英語学習に日本語訳を使うのは悪いことだ、と思っているのを見ると、「余計な制限を英語学習に課している」と思いました。  英語の練習として、

(1)「自分の言いたいことを全部英語で言う練習(日→英)」は、日本でも奨励されているのに、
(2)「学習した英語を全部日本語訳で理解する練習(英→日)」に抵抗があるのはおかしいと思いませんか。  

(2)をたくさんするからこそ(1)ができるのですよ。  英文を日本語で理解して、「いろいろなことを表現する英文のひな型」を知らなければ、自分もそういう英語は使えません。  英文のひな形をインプットしていくのが(2)(英→日)です。  その結果(1)(日→英)もできるようになります。  どちらか一方だけをしてよい、してはいけない、という指導法はあり得ません。



もし、今、松本亨氏がいらしたら、「私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりました。  日本語訳が英語力向上の害になるなら、この事実をどう説明するのですか?」と問われれば、その事実を正面から受け止めてお答えになったと思います。  少なくとも提唱者としての責任から逃げ回るようなことはしなかったと思います。  松本亨氏は、今石渡誠氏のしていることをどうご覧になっているかな、と思います。  責任から逃げ回るのは、決して良いことだとはおっしゃらないでしょう。

20代半ばの私が、「もう少し英語力を上げたい」といったときにその時の上司が、松本亨氏の学校へ私を連れて行ってくれました。  その人は、松本亨氏から直接英語を学んだ人でした。  松本亨氏との思い出も私は、その人から聞かされていました。  立派な先生だったと思います。  ただ、英語教育に関しては、「戦後まもなく」という時代の制約を免れなかった、と思います。  私は、松本氏の学校の玄関を入ったところで、生徒の「ワタービッグトゥリー」の発音を聞いて、上司がタイトなスケジュールの合間を縫って、せっかく連れてきてくれたのに、「こういう発音の中で英語を学ぶのはどうしても嫌だ」と思いました。  (その時のことはこちらのブログに書いてあります。 正しい発音を定着させないで、言いたいことを英語でしゃべらせていると、こんなにひどい発音になるのかと思いました。  この学校の先生たちには、これが英語の発音に聞こえるのだろうか、と思いました。)  中学時代から発音だけに興味があって、英語を学んできた私には、その学校の発音はどうしてもいやでした。  けれども、失礼になるので、上司にも理事長先生にもその事は言えませんでした。  「仕事が忙しいので通えません」と言って、私は、入学しませんでした。  その時は、自分が将来、松本亨氏の教育法に対してこういうことを言うことになろうとは夢にも思いませんでした。  当時、松本亨氏は亡くなられたとはいえ、英語の世界の頂点にいる人々の一人でした。  彼の言うことを否定するなど、ありえないことでした。  ですから、石渡誠氏が私の言うことを受け入れられない、と思う気持ちもわかります。  松本亨氏の指導法を否定する人間が日本に現れるなど、当時は想像もできないことでした。  ただ、アメリカで子供たちの英語習得の事実を目の当たりにした私は、松本亨氏の主張が誤りだったとわかりました。  しかも、その誤った指導法が学校教育に持ち込まれてしまったら、自分の見てきたことを皆さんに伝えないわけにはいかない、と思いました。  こうして私は、あの時、仕事で最も私を育ててくれた上司が勧めてくれた松本亨氏の指導法を35年たって否定することになりました。  めぐりあわせで、こうなってしまったので仕方がありません。  誤った指導法が学校教育に持ち込まれることは、なんとしても阻止したいと思いました。

ただ、松本亨氏は日本人の英語力が本当に向上することを望んでいたと思います。  

* * *

私たちが現在持っている言語体系は日本語だけです。  第2の言語体系を英語で作りたかったら、日本語の言語体系に対応させて英語をインプットしていくしかないでしょう、私の子供たちがアメリカでやっていたように。  

英語のままなんて、言葉はただ漂うだけで、自分が帰属する言語体系をどう作ったらよいかもわかりません。  それでは英語脳はできません。  英語の言語体系ができた時、初めて英語脳も出来上がります。  英語で考えられるようになります。  そのためには、すでに持っている日本語の言語体系に対応させて英語をインプットしていくことです。  単語も文も日本語訳を活用して覚えることです。



ここから先は、いつも書いていることです。
今回は、一番最後のウサギさんが持っているプラカードの言葉を変えました。

このブログを掲載した後、こちらの動画で石渡誠氏が「英語の神様のような先生」松本亨先生が書いた本と紹介していた「英語で考えるには そのヒケツと練習」 という赤い本は絶版になったようです。  アマゾンの価格の表示の仕方からそう見えました。  絶版にしても、「これが、松本亨氏の教え方の基盤であった」という事実に変わりはありません。  つまり、もともと成立しない指導法だったということです。

* * *

7月30日以降、私は、いつもブログに書いている3つのことの2番目、「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について」という項目の最初のほうに文章を付け加えました。 

それをお読みになると私がこの4年間、全く名前を出すことのなかった石渡誠氏の名前をなぜ書くようになったのか、その理由がお分かりになります。

英語で考える指導法の提唱者、石渡誠氏は、その方法が有効であるならば、日本語訳を使わず、アラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうかご自身でやってみて、その結果を公開してください。  「英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきて、良いことです」(2017年7月30日のブログ)などとおっしゃるのは、それを自分で証明してからにしてください。
  
自分で、その証明ができないなら、「英語で考える指導法」は、本当は実在しない「英語で考える詐欺指導法」であり、「英語を英語で理解する指導法」は、本当は実在しない「英語を英語で理解する詐欺指導法」ということです。この詐欺指導法を提唱する石渡誠氏は、自分が日本中の高校生、中学生(「英語で授業」は決定されましたが、まだ実施はされていません)にどれほどひどいことをしてきたか、真剣に自覚されたほうがいいと思います。 

教師としての良心があるなら、自分の商売を拡大する前に、今もなお石渡氏の「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になっている日本中の高校生、中学生にすることがあるでしょう。

石渡氏の2015年5月7日のブログを読むと、文部科学省にこの「英語で考える詐欺指導法」を持ち込んだのが石渡氏であることが分かります。  私たち国民は、この「英語で考える詐欺指導法」がどうやって文部科学省に持ち込まれたのか、知る権利(国民の知る権利)がありますので、このことを書き添えました。

私は、その数か月後、頭の打撲が治ったころ、インターネットで検索して、石渡氏のブログに書かれていたこの会合についていくつかのブログを読みました。  そこには、「この会合には英語界の重鎮中の重鎮の方々が集まっている」とか「英語教育界の大御所の方ばかり」とか書かれてありました。(「2015年5月5日 ついに変わる! 英語教育改革の全貌」で検索すると現在でもいくつか出てきます。)

石渡氏の5月7日のブログを読んだ私は、「どんなに立派な肩書をお持ちの英語教育の専門家の主張であっても、私の経験に照らし合わせてその主張が間違っていたら、私は一歩も引いてはならない」と決意しました。  そうしないと、日本中の子供たちが、「英語で考える詐欺指導法」の犠牲になってしまう」と思いました。

それで、2015年6月1日のブログを書きました。  どれほど、中学の英語の授業を英語ですることを阻止したかったかといえば、頭を打って、容体が急変した時は、知人にこのブログのアップを頼むほど、私は、それを阻止したいと思いました。(その時のことはこちらのブログに書いてあります)

石渡誠氏は、日本中の子供たちに誤った指導法をさせて、教師として、良心が痛むことはないのでしょうか。  今日も一生懸命、学校で勉強しているたくさんの子供たちのことを考えたことはないのでしょうか。

* * *

私は随分長い間、自分の本のランキングを妨害されていますが、おそらく、やっている人は、私が英語教育の分野からいなくなるまで、妨害を続けるのでしょう。

ただ、私は、英語教育の分野からいなくなるわけではないようです。

こちらのブログに書いた外国人の方が、1999年11月にこのことの後、どういう結末になるのか、私に教えてくれました。  少なくとも、私は妨害されて、英語教育の分野からいなくなる、とは言われませんでした。

どういう結末になるかは、これからわかると思いますが、18年前、その結末を聞かされていたので、私は、「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されようと、妨害されようと、日本人が誰も聞けない音について本を書いていようと、今日まで、頑張って来ることが出来ました。  どんな立派な肩書を持つ英語教育の専門家の言うことも自分の経験から見て、間違っていたら、一歩も引かない、という決意ができたのも、文部科学省の方針に正面から反対したのも、50年間信じられていた松本亨さんの主張を否定したのも、この後、どういう結末が訪れるのか、あの時、その人から聞いていたからでした。  

なぜ、その人が、私にそんな先のことを教えてくれたのか、その時は分かりませんでしたけれど、今は、わかる気がします。

たぶん、その方は、2008年以降、私がどれほど苦しい思いをするかご存じだったのだと思います。 2008年以降、私が「英語耳」の松澤喜好氏と、KADOKAWA/アスキーメディアワークスのためにどれほど泣くことになるか、ご存じだったのだと思います。(詳細はこちらです。)  その時にくじけないように、その苦しさの先にある結末を教えてくれたのだと今は、思っています。

もう私の本のランキングを下げるなどという行為はおやめください。

KADOKAWA/アスキーメディアワークス社長塚田正晃氏は「著作権法に抵触するのは犯罪行為だ」と言っています。(こちら) 松澤さんは、「松澤は盗作!というのはすごーい!」とHPに書いていましたが、塚田さんの主張によれば、盗作は犯罪行為です。  

他人のランキングを妨害するのも、営業妨害ですから、犯罪行為です。    

もう妨害はやめてください。


KADOKAWA/アスキーメディアワークス(塚田正晃社長)は、隠ぺい工作までして、著者が自分のホームページで盗作を豪語するような悪質な出版はやめてください。(詳細はこちらです。)

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私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

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ここから先は、毎回掲載している3つのことです。「なぜ毎回3つのことを掲載するのか」その理由については、こちらのブログをご覧ください。 



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英語教育について

文部科学省の英語教育の方針は、効果がありません。

今年3月に発表された中学校の学習指導要領(英語)は全く効果がありません。  理由は、2017年10月12日のブログをご覧ください。


以下、効果のないものを列挙します。
1)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がありません。  (理由はこちら
2)「CAN-DOリスト形式」は効果がありません。 (理由はこちら
3)「4技能」は効果がありません。  (理由はこちらこちら
4)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではありません。 (理由はこちら
5)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受けます。 (理由はこちら
以上の理由により、文部科学省の方針は効果がありません。

「発音」、「語順」、「英語で考える」、それぞれを習得する方法は2015年10月19日のブログ「川合式英語学習法」をご覧ください。

これは全部私自身がやってきたことです。  こうすれば、生徒たちは必ず通じる英語で話すようになります。
英語で考える指導法を提唱する人たちのように、「自分は日本語訳を使ったけれど、生徒たちは使うな」というような、誰も実際にはやっていないような指導方法ではありません。  私は全部自分でやっています。


「英語で考える」を提唱した松本亨氏の主張について

松本亨氏の「英語で考えるためには日本語訳を使ってはいけない」という主張は2006年、私の子供たちが全文和訳でバイリンガルになった事実によって否定されました。 

「英語で考える指導法」は詐欺である可能性が高いです。


松本亨さんの書いた「英語で考える本」「英語で考えるには そのヒケツと練習」という本に書いてある練習をしても英語で考えるようにはなりません。(2月4日のブログ「英語の思考活動」、3月1日のブログ「先生の宿題のプリント「英語で考える」ってどういうこと?」を参照してください)

英語で考える指導法を掲げる英語学校FORWARDの指導者、石渡誠さんは、松本亨さんの「英語で考える本」「英語で考えるには −そのヒケツと練習−」という本で勉強すれば英語で考えるようになると2017年1月19日のブログで言っていますが、この2つの本で勉強しても、英語で考えるようにはなりません。  「この方法を26年教えてきた」と書いていますが、26年間も効果のない方法を教えてきたというのは驚きですね。  

私は、この件について、松本亨さん(著作を含めて)以外の固有名詞を入れることをずっと避けてきました。  けれども、石渡誠さんの2017年7月30日ブログの冒頭の

日本の英語教育界もようやく変革の時が!英語を英語で教えるということが、中高でも広まってきています。良いことですが、

という部分を読んで、明記することにしました。  日本中の高校生を犠牲にしておいて、まだこういうことを言っていることに怒りを覚えました。  文部科学省でさえ、もう、中学校の英語の授業を英語で行うとは、言わなくなったのに、と思いました。  

石渡誠さんは、26年間も授業料を取って、「効果のない方法」を「効果がある」と偽って教えてきて、謝罪損害賠償もしないのですか?  そうやって、「何を言っても何の責任も取らなくていい」と思っているから、いまだに「英語を英語で教えるのが良い」などとおっしゃるのでしょう。  

でしたら、ご自身がアラビア語をアラビア語で学んで、アラビア語が堪能になるかどうか示してください。  それが出来ないのであれば、「英語を英語で理解する指導法」が間違っていたと認めてください。  そういうけじめをつけないからいつまでも「英語を英語で理解する」などという指導法を主張し続けるのでしょう。

日本中の高校生が迷惑していますので、自分もできない指導法を提唱するのはやめてください。

自分の商売のために子供たちを犠牲にするのは、もうやめてください。

Je suis Charlie. と母国語で言うフランス人が I am Charlie.という言語を学ぶとき、母国語の意味を参考にしていないはずはないでしょう。  日本人は誤った指導法を50年も信じて、大きく後れを取りました。


私は、英語で考える指導法の提唱者が、「Freedomを日本語に訳すとニュアンスが分からなくなるから英語のまま言わせる」とブログに書いているのを読みました。  でもそれでは何も教えていないのと同じです。

生徒から、アメリカ人にとって自由というのはそんなに大事なものなのですか?と質問されたら、アメリカ史がご専門の先生なら、「建国の歴史を勉強してみるとその理由が分かってきますよ」とお答えになるでしょうし、時事英語がご専門の先生なら、ニュースの中から、アメリカが個人の自由を制限する国に対して、非常に厳しい外交政策をとり、しかも大多数の国民がそれを支持しているというニュースを選んで、生徒と一緒に勉強していくでしょう。

Freedomを日本語に訳さずFreedom. Freedom と生徒に言わせる、などというのは何も教えていないのと同じことです。

それは、次のような例を想像してみるとよくわかります。

もし、アメリカで、日本語を学んでいる生徒が「日本の武士道とはなんですか?」と教師に質問した時、「日本人にとって武士道が、どういうものなのか知りたかったら、武士道を英語に訳さず、日本語のままブシドウ、ブシドウといいなさい」 などと指導する教師は一人もいないでしょう。   

仮に先生が「これが、日本語を日本語で理解する指導法だ」「日本語で考える指導法だ」などと言っても、生徒はばかばかしくてする気にもならないでしょう。  保護者からは「まじめに教えろ」と言われるでしょう。 

これが英語で考える指導法の正体です。

教える方は何も教えていない。
学ぶ方は何も学んでいない。
これが英語で考える指導法の正体です。

だから私はこの方法は詐欺だと言ったのです。(こちらのブログ

以前、この「英語のままFreedomと言わせる」と言っていた学校のブログで、車を売って受講料を払って学んでいるという生徒の例が紹介されていました。  それほどの高額の授業料をとって、「だますつもりはなかった」「知らなかった」では済まないです。  
詐欺は犯罪です。

詐欺は、刑法で刑罰が定められている犯罪です。

また、そのブログで、英語で考える指導法をする人々が、生徒の英和辞典を取り上げたり、生徒に英和辞典を窓から捨てさせたりする、ということも読みました。  中には最後まで生徒に英和辞典を返さなかったこともあったそうです。

帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」を読んでいただくとわかりますが、英語のわからない生徒にとって、英和辞典は命綱です。  英和辞典があるから、英語の意味が分かるようになります。  これを取り上げるなど、間違った指導法を盲信する指導者の誤りです。  英和辞典を取り上げれば生徒の英語力が上がるなどということは絶対にありません。

この詐欺商法を、中学や高校に持ち込んだのが文部科学省の「中学、高校の英語の授業を英語で行う方針」です。
だから、私は、「学校で詐欺を行わないでください」と申し上げたのです。
税金を詐欺に使わないでください、と申し上げたのです。
高校英語教育はいまだに詐欺ですね。
学校で詐欺教育をするために、車一台売るどころではない、莫大な税金が使われています。

早くやめてください。
高校時代は、高校時代にやらなければならない訓練があるのです。
複雑な英語を読み始めるときにどうしてもやらなければならない訓練があるのです。
この時を逸すると、取り返しがつかないのです。  高校生がかわいそうですから、「学校で詐欺」はやめてください。

発音練習について

学生時代、私はアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。  当時、そういう本は翻訳しか入手できませんでした。  その中にこんな話が書いてありました。

チャーリーさんが自動車の調子が悪くなり、修理工場に持ち込みました。  修理が終わって取りに行ったとき、調子が悪かった原因を尋ねると「OOのネジが一つ壊れて、不具合が生じていたので、新しいネジに変えました」と説明を受けました。

請求書を見てみると、とても高い金額でしたので、チャーリーさんは、「ネジ一つ取り換えただけなのに、これでは金額が高すぎます」と文句を言いました。  そうしたら、修理をした人が、「最初は、何が原因となって不具合が生じているのかわかりませんでした。  それで、私は自動車の内部を全部調べました。  そしてOOのネジが壊れていることを発見したのです。  自動車内部をすべて調べるのに何時間もかかりました。  請求書はその労働の代金を含んでいるのです」と言いました。  チャーリーさんもその説明で納得しました。

この話は、どこを直せばよいかわかっているものを直すのは、簡単ですが、どこが悪いかわからないものを直すのは大変だ、ということを例えた話でした。

私は中学時代に英語のきれいな発音に魅了されて発音練習を始めました。  中学生でしたから一生懸命練習すればお手本のアメリカ人と同じ発音になると信じていました。  一年半くらいはちっともうまくなりませんでしたが、その日の練習が終わると、自分が今日練習した分だけお手本の発音に近づけたと思えて、とても、心が満たされていたのを覚えています。  一年半くらいは目に見えてうまくなってはいませんでしたが、毎日練習が終わって、テープレコーダーの手あかを白いハンカチできれいにふき取ってしまうときは、とても気持ちが充実していたのを今でも覚えています。

だから発音練習は大変だ、とかつらいとか思ったことはありませんでした。(決してうまくはなかったのに、です)

最初の本「英語発音、日本人でもここまでできます。」(赤い本)の原稿を書いていた時、私は編集してくれた人に次のような心配をお話ししたことがありました。

「読者の皆さんに、私は何の苦労もなく、発音を習得した、と思われると困るのですが、、、」
そうしたら、編集をしてくださった方からこういわれました。

「川合先生の本を読んで、川合先生が何の苦労もなく発音を習得した、と思う人はいません。  そんなことを心配するより、むしろ、こんなサイボーグみたいな練習をしなければ発音はうまくならないのか、と思われることをご心配なさった方がよろしいんじゃありません?」

編集をしてくださった方は、スタンフォードでの留学経験もありますので、英語がとても上手な方でした。  こういうユーモアのセンスもお持ちでした。

私は苦笑しながら「はい。。。。」と言って、すぐひき下がりました。

確かに文全体をお手本と比べて違いを探すにはサイボーグみたいな能力がないとだめだ、と思ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。  (先日夫がチャンネルを回していたら、ターミネーター3でシュワルツネガーさんが人の着ている洋服を見て、一瞬で、それが自分に合うかどうかをピピピピ。。。と判断する場面がありました。  サイボーグと言うとそういうイメージが浮かんできますね。)  

けれども、発音を直すときは、最初は、気づいたところから直していけばいいので、本当はそういうことはないのですが、人によってはそんなことはとてもできないと思ってしまう人もいるかもしれません。

しかし、その2年後、私は、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑の本)を出版しました。  そしてその本に、どこを比べて何を直したらよいか書きました。  漠然と、文全体を比べたら違いは分からないかもしれませんが、「この音のこの違い(例えば、長さ)を聞いて下さい」とピンポイントで言われれば、誰でもそれは聞けます。

先ほどの自動車修理工場の例でいえば、どこに原因があるのか車の内部全体を調べるのはとても時間がかかって大変ですが、「ここのネジを変えてください」と言われれば誰でも出来るのと同じことです。  具体的に言われたことはやりやすいです。

「続・英語発音、日本人でもここまでできます」にはどこを聞いて何を直せばよいのか、書いてあります。  そのポイントは日本語のくせから来るものがほとんどです。  それは日本人に共通する発音の問題点ですから、そこを聞いて直していただけば通じやすい発音になっていきます。

「ここのネジを取り替えてください」というのと同じように、努力すればだれでもできることです。  サイボーグのような能力はいりません。

読者の方から、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」は、「英語発音、日本人でもここまでできます。」付属のDVDで発音練習するときの参考書のように使っています」というメールをいただいたことがありますが、この2冊は一緒に活用してください。  

「なぜそういう練習をするのか」その原理もわかりますし、理解が深まると、相乗効果となって皆さんの発音がとても上達します。  発音は、口の練習だけではうまくなりません。  上手な人の発音って何か違いますでしょう?  体になじんでその音がでてきていますでしょう?  耳はもちろん、たくさんの感覚を使って習得すると上手になります。

表面的な練習だけやっていると表に現れないことが、その原理や仕組みを深く掘り下げて理解していると、口の動きに現れてきます。 

お手本の発音を聞いたとき、「どうやって発音しているのか手に取るようにわかる」この状態になるわけです。  この深く掘り下げる役目ををするのが、「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」に書いてあることです。  

「上手な人の発音が何か違う」と感じるのは、口の動きの後ろにある、さまざまな感覚の関連性を意識して、練習しているからです。  「自分の体をどうするとあの音が出てくるか、体が知っている」この状態になっているからです。  表に現れたものだけ練習する場合、長く練習しても、あまり変化はありませんが、深く掘り下げて、練習していると、だんだん、音を捕まえる能力も向上しますので、長い間には、口の動きだけ練習してきた人とは随分違う発音が出来上がります。  発音練習の基本姿勢のブログに出てくる生徒さんみたいにですね。  「英語発音」と「続・英語発音」の本は一緒に活用してください。



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ブタさんが持っている旗については、こちらの「きのこの山とたけのこの里」というブログの後半を読むと、私がどうやって、子音の長さが聞けるようになったのか、書いてあります。