川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ) 発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)

テストでスピーキング能力は身につかない
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高校・大学入試でスピーキングテストをやってもスピーキング能力は身につかない。生徒にCDを与え生徒自身の口で正しい発音で文章を言えるよう教え、練習させなければ身につかない。日本人は、北米やヨーロッパと同じ英語教育をしても効果はない。 【理由】ヨーロッパの言語は英語と親せき関係にあるので、「発音」も「語順」も最初から大方できている。しかし日本語の子音は、常に母音と一緒に発音されるので極端に短く、英語として通じない。【語順】は、日本人は主語の直後に動詞や否定語がすぐ言えない。だからヨーロッパで行われている英語教育方法を日本でしても効果はない。(詳しくはこちら) 北米やヨーロッパの英語教育方法は日本では使えない。  日本人には日本語を母国語とする人の為の英語教育が必要です。 私は英語教育の専門家です。中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする。その英語教育のやり方はこちらです。


(2023年4月5日加筆)
余談ですけど、私はコロナが始まる前は、よくオペラ歌手の方が指導して下さるオペラの講座に参加しました。途中お休みした期間もありますけれど、トータルで3年くらい通ったと思います。 その時、隣で歌っていた方から「川合さんて、外国語をしゃべりなれているっていう感じがする」と言われました。 その講座で歌った歌はオペラですからイタリア語の歌でした。 私が何十年も発音練習をしてきたのは英語だけです。 でも、その私がイタリア語の歌を歌うのを聞いて「外国語をしゃべり慣れている」と隣の方が感じたという事は、やはり英語と同じグループに分類される言語は、言葉のつなげ方や口の動かし方が日本語よりは似ている、という事だと思いました。 例えば Puccini のオペラ La Boheme の中に出てくる Quando men vo' という歌(こちらで聞けます)の中には、traspira とか struggi という言葉がでてきますけれど、これなどは日本人は子音をつなげて言うことを練習していないとうまく歌えません。 でもこれが母国語のイタリア人は発音練習などしなくても子音が続く英単語はしゃべれるでしょう。 そういう意味ではやはり、英語と同じ言語グループが母国語のヨーロッパの人々がしている英語教育とは違う英語教育が日本人には必要なのだと思います。


(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。





本題のブログは後ろから、1/3くらいのところの****から始まります。  その少し前の部分で、日本の子供たちがアジアのトップレベルの発音でスピーキングできるようにする方法が書いてあります。 核となる練習は中学2年間かかりますが、原理、やり方はとても簡単です。 CDさえあれば、今すぐにでも始められます。 高校入試(大学入試)のスピーキング試験などより何十倍も子供たちの発音習得に効果があります。 テストなどやっても、学校で教えなければスピーキング(通じる発音でしゃべること)は習得できません。 発音教育に無知で(つまり英語教育を知らないで)、業者テストをやらせたい人だけが「スピーキングテスト」「スピーキングテスト」と騒ぎます。 



(2019年4月18日)文部科学省有識者会議の委員、立教大学教授松本茂さん、この新聞記事に書いてあるティーチングプランでぜひ公開授業を行って見せてください。【もし本当にできるのであれば】英語教育改革で示された方針のやり方が分からない多くの先生方の参考になるでしょう。文部科学省有識者会議の委員のモデル授業ならどこの都立高校でもさせてくれると思います。公開授業の日程が決まりましたら「松本茂official blog おとなだから」 でご紹介ください。見学させていただきたいと思います。英語教育改革は国民の税金で行われています。誠意をもってご対応ください。ご自分からニュースメディアに連絡を取って「自分が英語教育改革として考えているのはこういう授業だ」と発言されたわけですから公開授業は当然だと思います。本来 マスコミに言うより先生方に見てもらう方が先です。 頭を打って、つまり命がけで「英語で授業」に反対してきた私の問いに立教大学教授松本茂氏に答えていただきたいと思います。新聞社にメールして先生方の非難はするが自分で提唱した授業はできない、ということであれば有識者会議の委員として問題だと思います。公開授業の際には生徒に配られたものと同じ英文資料(「小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英文資料」その他)を見学者にも配布してください。終了後、先生方との質疑応答の時間を取ってください。「こういう授業をする場合の準備の手順について」「題材をどういう基準で選ぶかについて」質問が出ると思います。 先生方に本当にこういう授業をしてほしいと思っているのであれば、質問には、丁寧にお答えになってください。 また、「生徒が日本語に訳さず、どのように英文資料を理解したのか」生徒自身から聞かせてください。(アメリカで全文和訳して子供たちの宿題を手伝ってきた私はこれが一番聞きたいです。)英語教育改革は国の事業ですから、誠意ある対応をよろしくお願いいたします。 



2019年4月13日
英語教育改革というと、アメリカで学んだ英語教育の専門家が、「なんでも英語でさせれば子供たちの英語力が向上する」と主張して、日本語で授業をする英語の先生方を批判していますが(こちらの新聞記事立教大学教授・文部科学省有識者会議委員 松本茂氏が批判していらっしゃいますが)、果たして本当にそうなのか、お読みになってみてください。
赤い文字から始まるパラグラフで***で区切られた部分です。


本題のブログは真ん中から少し後ろのピンクの文字の部分から始まっています。  その少し手前の部分で中学3年間の英語教育で、子供たちがアジアのトップレベルの発音で、英語でコミュニケーションが出来るようにする方法が述べてあります。
本題に入る前に長く文章が続いていますが、「文部科学省に正しい英語教育をしていただくこと」「松本亨氏、石渡誠氏(FORWARD英語学校)の提唱する英語で考える指導法を終わらせること(なぜならこの指導法を提唱する人が「英語で授業」を学校教育に持ち込んだからです)」「日本人の発音する英語の子音が短いから通じにくいと理解していただくこと」この3つを主要な目的と考えておりますので、併記してあります。


2019年1月17日(木曜日)
(1)英語学習において、初級者中級者は単語の日本語訳を手掛かりに自分の言いたいことを英語に訳して、しゃべります。  ですから初級者中級者は英単語を日本語訳と結び付けて覚えないと、自分の言いたいことを英語でしゃべることはできません。  I like ......  と言った後に、自分の好きなもの(日本語)と英語が結びついていないと初級者中級者はしゃべれません。  つまり、松本亨氏、石渡誠氏(FORWARD英語学校)の提唱する「日本語訳を使ってはいけない」という指導法は、学習者の英語力向上の障害となります。  初級者中級者は日本語訳で意味を知っている単語が多ければ多いほどいろいろなことが英語でしゃべれます。

(2)また、最初から言いたいことを英語で生徒に言わせる方法(英語で授業、あるいは校内英語オンリーのやり方)も、発音がめちゃくちゃになりますので、英語力向上の妨げになります。  この場合モデルとなる文章の音声が生徒の頭の中に蓄積されていませんので、発音矯正を行っても効果はありません。 ここはアメリカではありませんので耳で聞いていない音を生徒はしゃべれませんので。  うわべだけ生徒にアメリカの真似をさせて喜んでいるのは、単なる教師の自己満足です。  明治時代の鹿鳴館(ろくめいかん)と同じです。(こちらのブログの青字の部分)  日本語しか聞かない日本でアメリカ本土と同じ英語教育が出来るわけないでしょう。 英語指導の前提条件を教師は正しく把握してください。 

アメリカのESLのクラス(英語が母国語でない人たちのためのクラス)の教え方と、日本の英語学習者のための教え方は根本的に違います。  前者は生活の中で一日中英語を聞いていますが、後者は生活の中で、英語を聞くことは全くないからです。 「生活の中で一日中英語を聞いている」ということは、「身の周りの事象」と英語が結びつく体験を一日中しているということです。 日本では、「身の回りの事象」と英語が結びつく体験は一切ありません。

石渡氏はアメリカで英語教育を学ばれたそうですが、この前提条件の違いを明確に認識していますか?  石渡誠氏、松本亨氏の英語教育の手法にはこの全く異なる2つの指導法の混同が見られます。  「言語環境が全く違うところで、初級者、中級者にアメリカの真似をさせる」こんな手法は、教育者として、あまりにも考え方が短絡的です。  お二人が英語教育の基本的な手順、前提条件の確認を怠っているからでしょう。

私が最もそれを感じるのは、「学校内英語オンリー」の方針です。  この方針が学校教育に持ち込まれた場合は、「英語で授業」となります。  アメリカのESLのクラスは英語オンリーです。  でも、日本で、発音習得をきちんと終えていない人に「英語オンリー」をさせると発音はめちゃくちゃになります。  教育法は前提条件を間違えると、害にしかなりません。

こういう2つの全く異なる指導法の混同が石渡氏、松本氏の指導法にはあります。  英語教育はアメリカで行われていることをそのまま日本ですればよいというものではありません。 (それは、アメリカの子供がやっているチャンツフォニックスを日本で、「発音習得の方法として用いる」ことにも言えます。  日本語化した子音でいくらチャンツフォニックスをやっても日本人の発音は通じるようにはなりません。)

松本亨氏、石渡誠氏(FORWARD英語学校)の提唱する上記(1)(2)の方法は、どちらも日本人の英語力向上の妨げになりますので、石渡誠氏はご自分の指導法の提唱はおやめください。

また石渡誠氏が長い間提唱していらした「英語で考える指導法」は松本亨氏の勘違いでした。 松本亨氏は7年前日本語に訳して理解したReader の第一巻を7年後、英語のまま理解できたので、日本語に訳して理解するのは害があると提唱しました。松本亨氏は自分も日本語に訳して理解したことを忘れていました。   松本亨氏、 石渡氏、このお二人の提唱する「英語で考える指導法」で、中学生、高校生が発音や意味を正しく習得することはありません。 (もともと「考える」「思考する」という行為は、きのうや今日、習った言語で出来ることではありません。 両氏が「英語で考える」というのはただ単に英語と意味が直接結びついた状態を言っているだけでしょう。)  提唱はおやめください。

* * *

ここで、「考える」「思考する」ということは習って間もない言語では出来ない、という話が出ましたので、2019年3月25日の朝日新聞の夕刊にあった、「英語をたどって8:2」「英語で授業」本当の意味は  に書かれていた松本茂氏の記事について、私の思うことを書いてみたいと思います。

松本茂氏が3月25日の朝日新聞の夕刊に「英語で授業」の例として小笠原諸島の問題を上げていました。  「生態系を守る」か「島民の暮らしか」生徒を新聞記者役と村長役に分けて英語で考えを発表させるという例があげられていました。

私の子供たちはアメリカ滞在一年を過ぎてもこういう課題を英語で「考える」ことは出来ませんでした。「思考する」ということは子供が学んで間もない言語ではできませんでした。  使い慣れた母国語でしか「考える」ということはできませんでした。  ですから宿題でこういう課題が出ると、資料を全部母国語に訳して頭に入れてそれをもとに日本語で考えて、考えたことを英語に訳して提出するという作業になりました。  

一日7時間学校で英語で授業を受けて、帰ってきてからも夜遅くまで英語で宿題をやって一年過ぎても、こういう授業の課題を英語で考えることはできませんでした。  体になじんでいない言語で「思考」はできませんでした。

松本氏の小笠原諸島を例にした授業の記事を読んだとき、私は、娘がサイエンスの授業で「海洋」について学んだあと出されたプロジェクトを思い出しました。  プロジェクトというのは理科や歴史、数学など各教科で、ある単元を学んだあと、そのまとめのような形で出される課題でした。  「海洋」についてのプロジェクトでは、生徒25人に25個のプロジェクトがそれぞれ与えられました。(リストをもとに先生との話し合いでどのプロジェクトを選ぶか決めます)。  プロジェクトの提出は一週間後です。  つまり生徒たちにはリサーチの期間が一週間与えられます。  娘のように言葉が出来ない子は粘土で海の底の模型を作って「trench(海溝)」とか「continental shelf(大陸棚)」とか名前を付けるプロジェクトが与えられました。

演説が好きな子供には「あなたは海洋に面した町の市長選に立候補しています。  これから立会演説会に行きます。  海洋の自然環境の保全について立会演説会でする演説の原稿を書きなさい」というプロジェクトが与えられていました。  (私は今でも子供たちの授業の資料は全部保存しています。「海洋」のプロジェクトにほかにリストされていた課題は、「あなたは月刊「海洋」という雑誌の編集者です。 来月は海洋の自然保護の特集号です。 その目次を作りなさい。 とか、「あなたはこれから、世界的な海洋学者にインタビューに行くジャーナリストです。 質問事項をリストしなさい」というような課題がありました。)  

松本茂氏は「立場を決める。 意見を持つ。。。。。を生徒たちが英語で行う。」と書いていますが、アメリカでは自分の意見を述べる際の主張の仕方(理由を挙げ、それをサポートする事例・事実の組み立て方)については、小学校高学年からエッセイライティングの指導によって訓練されています。(基本はEnglish(国語)の時間に習うようですが、そのあといろいろな教科でその形式で書いていくようです) また、クラス全体の前で話す練習(初歩のプレゼンテーションの練習)はキンダーガーテン(幼稚園)の時から始まっています。 (私の息子もキンダーガーテンの時、show-and-tell でみんなに見せながらお話しするものを探していました。  「あんまりみんなが持ってこないものがいい」といって探していたのを今でも覚えています。) 小さい時からそういう訓練をしていない日本で、こういう授業を高校の英語の時間にいきなりやらせて、生徒に何を学べというのですか。 各教科で基本的なやり方を教えてもらっていないスキルを組み合わせて教科横断的な「総合学習」をしても生徒は何も学びません。アメリカ人はキンダーガーテン、小学校でそれらについて初歩的なことから訓練を受けています。だから、そういう総合学習もできるのです。

まず、「調べる、立場を決める、意見を持つ、、、、、を生徒たちが英語で行う。」とおっしゃっていますけれど、英語圏で普通に読まれている文書を読むには日本の高校卒業程度の文法が分かっていないと、読めません。  娘の小学校5年生の教科書でも、日本の高校卒業程度の文法が分かっていないと読めません。  つまりこの課題は生徒が自分で英語の資料が読めませんので高校生にはできないと思います。 


私は、若いころよく英語の授業の教案(Teaching Plan)を書きました。  一行目は「この授業の目的」でした。  この授業で何を教えるのか。  生徒たちは何を理解し、何が出来るようになるのか、を書きます。  この松本氏が例として挙げた小笠原諸島を題材にした授業の目的は何か、私は考えてみました。

*「生態系を守る」か「島民の暮らしか」これを考えて聞く人々に納得ができるように自分の意見を提示することが目的なら、これは、思考の訓練ですから、学んで間もない英語ではできません。  母国語で思考させることになります。 ですから、これは英語の時間の学習活動にはなりません。(アメリカ人は英語が母国語ですから英語でしても問題はありません。)  

小笠原諸島の貴重な生態系について理解を深めることが目的なら、そのことはまず、理科の時間にきちんと学んでおくことが必要ですね。 もし、いろいろな科目で学ぶことを横断的に取り入れた「総合学習」という目標でやりたいのなら、そこに含まれる各教科の基本的なことをまず学んでから「総合学習」にもっていかないと、何の訓練にもなりません。 小笠原諸島の貴重な生態系については自分がよく理解できる母国語で(英文を翻訳してもいいです)学んで理解しないと「思考する」という事はできません。(先にも書きましたように、私の子供たちはアメリカの中学校、高校で学びましたが、最初の2年くらいは「英語で学習内容を思考する」ことはできませんでした。) また、意見を主張するときの基本的な組み立て方の基礎をきちんと国語の時間に母国語でしっかり学んでおかないと、子供たちは効果的な意見の主張の仕方を知らないまま、この課題をやることになります。 そうすると、何をやっても無意味になります。  個々の教科で教えるべきスキル、訓練すべきスキルを教えないで、こういう総合的な授業をやっても子供たちがそれから学ぶことは何もありません。

*「英語を」学ぶのでなく「英語で」学んで英語力の向上を図るのが目的なら、生徒たちの現在の英語力では資料も読めないのですから、資料が読めるような英語力をつけることがまず、必要でしょう。  英語圏で一般の人が読む英語の文書が読めるようにするには、高校卒業程度の英文法を知っていなければなりませんので、それを教えることになります。  (アメリカ人は英語が母国語ですからこういう問題はありません。)  知らない文法事項を教えるのですから、生徒がよくわかる母国語で教える必要があります。 

こうしてみてくると松本茂氏の提唱するこの授業は、英語の授業時間にする意味が全くない活動です。 生徒の学習段階に全く合わない極めて不適切な授業といえます。 英語の時間にやる意味もありませんし、なんの役にも立たない学習活動で、時間の無駄です。 何を目的として、このような無駄な授業を提唱されるのかわかりません。 「総合学習」をさせたいなら、それに使う個々の科目で習うスキルについてきちんと生徒に指導してから行わないと、何の意味もない授業になってしまいます。 他人の前で意見を言う練習など、日本では幼稚園の時から一度も訓練していないのではないですか? 自分の意見を主張する効果的な論理の組み立て方も子供たちは一度も指導を受けたことがないのではないですか? その状態で「総合学習」にもっていくのは無理があります。教えるべきことをきちんと教え、日常訓練したうえで、総合学習にもっていかないと、意味のある授業にならないでしょう。

松本茂氏は、「分詞構文がどうこう」と日本語で教えている英語の授業を批判していらっしゃいますが、高校卒業までは、こういう基本的な文法事項を生徒が理解できる母国語で教えなければ、生徒は英語の資料は読めるようにはなりません。  ですから私は渡米後2年間(息子は1年間)毎日彼らの教科書を全文和訳して日本語で、彼らに教えていました。  分詞構文を使った文も、関係代名詞を使った文も、全部日本語で解説して、彼らに教えました。  あの頃は、毎晩アメリカの中学、高校の教科書を使って、真夜中まで超高速で日本の訳読式授業をしていたようなものでした。 

日本人の英語力が伸びなかったのは訳読式授業のせいではありません。  日本語で理解した後、分かるようになった英語の大量のインプットを行わなかったからです。  その証拠に私の二人の子供達はこの洪水のような私の”訳読式授業”のあと、バイリンガルになっていきました。  訳読式授業は地味な勉強です。  でも、そういう地味な勉強で実力を蓄えて、その後の大量のインプットを経て、子供たちは自由に英語が使える世界へ羽ばたいていきました。

英語教育改革というと、私の子供たちがアメリカでやっていたような授業を日本の中学、高校でやらせればいいと考える英語教育の専門家がたくさんいらっしゃるようですが、アメリカの子供たちが英語でそういう授業を受けているのは英語が母国語だからです。  そしてアメリカの子供たちは幼稚園からプレゼンテーションの練習をし、小学校高学年からPersuasive essay (自分の主張を展開する説得的文章の構成を学ぶ)の指導を受け、日本の子供たちが指導を受けていないたくさんの事柄の指導を受けたうえで、こういうプロジェクトの課題をやっています。 ディベートもこういう基礎的な訓練を受けた上で行われています。 リサーチの仕方についてもその都度先生からご指導があります。  (例えば、Wikipediaは、リサーチの出典としては使えないとか。現在では、こんなことは常識でしょうが、娘がミドルスクールにいたころ、インターネットを使い始めた子供たちにはこういう指導も必要でした。  当時、何人かの学生がレポートに誤った事柄を記載し、その学生たちが全員Wikipedia から引用していた、というニュースを夫からも聞きました。)

そういう下地となる教育が全く行われていない日本に、アメリカの授業のような形式をいきなり持ってきて、英語の時間にやらせるのは、英語の先生方にとって、どれほどのご負担になるかわかりません。  それでもその活動で生徒の英語力が向上すればまだいいですが、それによって英語力の向上はほとんど望めません。  アメリカで普通に読まれている文書は、日本の高校卒業程度の文法が分かっていないと読めません。娘が使っていた小学校5年生の教科書でも読めません。 

生徒は、「高校で習う基本的文法事項を母国語で充分理解させるから」そのあと、英語圏で大人が読む英語の文書も読めるようになるのです。  生徒が知らない基本的文法事項を日本語で説明する高校の先生方の指導の仕方は正しいと思います。  分からない言葉で、新しいことを説明しても理解はできませんから。  こうして英語圏で普通に読まれている文書を読めるような実力をつけて、その英語力の上に、大学1,2年で大量のインプットを行えば、3年生くらいから、英語の世界で羽ばたいていくことはできると思います。

高校生にとって英語はこれから学ぶ言語です。 英語が堪能な方の場合、高校生の立場がよくお分かりにならなかったら、言語をロシア語やアラビア語に置き換えてみるとよくわかると思います。    アラビア語を理解するには日本語の解説が必要です。  日本語で英語の授業をする高校の先生方を非難しないでください。  先生方は生徒の英語力向上に必要な授業をなさっていらっしゃいます。  アメリカ人は英語が母国語ですから、「英語で」学ぶ。ができるのです。

(2019年4月15日加筆)

こういう形式の授業について普通のレベルの生徒がどう思っているかは2017年1月14日のブログ「文部科学省の方針(高校英語教育)CAN-DOリストは効果なし」に出てくる2年B組の生徒たちの意見を参考になさってください。  高校時代の私もこの2年B組の生徒と同じ英語力のレベルしかありませんでした。  予習で、英語の教科書の文章を読んでも、全部の文の意味は正確に理解することが出来ませんでした。  授業で先生に文の構造などを解説していただいてようやく文の意味が分かりました。  私のような生徒が、小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英文の資料を読んでも、おそらく全く正確に意味はとれないと思います。  松本茂氏は「読むイコール和訳ではない。 英語で読んだり聞いたりしたことに基づいて、考え、英語で意見を言ったり、やり取りしたりすること。」とお書きになっていますが、高校時代の私は和訳しないと英文の意味は分かりませんでした。  普通の高校生はそうだと思います。(英語を英語のまま理解するということがこの時期の生徒に出来ないことは私が石渡誠氏に対して、たくさんのブログを書いていますので、それをご参考になさってください。それらのブログリストはこちらのブログに載っています)  私の二人の子供たちも、全文和訳しないと、英文の教科書に書いてある文の意味は全く理解できませんでした。 松本茂氏は「読むイコール和訳ではない。」  といったうえで、「英語で読んだり聞いたりしたことに基づいて、考え、英語で意見を言ったり、やり取りしたりすること」とおっしゃっていますが、日本語に訳さないで(つまり意味が分からないで)、その資料に書かれていることについて「考え、英語で意見を言ったり、やり取りしたりすること」は高校生の私にはできませんでした。  教科書を読むことでさえやっとだった私の英語力で、小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英語の資料を和訳せずに理解することなど、全く無理でした。  私の子供たちもアメリカ滞在1年たっても英語を英語のまま理解することなど無理でした。

高校生のころ、新しいレッスンに入った最初の授業はその内容について、生徒が「英語で質問」をし、他の生徒が「英語で答える」という活動がありましたけれど、それさえ、生徒は教科書の中の文を使いながらたどたどしい英語でしゃべりました。  もし、あの時、「英語で自分の意見をまとめる」という作業があったら、一人一人の書いた英文を正しい英文に直すのに、おそらく先生は何時間もの授業時間を費やされたことと思います。  高校時代の私の英語のレベルはそういうレベルでした。  おそらく今、多くの高校の先生方が教えていらっしゃる生徒たちは高校生の頃の私と同じレベルだと思います。 

この松本茂氏の朝日新聞の記事の冒頭に「ある公立の有力進学高の授業を見に行った時のこと。  目の前で展開したのは、「分詞構文がどうこう」と教師が日本語で説明する、従来型そのもの。」という記述がありますが、分詞構文もわからない生徒が「小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英語の資料」を読むことが出来るのでしょうか。 

英語教育改革というとアメリカで英語教育を学んだ人の意見が闊歩していて、日常毎日生徒に接していらっしゃる現場の先生方の意見が非常に軽んじられていると私は感じています。  しかも、アメリカで学んだ方々は、生徒たちが幼稚園の時からプレゼンテーションの指導を受け(各教科でのプレゼンテーションが、行われるようになると、先生がどのような点を採点するのかチェックリストが事前に配られますので、生徒はその点に気を付けてプレゼンテーションの練習をします。)ていることや、Persuasive Essay の指導によって、小学校高学年から論理的な文章の構成の仕方や自分の意見をサポートする効果的な事例、事実の選び方を十分訓練されていることなどには一切触れずに、いきなり、アメリカ型の授業を日本でするように主張されています。  私はそのことに非常に違和感を感じています。  松本茂氏は、何を目的として、きちんと学校で指導されてもいないことをいきなり子供たちに英語でやらせようとするのでしょうか。  指導していないのですから、これでは何の成果も上がらないですよね。  英語を母国語とする人たちがやっている活動を、指導なしに英語歴4年目の高校生にやらせるということの目的は何でしょうか。 この授業内容は生徒の学習段階にも全く合っていませんね。  きわめて不適切です。(英語が母国語の人たちがやっていることを日本の学校でやらせても思考が伴わないことについては、2016年3月1日のブログ「大学教育を英語で行うこと(1)」をお読みになってください。) 日本で英語を学ぶ高校生には、母国語として英語を使う生徒とは違う英語習得の指導が必要だと思います。  しかも日本語は英語と同じグループに分類される言語(ヨーロッパの言語など)とは全く異質な言語です。(語順の違い、発音における音の体系の違い)  これについては2014年11月18日のブログ「英語の早期教育が有効だと錯覚させる2つの誤解(その2)ヨーロッパの英語教育に対する誤解」と2015年8月17日のブログ「なぜ日本人はヨーロッパの人々と同じ英語指導をしても効果がないのか」をお読みください。 

体になじんでいない言語で思考はできない、と私は思っています。  それは高校生の頃の私自身もそうでしたし、アメリカで自分の子供たちがバイリンガルになっていく過程を見ていた時にもわかったことでした。  でもおそらくそれが、今の日本の大多数の高校生の普通のレベルではないでしょうか。  分詞構文を授業で日本語で習っている生徒たちが、小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英語の資料を読んで、英語で思考ができるとは正直なところ思えません。  分詞構文がどういう意味を表すのかわからなかったら、分詞構文の使い方を高校生が理解できる日本語で教えることが、当然ではありませんか。  英語を読ませていれば分詞構文の使い方が自然に分かるようになる、ということは、ありません。  (少なくとも、私にも、私の子供たちにもありませんでした。)    

私は、高校生までは、日本語で英語を教えることが必要だと思います。  あの、連日、真夜中まで続く私の”訳読式授業”で全文和訳(日本語による分詞構文や関係代名詞で表された文の意味の説明)がなかったら、私の子供たちは、教科書を理解することはできませんでした。  バイリンガルにもならなかったでしょう。  この時期の生徒には日本語で教えたものしか理解できませんし、定着もしません。 彼らの体の中で、「言語として機能しているのは日本語だけ」だからです。  「言語として機能する」とはどういうことかというと「その言葉を聞くと頭の中にイメージが広がる」「その言葉を聞くと頭の中で、思考活動が始まる」「無意識でもその言葉が出てくる」そういう状態になっている言語を「言語として機能している」と言います。 日本語で英語の授業をする高校の先生方を非難しないでください。  

授業を見学に行って、分詞構文を先生が日本語で生徒に教えていらっしゃるところをご覧になったら、その高校の先生方を批判するのではなく、「生徒たちは日本語で説明されなければ分詞構文の使い方を理解できない」という事実をご覧になってください。  生徒の現在の状態を正しく把握できないで、教師を非難している人に英語教育改革はできません。  新聞社にメールを送って高校の先生方を批判している暇があったら、もう少し真剣に有識者会議の委員として、英語教育を考えてください。  小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英文資料を生徒が自分で読んで理解できるようだったら、高校の英語の先生方は何のご苦労もないでしょう。  高校の英語の先生方は生徒の英語力向上のために、本当に必要なことをなさっていらっしゃいます。  日本語で授業をする英語の先生方を批判しないでください。  

高校卒業程度の文法事項を身に着けるまでは母国語で説明することが必要です。  それは英語の世界で飛び立っていけるための助走期間のようなものです。




ここからは英語教育改革を見てきた私の感想が書いてあります。(2019年4月16日)

私は40年前、大学生のころ、アメリカから帰ってきた人によって提唱されている英語教育の方法はなんだか、疑わしいと思っていました。  失礼な言い方ですみません。  でも本当にそう思っていました。  そういう人達の方法で勉強してもちっとも英語力が上がらなかったからです。(その筆頭が松本亨氏の「英語で考える指導法」でした。  日本語に訳さない?こんなことやっていたら、今より上の英語力にはいけない、と思いました。  この方法が詐欺だということはすでに皆さんには納得していただけたと思います。)  結婚して、子供を連れてアメリカに行ってそこで子供たちの授業の勉強を手伝ったり、自分で図書館を回ったり、高校の先生にエッセイライティングを指導していただいたりしているうちに、なぜ私が「なんだか疑わしい」と思ったのかその理由が分かりました。  アメリカと日本では、一日の英語のインプット量が全然違います。  朝から晩まで英語が聞けます。  つまり、「社会全体で英語が話されている国」での英語の学び方と、英語が全く話されていない国での英語の学び方は違う、ということが分かりました。 アメリカでは、一日中生活の中で「身の回りの事象」と英語が結びつく体験ができますが、日本にいたら、「身の回りの事象」と英語が結びつく体験は全くありません。 英語が話されている国で学ぶ生徒と英語が全く話されていない国で英語を学ぶ生徒の指導の仕方は全然違って当然です。

昭和50年代、日本で大学時代を送った私は、英語で考えるなんてできませんでした。 (当時のインプットの量では仕方がなかったですね。 やさしく読める英語の本についても知らなかったし。 私が英語で考えられるようになったのは、大量の読書をした後でした。)  でも、英語の先生がそう言うことを言うのは、はばかられる。  だからアメリカに行って英語で考えられるようになった教育者が自分の指導法を主張すると日本の先生方は遠慮してしまう。  それでそういう人たちの英語教育論が幅を利かせるようになる。  今の英語教育改革がそうでしょう。 「日本語を使うな」「日本語に訳すな」「英語で授業だ」「プレゼンだ」「ディベートだ」と提唱される。  そういう言語活動が小さいときからのアメリカのどういう学校教育で出来上がってきているかも知らないで、日本の学校教育で提唱される。  アメリカにいたら、それは日本語は使わないでしょう。    

そして、日本語で一生懸命基本的な文法事項を教えている高校の先生方が非難される。 でも、日本語で説明してあげることが、英語が全く話されていない国では非常に重要だ、ということを私は子供たちの英語習得の過程を見て知っていました。  だから私は「日本語を使用してはいけない」と主張し、「日本語を使わせないことが高い英語力を作る」と主張する指導法に憤りを感じていました。  日本語で説明してやらなかったら、中学生、高校生は英語の習得はできないです。  日本語で説明しないで、日本語に訳さないで、子供たちが英語を理解することはないです。  彼らが英語学習の最初に唯一思考できる言語が日本語だからです。  

それから、日本で日本語を使って暮らしている、つまり、その国で生活する主要な言語が日本語だったら、常に「日本語で表されていることを英語で表現する」という必要性が出てきます。  (アメリカにいるとその必要性はありません。)  そういう英語以外の言語が生活の主要言語となっているところでは、英語と日本語の関係を知って教える必要があります。  その関係を知っているから、日常使っている日本語でこういうことを表現する場合は、英語では、どういう表現になるのか、もわかるのです。  初級者中級者には、特に必要です。  生活の基盤が日本語の場合、学習者がそれを知らないと、母国語で思ったことを英語にすることができません。  松本茂氏は、「英語教育改革はなかなか進まないですね。困ったものです。」とメールを新聞社にお送りになって、こういう記事が掲載されたようですね。  でも、高校の先生方の日本語による英語指導がなかったら子供たちは正確に英語を理解することはできないです。    

批判をされても高校の英語の先生方はじっと耐えて、子供たちに本当に必要な文法知識を日本語で教えてくださっています。 高校レベルの文法の知識がなくてわかるのはせいぜい旅行英語のレベルでしょう。  そんなに、「英語で授業」をして、アメリカでやっている討論やプレゼンを英語でやらせたかったら、自分が普通のレベルの公立高校の1年生を集めて指導してみたらいい。  「分詞構文も知らない普通の公立高校の1年生が、小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英文資料を読んで、どんな英語で意見を表明するか、聞いてみたらいい。」そう思いました。  やってみれば、とても授業にならないことが分かるでしょう。  思考できる言語がまだ、日本語だけの場合、英文を訳さず見ているだけでは、理解はできないです。

高校の先生方がなさっている基本文法を説明する授業は地味な授業です。  小笠原諸島の貴重な生態系について保存か、開発かを英語で意見を述べたり、やり取りをしたりする華やかさは何もない(これが本当に全国の高校で出来るのか疑問ですが)。  でも、そういう基本文法を知らなかったら、英語で何も言えないのです。  アメリカに行ったばかりのころ、来る日も来る日も、まるで砂浜の砂粒を一つ一つ数えるように、大量の英語を一つ一つ日本語に訳して、子供たちに教えていた日々を思うと、そういう地味な勉強がいかにしっかり英語を理解するために必要だったか、わかります。  日本語で英語の授業をする高校の先生方を非難しないでください。  この国で、初級者中級者が唯一思考できる言語は日本語なのです。  

「分詞構文も日本語で教えないで、生徒が「小笠原諸島の貴重な生態系について書かれた英文資料」を読んで英語で意見が言える」と思っている英語教育の専門家が日本の英語教育改革を率いているから、英語教育改革は失敗するのです。  松本茂氏はあまりにも現実の高校生の学習段階を知らなすぎる。  こんな現実から遊離した英語教育をどうやって実行するのですか。  プレゼンテーションの訓練がいること、Persuasive Essay の指導をどこで行うのか。  全く具体的なプランがないままこういうことを提唱されても高校の先生方は対応できません。  松本茂氏は、文部科学省の「英語教育の在り方に関する有識者会議」の仕事を本当に真剣に考えてなさっていらっしゃるのでしょうか。  分詞構文もわからない生徒が英文資料を読んで英語で意見が言えると本気で思っている大学の先生がいるなど、信じられないです。  「大学の先生が、高校生の英語学習段階をそこまで知らない」ということに私は衝撃を受けました。  英語の先生方がこんなに苦労しているのに、あまりにもおっしゃっていることが現実からかけ離れていて、私は驚いています。  新聞社にメールを送って、高校の先生方を批判する暇があったら、有識者会議の委員として、もっと真剣に英語教育を考えてください。  英語教育改革がなかなか進まないのなら「どうして進まないのか」その理由を考えなければいけないのではないですか。  「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と打ち出してから10年が過ぎた。  でも、公立の有力進学高の先生が分詞構文を日本語で教えているのはなぜか、どうして、その理由を考えないのですか。  理由は、「わからない言語で新しいことは教えられない」からです。  それでは「生徒が理解できない」からです。  それが現実だったら現実を直視して、プラン(A)に変わる英語教育改革プラン(B)を考えるべきではないですか。  松本茂さんの考え方には根本的な間違いがあります。 まず、「英語を」勉強しないと、「英語で」学ぶことはできないです。  わからない言葉で、初めて学習することを学ぶことはできないのです。  だから英語で分詞構文は教えられないのです。  松本茂氏だって、アラビア語の意味を知っていなければ、「アラビア語で」学ぶことはできないでしょう。  それと同じです。  松本茂氏が「英語で」学べるのは英語の意味が分かるからです。 私は高校生は、まだ「英語を」学ぶ段階だと思っています。  松本茂氏は高校の先生が出来ないような方針を出した自分たちが間違っているとは思わないんですか。  自分は正しいのに言う通りにしない英語の先生方が悪いというのですか。  高校の先生方は日本語で授業をして、「この方法は高校生にはできないのです」と赤信号を出しているのですよ。  その赤信号を松本茂さんは見ようとしないだけです。  現実を直視してうまくいかない原因を考えないから英語教育改革が進まないんです。  

プレゼンテーションの指導もしないで「発表させる」(しかも英語で)、
Persuasive Essay の指導もしないで「自分の意見をまとめる」(しかも英語で)、
分詞構文も日本語で説明しないで「英文資料を読ませる」、
松本茂氏のいうことは現実にはできないことばかりではないですか。  「英語教育改革はなかなか進まないですね。困ったものです」といわれたって、これじゃあ、やりようがないです。

 
私はこの新聞記事を読んだとき、怒りを感じました。  「そのことをするための実力をどうやって子供たちに着けさせるのか」その事には一切触れず、華やかな活動ばかり提唱する。  現場の先生が直面する問題には目もくれない。 

分詞構文一つ生徒に理解させるのだって先生方がどんなに苦労しているか、知っていますか。  授業には1を聞いて10を知るような生徒ばかりが参加しているわけではありません。  (英語でディベートするような生徒ばかり見ているとそういうことはお分かりにならないのかもしれないですね。)  松本茂さんは実際にそういう授業を見たって、「日本語で分詞構文がどうこう」と先生を批判するのですから、先生方の苦労はわからないのでしょうね。 そういう全部の生徒に先生方は、地道に一つ一つの文法事項を教えていらっしゃいます。  新しい文法事項を生徒が理解するには時間がかかります。  理解しても今度は自分が使えるようにするのに時間がかかります。 そういう地道な授業を積み重ねて生徒は英語が分かるようになります。    
  


私もアメリカの学校でどんな授業をやっているか知っています。  でも、それを日本の高校でやればいいとは思いません。  なぜならそういう授業内容が出来るようになるまでに、子供たちがどんな勉強をしていたか知っているからです。  教科書を全文和訳して、理解した意味と教科書の英語を一つ一つ結び付けて理解していく長い道のりがありました。  日本の高校生はあの時の子供たちと同じ段階にあると思うからです。  まず、「英語を」勉強しないと、「英語で」勉強することはできないです。  当然ですね。  わからない言葉で、勉強はできないです。  私は高校生は、まだ「英語を」学ぶ段階だと思っています。  それは、日本の高校卒業程度の文法を理解していないと、アメリカで普通に読まれている文書も読めないからです。  高校時代は英語で考えるとか余計なことをやらせないで、とにかく早く英語圏で普通に読まれている文書が読めるようにしてあげたほうが、次の大量のインプットの段階に進みやすいと思います。  彼らがこれから仕事や学業で使う英語は、大人の英語です。  だったら、社会で使われている大人の英語を大量にインプットして大人の英語で思考できるようにしてあげれば、十分だと思います。  そうすれば、いちいち中学高校で「英語で考える」などと授業時間を割いてやらなくても、その時、どちらもできるようになります。(日本で中学生、高校生がインプットできるくらいの量の英語では、とても英語で思考するようにはなりません。)
  

松本茂氏は「読むイコール和訳ではない。  英語で読んだり聞いたりしたことに基づいて考え、英語で意見を言ったりやり取りしたりする」と書いていますが、分詞構文も日本語で習わないで、生徒がこんなことを本当にできるとでも思っているのですか。  英語教育では、新しい文法事項は一つ一つ生徒に教えていきます。  いくつもの文法事項を一緒に教えたら、生徒が混乱して、どれも生徒に定着しないからです。  現在完了と仮定法を一緒に教えたら、生徒は混乱して、結局どちらも身につかないのです。  そうやって一つ一つ教えて、理解させて、定着させて、使えるようにしていきます。  それは時間がかかります。  でもそれをしないで、生徒の知らないたくさんの文法事項が入っている英文を読ませても、結局生徒は英語が分かるようにはならないのです。 (高校の先生方はみんなそのことを知っています。英語教育を専門的に学ばれているからです。) 渡米直後、そうやって、洪水のような英語を一つ一つ子供たちに教えていたころのことを思うと、松本茂氏のような安易な英語教育を提唱している人に私は怒りを感じます。  松本茂氏もやってみればわかります。  きちんと一つ一つ教えないで、生徒に知らない文法事項を使って書いてある英文をただ読ませていたって、生徒は何も理解できるようにはなりません。  石渡誠氏もそうでしたけれど、英語を英語のまま読ませていれば、生徒に意味が分かるようになる、ニュアンスが分かるようになる。ということはありません。  松本亨氏は、和訳しないで本を読みなさい、とも書いていましたね。(2017年2月4日のブログ「英語の思考活動」)そんなこと出来ないですよ。  英語が堪能になったひとは、「私はそれが出来た」「僕は最初から英語のまま理解できた」というかもしれませんけど、そういうことはありません。  ひとつひとつ知らない文法事項を学んでいたころを本人が覚えていないだけです。  どうもそれが人間の習性らしいです。  松本茂氏も覚えていらっしゃらないみたいですね。  文法事項や語彙を最初は日本語で一つ一つ理解して英語が出来るようになっていきます。  その証拠に、松本茂氏だって、フランス語を何回読んでも、ロシア語を何回読んでも、意味が分かるようにはなりませんでしょう。       


英語教育は、中学、高校で、生徒が理解できるように日本語で教えなければ、生徒は英語は身に着けられません。  高校レベルの英語で「英語のまま読ませていれば意味が分かる」、「英語のまま聞かせていれば意味が分かる」ということはありません。  彼らにとって、言語として機能しているのは日本語だけですから。   


ここから元の主題に戻ります。


松本亨氏の英語学校が経営危機に陥ったのはある意味当然だったのではないですか。
●初級者中級者は日本語訳を使ってはいけないといわれたら、自分の言いたいことを英語でしゃべれませんし、
●「校内英語だけ(英語で授業)」というやり方では生徒の発音はめちゃくちゃになりますし、
●英単語を訳さずそのままFreedom, Freedom と生徒に言わせても、生徒は単語の意味もニュアンスも分かるようにはなりませんし、
●英文和訳はいけないが、和文英訳は大いにしなさい、というやり方は原理的に不可能ですし。(日本語訳と結びついた英単語が頭にない)
松本亨氏は日本人の英語力が上がらない理由を「日本語訳を使うからだ」と間違って特定したために、そこから考え出された方法は上のように間違ったものばかりになってしまいました。 これでは、生徒が集まらなくて経営危機に陥ったのもある意味当然だったのではないですか。 松本亨氏は学校内英語オンリーにして、そこに自分が長く生活したアメリカを見ていたのかもしれませんが、それは、実質的には、アメリカとは全く違います。(2019年1月30日)

松本亨氏、石渡誠氏(FORWARD英語学校)の提唱する「英語で考える指導法」は終わらせなければなりません。 日本人の英語力向上の障害となります。 二度と学校教育に持ち込まれないように、終わらせなければなりません。

石渡誠氏は自分の学校のHPで「英語学校FORWARDのカリキュラムは故松本亨先生の学習理念に基づくもので、英語学習においては35年以上のゆるぎない実績を誇るものです。」と述べていますが、松本亨氏の学習理念は机上の空論だったのですよ。(こちらのブログ)  松本亨氏の学習理念は、松本亨氏が①「日本語訳を使ったこと」を忘れたのと②「日本語訳は害悪だと思い込んだこと」と③「アメリカのESLの指導法との混同」で提唱されたものだったのですよ。  石渡誠氏は、こういう①「忘却」と②「日本語訳に対する偏見」と③「日本とアメリカの混同」に基づいて提唱された詐欺指導法で、35年も消費者からお金を取って学校経営をしていていいとお考えですか。  何が35年のゆるぎない実績ですか。  35年も日本語訳が害になると生徒を騙(だま)してきただけでしょう。  35年も英語のまま言っていれば、ニュアンスが分かると生徒を騙していただけでしょう。  「35年以上のゆるぎない実績」どころか、35年も全く効果のない「英語で考える指導法」で生徒を騙してお金を取ってきただけでしょう。  「35年以上生徒を騙したゆるぎない”実績”」でしょう。  そして今度は、そのアメリカのESLと同じ「英語で授業」を日本の中学、高校の授業にまで持ち込んで子供たちの英語教育を、めちゃめちゃにしようとしただけでしょう。

石渡誠氏は自分の英語学校FORWARDのHPで、「松本亨高等英語専門学校で、人生はテクニックではないということを全身に教えられた」とおっしゃっていますけれど、英語学校は人生を教える前に「正しい英語教育」をしていただきたいと思います。  日本の中学、高校の英語教育を壊すような詐欺同然の英語教育の提唱は止めていただきたいと思います。

世の中がテクニックで渡れるほど甘くないということはみんな日々の生活の中で知っています。  石渡誠さんにとって、10代の時に出会った松本亨氏の教えはインパクトがあったのかもしれませんが、松本氏の「英語で考える指導法」にいつまでも盲目的にしがみついていないで、自分が大人になった今、松本亨氏の「英語で考える指導法」が本当に正しい指導法だったのかどうか、ご自分の頭で、きちんとお考えになった方がいいと思います。  なぜなら、教師が間違っていると、犠牲者が一人では済まないからです。  実際に、石渡誠氏のために日本の高校英語教育が被害を受けました。  10代の時の印象のまま、英語教育をしていたら間違っていた、ということもあるのですよ。  特に石渡誠氏は、日本で行う英語教育(日常生活で全く英語を聞くことがない国で、全く異質な言語(英語)を教えなければならない教育)について大学で学んでいませんね。  一日中英語を聞ける環境と聞けない環境の違い(インプットの量の違い)は英語教育においては重要な違いです。  日本で英語を教える教師なら、その点をきちんと日本の大学で学習されたほうがいいと思います。


2018年12月27日
はてなダイアリーからはてなブログに移行しましたが、文字の色や大きさを全く同じに移行することが出来ませんでした。  「赤い字の部分」「太字の部分」と指摘した箇所がその通りになっていないところがありますが、ご了承ください。


2018年12月6日

2016年11月6日のブログに、私が2015年5月、夜中に家で倒れたのは、「嘘の指導法を文部科学省に持ち込み、日本中の子供たちに嘘の指導法をさせようとしている人たちがいる」と知って、怒りで夜もよく眠れない時だった、と書きました。  それで、頭を打って、先生から「4日目が峠です。」と言われても、峠が越えられなさそうでも、私の頭の中には「そんな指導法を日本中の子供たちにさせてなるものか」という思いしかなかった、と書きました。  私が何を見て、それを知ったかというと2015年5月7日のFORWARD英語学校石渡誠氏のブログでした。
「英語で授業」など中学校でされたら、中学生の発音も英語力もボロボロになってしまうと思いました。  

それで、私は「英語で授業」をやめてもらおうと、必死で6月1日のブログの原稿を書きました。  (話は飛びますが、安河内氏の提唱する4技能についても同じで、そんなことを中学校でされたら、子供たちの発音がめちゃくちゃになるのは目に見えていました。  だからこれも、何としてもやめてもらいたいと思いました。詳しい理由は今日の本題のブログに書いてあります。  大学入試で、「学校でスピーキングの基本スキル(正しい発音で文章をしゃべる)を教えていないのに」スピーキングのテストをすることになったのも、この教師が4技能、4技能というからでしょう。  「中学、高校時代にどのように生徒に発音習得をさせるのか」ご自身の経験がないまま(つまり、ご自身は3技能しか習得していないのに)、4技能、4技能と提唱するから、生徒たちは学校で教えてもらってもいないスピーキングのテストを大学入試でされることになったのです。  高校生が気の毒です。  「英語で授業」の方針を持ち込んだのもこの教師です。(こちらのブログ)  高校生はこの教師のせいで、よくわからない「英語で授業」をされて、教えてもらってもいないスピーキングのテストをされることになって、本当にかわいそうです。  この教師は予備校の先生だそうですが、予備校の先生だったら、高校生が大学受験でどれほど必死になっているかご存じでしょう。  それにもかかわらず、大学受験で教えられてもいないスピーキングのテストを生徒が受けなければならないようにしたのは、この人が高校生のことを全然考えていないからです。  この教師はいたずらに高校英語教育をいじり、結局問題をまき散らしただけです。  高校生に申し訳ないことをしたと思われませんか。 この時期に高校生になった子供たちはこの教師のせいで、本当にかわいそうです)

頭を打ってからあまり体調は良くなかったですけれど、私は子供たちに間違った指導法をさせたくないという思いだけで、ブログを書いてきました。  本当に中学校で、「英語で授業」だの「4技能」だの、やめてもらいたかったです。

それなのに、2017年になってもFORWARD英語学校の石渡氏は、日本語を使わせない指導法の提唱をやめることはありませんでした。(2017年7月30日のブログには「英語を英語で教えるということが中高でも広まってきて、よいことです。」と書いていました。    

私が必死でやめさせようとしていることを、この人はまだ、子供たちにやらせようとしている。  それも自分の商売のために。  子供たちの発音や英語力をめちゃめちゃにする方法をこの人はまだ子供たちにやらせようとしている。  信じられないことでした。  「英語で授業」の結果子供たちがどうなるのか、アメリカで娘と息子の英語習得過程をゼロからバイリンガルになるまでぴったりついて見てきた私にはよくわかりました。  ビジネスは大事でしょうけれど、石渡誠氏は、子供たちの学校教育を犠牲にするようなビジネスのやり方はおやめになってください。  私が止めなかったら、石渡誠氏は、日本中の子供たちの発音と英語力をボロボロにするところだったのですよ。  もう「日本語訳が害になる」と嘘(うそ)を提唱するのはやめてください。  英和辞典が害になるなどと提唱するのはやめてください。 なんで26年間も嘘(うそ)を提唱してきて、いまだにやめないのですか。 石渡誠氏(FORWARD英語学校)は、自分の商売のために「日本語訳を使って英語を教えると英語力に害がある」と嘘をつき通して、日本の英語教育をボロボロにする気ですか。  



(2018年12月2日)
2017年2月4日のブログ「英語の思考活動」の終わりの方に赤い太字で文章を書き加えました。
「26年間と言ったら、石渡さんの教師生活のすべての期間、生徒を騙(だま)してきたということですね。」から、始まるパラグラフです。

 太字中ほどの、若かった松本亨氏は「英語のまま理解する練習」を始めた時、「なぜ、その時までに自分が英語を見て意味が分かるようになっていたのか」その理由を考えることはありませんでした、という部分から、読んでいただくとよくお分かりになると思います。 (「その理由」とは、もちろん「7年前から日本語訳で英語を学んでいたから」です。)

一人の若者の思い込みに、日本中が50年も惑わされてきた、ということでしょう。  


昨日(2018年11月8日)、とてもうれしいことがあったので、書かせていただきます。
私の提唱する発音習得の方法「川合メソッド」はお手本の発音と自分の発音を聞き比べて直していく方法です。  今まで、この方法は日本の発音の先生方には、「生徒が自分で発音を聞いて直すことなどできるわけがない」と全く理解されませんでした。  

けれども、昨日、私があるアメリカ人の先生に「自分の耳を使って発音を習得する川合メソッド」について説明したら、その先生は大きくうなづいて、「あなたのメソッドは発音をインターナライズするのですね」と理解してくださいました。  Internalize というのは「内面化する」「採り入れて自己のものとする」という意味です。  そのアメリカ人の先生は、川合メソッドがまさに耳を使って発音を自分の体に取り込み、自分の発音としてしゃべれるようにしていくメソッドだと理解してくださいました。  

発音の先生方は「生徒に発音は直せない」とおっしゃいますが、ポイントは、そういうことでは無いのです。  「自分で発音を聞き比べて直していくことを繰り返す過程で、発音が学習者の体の中でインターナライズされる」ということなのです。  このアメリカ人の先生は、私の説明を聞いてすぐ、この川合メソッドの神髄を理解してくださいました。(川合メソッドの原理については著書「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」の第一章、二章に解説してあります)  私はそれが、とてもうれしいと思いました。  

私のDVDは、撮影も編集もプロのカメラマンが行っています。(映像の編集の仕方を見ていただけばすぐわかると思います。)  けれどもDVDには発音記号も文字も一切入っていません。(本の巻末がDVD用のテキストブックになっていますので、発音記号や英文はそちらを見ていただくようになっています。)これは私の方針です。  最初はテキストブックを見て練習していただいて結構ですが、慣れてきたら音だけに集中して聞いていただきたいからです。  発音記号や「つづり字と発音の関係」に注意を分散して英文を聞いていると、「聞いた通りの音で発音する」というより、「自分がこうだと思っている音」で発音している場合がほとんどです。  

なぜなら、そういう聞き方では、耳が日本語にない音を「言語の発音とは関係ない音」としてはじいて(Tune Out)しまうのです。  その壁を乗り越えて、日本語の世界にない音を聞けるようにするためには、少なくとも一定期間、英語の「音」だけに没入して、聞くことが必要になります。  70年日本人が聞けなかった音(子音の長さなど)を聞けるようにするためですから、そのくらいの集中力が要ります。  それで、DVDには音以外のものは入っていません。  発音練習で最も大事なのは耳の「聞く力」を上げる練習だと私は思っています。  耳がTune Out する状態から抜け出すために、学習者の「聞く力」を育てることが最も大事なことだと、私は思っています。

こういう、「日本の発音の先生方には全く理解されなかった川合メソッドの神髄」を初めて理解してくれたのが、アメリカ人の先生だったということに、少し驚きました。  長く日本で英語を教えていらして、私でさえ時には聞き取れない日本人の英語を一生懸命聞いてご指導なさって来た先生だったからこそ、このことがお分かりになったのだろうと思いました。  アメリカ人の先生が、直しても直しても直らない日本人の発音を直すには、学習者が自分で発音をInternalize しなければ直らない、ということがお分かりになったのだろうと思いました。  とてもうれしかったです。  でも、やっぱり、川合メソッドの最初の理解者がアメリカ人の先生だった、ということに少し驚きました。

「発音をInternalizeする」ということがピンと来ない、という方は、下のブログをお読みになると感じがつかめると思います。

2013年9月4日のブログ 「手に取るようにわかる」


川合メソッドは私達がもともと体の中に持っている「聞いた音と同じ音を出そうとする仕組み」を訓練しながら発音を習得する方法です。

これについては、下のブログも参考になさってください。

2015年3月13日のブログ
「キーワードと耳の力」(一つのことが出来るように練習していくと、なぜ全体が出来るようになるのか。  耳がその音と同じ音を出すために必要なすべての力を動員してくるからです。)




(お知らせ)川合典子公式サイトの「通じない日本人の英語」のページに「英語本来の子音で話せるようになる練習(川合メソッド2)」を掲載いたしました。  まだ、日本語の子音で英語の子音を代用して話している方は、ぜひ練習なさってください。  英語がよく通じるようになります。(英語と日本語の子音の違いは日本人が戦後70年、聞けなかった違いです)  

私は先週、友人から「デニスが、典子の英語は聞いていてカムフォタブル(comfortable)だって言ってたよ。」と言われました。  たぶん、私の英語は子音に長さがあるので、緊張して聞いていなくてもわかる、ということだと思います。  皆さんもぜひ、長さを持った子音で話せるようになる練習をしてみてください。  日本人は「流ちょうに話していても、何を言っているのかわからない」と言われるのは、子音が短くて、聞き取りにくいからです。

2006年、アメリカから戻った私は、今、日本で英語を学ぶ人たちがどのような勉強をしているのか知りたくて、いろいろな勉強会に参加しました。  そういう時、休憩時間に休んでいると「どうやって発音を勉強したのですか」と聞いてくる方が時々いらっしゃいました。

今思うと、そういう方々は私の発音を聞いて、「子音に長さがある」ということは特定できなかったかもしれませんが、他の日本人の発音と「何か音が違う」ということは聞き取っていたのではないか、と思います。  だから、「発音に関しては、どういう勉強をしているのですか」と聞きにいらしたのだと思います。  そういう方々は、たぶん、聞く練習をたくさん行って耳の聞き取る能力が高くなっていた方々だと思います。  もちろん、聞く練習をほとんどしたことがない方々は私の発音を聞いても音の違いは判らないと思いますが、そういう方でも川合メソッド2のような、それに特化した練習をしていただけば、「英語本来の長さを持った子音」で話せるようになります。  ぜひ、練習なさってみてください。


今日のブログを始める前に一つ書かせていただきます。


私は今まで文部科学省の英語教育の方針に反対してきました。  中学時代、学校の勉強の一環として、自分で発音習得をしてきたおそらく日本でただ一人の英語教師として、また、18年にわたり、子供が小学校、中学校、高校、すべての段階で、ゼロからバイリンガルになる過程をそばで、つぶさに観察した、日本でただ一人の英語教師として、私は、文部科学省の英語教育改革に真正面から反対してきました。  「英語で授業」、「高校入試、大学入試のスピーキングテスト」、「CAN-DOリスト」等々。 

子供は、自分で自分を守れません。大人が決めたことに黙って従うしかありません。  ですから、誤った英語教育改革から子供たちを守りたいという気持ちが強いです。  

私の言う通り、中学校で英語教育をしてもらえば(やり方はこちらのブログ)、日本人は、ネイティブ発音になります。  世界中どこの国もやっていない学校教育のやり方で、皆さんのお子さんは、ネイティブ発音になります。  13歳の子供の耳の力を使って発音を習得させるからです。 耳の力についてはこちらのブログをご覧ください。   13歳の耳の力を使って発音を習得させるとこういう発音になります。(ホームページ「通じない日本人の発音」より転載)

会話学校に行かなくても、発音の先生に習わなくても、塾に行かなくても、学校の授業と宿題(家庭学習)を地道に行いさえすれば、皆さんのお子さんは、ネイティブ発音になります。  それが可能なのは、13歳の子供の耳の力を使うからです。  「“耳”を使って発音を習得させる」というのは、帰国子女が発音を身につけるのと同じ原理で子供たちに発音を習得させるということです。  親が払っている税金で行われている学校教育ですから、そのくらいの成果を上げなくてはいけませんよね。
こちらのやり方のほうが、大学入試でスピーキングテストを行うより、はるかに子供たちのスピーキング能力を上げます。  子供たちの耳の力を使うこのやり方に匹敵するスピーキングスキルの習得の仕方はありません。

私が、「中学時代まともに発音習得をしていない人が、どんな英語教育改革を提唱しようと、そんなものは日本人の英語を通じるようにするためには、全く役に立たない」と断言するのは、自分がこういう経験をしているからです。

(ここから先は以前と同じ文章です。)
 
中学3年間、私がこちらのブログで述べたように「耳」を使って学校で発音教育してもらえば、子供たちは、発音に関しては完璧な英語コミュニケーション能力を身につけます。  その教育の仕方が日本中に徹底されたとき、日本人はアジアの中でもよい英語発音で話す国民だ、と言われるようになるでしょう。 

最近では高校時代、夏休みにアメリカに短期留学する生徒もいます。  中学時代、(私が重要だと強調する)「耳」を使って発音を習得した生徒の中には、私が赤い本「英語発音、日本人でもここまでできます。」の17ページに書いた「突然身についたネイティブ発音」と同じ体験をそこでする生徒も出てくるでしょう。  「耳」の能力を鍛えて発音を習得させておくと大量に英語を聞く状況に入ったとき、そういうことは十分に起こり得ます。

スピーキングの能力には、スピーキングの能力の鍛え方があるのです。  中学時代、学校の勉強の一環として、発音習得をした経験のない人がどんな英語教育改革を提唱しようと、そんなものは全く役に立たないのです。  学校で英語をたくさんしゃべらせれば日本人の英語が通じるようになるわけではないのです。

私たちの母国語、日本語は子音を単独で発音することがありません。  だから私たちはヨーロッパの人々のように、簡単に英語がしゃべれません。  それは日本人の大きな弱点です。

でも、だったら、この弱点を逆手にとって、世界のどこの国もやっていない学校教育で、英語発音についてはアジアのトップレベルに躍り出ればいい。  

CDを使って、中学3年間、英語の発音そのものを文章のまま徹底的に子供たちの頭と口にコピーしてしまえばいいんです。「“耳”を使って発音を習得させる」というのは、帰国子女が発音を身につけるのと同じ原理で子供たちに発音を習得させるということです。  子供たちがネイティブ発音になったら誰も文句はないでしょう。  
CEFR だとか、CAN-DOリストだとかヨーロッパの真似ばかりしていないで、独特の母国語を話す私たちは日本独自の方法で子供たちをネイティブ発音にすればいいんです。
日本人の発音が通じるようになれば、目的は達成されるわけでしょう。  入試でスピーキングテストをするより、こちらの体制を組むほうがはるかに効果的です。
体制を組んで3年後、大人は子供たちの発音の良さに驚愕するでしょう。


文部科学省は早く、中学校で、この方法を実施してください。  そうしないと、英語教育でここまで遅れてしまった日本は、グローバル化の流れの中で取り残されます。  子供たちがネイティブ発音でスピーキングができるようになる英語教育のやり方はあるのです。  
日本人は英語習得については、不利な条件を持っています。  不利な条件を持っている国がトップに立とうと思ったら、他の国と同じことをしていては、だめです。  その不利な条件を跳ね返すような独自の方法で子供たちを教育していかなければだめです。

入学試験にスピーキングのテストをするというのは、子供たちに、「入学試験に合格したかったら、どこかへ行って発音を習ってこい」というのと同じです。  これでは、学校教育をしている意味がありません。

文部科学省が学校教育で子供たちをネイティブ発音にすればいいのです。  そうしたら、国民は文部科学省の方針を高く評価するでしょう。  70年間、通じなかった日本人の英語発音をアジアのトップレベルにまで引き上げたのは、今の文部科学省だと国民は、高く評価するでしょう。

子供たちがネイティブ発音でスピーキングをするようになれば、臨界期仮説を信奉している世界中から、日本はどうやって英語教育をしているのか、と驚かれるでしょう。  やり方は、日本が戦後「日本的経営」で目覚ましい経済成長を遂げた時と同じです。  母国語が英語とは全然異質な音で、他の国のような英語教育が出来なかったから「日本独自の方法をとった」ということです。  臨界期仮説のもとになった調査では、幼児期を過ぎて英語圏に来た人たちについては、発音のために何か特別なことをしていた人たちが調査の対象となったわけではありませんでした。  特に「耳の聞く力を上げる」という訓練を受けた人たちが調査の対象となったわけではありませんでした。  私達は日本独自の方法として13歳の子供の耳の力を使えばいいのです。  私も行った方法ですし、こちらの中学生も行った方法です。  一定の成果がありましたので、この方法を中学校の英語教育に導入するのに問題は何もないと思います。

発音習得における耳の役割については2011年7月8日のブログ「機械に発音の判定をさせること」をご覧ください。  そこには、「臨界期」をとっくに過ぎた30代50代の人まで、耳で聞いた音から、自分の鼻腔への通り道を開けて英語の音質で話せるようになった事例にも言及しています。  私は、「大人になってから発音を習いに来てニューヨークでアメリカ人からも「きれいな発音ね。」「女優さんみたいな英語ね。」と言われた生徒さん」も見ていますから(こちらのブログ)、何にもしなかったら、臨界期仮説は正しいかもしれないけれど、耳の聞く力を上げる努力など、様々なことをした場合は、年齢による制限は絶対的なものではない、と思っています。  13歳だったら、なんの問題もありません。





文部科学省は「英語で授業」という方法を、多くの高校の先生方の反対を押し切って、効果の検証もせずに「鶴の一声」で、高校に導入しました。

「英語で授業」の根拠になった「英語で考える指導法」は、提唱者の松本亨氏でさえも実際には行っていない指導法でした。

松本亨氏の提唱する勉強法は英語学習第2段階に入った人の勉強法です。 最初からする勉強法ではありません。(英語学習第2段階の説明はこちらのブログに書いてあります。  そこには、松本亨氏が、「最初に日本語訳を使ってよく理解した文章」を7年たって、英語のまま理解しただけだということが書いてあります。


日本には、日本語訳を使わず英語を習得した人など一人もいないのに、文部科学省は「英語で授業」という手法を効果の検証もせずに全国の高校に導入しました。
それに対して、耳を使って、中学校で学ぶ英文全部を発音そのまま生徒の頭と口にコピーする方法は少なくとも私とこちらの中学生の二人は、実際に行って成果を上げているわけです。  だったら、中学校の英語教育に導入する根拠は十分あると思います。  少なくとも日本人が誰も成功していない「英語を英語で理解する方法」(英語で授業)よりはずっと、効果を保証するものだと思います。


文部科学省は「今、方針を変えると批判される」と思っているかもしれませんが、文部科学省を批判する人に対しては「3年後を見てください」と言えばいいわけです。  子供たちがネイティブ発音でスピーキングを始めたら、文部科学省を批判した人たちは、「無知だったのは自分の方だった」と恥じるでしょう。  「自分は英語教育者として全く無能だと世間に宣言していたようなものだった」と恥じるでしょう。  その時、彼らの英語教育者としての生命は終わりますから、文部科学省は、何も恐れることはありません。  国民も子供たちをネイティブ発音でスピーキングできるようにした文部科学省を称賛こそすれ、批判する人など一人もいないでしょう。

今の状態で、入試でスピーキングのテストをするのは、子供たちに教室で親の収入による差別を実感させます。  これだけは、何としてもやめていただきたいのです。  方針を変えて、学校で、発音指導をしてください。  子供たちがネイティブ発音でスピーキングを始めた時、文部科学省を批判する人など、誰もいません。  文部科学省の方針を称賛こそすれ、非難する人など誰もいないと思います。 後世の人々からも高く評価されると思います。 

日本の子供たちをアジアのトップレベルの良い発音で、スラスラ英語が話せるようにしてやりたい、と思いませんか。  日本人でも、そこまでできます。  子音を単独で発音できないという母国語の弱点を跳ね返すような独自の英語教育を行えば、それは、実現可能です。 




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それでは今日の本題、「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」に入ります。

今日のブログをお読みになる前に下の2つのブログをまだお読みになっていない方は、先にそちらをご覧ください。  そのほうが今日のブログは分かりやすいと思います。

(1)  2017年10月12日のブログ文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。  (本当に効果のある英語学習指導要領の見本が書いてあります)
(2)  2017年11月2日のブログ「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?


大学入試に民間試験を導入しようという動きとともに高校入試にスピーキングテストを導入しようという動きが始まりました。 民間試験導入は自民党下村博文議員が強く推し進めています。 大学入試改革の理論的支柱は鈴木寛氏であると羽藤由美先生のツイッターで知りました。 鈴木寛氏は民間試験の見直しが決まった後でも、するべきだったとこちらの新聞記事で述べていました。

それではまず、高校入試の出題範囲から考えてみたいと思います。  高校入試の出題範囲は、中学校で学習した内容です。  中学校で学習していないことは公立高校の入試には出題されません。  もし、中学校で教えないような難解な文法問題が公立高校の入試で出題されたら、必ず、中学校の先生方から、「不適切だ」と指摘されて、その問題は採点の対象から外されるでしょう。  では、スピーキングの基本的なスキル、つまり正しい発音で文章を話すことを、中学校で教えているか、といえば、新学習指導要領でも、教えていません。
発音習得は上の(1)のブログに書かれているように行いますが、現在、生徒たちは発音練習に使う音声モデルさえ与えられていません。  授業中にCDを聞かせられるでしょうが、発音を習得するには、教室で1,2回CDを聞く程度ではとても、正しい発音で文をしゃべれるようにはなりません。  家庭学習で何回も音声モデルを聞きながら、同じように言う練習をしなければできません。

私は4,5年前、知り合いから、使用した後の中学一年生の教科書をもらって、中身を見ましたが、発音記号は全部ではなく、7割くらいが欄外に書いてありました。  日本人が注意を要するものを選んだのでしょう。  最後の単語リストのページには単語は発音記号付きで書いてありましたが、基本的な発音はどうやって発音するのか、その説明は書いてありませんでした。  先生がご説明されるのかもしれませんが、教科書を見る限り、発音記号ごとの発音の仕方の指導は、それほど重要性をもって行われていない、という印象を受けました。

50年前、私が中学一年生の時に親に買ってもらったテープの教材も、発音記号ごとの発音の仕方は書いてありませんでした。  指示書には、「テープをよく聞いて、聞こえた通りに発音しましょう」としか書いてありませんでした。  確かに音を聞いて聞こえた通りに言う練習は発音練習の9割以上を占める大事な練習なのですが、その前に一つだけしなければならないことがあります。  それは基本の発音はどうやって発音するのか知ることです。  当時、中学生の私には、自分の口をどうしたら、同じ音が出せるのか、わかりませんでした。  学校でいくつかの発音記号の発音は習った気がしますが、先生の説明だけではよくわからない点があったので、ラジオの英語番組を聞いたり、発音記号ごとの口の形の写真を見たりして、勉強しました。  そうやっていろいろな説明を見て、中学一年の自分でも、よく理解できる説明を選んで参考にしました。  (私のDVDの音の説明がとても簡単なのは、こういう理由です。  中学生の私は、ひとことで言えるような音の特徴でないと、文章の発音練習の時、思い出せませんでした。 こまかい音の解説など思い出していたら、とても文章の発音練習などできませんでした。)  

最初は、発音記号ごとの発音の仕方を教えてもらわないと、中学生は、どうやって発音したらよいのか、わからないと思います。  私が見た限り、もらった教科書には発音記号ごとの発音の仕方は、書いてありませんでした。  また、教科書には音声をきくCDもついていませんでした。  基本の発音の仕方を習ったら、それから先の練習は、すべて自分の耳を使って文章を聞こえた通りに発音していく練習を行う必要があります。  発音練習の9割以上はCDを使った文章の練習に費やされます。  ですからCDなしに、どうやって、生徒は、基本の発音や文章の発音を練習するのだろうと思いました。

日本人は音声モデルなしに、正しい発音を習得することは、出来ません。  日本人はヨーロッパの言語を話す人たちと同じ英語習得の方法は取れません。  ヨーロッパの人たちは発音練習をしないで、英語を話してもある程度、通じます。  母国語をしゃべっている段階で、子音を単独で、発音できます。  音の体系も英語と似ています。  でも日本人は日本語が子音と母音を常にセットにして一つの音を構成する、という性質を持つため、発音練習なしに、通じる英語を話すことはできません。  つまり、これでは、中学時代に学校でスピーキングの基本的なスキルは、身に着けられない、ということです。

従って、高校入試でスピーキングのテストをするということは「中学時代に教えられていない」「練習するすべも与えられていない」スキルをテストする、ということですので、不適切です。

では、「学校で教えてくれない」「練習できない」スピーキングを高校入試でテストされることになったら親はどうするか?  といえば、スピーキングの基本的なスキル、すなわち「正しい発音で文を話すこと」を教えてくれる塾や会話学校に子供を行かせることになります。

これはお金がかかりますので、経済的に余裕のある家庭の子供しか習いに行けません。  経済的に余裕のない家庭の子供はスピーキングの基本的なスキルを習いに行くことはできません。  つまり、15歳の時点で、親の経済力によって、子供の進路に差別が持ち込まれる、ということです。

その原因は文部科学省にあります。  

英語教育において、「正しい発音」は、最も基本的なスキルです。  スピーキングの能力の基本です。  通じない発音で、どれほど高い英語力をつけても、相手に理解されなかったら、英語が出来ないのと同じになってしまうからです。

「正しい発音の習得」が、基本中の基本なら文部科学省が学校で、子供たちに正しい発音を習得させるのが、当然でしょう。  それをしないで、塾や会話学校に丸投げするから、入試において差別が発生するのです。  

文部科学省は、自分の職務をきちんと遂行してください。  正しい発音を生徒に習得させる責任を放棄しないでください。  英語の基本スキルの習得を塾や会話学校に丸投げしないで下さい。  文部科学省は税金で仕事をしているのですから、自分達がするべき「英語の基本的スキルの習得」はきちんと学校教育で行ってください。 

文部科学省が学校教育で子供たちに「正しい発音」を習得させていないのに、公立高校の入試にスピーキングのテストを導入するのは、生徒を親の収入で差別することであり、13歳から15歳の義務教育期間中の子供の教育に差別を持ち込むものです。

この原因は何かというと、中学時代に発音習得をしたことのない人(つまり3技能しか習得していない人)が、学習指導要領の作成にかかわって、「4技能」「4技能」と提唱するからです。  中学時代に発音習得をしたことのない人は、中学生のスピーキングスキルの習得の仕方を知らないのに、「中学生の英語教育は4技能」「4技能」と提唱するから、高校入試に、中学校で教えていないスピーキングのテストが入って来るような問題が発生するのです。


私がなぜ、2017年3月31日に公示された新学習指導要領を書いた人が中学時代にまともに発音習得をした経験がない、と分かるのか、その理由を説明します。

新学習指導要領には生徒に「自分の考えをまとめて英語で話させる」とか「即興で英語で話させる」とかいう学習活動がたくさん書かれています。  しかし、これを正しい発音で行うのは非常に難しいことです。  なぜかというと、自分の考えをまとめて英語でしゃべろうとするとき、頭の中はそれを表現する英語を考えることでいっぱいになります。  ほかのことは考えられません。  当然発音に注意など払っていられません。  「発音に注意しないでしゃべっても正しい発音で言える」という状態を身に着けるには、2年間くらい音声モデルを使って繰り返し英文を正しい発音、イントネーション、リズムで言う練習をしなければ、出来るようには成りません。  自分でやってみればわかります。

なのに、新学習指導要領では、音声モデルによる発音練習には一言も触れず(本当はこれが、初期の学習者にとって一番大事なことです。  耳で聞いていない音は発音できないからです。)、いきなり、「自分の考えを英語で話す」とか「即興で英語で話す」などの学習活動を行わせています。  ですから、この学習指導要領を作成した人は、中学時代にまともに、発音習得を行った経験がない、ということがわかるのです。

今は、発音習得については昔よりいろいろなことが研究されて、わかってきています。  「耳が聞いていない音は発音できない」ということもわかっています。 

50年前、中学1年生になった私は、4月に英語の授業が始まって、教室で、先生がかけてくれるテープの音声の後について、教科書を音読しました。  でも、家に帰って復習のために教科書を読もうとするとあのテープの発音の通りには読めませんでした。

I have a book. という文を「アイハヴァブック」と発音しても、私が発音する「アイハヴァブック」はテープの発音とは違う、とわかります。  もちろん私はHAVE の/ ヴ / の音は /b/  ではなく /v/ で発音していました。  でも、文全体の発音は私と教室で聞いたテープの発音とでは全然違う。  それは中学生の私にも、容易にわかりました。  では、「何がちがうのか」 というと、それは、もう一度テープの発音を聞いてみないとわかりません。  教室で一回聞いたくらいでは頭に残っていませんから、もう一度、実物を聞かないとわかりません。  でも、当時、教科書の英語が録音してあるテープなど、買うことはできませんでした。  市販されていませんでした。  困った私は、親に頼んでテープの教材を買ってもらいました。  中学生の私はまず、お手本の文を何回も聞かないと同じには言えませんでした。  お手本の文を何回も聞くということは中学生の発音習得には欠かせないことなのです。  学校で1,2回聞いただけでは家で、発音練習はできないのです。

今回の、中学校の学習指導要領の中に「音声モデルについて英文を言う」という練習が全く書かれていないで、いきなり自分の作った英文をしゃべらせる、という指導法が書かれているのを見た時、「これを書いた人は中学時代に発音習得をしていない」とすぐにわかりました。

自分がやっていないことについて、指導計画は立てられないのに、そういう人(中学時代に3技能しか習得していない人)が、中学校の学習指導要領を書いて、「4技能」「4技能」というから、高校入試に、学校で教えていないスピーキングのテストが入ってしまうような問題が発生するのです。




私が、一番最初に文部科学省の方針に反対したのは、2015年6月1日のブログでした。

題は、
文部科学省の方針(中学校、高校の英語の授業を英語で行う)を実施すると、中学生、高校生がカタカナ発音で話し始めます。
というものでした。
「英語で授業」を行うとカタカナ発音が定着する。  言い換えれば、「英語で授業」の方針では、「正しい発音の習得が出来ない」という問題点を指摘しました。

今回の4技能についても、「正しい発音」を教えないのに高校入試でスピーキングのテストをするのは、差別の問題が起こると指摘しました。

二つの問題に共通するのは、「学校教育で、正しい発音の習得が出来ない」ということです。

なぜ、文部科学省の方針に繰り返し、発音の問題が起こってくるか、というと、スピーキングの基本的な技術、つまり、正しい発音の習得を中学時代にしていない英語教育の専門家が文部科学省の学習指導要領の作成にいつもかかわっているからです。  4技能のうち、3技能しか中学時代に習得していない英語教育の専門家がいつも文部科学省の方針の作成にかかわっているから、繰り返し、「正しい発音が習得できない」という問題が起こってくるのです。

私はスピーキングのテストをするのが悪いといっているわけではありません。  テストをするなら、学校で、スピーキングの基礎(正しい発音)をきちんとすべての生徒に教えてください、練習するための音声モデルも与えてください、と言っているのです。  それをしないで、(つまり塾や会話学校にスピーキングの基本技術の習得を丸投げして)高校入試でスピーキングのテストをすることが問題だといっているのです。

英語教育において、「正しい発音の習得」は基本中の基本です。  と同時に、「日本人の英語が通じない」という問題を解決するのに、最も重要なことです。であれば、生徒に正しい発音を身に着けさせることは、文部科学省の最重要課題であるはずです。  正しい発音を習得させない英語教育などあり得ないのです。  文部科学省は、税金で仕事をしているのですから、基本スキルくらい学校教育で教えるよう体制を整えてください。  学校教育で教えるべきことを安易に塾や会話学校に丸投げしないでください。
文部科学省が仕事を丸投げすれば、13歳から15歳という義務教育期間中の子供が、親の収入のために教育内容で差別を受けることになります。  経済的に余裕のある家庭の子供は、13歳から15歳の間に発音を学ぶことが出来て、経済的に余裕のない家庭の子供は義務教育期間中に正しい発音を身に着けられなくなります。  これは、義務教育の理念に反するのではないですか。

以上の理由で、公立高校の入試にスピーキングのテストを導入するのはもう少し待っていただきたいと思います。  文部科学省が、中学校で、スピーキングの基本的な技術(正しい発音)を生徒に習得させる教育を行うまで待っていただきたいと思います。  練習するための音声モデルも生徒に与えないで入試でスピーキングのテストをするのは、子供に対する不当な差別を生み出します。  都道府県が、公立高校の入試にスピーキングテストを導入するのは、文部科学省の対応を待ってからにしていただきたいと思います。

こういう深刻な問題を引き起こしますので、中学時代に正しい発音を習得していない人(つまり中学時代に3技能しか習得していない人)は、今後英語教育に口を出さないでください。  今まで「英語で授業」だとか、今回の4技能だとか、問題ばかり起こしているからです。  こちらのブログを見ると、この4技能を提唱している英語教師が「英語で授業」も文部科学省に持ち込んだことが分かります。 (石渡誠氏はなぜこのブログだけ削除したのですか? 理由を教えてください。 URLはhttps://ameblo.jp/makoto-ishiwata/day-20150507.html と書いてありますから、石渡誠氏の2015年5月7日のブログですね。 私はこのブログを読んだ数日後に、夜自宅の洗面所で倒れて気を失いましたからよく覚えています。「英語教育に関する有識者会議の委員、安河内哲也氏が英語で授業のために尽力されている」と安河内氏の写真入りで述べていらっしゃいましたね。)

文部科学省も、いつまでも中学時代に3技能しか習得していない教師に頼らないで、自分達の仕事は自分達で勉強して、方針を決められたらどうですか。  学校教育は私たちの税金で行われているのですから、英語の基本的なスキル(正しい発音)の習得は、学校教育で行うのが正しいやり方です。  義務教育できちんと教えてください。  安易な丸投げはやめてください。  15歳で、親の収入によって、差別を受けるのでは、子供たちがあまりにもかわいそうです。 



高校入試でスピーキングのテストが導入されれば、全国規模で、15歳からの差別が始まり、格差社会がさらに加速します。
格差社会は、若者に閉塞感(へいそくかん)をもたらし、閉塞感は若者たちに負のエネルギーを蓄積させます。  行き場なく蓄積された若者の負のエネルギーは常にはけ口を求めて社会の不安定要素となり日本の将来に影を落とします。  

文部科学省はすべての中学一年生に音声のモデルを与えて、将来、国際社会で活躍できるチャンスをすべての生徒に与えてください。  子供たちが希望を持てる社会は必ず発展します。

それに対して、抑圧された若者の負のエネルギーは、社会に対する無差別な怒りに変わる場合もあります。  英語教育改革などと言いながら、差別を生むような英語教育は決して子供のためにも、国のためにもならないと思います。

同じ教室で学びながら隣の席の子は正しい発音が習いに行けて、自分は習いに行けない。  高校入試も不利になる。  このような状況は作り出してはならないと思います。  幼い心に、差別や格差がしみこみます。  13歳から子供たちは「自分は何かをあきらめなければならない人間なのだ」と知るようになります。  これでは英語を好きになれというほうが無理でしょう。  英語の時間はまさに幼い心が差別を実感する時間に変わります。  こんな状況は決して、日本の義務教育に作り出してはならないと思います。  私たちの税金で行われている義務教育は当然、平等であるべきです。  そこに差別を持ち込んで、納税者の理解が得られると思っているのでしょうか。  「自分のうちは、お金がないんだから、勉強できなくてもしょうがない。」 毎日、そんなことを子供に思わせるのですか。  お金がない家の子でも勉強できるのが義務教育でしょう。  教室で子供たちに差別を実感させるくらいなら、英語教育改革などやめたほうがいいです。  子供の心を傷つけ、希望を失わせて、日本の国力が上がるわけないです。  学校で差別をして、子供が生き生きと勉強できるわけがないでしょう。  子供が生き生きと勉強出来ない国に、明るい未来はありません。  文部科学省は教育行政をつかさどる役所なのに、義務教育に差別を持ち込むのですか。  塾や会話学校に自分の仕事を丸投げして、義務教育に差別を持ち込むのですか。

高校入試、大学入試を問わず、現状での、スピーキングテストの導入は、子供たちに対する、教育の差別を生み出します。

本来あってはならない「義務教育における子供の差別」は文部科学省の怠慢と責任放棄を如実に表しています。

大人の怠慢のために、子供が教室で差別されるような教育は絶対に許されません。
文部科学省はもっとまじめに仕事をしてください。

学校教育で教えていないこと(スピーキングの基本スキル 正しい発音)を入試でテストするなど、まったく無責任な英語教育改革です。
一体だれが、「英語教育改革をするんですか?」「塾や予備校や英会話学校ですか?」
文部科学省は日本人のスピーキングスキルの向上のために学校教育では何もしないのですか?  音声モデルも生徒に与えないで、英語教育改革などできるわけないです。

今日のブログについて、英語教育の専門家の中に不快感を感じる方がいらっしゃるということは承知しております。  けれども15歳で、親の収入によって、子供の進路を差別するような学校教育は、決して、大人はしてはならない、と私は思っております。  子供は、自分で自分を守ることはできません。  大人が守らなければならないと思っておりますので、書かせていただきました。



(2021年7月1日加筆  このブログ掲載の後、大学入試での英語民間試験導入が断念される過程を見てきましたら、英語民間試験がベネッセを儲けさせるために導入されようとしていたことがわかりました。  都立高校のスピーキングテストもやはりベネッセが行うことになっています。 ベネッセは東京都教育委員会と協定を結び、「東京都のスピーキングテストを自分たちのビジネスの販売促進に利用しない」と約束していたにも関わらず、全く守っていないことが都議会の質疑で明らかになりました。 藤田裕司教育長はベネッセが東京都教育委員会との実施協定を破っていたことを全く知りませんでした。 非常に無責任です。 指摘されなければベネッセが東京都のスピーキングテストを自分達のビジネスの販売促進に利用したい放題利用していたことになります。 ベネッセが協定を守っているかどうかを確認もしない藤田裕司教育長は非常に無責任です。)




発音教育の関連で申し上げますと、2017年3月31日に公示された中学校 新学習指導要領(英語)は、まったく効果がありません。  子供たちが、通じる発音で、正しい英語をスラスラ話せるようにする学習指導要領とはどういうものか。  その見本は下のブログに図解して書いてあります。  日付をクリックすると移動できます。

2017年10月12日のブログ
文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)

お願い

「スピーキングのテストが子供たちを親の収入によって差別するもの」であることは多くの方々に知っていただきたいと思います。  けれども、私一個人では限界がありますので、皆さんのご協力をお願いいたします。

私のブログを読んでくださった方々は、どうぞ、「スピーキングテストは子供を親の収入で差別するものだ」ということを周りの方々にお話しください。  特に、教育の現場にいらっしゃる先生方は、ほかの先生方にもお話しください。  勉強会など、たくさんの先生方がお集まりになるときに、お伝えいただけるとありがたいと思います。

一生懸命訴えても、一個人では限界がありますので、どうぞ皆さんのご協力をお願い致します。  子供たちが学校で、13歳から、「自分は親の収入のために、ほかの子のように学べないものがある」と思うのはかわいそうです。  そのために、高校入試でも不利になる、と英語の時間のたびに思わなければならないのは、かわいそうです。  すべての子供がスピーキングの基本スキルを学校で学べるように文部科学省にしてほしいと思います。  全国の中学、高校の先生方にこの事実(スピーキングのテストは子供を親の収入で差別するものだということ)を知っていただけるよう、ご協力をお願いいたします。

* * * 3月9日以下の文を付け加えました。* * *
今まで使っていた六法全書が古くなったので、新しい六法全書を注文していて、今日届きました。
中を見ていたら、教育基本法が載っていました。

第4条(教育の機会均等)
すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない。

こういう文が書かれていました。  
国が中学校で、英語教育を行い、正しい発音の習得が、英語教育の基本的学習事項であれば、これをすべての中学生が学び、身に着けるよう体制を整えることは文部科学省の仕事だと思います。  高校受験、大学受験にスピーキングのテストを行うのであれば、生徒全員が、スピーキングの基礎、すなわち正しい発音の習得ができるようにするのは文部科学省の仕事であると思います。  それを学校で教えず、経済的に余裕のある家庭の子供しかみにつけられないのであれば、これは明らかに、教育基本法に違反するものだと思います。
私は法律の専門家ではありませんから詳しくはわかりませんが、経済的に余裕のある家庭の子供しか学べないことを公立高校、国公立大学の入学試験に出題することは、教育基本法に違反するものではないのでしょうか。  教育基本法に違反する入学試験の実施は止めていただきたいと思います。



* * *

私の2冊目の本「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」(緑色の本)を購入された方で、CDトラック6,13,18,19にある生徒さんと私の子音の長さの比較がよくわからない方は下のブログを参考にしてください。

2016年7月3日のブログ  子音を長く言う「川合メソッド2」「L」の練習 4週間後 (長いSの例)
2016年9月1日のブログ  RとFの練習 1か月後 マライア・キャリー (長いLの例)
2015年2月1日のブログ  「続・英語発音、日本人でもここまでできます。」付属CDトラック6 例文 Where's my bag? 川合典子には生徒のWの発音はどう聞こえたか。

* * *



私のDVDで発音練習をするときは、耳に注意を集中して音を聞いて下さい。
最初はテキストを見ながら練習していただいて結構ですが、文字に気を取られていると、実際の音よりも自分がこうだと思っている音のまま発音していることが多くあります。

私はDVDの単語の発音の練習のところで、Life や Leg のLの音をほんの一瞬ですが、日本語化しない「長さのあるL」で発音しています。  そういう音をできるだけよく聞いて、同じように言ってください。

Fight や Fin の Fの音も長さをもって発音しています。  Way や Wet の W の音も長さを保持して発音しています。  それを耳でよく聞いて同じように言ってください。
* * *