川合典子 ブログ

英語教育、英語学習、発音習得、帰国子女の言語習得について書いています。

「長谷部剛社長の日本経済新聞社」は啓蒙を装い生成AIを間違った記事の正当化に使う。国立情報学研究所(所長喜連川優)は下村博文制作「新井紀子の劇場型詐欺」の母体(本文水色の下に記載):東京都教育委員新井紀子は子供を罠にはめるテストを読解力を科学的に測るテストと学校を騙して売る:文科省は新井紀子を表彰:ベネッセは調査協力。東洋経済新報社出版の新井氏の本は詐欺の道具:騙された新聞テレビが話題にする:こうして政治家と業者は嘘の情報で国民を取り囲み誘導する

1/29私のDVDを教室で発音指導に使いたいという先生はどうぞ無料でお使い下さい。中学生でもわかるやさしい説明です(私のDVDは図書館で貸し出しも出来ます)私は中学時代「学校の勉強の一環として」英語発音を習得した日本で唯一人の英語教育の専門家です。
吉田研作教授(資料文中座長は吉田研作:現英検会長)、松本茂教授東進ハイスクール安河内哲也氏は「日本で「英語で授業」を何年やったらどういう効果が出るか」そのデータをお持ちですか?日本で「英語で授業」は効果がないのでデータはないでしょう。実証データもなく日本中にやらせて教育現場に莫大な損失を与えた責任を彼らは取らないのですか?私が2023年10月1日にこのブログの紫色部分に書いた指導法は開始から2年で生徒は正しい発音で基本の英文をすらすら言える様になります。中学3年間続けると生徒の4技能の基礎は確立します。相当な練習量ですから。「発音・文の形」の基礎が習得できていない状態で何をやらせても無駄です。 英語は相当練習しないとしゃべれません(英語学習の常識)。吉田氏松本氏安河内氏はご存じありませんか?
(次の部分は私事ですので、興味のない方はこの下の赤い字の部分「生成AIを間違った記事の正当化に使う長谷部剛社長の日本経済新聞社」の部分に進んでください)
私は心臓に問題が見つかり休養します。
私は、今では、私を盗作した松澤喜好より、盗作隠蔽の為不正行為を行ったKADOKAWA前社長松原眞樹の方が私を葬ろうとする強い意志を持っていると思います。 自身の不正行為を隠して自分の地位を守る為です。今もKADOKAWAの取締役なら妨害なんかいくらだってできるでしょう。KADOKAWAの取締役だから私の妨害にAmazonだって使える。(私の本の送料だけ有料にした時(2/4/2020)、Amazonに金銭を渡したのですか? 自分の利益にならない事は誰もやりません。 まさか会計の書類に「賄賂」や「妨害の依頼」とは書けないでしょうから、「虚偽の記載」をするんですか? それとも裏金だから記載はしないんですか? いずれでも会計書類を虚偽にする事は禁止されています。公正なビジネスはお金の流れの面からも裏付けられなければならないからです。プライム上場企業がそういう事をやっていていいんですか)KADOKAWAの取締役だからその権限をいくらだって悪事に使える。東京オリンピックの不正のニュースを見ているとKADOKAWAは上の人の悪事は誰も止められないみたいだから。 松澤の「英語耳」を売れば売るほど盗作の問題はかすむわけですから、松原眞樹は「英語耳」の販売促進も必死でしょう。それが自分の地位を守ってくれるなら必死になるでしょう。私を盗作した時の出版社アスキーメディアワークスを解体・消滅させるKADOKAWAの決定は、取締役全員「盗作隠ぺいの為」と知っていてやったのでしょう。プライム上場企業の取締役が集団で悪事をやっていてはしょうがないでしょう。KADOKAWAコンプライアンスなんかありません。
松澤に盗作された頃、娘がよくテレビのサスペンスを見ていました。その中に、作家志望や作曲家志望の若い人が作品を盗作されて自殺する話がありました。私は2つの話とも「あれはドラマだから自殺までするのだろう」と思っていました。でも、実際に自分が盗作されて、あれは「ドラマだから盗作の被害者は自殺するんじゃない」とわかりました。私は娘が高校生だったから死ぬわけにはいかなかったけど。 平気で英語耳ボイトレを売る松澤に現実の世界の汚い部分を見せつけられるようだった。「英語耳ボイトレ」が出版された頃、私は実家で両親の面倒を見てくれている姉を手伝う為に、週に一回、往復4時間かけて実家に通っていました。 ある日、家を出るのが遅くなって行く途中でお昼の時間になってしまいました。それで途中下車して近くのデパートのレストランで簡単に食事をしました。 レストランを出た所は書店だった。書店の入口にはテーブルが置かれ、その上に「英語耳ボイトレ」が飾ってあった。 そこに出版されたばかりの「英語耳ボイトレ」がたくさん積まれていた。宣伝文も書いてあったのかもしれないけど、とても見ていられなかった。「盗んだアイデアで作った本だって出版社はああやって売るんだ」そう思った。 私はそこを通り過ぎ、また電車に乗って実家に向かいました。母の前では元気にふるまっていても、気持ちはずっと沈んだままだった。出版社(当時アスキーメディアワークス今はKADOKAWA)と松澤にとっては、金儲けの為、ベストセラーの著者の盗作を隠す為、無名の人間を一人つぶすだけかもしれないけれど、つぶされた人間はずっと無念な思いを背負ってそのあと生きていかなきゃならないんだよ。理不尽な扱いをじっと我慢して生きていかなきゃならないんだよ。 その日を境に、もう心の晴れる日なんかないんだよ。 KADOKAWAは人の人生を破壊するために本を売っているの? 人の人生を破壊するために妨害をするの? その通りでしょう? 私がいなくなればベストセラーの著者の盗作もなかったことにできるから。 KADOKAWAと松澤のやり方は「世の中に真実なんか関係ない。金儲けの邪魔になる奴はつぶせばいい」今はそれに加えて、松澤喜好と同じくらい私をつぶそうとする強い動機を持つのがKADOKAWA前社長松原眞樹(現在もKADOKAWAの取締役)だと私は思っています。彼が松澤の盗作隠蔽の為に「自分のした不正行為を隠す為」です。手っ取り早く言えば、松原眞樹の保身の為です。自分の地位の保全は金儲けよりもっと強い動機になるでしょう。(具体的にはこの下の大文字の部分に書いてあります。もしこの不正行為をやったのがKADOKAWA前社長松原眞樹でないのなら「違う」と出版社経由ご連絡下さい) そうやって私は16年ずっと抹殺の標的にされてきた。16年抹殺の標的にされながら生きることがどれ程重荷になるかわかりますか。 著者や出版社が人を抹殺の標的にするのは恐ろしいことです。 Amazonだって抹殺の手段に使うんですから。   今調べたい事があって、もう一度稲森和夫さんの著作を数冊読んでいますけれど、「利他の心」なんてKADOKAWA前社長松原眞樹や松澤喜好には程遠い理念でしょう。 利己の為に他人の存在さえ抹殺するんだから。KADOKAWA前社長松原眞樹と松澤喜好がする事は恐ろしいです。少なくとも何年も抹殺の標的にされてきた私にはKADOKAWA前社長松原眞樹と松澤喜好のする事は恐ろしいです。これまでどれほどそれで泣いたかわからない。(私が知人に「KADOKAWAには会社としてのコンプライアンスってないのでしょうか?」と聞いたら、「会長が逮捕されちゃっているくらいの企業ですから、ないでしょうね」と言われました。(裁判で有罪が確定する前にはそういうことは言えないのでしょうけど) 「プライム上場って基準が厳しいって書いてあったけどそうなの?」と夫に聞いたら、「ビシッと基準を決めたら、それを徹底するべきだと思うのが普通だけど、日本はまだアメリカほど厳しくはない。「これからきちんとしていく」とは言っているけどね。そう言っていました。KADOKAWAもプライム上場。)
今でこそこうやってブログに書けば読んで下さる方もいるけど、当時、結婚して家庭に入っていた私には何もできなかった。 泣いて、泣いて、泣き寝入りのまま自分には二度と心の底から笑える日なんか来ないんだと思った。 金が儲かるベストセラーの著者が盗作した事を隠す為なら、何の関係もない私の人生はめちゃくちゃにしていいの? 出版社なんだから盗作の始末のつけ方くらい知ってるでしょう。著作権法に「アイデアは盗んではいけない」と書いてないから松澤のしたことは悪くない」と思っているなら、私を妨害する必要はないでしょう。社会に対しても「アイデアは盗んだけど、著作権法では罰せられない」とはっきり言えばいいでしょう。(それを社会が受け入れるかどうか知りませんけど)  アイデアを盗んだことが悪いことだと思っているから私を妨害するんでしょう。 盗みは悪いにきまっているでしょう。みんなが他人のアイデア盗んで本を出していたら、世の中はめちゃくちゃになります。KADOKAWAは盗んではいけないもののリストがないと、盗みをしていいか悪いかもわかりませんか? 2008年、みんなから「盗作だ」と批判された松澤はHPでこう言っていた。(著作権法ではアイデアを盗むのは盗作の規定にないから)「私も自信を持とう」って。 私は迷惑な自信だと思ったけれど、自信を持っているなら盗まれた被害者の妨害なんかしなければいいでしょう。 堂々と「自信をもって」「アイデアは盗んだけれど著作権法では罪にならない」といえばいいでしょう。何も陰で16年も自分が盗作した被害者を妨害しなくたっていいでしょう。    (イタリア歌曲も歌えない、つまり声楽の発声法も知らない松澤が「声楽の発声と英語の発声に類似点がある」などという本を出版すること自体、アイデアを他人から盗んだと言っているようなものです。 声楽は専門技術です。歌えない人間に指導法がわかる分野ではありません。私は、声楽は高校生の時から始め、40年以上指導を受けて歌ってきました。娘のピアノの発表会の時に、先生が「川合さん、舞台で歌わない?」と声をかけてくださったので、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」(Madama Butterfly)の「ある晴れた日に」(Un bel di vedremo)(こちらのアリアです)を市民会館の大ホールで歌ったこともあります。声楽を趣味でする人は多いけれど、大ホールに十分響く「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」を歌える人はそんなにいません。 藤原歌劇団のプリマの方が教えてくださるアマチュアの講座に出席した時、「あなたの歌は人に聞かせられるレベルね」と言われました。イタリア歌曲も歌えない松澤とは私の声楽のキャリア(職業ではないけれど、積み重ねてきた技能という意味)は全然違います。子供たちが学校に行っていたころはとてもピアノの前で練習している時間はなかったから、オペラのCDを買って、料理しながら、洗い物をしながら、朝から晩まで曲を聞いて、歌を覚えて練習しました。まさに寸暇を惜しんで練習して40年声楽を続けてきました。その結果わかったことを何の努力もしていない松澤が横から来て盗んで本を出版し、「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」と宣伝していた。出版社も盗作だと承知でベストセラーの著者だから出版し、本当の提唱者が邪魔だから16年たった今も妨害する。ひどいと思いませんか。      英語発音に関しても私は40年練習してきました。中学時代一日2時間、音声モデルと自分の発音を聞き比べて直すという方法で、2年間毎日練習して英語発音を身に着けました。その後津田塾大学で英語教育を学び、中学校の英語教師、外資系勤務を経て、夫の赴任で合計10年のアメリカ生活も経験しました。その時は自分の子供たちが小学校、中学校、高校のすべての段階でゼロからバイリンガルになる過程を宿題を一緒にしながらつぶさに観察しました。 具体的にどのように英語の授業内容を子供たちに理解させたかは化学と地理や地学の例を挙げてこちらのブログに書いてあります。 その間、自分の英語学習も続けてきました。 発音練習も 「家に帰ってきてまで英語を聞きたくない」と息子が言ったので、日曜日はガレージの車の中でしました。 こういう40年の声楽と英語の経験があるから2つの発声法の類似点もわかるようになりました。オペラどころかイタリア歌曲も歌えない松澤とは私の声楽のキャリアは全然違います。英語教育を大学で学んでいない松澤とは私の英語教育者としての専門性も全然違います。松澤とKADOKAWAは、寸暇を惜しんで40年努力してきた人が分かったことを盗んで本を出版する自分たちをあさましいとは思いませんか。その上、盗んだもので「濡れ手で粟」のような楽な金儲けの邪魔になるから被害者を妨害する自分たちをひどいとは思いませんか。(40年の努力を盗んでいったのは松澤だけではありませんでした。「英語喉」の上川一秋も「子音の日本語化」を盗んでネット上で提唱していました。こちらは読者の皆さんがやめさせてくださいました。とてもありがたかったです。著作権法に規定がなくても二人の盗作者がそれぞれ「まったく悪いことはしてません」という顔で盗んだことを提唱するので、信じられなかったです。ブログもよく盗作されました。Yahooに削除を2度も求めたって、無名の人間の要請なんか、まったく聞いてもらえなかった。私はまるで、ネットの世界でハゲタカに食い尽くされる動物の子供みたいだった。 二度目の盗作被害は助けてくれる人がいたから、私は救われました。私のブログをいくつも盗作していた人のブログは「書いている人も特定できず困っています」と私が言った後、読者の皆さんがやめさせてくださいました。とてもありがたかったです。また「川合典子さんに学ぶ~~」のようなタイトルのブログもありました。私は検索に出てくるその人が書く一つ一つのブログの題名を見ていただけですが、松澤喜好の名前が題名にあって、その学習法を紹介する内容のようなブログもありましたので、「私の名前は使わないでほしい」と思っていたら、そのうちそのブログもなくなりました。たぶん、これも読者の皆さんがやめさせてくださったのだと思っています。私の名前で検索するとすぐ松澤喜好の名前と指導法が出てくるって、あまりにも露骨で不自然だった。(この人のページは前に私のブログを盗作していた人とデザインが酷似していましたので、私はいやな感じがして一度しか見ませんでした。) 私は松澤が勧めるように歌で発音を学んだのではありませんから私と松澤の指導法は無関係です。私は【普通の文】で発音を学びました。歌う時の口の形は制約を受けますので、文をしゃべるときとは少し違った形になります。基本の発音は文で学びます。それならイントネーションやリズムも身に着けられます。子音の日本語化も直せます。歌ですと一曲の時間が長いですから、私のように200回も300回も録音して自分の発音をチェックする人はいないでしょう。その結果、子音の日本語化にも気づけません) KADOKAWAが「盗作」「妨害」とこれほど被害者を苦しめても平然としているのは「アイデアの盗作は著作権法では絶対に罰せられない」と高を括っているからでしょう。でも、KADOKAWAは読者や世の中の人々の目をそんなに馬鹿にしていいんでしょうか? そういう人たちはKADOKAWAのビジネスを支えてくれる顧客でしょう? 一般の人は汚い手段を嫌います。人の40年の努力の成果を盗んで本を出版して、それがばれないように盗んだ被害者を妨害する人を見て、爽快な気分になる人はいないでしょう。それから「アイデアの盗作」は「著作権法で罪にならない」と逃げても、その後の妨害は正当化できません。 それも証拠がないと逃げますか? あの時なぜ私の本だけ送料を有料(599円)にしたのかアマゾンに聞いたって、アマゾンが答えるわけありませんから。 アイデアを盗んでも著作権法では罰せられない、妨害をしても物的証拠がないから知らぬふり。 「不正行為は世の中の人にわからないようにやればいい」これもKADOKAWAの【企業倫理】ですね。普通、「倫理」というのは「人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの(大辞泉)」を言いますけれど、KADOKAWAでは、会社に都合のいいことが【企業倫理】のように見えます。「不正行為は世の中の人にわからないようにやればいい」「邪魔な弱いものはつぶせばいい」は、まるで反社会的勢力の【企業倫理】みたいですけど。)一番いいのは、松澤が自分のホームページに「英語の発声法」と「声楽の発声法」を自分でやって、公開することです。 その2つの音声を公開できたら、私を妨害する必要はないです。 Nessun dormaを歌ってみれば?パバロッティほどうまく歌えなくてもいいから。(1分7秒経過したところのメロディーは素敵ですから)ただし、実技はその実技をやっていない者には絶対できません。 松澤には「英語の発声法」も「声楽の発声法」もできない。 
もしあの時、女性のキャリア指導をしていた方から出版を勧められなかったら私は精神的に立ち直れなかったと思います。朝ごはんだって、家族が出勤(登校)した後一人で泣きながら食べていました。(泣くばっかりでほとんど食べられなかったけど)夜も泣いたまま寝るからよく眠れなかった。そんなときも松澤は「声楽と英語の分野が合体した初めての本だ」と「英語耳ボイトレ」を堂々と宣伝していた。出版社も「編集長との対話」とかいろんな企画をしてベストセラーの著者の新しい本を華々しく宣伝していた。ベストセラーの著者と出版社相手に、盗作された主婦に何ができる? そういうのを見せつけられるたびに「これが世の中の本当の姿なんだ」と私は頭を殴られるようだった。「あれは40年寸暇を惜しんで声楽と英語を勉強してきた私が気づいたことだった。それを2003年に松澤の掲示板に書いたら、松澤がそれを盗んで本を出版したの。それなのにこの宣伝の仕方は何なの? 松澤はオペラはおろかイタリア歌曲も歌えないのに。松澤は「英語の発声法」も「声楽の発声法」もできないのにこの宣伝の仕方は何なの? 出版社ってこういう事を平気でするの?」これじゃあ盗んだ著者と一緒に出版社も泥棒やっているのと同じでしょ? すごくショックだった。。。あの頃は、出版社って公共性の高い仕事をする会社だと思っていたから。まさか出版社が盗作を承知で本を出すなんて思わなかった。でも、読者から盗作だと批判されて、出版社が出版2ヶ月後に本の題名を「ボイストレーニング」から「英語耳ボイトレ」に変え、表紙を「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて「この本は英語耳シリーズの一つで英語耳の著者、松澤喜好のアイデアで書かれたものだ」と強調するのを見た時、出版社は盗作だと知っていると確信した。本当の提唱者が無名の主婦だから簡単につぶせると思っているのも露骨ですぐ分かった。 でも読者の方々はそんな隠ぺい工作には騙されなかった。私が無名の主婦でも、ちゃんと事実を見てくださいました。 松澤と出版社のあれだけの宣伝活動があっても事実をきちんと見てくださいました。 松澤と出版社が思っているより読者の方々は「英語」そのものについてよく知っています(例えば音質の違いは聞けばお分かりになりますし)、「英語学習」についても相当よく知っています。松澤と出版社は読者を相当見くびっていました。もう誰も松澤の掲示板には書き込まなくなり、掲示板は荒れに荒れて閉鎖になりました。当時のコピーを見ると松澤に「恥を知れ(Shame on you.)」と書き込んだ人もいました。出版社は読者から「恥を知れ」と言われるような出版の仕方はおやめになることです。盗んだアイデアで本を出版したり、本当のことを隠すため無名の人間をつぶそうとしたりしないことです。今もやっていますよね。 私はこれだけしつこく私を葬ろうとする、という事は盗作以外に何か理由があるのだろうか、と思う事があります。 例えば、以前私はアマゾンで私の本だけ送料を有料(599円)にされたことがあります。 誰でも自分の利益にならないことはやりません。アマゾンが私の本の送料を有料にしても何の利益もありません。 それで私は「誰かから金銭をもらって私の本の送料を有料にするよう頼まれたのですか?」とアマゾンにブログで聞いたことがあります。 アマゾンの回答はありませんでした。(その数時間後送料は無料にもどりました) でも、そういうことを追求されると困る人がKADOKAWAの中にいるのだろうか、と思う事があります。なぜなら、もしそうならこれは帳簿に載らない裏金だからです。 会計書類に虚偽の記載をすることは、禁止されています。企業はお金の使い方については株主に対する責任もあります。 「裏金」(贈賄)だけでも問題なのに、もし、これがプライム上場企業の内部の人間が裏金を「盗作の隠蔽」に使っていたのだとしたら、さらに問題でしょう。もしそうなら、その裏金を使った人は自分の地位を守るため、何が何でも裏金を使った事実などなかったことにしたいでしょう。私がいなかったら裏金など使わなかったことにできる。 私がいなくなるようにする為には私の本を極力人々の目にさらさない。松澤の英語耳のプロモーションをもっと活発にして「盗作」などなかったことにする。それが自分の地位を守る唯一の方法だと信じているでしょう。もしそうなら、KADOKAWAは裏金まで使って、会計に虚偽の記載までしてこういうことをする人を野放しにしているわけです。「企業に求められるコンプライアンスなんてKADOKAWAにはまったくない」という事です。「上の人間が違法行為をしても誰も止められない」東京オリンピックのスポンサーの問題もそういうKADOKAWAの体質から生まれたものですよね。そういう体質は今も変わらない。KADOKAWAでは、取締役の「善管注意義務」も全く守られていない。(でも、それを言うなら、日本経済新聞社の長谷部剛社長にも「善良な管理者」などという言葉は全くそぐわないですね。間違っているとわかっていて間違った記事を押し通しているのですから)KADOKAWAは「取締役が他の取締役(松原眞樹)の不適切な行為を監視・監督する」いわゆる監視義務についても全く行わない。たぶん盗作をした出版社アスキーメディアワークスを解体・消滅させた時も取締役の方々はみんなアスキーメディアワークスが盗作した事実を知っていて解体・消滅させたのでしょうね。 KADOKAWAには企業として「公正なビジネスを行う」という意識はない。  これまでもここに松澤のことを書いてから妨害をされていましたけれど、「裏金」のことを書いた途端、非常に激しい妨害に変わりましたので、やはり私が書いた通りのことが過去私に対して行われ、それが現在も続いているのですね。 もうその人が私を妨害する理由は「松澤の盗作」の問題ではなく、今まで私に自分がしてきた不正行為を隠ぺいする為にやっているのですね。その為にKADOKAWAのできることやKADOKAWAが持っているものを使っているわけです。松澤の英語耳を売れば売るほど盗作の話はかすむわけですから、英語耳を売ることがこの人の不正行為を隠ぺいして地位を守るためには、何よりも重要なことでしょう。この人はKADOKAWAの社長だった時に「松澤が私を盗作した時の出版社」アスキーメディアワークスを組織変更で解体、消滅させた人です。私は「善良な管理者の注意をもって」職務を行う取締役社長というのは盗作した会社にきちんと責任を取らせる前に、そういう手法で「盗作した出版社そのものを消滅させる」という事はしてはいけないのではないですか、とブログに書きました。なぜならアスキーメディアワークスは「本の題名と表紙を変える」という隠ぺい工作まで行っているわけですから非常に悪質です。 でも私がそう指摘して以来、ずっと私に対する妨害が続いています。もし妨害しているのがKADOKAWAの前社長でないなら「自分ではない」と公に、また出版社を通じて私にはっきりおっしゃればいいです。黙っているのであれば私の言った通りなのだと私は解釈します。               松澤喜好に盗作された2008年から16年たった今あの時と違うのは、あの時自分を「無名の主婦だ」と思い込んでいた私は、実は「中学時代、学校の勉強の一環として英語発音を習得した日本でただ一人の英語教育の専門家だった」という事が分かった事です。また「小学校中学校高校で子供がゼロからバイリンガルになる過程を毎日そばで2年間観察した日本で唯一人の英語教育の専門家だった」という事が分かった事です。そして大学教授たちが提唱した「英語で授業」はインド・ヨーロッパ語族とは異質な言語を話す日本の子供たちの英語力向上にはまったく役に立たないと証明したことです。欧米の英語教育法の受け売りは日本では何の役にも立たないと証明したことです。根拠(1) (2) (3) (4)はアメリカのESLの生徒には大量の英語インプットがあることです。そこにずっといれば英語が母国語になるほどの大量の英語インプットがあることです。 でも、それを指摘したために、今は政府(文部科学省)からも妨害を受けています。 (正確にいうと、❶「英語で授業」だけでなく、ほかにも国家権力にとって都合の悪いことをたくさんブログに書いてきました。 例えば❷「英語民間試験:50年やっても年間500万人が受けても日本人のスピーキング力は向上しなかった(学校で発音教えてないから)」❸大学入試「ベネッセのアルバイトが採点する記述式問題では思考力も判断力も育たない」(思考力、判断力を育てる書く指導歴史・国語・理科指導例)❹「eポートフォリオ:ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させるもの」❺「GIGAスクール構想失敗」(生徒をコンピュータの前に座らせておけば自動的に「誰一人取り残さない」「個別最適化された教育」ができるか。❻「デジタル庁、全国民の生涯教育データ騙し取り」❼「国家による先生方の賃金搾取」(政府は少なく見積もっても約70万人の先生方から毎年700億円以上のお給料を盗み取って来た。盗んだお金は直ちに返還すべき。2023年4月17~20日記載分の上青字部分)❽「大阪府箕面市(&文科省)の児童虐待(学校は収容所ではありません。国家権力が国民の体を勝手に撮影する事は許されない)/❾個人情報保護法で禁止されている行政が持つ個人情報入手」等々。下村博文がいたころは国民を嘘の情報で取り囲んでテストを売る❿「新井紀子の劇場型詐欺」も指摘しました。(併せて、国語の先生方がどんなに地道に子供たちの読解力向上のために努力されているか知ってほしかった。小学校では時間があると読み聞かせをして下さる先生もいらっしゃいます。子供に本の楽しさを教えるのは時間のかかる大変な仕事です。今年、子供たちの読解力、上がったんですよね。国際比較だったか何のテストだったか正確に覚えていないのですけれどニュースで見ました。先生方の努力が認められたようでうれしかったです。ニュースでも「教師の努力によるもの」と解説されていました。 教師って褒められることないんですよね。もちろん頑張ったのは生徒ですから。) 上のようなことを書くから私は国家権力から妨害され排除される人間になりました。でも、子供達や先生方がそういう事をされると思うとどれも黙っていられなかった。  

(余談ですが、松澤の掲示板に2003年英語の発声法のことを書いた時、真っ先に反論してきたのは後の「英語喉」提唱者上川一秋だった。「発声法なんか関係ありませんよ」って。でも上川は数年したら「喉」「喉」と騒いでいた。おまけに、私の本の出版が2010年だったから「発声法を言ったのは自分の方が早かった」みたいにブログに書いていた。「この本の出版は2010年なんだよね」って書いていた。上川はその6年後私の「子音の日本語化」を盗作する)  
あの時、私が彼女に会いに行った理由はわかりません。 ただ「どうしても私は彼女に会いに行かなければならない」と思って会いに行ったら「帰国して典子さんは今何をしているの?」と聞かれました。「アメリカで声楽を教えてくださった萩原先生が帰国されたので英語の歌を指導していただいています」とこたえたら、私の歌を聞いた彼女が「今は英語発音で苦労している方が多いので、川合さんの発音指導の本を出版しましょう」と言いました。その時のことはこちらのブログのピンクの部分に書いてあります。 2008年に盗作されたこともその後起こったことも1999年この外国人の方に言われたとおりでした。 もしこの先もこの外国人の方が言った通りになるのなら、うれしいですけど、それは未来のことだからわかりません。 でも、もし、そうなった時は、この妨害されてほとんどアクセスのないかわいそうなブログもたくさんの人に読んでもらえるでしょう。
(松澤喜好が私を盗作した時のことを書いたブログは毎日見ていた検索に突然出てこなくなりました。このブログは「松澤喜好とは」というはてなブログタグでは一番下に下げられています。ほかに3つのブログも下げられていますから、松澤喜好とKADOKAWAはその3つのブログも人々に読まれたくなかったのでしょうね。その3つのブログというのは①「無断引用」「無断使用」に関するお願い」。②「私が3つの事を繰り返し書く理由」。③「結末」はてなブログタグ「アスキー・メディアワークス」でも「7年前の出来事」と「無断引用」「無断使用」に関するお願い」のブログは一番下に下げられていますので、松澤とKADOKAWAはよほどこのブログを皆さんに読まれたくないのでしょうね。)

「自分にとって都合の悪いものはつぶせばいい」というのは日経もKADOKAWAと同じです。この記事は日経の英語教育に対する無知を証明する。生成AIをこじつけに使って日経は間違いを正当化する。人々がまだ生成AIをよく知らないという弱点に付け込んで、啓蒙のふりをして「生成AI出現で従来の指導法の見直しは不可避だ」と間違った記事を正当化する。指導法の間違いと生成AIは関係ない。何が出現しても間違った指導法(島田優子記者の記事)は間違っている。「英語の発音が耳に蓄積されていなければ正しい発音で話せない」という事は生成AIがあろうとなかろうと変わらない事実です。島田優子記者のお子さんは一年間アメリカの学校に通っていたのでしょう? だったら、一年間、毎日7時間学校で英語学習をしていたことと同じです。目の前に起こっていることを見ながら英語を聞いているわけですから。 一日7時間英語学習をしていた子供と日本にいる子供が同じ英語力になるわけないでしょう? 日経の長谷部剛社長はそれでも記事の間違いを認めない。「社長も承知で間違った記事を掲載する」長谷部剛社長の日経はいい加減な記事を掲載します。【こじつける=関係のない物事を無理に理由をつけ関係づける】(大辞泉
11/28/2023 日本の英語教育は文科省/大学教授の「欧米コンプレックス」(欧米の指導法は絶対正しい)、「日本人教師を蔑(さげす)む方針」で永遠に失敗する。欧米の教育団体は日本人の英語習得の研究はしていない(英語で授業?)中学卒業レベルで完璧な英語力のつけ方は10/1/2023記載分(紫色)「中学生のスピーキングテストは教科書を正しい発音で言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」をご覧下さい(生徒が自分の口で英文を言う量は「英語で授業」の何十倍、何百倍。「自分の口を動かして相当な回数英語を言わなければ英語は正しい発音で話せない」そんなこと世間にたくさんいらっしゃる「英語オタク」の方々でもよく知っているのに、なんで吉田研作教授(現英検会長)や松本茂教授や東進ハイスクール安河内哲也氏が「ろくに生徒に口の練習もさせない英語で授業」なんか提唱するの?外国の受け売り教育法は日本では何の役にも立たないよ。それなのに3人とも間違った教育法を提唱した責任は取らない。知らんぷりして逃げているだけ。どれだけ日本の英語教育に損失を与えたと思っているの?失われた10年?) 紫色部分に書いた練習は自己流でなく正しい発音で行うので【発音/基本の文】が定着する。 英語教育はこの土台なしに何をやっても無駄。中学生はこの方法で4技能全ての基礎を習得する。中学生としてしゃべれるべき文は全部しゃべれます(正しい発音で) アメリカやイギリスに留学した大学教授や、帰国子女の大学教授が経験した洪水のような英語インプットは日本の中学生、高校生にはありません。それで、英語で授業をしようと意見を英語で言わせようと生徒は発音も文の形も何も身に着けません。 大学教授がアメリカやイギリスで経験した膨大な【発音・文の形】の蓄積は日本の中学生、高校生にはないからです。 大学教授はそのことに気づいてください。 現場の先生方は日本の子供たちに英語の大量のインプットがないとご存じですから「英語で授業」に反対されたのです。 「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」これほどまっとうな意見はないでしょう。 始めから日本人教師を蔑(さげす)んで、真剣に言っていることを聞かないから、文科省/大学教授には自分の間違いがわからないの。日米(英)の英語インプット量の差(0と100くらい違う)にも気づかないで英語教育法を提唱されると、教育現場は混乱しますので、そういう大学教授は英語教育に口を出さない方がいいと思います。欧米の子供たちが出来ても、日本の子供たちが出来なかったら、そこには必ず理由があります。例えば日本語はインド・ヨーロッパ語族の仲間ではありません。 大学教授は大上段に構えて、先生方を非難していないで、その理由を先生方の意見を聞いて考えてください。  (中学、高校、大学の勉強の仕方についてはHPをご覧下さい。大学生については学生自身が行う学習「思ったことが自然に英語で口に出てくるようにする勉強の仕方」のみ書いてあります。大人の方でもやり方は参考になると思います。時間的には学生さんでないとちょっと難しいかもしれませんが。。。一か月もできなくても、日曜日に3時間続けて英語の本を読むだけでも、ぐっと英語は言いやすくなります。本を読むときは、ただ並んでいるだけの英単語を意味を成す英文に構築する力をずっと頭の中で使っているからでしょうね。







日本の英語の先生方のいう事を聞こうとしない【文科省/大学教授】 欧米コンプレックスの英語教育で万年失敗。 文科省/大学教授は「舶来英語教育は絶対正しい」「日本人英語教師の言う事は誤りで聞く必要なし」こんな差別とも言える激しい偏見つまり「舶来英語教育礼賛/日本人英語教師劣等コンプレックス」を持つ人達に日本人の英語教育は出来ない。有識者会議の座長吉田研作教授(現英検会長)は先生方に理由も聞かず「半数近くの高校は英語で授業をしていない」と批判していた。(朝日新聞デジタルの記事)(ついでに言わせてもらえば、こちらの記事を読むと、有識者会議で「小委員会まで作って英語民間試験を導入しようとした三木谷氏」とそれに反論した大津教授が対立した時、座長の吉田研作が三木谷の意見を重視したため、英語民間試験の導入を前提とした協議会の設置へと話は進んだのですから吉田研作は「下村博文の悪だくみに十分手を貸していた」と言えるでしょう。吉田研作はここでも「不公平な民間試験を実施しないでほしい」という高校の校長先生方の要望を全く聞こうとしなかった。吉田研作は日本人教師のいう事は鼻からバカにしている。 民間試験を議論していた政府の有識者会議の座長吉田研作は今は民間試験の業者「英検」の会長です。吉田研作は「公正な仕事の仕方」も知らないの?)(赤字の偏見は図星でしょ?でも先生方はこの新聞記事にあるように非難されても日本語で教えて生徒の英語力を守ってくれた。文科省/大学教授は先生方に感謝すべきです。私はこの新聞記事を読んだ時、怒りで体が震えました。日本語で分詞構文を教える先生に対して「これは日本語の授業か」とつぶやいたと書いてありました。そんなことを言うなら自分が、英語で分詞構文を高校生に教えてみれば?英語で説明されたって高校生は何も理解できません日本人には日本語を母国語とする人の為の英語教育が必要です。敗戦直後の日本ではないのですから文科省/大学教授は舶来信仰はやめてください。特に大学教授は学問、研究が仕事なんでしょう? だったら海外の教育法の受け売りばっかりやってないで、少しは自分で日本の子供たちの英語習得を見て、何が問題点なのか自分の頭で考えたらどうですか。 はっきり言って、欧米の英語教育の受け売りは日本では何の役にも立たないの。 理由はヨーロッパの場合はこちら(日本語はインド・ヨーロッパ語族の仲間ではありません)アメリカの場合は朝から晩まで聞く英語量の違いです。大学教授は学問、研究が仕事なのですから日本語がインド・ヨーロッパ語族の仲間でないことくらい知っていますよね。なぜその知識を日本の英語教育を考えるときに役立てないのですか。 大学教授は英語習得にインプット量が非常に重要なことも知っていますよね。 なぜその知識を日本の英語教育を考えるときに考慮しないのですか。 自分の知識を自分で問題解決を図るときに使ってください。外国の指導法が絶対正しいと妄信しているから自分の頭で考えることもしなくなってしまうのです。 まさに大学教授は欧米コンプレックスで思考力が停止している。 私がそのブログを書く前は、大学教授は「イタリアではこうやって英語教育をやっている」「ドイツではこうやって英語教育をやっている」そんなことばっかり言っていた。大学教授は外国のことを言えば評価が上がるのですか? でもそんなの日本では何の役にも立たないの。 外国の英語教育の受け売りでなく、自分の頭で考えてください。文科省/大学教授は自国の英語教師を蔑(さげす)むのはおやめください。「自分のいう事は絶対正しい(根拠は「欧米の英語教育だから」)」「日本人英語教師の言う事は最初から無視していい(彼らは欧米の英語教育を知らないから)」という態度ではなく、respect(尊敬)をもって接するのが社会の基本です。大学教授はアメリカやイギリスに行ったから先生方より偉いわけではありません。自分で考えないただの受け売りなんか偉くもなんともない。 日々生徒に接している先生方は「英語で授業」なんかやっていたら生徒は何にも理解できないとすぐにわかります。 先生方が海外経験がないからと蔑(さげす)んで無視するのはおやめください。文科省もです。「自分は外国に行ったから、行かない人を蔑(さげす)む」というのは情けないです。それに無視の仕方が露骨だ) 先生方は「生徒が何ができて何ができないか」大学教授よりずっとよくご存じです。 先生方に意欲をもって指導していただかなければ、日本人の生徒の英語力を上げることはできません。 
文科省と大学教授は欧米コンプレックスだからとにかく欧米の真似をして「生徒に英語をしゃべらせろ」「しゃべらせろ」ばっかり。 しゃべるための英語教育の手順なんか何にも知らない。 この後文部科学省がどんな英語教育の方針を出して来ても、欧米コンプレックスで作った方針じゃあ、日本で暮らす生徒たちには何の役にも立たないの。 「英語で○○する」っていう見かけ立派で何の役にも立たない方針ばっかり。(「英語で○○する」実力はどこでつけるのよ? 発音は? 文の形は? 学校で身につけさせなかったら身につかないよ。大学教授が留学で当たり前に体験した「朝から晩まで続く洪水のような英語インプット」は日本の中学生にはないの。 「言語習得にインプット量がどれほど影響を与えるか」英語教育に口を出すなら、そんな基本的なことくらい理解してからにしてください) だから日本の英語教育は永遠に失敗を繰り返すんだよね。  この国の子供たちはかわいそうです。こんなに一生懸命英語を勉強しているのに。









2023/10/1紫色で「中学生のスピーキングテストは教科書を正しい発音で言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」を加筆。その中に黄緑色で「大学教授/文科省:舶来英語教育への劣等コンプレックス」を加筆8/7/2023長谷部剛社長の日本経済新聞社は今迄の日経への信頼を悪用し「読者に嘘の記事も信じさせられる」「政治家の詐欺の手伝いもする」驕(おご)る日経。生成AIの啓蒙を装い、間違いの隠ぺいを図る。日経は「生成AIに言及すれば英語教育で何を書いてもいいの?」 どんなに「生成AIで英語学習の見直し不可避」という記事を書かせても、「生成AIで柔軟な教え方が重要」という記事を書かせても、島田優子記者のこの記事の間違いを正当化することはできない。島田優子記者の記事は「柔軟な教え方」でも「従来の教育法を見直した教育」でもない。ただの間違いです。耳に英語の音が蓄積されない限り、日本の子供たちが正しい発音で英語を話し始めることはない。英語教育の常識。 私は英語教育の専門家です。このような日経の記事でごまかされることはない。8/15終戦の日戦前戦中治安維持法の日本を生きた両親の言葉追加




文科省は英語の原型(基本の文)を定着させない限り永遠に英語教育に失敗する。英語の原型を持っていなかったら言いたい文はつくれない。 8/7 2023年5月19日付のこの記事は事実誤認。5月24日間違いを指摘 しかし日本経済新聞社(長谷部剛社長)は指摘を無視して力で間違いを押し通す。「日経の記事なら間違いないだろう」という人々の信頼を悪用する。その上「生成AIについてまだよくわからない」という人々の弱点につけ込んで「啓蒙」を装って間違った記事を正当化する。日本経済新聞は「新聞」なんだから「明らかな間違い」くらいきちんと認めればいいでしょう。「耳に英語の発音が蓄積されなければ生徒は正しい発音で話せない」というのは発音指導の常識です。そんな常識も知らないで記事を書いて専門家から間違いを指摘されると、専門家を妨害して、間違いを押し通す。 それじゃあ日経の記事は根拠のないでたらめな記事じゃないですか。新聞が「英語教育にド素人(しろうと)の記者が書いたでたらめな情報」を流してどうするの? 日経の編集者はそんな事も知らないで、英語教育の記事を書いているんですか。 私は英語教育の専門家です。こんなでたらめを放置することはできません。島田優子記者のお子さんは毎日7時間学校でアメリカ人の子供と生活していたんでしょう? そんな事、隠してもすぐわかるのに、なんで日本経済新聞社はいつまでも間違った記事を掲載しているの? 専門家のいう事より、間違った記事だって日経が力で押し通す方が強いのだと自分たちの力を誇示したいの? 長谷部剛社長の日本経済新聞社ってそんなに偉いの? 戦争中の上官みたいに白を黒と言っても押し通すくらい長谷部剛社長の日本経済新聞社って偉いの? まるで「新聞軍国主義」だね。父がよく言ってた。「上官の命令は絶対だった」って。「上官が黒といえば白いものも黒だった」って。 「戦争中は上官のいう事は絶対だった」って。戦争中の上官みたいに長谷部剛社長の日経はえらいんだ。専門家の「間違っている」という指摘より、日経が言い張ることが正しいんだ。 (今日は終戦の日。「戦争の体験を風化させてはならない」という人々によって一般の人々の受けた被害について語られている。けれども軍隊の中がどんなにひどかったか、一般の人に語られることはない。相当ひどかったみたい。父はいつだったか戦争の悲惨さを描いた映画を見ていて、上の人が兵士に「生きて帰ってくるんだよ」という場面を見て「あんなこと言わなかった。みんな「死んで来い」「死んで来い」って言われた」と言っていた。母は母で軍に統制された社会を「ちょっとでも政府に不審な行動をする人は憲兵が「おい、こら、ちょっと来い」と言ってすぐ引っ張っていった」(つまり当局に連行された)「憲兵終戦後、なかなか再就職口がないくらい、ものすごく威張って人々から怖がられ恨みをかっていた」と言っていた。父が通った学校で、先生が天皇陛下のお話をしている時にあくびをした生徒がいたら、先生がスリッパみたいな履物でその生徒の体中をたたいた、と言っていた。「からだじゅう、すごいたたき方だったよ」と首を振って言っていた。 戦後生まれの私は、「人間宣言」をされて「日本国の象徴」として(「日本国民統合の象徴として」憲法第一条)いつも「国民の幸せを願う」というやさしいお言葉をおっしゃる天皇陛下の姿しか見たことはありません。生まれた時からそうでしたから天皇制も自然になじんでいるという感じです。ですからそういう時代があったと想像するのも難しいです。 でも軍国主義治安維持法の世の中は恐ろしい世の中だったみたいです。私の父と母のような末端の庶民までその恐ろしさが滲み通っていました。小さいころから父と母の話を聞きながら「恐ろしい時代だったのだ」と思いました。長谷部剛社長の日経みたいに真実を捻じ曲げるメディアが政府のそういう方針の尻馬に乗って人々をそういう方向に誘導する。今だって間違ったことを平気で記事にして人々に読ませているじゃない。間違いを指摘した英語教育の専門家を妨害してまで「英語教育は簡単だ」と間違った情報を流しているじゃない。英語教育の専門家を妨害してまで間違った記事を書くなど、日経の英語教育に対する見識はゼロだ。 劇場型詐欺だって、「私が新井氏は詐欺だ」といった途端、新井氏を日経の教育のコメンテーターにして政治家の劇場型詐欺を後押ししてるじゃない。 政治家や日経は、無名の英語教師のいう事より、「教授」や「東京都教育委員」という肩書のある人、ネームバリューのある新聞のいう事の方を人々は信用すると思っているかもしれないけれど、「自分で事実を確かめて自分で判断をする人」だってたくさんいると思う。だから日経は人々を簡単に操作できると思ったらいけないと思う。日経だって今までの信頼の上にあぐらをかいて間違った記事を押し通したり、政治家の劇場型詐欺に協力したりしていたら、きっと人々の信頼を失っていくと思う。 そういう意味では今の社長、長谷部剛氏は歴代社長が長い時間をかけて築いてきた日本経済新聞社の信頼を悪用して、間違った記事を押し通している。「日経の書くことなら信頼できるだろう」という読者の信頼を悪用して、間違った記事を押し通している。歴代社長が築いた日経の信頼を長谷部剛社長一代で壊している。 私が「日経は政府の都合のいいように人々を誘導する」と思うのは、政治家がもくろんだ「新井紀子の劇場型詐欺を後押しした」という”前科”があるから。理由なく言っているわけじゃない。(その事実は大きな水色の文字の下、小さい黒字で書いてあります)  長谷部剛社長の日本経済新聞社は戦争中の「上官」みたいに絶対で、偉いんだね。 「間違い」も「正しい」と押し通す。日経が言えば「黒」も「白」なんだ。でたらめな記事も日経が言えば「真実」になるんだ。 日本経済新聞社の民主主義はどこにあるの? 長谷部剛社長の日本経済新聞社は「新聞軍国主義」なんだね。これを書いたら私のブログアクセスを政府に必死に妨害させているけど(だから私は政府と日本経済新聞社は一体だと思うわけ)、日本経済新聞社が「黒」を「白」だと押し通しているのは事実でしょう。 悪いけど日本経済新聞より私の方が英語教育はよく知っています。 私は英語教育の専門家ですから。(これを読んだ友人からメールが来ました。「新聞軍国主義。 日経は間違いなく、旗振って戦争賛美するようになりますね」って。それは極端な連想ですけど、私は日経を見ていて、父がよく言っていた軍国主義を思い出しました。日経の強硬なやり方が父がよく言っていた軍国主義に似ていた) 編集局長も社長も社内では偉くても対外的には間違いを認める勇気もない。  生成AIの出現をあげて「英語学習の見直し不可避」とか「柔軟な教え方が重要」とか言う記事を大学の准教授に書かせて、あたかも今までと違う英語教育を書いた島田優子記者の記事はミスではないと人々に思わせて正当化する。(私が最初に見た時は、それらの記事の「関連リンク」や「英語学習」の欄に島田優子記者の記事がリストされていた。) 人々がまだ、生成AIについてよくわかっていないことをいいことに、「生成AI」を引用して人々をけむに巻いてミスをミスだとわからないように誘導する。人々にとってまだ未知の「生成AI」をミスを隠す目的で使う「ゆがんだ報道の仕方」です。「日経は生成AIに言及すれば、英語学習では何を書いてもいいんだ」と思った。だからこの記事の意味がよく理解できなかった。 「責任ある報道」とか「公正で偏りのない解説」とかいうのなら、明らかな間違いくらいきちんと認めればいいでしょう。島田優子記者のお子さんは毎日7時間学校でアメリカ人の生徒と生活していたんですよ。日本の子供達にはない「毎日7時間の英語インプット」があったのです。この事実を誰が否定できるの? 「人々がまだよく生成AIのことがわからない」という弱みにつけ込んで、准教授に記事を書かせて啓蒙するふりをして誘導する。そうやって間違った記事を正当化する。 卑劣な手法だ。 間違いを指摘したのが肩書のない英語教師だからですか? 「大学教授」の肩書はどれほどのものなんですか? 吉田研作上智大学名誉教授も、松本茂立教大学名誉教授も、鈴木寛東大教授も、「英語で授業」だ、「民間試験」だと日本の英語教育を混乱させただけだった。(アメリカやヨーロッパで行われている方法が日本で効果があるかどうか、彼らは自分で考えようともしなかった。日本の生徒が英語習得の何を困難と感じているか、自分で考えようともしなかった。彼らには目の前で英語習得に苦労している日本の子供達の英語習得の本当の困難を解決しようという気は全くなかった。あったら、「なぜ英語で授業ができないのか」くらい先生方に聞いたでしょう。ところが彼らは先生方を非難するだけだった。 自分が外国で学んだ「理論」と「方法」だけが正しいと信じ込んでいる大学教授に何ができるんですか。そういう大学教授が何人いたって日本の子供たちの英語力は上がりません。アメリカやヨーロッパで行っている英語教育は日本では使えませんよ。そんなことインプットの量(アメリカ)や言語の特徴(ヨーロッパ)を考えればすぐわかるでしょう。)         「生成AIについてまだよくわからない」という人々の弱みにつけ込んで、間違った記事を正当化する日本経済新聞社に真実の報道はできない。    日本経済新聞社の「悪事の痕跡を残さず、人々を巧みに操作するやり方」は新井紀子氏のコメンテーターの時と似ている。そのことについては、このずっと下のとても大きなみずいろの文字で書いてあるすぐ下の小さい黒字の部分(あらゆるメディアを使って人々を嘘の情報で取り囲む「劇場型詐欺」)に書いてあります。  


 この記事を配信する日本経済新聞社は英語教育に無知です。 しかも日本経済新聞社は、ChatGPTの出現を間違った記事の正当化に使う。 自分の間違いが日本の英語教育に悪影響を与えても正しいと押し通す。面子・体面の為に決して間違いを認めない。こういう間違った記事を軽々しく新聞で広めるから日本の英語教育がめちゃくちゃになるのです。  しかも、記者の事実誤認を指摘されたら「正しい」と押し通し、間違いを指摘した人間のブログのアクセスを裏で邪魔させる。 報道のメディアが正確な事実も把握しないで記事を書いて、間違いを指摘した人間のブログアクセスを裏で邪魔させるなど相当悪質です。実際に妨害しているのは政府かもしれませんけど、私は先回と今回、実際にアクセス数をこんなに妨害されるまで、日本経済新聞社が裏で悪いことをする会社だとは思っていませんでした。だからちょっとショックでした。 「表では公正に仕事をしているという顔をして裏で悪いことをする人がここにもいたんだ」と思った。 私は15年前から、「何も悪いことはしていません」という顔をして裏で悪いことをする人達にずっと不正行為をされてきました。だから、もうそういう人を見るのは嫌だった。世の中ってそうやって動いているんだ、と思うのが嫌だった。 でも実際には、自分がした悪いことや間違っていることを指摘されると、自分の持っている力を使って、弱い立場の人間をつぶそうとする人達ばかりだった。  特に今回は、相当な妨害です。 先回は新井紀子氏のコメンテーターの件ですけど、今回は新聞の本来の使命、記事における間違いですから、これほどひどい妨害をするんでしょうね。  日本経済新聞社は間違いを指摘した人間を葬ってまで体面を守りたいですか? 立派な新聞社だと言われたいですか?     あなたたちがこういういい加減な記事を書くから、先生方が学校でどんなに苦労して英語を教えているか世の中の人々にわからなくなるんです。実際にその言語でコミュニケーションをしているところを見ることも聞くこともない国で、その言語を子供たちに定着させるのは大変なことなんですよ。英語の「発音」や「語順」がヨーロッパの人々のように母国語と似ているわけではないですから。  なのに、文科省まで教師の指導力がどうの、こうのって、言う。 それに便乗して、わざわざ新聞社にメールまで送って先生方を非難する記事を書かせる大学教授までいる。日本で自然に身に着く英語のスキルなんか一つもないんだ。発音だって自然には身につかないんだ。分詞構文一つだって、生徒は自然に身に着けることはないんだ。 それなのにあなたたちがこういういい加減な記事で「簡単に英語は身に着く」と書くから、先生方に非難が向けられ、とんでもないアメリカと同じ英語教育が導入されて日本の英語教育がめちゃくちゃになるんだ。 新聞記事の影響力はあなたたちが一番よく知っているでしょう。 日本で子供たちにしっかり英語力をつけさせたかったら、教えるべきことはきちんと生徒が理解できる日本語で教える。練習させなければいけないことはきちんと練習できる場(家庭学習)とCD(音声のお手本なら何でもいいです)を与えて練習させる。 それなしに、子供達に高い英語力をつける方法はありません。日本にいて自然に英語が身に着く方法はありません。 ChatGPTの狂騒に紛れて蜃気楼を見ていたら、どんどん子供たちの英語力は劣化する。ChatGPTができても、子供たちは自分の唇や舌を自分で動かして発音しなければならないし、文法を自分の頭で理解しなければならないことに変わりはありません。(文法はきちんと学んでくださいね。 そうしないとその後ずっと苦労することになります。ブログ「高校生の皆さんへ」) 発音だって機械に直してもらっても駄目です。口とつながっている耳で聞くから発音は上手になっていくんです。(ブログ「機械に発音の判定をさせるということ」) 人間の体は聞いた発音と同じ発音をするように練習していくと発声器官が同じ音を出すように動くようになります。それは耳と口が人間の体の中でつながっているからです。 聞くことを機械に任せてしまったら、使われなくなった耳の能力は落ちていくだけです。こういうことはやったことのない人にはわからないのですよね。(私の生徒さんで50歳を過ぎた方に、この方法で発音習得してもらいましたら、ニューヨークのエステティシャンの学校に通っていた時にアメリカ人に「女優さんのようにきれいな英語ね」と言われた方がいました。ブログ「ネイティブも美しいと思う英語」)耳を使うと体になじんだ滑らかな発音になります)子供達をそういう発音でしゃべれるようにすることもできるんですよ。やり方自体は「家庭学習を継続する」という単純な方法です。(「単純な方法」の意味は「複雑な方法ではない」という意味です) ただ、この「単純な方法」を「発音習得の基本にのっとって」継続しなければなりません。 期間は2年かかりますけれど宿題さえちゃんとやってくれればできるようになります。最初、正しい発音で音読する事を体得するまでがちょっと大変ですけれど、中学1年生は耳がよく、口の筋肉も柔らかいですから、それも一年半くらいでできるようになります。 残念なことに文科省がそれをさせてくれないだけです。(やり方は、HPの「中学生の勉強の仕方」のところに書いてあります)基本を身に着ける中学時代はいろんなことをやらせてはだめです。 「いろんなことをやらせる」という事は「結局何にも身につかない」という事と同じです。 この時期は基本に限って徹底的に身に着ける。 それが最も効果的です。中学3年間に習った英文を「全文正しい発音で何も見ないですらすら言えたら」15歳のレベルで完璧な英語コミュニケーション能力を身に着けたという事です。これは英語を話す時の「基礎体力」のようなものです。 自分でここまで練習したうえで会話の練習に入ればスピーキングの実力も上がっていくでしょう。 けれども、これを自分でやらないで、会話の練習だけやっても、正しい発音が身につくことはありません。また、英文が頭に定着することもありません。 会話の練習だけでは口を動かして発音を定着させる回数が圧倒的に足りないのです。また、文の形が頭の中に定着するにも足りません。 よく「英会話学校に行ったけど実力がつかなかった」という方がいますけれど、それと同じです。 まず自分で自分の口や頭に発音と英文を定着させるほど練習をしないと、ただ会話をしているだけでは発音も英文も自分の中に定着しない、という事です。 英文は自分の口で何回言ったかによって、定着の度合いが違います。 教科書を1回音読した生徒と10回音読した生徒では、基礎の定着が全然違います。(文の形(構文)も発音も) 会話でその英文を一回しか言わなかったら、構文も発音も定着しません。 初級者の英語習得は「基本の文を自分の口で何回言ったか」回数で決まります。中学生は基本が定着するまで何回も教科書を音読させなければ基礎(発音、構文)は絶対に定着しません。教科書を見なくても教科書で習った英文を正しい発音ですらすら言える。この状態まで練習するとそれを会話にも使う事ができます。 これが英語習得の基本です。 (昔から英語学習者は何回も口に出して英文を言っていました。だから普通の人は何回も言って英文を定着させる重要性を知っています。 単語だって皆さんそうやって覚えましたでしょう? 新しく出てきた単語を英会話で一回使ったら覚えましたか? 覚えませんよね。 何回も発音して、何回も書いて覚えましたよね。 英文だって、発音だって身に着けて使えるようにするためには何回も自分の口で言って覚えます。 文部科学省の英語教育が何をやっても失敗するのは、この基礎の定着を生徒にまったくさせないからです。文科省は音読や発音練習のような勉強を「悪い英語教育」だと思っているのでしょう。「英語で意見を言う」「英語で討論する」「英語でディベートをする」それが「よい英語教育」だと思っているのでしょう。 でもね、教科書の英文も、何も見ないで正しい発音ですらすら言えない生徒が自分の意見を正しい発音で言えるわけないでしょう。 生徒は教科書の英文を毎日の練習で教科書を見なくても正しい発音ですらすら言えるようにして、それを「持ち駒」のようにたくさん自分の中に蓄積させるから、その文を使って会話もできるのです。中学3年間教科書の英文を練習して正しい発音で何も見ないですらすら言える英文をたくさん自分の中に蓄積させるから、それを自由に使って会話ができるのです。 文科省はその練習を生徒にさせないから生徒の「正しい発音で言える英文の持ち駒」はいつも空っぽ。言おうと思ったって練習していないから「正しい発音で言える英文」なんか一つもない。だから文科省の方針は何をやっても失敗するのです。 昔、「英作文」のことを冗談で「英借文」(えいしゃくぶん)とみんな言っていました。 出題された日本語に対応する英文を作るには、まず、自分が学んだ「それと似た内容を表す英文」を「借りて」きて、それを少し直して作文するとうまくできるからです。 同じように、しゃべるときもしゃべりたいことを表現するのに近い文章をたくさん自分の中に持っていると、それを部分的に直してほかのことも言えるようになるのです。(日本語は英語とは同じ言語グループではありませんので、日本語文から英文を類推することはできません。それがヨーロッパの人々とは異なるところです。日本人はどうしても最初に「英語の基本形」を頭に蓄積しなければなりません。こちらのブログ) この「借りて」来れる基本的な文章、(それも練習して正しい発音で言える英文)をたくさん自分の中に蓄積させておくことがまず、初級の生徒にとって最も重要なことなのです。それこそが「英語」では基礎の確立なんです。 今みたいに文科省が教科書の文を覚えることの重要性も認識していない教育では、子供たちの頭には正しい発音で言える教科書の文なんか一つも蓄積されていない。 これでは何もしゃべれないですよ。暗記は初期の学習者にとって必要なことです。強固な英語力の基礎を作るために必要なことです。 帰国子女だってアメリカでテストや発表の前は暗記ばっかりでしたよ(こちらのブログ緑の部分。初級者の英語教育で重要なのはオリジナルな英文を作ることではないの。 自分が使える基本的な英文をたくさん自分の中に蓄積することなの。私の場合は授業が終わった教科書を70回音読していました。そうすると英文は何も見なくてもすらすら言えました。発音は自分で努力できる一番正しい発音で音読しました。完全に正しい発音で言えるようになるには1年以上かかりました。 それまでは「できる範囲で正しい発音でよい」と思っていました。それから、学校でスピーキングのテストをする場合には、生徒が練習した文を使って答えられるような質問をすることが重要です。 そのテストに良い発音ですらすらこたえられると、生徒の「やる気」が上がるからです。 いたずらに、難しいことなど中学生に答えさせなくていいのです。 テストは優劣をつけるのが目的ではなく、「生徒が自分の努力が報われる瞬間を体験する」のが目的だからです。それがあるからこそ、こういう地味な練習(教科書の英文を何も見なくても正しい発音ですらすら言えるようにすること)を生徒は3年間も続けていけるのです。 生徒のモティベーション(やる気)の維持にテストも重要な役割を果たすわけです。(英語が話されていない日本では「モティベーションの維持」というのはいつも英語教師を悩ませる問題です。) 中学生の目標は、この後積み上げる英語力の基礎の確立です。 テストは基礎ができているかどうかわかる問題で十分です。 そうやって、中学3年間、生徒に高い意欲を維持させてスピーキング能力を高めていくことが生徒に実力をつけさせる方法です。 中学時代は基礎さえ身に着けてくれたらそれで十分なんです。中学英語の目的は「基礎の確立」です。 高校生になったらいくらでも難しいことを言う練習はできます。 それを行うために中学では基本を徹底的に身に着けてくれれば十分なんです。英語力の完成までは長いのです。 やる気を維持するのは大事なことです。 いたずらに難しいことなんか質問して「勉強したって駄目なんだ」などと生徒に思わせてはいけないのです。 生徒は練習する意欲を失ってしまいます。 優劣をつけるのが目的でなく、「練習すれば誰でもできる必要最低限の基礎」をどの生徒にも徹底的に身に着けさせるのが、中学英語の目的だからです。 中学英語と高校英語では英語教育の目標が全然違うのです。   











(上のピンクの部分に書いてある「英借文」(えいしゃくぶん)の部分をご理解のうえ、下の文章をお読みください。「英語の原型」(教科書の文)を頭に蓄積させる重要性がお分かりになります)
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆
2023年10月1日加筆 「日本の中学生が受けるスピーキングテストは教科書の文章を正しい発音ですらすら言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」

8月のある日、夜7時のNHKニュースで中学生のスピーキングテストの結果を放送していました。 その中で正答率24%の問題が紹介されました。 (2ヶ月前の事ですので、記憶が定かでないので「24%」が正確な数字だったかどうかわかりませんが、とにかくとても低い数字でした) それを聞いた私は「基本を習得する中学生のスピーキングテストでそんな問題出してちゃだめよ。そんなことしたら中学生は「どうせ、練習したってできないんだ」と思ってしまうじゃない。 中学のスピーキングテストは「教科書の文がすらすら言えるように練習した生徒は全員100点が取れるテストでなければだめなの」と思いました。 私が知る限り、中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をした英語教育の専門家は日本に一人もいません。だから私がなぜこういうことをいうのかお分かりになる方はいないと思います。 それでその理由を説明するためにこのブログを書きました。  日本の英語教育を主導する大学教授の方々はご自身が留学をしたり、帰国子女だったりするので、発音習得を全く考慮に入れない英語教育の方法を提唱します。 それでは日本の子供達は通じる発音で英語を話すことはできないのです。
まず、理解していただきたいのは日本の子供達はスピーキング習得においてヨーロッパやアメリカのESLで学ぶ子供達に比べて大きなハンディキャップを背負っているという事です。 ヨーロッパの子供たちは母国語が英語と親戚関係にありますので、母国語の語順が英語と似ています。 また子音を単独で発音できます。 「語順が似ている」「子音が単独で言える」という事は英語でしゃべるとき、比較的困難が少ないということです。  日本の子供たちはヨーロッパの子供たちが母国語でできていること(語順、発音)を習得するのも大変です。 
またアメリカのESL(母国語が英語でない生徒)のクラスで学ぶ生徒は現地で朝から晩まで英語の大量のインプットがあります。 大量のインプットがあれば学んだ言語はよく定着します。 しかし、日本にいる子供たちは英語で人々がコミュニケーションをするところを見ることも聞くこともありません。そのため学んだ言語を定着させるのも大変です。  

このように日本の子供たちは英語習得の最初から大きなハンディキャップを背負っています。 こういう子供たちにスピーキングを習得させるためには教育者は時に子供たちの応援団となって子供達の英語習得をサポートしていかなければなりません。 スピーキングテストも子供達の英語習得の「応援」のために使います。

私はこちらのブログで多くのヨーロッパの言語は文章の型が英語と似ているため母国語を英語に「変換」してしゃべれる部分が多いと述べました。ところが日本語を母国語とする子供たちはそれができませんので、「英語の原型」(基本の文の形)をまず、頭の中に入れておかないと英語はしゃべれない、と言いました。この「英語の原型」(基本の文の形)は中学時代に習います。中学時代に習う英文を全て、何も見ないですらすら正しい発音で言えないと日本人の英語学習は始まらないのです。 「基本の文の形を」を頭の中に蓄積させて、それを「正しい発音」でしゃべれないとその後の英語学習は何もできないのです。 

文科省は発音練習や文章の音読は悪い英語学習だと思っているようです。それで、「自分の意見を英語で言う」だとか「英語でディベート」だとか言ってますけど、基本の文も正しい発音ですらすら言えない生徒が自分の意見を通じる発音(正しい発音)で言えるわけないでしょう。 英語教育を提唱される大学教授の方々の多くはご自身は留学して流ちょうに英語をしゃべっていますから、全く発音習得を除外した英語教育を提唱されますが、発音は教えなければ、日本の生徒はできるようにはなりません。 留学して洪水のような英語を聞いていた大学教授とは、日本の中学生は違うのです。 まず、その点が、大学教授が提唱する英語教育がまったく役に立たない理由です。 英語の基本スキル、発音は学校で教えなければ、日本の子供達には身につきません。 生徒に勝手にしゃべらせても発音は身に付きません。 (新聞がケアレスにこういう記事を載せるから、あたかも日本でそういうことができるかのように人々が錯覚するのです。帰国子女が発音練習しなくても通じる英語が話せるのはアメリカで洪水のような大量の英語の音声を聞いているから、それが耳に蓄積されて同じ発音で話せるようになるのです。日本経済新聞社(長谷部剛社長)は何度間違っていると指摘されても敢えて間違った記事を掲載し続けます)


もし日本人の英語力を上げたかったら、できるだけ多くの生徒(可能なら生徒全員)が中学校で習う基本の英文を「正しい発音で」「すらすら言える」ようにするという教育目標を中学時代に達成しなければなりません。 英語学習において「基本の文がすらすら言える」という事は、人間の発達段階で言えば「赤ちゃんがハイハイから立つことができるまで」に相当します。 これができなかったら、それ以降の英語習得は何もできないのです。 だから、何としても、一人でも多くの生徒(できれば全員)がこれができるようにするのが、中学校英語教育の目標です。 一人でも多くの生徒が自分の足で立てるようにしてやること。 それが中学校英語教育の目標です。 そうしなかったら、英語習得において生徒は前に進むことができないのです。 難しいことはどうでもいいから「基本の文だけは正しい発音ですらすら言える」これを中学時代にどうしても身につけさせなければなりません。 それが中学校英語教育の役割です。
中学3年間は長いです。その長い3年間、生徒がコンスタントにスピーキングを練習していける態勢を作らなければなりません。 そのためにテストも一役買ってもらいます。

「学習した教科書のレッスンの英文を発音練習し、すらすら言えるようになった生徒は全員100点が取れる」 スピーキングテストはそういうテストにしないとなかなか子供たちのやる気にはつながらないでしょう。 練習した生徒が100点をとれる、つまり課題をきちんと練習した生徒は必ず100点が取れるというテストが悪いとは私は思いません。 なぜなら教科書の英文(英語の原型、英語の基本の文)がすらすら言えることが中学校英語教育の目標なら、それをきちんと練習してきた生徒全員に100点をあげても悪いことではないでしょう。 生徒はその努力をしてきたのです。 だから練習していない英文が答えになるような質問はしないことです。 教科書で練習してきた英文が答えになるようなテストをすればいいのです。 自分が練習して言えるようになった英文をテストですらすら答える。 これは生徒にとって快感です。 自分の努力が報われる瞬間だからです。こういう経験をたくさんさせることは決して悪いことではないと思います。 何も学校のテストは優劣をつけるためばかりに行わなくてもいいでしょう。 自分が体を使って練習してきた文を自信をもって答えてテストで100点もらえるなら、生徒はとてもうれしいと思います。

ここが「応援団」がテストをするメリットです。
私は大学生のころからアメリカのセルフヘルプの本を読むのが好きでした。 その中に面白い話がありました。 アメリカでチャンピオンになったプロボウラーの話でした。 彼はインタビューの中でこう言っていました。「私が子供のころボウルを転がしてピンを倒して遊んでいると父は私の球が行くところにピンを置いてくれた。 だから私は自分の球がピンから外れると思う事はなかった」 面白いなあと思いました。このチャンピオンは子供のころ自分のころがした球がピンに当たるたびに快感だったでしょうね。 お父さんはその「快感」をたくさん我が子に味わわせてくれたのでしょう。

だったら、私たちもそれでなくても英語習得で大きなハンディキャップを背負っている子供たちに「基礎の習得の段階」(中学時代)くらい、英語学習でたくさん「快感」を味わわせてあげたらいい、と思います。 私は中学校の英語の教科書は授業が終了するたびに70回ずつ音読しました。 そうやって英文を音読練習するのを習慣にするには教育者の方でもできる限りの応援をした方がいいと思います。練習しても24%の生徒しか答えられないような問題を出して、「勉強したってどうせできないんだ」などと生徒に思わせるより、「練習したら、必ず100点が取れる」と生徒に思ってもらった方が、ずっと良いテストだと私は思います。 中学、高校、大学と英語教育の目標は違います。 難しいことは高校生になったら言わせればいい。 中学生は基礎ができたら、スピーキングは100点でいいのです。


私は高校入試の日だけに行うテストではこの役割は果たせないと思います。 まず、1ページ分くらいの教科書の英文の授業が終わった時に、CDについて正しい発音で、文が言えるように練習してくる宿題を3年間日常的に生徒にやってもらいます。1回の分量があまり多くない方がやりやすいと思います。 テストはALTの先生の協力を得て各学期末に行えばいいでしょう。(こちらのブログに書いてあります。)日本の子供たちが英語を学ぶ場合、中学校で習う基本的な文を頭に蓄積させないと、その後の英語教育はできません。 私たちはこの基本の英文をできるだけ多くの生徒(できれば全員)が習得できるよう、努力していかなければならないと思います。 どこかの団体に入試で一回テストをしてもらうのではなく、生徒が基本の文を習得できるようにするために、学期ごとのテストで丁寧に習得を助けていくことが重要だと思います。このスピーキングテストは生徒が中学で習う基本の文を正しい発音ですらすら言えるようにするのを支援するために用いるのが、最も生徒の役に立つ「スピーキングテスト」の使い方だと思います。 「各学期ごと」に行うのも、テストのためのスピーキングの練習範囲を負担の少ない分量にして生徒に練習してもらうためです。 このスピーキングテストをする教育者は「評価をする」という目的よりも、生徒たちが3年間基本の英文を正しい発音で言えるようにするのを「支援する」ためにテストを行う、という意味合いが強くなります。


毎回教科書で習った英文を正しい発音で言えるようにするのは中学生にとって、とても大変なことです。  4つの「ア」を区別して英文をしゃべること、2つの「イ」「イー」の(長さでなく)音質を区別してしゃべること、こういうことを口を開いて英語をしゃべり始める瞬間からできるようにしていくのは中学生にとって、とても大変なことです。 教科書の文だけでも正しく発音してすらすら言えるようにするのは大変なことです。 日本には中学時代、学校の勉強の一環として発音習得をした大学教授は私が知る限り一人もいません。 だから正しい発音を保って教科書の英文を読むことが中学生にとってどんなに大変なことかわかる大学の先生はいないのでしょう。 あのNHKニュースのテストの解説のところで「音読くらいしかできない」というコメントがありました。 それを聞いたとき、教科書の文をすべて正しい発音で(つまり私の最初の本についているDVDで解説した通りの発音で)音読できるようにすることがどれほど大変なことか、わかっていない教育者がたくさんいるんだと思いました。 だから文科省は音読練習や発音練習を悪い英語教育だと思っているのでしょう。 でも、それじゃあ、この解説の文を書いた人や文部科学省の方々は私がDVDで解説した基本の発音で教科書1ページでも音読できるんですか? 4つの「ア」を区別して英語が喋れますか? Good. という時、「ウ」の音を「オ」の口で「ウ」というように発音して、しかも一瞬ですが、その口の形を保持して発音していますか? This is ~~. を発音するとき、「ディス イズ」の「イ」を、「イ」と「エ」の中間の音で常に発音していますか? おそらく英語をしゃべるとき(音読する時)全ての音を正しい発音でしゃべってはいないでしょう。 それでは音読練習にならないのです。 発音習得の練習にはならないのです。 正しい発音で教科書全文を音読することがどれほどたくさんの練習がいることかあなたたちは全然知らない。 こういう説明を聞くと多分文科省の方々は「そんなことやってられない」と思うでしょう。 これだけだったら、「やってられない」と思います。 でもここで音声のお手本(CDなど)を生徒に与えてその通り言えるようにする練習をすると音声モデルの音と近い発音で生徒は英語が話せるようになります。 私も中学生の時「テープの発音と同じように言ってみましょう」という教材で勉強しました。 けれども、発音を聞いたとき、この音はどうやったら出せるのかわからない音がありました。 そういう時、最初に発音の仕方を一通り教えておくと効率よく練習ができます。こういうことは中学時代発音習得をしたことのない人にはわかりません。(私がDenver のNの音がお手本と同じに発音できなくて、舌を上の歯茎に着けることを確認した話はこちらのブログに書いてあります。They are coming from Denver. という文を発音して録音し、お手本と比べたら、私の「Denver」 のNは日本語で「ワンワン」と言った時と同じ「舌の先が上の歯茎についていないN]だったので、お手本とは違って聞こえたのでした。) 

こうやって教科書の文が正しい発音で音読できなかったら、とてもじゃありませんけれど、自分の意見なんか正しい発音で言えませんよ。 そういう事も知らない人が英語教育の方針を決めているから、教科書も正しい発音で音読できないまま、「自分の意見を言わせる」だの「ディベート」だのと言うんでしょう。 だから生徒は何にも正しい発音で話せないんです。(しかも、教科書の基本の文も頭に蓄積させていないのですから何にもしゃべれませんよ。) 私のレッスンにいらした方ですが、非常に英語力は高いのですが、発音が一回で通じない、という事で2年くらいお教えしました。習得が終わった時、感想を聞きましたら、「Good morning.」ひとつ正しい発音で言えるようにする練習でどれほどたくさんの事を発音について学んだかわかりません」とおっしゃいました。 英語学習の最初に正しい発音を身に着けるのは大変な事ですが、大事な事です。 発音を身に着ける為には教科書を音読する時は、習った発音の仕方以外の音で発音する事は一切しません。そうしないと新しく習った「英語の発音」は定着しません。自己流のカタカナ発音をしていたら、その方が楽ですから正しい発音は全く定着しません。

でも、それをコンスタントに3年間続ける、つまり習慣化するには学校が子供の努力を応援しないと無理だろうと私は思います。教育者である大人が子供達のその努力を応援してあげないと、とても生徒は3年間教科書の音読練習を続けていく事はできないでしょう。 

24%の生徒しかできない問題を出して生徒のやる気をそいで、何のメリットがありますか? 日本で英語を学ぶ生徒には励みになる事を与える事こそ必要ですが、やる気をそぐようなテストは不要です。

難しい事なら高校生になってから言わせればいいでしょう。


中学、高校、大学、それぞれの段階で英語教育の目標が違いますので(それについては私のHPをご覧下さい)、中学生は基礎の習得ができた時点で100点をつけるのは何ら問題はないと私は思います。

私が実際に中学時代発音習得をしてわかった事に基づいて、私が日本人の中学生のスピーキングテストについて希望することを以下に書きます。

1.正しい発音を習得するまで一年半くらいはかかりますので、2年生の半ばくらいまで発音の不十分なところは少しおおめに見てあげてください。特に一年生のころ。

2.発音習得開始から8ヶ月くらいまではあまり速くしゃべる事はできないので、ゆっくりしゃべる生徒がいてもこれも速度を理由に減点するのは最初のうちはしないで頂きたいと思います。

ただし「英文を話している時に文の途中で止まる事はしてはいけない」という指導は徹底して下さい。文の途中で止まると通じにくくなるというのも理由ですが一番大きな理由は英文を何度も言う練習をしない生徒でも、途中で止まっていいのなら頭の中で英文を作ってしゃべる事ができるからです。それではスピーキングの「実技」(実際に自分の口の筋肉を動かして練習し、口の筋肉にその動きを覚えこませる)を練習してきた事にはなりません。「考えて文を組み立てる」のではなく自分の口が自然に動いて文の最初から最後まですらすら言えるように何回も言う練習を積み重ねないとスピーキングの練習にはなりませんので「英文の途中で止まらないで言える」ことは徹底してください。ゆっくりしか言えなくてもいいですが、途中で止まる事はしない、と徹底して下さい。 自分でやってみるとわかります。質問されて頭で英作文して答えると、文の途中で止まる英文になります。一方、ちゃんと自分の口で何回も言って練習してきた生徒は一文を最初から最後まで止まらないで言えます。これは実技の練習ですので、止まらないで言えるようになるまで練習して来ることを生徒に宿題でやってもらって下さい。 生徒には「頭の中で英文を考えながら言うのではなく、考えなくても文の最初から最後まで通して言えるように練習するんだよ。ゆっくりでもいいから文の最初から最後まで考えなくても言えるように練習するんだよ。」と指導してください。

こういう実際の指導のポイントは、自分が中学時代、発音習得をした人間でないとわかりません。発音習得をまったく考慮に入れない英語教育を提唱する大学教授にはわからないと思いますが、重要な点ですので、おさえておいてください。

文部科学省、大学教授にはびこる【舶来英語教育信仰】【欧米英語教育コンプレックス】(特に劣等コンプレックス。「日本人の英語教育者が言う事、やっている事は間違っている。 欧米の英語教育方法は優れている。絶対正しい」)

以前鈴木寛東京大学教授が英語民間試験を勧める為に「世界の国々で活用されている英語民間試験」と言っていました。 それを聞いた時、私は「世界で使っているからなんなの?」と思いました。例えば世界で有名な英語教育機関は日本人が英語習得する時、何が一番難しいか知っているの? 日本人の英語がなぜ通じないか知っているの? 日本語の子音が短くてそれを英語に持ち込むからわかりにくいと知っているの? 何年も日本人の英語習得の問題点を研究した実績があるの? と思いました。 2023/11/21「日本人の英語力は過去最低」という記事。この調査をした企業の広告には日本人の英語力を上げる為「英語で教えた方がいい」「スウェーデンでは教室に入った途端すべて英語」と書いてありました。(広告は2019年3月15日掲載のようでした)日本で「英語で授業」は失敗した。赴任中息子は「こんなもの、英語で説明されたってわかんないんだよ」と言った。これが日本人生徒の正直な気持ちです。日本人の為の英語教育のやり方を世界で有名な教育団体が知っているわけではない。彼らは日本人の英語習得の研究はしていない。文科省は欧米の英語教育に盲目的に従うのはやめた方がいい。彼らは「何が日本人の英語習得の障害か」「なぜ日本人の話す英語がわかりにくいか」知らない。日本語の子音の言い方など彼らは知らないでしょう。この記事を送ってきた友人のメールには「さもありなんですね」と書いてありました。「当然ですね」という意味です。「英語で授業」では日本人の生徒は何もわかりません。生徒に発音も基本の文の形も身につけさせないでやれスピーチだ、やれディベートだ、言ったって生徒は何もできるようにはならないの。華やかな活動ばっかり唱えても発音も文の形も身に着けていなかったら、何も英語で言えないの。文科省の方針は何十年も、ずっとそうだったのではないですか? 欧米信仰はもうやめた方がいいです。   イギリスやアメリカに留学して、英語教育を学んだ大学教授は、そこで学んだ英語指導だけが絶対正しいと妄信して、それに疑問を呈する現場の先生方の意見を絶対に受け付けない。 でも、アメリカやヨーロッパの英語教育は、日本でやっても何の役にも立ちません。日本人が生まれてからずっと話してきた母国語(日本語)の性質が違うからです。 「英語で授業」が効果がありましたか? 「CAN-DOリスト」が日本人の英語力を上げましたか? 留学した大学教授は自分は留学で、英語がペラペラ話せるようになったかもしれないけれど、日本で学ぶ子供達にはあなた達が経験した洪水のような英語インプットはありません。 それなのに「どうやって生徒に発音習得をさせたらよいか」その方法さえ大学教授は自分の頭で考えようとはしない。 大学教授はアメリカやヨーロッパの英語教育の受け売りばかりで「目の前にいる日本の生徒たちが英語習得の何を難しいと感じているか」「それをどうやって解決したらよいか」について自分の目で見ようともしないし、自分の頭で考えようともしない。先生方が「日本語で教えても理解できない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」と疑問を呈しても、それを真剣に聞いて一緒に生徒の英語力を上げる方法を考えようともしない。有識者会議の委員だった松本茂氏や吉田研作氏のような大学教授は「欧米の英語教育は絶対正しい」「自分が言った通りやらない日本の教師が悪い」と非難するだけです。 それでは日本人の生徒に対する英語教育はできません。 先生方が呈した疑問に真剣に答える努力をしていたら、自分が間違っている事に気づいたはずです。「自分が言った通りやらない教師が悪い」と言っているだけでは何の解決にもならないのです。 外国の英語教育だけが唯一絶対正しい方法ではありません。大学教授は自分の目で日本の子供たちの問題を見て、それを解決する方法を自分の頭で考えてください。 私は、新聞で特集されたり、雑誌などに掲載された大学教授が勧める英語教育の方法を何十年も前から読んできました。 でも、それらは全部、発音を定着させることなく生徒に英語をしゃべらせる教育方法ばかりでした。ここはあなた達が留学したアメリカやイギリスではないのです。洪水のような英語インプットはありません。 生徒に勝手に英語をしゃべらせても、正しい発音でしゃべれるようにはなりません。(私は日本人の大人の発音に関してとやかく言っているのではありません。中学時代に文科省が音声のお手本となるCDを与えなかった犠牲者だと思うからです。犠牲者を責める人はいません)    「英語で授業」を全国の中学、高校に勧め、先生方や生徒達に莫大な損害(時間、努力、教育に使われた税金)を与えた吉田研作氏、松本茂氏、向後秀明氏、東進ハイスクールの安河内哲也氏はその責任を取らないのですか。 あなた達のせいで、先生方や生徒達は、取り返しのつかない損害を何年にもわたって被ったのですよ。 生徒たちはもう、中学、高校時代に戻ることはできません。  もし、外国の英語教育の押し付けでなく、日本の子供たちに合う方法で、一つ一つの英語のスキルを丁寧に習得させていたら、今頃、日本の生徒達は通じる発音で英語を話していたでしょう。「英語の原型」(基本の文の形)をたくさん習得していたでしょう。 その機会を生徒から奪ったのは、「英語で授業」を提唱した吉田研作、松本茂、向後秀明、の各大学教授と東進ハイスクール安河内哲也氏です。 卒業していった生徒達は二度と中学、高校時代には戻れません。大学教授と東進ハイスクール安河内哲也氏の罪は非常に重いと思います。取返しのつかない損害を生徒に与えました。 昭和20年代の敗戦直後の日本ではないのですから、大学教授は英語教育にまで、【舶来信仰】を持ち込まないでください。外国の英語教育なら、なんでもありがたがるようなことはやめて、自分で考えてください。
世界で英語教育で有名な団体だから日本人にとってよい英語教育をするとは限りません。文部科学省、大学教授は【舶来英語教育信仰】にどっぷりつかっている。 日本人の英語教師の言う事は「間違っている」と決めつけて聞く耳も持たない。 外国の英語教育の方法なら、「絶対正しい」と現場の反対を押し切ってまで学校でやらせる。 外国の英語教育法なら何でもありがたがる【舶来信仰】はもうやめて、日本語を母国語とする子供達にはどういう英語教育が適しているのか、自分で考えてください。文部科学省や大学教授は日本人なのに、日本人の英語教師のいう事は信用できませんか。そんなに欧米の教授法というだけで「すばらしい」と思うのですか? そういう思い込みは欧米の英語教育に対する「劣等コンプレックス」ではないですか。日本の最高学府で教える大学教授が「劣等コンプレックス」でバイアスがかかった(偏見に満ちた)態度でしか日本の英語の先生方の意見を聞けないのは情けないです。外国の教育法の受け売りだけで自分で何も考えないんだから、そんなのただの「外国かぶれ」と同じです。【かぶれ】語の解説(大辞泉):(接尾語的に用いて)その影響を強く受けて悪く感化されること) 欧米の英語教育に対する「劣等コンプレックス」で決めた英語教育では、日本の子供たちの英語力は上がらない。     (ちなみに「英語で授業」を提唱する指導者の中で私が、最も悪質だと思うのは「英語で考える指導法」を提唱する石渡誠です。 間違っていると指摘されても徹底的に無視して、間違った指導法を生徒に押し通しているからです。しかも何十年も。 保身のために間違いを承知で押し通すのは、教育者として非常に悪質です。「教育」は信頼の上に成り立つ仕事ですから。 間違いに気づいた時点できちんと生徒に訂正するのが教師の責任です。 石渡誠の「英語で考える指導法」の間違いはこちらのブログで証明しました。 書き出しからわずか10行で証明できるほど明白な間違いです。これを正しいと押し通すのは相当無理があります。 石渡誠は「間違いだとわかっていて生徒に訂正もしない」最も悪質な教師です。  自分の学校の生徒だけでなくこういう動画で見る学習者もいますし、本で読む学習者もいますので、間違いだとわかった時点で公に(つまり誰でもわかるように)訂正するべきでしょう。)

私は文科省が生徒に教科書の英語音声が入っているCDも配らないことを批判してきました。でも、文科省自体がだめな英語教育をしたいわけではないと思っています。 CDを配らせないのは教育で金儲けしたい政治家でしょう。 官僚は人事も政治家に握られているから言われたとおりにするしかないのだろうと思います。 どこかのブログに「どうしてあげたらいいのかしらね」と書いたこともありましたね。(どうにもしてあげられませんでしたけれど。)
中学校のスピーキングテストには応用編の問題はいりません。 正答率24%の問題なんかいりません。 中学生には基本を徹底的に習得してもらえばそれで十分です。 文科省や英語教育を提唱する大学教授は「英語嫌いを作らないように」と言っていますよね。 だったら、「基礎習得の段階」(中学時代)くらい生徒に「英語をしゃべるのは快感だ」と思わせるようなテストでいいんじゃないですか? 「テストが快感」なんて、多分、中学のスピーキングテストだけ。 一生に一度の経験になるでしょうけど。


中学校で、教科書にある基本の文をすらすら正しい発音で言えることを習得して、日本の子供達はやっと「語順」「発音」の習得においてヨーロッパの子供達と同じスタートラインに立てます。 私たちは、ヨーロッパの子供たちが母国語で普通にやっていることもできない子供達に英語を話せるように教えていくのです。 アメリカのESLやヨーロッパの子供たちと同じことをやっていても日本の子供たちに効果はありません。

不利な条件を背負った子供たちに世界で互角にやっていける実力をつけさせようと思ったら、有利な条件を持っている子供達と同じ教育をしてもだめです。 不利な点を克服できる教育をしないと互角にはなれないでしょう。
アメリカやイギリスなどヨーロッパの国々で行われている方法が最善だと妄信して英語教育を行うのはもうやめた方がいいと思います。 日本の子供たちにそんなことをしても何の役にも立ちません。


【参考】   私の発音指導は「音の着地ベース」
私の発音指導は「音の着地ベース」だな、と思う事があります。どういうことかというと、発音の仕方を解説するとき、「どういう口の形で発音するか」それについて書くのが普通ですね。 発音する人の口の形や舌の位置などについて解説するのが普通です。 私が大学で学んだ音声学の教科書もそういう内容の原書でした。 つまり「音が発進する」ときの口の形を説明するのが普通です。  私の発音の本はそれも書いてありますが、「発進された音」が相手の人に届いた時、つまり音が相手に「着地した時」どう聞こえるか、それにも重点をおいて説明しています。 例えばcut の「ア」は暗く鋭く聞こえるように発音してください、とか、「Fの摩擦の音が持続して聞こえるように発音してください」というように、相手の人にどう聞こえたら通じるかも含めて解説しています。 発音を学ぶ方の中には「音声学の教科書と同じ説明でないとおかしい」と感じる方もいらっしゃるようですが、聞こえた時の音の特徴を私が重視するのは、私が13歳の時からテープで聞いたお手本の発音と自分の発音を比べて直す、という習得の仕方をしてきたからだと思います。中学1年生から2年間、私は毎日2時間、テープの発音をまねて英文を言えるように練習し、録音した自分の発音をお手本と比べて直すという英語学習を行いました。 その後教材はアメリカ議会の公聴会の録画や「名探偵コナン」の英語版など基本の教材以外も使うようになりましたが、勉強の仕方は基本的に中学生の時と同じです。(「名探偵コナン」のシリーズを何か月もやっていた時は息子に「お母さんがそんなに漫画が好きだとは知らなかった」と言われました)40年以上そうやって「発音した音が相手にどう聞こえた時に通じるか」私はそれを重点に練習してきました。だからブログに「この音はアメリカの発音の本ではリラックスして発音するとかいてありますが、日本人は力を抜いて発音するとこの音の特徴は出ません」などと書くようなことも起こります。 「子音の日本語化」などというのはまさに「音の着地ベース」の指導です。 「音の発進の段階」では、日本人はほとんど正しい口の形で「音の発進」をしているのに、その子音が「着地」の時は短くなって、英語の子音とは違う音になっています。 ちょっと聞きなれない解説をする私の発音指導も、「音の着地ベース」の解説だから、と考えていただくと皆さんにご理解頂けるのではないかと思います。      私が、「Wを発音するときは、唇に力を入れて唇をすぼめてください」というと、「ネイティブは唇に力なんか入れていない」という方がいます。ネイティブは力を入れていないのではなく、小さい時からWの音が聞こえるように発音していますから唇に力を入れて発音するのが当たり前に自然にできているという事です。 でも「小さいときから英語を話していない日本人」が「小さいときから英語を話しているネイティブ」と同じに「W」の音を出そうとしたら、唇に力を入れて話すことが必要になるという事です。 それで私はそういう発音指導を日本人の英語学習者にします。 いつも「ネイティブはそんなことやっていない」という言葉を聞くと、「そういう方は、日本人の話す「W」の音がアメリカ人の話す「W」の音に比べて短くて弱くて聞きにくい、という事実を自分の耳で聞きとれないのだなあ」と思います。 耳が「子音の日本語化」を聞き取れないのだと思います。あまり聞く練習をしたことがないのでしょうね。        私は音声学の専門家の方が「日本語を母国語とする人が英語の発音をする」という事を考慮に入れて、英語の発音の仕方を説明して下さらないかな、と思う事があります。 日本語は発音の根本的なところで英語とは違う発音の仕方をします。 例えば、唇の形を保持して発音することはありませんし、子音の長さを保って発音することもありません。 生まれてからずっと、発音の根本的なところで、英語とは違う発音をしています。 それを考慮して、音声学の専門家の方々が「日本人が英語を発音するときのやり方」を説明して下さらないかな、と思う事があります。そうしたら、日本人はもうちょっと通じやすい発音ができるのではないかと思います。

余談ですけど、今まで日本人が好んで行ってきた英語の演説やシャドウイングばっかりやっていると「子音の日本語化」に気づくことはありません。 演説は全ての音が比較的はっきり発音されますし、シャドウイングは速さに追われて日本語の癖が前面に出ますが、自分の発音を録音しておかないと本人にはそれが全くわからないからです。  「子音の日本語化」に気づいて直すのに一番適しているのは普通の会話文です。 演説の練習やシャドウイングの練習は、「日本語の癖を直さなくてよい」つまり、「日本人にとって、やりにくいことをしなくてよい練習方法」です。ですから、たくさんの練習量をこなしてもあまり疲れることなく、楽にできるのでしょう。 それで「たくさん練習した」感が十分味わえるので、日本人に人気の練習方法です。ただ、それでは「子音の日本語化」は直すことができません。 通じにくい英語のままになります。やりにくくても、努力が必要でも、「英語を話すときは、日本語の子音の言い方を持ち込まず、英語の子音の言い方に直した方がいい」と思います。 通じやすさが格段に違ってきますから。 日本人にとって楽にできる練習ばかりやっていると、日本人が本当に直さなければいけないスピーキングの問題点を直すことができません。 そういう理由で私はシャドウイングや演説でスピーキングの練習をすることを学習者に勧めません。どんなに楽(らく)で、楽しくても。 特にシャドウイングの発音は私が聞く限り、めちゃくちゃです。ご自分でシャドウイングしているときの発音を録音してみるとお分かりになると思います。

以上、2023年10月1日加筆しました。






7/21 10:30日経のこの記事3行読んで「だったら間違いはきちんと認めたら?」と思った。「責任ある報道」は人が担う、と書いてあるけど、間違いを押し通す人が担うのでは嘘の報道ばっかりになるのではないですか? 山崎浩志編集局長、下の記事は間違っています。何が「責任ある報道」なの?ChatGPTが出来たから英語教育で何を書いてもいいわけじゃない。ChatGPTを間違いの正当化に使っていいわけじゃない。私は英語教育の専門家です。真実よりメンツが大事な日本経済新聞社に真実の報道はできない。どんなに政府に私を妨害させても真実は変わらない。間違いは正当化できない。川合典子は英語教育の専門家です。間違いを指摘した専門家の意見を無視して間違いを押し通す新聞が真実を報道できるわけがない。 間違った記事を承知で配信する日本経済新聞社に報道を担うメディアの資格はない。
7/18 「米国で生活して実感した「英語学習」のオワコン化」という記事は日本経済新聞が英語教育に全く無知な証明(この7行下に何が無知か赤字で解説) 詳細はこちら
2023年7月9日角川歴彦氏らKADOKAWAの取締役の事で体験した事をこちらに加筆しました。KADOKAWAの取締役は無名の人間にはどんな酷い事をしてもいいと思っているように私には見えました。無名の人間は潰してしまえば悪事も世間に知られる事はないからでしょう。「悪い事も隠れてやればいい」それがKADOKAWAの体質のように見えました。
2023年6月4日 こちらのブログに2冊目の本を出版した時のことを加筆しました。子音の日本語化は聞ける人がいないからお墓まで自分の胸に納めて持って行く事になるだろうと私は思っていました。2023年7月18日 この記事日本経済新聞が英語教育に全く無知な証明です。彼らは「発音習得にはまず英語の発音が耳に蓄積される事が必要だ」という基本も知りません。基本も知らずに英語教育を論じるのは無理です。 この記事日本経済新聞が「私達は英語教育についてまったく無知です」と言っていることと同じです。 この記事を多くの人々に読んでいただいて、英語教育の基本も知らないで英語教育の記事を書いている日本経済新聞の実態を多くの方々に知っていただいた方がいいかもしれないですね。島田優子記者のこの記事を読めば、日本経済新聞が無知であるがゆえに、非常に安易に英語教育を考えている実態がよくわかります。 

7月13日 日本経済新聞社間違った記事の配信はおやめ下さい。私が間違いを指摘した後も、ほかの記事の下に「関連記事」として、この間違った記事をリストして勧めていることに驚愕しました(6月8日)。 「間違い」を力で「正しい」と押し切る。報道のメディアとして相当悪質です。 「ChatGPTができたから今までの英語学習の見直しは不可避だ」と言う事を根拠にして、この間違った記事を正当化したいようですけれど(日経のそういう記事を読みました(6月6日)、読後あまり記事と題があっていないなあ、と思っていたら、同じ記事の表題が3時間後に「柔軟な教え方が重要に」と変えられていました。私のように感じた人がほかにもいたのか、そこには編集委員の解説までついていました。 でもいくら柔軟に教えても)島田優子記者の記事を正当化するのは無理です。 いくらChatGPTでも子供達の唇や舌を自動的に動かして正しい発音で英語を喋らせる事はできません。そんなこと誰だってわかるでしょう。 日本経済新聞の編集者にはわかりませんか。お分かりにならないなら、英語教育の記事を掲載するのはおやめになった方がいいと思います。発音は英語教育の基底となるスキルですから、それなしに何をしても結局英語は通じません。(通じなかったらChatGPTを使えばいい、と言われればそれまでですけど。教育次第で自分で通じる英語が話せるようになるのなら、話せるようにしてあげたいと私は思います。)新聞記事というのは素人が憶測で書くものではないでしょう。 専門家が冷静に分析、判断して書くものでしょう。 島田優子記者は英語教育に関しては何も知らない。発音の習得に関しても何にも知らない。聞いた発音が耳に蓄積されて同じ音で発音できるようになるという発音習得の基本も知らない。 ChatGPTの狂騒に紛れて新聞は何を書いてもいいわけではありません。ChatGPTを理由に間違った記事を正当化していいわけではありません。 ChatGPTは子供の口の筋肉を自動的に動かしません。 そういうことを冷静に判断して記事を書くのが新聞社の見識でしょう。  間違えている個所はこちらのブログで指摘しました。 読者の皆さんに私がお伝えしたいことは、アメリカ(あるいはイギリス)から帰ってきた人が英語教育について発言した時は、「日本とアメリカの英語インプット量の差をきちんと考慮して、教育法を提唱しているのかどうかを考えてください」という事です。 古くは、初心者が出来ない「英語で考える指導法」を提唱した故松本亨氏、松本氏没後44年たってもその間違いを認めない石渡誠氏、(石渡誠氏はまちがった教育法を提唱して20年以上授業料を取ってきましたが、損害賠償を求められても払えないので、生涯、間違いを認めることはないでしょう。 でも生徒の方は、先生には知られないように、みんな日本語訳を使って勉強していたようです。 日本語訳を知らないと初級、中級者は英語を喋れないのです。)   最近では「英語で授業」を学校でさせようとした松本茂立教大学名誉教授、吉田研作上智大学名誉教授(2人とも間違いを指摘されたら、誤りを正すこともなく大学をやめた)、今回の島田優子記者、みんな日米の英語インプット量の違いをまったく考慮しないで、アメリカでやっていることをそのまま日本でやらせようとしました。それで、学校英語教育は何年も犠牲になりました。 だから、日本経済新聞社アメリカで行っていることをそのまま日本でやらせようとする記事を安易に読者に広めるのはやめてください。 しかも、この記事はまちがっているのです。 日本経済新聞社には、この記事の間違いを見抜ける編集者もいないのですか? それで、英語教育の記事を書くのは無理です。「発音習得にはまず英語の発音が耳に蓄積されることが必要だ」という事すら知らないで、英語教育を論じるのは無理です。今までそんなことも知らないで、英語教育の記事を書いてきたのですか? 日本経済新聞社の英語教育に対する見識は島田優子記者の見識と同じで、まったくないのですね。だから必死に島田優子記者の記事を「正しい」として「関連記事」で読者に勧めるんですね。 そうやって、間違ったことを本当のように報道するから、日本で効果のないアメリカと同じ方法が学校教育で成果を上げると大学教授まで誤解するのです。 その結果、犠牲になるのは子供達なのです。 
5月25日8時25分 この島田優子記者の記事は日経クロステックの編集長のチェックを通り、日本経済新聞社の責任ある方のチェックを通ったものと考えてよろしいのでしょうか。 日本で、英語の授業で、文法も教えずに英語習得ができるというのはあまりにもいい加減な記事だと思います。 日経クロステックの編集長や日本経済新聞の責任ある方々がなぜその点に気づかずに掲載されたのでしょうか。 しかもこの記事は 有料会員限定の記事です。お金を払って読者は読んでいるわけです。何らかの誠意ある対応が日本経済新聞からなされて当然ではないですか。 英語教育をまったく学んでいない島田優子記者が書いた間違った記事をそのまま掲載した責任は重いと思います。 島田優子記者がまったく英語教育を学んでいないことは彼女の経歴を知る日本経済新聞社(あるいは彼女が所属する日経クロステック)ならわかっているはずです。 採用の時、誰でも履歴書は提出しますから。 そういう人間が書いた英語教育の記事をきちんとチェックもしないで掲載するというのは随分ずさんな編集の仕方だと思います。 日本経済新聞はこのようなまちがった記事を掲載したことについて、読者にお詫びもしないのですか。 しかも、この記事は有料会員限定の記事です。 お金を払って間違った記事を読まされた読者に少なくとも新聞社として誠意ある対応をするのが当然ではないですか。 私はあの記事を見た時、あまりのひどさに2日間くらい頭が真っ白になって何も考えられなかったです。 ただ娘のエッセイの出来事だけが頭に浮かんできました。 私は自分が何をしたいのかもわからずにあの娘のエッセイの話だけをパソコンに書きました。本当にあまりのひどさに何も考えられなかった。全身の神経が麻痺したように感覚がなくなりました。ひどいと思った。ひどすぎると思った。 英語教育を知らないにもほどがあると思った。この記事を読めば「英語で授業」とか理不尽なことを文科省から言われながら、日本の先生方が分詞構文一つ教えるにも大変な苦労をされていることがわかるでしょう。日本でまったく使われていない言語を教えて、その上、生徒が自分で使えるようにするんですよ。簡単にできるはずないでしょう。 日本経済新聞社はド素人にいい加減な記事を書かせて日本中に配信しないでください。 それで読者に訂正もお詫びもしない。 新聞社としていい加減で無責任です。 間違った記事を配信して訂正も謝罪もしないでお金を取るのは公正な企業活動ではありません。 日本経済新聞社は公正な企業活動をしてください。 今日みたいに政府に私を妨害させておくから、ド素人の書いたいい加減な記事を掲載しても知らんぷりしていれば大丈夫だと思っているのですか? このことを書いた後、政府からこんなに激しい妨害を受けるという事は、政府と日本経済新聞社は本当に一体なのですね。(せっかく池上彰さんが「右でも左でもなく真ん中の記事だ」と解説したのに)日本経済新聞社(長谷部剛社長)は国家権力を使って、間違った記事を指摘した人間を抹殺する。日本経済新聞社は国家権力と結託して「間違った記事の隠ぺいを謀る」近年まれに見る悪質な新聞社です。新聞社が記事の間違いをなぜ正さないのですか? 日本で子ども達に勝手に英語をしゃべらせて正しい発音で話せるわけないでしょう。(ぼろぼろのカタカナ発音になります。音声学を学んだ人はその事を知っています) 間違いを指摘した人を国家権力に弾圧させて、自社の間違った記事を正しいと押し通すのは新聞社としてひどすぎます。 社会的に弱い立場の人間を国家権力に妨害させて自分達は間違った記事を正しいと押し通す、新聞社としてあまりにもひどいやり方です。 この日本経済新聞の記事は明らかに間違っているのです。こんな嘘を書くから英語教育が混乱するんです。  ド素人の書いた嘘の記事を国家権力による妨害まで使って、「正しい」と押し通して自分たちが英語教育に精通しているとでも言いたいのですか。 「一個人と日本経済新聞では、自分たちの方が優位だから弱者は国家権力に妨害させて、日本経済新聞は嘘さえ正しいと人々に信じ込ませることができる」そう思っているのですか。記事もひどいけど、それを正しいと押し通す日本経済新聞社の隠ぺいの仕方はもっとひどいです。(私がこの記事の感想を書いて間違いだと指摘した直後、この記事にアクセスすると、記事の表題が隠れてしまう大きな横長の動画が画面で始まりました。私は、夫が新聞が好きで、いろんな記事をメールで知らせてくるので読みますが、こんな動画で始まる日経の記事の画面は初めて見ました。(今はもう動画はありません。読者に何か言われたのですか? 記事の表題が見えなくなっていましたからね)  こういうことを書くと、また何か違ったことをして「川合典子のいう事は違う」とアピールするんですよね。 私を妨害する人ってみんなそうです。言われたことと違う事をして「自分はそんなことはしていない」ってアピールするんですよね。だから疲れます。画面の動画については6月3日午後1時35分現在の状態で書きました。 それ以降の画面の変化については私は知りません。 その動画を初めて見た時「日本経済新聞社ともあろう新聞社がこんなことをするなんて、姑息(こそく)だなあ」と思いました。大辞泉で「姑息」をひくと、意味は「その場しのぎ」 しかし近年、「その場だけの間に合わせ」であることから、「ひきょうなさま、正々堂々と取り組まないさま」の意で用いられることがある。」と書いてありました。文化庁の調査ではそちらの意味で使う人が70.9%だそうです。 私も「正々堂々と取り組まないさま」という意味で使いました。間違った記事の表題を動画で隠すって、今の日本経済新聞社は相当劣化している。)    この記事を読んだのは私だけではありません。 多くの方がお金を払ってこの記事を読んでいます。日本経済新聞社はまちがった記事を掲載したことに全く責任は感じませんか?
2023年5月24日 こちらの日本経済新聞に掲載された記事の感想をこちらのブログに書きました。
間違った新聞記事は英語教育を混乱させますので、記者の方はもう少し英語教育を勉強された方がいいのではないでしょうか。



妨害がひどいのでご協力いただける方は拡散をお願いいたします。(9:40pm ご協力ありがとうございます。感謝しています)   中学校教諭37%過労死ライン越え(厚生労働省基準)     
岸田首相は先生方を死ぬまで働かせる事に慣れきっている/まるで奴隷商人/非人道的な岸田首相。一国の首相が、「国民を育てる教師達」に奴隷商人と同じ事をしていて、国が良くなるわけないじゃない。政府は先生方から何百億円何千億円搾取しながら、先生方の命まで搾取する。非人道的な「教師の奴隷商人」岸田文雄。先生方を死ぬまで働かせておいて賃金も払わないなど、ひどすぎる。
日本政府による教師搾取の構造(人権蹂躙)。   まず教師を「ただ働き」させて政府が不当な利益を得る。(コンピュータ業者には政府自ら決定し莫大なお金を払うのに)教師には労働相応の賃金は払わない。先生方の負担を軽減する30人学級の予算も認めない。政治家の利益にならない人間は安くこき使って切り捨てる。むしり取るだけむしり取ってそうやって得た金は見返りのある業者に使う。これが日本政府による教師搾取の構造です。(政府が使っているお金は教師が払った税金です)こちらの資料を見ると2020年では小、中、高の公立学校の先生は70万人弱いらっしゃるようですので、全員にただ働きさせて、相当な不当利益を政府は得ているわけです。(お給料は年齢によって違いますから一概には言えませんけど、単純に計算して一か月一人一万円労働に対して不払いしたって、70億円ですから、年間休みを除いて10か月とすれば、政府は毎年700億円先生方を搾取して不当利益を得ているわけです。いくら何でもそれは先生方に返さなければいけないのではないですか。知らんぷりしてこれからも搾取し続けるんですか? 先生方は地方公務員ですけれど、超過勤務に関しては国が報酬の規定を決めています。 緊急に必要なことなのですから(現時点で地方公共団体は予算を取っていないでしょうから)超過勤務の費用は国が負担しなければ誰も先生方に適正な報酬を払えないでしょう。 なのに国は業者に払うお金は出すけど、先生方の為のお金は出さないのよね。だから私は「搾取」と思うわけです。 30人学級の実現だって、国の予算折衝で認めてもらえなかった、と以前、読んだことがあります。一学級30人だったら先生方の負担もここまで大きくならなかったでしょう) 4月28日の朝日新聞Digitalには一か月あたりの時間外勤務は中学校で77%、小学校で64%の教諭が文科省の定める上限基準(45時間)に達していると書いてありました。Yahooニュースには「中学教員37%が過労死ライン超え」(厚生労働省が定める「過労死ライン」一か月の残業時間が80時間以上)と書いてありました。 「文科省は教員の待遇改善のあり方について今夏にも中央教育審議会文科相の諮問機関)に諮問し、議論を始める方針」と書いてありましたけど、過労死ラインを超える先生が目の前に4割近くいるのに何をそんな悠長なことを言っているんですか。死にそうに働いているのをわかっていて夏まで放っておくんですか。あなたたちは教師を死ぬまで働かせることに慣れきってしまったのではないですか。 私がGIGAスクール構想では過労死する先生も出るだろうと言ったら、文科省は「働き方改革に則って仕事をし」とか言ってましたけど、働き方改革に則ってやっていたら仕事が終わらないからいまだに先生方は過労死ラインを超えるほど働いているんでしょう。先生の人数も足りないのでしょう。 私は文科省GIGAスクール構想のページを読みながら、40人の生徒を個別にコンピュータに向かわせて「誰一人取り残さない」個別最適化した学習を行うこのプランで効果を上げるためには、先生方に最低でも助手一人つけないと無理だ、と思いました。 これは純粋に「労働問題」です。 労働量に無理があり、労働時間に対して正当な報酬が支払われていないという問題です。 「中央教育審議会」がこの問題を解決できるんですか?  文部官僚は厚生労働省に行って労働問題の専門家からご教授いただいた方がいいんじゃないですか? もし厚生労働省が管轄する職場で過労死ラインを越えて37%の職員が働かされていたら、直ちに厚生労働省が改善を指示するんじゃないですか? 「中教審に諮問して議論を始める」って、やっぱり政府はこの問題を本気で解決する気はないのですね。 中央教育審議会が賃金不払いに対して何ができるのよ。 これは行政が即刻解決しなければいけない問題でしょう。やっぱり政府は「教師は安く使って切り捨てる」つもりなんでしょう。政府は「中教審で待遇改善の議論を始める」と言葉でだまして時間稼ぎして、いつまでも教員を搾取するつもりなんでしょう。 この問題を抜本的に解決しようと思ったら、「教師増員プロジェクト」でも立ち上げて、今の先生方の待遇改善と同時に若い人たちに教師が報酬の面でも報われ、やりがいのある魅力的な仕事だと思ってもらえるような各方面の改革をしなければとても解決できない問題だとわかるでしょう。搾取されるとわかっている職業に若い人が魅力を感じないのは当然です。 4割近くが過労死ラインを越えて働いている職業に若い人が魅力を感じないのは当然です。 それを改善するのは行政の責任でしょう。 何が「中教審に諮問する」なのよ。 そんなことも誰かに諮問しなければわからないんですか?  あなたたちが賃金払ってないのが問題なんです。 あなたたちが先生が一人でできる以上の仕事を押し付けているのが問題なんです。 当事者は教育行政を行っているあなたたちなんです。  政府がやっている不法行為に政府/文科省の諮問機関が何ができるのよ。 諮問ばっかりやってないで、少しは自分で考えなさいよ。当事者なんだから。わからなかったらまず30人学級を実現しなさいよ。 「予算がない」なんてもう言えないでしょう。今まで何百億円、何千億円と先生方を搾取してきたんだから。 あなたたちが不法行為をやめればいいの。解決法はそれ以外にないの。 それをしたくないから中教審に諮問するんでしょう。つまり中教審は政府の逃げ道でしょう。 あなたたちのやっていることは自分が泥棒やっておきながら、中央教育審議会に「防犯対策を諮問する」みたいなもんなの。自分が泥棒やめればいいだけなの。政府が教員に対する搾取をやめればいいだけなの。 私の友人、あの藤田さんは、「政府が決めて地方公共団体が払うシステム自体が搾取だよ」って言ってました。誰も教師の仕事をそばで見て適正な報酬が支払われているか確認する責任を負わないからでしょう。 事実、政府/文部科学省は「中央教育審議会に諮問する」って他人事みたいな対応じゃないですか。 超過勤務の賃金を決めたのはあなたたちなんだよ。30人学級を認めないのもあなたたちなんだよ。 中教審に諮問するなんてただの時間稼ぎでしょう。中学校では4割近くの先生が過労死ラインを越えているんだよ。だから私は政府は教師を死ぬまで働かせることに慣れきっているんだと思うわけ。命に関しても反応が鈍(にぶ)すぎる。 あなたたちは先生方から何百億、何千億と搾取しておきながら命まで搾取するつもりなの? 教育に従事する人々をないがしろにして教育がよくなるわけない。子供がよく成長するわけない。どんな機器を入れようと、どんな省庁作ろうと。
4/20政府/文部科学省GIGAだのAIだの新しい省庁(こども家庭庁)だの作るお金があったら、その前に先生方への借金を返済して下さい。借金踏み倒しはよくないです。「教師はお金払わなくても安く働かせられる」などと思っていたら大間違いです。4/19国の借金は国債だけではありません。国は先生方にも何年にも渡って借金をしてきた事と同じです。借金ですから利子まで耳をそろえて直ちに先生方に返済してください。コンピュータは一人一台買ったんでしょう?お金がないなんて言わせない。払う気がないだけよ。業者と違って先生方では政治家に見返りがないから。先生方は不当な待遇をこれ以上我慢する必要はないです。その分、政府/文部科学省が不当利益を得ているのです。政府/文部科学省は不当に得た利益を今すぐ先生方に返還して下さい。 (以前ネット上で「担任のいない学校もある」と読んだことがあります。真偽はわかりませんが、もし本当なら生徒数に対して規定数の教師を配置していないという事です。そういう学校では少ない数の先生が「一人の教師として定められた以上の労働を負担している」という事です。それも不当な待遇です)
搾取(さくしゅ)4月17日
文部科学省による先生方に対する賃金不払いについては下の青字の部分に書いてあります。 生徒一人一台コンピュータを買う時には莫大な予算を国民が何も言わなくても出したのに先生方には労働相応の賃金さえ支払わないというのは、文部科学省は先生方に故意に賃金不払いをしているのではないですか。 コンピュータを買う時のように、政権が必要だと思えばどんなにたくさんのお金でも出すわけですよね。 予算を決める政治家(政府)も、業者に払えば見返りがあるけれど、先生方に払っても見返りがないから先生方のための予算は出さない、という事ではないですか。  これは階級社会や南北問題とは関係ありませんから「搾取」とは言わないかもしれないけれど、問題の構図から見れば、「文部科学省」と「予算を決める政治家(政府)」が先生方をいいようにただ働きさせて不当利益を得ている、という事だと思います。(支出するべきお金を支出せず、自分たちのものとして他のことに使っている) 私には先生方が文部科学省や政治家(政府)にいいように「搾取」されているように見えます。 だから私にはこれは先生方の人権問題に見えるのです。 文部科学省と政治家(政府)が優越的立場を利用して先生方に賃金を払わず、不当な利益を得ている」私にはそう見えます。 文部科学省と政治家(政府)が先生方を搾取しているのです。 だから私は先生方のただ働きは先生方の人権問題だと思うのです。
「よい教師は報酬など気にしない」などという理屈は搾取を偽装するまやかしです。 労働に対する正当な報酬を受け取ることは全ての人間の権利です。 よい教師ほどよい報酬を支払われてしかるべきです。 クオリティー(質)の高い仕事をしている人はそれに見合った報酬を支払われて当然です。 人間は霞(かすみ)を食べて生きることはできません。 政府/文部科学省は今すぐ先生方に労働相応の賃金を支払ってください。 今すぐです。 政府/文部科学省は先生方をこれ以上搾取して不当な利益を得るのはやめてください。支払われるべきものは支払ってください。 それを支払わないのは先生方に対する政府の人権蹂躙(人権侵害)です。  (人権蹂躙じんけんじゅうりん:人権を踏みにじること。特に、国家権力が憲法の保障する基本的人権を侵犯すること。 大辞泉
トップ部分に黄緑色で加筆しました。文科省の「子供に対する理解」は相当お粗末です。私は戦後の教育を受けました。だから教育原理を教えてくださった伊勢田先生は戦前の反省から「教育の主体は生徒である」と教えてくださいました。 生徒そっちのけの教育ばっかり言っている文科省は戦前、つまり昭和20年より前の教育みたい。
4/14 2:27教育に従事する人をないがしろにして教育がうまくいくわけないでしょ。思考力があったらそんな事すぐにわかるの。
4月15日 0:12 青字(賃金不払い)部分加筆 政府/文部科学省で働く人達は偏差値は高いかもしれないけれど、思考力はゼロだね。 でも毎日「思考する練習」をすれば少しは思考力も育つかもしれないよ。 そうすれば人間である子供達が「学びたい」という気持ちを持って生き生きと学校生活を送れるようにするには「生きている人間の指導者」つまり十分な数の良い教師を育成するしかないとわかるようになるよ。(学習塾だってわかっている事なんだから)いくら今は思考力がゼロでも練習すれば少しは思考力が育つから。 そうしたら多くの良い人材が教師になりたいと思えるようにする為には、いつまでも先生方に「ただ働き」させる時間があったらだめだとわかってくるよ。(これって普通の会社だったら、賃金不払いで訴えられるんじゃないの? いろいろな場合があるから一概に言えないだろうけれど、厚生労働省や、法務省経済産業省やいろんなお役所がこの問題には結構真剣に取り組んでいるのに、文部科学省は全国の先生たちに「ただ働き」させているのに何にもしないの?  どうしてこれが人権問題にならないの? 先生はこき使っていいわけ? 文部科学省は先生の人権は無視して、大量のコンピュータ購入には莫大なお金を使うわけ? それって狂ってない? 文部科学省の職員は厚生労働省法務省経済産業省に行って、きちんとした労働の基準を勉強してくれば? 文部科学省は違法に先生方を働かせているんじゃないの? これって文部科学省不法行為じゃないの? 大辞泉不法行為を調べると「故意または過失によって他人の権利を侵害し、その結果他人に損害を与える行為。 加害者は、その損害を賠償する責任を負う」と書いてある。 私は法律の専門家ではないから役所と公務員の関係にこれが適応されるのかどうか知らないけど、「ただ働き」は文部科学省がやっていけないことだけは確かじゃないの?) そのぐらいの思考力は育つと思う。今みたいに政府/文部科学省の思考力がゼロでは何をやっても教育はよくならない。担任もいない学校なんかあったらダメだってわかってくるよ。 思考する練習をすれば少なくとも先生方にただ働きさせる時間があっていいとは考えなくなると思う。 そのくらいの思考力は思考力ゼロからでも育つと思う。 それでも「AIでデータ取って。。。  コンピュータの前に座らせて。。。 ビデオで授業を撮影して。。。(つまり教師抜きの学校だけ考える)」とか言って来たら、もう政府/文部科学省の頭は不毛で思考力も育たないという事だね。 まさに思考力も育たない「狂気の文部行政」の証明です。 政府/文部科学省は私のことを嫌味なおばさんだと思っているでしょうね。 別になんて思われてもいいです。 私は先生方がこんな待遇を受けているのが教育問題の根本だと思っているから。その仕事に従事する人をないがしろにして、その仕事がうまくいくわけないでしょう。 思考力があったらそんな事すぐにわかるの。たぶん、先生方の待遇をこのままにしておいたら、そしてよい教師をたくさん育成する努力を政府/文部科学省がしなかったら、どんなにAIを使ったって、どんなにコンピュータを使ったって、どんなにビデオカメラを使ったって教育はよくならないよ。 子供ってそんなことじゃ育たないから。 いくら私を妨害したって、真実は変わらないよ。 子供はそんなことじゃ育たないから。

政府/文部科学省は「データ取って素晴らしい教育ができた」と思っているところが救いようがないくらいおめでたい。教育の分野で「最新のデータ取り」だけ自慢しないで。現場の先生の苦労も知らないで非常に不快だ。「教育とは何か」を知らない証拠です。現場の先生の苦労を少しは知って下さい。「教育」をしているのは先生方なんですよ。データ取りにばっかりお金使ってないで、少しは先生方の待遇改善の為に予算を使って下さい。二度とデータ取りだけ自慢しないで。非常に不快です。そんなの生徒そっちのけの昭和20年の教育と同じです。学習塾だって「AIで苦手分野を分析」が目玉じゃ生徒は誰も来ないって知ってますよ。学習塾はどれだけ最新のAIで子供を分析しているかなんて自慢するより、自分の塾の先生がどれほど生徒を理解し、親身になってその子に適した教育をしているかをアピールする。文科省は「先生は足りないけど」AIの分析で指導の個別最適化を「実現」しましたっていうの。文科省は「実現」したんじゃなくて「データ取った」だけじゃない。「先生は足りない」けど「データは取った」と言ってるだけでしょ。こういうのは「教育」って言わないの。データは教育はしない。データはしゃべりません。どこでデータが子供に教育しているの? 2度とデータ取りの自慢しないで。人間の子供の教育は人間である先生方しかできないの。教育現場では先生が足りなくて困っているのにデータ取りの自慢ばっかりする政府/文部科学省は非常に不快だ。「データ取ったから指導の個別最適化を実現した」というなんて教育に対して想像を絶する無知だ。 緊急の教師不足の解決に目もくれないんだから、裏で「子供以外のことを目的に教育行政やっている」と思われても仕方ないでしょう。子供そっちのけの狂ったことばっかりやっているから「狂気の文部行政」って言われるの。
(加筆はこの下です)
4/11政府/文部科学省の「狂気の文部行政」
政府/文部科学省が子供を「物」だと思っている証拠はこの画像生徒一人一人が大事な人間だと思っていたらこんなビデオ解析で出欠を取ろうなどと考えないでしょう。 だから虐待だって言ってるの。生徒に人間の扱いしてないじゃない。「生徒は物だから生きてる教師はいらない」「物」には機械や分析をせっせと発注。教師不足は徹底無視。政府/文科省は狂っている。狂気の文部行政 機械とデータだけじゃ子供は育たないんだよ。教育はできないんだよ。それを育つと思っているから「狂気」だって言ってるの。「人間を育てる」という意識のない教育は、どれほどお金を使おうとどれほど最新の技術を使おうと子供を幸福にすることはない。「人間を育てる」という意識を持って教育にあたれるのは学校教育の場合、教師だけです。
こちらの資料大阪府箕面市教育委員会コニカミノルタと「教育現場に人工知能(AI)を導入し、児童生徒の成績予測や苦手分野を分析することにより、指導の個別最適化を実現しました。」と書いてありますが、データを取るだけでは個別最適化した教育はできませんよ。 そのことは「デジタル庁は犯罪集団」のブログに書いた通りです。 文科省はAIを駆使してビデオカメラで分析すれば生徒の能力は伸びると思っているんですか?機械とデータで子供が勉強する気になると思っているんですか? 子供について考える方向が相当違うと思います。学習塾のパンフレットだって、どれだけ苦手科目を先生がサポートしてくれるか、成績が伸びなくて困ったとき先生がどんなヘルプをしてくれるか宣伝していますよ。学習塾はAIで分析するだけでは子供の成績は上がらない。そのあと、先生がどういう指導をするかが重要だと知っているのでしょう。学習塾は文部科学省よりずっと子供のことをよく知っています。 「子供に対する理解」については文科省は相当お粗末です。 最新の技術を前面に押し出しているのに「子供がどういう時、学びたいと思うようになるか。」つまり「子供に対する理解」については文科省はかなり時代遅れです。私の大学時代、40年前でもここまで「子供の心理」に疎い教育論はなかったです。 最新の機械や技術を入れれば子供が自動的に勉強すると思っているところが相当時代遅れでお粗末です。子供を知らなすぎる。想像を絶する無知です。 それで子供が勉強する気になったら、現場の先生方は苦労しないです。文科省は「どうしたら子供が学びたいと思うようになるか」考えているのではなくて、最新の機械と業者を入れることを目的に学校教育を主導しているのではないですか? だって子供の心理はそっちのけですから。私が大学生の時もこんなに子供そっちのけの教育論はありませんでした。文科省はお粗末です。 最新機器を入れて分析すれば子供は成長するの? データ並べてそのあとどうするの?  そこから先が教育の要(かなめ)なの。 機械でデータ取っただけで教育したつもりにならないで。データ分析=教育 ではありません。 学習塾だって「AIで苦手分野を分析」だけじゃ生徒はだれも来ないって知ってますよ。文科省はそんなことも知らないの。「データとって自動的に教育ができた」と思っているところが救いようがないくらいおめでたい。 (虐待がばれた2か月後、コニカミノルタとどんな見た目立派な契約を結ぼうと政府/文部科学省の本音(生徒は「物」)は隠せないです。) そういえば、中学校で教えてもいないスピーキングを高校入試でテストするのだって正気の沙汰ではありません。これも東京都教育委員会の「狂気の文部行政」。

(この部分は私事ですので、下の赤字の部分に飛んでください。そこからが本文です)
2023年4月10日  昼間にブログをアップするといつもきつい妨害が始まるので、昨日は深夜午前0時にブログをアップするつもりでした。(知人にそう言ったら「それは勤務時間内に仕事として妨害しているのね」と言われました。私はそういうことはわかりません) でも途中で今まで見ていなかった資料などが見つかって原稿を変更しているうちに、終わったのは今朝午前4時50分でした。 玄関のガラスの向こうが少し明るくなっていました。 今朝は職人さんが窓の寸法を測りに来ることになっていたのでお寝坊はできませんでした。 やっぱり20XX年まで教育にかかわっていく事だけでもきついなあと思いました。 狂気の文部行政に翻弄される子供たちがかわいそうですけれど仕方ありません。
政府/文部科学省の「狂気の学校省力化計画」 政府/文部科学省が子供を「物」だと思っている証拠はこの画像です。政府/文部科学省が「川合典子の言う事は違う」とアピールする為に報道資料などいろんな手段を使っても、政府文部科学省が子供を「物」だと思っていることはこういう所でわかります。(だから国家権力を相手にすると疲れるのよね。国家権力は使える手段はマスコミをはじめたくさんあって、それを書く人間もたくさん使える。 私が問題点を指摘した後から、今までとは違うことをやって、私の指摘を否定しにかかる。ブログのリンクは切られるし、アクセスはほとんどないようにされる。 大学入試の英語民間試験について書いた時もそうだった。学習指導要領について書いた時もそうだった。文部科学省のアクションプランについて書いた時も、新井紀子の劇場型詐欺を書いた時も、eポートフォリオのことを書いたときも、国立情報学研究所の事を書いた時も、日本経済新聞社の事を書いた時も、東洋経済新報社の事を書いた時もそうだった。 デジタル庁は個人情報をだまし取る犯罪集団だと書いた時もGIGAスクール構想は失敗すると書いたときもそうだった。そして今回の大阪府箕面市教育委員会コニカミノルタについて「虐待だ」と書いたときも2か月後にこういう資料を出して「AIで児童生徒の苦手分野を分析して指導の個別最適化を実現しました」と私のいう事を否定しにかかった。言っときますけど、データ取ることが教育じゃないんだよ。取ったデータ並べておけば、子供たちの苦手分野がなくなるの?) 生徒一人一人を大事な人間だと思っていたら、決してこんな画像処理で出欠を確認しない。 教師が生徒の顔を見て出欠を確認するでしょう。私達国民は高い税金を払っているのに政府/文部科学省は「教師が大量に退職するのに備えて、大阪府箕面市で子供を「物」と同じ方法で処理する実証実験」を行っている。政府文部科学省の「狂気の学校省力化計画」。 政府/文部科学省は「子供は「物」だから教師(人間)を増やす必要はない。 「物」の処理に教師(人間)はいらない。子供は機械で処理して機械で教えればいい」と思っている。これが日本の文部行政を行う政府/文部科学省の正体です。 この画像がその証拠です。「子供がよい教師に指導されること」これは、機械に置き換えることの出来ない価値を持ちます。子供の一生を通じてよい影響を与えていきます。だからよい教師を育成することは教育において重要です。 機械やデータは教師が適切に使った時効果を上げるでしょう。 子供は一人で機械に向かっても学力を向上させることはありません。どんなにデータをとっても「勉強したい」と思わせることはできません。子供自身が「学びたい。勉強したい」と思うことは教育において最も大事なことです。機械を使う事やデータを取ることしか頭にない政府文部科学省はそんな「教育で一番大事なこと」も知らないでしょう。 教育心理学の仁科弥生先生が「セサミストリートは当初期待されたような効果を上げることはできなかった」とおっしゃったことはこちらのブログに書きました。先生は「やはり高い効果を上げるには、誰かがそばにいて~~なんだね。とか言ってあげないと難しい」とおっしゃいました。 機械で「正解」と言われるより、信頼する先生に「がんばったね」と言われる方が子供はずっとうれしいのです。  業者を使うことも機械を使うことも結構です。(この報道資料の作成は私が児童虐待を指摘した2か月後ですね。「虐待じゃない」と言いたかったのでしょうね。新井さんの時も東洋経済新報社の時も私が何か指摘すると、「そうじゃない」と言いたいことばっかりやっていましたね。) でも、よい教師の育成なしによい教育ができないことを知らなければ業者も機械も何にもなりません 教育において教師の重要性を徹底的に無視して予算を使わず、機械や業者やデータに異様に執着する政府/文部科学省は教育の本質も知らず、狂っている。まさに「狂気の文部行政」です。 あれだけコンピュータをそろえたGIGAスクール構想だって、私がこのブログを書いた後、あなたたちは失敗した時の言い訳をもう言い始めていたではないですか。何をそろえようとよい教師を育成する重要性を無視した教育方針は決して子供たちに利益をもたらしません。なぜなら、それは子供たちが人間だからです。子供は「物」ではないからです。そんなこともわからない政府文部科学省は本当に狂っている。 まさに狂気の文部行政です。

センサーで物品を選り分けるように子供の出欠確認を行う政府/文部科学省に子供の教育を担う能力はない。資格もない。こんなひどい画像を教育の資料として平気で公開する政府/文部科学省は狂っている。子供の出欠確認は在庫管理か?教師不足は機械で解決すればいいのか?子供は物じゃない。こんなひどい子供の画像を平気で公開する政府/文部科学省は狂っている。政府文部科学省は「子供は物」だと思っているから、教師(人間)を増やさないで子供は機械で処理して機械で教えればいいと思っている。政府/文部科学省は狂っている。 
4月7日(金曜日) 私は昨日改めてこのブログ(川合式英語学習法)を読み直してユニクロのレジを思い出しました。 ユニクロでは人手を省くために、購入する品物をかごに入れて、レジの決められた場所に置くと、センサーが値札をキャッチして「何点、いくら」と自動的に計算してくれます。 後はクレジットカード(またはスマホ)を入れれば会計は終了し、店員さんの手を煩わせる事はありません。 省力化されています。 文科省大阪府箕面市教育委員会の発想も同じですね。 教師が足りないからカメラに子供の映像を撮らせて出欠を自動的に確認する。教師が登校してきた生徒の顔も見ないで、出欠を確認する方法をコニカミノルタと共同で研究している。つまり、政府/文部科学省の教師不足に対応する政策は「子供をユニクロのズボンと同じに考える発想」から生まれている。政府/文部科学省に「教育」をする資格も能力もありません。「センサーで物品をより分けるのと同じ発想」で子供を見ていたら、人間の子供の教育はできません。この段階で政府/文部科学省はアウトです。「教育」をする資格も能力もない。 だから政府/文部科学省は「よい教師を育成する重要性」もわからない。なぜよい教師を育成することが大事なのか。それは生徒が人間だからです。ユニクロのズボンと同じではないからです。(毎日違う、一人ひとり違う。今受ける刺激に基づいて成長する)そこから教育を見れば日常的に超過勤務の状態になっている先生方の負担を軽減し、待遇を改善することがどれほど重要かわかるはずです。政府/文部科学省がどんなに「子供は大事だ」と言おうと本心では「ユニクロのズボンと同じ」くらいにしか思っていないから「よい教師を増やす政策」も行わないのでしょう。 本心というのはそういうところでわかってしまいます。(新井紀子のアミラーゼの問題と同じです。子供を罠にかけてわざと間違えさせて「読解力が大事、大事」と騒いでも嘘は丸見えです) 政府は子供なんかユニクロのズボンと同じくらいにしか思っていないのになぜ「こども家庭庁」を作ったのか。 本当の目的は何か。 業者の金儲け? 個人情報の騙し取り? 特定の「家庭像」(道徳観)の押し付け?(わざわざ「家庭」という言葉が入っていたので、初めて聞いた時、ふっとそう思いました。最初はソフトに装って、決して「家父長制」なんて言わないでしょうけど。政府の目論見の根底に何があるのかまだわからない。今まで何回も国民をだましてきたから) その他考えられることには私たちは目を光らせていた方がいいと思います。 おかしいと感じた人は声をあげてくれれば、みんなでその点を注意して見ていけます。デジタル庁発足の時がそうでしたから。 彼らは生涯教育の支援と言って、国民の個人情報を国家権力で騙し取る犯罪集団だった。

2023年4月5日  このブログ(川合式英語学習法)のトップの部分にある画像のリンクが私が知らない間に切られていました。(リンクを飛んだら「お探しのページはありません」と出てきました。私のブログにつけたリンクには後からそういう操作をされることが今まで何回もあります) リンクが切断されただけでそのページ自体は今も存在していますので、付け直しましたけれど、政府もこれがどれほどひどい画像かわかったのでしょう。 ひどいはずです。子供の人間としての尊厳を失わせる「児童虐待」ですから。 子供たちの出欠確認が荷物の在庫管理のように扱われている。政府も恥ずかしくてとてもアップに堪えられなかったのでしょう。子供を平気で虐待する政府が作ったこども家庭庁は本当に子供のことを考える人が担ってくれているのでしょうか。牧島かれん大臣の時のデジタル庁のように犯罪集団でないことを祈ります。 こども家庭庁を作る前に、子供の一番そばで子供達を見守る学校の先生方の待遇を改善し、「教師がやりがいがあり、仕事に対して十分報酬が支払われる仕事である」と若い人たちに思ってもらえるよう政府は行動を起こし予算を使ってください。「予算を使った」という証拠作りの為に雀の涙ほど使うのではなく、先生方の待遇を実際に改善できるくらい予算を使ってください。防衛費ほどはかからないでしょう。子供の教育を充実させることは兵器で国を守ることとは違いますが、日本の将来を守る大事な仕事です。教育をないがしろにして発展した国はありません。 国の将来を守りたかったら、子供たちの能力を引き出せるよい教師をもっとたくさん養成する為に、十分な予算を使ってください。

2023年3月13日 非科学的な事が嫌いな方は無理にお読みにならなくて結構です。 私の夫も非科学的なことが嫌いです。普段は笑ってすんでしまうことが多いですが、いつだったか「星が言うからブログに書いた」と言ったら、怖い顔をして「またそういうことを言う」と叱られたことがありました。 ですから非科学的なことが嫌いな方は無理してお読みにならなくて結構です。


政府は「結末」のブログに書いてあることを怖がって妨害しているなら、もし私が、1999年にこの外国人の方に言われたことを全部書いたら、きっと卒倒してしまうでしょうね。 私は2022年5月28日に自分のホームページを改訂すると決めました。 もう体が大変でこれ以上英語教育で、子供達を守ってやることはできないからホームページに子供たちの英語力(スピーキング能力を含む)を上げる学校教育の方法を書いて皆さんに読んでいただこうと思いました。 昔こちらの先生からこういわれました。「川合、なんでも一人でしなくていいんだよ。 いろんな人がいろんな努力をしてそれらが積み重なって何かが達成される。」 先生はそうおっしゃって周りにあった小さなものを塔のように積み上げていきました。 そして、「川合はこの積み上げる石の一つになればいい」とおっしゃいました。 

その言葉はずっと覚えていました。 だから私は、正しい英語教育の仕方を皆さんにお知らせできればそれでいいんだ、と思いました。 

実はこの1999年にお会いした外国人の方から私が仕事を引退する日付も言われていました。20XX年3月25日でした。 でもそんな先までとても私は頑張れない、と思いました。 それでホームページ完成時に「健康上の理由でもうこれ以上できませんので、子供達の英語力(スピーキングも含めて)を上げる方法はホームページに書きましたので、適切な英語教育が学校で行われるようどなたか方針を作って下さい」とお願いして私は引退するつもりでおりました。 (今まで政府や東洋経済新報社が「私の言う事は間違っている」と言う為に色々な人に色々なブログを書かせてネット上にアップしているのを見ました。(デジタル庁の個人情報だまし取りについても大阪府箕面市文科省児童虐待についてもそういうブログを書かせていましたね)でも私はそういうブログを見るたびに「20XX年まで時がたったら、こういうのはすべてネット上から消えてなくなっているのだろうな」と思って見ていました。逆に、「生徒に【音声見本】【学校での発音指導】【家庭での継続した発音練習】なしに発音を習得させる方法」は政府は永遠に見つけられないだろう、とも思っていました。 政府はたとえ私を葬っても「発音習得の真実」は葬ることはできないでしょう。 (真実:本当のこと『大辞泉』)

そう決めて2,3日たった頃、朝起きた時に私は寝ていた間に誰かにこう言われたような気がしました。
「20XX年3月25日まで私が連れていく」
典子 「連れて行ってくれるの? 典子はもう頑張れないよ。」
「20XX年3月25日まで私が連れていく」
典子 「典子はもう何もできないよ。 連れて行ってくれるなら、典子はただついて行けばいいのね?」

それで、私は引退の事は書かないことにしました。 20XX年3月25日まで、連れて行ってくれるのなら、私は何もしないでただついていけばいい、そう思いました。それが5月の終わりでした。
そのあと、安倍元首相が亡くなられて、あれだけ教育をいいようにしていた人たちのお立場が少し変わりました。  「5月の終わり典子に”20XX年3月25日まで私が連れていく”と言った人は、安倍元首相が亡くなられることもわかっていたのだろうか」と思いました。

だからと言って1999年あの外国人の方が私に言ったとおりになるのかどうか、私にはわかりません。(確かに、今まではあの外国人の方が言ったとおりになりました。 けれども、その方から「20XX年3月25日」と初めて聞いた時、「そんな年齢まで私は何の仕事をしているの?」と思いました。聞いたのは1999年ですから、「その年齢まで自分が生きるかどうかもわからないのに」と思いました。 引退の日付だけはその方がおっしゃった通りになるのかどうか私にもわかりません。人の寿命は神様にしかわかりませんから。) 今はもう私は元気ではないので、「連れて行ってくれるなら連れて行って。 もし、「20XX年3月25日まで連れていく」と言われたことが私の思い違いなら、正しい英語教育の仕方はもうホームページで皆さんにお知らせしたので、私はいついなくなっても大丈夫だから」今は、そう思っています。  その時は、どうぞどなたか、適切な英語教育が学校で行われるようにしてください。 お願いいたします。  私の上にどなたか石を積み上げてください。   (ブログは、「子音の日本語化」について多くの方に知って頂きたいので(ネット上セミナーの記載もありますので)、「ママがいなくなっても10年ぐらいはブログはそのまま掲載しておいてね」と頭を打った時、娘に言ってあります。



2023年3月10日 政府は今までも「結末」というブログを妨害していましたけれど、昨日から一段と妨害を強化しましたね。政府はこのブログをなぜそんなに怖がっているのですか。
日本経済新聞社は国民が劇場型詐欺に騙された方がいいのですか。 サブリミナルではないですが、日本経済新聞社は「日経に対する国民の信頼」を逆に利用して、国民が劇場型詐欺を信じるように知らないうちに誘導する。 (人は信頼し馴染んだ物には警戒しない)日本経済新聞社は、国民が劇場型詐欺に騙されるよう後押しする。【その理由】パソコンの画面を半分にしてこのリンクに飛ぶと画面一杯に新井紀子氏の大きな顔が出てきます。劇場型詐欺師に画面いっぱいの日経のお墨付きを与えている。信頼されている日経のサイトに載る新井氏の顔はまるで「国民よ、劇場型詐欺ではないよ。日経のコメンテーターに詐欺をする人などいませんよ。(実際には劇場型詐欺をやっている)だから疑わなくて大丈夫ですよ」と無言で勧める日本経済新聞社のメッセージのようです。「劇場型詐欺を行う人間を新聞のコメンテーターとして日経のサイトで国民に見せる」  サブリミナルではありませんが、意識下で「”日本経済新聞”という普段信頼されている新聞で「劇場型詐欺を行う人物」を見せて国民に受け入れさせる」という一定の効果はあると思います。人は普段から信頼して馴染んでいるものに警戒はしない。 これは日本経済新聞社が「自社の新聞に対する国民の信頼」を逆に利用して、国民が劇場型詐欺を信じるように知らないうちに誘導していることと同じです。(リンク先画像2/26現在)私は「劇場型詐欺を指摘する事」は国民の利益を守る事だと思っています。日本経済新聞社は国民が劇場型詐欺に騙された方がいいのですか。日経は私の「劇場型詐欺という指摘」を否定するのに一役買った。権力者が私をつぶすのに手を貸した。日本経済新聞社は国民を劇場型詐欺でだまして権力者の利益を守るのですか。(2023年3月2日) 
2/24 政府は私を葬ろうと妨害するけど私はこちらのブログに書いた外国人の方から「妨害されていなくなる」とは言われなかった。 私がその方にあったのは1999年11月のことでした。その時その方から「あなたは2018年には仕事で最も高い領域にいる」と言われました。(こちらのブログ)当時子育てに追われていた私は「この人は何を言っているのだろう」と思いました。でも、2008年「英語耳」の松澤喜好氏に盗作されて泣いてばかりいた時、理由はわからないけど、「自分はある人にどうしても会いに行かなければならない」と思って会いに行ったら、その人から「発音の本を出版しましょう」と言われました。(こちらのブログ) 2008年に盗作されることも1999年11月にその外国人の方から言われていました。(上と同じブログ)その時、その外国人の方は私に「感情的にならず正しく行動しなさい」と言いました。妨害や上川一秋氏の2度目の盗作に加えてブログもいろいろ盗作されて苦しかったときはその方から「2018年には、あなたは仕事で最も高い領域にいる」と言われたことを思い出して、2018年まで我慢しようと思いました。(こちらのブログの終わりの方の赤い大きな字の部分に書いてあります。そこには「そういうことをブログに書くことをどう思う?」と親友に聞いた時のことも書いてあります。)  だからたぶん、その方が「私は妨害されていなくなる」とはおっしゃらなかったので、私は「妨害されてもいなくならないのだろう」と漠然と思っています。もちろんそれは、妨害されてもツイッターなどで助けてくださる方や上川一秋氏に盗作された時のようにそれをやめさせて下さる方々がいたから私はつぶれてしまわなかったのだろうと思っています。私一人ではとっくにつぶされていたと思っています。2008年から15年間も次から次にベストセラー「英語耳」の著者から政府にまで妨害されて一人でやってこれるほど私は強くないです。でも、学校の子供達は守ってやりたかった。  ブログを書くときはいつも、「私のいう事が必要でなくなった時(私が無用のことを書いた時)、神様は私からすべてを取り上げていかれるのだろう」と思っています。 その覚悟はいつもできています。   (でも、もし私がいなくならなかったら、今はどんなに妨害されても、やがてこれが事実として多くの人が知る日が来るのだろうと漠然と思っています。 それにしても今日はひどい妨害です。いつもより格段にひどい妨害です。)
2月22日トップ部分の終わりに黄緑色の文字で加筆しました。
2/20 東京書籍は新井紀子の詐欺に参加したり大阪府箕面市/文科省の個人情報だまし取りに参加したりする暇があったら、本来の仕事をもう少し真剣になさったらどうですか。地図の位置が違うなんてありえません。上層部が政府に食い込む事ばかりに熱心になると本来の仕事がお留守になるのでしょうね。

2/24 日本経済新聞社は、せいぜい政府に私のブログを妨害させて、政府に守ってもらえばいいでしょう。 政府に守ってもらう新聞社など最低な御用新聞社。(御用:宮中・政府などの公の用務・用命(大辞泉)    政府と日本経済新聞社は一体。詐欺まで一緒にやる仲間。日本経済新聞社(長谷部剛社長)にモラルはない。どんな三流新聞でもここまでひどくない。政府とは詐欺まで手伝うほど深いつながりがある。でも「日本経済新聞社を(他の新聞社と比較して)中立な新聞社だ(左、右、真ん中に「日経」がある、という池上彰氏の解説はこちら)」という人がいるから国民の誘導も簡単にできる。日本経済新聞社は劇場型詐欺には最も適した新聞社。国民を誘導したい政府には強い味方。 普段の記事では政府の片棒担いでいるなんておくびにも出さない。 政府が国民を誘導したい要のところで知らん顔して誘導する。 まさに策士的な「国民誘導新聞社」(策士:術士と同義。 術士:はかりごとの巧みな人(大辞泉 私が日本経済新聞を読んでいたのは20代の頃でした。 ある年の春闘の時読んだ記事が今でも忘れられないです。 あの頃の春闘は今と違ってすごかったです。 その年、労使交渉が夜を徹して行われてやっと妥結した時のニュースでした。 金額の何百円というところでなかなか労使の折り合いがつかなかったのでしょう。 新聞やテレビがいろいろな報じ方をしていました。 日本経済新聞の朝刊は「100円玉でもめて~~」みたいな表題でした。 私はそれを見た瞬間「なんてひどい新聞社なのだろう」と思いました。労働側は労働者の生活をよくしようと懸命に交渉したのでしょう。 何百円という単位だって、労働者にとっては大事です。 交渉なのですから、双方が自分の要求を主張するのは当然のことです。それを「100円玉で~~」というのはひどい、と私はその時思いました。この表現の仕方を読んだ人は、決して労働側に良い印象は持たないだろうなあ、と思いました。(日経が労使どちらの立場になるかは言わなくてもわかりますし、そういう立場が政権に批判的な立場になるとも思えませんから、そういうものだと思って読めばいいだけの話ですけど。もともとこういう下地があるのに「日経は中立」と言い切る人がいる、というのが私にはよくわからないです。主婦の私でも、そういう下地は知っています。  当時、職場にアルバイトに来ていた中年のおばさんが「日経新聞? 読まないわ。 金持ちの読む新聞だと思っているから」と言ってました。 株式のこととか詳しいから、お金のない人を読者に想定した新聞ではないですね。 お金持ちが政権に批判的な例はあまりないです。 あのおばさんだってそういうことは知っていたのに、これを中立って言い切る?)新聞の立場は年月が経てば変わる場合もあるでしょうけれど、うちは夫が新聞が好きで紙の新聞やインターネットだけで読める新聞を含めるといくつか取っていますが、私はいまだに日本経済新聞が中立だと思ったことはありません。 私はニュース解説で有名な方が日経を(左、右ではなく)「真ん中に「日経」があるといった構図」と分類されているのをネット上のページで見ました。(こちらが池上彰さんの解説です) もちろん、日経が憲法改正特定秘密保護法、沖縄の基地問題などに特定の立場から論ずることはないでしょう。 でも上に書いたような特徴が日経にあることは常に心にとどめておく必要があると、私自身は思っています。だから、今回のように、政治家は劇場型詐欺を正当化するために、日経の力を借りたのでしょう。「見たところ「真ん中」そうで、国民に信頼されているといえる新聞。でも政府と阿吽(あうん)の呼吸でつながっている。だから政治家も日経に話を持って行ったのでしょう。  新聞の読者層、政財界との距離(例えば「わたしの履歴書」に取り上げられた経営者はうれしいんじゃないですか。日経新聞からもらった勲章みたいなものでしょう)、その他気づくことは心にとどめておく必要があると私自身は思っています。なぜなら、根底にそういう体質があると今回みたいな時に出てくるからです。「日経は真ん中」なんて言っていられるほどかわいい問題ではないと思っています。 そういう体質があるといつ何時「本性」が出てくるかわからない。今回みたいに。 普段「真ん中」そうに見える新聞社が平気な顔して詐欺の片棒担ぐんですよ。恐ろしいですよ。 指摘した私のブログは、ほぼ自分以外のアクセスはないに等しいほど政府から妨害される。  ちなみに、そのニュース解説の方、池上彰氏は日経にたくさん記事やコメントを書いていました。 双方持ちつ持たれつのようにも見えました。(知人にそう言ったら「池上彰を”風見鶏”っていう人は多いよ」って言われました。「川合さんが言わなくたって池上彰がうまいことやってるのみんな知ってるよ」と言われ、驚きました。 私よりずっとそういうことをよく知っている彼女は2011年10月17日のブログ2017年8月13日のブログに出てきた藤田さんです。 彼女のいう事には私は時々驚いてしまいます。 この二つのブログの最後の方(黄緑の文字の部分)にも、彼女のびっくりするようなコメントが載っています。)  日経は、「池上彰が(右でも左でもなく)中立と言ってくれた」、池上彰は日経からたくさん書く場所を提供される。 でも、実際の日経は政治家が絡んだ劇場型詐欺に力を貸した。 現実はそういう事です。(阿吽の呼吸:二人以上で一緒に物事を行う時の、互いの微妙な気持ち。またそれが一致すること。 大辞泉
私が社会人になったころは「日経新聞が政府寄り」なんてみんな知っていた。そんなこと常識だった。紙面を見ればわかるでしょう。そういう人たちが必要な情報が満載だもの。(朝日新聞の記者は日銀の次期総裁の名前をスクープしようなんて思わないでしょう。またそういう情報が得られる中枢とのつながりもないでしょう。「新聞が政府に近いかどうか」自分で紙面を読んで自分で考えるのがいいでしょう。) これをニュース解説の池上彰に「真ん中に日経」と言ってもらうことで日経はずいぶん得していると思います。 表面上の記事はそうでしょうけど、そういう表面上の見方だけでいいかと私は思います。 そういう表面上のことだけ見ていたら、「現実」は何にもわからないと私は思っています。実際今回だって政府に私を妨害させて、日経は政府に守ってもらっているじゃないですか。政府は詐欺で日経使って、今度は日経守ってる。 これが現実です。 でも「日経は真ん中」という言い方を聞かされると、この政府と日経の一体感はなくなりますから、池上彰にそういう言い方をしてもらって日経は得していると思います。 


2023年2月16日午後6時50分 知人からメールが来ました。「日経も産経と同じなのね」 それは私にはわかりません。「報道の仕方」の問題ではなく日本経済新聞社が当事者としてやっている事に私は衝撃を受けました。「日本経済新聞社が劇場型詐欺師をコメンテーターにしている」という事実に衝撃を受けました。これは日本経済新聞社が人々に向けて劇場型詐欺師新井紀子日本経済新聞社のお墨付きを与えているという事です。当然彼女がしている劇場型詐欺にもお墨付きを与えることになります。この劇場型詐欺は国立情報学研究所が主体です。国立の機関が主体という事は予算も必要ですし国政に関わる人間(政治家)が関係者の中にいるという事です。日本経済新聞社はその国民を誘導する詐欺に自社のお墨付きを与えているということです。 もう「報道が政府寄り」とかいうレベルではなくて、国民を誘導する劇場型詐欺に一役買っているという事です。私は「日本経済新聞社は「新聞社」(報道のメディア)として超えてはならない一線を越えた」と思っています。 「コメンテーター」という「報道の手段」を使って劇場型詐欺の片棒を担ぐ日本経済新聞社に「報道のメディア」としてのモラルはありません。劇場型詐欺で国民を騙す人と同じ穴のムジナではそう言われても仕方ないでしょう。   今回の日本経済新聞社のひどさは、「報道が政府寄りだ」と批判される産経新聞社の比ではありません。 日本経済新聞社に「報道のメディア」としてのモラルはありません。  長谷部剛社長が業務におけるモラルを軽視しているのですか? 詐欺は犯罪です。「新聞社」が犯罪の片棒担いでどうするんですか。 「新聞社」が国民を騙す詐欺の片棒担いで社長は知らんぷりですか。 新聞社が、政府に私を妨害させて政府に守ってもらってどうするんですか。  長谷部剛社長率いる日本経済新聞社にモラルはない。
2月11日 政府は私のブログの妨害をなぜきつくするんですか。 ここ数日政府が困るような事は何も書いていません。書いているのは日本経済新聞社の事だけです。政府に関係ないでしょう。 やっぱり関係があるんですね。 日本経済新聞社は国民の信頼を劇場型詐欺に利用していいんですか。日本経済新聞社はすべて承知で劇場型詐欺師をコメンテーターにして「今日は日経のこの記事にコメントしました」と言わせているんですね。今もコメンテーターを使って日本経済新聞社は日本で最も劇場型詐欺に”貢献”しています。(貢献という言葉は詐欺に使う言葉ではありません。だから””マーク) 日本経済新聞社は自社の知名度と信頼性(いかにも「政府寄り」の新聞とは違うと人々に思われている点)を利用しているのですね。 日本経済新聞社は国民の信頼を劇場型詐欺に利用していいんですか。
2月10日 結果として、図らずも日本経済新聞社は間接的に、国民を誘導する劇場型詐欺に最も”貢献”しました。(劇場型詐欺をやっている人を自社のコメンテーターにして全力で応援する新聞社というのは珍しいですね。社長の方針ですか。一時は何回も「今日は日経のこの記事にコメントしました」と劇場型詐欺師が言うので「日本”経済”新聞」ならぬ「日本”誘導”新聞」のように見えました。詐欺をする人を応援するのは社長の方針ですか。「劇場型詐欺」は教育史上まれにみる大型詐欺です)2月6日 水色の大きな文字で書かれた部分の下の小さい黒字の部分に加筆しました。劇場型詐欺の解説の部分で「自社のコメンテーターですから日本経済新聞社が劇場型詐欺新井紀子を全力で応援するのは当たり前ですね」と書いてある部分です。    

昨日(8日)国会の岸田首相の答弁を聞いていたら「教師を増やす為にお金も使っている」と言っていました。でも先生方の待遇が改善されたとは聞いていません。「お金を使っている」という証拠に雀の涙ほど使うのではなく本当に先生方の待遇を改善して下さい。GIGAスクール構想であれ程お金を使ったのですから。税金は政治家のポケットマネーではありません。国民の為に使って先生方の待遇を改善し、多くの良い教師を育成して下さい。

私は英語教育の専門家です(こちらHP)。中学時代、学校の勉強の一環として英語発音を習得した日本で唯一人の英語教師です(こちらに記載)。アメリカで自分の子供達が小中高全ての段階でゼロからバイリンガルになる過程を観察した日本で唯一人の英語教師です。しかし政治家/業者/省庁の悪だくみから子供達を守る為次の項目も書いています。(政府の妨害で読んでもらえないかもしれないけど)①「デジタル庁の個人情報騙し取り」②大阪府箕面市と文科省の児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)④「新井紀子の劇場型詐欺」(他に⑤GIGAスクール構想失敗文科省の英語教育は万年失敗理由はこちら新井紀子の「劇場型詐欺」は特殊詐欺の用語ではなく「まるで劇場に入れられたように国民の周りを嘘の情報で取り囲んで騙す」という意味です。この新井紀子の本を取り上げたメディアの全領域を見て「入場したら騙される詐欺の殿堂・新井紀子劇場」だと思いました。国会議員が劇場型詐欺で国民を騙す目的はベネッセをテスト業者として学校教育に入れる為。私は皆さんに「国会議員がこういう手法を使って国民を騙す」と伝えたかった。国民は誘導されているとさえ気づかない。出版部数から見てこの「劇場型詐欺」を成り立たせているのが東洋経済新報社。 私が「アミラーゼの問題」を教育者として不適切だと指摘したら、新井氏の本の誰にも批判されない部分(例えば「AIに仕事を奪われるは嘘か」その他)についてブログを書かせて、「はてなブログタグ」に載せて必死に新井紀子の詐欺を正当化しようとしていた。(もし、詐欺を正当化しようとしたのが東洋経済新報社でないなら、公に否定されればいいでしょう) そして「東洋経済新報社」のはてなブログタグにあった私のブログはある日突然、ほとんど人の目に触れない最下位の部分に下げられました。なんで出版社がそんなことまでして詐欺の小道具を売ろうとするんですか。  私はそういう操作をされるのが嫌いです。 東洋経済新報社は社長が変わっても、やっていることは前と同じ。詐欺の小道具出版社。 東洋経済新報社がブログを書かせたり、操作をしたりしなければ私だって、出版社に対してこんな言い方はしませんでした。 でもどんな策を弄そうと、自分のしたことを後からしなかったことにはできないのです。 策を弄すれば弄するほど、東洋経済新報社は政治家の悪だくみに加担していると思われても仕方ないでしょう。むしろ懲りもせずそれを続けるところが前社長よりひどい。政治家の思惑に沿って行動し、それを指摘した人間を裏で操作して消そうとする、そういう出版社に公正な経済記事など書けるんですか。      デジタル庁の個人情報騙し取り/大阪府箕面市と文科省の児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)/文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)、政府は誰かの金儲けの為に国民の不利益になる事を国民を騙して導入しようとする。政府のやり方は巧妙です。この新井紀子の劇場型詐欺では国民は誘導されているとさえ気づきません。あらゆる領域のメディアと「権威」を使っているから(「教育委員」という肩書、「日本数学会」という名称、「国立情報学研究所」という研究機関、文部科学省の表彰、「山本七平賞」その他の出版界の賞)  おかしいと気づいた人は声を上げた方がいいと思います。 新聞やテレビが騙されていないとは限らないです。    例によって私は声を上げても政府に妨害されて、皆さんに読んで頂けるかどうかもわかりませんけれど。 政府は私を葬れば劇場型詐欺もうまくいくと思っているのでしょう。 でも、教育の原点に立ち返れば、①「デジタル庁の個人情報騙し取り」も②「大阪府箕面市/文科省児童虐待(ビデオ撮影コニカミノルタ)」も③「文科省のeポートフォリオ(ベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に収集させる)」も④「新井紀子の劇場型詐欺」も「何一つ国民の利益にならないこと」は明白で、誰かの金儲けのために政府が国民を騙しているのが分かります。私がそれを分かった理由は①は「データが教育するのではない」②は「授業内容向上にビデオ解析はいらない(生徒が何分前を見ていたか)。勝手に他人を撮影してはいけない」③は「先生方が生徒の主体性について考えることとeポートフォリオが集めようとしている情報が違う」④は「読解力だけで生徒に学問を理解させられない。アメリカの先生方は化学の授業で初めて周期表を習った時、「自分が元素になったつもりで」生徒に詩を書かせたり(娘に割り当てられた元素は希ガスキセノンでした)、顕微鏡でしか見ることができない細胞の機能を子供たちがよく知っている町の機能に例えて絵を描かせたり(生物)して生徒の理解を深めていた(娘がアメリカで受けた授業についてはブログ内に書いてあります) 私が(50年以上前のことだから)覚えていないだけで、日本の先生方も様々な工夫をして私たちを教えてくださったのだと思っています。(こちらの例でも先生は実際にやって見せてくださいました) それと新井紀子の読解指導が想像を絶するひどさだった。新井紀子が作ったテスト問題が子供を罠にかけるひどい問題だった。(新井氏の東ロボは読解問題を解くとき「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶ」という方法で解くのだそうです。 こんな研究している数学者に読解指導ができますか。「ロボットを東大に合格させる」というといかにも「学習の研究」をしているように聞こえますが、実際にやっていることは「コンピュータにどういう処理をさせるか」検討しているだけでしょう。子供達の「学習」や「読解力」とは全く関係ありません。  話がそれますが、私はロボットの研究というのは災害救助や介護の現場などで役に立つ重要な研究だと思いますが、こういう手法でロボットを大学入試に合格させて何か意味がありますか? 東ロボも今回の読解力のテストも新井氏の本も(MARCH合格とか)非常に「入試」を意識していますね。学校の教師は「入試だけ」を意識して教育を考えることはありません。4月から学校行事もありますし、毎日、生徒指導もありますから。 学習塾の方は「入試」が主眼でしょうね。 2016年8月21日の東京新聞には「新井氏は新井氏のチームが作ったリーディングスキルテストの中学・高校生の誤答を見て「誤答の仕方が東ロボくんと似ている」と指摘。」と書いてありますが、アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースの形を聞くのでは子供達は間違えて当然ではないですか? 新井氏の指摘も分析も関係ないと思うけど。私は「わざと子供達を間違えさせる問題」を作る新井紀子が教育者だとは思っていません。  このプロジェクトには教科書会社、東京書籍(株)も参加していますね。教科書の執筆者はセルロースとでんぷんの形が違うことを生徒に理解させたい時、「アミラーゼ」について書いた文を生徒に読ませるのですか。そして、その文の中からセルロースとでんぷんについて書いてある部分を生徒に探させるのですか? そんなことしないでしょう。 きちんとセルロースとでんぷんを主題にした文を書くでしょう。 教科書会社がこんなテストを作って何をしようとしているのですか。生徒の読解力向上なんか何にも考えてませんよね。喜連川優のこのニュースリリースの言い方を借りれば、「産学共同で国民をだまして、業者(ベネッセ)に金儲けさせるプロジェクト」ですか。 東京書籍(株)は他にも私が「児童虐待」だと指摘した大阪府箕面市文部科学省のプロジェクトにも入っていますね。 こちらは「将来の見守りのため」と言って全生徒の個人情報をだまし取るプロジェクトですね。(大阪府箕面市個人情報保護法が目的外使用を禁止している行政が持つ個人情報(生活保護など)まで条例でとれるように変えて生徒の情報として入力しているんですよね。 政府は、子供家庭庁ができたら、「見守りの為」と言って個人情報保護法で禁止されている情報まで、日本中の子供の個人情報をだまし取るつもりですか。 お金をかけてそんな情報をだまし取るより、毎日子供の一番近くで子供を見ている教師の待遇を改善して、多くの良い教師の育成にお金をかけたらどうですか。若い人に教師という仕事がやりがいがあり、やった分は十分報酬として報われる職業だと認識してもらえるよう変えていく努力をしたらどうですか。業者のコンピュータは一人一台も買うけれど、よい教師を育成するためには、びた一文お金を使わない政府によい教育なんかできませんよ。そういうところで政府は子供を金儲けの道具としか見ていないとわかるんです。教師の待遇も改善する気のない政府が子供の見守りなんか本気で考えていないのは見え見えでしょう。子ども家庭庁を作って今度は何の個人情報をだまし取って、誰に金儲けさせようとしているのか、考えてしまいますね。デジタル庁がそうでしたから。発足早々全国民の一生分の教育データをだまし取ろうとしましたね。生涯教育の支援と嘘を言って。牧島かれん大臣の時のデジタル庁は国家規模で国民の個人情報をだまし取る犯罪集団だった。子供家庭庁が犯罪集団でないことを願っています。 「教師が定員割れしている」「担任のいない学校がある」そんな情報が日常目に入ってくるのに、政府は子供の一番近くで見守りできる教師の不足には知らんぷり。そんな政府が子供家庭庁を作る本当の理由は子供のためでないことは容易に想像できます。子ども家庭庁がデジタル庁みたいに犯罪集団でないことを願っています。)      東京新聞には「AIと似た誤答 研究チーム謎解きへ」と副題がついていますけど、新井氏はわざと間違えるように問題を作っておいて、何の研究しているんですか? ベネッセの為に国民を騙(だま)して誘導する研究ですか? だってそれでこれだけのメディアを騙しているから。) でも、私が「教科書の読解力が人生を左右する」という新井氏の主張(教科書の読解力があればテストでよい点が取れて偏差値の高い学校に行ける)を嘘だと証明したら、これだけ騒いだ読解力のテストから、「今度はリテラシーのテストを作ります」と言い出したのですから、とにかく「ベネッセが学校に持ち込めるテストを作ろうとした」という事でしょう。 でもリテラシーのテストはだめになったようですね。 読解力のテストの嘘を証明した私は「もう終わりです」とだけ書きました。しかし、それに懲りず、新井氏が「今度はリテラシーのテストを作る」といったのを聞いて怒りを抑えられませんでした。それで「新井紀子は子供を食い物にしないで。日本数学会の教育委員長が国語教育にまで手を出して詐欺をしないで。日本の国語教育に詐欺師はいらない」と言いました。もうこれ以上テストで国民を誘導するのをやめてもらいたかった。喜連川所長には「研究者にはきちんと自分の専門分野の研究をさせてください」と、このブログではありませんがお願いしました。所長だったら、こんな詐欺の小道具(ニュースリリース)作ってないで、研究所の運営を適切に行ってください、とも書きました。(新井氏の主張が嘘だという証明はこのブログの2021年3月25日分に記載してあります) 国立の情報学研究所が税金を劇場型詐欺の為に使うことに賛成する国民は一人もいません。所長喜連川優はこのプロジェクトに使った研究費を国庫に返してください。国民は劇場型詐欺の企画・制作のために税金を払っているのではありません。   ①から④まで、みんな当たり前の理由で私はおかしいと思いました。 政府は当たり前の理由を捻じ曲げて国民をだましてまで、誰に金儲けをさせようとしているのですか? 国民を騙して小学生の時からビデオ撮影(②)までして、国民に何をしようとしているのですか? 国民の映像までだまし取って政府は何をしようとしているのですか。 ①から④まで、政府や劇場型詐欺師新井紀子喜連川優)が国民に言っていた表向きの理由(目的)は全部嘘ですね。政府は国民を騙して何をしようとしているのですか。 12/19/2022)
英語教育に関してはこちらをご覧ください。 今のままでは100年たっても日本人のスピーキングは通じるようにはなりません。ここに書いてある方法を行えば、日本人は中学卒業時、「教科書で習ったすべての英文を正しい発音で言える」わけですから、中学3年生のレベルで完璧なスピーキング能力を身につけます。


11月17日 私は教師になった時、「生徒の安全は学校教育において最優先事項だ」と教えられました。学校は生徒の命を預かっています。預かった命を東京都教育委員会が好き勝手に業者(ベネッセ)に売って危険にさらすようなことは決して許されません。学校では生徒を危険にさらしてまでやる学校行事はありません。少しでも「危険がある」と察知した時点でストップをかけるのが教育委員会の責任です。(都内全域のすべての3年生が受けるテストでしたら、学校でするのが原則です。それでは機器が足りませんか? でしたらする必要はありません。 テストでスピーキング能力は付きませんから。学校で教えてもいないことをテストしてもスピーキング能力はつきません。 スピーキング能力は授業で教え、生徒が家で練習する事によって身に付きます。それが実技の習得の仕方です。 テストの5億円で教科書のCDを生徒に与えてCDと同じにしゃべる練習をすればこんなテストを受けるより何倍も子供たちのスピーキング能力は上がります。しかも、一度正しい発音でしゃべれるようになれば生涯、二度と正しい発音を学びなおす必要はありません。  浜佳葉子教育長はスピーキング教育に関してまったく無知です。東京都教育委員会もスピーキング教育に関してまったく無知です。 無知な教育長と無知な教育委員会が無駄なテストをやって生徒を危険にさらしているだけです。   「学校の外に生徒だけで行かせる」という事だけでも重大なのに、決まったばかりの知らない学校に行かせるなどありえないです。 もし教師の時、こんな活動を申し出たら、校長がいいと言うわけないです。その前に学年主任からストップがかかります。今ベネッセがやっていることはそのくらい無謀でひどいことなのですよ。 学校外に生徒を行かせるとき、こんな無計画で安全に配慮のないやり方を学校がすることはありません。 教育委員会が言うから先生方は従うしかないのだと思います。これだけ保護者や先生方や議員さんから安全性の問題を指摘されても何のアクションもとろうとしない教育委員会。子供の安全に関して徹底的に無関心を決め込む教育委員会。東京都教育委員会は自らの責務を放棄しています。 もはや教育委員会としての仕事を放棄しています。子供の安全は学校教育の根幹にかかわる問題です。 ベネッセにスピーキングテストをさせるために、子供も見殺しですか。なぜ、最後の最後まで子供たちの安全を確保するために手を尽くさないのですか。 当日の混乱を避けるためにできる限りの努力をしないのですか。職務怠慢というにはあまりにもひどすぎる。 本当の都立高校入試の日に、生徒は2、3週間前に知らされた学校に行く、試験監督も決まっていない、こんな事態になっていたら、本来の東京都教育委員会なら青くなって生徒の安全確保や当日の試験の混乱を避けるために奔走しているでしょう。)そう考えたら「生徒の安全」が明記されている法律があるはずだと思いました。 教育委員会の職務を定めた法律の中にも「生徒の安全を守る」規定があると思いました。 今日「学校教育法 生徒の安全」で検索していて下の法律を読みました。URLはこちらでした。  今回のベネッセのテストはこの法律に違反しているのではないですか。(太字は私がつけました。)2,3週間の短いお知らせで、行ったことのない知らない学校へ子供だけで行かせるなど、安全と言い切れないことは最初からわかります。試験会場から相当遠い生徒もいるようですし、生徒の安全に十分配慮しているとは言えないと思います。でも私は法律の専門家ではありませんので、法律の運用の面でのことはわかりません。法律に詳しい方はこの件について調べていただけませんでしょうか。教育委員会の職務についても「子供の安全を守る」ことがあるのではないでしょうか。 もし法律違反なら、訴えれば東京都教育委員会とベネッセは必ず敗訴しますよね。 私のブログは私が文を書き足して更新した時にカウントされるアクセス数を除けばほとんどありません。 でも、どうしても法律に詳しい方にこのブログを読んでいただきたいのです。どうぞ、ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。子供達のためにお願いいたします。もう時間がないのでお願いいたします。法律に詳しい方に「生徒の安全」と教育委員会や学校の責務について調べていただければと思います。

学校保健安全法(抄)
(昭和三十三年法律第五十六号)
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、学校における児童生徒等及び職員の健康の保持増進を図
るため、学校における保健管理に関し必要な事項を定めるとともに、学校に
おける教育活動が安全な環境において実施され、児童生徒等の安全の確保が
図られるよう、
学校における安全管理に関し必要な事項を定め、もつて学校
教育の円滑な実施とその成果の確保に資することを目的とする。



第三章 学校安全
(略)
(学校安全に関する学校の設置者の責務)
第二十六条 学校の設置者は、児童生徒等の安全の確保を図るため、その設置
する学校において、事故、加害行為、災害等(以下この条及び第二十九条第
三項において「事故等」という。)により児童生徒等に生ずる危険を防止し、及び事故等により児童生徒等に危険又は危害が現に生じた場合(同条第一項及び第二項において「危険等発生時」という。)において適切に対処することができるよう、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。


生徒だけでテスト会場に行かせるのは第30条を見てもおかしいと思います。


第三十条 学校においては、児童生徒等の安全の確保を図るため、児童生徒等
保護者との連携を図るとともに、当該学校が所在する地域の実情に応じて、
当該地域を管轄する警察署その他の関係機関、地域の安全を確保するための
活動を行う団体その他の関係団体、当該地域の住民その他の関係者との連携を図るよう努めるものとする。

11月17日 こんな時に申し訳ありませんが、5人の大学の先生方の要望書を「適切に処理した」と議会で3回聞かれて3回ともそう答えた東京都の職員のお名前を教えてください。ツイッターで言っていただければ、私はそれを見ますから。こんな時に申し訳ありませんがよろしくお願いします。
皆さんが個人は特定されなくてもよいと思われるのであれば、それはそれでいいです。  (これを読んだ方から、「個人の責任をあいまいにすることにおいては日本人が飛びぬけているのではないでしょうか。」というメールをいただきました。その方の意見ですね。皆さんがどのようにお考えになるか、私にはわかりませんけど。)    
私が「劇場型詐欺」を知ったのは新井紀子が「読解力」「読解力」と騒いでリーディングスキルテストを売るために下村博文とベネッセがかかわって起こした「劇場型詐欺」でした。 これについては下の水色のパートの下の小さい黒字の部分に書いてあります。皆さんになるべくわかりやすく説明するために劇場型詐欺の構造を、監督:下村博文、脚本:ベネッセ、主演:新井紀子、に例えて、書いてあります。 劇場型詐欺が成り立つのは、それに手を貸す、教育者や出版社や新聞社などのメディアがいるからです。 このメディアの数をご覧になれば「まるで劇場に入れられたように国民の周りを嘘の情報で取り囲む」と私が思った理由も皆さんにご理解いただけると思います。
私が教育者名、出版社名、新聞社名などを明確に書くのは、「自分の言ったこと、やったことに対して責任を取らなければならない」という覚悟があれば、政治家の悪だくみに手を貸す教育者や出版社や新聞社などのメディアが少しでも減ると思うからです。 



生徒を危険にさらすことを承知で強行する浜教育長の罪は重い。ベネッセ:安全対策の不備を承知で強行。浜佳葉子教育長:中学生の安全対策取らず放置。学校教育では生徒の安全は最優先事項です。学校の全ての活動はその上に成り立ちます。浜教育長はそれも知りませんか。基本です。生徒の安全を犠牲にしてテストを受けさせるなどありえない。生徒を危険にさらす可能性があった場合学校ではその活動は行いません。生徒を危険にさらすことを承知で強行する浜教育長の罪は重い。 しかも生徒は学校外で試験を受けるのにその場所の通知は2,3週間前。これではそこに行くまでの安全指導も学校側はできません。 浜佳葉子教育長はここまで生徒の命を軽視しているのですか。 教育長がこういう基本的なことを知らないのは困ります。 不適格者は降りてください。
教師は新しい活動を子供にさせるときは、十分な準備期間をとって、子供たちに理解をさせ、何回も練習させ、当日は事故が起きないよう注意しながら見守ってやらせます。 浜教育長は「十分な準備期間」「どの生徒も十分な理解」「何回も練習」「当日の注意深い見守り」すべて万全に行い、手配したんですね? 自信をもってそう言い切れるのですね? そうでないのにスピーキングテストにゴーサインを出したのなら今すぐ辞任するべきです。 子供が事故にあってから教育長が辞任したって子どもは戻ってきませんから。 即刻辞任して「子供の安全について万全の準備をした」と自信をもって言える教育長に代わってください。 浜教育長にとってはたかが8万人の中学3年生なのでしょう。ベネッセにとっては5億円の金もうけの道具に過ぎない中学生でしょう。一人や二人が事故にあおうとお悔やみの一つも言っておけばいいと思っているのでしょう。でもね、その一人一人の子供は親にとってはかけがえのない子供なんですよ。「子供の安全のため万全の準備をした」と自信をもって言えない教育長ってなんの仕事やっているの?浜教育長の仕事はベネッセがテストしやすいようにすることなの? だから子供の安全はどうでもいいの? 子供に何かあってから教育長が辞任したって子供は戻ってこないから今すぐ子供の安全を守れる教育長に代わってください。浜さんのような教育長は親は誰も望んでいません。当然でしょう。子供の安全の位置づけはベネッセの利益のずっと下だもの。
教育長が逃げ回るテストなどなぜ子供たちに受けさせる?(こちら)浜佳葉子教育長は15歳の子供達を守るよりベネッセに気に入られる方が大事ですか。子供の命よりベネッセに気に入られる事が大事ですか。(こちら) と (こちら中3生の中には帰国子女もいるかもしれませんね。うちの子は受験する高校が自宅から電車を一つ乗り換えて3つ目で降りる駅だったけど、一人でいけませんでした。違う駅で降りようとするからついていた私が止めました。(それでドキドキして怖くなってしまったようで(アメリカではいつも車で移動でしたので電車の移動に慣れていません)高校に到着して私が「ママはここで帰るからね。」と言ったら、「ママ帰っちゃうの?」ととても不安そうに言いました。それが聞こえたのでしょうね、校門にいた係の先生が「保護者の控室がありますから」と教えてくれました。「ママはそこにいるから何かあったらそこに来なさいね」と言ったら安心して校舎に入っていきました。また中3の時、こう言ったことがありました。「駅で携帯落としちゃったの。線路に降りて取ろうとしたら、線路に降りると電車来た時逃げるところないんだね。それに気づいたから駅員さんのところに行ってそういったら、マジックハンドみたいなので取ってくれた。」聞いていて私は線路に降りたら大変なことになっていた、と思いました。日本にいる子はそういう事故があることを知っていますけれど、帰国したばかりの子はそういう事も知りません。本当に命に係わる事故が起きないとは言えません。もし、テスト会場への行き帰りで事故にあって死んだ子がいたら教育長はその子のご両親になんと申し開きするんですか。浜教育長がベネッセの無理な実施を承知で子供の安全も考えず泥縄で準備してテストをしたから子供が命を落としたといえますか。 安全に関しては万全すぎるくらい万全でなければ義務教育の子供を参加させることは許されないんですよ。それが教育者の義務であり責任なんですよ。中学校の先生方は教師全員が連れていく遠足だって一人の事故もないように事前に下見をしたり、子供たちをグループ単位で何度も話し合いをさせたり、安全に関しては相当の準備と努力をするんですよ。  また、高校を受験するときは、学園祭の時にその高校を見に行ったり、願書提出の時はその高校を受験する生徒がグループになっていったり、生徒は数回その学校に行っています。 今回は、たかだか、2,3週間前に通知があった知らない学校に子供だけで行かせるのですよね。 こんな泥縄で準備したテストを強行して子供たちの安全も考えずに受験させるのはすべて浜教育長の責任です。浜教育長は15歳の子供がどういう時に不安を感じ、不安を感じた子供に何が起こるか、きちんと考えたことがありますか? そんなことは親身になって子供のことを考えれば誰でもわかります。わからなかったら中学校の先生に聞いてください。 そうやって、きめ細かに子供達の安全を守り、当日子供たちが安心して受験できるよう準備をするのが浜教育長の仕事なんですよ。浜教育長は子供の命を軽視している。浜教育長にとっては子供の命より、今準備もまともにできていないベネッセのテストをさせる方が大事ですか。そんなにベネッセに気に入られたいですか。子供の命と引き換えにしても。 教育者として終わっている。   私は今まで「たとえ」で「ベネッセは子供を食い物にしている」と書きました。 でも、今回のことで、ベネッセは本当に子供を食い殺してもなんとも思わない業者なんだ、とわかりました。テストで金さえ入って来れば。  
先生方の要望書さえ教育委員に渡さなかった。これは公務員の職務規定違反です。なぜその方は職務怠慢で処分されないのですか。要望書を握りつぶしたんでしょう?公務員が特定の意見を握りつぶしたのですから民主主義の根幹を揺るがす大罪です。その方は「要望書は適切に処理をした」と議会で偽証(嘘の証言)もしていた。渡さなかった正当な理由の説明はなく自分の「意にそわない要望書」だから握り潰したのでしょう。教育委員会では要望書の握りつぶしや嘘の答弁などの服務規程違反が日常的に行われているのですか。テストよりこの方の更迭の方が先ではないですか? そうでないというなら、先生方の要望書を渡さなかった正当な理由と、何をもって「適切に処理した」と答えたのかその理由を説明してください。東京都職員服務規程です。(私は個人的には事の重大性(民主主義の根幹を壊す)と影響の大きさ(8万人の15歳の義務教育の生徒が被害を被る)において懲戒免職でもいいと思っています。ご本人は全く反省もしていませんし。) テスト決定の過程で公務員が服務規定違反をして、特定の意見を握りつぶしていたのですからテスト導入について公平、公正な議論がまだなされていないという事です。不正な手段で都の職員が自分の意に沿わない意見を握りつぶして決めたテストなど実施できません。しかもその都の職員は議会で偽証をしてそれを隠していた。この都の職員が自分の意に沿わない意見を握りつぶして自分がやりたいように東京都の方針を決めたという事でしょう。テストは公平、公正な議論をして自治体(東京都)が決めるものです。都の職員が不正行為をして自分のやりたいように決めるものではありません。都の職員が不正によって決めたテストなど無効です。)先生方が監査請求や要望書や、公に定められた手順で反対しているのに対し、彼らは詭弁で逃げる。事故なく公平にテストを実行できる根拠がなくてもとにかく詭弁で逃げて、どんな汚い手(要望書の握りつぶしや偽証もその具体例)を使ってでもテストを強行する。彼らは自分たちが「事故なく公平にテストができる」と言い張れば誰もテストを止められないと知っています。誰も彼らにとどめはさせないと知っています。中身はベネッセの手先でも一応地位は教育委員会ですから。(詭弁(きべん):道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論(大辞泉) 東京都のスピーキングテストの酷さは先生方の説明でよくわかりました。私は英語教育の専門家としての意見を書きます。東京都の公立中学校で「ア」に聞こえる英語の4つの母音を区別して発音している生徒はいないでしょう。中学校で発音、スピーキング指導が行われていない証拠です。生徒達はスピーキングの練習をする教科書の音声も与えられていません。学校で教えていない事が高校入試でテストされるとなれば親は塾で子供に発音やスピーキングを教えてもらうでしょう。けれども塾に行けない生徒は誰にもスピーキングを教えてもらえず親の収入によって高校入試で差別を受けます。教育基本法第4条は経済的地位による教育の差別を禁止しています。行政の誤りは司法でとめてもらうしかないと思います。テストの差し止めを求めて地裁に提訴するしかないと思います。
どんな汚い手でも使う東京都が”改心”することはありません。彼らは公務員ではありません。ベネッセの手先です。彼らは詭弁で逃げていれば誰も自分たちにとどめはさせないと知っています。中身はどうであれ、一応彼らは教育委員会ですから、彼らが大丈夫だと言い張る限りテストは強行できると知っています。費用が掛かりますがクラウドファンディングのような形で協力を仰げば、協力して下さる方は全国にいらっしゃると思います。業者はやがてこのテストを全国に持ち込むでしょうから。詳しくはこちらのブログの②をご覧ください。 同じ教室で学びながら「隣の席の子は塾で発音を習って、自分は何も教えてもらえない」そんな思いを義務教育の子にさせてはならないと思います。2018年3月8日のブログもお時間があればお読みください。 「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ)発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)」本題のブログは後ろから1/4くらいのところから始まっています。  そのこと以外に興味のない方は上から3/4くらいの部分は飛ばしてください。 星印と赤い字で「それでは今日の本題、「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」に入ります」と書いてあるところからお読みください。 上の英語音声は私のHPより取っています。私は32歳までずっと日本で暮らしていました。32歳の時、夫の赴任について行き、初めてアメリカで暮らしました。

2022年10月8日 私が水色の文字の部分のような激しい文章を書いた理由をこちらのブログの冒頭に書きました。(私事ですので興味のある方のみお読みください。政府から弾圧されながら負傷して命がけで抵抗する市民の姿が目の前にちらちらしていました。)
 9/11こちらのブログに①②➂加筆しました。➂の内容の一部を次に転載しました。英語教育産業の市場は何兆円とも言われています。この何兆円ともいわれる市場が成り立つのは、それだけのお金を払う「英語で困っている日本人」がいるからです。 この「英語で困る日本人」を学校教育で大量に作っているのが文部科学省です。 必要な発音教育をわざとしない。練習に必要な英語音声もわざと与えない。そうやってわざと英語で困る日本人を大量に作っているのが文部科学省です。(詳しくはこちらのブログに書いてあります) 英語音声を生徒に与えない文科省は永遠に子供を英語教育産業の食い物にするのか。なぜ即刻やめない。永岡桂子文部科学大臣もなぜやめさせない。文科省が本気で英語発信力を強化するなんて信じる国民はもういませんよ。「英語音声を絶対に生徒に与えない」という証拠まであるんだ。「子供食い物省」など国民の誰が信用するか。   文科省は卑劣だ。国家権力を使ってわざと国民を英会話学校の食い物にさせ何兆円も国民から巻き上げる。 権力を乱用する犯罪集団なんか解体消滅させればいい。永岡桂子文部科学大臣は、文部科学省国家公務員法に違反する行為をしているのに何もしない。無責任だ。文部科学省は害悪にしかならない。2031年まで文科省が何をやっても生徒の発音はぼろぼろ。日本で「英語で授業」なんかやっていたら生徒の発音はぼろぼろですよ。(「英語で授業をしない」と高校の先生方を非難した松本茂と吉田研作。日本の英語教育に無知なのは松本茂と吉田研作じゃないですか。日本で「英語で授業」なんかやっていたら発音はぼろぼろなんですよ。生徒は英語がわからないから「理解」もぼろぼろなんですよ。吉田研作と松本茂はそんなことも知らないで「英語で授業」を提唱して日本の英語教育をぼろぼろにした。高校の先生方は非難されながらも日本語で教えて生徒の英語力を守ってくれた。 それなのに吉田研作と松本茂は謝罪もしない。何が有識者だ。日本の英語教育をぼろぼろにして、責任も取らずに逃げただけじゃないか。吉田研作と松本茂は「間違った学校英語教育をさせた」という事実で自分の名前に傷をつけたくないから先生や生徒達をどんなに犠牲にしても知らんぷり。卑怯だ。なぜ二人とも非難した高校の先生方に謝罪をしない。なぜ間違いを認めない。吉田研作は日本の英語教育をぼろぼろにして逃げて今は英検の会長。吉田研作の間違った方針のせいで正しい英語教育を受けられなかった高校生はどうなるんですか。彼らはもう二度と高校時代には戻れないのですよ。吉田研作は自分さえよければそれでいいんですか。日本の英語教育をぼろぼろにして責任も取らずに逃げて、自分が英検の会長に収まっていればそれでいいんですか。吉田研作は「利己主義」以外の何物でもない。「自分さえよければいい」の典型です。 松本茂は新聞記者にメールまで送って2019年3月25日の朝日新聞夕刊で高校の先生方を批判した。記事を読んだ時、私は怒りで体が震えた。これが日本の英語教育の有識者ですか。有識者どころか全く無知じゃないですか。吉田研作と松本茂は高校の英語指導について何も知らない。全く英語を聞くことがない日本で、うわべだけアメリカの真似をさせて「英語で授業」をしたって英語が習得できるわけないでしょう。英語習得の根底となる「インプット」が大量にある国とない国の違いも判らない”有識者”に日本の英語教育などできるわけがない。 英語教育の基本も知らない吉田研作だの、松本茂だのが英語教育の方針を決めているから日本人のスピーキング能力は上がらない。それを指摘されたからって逃げだすばかりでなく、その前に自分の間違いを認めて非難した高校の先生方にきちんと謝罪をしてください。 自分の間違いで他人を新聞紙上で非難したら謝罪するのが社会の決まりです。(安河内哲也や向後秀明も「英語で授業」を日本中に提唱して回っていた。今はどちらも責任は取らないで知らんぷりしている。石渡誠も「英語で考える指導法」が誤りだったと認めない。生徒を騙し通している。 今まで30年以上も彼の間違った「英語で考える指導法」に高額の学費を払ってきた英語学校の生徒に謝罪も損害賠償もしない。どんなに立派なことを言おうと今も平然と生徒を騙す石渡誠に教師として生徒の前に立つ資格はない。私が指導法の誤りを指摘するたびに、石渡氏は他の先生と一緒になって「英語で考える指導法は素晴らしい」と動画で何回も生徒に力説していたのを忘れたのですか。生徒を騙しながら顔色一つ変えずに立派なことを言う石渡誠に人としての倫理はない。 教師を続けたかったら「英語で考える指導法は間違いであった」ときちんと認めてからにしてください。生徒には「本気で取り組むことが重要だ」とか言いながら自分は間違いを認める勇気もありませんか。保身しか考えない卑劣な教師だ。「学校で一番大事なのは生徒だ」とか言っていましたけれど、本当に生徒が大事だと思っている教師は、自分の指導法が嘘だと分かった後も生徒をだましたりはしません。石渡氏の教師人生は最初から最後まで嘘で通すのですね。どんな立派なことを言おうと詐欺師は教育者にはなれません。)   吉田研作も2019年11月18日の朝日新聞DIGITALで「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と非難していました。日本で「英語で授業」は百害あって一利なしです。そんな「亡霊」のような授業方法にしがみついて日本の英語教育を決められたら先生も生徒も大迷惑です) 文科省がいるだけで国民は何兆円も巻き上げられて不幸になる。文部科学大臣と岸田首相は見て見ぬふりをしないで下さい。永岡文部科学大臣と岸田総理が文科省背信行為をやらせている。私は中学時代、学校の勉強の一環として、毎日2時間発音練習して英語発音を身に着けた日本で唯一人の英語教師です。夫の赴任の為アメリカで10年暮らし、子供がバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、全ての段階でつぶさに観察した日本で唯一人の英語教師です。私自身が50年発音練習をやっているから、文科省の計画表は見た瞬間に役に立たないとわかります。どんなに立派な「英語で○○」が書いてあっても、生徒の発音がぼろぼろではそんなのただのクズだ。2031年まで発音ぼろぼろのクズのような計画表を作っている役所なんかいらない。文科省は国民から何兆円も巻き上げる犯罪集団。国民を食い物にする役所だから学校を騙してテストを売る新井紀子(著書は東洋経済新報社)だって平気で表彰する。文科省だってやっている事は詐欺師と同じ。新井紀子の詐欺に最も”貢献”しているのは東洋経済新報社(発行部数より。ニュースで(新社長)東洋経済新報社 田北浩章氏と見ました。) 私が最初に新井氏とかかわったのは朝日小学生新聞(2021年1月8日)に載った新井氏の「理科の読解指導」でした。新井氏は「理科の読解指導」と称して「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」と小学生に読解指導していました。「まっすぐな水平線」という表現に「地球は丸いので水平線はまっすぐではありません。と小学生に読解指導していました。「太陽がのぼってくる」という表現に「太陽は「のぼり」ません。地球が回転しているのでのぼるように見えるだけです」と小学生に読解指導していました。これが新井紀子の「理科の読解指導」の”実力″です。 国語の先生の勉強会なら顔を上げていられないくらい恥ずかしい「読解指導」です。文学的文章を科学的事実であげつらうのが科学的文章の読解指導ではありません。「理科の読解指導」つまり科学的文章の読解指導は、「時間の経過をおって、事物や現象の変化を把握したり」「その現象が引き起こされた原因を読み取ったり」(つまり原因と結果を把握)するのが、科学的文章の読解指導です。文学的表現を科学的事実であげつらうのが科学的文章の読解指導ではありません。 新井氏には国語教育に対する素養も教養もありません。 見事なほどばかばかしい読解指導です。 新井氏は今までに一度も国語教育を学んだことがありません。 ですから国語教育の基本も知りません。(でも本をたくさん読んでいれば文学的文章と科学的文章の読解指導の違いくらい分かると思いますけど)  私は英語教育が専門ですが(こちらがHPです)、日本に帰国後の娘と息子が文章がよく読めなかったので(本も読めませんでした)国語指導については自分で実践しながら勉強しました。 息子は接続詞の意味も分かりませんでした。 本が読めなかったら「その言語が使われる社会」で生きていくのに足かせとなるのは目に見えていました。 夫の妹が小学校の先生をしていて「本が読めなかったら大変よ」と心配してくれました。 現場の教育者は現実をよく知っています。 新井氏は机上の空論で自分の作ったテストの点数だけ見て「読書と読解力は関係ない」などなんで言えるんですか。 数学者でも読解力のテストを一つ作れば読解力のことは何でもわかるんですか? こんな150字のテストで読解力の全貌などわかるわけないでしょう。新井氏は何を勘違いしているんですか。本当に自分が「読解力の権威」だとでも思っているんですか。自分が読解力についてなんでも知っているとでも思っているのですか。 その前に、子供の読解力向上のために地道に努力している国語の先生方が子供たちにどういう教育をされ、どういう活動を行っていらっしゃるのかきちんと理解した方がいいです。新井氏とは比べ物にならないほどの研究と実践と経験を積んでいる先生がたくさんいらっしゃるんですよ。 お一人お一人の先生は何もおっしゃいませんけれど。 新井氏はそういうことは何にも知らないじゃないですか。にわかじたての詐欺の手先が国語の先生方より、読解力についてよく知っているなどと夢にも思わないことです。マスコミが新井さんをもてはやしたのは、新井さんの後ろに権力を持つ政治家と潤沢な資金を持つ業者がいたからです。彼らが詐欺の道具である新井さんの為にそういうおぜん立てをしたからです。 そんなこともわからないで、自分が「読解力の権威」だと思い込んで、「読書と読解力は関係ない」と言うなど、滑稽(こっけい)です。 自分の「理科の読解指導」のひどさもわかりませんか? マスコミが新井さんをもてはやしたのは新井さんの読解指導が素晴らしかったからでも、新井さんのテストが素晴らしかったからでもありません。権力を持つ政治家と潤沢な資金を持つ業者が詐欺の道具に使う新井さんのためにそういうおぜん立てをしたからです。 新井さんのリーディングスキルテストはただのテストです。世の中によくあるテストと同じです。(子供たちを罠にかける分、普通のテストより悪質ですが) そんなテストの一つや二つで読解力の全貌など分かるわけないでしょう。それを何か特別なテストみたいに「リーディングスキルテスト」「リーディングスキルテスト」と騒ぐのはもうやめたらどうですか? (それに、このテストは最初の喜連川氏の触れ込みのように「読解力を科学的に測るテスト」じゃなかったんですから、もういらないんじゃないですか?) そんなテスト世の中によくあるテストと同じです。そんなテストの一つや二つで読解力の全貌などわかりませんよ。せいぜい「そういう面もある」という程度のことしかわからないでしょう。 それにもう、そんな古いテストにこだわる必要もないんじゃないですか。あと2ヶ月もすれば2023年です。そうしたら7年も前に作られた古いテストなどもういらないのではないですか。読解力を科学的に測ってもいないんだから、このテストもういらないの。「子供を罠にかける」とケチが付いた古いテストなどもういらないの。 実力をつけるのはテストではなくて授業ですから。そういえば私は2021年3月に新井氏の嘘を見破った時「もう終わりです。」と言いましたね。そうしたら新井氏は「今度はリテラシーのテストを作る」と言いましたね。あの時リーディングスキルテストは見限ったのではなかったのですか。(見限る:見込みがないとしてあきらめる(大辞泉)  新井氏はいつまでも政治家と業者の詐欺の道具になって踊っていなくてもいいのではないですか。この「理科の読解指導」を見ると新井氏が「読解力の権威」として踊るのは無理です。テストも、もう随分古くなったし。新井氏が一生懸命踊っても、新井氏のリーディングスキルテストを学校に持ち込むのはもう無理です。たぶんベネッセもそのことはもうわかっているのではないですか。 子供を罠にはめているし(本当に間違えてアミラーゼの問題を作ってしまったのなら、きちんと訂正して謝罪をすれば先生方は何もおっしゃらないと思います。なのに、指摘を無視して押し通そうとするからもうだめです。私がなぜそう思ったかというと、私が何か指摘するたびに、新井氏や東洋経済新報社がいろんな人にブログを書かせて反証しようとしていることに、はてなブログタグ「新井紀子」「東洋経済新報社」を見ていて気付きました。それは今も続いています(2022年11月8日現在)。 時には新井氏の本の中の誰にも反論されない部分だけを強調して(例えば「AIで仕事がなくなる」は嘘か、とか)ブログを書かせていました。 私は、それは「新井氏のもともとの意図を後から隠すものだ」と、こちらのブログで述べました)  (4日前のニュースで(新社長)東洋経済新報社 田北浩章氏と見ましたが、今も「東洋経済新報社」のはてなブログタグを見ると人々を誘導していますから、新社長になってもずっと東洋経済新報社は「劇場型詐欺」の小道具係をやっていくのでしょう。)  そのはてなブログタグの中にある日、「ある人にとっては正義でも、ほかの人にとっては理不尽だ」というブログを見ました。(表題を見ただけです。)「そう、間違えてしまったの。だったらきちんと訂正すれば」と思いました。でも、まじめにテストを作ったにもかかわらず子供を罠にかける問題になったのなら、最初から子供を間違えさせて「教科書が読めない」と騒ぐためにこのリーディングスキルテストを作ったのね、と思いました。 そしてその結果をもとに「AI vs. 教科書が読めない子供たち」という本を書いて、アマゾンの宣伝の部分に書いてあるように「人間がAIに勝つためには「読解力」を磨くしかない」(評者:伊藤氏貴、週刊文春2018年4月12日号掲載。教育者から見るとちょっと変ですね。子供がうちに持っている能力や可能性を引き出していくことではないですか)とか「読解力が世界を支配」(評者:永江朗週刊朝日掲載)とか人々を煽って、読解力を科学的に測るテストだとこのリーディングスキルテストを学校教育に持ち込むのが最終的な目的だったのではないですか。(私には週刊朝日に掲載されたという「読解力が世界を支配」というのは人々を煽るにしても異様な感じがします。ここまで人々を煽って「読解力」に注目させようとしていたんですね。見事な「劇場型詐欺」ですね。 嘘だとわかって今これを見ると異様な感じがします。 まるで「読解力」について新しい学説が発表されたかのような衝撃を与えて人々を「読解力」に誘導する。見事ですね。この誘導に使ったメディアの数もすごいですね。メディアのほぼ全領域を使っています。 でも私が新井氏の嘘を見破ったら「今度はリテラシーのテストを作ります」と言っていましたから、結局読解力については何ら新しいことを発見したわけではなかったんですよね。 国民の周りを自分の意図する方向に誘導する情報で取り囲む劇場型詐欺については水色の部分が終わったところに「新井紀子劇場」として解説があります。脚本:ベネッセ、監督:下村博文、詐欺の大道具小道具:国立情報学研究所所長喜連川優(ニュースリリース)、東洋経済新報社:(本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」など)もちろん学校に持ち込むときの業者はこのテスト作成時から協力してきたベネッセです。 でも、こんなテストで読解力は科学的に測れないから、このテスト、もういらないの)、劇場型詐欺だともばれてしまったし。(「劇場型詐欺」の主演、新井紀子は東京都の教育委員です。日本の教育は落ちるところまで落ちました。誰が落としたかって? 東京11区選出の国会議員、下村博文です。東京11区というのは大まかにいうと板橋区のあたりのようです。下村博文は業者と結託して学校教育を食い物にして金儲けすることばっかり考えてる政治家です。) 政治家と業者は表に名前が出ていないから、引き揚げたければいつでも引きあげられます。  私は政府から「どんなに一生懸命ブログを書いても誰も読んでないよ」と言わんばかりの妨害をされても、(実際、自分がブログを直して確認した時にカウントされるアクセス数以外、私のブログのアクセス数はもうほとんどありません)、人から「ひどいブログを書いてる」と言われたとしても、こんなテストが学校教育に導入されるのをとめられれば、それでいいと思っています。(下村とベネッセがやっているという証拠がないじゃないか、という人がいるかもしれないけれど、だったらどうして政府が私のブログの妨害をするのですか? このままにしておいたら学校がまた下村とベネッセの金儲けの場にされてしまう。違っているなら違っていてむしろ幸いです。 それに「アミラーゼの問題」を見た時、私は怒りを抑えられなかった。こんな問題を作って訂正も謝罪もしない人間が教育者でないことは断言できます。新井氏の理科の読解指導が国語教育の専門家の指導の仕方でないことも断言できます。新井氏が「アミラーゼのテスト」を「科学的に読解力を測るテスト」と学校に売るのが詐欺だという事も断言できます。表に出ている事実だけでも十分な詐欺です。) 下村博文とベネッセは教育の世界でやっていることがひどすぎる。 知人はこれを読んで「政府に妨害されることが普通に行われているのですから北朝鮮とどこが違うんだと思います」とメールをくれました。言論に関しては岸田政権は北朝鮮並みですか。一英語教師では何の権力も持っていないからこういう事を書いても政治権力からつぶそうとされるだけだけど、下村とベネッセから子供たちを守ってやりたかった。下村とベネッセの金儲けから子供たちを守ってやりたかった。) 私は新井氏の「理科の読解指導」に対して「文学的な表現を理科の事実であげつらうことが理科の読解指導ではありません。科学的文章には科学的文章の読解指導の仕方があります。」と指摘しました。私はこれほど国語教育に無知な数学者が読解指導に手を出すのは子供達の為にもやめてもらいたい、と思いました。 その時、私のブログは政府から激しい妨害を受けました。私は、あまりにもひどい読解指導だからブログで指摘しただけでした。まさかこれが「政治家・業者・教育者」が結託して国民を騙す「劇場型詐欺」だったなど知る由もありませんでした。今でも、まるでカメラのピントがスーッと合ってくるようにこの構図がわかった時の衝撃は忘れられないです。自分の知らないところで得体のしれない巨大な黒い物がうごめいているような怖さでした。)  新井紀子は実際に生徒に教科書を読ませたデータは一つも取っていない。新井紀子のテストは「アミラーゼについて書いた文を子供に読ませてセルロースの形を問う」ただのひっかけ問題。これが新井氏の言う「教科書の読解力」ですか。教科書の執筆者は生徒にアミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースとでんぷんの違いを学んでほしかったのですか? 新井氏は読解力が何かも知らない。 新井氏は大学で国語教育を学んだことがないからこんなとんでもないテストを「科学的に読解力を測るテスト」と平気で売り込む。「読解力を科学的に測る基準」は何ですか。 まったく基準が示されていません。 アミラーゼの問題のどこが科学的なのですか。  子供を罠にはめて何が楽しい。生徒の読解力向上を願って指導している先生は決してこういう問題は作りません。こういう問題を平気で作る新井紀子は子供の読解力の向上なんかまったく願っていません。 読解力の向上を願う教育者が子供を罠になんかはめますか。違うことが目的だからこんなひどいことを平気で子供にするんでしょう。 わざと子供に間違えさせようなんて問題作成の意図が邪悪です。私はこちらのブログで「教育者の思いは指導の時、必ず出ます」と書きました。 このテストを作った新井氏の本当の動機がこの「子供を罠にかける問題」に出てしまったのではないですか。 新井氏は「子供が教科書を読めていない」とまず人々に衝撃を与える必要があった。だからこんな邪悪なことまでして「子供の読解力が落ちている」と騒いだのではないですか。そうやって人々に衝撃を与えて、たくさんの学校にこのテストをさせて、やがて正式に学校教育に採用が決まったら、ベネッセがテストの取り扱い業者として学校教育に入ってくるはずだったのではないですか? (私がそれに気づいたのは上で述べたように朝日小学生新聞に載った新井氏の読解指導の問題点を指摘した時、政府から激しい妨害を受けたからでした。 なぜ、新井氏の間違いを指摘すると政府からこんなにきつい妨害をされるの? まるで、新井紀子を読解力の権威にしておくのは政府の仕事だといわんばかりの激しい妨害だった。)             ベネッセのテストを学校教育に入れるためだったから、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌でこんなに騒いで、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の本を売る必要があったのではないですか? (もう一度書きますけれど、新井氏は生徒に実際に教科書を読ませたデータは一人もとっていません。 ただ、教科書の内容の理解を測ると自分が主張するテストをさせただけです。 アミラーゼについて読ませて、セルロースの形を問うようなテストをさせただけです) この本で「自分の作ったテストを子供たちが間違えるので、教科書が読めない」と騒いで人々を「読解力」「読解力」と躍(おど)らせて、ベネッセのテストを学校教育に採用させるのがこの本の本当の目的ではないですか。 新井氏は、下村とベネッセの都合のいいように人々を誘導するのが役目だったのではないですか。 当然、国立情報学研究所所長喜連川優はそのことは十分承知でこういうニュースリリースを出して、メディアや人々を騙していたんですよね。(国民を騙す目的でこういうニュースリリースを出す喜連川優に国立情報学研究所の所長をする資格はありません) 東洋経済新報社は今でもこれまでのいろんなブログを掲載して誘導しています。東洋経済新報社はこういう裏の事情を知らないはずはないでしょう。知っていても、いまだに東洋経済新報社は人々を誘導しています。  新井氏はベネッセのテストを学校教育に採用させるためにこういうことをやっていたのではないですか? 私はこれは、3者が組んで行った国民を騙す劇場型詐欺だと思いました。3者とは ①教育の方針を自分の都合のいいように動かせる政治家(下村)と、②潤沢な資金を持つ業者ベネッセ(潤沢な資金と政治家が組めばメディアも動かせる)と、➂読解力の権威に作り上げて人々を誘導する教育者、詐欺の実行部隊(新井紀子)が組んだ文字通りの(特殊詐欺の用語でなく)文字通りの劇場型詐欺だと思いました。国民の目や耳に入る情報をメディアを使って自分たちの都合のいい方向にだまして誘導する文字通りの劇場型詐欺だと思いました。 まず、自分の作ったテストで子供の読解力が落ちていると騒ぐ。 テストはわざと間違えやすい問題にする。 そのテストの信頼性は国立情報学研究所喜連川所長のニュースリリースで信じ込ませる。 「教科書が読めない」と本を書いて、国民の目に触れるテレビ、ラジオ、新聞その他ありとあらゆるメディアを使って「読解力」「読解力」と人々をあおって信じ込ませる。そして本で紹介した読解力のテストを学校教育に採用させるような流れを作る。採用されたら、ベネッセが学校教育に採用されたテストを取り扱う業者となる。 これが最初の筋書きだったのではないですか。つまり最初から学校教育にベネッセがテストを持ち込めるようにするのが目的だったのではないですか。 だからそれをぶち壊しかねない私を政府(下村博文)があんなに激しく妨害したのではないですか?  そうでなかったら、朝日小学生新聞に載った新井氏の「(自称)読解指導【注1】(冒頭の部分が終わったところに赤い大文字で引用してあります)」の問題点を指摘しただけで、私があんなにひどい妨害を政府から受けるのはおかしいでしょう。 最初、私は、「誰が見たって間違っているとわかる読解指導」を国が守ろうとしているなんて夢にも思わないから、朝日小学生新聞の記事を批判するとなんで政府から妨害を受けるのか全然分かりませんでした。でも、やがて政府が守りたいのは新聞じゃなくて彼らが作り上げた、このひどい読解指導をしている「虚構の読解力の権威・新井紀子」の方だったとわかった時、すべてがつながりました。いくら何でも国語教育の専門家だったら一目で間違っているとわかる読解指導(下の【注1】(赤い大文字の部分)をお読みください)を国が守るというのは尋常ではない。なぜ政府がそこまでして間違った読解指導を守るのか? それを考えていったとき、すべてがつながりました。(下村がベネッセの利益のために文部行政をゆがめていることは大学入試の英語民間試験導入の時に明るみに出ました。今や多くの人が知っている事実です。) 書籍「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」に載っていたアミラーゼの問題を示して「読解力を科学的に測るテストだと偽ってこのテストを売るのは詐欺だ」と指摘した時は、私のブログのアクセス数はとうとう(1)にされました。 政治家と潤沢な資金を持つ業者が教育者の肩書を持つものを使って権威ある国立の研究所のニュースリリースも使って、自分たちの誘導したい内容をテレビなどありとあらゆるメディアで国民に次から次へと言い続けた時、人々がそのことを信じていく。恐ろしいと思いました。


この劇場型詐欺(特殊詐欺の用語ではなく、文字通りの意味での「劇場型詐欺」。 「まるで劇場に入れたように国民の周りを嘘の情報で取り囲む」という意味から「劇場型詐欺」)のからくりを一言でいえば新井紀子劇場」です。(上と重複する内容ですので興味のない方は読まないで次の大きな文字のパートに飛んでください。)脚本:ベネッセ、スポンサー:ベネッセ、監督:下村博文、主演:新井紀子、大道具小道具:国立情報学研究所所長喜連川(ニュースリリース)東洋経済新報社(本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」)、日本数学会(大学生数学基本調査。調査協力ベネッセ)私は新井氏が大学生の読解力に疑問を持ったという「偶数と奇数の問題」をやってみましたけど、それは読解力が原因ではなく純粋に数学の知識の不足のように思えました。受験産業の業者が学会の調査に参加するというのは普通のことなのですか。日本数学会の名において行った調査のデータの取り扱いについては、きちんとした契約が日本数学会とベネッセの間でできているのでしょうか。「ベネッセの調査」と言われれば情報を出さなかった個人や団体でも「日本数学会」の調査と言われて情報を提出した個人や団体はたくさんいると思います。今東京都のスピーキングテストでも入力した個人情報はベネッセがすべて把握しているのでその点を心配する保護者も多いです。ベネッセは過去に情報流出がありました。)国民はその劇場の舞台で「生涯一度も国語教育を学んだことがない数学者」が読解力の権威に仕立て上げられて「子供の読解力が落ちている」「AIに勝つためには読解力」「教科書の読解力が人生を左右する」と演じる芝居を見せられます。教科書の読解力があればテストでいい点が取れて偏差値の高い高校に進学できると言われれば親が目の色を変えるのは当然です。(私はそれは嘘だと証明しました。その時私は「もう終わりです」とだけブログに書きました。そうしたら新井氏は「今度はリテラシーのテストを作る」と発表しましたので、私は憤って「新井紀子は詐欺だ」とその時初めて書きました。嘘だと証明されたにも関わらず、手を変え品を変え、どこまでも国民をだましてベネッセのテストを学校教育に入れようとする新井氏に激しい怒りを感じました。その時から私のブログも非常にきつい言葉になりました。でもリテラシーのテストはダメになったようですね)そして「新井紀子劇場」を見せられた人々はこぞって詐欺の小道具係:東洋経済新報社が用意した新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を買います。 新井紀子のテストの信頼性は同じく詐欺の小道具係:国立情報学研究所喜連川優のニュースリリースで証明済み。彼女が大学生の読解力がないといったことも、「誰もその権威を疑わない大道具係」:日本数学会の「大学生数学基本調査」で証明済み。新井紀子日本数学会の教育委員長としてこのテストを率いたそうです。「日本数学会」という名称、「教育委員長」という肩書も彼女の主張を信じさせる大きな役割を果たしたでしょう。(その後、新井紀子は東京都の教育委員となり、文部科学省まで新井紀子を表彰しているんですから、まさに世の中の「権威」を使えるだけ使った劇場型詐欺です。)この新井紀子劇場」は一回の上演では終わりません。 今度はありとあらゆるメディアで「新井紀子劇場」が人々の目に触れるよう監督:下村博文とスポンサー:ベネッセがおぜん立てをします。  こちらのアマゾンの宣伝を見ると、家に帰ればよく見るテレビ番組、たとえば「王様のブランチ」や「林先生が驚く初耳学」でもやっている。 ラジオをつければ「伊集院光とラジオと」でやっている。 新聞を見れば「朝日、日経、毎日、東京」にも書いてある。 雑誌を見れば週刊文春週刊ダイヤモンドにも書いてある。文藝春秋婦人公論にも書いてある。 詐欺の小道具係:東洋経済新報社から買った新井紀子の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」は、山本七平賞日本エッセイスト・クラブ賞その他数々の賞もとっている。こうやって、「子供を罠にかけたって」「子供に実際に教科書を読ませたデータがなくたって」「読書と読解力は関係ない」と言ったって「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」という「ド素人(しろうと)」以下の読解指導をしたって、「私立文系しか行けない子供たちの末路」という差別的な記事を書いたって、監督:下村博文とスポンサー:ベネッセは新井紀子の「権威付け」は忘れない。    (2021年5月、私に「詐欺師」と言われた新井紀子は、2021年6月から日本経済新聞で「教育のエキスパート」としてコメンテーターになっていますね。日本経済新聞の「教育」の視点は非常に下村博文と近いのですね。私は「子供にわざと間違えさせる問題を作る」新井紀子が教育者だとは思っていません。 「私立文系にしか行けない子供たちの末路」などという記事を書く新井紀子が教育者だとは思っていません。 新井紀子には子供がうちに持っている興味や関心を引き出して子供の能力を育てていこうという「教育者だったら必ず持っている視点」がないからです。 私が新井紀子に感じるのは子供や学校を金儲けの道具にして、業者を儲けさせる視点だけです。 日本経済新聞の「教育」の視点は非常に下村博文と近いのですね。   私に嘘だと証明されて「今度はリテラシーのテストを作ります」と言い出した新井氏は「学校をだます詐欺で子供を食い物にするのはやめてください」という私の指摘は徹底的に無視して「今日は日経新聞のこの記事にコメントしました」と何回もツイッターで言っていました。同様に2021年5月に私に「詐欺師」と言われた新井紀子は2021年6月、東京都の教育委員に任命されています。私に嘘を見破られて「学校を騙す詐欺」と言われた新井紀子にとっては翌月からの教育委員のポジションも、日本経済新聞の教育のコメンテータ―のポジションもまさに救世主のような取り計らいですね。どなたのお取り計らいかは存じませんけど。新聞は人々が毎日読むもので影響力が大きいですから結果だけ見ると日本経済新聞社新井紀子の劇場型詐欺に非常に”貢献”していると見ることもできますね。 (私が昨夜、偶然、上につけた日経へのリンクをパソコンの画面を半分にしてクリックしたら、新井紀子の顔が大写しで表示されました。日経のURLをクリックしたら、新井紀子の顔が大写しで出てくるというのは相当なインパクトでした。(自社のコメンテーターですから日本経済新聞社が劇場型詐欺師新井紀子を全力で応援するのは当たり前ですね。)それで、私はこの部分を書き足しました。 (ちなみに下村博文は東京11区選出の国会議員です。「東大に英語民間試験をさせろ」とすごんでいたように文部行政に圧倒的な力を持っていました。) でもリテラシーのテストがだめになったという事は私が言った「子供の読解力向上を願う教育者は子供を罠にかける問題など決して作らない」という事が真実だと新井氏にもわかったようですね。)    新井紀子ツイッターを見れば「○○で読解力の講演をした」「○○県の学校からリーディングスキルテストをしたいと申し入れがあった」等々、書いてある。 どこを見てもこういう情報に取り囲まれて、だんだん、世の中が「読解力」「読解力」と踊らされて行く。 彼女が作ったリーディングスキルテストも知られていく。 私が「このテストは子供を罠にかけているだけだ」「燃える太陽という表現に宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません、などという読解指導はおかしい」といっても監督:下村博文が一言「カット!」といえばすぐに言うことを聞く助監督:政府・内調が私のブログをネット上からカットして誰の目にも触れさせなくさせる。 実際アクセス数を(1)にされれば、私のブログはどんな検索にも絶対引っかからないでしょう。 あの頃の下村の一声は後ろに安倍さんがいたから無視はできなかったでしょう(これからはどうなるか知りませんけど)

こうやって新井紀子劇場」つまり「劇場型詐欺」が完了します。 そしてこの流れに乗って、芝居のスポンサー兼筋書きを描いたベネッセが、「学校教育に採用されることになったテスト」の納入業者となる。これが隠された筋書きだったのではないですか。 すべてベネッセが学校教育に入り込めるようにするために考えられたことではないですか。「読解力があればよい学校に行ける」も、「AIに勝つためには読解力」も、「教科書の読解力が人生を左右する」も。 それを本当らしく見せるために子供をわざと間違えさせるようなテスト問題を作ったのではないですか。 私はこちらのブログで「教育者の生徒に対する思いは、必ず指導の時に現われます」と書きました。 本当に生徒の読解力向上を願う教師は子供を罠にかけるテスト問題など作りません。 ここに、新井氏の本当の動機が出てしまったのだと思っています。    「新井紀子劇場」では監督:下村博文とスポンサー:ベネッセが動員できるありとあらゆる「権威」とメディアを使って、自分達の意図した方向に人々を誘導します。国民は騙されていることにも、誘導されていることにも気づきません。 国民の周りを嘘の情報で取り囲んでしまう見事な劇場型詐欺です。


私はもし、新井氏がアミラーゼの問題をきちんと訂正し間違いを謝罪したら、何も言うことはありませんでした。教育者は、間違えてしまったときはそうするのが普通です。(でも、それはできないでしょうね。「なぜアミラーゼの問題を作ったのか」と記者から問われて「子供をわざと間違えさせるため」とは言えないでしょう。 また「科学的に読解力を測る基準は何か」と記者から問われたら答えられないでしょう。アミラーゼの問題を訂正謝罪したとたん、悪だくみはすべて白日の下にさらされてしまう) だから訂正も謝罪もせず、指摘を徹底的に無視して、やり続けているのでしょう。それで本来の教育とは違う所に目的があるのだ、とわかります。無視するだけでは済まなくて、間違いを指摘した私のブログをアクセス数(1)にするまで妨害する、つまり、ネット上から葬るために攻撃してくるわけですから、もう本当に子どものことを考えて「読解力」「読解力」と言っているわけではないことは明白です。 他人を攻撃してまでなんで「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の本を売らなければいけないのですか。東洋経済新報社もなぜですか? 問題点を指摘した人を葬ってまでなぜ「読解力」「読解力」と騒がなければならないのですか。子供の読解力向上のためではないですね。(私が「教科書の読解力が人生を左右する」は嘘だと証明したら、東洋経済新報社は、それ以外の新井氏の本の中に書いてある誰にも反対されない事柄を取り上げてブログを書かせては「はてなブログタグ」に掲載していました。例えば「AIで仕事がなくなるは嘘か」など。私はそういうことをするのは新井氏のもともとの意図を隠すものだと指摘しました)すべてはベネッセのテストを学校教育で使わせるようにするために仕組んだことではないのですか。 わざと「子供たちが間違えるようなテスト問題」を作っておきながら、いかにも「子供の読解力が落ちていること」に驚いたふりをして本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社刊)を書いてメディアで騒ぎたてる。 「読解力が世界を支配する」という論評まで書かせて人々を「読解力」「読解力」と煽る。そして最終的に教科書の読解力を科学的に測ると宣伝する新井氏のリーディングスキルテストを学校教育に持ち込ませ、ベネッセがその取扱業者として学校教育に入ってくる。これが隠された本当の目的だったのではないですか。本当に子供の読解力の向上を願って指導している先生は、子供を罠にかけるテスト問題など作りません。「読書と読解力は関係ない」などとは決しておっしゃいません。本を読むことがどれほど子供たちの読解力を育てるか日々の教育実践でご存じだからです。(これはアメリカの先生方も同じです。むしろ日本よりずっとたくさんの本を学校で読みます。アメリカの先生方は本を読むことが学力の基礎となる、とお考えになっているようです。「Reading Skill」に「Reading Books」 が関係ないわけないでしょう。 私はアメリカにいたころ先生方の読書指導の実践をまとめた本をよく読みました。 またシカゴにいたころ、先生方が子供の学力向上のために読書指導をしている特集をテレビ番組でよく見ました。私がシカゴにいたころは「アメリカの子供の学力が低い。向上させるにはどうしたらよいか」という事がとても話題になっていました。あの頃(30年前)はアメリカの子供の学力が低い、という事が問題だったようです。 私は日本の先生方も「本を読むことが学力の基礎を作るとお考えになっていると思います。 始業前の10分間読書を推進している中学校の先生方や、時間があると子供たちに読み聞かせをして下さる小学校の先生方のことを読むと、やはり日本の先生方も本を読むことが学力の基礎を作るとお考えなのだな、と思います。そして私はそういう先生方の地道な活動が子供たちの学力向上に役に立っている、と思っています。そういう地道な活動をして下さる先生方が日本にはたくさんいらっしゃると思っています。)ましてや、先生方はテストの問題点を指摘した人間を攻撃して葬り去ろうなどとは決してなさいません。

新井氏は「自分には時の権力者がついているからどんなことをしても守ってもらえる。川合典子なんか、簡単につぶせる」そう思っているのでしょうね。 確かに私は政府にブログアクセス数を(1)にされても何もできませんけど。

(ちなみに子供たちの読解力の問題はいつの時代もありました。 私の知る限り、「子供たちの読解力は十分高い水準に保たれている」などと言われた時代は、一度もありませんでした。 だから問題にしようと思えばいつでも問題にできるのが読解力です。おそらく誰も反論しないでしょう) 
 

私は2021年1月14日に新井氏の朝日小学生新聞での読解指導の間違いを指摘して以来ずっとこの劇場型詐欺を見てきました。 政治家がどうやって自分が意図した方向に人々を誘導するのかをずっと見てきました。政治権力で動かせるあらゆる「権威」とメディアを使い、人々を嘘の情報で取り囲んで煽り、自分の意図する方向に誘導する。ベネッセのテストを学校教育に入れるためにこれほど大掛かりに何年もかけて国民を騙しにかかるというのが恐ろしかったです。 これだけ大掛かりに時間をかけて詐欺をすれば、国民は騙されていることにも誘導されていることにも気づきません。その問題点を指摘する人間の意見は国民の目に触れないよう、徹底的に妨害して葬ろうとする。  これはテストの導入ですからまだ危険は少ないですが、例えば個人情報保護法の「行政の個人情報を目的外に使用することを禁止する」という制限の撤廃や学校でビデオカメラで児童生徒を撮影する(子供の人間としての尊厳を失わせる児童虐待です)」などの導入だったら、大変なことになると思いました。 もちろん、彼らは最初からそんなことは言いません。 「子供の見守りのため」「いじめを早期に発見するため」とか、世の中に受け入れられやすい言い方から始めるでしょう。  その後、私はデジタル庁の「全国民の生涯教育データの強制入力」や大阪府箕面市文科省と共同で行っているプロジェクトで「条例を作って個人情報保護法で禁止されている行政が持つ個人情報」まで取って子供たちの個人情報として入力していることを知りました。 恐ろしいと思いました。(法律の専門家にお聞きしたいですが、地方公共団体は条例を作れば法律を守らなくてもいいんですか。 違法行為もできるんですか。 全都道府県が大阪府箕面市と同じことをしたら、個人情報保護法は制定した意味がなくなるのではないですか。 個人情報保護法で禁止されている行政の個人情報を勝手にとって生徒の個人情報に入力することが生徒に利益をもたらすことはありません。大阪府箕面市は一体誰の利益のために違法行為を条例でさせているのですか。生徒には何の利益にもなりません。 そこまでして個人情報を集める目的は何ですか。文科省はこの実証事業で何をしようとしているのですか。教師の数も増やさずに個人情報だけとっても「教育」の方は全然よくならないですよ。露骨な目的隠しはおやめください) それで私が見た政治家の「国民誘導の手口」をここに書くことにしました。 これを劇場型詐欺として具体的に読者の皆さんに申し上げれば、その恐ろしさがよくお判りいただけると思いました。 政治家のやり方は巧妙です。 自分の力で動員できるありったけの「権威」とメディアを使って国民の周りを嘘の情報で取り囲みます。 反対意見は、私のブログのように簡単に葬ります。 (国家権力を使って葬るのですから、私にはどうしようもないです。 だから「ツイッターなどで拡散をお願いいたします」と書いたときに、協力して下さる方々は本当にありがたいと私は思っています) 反対意見がどこからも目に入ってこなければ、多くの人々が信じやすくなります。 (もちろん、冷静な方もいらっしゃいますでしょうけれど) そしてその情報を信じた人が、気づかないうちに次の「誘導者」になっていく可能性もあります。 例えば新井氏の本を絶賛するとかして。  ご本人にはそんなつもりは全くなくても。 政治家の手口は恐ろしいです。 国民を、「動員できる限りのありとあらゆる「権威」とメディアを使って嘘の情報で取り囲み、自分の意図する方向に誘導する。恐ろしいです。 この「国民を嘘の情報で取り囲んでしまう劇場型詐欺」を私は新井紀子劇場」で初めて見ました。「新井紀子劇場」は教育史上まれにみる大掛かりな詐欺で、学校を標的とした極めて悪質な犯罪です。 


      






文部科学省は国家権力を使って英語教育で詐欺やってるんだから国民はたまらない。 国家権力で国民を英語教育産業の食い物にしているんだから国民はたまらない。 文部科学省は国民を騙して何兆円も巻き上げる犯罪集団。今日も学校で生徒を食い物にして英会話学校の「いいカモ」作り。日本の英語教育に「いいカモ」を作る教育計画表はいらない。詐欺集団もいらない。犯罪集団もいらない。「子供食い物省」なんかいらない。 永岡桂子文部科学大臣は無責任だ。 国民が食い物にされているのに何もしない。永岡桂子文部科学大臣はデジタル庁の牧島かれん同様、ただの「お飾り大臣」か? 子供たちは今この瞬間も学校で、将来の英語教育産業のいいカモにされる不備な英語教育を受けているんですよ。英語音声さえ与えられないんですよ。コンピュータまで一人一台与えているのに、なぜ英語音声は与えない。なぜ永岡文部科学大臣文科省の国民に対する背信行為をやめさせない。文部科学省は国家の事業で国民を英語教育産業の餌食にしているんですよ。英語音声を与えないという卑劣な手段を使って。もう何年も続いている。止めてください。岸田首相は見て見ぬふりをしないで下さい。首相が任命した文部科学大臣が何もしないんですよ。首相は「お飾り」でなくきちんと仕事をする文部科学大臣を任命して下さい。国民を守る仕事ができないのだったら永岡文部科学大臣などいたってしょうがないでしょう。 今この瞬間も日本中の子供たちは学校で、英会話学校のいいカモにされる不備な英語教育をされているんですよ。 岸田首相はなぜ何もしない? それで子供家庭庁なんか作ったって何の役にも立たない。岸田首相は本当に子供を守る気があるのか。今この瞬間も子供たちは通じる発音でスピーキングするための発音指導も学校で受けられない、家でスピーキングの練習をする音声モデルも与えてもらえない。いつまで子供たちを英語教育産業の餌食にする英語教育を続けておくのですか?  (ついでに言わせてもらえば、学校で発音記号ごとの発音も教えない、家で発音練習するための教科書の英語音声も与えないで、東京都の中学生がスピーキング能力など習得できるわけがないでしょう。音声モデルもなく生徒に英語を話させたら発音はぼろぼろですよ。 「スピーキング能力をつけるためにスピーキングテストをするのに賛成」などといっている議員は無知もはなはだしい。 スピーキング能力の習得に関してきちんと勉強もしないで発言するのはお控えください。英語指導は専門分野です。専門的に学んでいない人が口を出す分野ではありません。今までも、経営学だの、法学だの、保健衛生だの全く英語教育に関係のない人が口を出して英語教育を混乱させてきました。 専門分野にド素人の発言は不要です。テストで実力はつきません。スピーキング能力をつけるのは授業で教え、生徒が自分の口で練習することです。英語教育の常識です。 「テストで実力はつかない」は教育の常識です。日本人は過去50年英語民間試験のスピーキングテストを受けてもスピーキング能力を上げることができなかった。 現在年間500万人が英語民間試験のスピーキングテストを受けてもスピーキング能力は上がっていません。 それで、高校入試でスピーキングテストを生徒に受けさせてもスピーキング能力は上がりません。 テストでスピーキング能力をつけることはできないからです。こちらのブログの最後から3分の1くらいのところにある記述を転載します。)


もう一つ、民間試験が役に立たない証拠を皆さんにお話しします。

民間試験は過去50年以上に渡って日本で行われて来ました。(各試験 のサイトより)

実用英語技能検定は1963年より実施されて、2017年度の受験者数は366万146人でした。
ケンブリッジ英語検定は1939年横浜に初の試験センターが誕生し1941年に最初の合格者が出ています。
TOEFLは、1964年に作られ、日本では1990年代年間受験者数10万人を突破しました。GTECについていくつかのサイトに行って調べようと思い、最初にウィキペディアを開いたら、


この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。
ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2019年11月)

と書いてあったので、そこは読まずに受験者数は126万人ということだけ調べました。

こうしてみてくると民間試験は今まで日本で50年以上行われています。  受験者も現在では各試験合わせて年間500万人くらいいます。 ここまで、たくさんの国民が受験しているのに、現在でもまだ日本人の4技能が上がっていないことが問題になっています。 つまり、50年民間試験をやっても、日本人の4技能は上がらなかったという証明です。

それなのに、また、大学入試で民間試験をさせても全く効果はありません。 50年の歴史が物語っている通りです。

つまり民間試験のスピーキングテストを受けても日本人のスピーキング能力は向上しなかったということです。当たり前です。 テストでスピーキング能力は身につかないのです。 発音の基本を授業で教え、生徒自身が英語音声を聞きながら自分の口でしゃべる練習をしなければスピーキング能力は上がらないのです。それがスピーキング教育なのです。「スピーキング能力をつけるためにスピーキングテストをすることに賛成です」など、無知丸出し、とんでもない意見です。私は東京都の「スピーキングテストのやり方」について抗議しているのではありません。 「学校で教えていないことをテストする」 「スピーキングテストそのもの」に抗議しています。学校で教えていないことをなぜテストする。だから違法なテストだと言いました。明らかに教育基本法第4条に違反する。東京都教育委員会の違法行為です。法律に違反する行為だから、東京都教育委員会を相手取って「スピーキングテストの差し止め」を求めて、東京地裁に訴えてテストの妥当性を判断してもらえる、と思いました。地裁で納得いく判断が得られなければ最高裁まで司法の判断を仰ぐことができると思いました。このテストに反対していらっしゃる先生方は「このテストの問題点を多くの人に知ってほしい。」とおっしゃっていました。当然だと思います。最高裁で判断されれば、マスコミもスルーはできないと思いました。もし、東京都教育委員会の主張が退けられた時、誰が責任を取るのだろうと思いました。 


【注1】新井氏の読解指導について私が指摘したこと

朝日小学生新聞2021年1月8日に掲載された新井氏の読解指導があまりにもひどかったので私はその問題点を指摘しました。 その読解指導の冒頭の部分のみ引用させていただきます。

新井紀子先生のぐんぐんのびる読解力      「AIに負けない子どもを育てる」などの本で知られる数学者・新井紀子先生が、教科ごとに読解力のつけ方を教えます。今回は理科。科学の進歩から、振り落とされないための「こつ」を紹介します。


明けましておめでとうございます。初日の出は見ましたか。私は、海岸から見る日の出が好きです。まっすぐに続く水平線が徐々に明るくなり、オレンジ色に燃える太陽がのぼってくる瞬間はわくわくします。
  さて、この第1段落は国語の文章としてはおかしくありません。でも、理科としてみると何か所か間違っています。気づいたかな?
  まず、水平線はまっすぐではありません。地球は丸いので、水平線はゆるやかな曲線を描いています。ただ、地球は私たちにくらべてあまりに巨大なので、まっすぐに見えるのです。「燃える」ためには酸素が必要であることを、6年の理科で習いますね。宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません。「核融合」という反応中に放出される大量のエネルギーによって、光って見えるのです。そもそも、太陽は「のぼり」ません。北極を上と見たとき、地球が反時計回りに回転しているので、太陽が東からのぼって西に落ちていくように見えるだけなのです。

以上、朝日小学生新聞より引用させていただきました。

「理科の読解力」というのは、科学的文章を読むときの読解力のことでしょう。文学的文章を理科の事実であげつらうことではありません。書かれた文章から、「原因と結果」を把握するとか、「時間の経過によって何がどう変化していくのか」とか、重要な事実を整理して理解する指導が、科学的文章を読むときの読解指導でしょう。新井紀子さんは「理科の読解力とは何か」もご存じありませんか。これについての私の指摘はこのブログの最後から少し前、赤い大文字で朝日小学生新聞を引用した場所に書いてありますが一部ここに転載します。


結論から言うとこういう方に国語教育をされるのは困ります。文学的文章に科学的事実で突込みを入れるような国語教育(?)は本来ありません。 そんな文章は生徒に読ませるだけで害があります。 国語教育をきちんと学ばれた国語の先生方は決してそういうご指導はなさいません。 経歴を拝見すると、 新井紀子氏は国語教育を一切学ばれていません。 そういう教養のなさがこういう時に露呈します。 国語教育の専門家なら絶対に犯さないような基本的な間違いを犯します。 間違った国語教育をすると、国語教育の大事な目的の一つ、生徒の文学的文章を理解・鑑賞する力が失われます。「文学的文章を文学的文章として尊重する」という姿勢を生徒に育てるのも大事な国語教育です。 そういうことが自然にわかるのがきちんと国語教育を学んだ教育者です。 新井紀子氏はきちんと国語教育を学んでください。 「国語教育をきちんと学んでいない」というのは致命的な欠陥です。 指導の根幹に国語教育の基本事項が欠如しているからです。


読書をしてたくさん文章を読んでくると文章には科学的な事実が書いてある科学的文章と、著者の感性や主観から書かれた文学的文章があるということがわかります。 国語教育では指導する文章にいくつかジャンルがあります。  同じジャンルであっても、文学的文章と科学的文章は異なる種類の文章ですので、文学的文章と科学的文章には、それぞれ異なる文章の書き方があり、ことなる評価の仕方があります。 それが混ざりあうことはありません。  ですから、文学的文章に対して科学的事実での批判(「理科としてみると何か所か間違っています」)から始まるこの新井紀子氏の文章には、読み始めた時、私は大変違和感を感じました。  新井氏は読解力の指導をなさっているということですが、もう少し、ご自身が良い文章をたくさん読んでから、子供たちの読解力のご指導をされた方がよいのではないかと思いました。  なぜなら、科学的な文章も文学的な文章もごちゃ混ぜにしたような新井紀子氏の文を読んだ時の違和感が、帰国子女の私の娘に文章を書かせる練習をさせた時に感じた違和感と似ていたからです。 (経歴を見せていただくと、新井紀子氏は海外での学問のご経験も数年おありのようですけれど、成人されてからですから、娘のようにその影響があるわけではないと思います。 けれども「太陽がのぼる」という表現に対して「そもそも太陽は上りません」とか「まっすぐに続く水平線」という表現に対して「水平線はまっすぐではありません」とか「オレンジ色に燃える太陽」という表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」とか「いまどき、文学的文章に対してこんな突込み入れないで。」と思うような、非常に稚拙な文章なのも娘の文によく似ていました。新井氏が子供たちに「この文章は理科として間違っているけれど気づいたかな?」といわれても、文学的文章というのはそんなことに気づきながら読むべき文章ではありません。 「書かれたイメージが浮かんでくるか」とか、「そのイメージはどの言葉によって浮かんでくるのか」とか文学的文章を読む場合の指導は、科学的文章を読む場合とはまったく違います。 そういう読み方を訓練するのが文学的文章を読むときの国語教育です。 文学的文章を読んで理科の観点から間違いを探す、などというのは、間違った国語教育です。 いい加減な教え方をしないでください。生徒の国語力に害をもたらします。 こういう教え方は国語教育でせっかく培った子供たちの感性を壊します。   理科教育、国語教育、それぞれにあった教育の仕方があります。 こういう基本的なことも知らない方に国語教育(読解)をされるのは困ります。 子供の中には先生がこういうことをおっしゃると、本当に「科学的事実でないことは書いてはいけないんだ」と思ってしまう子もいるんですよ。  リツイートされた方が「何の薬にもならない文章」と書いていらしたのもそういう理由だと思います。 やはり子供たちに文章の指導(読解力の指導)をなさるのであれば、ご自身がもう少し、書物をお読みになって、良い文章にたくさん触れてからの方がよいと思います。

文学的文章と科学的文章の指導の違いもわからない方に国語指導(読解)を受けるのでは子供たちがかわいそうです。 読解力の指導と称して、文学的文章にこのような突込みを入れるような文章を読まされるのでは子供たちの国語教育としてはマイナス面の方が大きいです。 間違った国語教育はおやめください。  ご自身がもう少し文章の素養を身に着けてから、国語教育のご指導をなさってください。 子供たちのためにその方がよいと思います。 国語教育の基本(文学的文章と科学的文章の指導の仕方が違うこと)を知らない新井紀子氏の間違った国語教育では子供たちは文学を味わう能力を失います。 「国語教育の勉強が足りない」という点で、読解力を指導する教育者として失格です。 経歴を拝見いたしましたが、国語教育に関しては全く学んでいらっしゃいません。

以上、新井氏の読解指導についての私の指摘を転載しました。
文学的表現を「理科の読解指導」と称して科学的事実であげつらう。 国語教育の常識では考えられない愚かな行為です。漫才のネタではないのですから、文学的な表現に変な突込みを入れないでください。 国語教育を冒涜(ぼうとく)するものです。







7月18日私は英語教育が本業です(子供達を守る為致し方なく政府の児童虐待についても書いております)中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする。その英語教育のやり方を私は知っています。
大阪府箕面市の実証事業で「教師の指導力向上に効果があった」と言って全国の小学校にビデオカメラを設置する事も可能です。そうすれば数十年のうちに日本国民全員が国家に映像を撮られ「人間としての尊厳」を奪われても何にも感じない国民になっていくでしょう。数十年したら、日本人は国家権力に容易にコントロールされ政権批判もしないし、個人情報を無断で取られても抗議もしない国民になっていくでしょう。幼い時にされることの影響は恐ろしいです。(「子ども家庭庁」によって導入される仕組みだって「子供」といいながら何年も続けていけば日本国民全員に対して行われるのと同じです。)国家の「映像による国民の管理」「個人情報保護法で禁じられている情報の同意なき収集」など、日本版「1984年」計画の準備は着々と進められています。知人がこの新聞記事を送ってくれなければ、こんな収容所まがいの恐ろしいことが学校で子供に対して行われているなど私も全く知りませんでした。

この画像はひどい。授業中の子供の体をカメラで撮影し点と線で解析:子供は物じゃない。政府は文科省児童虐待させて子供家庭庁を作っても無駄です5/16こちらでオウム真理教の例を示し文科省児童虐待を説明。自分は「他人が侵してはならない権利を持ち(基本的人権)、人間として尊敬をもって扱われるべき存在」という意識を子供から奪う虐待。政府は子供の基本的人権を奪って何が子供家庭庁ですか。(東京書籍が児童を虐待している大阪府箕面市の子供見守りシステムをやっているんですよね。(「東京書籍」は大手教科書会社。新井氏の学校を騙すテストを一緒に作った会社です。教科書会社が学校を騙すテストを作る、というのは悪質です。 本当に間違えてしてしまった事なら間違いを認めて、きちんと謝罪するのが企業としての正しい姿勢でしょう。 それもしないで「汎用的読解力」などと、すぐに嘘だとばれるような理屈をつけるのはおやめ下さい。教育は信頼の上に成り立つ仕事です)   でしたら「こども家庭庁」も業者を儲けさせる為か、個人情報を国民から騙し取る為に作ったのですか。デジタル庁の時と同じですね。もしそうなら「こども家庭庁」も国民の個人情報をだまし取る犯罪集団ですね。子供は年々大きくなるわけですから「こども家庭庁」が子供の情報を継続して取っていけば、やがて日本国民全員の個人情報が騙し取れます。 児童虐待をやっている大阪府箕面市では子供の見守りの為といって個人情報保護法で目的外利用が禁止されている行政の情報(生活保護など)まで同意なく取っていますから、「こども家庭庁」も個人情報保護法で禁止されている情報まで取って、子供の見守りの為だというんでしょうか。もしそうなら、本当に「こども家庭庁」はデジタル庁と同じ個人情報騙し取り庁、犯罪集団ですね。そして、児童虐待をやっている大阪府箕面市のように、そのあと将来の見守りの為といって全生徒の個人情報を同意なく入力するんですか? 今、そこまで言うと問題があるから、今は言わないでしょうけれど。国民が忘れたころ業者を儲けさせる子供の情報をどんどん取っていくのでしょうね。デジタル庁の時と同じですね。 そういうことでは「こども家庭庁」はたいして役には立たないでしょうね。何と言ったって、「こども家庭庁」を作りながら、一方で文科省児童虐待して子供の基本的人権を奪っているのですから。 そばで子供を見守る良い教師を育成することにお金をかけてくれた方がましですね。良い教師の育成に関しては政府は全く無視ですから。 「こども家庭庁」はGIGAスクール構想みたいに立派な目的を強調して始まって、たいして役に立たないまま、業者だけが儲かって終わるのでしょうね。 政府は子供を金儲けの道具か、個人情報騙し取りの道具としてしか見てませんから。 その証拠に東京都だって、中学校で教えてもいない英語のスピーキングを高校入試でベネッセを使って、テストさせることに固執している。本当にスピーキング力をつけさせたかったら学校でスピーキング(正しい発音)を教えることをまず最初に考えるはずなのに、東京都教育委員会は中学生に英語の教科書の音声が入ったCDも与えないで、ベネッセにテストさせることばかり固執している。テストやってもスピーキング力はつきませんよ。当たり前でしょう。学校で教えていないのですから。 生徒のスピーキング能力を上げるためには中学校でこうやって教育するんですよ。 英語教育を何も知らない東京都教育委員会はもっと英語教育を勉強してください。 東京都教育委員会はベネッセに金儲けさせたい政治家の思惑通り動いています。これは大学入試の民間試験と同様ですから、裏にいるのは下村博文ですか。「東大に民間試験をさせろ」とすごんでいた政治家です。 あの脅しのようなすごみ方は反社会的勢力(暴力団など)みたいに怖かった。 下村博文は「子供は政治家の金儲けの道具、ベネッセの金儲けの道具」というのが露骨です。)                    政治権力は人間としての尊厳を失った人を容易にコントロールできます。「教師と生徒」「生徒と生徒」は互いに尊敬をもって接する。(娘の学校の「学校での行動指針」1ページ目に書いてありました)大人が会社でカメラを取り付けられたら抗議する。大人にしてはいけないことを子供にしていいのか。子供は犬じゃない。学校は収容所じゃない。 大阪府箕面市教育委員会は、教育委員会の各部屋にカメラ5台ずつ設置してみたらいかがですか。それがどういうことかお分かりになりますでしょうから。まるで収容所のようではないですか。 文科省も、各部屋にビデオカメラ5台ずつ設置したらいかがですか。それがどういうことかお分かりになるでしょうから。体を点と線で結んで何分前を向いていたから仕事に集中しているか解析できますか? そういう問題ではないでしょう? なんだったら、文部科学省だけでなく、経済産業省厚生労働省国土交通省など、すべての省庁の各部屋に5台ずつカメラを設置して、コニカミノルタに前を向いている時間を解析してもらって国民に毎週レポートしてもらいますか? まるで監視されている刑務所の中のようではないですか。 それで、どれだけまじめに働いているかわかりますか? 省庁だけでなく首相官邸にも各部屋に5台のカメラを設置してもらって、コニカミノルタに解析してもらい、どれだけちゃんと仕事をしているか国民に毎週レポートしてもらいますか? そうすれば、それが、「互いに尊敬をもって接する人間社会」のあり方として決して健全な形ではないと文部科学省にもわかるでしょう。 文科省は根本的に言っていることとやっていることが合致しない。カメラを入れた目的は若手教師の育成ではないです。研究授業後、授業内容改善についてのアドバイスもない研究授業などありえません。 機械のデータだけもらって、教師が育成できますか? 公にされている目的を達成するにはどれも手段がおかしい。 大阪府箕面市の小学校での実験の本当の目的は何なのですか?子供を5台ものカメラで撮影することを国の役所が考えるなど恐ろしいです。文科省にはもはや教育などできない。GIGAスクール構想だってコンピュータを買いそろえればいいと思っている。2019年12月9日に発表された萩生田文部科学大臣の「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性をはぐくむ学び」というメッセージは「どの子もその学力に合わせて学べる」ある意味バラ色の学習環境を国民に期待させた。でも「個別最適化された教育」って何をすればいいのか文部科学省にはわからない。国民は萩生田文部科学大臣に騙された。失敗が確定しそうだからといって、今から当初の目的をすり替えて逃げ道を作らないでください。 そういうことにばっかり頭を使うのでなく、良い教育をするためにもっと頭を使ってください。そうでなければ子供たちがかわいそうです。 政府の失敗を後から失敗でないように見せようとする人って、こういうしょうもない仕事ばっかりするの。 一目で、嘘だとばれるような事ばっかりするの。もう少し、まともな仕事ができないのでしょうか。 成績優秀でもすぐ嘘だとばれるような仕事をしていたら使えないです。 新井氏はAIに仕事を奪われないためには読解力といって、教科書の読解力があれば偏差値の高い学校に入れるといってたけど、(私はこれは嘘だと証明しました)偏差値の高い学校に行っても、こういう穴だらけの仕事をしていたら、使えません。  偏差値が高くても志(こころざし)が低いと仕事はぼろぼろ。何の役にも立たない。   虐待されたり、騙されたり、この国の子供達は本当にかわいそうです。でもまだGIGAスクール構想が成功する道は残っているんですよ。 子供を指導する教師の数を2倍にすればいいんです。 日本中の学校に一人一台コンピュータを揃えるくらいお金を使ったのですから、よい教師を養成して数を増やすためにもそのくらいのお金は使えるでしょう? 今現場では教師不足が深刻なようです。 良い教育をするためにも、先生一人に生徒40人では多すぎます。 それともコンピュータ業者には莫大なお金を払うけど、納税者の子供のためにはびた一文お金は使わないということですか? 大量のコンピュータを業者から買う前に、よい教師を育成して教師の数を増やしたらどうですか。政府が使うお金は国民が納めた税金です。 政治家のポケットマネーじゃありません。納税者が納めた税金を納税者の子供のためにはびた一文使わず、コンピュータだったら大量に買うんですか。 今、学校に一番必要なのは十分な数の教師です。 教師不足が深刻なのに、なぜ、政府は良い教師を育成して、教師の数を増やすための努力をしないのですか。  政府は税金使って、一体誰のための仕事をしているんですか。税金は政治家のポケットマネーじゃありませんよ。業者のコンピュータは大量に買い上げるのに、納税者の子供達は虐待して、情報取って、見守る教師を増やすためにはびた一文予算は使わない。 ひどいと思いませんか。        政治家がしたいようにコンピュータを買って、学校を騙す詐欺師を表彰して、子供を虐待して、子供を見守れる教師の不足は徹底的に無視して何もやらない。政府の文部行政は、政治家が儲かること以外は何も真剣にとりくまない。     だから、まともな英語教育もできない。 音声学も英語教育法も知らない人間に英語教育などできるわけがない。機械に発音を判定させたって、通じる発音にはなりません。自分のしゃべる言葉も自分の耳で判断できるように教育しないで、何が英語教育だ。いつまで日本人を通じない発音で話させているんだ。 やり方が間違っているのです。 10年も前から自分の耳を使って習得しなければだめだと言ってるでしょう。 だから自分で発音習得したことのない人間に英語教育などできないんです。文部科学省児童虐待省 「教育」はどうやるのかも知らない。子ども家庭庁だって、いかにも子供を大事にしているようなことを言っているけど、本当は子供を金儲けの道具にして、業者を儲けさせたいだけでしょう。あるいは、大阪府箕面市の例のように、子供を見守るとか言って、本当は同意なく個人情報を収集する口実を作りたいだけでしょう。 そんなに子供が大事だったら、なぜ子供の一番近くで見守りをする教師を増やさない? なぜ良い教師を育成することに本気で取り組まない? なぜ教師育成のために一切予算を使わない?  教師不足は徹底的に無視しているじゃないか。政府は30人学級の予算だって却下したじゃないか。 それで何が、子供のための政策だ。 何が子ども家庭庁だ。 情報や機器をそろえることでは教育も子供の見守りもできないのです。デジタル庁の時もGIGAスクール構想の時も指摘したでしょう。 「教育は規模が大きくなればなるほど劣化する」と私はこちらのブログ2022年1月26日記載部分で述べました。 教育だけでなく子供の見守りもそうです。子供のそばでいつも話し見守る人(教師)がいなければ子供が困っていることや悩んでいることにも気づけない。大阪府箕面市の先生がおっしゃっていました。 顔に傷がふえていないか、お風呂に入っていないのではないか、そんなことはそばにいる人間でなければ気づけないでしょう。     子ども家庭庁の見守りシステム(また個人情報を強制的に取るんですか)をいくら宣伝したって、良い教師を育成し増やさない限り、政府が本気で子供を大事にするつもりがないことは丸見えです。 現に文部科学省は今、大阪府箕面市の小学校で児童虐待をやっているではないですか。児童の基本的人権を奪っているではないですか。 政府は子供を見たら、金儲けの道具にするか、同意なく個人情報をだまし取るか、それしか考えない。どんなに立派な理由を言おうと、本心は、それしか考えていない。 

5月16日こちらのブログに加筆。政府の激しい妨害の為ツイッターで拡散をお願い致します。文部科学省教育委員会による児童虐待 

          文部科学省

       日本版「1984年」計画は

        すでに始まっている。

1984年」とはなにか: 「1984年」とはイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「Nineteen Eighty-Four」のこと。 全体主義の国家で行動も思想も国家に監視、統制されて生きる人間の悲劇を描いている。 例えば市民の各家には当局と双方向で映像や音声が送られる大きなスクリーンが設置され、ほぼすべての行動を当局に監視されている。






東京都教育委員新井紀子の詐欺に最も”貢献”しているのは東洋経済新報社。(発行部数より)詐欺は犯罪です。 (新井紀子氏はお金を払ってこのリーディングスキルテストを購入した学校に損害賠償をしなくていいのですか? アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースの形を問うのは読解力を科学的に測るテストではありません。偽りの効果をうたって物を売るのは詐欺です。教育委員が学校を騙していいんですか。(犯罪は当事者が訴えなくても警察が動く案件です。)東洋経済新報社(社長駒橋憲一)はこの犯罪の主力です。人を騙して本を売る東洋経済新報社に正確な経済データが提供できるのか。詐欺(犯罪)をしながら信頼される仕事ができるのか。新井氏はバックに政治家もいるし、ベネッセから潤沢な”研究費”ももらえるし、これだけマスコミを動員すれば、絶対嘘だとばれないと思ったのでしょうね。 駒橋社長も絶対ばれない、と思っていたのでしょうね。だから今、「まずいことになった」と思って、 いろんな人にブログを書かせて誰も反対できない部分だけ強調して「詐欺ではない」と言い張ろうとしている。このアマゾンのページに書いてある大掛かりなマスコミ動員(たくさんのテレビ・ラジオ番組(NHK、民放)、数々の新聞、週刊誌、ビジネス誌、月刊誌、女性誌、インターネット、書籍に与えられる多数の賞)を見たら、誰だって、絶対嘘だとばれないと思ったでしょう。本の帯には「読解力がない人間は仕事を奪われる」と大きく書いてある。でも新井氏は生徒に教科書を読ませたデータは一つも取っていない。ただ自分が「教科書の読解力を測るテストだ」と言い張るテストをさせただけです。中には生徒を罠にはめる問題もある。データがないから詐欺だといったのです。そうしたら政府から妨害を受けたのだからこの本の作成には裏がある。駒橋社長もそれは十分承知でしょう。裏は「時の権力者(政治家)の金儲け」です。東洋経済新報社は詐欺をやるほど政治家と緊密な関係にいて、経済記事が政治家の思惑に影響されないと言い切れるのか。
新井氏は「騙すつもりはなかった」というかもしれない。本当にだますつもりがなかったら、不適切なテスト問題だとわかった時点で謝罪、訂正するのが教育者です。 なぜそれが出来ないのですか。 指摘を無視して間違いを押し通そうとするから、子供の読解力向上以外の目的がある、とわかるのです。 間違えた理由を聞かれた時、「子供をわざと間違えさせて読解力が落ちている、と騒いでこのテストを売る」それが最初からの目的だった、といえないからでしょう。「設問を科学的に作成する基準は何か」と聞かれても、何も答えられないからでしょう。テスト作成の意図が悪質です。 間違いを徹底的に無視して押し通す問題作成者など、教育界にはいません。         そして私が教師になったころは、先生方はああいう問題を見ると「ああ、引っかけ問題ね。教育には無意味」ってみんなすぐわかりました。 そういう問題を作る人は「教育者ではない」と軽蔑された。  本当に子供たちの読解力向上を願うプロジェクトだったら国立情報学研究所はなぜ国語教育を全く学んだこともない新井氏に読解力の仕事をさせたのですか。(これについてはこちらのブログの最初の黒字部分(少し大きい字で書いてあります2022/1/23 22:53と書いてある所です)に喜連川氏に指摘しています) 新井氏が東京大学の入試問題をロボットに解かせるプロジェクトを行ったからですか? でもロボットの読解問題の解き方(?)は、恐ろしいほどばかばかしい解き方です。 脳を持つ人間の教育には何の参考にもなりません。 このすぐ下の青字の部分にロボットの読解問題の解き方(?)が書いてありますのでお読みください。 だますつもりがあろうとなかろうと、事実でない効果をうたってテストを売れば詐欺になります。詐欺は「騙すつもりはなかった」と言えば無罪になる犯罪ではありません。  それは私が松本茂教授、吉田研作教授に言ったことと同じです。 だますつもりがあろうとなかろうと「英語で授業」は子供たちの発音をぼろぼろにし、意味も分からない言葉で授業をするのですから、子供たちの英語力を上げる効果はない。 それなのに、「英語で授業」が子供たちの英語力を上げると主張し、学校教育で実行させ損害を与えた(税金を使わせ、先生方の時間を使わせ、生徒への効果もない)のだから松本茂教授、吉田研作教授のしたことは詐欺だと私は指摘しました。だますつもりがあろうとなかろうと、事実ではない効果(嘘)を謳い、国や国民に損害を与えたのですから、松本茂教授、吉田研作教授のしたことは詐欺です。 吉田研作教授は有識者会議の座長としてこれだけ高校生を犠牲にしておいて責任も取らず、今は公益財団法人日本英語検定協会会長ですから。せめて「英語で授業」を高校でするのは間違いであった、ときちんと認めてからにしていただきたかったと思います。 保身のため、間違いも認めず逃げ出して、誤った英語教育をさせてしまった高校生を見殺しにする。 吉田研作教授のために日本中の高校生が犠牲になったのですよ。なぜ間違いを正して、犠牲になった高校生に対して責任をとらないのですか。吉田研作教授は身勝手で無責任です。高校生に対して何ら責任を取らず、知らんぷりして公益財団法人日本英語検定協会会長に逃げた。逃げる前に高校生に対してきちんと間違いを認めて英語教育を正してください。日本中の高校生を犠牲にしたのですよ。知らんぷりしていていいはずはないでしょう。吉田研作教授は高校生を見殺しにして自分さえ、公益財団法人日本英語検定協会会長におさまっていればいいんですか。   吉田研作教授は「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と朝日新聞デジタル(2019年11月18日)で高校の先生方を非難していました。 本当は「英語で授業」の方針が間違っているのに、高校の先生方に謝罪もしないし、英語教育を正しい形に直す措置も行わない。 自分が傷つきたくないから何もしないで逃げている。 松本茂教授も同じです。朝日新聞の記者にメールまでして、高校の先生方を非難する記事を書かせていました。 2015年頃は、有識者会議の委員安河内哲也氏も「英語で授業」を提唱していました。 石渡誠氏のブログで安河内哲也氏が「日本各地で英語で授業を広めるために尽力されている」と読みました。(今はその部分は削除されています) 3人とも日本の英語教育をぼろぼろにしておいて、自分が傷つきたくないから、正すこともせず、知らん顔して逃げている。           誤った方針のまま授業を受けさせられて、卒業していった子供たちのことを考えたことはないのですか。もう、取り戻してやれないのですよ。 子供なんかたくさんいるから多少の犠牲はしょうがない、とでも思っているのですか。 松本茂教授、吉田研作教授、安河内哲也氏の「我が身可愛さ」のために日本のこどもたちは正しい英語教育もいまだに受けられないのですよ。日本の英語教育の間違いを直し、日本の英語教育を正しいものに変えてください。 それが間違った英語教育を提唱してきた松本茂教授、吉田研作教授、安河内哲也氏、3人の責任でしょう。  スピーキングは他の3技能とは違います。 ほかの3技能が頭の活動だけで完結するとしたら、スピーキングは頭の活動だけではなく筋肉の練習も含みます。 つまり体育の「さかあがり」をできるようにするのと同じ種類の練習がいる技能です。 自分の口の筋肉を使って英語の音が出せるようにしてやらないと、スピーキング教育にならないのです。 通じる発音にならないのです。 私はすでに英語教育を修了した大人の発音について何も言うことはありません。 これから学校で学ぶ生徒にはきちんと通じる発音で話せるようにしてあげるのがスピーキング教育だといっているのです。 もちろん、これには日本語の子音の言い方とは根本的に違う英語本来の子音で話せるようにする指導も含みます。(こちらのブログを参照してください。) そういう正しいスピーキングを学校で教えることなく、「英語で授業」をやっても子供たちの発音がぼろぼろになるだけです。 今までの日本人と同じ通じにくい発音で話すだけです。最悪の場合は通じません。  留学した方々の中に、日本人の英語が通じにくい、という事実を知らない方が多いのは、「学校では、だれだれの英語は~~だ、ということは言ってはいけない」という教育が小さいころから徹底されているからでしょう。(こちらのブログの終わりの方に小さい赤い字で、娘の学校の話として10行ほど書いてあります) でも、通じない発音でしゃべらせていては教育の意味がありません。 コミュニケーションの第一歩はまず、通じることだからです。  生徒に勝手にしゃべらせるのはスピーキング教育ではありません。 きちんと通じる英語で話せる英語教育を学校でするよう日本の英語教育を変えてください。 それは「生徒に勝手にしゃべらせる間違った英語教育」を提唱してきた吉田研作氏、松本茂、安河内哲也氏の責任です。


新井氏が作ったアミラーゼの問題を見た時、私はこう思いました。「新井氏は”書いてある文字や言葉をベタに取り込んで機械処理するロボット”と思考力を働かせて「何が重要か」を考えながら読んでいく人間の脳の違いを忘れてしまったのかしら」    人間とロボットの違いを忘れた人に教育は出来ません。教育が育てるのはロボットにはない人間の「思考力」だからです。 参考までに彼女の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の92ページに書いてある東ロボの読解問題の解き方を引用しておきます。 「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。」 以上引用。 これでロボットを東大に合格させて何か子供の読解指導に役立つ意味がありますか。 2016年8月21日の東京新聞で新井氏は「(子供たちは)内容や意味を理解すれば正解にたどり着くはずだが、それができず、AIと似た誤答を選んでいるように見える」とコメントして、新聞には「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっています。 冗談じゃないです。人間はロボットと違って文字の数を数えるのも大変です。 そんなことやってるわけないでしょう。子供たちが間違えたのは新井氏が間違えさせるように問題を作ったからです。 人間がアミラーゼについて書いた文を読んだら、アミラーゼに関する情報をつかむのが大事だと思考力を働かせて読んでいくのです。 そこでセルロースとデンプンの形を聞くんですから、間違える子が出るに決まっているでしょう。 思考力を働かせて読んでいる子供達にフェイントをかけているのは新井さんの方でしょう。セルロースとデンプンの形の違いを子供たちに学んでほしいなら、それを説明した文を教育者は読ませるべきです。  人間は何が重要なのかも考えずに字数で処理するロボットとは頭の中身が違うんです。新井さんにはロボットと人間の脳の違いもわかりませんか。「何が重要かを考えながら文を読む」これこそが人間の脳にしかできないことなのです。 新井さんが作ったこの問題は「何が重要かを判断して文を読む」人間にしかない思考力を否定するものです。  そういう人に教育は出来ません。 なぜなら、教育が育てるのはロボットにはない思考力だからです。 私は今回新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。 毎日「生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。







中学1年生の時、地理の教科書で瀬戸内海の塩田のことを習いました。 その日、学校から帰ってきた私は台所で、買ってきたばかりの食卓塩のびんを見ました。 「このお塩は水に解けてその水を蒸発させると塩ができてくるのね。」そう思った私は家にあった一番大きな中華鍋にびんの食塩を全部入れて、水を入れて溶かしました。 ガスコンロの上に中華鍋を置いて塩が出てくるのをずっと待っていました。  でも、塩は最初のような白いきれいな結晶ではなくて、鉄製の中華鍋で焦げた茶色の塩が出てきました。 白い塩が出来上がってビンに戻せばいいと思っていた私は「あ~、失敗しちゃった。。。。」 そこへ外出していた母が帰ってきたので、自分のしたことを全部話して「ごめんなさい」と謝りました。 母は何も言いませんでした。

教科書の瀬戸内海の塩田の説明はとても面白かったの。 おんなじことしてみたかった。  人間には塩ができてくるところを見たいという好奇心もあるし、今、目の前にある塩のびんと瀬戸内海の塩田を結び付ける想像力もある。 (想像力がありすぎだったかもしれないけど)  人間の脳は機械みたいに決まった方法でデータ処理するものではない。 新しいことを読めば、どんどん連鎖する「化学反応」を引き起こすようなものなの。 今まで脳の中に蓄積されたことや今、目の前にあるものや、いろんな情報が結びついて中華鍋に食卓塩を溶かしてコンロにかけるような行動にも駆り立てる。 だから教育をすることによって子供は変わる。 今テレビでもいろんな面白い実験を見せて下さる先生方がいますね。きっとそういう先生方も子供たちの興味を引き出すのが上手な先生方でしょう。


子供の脳はロボットとは違います。  教育には「ロボットの持っていない部分」こそ重要です。 子供の「興味」「関心」「好奇心」「想像力」そういうものを内側から引き出して知識も学ばせながら育てていくのが教育の仕事です。 なぜなら、馬を水辺に連れて行っても水を飲むかどうかはわかりません。 子供に知識を与えてもそれを吸収したいと思うかどうかはわかりません。 それを「知識を吸収したい」と子供を変える手掛かりを持つのが子供の興味、関心、好奇心、想像力です。 それが千差万別だからいろいろな方面に子供が育っていく。 その結果、社会もいろいろな方面で発展していく。 「興味」「関心」「好奇心」「想像力」についてはロボットは全く参考になりません。 出てくる文字の回数で読解問題を解く処理も教育に関係ありません。 だから新井氏が教育にロボットの話を持ち出してくるのは私にはとても違和感があります。 生きている人間の教育にロボットの何が関係あるの?と思います。 子供は生きているんです。 生命のない機械とは全然違う。 新井氏が教育に「東ロボ」の話を持ち出してくると、「東ロボ」のプロジェクトも彼女の詐欺の一環だったの?と思ってしまいます。 






国立情報学研究所所長喜連川優と新井紀子は税金で国民を騙すテストを作りましたが謝罪もしません。喜連川優の「文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発」は嘘です。私は喜連川の嘘をこのブログで証明しました。嘘をついた科学者の「科学者としての生命」は終わりです。喜連川優は国立情報学研究所の所長を退くことです。 喜連川優/新井紀子の科学的なテストは子供を罠にはめるだけでした。


教科書の読解力があったら実力が付くわけではありません。 みんなもっともっといろいろな努力をしています。 大学だって読解力だけじゃ入れません。 高校3年生の冬休み、私の部屋には、大きな紙に書いた世界史(現代史)の年表が壁にも天井にも張り巡らしてありました。 現代史は冬休みの直前に授業が終わって勉強が間に合わなかったから。「教科書を読むだけでは何も自分の身につかない。そのあと勉強しなくては何も身につかない」「読解力があったら大学に入れるなんて嘘だ」って、受験生はみんな知っています。新井紀子氏はよくこういう嘘を平気でつきますね。 彼女のテストの問題は重箱の隅を突っつくようなちまちましたことばかり。学校で学ぶ学問の本質にあんまり関係ない。だってもともと騙すために作ったテストだもの。「子供の読解力が落ちている」と騒いでベネッセが学校にテストを売り込めるようにするのが目的だもの。 間違えさせなきゃ読解力が落ちていると騒げないもの。「AIに負けないためには読解力」というのもベネッセが学校にテストを売れるように考えた「嘘」だもの。すべては新井/喜連川が仕組んだベネッセの為の自作自演の筋書きだもの。「読解力があれば大学に入れる」も嘘。「読解力があればAIに負けない」も嘘。 私の知り合いの高校生は夏休みの研究がアメリカの先生の目に留まって「うちの大学で航空宇宙工学を学びに来ないか」って言われてアメリカに行った。(こちらのブログ 青字部分)子供って読解力だけじゃない。いろんな成長の仕方があるの。いろんな好きなことがあって、いろんな可能性を持っている。 (私の好きなことは英語発音だった。 読解力とは全然関係ない。 昔、発音なんかやったって、なんのお金にもならなかった。でも好きだからずっとやっていた。 40年発音練習をしたら、日本の音声学の専門家が誰も聞き取れない日本人の英語発音が通じない理由を聞き取れるようになった。 (私は私立文系に行きました。 今も、文系の仕事で、インターネットで、日本人の英語が通じない理由を皆さんに説明しています。 でもネット上で公開していますので一銭の利益にもなりません。 それでも私はこちらの記事(「9割が教科書が読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路)で新井氏が言っているような、稼げない哀れな末路を今生きているとは思いません。(新井氏の視点ですと、私立文系と反対の国立理系の方は豊かな人生なのですか? 学校の教育者はそういう視点で子供を見ません。)いろいろな生き方があります。日本人の発音が通じない理由をお伝えすることは英語学習者の役に立つことだと思っています。私はそれでいいと思っています。(ついでに言いますと、「私立文系しか行けない子供たちの末路」などと「あなたはダメな子」とレッテルを貼る教育者に子供が心を開くことはありません。 だからこういう教育者が私立文系に行く子供が内に持っている能力や可能性を見ることはできません。それにしても、自分のテストを売るためとはいえ、新井氏は子供に対して、随分ひどい言い方をしますね。(2022年10月28日、今日偶然この2021年1月15日のプレジデントオンラインの記事を見て驚きました。 私が2021年8月に見た時の文章が書き変えられています。あのひどい新井教授推奨「家でできる子供の読解力をアップする方法」も書き変えられています。 私がひどいといったところはみんな書き変えたのですか? 知らないうちにこういうことをして新井氏は本当にいつも汚いやり方をするのですね。)しかも言い方が非常に差別的です。     こんな風に子供を見ている新井氏が教育者とは私にはとても思えません。私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。 子供の成長を暖かく見守る気持ちがみじんも感じられません。新井さんは教育者には向きません。 神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりになりません。新井氏は子供の命を軽視している。私はそれが一番嫌だった。  (私はクリスチャンではないですけれど、20代の頃から現在もカール・ヒルティの著作が愛読書です。 だから神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりにならない、と思っています。) いろんな子供が自分の中に持っているいろんな能力を発揮していけばいいと思います。だから、社会はいろんな面で発展していける。  上に書いた高校生の航空宇宙工学も読解力とは関係ない。  新井/喜連川さん、「読解力がない人間は仕事を奪われる」って、ベネッセのテストを売るために作った嘘です。 中学生に一人も教科書を読ませてデータも取っていないのにそんなこと言えないでしょう。読解力を科学的に測るテストといって宣伝しているけれど、それだって、子供を罠にはめてわざと間違えさせるテスト問題です。   このアメリカに行った高校生の子は、3年くらいたった時に、妹にこう言ったそうです。「今の時代、日本になんかいたらだめだ。お前もアメリカに来い。」日本人の私としてはちょっと残念ですけど、生き生きと将来の希望をもって勉強するその子の姿が目に見えるようでした。)  子供にこんなちまちましたテストばっかりやらせてたら駄目よ。下村とベネッセは新井紀子喜連川優みたいな人間を使って金儲けの為に日本の子供たちの能力をだめにするようなことばっかりやっている。 このページを見ると、新井/喜連川氏はせっかくみんなをうまくだましていたのに私、ぶち壊してしまいましたね。せっかくテレビ局や書籍に与えられる賞(ビジネス書大賞2019 大賞、第27回 山本七平賞、第39回 石橋湛山賞、第27回 大川出版賞、第66回 日本エッセイスト・クラブ賞、ビジネスリーダー1万人が選ぶベストビジネス書 TOPPOINT大賞 2018年上半期、日本の人事部 HRアワード2018 書籍部門 優秀賞)の選考委員も新井/喜連川氏はうまく騙していたのに。テレビやラジオや新聞など、マスコミでもたくさん取り上げられていますね。★「林先生が驚く初耳学! 」TBSテレビ 2018月4月1日★TBSテレビ「サンデーモーニング」 2019年5月5日★TBSテレビ「報道特集」 2019年2月9日★NHKスペシャル「マネー・ワールド」 2018年10月7日★BSフジLIVE「PRIME NEWS」 2018年7月2日★日本テレビZIP!」2018年4月18日★TBSテレビ「上田晋也のサタデージャーナル」2018年4月14日★TBSテレビ「王様のブランチ」 2018年3月17日★ラジオ TBSラジオ伊集院光とらじおと/NHKラジオ第一・Nらじ ほか★新聞 日経/朝日/読売/毎日/産経/東京/北海道/高知 ほか★週刊誌 週刊文春/週刊現代/AERA ほか★ビジネス誌 週刊ダイヤモンド/プレジデント/週刊エコノミスト/週刊東洋経済 ほか★月刊誌 文藝春秋/正論/Voice ほか★女性誌 女性セブン/婦人公論/anan/VERY ほか★ネット ほぼ日刊イトイ新聞/ニューズウィーク日本版オンライン/東洋経済オンライン ほか。  これを見ると新井氏の詐欺は「特殊詐欺」の犯罪の中の「劇場型詐欺」など比べ物にならないくらい大掛かりな詐欺だったのですね。 本当の劇場に国民全部を入れて取り巻く世界全部を嘘で固めたような詐欺だったのですね。 言葉本来の意味で「劇場型詐欺」ですね。 テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、ビジネス誌、月刊誌、女性誌、インターネット、など、マスコミ関係ほぼ全領域に渡ってだましていたんですね。 これだけのメディアで顔色一つ変えずに嘘をついて、国民を騙(だま)す新井紀子には教育者としての良心はありません。「教育者としての良心」は人間としての良心でもあります。 これは国立情報学研究所所長喜連川優も同じことです。

教科書の執筆者はアミラーゼの説明文を書いて子供たちにセルロースとデンプンの形の違いを学んでほしかったのですか? それが「教科書の読解力」ですか? 新井紀子は読解力が何かすらわからない。 私はこの「アミラーゼの問題」を読んだ瞬間「新井紀子は偽物(にせもの)だ」とすぐにわかりました。新井紀子は子供の読解力向上など願ってはいない。子供の読解力向上を本当に願う先生はこんな問題は作らない。 この人は自分のテストを売りたいだけ。子供を使って金儲けしたいだけ。  初めてこの問題を見たのは2016年8月。知人がこの問題が載った新聞記事を教えてくれた。当時私は新井紀子氏を知らなかった。でも、こういうテスト問題を作って騒ぐ教師に非常に怒りを感じた。 その時のことは、このブログを2/3程スクロールした所、中世の騎士の鎧の絵が【一つだけ】貼ってあるところに書いてあります)    私が新井さんのいうことは嘘だと証明したら(このブログ、アメリカのハイスクールのExtra Help の箇所を参照してください)今度は新井/喜連川さんは、また新しいテスト(リテラシ―のテスト)を作って売り込みにかかったくらいだから、よっぽどベネッセのために学校に売り込めるテスト作りたかったのね。一回でやめてくれたら、私は新井さんのことを詐欺師とまで言わなかった。 でも、とめなかったらこの人どこまでも子供を食い物にすると思った。子供を食い物にするなんて邪悪以外の何物でもないと思った。 だから「新井氏は詐欺の実行犯だ」って言ったの。いくら何でも「犯罪だ」っていわれたら、やめてくれると思った。子供を金儲けの道具にばっかり使っていると、子供は「夢見る力」もなくしてしまうよ。(下のオレンジ部分に書いてあります。そうするとね、「希望」もなくしてしまうの) 教科書の執筆者は、大事なことは子供たちがよく理解できるように書きます。 子供を罠にはめるようなことはしません。 中学生に誰一人教科書を読ませてデータも取っていないのに、「教科書の読解力が人生を左右する」などといっている著者の本を東洋経済新報社はよく出版しますね。それとも東洋経済新報社は、最初から国民を騙す目的だったと知っていてこの詐欺に参加したのですか? 発行部数から言って国民を騙す詐欺に最も”貢献?”したのは東洋経済新報社です。  新井氏は「AIに負けないためには読解力が必要、その読解力は読書とは無関係、150字のテスト問題を読む読解力、教科書の読解力が人生を左右する」こう言いますけど、人間の人生は150字のテスト問題を読む読解力で決まるほど単純ではありません。 新井氏はもう少し人生を深くお考えになった方がよろしいのではないでしょうか。もともと国民を騙す為に作った理屈でしょうけど、あまりにもお粗末です。東大教授の喜連川氏もこの理屈で人を騙せると思ったのでしょうか。 東洋経済新報社の編集者はあの「アミラーゼの問題」を読んで何にも感じませんでしたか? 私は読んだ瞬間、怒りを抑えるのに大変でした。この問題見ただけで、新井氏が子供のことなんか何も考えていないってわかるでしょう? 子供にアミラーゼについて書いてある文を読ませてセルロースとデンプンの形を問うんですよ。 新井氏は読解力が何かも全然知らないってわかるでしょう? 新井氏は大学で国語教育を学んだことがないから国語教育は何にも知らないの。 あんまりいい言葉ではないけれど、「もぐり(潜り)」っていう言葉がある。 広辞苑によると「②法令の網をくぐること。許可を受けないでひそかにすること。無資格で行うこと。また、その人。」と書いてあります。 新井さんはまさに「もぐり(潜り)」の国語教師です。 だから、読解力は読書と関係ない。とかアミラーゼの文を読ませてセルロースの形を問うとかめちゃくちゃなことばっかりやっている。 「もぐり」の国語教師(新井紀子)のすることがあまりにもめちゃくちゃだから指摘しただけなのに、なんでそれで、私は「政府」からこんなにひどい妨害を受けるの? 最初に指摘したのは朝日小学生新聞に載った「燃える太陽」という文学的表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません。」という新井紀子の読解指導????だった。 あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りの後、あきれた。 こんな読解指導????がまかり通るなんて、日本はどうなってしまったのかと思った。それが、このブログをはじめてアップした今年の1月14日だった。(その時も政府からきつく妨害された。 でも「地道に読解力向上の為に尽くしてくださっている先生方を差し置いて、新井紀子みたいな人が読解力の権威ぶって間違った指導をするのは危険です。 ツイッターをお持ちの方は周りの方々にお伝えください」と書いたら、その直後、妨害されながらも、アクセス数ははっきりわかるほど上がりました。 協力してくださった方々がいらしたことがその時、とてもうれしかった。2008年から、松澤喜好氏と松原眞樹氏(KADOKAWA)に、盗作されたり、その隠ぺいをされたり、順位を下げられたり、中古の本を1円にされたり、毎日いろんなことされて、ひとりで我慢していますから、あの時、私をサポートしてくださる方がいたという嬉しさは今でも忘れられないです。協力してくださった方、ありがとうございます。amazon のこちらのページに行って、「中古1円より」をクリックしたら私の本は、
「◆◆◆裁断済◆◆◆ 各ページがバラバラで製本されていない状態ですのでご留意ください。」と書いてありました。 私はとても悲しい気持ちになりました。KADOKAWA松原眞樹氏は毎日毎日こういうことばっかり私にしてきます。この方は何とかならないのでしょうか。とてもまともな出版社の取締役とは思えません。KADOKAWAには夏野剛社長や角川歴彦会長など取締役の方がほかにもいらっしゃるのですから、松原眞樹氏を何とかしてください。取締役には他の取締役が適正に職務を行っているかを監督する義務があります(善管注意義務)。 夏野剛氏や角川歴彦氏は他の取締役が適正に職務を行うよう監視・監督をしてください。   松原眞樹氏は何年にもわたって、毎日毎日女性をいじめて楽しいですか。2008年松澤喜好氏の盗作に始まって、13年間もこんなことばかりされてきて、私はもう限界です 。 もう、私に何もしないで。) その後もずっと政府に妨害されてきました。今もそうです。 「朝日小学生新聞」の読解指導の間違いを指摘したら、政府からひどい妨害を受けるなんてありえないですね。だから私には下村/ベネッセ/新井紀子/喜連川優のからくりが見えてきました。 国会議員が「もぐり(潜り)」守ってどうするの? ベネッセの金儲けがだめになるから? 「もぐり(新井紀子)」の言うことなんか聞く必要ないの。言ってること、めちゃくちゃだもの。 「もぐり(新井紀子)」はどんなに権威ぶっても「もぐり」なの。読解力が何か、も知らないの。 アミラーゼだろうがセルロースだろうが子供に間違えさせればいいの。 目的はベネッセの金儲けだもの。
(新井さんは川合典子のブログは政府(下村博文)に徹底的に妨害させているから自分が詐欺をやっていると誰も知らないと思っているかもしれませんけれど、教育関係者はみんな新井さんの詐欺を知っている場合もあるんですよ。 先日ある大学の先生のツイッターを読んだとき、「ああ、新井さんというのはこういうことをする人。というのがもう先生方の共通の認識になっているんだ」と私は感じました。(それは新井さんが話題になっているツイッターではなかったんですけれど、だからこそもう言うまでもなく「新井さんってこういうことをする人」というのが前提になって語られていました。 新井さんは人を上手にだましていると思っているかもしれませんけれど、周りの方々はみんな新井さんが何をしているか、知っている場合もあります。 いくら下村博文の後ろ盾があるからといってあまり読者や先生方を馬鹿にしないほうがいいです。 きっとツイッターなどでほかの人々に伝えて下さった方々がいらしたからだろう、と私はとても感謝しています。新井さんは自分は立派な教育者の着物を着ていると人々に見えていると思っているかもしれませんが、先生方には新井さんは嘘でぼろぼろになった邪悪な着物を着ている「もぐり」の国語教師に見えている場合もありますから。)
 東洋経済新報社は バックに政治家もいるし、自社の本を嘘だと言う川合典子なんか無視して潰(つぶ)しますか?私、出版社にそういう事されるの初めてじゃないから著者も出版社もお金の為ならどんな悪い事でもするし、どんな嘘もつくって知っている。それなのに著者が「何も悪いことしてません」という顔して立派な事言うのも知っている。政府からもブログアクセス数もわからない程妨害されているし。だって文科省のモデル授業は発音ひどくて聞いてられない。生徒は誰も英語の発音で話してない。授業で教えないから。)

文学的文章と科学的文章の指導の違いも知らないほど本を読んでいない新井氏に「読解力」のテストを作らせたことが今回の下村/ベネッセの悪だくみが発覚した最大の原因でした。こちらの記事(2022年10月28日、今日偶然この記事を読んだら、私が2021年1月に見た記事の内容は書き変えられていました。私がひどいと言ったところは書き変えたようです)でも新井紀子が本を読んでいないことはすぐわかります。彼女の勧める語彙を強化する方法はひどくてとても読んでいられません。   8月29日 彼女のこちらの記事(上で述べた通り、記事の内容は私が「ひどい」と言ったものとは書き変えられています。書き変えられる前の記事を私はあの時プロの編集者に読んでもらいましたら、「いやはや、これはひどい」という書き出しでメールが送られてきました)の主張によると、もし私が今、高校生なら、私立文系しか行けなくて哀れな末路となるのですか。教育というのはそういう風に子供を見ることではありません。私立文系に行くから哀れな末路などと教育者は考えません。 私立文系に行くそれぞれの子の中にあるそれぞれの能力を引き出して育ててその子がよりよい人生を生きていくことを願って教育をします。)               もう何年も前になりますが、あの「川合メソッド」の原理を初めて認めて下さったアメリカ人の先生から「The Blue Sweater」という本を勧められて読みました。 アフリカやアジアの貧しい国の人たちが自立していける、つまり他者からの寄付に頼って生活するのではなく、その社会に必要な新しい仕事をビジネスとして成り立たせ、継続して生活費を得て女性たちが自立していける仕組みを作っている女性の書いた本でした。  今までその社会になかった新しい仕事の形を作り、人々の自立も支援する。それを行っている女性の書いた本でした。(新しい仕事、といっても最初は全く新しい仕事というわけではなく、道端で自分の焼いたパンを売っている女性がいたらそれをビジネスの形にしていく。つまりパンを焼く場所を作り何人かの女性が役割分担をしてパンを焼いたり、売りに出たりする。そのための援助とアドバイスをする。 資金はビジネスプランを作り、十分実行可能だと公的機関へ働きかけをしたり、寄付をする人がいたら、そういうビジネスのために使うよう協力と支援をしています。  後に女性だけでなくその国にいるすでに起業している男性たちに、きれいな水を供給する仕組みをビジネスとして成り立たせるアドバイスを行う、など、人々の自立のための支援をしている女性の書いた本でした。)     子供たちは様々な可能性を持っています。 今ある仕事をAIに取られる、などという観点からしか子供を見ないのは、彼らの新たな可能性を見ないで子供を教育することと同じです。 人間は機械とは違う。 今ないものを生み出す力を持っている。       9月7日「The Blue Sweater」を書いた女性は貧しい国の女性が自立できる社会を夢見て、夢を現実のものとしました。(まだ数は少ないプロジェクトですけれど) 人間には夢見る力があります。 そして夢を現実のものとする力もあります。  機械には夢見る力はありません。 新しいものを生み出す力もありません。それは人間だけが持つ能力です。 だからこそ社会も発展する。  彼女が夢見た貧しい国でも女性が自立してやっていける世界。  子供が病気で死なないことを願った人は予防接種を作ったのでしょう?  「AIに仕事を取られる」とか「AIに負けない子を育てる」とか言う言葉を聞くと私はいつも思うのです。機械に「これからこうなったらいいのに」と夢見る力はありません。   何も新しい「仕事」を作るばかりではありません。 新しい状況に合わせた考え方で人を救うこともあります。 私はニュージャージーにいた時、元国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんのお話を聞く機会がありました。 小さな会議室でごく少人数の日本人が集まりました。 その時は多分、夫の会社が会員である団体の主催だったと思いますが、この時は特別に配偶者も参加してよい、とのことでしたので、私も聞きに行きました。 私はもし緒方さんにお聞きすることができたら、「この時のことを聞きたいな」とずっと思っていたことがありました。 ボスニアヘルツェゴビナの事件の時のことでした。偶然、彼女のお話の中で私が聞きたいと思っていたことを彼女が話してくださいました。 そのお答えを聞いて「やっぱりすごい方だな」と思いました。  皆さんご存じの通り、緒方さんは国連難民高等弁務官だった時、難民の定義は「国境の外に出てきた人」となっていましたが、国境の中にいる人々を救うためにルールを変えてイラク国内のクルド難民の救済に踏み切りました。 人々を救うために、今までとは違うルールで行動しました。 「今ある仕事をAIに取られる」こんなことばかり考えて子供を教育するのでは、子供達が内に持っている能力や考え、可能性を引き出していくことはできない、と思います。

(学習のこととは離れてしまいますが、小さいころの子供の夢見る力にご興味がおありでしたら、どうぞこちらもお読みください。2011年7月20日のブログ「全く本を読まない息子に困りました。(完結編)」   帰国子女で日本語の文章がよく読めなかった息子に何とか本を読ませようと力づくで(?)本を好きにさせた(??)若かったころの私の体験です。「息子が日本語の本を読めないのは親の海外赴任のせいだ」という後ろめたさもあって、私も必死でした。私はそこでミヒャエル・エンデの本に出合いました。 エンデの言葉に子供の夢見る力の大切さを考えさせられました。「夢見る力」はただの空想ではありません。実際に人間に力を与えてくれるものです。 なぜならそれは「夢見る力」が「希望」と関係があるからだろう、と私はエンデの言葉を繰り返し考えているうちに思うようになりました。 あの悪いものばかりが出てきてしまったパンドラの箱の中にも最後に「希望」がいましたね。「希望」があるから、努力もして行ける。 エンデのことはシュタイナー教育を勉強していたときに子安美知子さんの本を読んで知っていましたが、彼の作品の中で、子供の夢見る力についての言葉を直接読んだのは初めてでした。 アメリカにいた時、知り合った旧東ドイツから来た女性が「エンデの『モモ』は東ドイツでは読んではいけない本(禁止図書)に指定されていた」といっていました。 こんな子供向けの本にまで禁止図書があるということに驚きました。 彼の考え方は体制には受け入れられないものだったのだろうか、と思いました。 『モモ』を読んでつまらなかったという人もいますけれど(感じ方は人それぞれですから)、私は『モモ』を読んで、いろいろ大事なことを教えてもらいました。今でも覚えているのは「効率が大事」「効率的に生きる」をアドバイスする男たちが、ある人の行動を分析して効率的にするために、「病人のお見舞いに行くのは時間の無駄だからやめなさい」というところです。そうやって効率的に生きて、何が残るのでしょうね。




私が「新井氏は中学生に教科書を読ませたデータを取っていない」とブログに書いた時、ある方が「彼女は悪いことをしても悪いと感じない人のようだから、あまりかかわらないほうがいい。」ととめて下さいました。それを聞いて私は彼女には倫理の面において未発達な部分があるのかな、と思いました。  その方が、下のインターネットのページを教えてくれました。 そのページを書かれた方も新井氏に対して「正しくない情報を流すことに悪気を感じない方という印象をより強くしました」とお書きになっていました。

1.https://mywarstory.tokyo/academic-fraud/ 新井紀子教授はプロフィールで学歴詐称をしている
2.https://mywarstory.tokyo/being-trusted-is/ 新井紀子教授のプロフィール上で学歴が修正されました。
新井氏が悪いことをしても悪いと感じないのは以前からそうだったようですね。  私は大学院のことはよくわかりませんが、修正後にも「博士」という肩書が書いてありますが、博士課程を修了していなくても「博士」という肩書は使えるのですか?  知人が私が新井氏とかかわることをとめたのは、新井氏がこんなに大々的に人を騙しても(本は東洋経済新報社)今も全く悪いと思っていないからでしょうね。「教科書の読解力が人生を左右する」は彼女が作った嘘です。 1.のブログの下の方に「以前にも新井紀子教授について書きましたが、」と書いてあったのでそちらにジャンプしてみました。 そこに新井氏の2017年10月25日のツイッターが載っていて、「あ、ちなみに、(プロジェクトで)私失敗したことないんで」と書いてありました。 でも今回の読解力のテストは文学的文章と科学的文章の指導の違いも分からないほど本を読んでいなかった新井紀子が最大の失敗の原因です。本を読んでいない新井紀子がベネッセ、下村博文のたくらみを白日の下にさらしてしまった。 「プロジェクトで失敗したことがない」どころか今まで出てくることがなかった喜連川優が悪だくみにかかわっていたことまで明るみに出してしまった。 これらの失敗の最大の原因は新井紀子が本を全然読んでいなかったことです。 しかし、彼らの目的が国民を騙すこと、つまり詐欺だったのですから失敗してよかったと思います。 詐欺は犯罪ですから。






7/12 私は新井紀子を「下村博文とベネッセの金儲けの為にデータまで捏造してテストを売る」と批判した。でもその批判は国立情報学研究所所長喜連川優にも向けられるべきだった。文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発すると表明し、新井紀子の「教育のための科学研究所」を作ったのは喜連川優だった。新井紀子制作の子供を罠にかけるだけのテストを「文章を正確に読む力を科学的に測るテスト」と偽って政治家の悪だくみに「科学的お墨付き」を与えた元締めは喜連川優だった。政治家のツイッターを見ると喜連川優と自民党政治家の繋がりは2016年にはできていた。喜連川優は政治家の金儲けの為に「国立情報学研究所」の名前を使い、「文章を正確に読む力」を科学的に測りもしないテストに「科学的お墨付き」を与えていた。「科学的」と称し人々を騙す科学者つまり喜連川優や新井紀子のような倫理を持たない科学者は社会にとって最も危険です。    新井紀子はデータも取っていないのに、「教科書の読解力が人生を左右する」と研究結果を捏造(ねつぞう)した。 喜連川優は子供を罠にかけるだけのテストを「読む力を科学的に測るテスト」と偽って発表した。 新井紀子喜連川優も「科学的」と人々を騙すただの詐欺の実行犯です。新井紀子喜連川優のような「倫理を持たない科学者」は社会にとって最も危険です。 自分で自分を守れない子供たちを犠牲にする悪だくみだとわかっているのに、こんなニュースリリースを出す喜連川優は悪魔に魂を売った男です。 悪魔の言う通りに悪事をしている。

(上に引用したプレジデントオンラインの記事新井紀子氏は「語彙力を磨くために一番におすすめしたいのは、時代劇と朝の連続テレビ小説大河ドラマを親子で見ることです」と書いていますが(これを読んだ時「新井紀子は国語教育も学んでいないで適当なことを言わないで」と思いました。この部分の記事は私の指摘の後、書き換えられています)、私は「受身的に聞く時と、能動的に読む時の脳の活動には非常に大きな差がある」と体験したことがあります。 日本語での活動ではわかりませんが、英語で行った時、それを知りました。やはり言語活動のレベルを上げるためには書物を読むことが不可欠だと実感しました。(新井氏が提示するような150字程度の細切れの文ではその言語による思考活動は鍛えていけません。 どんなに難しいたった一つの文を読んでも思考活動は鍛えていけません。その理由はおそらく「前の文で言われた内容を保持し次の文で言われた内容と関連付けて理解をする。その全体を保持しながら次の文の内容を理解して関連付けて保持する。 それを一定の文の量で行える」という能力が思考力と関係しているからでしょう。これについては2017年2月4日の「英語の思考活動」のブログを参照してください。子供たちのEARTH SCIENCE や HISTORY の宿題を手伝いながらわかったことが書いてあります。新井氏が150字くらいの短文にこだわるのはそれならテスト問題に使えるからでしょう。彼女の目的は学校教育に持ち込むベネッセのテストを作ることですから。) 書物を読むことの重要性は下のブログに書いてあります。今日のブログとは趣旨がずれますので、興味がおありでしたら、お読みください。「まるで家庭内別居のようだ」と夫に言われながら毎日140ページくらい英語の本を読んでいたときの頭の変化について書いてあります。 
2013年6月3日のブログ  なぜ、英語の本を読むことが英語で考えることに効果があるのか。「意味を成す英文を頭の中に構築する能力」)

ここから元の話に戻ります。

 

上にあげた「アミラーゼの問題」は、このブログを2/3くらい下がった所、この絵が一つだけ貼ってある下の部分に書いてあります。 喜連川氏が作った「教育のための科学研究所」で新井氏が作った子供を罠にかけるだけのテスト問題です。新井紀子の本「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の204ページに掲載されています。(出版社は東洋経済新報社です)生徒の読解力向上を目指して指導している先生は決してこういう「生徒を罠にかけるような問題」は作りません。 子供を金儲けの道具として、子供たちのまともに思考する力を阻害するようなテストを作る新井紀子喜連川優は子供の人権を侵害しています。子供は大人のお金儲けの道具ではありません。新井紀子は人をだましてテストを売ったことを謝罪する誠意もありません。新井紀子は教育に口を出す資格はありません。 

私は学者、研究者の皆さんに申し上げたいのですが、下村博文の悪だくみに乗ると、最後は新井紀子喜連川優のように自分が犯罪人(詐欺の実行犯)となりますので、ご自身の良心に従って学究を行われることをお勧め致します。政治家は知らぬ存ぜぬで逃げ切ります。 けれども実行犯は、生徒を罠にかけるテストなどの証拠が残った場合は逃げ切ることはできませんので、ご注意ください。

(6月24日)「実行犯」という言葉は調べても見つからなかったので、使いませんでしたが、広辞苑に「実行」②[法〕犯罪構成要件の実現に向けられた行為。と書かれていましたので、このブログの題名に使いました。(私は子供達が食い物にされない為なら(事実は)何でも書きます)

日本数学会教育委員長新井紀子氏が国語教育で詐欺をしました。 団体名,役職名,実施した調査名等を使って人を信用させ犯罪(詐欺)を犯した場合その団体を「除名」になるのが社会の常識です。それとも日本数学会もご存じだったのでしょうか。(その場合詐欺の共犯になってしまいますから、もしも、知っていた方がいらしたのなら問題ですね。)なぜ私がそのようにお聞きしたかというと実施された日本数学会の大学生数学基本調査は、全体が5題でその中の一つが奇数と偶数の問題でした。新井氏はその誤答をみて学生の読解力に疑問を持ったと書いています。(「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)174ページから)また175ページに「各大学の各学科を、ベネッセによる分野分類、そして偏差値によるクラスに分けて分析したのです。」と書かれていました。 彼女の犯罪(詐欺)が今から10年前、2011年に日本数学会が行った大学生数学基本調査から始まっていたので、お聞きいたしました。無関係でしたら、読み流してください。私自身は偏差値との関係で教育を見るのは受験産業のすることだと思っています。   新井氏は非常に悪質です。10年前から犯罪を計画し、今年3月、私(川合典子)が「教科書の読解力が人生を左右する」は嘘だと証明し、「新井紀子は生徒に教科書など一人も読ませていない」と指摘して、彼女の詐欺を見破ったにもかかわらず、新井紀子は詐欺をしたことを謝罪することもなく、今度はまた、新しいテスト(リテラシーのテスト)を作って売り込みにかかるなど極めて悪質です。 新井紀子は自分が詐欺をしたことを反省する良心さえない。自分の犯した犯罪(詐欺)に人々の注意が行かないよう話題を変えて逃げ切ることしか考えていない。きわめて悪質です。  私は新井氏に二度とテストの売り込みをしてほしくありません。子供たちのためにならないからです。私が新井氏の詐欺を見破った時、彼女がそこでやめてくれていたら私はここまで書くことはしませんでした。
政府はやりたい放題私のブログを妨害するのはやめて下さい。私は昨年2月から、政府から「どれだけ妨害すればあきらめるか実験するモルモット」のような扱いを受けてきました。けれども政府にはモルモットのように見えても私は一応人間ですので、怒りは感じます。非常に感じています。ただ、それを抑えて、必要なことのみ書くように努力してきただけです。新井氏は私に何か書かれるたびに政府(下村さん?)に泣きつかないでください。即座に非常にきつい妨害が始まります。午後3時でもアクセス数が(1)にされるほどひどい妨害を受けています。これは英語民間試験やeポートフォリオについて書いた時よりもっとひどい妨害です。 政府にはなぜか民間試験やeポートフォリオより、新井氏を守ることの方がずっと大事なようです。政府は新井氏を片時も離れず守って新井氏も私に何か書かれるたびに政府にすがりつく。新井氏と政府のこの固い結びつきはなぜなのでしょう。新井氏の作るテストは政府・文部科学省とは関係ないはずですよね。(同じ”人間”なのに、新井氏の方は片時も離れず守って、川合典子の方は息の根が止まるまで妨害して葬り去ろうとするのですから世の中は理不尽ですね。政府が特定の国民に対してそのような権利の侵害を行うのは、憲法違反です(しかも税金を使って)。 政府は川合典子に対して違法な妨害を行っています。)     自分で対処できないのなら新井氏は犯罪(詐欺)など犯さないことです。新井氏は犯罪(詐欺)を犯してしまったのですから自分で責任を取ってください。「教科書の読解力が人生を左右する」と嘘(うそ)を提唱したのは日本数学会教育委員長新井紀子氏ご自身ですから。 新井氏は「日本数学会」という名称や「教育委員長」という役職や「大学生数学基本調査」という調査名で人々を信用させて、犯罪(詐欺)を犯しました。日本数学会はそれに対して、何の処分も行わないのですか。 それとも、日本数学会は全部承知のうえで、人々を信用させるために「日本数学会」の名前を新井紀子の詐欺に使わせていたのですか。6/1




2021年6月5日

新井紀子氏の問題とは全く関係ないことですが、昨日気づいたことですのでこちらに書かせていただきます。

石渡誠氏の2015年5月7日のブログについて

私は2015年5月の半ばに家で、家族が就寝した後、洗面所で倒れました。 20分くらい気を失っていました。 気が付いたときは午前2時でした。 なぜそうなったかといえばその一週間くらい前にこちらの石渡誠氏の2015年5月7日の「日本の将来を担って」というブログを読んだからです。  その中で石渡誠氏が英語で授業が行われることになって非常に良いことだと書いていました。  そして最後の方に英語の有識者会議の委員安河内哲也氏が「英語で授業を広めるために尽力されている」という趣旨の文章が書かれていました。そして、そこには机に向かって座っていらっしゃる安河内哲也氏「おひとりの写真」も掲載されていました。 

昨日見たら、その部分は削除され、机に向かって座っていらっしゃる安河内哲也氏「おひとりの写真」も削除され、「英語で授業」が始まってよいことだ、という石渡誠氏の文章もありませんでした。

私はこの石渡氏のブログにリンクをつけて引用し、「間違った指導法を日本中の子供たちにしようとしている人たちに激しい怒りを感じ、夜もよく眠れない日々が続いた。 そして一週間後に家の洗面所で倒れて気を失った。」と2,3のブログに書きました。 でも石渡氏のブログのその部分を削除されてしまったら、私がなんでそんなに激しい怒りを感じたのかわからなくなってしまいます。 頭を打って、先生から「4日目が峠です」といわれるほど具合が悪かったから、当時の松本茂立教大学教授にも、「命がけで英語で授業に反対してきた私の問いに答えてください。」といって、松本氏に朝日新聞に掲載された通りに彼のモデル授業を行ってください、とお願いしました。(こちらのブログ) でも、石渡氏がその部分をブログから削除してしまったら、なぜ私がそれほど激しい怒りを感じたのか読んでいる人にはわかりません。

以前、石渡氏は自分のブログをそのままにしてURLだけ変えて私のブログからのリンクではつながらないようにしたこともあります(その事実は私の最近のどこかのブログに書いてあります)。 石渡氏はまた自分のブログのフレームのトップから自分の英語学校の名前を消して真っ白なフレームでブログを書いていた時期もあります。 こういうことをされると読者は私の書いていることを理解できない場合があります(それが狙いなのでしょうけれど)。 石渡氏は「英語で授業」が間違っているとわかっているなら、潔く認めたらどうですか。 石渡氏の英語学校でやっている「英語で授業」「学校内オールイングリッシュ」は間違いだと認めたらどうですか。間違いを認めず、こそこそブログの中身を変えるようなことはおやめください。 自分が30年以上提唱してきた松本亨氏の「英語で考える指導法」は間違いだったときちんと認めたらどうですか。またそのブログの2,3年前から動画で「英語で考える指導法は素晴らしい」とほめそやしていた石渡氏の英語学校の先生方も、生徒に間違った指導をしたことに対して何の責任も取らないのですか。生徒に対して非常に誠意のない教師だと思います。 学校ぐるみで生徒を騙し、間違った教育をしているとわかった途端、知らんぷりする、というのは大変悪質な英語学校です。

私は石渡氏のブログを見て、怒りで何日もよく眠れなくて、倒れて、頭を打って、先生から「4日目が峠です」といわれるほど具合が悪くなり、その後一か月間、脈拍も正常に戻らないほど体調が悪かったのですから、石渡氏のブログに書いてあった内容を忘れるはずないでしょう。 石渡氏自身が内容を書き変えるということは石渡氏は自分の主張が間違っていることを知っているわけでしょう。でしたら、生徒にうそをつき通すのはおやめください。自分が提唱してきた「英語で授業」「英語で考える指導法」は間違っていた、と正式に認めてください。 「英語で授業」を提唱し、日本中の高校にやらせようとしていた安河内哲也氏の記事や写真をひそかに削除するようなことはおやめください。 私は有識者会議の委員安河内哲也氏が「英語で授業」を日本中の高校でやらせようとしていることを石渡氏のブログで知って、激しい怒りがこみあげて、あの時、夜も眠れず、倒れることになったのですから、安河内哲也氏が「英語で授業」を日本中に広めようとしたことを忘れるはずないでしょう。
余談ですが、「英語で授業」を提唱した教師に4技能の指導は出来ません。 「英語で授業」を提唱する教師は生徒のカタカナ発音と英語の発音の区別が出来ません。 また、正しい発音の習得の仕方も知りませんのでスピーキング指導をする能力はありません。 したがって「英語で授業」を提唱した教師に4技能の指導は出来ません。 できるのはスピーキングを除く「3技能」の指導だけです。(厳密にいえば、「英語で授業」を提唱する教師は英語発音とカタカナ発音の区別がつかない、つまり、正確な英語発音を習得していないわけですから、本当の意味でリスニングの指導もできません。)

私自身、過去のブログの重複した部分や本題と関係ない部分を削除することはありますが、根本的な主張を黙って削除して変えることはありません。

2022年1月20日 休養している間にいくつかの自分のブログを読み直しましたら、リンク先の記事がNot Found (該当する記事がない)になっているものがいくつかありました。 石渡誠氏関連のものでした。 わかるものは調べて付け替えましたが、石渡氏は本当にすることが汚い、と思いました。 石渡氏はたくさんの立派な人の英語スピーチを真似してきたようですけれど、真似したのは、形だけですね。 スピーチをした人の真実は、学ばなかったようですね。自分の教師人生すべてで松本亨氏の勘違いから生まれた「英語で考える指導法」を教えてきて、間違いだと指摘されても嘘を押し通す。 石渡さんの教師人生は最初から最後まで、世の中と生徒を騙すことに費やされました。 一生嘘を提唱する教師ですね。 









ここから元の「新井紀子氏」の内容に戻ります。

5/21こちらのビデオ14分36秒の所新井紀子氏は中学生に教科書も読ませていないのに「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に合格していることがわかってしまったのです。」と述べています。これは新井紀子=詐欺 の証拠ビデオです。 新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)174ページによると新井氏は日本数学会の教育委員長だそうですが、日本数学会の教育委員長が国語教育に手を出して詐欺やっていていいんですか。詐欺は犯罪です。刑法で刑罰が決められている犯罪です。新井氏は(本の174ページから184ページで)「2011年日本数学会の教育委員長として「大学生数学基本調査」を率いた、その結果を見て学生の基本的な読解力に疑問を持ち始めた」と述べて、この詐欺を行っています。 日本数学会というのは会員がそこでの活動や肩書を出して人を信用させ、そういうことをするのを奨励しているのですか。 私はこの部分を読んだとき、彼女が学生の読解力に疑問を持ったという奇数と偶数の問題を見て「これは純粋に数学の問題でしょう。なんでこの問題の誤答を見て学生の読解力の問題だと思うの?本当にこれがリーディングスキルテストを作った動機なの?と思いました。(ですから、この本もビデオも、最初から人をだましてリーディングスキルテストを売るために作ったのだろうと思いました。 なぜならつじつまの合わないことばっかりだから。) 私は彼女の動機はおかしいと思いました。それについてはこのブログを2/3くらい下がったところに詳しく書いてあります。 私は新井紀子氏は人を信用させるために日本数学会の「大学生数学基本調査」の名前を持ち出したにすぎないと思いました。 つまり自分の詐欺を信用させるために日本数学会の「大学生数学基本調査」と「教育委員長」という肩書を利用したということです。   普通、団体の名前を犯罪に使うような、名誉を著しく傷つけた人間はその団体を除名になります。 団体の名前やその団体での自分の役職を犯罪(詐欺)に利用するような行為は当然処分の対象になります。新井紀子氏の行為は日本数学会の規約に明らかに違反しているのではないですか。 新井紀子氏は日本数学会の名前や役職を犯罪(詐欺)に使っても下村博文の政治権力で守ってもらうつもりですか。政府は片時も離れず新井紀子氏を守っているという印象があります。まるで政府と新井紀子氏は一心同体のようです。  私に何か書かれると新井氏はすぐ政府(下村さん?)に泣きつくようですけれど(そのたびに私は即刻妨害を受けます)、自分で対処できないのでしたら、新井紀子氏は犯罪(詐欺)など犯さないことです。犯罪(詐欺)を犯したのは新井紀子氏ご自身の責任でしょう。 一度詐欺を見破られたのに、またテストを売ろうとするから私はやめてほしくてこういうことを書いています。 新井氏が子供たちに悪いことさえしなかったら私は何も書きません。実際、新井氏の詐欺を見破った時も「もう終わりです」と書いただけでした。それでやめてくれていたら何も言わなかったのに、またテストを作って売り込んだりするから私はもうやめてもらいたいのでこういうことを書いています。)  詐欺を働いて子供を食い物にする新井紀子氏に教育に口を出す資格はない。最初の詐欺を見破られたから次は違うテストを作って売り込むなど新井氏は反省も謝罪もしない極悪詐欺師です。教育関係者を馬鹿にしている。子供を食い物にするところが、いかにも極悪詐欺師です。詐欺をしたことに反省も謝罪もなく再度子供を食い物にして金儲けしようとするなど厚顔無恥も甚だしい。 そんなことが許されるわけないでしょう。日本の国語教育に詐欺師はいらない。詐欺師の作ったテストもいらない。数学者の極悪詐欺師ならなおさらいらない。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。 (詐欺は犯罪ですから) 詐欺は信頼を基盤とする教育界で許されることではありません。詐欺をした人にやってもらう教育の仕事などありません。 新井氏がテストを作る目的は子供の読解力向上ではない。子供を罠にかける「アミラーゼ」の問題を見ればわかる。純粋に子供たちの読解力を心配しているのではないのですからテストを作るのはおやめください。(前回、詐欺を見破られなかったら「教科書の読解力が人生を左右する」と、ずっと先生方を騙して、自分のテストを学校で使わせようとしていたのですよね。 ホームページにこんなビデオを載せて、本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)を書いて、アマゾンでこんなに宣伝してまで、「教科書の読解力が人生を左右する」と詐欺をしていたんですよね。このアマゾンのページを見ると、新井紀子氏の詐欺の手口は驚くべきものですね。 まるで各方面から複数の人を動員した「劇場型詐欺」のようです。 そうやって「教科書の読解力が人生を左右する」と間違った主張を徹底的に信じ込ませる。 非常に悪質です。 自分のテストを売るために最初から人を騙す目的で本を書くなど、極めて悪質です。 「詐欺がばれたから今度は違うテストを作る」そんな安易なやり方で先生方を騙すのはお止め下さい。厚顔無恥も甚だしい。 新井氏はばれなければ詐欺(犯罪)さえ平気でするんですね。 新井氏は詐欺だと見破られなかったら今でも「教科書の読解力が人生を左右する」と先生方を騙し続けていたでしょう。 教育の現場で詐欺をした時点で新井紀子氏は教育に口を出す資格を失っています。今後教育に口を出すことはできません。もしまた新井紀子氏が教育に口を出すようでしたら、「日本の国語教育に詐欺師はいらない」「詐欺師の作ったテストもいらない」日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。と言って、出て行っていただきましょう。 しかも数学者の新井紀子氏は国語教育指導は「無免許運転」です。 自分の犯した詐欺に反省も謝罪もせず、知らんぷりして教育に口出しするなどありえません。 教育は信頼で成り立つ仕事です。 詐欺をして知らんぷりしている人にやってもらう教育の仕事などありません。 新井氏にやってもらう教育の仕事などありません。詐欺は犯罪です。   新井紀子氏(数学者)の読解指導は、国語教育を冒涜(ぼうとく)するほどひどい。それが私が新井紀子氏の詐欺に気づく始まりでした。 彼女の読解指導はまるでピエロです。(「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」こんな読解指導、生きているうちに見るとは思わなかった。馬鹿馬鹿しすぎる。下村博文氏だって一応教育をやっていたのなら、新井氏の読解指導がどれほどひどいかわかるでしょう。)  日本の国語教育に「ピエロで詐欺師」はいらない。詐欺師の作ったテストもいらない。数学者の極悪詐欺師ならなおさらいらない。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。   新井氏は自分はうまく人々を騙していると思っているでしょうが、「教科書の読解力が人生を左右する」が詐欺だった、と今では多くの人が知っています。 それなのに、いまだに「読解力の権威」ぶっても仕方ないでしょう。新井氏が持ってくるような細切れの文ばっかりやっていたら子供達の思考力など育ちません。そんなことばっかりやっていたら子供たちはグローバルな社会で勝てません。日本数学会教育委員長が国語教育にまで入ってきて詐欺をしないでください。  彼女の読解指導が「おかしい」と声を上げて下さった方がいらしたので、私も新井氏の詐欺に気づくことができました。ありがとうございました。去年の2月からブログアクセスが一桁になるほどの妨害をずっと受けてきました。 なるべくそのことは考えないで、教育に重要なことのみ書こうと努めてきましたけれど、昨日はもう限界でした。 偶然、衛星放送でこの曲を聞きました。(若い方はご存じないでしょうね。) 聞きながら、私も時空を超えてどこかへ逃げていきたいと思いました。「もう何もされたくない」と思いました。 
私はこういうテストにだまされないように、本当のことを先生方に知っていただきたいと思っていますが、政府の妨害がきつくて、先生方に知っていただけないのが残念です。 アクセス数(1)では何の検索にも出てこないでしょうから。 協力していただける方は、ツイッターなどで教育関係者の方々にお伝えいただけるとありがたいです。  (人のブログをアクセス数(1)にするなど、政府(下村博文)も新井紀子氏も随分汚いことをするのですね。3月25日にアメリカの高校のExtra Helpの時間を引用して新井氏の「教科書の読解力が人生を左右する」がうそだと証明したあと私はもう新井氏に何を言うつもりもありませんでした。(実際に、何も言いませんでした。) 夫からも「(松本茂教授のことを書いたときに)典子は事実を提示するだけで十分だ」といわれていましたし。 休養していました 知人から「新井紀子の化けの皮をはがしましたね。」といわれましたけれど、そんなつもりはありませんでした。その人は新井氏の読解指導に「とんでもない」と怒っていましたから、彼女は最初から新井紀子は胡散臭い人物だと思っていたのでしょう。新井紀子氏は詐欺の実行犯だったのですから無理もないですけど。(その上、新井氏がこれだけ派手にやっていたのでますますその人には「化けの皮がはがれた」という印象になったのでしょう。 私はそういうつもりはありませんでした。 それに化けの皮がはがれても新井氏は次のテストを作って売り込んでいるくらいですから、化けの皮がついていようとはがれていようと新井氏はやることはやるのでしょう。) 私は事実と照らし合わせて違っていたから、「教科書の読解力が人生を左右する」はうそだと証明しただけです。  ところが、新井氏はそれでやめなかったようですね。 その上アクセス数を(1)にするような汚い手を使われるのでは私もたまりませんから。川合典子は一年以上も続く政府のやりたい放題の妨害になんとも感じていないわけではありませんから。 政府や新井紀子氏が私にこんなことをしなかったら、私もここまで書くことはしませんでした。 何も言わないから川合典子にはやりたい放題妨害していいわけではありませんから。いくら何でもアクセス数を(1)にするなどひどすぎるでしょう。   新井氏のことを書くとすぐに政府から妨害が始まりました。 新井氏と政府にはこんなに密接な関係があるのかと思うくらいすぐに妨害が始まりました。 それは鈴木寛教授のことを書いたときとは比べ物になりませんでした。 新井氏のことを書くとすぐに妨害は始まり、妨害の回数も頻繁でした。 まるで彼女から政府に連絡でも行くのかと錯覚するほどすぐに妨害が始まりました。なぜだか私にもわかりませんけど。  新井紀子氏は政府にとってそれほど大事な人なのだ、と思いました。(なぜ詐欺を働く人が政府にとってそんなに大事なのか知りませんけれど) だから「新井氏のしていることは詐欺だ」と書いた私のブログアクセス数も(1)にしたのでしょうね 。 私には新井氏が一度詐欺をしても少しも悪びれることなく次のテストを売り込めるのは、こうやっていつでも政府が守るとわかっているからのように見えました。私を妨害するなど裏の手段さえ駆使できる人間が自分を守るとわかっているから何も心配することなく詐欺もできたのだろうと思いました。 私に対する政府の素早く頻繁な妨害を見ながら、新井氏はまるで政府に言えば自分は何をやったって守ってもらえると思っているように、私には見えました。政府と新井氏の密接な関係に驚きました。ほかのどの大学教授のことを書いた時より素早く頻繁な妨害を政府から受けました。私にとっては妨害する政府(政治家)と新井紀子氏はまるで「一体」のようでした。「私に何か書かれると新井氏はすぐに政府(下村博文配下の人?)に泣きつくのだな。」と思うほど、素早く妨害が始まりました。あまりにも頻繁なので「他人に頼らないで少しは自分で考えたら?」と思いました。


私は子供たちを守ってやりたかった。 金儲けの道具にされる子供たちを守ってやりたかった。だから新井氏を詐欺師と呼び非難をしました。
鈴木寛教授のことをブログに書いていたとき、親友からこういわれました。
「典子、もう人の名前を挙げて非難するのはやめたら?」
「私がどうして人の名前を挙げて非難するか知っている?」
「ううん」
「私は自分の英語教育法を批判されたこともある。でも、一度も言い返したことはないよ。やってみればそれが本当に子供たちの発音や英語力を上げる方法だとわかるから。 私が名前を挙げて非難するのは子供に悪いことをする人だけ。 子供に悪いことをする人には私はこうするよ、って伝えているだけ。」
彼女はもう何も言いませんでした。 


5月24日 私はロボットの研究というのは社会に役立つ重要な研究だと思っています。 災害時、人が入れない危険なところにも入って調査や救助の助けをしたり、介護の現場で介護者の身体的な負担を軽減したり、非常に社会に役に立つ研究だと思っています。  けれども新井氏の前出の本で東ロボの国語の問題の解き方を読んだとき、私はロボットに東大の入試問題を解かせることに何の意味があるのだろう、と思いました。 コンピューターの研究をなさっている方にはその意義がお分かりになるのかもしれませんけれど、一般人の私にはわかりませんでした。 

そこに何と書いてあったかを引用させていただきます。(AI vs. 教科書が読めない子どもたち92ページ)
傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。    以上が引用です。

おそらく、こういうことが何の疑問もなくできる新井紀子氏には「中学、高校の子供たちに必要な読解力の指導とは何か」が理解できないだろうと思いました。 だからどんなに小さなことを教えるにも本物の国語の先生でなければだめなんだと思いました。 それが端的に表れているのが「読解力と読書は関係ない」という彼女の言葉です。(普通、読解力の指導にかかわったことのある先生は自分の作った読解力のテストの成績をもって「読解力と読書量は関係ない」とは言いません。 国語の先生方の前でそんなことを言ったら「そのテスト自体に信頼性がない」といっていることと同じだからです。読書量と関係ない読解力のテストってなんなの? と一蹴されるだけだからです。(そういう結果がでたら、自分のテストのやり方が間違っていると考えて作り直すでしょう) こういうところで、新井氏は国語教育のことは何にも知らないのに、金儲けのために無理して読解力のテストを作っている、ということがわかるのです。) 読書は国語力の基礎を作ります。 書く力もはぐくみます。(これは日本の先生方だけでなくアメリカの先生方も同意されると思います) 彼女の作ったテストの成績が読書量と無関係なら、それは本来の意味での国語の読解力をはかったテストではないからでしょう。(「アミラーゼ」の問題を見てもわかります) ましてや金儲けが動機では、もう口を出さないでいただくしかありません。そのために先生方を騙す詐欺までするのですから。 「イメージ同定」だのもっともらしい言葉を使って作り上げても、「教科書の読解力が人生を左右する」は全部嘘だったのです。 数学者として自信をお持ちなのは結構ですけれど、その調子で何にも知らない国語教育で金儲けしようなどと思わないことです。 「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」が象徴しているように国語教育で新井氏がしていることはピエロです。 国語は日本語だから簡単に金儲けができると思わないことです。学校教育に持ち込めるテストを作りたいのでしょうが、それを売るために詐欺までしなければならないのなら、そのテストはもともと学校教育にはいらないテストだ、ということです。新井紀子氏は一度詐欺をして見破られたのですから、もう教育への口出しはおやめください。






5/21今日は午後3時を過ぎてもアクセス数は(1)です。一桁(けた)ではなく(1)です。下村博文氏も新井紀子氏もここまで汚い手を使うのですか。 政府(下村博文)は私を葬ってしまえば、新井氏のテストを広められるから、私のブログなどどんな検索にも出てこないようにするつもりなのですね。  でも、「教科書の読解力が人生を左右する」と国民を騙して自分のテストを売ってきた新井紀子氏は十分詐欺でしょう。 詐欺を働いた新井紀子氏は教育に口を出す資格はありません。 詐欺は犯罪です。 新井紀子氏は詐欺という犯罪を犯したのですから教育に口を出す資格はありません。 下村博文が私を葬ってもこのブログを読んでくださった方は覚えていますから、事実を消すことはできません。 中学生に一人も教科書も読ませずに「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に合格していることがわかってしまったのです。」などといって自分のテストを売るのは十分詐欺でしょう。こちらのビデオの14分36秒のところでデータも取ってないのに、まるで驚くべきことが分かったというようにそう力説しているではないですか。 ツイッターをお持ちの方は周りの方々にこのことをお伝えください。 政府(下村博文)にアクセス数を(1)にされてしまっても私は何もできません。そうやって私を葬って、人々から事実を隠し、この先も新井紀子氏を「読解力の権威」としてテストの売り込みに使っていく気でしょう。







5/6 こちらのブログ下村博文の学校教育に対する基本理念が間違っていたことを加筆
学習指導要領の通り教育していたら子供たちは絶対に通じる発音で話せるようにはならない。CDを与えて正しく指導すると中学生はこういう発音でスピーキングをし始める。文科省全員、発音習得をしたことがない。だからスピーキング教育の方法も知らない。4/29「松本茂立教大学教授(2021年より東京国際大学教授)の提唱する授業(朝日新聞「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は)は高校生にはできない授業です。やったとしてもなんの効果もありません。」という題のこのブログは掲載直後から徹底的に妨害されて、どんな検索ワードで検索しても絶対に出てきませんでした。政府の英語教育政策は嘘(うそ)ばっかり。 子供たちの英語力を本当に上げる方法を情報操作で隠して、国民に知らせないようにしている。 だからいつも私のブログを妨害するのでしょう。
正しい英語発音も聞かせないで生徒がスピーキングなんかできるわけないでしょう。政府の言う通り英語教育をやっていたら、子供たちは絶対に通じる英語を話せるようにはなりません。私が大学生の時から「通じない日本人の英語を何とかしなければならない」といわれてきたのに戦後70年、全く進歩していないではないですか。政府が「生徒に勝手にしゃべらせる」のが英語教育だと思っているからです。「英語発音」というのは日本人にとっては今までしゃべったことのない音をしゃべる一つの技術です。技術というのは勝手にやってれば身につくものではないんです。 きちんと正しい音の出し方を教えて訓練しなければ身につかないものなのです。 政府は子供に音声モデルも与えないのですから通じる発音なんか習得できるわけないでしょう。生徒にCD(音声モデル)を与えない限り政府は何をやっても無駄です。政府は無駄なことばっかりやっている。「生徒に勝手に英語をしゃべらせる」のは全く無駄なスピーキング教育です。 (母音の区別も出来ない発音でしゃべらせたって無駄だと何回言ったらわかるんですか。発音習得をしたことのない人は、私が言うことが全然理解できないんですよね。下村氏は母音の区別も聞いてわからないのでしょう。だから英語教育に無知な人間は口を出すなと言っているんです。) 文部科学省学習指導要領「英語」に書かれているスピーキング教育は全く無駄なスピーキング教育です。通じない発音でしゃべらせているのですから英語が全く出来ないことと同じです。 やったって何の効果もありません。むしろカタカナ発音が定着しますからやらないほうがましです。いくら私のブログを妨害しても「文部科学省のスピーキング教育では絶対に子供たちが通じる発音で話せるようにならない」という事実は変わりません。 この先も私を妨害して文部科学省のやり方で、スピーキング教育を続けるのも結構ですけれど、この先何十年たっても日本人の英語が通じるようにならなかったとき、どうやって国民に釈明するんですか。誰が責任を取るのですか。 本当にスピーキング能力が向上する方法を知りながら何十年もやらなかったと知ったら、ほとんどすべての国民から非難の声が上がるのは必至でしょうね。 音声モデルも生徒に与えないまま70年スピーキング教育をしてきたって日本人の英語はほとんど通じるようにはなっていない。 政府は目の前にある事実をなぜ直視しない。この事実を見れば弁解の余地などないでしょう。 目の前に「音声モデルを与えなかった結果」がはっきりと表れているではありませんか。70年失敗してもまだわかりませんか。 自分の目を見開いて70年の音声モデルを与えなかった英語スピーキング教育の失敗をよく見てください。 この上さらに、音声モデルを与えないでどんな英語教育改革をやったって、全く無駄です。そんな改革10年しようと20年しようと全く無駄です。なぜそうやって国民を騙そうとする。 この期に及んでまで、音声モデルを与えない愚行を繰り返して、国民に何と釈明できますか。  肝心なことを国民に知らせないで、大学入試(東京都は高校入試も。採点はフィリピンでする)でスピーキングテストをしろという。政府は(というより下村博文は)国民を騙して業者を儲けさせる英語教育政策しか実施させない。 (ブログの中に「下村博文」という名前が出てくると、いつもの妨害がいっそうきつくなります。「7年前の出来事」のブログに赤い大きな字で下村博文議員のことを加筆したらただでさえ少ないアクセスが激減しました。)正しい英語教育をしたら多くの中学生がネイティブ発音で話すようになるのに(つまりその子たちが大きくなって、多くの日本人がネイティブ発音で話すようになるのに)本当に残念です。  下村博文は塾や会話学校を儲けさせるため教科書のCDも子供たちに与えない。 下村博文は学校教育を骨抜きにして塾や会話学校が儲かるように公教育を主導する。もし「それは違う」というのなら、なぜ生徒にCDも与えないのか。言われたくなかったら、私のブログを妨害なんかしてないで生徒にCDを与えればいいでしょう。それが出来ないのだからやっぱり下村博文は学校教育を骨抜きにしたいのでしょう。

*骨抜き:計画などの主要な部分を取り去って内容の乏しいものにすること(広辞苑

正しい教育を受けるのは子供の権利だ。 下村博文は金もうけのために子供の権利まではく奪するのか。

子供たちは全員、学校でこういう英語を話せるようにする教育を受ける権利がある。下村博文の金儲けのために子供たちの「正しい教育を受ける権利」をはく奪してはならない。 下村博文に英語教育は出来ない。「東大に民間試験をさせろ」とすごんでいた下村博文に英語教育は絶対に出来ない。

母音の区別もできないで英語をしゃべらせるのはスピーキング教育ではありません。ただの「英語ごっこ」です。  文部科学省は70年やってきた「英語ごっこ」を100年でもやるつもりですか。下村博文の意向に沿った「英語ごっこ」に100年も付き合わされる国民はたまらないですね。 文部科学省の提示するモデル授業は発音がひどくて聞いてられない。 こんなものを「英語」だと思っているから文部科学省は学習指導要領もまともに書けないのです。そういう教育を日本は70年もやってきたんですよ。 もうそれでは立ち行かない現実をなぜ文部科学省は直視しない。戦後70年もたっているのにテープもCDもなかった時代と同じ教育をしている。もう、そういう時代は終わったんです。文部科学省の英語教育は、文明の利器も使わず、縄文時代の教育をしているようなものです。発音がひどくて聞いてられない。  GIGAスクール構想とか、各校にパソコン設置だとか言っているのに、なぜCD一枚生徒に与えない? 文部科学省は教育の判断基準が業者の利益の判断基準にすり替わっている。本当に子供たちに通じる発音でスピーキングさせたいなら「縄文」英語教育などさっさと終わらせることです。音声モデルを与えない限り政府・文部科学省が何をやっても全く無駄です。100年無駄な英語教育をするんですか。国民に何と釈明するんですか。音声の教材が入手できなかった時代は仕方なかったけれど、今はもうそんな時代ではないんですよ。なぜ自分の国の子供たちに最良の英語教育をしてやらない? コストなんかCD1枚じゃないですか。



 

(4月13日) 私は「7年前の出来事に青字で加筆しました」とも書きませんでしたのに大変多くの方が読んで下さったようでありがとうございます。皆さんの鋭さに驚いています。(4月6日)発端となった事実を2015年12月19日のブログ「7年前の出来事」(「英語耳」松澤喜好氏によるアイデアの盗用とそれを隠ぺいするKADOKAWA/アスキーメディアワークス)に書きました。「盗作をした著者と出版社は被害者を葬るために妨害を続け、被害者はその苦しさに耐えられずに忘れようとする」それはおかしいと思いました。それでは盗作の被害者はどこまでも苦しめられるだけです。KADOKAWA(松原眞樹社長)と松澤氏の「邪魔な人間は消せばいい」というのは犯罪の中で最も身勝手な理由です。





(3月25日)赤字部分の最後にアメリカの高校のExtra Helpについてかきました。新井氏が主張する「教科書の読解力」では高校の学問は習得できないことを証明する事実です。

3/18 中学時代、私の中間(期末)試験の勉強の仕方を赤字で加筆しました。先生方のご指導の後、実力をつけるのは「教科書の読解力」ではありませんでした。教科書を読むことは私にとっては「勉強の始まり」でしかなかった。本格的な勉強は教科書を読んだ後始まりました。
3/1(1)子供たちは教科書を読むだけでは習ったことを身に着けられません。だから子供たちには学校が必要なのです。子供たちには先生方のご指導が必要なのです。(3/5)コロナのために学校が休校になって子供たちの学習に深刻な影響を与えていることを見れば教科書を読む読解力だけでは決して子供たちの学力は育たないことがわかります)先生方のご指導の重要性は文中下の絵が貼ってあるパートに書いてあります。(2月22日加筆ピンクの文字)

(2)本のようなまとまった文章を読むことによって、子供たちの書く力は育ちます。  まとまった文章を読むときに培った思考力が書くときに持ち込まれ、さらに発展します。 (文中水色の部分から始まるパートに書いてあります。)
私はアメリカで、小学生、中学生、高校生の教育を見てきました。生徒は「読むこと」も「書くこと」も日本とは桁違いに多い教育を受けています。 

つまり、思考力を育てる教育に多くの時間が費やされています。  コンピュータ(計算機)が持てない力、人間だけが持っている力は何か。  それは思考力です。  思考力は短い小間切れの文章を読んでいても身に付きません。

テストをさせることばかり導入しようとする下村博文氏のやり方は、どんどん日本の教育を劣化させ、日本の国力を低下させます。 テストではなく「教育の中身」を変える話し合いを文部科学省は現場の先生方を交えて行っていただきたいと思います。 (決定の過程で現場の先生の意見を聞かないと結局は「英語で授業」のように失敗します) 子供の実力をつけるのは授業です。 テストではなく授業です。 これに異論を唱える教育の専門家はいません。

このままでは、日本の子供たちは大きな後れを取ってしまうという強い危機感を私は持っています。 コンピュータが持てない力、人間だけが持つ力、「子供たちの思考力」を育てる授業を学校で充実させていただきたいと思います。

(私は今、自分の健康管理をする時間を持たなくては、と思っています)



政府による妨害が激しいのでツイッターをお持ちの方は拡散をお願い致します。  私の後ろには政治家も潤沢な資金を持つ業者もいません。 とても太刀打ち出来ません。新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については何のデータも取っていません。 研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示することに問題はないのですか。 新井紀子氏はこちらのビデオの14分36秒のところで「教科書がすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているとわかってしまったのです」と述べていますけれど、彼女は中学生に教科書など読ませていません。 ただの一人も読ませていません。「教科書がすらすら読める子」「教科書がほとんど読めない子」のデータなど全く取っていません。 データがない以上、新井紀子氏は結論を捏造(ねつぞう)したといわれても仕方がないでしょう。どのような分野であれ、データを取っていないことを研究結果として発表した研究者はその分野について発言する資格を失います。新井紀子氏も教育について発言する資格はありません。   あんまり、先生方、教育関係者をバカにしないことです。「彼らを騙(だま)すことなんかたやすい」と思っているのですか。 データも取っていない結論をビデオで強調したにも関わらず、それに対して誠意ある対応がなされていません。(新井氏はどうしても「教科書がすらすら読める」という言葉と自分のテストを結び付ける必要があったのでしょう。 彼女のテストの出典は教科書だけではありません。 辞書や新聞、オリジナルの問題もあるそうですから、教科書そのものではありません。設問も教科書が生徒に理解させようと意図したこととはかけ離れた設問もありました。このブログの中で指摘してあります「アミラーゼ」の問題です。ここから2/3ほどスクロールしたところに書いてあります。子供を罠にかけるようなひどい問題です)  新井氏は先生方、教育関係者に敬意を持っているのなら、結論を捏造した研究者としてきちんと謝罪をしてください。 すべては「教科書の文で作ったテストを広めて使わせるためだった」ことは明白です。  eポートフォリオの時も「学習に向かう主体性」「主体性」と不自然なくらいしつこく言っていた。 今回も不自然なくらい「読解力」「読解力」と騒いでいる。 そういう時は、本当の目的は違うところにあります。 しかも、「150字のテスト問題を読む読解力(彼女は教科書の読解力といっています)が人生を左右する」など、いくらテストを売り込むためでも、そこまでいい加減なことを言わないでください。 教育原理を教えて下さった伊勢田先生の凛とした声が壇上から聞こえてくるようです。「教育とはそういうものではありません。」



新井紀子氏の作成したリーディングスキルテストは、下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙す一大プロジェクトでした。  なぜ私にそのからくりがわかったのかは文中青字の部分(2月3日加筆部分)に書いてあります。eポートフォリオの時と同じだった。「おかしい」と思ったことを追っていったらそれがわかりました。  アマゾンのこのページにある彼女の書いた「AI vs. 教科書が読めない子供たち」の表紙にも「教科書が読めない」「読解力がない人間は仕事を奪われる」と大きく書いてありますが、これも、下村博文氏のたくらみ実現への布石ですか? アマゾンのこのページを見ると(2021年2月21日現在)「ベネッセは学校教育に導入できる可能性のあるテストを作るのに、お金に糸目をつけずにつぎ込んでいる」とわかります。(導入出来たら毎年回収できますから)これは下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者による国民を騙すための大プロジェクトだったのですね。 ベネッセは研究費(?)として新井氏にもお金に糸目をつけずにつぎ込んできたのでしょう。 だから彼女はこれまでにツイッターで人々が読み間違えそうな文書をいろいろ例に出しては「読解力」「読解力」といって、自分の作成したテストに人々の関心を引こうとしたのですね。 それが彼女が下村氏、ベネッセから請け負った仕事だったのですね。 だから下村氏は数学者の新井紀子氏を読解力の権威にしたいのでしょうね。それを私によってつぶされそうになったから、あんなに激しく私のブログを妨害したのでしょう。 でも逆に政府から妨害されたことによって、本当のからくりが見えてしまいました。  新井紀子氏も相当な研究費(?)をもらってきたのだから、ここでやめるわけにはいかないのでしょう。 彼女はツイッターで「読解力」「読解力」といい続けて下村氏とベネッセから請け負った仕事をせっせと実現しています。                 

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アマゾンの話が出たのでついでに書きますけれど。


私の本「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」のアマゾンのレビューについて。
2月21日20時現在、この本には4つのレビューが書いてあります。(総数は5と書いてありますが私もこの4つのレビューしか読んだことはありません) 星1つを付けた方はたった一人ですが、棒グラフでは52%の人が星1つを付けたとあらわされています。  評価は単純平均ではなく信頼性を検証して書かれているということですが、星1つを付けた方はたった2行しかレビューを書いていません。 他の方は3人ともとても詳しく書いてくださっています。  星1つ=52%というのが、アマゾンが信頼性を検証した結果なのですか?(棒グラフは、星5つ:2人28% 星3つ:1人20% 星1つ:1人52%   総合評価2.5となっています。)

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2月22日  中学高校時代 私にとっての教科書

中学高校時代、私にとっては、教科書の文章は読解力で理解するものではなく、それをもとに勉強するものでした。 

中学高校時代、私は「教科書の文章というのは、不思議な文章だ」といつも思っていました。 
勉強する前と勉強した後では同じ文を読んでいても頭の中に見えることが全然違うからでした。

教科書の文章は、大事なエッセンスだけが書いてあります。  細かいことは書いてありません。 そういうことは先生が説明してくださったり、自分で調べたたりしてわかってきます。 物理などは理解した後、実際に問題を計算したりしていくうちに、よりよく理解できるようになることもあります。 私の場合は、勉強していて疑問を持ったりすると、勉強部屋が同じだった姉によく聞きました。 姉は、絵にかいたり、私の知っている他の事にたとえたりして、よく教えてくれました。  そうすると、わからなかったことが「そういうことなのか」とわかってくることが多かったですね。

最初に教科書を読んだときには書いてある骨組みしかわからない。 まるで「樹木1本書いてある絵」にたとえれば、大きな幹(みき)しか書いていない絵のようなことしかわからない。  それが期末テストなどに向けて3週間くらい集中して勉強すると違ってきます。 歴史だったらおきた出来事どうしの関連や、そういう事件が引き起こされた社会状況、人々に浸透していた思想などを勉強して、そういういろいろな要素がつながってくると、同じ教科書を読んでも、今度は樹木の幹(みき)だけでなく、小さな枝や葉っぱも見えてきて完全な樹木の絵が自分の頭の中に浮かんでくるように、いろいろなことがわかるようになります。  読んでいる文章は勉強する前と同じ教科書の文章なのに、見えてくるものが勉強する前と勉強した後では全然違う。 教科書の文というのは不思議な文章だといつも思っていました。

私は教科書の文章は読解力で理解するものではなくて、それをもとに勉強する文章だと思っていました。  その例を自分の学校時代のことではもう思い出せないので、アメリカで子供の勉強を見た時のことでお話しようと思います。


下の絵は、娘が中学校で中世について学んだ時に授業で描いた中世の人々の着ていた洋服の塗り絵です。先生が、輪郭と洋服の説明を書いた言葉を配ってくださって、子供たちはそれがだれかを書き込み色を塗って、洋服の説明を貼り付けたようです。  



一番上の絵は中世の貴族(Nobles)の着ている服です。男性と女性がいます。 横に描いてあるのは長いスカートをはいているMerchant(商人)の女性の服です。
2番目は、Vassal(家臣), Knight(騎士)、横にはKingの絵もあります。
一番下は茶色の簡単な服を着たSerfs農奴(Peasants農民)が書いてあります。  こうやって先生は、子供たちになじみのない時代を少しでも印象深くなるよう塗り絵をさせて、生徒の頭の中に中世のイメージを入れていこうとしたのでしょう。 こうして教科書に書いてあることをより鮮明に子供たちに印象付けたのだと思います。


植物の細胞を習ったときは、その週末、娘は大きな紙に絵をかいていました。 「何をかいているの?」と聞いたら、「細胞の中にあるいろいろなものを町の中にあるものにたとえて描く、という宿題をしているの」といいました。  細胞膜は町を外敵から守る城壁、光合成をしてでんぷんを作る葉緑体は食べ物を作る工場、絵の中に道路が書いてあって、フェデックスのトラックが走っていたので「それは何?」と聞いたら、食べ物工場で作られた食べ物をみんなに運ぶ役割をするものを宅急便のトラックにたとえて描いたといっていました。 

細胞は顕微鏡を使わないと見えません。  普段目にしたことのないものがどういうメカニズムで働いているかを子供たちがよく知っている町の機能にたとえて理解させようとする先生の方針なのだと思いました。 教科書だけ読んでいるよりも、もっと身近に細胞の働きが理解できるようになるのでしょう。

変わったところでは、中学で初めて元素を学んだ時の宿題も面白かったです。 生徒は初めて化学の周期表(the periodic table)を学びました。 先生は周期表の元素一つ一つを子供たちに割り当てました。  そして、生徒はその元素になったつもりで詩を書いてくる、という宿題が出ました。  娘に割り当てられた元素は希ガスのキセノン(Xe)でした。  そのころはもう私が宿題を手伝うことはなかったので、娘は自分で詩を書きました。 出来た時ちょっと見せてもらいました。 もう20年近く前のことなので、忘れてしまいましたけれど、最後の行はこんな感じでした。

私を熱さないで。
私は消えてしまうから。

私は希ガス、キセノンの性質を知りませんので、これが正しいのかどうかわかりませんが、もし違っていたら、きっと先生が赤字で何かコメントをお書きになって直してくださったと思います。

高校で周期表を学んだ息子は学問的なことを徹底的に暗記していましたけれど、中学校で初めて元素について学ぶ生徒には、元素というのはどんなものなのか、それをまず、生徒になじませるのが、先生の目的だったのでしょう。  キセノンの性質を暗記するだけなら、少しの時間で済みますが、詩を書くとなると、キセノンの性質をずっと考えながら、詩の文を作るわけですから、何時間もキセノンの性質を頭の中で考えることになりますね。  その考える時間が化学の元素を生徒により身近に感じさせるようになると先生がお考えになったのだろうと思いました。 「元素と一緒にいる時間を持つ」というような意図があったのだろうと思いました。

私にとってこの宿題が印象的だったのは、キセノンのような化学の理解に「詩」という文学的な方法を先生がお使いになったことでした。

新しく習ったことを子供たちに理解させるために先生方はいろいろな手法をお使いになっていらっしゃるのだなあ、と思いました。 多分、教科書を読むだけでは子供たちになかなか理解、定着させられないとお分かりになっていたのだろうと思いました。 繰り返し考えたり、よく知っている概念と照らし合わせたり、絵をかいたりしながら、学んだ事項を深く子供たちに理解させていこうとなさっていたのだと思いました。 そうしないと、教科書を読むだけではなかなか子供たちに習ったことが理解、定着させられなかったからだと思います。

私にとっても教科書は、読んで理解するというよりはそれをもとに勉強するものでした。  勉強すると、最初は、大きな幹しか見えない樹木の絵が、小枝や葉っぱもつけた青々とした大きな樹木の絵になってくる。 そんな感じがして、私は教科書の文章は不思議な文章だと中学、高校時代はいつも思っていました。

読解力だけでは学んだことは身に着けられません。 日本の先生方もアメリカの先生方もそのことは十分ご存じだと思います。 

今日(3月5日)思い出したのですけれど、私の中学時代の数学の先生でみんなから「元(げん)さん」と呼ばれている先生がいました。  苗字は鈴木先生とか佐藤先生のような一般的な苗字なのですが、お名前の中に「元」という漢字が入っているので、みんなからは親しみを込めて「元さん」と呼ばれていました。(先生方も生徒のいない所では「元さん」とお呼びになっていたようでした。 時々職員室で聞いてしまいました) 元さんは、新しいことを教える時はいつも生徒に「教科書を伏せなさい」と言って、すべて黒板で説明してくれました。  私たちがすでに知っている数式から始めて、新しく習うことまでに導く数式を書いて説明してくれました。  みんなは「元さんの授業はすごくわかりやすい」と言っていました。  教科書を読んでもよくわからないようなことでも、黒板の数式に生徒の注意を集中させて説明をする元さんの授業はとても分かりやすかったです。  先生の指導力は生徒の理解をとても高めてくれました。

3月18日

ブログのどこかに「初めて現在完了を習ったときの授業」のことを書きましたけれど、先生の説明の仕方で生徒の理解は随分違ってきます。  そして先生のご指導の後は、生徒は自分で勉強することが必要になります。

中学時代、私は中間試験、期末試験の勉強を3期に分けてしていました。(私は、体が弱かったので、中学時代、よく39度くらいの熱を出しました(担任の先生に「知恵熱か?」と冗談で言われるほど熱を出しました)。  それで、いつ寝込んでもいいように、なんでも時間をかけて準備をするしかありませんでした。  体が弱いと自分ではどうしようもないときがあります。 一度、体育の時間に、たまたま先生がいないとき(球技か何かをしていた時だと思います。50年前ですから、のどかでした。)に倒れてしまって、女子みんなで私を保健室まで運んでくれたことがありました。 今だったら「倒れた人は動かしてはいけない」とか知識も普及していますから、そのままにして先生を呼びに行くのが正解なのでしょうけれど、あの時(50年前)はみんなが運んでくれました。) 第1期は、テスト範囲の教科書を読んで理解できないところを理解し、疑問に思うところを解決する時期です。 そういうところは自分で考えたり調べたり、姉に教えてもらったり、先生に質問しに行ったりして解決しました。(多分、この時もそうだったのだと思います。)    第1期は思ったより時間を取りました。 すべての科目が終わるまで一週間ではすまないこともよくありました。 新しく習うことですから、教科書が読めても、疑問に思うことやしっくり理解できないことはいくつもありました。(先生に質問に行くのですから教科書は何回も読んで自分でも考えました。 それでもわからないから先生にお聞きするのです。 教科書も読めないで、先生に質問に行くような生徒はいません。 つまり、教科書の読解力と学問の習得(子供にとって新しい概念を理解して自分の中になじませること)は別のことだということです。) それで時間がかかりました。

第2期は2通りの勉強の仕方をしました。  歴史や地理など覚えなければいけない科目は徹底的に暗記をしました。  最初から暗記をしてもだめでした。  やはり、第1期でよく理解した後で暗記しないと覚えられませんでした。 数学(高校の物理)などは、第1期で理解したことに基づいて計算問題などの問題集を解いていきました。 
第3期は仕上げの時期です。 試験範囲全部の問題集をやってみて、出来なかったところを最初から勉強し直しました。  テスト前日は教科書のテスト範囲すべてに目を通して終了しました。 これは姉から言われたことでした。  「どんなに出題されないだろうと思う箇所でも試験前には必ず全部の範囲に目を通しておきなさい。」といわれました。          第3期まで終えると上に書いたように教科書の文章を読んで完全な樹木の絵が見えてきます。  第1期に教科書を読んだときには、大きな幹しか見えなかったのに、不思議だな、といつも思っていました。私にとっては教科書を読むことは勉強の始まりにしかすぎませんでした。 本格的な勉強は教科書を読んだ後から始まりました。 新井紀子氏の「教科書を読む読解力が人生を左右する」というのは私には全く当てはまりませんでした。読んだだけで使えるようになる知識などありません。 

話の途中ですが、ここで、私が国家が行う学校教育についてどのように考えているか、お話したいと思います。


新井氏は教科書を読んでその内容を問うテストにこたえられる読解力が人生を左右すると考えているようですが、学校教育の目的は字面の理解以上のところにあります。

例えば三権分立について教科書に書いてあったとします。 その説明と、権力を3つに分けて独立させる理由等が教科書に書いてあります。 その教科書の文を読んでテストの問いに答えられればそれでいいのか。 私はそうは思いません。 教科書を読んで理解することは必要ですけれど、学校教育の本当の目的は、それよりもっと上にあります。 教科書を読んだだけでは、何も子供の心には残りません。 子供の血となり肉となる教育は出来ません。 学校では先生の説明やお話もあり、子供たちはいろいろな学習活動をします。

例えば、子供はこんな風に考えます。

権力を分散しなかった時はどうなるの? その例はあるの?
昔だったら専制君主制があった。 今は独裁国家がある。
そういう権力が集中した社会では人々はどんな暮らしをするのだろうか?
法律はどう決めるの(立法)? その独裁者が都合のいいように決める。
日々の暮らしはどうなるの(行政)? 独裁者が決めたように行われる。独裁者がしてはいけないといったことは出来ない。 どんなにやりたくても出来ない。
裁判はどうするの(司法)? 独裁者が気に入らないことをした人は「国家反逆罪」とか言って逮捕されて、最悪の場合は死刑になる。 それが怖いから人々は独裁者に何も言えない。

こういう社会の様子を子供自身が自分の頭で考えると、子供はそういう社会では人々は安心して暮らせない、とわかってくる。 一人の独裁者のいいように国が動かされると、そのほかの多くの人々は、独裁者の気に入らないことは出来ない。 おびえて暮らすことになる、とわかってくる。 だから、権力はそれぞれ独立して判断して行使されることが人々が安心して自分の幸せを求めて暮らすためには大事なんだと自分で考えるようになる。  すると、自分がこれから生きていく社会はどうあるべきか、を子供は少しずつでも意識するようになる。 人々が幸せに暮らせる社会はどういう社会なのかを考える素地がその年齢なりに出来てきます。

これが国家が行う学校教育です。 なぜなら、国家は学校教育を行うことによって、その国の未来を創る国民を育てているからです。 多くの国民が幸せに生きていける国を作るその担い手を学校教育によって育てているからです。 どういう国を作っていけば、みんなが幸せに暮らせるか、子供は子供なりに考えていきます。 これは何も文科系の科目ばかりに限ったことではありません。 高校時代「生物」を学ぶことによって生命の不思議さや尊さを学びました。 命の尊さはすべての人間の活動の基本です。  理科で天体を学んだ時、宇宙を研究する人たちが、なぜ「かけがえのない地球」というのかを教えてくれました。 現在のところ地球のような気候で人間の住める星はありません。 私は中学生の時、月の観察をして、夜、月を眺めた時、太陽と地球と月の位置の関係で、月が今こういう形に見えているんだ、と思ったとき、一瞬、畏怖のような感情に襲われました。 日々の生活では人間はその力でなんでもできそうな気がしますが、(私が若いころを過ごした時代の一時期、科学万能のような時代がありました。そのころだったのでしょう)もっともっと大きな力の中で生かされているにすぎないんだ、と肌で感じました。月を見ながら、本当に一瞬怖くなりました。

新井氏が言うように教科書を注意深く読んでテストの設問に間違いなくこたえて、高い偏差値を取っていい高校に行くことが国家が行う教育の目的ではありません。

学校教育は、この国の将来を作っていく子供たちを育てる教育です。
業者の金儲けしか頭にない人には学校教育は出来ません。(下村博文のように、公教育に業者を入れて金儲けしよう、などと考えている政治家が公教育を牛耳っている限り、日本の未来を担う子供たちを育てる学校教育は出来ません。だから政治は日本を国民が幸せに生きられる国にしたい、という高い理想を持った政治家が行わなければだめなのです。 総理大臣や文部科学大臣がそういう高い理想を持っていなかったら、日本を良い国にする教育などできません。 今の日本の教育は業者とつるんで金儲けをしようという下村博文がいいようにやっているだけではないですか。 総理大臣も一緒になってやっている。こちらは朝日新聞DIGITALに載った「教育再生実行会議担当室」が設置された時の下村氏と安倍総理の写真です。

私は気負ってこういうことを言っているわけではありません。 それは私が受けてきた教育がそういう教育だったからです。 先生方の授業の後ろに私はいつも「君たちにこういう大人になってほしい」という先生方の思いをおぼろげですけれど感じました。 私たちより先に生まれた先生方が次の時代を生きる私たちにこういう社会で生きてほしいと思っているのが、おぼろげながら何となくわかりました。 だから今もこんな風に考えるのでしょうね。


ここから元の話題に戻ります。




私は教科書を読むだけでは中間試験、期末試験で良い点数は取れませんでした。  従ってそれでは内申書の点数も取れませんから、教科書を読むだけでは志望高校に合格することはできませんでした。(何より、こうやって勉強しなければ高校入試の問題自体が解けません。) 少なくとも私に関しては「教科書を読む読解力(私はこの言葉に非常に抵抗があります。 私は教科書を読解力で読んだとは思っていないので。私にとって教科書の文章は読解するものではなく、それをもとに勉強するものでした。 教科書の執筆者だって読解力を駆使しなければ理解できないような文章で教科書は書かないでしょう。)」だけでは志望高校には合格できませんでした。

私はこちらのブログで学生時代に読んだソクラテスの言葉について書いていますが、古今東西、学問をする力を上げるのは本人がそれを欲して勉強する以外ないのではないですか。  新井氏の説はソクラテス以来の常識を覆すように見えますけれど、少なくとも私には当てはまりませんでした。  私は教科書を読む読解力だけでは志望高校に入学することはできませんでした。

私は「英語で授業」を提唱する人に「自分が英語を日本語に訳して理解した日々を忘れている」と指摘しましたが、読解力を上げれば偏差値の高い高校に入学できるというのは、自分が勉強した日々を忘れているのではないですか。  皆さん、暗記したり、問題集をやったり、たくさん勉強されたのではないですか? その勉強は教科書を読む読解力では置き換えられないものだったのではないですか。     入試のためには暗記しなければならない事項もありますし、問題集で解き方を身に着けておかなければならない問題もあります。 少し落ち着いて考えれば、新井氏がビデオで言うように「読解力だけで、偏差値の高い高校に合格するなどありえない」ということがすぐにわかります。 新井氏が自分のHPのビデオであげた「問題が読めない例」のようなことはあるかもしれませんけれど、そんなことは「学校で学ぶべき学問の本質ではない」。 「学校で生徒が学ぶべきことは何か」そこから考えていけば、新井氏の言っていることは学ぶべき本質ではない。 新井氏は国民を誘導したい方向に誘導するのに都合の良い材料を集めただけです。それが新井氏が下村博文とベネッセから請け負った仕事ですから。 新井氏は下村博文の計略の実行部隊として、「国民にその意図に気づかせず、テストを作って、広めて、学校教育に導入させる」それが仕事です。そういう理由があるから彼女は「教科書を読む読解力が人生を左右する」などと主張しているだけです。   教科書が読めたからといって新しい概念が理解できるわけではありません。(だから、理科の先生に質問にも行きました) また、たとえ理解できたからといってそれが自分の頭の中でいつでも使えるように定着するわけでもありません。  そうなるためには、理解した後、さらなる練習や勉強が必要でした。 教科書を読むことなんて、「勉強の始まり」でしかなかった。 教科書を読んだあとから、本格的な勉強が始まりました。  私の中学時代はそうでした。教科書の読解力が人生を左右なんかしませんでした。 勉強は読解力でするわけではないから。それなりの勉強の仕方がどの科目にもありました。  新井紀子氏は学校に自分の作ったテストを売り込む必要があるから「教科書の読解力」「教科書の読解力」と騒ぐのでしょう。 だけど、教科書が読めてもそのあと勉強しなければ何の学力もつかないですよ。      新井紀子氏は本当の動機が人々に分かってしまっても、今まで多額の「研究費?」をベネッセからもらってきたからやめるわけにはいかないのでしょう。 それで、知らんぷりして、下村博文とベネッセのために国民を騙し続けて、「読解力」「読解力」と騒ぐのでしょう。 

3月25日 アメリカの高校 Extra Helpの時間

ついでですから書きますけれど、息子が通ったアメリカの高校の時間割の中に「Extra Help」という時間がありました。 これは先生に質問がある生徒が質問に行ってよい時間です。その日の授業が終了した後、普通の授業の半分くらいの時間ですが、そういう時間が毎日とられていました。  つまり、新井氏の主張とは違って、「新しく学ぶことは、そのことについて授業を受けて教科書を読んだだけではよく理解できないことがある」と前提にして、学校側が時間割を組んでいたということです。 「教科書を読むだけで新しく教えられたことは理解できない場合がある」ということは先生方も学校側も当然のこととして認めていた、ということです。 新井氏の主張とは全く違う前提で時間割が組まれていたのです。 生徒にとって新しい概念を理解し自分の頭になじませるには教科書を読むだけでは出来ない場合がある。 洋の東西を問わず、先生方はそういうことをわかっていらしたのです。 学校での学問の習得において「読解力」ばかり強調する新井紀子氏のいうことは明らかに間違いです。これは自分のテストを売るために新井氏が作ったシナリオでしょう。 (お金の為とは言え、よくここまでして国民を騙そうとしますね)    「どういうテストを作れば学校教育に導入できるか?」  「教科書の読解力のテスト」といえば学校に導入できる」 そうやって考えた理屈だから、事実とは矛盾する理屈になってしまったのです。 テストを売り込むために考えた理屈だから新井氏の主張の根拠は間違っていたのです。 それにも関わらず、彼女の作ったテストの販売促進のためにはベネッセはお金に糸目をつけなかったのでしょう。(彼女の作ったテストが学校教育に導入されれば先行投資など毎年回収できますから) 教育関係者に彼女の作ったテストをさせるためには下村博文氏の力がものを言うのでしょう。(私のブログを妨害するとか下村氏は様々な手を使ってこのテストを広めようとしているのですね。 新井氏を読解力の権威にするために私のブログが邪魔だから妨害もしたのですよね。) まさに新井氏の作ったテストは下村博文氏、ベネッセ、新井紀子氏、3者プロデュース(制作)の国民を騙す大プロジェクトだったのですね。 ただ、新井氏の「教科書の読解力」主張の根拠が間違っていました。学校側も先生方も学校での学問の習得は読解力だけでは出来ないとお分かりになっていました。 彼女の主張は間違っていたのですから、もう終わりです。「教科書の読解力」が人生を左右するなどということはありません。(新井氏が一生懸命考えたのでしょうけれど、そういうことはありません。) 新井氏は周りの人々をうまく騙していると思っていても、周りの人はみんな本当のことを知っているという場合もあるのですよ。 下村博文氏は英語民間試験をいまだにやらせようとたくらんだり、5年も前から人々を騙してこういうテストを準備したり、国会議員でありながらそこまでして日本の教育をぼろぼろにしたいですか。 そこまでして日本の国力を下げたいですか。  eポートフォリオの時のことも併せて考えると下村博文氏は国会議員になってから未成年者を食い物にした犯罪まがいの悪事ばっかり働いているではありませんか。自分の支持者(東京都)の子供達さえ、「高校入試のスピーキングテスト」という形で(都道府県の中で)一番最初にベネッセに売ったんです。 東京都の中学生にも英会話学校の利益を守るために教科書のCDさえ与えていないのに。(しかも、「採点はフィリピンでする」とあの時のYAHOOニュースには書いてありました。そのニュースはもう削除されてしまいました)スピーキングテストをするならCDを与えて授業で発音指導するのが先でしょう。 「高校入試は中学校で教えた内容をテストする」という明確な決まりがあります。 学校で教えていないスピーキング(練習用の音声モデルも生徒に与えていない)をテストするのは違法です。東京都教育委員会は違法なテストをしようとしている。(大学入試も同じです。日本のどこの公立中学でもスピーキングは教えていません。 練習用の音声モデルも生徒に渡されていません)  下村博文は日本の教育行政をベネッセの”錬金術”にするために国会議員をやっているようなものです。    5年も前からベネッセのためにこんなテストを準備していたし、英語民間試験をいまだにやらせようとしているし、自分の支持者(東京都)の子供だって平気でベネッセに売るし。 下村博文は、教育行政を乗っ取ってベネッセの”錬金術”にする準備を私たちが気づく何年も前から進めています。 下村博文によって日本の学校教育は「真に子供たちに実力をつけさせる場」から、「業者を儲けさせるテストの売り込み先」に変えられてしまった。  下村博文がいる限り、子供たちに真の実力をつけさせる教育は出来ません。 下村博文がいる限り、日本の子供たちは国際社会でやっていける実力をつけることはできません。下村博文は英語のCDさえ子供達に与えない。 下村博文がいる限りテストをさせることばかりが延々と議題に上り、「子供たちにどういう教育をしたらよいか」教育の最も大事な部分を先生方は話し合うことが出来ない。  下村博文はスピーキング教育など全く知らないし、自分自身が正しい発音を習得したこともない。  英語教育に口を出す資格はない。 それなのに、下村博文とベネッセがスピーキングテストをやりたいからいつまでたっても、何度効果を否定されても、何回も何回もスピーキングテストをやらせようとする。 スピーキングテストは50年やっても効果がなかったといっているでしょう。 効果がないとわかった時点でスピーキングテスト案は没にされるべきものです。 それを何回も何回も持ち出してくるのは、下村博文とベネッセが金儲けのために日本の教育を食いものにしたいからでしょう。 たった2者の金儲けのためにすでに日本の教育は瀕死の状態です。 「東大に民間試験をやらせろ」とすごんでいた下村博文に英語教育に口を出す資格はない。 反社会的勢力(暴力団など)じゃないのですから、脅してでもテストをさせようとする人間に教育に口を出す資格はありません。下村博文たった一人のために日本の教育が壊されてしまう。

私はeポートフォリオのブログの中で「安部首相は全国民を騙して業者(ベネッセ)に売った日本憲政史上初めての総理大臣です。」 と書きました。 「しかも未成年の国民に個人情報を入力させるときは「学習に向かう主体性を高めるため」とだまして入力させる。安部首相は国民を騙して業者(ベネッセ)に売った日本憲政史上初めての首相です。」と書きました。 けれども、この悪質なeポートフォリオの仕組みを実際にベネッセと結託して導入したのは下村博文です。 ベネッセの利益のために実際に動いているのは下村博文です。  

そして下村博文はそれだけでは飽き足らず、今度はベネッセと結託して子供の役にも立たない自称?「読解力のテスト」を新井氏に作らせ、学校教育に導入しようとしている。中学生・高校生にこんな細切れの文ばっかり読ませていたら、思考力など育ちません。 こんなテスト何の役にもたちません。 eポートフォリオの持ち込みといい、このテストの持ち込みといい、下村博文は金儲けのために国民を騙す日本憲政史上稀(まれ)に見る悪質な政治家です。 ベネッセの金儲けのため、日本の国家をベネッセの下請け会社にしようとしている。

教育再生実行会議(座長=鎌田薫・前早稲田大総長)は2021年6月3日、子どもの学習や成長のデータを利活用し、指導や行政に生かすことなどを盛り込んだ第12次提言を菅義偉首相に渡したそうですね。 eポートフォリオがだめになってもまだ、教育再生実行会議は子供を食い物にすることに固執しているのですね。

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1/24 新井紀子氏のことを書いていてふっと思ったのは、ベネッセが全学校に導入できるテストを作ろうとしているのではないか、ということです。新井紀子氏の勧めるこのテストは「テスト問題の設問を理解する力のテスト」です。でもそれでは学校教育に入れてもらえない。だから新井紀子氏はこれを「教科書を理解する読解力」と強調するのではないかと思いました。(実態とは違いますが)「教科書を理解する読解力」なら学校に導入するのに抵抗がなくなりますから。(ちなみに読解力とか思考力というのは文2,3個を読むような、こま切れの練習をしていても上がりません。それについてはこちらのブログの最初に書いてあります。)教育の乗っ取りを企む下村博文氏が今度はどこに自分の手下を配置するかわかりませんが、今度著名な教育者があるテストについて「このテストは非常に良い」と国立研究機関の名前を使って発表し始めたら新井紀子氏と同じことを疑ってみる必要があると思います。 第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して国民を誘導する可能性は十分あると思います。 「国立の研究機関(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優)まで新井紀子氏と組んでやっている」という事実から、下村博文氏の教育の乗っ取りはかなり進行している、と思います。2016年から新井紀子氏のこの計画は始まったようです。(準備は2011年頃から始まっていたようですが) 私たちが全然気づかないうちにもう5年も経過している。 まさに国民の知らないところでひたひたと乗っ取りが進行する「This Present Darkness」です。   「憶測でものを言うことは厳に慎まねばならない」ということは十分承知しております。けれども、そういう可能性も含めて見ていかないと、後々大変なことになるのではないか、と危惧いたしましたので、書くことにしました。 杞憂(きゆう)であればいいと思っています。


1月19日 新井紀子氏の勧めるリーディングスキルテストの動画を見ました。その感想を書きます。  新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。 (この「研究」についての私の感想は下のピンクの文字の部分に書いてあります)

でも私は、新井紀子氏と真逆のことを思っています。私の考えは新井紀子氏とは正反対です。

私は、「習ったことを理解できるようになるまでたくさん勉強した生徒は偏差値も高くなるし、教科書もすらすら読めるようになる」と思っています。 新井紀子氏は「大変なことが分かってしまった」みたいな大げさな言い方をしていますが、それは人々をこのテストに誘導したいからでしょう。 「教科書がすらすら読める子が偏差値が高い」というのはただの相関関係です。

相関関係 = 因果関係   ではありません。



私は以前、こういうことをブログに書いたことがあります。 どこに書いたかは思い出せませんけど。(こちらのブログでした。

生まれてから学校に行かず、ずっとお母さんのそばにいて20歳になった人がどんなことを話すのか想像してみてください。  多分身の回りの話が主で、科学や歴史などの話はあまりしないでしょう。   子供たちは学校に行って各教科を学んでいますが、それは見方を変えると、各教科で使われる言葉を学んでいる、ということになります。

学校に行って理科の時間に化学反応式を習ったとします。  ここで子供たちは「化学反応式とは何を表しているのか」を学びます。  水素と酸素が反応して水ができることを表している、と知るわけです。  それを学ぶと化学反応式という言葉が出てくる文章も理解できるし、自分で書くこともできます。  それによって化学の反応に関する言葉の運用能力を身に着けます。

歴史で封建制度について習えば、封建制度とは何か。 また封建制度に関する言葉の意味や使われ方がわかって封建制度に関して書いてある文章も理解できますし(読解力)、それについて話すこともできるし、書くこともできます。 封建制度に関する言葉の運用能力が身に付きます。


つまり、そのことについて学ぶとそのことに対する言葉の運用能力は上がります。  もちろん読解力も上がります。

私はアメリカにいた時、子供たちが毎日学校に行って各教科を学びながら、学んだことを英語で言えるようになって行くのを見てそう思いました。 私の考え方は新井紀子氏とは全く逆です。正反対です。


もちろん新井さんが例に出しているように、問題に書いてある4つの選択肢から正解を選べない子もいるでしょう。  でも、子供を育てていて思うのはなじみのない名前や、アルファベットで書かれたものを一回や二回言われたくらいですぐ理解できない子もいます。  そういう子も時間をかけて深く学んでいくと、つまりその事柄が自分のなじんだものになってくるとわかるようになります。  だからそういう例をもって、読解力がないと成績が上がらない、というのは当たらない、と私は思っています。

成績が上がるのはあくまでそのことを本人が勉強したからです。


私には、彼女はこのテストを売ろうとして非常に無理な理屈をこじつけている。 勉強の本質を無視していると思います。  


このリーディングスキルテストは「テスト問題への答え方のテスト」です。 これを「基礎的な読解力のテスト」という国語教育の専門家は一人もいないと思います。  

私がここでいう国語教育の専門家とは、中学、高校で実際に国語教育を行っている先生方です。  読解力に関しては説明文、論説文、小説、随筆などの指導をきちんとできる先生方です。

 この新井紀子氏お薦めの「リーディングスキルテスト」は「テストの設問に答える能力テスト」といったほうが適切だと思います。 いかにも学習塾が好きそうな教材だと思いました。 この下に出てくるプロの編集者の方は「そういうのは予備校で使えばいいのではないですか」と言っていました。 これを読解力のテストという人は、新井紀子氏同様、文学も国語教育も何も学んでいない人です。

それから、ビデオの中ではずっとテストの設問とその答えの正答率を解説してきて最後になったら、突然、これを「教科書をすらすら読める力」といういい方に変えるんですね。 テストの設問を理解する力についてずっと述べてきたのに、(教科書の読み方など、全く触れていないのに)最後になると、「教科書を読む力」という言い方が突然出てくるんですね。 出題は教科書や新聞、辞書からということですが、「教科書の読み方」など全く触れないのに何で、突然最後にこれが「教科書をすらすら読める力」に変わるのだろうと思いました。

 こちらのニュースを見て  大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所(NII、所長:喜連川 優、東京都千代田区) さえこれが読解力だと思っていると知って、驚きました。 150字程度の事実について書かれた文を読む力を読解力というのはいかがなものでしょうか。 しかも、それがテストの設問。 こういうのを国語教育の専門家が読解力というでしょうか。 「国立」ということは税金で運営されているのですよね。 でしたら、もう少し、所長の喜連川 優氏は「読解力」についてきちんとした研究をなさっていただきたいと思います。 冒頭にも書きましたように、新井紀子氏はこのビデオの14分から15分の所で次のように述べています。

中学生の間で非常に幅広く分散している読める力、ほとんど教科書が読めない子からすらすら読める子まで、そのすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているということがわかってしまったのです。  つまり教科書のような簡単な文が「読めるか読めないか」という基礎的な読解力が人生を左右するということがわかってしまったのです。

これが、国立の研究機関が読解力について共同研究した結果なのですか。 研究対象はテストの設問、結論が読解力(?)と入学する高校の偏差値との関係。  これは学習塾の視点から行われた研究ではありませんか? 大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 (所長:喜連川 優)まで、ベネッセに乗っ取られましたか。      「読解力の研究」と称して、テスト問題のパターンを種類別に分けたり、高校の偏差値との関係を見たりすることは国語教育の専門家はしません。テスト問題を分析して7つのパターンに分けて、これが読解力の各側面だといって正解率を見る。 東大新入生でも52%しか正解できなかった問題もあるとデータをとる。 これはもう受験産業のすることではないですか。  国語教育の専門家のする「読解力の研究」ではありません。  新井紀子氏は「読解力」「読解力」と教育問題を話題にしているようで、本当はテストの分析や偏差値の研究をする受験産業の仕事をしているのではないですか。    1月18日の彼女のツイッターのコメント「あら、イメージ同定ど真ん中の問題。 全般的に、共通テストの地歴はRSTのイメージ同定と推論ができない受験生は厳しかったかと思う。」 というのは、読解力の研究をしている人のコメントというよりは、テスト問題を研究している予備校の人のコメントみたいだと思いました。 「いつもやっていること」「いつも考えていること」は、自然に出てきてしまいます。 このコメントを読んでいたら、下に出てきたプロの編集者の言葉を思い出しました。「こういうテストは予備校で使えばいいのではないですか」     受験産業はどこまで行っても受験産業。 いくら新井紀子氏が「教科書を読む読解力」という言葉を使っても学校教育には入れません。
(今、この曲 Bonnie Tyler - Holding Out For A Heroを聞きながら夕食の支度をしています。映像は見ません。銃を撃つ映像は嫌いですから。 いつもはもっと落ち着いた曲を聞いていますが。。。。例えば、セリーヌ・ディオンのWithout You とか、ヘンデルのLascia ch'io pianga とか。(ダンスの好きな方はHolding Out For A Hero はこのダンスの曲だと知っていらっしゃるかもしれませんね。ダンスは映像の34秒のところから始まっています。)  今みたいに自分の心の中に怒りがあるときは、強いビートに乗せて怒りをどこかに飛ばしてしまいたい気持ちになります。 怒りを感じていなかったら、こんなきつい文章は書かないです。 新井紀子氏は「読解力」「読解力」って、人を騙(だま)さないで。)
新井紀子氏は国語教育も文学も学んでいない(国語教育の素養がない、文学の素養もない)。 だから新井紀子氏が読解力に関していうことは薄っぺらです。 本物の国語の先生とは、蓄積されてきた教養や子供に与えようとするものが違います。 もし本当に子供たちに国語教育における「読解力」をつけさせたいのであれば、子供たちには「本物の国語の先生」の言葉に触れさせなければだめです。
受験産業と学校教育の違い。 学校教育では時間をかけて、文学の楽しさを知ったり、文章によってどういう表現ができるのか子供たちは学んでいきます。 「読解力」もそういう広くて深い教育の中で育てます。 受験産業はテストの点数に直結することが主眼です。新井氏のやっていることはまさに受験産業の仕事です。 学校教育というのは受験産業とは違いますから、国語教育の素養、文学の素養がなくては教えられません。 新井氏にはその素養、教養がありません。 だから新井紀子氏に国語教育は出来ません。 
2021年2月3日加筆
私が中学3年生の時、こういうことがありました。  中学3年生は高校受験のため模擬試験を受けます。  あるとき受けた模試の国語のテストで芥川龍之介の「鼻」の文章の一部が出ました。 「彼がおかしくておかしくてたまらなかったのはなぜですか」という問いがありました。  私は自分の思ったことを書きました。  試験後、模範解答を見たら、私の答えは間違っていました。  間違った箇所は正しく答えられるようにしなければいけないと思っていたので、模範解答を見ながらもう一度考えました。 けれども、どう考えてもなぜ正解がそうなるのか理解できませんでした。  それで、私は国語の先生にお聞きすることにしました。 
 
その時の国語の先生は、前の先生が産休の間だけ教えに来ていた先生でした。  授業を受けていて、その先生に聞いても私が納得できるような答えは出来ないだろうと思ったので、産休中の前の国語の先生にお手紙を書いてお聞きしました。  先生は出産後の大変お忙しい時期にも関わらず、下のようなお返事を下さいました。

あなたの手紙を読んで、私ももう一度芥川龍之介の「鼻」を読んでみました。  私もこの人がおかしくておかしくてたまらなかったのは、あなたと同じ理由だと思いました。  なぜ模範解答がそうなるのか私にもわかりません。

それに続けて先生は次のようにお書きになっていらっしゃいました。

あなたの手紙を読んで、今の国語教育が抱える問題を感じています。  文学作品の読み取りを画一化しようとすることなど決してしてはいけないことです。  あなたのような生徒までが、こんなことで悩まなければならないことに、この問題の深さを感じます。

私は、先生のお返事を読んで、非常に驚きました。  まず、模擬試験の模範解答が間違っているということ(50年前の模擬試験です)  それから国語教育に問題があるということ。  中学生の私は学校で行われることに問題があるなどと思ったことはありませんでした。  「学校で行われることは正しい」そう信じ切っていました。  お手紙は短かったけれど、15歳の少女には相当な衝撃がありました。 でも衝撃と同時にこの時知ったこともありました。  それは、先生方は教科書の知識をただ教えて下さっているだけではないのだ、ということでした。  私たちをどう教育することが一番良いことなのか、いつもお考えになっているのだ、そう思いました。

50年たった今でも、先生のお手紙に書かれていた言葉が忘れられないくらいですから、あの時の衝撃は相当なものでした。

先生方にもいろいろな方がいらっしゃいますので、全員がこの先生のようではないでしょうけれど、(実は、この先生の産休中に教えに来ていた先生に私は「本の世界に逃避するな」といわれました。  私はその先生があまり好きではありませんでした。  もし今、そういわれたら、私はこちらのブログに書いてあるミヒャエル・エンデの言葉を使って答えたいと思います。 「私はファンタジエンに行って生きる力をもらっていただけよ」と答えたいと思います)授業ではただ生徒が学ぶべきことを教えて下さるだけですけれど、先生方はいろいろなことを考えながら私たちを教えて下さっているんだ、と思いました。

私が中学、高校と習った国語の先生方はみんな国語科の教員免許状をお持ちの先生方です。  国語教育で教えることはすべて勉強し、教育についても学んでいる先生方です。  つまり、国語教育に関しても、学校教育に関しても専門的に学んでいらっしゃる先生方です。 私はそういう先生方を「国語の先生」だと思ってきました。
 

新井紀子氏が国語教育で知っているのはたった一つです。 
「事実について書かれた150字くらいの文(テストの設問)が理解できるかどうかをテストした結果」
それだけです。(彼女が作ったこのテストの得点と生徒の読書量には全く相関関係はないそうです。(上記の本222ページより)彼女の作ったテストで高い点を取る生徒が必ずしも本を読んでいるわけではないし、本を読んでいない生徒の得点が必ずしも低いわけではないそうです。 彼女は「読解力は読書とは関係ない」と述べています。 この話を知人にしたら、「読書している生徒としていない生徒の差も表れないテストを読解力のテストというの?」と聞かれました。)
新井紀子氏が国語教育について知っているのはたったそれだけです。 国語教育で「読解力」といったときに含むものが後楽園球場の広さだとしたら、新井紀子氏が知っている「読解力」は、そこに落ちた1円玉くらいの広さのものです。


だから彼女の「読解指導」を読んで私が「薄っぺらだ」と感じるのは当然だと思います。 一円玉の範囲しか知らないのですから。 国語の先生方が勉強して持っているものを彼女は何も持っていない。 それは、「燃える太陽」という文学的な表現に、理科の読解指導と称して、「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などと平気で言う「読解指導」に如実に表れています。 初めて聞いたとき、昔だったら、そんな言葉はコメディアンが言うジョークだったと思いました。 もし、国語の先生方ばかりの集まりで、こんな指導をしたら、とても顔を上げていられないくらい恥ずかしいことです。 国語教育に無知なこと丸出しです。 新井紀子氏はそれが恥ずかしいということもわからない。 150字といったら、ほぼツイッター(140文字)の文章と同じ分量でしょう。 それ一つ勉強したくらいで「読解力」「読解力」って、「読解力」の権威みたいな顔をしないでください。 1円玉くらいしか知らないのに読解力の権威みたいな顔をしないでください。 日本には地味だけれど、子供たちの読解力向上の為に努力している先生がたくさんいらっしゃいます。 始業前の10分間読書を習慣化させている中学校の先生方もいらっしゃるし、時間があると子供たちに本の読み聞かせをしてくださる小学校の先生方もいらっしゃいます。 先生方一人一人は特に新聞や雑誌で取り上げられるような方々ではなくても、そうやって、継続して地道に努力していらっしゃる先生方はたくさんいるんですよ。 そして最後は結局そういう先生方の地道な努力が子供たちの読解力を上げていくんです。 地道な努力をしている先生方を差し置いて、たかだか150語の文を一つ勉強したくらいで、1円玉くらいしか知らないで、「読解力」「読解力」って読解力の権威みたいな顔をしないでください。 しかもそれはテストの設問でしょう。「読解力」という言葉を人々を誘導するために使っているだけでしょう。 新井紀子氏は文学も学んだことはないのですよ。


国語の先生方が国語教育に関して持っているものが両手一杯にすくい上げられた色とりどりの花びらだとしたら、新井氏の持っているものは人差し指の先にのった、薄い梅の花びら一枚くらいのものです。  私が薄っぺらだと感じるのは当然です。

新井紀子氏はこれからも人々が正しく読めなかった文書を取り上げては、「読解力」「読解力」と騒いで自分の勧めるテストに人々を誘導するでしょう。  それが彼女が下村博文氏から請け負った仕事だからです。

私が彼女の読解指導を批判したら、政府から激しい妨害が始まりました。  政府から妨害を受けるというのは政治家が妨害しているということです。  教育に関する政治家といえば今更言うまでもありません。 (自分の選挙区(東京)の中学生さえ、都道府県の中で一番最初に「高校入試のスピーキングテスト」という形でベネッセに売った下村博文氏です。)  新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊です。  たくらみを隠して、人々をそこに誘導する実行部隊です。  「新井紀子氏のいるところ下村博文氏あり」です。 こういうことを書きましたので、私はまた、激しく妨害されるでしょう。  人々にこの情報が伝わらないように、政府には、政治家の言う通り、妨害を行うスタッフがいるんですよね。 ツイッターをお持ちの方は、拡散をお願いいたします。  新井紀子氏の読解指導を批判して、政府(政治家)から妨害を受けたのは私一人です。 私を葬ってしまえば、彼らは自分達の教育乗っ取りは安泰だと思っています。


もう5年も(準備期間を含めれば10年くらいでしょう)新井紀子氏はこのテストの計画を進めています。  ベネッセへの利益誘導だという批判には、そういわれることを準備していたかのように自信たっぷりに「妄想」とか「定款に対しての読解力」などという変な言葉を面白がるように使って答えています。 このように後ろにあるたくらみには全く気付かせず、人々をそちらに誘導するのが新井紀子氏の仕事です。 彼女は下村博文氏のたくらみの実行部隊ですから。   下村博文氏の教育の乗っ取りが新井紀子氏のような実行部隊を使ってひたひたと進行する。 まさに日本の教育は  「This Present Darkness」です。  新井紀子氏が下村博文氏の実行部隊だからこそ、私が彼女の「読解指導」を批判したとき、政府(政治家)はあれほど激しく私を妨害したのでしょう。 「読解指導」の批判一つに政府(政治家)が妨害に乗り出してくるなどありえないことです。 「英語民間試験」でもない。 「大学入試の記述式」でもない。  ただの朝日小学生新聞に載った彼女の「理科の読解力の指導」があまりにもひどかったから私はそれを指摘しただけです。 「燃える太陽」という文学的な表現に対して「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません。」これ以上ひどい”読解指導”はないでしょう。 ナンセンスです。(ナンセンス:広辞苑より 無意味なこと。くだらないこと。ばかげたこと。) だからそうコメントを書いただけです。なのにどうして政府が私のブログを妨害するんですか。 おかしいでしょう。 なぜ、そこまでして、政府が新井紀子氏の「読解力の指導」を守るのですか。 彼女は国語教育を専門的に学んだこともないただの門外漢なのに。 それは彼女が下村博文氏のたくらみの実行部隊だからでしょう。 そしてそのたくらみは彼女の言う「読解力」に関係している。  私はそう思いました。 「おかしい」と思ったときにはその裏に必ず何か、人々に知らせないで彼らがやっている悪いことがあります。 eポートフォリオの時もそうだった。 では、彼女の言うこの読解力ってなんなの?  それは「テストの設問が理解できているかどうか」を調べるためにするテストのことだった。 まるで受験産業が作る「読解力?」のテストだった。 「受験産業」ってどこがするの? 学習塾、予備校? 彼女に関係している学習塾は? 彼女がツイッターで自信たっぷりにベネッセとは関係ありませんといっていた。 何か愉快そうにそう言っていた。。。。。しかも、テストの設問を理解するテストなのに、新井氏はそれをビデオの最後に「教科書の読解力」と言い換えていた。(私がなぜこれほど「教科書」という言葉に注意してみていたのかは下の(注1)をご覧ください。) 教科書といえば学校教育。  私はそうやって手元にある事実をつなげていきました。  そうしたら、下村博文氏(ベネッセ)が何をしようとしているのか、まるでぼやけていたカメラのピントがあってくるようにスーとわかってきました。(このテストを広めて学校教育にいれたいの? その時、ベネッセが出てくるの?あの愉快そうなツイッターの文。。。。) わかった時、ぞーっとした。 5年もかけて(準備期を含めれば10年)こんなことまでしようとしていたの?と思った。 新井紀子氏は全部知っている。 知っていて、小学生新聞で小学生までだましているの?と思った。こんな愚にもつかない「読解指導」して。 このうれしそうなツイッターの文。 国民を騙して下村博文氏の気に入るように誘導するのが、新井紀子氏はそんなにうれしいの?と思った。          私が出会った国語の先生は「生徒をどう教育することが一番良いことなのか」いつも考えている先生だった。 新井紀子氏が考えているのは、「下村博文氏(ベネッセ)のたくらみに人々を気づかせないで、どうやってたくさんの人にこのテストを受けさせるか」それだけですね。(それがうまくいったときは、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。 「ベネッセへの利益誘導だ」というみんなの批判にこたえるこのツイッターの文面からそれがわかります。 下村博文氏(ベネッセ)の気に入るように自分が事を運べた時、新井紀子氏はとてもうれしいのでしょうね。言い方がウキウキしている。  事実についての記述だけでなく、小説文の読解を学ぶこともとても大事なのですよ。 そうするとこのツイッターの文章から新井紀子氏が愉快そうなのがわかります。   (例えばこれが小説文の読解だったらこんな風に問われます。 「この文を書いた人はどんな気持ちだったと思いますか。」 答え「うれしくて得意な気持ち」 問い「どの言葉からそれがわかりますか」 答え「(その1)定款を正確に読める読解力を身に着けることをお勧めします。という言葉。 相手にあなた方は読解力を持っていないと指摘している。(私は定款が読める、つまり相手の能力の欠如を指摘することにより自分の方が能力が上だ、といっている。) (その2)妄想ともいう、という言葉。 「妄想とは根拠のない主観的な想像や信念、病的原因によっておこり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない 例誇大妄想、被害妄想(広辞苑)」相手に対して病的なまでにおかしいと指摘している。 1,2より、相手に対してかなり自分を優位に置いていることがわかるので、うれしくて得意な気持ちを表している。となるでしょうか。  前者に対しては「定款を読んでください」といえばいいし、後者に対しては「誤解です」といえば済むところです。。。。。 私はそう感じて、初めて読んだ時から「何か変だ」と思っていました。)  この文章を読んだときの違和感が「新井紀子氏、ベネッセ、下村博文氏」この構造をたどっていく引き金になりました。  そういえば彼女のこのテストには、小説文についての読解力は含まれていませんね。 論説文も随筆も含まれていません。 150字の読解力など量るくらいなら、成長期の子供にはたくさん文章を読ませて根本的な読解の能力、すなわち「読み取る量」を増し、「読み取れる深さ」を増す訓練をする方がはるかに有益です。 (小説文の読解は絶対にこのテストに入れた方がいいです。 こういう計画にだまされないためにも。)      悪だくみの隠れ蓑(みの)に国語教育を利用するのは「国語教育を冒涜している」と思います。

新井氏は「大学生数学基本調査」の下の問題の誤答をみて、「読解力がない」と思ったと上記の本の175ページで述べていますが、この問題に誤答するのは読解力の問題ではなく数学の学力の問題ではないのですか。  本当にこの問題の誤答(理由の誤答)を見て「論理的な読解と推論の力(同183ページ)がない」と思われたのですか。
問題 偶数と奇数を足すと、答えはどうなるでしょうか。 次の選択肢のうち正しいものに〇を記入し、そうなる理由を説明してください。
(a) いつも必ず偶数になる。
(b) いつも必ず奇数になる。
(c) 奇数になることも偶数になることもある。
答えは (b)  理由
偶数と奇数は、整数m, nを用いて、それぞれ2m, 2n+1 と表すことができる。そして、この2つの整数の和は、   2m+(2n+1)=2(m+n)+1   となる。 m+nが整数なので、これは奇数である。

私がこの文章をブログの一番上に書かなかったのは、都合の悪い内容が更新されているとわかったとたん、政府から妨害が始まるからです。 できれば、政府からの妨害が始まる前に皆さんに読んでいただきたいと思いました。  青字の部分の主旨は、新井紀子氏は下村博文氏のたくらみの実行部隊だということ。もし何かを決める会議の委員の中に新井紀子氏がいたら、会議の結論はすでに決まっています。 新井紀子氏が下村博文氏の意向に沿って議論を誘導し、下村氏の気に入るような結論になる。と決まっています。それが新井紀子氏の役割です。 下村氏の気に入る結論が出れば、新井紀子氏はベネッセの利益誘導を否定した時のようにうれしいのでしょう。
以上2021年2月3日加筆

(注1)2021年2月26日
なぜ私がこれほど「教科書」という言葉に注意して彼女のHPにあるビデオを見ていたのか、その理由をお話します。

私の息子は小学校1年生の9月に日本の小学校に転入しました。冬休み前の12月の個人面談で担任の先生から次のように言われました
「太郎君は話している時の日本語には問題はないのですが、教科書を読ませるとどこで切ったらよいのかわからなくなってしまうようで、全然読めないんです。  あれ~、どうしちゃったの、太郎君って思いました。」

先生のお話の仕方から、他の子は読めるのに、太郎だけが読めないのだと私は思いました。 みんなが普通に読めるものが読めないというのは問題です。  その日から夕方5時に遊びから帰ってきた息子を夕食の支度をする私の横に立たせて毎日国語の教科書を音読させました。 それは中学3年生の9月に日本の中学校に転入した娘も同じでした。  志望高校の出題に作文がありました。 それで作文を書く練習をさせたのですが、作文がなんだかわからないから書けませんでした。 仕方ないので、全国作文コンクールの入賞作品集を買って、「これが作文よ。 毎日少しずつ読んでごらん」といったのですが、ちっとも読まないので、音読させたら、つっかえつっかえで全く読めませんでした。5文字ごとにつっかえるような感じでした。 「息子の時と同じ。 日本の子は読めるのに、うちの子は読めない」と思いました。  仕方ないので、私がその中の2,3個の作文を音読してテープに吹き込み、「毎日聞いてみて。 作文はどう書くのかわかってくるから」といいました。 (アメリカに行ったときは地理の用語集を英語と日本語でテープに吹き込んで聞かせ(こちらのブログ)、日本に帰ってきたら作文を読んで聞かせ、使っていない言語の習得はどこに行っても大変なんだ、と思いました。)  
こういう経験がありましたので、新井氏のHPのビデオで「教科書がすらすら読める子」「ほとんど読めない子」という表現を聞いた時、日本で生れ育っても、教科書が読めない子がいる、ということに私は驚きました。  私は、新井氏が中学生に実際に教科書を読ませて、「教科書がすらすら読める子」と「ほとんど読めない子」がいることを調べたのだと思いました。  「すらすら読める」と言っている、ということはきっと音読させたのだろうと思いました。 音読なら、すらすら読めても間違って読んでいないか後で必ずチェックする必要があるから、そのデータは保存されているはず。 「教科書がほとんど読めない子」の音読を聞きたいと思いました。 太郎と由紀子と同じくらい読めないのか聞きたいと思いました。  たとえ実際の音読がアップされていなくても一分間に何字くらいしか読めないのかくらいは話があるだろうと思っていました。  そうすれば、自分で再現してみればわかると思いました。  帰国後の私にはいつも「日本語が読めない」という問題が、重くのしかかっていましたからそれが私の一番の関心事でした。  

でも、ビデオにはそのデータはありませんでした。  新井氏は自分のテストがよくできた生徒を最後に突然「教科書がすらすら読める子」と言い換えていただけでした。自分のテストが出来ない子を「教科書がほとんど読めない子」と言い換えていただけでした。 彼女の「AI vs 教科書が読めない子供たち」という本にも、実際に中学生に教科書を読ませたことに関する記述は全くありませんでした。 彼女は実際に生徒に教科書を読ませていたわけではありませんでした。 研究者が実際にやっていないことを研究の結論にしていいのですか。 新井紀子氏は「教科書を読む」その学習行為自体については、何のデータも取っていません。研究者が実際にデータを取っていないことを研究の結論として提示することに問題はないのですか。  (その後、彼女が「教科書」という言葉を使うことが非常に大事だった理由に私は気づくことになります)


彼女は前出の本の222ページで「読解力は読書量とは関係ない」と述べています(彼女のテストの得点は生徒の読書量との相関がないそうです)が、私は関係ないとは思わないので、私が読解力についてどう思っているか、書きたいと思います。

先にも書きましたように、息子は小学校1年生で教科書が読めませんでした。 読ませる練習をさせましたけれど、2年生になったら接続詞の使い方がよくわからないようだ、といわれました。 それで、接続詞も教えました。  でも4年生になったら、教科書も読めるしテストの問題も理解できるのに、ちっとも日本語の本を読まないことに気づきました。 日本語の本を読む、ということが大変だったのだろうと思います。 それで1年半かけて本が読めるようにしました。 教科書の音読や接続詞と違いこれだけ時間がかかったということは「本を読む」ということはいろいろな力がいることなのだろうと思いました。

そういう経験をして私は、読解力について次のように考えています。  

大きな船で海を渡ると海面にはたくさんの白い波が立っているのが見えます。  人間の持つ読解力というのは、この大きな海のようなものだと私は思います。海に立っているたくさんの白い波、その一つ一つがテスト問題を読む力であり、詩を理解する読解力であり、論説を理解する読解力なのだと思います。 そして本を読むことはこの海が持つ読解力そのものを作る力を持っているのだろう、と思います。  だから今までの日本の教育で読解力といえば本を読むことが言われてきたのだと思います。  そしてそれは間違っていないし、日本だけの考え方でもありません。

アメリカにいた時、娘のリーディングの授業の宿題を一緒にやりました。  一年間の授業で(今思い出せる範囲で)4さつの本を読みました。  最初は160ページの本、2冊目は260ページ、3冊目もそのくらいだったと思います。 最後は300ページの本でした。 ですから1年間の授業で1000ページくらい生徒は読むことになります。 そして授業では読んだ内容について勉強します。 新井氏のリーディングスキルは150字のテストの問題を読むことですが、リーディングクラスのメインの活動は本を読むことでした。  私の友人の子供は高校のEnglish (国語)のクラスの最初の授業でフィッツジェラルドのThe Great Gatsby を読んだといっていました。  つまり、日本だけでなくアメリカでも読解力の基礎をつけることに本を読むことは非常に重要だと考えられています。

私が最初に夫の赴任についてシカゴに住んでいたころ(今から30年前)、テレビ番組では「アメリカの子供たちの学力が低いのをどう解決すればよいか」という問題がよく取り上げられていました。 その問題を解決しようといろいろな取り組みを行っている先生方の活動が紹介されました。  やはり本を読むことを重点にした活動が多かったですね。  その根底には「本を読むことが学習の基礎を作る」という先生方の考え方があると強く感じました。

2度めの赴任の時はテレビでそういう話を聞くことはありませんでした。 けれども、私は「生徒にいかにして本を読む習慣を身に着けさせるか」を生徒と実践しながら研究した先生方のグループの活動をまとめた本を読みました。  読みながら、「本を読むことが学習の基礎を作る」という考え方が、すでに先生方の共通の認識になっていることを知りました。

私は日本の先生方が、子供たちに本を読めるように活動なさっていることは、学習の基礎を作るうえで非常に役に立っていると思っています。 新井氏は読解力に読書は関係ないと述べていますがそのようなことはないと思います。



そしてもう一つ、先生方の本を読む指導が重要だと思う理由があります。

国語教育は「読む」ことだけではありません。 「書く力」も育てなければなりません。 「書く力」は思考力を育てる、ということで今、非常に重要だといわれています。 「書く力」は、150字のテストの問題を読む力では決して育ちません。

「書く力」は「読む力」と密接に関係しています。  これは英語教育からわかったことです。  私自身高校卒業時には、英文エッセイ(小論文)は書けませんでした。  習った構文を使って文を書くことで精一杯でした。  私が英文でエッセイが書けるようになったのは大量の英文読書をした後でした。  つまり本を読んでいないと論旨を一貫させてまとまった文章を書くことはできませんでした。 150字のテストの問題を読む読解力では、「書く力」をはぐくむことはできません。

そういう意味で、先生方がなさっている読書指導は、「読む」ことによって育つ「書く力」もはぐくむという点でとても重要だと思います。 読むときに育った思考力が書くときの思考力に持ち込まれている、という気がします。 


私の後ろには、学校を動かせる政治家もいませんし、潤沢な資金を持つ業者もいません。  だから私が何を言おうと鎧兜で武装した人に素手で戦うようなものでしょう。  それでもこのブログを書いたのは、地道に子供たちに本を読む指導をしてくださっている先生方を応援したかったからです。  新井紀子氏は読解力は読書の習慣とは無関係といっていますが、そんなことはありません。日本だけでなく、本を読むことの重要性はアメリカの先生たちの間でも広く認識されています。

また、本を読むことが国語教育のもう一つの基礎、「書く力」を育てることは紛れもない事実です。 先生方がなさっている読書指導は、国語教育、子供の学力の基礎を作る上でとても重要です。  地味で、時間がかかるご指導ですけれど、「読む力」「書く力」「思考する力」の大きな海を育てる大事な指導ですので、ぜひ、続けていただきたいと思います。  

読解力の問題だけでなく、本を読むことによって子供たちはいろいろな世界を知るようになります。 「理想の社会はどんな社会か」コンピューターは考えないけれど、人間は考えます。 教育はその子(人間)が持っている能力を引き出すもの、伊勢田先生の教育原理の授業を受けて思ったことは今も変わらないです。

150字のテストの問題を読むことが読解力などと思っていたら、とてもアメリカには勝てないです。(アメリカだけでなく世界のいろいろな国に勝てないです。 子供たちに骨太の思考力は生まれませんから。) 彼らは読むことも書くことも日本とはけた違いに学校で教えています。  下村氏はとにかくテストを学校教育に導入する。 教育の中身よりテストのことばかり。 教育の中身は英語のスピーキングにしても「書く力」にしても具体的に学校でどう教えたらよいかについて先生方と話し合うこともしない。ほったらかしです。  こうやって教育をだめにして日本の国力はどんどん低下します。 下村氏は日本の国力をどんどん低下させています。 まるで日本は教育をはく奪された植民地のようです。 下村さんは、どうしてそこまでして日本の国力を低下させようとするのですか。



最後に一つ気になったことがありましたので書きます。

新井紀子氏の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(出版社は東洋経済新報社)という本の204ページに彼女の作ったテスト問題のサンプルが載っていました。 引用させていただきます。
* * *
次の文を読みなさい。

アミラーゼという酵素グルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、 以下の文中の空欄に当てはまる最も適当なものを選択肢の内から一つ選びなさい。

セルロースは(   )と形が違う。

①デンプン
②アミラーゼ
グルコース
酵素

* * *

もしこれを公立高校の入試で「教科書を読む読解力をはかるため」といって出題したら、教育委員会には保護者や中学校の先生方から抗議が殺到すると思います。 教科書を読む読解力をはかるなら、「問い」はアミラーゼに関するものであるべきだと保護者や先生方は当然考えると思います。 この問題が出来なかった生徒を「教科書を読む読解力がない」と断定するのは不当だと誰でも思うでしょう。  先生方はこういう出題を非常に嫌います。  こういう出題は普段の授業で培った生徒との信頼関係も壊します。 なんのために「ここは大事だよ」と生徒に教えたのかわからなくなってしまいます。 

「この問題は某新聞社の論説委員から経産省の官僚までグルコースを選ぶので驚いた」と得意げに新井氏は本の204ページに書いていますが、生徒にセルロースとデンプンの形の違いを教えるためなら、教科書の執筆者はこのような文章は書きません。 人間の頭は、主語で言われたことに注意を集中して読んでいきますから、この文章でセルロースとデンプンに注意を集中して読むような読み方は普通の人間はしません。 論説委員も官僚も毎日大量の文章を読みますから、文を読むそばから重要なことは頭に入れ、文の主題と関係ないことは些末なこととして即、頭から落としたのでしょう。 教科書の執筆者だって、そんなことをこの文章で子供に学んでもらおうとは思っていないでしょう。(私は彼女の本を読みながら例題を解いていて、「このテストは普通の読み方をしても解けないようだ」と思ったので、この問題は、読んだそばから絵にかいていきました。 そうしたら自分の描いた絵のセルロースとデンプンの形が違ったので、「デンプン」と答えましたけれど、「主語で言われた主題と全く違う「些末なこと」に注意して文章なんか読んでいたら、本など読めない」と思いました。彼女は中教審がもっと読解力を重要視するべきだ、といっていましたが、この問題文を読んで、セルロースとデンプンの形に注意をさせるような読解指導をしたら、子供の「読解力」はめちゃくちゃになります。文の主題がつかめません) 書く人も読む人も重要だとも思っていない些末なこと(どうでもいいこと)を「読解力」と称してテストする、このテストに何の意味があるのですか。 新井氏がこういうことを教科書の読解力だと思っているなら、それは間違いです。 この設問は教科書を読んで理解する読解力をはかるものではありません。 わざと間違えさせて、「教科書が読めない」「教科書の読解力がない」とアピールするために作られた問題でしょう。こういう問題を作る新井氏は教育者ではありません。

記憶がおぼろげなので、何年前だったか思い出せないのですが(多分4,5年前だったと思います)、私は知人から「子供の読解力が落ちているそうです。」とメールをもらって、これと同じような問題を読んだのを覚えています。(この問題だったような気もするのですが、記憶が定かではありません。7/30/2021 確認しました。2016年8月21日の東京新聞朝刊に載ったこの問題でした。記事には永井理とお名前がありました。) メールを読んだ瞬間、私は、「これを読解力とは言いません。この問題は読解力をはかっている問題ではありません」と即座に返信しました。心の中でこういうテストに対してものすごい反発を感じました。こういう「子供にわざと間違えさせる問題」を作って、「子供の読解力が落ちている」と騒ぐテスト作成者に言葉に出来ないほどの嫌悪感を感じました。 当時、私は新井氏のことは知りませんでしたが、「こんなテストを作る人は教育者ではない」そう思いました。 子供たちはアミラーゼを説明した教科書の文を読んだら、「アミラーゼってどういうものなのか理解しなくちゃ」と思って一生懸命読むんです。 そうやって理解した後にこういう問題を出されたら、アミラーゼについて一生懸命勉強したことは何にもならないのです。 本来、子供が一生懸命勉強したらそれを評価してもらえる、それがテストです。教師だって、大事なことを子供に覚えてほしいから、それをテストで出題するのです。 でもこういう本題とは関係ないフェイントをかけるようなテストばかりされたら、最後に子供たちは文章を読んだとき、何を把握すればいいのかわからなくなります。 これは子供を罠にかける非常に悪質なテストです。こういうテストをされ続けると、子供たちは授業でいくら「ここは大事だからよく勉強しておくんだよ」と言っても教師のいうことを全く信用しなくなります。 教育というのは信頼の上に成り立つ仕事です。 教師が子供を騙して罠にはめて何が教えられますか。 私は怒りがこみあげてきて、翌日知人が引用した新聞を隣の駅にある図書館まで読みに行きました。(いつも自分が行く図書館にはおいていない新聞でした) こういうテスト問題は教師として作ってはならない問題です。こんな問題を作る新井紀子氏は口でどんなに立派な教育論を唱えようと子供のことなど全く考えていません。「子供の読解力が落ちている」と騒ぎ立てて自分のテストを売り込みたかっただけでしょう。本当に子供の読解力の向上を願って指導されている先生は、決してこういう問題は作りません。

東京新聞の副題は「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっていました。 本当は「謎」なんかありません。 子供たちがこの問題を間違えたのは新井氏が間違えるように作ったからです。 そこで子供たちに間違えさせて、それをAIの研究と何か関連があるように思わせ、自分のテストに世の中の注目が集まるようにしたかっただけです。  すべては新井氏と喜連川所長が作った自作自演の筋書きです。

2021年5月17日加筆(加筆したことをブログトップに書かなかったのは、新井氏のことを書くとすぐに政府から妨害が始まるからです。)新井紀子氏は今度はリテラシーのテストを作るそうですね。 その前に、「教科書の読解力が人生を左右する」と虚偽の研究結果を発表したことをきちんと謝罪するべきではないですか。それに一度、研究結果を捏造した研究者はその分野で発言する資格はありません。新井紀子氏には下村博文とベネッセがバックにいるからそれもできるのでしょうか。 なんで彼女はいつもテストばかり作りたがるのでしょう。 多額の研究費?をもらいながら最初に「教科書の読解力」で失敗したからなんとしても学校教育に持ち込めるテストを作らなければならないと必死なのでしょうか。 (それは、数学者に読解力のテストを作らせる業者の方が間違っています。 できるわけないでしょう。 ベネッセのテストはそんなにいい加減に作られているのですか?) 子供たちの能力で不十分なところがあると気づいた教育者は普通は子供たちにその能力を着けさせる教育方法を考えます。 ところが新井紀子氏はいつもテストを作ることばかり考える。 テストを作って学校教育に導入させれば、業者を儲けさせることができるからでしょうか。 学校教育に持ち込ませるときは下村博文が自分の政治権力を使う。その結果下村博文も業者から見返りがもらえる だから新井紀子氏は教育方法には目もくれず、テストを作ることばかり考える。 彼女は子供のことなんか何も考えていません。 下村博文と同じ。業者の金儲けのために子供を食い物にしているだけです。 どんなきれいごとを言っても、彼女の作ったこのアミラーゼのテスト問題を見れば、彼女が本心では子供のことなど全く考えていないことがはっきりわかります。 子供のことを考えている教育者は絶対にこういう問題は作りません。


新井氏は大学で教職課程も学んでいませんし、国語教育も専攻していませんので、読解力や言葉の理解に関する教育に携わる資格がありません。  その上、文学的文章と科学的文章の指導の違いも知らない、ということはご本人の読書量がはなはだしく乏しいことを示しています。 文学的文章も科学的文章もたくさん読んでいる人は常識としてそのくらいのことは知っています。 (ウィキペディアには彼女は「教授」と書いてありますが、こんなに読書量の少ない「教授」がいるのだ、と私は驚きました。) 国語教育も専門的に学んでいない、 教育についても専門的に学んでいない、読書量もはなはだしく乏しい新井紀子氏が読解力の教育に携わるのは根本的に無理です。 ご自身は数学者なのでしょう?  それでもテストを作って広めようとするのはベネッセを儲けさせたいからでしょう。 数学者が専門外のことに首を突っ込んで子供を金儲けの道具に使っているだけです。 子供の読解力向上を本当に願っていたら、あんな「子供を罠にかけるようなアミラーゼの問題」なんか作りません。 あれが新井紀子氏の本心をよく表しています。

国語教育も専攻していない。教職課程も学んでいない。読書量も乏しい。 「燃える太陽」という表現に「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」などという謎の「読解指導???」をする。 新井紀子氏の読解力はとても生徒の読解力を云々できるレベルではありません。 ご自身が大学で一から国語教育を学ばれた方がいいでしょう。

私は下村博文の場合は「東大に民間試験をさせろ」と恫喝したことが彼の政治姿勢を象徴していると思っています。 新井紀子氏の場合は「燃える太陽」という文学的表現に対して、「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」という「読解指導?」が彼女の読解力のレベルの低さを象徴していると思います。 この「読解指導??」はナンセンスです。(ナンセンス:無意味なこと。 くだらないこと。 馬鹿げたこと。(広辞苑) 英語教育もそうですけれど、国語教育も大学で専門的に学んでいない人が、金儲けのために口を出してくると子供たちが被害をこうむります。 新井紀子氏に国語指導の資格も能力もありません。読解指導する理由が子供たちの読解力を心配しているわけではなく金儲けなのは「アミラーゼ」の問題を見れば明らかでしょう。 (非常に個人的な感想になりますけれど、彼女の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を出版した東洋経済新報社のエディターは、204ページにあるこの問題を見て何も感じなかったのでしょうか。 私は見た瞬間に「子供のことを何も考えていないテスト問題だ」と怒りがこみ上げました。怒りを抑えるのも大変なくらいでした。) 子供たちの読解力向上の為指導している先生は絶対に子供を罠にかけるような問題は作らないのです。こういう問題は作らないのです。 eポートフォリオの時と同じ。 こういうところで隠している本当の目的がわかるのです。 子供のことを本当に心配していないなら、テストなんか作らないで。    どのような読解力の指導であろうと国語教育を専門的に学んだ教師以外が口を出してはなりません。  なぜなら、新井氏は前出の著書の中で「読解力と読書は関係ない」と述べていました。  これは明らかに間違いです。 日本の国語の先生方だけでなく、アメリカの先生方もこの意見には同意しないと思います。  国語教育を学んでいないとこういうとんでもない指導を子供たちにやりかねませんので、どのような読解力の指導であろうと国語教育を専門的、かつ、全般的に学んでいる(つまり国語教育の全体像をきちんと把握している)専門家以外は口を出すべきではありません。 国語教育を専門的に学んでいない新井紀子氏は口を出すべきではありません。 新井紀子氏は国語教育に口を出す資格をお持ちではありません。 生半可な知識で飛んでもないことを主張されると結局子供たちの読解力の向上を大きく妨げます。 「読解力と読書は関係ない」などと子供たちに指導されたら、子供たちのその後の人生にとって大変なマイナスをもたらします。

5月18日加筆新井紀子氏はこちらのビデオの14分36秒のところで「教科書がすらすら読める順に高い偏差値の高校に入学できているとわかってしまったのです」と述べていますけれど、彼女は中学生に教科書など読ませていません。 ただの一人も読ませていません。「教科書がすらすら読める子」「教科書がほとんど読めない子」のデータなど全く取っていません。  また、教科書の読解力が人生を左右するなど偽りを言って自分のリーディングスキルテストを売り込みお金を取って実施してきました。 実際には生徒は先生のご指導を受け、自分で理解する努力をし、暗記したり練習問題をしたりして実力をつけなければならないのに、あたかも、教科書の読解力がテストの点を決めるかのように人々に説いて自分のテストを売り込んできました。 それを人々に信じ込ませるために「アミラーゼ」の問題のような罠(わな)も仕掛けたのでしょう。 これは虚偽の情報で他人に損害を与える詐欺だといわれても仕方ない行為だと思います。 詐欺は犯罪です。 刑法で刑罰が決められている犯罪です。 人々に虚偽の情報を与えて、自分の作ったテストをお金を払わせて利用させる。 これは虚偽の情報で他人にお金を支払わせる詐欺です。  罠を仕掛けて人々を騙して詐欺をした新井紀子氏はもはや教育に口を出す資格はありません。 もし、新井紀子氏が「教科書の読解力が人生を左右する」が間違いだと認め、それで終わっていたら、私は「新井紀子氏のしたことは詐欺だ」とまで言うつもりはありませんでした。  でも、「この人は放っておいたら、どこまでも学校教育を金儲けの道具にする」と強い危機感を感じましたので、あえてこのように書きました。 本当に彼女を放っておいたらそうなるでしょう。悪いたくらみは芽のうちに摘み取らないと子供たちが大変なことになります。前回も今回も声を上げて下さった方がいたから私も気づきました。いろいろな方がウォッチしていると防ぐことが出来るのでしょう。 国民を騙し詐欺(犯罪)を働いた新井紀子氏は教育に口を出す資格はありません。金儲けのために教育に口を出すのはおやめください。 「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません。」 新聞に載ったこの読解指導で新井紀子氏の読解指導のレベルの低さは、みんな知っています。

以上5月18日加筆

彼女の作ったテストの出典は「教科書」「新聞」「辞書」そしてオリジナルの問題だそうです。  たとえ教科書の文を問題文として出題しても、設問が上の例のようでは本来の意味で教科書を理解する力を測ったとは言えません。 出典が全部教科書でもないのに、なぜそれをここまで、「教科書の読解力」「教科書の読解力」というのか、疑問です。ここにも新井氏の別の意図がうかがえます。 彼女がHPのビデオの最後で突然「教科書を読む読解力」という言葉を使ったのと同じ理由でしょう。 学校教育に持ち込むためにはどうしても「教科書」との関連が必要だったのでしょう。






私はブログを書くととても体力を消耗します。  ブログの中には書くのに構想から始めて数か月かかったものもありますし(こちらのブログシリーズ)、原稿を何度も書き直して、プリントアウトした用紙が100枚を超えたものもあります。


こちらのブログです。(このブログは「川合典子ブログ 松本茂」で検索しても決して出てきません(4月25日現在)。ブログの題名そのままを入れて検索しても出てきません。何をしても絶対に検索結果に出てきません。 松本茂氏は自分が目立つためなら新聞記者にメールまで送って高校の先生方を非難する記事を書かせるのに、自分に不利なことはブログの検索結果まで操作して自分を守るのですね。もしかして新井紀子氏を守った時みたいに、政府(下村博文)がやっているのかな、とも思いました。(私のブログは政府からよくそういうことをされていますから) あの時、(英語民間試験に対して高校校長会までが異例の申し入れを文科省にしたくらいなのに)自分の大学の入試(英語)を民間試験のみで行うと決定するなど、随分下村博文に協力していましたものね。 間違った英語教育の方針から高校生を守るより、自分が目立つことに関心があったのでしょう。 なぜ私がそう思ったかといえば、もし本当に高校の英語の授業を心配して記者にメールを送ったのなら、新聞に載った自分の写真が若く見えるなどとブログで喜んだりしないでしょう。 本当は、「高校の先生方は英語で授業が出来ないけれど、自分は英語でこんな授業ができる」といいたかっただけでしょう。 (実際には高校生には出来ない授業でしたけれど) 現場で苦悩する高校の先生方を無実の罪で記者にメールまで送って新聞紙上で批判しながら、自分は新聞に載った写真が若く見えると喜んでいる。 松本茂氏の精神の幼児性に私は言葉もありませんでした。 こういう有識者会議の委員の決めた方針に従わなければならない高校生は不幸です。 高校生だけでなく無実の罪で新聞で非難される高校の先生方も不運です。松本茂氏は「高校で英語で授業ができていない」ということを指摘するふりをして、本当は自分は賛成派と反対派に分けて英語で討論する授業までできるのだ、とアピールしたかっただけでしょう。 大学教授の自己顕示欲のために無実の罪で新聞で批判される高校の先生方は本当にお気の毒です。 そんなことを表現できる英語力は平均的な高校1,2年生にはまだありません。(私は高校卒業時にもそういうことは英語で言えませんでした。 私がそういうことをかろうじて言えるようになったのは、少なくとも、英語の本を3000ページくらい読んだ後でした。高校卒業時の私は授業で習った構文を使うので精一杯でした。語彙も十分知らなかった。) 高校の先生方は生徒がいろいろな表現ができようになる英語力の基礎を生徒がよくわかる日本語で教えて下さっています。 松本茂氏の言っていることは高校生の学習段階を全く知らない、高校生にできもしない授業です。 こちらのブログの2年B組の生徒の意見を参照してください。  松本茂氏は自分が目立つことばかり考えないで、少しは真剣に子供たちの英語教育を考えて有識者会議の仕事をしてください。24年間も高校生の英語力が上がらないのは教師のせいだと思っていたなど、不勉強も甚だしいです。 24年間も高校の英語教育について研究、勉強もしないで、(高校生の学習段階も知らないで)有識者会議の委員として発言するなど松本茂氏は自分の仕事に対していい加減すぎます。(松本茂氏のご専門は経営学です。 松本茂氏は英語教育を専門的に学んでいません。音声学も英語教育法も学んでいらっしゃいません。松本氏は「英語に慣れるために英語で授業をする」と著書「生徒を変えるコミュニケーション活動」の中で述べていますが、「慣れる」という活動(【定着】させる活動」)は生徒が学んでよく理解した教材のみで行うことが「英語教育の原則」です。 新しいことを学ぶ授業で「慣れる」という活動は出来ません。松本茂氏はそういう英語教育の基本も知りません。これについては「英語で授業」を提唱する有識者会議の座長、上智大学教授吉田研作氏も同様です。吉田研作氏も英語教育の基本を全く知りません。  高校の先生方はこういう英語教育の基本をご存じだから、「日本語で説明しても理解できない生徒がいるのに、どうやって英語で説明するのだ」と有識者会議の方針に抗議していらっしゃるのです。 少しは高校の先生方の正当な意見に耳を傾けてください。) 松本茂氏は英語教育については何も学んでいないのに、誤った方針「英語で授業」を提唱しています。) 高校の先生方が日本語で授業をせざるを得ないのはなぜなのか、その理由を先生方に聞き取り調査するなどして理解する努力をしていたら、松本茂氏は「英語で授業の方針が間違っている」と気づいたはずです。自分は英語教育の基本も知らない、と気づいたはずです。  テレビの仕事のように目立つ仕事ではありませんが、有識者会議の仕事は子供たちの教育にとっては基本となる重要な方針です。「高校の先生は英語で授業が出来ないから」などと、24年も昔の無知な自分の意見に固執せず、もっとまじめに有識者会議の仕事に取り組んでください。                 私のブログを妨害するほど自分の間違いを指摘されるのが嫌だったら、新聞記者にメールを送る前に、新聞で非難される高校の先生方のお気持ちも少しはお考えになってください。自分が目立つためなら平気で他人は傷つけるけれど、自分が傷つくことは、どんな手段を使ってでも妨害するというのは非常に身勝手です。松本茂氏は自分がマスコミで目立つために、何も悪いことをしていない高校の先生方さえ批判するのですね。 先生方は「英語で授業」をしない、と非難されながら、実は松本茂氏の間違った方針からずっと生徒を守って来てくださったのですよ。)      ブログを書いた時は松本茂氏が公開授業をしてくれることになった場合としなかった場合で2つの原稿を書いていました。(ブログ掲載時は、松本茂氏は立教大学教授でいらっしゃいましたが、2021年4月より東京国際大学教授になられたそうです。ブログは2019年時点での肩書で掲載してあります)  公開授業をしてくれることになった場合には授業後の質疑応答の時間でお聞きしたいことをまとめました。  生徒に直接「日本語に訳さず、どうやって理解したのか」質問させてもらいたかったので、最初の10分くらいは生徒数名の出席もお願いするつもりでした。  公開授業ができなかった場合の原稿を書いたときは、松本茂氏の立場にも十分配慮して原稿を書きました。  けれども、ブログ掲載一週間前に、松本氏のブログで、「AERA」(朝日新聞出版)5月13日増大号に、「松本茂氏の大学のことが松本茂氏のコメントと共に掲載されました」と書いてあるのを見て、松本氏の立場に配慮して書いてきた原稿は全部破棄しました。「私が松本氏の立場に配慮などしなくても松本氏はマスコミを使っていくらでも自分の立場を守ることができる人なのだ」とわかりましたので。 それで言いたかったことをそのまま新たに書き直しました。 その結果、最初から数えたら、プリントアウトした用紙は100枚を超えました。      そういえば、松本茂氏は、高校の先生方を間違った根拠に基づいて朝日新聞紙上で非難したことについていまだに謝罪しませんね。 高校の先生方は松本氏に非難されるようなことは何もなさっていません。「政府の決めた委員の言うことを鵜呑みにして、現場での先生方の苦悩については全く取材しないで非難する記事を掲載する」というのはジャーナリズムのあり方として間違っていると思います。それでは政府広報の立ち位置と同じですね。       夫からは「謝罪は典子のいうことではない」といわれました。「典子は「英語で授業は出来ない」という事実の提示だけで充分だ。」といわれました。 でも、私は「典子が言わなかったら誰も言わないよ。 有識者会議の委員という責任あるポジションにいる人が正式に英語で授業が間違っていたと認め先生方に謝罪する必要がある、それをしないからいつまでたっても英語で授業などということが日本で言われるの。英語で授業をすれば生徒がぼろぼろの発音で英語をしゃべるようになることにも気づかないの」といったら、夫はもう何も言いませんでした。

こちらのページで知りましたが、松本茂氏と同様に「半数の高校では英語で授業がまだ行われていない」と高校の先生方を非難していた有識者会議の座長、吉田研作氏は、今年4月からは、上智大学名誉教授、公益財団法人日本英語検定協会会長になられたそうですね.。 「英語で授業」という間違った方針を日本中の高校でやらせて、間違っていると指摘されたら、正しい方針に変える努力もしないで、逃げ出す、というのは非常に無責任な教育者だと思います。英語教育をめちゃくちゃにしておいて「後は知らないよ」ということでしょう。  もし、大学で教えていた間、ずっと「英語で授業」を提唱していらしたのなら、ずっと間違ったことを学生に教えてきたことになります。 無責任です。)



ブログの原稿を書き上げるまで、起きてから3時過ぎまで何も食べられなかったこともありました。(こちらのブログです。 (このブログの後半(赤い字で始まる部分から)はこの時に書いたものではありません。 何か月もたってから加筆したものです。) 原稿を書いた日は朝から家族は出かけていましたので、一人でずっと考えていました。  「英語の思考活動」を説明しなければいけない、とは思うのですが、どう書いていいか最初は全くわかりませんでした。 英語の教科書を読んでいる息子と横でそれをじっと見ている自分の映像が頭の中に浮かんでくるので、多分それが関係しているのだろうとは思うのですが、それが何か、なかなかつかめませんでした。 それで、まず書けるところから書いていきました。 頭の中が充血するようでした。  

この時ではありませんけれど、いつだったかブログを何度も書き直していたときに整体に行ったら、先生がうつ伏せになっている私の背骨に手を当てながら、「ずいぶん頭を使っていらっしゃるんですね」といわれたことがありました。「どうしてですか」とお聞きしたら、「頭を使うと、背骨の一つ一つの骨が上を向いてくるんです」とおっしゃいました。  「そこまでなる人はあまりいませんから、いいことですけどね」といわれました。 でも、あまり疲れてしまうようなときは、お散歩でもした方がいいみたいです。  



昔話の「つるの恩返し」に出てくる鶴が化身した娘は布を織るたびに痩せていきました。 私は鶴のように若くて美しい娘ではないですけれど、ブログを書くたびに体力が消耗するところが「つるの恩返し」みたいだ、といつも思っていました。 それでも、何とかして子供たちを守ってやりたいと思っていました。

12月の終わりから体調が悪くて、何もできませんでした。  しばらく休もうと思ったのですけれど、読書指導をしてくださっている先生方を応援したかったので、今日はこの部分を書き足しました。  先生方がなさっていることは子供たちにとって、とても大事なことです。  本を読むことは決して読解力と関係ないことではありません。  地味で大変な指導ですけれど、子供たちのためにぜひ続けていただきたいと思います。  (2021年2月26日加筆)




これを読解力のテストだといわれて購入した場合、購入した人は表示と違うと感じると思います。
こういうテストを「読解力のテスト」として販売するのは誇大広告であり、不当表示です。 法律に違反しませんか。 消費者による「合理的な選択」を阻害する恐れがあります。  きちんと「テストの設問に答える能力テスト」とするべきです。

この程度のことで「読解力」「読解力」と騒がないでください。 だから新井紀子氏は「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はありませんから太陽は燃えません」などという飛んでもない「読解指導」をするんです。 文学も知らないのに読解読解と騒がないことです。 これは学習塾が得意とするテストのための教材だと思います。

私は文学を学んだこともない新井紀子氏に国語教育に口を出す資格はないと思っています。
新井紀子氏は国語教育を冒とくしていると思っています。
新井紀子氏に読解力の指導をする能力はありません。

新井紀子氏がこのテストを広めたいのは子供たちの為ではないと私は感じています。 なぜならこんなものは子供たちの読解力の向上にはほとんど役に立たないと思うからです。 テストに答える能力の練習にはなるかもしれませんけど、教育はテストの前によく理解させることの方が大事だと考えますので。一体何のためにそんなに熱心にこんなテストを宣伝するのだろう、という疑問を私は持っています。 それは学習塾の仕事ではないですか。


もう10年くらい昔になりますが、「This Present Darkness」という本を読みました。 ずいぶん昔に読んだので細かいことは忘れましたが、本の中で、ある町が邪悪な勢力に乗っ取られていきます。 人々が気づかないうちに大学の学生や警察署の警官が一人、二人、と洗脳されて、やがて町全体が乗っ取られていきます。 乗っ取りは、ひたひたと進行します。 家族を洗脳された人が、それに気づき、命がけで真相を探っていきます。  そして最後は良き人々と邪悪な勢力との戦いになります。 この戦いは人間だけではなく、善悪双方の人間についている霊的存在、わかりやすく言えば天使と悪魔のような存在の間でもはじまります。 2つの戦いは連動していて、最後の場面で良き霊的存在のリーダーがやられてしまいそうになった時人々の祈りが彼に力を与えて勝利します。  

私がこの小説を今も覚えているのは、最後の場面で町を救った天使たちが、「ここの町は救われた。 我々は次の土地に行って仕事をしなければならない」と旅立つ場面がとてもさわやかだったからです。(それともう一つの理由は、皆さんに笑われそうですけれど。。。。 最後の戦いの場面で、それぞれの人がいろんな相手と戦っているのですけれど、娘を洗脳された父親が娘を洗脳した男と戦うことになる場面があるのです。 そこで私は「やっぱり娘に悪いことした男をやっつけるのは父親よねえ。行け! 行け! 娘に悪いことをした男をノックアウトよ!!」と妙に感情移入して読んでしまったので、覚えていました。)

今の日本の教育を見ているとこの物語とよく似ていると思います。 邪悪な下村博文氏が新井紀子氏のような手下を使って、彼らをいろいろなところに配置し、計画をひた隠しにして悪だくみを浸透させ、ひたひたと乗っ取りを進めます。 新井紀子氏のような人は後ろに悪だくみがあることを知りながらそれをおくびにも出さず、人々をそちらに誘導する。 このビデオのように悪だくみに全く気付かれないように「これは子供に役立つものだ」と力説する。 そうやってひたひたと邪悪な勢力による乗っ取りが進行する。 まさに今の日本の教育は「This Present Darkness」だと思います。

新井紀子氏はツイッターのトップに「信頼が崩壊した社会は無駄にコストが高い。name callingはやめませう。」とかいています。name-callingというのは悪口です。

それは下世話な悪口もありますけれど、彼女がこう言うのはひたひた邪悪な勢力を人々の中に浸透させるときに、それに「おかしい」と気づいた人に声を挙げられるとみんなが気づいてしまうから困ると思っているのではないですか? 実際私は朝日小学生新聞に掲載された彼女の「読解力の指導」を「 何の薬にもならない文章」と批判している人のツイッターを読まなければ、新井紀子氏のことを知りませんでした。 何度か名前は聞いたけれど、数学者ですし私とは関係ない分野の人だと思っていました。  たまたま彼女の読解指導を見て、あまりのひどさに怒りが爆発しました。 国語教育を冒とくしていると思いました。 (冒とく: 神聖・尊厳なものをおかしけがすこと。(広辞苑)  いろいろなことを発信して教えてくださる方は貴重だと思います。

私は彼女のひどい「読解指導」を見て、2,3日、あまりよく眠れなかったので、昨日はすごく疲れていました。 そのせいか、昨夜、お布団に入った時、急に「なんで教育には下村博文氏とか新井紀子氏とか悪い人ばかりいるんだろう」と思ったら、ぽろぽろ涙が出てきました。相当疲れていたのでしょうね。 やさしい曲が聞きたくなって、イヤホンでこの曲を聞いていたら、泣いたままねむってしまったみたいで、気が付いたらもう朝になっていました。   「This Present Darkness」の物語ではないですけれど、最後は邪悪な下村博文に先生方が打ち勝つことを祈って私もブログを書いています。

乗っ取りはひたひたと進行します。 特にベネッセのいるところは「利益誘導はない」と新井紀子氏のように言う人がいても、注意を向けていた方がいいと思います。 今も、どんな悪だくみがひたひたと進行しているかわからないと思います。 この先も、第2、第3の「新井紀子氏」が現れて、悪だくみを隠して、何かに国民を誘導する可能性は十分あると思います。 




(1月18日)eポートフォリオのブログを書いたとき、「これは学習塾の市場データを国家に集めさせるものだ」と私は直感しました。新井紀子氏のこのサイトこちらのニュースのページを読んだとき、私には根拠はないけれど、「もしかしたらこうなのではないか」と思ったことがあるので書くことにしました。 おそらく「違う」と当事者は否定すると思います。 否定されたら否定されたでいいです。 本当はそうでないことを望んでいます。 でも心配だから書きます。
このリーディングスキルテストは、多くの学校に参加させてやがて学校教育(公教育)の中に取り入れさせて、その時に営利団体が出てくることになっているのではないですか。 民間試験のGTECと同じことが水面下で計画されているのではないですか。最初は全く営利団体の利益とは関係ない形で行って、学校教育(公教育)に導入させた時に、営利団体が出てくる筋書きなのではないですか。ベネッセとの関係を言われることをあらかじめ想定して準備していたように自信たっぷりにこう言う(妄想とか読解力(定款に対して)とか面白がっているように変な言い方をする)新井紀子氏のコメントがずっと引っかかっていました。彼女はこの筋書きを全部知っている。 その上で、教育関係者に「営利団体は関係ない」と信じ込ませてリーディングスキルテストを広めるのが彼女の役割ではないですか。
 でも一番、変だと思ったのは、私が「新井紀子氏が国語教育を冒とくしている」と書いたとき、「政治家とお金」のことを書いたときのようなきつい妨害が始まったこと。 何か「新井紀子氏の評判を落としてはならない」みたいな妨害する側(政府)の強い意図を感じました。確かに読解力を売り物にする彼女に私が「新井紀子氏は文学も学んでいない」「新井紀子氏の読解指導は国語教育を冒涜するものだ」などと言えば困るでしょう。 でも、それにしても「リーディングスキルテストを勧める彼女の評判をそこまでして政権が守る理由は何なの?と思いました。「彼女を守ることが政治家の利益につながるの?」って思いました。
 
私のブログは政府から激しく妨害されています。 出来れば、ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。 文学さえ学んだことのない人がリーディングテストを分析するだけで、読解力の権威のようなつもりで発言されるのは社会にとって大変危険です。子供たちの国語力の向上の為に地道に時間をかけて努力していらっしゃる国語の先生方の存在は目立たないけれど、高く評価されるべきだと思います。そして結局、そういう努力が一番子供たちの国語力向上に役に立つと思います。

1/17 私のブログには、はてなブログタグ「#下村博文」(このブログの一番下にあります。その文字をクリックするとジャンプできます)というところからのアクセスが毎日「アクセス分析データ」にあったのに、3日くらい前から全然出てこなくなりました。 また政府がなにか操作したのですか? 

(1/16) 私は今日このブログの最後に国語教育を全く専門的に学んでいない新井紀子氏が「文学的文章を理科の事実であげつらう」のは国語教育に対する冒とくだと書きました。 国語教育の専門家は間違ってもそういう指導はしないからです。 ブログアクセスは一桁はこえましたけれど、かなりきつい政府からの妨害を受けています。  新井紀子氏が国語教育について全く専門的に学んでいないと言われると何か困ることがあるのでしょうか。 新井紀子氏の理科の読解力の付け方が、国語教育を冒とくするものだといわれると何か困ることがあるのでしょうか? あるいは困るのはベネッセなのでしょうか?  「テストの分析」=「国語教育」ではありませんよ。
私は中学一年生の時、先生がしてくれた、スタインベックの「赤い小馬」の朝食の描写の説明に驚いて、自分もそういう文章が書けるようになりたいと思って文章を書くことに興味を持ちました。誰に言われたわけでもないけれど、良い文章が書けるようになる努力をしました。 国語教育の道を歩いてきた「本物の国語の先生」のしてくれた授業にはそれだけ子供の心を動かす力がありました。  テストで生徒がどの問題を何割間違えてその原因は何か、とかそんなことばかり調べているのが国語教育ではないですよ。この先生の授業に比べたら、新井紀子氏の国語教育は底の浅い無免許運転の国語教育です。 文学的文章を理科の事実であげつらうなどレベルが低くて目も当てられない。 新井氏ご自身が文学もまともに学んでいないのだから子供を突き動かす力なんかない。 新井紀子氏は国語教育を専門的に学んでいないから、国語指導の材料も空っぽです。何も自分の中に持っていない。 だからこんなレベルの低いことしか言えない。 お粗末な国語指導です。(私はとても国語教育などと言える代物ではないと思っています) 国語の先生方は何もおっしゃらないけれど、内心あきれていらっしゃるのではないですか。 あるいはばかばかしくて反論する気にもならないのかもしれません。 「燃える太陽」という表現に「宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません」では、この人とまともに文学の話など出来ないと思うのが普通ですね。 しかもご本人は国語教育さえまったく学んでいないのに「読解力の権威」気取りで臆面もなくそれを朝日小学生新聞に書いているのですから、国語教育の専門家からしたら「もう救いようがない」と思うのが当然ですね。       「読解力」「読解力」と騒がなくたってその子の興味に合った良い本に出合えば読書の楽しさを知って本を読むようになります。読解力も上がります。 その子が好きな本を探すのはテストの点を分析するより、ずっとずっと手間がかかって時間がかかって失敗もしますけど。 読む楽しさを知れば、子供はテストの分析で指導されるよりずっとずっと長く本を読むことで読解力もつけていきます。 新井紀子氏のやっていることは国語教育なんかじゃありません。 文学もまともに学んでいない人が生徒の心を動かす国語教育なんかできるわけないじゃないですか。 無資格者の底の浅い無免許運転の国語教育です。 点数上げたい子はよく聞くでしょうけど。 子供の心を突き動かす国語教育に文学さえ学んでいない偽物はいらない。

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こちらは数日前、羽藤由美先生がリツイートしていらした新井紀子氏の文章です。  これを読んで私が感じたことを書きます。 誰がどういう文章を書いても私がとやかく言うことではありませんが、新井紀子氏が「読解力の指導を子供たちにしている」と聞きましたので、私は書くことにしました。 私が疑問を持った部分のみ、朝日小学生新聞(2021年1月8日掲載)から引用させていただきます。


朝日小学生新聞(2021年1月8日)「新井紀子先生のぐんぐんのびる読解力」冒頭の部分より引用

「AIに負けない子どもを育てる」などの本で知られる数学者・新井紀子先生が、教科ごとに読解力のつけ方を教えます。今回は理科。科学の進歩から、振り落とされないための「こつ」を紹介します。


明けましておめでとうございます。初日の出は見ましたか。私は、海岸から見る日の出が好きです。まっすぐに続く水平線が徐々に明るくなり、オレンジ色に燃える太陽がのぼってくる瞬間はわくわくします。
  さて、この第1段落は国語の文章としてはおかしくありません。でも、理科としてみると何か所か間違っています。気づいたかな?
  まず、水平線はまっすぐではありません。地球は丸いので、水平線はゆるやかな曲線を描いています。ただ、地球は私たちにくらべてあまりに巨大なので、まっすぐに見えるのです。「燃える」ためには酸素が必要であることを、6年の理科で習いますね。宇宙空間には酸素はなく、太陽は燃えません。「核融合」という反応中に放出される大量のエネルギーによって、光って見えるのです。そもそも、太陽は「のぼり」ません。北極を上と見たとき、地球が反時計回りに回転しているので、太陽が東からのぼって西に落ちていくように見えるだけなのです。

以上、朝日小学生新聞より引用させていただきました。

「理科の読解力」というのは、科学的文章を読むときの読解力のことでしょう。文学的文章を理科の事実であげつらうことではありません。新井紀子さんは「理科の読解力とは何か」もご存じありませんか。



結論から言うとこういう方に国語教育をされるのは困ります。文学的文章に科学的事実で突込みを入れるような国語教育(?)は本来ありません。 そんな文章は生徒に読ませるだけで害があります。 国語教育をきちんと学ばれた国語の先生方は決してそういうご指導はなさいません。 経歴を拝見すると、 新井紀子氏は国語教育を一切学ばれていません。 そういう教養のなさがこういう時に露呈します。 国語教育の専門家なら絶対に犯さないような基本的な間違いを犯します。 間違った国語教育をすると、国語教育の大事な目的の一つ、生徒の文学的文章を理解・鑑賞する力が失われます。「文学的文章を文学的文章として尊重する」という姿勢を生徒に育てるのも大事な国語教育です。 そういうことが自然にわかるのがきちんと国語教育を学んだ教育者です。 新井紀子氏はきちんと国語教育を学んでください。 「国語教育をきちんと学んでいない」というのは致命的な欠陥です。 指導の根幹に国語教育の基本事項が欠如しているからです。



読書をしてたくさん文章を読んでくると文章には科学的な事実が書いてある科学的文章と、著者の感性や主観から書かれた文学的文章があるということを自然に体得します。 国語教育では指導する文章にいくつかジャンルがあります。  同じジャンルであっても、文学的文章と科学的文章は異なる種類の文章ですので、文学的文章と科学的文章には、それぞれ異なる文章の書き方があり、ことなる評価の仕方があります。 それが混ざりあうことはありません。  ですから、文学的文章に対して科学的事実での批判(「理科としてみると何か所か間違っています」)から始まるこの新井紀子氏の文章には、読み始めた時、私は大変違和感を感じました。  新井氏は読解力の指導をなさっているということですが、もう少し、ご自身が良い文章をたくさん読んでから、子供たちの読解力のご指導をされた方がよいのではないかと思いました。  なぜなら、科学的な文章も文学的な文章もごちゃ混ぜにしたような新井紀子氏の文を読んだ時の違和感が、帰国子女の私の娘に文章を書かせる練習をさせた時に感じた違和感と似ていたからです。 (経歴を見せていただくと、新井紀子氏は海外での学問のご経験も数年おありのようですけれど、成人されてからですから、娘のようにその影響があるわけではないと思います。 けれども「太陽がのぼる」という表現に対して「そもそも太陽は上りません」とか「まっすぐに続く水平線」という表現に対して「水平線はまっすぐではありません」とか「オレンジ色に燃える太陽」という表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」とか「いまどき、文学的文章に対してこんな突込み入れないで。」と思うような、非常に稚拙な文章なのも娘の文によく似ていました。新井氏が子供たちに「この文章は理科として間違っているけれど気づいたかな?」といわれても、文学的文章というのはそんなことに気づきながら読むべき文章ではありません。 「書かれたイメージが浮かんでくるか」とか、文学的文章を読む場合の心構えは、科学的文章を読む場合とはまったく違います。 そういう読み方を訓練するのが文学的文章を読むときの国語教育です。 文学的文章を読んで理科の観点から間違いを探す、などというのは、間違った国語教育です。 いい加減な教え方をしないでください。生徒の国語力に害をもたらします。 こういう教え方は国語教育でせっかく培った子供たちの感性を壊します。   理科教育、国語教育、それぞれにあった教育の仕方があります。 こういう基本的なことも知らない方に国語教育(読解)をされるのは困ります。 子供の中には先生がこういうことをおっしゃると、本当に「科学的事実でないことは書いてはいけないんだ」と思ってしまう子もいるんですよ。  リツイートされた方が「何の薬にもならない文章」と書いていらしたのもそういう理由だと思います。 やはり子供たちに文章の指導(読解力の指導)をなさるのであれば、ご自身がもう少し、書物をお読みになって、良い文章にたくさん触れてからの方がよいと思います。  私は一応、プロの編集者の方にも新井紀子氏の文章を読んでもらいました。 彼女の返事は「川合先生の指摘に全く同感です。 この方は数学者なのに、なんで、読解力の権威みたいになっているのでしょうか。こんな人に何か言わせる前にすることがあるでしょう」とおっしゃっていました。  文学的文章と科学的文章の指導の違いもわからない方に国語指導(読解)を受けるのでは子供たちがかわいそうです。 読解力の指導と称して、文学的文章にこのような突込みを入れるような文章を読まされるのでは子供たちの国語教育としてはマイナス面の方が大きいです。 間違った国語教育はおやめください。  ご自身がもう少し文章の素養を身に着けてから、国語教育のご指導をなさってください。 子供たちのためにその方がよいと思います。 国語教育の基本(文学的文章と科学的文章の指導の仕方が違うこと)を知らない新井紀子氏の間違った国語教育では子供たちは文学を味わう能力を失います。 「国語教育の勉強が足りない」という点で、読解力を指導する教育者として失格です。 経歴を拝見いたしましたが、国語教育に関しては全く学んでいらっしゃいません。

(私自身は英語教育の専門家であり、国語教育の専門家ではありませんが、子供たちが帰国子女で国語力に問題がありましたので、国語教育についてはかなりの時間を割いて学びながら16年間行ってまいりました。 接続詞の説明(こちらのブログ)から読書(こちらのブログ)まで行いました。 ブログには書いてありませんが、娘が高校3年生の夏休みには毎日娘の書いた日本語の文章を直しました。 何を娘にさせたかといいますと、大学入試のための英語長文読解問題集に出ている英文を全文和訳させて、日本語で書かせました。  娘が書いた和訳の文章の文法的な間違いを直し、読み手にとって理解しにくい部分を読みやすいように書き直す練習をさせました。 長文読解の問題集ですから一つの文が関係代名詞や分子構文を使って5,6行になるくらい長い文もありました。 娘は「私は~」で和訳を書き始めて、その文の最後が「海に注いでいました」のような文章になってしまうことがよくありました。「”私は”という主語で始まったら、それに対応する述語で終わらないとおかしいでしょう? 海に注いでいたのはこの人が育った町を流れていた川なんだから、これでは私が注いでいた、みたいになって何のことかわからなくなってしまうでしょう? 日本語の文章を書いたら、主語と述語が必ず対応しているか、確認しなさいね。 一つの文で言えなかったら途中で文を切って、二つの文で書きなさい。 私は、~~。 そして、その川は山間の急流で始まり~~。と書くようにすると、読む人に良くわかるでしょう?」というように教えていきました。 ついでに、漢字の横棒が一つないところや、点がないところなどを直しました。 こんなことは塾の先生には頼めませんので。   最初は随分ひどい文章でしたけれど、40日間毎日書いては直していきましたら、9月には文法的に正しく、相手に理解されやすい文章を書くすべをだいぶ身に着けました。 私は中学生のころ「翻訳家になりたい」という作文を書いたこともあるくらい一時期興味がありました。 ですから、日本語の文章表現を特に注意して学んできました。(私が「文章を書く」ということに興味を持ったのは、こちらのブログに出てくる国語の先生がしてくださった「赤い仔馬」の解説を聞いた時の驚きからかもしれません。 「さりげない描写でこんなことまで表せるんだ」という驚きが、自分もそういう文章を書いてみたい、と思わせ、書くことに興味を持って行ったのかもしれません。実際に、短かったですけれど小説みたいなものを書いたこともありました。)  良い文章を自分の中に蓄積させることについては私は中学時代から「本の世界に逃避するな」と教師に注意されるくらいたくさんの本を読んで良い文章に触れてきました。 高校時代以降は、この先生の影響もあって、いろんな本を読みました。国語の先生方のような専門性の高いご指導は出来ませんが、少しは文章の指導についても学んでいます。それで、国語教育の専門家ではありませんが、私の知っている範囲の国語教育の知識に基づいて書かせていただきました。 そうせざるを得ないほど、新井紀子氏の文章を読んだとき、強烈な違和感を感じました。新井紀子氏の文章(特に前半)はほとんどナンセンスです。(ナンセンス:(広辞苑)無意味なこと。くだらないこと、馬鹿げたこと) とてもまともな文章とは思えません。 国語教育においてこういう文章はありえません。 稚拙でまるで、お笑い番組の掛け合いのようです。 文学的表現を科学的事実で批判するような文章は、読むだけで子供たちの国語力に良くない影響を与えます。(文学的文章を文学的文章として尊重する姿勢を育てることは大事な国語教育です そういうことが自然にわかるのが国語教育者の素養です。) そんなことも知らない人が国語教育をするということが、大変な衝撃でした。 新井紀子氏は国語教育についてきちんと学んでください。国語教育をする人間が国語教育を学んでおくのは当然のことです。 文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読んでいるだけで不快です。(私はTOEFLと英検の対照表を見た時、「自分が生きているうちにこんなものを見るとは思わなかった」と思いましたけれど、今回は、自分が生きているうちに、国語教育で文学的文章を理科の事実であげつらう文章など読むとは思いませんでした。 これを「数学者・新井紀子先生が、教科ごと(理科)に読解力の付け方を教えます。」(前出「朝日小学生新聞」)などと書いてあると「もう、やめて下さい」という感じです。) 上に書いたプロの編集者の方が「新井紀子さんが国語教育を学んでいないのに堂々と読解力について語ってしまう度胸は無知と想像力の欠如からくるのではないでしょうか。」とおっしゃっていました。 国語教育と称して新井紀子氏は本気でこんなものを書いているのでしょうか。こんなもの、国語教育を冒とくするものです。 考えれば考えるほど怒りがこみあげてきて昨夜は眠れませんでした。


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私は時々、神様のすることはすごいな、と思うことがあります。 どんなに頭の良い人でも、すべての要素を考慮して、タイミングを合わせることは出来ないけれど、神様はそのタイミングでさえ、最もふさわしい時に完璧に合わせて行うことができる、すごいな、と思うことがあります。

私はあまり体調がよくなかったこともあって、3月5日にブログに加筆した後、もうこの件はおしまいにして、私は少し休養しようと思いました。 たとえ新井紀子氏がテストを売ることを止めなくてももう体がしんどいのでこれ以上私には何も出来ないと思いました。3月18日に思いついたことを軽く加筆しましたけど、気持ちは完全にお休みモードに入っていました。 とにかくもう、疲れてしまいました。

ところが、そうやって休養していた3月25日の朝、起きた時、突然、「今日はExtra Help のことを書くのよ」と頭の中に浮かんできました。 2006年に帰国してからExtra Help のことなど一度も考えたことはありませんでした。わからないところを先生に質問に行くなど、当たり前のことで深く考えたことなど一度もありませんでした。  なのに、3月25日の朝起きた時、突然「今日はExtra Help のことを書くのよ」と頭の中に浮かんできました。  「えっ !? Extra Help? なんで?」そう思って、少し考えてみたら、「そういえば、あれは教科書を読むだけでは理解できないことがある一番いい例ね。」と思いました。 それで、Extra Help のことを書きました。 前の日まで、Extra Help のことなんか、思い出すことさえありませんでした。

結局これが、彼女の主張を否定する根拠になって新井紀子氏はもう「教科書の読解力が人生を左右する」とは言えなくなりました。 



それから、新井紀子氏とベネッセがつながっていたことは「皆さんのブログを読んだ反応」が教えてくれました。

私は新井氏の本「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」は「教科書がすらすら読める(読めない)」のデータを見るためもあって、244ページまでは気にかかった言葉には横線を引き、特に気になった箇所には付箋を貼り何が気になったかを書き入れ、疑問点は鉛筆で書き込み、一字一句見逃さないよう気を付けて読みました。どこに教科書を実際に生徒に音読させたデータがあるか、見逃してはならないと思ったからです。 だからブログを直していたとき、「そういえば、新井紀子氏は日本数学会の何か委員をやっていたのよね。」と思いだしました。 それで、日本数学会の教育委員長が国語教育に手を出して詐欺やっていていいんですか。」と、とりあえず、ブログに書き足して、そのあと、庭でビワの袋掛けをやっていました。 

袋掛けは4月からやっていましたが、足が痛くなるので毎日少ししかできなくてずいぶん遅れてしまいました。それで、その日は少し急いでやりました。  30分くらいして足が痛くなったので、家に入って休んだ後、もう一度ブログを見たら、30分前に加筆したときの2倍にアクセスがふえていました。(去年の2月から恒常的にブログは妨害されていましたから、珍しいほど高いアクセス数でした。) 新井紀子氏が「日本数学会の教育委員長でありながら、詐欺をした」というのはそれだけインパクトのあることなのだ、と読者の皆さんに逆に教えられました。 実はそのことは最初はブログトップではなくずいぶん下の方に書き足しましたが、一応新たな加筆なのでブログトップに持ってきただけでした。 でもこんなにインパクトのあることだとわかったので、そのことが書いてあった本の箇所をもう一度読んで見ました。 そうしたら、新井氏が日本数学会の教育委員長として行った大学生数学基本調査にベネッセも協力していたことがわかりました。 つまりベネッセと新井紀子氏の具体的なつながりが本の記述で確認できました。  

私はこのブログを書き始めたころは自分が知っている事実をつなぎ合わせて、ベネッセ、下村博文新井紀子のつながりに気づきましたが、付箋を貼ったところを読んで、本当に新井紀子氏とベネッセがかかわっていた事実が確認できました。 新井紀子氏とベネッセは日本数学会が行った大学生数学基本調査でつながっていました。 皆さんの反応の大きさが私に、ベネッセと新井紀子氏がつながっていた事実を確認させてくれました。

私はブログを書くとき、考えて、考えて、書くことが多いですが(特に英語教育、発音指導について)、こうやって、きのうまで全然考えてもいなかったことが朝起きた時、突然頭に浮かんできて書くこともたまにあります。 こちらのブログもそうですね。   そういう時は神様のタイミングというのは、すごいな、と思います。 どんなに頭のいい人間が考えても出来ないほど、完璧なタイミングですね。 Extra Help のことは朝、起きた時に突然頭の中に浮かんできたことでしたし、新井紀子氏が日本数学会の教育委員長だと書いたときの皆さんの反応が、ベネッセと新井紀子氏が実際に日本数学会の大学生数学基本調査でつながっていた、という事実を教えてくれました。 神様のタイミングというのは人間がどんなに考えても出来ないくらい完璧なんだなあ、と思いました。(6/23 ついでですから書きますけれど、こうやって非常にインパクトがあることを書いたときは、一気にアクセスが上がるのですけれど、2時間くらいするとピタッとアクセスは止まります。(このビワの袋掛けをした日もそうでした。この日はもっと早くて、2倍になった30分で止まりました)そしてそれから夜中の12時にその日が終わるまで、2,3個しかアクセスは増えません。まるで、それに気づいた誰かが「川合典子がこんなことを書いているからアクセスを止めて」と政府に連絡したのではないかと思うほどピタっと止まります。いつもそうです。そして翌日からまた、きつい妨害が始まります。新井氏のことを書くようになってからいつもそうでした。  何回も何回もこういうことをされていると、「世間に対してはあんなにご立派なことをおっしゃっているのですから、もう少しご自分も自立されたらいかがですか」と思ってしまいます。  新井氏は権力者に守ってもらわないと一瞬も一人でいられないのかと思ってしまうほどでした。私は今まで何人かの大学教授にいくつかのことを指摘してきましたが、こんなに瞬時に、こんなに何回も政府(下村博文?)に頼るのは新井紀子氏が初めてでした。 他の方と比べて新井氏は「教授」としてのキャリアが少ないのでしょうか。一瞬も一人で対処できないの?と思うほどでした。(私は津田塾大学で女性の教授の講義はいくつも受けました。先生方は見た目は穏やかですけれども、内に強いものをもっていらっしゃるのがわかりました。女性が学問をすること自体、非常に難しかった時代に教授にまでなられた先生方ですから、学問に対する情熱が半端でないことはすぐにわかります。 どの先生も静かでありながらゆるぎない自信と強さと圧倒的な存在感がありました。 学生の私には先生がそこにいらっしゃるだけで、周りの空気まで違って見えました。 教える内容についての知識や経験、研究の深さはもちろんですけれど、自分自身の言動に対する強い責任感と自信、それが突出しているのではなく、先生方の人生の中で当たり前のことになっているすごさを感じました。 私は先生方をとても尊敬していました。    金儲けのために学んでもいない国語教育に手を出して詐欺までする新井紀子とは全然違います。(比べること自体、先生方に失礼ですね。)    ですからすぐに人に頼る新井氏を見ていると彼女が教授だ、というのが信じられませんでした。何か言われるとすぐに他人に頼る教授なんているの?と思いました。  

文部科学省の英語教育の方針が万年失敗になる理由。(文部科学省は、なぜ発音指導もCDも学校で生徒に与えないのか。英語教育産業を守るため。学校教育で発音完璧なスピーキングができれば誰も英会話学校へは行かない)

(9月11日に加筆した①②➂はこのすぐ下の部分に書いてあります。①HP更新②東京都のスピーキングテストは教育基本法第4条違反文部科学省の英語教育の方針が万年失敗になる理由。文科省の英語教育は英語教育産業のいいカモ作り)

2022年10月8日 私がこちらのブログの冒頭(水色の部分、英語教育に関する部分)のような激しい文章を書いた理由。私事ですので興味のある方のみお読みください。

あの文章を書く少し前、私はCSで放送された「タクシー運転手」という韓国映画を見ました。 以前夫が「光州事件の時、軍に攻撃される市民の惨状をビデオカメラに収めたドイツ人ジャーナリストを光州からソウルの空港に乗せていくタクシー運転手を描いた映画だよ。実話に基づいた映画で、いい映画だよ」と言っていたので、見てみたいと思いました。

最後の場面で、光州のタクシー運転手たちから、「私たちのために君はピーター(ジャーナリスト)を乗せてソウルの空港に行ってくれ」と言われて彼は惨状の光州を後にしてソウルに出発します。 途中、軍の検問があり強行突破し軍に追跡されます。  そこを光州のタクシーが何台も守りに来て、ソウルのタクシーに近づく軍の車を妨害しに割り込みます。 でも軍用車に激突され死んでいきます。軍は自分たちが光州でやっていることが国外に知られることを何としても阻止しようと必死でジャーナリストの乗ったソウルのタクシーを追いかけます。  ソウルのタクシー運転手は車が激突する音を自分のタクシーの後ろに聞きながら、自分を守って仲間が命を落とした事に悲しみをこらえながら運転し、軍用車を振り切って、ピーターを乗せてソウルに向かいます。 

私はその映画を見ながら、私には戦車の弾丸が飛び交う道路で、弾圧に抗議する集会に参加する勇気はないけれど、子供を守る努力をする事はできる、と思いました。 ソウルにジャーナリストを乗せていくタクシーを軍用車の前に突っ込んで守る勇気はないけれど、子供を守る努力をすることはできる、と思いました。

国民を弾圧することとは違うけれど、子供達が本来なら受けられるべき教育を自分が私腹を肥やすために取り上げている政治家(下村博文)だって、国民に悪いことをしていることに変わりはない。その政治家(下村博文)の言いなりになって、子供達から本来学校で学べることを取り上げている文部科学省だって許されることではない。そう思ったら、あんなに激しい文章になってしまいました。

けれども、私は英語教育の専門家です。 政府の英語教育に反対する理由に感情的なものは一切ありません。 その根拠は全て英語教育の基本と英語習得過程の事実に基づくものです。



2022年9月11日 3点加筆しました。それぞれ下に詳しい説明があります。
①ホームページを改訂しました。(こちら)
②東京都のスピーキングテストについては先生方がすでに監査請求をされていますので、私が何も書く必要はないと思いましたが、HP制作中、HP改訂のお知らせと共に掲載するつもりで書いていた原稿があります。英語教師から見た「不公平なテストの証拠」ですので参考までに掲載しました。題は「東京都の高校入試のスピーキングテストは教育基本法第4条に違反する違法なテストです。 やめさせるには、東京都教育委員会を相手取って「スピーキングテストの差し止め」を求めて東京地裁に提訴するしかないと思います。東京地裁で納得いく判決が得られなければ控訴、上告という手段で、最高裁まで東京都のスピーキングテストの妥当性を司法に判断してもらうことが出来ます。」
文部科学省の学校英語教育の目的は「英語教育産業のいいカモになる日本人を大量に作り出すこと」その為に文部科学省は「絶対に学校で通じる発音を生徒に習得させない」(憲法第15条第2項違反、国家公務員法第96条第1項違反) 

詳しい説明

①ホームページを改訂しました。(こちら) 5月28日より原稿を書き始めて先週末HPが完成しました。 スマートフォンでも見られるようになりました。 「学校英語教育のやり方」をトップページに持ってきました。  「英語の音質(声)で話す練習」を追加しました。子音の日本語化を直す練習は今までブログにリンクをつけて説明していましたが、子音ごとの練習方法をホームぺージの中にまとめました。  英語が日本企業の国際化の大きな足かせになっていますが、適切な学校英語教育を行えば、「通じる発音ですらすら自分の言いたいことを話せる学生」が毎年多数日本企業に入社してきます。 文部科学省が正しい英語教育をすれば、日本人がネイティブ発音で言いたいことをすらすらしゃべるのは当たり前のことです。 本当ですよ、経団連の十倉雅和会長。 もう日本企業は莫大な英語コストを負担する必要はありません。


②東京都の高校入試のスピーキングテストは教育基本法第4条に違反する違法なテストです。 やめさせるには、東京都教育委員会を相手取って、スピーキングテストの差し止めを求めて裁判所に提訴するしかないと思います。学校で教えていないことをテストされれば塾にいけない生徒は経済的地位によって不当に教育上差別されることになります。これは経済的地位による差別を禁止した教育基本法第4条に違反します。
「中学校で教えていないことをテストする違法なテスト」とは

現行の学習指導要領(151ページ)では「音声指導に当たっては」、発音記号については「音声指導の補助として必要に応じて発音表記を用いて指導することもできることに留意すること」となっていて必ず教える項目にはなっていません。 しかし、発音記号ごとの正しい発音を教えなければ生徒は正しいスピーキングは出来ません。 事実、私は中学1年生の時、授業で教科書の音声を聞くだけではどうやって発音したらよいのか全然わかりませんでした。 (私は中学1年の時に親に買ってもらったテープの教材で英語を勉強しました。(当時教科書の音声は入手できませんでした) けれども、どうやってテープと同じに発音するのかわからなかったので発音記号ごとの発音の仕方を自分で調べて勉強しました) さらに、発音は教えただけでは身につきません。 体育の逆上がりと同じで(筋肉トレーニング)教えた後生徒がその口の動きを家で練習しなければ出来るようにはなりません。 それには練習のための教科書の英語音声を生徒一人一人に配布する必要があります。  けれども文部科学省は教科書の音声も生徒に与えていません。 【注1】 これでは練習は出来ません。(家で練習しても習得までに2年間かかります。)    最もひどいのは学習指導要領151ページに書いてある「授業は英語で行うことを基本とする。」方針です。 最初の授業から、生徒に英語で話させたら、生徒の発音はぼろぼろになります。 生徒は日本語の発音の仕方しか知らないのですから当然です。  従って、現在、東京都の中学校でスピーキング教育は行われていません。

学校で教えていないことが高校入試でテストされるとなれば、親がすることは決まっています。 「塾で教えてもらう」です。 その結果、塾にいけない生徒が不利益を受けるのは目に見えています。 大学の英語民間試験よりもっと露骨な「親の収入による差別」を義務教育の子供達が受けることになります。 教育基本法第4条では経済的地位による教育の差別は禁止されています。 東京都教育委員会による塾にいけない生徒に対する不当な差別は司法の判断でとめてもらうしか方法はないと思います。 (採点もフィリピンでするそうです。フィリピンでの採点については情報開示を求めても開示してくれないそうです。どのように採点の公平性が保たれるのかも不明です。)  

それともう一つ私が気になったのは、以前見た東京都議会での教育委員会の対応でした。 ある議員が、「ベネッセが高校入試のスピーキングテストを行うことを自社の利益拡大に利用することはないのか」と質問したのに対し、東京都教育委員会は「ベネッセとの契約でそういうことは行わないことになっている」と答えました。 ところが次に都議が提示した資料では明らかにベネッセがスピーキングテスト対策と思われる教材を販売していることが明らかになりました。  東京都教育委員会は「それについては知らなかったので調査する」と答えましたが、その動画を見た私には「東京都教育委員会はベネッセのすることに一切口出ししない」という態度が見て取れました。 私は「ベネッセが東京都のスピーキングテストをすることについて、東京都教育委員会が何も言えない何らかの政治的な力が働いている」という印象を受けました。 

義務教育の子供達が東京都教育委員会によって不当な差別を受けることは許されないと思います。 裁判に費用がかかりますが、クラウドファンディングのような手段で集めれば全国に協力してくださる方はいると思います。  この東京都のスピーキングテストはやがて全国に波及していくと思いますので、どの県に住んでいても決して対岸の火事ではないと思います。


【注1】 パソコンで教科書の音声が聞けるのかと思い、東京都に姪がいるので聞いてみたら「息子の中学校は、パソコンは学校保管だから家には持って帰れないの。」ということでした。 (学校保管を悪いとは私は思いません。なぜなら、もう一人東京都にいる知り合いが「パソコンが壊れると親が自費で直すの。すごくお金がかかって大変なの」といっていました。   毎日持ち帰っていたら壊れる確率も増すでしょう。 それもあってCDの方が扱いやすいと思いました。 英語音声さえ生徒に与えてくれればどんな形でもいいです。  中学の英語の教科書のデジタル化はもう決まったようですね。 でも、現在、高校入試のスピーキングテストを受ける子供達には教科書の音声モデルは与えられていません。)


文部科学省の英語教育の目的は英語教育産業のいいカモになる日本人を大量に作り出すこと 文部科学省は絶対に学校で通じる発音を国民に習得させない (文部科学省の行為は国家公務員の職務を定めた憲法第15条第2項に違反し、国家公務員法第96条第1項に違反する。)
2022年8月8日に発表された文部科学省「英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)」は失敗します。その理由を説明します。
このプランの8ページ目②をご覧ください。 そこに「授業は英語で行うことを基本とする」という言葉があります。  英語で授業をすると子供たちの発音はぼろぼろになります。生徒の耳の中に正しい発音が蓄積される前に英語で話させると生徒は日本語の音しか知りませんのでぼろぼろの発音で英語を話し始めます。 その結果、生徒の発音は通じませんので「発信力」はぼろぼろになります。 従って「英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)は失敗します。 2021年から始まった現在の学習指導要領には「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と書いてあります。 次の改訂は10年後くらいでしょうから、 2031年まで文部科学省がどんな立派な英語教育プランを作っても失敗します。 7ページ目には外部の団体のディベートやスピーチコンテストを支援すると書いてありますけれど、通じない発音でディベートやスピーチコンテストをしても無駄です。 

英語で行う学習には2通りあります。

(1) 英語力をつけるために行う学習

   ① 正しい発音を習得する為の学習
   ② 英語の語順で文を理解できるようにする学習
     日本人は日本語からの類推で英文を作ることはできません。 
     そこで、まず英語の基本的な文の形(英語の原型)を覚えて自分の中に蓄積させます。
     そして、その「文の型」に従って英文をしゃべるようにします。
     この英語の原型が頭の中にないと何もしゃべれません。

(2) 英語力を身に着けた人が行う学習

  英語で授業
  英語で討論
  英語で発表
  英語でスピーチ
  英語でディベート
  英語でエッセイ(小論文)を書く
  英語の本で速読

 (2)は「英語で○○」というのが目立ちますね。 そうなんです。(2)「英語で○○」するためには、(1)英語力をつける学習を先にしなければできないのです。  皆さんには帰国子女が「英語で○○」しながら英語力を習得しているように見えるのかもしれません。 けれどもそこには日本の英語教育にかかわった大学教授達も気づかなかった理由があるのです。

理由(1)英語圏に行った子供たちには「大量の英語インプット」がある。
私は日本で英語を学びました。 2度目のアメリカ赴任が決まった時、私は子供たちが英語を身に着ける過程をつぶさに観察しました。  そして日本で英語を学ぶ時、最も日本人が苦労する「発音」と「語順」を彼らがどう学んでいくかを注意深く観察しました。 そして分かったのが、「英語圏では大量の英語インプットがある」ということでした。

彼らは学校にいる間中(7時間くらい)ずっと英語を聞いています。 従って大量の発音が耳の中に蓄積されますので、ネイティブのように発音できます。 ネイティブが使っている文をそのまま真似ていうこともできるようになります。例えば私の娘は渡米2,3か月後、英語もわからないのに、嫌がることをわざとする男の子にすごい顔をして、「すたぺっど」(Stop it ! ) と怒鳴ってやめさせていました。こうして語順も習得します。(動詞の後に目的語) 娘は「みんなの真似しただけ」といっていましたけれど日本にいたら発音や語順を真似するお手本になる英語は聞けません。日本では誰も英語を話していませんから。 つまり大量の英語インプットのある国とない国では英語教育の仕方は違うのです。日本では「英語で○○」しながら、発音も語順も身に着けることはできません。

理由(2) もう一つ「英語で○○」しながら英語力がつくように日本で勘違いされる理由は、小学校低学年までを除いて、帰国子女も家で「英語を日本語に訳して理解する」という膨大な努力をしていることを日本にいる人々は知らないからでしょう。 また帰国子女自身も4年もアメリカにいると「僕は最初から全部自分で出来たんだよね」と、日本語に訳して苦労して英語を理解したころのことを忘れてしまうからです。  日本で英語を学んだ人でも英語が堪能になると、日本語に訳して英語を学んだ頃のことを忘れてしまう人はたくさんいます。 例えば英語学校FORWARDの石渡誠氏のように「英語を英語で理解する指導法」などという全く不可能な指導法を提唱している人がいます。 石渡氏が「英語の神様」と呼ぶ松本亨氏(NHKの英語講座を21年担当。昭和46年度NHK放送文化賞受賞)が提唱した「英語で考える指導法」も松本亨氏の勘違いから生まれた方法です。こちらのブログではその「英語の神様、松本亨氏」の間違いを最初のわずか10行で証明しました。これほど簡単に間違いだとわかる指導法です。それを50年も提唱してきたのですから松本亨氏、石渡誠氏の罪は非常に重いと思います。 石渡誠氏はこの指導法の間違いが明らかになっても未だに間違いを認めません。 だから石渡誠は「英語で授業」を提唱する教師の中で最も悪質な教師だと思います。 間違いを押し通して平然と生徒の前に教師として立っているのですから。 (石渡誠氏と松本亨氏の指導法の間違いはこちらのブログ「英語の思考活動」(「日本語訳を使ってはいけない」という松本亨氏、石渡誠氏の指導法は、初級者中級車の英語力向上を妨げます)でも説明しました。 2017年11月16日のブログ 「和文英訳(2) 初級者、中級者は、単語の日本語訳を手掛かりに自分の言いたいことを英文にする」をお読みになると、「英語で考える指導法」は、提唱者(石渡誠氏、松本亨氏)だけが「生徒が日本語訳を使っていることを知らない」という事実が皆さんにもお分かりになります。)

以上2つの理由で、「英語で○○」しながら基本的な英語力(発音・語順)が身につくと日本では誤解されているのでしょう。 

それで文部科学省が「(2)英語力を身に着けた人が行う学習」(英語で○○)をすれば英語力がつくかのように計画表を書いても多くの人々が疑問を持たないのでしょう。 でも、洪水のような英語のインプットがある国でやっている教育を日本でやっても生徒に英語力をつけることはできません。 日本では英語力は一つ一つの基本スキルをきちんと学習して身につけなければなりません。 英語で授業をして自分の言いたいことを英語でしゃべらせていれば発音も語順も身につくわけではありません。 今まで一度も発したことのない音、今まで一度もそんな語順で言ったこともないこと、この二つを口を開いた瞬間から同時に行う、そんなことは日本で勝手に生徒に英語をしゃべらせていたらできることではありません。

(2022年11月28日加筆)よく丸暗記はいけない、と言われます。では帰国子女は英語の丸暗記をまったくしなかったか?といえばそうではありません。 毎晩地理の用語を英語で理解してから暗記する、プレゼンテーションを最初から最後まで暗記する、ギリシャの神様の役目とシンボルを暗記する、グループ発表でDJ役になれば言う事は全部暗記する、テストがあれば、地震が起こるプレート理論を理解して暗記する、火山の爆発の起こり方を理解して暗記する、などなど、、、、、 理解してから、その説明を英語で言えるようにする勉強のない科目はありませんでした。 とにかく英語で理解して英語で言えるようにしなければ何も、「理解した」「学んだ」とテストで、証明することはできませんから。 皆さんの中間試験や期末試験の勉強も同じでしょう。化学の教科書を読んで暗記する、歴史の教科書を読んで暗記する、勉強の全部が暗記ではありませんが、基礎的なこと(例えば語の定義など)はほとんど暗記をしたのではないですか。 帰国子女だって、同じことを英語で行うのです。 皆さんが学校で日本語で勉強していることと同じことを全部英語で行うのです。 膨大な暗記も行うのです。それは勉強の本筋ではないかもしれませんが、その土台がなければ上に知識も思考も構築していけなかったのです。私は日本の子供たちの英語力を上げるには中学時代、授業で重要なことを理解した後、教科書の英文を、発音をCDの通りに、文章ごと生徒の頭と口にコピーすることが強固な英語力の基礎を作ると主張しています。(こちらのブログ)こうすれば、中学卒業時子供たちは15歳のレベルで完璧な英語コミュニケーション能力を身につけます。(中学3年間で習うすべての文を理解して正しい発音でスラスラ言えれば、彼らは中学卒業レベルで完璧な英語コミュニケーション能力を身に着けたといえます)「大学まで10年英語をやってもちっともしゃべれない」などという不満はもうなくなります。 子供達は習った文法事項も理解した後、CDと同じに言う練習に入りますから文法も身につけます。 皆さんの中には丸暗記はいけない。自分の思うことを言わせるべきだ、と考える方がいらっしゃるかと思いますが、「音の体系」と「語順」が全く違う言語の基礎を最初に生徒の頭と口におぼえこませるには「音」と「語順」の基礎を何があっても忘れない状態で身に着けさせることが不可欠です。(発音の定着には2年を要します) 帰国子女だってこんなに英語で暗記をしているのになぜ、日本で英語を学ぶ時には「丸暗記はいけない」というのでしょうか? そんなことに文句を言っている暇があったら、必要な英文を理解して正しい発音で言えるようにしてやった方がずっと生徒のためです。 英文を理解して正しい発音で同じように言えなければ学んだものとしてその英文を使うことはできません。 (こういう私も教師をしていたころはそういう勉強でいいのだろうかと悩んで、先輩の先生に相談したことがありました。 でも、結婚してアメリカに行って子供たちが学校でやっていけるようになるまで手伝いながら、もうそんなことを言っているレベルではない暗記の量に、「教科書の英文程度の暗記は大した問題ではない」と思うようになりました。実際私と同じ勉強を中学時代にした姪は「英語で何か言うときは頭に出てくる覚えた英文の一部分を変えて話していたからすらすら言えた」と言っていました。彼女は高校時代帰国子女と間違えられました。 文を覚えた後、文の中の一部の単語を入れ替えれば、自分の言いたいことを正しい発音ですらすら言うことができます。)




文部科学省は「英語で○○」の計画表を繰り返し作って英語教育に失敗しています。 一例を挙げます。

2014年に文部科学省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を発表しました。

3ページ目には英語で速読、英語で討論等の活動が書かれていますが、これも英語力を付けるための学習ではなく英語力を習得した人が行う活動です。  高校生自身が「討論は出来ない。もっと基本的なことを教えてほしい」と言ったことは私の高校時代の隣のクラスの生徒の例を出してこちらのブログで説明しました。 結局この「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」も失敗しました。2014年から8年たった現在でも生徒は速読も「英語で討論」もできません。 なぜ計画表の目標の達成度を3年くらいしたら調べて、評価を行わないのですか? 文部科学省は失敗してもいつも知らんぷり。そしてまた、英語力を身に着けた人がする「英語で○○」という活動をリストした見栄えのする計画表を出してくる。 2014年の計画表が失敗したから2022年8月8日にまた「英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)」を出してきました。 これも失敗します。 

「英語で○○」は中学、高校で出来ることではないからです。 正しい発音を身に着け、語順の通り理解して英文理解の速度を上げる。 これこそが中学高校でしっかり身に着けることです。 この二つをしっかり身に着けるのに何年かかるか、文科省は知っていますか? 「大人が使う長くて複雑な英文を普通のスピードで正しい発音で言う」私はそれをするのに中学、高校と6年かかりました。高校卒業時、自分の意見を事実・事例を根拠として挙げながら述べる(書く)などとても出来ませんでした。 そんな語彙も、豊富な表現方法も知らなかった。 授業で習った構文を使うので精一杯でした。 (「それは川合典子が出来の悪い生徒だったからだ」といわれればそれまでですけど。。。。私は普通の生徒でした。 高校の英語の時間、新しいレッスンに入るとその内容について生徒が英語で質問し、英語で答えることになっていました。 質問を言う生徒も、答える生徒も途中でいっぱい文が切れてたどたどしい英語でした。 音声モデルで練習できなかった時代、普通の生徒は6年英語を学んでもそれが普通でした。 クラスメートはみんな優秀でした。 だから英問英答も出来たのです。 ただしゃべるときはみんなそういうしゃべり方でした。  帰国子女だって一日7時間くらい英語を聞いて、習得まで2年かかるのですよ。(友達同士で話す程度の英語でしたらそこまで期間はかかりませんが、授業で使われる英語となると、やはり2年くらいかかりました。高校生だったら化学や物理、中学生だったら古代文明や天体など、自分が初めて学ぶことを英語で勉強するわけですから、一年ではとても無理でした) 誰も英語を話していない日本で、一日1時間英語の授業を受けて「英語で○○」がそんな短期間にできるわけないでしょう。 (ちなみに、私が自分の意見を事実や事例を証拠として挙げながら書いたり、言ったりすることができるようになったのは大量の英文読書をした後でした。)

私は最初、「文部科学省は中学高校では「英語力をつけるための授業」をするべきで、高い英語力を習得した人がやることを真似しても無駄だ」とわかっていないと思っていました。 けれども最近は、文部科学省は承知でそれをやっているのだ、とわかってきました。

文部科学省の英語教育計画表は

英語で○○ → 失敗 → 英語で○○ → 失敗 → 

を繰り返しています。その結果、学校英語教育は「いつも失敗の状態」になります。 でも、万年失敗の状態だから、文部科学省の本当の目的「英語教育産業のいいカモになる日本人をたくさん作る」 は達成されるわけです。 次々と英語でディベートだ、英語で速読だ、英語で討論だ、と100年かかっても普通の生徒が教室で出来ないような立派な目標を計画表に掲げ、 「英語で○○ → 失敗」 のサイクルを繰り返すわけです。 それをする英語力は生徒にどこで身に着けさせるのですか?身につけさせないのですよね。 特に通じる発音は絶対に生徒に習得させないのですよね。 そうやって、「英語が通じなくて困る日本人をたくさん作る」のが文部科学省の本当の目的です。 

英語教育産業市場は何兆円とも言われています。 この英語教育産業市場が成り立つのはそれだけのお金を払う、「英語で困った日本人」がいるからです。 その「英語で困る日本人」を大量に作りだしているのが文部科学省の学校英語教育です。 文部科学省は決して通じる発音を生徒に身につけさせない。 そうやって英語が通じなくて困る日本人をたくさん作り出すのが文部科学省の目的です。 

私は根拠なくこういうことを言っているわけではありません。  根拠は文部科学省が絶対に教科書の音声モデルを学校で生徒に配布しないことです。 発音の習得は家庭学習なしには出来ません。  

英会話学校と密接な関係にあることについては6,7年前にわかりました。このブログの紫色で書かれた部分を読んでいただくとお分かりになります。  文部科学省が盛んに「英語で授業」を国民に言い続けていたとき、当時の文部科学省教科調査官だった向後秀明氏は各地で「英語で授業」を広める講演をしました。 向後氏は「泳ぎを習得するためには実際に泳がせなければならない」といって、「英語で授業」をいろいろなところで勧めていました。 その時、向後氏の講演会の日程を載せた文部科学省のページにいつも英会話学校イーオンの名前がありました。  私はそれがとても不思議でした。 その頃ネットで検索するといつもイーオンのキャンペーン「英語で授業をする先生のための無料英会話レッスン」というのが上位に出てきました。 そのあと私はネット上で、文部科学省教科調査官向後秀明氏とイーオン社長の対談「イーオン社長とゆかいな仲間たち」というのを見てたいへん驚きました。 文部科学省と特定の英会話学校が深い関係にあることはこの頃からわかりました。(余談ですけれど、向後秀明氏ほど私のブログからのリンクに細工をしてリンク先を変えた人はいませんでした。 今回は3つほど直しましたが、皆さんがこのブログの紫色の部分をご覧になるころにはまた変えられているかもしれません。 また「向後氏はベネッセ直下の天下り団体ともいえる進学基準研究機構(CEES)の理事をしていた」と教えてくれた大学の先生のツイッターもこのブログの紫色の部分に引用してあります)

文部科学省英会話学校の深い関係はあの頃から出来上がっていたのでしょう。 勿論、中心にいるのは「東大に英語民間試験をさせろ」とすごんでいた下村博文でしょう。  教育の分野で反社会的勢力(暴力団など)のように人を恫喝するなどありえません。


文部官僚は国家公務員です。  日本国憲法第15条第2項では「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」と規定されています。(つまり文部科学省は国民の奉仕者であって下村博文奉仕者ではない)この規定を受けて国家公務員法第96条第1項では「すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。」と規定されています。 業者(英会話学校)の利益を守るため、学校で生徒の発音能力を潰(つぶ)す文部科学省は明らかに国家公務員法に違反しています。 違法な政治家の金儲けを合法的に見せる隠れ蓑の役割を文部科学省が果たしている。 下村博文が金儲けのために業者のためにやりたいことを文部科学省が代わって国の権限を使ってやっている。 それによって、国民がこうむった損害は何兆円どころではない、はかり知れません。 なぜなら、中学3年間、高校までなら6年間という長い時間をかけて身に着けるはずだった「正しく流ちょうな英語」は、英会話学校に行ったくらいでは身につかないからです。 文部科学省は取り返しのつかない「国際社会でやっていける国民の能力」を潰(つぶ)しています。
   
日本で英語を勉強する子供達は、アメリカやイギリスのような大量の英語インプットがないところで発音を身に着けなければなりません。 
大量の英語を聞いて発音が身に付いた帰国子女やアメリカやイギリスに留学しで通じる発音を習得した人には日本で英語を勉強する子供達にどうやって正しい発音を習得させたらよいかは、わかりません。 

吉田研作教授もご存じありませんでした。
松本茂教授もご存じありませんでした。
鈴木寛教授もご存じありませんでした。
向後秀明教授もご存じありませんでした。
直山木綿子文部科学省初等中等教育局視学官 もご存じありませんでした。
林佳代子東京外国語大学学長もご存じありませんでした。
安河内哲也氏もご存じありませんでした。
石渡誠氏も存じありませんでした。
英語の教職課程に留学を必修化するといった萩生田元文部科学大臣も知りませんでした。
下村博文も知らなかった(知ってもやらせない)
文部科学省も知らなかった(知ってもやらせない)

文部科学省が英語教育計画表を作る時の至上命令は「日本人に決して通じる発音を習得させるな」 です。 


「違う」というなら、通じる発音を身に着ける為の具体的な発音教育計画表を提示してください。私は50年以上発音練習をしてきましたから教育プランを見れば、そのプランで生徒が通じる発音で話せるようになるかならないかは見た瞬間にわかります。 そんなこともわからないで上記の大学の先生方にこんなことは言えません。 50年以上自分の体でやってきた事というのはそういうものです。 どうやって練習すればいいのか。 どれくらいの量を練習すればいいのか。 定着までにどれくらいの期間を要するのか。 そういうことは全部自分の体に染みついています。 




私は新井紀子氏の詐欺を指摘してから、政府にブログアクセス数を1や2にされることには慣れましたけれど、これでは学校で一生懸命勉強している子供達がかわいそうです。 ご協力いただける方はツイッターで拡散をお願い致します。 スピーキングの基礎、発音指導さえ学校でしてもらえないのでは子供たちがかわいそうです。 彼らは、中学3年間、高校までなら6年間、毎日少しずつ練習して「正しい発音で流ちょうに英語をしゃべれる」はずでした。 毎日の練習を5年6年と続けて身に着けた英語発音に勝る発音はありません。 それを子供達から取り上げたのは文部科学省です。 2031年まで(現行の学習指導要領が続く限り)文部科学省がいかなる英語教育プランを提示しようと生徒の発音はぼろぼろです。 ここはアメリカではないんですよ。 英語の発音なんて全く子供たちの耳には入ってこない。 それで、授業で英語でしゃべらせたってぼろぼろの発音になるに決まっているでしょう。 そんなことも知らない吉田研作や松本茂や向後秀明などの大学教授のいうことを鵜呑みにして作った「英語で授業」の学習指導要領など使えるわけないでしょう。 大学教授はもう少しまじめに英語教育を勉強してください。日本での英語教育も学んでいないのに、現場の先生方のいうことを聞きもしない。 「日本での」英語教育に無知なのは自分達の方でしょう。 (鈴木寛教授に至っては全く英語教育を知らないのに(法学部出身ですから当たり前ですけど)、公の場で英語教育について間違ったことを平気で発言する。止めていただきたいです)文部科学省は承知で生徒の発音をぼろぼろにしています。 そうやって英語教育産業のいいカモになる日本人をたくさん作っています。 日本の子供達が中学高校と6年練習したら、通じる発音ですらすら話せるのは当たり前のことです。 そこらじゅうで子供達がネイティブ発音で話しているのは文科省が正しい英語教育を6年間していれば当たり前のことです。中学高校6年間自分の耳で聞いてしゃべる練習をしてきた英文なら、聞いた通りに言えるのは当たり前のことです。 子供達のその能力を奪ったのは文部科学省です。 だから日本企業もそのしりぬぐいで社員の英語習得のために多大なコストを負担したり、社内で英語公用語とか多くの労力を使っています。 学校教育で通じる発音で言いたいことがすらすら言えるようになれば、社員は普段日本語で話していても、英語が必要な場合は英語でコミュニケーションできます。 つまり会社の上層部がいちいち社員の英語習得の心配などしなくていい、ということです。 日本人が通じる発音で英語をすらすら話すのは学校英語教育をきちんとすれば当たり前のことです。 これをわざと行わない文部科学省の行為は憲法第15条第2項に違反し、国家公務員法第96条第1項に違反しています。 文部科学省が違法行為をしている、ということは文部科学大臣が違法行為を承知でやらせているということです。 首相は自分が任命した文部科学大臣文科省に違法行為をやらせているのを黙って見ているのですか。 文部科学省は国民の「国際社会でやっていける能力」をわざとぼろぼろにしているのですよ。 証拠は生徒に絶対教科書の英語音声を渡さないことです。 文部科学大臣だってスピーキングを身に着けようと思ったら英語のCDくらい買いますでしょう? そんなことは英語教育の常識です。文部科学省はそれさえも行わないのですよ。 おかしいでしょう。 だから彼らの目的は日本人に通じる発音を絶対習得させないことだ、とわかるのです。 生徒のスピーキング能力の習得が急務の国で、英語のCD一つ生徒に渡さないんですよ。英語教育の専門家から見たら、これほど矛盾していることはありません。 文部科学大臣文科省国家公務員法違反を止めさせてください。 岸田首相は文部科学大臣を任命したのですから国家公務員法違反をやめさせない文部科学大臣を見て見ぬふりをしないでください






12/23公教育は利潤を追求するためにするものではありません。公教育の最も重要な事は社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられるようにすることです。(教育基本法第4条)一方、学習塾や民間試験を行う企業は利潤を追求する団体です。同じ「教育」を仕事にしていてもこの2つの役割は明確に違います。物事は基本に帰ると明確に見えてくることがあります。この境を崩してしまったら、日本には、社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられる場所がなくなるのです。 下村博文議員がもくろんでいるのは利潤を追求する企業を学校教育に入れることです。 それも「留学する生徒がTOEFLを受ける」などとは根本的に違う使い方をして「社会的身分や経済的地位によって差別されることなく子供たちが教育を受けられる権利」をはく奪するような使い方をすることです。 そういう使い方は絶対に許されないのです。 なぜならそういうことをしたら子供たちが社会的身分や経済的地位によって差別されることなく教育を受けられる場所が日本になくなるからです。 文部科学省下村博文議員からどれほど恫喝されても、子供たちのこの場所(学校教育)を死守してください。一人の国会議員が多くの子供たちの「教育を受ける権利」をはく奪することは許されません。 下村議員のすることは、明治以来、日本を支えてきた教育の基盤そのものを壊します。 戦後日本が目覚ましい復興を遂げたのは「すべての子供たちが教育を受けられた」という要因が大きかったと私はずっと思ってきました。お金持ちの子供だけが才能を持っているわけではありませんから。 それを可能にしたのが、日本の公教育だったと思っています。日本の公教育はある意味、日本の財産でした。 公教育と利潤を追求する教育は厳密に分けておかなければなりません。 下村博文議員のすることはこの公教育の基盤そのものを壊します。
昨日は夜の11時でもアクセス数は政府の妨害で「9」でした。 ツイッターをお持ちの方は、多くの方に上の内容を伝えてくださいますようお願い申し上げます。


下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。(2022年3月4日)陰謀論を信じる人たちには、下村博文は、「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。  陰謀論を信じる人たちには、下村博文は「日本を没落させるためにどこかの国が送り込んだスパイ」に見えるでしょうね。




12/17(木曜日)文部科学省は、正常な英語教育を行うために、英語教育に無知な人間に口出しさせないでください。 無知な人間とはどういう人か。
(1)カタカナ発音と英語発音の区別の出来ない人。
(2)英語教育の初歩から完成まで、どのくらいの期間がかかり、どのくらいの練習が必要か知らない人。
(3)英語教育を専門的に学んでいない人。
(1)(2)(3)に該当する人々が今まで、突拍子もない英語教育の方針を持ち込んで現場が混乱しました。(例:英語で授業、指導なしでのスピーキングテスト、その他) 経営学だの、歴史学だの、法学部出身者だの関係ない人が英語教育をめちゃくちゃにしました。過去の失敗から学び、二度と失敗を繰り返さない為には「英語教育に無知な人間に一切英語教育に口出しさせないこと」です。 これが過去の失敗から学ぶ教訓です。(ちなみに下村博文氏は社会科学がご専門のようですから、(1)(2)(3)すべてに該当します。従って、下村博文議員は明確に資格から外れます。だからこういう間違った発言をします。 生徒に音声モデルも渡さないでスピーキングテストをするなど、彼の目的が金儲けなのが露骨です。そんなテスト、何の効果もありませんから。(50年民間試験のスピーキングテストを受けても日本人のスピーキング能力は上がらなかった。年間500万人が民間試験のスピーキングテストを受けているのに日本人のスピーキング能力は上がらなかった。この上大学入試でスピーキングテストをしても日本人のスピーキング能力が上がらないのは明白です。英語教育を知らない下村議員はそういうこともわからない。) 無資格者に口を出させると、彼の金儲けと引き換えに日本の子供たちの「グローバルな世界でやっていけるスピーキング能力」が失われます。皆さんのお子さんのスピーキング能力が失われます。)蛇足ですけど、自民党WT(ワーキング・チーム)も当然この資格から外れます。 従って自民党WTは英語教育に口を出す資格はありません。 保健衛生がご専門では英語教育は理解できません。



12/15中学の「英語ごっこ学習指導要領」(ぼろぼろの発音で生徒に勝手にしゃべらせる)をそのままにして大学入試で各大学にスピーキングテストを義務付けても日本人のスピーキング能力は上がらない。下村博文氏が受験生にベネッセのテストをさせたい限り、どんな会議をしようと、どんな話し合いをしようと、どんな調査をしようと日本人のスピーキング能力は上がらない。下村博文氏がいる限り子供たちがグローバルな社会で活躍できる教育は出来ない。下村博文氏は皆さんのお子さんの未来を食い尽くす。下村博文氏は日本の教育を食い尽くす。下村博文氏がいなければ皆さんのお子さんは10年後(大学卒業時)ネイティブ発音で言いたいことをすらすら話しています。すべてを妨げているのは教育行政に下村博文氏がいることです。彼の金儲けと引き換えに子供たちの「グローバルな世界でやっていけるスピーキング能力」が失われます。



11/21昨日文中に「彼らが弱者を切り捨てるのは弱者は金にならないから」と書いたら、文部科学省の妨害がいっそう激しくなりました。ツイッターをお持ちの方は拡散をお願いいたします。

11/18現在、授業で教えないからぼろぼろの発音で生徒が英語を話しているのに「スピーキングテスト(高校・大学入試)をすれば4技能が上がる」というのは嘘です。自民党WTって母音も区別して発音できない人の集団ですよね。 文科省はなんでこんなド素人の意見を聞くのですか?(そう言えばこの人もド素人だった。なんでド素人のいうことばかり聞くの?それにしてもひどいコメントでした。 もう本文は削除されたようですけれど、最初のバージョンでは「失業者を量産します」という部分がありました。コロナでたくさんの企業が倒産している中、こういう言葉を平気で使うことにこの人の人間性に疑問を持ちました。誰が好きで失業なんかしますか? 羽藤由美先生がリツイートされたこの方もツイッターでこの言葉に怒っていらっしゃいました。同じく羽藤先生がリツイートされたこちらの方は「失業者」という言い方が差別的だと指摘されていました。 あまりにも無神経です。自分は失業などしない、と思っているからでしょう。 鈴木寛氏は強者の立場でしか教育を見られない。社会的弱者への視点はない。 こういう方は「公教育」に手を出すのはやめたほうがいいです。やめたほうがいいというより鈴木寛氏に「公教育」の立案は出来ません。 なぜなら、「教育の機会均等」を定めた教育基本法に違反するような政策を強引に進めようとしますから。事実それで大学入試改革は失敗しました。 鈴木寛氏には社会的弱者を切り捨てる発想しかありません。それで優れた教育が行われるかといえば、そうではなくて、全然効果のないスピーキングテストをやってベネッセを儲けさせたいだけなのですから、「強者」にとっても鈴木氏の方針は全く利益はありません。 「民間試験に効果がある」とだまされてお金を巻き上げられるだけでした。 彼はただの強欲な立案者にすぎません。鈴木寛氏が弱者を切り捨てる理由は「弱者を相手にしていたら金儲けができない」からです。 鈴木寛氏にとっても、下村博文氏にとっても弱者は金にならない。だから切り捨てる。そういうことです。でも公教育は金もうけのためにするものではないんですよ。 (生徒と保護者が一銭もお金を使うことなく子供たちをネイティブ発音でスピーキングさせる方法はこちらのブログに書いてあります。政府が私のブログを激しく妨害するのは、こういうことを言われると英語教育産業が儲からなくなるからです。業者が儲からなくなるから、不備を承知で子供にCDも与えない。それで「スピーキング能力向上の為、大学入試でスピーキングテストをしろ」という。何という政府・文部科学省なのでしょうね。スピーキングテストをやっても子供たちがスピーキング能力を習得することはありません。 学校で教えないのですから。 公教育をつかさどる政府・文部科学省は「社会的身分、経済的地位」にかかわらず、すべての子供が教育を受けられるようにする義務があります。(教育基本法第4条) 私たちはそのために税金を払っています。 政府内では下村博文さんが怖くてそんなこと言えませんか。確かに彼の「東大に民間試験をさせろ」という「恫喝発言」は異様で怖かったですね) こういう方(鈴木寛氏)は裕福な家庭の子女が通う私立学校の顧問でもなさっていたほうがいいのではないですか。  鈴木氏は英語教育の正しいやり方も知りません。(法学部出身ですから)   「書くこと」によって思考力をどう育てるのか。その方法も知りません。(立派なことを言っても具体的な教育の仕方は何も知らないのです。それにどのくらいの指導期間を要するのかも知りません。 それぞれ(発音)6年、(思考力を育てる書く練習)小学校4年くらいから高校卒業まで9年くらいの指導期間が必要です。(基本を教えた後、中学、高校と年齢相応の思考活動をさせて訓練していきます) 大学入試を変えるくらいでこれらの能力が子供に身につくほど教育は生易しい事業ではありません。子供たちの思考の仕方を変えていくには何年も継続して教えていく必要があります。 (大学入試のための勉強として「思考力を育てる書く練習」をさせるのでは、始める時期が遅すぎます。 そんなこと国語の先生だったらみんな知っているでしょう。(鈴木寛氏って総論は立派なこと言っているけれど、実際の教育については何にも知らないのですね。18歳まで思考を組み立てて書く指導もしないで、大学入試で記述式問題を出せば思考力が上がるとでも思っているのですか。 思考力を上げたかったら、思考の訓練をしなければだめなんですよ。) 文部科学省の言う大学入試改革って現場の先生の意見を最初から全く無視しているんですよね。 大学入試というのは高校3年生までに学んだことをテストするんでしょう? だったら、そこまでの教育をどうするのか、その教育を担当している先生方の意見をなぜ聞かないのですか? 英語に至っては「教師の指導力が問題だ」「英語で授業ができない教師が問題だ」とか言って、本当は学習指導要領が「英語ごっこ」のような役立たずなのを直そうともしない。) 18歳までスピーキングも「思考を組み立てて文章を書く指導」もしないで、大学入試でテストをすればこれらの能力が身につくと鈴木寛氏は主張する。18歳まで、英語も国語もその指導をしないでテストやればスピーキングも「思考力を使って組み立てた文章も書ける」というんですか。そんなの、国民を騙すただの詐欺です。鈴木寛氏の教育に対する見識なんてこの程度のものなんですよ。(鈴木氏も下村氏もベネッセのテストをさせるために理由が必要だから思考力だの判断力だのスピーキングだの国民に受けそうな理由を言っているだけです。 実際に思考力、判断力を上げる方法もスピーキング能力を上げる方法も全く知らない。とにかくテストをする理由が立派に聞こえればいい、それだけです。) 鈴木寛氏は実際の教育の手順は何も知らない。 そして弱者を切り捨て強者をだまし、業者に金儲けさせるプランを作っただけです。 結局、弱者も強者も生徒はみんな損害をこうむって、業者だけが儲かるプランを提唱しただけです。こんなプランは見送られて当然です。 彼は、舌先三寸で国民をだましていただけです。 ほぼ詐欺です。 英語教育、記述式を知っている人間から見たら、鈴木寛氏が実際の教育について何も知らないことは明白です。鈴木氏は時代の先端を行く言葉を使っていかにも立派な教育の総論を展開しますが、それを「どう教えるのか」については全く知らない。「英語教育」「記述式」を見る限り、実際の教育については知識も経験もないに等しい。「時代の先端を行く立派な総論」が「ベネッセのアルバイトが採点する記述式に帰結する」  それが鈴木寛氏の教育者としての「能力」です。18歳までの実際の教育法についての知識と経験は、彼は空っぽです。 「見栄えする立派なプランはいくらでも言えるけど、実際の教育法はしらないよ」ということです。 教育者としては致命傷です。 教育法を知らないのですから。)    「いまの高校普通科は、未来の失業者を量産する」って、子供たちの人格を無視するようなことを言わないでください。誰が子供の未来の失業なんか目指して教育していますか。こんな愛情のない言葉をよく子供に対して使えますね。「子供が失業者として量産される」などと言われると、子供たちがまるで、小さいころアニメで見た「ロボットを作る工場」で次々生産されるロボットみたいに聞こえます。 こういう目でしか子供を見られない方(鈴木寛氏)は教育者には向きません。 「英語も話せないのにスピーキング教育に口を出す」自民党WTは無免許で車を運転しているようなものです。 自民党WTは母音の区別もできない、英語教育法も知らない。なんで自民党WTが英語教育に口を出すのですか。 彼らは英語教育に関しては全くの素人ではないですか。 一国の文部行政を担当する文科省がなんでそんな素人に従っているんですか。そこまで文科省には英語教育の専門知識を持つ人がいないのですか。 自民党WTに従うのは文部科学省が本業(授業改革)ほったらかしで政治家に言われた学習塾の販売促進(テストの導入)に忙しいからですか。この政治家・下村博文議員は自分の支持者(東京都)の子供たちまで、都道府県の中で一番最初にベネッセに売ったんですよ。
11月16日(月曜日)3か所加筆しました
音声モデルも生徒に与えられない文科省英語教育は出来ない。ぼろぼろの発音で生徒に勝手にしゃべらせる「英語ごっこ」のような学習指導要領しか書けない。自分がスピーキング(発音習得)したことないから英語教育のやり方も知らない。(生徒に大きな口を開けて「た~ん」「た~ん」と言わせても、それを英語のTURNだと思ってくれる人は日本の外に出たらほとんどいない)それで「英語ごっこ」のような学習指導要領書いて日本中でやれという。その上授業でスピーキング(発音習得)を教えないのに入試でスピーキングテストをすれば4技能が向上すると平気でうそをつく。政治家(自民党WT)と文科省のこの「虚偽の主張」は、eポートフォリオで日本国民全員の個人情報を未成年のうちにだまし取って、ベネッセに売ろうとしたこの政治家の言っていることとそっくりです。 (この政治家は発音習得などしたことがないのに、よくこういう発言ができますね。また、この政治家はよく自分の選挙区(東京都)の子供たちを高校入試の機会をとらえて真っ先にベネッセに売れますね。やりやすい自分の選挙区(東京都)を手始めにして、次々と他県のスピーキングテストをベネッセに請け負わせるつもりだったのですか。 金儲けのためなら自分を当選させてくれた支持者の子供たちさえ真っ先にベネッセに売るのですね。「恩を仇(あだ)で返す」というのは、このことですね。 東京11区の支持者の方々(投票してくれた人々)は、まさか自分の子供(孫)にこういうことをされるとは思っていなかったでしょう。 当選してしまえば、自分に投票してくれた人にさえ何をしてもいいんですか。)だから文科省は国民から信用されない。子供を業者の金儲けの餌食(えじき)に平気で差し出す役所だから。 実技の習得というのはやったことのない人にわからないことがたくさんあるんですよ。政治家の方は知らないことに口を挟まないでください。詐欺だというのがあからさまにわかります。「学校で教えないのに、高校(大学)入試でテストすれば4技能が向上する」ってこれが詐欺でなくて何なのですか。少なくとも「英語教育の専門家」を名乗る教師はこういう主張に同意はしません。もし、政治家が「4技能を上げるために高校(大学)入試でスピーキングテストをする」と言っていたら、その政治家は英語教育については無知で無能(カタカナ発音と英語発音の区別もできない)と思って間違いないです。 スピーキング(発音習得)はそんなことで子供たちの身に付きませんから。 また、そういう政治家が国会議員になった理由は、国民を売って業者を儲けさせるためだと思って間違いないです。事実、「eポートフォリオ」のからくりで国民全員をベネッセに売ろうとしていました。 「国民全員を一業者に売る」など、相当お金に執着した政治家でなければ思いつきもしないことです。   英語教育の専門家で、こんな方針に賛成するのは時の権力者に重用されたい、「カタカナ発音と英語発音の区別もできない英語教師」だけです。 「音声学も学んでいない」まともな英語教育者ではありません。  日本人が通じる発音で仕事や学業で使う英語をすらすら話そうと思ったら、中学時代(学習目標:基礎・正確な発音の習得)、高校時代(学習目標:スピードを上げ複雑で長い文をしゃべる)にわたって、家庭学習として、生徒自身の口で正しい発音でしゃべる練習をさせていかなければ絶対に身に付きません。 やったこともない人がお金目当てにいい加減なことを言わないでください。高校入試・大学入試でテストするくらいで、大人のしゃべる英語が通じる発音ですらすらしゃべれたら、日本人は戦後70年も苦労してきませんよ。50年もスピーキング試験(民間試験)を受けても、年間500万人がスピーキング試験(民間試験)を受けても日本人が通じる発音を身に着けられなかったという事実を見れば、試験を受けるだけではスピーキング能力は身に着かないということが明らかにわかるはずです。スピーキング能力(発音)を習得したこともない政治家や文科省(東京都教育委員会)が知ったかぶりして声高に詐欺を主張しないでください。 英語の実技というのは正しい指導の下で、生徒が継続して練習していくことによって身に着くものです。 学習というのは本来そういうものでしょう。それを行うのが学校でしょう。 テストするだけで、学校で指導もしなかったら、正しい実技は身に着けられない。 この政治家に言われて、文部科学大臣や東京都教育委員会さえ、こういう学習の基本を忘れましたか。 学習の基本も知らないのなら、教育にかかわる仕事はおやめください。子供たちがかわいそうですから。 教育の基本を知っている方にその地位を代わってもらってください。本来身に着けられるはずだったネイティブ発音や高い英語力の基礎を犠牲にしてまで、業者の金儲けの道具にされるのでは子供たちがあまりにもかわいそうです。 文科省が 私のブログのアクセスを妨害してどんなに人々に読まれないようにしても、「学習の基本」「スピーキング能力の習得過程」は真実ですので変わることはありません。 妨害が激しいので(アクセス数は朝から止まったままです)、ツイッターをお持ちの方は周りの方にこのことをお伝えください。(パソコンの前に座って、政府に不都合なブログを妨害する。 その人件費は税金です。 政府は税金を私的目的に使っています) 中学校で教えてくれないスピーキングを高校入試でテストされるのでは、塾や会話学校にいけない子供たちがかわいそうです。ご協力をお願いいたします。 



中学で教えないのに入試でスピーキングテストをするというのは、東京都の高校入試のスピーキングテストは、税金をどぶに捨てているようなものです(このテストのために数年間で何億というお金が使われます)。 また、学校で教えないことをテストするのであれば、塾や会話学校にいけない子供を親の収入で差別することになります。 都民に不利益をもたらすことばかりです。 ひどい教育委員会ですね。しかも採点は「フィリピンのスタッフが行う」としかわかっていない」と6月11日のYAHOOニュースで読みました。(このYAHOOニュースは削除されてしまいました) これでよく都民の理解が得られますね。このテストは子供たちのスピーキング能力には何の役にも立ちません。少しはまじめに学校でスピーキング(正しい発音で文全体を言う)を教えたらどうですか。学習指導要領は通じない発音でしゃべらせることばっかり書いてあって、まるで「英語ごっご」をやらせているような方針です。文部科学省にスピーキング教育の専門家はいません。だからこういう「教えもしないでテストをする」というような「教育において考えられない方針」を出してくるのです。 文部科学省にカタカナ発音と英語発音の区別のできる人はいません。「日本人の発音がなぜわかりづらいのか」その理由を理解できる人もいません。(文科省もそのことはわかっているのでしょう。だからこちらのブログを非常に激しく妨害するのでしょう。) ですから文部科学省に英語教育は出来ません。とくにスピーキング教育は出来ません。だから何十年たっても英語教育の成果が上がらないのです。子供たちに日本の外に出たら通じない英語(?)でしゃべらせる学習指導要領など使えません。これでスピーキングテストをやって何の効果があるのですか。「教えていないものをテストする」文科省がスピーキング教育をどう行ったらよいか全然知らない証拠です。 
スピーキングは実技です。 自分の体を使って身につけなければならない実技です。やったことのない人には教えられません。
泳いだことのない人に泳ぎは教えられない。
ピアノを弾いたことのない人にピアノは教えられない。
発音習得(スピーキング)したことのない文科省にスピーキングは教えられない。実技の習得については実際にやった人間でないとわからないことがたくさんあります。自分で正しい発音を習得したこともないのに、スピーキングについて「ああするべきだ」「こうするべきだ」といっている人を見て私がいつも思うのは、やったことのないことに口を出す人は「自分が何を知らないか」を全く知らない。ということです。 そういう人たちは発音習得について知らないことだらけです。あまりにも無知でまともに聞いていられません。 スピーキングは実技です。出来ない人が口を出すことではありません。






(10月26日) 公立高校の入試問題は「中学校で教えた内容を出題する」という明確な規定があります。もし中学校で教えていない問題が出題された場合は、その問題は採点の対象外となります。現在中学校でスピーキング教育は行われていません。スピーキング教育とは何か。スピーキング教育には基礎から応用までいくつかの段階がありますが基本の第一段階は正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにすることです。現在日本の中学校では「正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにする指導」は行われていません。生徒たちはそれを練習する音声モデルさえ与えられていません。
東京都教育委員会は高校入試にスピーキングテストを実施すると発表していますが、これは「中学校で教えた内容を試験する」という公立高校入試の規定に違反するものです。 違法なテストです。 高校入試までベネッセにお金儲けさせたい政治家の力が及んでいるのですね。 試験をおこなうのがベネッセで生徒にCDも与えずにスピーキングテストをするという間違った手法が大学入試の時と全く同じです。この政治家文科省のバックにいて日本中の子供たちを食い物にしています。 (テストをしているだけではスピーキング能力が上がらないことは明白なのに、最初から「東大にスピーキングテストをさせろ」とすごむくらいテストに固執している。子供達なんかこの政治家にとっては金儲けの道具にすぎないと自分で言っているようなものです。下村博文国会議員は英語教育など全く知りません。 今の状態で民間試験をしろというくらいですから、カタカナ発音と英語発音の区別もできません。)この政治家の選挙区は東京ですね。 自分の選挙区の中学校(義務教育)に「親の収入による子供の差別」を持ち込むような方針をさせて有権者の理解が得られるのでしょうか。「有権者の子供なんか金儲けの道具でしかない」と言わんばかりの方針ですよね。いくらベネッセを儲けさせたいからと言って、自分の選挙区の子供たちにまで教育基本法に違反するようなテストをさせて有権者の理解が得られるのでしょうか。 有権者の支持を失った国会議員は落選します。 私なら、自分の子供を食い物にする候補者には投票しません。親はみんなそうでしょう。子供に何されるかわかりませんから。  実際この政治家はポートフォリオの時は、国家権力を使って、高校生(未成年者)をだまして、ベネッセの見込み顧客データを国家に集めさせようとしていました。その時も、この政治家はそういう下心はおくびにも出さず、「学習に向かう主体性」を高めるためと日本中の教育関係者をだましていました。   この政治家は、国家権力を使って「学校の先生のおっしゃることを何の疑いもなく信じる高校生」をだまして学習に関する個人情報を入力させ、ベネッセに売ろうとしていたのです。(献金もらうのだから売るのと同じ) ほとんどの国民は高校時代を経験して大人になります。 ですから、やがて、ベネッセが全日本国民の学習に関する個人情報を握ることになるはずでした。(教育産業の会社にとっては喉から手が出るほど欲しい情報でしょう。)この政治家は、それ程悪質な上に、すごむと誰も反対できないくらい異様で怖いし。 あんまり露骨に有権者の子供を食い物にするのはおやめください。 下村博文国会議員は国民全員をだまして一私企業に売るなど、日本憲政史上まれにみる悪質な政治家です。 総理と一緒に国民全員を騙してベネッセに売る。」 「被害者が日本国民全員」という点において、下村博文国会議員の謀略は「ロッキード事件」よりひどいです。      誰が見たって「学校で教えもしない」、「生徒に音声見本を与えて練習もさせない」でいきなり高校入試で実技試験を行うのは義務教育中の子供たちに対して不当な試験のやり方です。 あまりにも「子供そっちのけ」の決定です。 試験を考えるとき、だれのことを一番考えなければいけないのか、東京都教育委員会はご存じですよね。 子供は学校でスピーキング教育を一切受けていないのにスピーキングテストをされるのですよ。 誰が考えてもおかしくありませんか。 テストの目的はベネッセを儲けさせることではありませんよ。 おかしくありませんか。 東京都教育委員会がそこまでして何のためにスピーキングテストをするのですか。ベネッセが儲かる以外何の利点があるんですか。子供達には何の利点もありません。親の収入による差別を教室に持ち込むだけです。

もし、学校でスピーキング教育をしないまま、スピーキングテストを実施すれば、塾や会話学校に通って、スピーキング指導を受けられる裕福な家庭の子だけが有利になる、大変不公平な公立高校入試を行うことになります。 これは、公立学校入試の公平性を大きく損なう違法な入学試験です。 テストを受ける前から経済的に恵まれない家庭の子供が不利になることはわかりきっています。(萩生田文部科学大臣の「身の丈発言」でこういうテストのやり方に激しい批判があったのを東京都教育委員会が知らないわけないでしょう。経済的に恵まれない子供が不利になるとわかっていてなぜ実施するのですか。東京都の教育委員会も「身の丈教育委員会」なのですか。) 義務教育期間中に親の収入によって子供を差別してはいけないのです。 教育基本法に違反しています。東京都教育委員会は違法なテストはおやめください。法律を侵す行為は公務員としての服務規律違反です。(リンク先は国家公務員の服務規律に関して書いてありますが、法律を遵守しなければいけないこと、仕事の公平性については国家公務員も地方公務員も基本は同じでしょう) 東京都教育委員会は違法行為を強行するなら、公務員としての資格を失います。 大人に抵抗できない未成年者に対する教育委員会の違法行為ですから決して許されることではありません。 

同じ教室で学びながら、自分は塾にも行けず会話学校にも行けず、隣の席の子は塾や会話学校に行って、スピーキングを学んでいる。 同じ教室で学びながら、子供は中学1年生の時から「自分は高校入試で始めから不利な立場になる」と毎日英語の授業のたびに思い知らされるわけです。13歳からこういうことを学校で子供にしていいのですか。 13歳はまだ義務教育中なのですよ。 中学校(義務教育)が「子供を差別する場」になってよいのですか。 東京都教育委員会はスピーキングテストを実施するなら、学校ですべての生徒にスピーキング教育を行い、すべての生徒に音声モデルを配布し、すべての生徒が正しい発音を習得する練習ができるようにしてから、実施してください。 (詳しくは下のブログに書いてあります。)
2018年3月8日 高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの
(このブログは一年くらいトップに掲載したいと思っていましたので、書き足すうちに非常に長くなってしまいました。  本題は終わりから4分の一位のところ、「それでは今日の本題、「高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの」に入ります」と赤字で書いてあるところから始まっています。)




(10月25日)文部科学省より言論の弾圧を受けています。ツイッターで拡散をお願いいたします。文部科学省がどんなに私を弾圧しても「文部科学省の方針では子供たちの英語力は上がらない」という事実に変わりはありません。何と言ったって音声モデルも持たせずに「スピーキングテストをしろ」という政治家が文科省のバックにいるくらいですから。レベルの低さがわかります。大学入試と同様、高校入試のスピーキングテストは政治家がベネッセを儲けさせるために導入した全く無意味なテストです。 音声モデルも生徒に与えないでぼろぼろの自己流発音で高校入試のスピーキングテストを受けさせたところで、子供たちのスピーキング能力は上がりません。 子供たちが、15歳(高校入試)の時から、ベネッセを儲けさせたい政治家の食い物にされるのは、あまりにもかわいそうです。 
英語教育失敗の原因・学習指導要領が間違っている。有識者会議(座長吉田研作上智大学教授)も間違っている吉田研作教授は小学校1年から中学1年まで英語圏にいらしたのなら日本人の英語習得で最も障害となる「発音」「語順」を自然に身に着けて帰国されたということです。日本人が最も努力を要する(発音・語順)を自然に身に着けた人に日本の英語教育は出来ません。日本の英語教育(特にスピーキング教育)は「発音」と「語順」をいかにスムーズにできるようにするか、それが最重要課題です。この二つを幼少のころ現地で自然に身に着けた吉田氏に日本の英語教育は出来ません。 吉田研作氏は自分と同じように「日本人にもこの二つ(発音・語順)が自然に身につく」と考えているから英語教育で下のような失敗をするのです。(あるいは自分が自然に身に着けたので吉田氏自身「発音・語順」を生徒に指導しなければならないと思ったことがないのでしょう。 それで「英語で授業」やって「生徒に勝手に英語をしゃべらせれば」英語教育はうまくいくと思っている。その結果、下のような失敗をする。 この方針は「日本人の英語力が上がらないのは何が困難だからか」全く知らない人が考えた稚拙な方針です。 生徒に「言語として機能していない言葉(英語)」で授業をして、「正しい発音」も教えないでしゃべらせる。 これでは、「教育」をしているとはとても言えません。 「教育」とは教えるべきことを生徒が理解できるように教え、できないことをできるように指導することです。 この方針は「何も教育していない」のと同じことです。10年もこんなことをしているから子供たちの英語力が上がらないのです。 吉田研作氏にとっては自然に身についたことかもしれませんけれど、日本人には、「発音」と「語順」はきちんと教えて練習させなければできるようにはなりません。 日本人がもっとも困難だと感じることを自然に身に着けた人には、「何が日本人の英語力向上を妨げているのか」理解できません。 だからこういう、何の役にも立たない方針を言い出すのです。 こういう人に日本の英語教育の方針を決めてもらうのは無理です。)  
失敗①「英語で授業」(生徒は理解できない) 
失敗②「4技能」(スピーキング指導)と言って生徒に勝手に英語をしゃべらせる。(通じない日本語発音になる) 
失敗③CDを与えない。文科省政治家が「子供を業者の金儲けの道具」としか思っていない証拠。音声モデルなしに生徒は通じる発音で「話す」練習はできない


文科省が学校でスピーキング教育の必需品である音声モデルも子供たちに与えない」まさにその事実が文科省政治家が「子供を業者の金儲けの道具」としか思っていない証拠です。政治家は日本の教育にとりついて食い尽くす。 食い荒らされた納税者の子供たちの学力、英語力はぼろぼろになります。残るのは肥えた政治家だけです。  英語教育など全く知らないのに、業者を儲けさせる「英語教育」をごり押しする政治家がいる限り、日本の子供たちの英語力は上がらない。

10月12日正しい発音でスピーキングする能力を習得したことのない政治家が「留学だ」「民間試験だ」とでたらめを言わないでください。 スピーキングは生徒が自分の口を動かして習得するものです。 日本人が民間試験を50年受け続けても日本人のスピーキング能力は上がらなかった。 その事実が学校での指導も練習もなく民間試験(あるいはスピーキング試験)を受けさせたところで生徒のスピーキング能力は上がらないという証明です。 それを指摘されても、民間試験をさせようとするのは、その政治家有権者の子供を金儲けの道具としか思っていない明白な証拠です。  発音もまともに習得したことのない政治家は英語教育に口を出さないでください。  また、そういう政治家の企みに乗る教育者はまともに英語教育法を学んだこともなく、カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない無能な教育者です。 

10月9日文部科学大臣をはじめ教育行政にかかわる方々は「子供たちの英語力が上がらないのは先生方の英語力のせい。指導力のせい」というステレオタイプを捨ててください。
「先生方が全員帰国子女のようにペラペラ英語を話さなければ、子供たちの英語力が上がらない」などと思っていたら、永遠に子供たちの英語力を上げることは出来ません。

10月9日文部科学大臣は「英語教員の指導力を向上させるため、教員を目指す学生の教職課程に海外への留学の導入を検討したい 」ということですが、現在の子供たちのスピーキング能力および英語力が上がらないのは先生方の指導力のせいではありません。 本当の理由は文部科学省の指導の方針(つまり学習指導要領)が間違っているからです(間違い例①「英語で授業」(生徒は理解できない。教えたことが定着しない) 間違い例②「4技能」(スピーキングの練習)と言って勝手に英語をしゃべらせる。(通じない日本語発音になる) 間違い例③音声モデルを与えない(スピーキングの練習手段がない)。 その他) 今までは子供たちの英語力が上がらないのは「先生が英語が話せないから」「先生が英語で授業が出来ないから」といっていればよかったのですが、本当の理由はそうではないとわかった今、学習指導要領が間違っていると言われないために、「教師の指導力が問題だ」と暗に言いたいように私には思えます。(あるいは、下村博文がまた留学斡旋の業者から献金でも貰って留学を義務付けようとしているのかと思いました。最近下村は「留学」「留学」と騒いでいるから、図星ではありませんか。下村の金もうけのために公教育をゆがめるのはいい加減にしてほしいです。) 文部行政にかかわる方々はまるで習慣のように子供たちの英語力が上がらないのは先生方の指導力、英語力の問題だ、と決めてかかっています。高校の先生方に至っては濡れ衣を着せられて非難されていたのですよ。 そのステレオタイプをもう捨ててください。 本当の理由は、先生方の指導力ではなく文部科学省の方針(つまり学習指導要領)の間違いと有識者会議の委員の出した方針の間違いのせいです。  この期に及んでまで、自分の非から国民の目をそらすように「教師の指導力向上のため」などといっているのかと思ってしまいます。文部科学大臣は教師の指導力を問題にする前に文部科学省の間違った方針と有識者会議の間違った方針を正しい方針に変えたらどうですか。音声モデルも子供に与えない(つまり練習する手段も与えない)文部科学省の方針が子供たちのスピーキング能力向上を妨げている元凶なのですよ。  それを放置したまま、留学経験をもつ英語教師が教室に来て教えれば子供たちのスピーキング能力が上がるとでも思っているのですか。スピーキングは生徒が自分の口を動かして練習しなかったら、誰が教えたって習得など出来ません。音声モデルがなくてどうやって練習するのですか。 いつまでも、自分達の英語教育の失敗を先生方のせいにしないでください。(もっと突っ込んで言えば、日本の英語教師が全員帰国子女のように英語をしゃべらなければ、子供の英語力が上がらない、などというのなら永遠に子供たちの英語力は上がりません。 今、日本人が持っているもので子供たちの英語力を上げていく方法をとらなければ、永遠に子供の英語力など上がりません。 だから私は、子供達に音声モデルを配布して練習させてくださいと言っているのです。 先生方だって中学生の時に音声モデルを与えられて発音教育を学校で受けていれば今頃こんなことを文科省に言われていませんよ。 先生方に音声モデルも与えなかったのは文部科学省でしょう。 文部科学省の不備な英語教育の結果を背負わされた先生方を非難して「英語教育がうまくいかないのは教師の指導力、英語力が問題だ」などといっているのはもってのほかです。 先生方は音声モデルを渡されて勉強できていたら、スピーキングだってちゃんとできましたよ。 文科省が中学校で教科書の英語音声を生徒に渡さなかったから先生方はスピーキングを練習しようにも練習できなかったのです。文部科学省はその失敗を今も直そうとしないではありませんか。生徒に教科書の英語音声さえ家庭学習用に渡そうとしないではないですか。「教師の指導力に問題がある」のではなく、そういう先生方の苦労を作り出した「文部科学省の英語教育の方針に問題がある」のです。文部科学省指導力に問題があるのです。 文部科学省の学習指導要領に問題があるのです。 文部官僚が英語教育に無知だから問題があるんです。それで子供達がスピーキングに対して先生方と同じ苦労をするようになるのです。 もう何年も前になりますが、高橋尚子選手を育てた小出監督の講演を聞きに行ったことがありました。 小出監督は「大会が終わったグランドで選手を怒っている指導者は「自分が無能な指導者だ」と周囲に示しているようなものだ。」とおっしゃっていました。 指導者の指導の結果が選手の成績だからでしょう。 文部科学省もお決まりのパターンのように「教師の英語力が問題だ」ばかりおっしゃらないことです。そういう先生方の苦労を作り出したのが、音声モデルも与えなかった文部科学省なのですよ。  文部科学省が先生方の指導力、英語力が問題だというたびに、人々は文部科学省が自分で「今の学習指導要領は役に立たない」「今の学習指導要領は役に立たない」と言っているようだと思うでしょう。 音声モデルも生徒に与えない学習指導要領ですから実際まったく役に立ちませんけど。) 繰り返しになりますが、子供に勝手に英語をしゃべらせる授業で子供たちが正しい発音を習得することはありません。 子供が大きな口を開けて「たーん」「たーん」といっても、それを英語のTURNだと思ってくれる人は日本の外に出たらほとんどいませんから。
文科省は今日、今まで妨害していなかった私のブログも妨害するようになりましたね。例えば、松本茂氏に関連するブログなど。  私のブログを人々に読ませないようにしておいて、自分達の失敗から国民の目をそらさせるように華々しい留学の話を持ち出す。  問題の本質がどこにあるかわかっているのですか。 子供たちのスピーキング能力向上を妨げている元凶が文部科学省なのですよ。教師志望の学生に留学させたくらいで、この問題が解決するとでも思っているのですか。 自分の体を使う能力の習得はそんなに簡単なことではないのですよ。生徒のスピーキング能力は中学、高校と生徒が自分の口を動かして練習していかなければ身につかないものなのです。 そんなことも文部科学大臣が知らないのですか。 10年前、「英語で授業」などといわず、中学生に音声モデルを渡して地道に家庭学習をさせてきたら、来年の4月には、ネイティブ発音で教壇に立つ先生がたくさんいらしただろうと思います。企業にもネイティブ発音で自分の言いたいことをすらすら英語で話す学生が多数、就職していったことでしょう。 先生方を非難する前に、文科省は自分の作った学習指導要領の間違いを正すことです。 教師志望の学生に留学させたところで問題は何も解決しません。 もういい加減そのくらいのことに気付いて下さい。 英語教育産業を儲けさせるために生徒に本当に必要な英語教育をしないのですか。(留学関係の業者を儲けさせるためにまたこういうことを言いだしたのですか? 留学するお金のない学生は英語の教師になれないのですか? わざと効果のない英語教育を学校でやらせて、音声モデルも子供に与えないで、英語教育産業を儲けさせるのが、文部科学省(あるいは政治家)の仕事なのですか?) 文科省が学校で発音をきちんと教え、練習用の英語音声を生徒に持たせれば、留学や、民間試験などしなくても子供たちはスピーキング能力と高い英語力を習得するのです。時間はかかりますが、地道な指導と練習が子供たちのスピーキング能力と英語力を確実に上げるのです。 元凶は文部科学省が自分の間違いを正さないことです。文部科学省が間違いをただせば、留学も民間試験も必要ありません。)

今朝(10/9)もパソコンを開けた時のアクセスは(1)でした。 妨害は相変わらず、きついです。



10月8日(木曜日)(紫色の部分に加筆しました。 「加筆した」とわざわざ書くのもどうかと思ったのですけれど、向後秀明氏のことを書いたこのブログからのリンクが切られていたり、検索してもこのブログが出てこないように画策されているとわかりましたので(数日前まで検索に出てきたのに今日、同じ言葉で検索してもこのブログは出てきませんでした)、やはり加筆したことをトップに書いておこう、と思いました。イーオン社長との対談の記事にジャンプしたらリンク先に「掲載期間が終わりました」と書かれていてそのページが表示されなくされていても、私のブログから飛ぶのではなく直接そのURLに行けば同じページがまだちゃんと表示されていました。私はリンクする文字を変えて(同じ文字だとまた「掲載期間が終わりました」と出てきてしまうので)、そこにリンクを付け変えました。でも、また向後氏に切られてしまうかもしれませんね。 向後氏は今度は私も直せないようなやり方をするのかもしれませんね。 向後秀明氏の妨害は、非常に手が込んでいました。  また「向後秀明」氏について期間を2020年8月1日から現在までの期間で区切って検索すると私のこのブログは数日前までずっと2番目か3番目に出てきていたのに今日は(12月3日)全くどこにも出てこなくなりました。 文科省か、向後氏かわかりませんが私のブログが検索に出てこないように操作したのですね。向後秀明氏の妨害は執拗ですね。 それで私も「向後秀明」というハッシュタグをつけることにしました。最初はそこまでするつもりはありませんでしたけれど、巧妙で執拗な妨害をされるのは嫌だと思いました。    私は根拠なく英語教育について間違いを指摘しているわけではありません。津田塾大学で、後に学長となられた大束百合子先生に教えていただいた英語教育法の基礎に基づいて、また私自身の2年間にわたる発音習得で学んだこと、10年間のアメリカ生活で見た二人の子供達が小学校、中学校、高校、すべての段階でゼロからバイリンガルになる過程に照らし合わせて、生徒に害をもたらす方法については指摘しています。)文部科学省有識者会議の委員は「英語に慣れるために授業は英語で行う」と言っていますが、英語教育の場合「慣れる」という活動は、「生徒が十分理解している内容」を使って行っていきます。(英語教育の基本です。) ですから新しいことを習う授業を英語で行うのは、「慣れる」という活動にはなりません。 まず、「理解」をさせるのが目的ですから。  子供にとって「理解」は、普段使っていない言語では出来ません。特に高校生の場合は習うことが複雑です。 「英語に慣れるために英語の授業は英語で行う」という教師は、英語教育法をきちんと学んでいません。 文部科学省は、学習指導要領くらい、英語教育法をきちんと学んだ教育者に作成させてください。 
高校の先生方の「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という意見はまさにこの点を指摘しています。 文部科学省有識者会議の委員は高校の先生方の言葉に謙虚に耳を傾けてください。  特に有識者会議の委員は「まだ英語で授業をしていない高校がある」(*)などと高飛車に構えないで、謙虚に高校の先生方の声に耳を傾けてください。今日も私のブログは激しく妨害されています。   文部科学省にしてみたら、「学習指導要領が英語教育の基本に則(のっと)っていない」といわれたら、面子まるつぶれなのでしょうね。 でも、間違いは誰にでもありますから、間違っていたら、直すしかないでしょう。 高校の先生方に迷惑をかけたことをきちんと謝罪して直すしかないでしょう。(高校の先生方にしてみれば、10年にも渡る大変な授業を思い出せば謝罪くらいでは済まないという気持ちは当然でしょうけれど。 文部科学省はそういう先生方の気持ちを充分理解してください) 私はこのブログを悩んでいる高校の先生に読んでいただきたいのですが、こんなに激しく妨害されてしまうと、それもできないのかな、と思います。 ツイッターをお持ちの方は、悩んでいる高校の先生がいらしたら、この内容をお伝えください。
(*)「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない。」2019年11月18日朝日新聞記事「(揺れる大学入試)英語民間試験見送り、今後の課題は」吉田研作氏コメント




9月11日の朝日新聞「声」の欄に「すべて英語で授業」悩む指導助手」という投稿が載っていました。  英語教育に関する有識者会議の委員が「英語で授業」などというでたらめな方針を打ち出したから、いまだにこうやってすべて英語で授業をすることに悩む先生がいらっしゃるのですね。 私が「英語で授業」を提唱しているのを知っている有識者会議の委員は

吉田研作上智大学教授、
松本茂立教大学教授、
東進ハイスクール講師の安河内哲也氏です。  

この方々は「英語で授業」が間違った方針であると正式に認め撤回してください。  
文部科学省も「英語で授業」の方針を正式に撤回してください。 

それをしないから、現場の先生方が、こうして間違った方針で悩まなければならないのです。 投稿者の方は「授業で英語しか使ってはいけない理由とは何だろう」と問いかけていらっしゃいますが、そんな理由はありません。

皆さんは学校時代、期末テストがあると、日本語で習った物理や歴史でも、一度では理解できなくて、何度も教科書を読み、時には図解したり、問題を解いたり、たくさん勉強して理解したことと思います。  なのに、なぜ、英語は、授業で英語で聞けば、理解もできて、運用もできると思うのでしょうか。  アメリカの授業風景の一部を切り取って、同じことをしているのを見せられると、子供たちがアメリカ人のように英語を話し始めると錯覚するのでしょうか。  英語が全く話されていない日本で英語で授業をしても何の効果もありません。 効果がないどころか「英語で授業」をすると子供たちの発音はボロボロになります。

私はアメリカで、小学校5年生と中学3年生の娘と息子が全文和訳でバイリンガルになる過程をつぶさに見ました。 彼らは日本語に訳さなければ授業は何も理解できませんでした。  

有識者会議の委員
吉田研作上智大学教授、
松本茂立教大学教授、
東進ハイスクール講師安河内哲也氏は、「英語で授業」が間違った方針であると正式に認め撤回してください。 もし、教育者としての良心があるなら、間違いをきちんと認め、子供たちが正しい方法で英語を学べるようにしてください。  もし、私のいうことが間違っているとおっしゃるのでしたら、どうぞフランス語だけで、フランス語を習得してその学習記録を公開してください。(出来ないと思いますけれど)

こちらのブログに書いたように、この国では、政治家は子供をお金儲けの道具として食い物にするし(2020年大学入試改革では民間試験、ポートフォリオ、記述式、と文部科学省は政治家のために「ベネッセコーポレーション霞が関支店のようにされてしまいました)、有識者会議の委員や文部官僚は、保身のために、間違った方針を提唱しても、改めることもしてくれません。 大人のお金儲けと、保身のためにまともな英語教育さえ受けられないこの国の子供たちは本当にかわいそうです。 


(先日夫に「東京外国語大学学長は教育者として最低だとブログに書いた」といったら「そういうことを言ってはいけないよ」といわれました。 (こちらのブログの最後、4分の1くらいのところです) 「事実に基づいて間違いを指摘するのはいいが、非難をする感情的な言葉はいけない」といわれました。「間違いは何度も指摘している。論理的に説明もしている。それでも、平気で子供に悪いことをする政治家のたくらみに乗る教育者には黙っていられなかった」というと「炎上したらどうするんだ」といわれました。「私のブログは炎上はしないの。そういうことを書いたときはアクセスは9とか7とか夜まで一桁なの。 朝パソコンを開けたら、アクセスが「0」の日もあった。 アクセス0では炎上なんか出来ないの。そういう時は閑古鳥が鳴きにくるの」といいました。  今回も、また、閑古鳥が鳴きに来るんでしょうね。 文部科学省は私のブログは人々に絶対読ませたくないんですよね。 このほかにもいろんな私のブログのアクセスを妨害していますよね。 為政者がどんなに私のブログを人々の目に触れないようにしても、今の英語教育の方針では、子供たちの英語は通じるようにはなりません。 また、思っていることをスラスラ英語で言えるようにもなりません。  私のいうことを葬っても、文部科学省有識者会議の委員のいうことを聞いていたら、子供たちの英語はこの先何年たっても全く進歩しないという事実に変わりはありません。何より「英語で授業」などやっていたら、子供たちの発音はボロボロになります。 「英語で授業」という間違った方針をやめないのであれば、文部科学省は、子供たちの発音をボロボロにした責任をどうとるのか、覚悟はされているのですか。 こちらの新聞記事によると、もう10年も文部科学省は高校の指導要領で、「(英語の)授業は英語で行うことを基本とする」という間違った方針を高校に押し付けてきたのですね。10年たってもちっとも高校で「英語で授業」ができないなら、なぜできないのか、高校の先生方にきちんと聞き取り調査をしたらどうですか。 文部科学省が決めたことが現場で実行できるのかどうか把握するのも文部科学省の大事な仕事ではないのですか。 吉田研作教授、松本茂教授、安河内哲也氏も同じです。 10年たっても高校で英語の授業が出来ないなら、なぜできないのか高校の先生方にきちんとお聞きになったらどうですか。 「10年やってもできない」という事実が「英語で授業は出来ない」という真実を有識者会議の委員に突き付けているんですよ。 なんでその真実を直視しないのですか。 有識者会議の委員は事実を見ようともしないで高校の先生方ばかり非難しています。 こちらの新聞記事をご覧ください。 有識者会議の委員は、「間違った方針を押し付けられた高校の先生方の苦悩」も知らず、自分ができもしない華やかなティーチングプランを新聞に掲載させて、高校の先生方を批判しています。 初めて読んだとき、怒りで体が震えました。(この記事についてはこちらのブログに書いてあります)  10年の客観的な事実が「英語で授業は出来ない」といっているのですよ。   それとも、間違いを認めると自分の名前に傷がつくから認めないのですか。 そうやって、自分が傷つかないために日本中の学校で間違った指導をやらせておくのですか。 そんなことをして、子供たちに申し訳ないとは思わないのですか。 「ここは洪水のような英語のインプットがあるアメリカではない」ということくらいわからないのですか。私の子供たちはアメリカにいたって、「英語で授業」なんか全くだめでしたよ。  「英語で授業」を10年やってだめなら、他の方法を考えるのが当然でしょう。 「プランAがだめならプランBに移行する」吉田氏や松本氏には当たり前の考え方ではないのですか。文部科学省有識者会議の委員も、もう夢見る年ごろではないのですから、いつまでも「夢見る夢子」みたいなことをやっていないでください。 英語の時間だけアメリカ人の真似をさせれば、子供たちがアメリカ人のようになるわけではありません。もういい加減、夢から覚めてください。(「英語で授業」でアメリカ人のように英語が話せるようになるためには、うちに帰って髪の毛が抜けるほど日本語に訳して勉強しなければなりません。使ったこともない言語で授業をされて身につくはずないでしょう。) あなた方は「英語で授業」で子供たちがアメリカ人のようになる日を夢見ているだけです。 夢を見ている間は楽しいでしょうけれど(うまくいかなければ高校の先生方を非難していればいいだけですし)、けれども夢はどこまで信じてもただの夢、現実になる日は来ません。 現実にならなかったとき、もう、高校の先生方のせいにすることは出来ません。 「英語で授業」の方針そのものが間違っているのです。 10年やってもダメな方法にまだ頼ろうとするのは愚の骨頂です。 「その方法はだめだった」という事実をきちんと受け入れて新たな方法を考えてください。失敗は10年で十分です。これ以上、愚かな手法(英語で授業)にしがみつかないでください。 

吉田研作氏と松本茂氏は、アメリカ人がなぜ英語で授業をやっているか考えたことがありますか。彼らは生まれた時から英語を聞いて英語を話しています。  学校ではすべての教科・活動が英語で行われ、学校を一歩出ても一日中英語を使っています。 彼らにとって英語という言葉には「生まれた時からのすべての経験」が蓄積されています。 だから英語で授業をしているのです。 

日本では、英語が社会生活で使われているところを子供たちは一度も見たことはありません。  そういう国で、週日一日一時間だけ、いきなり英語で授業をして、子供たちがアメリカ人のように英語を使えるようになると思いますか。  日本人の生徒にとって、英語の言葉の後ろには何も蓄積されていません。 意味すら知らない単語の方が圧倒的に多いです。

吉田研作氏も松本茂氏も「日本では全く英語が話されていない」という事実に気づかず、アメリカで行われていることの一場面だけを切り取って一時間だけ、教室でさせれば生徒が「生まれた時から英語を話してきた生徒」と同じように英語を話せると思っています。  まるで夢のような話です。  白昼夢で、英語教育は出来ません。  「現実の世界」で日本人高校生に分詞構文を教えなければならない高校の先生方にはそんな方法で高校生に分詞構文を理解させられないとわかります。 だから、先生方は「現実の日本人高校生が理解できる言語」(日本語)で授業をしているのです。

「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と吉田研作氏がいわれても現実の世界で高校生に英語を理解させなければならない先生方にとっては日本語を使うのが当たり前なのです。 高校生が日本語しか理解しませんから。

私はアメリカにいても全文和訳で小学校5年生とハイスクール1年生に英語を教えました。 超スピードで「訳読式授業」を毎晩行って英語を理解させました。  子供達は日本語で説明した時、最もよく英語を理解しました。 彼らにとって言語として機能している(つまり理解できる)のは日本語だけでしたから。 「訳読式授業」で英語の意味を正確に理解して二人ともバイリンガルになりました。

こういう経験があるから、私には、吉田研作氏と松本茂氏の提唱していることが間違っていて、高校の先生方のしている指導の方が正しいとわかります。 息子の「こんなもの、いくら英語で説明されたってわかんないんだよ」という言葉は強烈でした。息子がそう言えたのは相手が母親だったからです。 生徒が教室で先生にこんなことは言えませんね。 だから英語で授業をされても高校生は黙って授業を受けています。 それは生徒の理解を不十分にし、非常に効率が悪くて無駄だと思います。 その上、「英語で授業」は生徒の発音をボロボロにします。


(指導者に学校で本当のことが言えないのは子供だけではありません。  大人だって先生にそういうことは言えません。 例えばこちらの英語学校、 石渡誠氏が代表を務めるFORWARD英語学校。 石渡氏は松本亨氏の主張する「英語で考える指導法」を提唱しています。「英語を日本語に訳してはいけない」「日本語訳を使うから日本人の英語力は上がらない」という理由で、スクールの中では日本語は使わない決まりです。 けれども初級者中級者は日本語訳を知らなければ自分の言いたいことを英語に変えられないのです。だから、初級者、中級者がEnglish Only の学校で話している場合は全員その英単語の日本語訳を知っているわけです。それにも関わらず、生徒は教師にそのことは言えません。 「教師がいけないということをやっている」と生徒は教師には言えないのです。 だから石渡誠氏は「英語を英語で理解する指導法の成果で、生徒はスクール内English Only で話している」と思い込んでいるのです。 このように大人でも、指導者の意に反することは教室で言えないのです。)


生徒が生まれてから高校生になるまでの言語環境(日本語だけ)と、現在の日本の言語環境(日本語だけ)を充分考えれば、アメリカで行われていることを一場面だけ切り取って日本でさせても子供達はアメリカ人のように英語を使えるようにはならないということは誰にでも分かります。

2年くらい前でしたか、NHKで東南アジアから日本に来た子供たちのことを特集していました。 たぶんベトナムから来た小学生の男の子だったと思いますが、学校で日本語が分からなくて、そのことを話しているうちに涙がぽろぽろ頬を伝っていました。  テレビを見ていた私と夫は「日本に来て半年、といったら、子供にとっては一番つらい時期だね」と話しました。  

子供だから外国語の環境に入れられたら、自動的に外国語を習得するわけではないんですよ。  しかも、吉田研作氏も松本茂氏も高校の先生方の言葉を頭から受け付けない態度をとっています。 自分達の言葉を高校の先生方が聞くのは当たり前だという態度ですね。 現場が困っていることは一切聞こうとせず、「英語で授業をしない高校がある」と非難するだけです。 有識者会議の委員というのは、現場の先生方の意見を全く聞かなくていいほどえらいのですか? 

こちらのブログに書いたことを再掲載します。         こちらで読みましたが、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長吉田研作氏は小学校1年生から6年生までアメリカ、カナダで過ごされて、中学校1年生の時に帰国されたそうですね。  私の子供たちで言えば、小学校1年生の息子が日本語で何も説明されなくてもアメリカの日常生活の中で英語を身につけられたときから、小学校5,6年の娘が「天体」や「古代文明」など、頭の中だけで考えて物事を理解できるレベルの英語まで、英語圏で習得されて、帰国されたということですね。  そういう経験に基づいて、英語が全く話されていない日本で育った子供たちが英語を学ぶ方針を立案されるのは無理です。 吉田研作氏には、日本の子供たちが英語を学ぶ基本的な状況が体験として理解できません。 日本の子供たちは、アメリカの子供のように「話される英語」と「それが意味するもの」が結びつくのを一日中、見て、体験しているわけではありません。 アメリカにいれば発音練習も子供は必要ありません。つまり、英語習得の基本的な条件が吉田研作氏と日本の子供たちでは全く違うのです。「英語で授業」は間違った方針です。 初級者、中級者には全く効果はありません。   日本の子供たちの言語環境は英語圏で育った吉田研作氏とは全く違います。  吉田研作氏のように「英語で授業」で日本の子供たちが英語や発音を習得することは出来ません。             松本茂氏についてはこちらのブログに書いた通り、彼は英語教育の専門家ではありません。英語教育法も音声学も学んでいません。 ご専門は経営学です。  こういう大学教授の提唱する方法に日本の高校の先生方が従えないのは当然です。 吉田研作氏も松本茂氏も日本語で授業をする高校の先生方を非難するのはおやめください。  こちらの新聞記事を見ると松本茂氏は英語教育改革が進まないことに心を痛めているようにはとても見えません。 松本茂氏はこの新聞記事によって「高校の先生方には英語で授業が出来ないけれど、自分には出来る」と言いたかったのですか。 だから朝日新聞の記者に自分から「英語教育改革はなかなか進まないですね。困ったものです。」とメールを送ったのですか。 有識者会議の委員は、自分をアピールするより、生徒の英語力を上げる方法を本気で考えている教育者に就任していただきたいです。  そういう方なら、高校での「英語で授業」がちっとも進まなかったら、「英語で授業という方針に何か問題があるはずだ」と考えて、高校の先生方を非難ばかりしていないで、詳しい調査をしてくださったと思います。  この新聞記事に書いてある松本茂氏の教案は日本のどこの高校でも出来ません。「文法事項はやさしいものから難しいものへ段階を踏んで教える。」「文法事項は一つずつ教える。(生徒が混乱するからです。例えば、まだ習っていない仮定法と現在完了2つが入っている文章を読ませるようなことはしません)」 こういう英語教育の基本的なことも知らないで、できもしない華やかな教案を新聞で披露されても、高校の先生方には何の参考にもなりません。 先生方には、「こんな教案、どこの高校でもできない」とすぐわかります。 ご本人もできない教案ですから当然でしょう。それに自分の意見を説得力を持って論理的に展開する指導も日本の学校ではまだ行われていません。 指導されていないことばかりですので、生徒たちに松本茂氏の主張する授業は出来ません。 やったとしても指導なしではなんのスキル向上にもなりません。  有識者会議の委員は「自分をアピールすること」より、生徒の英語力を本気で上げたいと思っている教育者に就任してもらってください。 高校の先生方への非難は全く的外れです。   このブログの後半、紫の文字の部分で「英語で授業」を当時勧めていた文部科学省の向後秀明教科調査官について書いてあります。  「泳ぎを習得するためには実際に泳がせなければならない」といって、彼は「英語で授業」をいろいろなところで講演して勧めていました。  「英語で授業」は間違った方針です。  向後秀明氏は、間違ったことを日本の英語教育者に提唱した責任をきちんととってください。   向後秀明氏は、英語教育法について肝心なところをきちんと押さえていません。 こちらのページの「2.これからの英語教育に求められることは何だと思いますか?」という大学側の問いに対する答えをみても、英語発音とカタカナ発音の区別がつかない向後秀明氏の主張する教育方法では、とても「話すこと」の発信力など子供たちにつけることは出来ません。 子供達にボロボロの発音で話させるような教育法(英語で授業)を主張しておいて、何が「話すこと」の発信力なのですか。  英語教育に口を出すなら、向後氏ご自身が音声学を少しは学ばれて、ご自分で英語発音とカタカナ発音の区別くらいできるようになってから口を出してください。 「英語で授業」など主張する人間は発音習得の指導に関して全く無知です。 こういう人が先生方に講演しても、子供たちのスピーキング能力は全く上がりません。 講演者に発音を聞き分ける能力がないのですから当然でしょう。





(英語学習者の方へ)自分の話す英語の子音が日本語化しているかどうか、おおざっぱにですが、簡単にわかる方法を2番目のパラグラフの最後に書きました。参考になさってみてください。ピンクの文字で書いてあります。(たとえ子音が日本語化していてもがっかりなさらないでくださいね。 練習さえすれば聞きやすい発音に変わりますから)(8月27日)

50万人の受験生にスピーキングテストをしようというほど日本人のスピーキング能力が低いことが問題になっているのに、文部科学省が教科書の音声モデル(CD)を生徒に配布しないのは、どう考えてもおかしいです。生徒に音声モデル(CD)を配布することに反対しているのはどなたですか。文部科学省の方ですか? それとも政治家ですか? それとも教育再生実行会議のメンバーですか? 通じない発音でどんなに素晴らしい授業をしようと全く無駄です。 「良いとか悪い」とかの問題ではなく、「楽しいとか楽しくない」とかの問題ではなく、「本当に言いたいことを言うとか言わない」とか以前の問題として、「通じる発音で話す」というのは、英語教育の大前提です。その能力を習得するために音声モデル(CD)がいるのです。 (文科省初等中等教育局視学官直山木綿子先生はご存じないかもしれませんが日本語で「たーん」「たーん」」と口を大きく開けて言って、それが英語の「TURN」だと理解してくれる人は日本の外に出たらほとんどいません)音声モデル配布に反対しているのはどなたなのですか? その方が、日本のスピーキング教育の障害になっています。 取り除いて下さい。 子供たちがこの発音のまま大きくなったら、英語の通じない日本人が増えるだけです。全く無駄な英語教育になります。「入試はベネッセで」「発音は英会話学校で」それでは学校教育は何のためにあるのかわかりませんね。 それが、その方の目的ですか。わざと学校で子供たちに正しい発音を習得させず、業者を儲けさせるのがその方の目的ですか。(もし、本当にそういう目的で、音声モデルを子供たちに与えることに反対している人がいるとしたら、その方は業者のお金儲けのために裏で画策して日本の英語教育をだめにする「業者の工作員」のようなものです。 排除してください。 英語民間試験やポートフォリオの経験から、文部行政に「教育者の皮をかぶった業者の工作員」はいりません。)子供たちは業者のお金儲けの道具ではありません。 必要なことは「学校で」きちんと教えてください。

文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生だけでなく、私が今まで拝見したすべての先生の英語教育の方針には発音習得の指導がすっぽり抜けていました。  おそらく日本で英語教育について発言する先生方はご自身が留学したり、帰国子女であったりして、発音習得の勉強をする必要がなかったからでしょう。  けれどもそれでは、日本の子供たちが通じる発音で話せるようにする英語教育は出来ません。「たーん」「たーん」をどうやって英語の「TURN」と発音してしゃべれるようにするか、その問題に正面から取り組んだ指導法でない限り、日本人の英語を通じるようにする英語教育は出来ません。 そしてその方法は、発音習得を全く知らない先生方が想像するよりはるかにたくさんの練習が必要になります。 一日一時間英語で授業をさせて、「子供達が英語に慣れるように英語で授業をする」などといっている先生方の想像をはるかに超えた長い期間の練習が必要になります。 そういうことを知らない人は英語教育に口を出さないでください。そういう教育をすれば子供たちは日本で勉強しても こういう発音で話すようになります。(川合典子Official Web Site 日本人の発音が通じない理由(子音の面から)のページより引用しました)  

録音をアップしたついでですので、英語学習者の方に自分が話す英語の子音が日本語化しているかどうか確かめる簡単な方法をお話し致します。 私のこの録音の後に、続けて(間を置かずに)自分のしゃべった英語の録音を流して聞いてみてください。聞き終わった瞬間「自分の話す英語の子音が聞きづらい」と感じたら、子音が日本語化している可能性があります。簡単に確かめられますので、やってみてください。 (これは私の発音の生徒さんから聞いたことですが、片方の録音をパソコンから聞いて、自分の発音をICレコーダーから聞くと、違いがわかりにくい場合は、私の録音も同じICレコーダーに入れて続けて聞くとよくわかる、ということでした。同じ機器で聞く方がよくわかるそうです。) 




(8月15日)アマゾンにお聞きします。私の2冊の本だけが、このページのランキングの中で配送料が470円となっています。 なぜですか。理由を聞かせてください。あるいはどなたかの依頼ですか。7ページ目まですべての本の配送料が無料であることを確認しています。(8月19日)私の緑の本の配送料は今も480円です。(10ページ目まで私の本以外すべての本の配送料は無料です)私の本だけ配送料を有料にされるのは今年2月4日と今回。もう二度目です。なぜですか。どなたかの依頼ですかKADOKAWA(松原眞樹社長)からの依頼ですか。もし違うのであれば「違う」とご回答ください。 その場合はこの部分の記述は直ちに削除いたします。  アマゾンも何もやましいことがないのでしたら明確にお答えください。「答えられないということは、表ざたにできないことをしている」と思われても仕方ないでしょう。 「アマゾンは公正なビジネスをしていない」と思われても仕方ないでしょう。 しかもこのことを書いた後、緑の本は、9ページ目まで下がっています。 これもKADOKAWA(松原眞樹社長)の依頼ですか。違うなら「違う」とご回答ください。(出版社経由で結構です)私は2度も私の本だけ配送料を有料にされた本の著者ですから、本当のことを知りたいです。

私は送料を有料にされる以外に、アマゾンのランキングを下げられたり、中古の本の価格を1円にされたり、いろいろな妨害や嫌がらせをKADOKAWA(松原眞樹社長)からされています。 最初に中古の本の価格を1円にされた時のことはこちらのブログの水色の文字の部分に書きました。 2度目に1円にされた時のことはこちらのブログの終わりのほうに書きました。 妨害をやめてくださるよう松原眞樹社長に何回もお願いしているのに、ちっともやめてくださらないので、まるで「いじめ」のように私には感じられました。
自分の書いた本は「自分の分身」のようなところがあります。 だからその本にこういうことをされると、とても悲しい気持ちになります。 我慢していても時々、アマゾンのページを見た瞬間に思わず、松原眞樹社長に「もうやめて下さい。」と心の中で叫んでいる時があります。 今年は2020年ですから、2008年に松澤喜好氏に盗作されて、アスキーメディアワークスに隠ぺい工作をされて、その後KADOKAWA(松原眞樹社長)に妨害されて、今年で12年の歳月が流れました。 一つの企業が、個人に対して、12年も不正行為をし続けているのですね。KADOKAWAには松原眞樹社長のほかに角川歴彦氏をはじめ何人も取締役の方々がいらっしゃいます。  取締役には他の取締役の不正行為を監視監督する義務があります。(取締役の善管注意義務)他の取締役の方々は私に対する松原眞樹社長の妨害をやめさせてください。

最近ではレビューにも疑問を持つようになりました。
私の本「帰国子女に見る世界に通用する英語力の作り方」のアマゾンのレビューについて。(こちらのページ)
2021年2月19日現在、この本には4つのレビューが書いてあります。(総数は5と書いてありますが私もこの4つのレビューしか読んだことはありません) 星1つを付けた方はたった一人ですが、棒グラフでは52%の人が星1つを付けたとあらわされています。  評価は「単純平均ではなく信頼性を検証して書かれている」ということですが、星1つを付けた方はたった2行しかレビューを書いていません。 他の方はとても詳しく書いてくださっています。  星1つ=52%というのが、信頼性を検証した結果なのでしょうか。(星5つ2人=28%、星3つ1人=20%、総合評価2.5)


12月8日加筆

3回目に私の中古の本が1円にされたのは今日(12月8日)でした。13時38分、確認しました。こういう時だけランキングの1ページ目や2ページ目に載るのですね。  先月360円くらいだった時から少しずつ下げられて今日は、1円になりました。 私はその過程を毎日見てきました。  最後の方は毎日2回ずつ下げられて、1円になりました。  価格が50円を切った時、また1円にされるとわかりましたので、心の中でKADOKAWA(松原眞樹社長)に「やめて下さい」と毎日お願いしていました。 もうそれしか私にできることはありませんでした。でも、当然、そんなことではやめてもらえませんでした。 英語教育以外のことであまり騒ぎたくなかったからハッシュタグも「英語教育関連事項しか付けない」と決めていました。 けれども、少しでも読んでくださる方がふえれば松原眞樹社長にも妨害をやめてもらえるかと思って、「KADOKAWA」というハッシュタグをその時につけました。 同じ理由で、今日「アマゾン」というタグもつけました。 でもあまり関係ないかもしれませんね。 (12月3日に「向後秀明」というハッシュタグをつけた理由は本文前半紫色の部分に書いてあります。 この方の妨害は巧妙で執拗でした) 
価格を下げられている間、本のランキングは7ページ目、8ページ目が当たりまえになるほど下げられていました。 前にも書きましたけれど、送料を私の本だけ有料にしたり、ランキングを下げたりするのはアマゾンに何らかの見返りをしなければやってもらえないでしょう。 そのお金はKADOKAWA(松原眞樹社長)は、どういう名目で支出しているのでしょうか。 「妨害の依頼」とは書けないでしょうから、虚偽の名目を会計書類に記載するのですか。 会計処理に虚偽の記載は税法上問題があります。 公正な企業活動はお金の流れの面からも裏付けられなければなりませんので、虚偽の記載は税法上禁止されています。

アマゾンもお金をもらえば、不正行為でも犯罪行為でもなんでもするというのはよくないと思います。(下に書いたような20億円もの不正行為をする企業ですから、アマゾンの事業方針にモラルなどないのかもしれませんね。) アマゾンもKADOKAWA(松原眞樹社長)の犯罪行為に加担していることと同じです。  私は、最近、「アマゾンもKADOKAWA(松原眞樹社長)と同じ犯罪を犯している」と思うようになりました。 下に書いた事件ではアマゾンが納入業者に不当に払わせた20億円を返金するから公正取引委員会はアマゾンに対して行政処分は行わない、ということですが、アマゾンは悪いことを平気でするモラルのない会社ですから、その罪に対して行政処分をきちんと行ってくださった方がよかったと思います。 納入業者に不当に支払わせたお金を返金するのは当たり前ですから。 20億円くらいアマゾンには何でもないでしょう。 (下が、今述べた中古本の価格の直近の推移です。 先月の360円くらいから1円まで、一直線に下がりました。 その間、価格が前の日よりわずかでも上昇した日は一日もありませんでした。 同じ価格に留まった日も一日もありませんでした。一直線に1円まで下がりました。下げられる割合が一定していましたので、12月の初めには、「1円にされるのは火曜日ごろかな」と思っていました。やっぱりそうでした。)

本は自分の分身のようなところがありますから、最後は毎日2回ずつ下げられるのを見ているだけで私自身は胸のつぶれるような思いがしました。 やっている人は著者にそういう思いをさせるためにやっているのでしょうが、体にも心にも毎日ボディブローを受けているようでした。 何週間も個人を痛めつける目的で、準備をされるのでは私は何も太刀打ちできませんでした。  KADOKAWA(松原眞樹社長)は著者をいたぶる目的でアマゾンのサイトを利用し、アマゾンはそれを十分承知でやらせている。 「一個人が一部上場企業(KADOKAWA(松原眞樹社長)に何を言おうと巨大企業(アマゾン)に何を言おうと誰も取り上げはしない」とわかっているからでしょう。無名の犯罪被害者など痛めつけておけばそのうちいなくなると思っているからでしょう。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は、結婚後すぐに家庭に入ったような社会経験の少ない女性など痛めつけておけば、そのうち何も言わなくなると思っているからでしょう。

12月26日 KADOKAWA(松原眞樹社長)にお聞きします。12月26日21時28分現在私の赤い本はアマゾンのランキングの21ページ目にありました。 21ページ目というのはあまりにもひどくありませんか。 これはランキング最後のページです。(もう、この文を書いている今はリンク先のページも変えられてしまいました。) 

あの時の21ページ目は下のようになっていました。(この黒字の部分は26日から3日後に書いています)今私のブログのリンクからジャンプした21ページ目とは全然違う画面ですね。 今(29日22時49分現在)私のブログからジャンプした21ページ目にはスポンサー推薦の5,6冊の本しか載っていません。  そしてその一番下は松澤喜好氏の青い「英語耳」の本になっています。 あの後KADOKAWA(松原眞樹社長)がこの21ページ目の画像を作成されたのですか? (それに29日22時49分現在アマゾンのこのランキングに21ページ目はありません。20ページ目までしかありません。この後KADOKAWA(松原眞樹社長)がまた、21ページ目を入れるのかどうかはわかりませんけど。私はもう、追っていけませんから。)
それぞれの本の表紙もコピーしてあったのですが、表紙のデザインにはおそらく著作権があると思いましたので、表紙の画像は削除して、本の題名のみであの時の21ページ目を再現しました。  あの日(26日)私が「ひどい」と驚いた21ページ目は下のようになっていました。 2番目が私の本です。


無理なく続く英語学習法
ジェイソン・ダーキー、 古川 武士 | 2012/9/8
5つ星のうち3.7 5
単行本
¥1,650
17ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (48点の中古品と新品)



英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
川合 典子 | 2010/12/1
3.6 out of 5 stars 14
単行本
¥2,640
26ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (31点の中古品と新品)



田尻悟郎の楽しいフォニックス
田尻 悟郎 | 2010/4/1

3.2 out of 5 stars 4
単行本
¥1,760
18ポイント(1%)
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こちらからもご購入いただけます
¥700 (16点の中古品と新品)


最短・最速で英語耳!8000ヘルツ英語聴覚セラピー(CD付)
篠原佳年 | 2010/5/27
5つ星のうち3.4 9
単行本
¥1,540
28ポイント(2%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥1 (20点の中古品と新品)



キングで学ぶ英語のリズム (シリーズ 英語音声への挑戦)
寺島 隆吉 | 1998/7/1
単行本
¥1,834
18ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥518 (10点の中古品と新品)



ロックで広がる英語の世界――心とからだを解放する (シリーズ英語音声への挑戦1)
寺島隆吉 | 1997/6/17
単行本
¥1,980
20ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥653 (13点の中古品と新品)


場面別リスニング集中講座
実松 克義 , ジェフリー ケディ他 | 1996/2/10
単行本
¥1,210
22ポイント(2%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。



大判みいちゃんママのA4サイズフォニックスアルファベットフラッシュカード132枚入
妹尾佳江、 もぐらぽけっと | 2016/6/20
Stationery
¥13,037
130ポイント(1%)
通常配送料無料
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
こちらからもご購入いただけます
¥12,543 (2点の新品)


共鳴と切れが良くなる!英語発音―音調CD付
重田 勲 | 2013/10/1
単行本
現在在庫切れです。


英語のXYZ
寺島 よしき、 大澤 紀博 | 2005/11/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。


てゆーかこれが英語。
寺島 よしき | 2001/9/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。



ボディガード・ワークブック
渡辺 幸俊 、 Bruce A. Perkins | 1995/3/1
単行本
この本は現在お取り扱いできません。

英語、好きですか フォニックスと発音 CD
松香洋子 | 1981/6/1
5つ星のうち4.0 1
CD
現在在庫切れです。
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   それから1時間後(同日22時27分)、私の赤い本はランキング19ページ目に掲載され、21ページ目、自体がなくなりました。(19ページ目というのも相当ひどいと思います。)  たまたま今夜見て自分の本が21ページ目にあるのを見つけましたけれど、もう、KADOKAWA(松原眞樹社長)に、いつ何時何をされるかわからない怖さと不安を感じます。 私の知らないところでされる嫌がらせはまるでストーカーのようで、怖いです。   23時1分、21ページ目がまた出てきましたけれど、私はもうこの動きをずっと追いかけていくことはできませんのでここまでの記述で終わりにいたします。 この後、KADOKAWA(松原眞樹社長)がアマゾンのページを私の言ったことと違うようにどんなに変えても、私はもうその動きについていけません。 (このランキングのページを私の言ったことと違うように素早く変えるのも、KADOKAWA(松原眞樹社長)の「自分は何もしていない」「川合典子の言っていることが間違っている」と思わせるための手法ですか。もう私個人ではKADOKAWA(松原眞樹社長)とアマゾンが結託して働く悪事にとても太刀打ちできません。KADOKAWA(松原眞樹社長)のように自分の言う通り動く社員がいるわけでもありませんから。)  私の知らないところで私に対して執拗に行われるKADOKAWA(松原眞樹社長)の妨害や嫌がらせは、ストーカーのようでとても怖いです。



中古の本の価格が1円まで下げられる様子(赤い字の部分)

(12月6日夜)
英語発音、日本人でもここまでできます。-発声から変える川合メソッド
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昨夜(9月10日)7時のNHKニュースでアマゾンジャパンのことを報道していました。
アマゾンが販売した商品の値引き分を納入業者に補填させていた問題で、アマゾンが納入業者1400社に20億円返金する、というニュースでした。 これを受けて公正取引委員会はアマゾンジャパンに独占禁止法違反での行政処分は行わない。 アマゾンジャパンは「すべての取引先企業とのビジネス展開において、オープンかつ建設的な対話に取り組んでまいります。」というコメントを出しました。 ということでした。
アマゾンジャパンには、オープンで透明性の高いビジネスをしてほしいです。私はいまだに、なぜ私の本だけが送料有料にされたのかわからないままです。 オープンで建設的な対話に取り組んでいく姿勢があるのなら、私の本だけなぜ送料が有料なのか、きちんと説明してください。 巨大企業だから何でもやりたいようにやっていいわけではありませんよね。きちんと説明してください。 


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英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
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* * * それでは今日のブログに入ります * * *

文部科学省が作成した下の2つのビデオを拝見しました。 その感想を書きます。
(ビデオ1) なるほど!小学校外国語①言語活動  直山 木綿子 文部科学省初等中等教育局視学官 × 櫻木 瑶子 文部科学大臣報道官と小学校の外国語教育はこう変わる!
(ビデオ2) ③〜言語活動を行う動機付けのはかり方〜私が見たのは3時間目の授業の方です。

小学校の英語教育が始まったときのことを私はよく覚えています。文部科学省が率先して始めたわけではなくて、保護者の皆さんの「英語はもっと小さいときから教えたほうがいいのではないか」という強い要望があって、それに押される形で文部科学省が小学校からの英語教育を始めました。

私は英語を小学生の時から教えるメリットがあるとすれば、発音の分野だろうと思いましたので、その結果を注視していました。  Youtube にたくさんアップされていた小学校の英語の授業を見て私が思ったことはこちらのブログに書いてあります。

2015年8月30日 文部科学省の方針(小学校から英語の授業)を実施したので、小学生がカタカナ発音で話しています。(1)

小学校の英語の授業を見るとき、多くの方は先生がどう教えてるかをご覧になると思いますが、私の場合は授業を受ける生徒たちの発音をヘッドフォンを付けて一つ一つ聞いていました。  その結果思ったのは、やはり発音は学習者がたくさんの英語を自分の耳で聞いて同じ音で発音し始める過程を取らないと小学生といえどもネイティブ発音にはならないということでした。  週に数時間英語の授業をネイティブから受けてもカタカナ発音のままだ、ということが分かりました。  聞く量が圧倒的に足りないということです。  それではどのくらいの量の英語を聞けばネイティブ発音になるか、ということについては下のブログに書いてあります。

2015年6月1日 文部科学省の方針(中学校、高校の英語の授業を英語で行う)を実施すると、中学生、高校生が、カタカナ発音で話し始めます。

そのころ私は小学校の先生方が行う英語の授業にいくつか参加しました。  ただでさえ多忙なのに、その上に英語の授業を研究しようという先生方ですから、非常に熱心でどれも(ある一点を除けば)素晴らしい授業でした。  (その時の感想はこちらのブログに書いてあります)
このビデオの先生もそうですね。  児童教育の専門家として素晴らしい授業ですね。  もし、ヨーロッパの国でこういう英語の授業をしたら、申し分のない授業だと思います。  母国語が英語と似ている国で行われた授業だったら、これで申し分ない授業だと思います。  生き生きと授業に参加する子供たちを見れば、それがよくわかります。 ただ、これを日本語を母国語とする子供たちに行うと、一つ問題が起こって来ます。  私がこれから書くことは小学校の先生を批判するつもりで書いているわけではありませんので、その点は誤解なきようお願いいたします。

ある一点、私が気になったのは授業に参加する子供達の発音でした。  生徒の発音はカタカナ発音です。 子供たちが授業に慣れていけば、このカタカナ発音が正しい発音に変わるかというと、そういうことはありません。  このまま中学、高校、(大学)と英語の授業を進めて、子供たちが大人になって日本の外に出た時、「日本人の英語はよくわからない」という今の現象がそのまま続くことになります。 日本にいる外国人の方々は一生懸命日本人の英語を聞いてくれますので、日本にいるとわかりませんが、日本の外に出ると日本人の発音は非常に聞きにくいです。  通じない場合が多いです。   



文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生には、子供たちの発音がカタカナ発音であることや母音の区別がされていないということは聞き取れないようです。  先生方に英語の授業のアドバイスをするならば、少なくとも、子供たちの発音を聞いて、カタカナ発音か英語の発音かの区別が出来るようになってから、アドバイスを行っていただきたいと思います。

「英語の授業が楽しくないから子供たちは興味を失って英語を勉強しなくなる」その結果英語力が上がらない。 そう考えて、小さいときから楽しく授業をすれば子供たちは興味を持って英語を勉強するようになると文部科学省は考えているようです。  それで楽しい授業の工夫がされているようですけれど、小学校で楽しく学んだから中学生になって、関係代名詞や仮定法で躓くことがないかというと、そういうことではないと私は思っています。

やはり、文が複雑になってきたり、英語で表現される概念になじみのないものが入ってくるとそれが難しくてついていけなくなる子供たちは今と同じように出てくると思います。  そのくらいのレベルになるともう楽しいだけで、英語は勉強できなくなります。  そのハードルを乗り越えるために何をしたらよいか。  それはハードルを乗り越えるだけの英語の基礎体力を生徒に日々付けさせることだと私は思っています。  それが、私がこちらのブログに書いた中学生の勉強の仕方です。
2年ほど前、私は郵便局に用があっていきました。 そして用が終わった後、私を担当してくださった方とお茶をいただきながら、お話しをしました。  その方には中学1年生の息子さんがいらして、お母さんは息子さんをアメリカの学校に通わせようと思っていました。 お知り合いがアメリカにいて、そこに息子さんを預けてアメリカの学校に通わせたいようでした。 それで私は「どう思われますか」と聞かれました。

私「お子さんがアメリカに行きたいと言っているのですか?」
お母さん「いいえ。英語を身につけさせるために私が息子を一人でアメリカに行かせようと思っています。」
私「中学1年生で仲の良い友達と別れて言葉の通じない知らない子供ばかりの中に一人で入っていくのはお子さんにとってつらいと思います。  一人でアメリカに行ったら、学校から帰ってきて家族と日本語で話せるわけでもありませんし、食事も慣れた日本食は食べられなくて、毎日アメリカの食事では、最初はとてもきついのではないかと思います。」
このお母さんは息子さんの英語をとても心配されていたので、私は次のようにお聞きしました。「息子さんはI like music. を主語をHeにしたら、すぐにHe likes music. といえますか?(like がlikesに変わります)」
お母さん「今、そういうところがだんだんあやふやになってきています。」とおっしゃいました。
私「中学生の時は、いろいろなことをさせないでまず学校で習う基本的な文が考えなくても口をついて出てくるようになるまで言う練習をしてください。 基本的な文が考えなくても口から出てくるようにならないと次に新しいことを学ぶ土台が出来ませんから。言う練習をするときはCDを使ってください」と私は答えました。  習ったことについて常に考えなくても口から自然にその文章が出てくるようにしておくこと、これが英語の基礎体力だと私は思っています。

ヨーロッパの言語を母国語とする人たちは言いたいことを母国語から英語に直していけばある程度、英語を習得できる部分がありますけれど(言語に似通った部分がある)、日本人の場合は技術的な学習としてどうしても教えていかなければならない実技があります。それが発音です。  これは日本人が英語を通じるように話すためには避けて通れない事柄です。  具体的には各母音、子音の習得はもちろん、子音の日本語化とリズムです。  子音の日本語化はこちら(HP)で解説してありますが、多くの日本人の大人はすでに英語の子音の長さが聞き取れないように耳が出来上がっていますので、子供の英語を聞いてもその点に気づかない人が多いです。直山木綿子先生もお気づきにはならないようです。  直山先生は子音の長さが聞き取れないので、生徒の発音に違和感は感じないようです。  

もう一つのリズムは、このビデオの授業では文が短いので問題になりませんが、長い文になってくると相手の人に聞きにくいという問題を起こします。  アメリカに行ってしばらくして私の息子が英語に慣れ始めたころ、こういいました。  「僕はね、多少この言い方でいいのかな」と思うことがあっても文は途中で切らないで最後まで言い切ることにしている。  日本人の英語が通じないのは変なところで文を切るからだよ」といったことがありました。 変なところで文を切ると、アメリカ人が聞きなれている強弱のリズムとは違ってきますので、相手の人が聞きにくそうな顔をして聞いているのをよく見ました。

日本語でもそうですね。  どこかのブログに書いたと思いますが、空港でアメリカ人がしゃべった日本語のアナウンスを聞いているうちに文を切るところが日本人と違うので、私も途中で聞き取れなくなったことがあります。

各母音、子音の特徴と「子音の日本語化」とリズムはどうしても英語学習の最初から子供たちに訓練していかなければなりません。

日本人が英語を言語として使えるために最も大事なことは英語が通じることです。  相手が理解できる英語で話すということです。  私もシカゴに行くまでは日本人の英語が通じにくい(最悪の場合通じない)とは知りませんでした。  大学の英会話の授業でもアメリカ人の先生は生徒の多少おかしい発音でも全部理解してくれていましたから日本人の英語が通じないと思ったことはありませんでした。  ですからシカゴにいたころ、ある日テレビのニュースで、日本の経済界では英語が堪能で有名な方が英語で記者会見しているのに、テレビに英語字幕が出ているのを見た時は、驚いてしまいました。  1990年ごろでした。 この時初めて日本人の英語は通じていないのだと知りました。  それから注意してみていくと、日本人の英語が「通じていない」「非常に聞きにくそうに相手が聞いている」場合がたくさんあることに気付きました。  このビデオに出てくる子供たちが大人になったら、やはり通じない、非常に聞きにくい英語で話すようになります。 でも直山木綿子先生は児童の発音がカタカナ発音だということや母音が区別して発音されていない、ということにはお気づきにならないようです。  授業について先生方にアドバイスするなら、せめてカタカナ発音と英語の発音の区別くらいは出来るようになってからなさった方がいいと思います。  

留学した方々は日本人の英語が聞きにくいと言われたことはないと思います。  2度目の赴任で、ニュージャージーに住んでいたころ、私がイギリス英語に興味があって「学校でイギリス英語を話すお友達はいるの?」と娘に聞いたら、「お母さん、学校では誰々の英語は~~だ」とか言ってはいけないんだよ」といわれました。  学校では生徒心得マニュアルのようなものが、生徒一人一人に配られます。 私も全部読みましたけれど、その1ページ目に先生と生徒、生徒と生徒は互いにrespectをもって接すること。  という決まりが書かれていました。 一番始めのページに書かれているということはそれが学校生活で一番大事なことなのでしょう。 お互いにrespectをもって接するときに「あの子の英語は聞きにくい」などとは言いませんね。  ですから留学した方は日本人の英語が通じにくいということも気づいていないと思います。 長期に現地にいれば、中にはネイティブのように聞きやすい英語に変わっていく方もいらっしゃいます。
通じる英語を話すためには日本人にはどうしても発音練習が必要です。  それが楽しくても楽しくなくても通じる発音を身につけることは必要です。 「良い」とか「悪い」とかの問題ではなく、正しい発音を習得させないと言っていることが通じない、つまり、言語として使えない、ということなのです。 通じない英語を話している、ということは英語が全く話せないのと同じことなのです。

私の子供たちはバイリンガルですけれど、彼らが楽しい学習だけして、バイリンガルになったかというとそうではありませんでした。  彼らがした勉強の99%は本当はしたくない勉強でした。  娘はベッドの上で夜遅くまでブツブツ地理の用語とその意味を英語で書いた文章を暗記していましたし、息子は化学の元素記号の元素の名前を暗記していましたし、ロミオとジュリエットのロミオのセリフも暗記していたようです。 彼らにとって、やりたくない英語の勉強が日常の学習の99%を占めていました。

外国語を学ぶ以上、言いたいこと楽しいことだけやっていて、習得することは出来ません。 ただ、日本で外国語として英語を学ぶ場合、中学生のような若い時期だと初めてのものに対する好奇心もありますから、それほどの苦行にはならないと私には思えます。 それに若いと確かに口も滑らかに動きますし、耳もいいですから、早く上達しますので、大人がするほど大変ではないように思えます。 家庭学習として少しずつの学習を習慣化させればそれほど負担にはならないと思います。

文部科学省は私がどれほど言っても発音を学校で教えることを全く考えないで英語教育をしようとしています。 このことについて私はずっと考えていました。

何度も書いているように下の私のブログは為政者によってかなりひどい妨害を受けています。何年も前から、決まった4語の検索ワードで検索すると、毎日2位にでてきていたのに、今年1月末から突然どこにも出てこなくなりました。  
2017年11月2日 「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」

私はおかしいと思いました。  このブログよりもっと文部科学省に都合の悪いブログ(例えば4技能は役に立たない)を私は書いているのに、それは順位を下げられる程度の妨害を受けているだけなのに、なぜ、「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」のブログだけがこんなに激しい妨害を受けるのだろうか、と私はずっと考えていました。  考えていた時、ふっと、数年前の出来事が頭に浮かびました。

それは2015年6月1日のブログを私が書いたころだったように思います。

そのころ文部科学省は英語の授業を英語で行うことを盛んに国民に言っていました。 「泳げるようになるには泳ぎについて学ぶよりも実際に泳がせなければならない」と主張する文部科学省の向後秀明教科調査官がいろいろなところで講演を行っていました。 その時、そういうイベントを告知するページに、ある大手英会話学校の名前がそのイベントに協力する形でいつも出てきました。 それを見て、私はとても不思議な気がしました。なぜ公平であるべき文部科学省のすることに、いつも同じ英会話学校の名前が出てくるのだろうと思いました。

私の父は公務員でした。  第二次世界大戦後公務員として働き始めました。  若いころ軍国主義を叩き込まれた父と同じ年代の人々は戦後今まで経験したことのない新しい「民主主義」という国家の体制の中で働き始めました。  

新しい体制の中で手探りで多くのことを学んでいったのだと思います。  公務員としてどう働くべきか。  もちろん職場で研修もあったでしょうが、父はそれを一生懸命自分なりに考えて身に着けようとしてきたのだと思います。

私の実家は二つの道が交差する角に立っています。住宅地ですから車はほとんど入ってきませんが駅に近いので、いつも少しの人通りはありました。  それで、選挙の時期になると運動員の方が候補者のポスターを持ってよく家に来ました。 「お宅の塀にポスターを張らせてください」と頼まれると父はいつも次のように答えてお断りしていました。

「私は公務員ですので特定の政党を応援する活動をすることは出来ません。」

小学生の時からそういう父の姿を見ていたので、私は「こうむいんってそういうことをしてはいけないんだ」と子供ごごろに思いました。 まだ「公務員」がなにかもわからない頃からそう思っていました。  中学、高校になってからも父のそういう姿を見ていたので、「公務員って公平な立場で仕事をしなければいけないんだ」と当たり前のように思うようになりました。 一度、市議会議員の選挙で黙って塀にポスターを貼られたときは、その候補者を知っている方に電話をして取り外してもらいました。 普段はご近所の方に何も言わない父でしたが、選挙のポスターに関しては一度も受け入れたことはありませんでした。  

私は父のそういう姿をずっと見てきましたので、今から4年くらい前、文部科学省の向後秀明教科調査官と、いつも文部科学省のイベントのページに名前があった大手英会話学校(イーオン)の社長(三宅義和氏)の対談が、「イーオン社長とゆかいな仲間たち」という題でオンラインの雑誌(PRESIDENT Online)に載っているのを見た時、大変驚きました。  文部行政を決定する権限を持つ国家公務員が特定の英会話学校の社長と対談してそれが「英会話学校社長とゆかいな仲間たち」という題で、ネットに載っている。「そういうことをしていいの?」と思いました。文部科学省の教科調査官は、大手英会話学校イーオン社長の仲間なのですか。文部科学省の教科調査官は国民の税金で働いています。 向後秀明教科調査官の行いは非常に軽率で、国家公務員としての自覚に欠ける。 実際に何を与えなくてもその映像を見るだけで、この英会話学校のビジネスに文部科学省(国)がお墨付きを与えているような印象を人々に与えてしまう。 日本に英会話学校はたくさんある。 すべての英会話学校に対して文部科学省は、公平な扱いをするべきではないのか。 特定の事業者と密接な関係にあるようなことを公(おおやけ)に行ってよいのか、私はそう思いました。 人事院は公務員が公平な立場で仕事をしなければならないことについて、もう少し徹底させた方がいいのではないですか。 向後秀明氏の行動はこちらの義務違反防止ハンドブック(服務規律の保持のために)にある国家公務員の服務規律違反ではないのですか。(日本国憲法第15条第2項、すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。) また「英語で授業」を提唱すること自体、向後秀明氏が英語発音とカタカナ発音の区別が出来ない、ということですので、向後秀明氏は英語音声学をきちんと学ぶ必要があります。 英語で授業、English Only 、日本でこういう環境に生徒を置くと、生徒の話す発音はボロボロになります。 英語とは全然違う子供たちの発音に気づかない指導者は英語発音とカタカナ発音の区別が出来ない、ということです。(それに子供は普段使っていない言語で授業なんかされても、まったく頭に残りません。)向後秀明氏は大学で音声学を履修されなかったのでしょうか。 先生方に講演するなら、最低限、英語発音とカタカナ発音の区別くらいできるようになってからにしてください。(現在、向後秀明氏はこちらの大学の教授だそうです専攻分野が「英語教育」「英語科指導法」「英語教育施策研究」と書いてありますが、カタカナ発音と英語発音の区別も出来ないようでは、正しい英語教育については全くご存じありませんね。向後氏が講演して回った「英語で授業」の方針のために、日本の英語教育がどれほどの損害を受けてきたと思っているのですか。 高校の先生方がどれほど苦悩されてきたと思っているのですか。その責任をどうお取りになるつもりですか。向後秀明氏は子供たちの発音をボロボロにするでたらめの指導法を各地で講演して勧めてきたんですよ。その責任をどう取るのですか。 それとも大学教授は間違ったことを提唱してもまた知らんぷりですか。) 2019年11月11日の羽藤由美先生のツイッターに向後秀明氏のことが載っているのを今日(9月5日)見つけました。そこには「向後秀明氏が、ベネッセ直下の天下り団体ともいえる進学基準研究機構(CEES)の理事をしていた」ということが書かれていました。また、「英語民間試験123億利権に群がった役人・教育者・企業たち」という記事が紹介されていて、向後秀明氏の名前もありました。   敬愛大学のHPで、「2.これからの英語教育に求められることは何だと思いますか?」という大学の質問に「授業は英語で行うことを基本とする」とか高校では言語活動が高度化してディベートやディスカッションを行う」とか、発音をボロボロにする授業形態をいまだに提唱していたり、アメリカでは、ディベートやディスカッションを行うために小学校からどういう指導をしているかも知らないで、高校でいきなりディベートを持ち出すなど、向後秀明氏は英語教育をもう少し緻密に勉強されたほうがいいです。 何でもアメリカの真似をすれば生徒の英語力が上がるというのは安易な英語教育論です。(結果は全く効果はありません。向後秀明氏は効果の検証をしたのですか。効果のない指導法を先生方に勧めるのは無責任です) 日本には、アメリカのような大量の英語のインプットはありません。英語教師は、英語教育におけるインプットの重要性を知っていてしかるべきです。   なぜ、カタカナ発音と英語の発音の区別をする能力のない向後秀明氏が、英語の先生方の指導をするのですか。 音声学もまともに身につけていない向後秀明氏に先生方を指導する能力はありません。 なぜ洪水のような大量の英語のインプットがあるアメリカと日本の言語環境の違いにも気づけない向後秀明氏が英語教育の指導に当たるのですか。 インプットの重要性を知らない向後秀明氏に英語の先生方を指導する資格はありません。 そんなことも知らない向後秀明氏が日本の英語教育の何を指導するのですか。 向後秀明氏の英語教育法に従っても、日本の子供たちの発音がボロボロになるだけです。向後秀明氏自身が英語発音とカタカナ発音の区別がつかないのですから当然です。 向後秀明氏には英語の先生方を指導する能力も資格もありません。 (向後秀明氏の問題点は、こちらのブログで指摘したことと同じです。  参考になさってください。2019年5月18日「立教大学教授松本茂氏の提唱する授業は高校生にはできない授業です。 やったとしてもなんの効果もありません。」)


文部科学省が盛んに「英語で授業を行う」と国民に言っていたころ、「英語で授業」とネットで検索するとその大手英会話学校(イーオン)のキャンペーンのページがいつも上位に挙がっていました。「英語で授業を行う先生のための英会話レッスンを無料で行います」というキャンペーンでした。

けれども皆さんご承知のように2015年6月1日のブログを書いた後から、私は「英語で授業」は何の効果もない、と主張し、そのうち文部科学省も、「英語で授業」とはあまり、言わなくなりました。 そしてその大手英会話学校のキャンペーンも検索には出てこなくなりました。
私はその経過を見ていて、キャンペーンをつぶしてしまったみたいで悪いとは思いましたけれど、「英語で授業」なんて、ちっとも子供たちの英語力向上につながらないのだから、仕方ないわ。 と思いました。  今思うと私はこの時、いわばこの英会話学校の先行投資をだめにしたわけです。  この英会話学校は日本中の中学高校で「英語で授業」が始まれば、多くの先生方が顧客としてレッスンに来ると見込んでいたことでしょう。  だから、その方針を促進するための文部科学省の講演会にもいつも名を連ね、無料体験レッスンも用意したのでしょう。 その為の宣伝もしてきたのでしょう。  日本中の中学高校の先生が顧客となれば、その先行投資は、何倍もの利益となって返ってくるはずでした。 でも「英語で授業」がだめになったからそうはなりませんでした。 川合典子が余計なことを言うから、このビジネスはうまくいかなかったと思ったことでしょう。

もし、私の言う通り、中学校で生徒各自にCDを渡してスピーキング教育をしたら、生徒は中学卒業時にはネイティブに近い発音を習得しますので、大人になっても「発音習得」あるいは「発音矯正」のために英会話学校に行く人はほとんどいなくなると思います。  つまり、私が提示したようなスピーキング教育を学校ですると英会話学校に行く人の数は激減すると思います。  それでも「話す」という練習をしたい方で英会話学校に行く人はいるかもしれませんが、大学時代の大量の英文読書まで行えば言いたいことは自然に英語で頭の中に浮かんできますので、練習しなくても大学の活動などでしゃべっていればいいわけですから、会話学校に行って話す練習をする人も激減すると思います。
つまり、私の主張するような発音教育を学校ですると英会話学校のビジネスは大きな打撃を受けるということです。 少し前まで、文部科学省のイベントにあれだけ名前を出していた英会話学校。  その英会話学校の経営を守るために、文部科学省が故意に発音教育を学校の英語教育から排除しているということはないのだろうか、と私は思うようになりました。  「日本人の英語が通じない」これが一番改革しなければならないことなのに、文部科学省は発音ひとつ学校で教えようとはしない。 CD一つ子供に与えようとはしない。 それは、何かおかしい。と私は思いました。 誰だってスピーキングが上手になりたかったら、英会話のCDくらい買いますよね。 音声モデルがいることくらいわかりますよね。 日本で「英語を勉強する」といったらまず音声の教材が浮かんでくるくらい、英語学習と音声の教材は結びついています。 日本人の英語の問題点はスピーキングが出来ないことだとみんな知っている。大学入試で50万人の受験生にスピーキングテストまでしようとするくらいみんな知っています。 それなのに、学校でスピーキングの基礎である発音指導はしないし、生徒にCDも配布しない、それは何かおかしい、と私は思うようになりました。

一番最初に挙げた文部科学省のモデル授業のビデオを私は友人にも見てもらいました。  彼女は23年アメリカで暮らして今は日本にいます。  お子さん二人はバイリンガルです。  メールで送られていた彼女の感想は次のようなものでした。

授業の子供たちはとても楽しそうですね。
担当の先生も子供たちの好奇心をよく掴んで、テンポよく進めていらっしゃると思いました。

ですが、先生も子供たちもその発音は別問題です。日本語の発音と全く同じですもの。
発音、イントネーションには全く思慮が払われていないように感じました。
単純な文章と単語の段階ですから、徹底的に真似することを教えれば
もっと完璧に行けるはずだと思います。

これが彼女の感想でした。

私は、教師がネイティブと同じ発音が出来ないのは仕方ないことだと思っています。  先生だってそういう発音教育を受けてきたわけではありませんから。  ですから私は中学生の時、「日本人の先生が英語の発音を聞くことが出来ても同じように言うことが出来ないのは仕方ないわ。  だったら、ネイティブの音そのものから学べばいいんだわ」と思って英語のテープを親に買ってもらってスピーキングの練習(文章のまま発音を習得する練習)をしました。 

つまり生徒に正しい発音を習得させるには子供たちの(大人より)良い耳を使って英語の音そのものをダイレクトに取り込ませることが一番重要だということです。  その為には音声の教材は必ず必要です。  なのに、文部科学省は今までに、一度も音声の教材を子供に配ったことはありません。  なぜなのだろう。  そして過去には英会話学校と密接なつながりがあった。  そして私のブログ「中学時代に、きちんと発音習得をした英語教育の専門家はいないのでしょうか」が非常に激しく妨害されている。

それらを考えた時、文部科学省が音声モデルを生徒に配布しないことが、単なる偶然ではなく、意図的に行われているのではないか、と私は思うようになりました。

「スピーキングを何とかしたい」「通じる英語で話したい」と日本人が思ったとき、子供の親や、学習者本人が考え付くのはまず、英語の音声を手に入れて聞くこと(子供なら聞かせる事)だと思います。  何回も聞いて練習するでしょう。  

なのになぜ日本人の英語が通じないことが問題なのに、文部科学省は生徒に全く音声の教材CDを与えないのだろう、と私は思いました。

国会議員か、文部科学省のお役人かわかりませんが、故意に英会話学校のビジネスが痛手を受けないように、学校で発音指導をしない、音声モデル(CD)も渡さない教育方針にさせている可能性は充分あると思いました。  今までに何もなかったらそんなことも思わなかったかもしれませんが、ベネッセを儲けさせるために、彼らが様々な不正な手段を使っていたことを知った今は、そういうことも十分考えられると思いました。 ベネッセの金儲けのために大学入試で英語民間試験をさせようとしたり、「生徒の学習に向かう主体性を育てるため」と国民を騙して、ベネッセの見込み顧客(高校生)調査をしようとしていたり(ポートフォリオ)、生徒の思考力判断力を重視して記述式を導入すると言いながら採点はベネッセのアルバイトにさせようとしていた。これだけのことをする人たちなら、英会話学校の経営を守るために、学校でCDを配らないくらいは平気でするだろうと思いました。 大学入試全体をベネッセに金儲けさせるために変えてしまおうとするような人達なら、英会話学校の経営を守るために学校教育から発音指導や音声モデル(CD)を排除するくらいのことは平気でするだろうと思いました。

学校教育は無償です。  でも無料ではありません。 保護者の方々は税金という形でその費用を負担しています。

就職してしばらくたった時、私の娘が給与明細を見ながら、「お母さん、税金てこんなにたくさん取られているんだね。  私、選挙にもちゃんと行って投票しよう。」といったことがありました。

20代の女の子でも「こんなにたくさん」というほど税金を払っているのです。 ましてやお子さんをお持ちの40代50代のお父さんやお母さんはもっともっとたくさんの税金を払っているのではないですか。  保護者はそんなに税金を払っているのに、文部科学省は皆さんのお子さんに発音ひとつ学校で教えようとはしないのですよ。  基本を学ぶ中学一年生にだけでもCDの一つも与えようとはしないのですよ。 音声モデルがなくてどうやって子供は発音を習得するのですか。  こんな不備なスピーキング教育がありますか。 目標とする音声モデルも生徒に与えないで、ネイティブ発音など、習得できるはずがないでしょう。 週に一時間ネイティブの先生の授業を受けたくらいでは英語の音は耳に残りません。 音声モデル(CD)を与えなかったら何をお手本に子供達はスピーキングを練習したらいいのですか。 ネイティブ発音になりたかったら、英会話学校に行け、ということですか。 保護者はこれだけの税金を払っているのですから、それはないでしょう。 不十分だと承知で、英会話学校の経営が打撃を受けないために学校では発音も教えないし、CDも渡さないのですか。
文部行政にかかわる人の中に個人的にお金をもらっているのはベネッセからだけではなく、大手英会話学校も含まれているのではないですか。 もしそのために、故意に学校で子供たちに発音を教えないようにしているのだったら、国民はとても怒ると思います。

もし私が言うことが事実無根だというのであれば次の3つの質問に答えてください。
(1)日本人がスピーキングができないという問題点を知りながら、なぜ正しい発音で英文をしゃべる発音指導を学校の授業で行わないのですか。

(2)CDを作るコストはDVDに比べて格段に安いです。  基礎を学ぶ中学1年生だけにCDを配布するなら国民一人に対し、生涯1回だけの配布です。 コストはそれだけです。  ネイティブの先生を雇用するとその後、人件費は継続して発生しますから、かなりのコストがかかります。 それにも関わらず、なぜ基本を学ぶ中学一年生だけでもCDを配布しないのですか。

スピーキングを上達させようと思ったら、誰でもネイティブの音声をまず入手しようとします。 英語教育の専門家ではなくても、普通のお父さん、お母さんでも、子供のスピーキングを良くしようと思ったら、音声の教材を買い与えます。  それは普通のことです。 今や日本では「英語学習=音声の教材」は常識です。  なのに文部科学省はなぜ今まで子供たちにCD一枚与えないのですか。

(3)私のブログ「中学時代に、きちんと発音習得をした英語教育の専門家はいないのでしょうか」を、なぜこんなに激しく妨害するのですか。 

ブログの中にある「どの人の(英語教育に関する)意見も発音習得のプロセスが全く抜けていたのです。」これを人々に読まれるのが都合が悪いのですか。


確かに私の言う通りに学校教育をしたら業者は儲からないでしょう。 でも、必要がないのですから、わざわざ学校教育を不備にしてまで、業者を儲けさせることはないと思います。
私がブログに書く英語の教育方法は学校教育だけで、グローバルな世界で充分やっていけるだけの英語力を子供たちに身につけさせる方法です。 学校教育だけでそれができるのです。 なぜなら、「特に初期の英語力」というのは学習者本人がどれだけそれを練習するかにかかっているからです。こういうことを生徒に持続して練習させるには、学校教育が最も適しています。 家庭学習として、学校で支援できるからです。 私が提示した方法は中学、高校、大学と終了までに時間はかかりますが、中学でネイティブに近い発音を習得し、高校でネイティブが考えているのと同じ英語の語順で英文を理解するようにし、大学1,2年で大量の英文読書によって言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようにするものです。  中学で音声モデルを生徒各自に配布することと、大学では、やさしい英書からアメリカやイギリスで高校生が課題図書として読むレベルの本までを図書館に揃えていただくような環境の充実を図っていただかなければならない面もありますが、このような学習計画に沿って生徒を指導していただけば、子供たちは学校教育だけで、グローバルな世界でやっていくのに十分な英語力を身につけます。 この指導法は「英語で授業」のように、日本では提唱者(松本亨氏石渡誠氏)でさえやっていないような机上の空論ではありません。  私自身が実際に全部やりましたし、18年に渡って日本とアメリカを往復した二人の子供たちが小学校、中学校、高校すべての段階でゼロからバイリンガルになる過程とも矛盾するところはありませんでした。

私は今まで、この方法で子供たちの英語力を上げることが出来ると、人々に納得していただくことを目指してブログを書いてきましたが、文部科学省には子供たちに英語力を付けさせる、という目的以外の裏の目的があるのではないかと今は思っています。  だから、私のブログをこんなにもひどく妨害するのだと思っています。

文部科学省のお役人か国会議員か、私にはわかりませんが、その中に学校教育で発音指導をしないで、英会話学校の経営を守ろうとしている人がいるのではないですか。

それが、私の単なる思い違いなら、どうぞ文部科学省は上の3つの質問に答えてください。 答えられないのであれば、私のいうことは真実だと人々は思うでしょう。  

英語が通じないという問題を抱えた国の文部科学省が、学校で生徒に発音指導もしない、CD一枚も与えないというのはどう見ても不自然でおかしいです。 英語学習に音声の教材(CD)がいるというのは今や日本では常識です。なのに、生徒にCD一枚与えない、というのは不自然でおかしいです。 

「不自然でおかしい」と思うことには必ず何か別の目的が隠されている、と私は感じます。  ポートフォリオの解説文を読んだとき「変だ」と思ったことを突き詰めていったら、それは生徒の学習に向かう主体性を高めることではなく、ベネッセの市場調査だという本当の目的が見えてきました。  今回は、「学校で発音指導もしないし、音声モデル(CD)も与えない」という事実から、文部科学省は本当に生徒のスピーキングを通じるものにしようとしているのだろうか、という疑問を持ちました。

もし、それが誤解だというのでしたら、文部科学省は上の3つの質問に答えてください。 

もし、それが誤解だというのでしたら、私のブログに対する妨害をやめてください。

もし、それが誤解だというのでしたら、子供たちに学校で発音を教え、音声モデル(CD)を与えてください。

文部科学省初等中等教育局視学官直山木綿子先生には申し訳ないですが、この子供たちの発音をそのままにして、

授業で何を教えようと
どのように教えるのか、そのやり方をどんなに工夫しようと

この子たちが大人になって日本の外に出たら通じない英語で話す、という事実に変わりはありません。  子供たちに通じない発音で話させるのは無駄な英語教育です。  それが無駄だとわからないことが今の日本の英語教育の問題点です。  留学した大学教授でさえ生徒の発音が通じないとわからないのが今の日本の英語教育の問題点です。  

例えば松本茂立教大学教授はその著書「子供を変えるコミュニケーション活動」という本の中で発音練習しないでいきなり授業で生徒に英語を話させることを勧めています。  帰国子女の上智大学教授吉田研作氏は発音を習得させることなく「英語で授業」を高校で行うことを提唱しています。  こういう通じない発音でいくら英語教育をしてもまったく無駄です。 それさえわからないのが、今の日本の英語教育の問題点です。  

大学教授でさえ、この授業を受けている子供たちの発音を聞いてこの発音で話させる練習をしても無駄だと気づかない。 (なぜ気づかないかは本文の赤字の部分に書きました) それが今の日本の英語教育の問題点です。  子供たちが話している英語の母音も子音も英語とは全く違う音なのに、それに気づく英語教育の専門家が一人もいない、ということが日本の英語教育の問題点です。  発音指導をせずに、勝手に子供にしゃべらせるのがスピーキング教育ではないと誰も気づかないのが今の日本の英語教育の問題点です。

このブログの原稿を先週の木曜日から書いていますが、こういうことを書いて、読者の皆さんに受け入れられるだろうか、と思うと毎晩床についても、夜中の2時3時までなかなか寝付けませんでした。  でも、これ以上無駄な英語教育を子供たちに受けさせられない、と思いました。  私もいつまでブログを書いていられるかわかりません。  今、あまり目の状態が良くないので、もし視野が欠けてきたら、もうパソコンの前にはあまり座っていられない。 夜中の2時3時までもあれこれ考えて、ブログの原稿を書くようなことは出来なくなると思いました。 それでなくても、為政者やベストセラーの著者(松澤喜好氏)、KADOKAWA(松原眞樹社長)から毎日妨害をうけていますから、ストレスの多い生活です。 健康に良いはずはありませんね。 原因もわかりませんし。 半年ごとの視野検査で、怖くて足が震えたまま受けていたこともありました。      2年位前でしたか、実際に左目の視野が欠けました。  検査の後、先生が「この部分が見えていません」といいながらペンで囲んだ部分の広さに私は衝撃を受けました。 目薬も出してくださったのですが、副作用で目が腫れて使えませんでした。 私は、子供たちが小さかったころ集めた自然療法の資料を取り出して、目に良いと書かれていたことは全部行いました。 (肝臓、腎臓の浄化、食事療法、ビワの葉のお灸、目の湿布、それこそ良いと書かれていたことは毎日行いました)  半年後、左目の視野は回復しましたが、今度は右目の視野が、半年前の左目と同じくらい欠けていました。  さすがに、あれだけやっても今度は右目の視野が欠けたことに大変ショックを受けて、落ち込みました。 医学的には一度欠けた視野は回復しないといわれていますので「もし目が見えなくなるとしたら、その前に自分は何をしておいたら良いか」考えました。  「娘に料理の作り方を教えておこう」と思いました。  娘がやがて家庭を持った時、それがきっと役に立つだろうと思いました。  それから、毎週末、娘に料理を教えました。 焼き色の目安など目が見えていればその通りに教えられました。 母親が突然「今日から由紀子にお料理を教えるから」と言い出したにも関わらず、娘は結構楽しそうに料理していました。「このお野菜はどう切るの?」とか興味深々でした。 「このまま目が見えなくならないといいなあ」と私も祈るような気持で、自然療法の手当てを続けました。(昨日(10月6日)偶然、娘と話していて、目のことが話題になりました。 「あの時、ママは、すごいショックを受けていたね。 いつまで教えられるかわからないけれど、といって料理を教えてくれたね。 あの時のママは”この世の終わり”みたいな顔をしてた」といわれました。) それでも半年後の検査では足が震えました。  両目とも視野が欠けていたらどうしようと思うと震えが止まりませんでした。(目は補う作用があるので、視野が欠けていても検査するまで気づかないことも多いです)  今もあの時の手当てをつづけていますので、両目ともほぼ視野は回復していますけれど、検査の時、見づらいと思うことがあって今も不安で、検査は怖いです。 もう、妨害ばっかり為政者からも、ベストセラーの著者からも、出版社からも受けたくないです。 

今年2月1日、「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と書いたときも怖かったです。「更新する」(ブログを公開するときにクリックします)という文字をクリックするとき、手がこわばって一回目はクリック出来ませんでした。 「為政者から何をされるかわからない」という恐怖心から、為政者の意図に気づいても3日間は何も書けませんでした。 でも、2月1日の夕食前に用があって外に出た時、「黙っていてはだめよ」と大きくまたたいていた星に言われたような気がしました。(目が悪いせいか、あの日は星の光が二重、三重に重なって星がとても大きく見えました。たぶん、前方に見えたのはヴィーナス、左に振り返ったとき後方に見えたのはシリウスだと思います。 実はこちらのブログに出てきた外国人の方と別れるときに、星のことを言われました。別れるとき、その人は、とても心配そうに私のことを見ていました。 きっとこれから私が経験することに耐えていけるか心配していたのでしょうね。 最後に励ますように星のことを話してくれました。 それなのに、私はあの時、これから自分がそんなにつらい経験をするとは知らなかったので、「星??」とまったく理解できませんでした。 でも、気になってあれからずっと、夜空にひときわ大きく輝く星を見ると、調べたり、注意して見たりしてきました。 言われたのは20年以上前でしたからこれまでに何回もヴィーナスは見てきました。 けれども、あんなに大きく輝くヴィーナスを見たのは、あの日が初めてでした。 自分の目のせいだったかもしれませんけれど、その時、心に感じた言葉(典子、言わなければだめよ)という言葉を無視できないくらい大きかったです。光もすごく強かった。 「でも怖いの。そんな企(たくら)みがあることをみんなに知らせたら、文部科学省(下村博文国会議員)から何をされるかわからない」と私は言いました。 けれども、私がそう言っても、前方のヴィーナスも、後方のシリウスも、「典子、言わなければだめだよ」と言っているようで、私は怖くなりました。「星の言うことを聞かない方がもっと怖い」と思いました。 そのくらいヴィーナスもシリウスも大きかった。 だんだん体が緊張して来て、夕食の間もずっとドキドキしていました。もうその状態を続けられないと思ったので、食事が終わったらすぐにブログの原稿を書きました。 手がこわばって一回でアップできなかったのは最初に書いた通りです。 でも結果的には2月1日に「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と勇気を出してブログに書いてよかったと思います。翌日、夜、雨戸を閉めるときに、窓から見えたヴィーナスとシリウスに「書いたよ。これでいいのね」といいました。心身共にほっとしていました。 (でもやっぱり、そのあとから為政者の強烈なブログの妨害が始まりました。 その後、アクセス数は夜まで「9」とか一桁になりました。 きつかったですね。 朝、パソコンをひらいて、アクセス数が「0」だった時、このままつぶされてしまうのかな、と思いました)

家族はこういう話をすると笑います。「ママって変なことばっかり言う」と夫と娘は二人でおかしそうに笑います。きっと読者の皆さんも、笑っていらっしゃるんだろうな、と思います。 こちらのブログも皆さんは笑っていらっしゃるかもしれませんね。 いつだったか、海外旅行から帰ってきた人から手のひらに乗るくらいの大きなきれいな石の置物を2ついただきました。 私は娘に「こっちの石のそばに行くと刺すような気が来て痛いけれど、こっちの石のそばに行くと、とても柔らかい、やさしい気が伝わって来て心地いいわ。」と言いました。ちょうどその時、夫がキッチンに入ってきました。 娘は「ママったら、石から何か出てるっていうんだよ」といって笑い出しました。 それを聞いて夫も一緒に笑い出しました。  二人で、「ママって変なことばっかり言う」と大笑いしていました。 いつもこうですね。(でも、最初に娘と夫に笑われた時、私はびっくりしてしまいました。 私にはこんなにはっきり感じられるものなのに、これを全く感じない人がいるのだ。ということが驚きでした。) でも、見かけのきっかけが、星であれ、何であれ、あのブログを書けてよかったと思います。 あの日、あんなに大きなヴィーナスとシリウスを見なかったら、私は怖くて「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」と2月1日にブログに書くことは出来なかったと思います。  そうしたらきっと、今も、下村博文国会議員や鈴木寛氏が英語民間試験導入を水面下で進めていたでしょう。 笑われても、子供たちが間違った教育を受けなくて済めば、それが一番いいことだと思っています。

ポートフォリオのブログを書いたときは、夫にまで「一体どうしたんだ。心ここにあらずという感じだ」としかられるほど毎日緊張していました。(夫は私のしていることはあまり知りません。知れば、心配するでしょうから) あのブログは最初からとんなに怖くても書かなければいけないと思っていました。 子供たちが本当に英語が上手になるような英語教育をしてもらいたいだけなのに、なんで、こんなことをするのかなあ、と妨害されるたびに思います。



文部科学省はやがてこの子たちが「発音が通じない」という問題に直面することを知っています。  その時に、この子たちが英会話学校に行けば、英会話学校は倒産することはない。  彼らはそれも知っています。

私のブログに対する為政者からの妨害がやまなかった場合、やはり、「文部科学省が生徒に発音指導もしないし、音声モデル(CD)も与えないのは英会話学校の経営を守るため」ということが分かります。

日本人にとっては、

英語学習(スピーキング学習)に音声の教材(CD)がいるということは今や常識です。 

学校が休校になっている時の英語の勉強の仕方(中学生の場合)

私は今日(7/24)このブログに書き足していて、自分がなんでこんなに妨害されるのか、その理由に気づきました。「川合式英語学習法」を解説した青字の部分に書いてあります。だから私は業者にお金儲けさせようとする国会議員にとってはものすごく邪魔な存在なのだと理解しました。たぶん下村博文国会議員がいる限り私がどんなに子供たちの英語力を上げる方法を訴えようと文部科学省は無視するのだろうと思いました。私は13歳の時に学校の勉強の一環としてスピーキング能力を習得した日本でただ一人の中学生でしたけれど、下村博文国会議員がいる限りその経験を今の中学生のために生かしてあげることは出来ないのだ、と思いました。 下村博文国会議員は日本の国民に選ばれた国会議員なのに、日本の子供たちのことなど全く考えていません。考えているのは献金をもらう業者のことだけ。 業者というのはベネッセや英会話学校や留学斡旋業者など。(以前萩生田文部科学大臣に英語教師になる学生に留学を義務付けるという提案をさせたのは下村博文かと最近思う。あの後も留学、留学と下村博文がやたら言っていたから。 下村博文は今度は留学の斡旋業者からお金もらったんだな、と思った。「東大に(全くスピーキング能力をつけさせない)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが彼が日本の子供たちのことなど全く考えていない証拠です。あれだけすごんで露骨に表した下村議員の本心(有権者の子供なんかただの金儲けの道具)はもう隠せません。今更とりつくろえないです。 

(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。 陰謀論を信じる人達には、下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。  陰謀論を信じる人達には、下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。




為政者に都合の悪いことが書いてあるブログを税金(人件費)を使って妨害するのは違法です。そのような税金の使い方を納税者は認めていません。たった一日だけ(7/22)妨害の程度を軽くしても (軽くしただけです。 妨害をやめてはいません)、今日(7/23)はまたきつい妨害が始まっているではありませんか。為政者は税金を使って違法行為をするのはおやめください。「中学時代、学校の勉強の一環としてスピーキング能力を習得した教育者が日本には一人もいないから、一人もいない」と私はブログに書いただけです。 下村博文議員のたくらみに乗る教育関係者が誰一人スピーキング能力を習得した経験がないと人々に知られるのがまずいから、こんなに激しく妨害するんですか? 妨害したって、下村博文議員のたくらみに乗る教育者がスピーキング能力の習得に全く無知だ、という事実に変わりはないでしょう。 違法行為をしなければ賛成してもらえないようなお粗末な大学入試改革などやめることです。子供の実力を上げるのは「授業」です。授業を改革しないで入試を改革することを提唱するなど、教育の基本も知らない無知で無能な教育者がすることです。勉強が足りない。勉強もしていないそんな低い見識でよく人々の前に教育者として顔をさらせると思います。授業改革をしないで大学入試改革を提唱する教育者は全員大学に戻って、教育原理、教育法の授業を再履修してください。教育の基本も知らない人と教育の議論は出来ません。教育の基本は「授業」です。 生徒の実力を上げるのは「授業」です。 「試験」「試験」と金儲けのために人々を洗脳する政治家のたくらみに騙されないでください。大学入試改革をする前に、グローバル化に対応した教育が出来るよう、小学校、中学校、高等学校の授業内容を改革するべきでしょう。 「思考力」「判断力」「スピーキング能力」そういう力を付けさせたかったら、そういう力を付けさせる授業をまず考えるのが教育者でしょう。 そうしたら、漠然と「思考力」「判断力」とか言っていては、子供たちの「思考力」も「判断力」も上げられない。という現実に気づきます。 では具体的にどういう思考力を訓練するのか、どういう判断力を訓練するのか、そこから考えていくようになるでしょう。 今、大学入試改革を言う人はベネッセを儲けさせるために立派な理屈を言っているだけですから、どういう思考力を育てるか、どういう判断力を育てるか、など考えていません。 立派なことを言えば、それで、通ると思っているから思考力だの判断力だの言っているだけです。だから、下村博文議員が授業の改革に一切触れず、テストの話ばかり出してくるのでしょう。 すべては、入試を使ってベネッセに金儲けをさせたい下村博文国会議員の実作自演の筋書きです。「テストで子供たちの実力は上がらない」と先生方が最初からおっしゃっているではないですか。 下村博文議員は、教育の大原則「テストで生徒の実力は上がらない」も知らないのですから、教育に口を出さないでください。 テストで生徒の実力が上がると公言するような素人に教育に口を出す資格はありません。 子供たちの実力を上げるのは授業です。 下村博文議員のやっていることは生徒の実力を上げることとはまったく関係ありません。 

日本はグローバル化に向けた教育の段階がアメリカと違いますの日本独自の内容が必要でしょう。 けれども考えるときの参考にしていただけるブログを下に列挙しました。

2017年4月21日 グローバル化に対応した学校教育 小学校の場合
2018年1月18日 グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(2)

2018年1月17日 グローバル化に対応した学校教育 中学、高校の場合(1)




生徒自身に考えさせるための課題の例(生徒自身に考えさせることを目標にしても、「どのような思考をさせるのか」は教師が事前に「この活動を通じて、こういう思考を生徒にさせる」ときちんと設定しておきます。やみくもに「自分で考えなさい」ということではありません。)

2014年12月24日 プレゼンテーションの練習 




下のブログの中に海洋の自然保護を目的としたプロジェクト(自分で考えさせる課題)の例が載っています。

申し訳ありません。 引用するブログを間違えました。 海洋の自然保護を目的としたプロジェクトの例は2018年3月8日のブログに書いてあります。

2018年3月8日 高校入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(大学入試も同じ)発音教育の塾への丸投げはやめてください(中学3年間で生徒がアジアのトップレベルの発音でスピーキングができるようにする方法をお話しします)

2019年5月18日のブログではありませんでした。(けれども、5月18日のブログにはアメリカ人の生徒が論理的に考えたり、自分の意見を述べるために小さいころからどのような活動を授業でしているのか、書いてあります。お時間があればお読みになってください。)
2019年5月18日 立教大学教授松本茂氏の提唱する授業(朝日新聞「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は)は高校生にはできない授業です。やったとしてもなんの効果もありません。




英語教育について 日本人は発音の仕組みが英語を含む言語グループとは異なりますので、欧米と同じ教育をしても結局通じません。 また、語順も甚だしく違いますので、欧米と同じ英語教育をしても効果は上がりません。 英語習得について不利な条件にある日本人が、アジアのトップレベルに躍り出るためには欧米の真似をしていてもだめです。 日本人の英語習得を最も妨げている2要素(発音と語順)を重点的に、克服していきます。 4技能をまんべんなく学ばせるよりよほど効率よく子供たちは英語力を上げていきます。 まず、中学で、CDを使って英語の発音そのものを文章のまま徹底的に子供たちの頭と口にコピーすることから入るのが有効です。発音と語順の強固な基礎をここで作ります。 無意識にでも、正しい発音と語順が口から出てくるよう徹底的に子供たちの頭と口にコピーします。 発想の転換が必要です。 4技能をまんべんなく教えるのではなく、日本人が英語を学ぶのを困難にしている要素を重点的に克服します。 そうすると、話す、聞く、読む、書く、4技能すべての能力が飛躍的に向上します。 「読む」「書く」が発音(イントネーション・リズムを含む)とは関係ない能力だと思わないでください。私のブログのどこかに書いたと思いますが、アメリカの高校の先生にライティングを習っていた時、先生は、私の文を直したとき、必ず、それを小声で読んで、英語のリズムで違和感なく読めるかどうか、確かめていました。 そうでないと読みにくい、ぎこちない文(スラスラ読めない文)になってしまうからでしょう。 詳しくは下のブログに書いてあります。 イメージとしては玉突きゲームのゲーム台を思い浮かべてください。 「話す」「聞く」「読む」「書く」4つの玉があるところに「発音・語順」の玉を当てると4つの玉がはじけて、次のレベルに素早く移動する、そんな感じです。 不利な条件を背負っている者がトップに躍り出たかったら、一つのことを勉強することで、何倍もの波及効果がある分野から、勉強していかないと追いつかないです。 すでに発音も語順も母国語を話している段階で出来ているヨーロッパの人々と同じことなどしていても日本人には何の効果もありません。 私達はヨーロッパの人が母国語を話している時点で出来ていること(発音・語順)を習得するのが一番大変なのですから。 その波及効果をもたらすポイントの勉強の仕方が下のブログに書いてあります。 こういう勉強の仕方を学校ですれば、皆さんのお子さんはどんな会話学校に行くよりも、良い発音で英語を話すようになります。 皆さんのお子さんは、例えばこういうスピーキングをするようになります。 理由は、中学一年生の良い耳を使って発音習得するからです。 生物学的に見て、中学一年生は大人より良く音が聞けるのですから、宿題をきちんとやるだけで、皆さんのお子さんは、中学、高校と良い発音を身につけます。学校教育ですからお金もかかりません。 (こういうことを言うから私は妨害されるのでしょうね。お金がかからないで何でも学校教育で習得できる方法をブログに書くから妨害されるのでしょうね。(でもね、発音は、練習を続けていかなければ絶対に習得できないスキルなのです。練習なくして発音の習得はありえなのです) 業者にお金儲けさせたい国会議員には私はとっても邪魔な存在なのですね。下村博文国会議員にとっては学校教育などむしろ全く機能しないで、なんでも学習塾に習いに行かせるほうが本当はいいのでしょう。下村博文国会議員は、日本の国民に選ばれた国会議員なのに、日本の子供たちのことなどどうでもいいのです。 考えているのは献金をもらう業者(ベネッセ)のことだけ。 「東大に(全くスピーキング能力を上げることがない)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが、彼が日本の子供たちのことなど全く考えていない明白な証拠です。下村博文議員は有権者の子供たちを食い物にして業者に金儲けさせるのがそのやり方です。 彼にとって、有権者の子供たちは金儲けの道具でしかありません。 下村博文国会議員は、日本の教育に取りついて、食い尽くし、だめにする、日本の教育の癌(がん)です。


2015年10月19日 川合式英語学習法







(7/17)大学入試改革は失敗します。立案者(鈴木寛氏)のレベルが低すぎる。 羽藤由美先生のツイッターで、鈴木寛氏が「大学入試改革の理論的支柱」だったと知りました。 こんなド素人(しろうと)が「理論的支柱」では失敗するのは当然です。

1.「スピーキング能力を上げるために英語民間試験をする」は詐欺ですし(テストでスピーキング能力は上がらない。スピーキング能力は学校教育(家庭学習を含む)で繰り返し練習させないと習得出来ません。)
2.ポートフォリオはベネッセのための市場調査ですし、
3.記述式はベネッセのアルバイトが採点するはずでした。  「書く」訓練についてはこちらのブログに詳しく書いてあります。

1~3の大学入試改革が失敗するのは当然です。立案者(鈴木寛氏)のレベルが低すぎる。 彼のこの案はおよそ「教育」と呼べる代物ではありません。福武財団理事鈴木寛氏が作ったベネッセ金儲けのためのボロボロの教育案(?)です。 日本の大学入試改革は失敗します。 


(7/9 ブログ「松本茂立教大学教授が高校の先生方を批判する新聞記事を書かせたことについて」加筆しました。松本茂立教大学教授は正式に高校の先生方に謝罪してください。 有識者会議の委員が新聞記事で先生方を虚偽の根拠を使って批判するのは放置できません)本来なら、ともに協力して子供たちの英語力を上げていくべき先生方に対してこういう敬意のない態度で接しているから英語教育改革がうまくいかないのです。 松本茂立教大学教授はこんなひどいことをしても「高校の先生方に謝罪する必要はない」と思うくらい高校の先生方を軽視しているのですね。 24年間、子供たちの英語力が上がらないのは先生のせいだと思っていたというのは、松本茂立教大学教授は、英語教育について、24年間何の勉強も研究もしないで、有識者会議の委員として発言してきたということですね。 そういういい加減な仕事をしているから、日本の英語教育は効果のある方法が採用できないのです。



英語教育に関しては鈴木寛氏(法学部出身英語教育とは無縁)は基礎知識もないし実技指導も知らない。実技指導する能力もない。 無資格者は黙っていてください。 資格のない鈴木寛教授が英語教育に誤った意見を言うから、子供達は正しいスピーキング教育を学校で受けられません。 日本の英語教育の大きな障害となりますので無資格者の鈴木寛教授は、英語教育に口を出さないでください。法学部出身者が英語教育に出る幕はないです。 当然でしょう。 知ったかぶりはやめてください。子供たちが迷惑しますから。 鈴木寛教授は「為政者がなぜスピーキング試験をさせたいか」その本当の理由をご存じですよね。 ベネッセを儲けさせるためですよね。(鈴木寛氏もベネッセグループの本体・福武財団の理事だそうですね。先生方のツイッターで知りました) 為政者は子供達のスピーキング能力向上のことなんか考えていませんよね。鈴木寛教授はそのことを充分ご存じですよね。 それなのに善良な教育者の仮面をかぶって、見え透いた大義名分を振りかざし、生徒、教師、保護者を騙すのはおやめください。インターネットや新聞で鈴木寛氏の民間試験に関するコメントを読むたびに、「この人はひどい人だな」と思いました。政治家のたくらみを充分知りながら、それをおくびにも出さず徹底して生徒や教師、保護者を騙そうとする。 鈴木寛氏には良心のかけらもない。 ご自身もベネッセグループの本体・福武財団の理事ですからそうするのでしょうけれど、本来こういう関係はおかしいですね。 決める人と選ばれる業者が同じ人というのは変ですね。これは鈴木寛氏と(政治家と)ベネッセの錬金術ではないのですか。 この人の民間試験を持ち上げるコメントを読むたびに、中学生のころ読んだ、自分の思い通りにするために悪魔の差し出す袋に自分の血を3滴入れる(悪魔に魂を売る)男の物語を思い出します。  この人は悪魔に子供達を売ってもなんとも思わないのでしょうね。 今後、マスコミに意見を求められたら、また善良な教育者の仮面をかぶって、時代を先取りした言葉と壮大な表現で、スピーキングテストをもち上げるのでしょうね。子供たちの発音をボロボロにするだけの民間試験実施を素晴らしいもののように国民に力説する。 錬金術のためとは言え、ここまでひどい教育者がいるのですね。こういう鈴木寛氏のような人が子供を食い物にして国を亡ばすのでしょうね。 英語教育に法学部出身者の出る幕はありません。国民を騙すためだったら、なおさら出る幕はありません。発音の聞き分けもできない鈴木寛教授の理屈なんか、スピーキング教育の専門家から見たら、「この人、英語教育のことを何にも知らない」というのが見え見えで、聞いていられないです。 スピーキング教育の専門家から見たら、戦後70年、日本で本当に通じるスピーキング教育など行われたことはありません。 また、日本人は世界と同じスピーキング教育なんかしてもだめなんですよ。 母国語の音の特徴が違うから。この音の違いは特別な訓練をしないと普通の日本人の耳にはとらえられません。 日本語の音だけ聞いてきた人の耳はこの音を「言語の音」として認識しないので、取り込まないのです。 鈴木寛教授はそういうこともご存じないですね。 英語教育の基本も知らない、実技も知らない法学部出身者のいうことなど、英語教育の専門家が聞けるわけないでしょう。 私達英語教育の専門家が大学4年間何を勉強してきたと思っているのですか。 法学部の鈴木寛教授とは全然違いますよ。私達英語教育の専門家は英語の音(発音)一つ一つについて勉強するんですよ。 その音で話す実技も習得するんですよ。 鈴木寛教授が英語教育について何を知っているというのですか。鈴木寛氏の英語教育に対する知識など、ただの素人レベルでしょう。生徒がカタカナ発音で話しているのもわからないくらいですから。  このカタカナ発音を放置して、スピーキングテストなんかやったって生徒のスピーキン能力が向上するわけないでしょう。 鈴木寛教授は発音を聞き分ける能力がないからそういうことが平気で言えるのです。 生徒のこの発音を聞いても英語民間試験(スピーキング試験)を勧めるというのは鈴木寛教授自身が「自分は英語教育に対して無知で無能(英語発音とカタカナ発音の区別もできない)」と公言しているようなものなのです。こんな「大学入試改革?」では絶対に成果は出ません。カタカナ発音で子供たちにペラペラ英語(?)をしゃべらせても何にもなりません。 けれども、こういう人に限って、カタカナ発音と英語の発音の区別ができないから、子供たちは「英語でしゃべっている」と喜ぶのですよね。「音が聞けない」ということはどうしようもないです。 こういう人とまともに英語教育の話は出来ません。 無知すぎる。法学部出身ではしょうがないですけれど、鈴木寛教授は黙っていてくれた方がよっぽど「まし」です。せめて「自分が何も知らない」ということを自覚してくれればいいのですが、その自覚もないし。 音も聞けないで、自信たっぷりに間違ったことを言う。こういう人が一番困ります。 この「大学入試改革(?)」は失敗します。 やる前からわかります。 子供たちのスピーキングは、今よりもっとボロボロになります。(自己流の発音でたくさん話させてしまったらなかなか矯正もできない) 一方ポートフォリオでは、日本の国家がベネッセのために(学習塾のために)高校生のマーケットデータを集めさせられるわけですから、失敗して当然です。 学校教育をベネッセの金儲けの道具にする「改革」ですから失敗して当然です。鈴木寛教授はベネッセが教育者の皮をかぶっているようなものです。これから鈴木寛氏の話を聞くときは「また、ベネッセが教育者の皮をかぶって発言している」と思って聞くとよく理解できます。(7月9日のNHKニュースによると「文部科学省はeポートフォリオと呼ばれる大学入試の新システムの運営許可を取り消す方向で調整していることが分かった」とのことです。しかし自民党は民間試験だって、否定されても否定されても何度でも持ち出してきましたから、国家にベネッセのための見込み顧客(高校生)のデータを集めさせることだって、手を変え品を変え、また持ち出してくる可能性は充分あります。 決して安心できません。彼らがまた何かプランを出してきたら、十分警戒する必要があります。彼らが提示する表向きの理由と裏の理由は違いますから。 鈴木寛氏のような人物を使って国民を騙すことも彼らは平気でします) 鈴木寛氏のコメントは本当にひどいです。 問題の本質から人々の目をそらさせて、生徒、教師、保護者を騙すことだけ考えています。相当ひどいです。問題を認識して生徒を心配する高校の校長先生方や大学の先生方の心配を軽くひと言でかわして(まるでその問題は存在しないかのように追いやって)、言葉巧みに論点をすり替えて人々の関心を本質からそらさせる。そして魅力的な言葉で、本質以外のメリットに人々の注意を向けさせる。 相当ひどいです。 生徒、教師、保護者を騙すのが彼の目的だからです。私がこの人の名前を忘れられなかったのは、そのコメントのひどさだった。先生方がこれだけ心配しているのに、2月11日の朝日新聞のようなコメントを平気でする無神経さが忘れられなかった。子供のことは何も考えていないのが露骨だった。 これが教育者なら悪質以外の何物でもないと思った。 その時、中学時代に読んだ、悪魔の差し出す袋に自分の血を3滴入れる(悪魔に魂を売る)男の物語が頭をよぎりました。この人はひどい。

(6月27日)「記述式」についても、ベネッセのアルバイトが採点する「記述式」でいいと鈴木寛教授が考えていたとしたら、鈴木寛教授は「記述式」についても口を出す資格はありません。 「書くこと」によって、子供たちの思考力を訓練したいのなら、「どのような思考の仕方を訓練するのか」を指導者が明確に設定して、小学校高学年くらいから書かせる訓練をしていかないと「書くことによって思考力を育てること」は出来ません。 鈴木寛教授がベネッセのアルバイトの採点でいいと思っていたとしたら、記述式についても鈴木寛教授は口を出す資格はありません。訓練せずに記述式のテストなどやっても、書くことによって子供たちの思考力を育てることは出来ません。英語にしろ国語にしろ鈴木寛教授のおっしゃることは教育の専門家とは思えません。 どちらも、素人(しろうと)レベルです。鈴木寛教授はコメントを求められれば、時代を先取りした単語と壮大な表現でいかにも立派に聞こえる意見をおっしゃいます。(たぶん、それはいつもやっているから慣れているのでしょう)けれども、実際の教育を知らないから、中身は空っぽの素人(しろうと)レベルです。

私はこちらのブログで「日本人のスピーキング能力向上に全く効果のない民間試験を効果があると偽って高額な受験料を払わせるのは詐欺(犯罪)だ」と述べました。鈴木寛教授は2月11日の朝日新聞で「20世紀型の教育を押し付け続けないための第一歩が、世界中の大学が受ける英語民間試験の活用」と述べて英語民間試験を使うことを勧めています。 しかし、英語民間試験にスピーキング能力を向上させる機能はありません。 スピーキング能力向上に何の効果もない英語民間試験を高額の受験料を払わせて生徒に勧める鈴木寛教授の言っていることは詐欺(犯罪)です。 鈴木寛教授は生徒、教師、保護者を騙さないでください。英語教育について何もご存じないのに、いい加減なことを言わないでください。なぜ為政者が国民を騙してまでスピーキングテストをしたいのか。 鈴木寛教授はその本当の理由をご存じですよね善良な教育者の仮面をかぶって、生徒、教師、保護者を騙すのはおやめください。  実技に関しては、やったことのない人のコメントはどんなに立派なことをおっしゃっても使えません。参考にもなりません。専門的に学んだこともない、実技を習得したこともない英語教育に関してのご発言はひかえてください。法学部出身の方が英語教育になんで口を出すのか、私にはその理由がいまだにわかりません。英語教育について何の知識もないし、カタカナ発音と英語の発音の区別もつけられない鈴木寛教授はスピーキング教育に口を出す能力も資格もありません。子供たちが迷惑しますので英語教育への口出しはやめてください。英語教育に法学部出身者が出る幕はありません。


(6月12日)私は中学1年生と2年生の時、毎日2時間発音練習をしていました。 当時は一般家庭に冷房もない時代で、夏は発音練習が終わると、ヘッドフォンもヘッドフォンのあたっていたところの髪の毛も汗でびしょびしょでした。 それだけやっても一年以上発音は上手にはならなかった。だからテストするぐらいで生徒がスピーキング能力を身に付けられないことは身をもって知っています。(毎日の学校の宿題として練習していかないとだんだん高度になる筋肉と頭を使う実技は身につけられないのです。このことを知っていたら、入試のスピーキング試験など論じる前に、授業にスピーキングの指導を入れることの方がずっと大事だと気づくはずでしょう。そんなことも知らない人が英語教育を論じる資格はありません。多くの先生方が、テストでスピーキング能力は上がらない、テストを論じる前に授業で教えるべきだとおっしゃっているでしょう。) その後、大学で教職課程をとって、音声学を学んだ時、自分が中学時代に習得した発音の仕方が、当時原書で書かれた音声学の教科書とほぼ同じだったことを知りました。英語教育を何も勉強していない大学教授が下村博文議員のために一生懸命スピーキング試験を勧めているのを見ると、教育者としての良心をどこに忘れてきたのだろうと思います。 

鈴木寛氏は英語教育に口を出す資格も能力もありません。法学をご専攻されているのですから、英語教育に全く無知なのは当然です。 よくこれで英語教育に口出しなさいますね。 無責任です。 大学入試改革は、一国会議員がベネッセに金儲けさせたいけれど、それが自分のたくらみだというと国民に受け入れられないから教育再生実行会議を作り、その提言とした。 あとは自分の意のままに動く大学教授を使って、自分のたくらみを権威づけて大学入試改革として仕上げた。 意のままに動かない「大学教授」は排除した。(意のままに動く大学教授は利用価値があった) そういうことですね。  このプロセスの中で、「子供の教育」という観点は全く抜けている。 「大学入試改革」というより、「業者の金儲け改革(ビジネスチャンスの拡大)」といったほうが適切でしょう。 (鈴木寛教授はカタカナ発音と英語発音の区別も出来ませんし、中学生が正しい発音で英語をしゃべれるようになるためにどのくらいの期間を要するかも知りません。) 鈴木寛教授は為政者のたくらみ通りに教育を誘導し、子供たちが学校でスピーキング教育を受ける機会を奪っている。 「世界中の大学が受ける英語民間試験」がなんだというのですか。「国際基準の英語試験」がなんだというのですか。 そんなもの受けたくらいで子供のスピーキング能力が上がるほど日本人のスピーキング能力を上げるのは生易しい問題ではありません。 そういうことを言うこと自体、鈴木寛氏が英語教育(スピーキング教育)に全く無知な証拠です。  

(私がこの会社で働いていたころ、最後はイギリス本社の決定で日本のある会社がこの会社のManagementを引き継ぐことになりました。Nさんは会社を出ていきました。新しいManagement による販売の方針が示されました。 会社の休憩時間に「どう思う?」と聞かれた私は、「そのことを知らない人が何人集まろうと有効な方針は出せないと思います。」と答えました。(新しい経営者に対して、とても失礼な言い方ですね。若気の至りです。)「N氏は、なぜこんなにマーケットの数字を具体的に把握していたのか」とも聞かれました。Nさんがどこに行き、誰と会い、公的機関の何の資料を閲覧していたかなど知っていることもありましたけれど、私は何も言いませんでした。 (自分の手でそれをつかんだらいいでしょう。 それが、日本市場を任されたManagerの仕事でしょう)と思いました。   英語教育改革も同じです。 そのことを知らない人間が何人集まったって有効な方針は立てられません。(「英語で授業」がそのいい例でしょう。有識者会議の吉田研作教授も松本茂教授も安河内哲也氏も提唱していたのにただの詐欺指導法だったのですから。アメリカで毎晩子供たちに全文和訳で教科書を教えた私は、その事を身にしみて知っていました。でも、大学教授でない私のいうことは全然信じてもらえなかった。英語オンリーというのは子供に理解できない、発音もボロボロになる教育です。) 本当に有効な方法を知るためには、その方法を自分で追求していくことです。 肩書だけで自分が正しいと思わず、必要な情報を自分でつかむ努力をすることです。高校の先生方が英語で授業をしなかったら、なぜ英語で授業が出来ないのかその原因を自分で調べるべきでした。 高校の先生方を非難していたのは、高校の先生方より自分が絶対正しいと思っていたからでしょう。「高校の先生方が英語で授業がなぜできないのか」その理由を考えようともしなかったからでしょう。 自分の肩書に安住して目の前の事実を無視していたからでしょう。 (アメリカ滞在3年目から、私の子供たちは「英語で行われる授業」が理解できるようになりました。 その時、私は彼らに英文法も語の意味も教える必要はなくなりました。 つまり、日本人が英語で行われる授業が理解出来るようなら、もう英語教育はいらない、ということです。)   私が働いていた会社にいたChemistをみて、「彼は”自分がChemistだ”という事実だけに慢心している」と言った取引先の人がいました。見事な白髪の方で、業界でカリスマみたいな人でした。 会社では分からないことはみんなこのChemistに聞いていましたから(そして彼もそれによく答えてくれましたから)、その方の言葉に私もNさんも驚きました。 でも、それから、そういう視点でこのChemistの仕事を見ているうちにその白髪の方の言われた意味がだんだんわかってきました。 その時「心のどこかで肩書に慢心していたら、信頼される仕事は出来ない」と、20代の私は知りました。(それだと、隠れている重要なことに気付けない。 何かが突破できない。 ほんの小さな疑問でも、おかしいと思ったら、どこまでも追及していかないと時にはそれが問題の核心につながっていることがある。と分かってきました。そしてそうやって仕事をしていかないと、問題の本質を見抜く力も育たない、と分かってきました。)上記の3人の有識者会議の委員が、肩書に慢心せず、「なぜ高校の先生方が英語で授業が出来ないのか」真剣にその理由を追究していたら、「英語で授業」などという間違った方針を高校の先生方に押し付けることはなかったはずです。「高校生に英語で授業が出来ない」その事実が厳然として存在するのに、この3人の委員は自分の地位に慢心してその事実を見ようともしなかった。  肩書が立派だから、自分は高校の先生方よりよく知っていると思わないでください。 また、東京外国語大学学長林佳世子教授や鈴木寛教授のように、英語教育を学んでもいないのに肩書が立派だから英語教育に口を出すこともやめてください。少なくともカタカナ発音と英語発音の区別くらいできるようになってから発言してください。そんな人に英語教育の方針を決められるのでは子供たちがかわいそうですから。 私は20代の時、新しい経営者に「そのことを知らない人が何人集まろうと有効な方針は立てられない」といったことを忘れられませんでした。若かったとは言え、何ということを言ったのかと思います。 でも、英語教育改革を見ていると、同じことを思います。 生徒が発音習得にどのくらいの期間を要するのか、なぜ日本人の英語が通じないのか、そういうことを全く知らない人達が立派な肩書を持って発言する。 自分で50年発音練習をし、18年に渡って、子供たちがゼロからバイリンガルになるのを見てきた私のいうことは肩書がないから、全く信じてもらえない。(私は大学教授ではありませんけれども、私も大学で、英語教育を専門的に学んでいます。 英語教育法(大束百合子先生)も音声学(上田稔先生)も教育心理学仁科弥生先生)も教育原理(伊勢田耀子先生)も教師として必要な基本的な知識は学んでいます。 専門知識の上に立って、(1)自分の13歳からの発音習得と(2)アメリカで子供たちが小、中、高それぞれの段階でバイリンガルになった過程を教師として観察した結果を踏まえて発言しています。おそらく日本でこの2つの経験をした英語教育の専門家は私だけだと思います。駐在を経験されたお母様方は多いと思いますが、子供の英語習得過程を小、中、高、全学年で英語教育の専門家としてご覧になった方はいらっしゃらないと思います。) それで不利益をこうむるのが自分だったら、それはどうでもいいです。 でも不利益をこうむるのが子供たちだったら、黙っていてはいけないと思いました。 「こんなもん、英語でいくら説明されたってわかんないんだよ」といった息子のいらだった顔が「お母さん、黙っていないでそれは間違っているとちゃんと言ってよ」といっているようでした。 そのことを知らない、立派な肩書を持つ人々にどうわかってもらえばいいか、何度言っても信じてもらえないうちに私のブログの書き方は随分きつくなりました。 その上、ブログも本もこんなに激しく妨害されているのですから、きつくならざるを得ませんでした。 今日も為政者の税金を使った妨害(公費を使った妨害)は続いています。 一英語教師を為政者に妨害させて、大学教授は何を守っているのですか。 虚偽の教育理論ですか。 事実に反する教育理論ですか。   高校での「英語で授業」を提言した大学教授は責任をとってください。 高校の先生方が「英語で授業をしない」と非難した大学教授は謝罪してください。 立教大学の松本茂教授は自分から朝日新聞の記者にメールを送って、「高校の先生方が英語で授業をしていない」と記事を書かせて非難したのです。高校生に出来もしないモデル授業を掲載して。 きちんと謝罪してください。 もし誰かが新聞社にメールを送って嘘の根拠に基づいて、その人を非難する記事を書かせたら、知らんぷりでは済まないでしょう。 相手が個人でなく、高校の先生方(たくさんいらっしゃる人達)だから、知らんぷりしていていいということにはなりません。 高校の先生方は悪いこともしていないのに松本茂教授が無知だったから非難されたのです。 この新聞記事について、松本茂教授はきちんと謝罪してください。 自分も「自分が提唱した授業」が出来なかったではないですか。 しかも、その日の松本茂教授のブログを読んだ私は「間違っているのは自分なのに高校の先生方を批判しておいて、自分の責任はどう感じているのだ」と思いました。新聞に載った自分の写真が若く見えると喜んでいるようでは、本当に日本の英語教育を心配して新聞記者にメールを送ったわけではないですね。 先生方を批判して自分が目立ちたかっただけでしょう。 大学教授の自己顕示欲のために事実無根の罪で批判される高校の先生方はたまったものではありません。 立教大学教授松本茂氏はまじめに英語教育に関する有識者会議の仕事をしているのですか? 日本の英語教育には問題が山積しているのですよ。 それなのに、高校生ができない見た目華やかな授業プランを自分から新聞記者にメールして新聞に書かせるは、写真が若く見えると喜んでいるは、とても、いまの日本の英語教育を憂えて、そのために誠心誠意尽くして働いているとは思えません。  この政権が選んだ委員による英語教育に関する提言は、でたらめばかりです。 有識者会議の委員の言っていることもでたらめだし、教育再生実行会議の委員の言っていることもでたらめだし。 まともなものなんて何もないではないですか。 これでは子供たちの英語力が上がらないのも当然です。    「何を言っても何の責任も取らなくていい」こういう悪い慣習が英語教育をどんどん劣化させている。 大学教授は自分の発言に責任を持ってください。「大学教授」という肩書があれば何を言っても責任を取らなくていいわけではありません。 また、「大学教授」という肩書があっても専門外のことに口を出すのはおやめください。 少なくとも、歴史が専門なのに英語教育に口を出す東京外国語大学学長林佳世子氏のようなことはやめてください。 英語教育に口を出すなら、英語教育法と音声学は学んでください。カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない「大学教授」が英語教育に口を出すのは迷惑です。  ご自分の専攻をわきまえて発言してください。 鈴木寛教授も同じです。    為政者も何かの情報を隠さなければ国民の理解を得られないような大学入試改革は止めることです。 自分で間違ったことをやっていると認めているようなものです。 人々に私のこのブログを読まれるのがそんなに都合が悪いですか。 為政者のたくらみに乗る教育者が発音習得について全く経験していないと人々にわかってしまうからですか。 だからこのブログをこんなに激しく妨害するのですか。 為政者はまた、下の私のブログに対する妨害もやめてください。 人々に何かを隠さなければ承認してもらえないような大学入試改革などおやめになることです。

2020年2月29日 ポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですすか。

2020年3月17日 各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?

2017年10月12日 文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。(子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き) 

このほかにも、4月23日のこのブログを始め何回も私のブログのアクセス妨害をしていますよね。2020年2月1日に「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」というブログを書いたときは、その後何日もブログのアクセス数は夜まで9とか7とか一桁だった。 今までどれほど私のブログを妨害していたかわからないですよね。 私が初めて為政者のブログの妨害に気づいたのは、2016年4月10日のブログ「大学教育を英語で行うこと(5) 学問の世界で英語50%、日本語50% これで国際競争に勝てるか。」のブログを書いた時でした。 為政者は税金を使って、自分に都合の悪いことをいう人間を妨害している。為政者が税金を私的目的のために使うのは違法です。 公費で国民の言論を妨害するのは違法です。

為政者が税金を使って私のブログを妨害するという違法行為を続けるのは、「業者を儲けさせるため」という「大学入試改革の本当の目的」よこしまな目的を隠すためです。  このニュースこのニュースこのニュースもこれだけしつこく業者のテストをさせようとしていることからも明らかでしょう。 下村博文議員は、スピーキングテストをさせるためには、英語教育の基本も踏み倒し、全く種類の違う民間試験の対照表まで作らせ、英語教育の基本も知らない大学教授にスピーキングテストが必要だと言わせ、検討する会議も非公開にさせ、スピーキングテストをさせるために手段を選ばず、悪質なことをしてきた。 テストをするためなら「多方面の意見を聞いた」という偽装もした。 そういうことでしょう。(反対意見など最初から聞く気はない。 「広く意見を聞いた」という証拠だけ残せばいい。 スピーキングテストをさせる手順を完了させるために反対意見を言わせた(聞く気はない)。 そういうことでしょう。 この人は子供たちに本当に必要なスピーキング教育をする機会を奪っている。 それが日本の国際化にどれほど大きな打撃を与えるか、英語教育に全く無知な下村博文議員には全く分からない。 子供の教育を破壊することによって、日本の将来がどれほど打撃を受けるか、英語教育を全く知らない下村博文議員には全く理解できない。 自分の金儲けが日本の未来にどれほど大きな打撃を与えるか、この人は全く理解できない。 英語教育に無知だから。

(6月4日13時04分)鈴木寛東京大学・慶応大学教授について書いたこと(この下にありました水色の字の部分でしたが上記の内容と重複しましたのでこちらは削除しました)が為政者の逆鱗に触れたようです。また、きつい妨害が始まりました。このことを知られたら為政者が国民を騙せなくなるからです。 鈴木寛教授のしていることは時の権力者のたくらみの通りに教育を誘導し、子供たちが学校で正しいスピーキング教育(正しい発音教育)を受ける機会を奪うものです。 だから権力者は彼を守っている。  私は誰にも守られてはいませんけれど(だから妨害もいつだってやりたい放題されていますけれど)、必要なことは皆さんにお伝えしなければいけないと思っています。妨害なんか為政者からもKADOKAWA(松原眞樹社長)からも松澤喜好氏(「英語耳」著者 初版出版社:アスキーメディアワークス)からも毎日されているから慣れているはずなのに、今日は珍しくボロボロ涙がこぼれます。カタカナ発音と英語発音の区別も出来ないのに英語教育に口を出し、「子供たちの学校でスピーキング教育を受ける機会を奪う」こんなひどいことをする鈴木寛氏に我慢がならないからでしょう。鈴木寛氏には英語教育に口を出す資格も能力もない。鈴木寛氏のしていることは「子供たちが学校で正しいスピーキング教育を受ける機会」を奪うものです。










為政者のたくらみにのる教師は勉強不足の英語教師ばかり。英語発音とカタカナ発音の区別も出来ない教師ばかり。) 両者結託して子供を売る。  この国の子供たちはかわいそうです。(5月9日 - 私がこういうきつい書き方をするのは、英語教師誰一人、子供を売るたくらみにのってもらいたくないからです。なんの抵抗もできない子供を食い物にしてお金儲けをしようなど、教育者としてひどすぎる。「赤子の手をひねる」とはよく使われるたとえですけれど、何をされてもなんの抵抗もできない子供たちを食い物にするなど教育者のすることではありません。東京外国語大学学長林佳世子氏は、なんの抵抗もできない子供達を売ってまで、時の権力者にとって重要な存在になりたいですか。 彼女が主張した「物理の力学」の理屈に彼女の浅ましさが如実に表れていた。 為政者に気に入られるためには歴史学者が物理のこんな理屈まで考えるのですね。 あいにく、英語教育には全く通用しない理屈だった。 彼女の現状認識の乏しさが露呈しただけだった。  何が「学んだことを入試で問わないのはおかしい」ですか。 日本のどこの公立学校でスピーキング教育をしているというのですか。  勝手にしゃべらせるのがスピーキング教育だとでも思っているのですか。 そんなことをしたら、子供たちの発音はボロボロですよ。林学長は無知にもほどがある。 英語教育を甘く見ないでください。 発音習得もしたことのない林学長が肩書だけで物を言って、スピーキング能力が上がるほど日本の英語教育は生易しい分野ではありません。日本人が70年も英語が通じなくて苦労してきたことを見ればわかりますでしょう。 林学長は問題の把握もできないのですか。この上、英語教育に全く無知な林佳世子学長の言う通りになんかしていたら、ますます日本人の英語は通じなくなります。歴史学者は黙っていてください。 彼女の理屈など聞く必要はない。 時の権力者に気に入られるために、日本中の子供たちを売る東京外国語大学学長林佳世子教授は教育者として最低です。  為政者は自分達に忠実な林佳世子学長を守るために、ここまで私のブログのアクセスを妨害するのですね。そうやって現政権に重用してもらえるから、英語教育に全く無知なのに、為政者の喜ぶ理屈をもっともらしくマスコミに発言する。 東京外国語大学学長林佳世子教授は教育者として最低です。)
2020年2月29日ブログポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。」に加筆しました。  「国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。」と書いてある下の部分に加筆しました。

(大学入試のスピーキング試験について、大事なことなのでただ加筆しただけなのですが、あまりにも妨害がひどいので、皆さんに読んでいただけないと思い、こちらに書きました。 「為政者が妨害をする」ということは私のいうことが真実だと為政者も知っているからでしょう。 本当のことが国民に知られたら、為政者が国民を騙せなくなるから妨害をするのでしょう。私はツイッターはやりませんが、お持ちの方は周りの方々にお伝えください。 「東大に民間試験をさせなければいけない」と怖い顔ですごんでいた下村博文議員は今もテストをあきらめていません。 どんなテストであろうと「テストでスピーキング能力は上がらない」ということは英語教育法を学んだ人ならだれでも知っています。 試験をすればスピーキング能力が上がると言って、試験を受けさせるのは詐欺(犯罪)です。(テスト実施はお金がかかります。税金であれ、大学側であれ、誰かがお金を出します。効果のないことを効果があると偽ってお金を払わせます。これは詐欺です。東京外国語大学学長林佳世子教授は、この犯罪に加担しているのと同じです。)  大学の先生方は犯罪に加担することを強要されることはありません。犯罪を強要する方針はいかなる団体においても無効です。 文部科学省の人々も犯罪に加担するのは国家公務員法違反です。   英語教育法を学んだことがない人(下村博文国会議員、林佳世子東京外国語大学学長、鈴木寛東京大学教授、松本茂立教大学教授等。 3人の大学教授のそれぞれのご専攻は、史学、法学、経営学です。 お三方とも英語教育に関しては全くの門外漢です。)が英語教育に口を出すから、日本の子供たちのスピーキング能力がいつまでたっても上がらないのです。 カタカナ発音と英語の発音の区別もできない人(音声学も学んでいない)、英語教育法も知らない人は英語教育に口を出すのはおやめください。専門的に学んでもいないことに口を出すのは無責任です。 英語のスピーキングは、物理の力学とは違います。 実技です。 日本のどこの公立学校で正しい発音で英語を話す実技の指導が行われているのですか。 日本のどこの公立学校で、母音を区別して英語を話している中学生がいますか。 日本のどこの公立学校で、英語本来の子音の長さを保って、英語を話している中学生がいますか。東京外国語大学学長林佳世子教授は、カタカナ発音と英語の発音の区別も出来ないでいい加減なことを言わないでください。 日本の公立学校で、英語のスピーキング指導など戦後70年、一度も行われたことはありません。 その証拠に英語の音声モデルなど学校で生徒に配られたことは一度もありません。 音声モデルもなくて子供たちがスピーキング教育を受けているなど、東京外国語大学学長林佳世子氏はいい加減なことを言わないでください。 音声モデルがなければスピーキング指導が出来ないことくらい、外国語大学学長なら当然知っていてしかるべきです。  林学長の大学にも音声の教育施設がありますでしょう。 それがなんのためにあるのかさえ林学長は考えたこともないのですか。 林学長ご自身がそんな不勉強な状態で、「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている。物理で力学を出題しないのが変なように学んだことを入試で問わないのはおかしい。 可能ならば英語で話す力も測るべきだ。」という理屈は為政者は喜ぶでしょうけれど、私は怒りを抑えきれませんでした。歴史学がご専門の東京外国語大学学長林佳世子教授は英語教育について何も知らないではないですか。 今の子供たちの英語発音を聞いて、「スピーキングの指導も含めた英語教育が進められている」など、よく言えますね。 林学長はカタカナ発音と英語発音の区別も自分の耳で出来ないではないですか。林学長は英語教育に無知な上に実技指導の能力もない。 何が「物理の力学と同じだ」ですか。 全然違いますよ。 スピーキングは実技です。 林学長は歴史の専門家でいらっしゃいますから、実技の指導については全くご存じないのでしょう。 実技の指導の仕方も知らないで英語教育に口を出すのはおやめください。   東京外国語大学学長林佳世子教授は英語教育を専門的に学んでいない。 発音指導(スピーキング指導の実技)の能力もない。 英語教育は専門的な分野です。 専門的に学んでいない人が口を出せるほど生易しい分野ではありません。 東京外国語大学学長林佳世子氏に英語教育に口を出す資格はありません。 もしどうしても英語教育について発言したいのであれば、英語教育法を学び、実技を学び、生徒の発音を聞いて、きちんとスピーキング指導がなされているかどうかを自分の耳で判断できる実力を身に着けてからにしてください。 今の生徒のスピーキングを聞いて、「話す力も含めた英語教育を進めている」などと発言するようでは、とてもその実力があるとは認められない。東京外国語大学学長林佳世子氏は英語教育者ではない。 スピーキング指導(実技指導)の能力もない。 英語教育に口を出す資格はない。 ご発言はお控えください。 実技指導もできない歴史学者が英語教育の専門家に指図するのはおかしいでしょう。東京外国語大学学長林佳世子教授は時の権力者に気に入られるために日本中の子供たちを売らないでください。何をされても何の抵抗もできない子供たちを自分が権力者に気に入られるために売らないでください。 


ポートフォリオのブログの妨害が激しいのでこちらに書いたのですけれど、こちらもほとんどアクセス数が増えないほど妨害されています。 ツイッターなどで、なるべく多くの方にお伝えください。大学の先生方に何の効果もないテストを強要するのは許せないです。 私のブログのアクセスがどれほど妨害されようと、一人でも二人でも読んでくださった方が、大学の先生方に伝えてくだされば、と思っています。

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ここは個人的な疑問です。
一部上場企業の社長KADOKAWA松原眞樹社長は不正行為をしながらビジネスをやっていていいのですか。
(詳細は2019年5月24日のブログ「無意識の思い込みを見直してください。」に書いてあります。 松原眞樹社長が私の本の中古本の価格を1円にしていることについては「 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません」のブログ(2020年3月17日)に書いてあります。 )
私はずっと松原眞樹社長のすることに疑問を持っています。ほかの取締役の方も不正行為と充分知りながら「監視・監督義務を怠ること」は違法です。
(私は3月17日のブログで、「今妨害をやめてくだされば、今後、11年間受けてきた不正行為については一切触れない」と申し上げたのですが、妨害をおやめにならなかったので、仕方がありません。 松原眞樹社長は不正行為がやめられない心のご病気ですか。 あまりにもしつこいので、私をいじめていないと気が済まないのかと思ってしまいます。(数日間900円台で推移していた私の中古本の価格が、前の一文を書いたら(5月17日)また、1円にされてしまいました。もう好き勝手に私を妨害するのですね。(その為に会社のお金を会計処理を偽って使うのですか。) 社長にそういうことをやりたい放題させておくKADOKAWAのManagement は問題です。
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* * * それでは今日のブログに入ります * * *

コロナウイルスのために休校になっている学校が多いと思います。 家庭にいてもできる中学生の英語の勉強について書きます。

学校にいけないので新しいことは習えませんが、英語の場合は学んだことを自分の中に定着させていく練習の方がたくさん時間がかかります。 ですから、今は家庭で出来るその練習をするのがいいと思います。

中学3年生、中学2年生の方はお父さんやお母さんにお願いして、去年勉強した教科書のCDを買ってもらってください。 (インターネットで購入されれば家にいても入手できます。価格は2500円前後だと思います)  つまり、中学3年生の方は中学2年生の時に使った教科書のCDを、中学2年生の方は中学1年生の時に使った教科書のCDを買ってもらってください。 つまり、学習の終わった英文のCDを購入してください。

英語の場合は、(1)読んでその文章の意味が分かる。ということと、(2)実際に言いたいときにその文章が言える。 ということは、全く違う練習が必要になります。  学校に行けなくて新しいことを習えない時には(2)の「すでに学んだ文章を言えるようにする練習」をするのが実力アップにつながります。

言えるようにするためには何回も、自分の口を使って練習をしますので、言うたびに習った単語の意味や文の構造が自分の中に定着していくからです。


まず、CDを手元に揃えたら、教科書1ページ分くらいの英文を何度も聞いて下さい。 その時、「去年習ったのに、この単語の意味が分からない」「この文の意味や構造が分からない」というときは、もう一度調べて、わかるようにしておきます。 復習をしてください。

たくさん聞いたら、今度はCDと同じように言ってみる練習をしてください。  中学生の皆さんは耳がいいですから、じっと聞いて同じように言ってみてください。  中にはその時の授業の様子が思い出されるようなときもあるかもしれません。  同じようにいえるようになるまで口を動かして練習すると、実際にそういうことをしゃべりたいときには、ちゃんと口が動いてしゃべれるようになります。

中学1年生の方はまだ、授業で英語は習っていないでしょうね。  私の知り合いのお子さんは教科書はすでに配布されたようでした。 もし、配布されていたら、やはりその教科書のCDをお父さんやお母さんに買ってもらってください。  私は数年前の教科書しか見ていませんけれど、たぶん最初の1,2ページはあいさつや自分の名前などやさしい英文だろうと思います。 

英語というのは意味も分からない文を何度聞いても勉強にはなりませんけれど、もし挨拶などやさしい英文で意味が分かれば、その部分だけCDで音声を聞いてみてください。  英語では難しい文もやさしい文も発音するときの「音」は同じです。  ですからそのやさしい英語の音をよく聞くことは英語の学習に充分有効な勉強になります。  

私の発音の生徒さんで、一回で英語が通じないので、私のところに発音を習いに来た方がいました。 そして、「どんなに基礎からの勉強でもやりますから、一回で通じる発音を身に付けたいのです」とおっしゃいました。  私は発音の基礎は、難しい文からでは身につけられない、と知っていましたので、「それでは中学1年生の教材でもいいですか?」とお聞きしたら、それでいいとおっしゃったので、中学一年生の教科書で発音指導をしました。   今では、ニューヨークでアメリカ人からも「あなたの発音きれいね」といわれるような英語でしゃべっています。 

ある時、私が新しい生徒さんを教えるのに、教材を選んでいた時に、ちょうど彼女のレッスンがあったので、「英語力の高い方は中学1年生の教材で発音練習しても嫌だと思うことはありませんか。」と聞いてみたことがありました。 そうしたら、彼女は、「私はそういうことはありませんでした。 むしろ、 Good morning.  という発音を音声モデルと同じに言う練習でどれほど多くのことを学んだかわかりません。」とお答えになりました。(大人の生徒さんに対する私の教え方がそういう教え方でした。 音の特徴のとらえ方はもちろん、どんなに簡単な文でも唇の保持の仕方、次の音へのつなげ方など、お手本と同じに聞こえるようになるポイントを指導しました。これが文章をしゃべる時の発音指導です。 中学生の場合は耳がいいですから、そこまで指導しなくても同じように言う練習を継続していけばそういう言い方になってきます。口の筋肉も柔らかいですから。)  ですから、やさしい英語でも真剣に聞いて同じように言う練習をすればとても多くのことが学べます。 一年生の方はやってみてください。 ただし、意味のわからない文は、授業で学んでからにしてください。 


こちらのページで私は「中学校で教えていた時、生徒がMとNの発音を聞くと笑った」といいました。 そういう時はクラスの中にいるひょうきんな男の子がテープの発音を真似して頼みもしないのに「M」「N」と大きな声で発音するのです。 それを聞くとまた、クラス中が笑いました。 そういうひょうきんな子はそんなに熱心に勉強する子ではなかったですけれど、音声を真似するのはうまかったですね。  英語をしゃべる練習は、きっと勉強が好きとか嫌いとかには関係なく、興味があれば、誰でも上手になる分野なのだろうと思います。   

声を出すことは「発散」にもなります。  英文を声に出して言うことは、英語を定着させるためには良い練習になります。 「口で言って」「耳で聞いて」「頭で意味を感じる」いろいろなところを刺激するとても良い練習になります。  家庭でやってみてください。 学習が終了した英文をいつも聞いているのは英語力アップにはとても効果的です。 自然に復習と定着ができます。 効率の良い勉強の仕方です。 特に「勉強する」ということでなくても一日1レッスンただ聞くだけでも、学習が終わった英文なら、学習したことを思い出すきっかけになりますので、今まで学んだことを忘れないよい機会になります。  ぜひ、家庭で「勉強した英文」のCDを聞かせてください。

著作権の問題がありますので、非常に難しいこととは思いますけれど。。。。。この2か月の休校で、今までせっかく勉強してきたことを英語に触れないでいれば、子供たちはどんどん忘れてしまいます。(普通に生活していれば、日常英語に接することはありませんから) できれば学校で勉強した英語の音声を休校の間だけ(期間限定)でもいいですから聞けるようにしてもらえるとありがたい。と思います。 一日一レッスンだけでも毎日聞ければ、子供たちが英語を全く忘れてしまうことは防げます。子供たちがこの困難な状況で、今まで勉強したことを保持できるよう大人は助ける必要があると思います。 
 
 

各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。

テストでスピーキング能力は身につかない
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高校・大学入試でスピーキングテストをやってもスピーキング能力は身につかない。生徒にCDを与え生徒自身の口で正しい発音で文章を言えるよう教え、練習させなければ身につかない。日本人は、北米やヨーロッパと同じ英語教育をしても効果はない。 【理由】ヨーロッパの言語は英語と親せき関係にあるので、「発音」も「語順」も最初から大方できている。しかし日本語の子音は、常に母音と一緒に発音されるので極端に短く、英語として通じない。【語順】は、日本人は主語の直後に動詞や否定語がすぐ言えない。だからヨーロッパで行われている英語教育方法を日本でしても効果はない。(詳しくはこちら) 北米やヨーロッパの英語教育方法は日本では使えない。  日本人には日本語を母国語とする人の為の英語教育が必要です。      私は英語教育の専門家です。中学でこういう発音を身に着け、高校で英語の語順で理解し、大学で大量の読書を行い英語で考えるようにする。その英語教育のやり方はこちらです。

(2023年4月5日加筆)
余談ですけど、私はコロナが始まる前は、よくオペラ歌手の方が指導して下さるオペラの講座に参加しました。途中お休みした期間もありますけれど、トータルで3年くらい通ったと思います。 その時、隣で歌っていた方から「川合さんて、外国語をしゃべりなれているっていう感じがする」と言われました。 その講座で歌った歌はオペラですからイタリア語の歌でした。 私が何十年も発音練習をしてきたのは英語だけです。 でも、その私がイタリア語の歌を歌うのを聞いて「外国語をしゃべり慣れている」と隣の方が感じたという事は、やはり英語と同じグループに分類される言語は、言葉のつなげ方や口の動かし方が日本語よりは似ている、という事だと思いました。 例えば Puccini のオペラ La Boheme の中に出てくる Quando men vo' という歌(こちらで聞けます)の中には、traspira とか struggi という言葉がでてきますけれど、これなどは日本人は子音をつなげて言うことを練習していないとうまく歌えません。 でもこれが母国語のイタリア人は発音練習などしなくても子音が続く英単語はしゃべれるでしょう。 そういう意味ではやはり、英語と同じ言語グループが母国語のヨーロッパの人々がしている英語教育とは違う英語教育が日本人には必要なのだと思います。

(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。







「民間試験」は廃案です。 もう終わりました。「50年やっても4技能向上に効果がなかった」「年間500万人が受けても4技能向上に効果がなかった」こんなものはもう終わりです。「民間試験で4技能は上がらなかった」これが結論です。 (「なぜ、なんの効果もない民間試験が導入されようとしたのか」その解明は必要だと思います。私は警察の介入が今でも一番いいと思っています。 なぜなら、自民党WTの提言が詐欺だからです。)  本来の問題「話す」「書く」をどう教えるか。その話し合いを始めるときだと思います。(私がこういうことを書くのは多くの人の中に「民間試験は役に立たなかった」「終わった」という認識がないと、また、それをとんでもない理屈を持ってきて導入させようとする人、つまり民間試験の残党がまだいると警戒しているからです。ベネッセからもらうお金をあきらめきれない人がいると警戒するからです。「東大に民間試験をさせなければいけない」とすごんでいた国会議員の映像は今思い出しても異様で怖いです。) 
テストでスピーキング能力は上がらなかった(高校入試のスピーキングテストも同じです。 授業で教えもしないでテストをしても子供たちのスピーキング能力は上がりません。)

自民党ワーキングチーム:「生徒に音声モデルを渡すことさえ思いつかないで、「スピーキング能力」の向上を話し合う」その神経が私には理解できない。そんなこと、スピーキング能力向上を考えたら、一番先に気づくべきことでしょう。 あまりにもスピーキング習得について知らなすぎる(私は中学一年生の時に「教科書の音声がないとしゃべる練習はできない」と思いました。それで、「音声がないと英語をしゃべる練習ができないの」と言って親に買ってもらいました。13歳だって、本当にスピーキングを身に付けようと思ったらそのくらいのことはわかるんです。自民党WTは実際の英語習得を知らないにもほどがあります。それで、スピーキング能力向上について提言をするなど信じられないです。発音が通じなかったら、どんなにしゃべらせる練習をしたって無駄なんです。(現在でも新聞などで紹介されている英語の授業は生徒に正しい発音を習得させないで、勝手に話させているものがほとんどです。それではスピーキングを教えていることにはならないのです。「英語で授業」「オールイングリッシュ」なんかやっていたら、子供たちの発音はめちゃくちゃになり、何時まで経っても日本人の英語が通じるようにはなりません。)日本人は子音を単独で発音しない母国語だから、欧米の人と同じ「話す」練習は出来ないのです。この国会議員の方々は英語教育を専門的に勉強したことがあるのですか。この女性議員の方の大学でのご専攻は、保健衛生ですね。(この女性議員の方がHPのURLを変えてしまったので、別の資料にリンクしました) 自民党は英語教育を専門的に勉強したこともない人の提言をもとに日本の英語教育を決めるんですか。そんな提言、使えませんよ。ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で作られた詐欺提言ですから。)


3月22日午後5時40分、冒頭の部分にさらに書き加えました。 それが、為政者の気に入らなかったのでしょうね。アクセス数はいまだに「5」です。 私はすでに、「英語耳」の松澤喜好氏KADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」など様々な不正行為を11年受けていますから、新たに為政者からも妨害を受けるのはかなりきついですけれど、妨害されるというのは私の言っていることが為政者にとって「不都合な真実」だからだろうと思っています。 (不正行為をされ続けるというのは、身体的にも精神的にも、結構つらいものです。 11年前、松澤喜好氏に盗作されたときは、ショックが大きくて、どうやって立ち直ればいいかもわかりませんでした。ただ泣いていただけでした。 2年前、KADOKAWAが、盗作を行ったアスキーメディアワークスを解体・消滅させたことを知った日も、これでもう私が何を言っても「昔あった会社がやったことですから」で片づけられてしまう、と思って、何時間も泣いていました。  今でもアマゾンのランキングは2冊の本とも松澤氏に妨害されていますし。    ほかにもアマゾンで他の著者の本はみんな送料無料なのに、私の本だけ「送料599円」にされたり、不正行為ばかり、されています。(その時、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であったことは確認しました。 今月になって、送料有料の本をいくつかリストさせても、それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)の隠ぺい工作でしょう。送料無料を売り物にするアマゾンが英語本の配送料に749円も取るのはおかしいですから。(4月20日8時10分現在)昨日は、KADOKAWAの「英語耳」の配送料は942円でした。 それでは誰もアマゾンから本など買わないでしょう。 だからほかの理由があるということです。  KADOKAWA松原眞樹社長が「川合典子の本の送料が599円になったのは不正行為ではない」とアピールしたいだけです。 配送料有料の本を後からどれだけリストしようと、著者である私と出版社が全く知らないうちに配送料が599円にされていたのですから、これは不正行為以外の何物でもないでしょう。 あの時私は、「なぜ私の本だけ送料が599円なのですか?」と聞いたのに、説明もなく3時間後に送料無料に表示が変わりました。 他人のランキングを4年も妨害する松澤喜好氏、アマゾンの送料を法外にしても自分のした不正行為を隠そうとするKADOKAWA松原眞樹社長。 お二人のすることは社会人として常軌を逸しています。 私の英語教師としての仕事を妨害するのは犯罪です。 KADOKAWA松原眞樹社長はこういうことをアマゾンに頼むのに会社のお金を使っているのですか。(見返りがなければ誰も言われた通りにはやりません。) もともとは、ご自分が盗作の処理を公正にできなかった、ご自身の失策が原因でしょう。 ご自分の失敗のしりぬぐいを会社にさせるのですか。 金額の大小にかかわらず、社長個人の不正行為を隠ぺいするために会社のお金を使うのは、会社にとって決して良い社長とは言えません。(「取締役の善管注意義務」取締役は「善良なる管理者の注意をもって会社から委任された事務を処理する義務を負う」と法律で定められています) そのお金の会計処理はどうしているのですか。 まさか本当のこと(妨害の依頼)は書けないでしょうから、 社長の指示で会計に虚偽の記載をさせるのですか。 虚偽の記載は税法上問題があります。 それとも社長の指示による「書類を残さない」アマゾンとの裏取引なのですか。 裏取引も税法上問題があります。 公正な企業活動はお金の流れからも裏付けされなければならないので、虚偽の記載は禁止されています。 社長の指示で税法違反をするのはよくないです。  また、「11年も自分の出版社の著者に犯罪被害者の攻撃をさせている」というイメージを作る社長は、会社にとって決して良い社長ではないと思います。 社内、社外の人間が「松原氏は社長として適任ではないのではないか」と思う前に、ご自身の不正行為をやめ、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。赤い本のみならず、緑の本に対するランキングの妨害もやめさせてください。つまり、松澤喜好氏の私に対する一切の妨害をやめさせてください。 松原眞樹社長と松澤喜好氏、お二人が現在、私に対して行っている一切の不正行為をやめてくだされば、私はもう何も言うことはありません。松原眞樹社長が現在行っている私のブログ(アスキーメディアワークスについて記載のあるブログ)に対する妨害もやめてください。(2020年4月22日)   こういう不正行為は、個人がアマゾンに頼めることではないでしょう。 ベストセラーの著者と一部上場企業の社長から不正行為を受け続けるのは、つらいものだ、といつも感じています。でも、それをやりたい放題やらせておく、というのは、理不尽だといつも感じています。本来やってはいけないことですから。KADOKAWAってすごい会社ですね。 社長自ら特定の一個人を妨害しにかかる。 著者(松澤喜好氏)出版社(KADOKAWA松原眞樹社長)ともに一切の不正行為をやめてください。 私はすべての不正行為を終わらせてくだされば、松澤喜好氏にもKADOKAWA松原眞樹社長にもそれ以上何も言うことはありません。 2020年3月25日)
2020年5月2日(14時48分)私の緑の本はランキング6ページ目の13番目にありました。 KADOKAWA松原眞樹社長は私に対する妨害をやめる気はないのですね。 わかりました。 もう結構です。。。。。。 私がこうやって怒った後(19時26分)、私の赤い本の中古本の価格が1600円に変わっていました。 アマゾンの中古本の価格って、そんなに簡単に変えられるんですね。 やっぱり私の本の中古本の価格を1円にしたのはKADOKAWA松原眞樹社長だったのですね。  (また、1円に戻されましたけど。)   「 KADOKAWA松原眞樹社長が不正行為をやめるつもりはない」ということは充分わかりました。(2020年5月6日) 


それにしても、英語教育を専門的に学んだこともない自民党ワーキングチームの提言なんか、なんで聞く必要があるんですか。この国会議員の方々は、英語教育法はおろか、音声学さえ勉強したことはないのでしょう? なんで英語教育(特にスピーキング)の方針を決めるのに、こんな人たちのいうことを聞かなければならないのですか。 発音習得に関しても、彼らは何も知らないではないですか。(先生方のツイッターこの女性議員の方のお名前がたかがい恵美子さんと出ていたので、HPで学歴を拝見いたしました。  HPのURLを変えられてしまったので、(別の資料にリンクします)大学の専攻は保健衛生で、英語教育とは全く関係ありませんでした。 【自民党役職】の欄には「教育再生実行本部 本部長代理」と書いてありました。    英語教育は専門分野です。 大学で専門的に学んでいない人が口を出せるほど容易な分野ではありません。 自民党ワーキングチームの方々は英語教育について全く学んでいないのに、ベネッセを儲けさせるために国民を騙(だま)す目的で詐欺提言をするのはおやめください。)

(3月22日)自民党の仕組んだ罠の土俵に上がってしまわないよう気を付けてください。 彼らは話し合いの枠もテストの土俵に限ってさせようとしている。 そうじゃない。「スピーキング能力を付けさせる」この原点に立って、話し合いをしなければ本当の道すじは見えてきません。自民党の仕組んだ罠にはまらないよう気を付けてください。   「話す」「書く」が問題なら、一つ一つ丁寧に議論していかなければならないのではないですか。もしかしたら、中学高校の英語授業の時間配分を変えなければならないほどの改革が必要になるかもしれないのですから。「テストありき」の罠に気を付けてください。 (私は「書く」については自分の経験から大学1,2年で大量の英書を読んでから(言いたいことが英語で頭に浮かんでくるようになってから)したほうが意味のあるライティングの指導が出来ると思っています。 書くことは、高校を卒業したころは習った文型を使うので、精一杯でした。こちらのブログの2年B組の生徒たちのように。 高校卒業時の私は、英語でエッセイが書けるほどの英語力はありませんでした。 多くの先生方のご意見をお聞きしたいです。 「話す」「書く」どちらも丁寧に議論したほうがいいと思います。2019年11月18日のAERAによれば、審議会の委員は「民間試験のことは話題にも上らなかった。」とおっしゃっています。けれども2015年1月16日、下村博文文科相(当時)が「高大接続改革実行プラン」として20年度スタートの新テスト導入の工程表を決定すると、導入の既成事実化が急速に進んだ。」と書いてありました。誰が決めたかもわからない民間試験など、やる必要ないです。(50年やっても日本人の4技能は上がらなかったし、500万人が受けても日本人の4技能は上がらなかったのですから。役に立たないとわかった民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときではないですか。同じくAERAによると「中学高校6年間の英語教育で英語をしゃべれないのは大学入試に4技能がないからだ」こうした文脈で英語民間試験導入を強力に推進してきた下村元文科相」ということですが、6年間の英語教育で日本人がしゃべれないのは、スピーキングを学校で教えていないからです。大学入試でテストをしないからではありません。 原因の特定を下村博文議員は間違えています。 テストをすれば英語が話せるようになるほど、日本人が正しい発音で英語を話すのは容易なことではありません。 下村博文議員も英語教育を専門的に学ばれたことはないのでしょう。 全く効果のない民間試験は廃案にして、「話す」「書く」をどうするか、話し合うときでしょう。)


* * * ここから今日の本題に入ります * * *

民間試験がなぜ提唱されるようになったのかを知るために「英語力評価及び入学者選抜における英語の資格・検定試験の活用促進に関する連絡協議会」(第1回)議事録を読みました。 その冒頭で山中文部科学事務次官の次のような主旨の発言を読みました。 「平成10年から4つの能力、20年からは4技能と目標を掲げてやっているが、大学入試で評価されない事項は生徒は時間の制約もあり、勉強しないようだ。 だから大学入試で「話す」「書く」も評価すれば生徒が勉強するのではないか」ということで、4技能をテストする民間試験が導入されたようです。 (私はここで、スピーキングテストについてのみ書きます)

「大学入試でテストしないから生徒がスピーキングを勉強しない」ということも日本人がスピーキングが出来ないことの一つの理由かもしれませんが、一番大きな理由は学校でスピーキングを教えていないことです。教えられていなかったら、たとえ大学入試でスピーキングをテストされるようになっても、生徒は正しい勉強の仕方が分かりません。 それに生徒に音声モデルも与えていなかったら、生徒はどうやってスピーキングを練習したらよいのでしょうか。 自民党の文部科学部会の方々はそういうこともご存じないのですね。 それではスピーキング能力向上について提言をされるのは無理です。  どんなにもっともらしい理屈を言っても、その人たちが本当にそのことについて知っているかどうかはそういうところでわかります。

「学校でスピーキングを教えていない」というと、自民党の文部科学部会の人々は「いや、学習指導要領では、身の回りのことについて話すとか話す活動をたくさんとり入れている」と反論するでしょうが、「生徒に勝手にしゃべらせる」ことはスピーキング教育ではありません。 生徒に勝手に話させている時の発音は、日本語の発音です。英語の発音ではありません。

スピーキング教育のやり方は、2017年10月12日のブログに書いてあります。

文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)

要点を言えば、まず、正しい発音を教え、正しい発音で文を最初から最後まで言えるようにするのが、スピーキング指導です。 まず、これを生徒が出来るようにしないで、どんな指導をしても全く無駄です。まず、通じる発音を身に付けさせないで、どんな指導をしても全く無駄です。  日本では今まで学校教育でこのような指導は一度も行われたことがありませんでした。現在でも、新聞などで、紹介される英語の授業を見て見ると、正しい発音を定着させることなく生徒に勝手に英語を話させる授業がほとんどです。 それではスピーキング教育にはならないのです。 

正しい発音を教えないで、生徒に勝手に英語をしゃべらせているとどういう問題が起こってくるか、というと日本人の生徒全員が、英語の子音を日本語の子音で代用してしゃべっている、という現象が起こります。 これが、日本人の英語が通じない原因です。 この問題を解決するためには学校で正しい発音を教えなければなりません。 (この子音の違いは、日本語の子音しか取り込めないようにすでに耳が慣らされてしまった人には聞くことが、出来ません。 耳が日本語にはない「子音の長さ」を取り込むことが出来ないからです。 2016年6月1日からブログで行いましたネット上セミナーで練習してくださった読者の方々は、この子音の違いが聞き取れるようになっています。 私のHP「通じない日本人の発音」のページにネット上セミナーの練習がまとめられています。)
また、一口に4技能といってもスピーキングは他の3技能と決定的に違うところがあります。 「読む」「書く」「聞く」は頭の活動だけで習得できますが、「しゃべる」は、「頭の活動」と「口の筋肉を動かす練習」2つをしないと習得できません。  口の筋肉を動かす練習は継続して行わないと身につきませんし、途中でやめてしまうとせっかく流ちょうにしゃべれるようになっても元に戻ってしまいます。 ですから、スピーキングの練習は中学高校と6年間継続して行わなければなりません。

もう一つ中学高校と6年間スピーキングの練習を継続して行う理由は、言葉というのは年齢相応の文や、語彙を使って話せなければならない、ということです。 中学から高校へと使う英語が高度になります。それに合わせてスピーキングの練習も変えていきます。

私はスピーキングの評価は学校ですればいいと言いました。 もし生徒が日本人の先生に評価されるのが不安だということであれば、週に一度ALT(Assistant Language Teacher)として来てくれるネイティブの先生に評価してもらえばいいと思います。  こちらの上智大学が行った「ALTの実態に関する大規模アンケート調査研究」を見ても英語圏から来ている先生は中学高校では多いので、その先生に評価してもらえばいいです。 もし発音などを「テスト」という形で特に時間を設けて評価してほしいなら学期が終わるごとに60語くらいの教科書の文を(中学では40語ぐらいですか。適切な量は現場の先生に聞いて下さい)一人ずつ音読してスピーキングの評価をしてもらえばいいと思います。  その時、テストで評価する事項を事前に生徒に渡して、ネイティブの先生がどういうところを評価するのか生徒に充分理解してもらいます。 例えば、(1)声が充分大きいか。 (2)スラスラ読めるか(Fluencyの問題 )。 (3)スラスラ読んでも子音がちゃんと聞こえているか。 例えばMy name のMy がちゃんと聞こえるか。(日本人の話す英語の「M」の子音には長さがありませんので、「M」の子音を長さを保って言えるように練習する必要があります。)等。 

テストの前にネイティブの先生がどういう点を評価するのか、その評価項目を生徒に伝えて、理解してもらい、(3)のような日本人が話したことのない子音については、授業でそのことを生徒が出来るまで先生が教えて、練習させておきます。

そうすると生徒は各学期末のスピーキングテストの前にはそのポイントが出来るように毎日一生懸命練習します。 いくら勉強しない生徒でも明日がスピーキングのテストなら、教科書を数回は音読するでしょう。(音声モデルは各生徒に学年の初めに渡してあります。)

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。 これが子供たちのスピーキング能力を上げていきます。 しかも生徒には授業が終わったレッスンについては家でCDと同じように読めるよう練習してくる宿題が、いつも出されています。
これなら確実に子供たちは英語で話せるようになります。
大学受験の年に民間試験を数回受けるのとは天と地ほどの差があるスピーキング能力を子供たちは身につけます。 そして、日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 日本の子供たちにはその能力があります。 問題なのは指導の仕方だけです。

私がこういう評価の仕方を提唱するのは私自身がこうやって発音習得をしたこともありますが、もう一つの理由が、娘がプレゼンテーションのスキルを身に付ける過程をアメリカの学校教育で見てきたからです。

娘は小学校5年生まで日本で育ちましたので、プレゼンテーションなどしたことはありませんでした。  でも4年間アメリカで教育を受けて帰ってきたら、プレゼンは彼女の得意な分野になりました。 社会に出てからも友人から頼まれて、仕事のプレゼンを見てあげたりもしたようです。 彼女をそのように変えたプレゼンの教育方法がどういうものだったかこちらのブログに書いてあります。 アメリカ人が日本人よりプレゼンがうまいということはみんな知っています。 でもどうやってうまくなったのか、私はその教育方法をアメリカで見ました。 お読みになってみてください。この中でポイントとなるのは次の点です。

先生はプロジェクトを生徒に与え、完成させて発表する日を決めると、全員に評価表を渡します。 評価表には先生が生徒のプレゼンのどういう点を評価するか書いてあります。

教室の一番後ろの人まで声が聞こえるか。
みんなの目を見て話しているか。
図がわかりやすいか。
説明がわかりやすいか。
そのほか「良いプレゼンテーションのポイント」(例えば、聞く人の注意を引き付ける工夫がされているか等)がリストされています。  生徒はそのよいプレゼンテーションのポイントを見ながら毎日毎日家で練習します。  (娘は英語がよくできませんでしたから、プレゼンテーションをほとんど最初から最後まで丸暗記するまで練習しました。) 生徒はこうやってプレゼンテーションのスキルを上げていきます。 

プレゼンテーションは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで行います。
幼稚園、小学校低学年では評価はしません。
高校以上はプレゼンテーションする内容に評価の重点が移ります。

こうやってアメリカ人は授業の中で「よいプレゼンをするにはどうすればよいのか」を先生から習い、自分で練習して、授業で評価されてプレゼンテーションが上手になっていきます。 もし、アメリカで、「大学入試の時にはプレゼンテーションの外部テストを受けてください」と決めただけで、学校教育で何もしなかったら、アメリカ人のプレゼンが上手にならないことは明白でしょう。  (日本でも、学校でこういう教育をすれば、子供たちはプレゼンテーションが上手になります。 でも、そのためには授業でプレゼンテーションをさせる時間が必要になりますね。 知識を教える時間を少し減らして、プレゼンテーションをする時間に使うことが必要になります。)

体を使う実技の能力というのは、検定試験を受けても上達しません。
授業で教えて
家で練習させて、
学校で評価をする
これを何年にもわたって繰り返します。

こうすることによって子供たちはその実技の能力が上がります。  
スピーキングも口の筋肉の練習ですので、繰り返して練習し、継続して評価していくと上達します。

中学
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
高校
1年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
2年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする
3年の1学期末 2学期末 3学期末 評価のポイントを見て一生懸命スピーキングの練習をする

テストに向けて毎日、評価のポイントができるように一生懸命練習する。
これがスピーキングのスキルを上げる方法です。

音読で正しい発音かどうか見るのだけでは、会話としての評価が不十分であれば、二人一組で生徒が英問英答のような活動をするときの評価は英語科の教師が行えばいいと思います。  スピーキングの評価では多岐にわたる事柄について英問英答の評価をするのは大変ですが、「そのレッスンで習った単語を使い」「そのレッスンで習った文型を使って」「そのレッスンの内容について」英問英答する場合は日本人の先生でも、ちゃんと評価できます。  (1)積極的に英語で、相手に話そうとしているか。 (2)相手の目を見て英語を話しているか。(3)相手に充分聞こえる声でしゃべっているか。 (4)文法の間違いはないか。 例えば、What ~ ? で聞いているのにYes Noで答えていないか。こういうことは日本人の先生に評価してもらっても生徒に不安を与えることはないと思います。 中学3年、高校3年の受験の際にはネイティブの先生、英語科の先生、双方の評価を受験校に提出すればよいでしょう。  評価のポイントについては文部科学省が定めれば一律に評価できるでしょう。

授業でのスピーキング活動、学期末のスピーキングテスト、時間はとりますが、スピーキングを上手にする為にはスピーキング教育の時間を取らなければ出来ません。 今までこの時間は全くなかったのですから時間をとる必要が出てきます。 学期末のスピーキングテストには2時間分(つまり2日)くらいの授業時間が必要かもしれません。  でも、アメリカでは、プレゼンテーションも毎回クラス25人全員が行っていました。 そのために授業時間が何時間も使われました。 時間を取って実際にやらせなければ実技は身につかないとわかっているからでしょう。 今まで戦後75年、日本でスピーキング教育が行われたことは一度もありませんでした。  ここでスピーキング教育を始めないと、日本人はこの先もスピーキングのスキルを身につけることは出来ません。  私のホームページを作ってくれた方が、「私は大学まで英語を勉強しても全然話せません」とおっしゃっていました。 上に書いたような教育をすればそういうことはなくなります。

スピーキングスキルは、受験の時に民間試験をするくらいでは全然身につきません。 実技はとってつけたような,、その時だけの勉強では身につかないのです。 体にその動きを取り込んで自分のものとするためには6年かかります。中学校で基礎を習得し、高校で複雑な文もスピードを上げてしゃべれるようにしていきます。



もう一つ、民間試験が役に立たない証拠を皆さんにお話しします。

民間試験は過去50年以上に渡って日本で行われて来ました。(各試験 のサイトより)

実用英語技能検定は1963年より実施されて、2017年度の受験者数は366万146人でした。
ケンブリッジ英語検定は1939年横浜に初の試験センターが誕生し1941年に最初の合格者が出ています。
TOEFLは、1964年に作られ、日本では1990年代年間受験者数10万人を突破しました。
GTECについていくつかのサイトに行って調べようと思い、最初にウィキペディアを開いたら、


この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。
ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2019年11月)

と書いてあったので、そこは読まずに受験者数は126万人ということだけ調べました。

こうしてみてくると民間試験は今まで日本で50年以上行われています。  受験者も現在では各試験合わせて年間500万人くらいいます。 ここまで、たくさんの国民が受験しているのに、現在でもまだ日本人の4技能が上がっていないことが問題になっています。 つまり、50年民間試験をやっても、日本人の4技能は上がらなかったという証明です。

それなのに、また、大学入試で民間試験をさせても全く効果はありません。 50年の歴史が物語っている通りです。

自民党の文部科学部会の人々も、このことは知っています。 民間試験を導入しても子供たちの4技能は向上しない、と知っています。 なぜそれが分かるかというと、私の下の2つのブログのアクセスが1月の終わりからずっと妨害されているからです。 (ブログの妨害については2月1日「民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている」という題で書きました。)

(1)2017年10月12日 「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない。 (子供たちが通じる発音でスラスラ話せるようになる学習指導要領の見本付き)」

(2)2017年11月2日 「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」

特に(2)のブログ「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」は、私が一年以上毎朝やっている4語を用いた検索結果に全く出てこなくなりました。1月中旬まではいつも2位に出てきていました。 (1)のブログは順位を下げられる、という妨害を受けています。上がってきても一日に何回も下げられる、ということを繰り返しています。

アクセスを妨害する、というのは人々にそのブログを読まれたら、困るということです。 上の(1)(2)のブログには私が今書いたことと同じことが書いてあります。  

人々が上の2つのブログを読めば「民間試験によって4技能を上げる」という自民党の文部科学部会の言っていることが嘘だとばれてしまいます。  だから上の2つのブログのアクセスを妨害しているのです。 自分たちが嘘をついているとばれてしまう都合の悪い情報は国民に読ませてはならないと思っているのです。

自民党の文部科学部会の人々が民間試験を導入する本当の理由は、ベネッセを儲けさせるためです。  献金もらっているのだから、「民間試験を導入して、ベネッセを儲けさせなければならない」それが、彼らの本当の理由です。  4技能の向上など彼らにとってはどうでもいいのです。 ベネッセを儲けさせることが彼らの本当の理由です。 だからスピーキング能力を本当に向上させる方法が書いてある私のブログのアクセスを妨害するのです。 4技能を習得させるには学校で継続して評価するのがベストだと人々に気づかれるのは彼らにとっては致命傷です。

(2021年7月1日加筆  こちらは東京都立高校のスピーキングテストを請け負ったベネッセがそれを彼らのビジネスの販売促進に利用していることを指摘された都議会のツイッターです。 東京都教育委員会藤田裕司教育長はベネッセが自らのビジネスに東京都のスピーキングテストを利用していることを全く知りませんでした。 藤田裕司教育長はベネッセが東京都教育委員会との実施協定を破っていたことを全く知りませんでした。 非常に無責任です。 指摘されなければベネッセが東京都のスピーキングテストを自分達のビジネスの販売促進に利用したい放題利用していたことになります。 ベネッセが協定を守っているかどうかを確認もしない藤田裕司教育長は非常に無責任です。)



私の提唱する方法で子供たちがスピーキング能力を身につけることは彼らも知っています。 私自身が中学時代このやり方で今のスピーキング能力を身につけたのですからこれ以上説得力のある方法はないでしょう。 もう一人私と同じ方法でスピーキング能力をつけた中学生のことは過去のブログにも書いてあります。 ですからこの方法が有効だったのは私一人ではないです。
民間試験が効果がないことは彼らも十分知っています。
それなのに、民間試験を受けることがあたかも子供たちのスピーキング能力が上がる方法のように偽って、高額の民間試験を生徒に受けさせようとしています。(やがてそれがベネッセの儲けになるのでしょう。)
嘘の情報で高額の受験料を払わせる。
自民党の文部科学部会が行っていることは詐欺です。
50年やってきたって、民間試験で日本人の4技能は上がらなかったではないですか。
1年に500万人もの日本人が民間試験を受けているのに、4技能はちっとも上がらないではないですか。
単純に計算したって、50万人の受験生が10年民間試験を受けたって、日本人の4技能など上がらないということです。 
詐欺は犯罪です。
受験生とその保護者に対して詐欺を働くのは教育者としてあるまじき行為です。
先生方は詐欺に協力する必要はありません。
犯罪に加担させようとする方針はいかなる団体においても無効です。
各大学は民間試験をする必要はありません。
詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。
自民党の文部科学部会の言う通りにしなくても何の罰を受けることもありません。
懲罰を受けるとしたら、詐欺(犯罪)を行っている自民党の文部科学部会の方です。
自民党の文部科学部会の行っていることは詐欺(犯罪)です。
犯罪なのですから警察に介入してもらったほうがいいです。
そこで、なんでそこまでベネッセのいうことを聞くのか全容を解明してもらいましょう。
もうこの件に関してはいろいろな情報が出てきているのではないですか。


私はまた、為政者に「不都合な真実」を書きましたので、ブログの妨害を受けると思います。 お読みになった方はツイッターなどで先生方にお知らせください。
子供たちが正しい英語教育を受けられることを願っています。

(私は、すでに「英語耳」著者の松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長から、「盗作」「隠ぺい」「妨害」などの不正行為を11年受けていますので、この上、為政者から妨害を受けるのは正直なところつらいものがあります。精神的にはかなりきついです。)



ここから先はいつも書いていることです。

2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



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3月31日、母が亡くなりました。
大正生まれの母は典型的な古風な日本女性でした。
母自身が体が弱いのに、病気がちの私を育てるのがとても大変だったようでした。

高校3年生の冬休み、世界史の現代史の勉強が終わらない私は、部屋の天井と壁に現代史の年表を書いた大きな紙を張り巡らせていました。 用があって入ってきた母がその中の一行を見て、「1945年、ポツダム宣言受諾。。。。。」と読み上げました。 遠い日を思い出すような目で、その一行を眺めていました。

私は母を見て、「私にとっては世界史の中の一つの出来事だけど、母にとっては人生の中の出来事だったのだなあ。」と思いました。  あの日から、日本中のあらゆるものが変わってしまったのですから。

まさに戦中、戦後の激動の時代を生きてきた人々の一人なんだ、と思いました。 戦争中のもののない時代、戦後の混乱の中で、必死に生きた時代、そういう時代を生きてきた人なのだ、と思いました。

結婚して、実家から遠くに離れて暮らしていた時、よく父と一緒に孫を見に来てくれました。 帰る時、「もう帰っちゃうの?」と寂しそうに言う私に、「あまり親を心配させないで。。。」と母自身もたまらないような顔をしていました。

両親が家を出て小学校の坂の下のバス停につくころ、私は2階に行って窓から、遠くに見えるバス停にいる父と母がバスに乗っていくのをずっと見ていました。

あの時もそうだし、アメリカに行くときもそうだったし、別れはいつだって、寂しいから嫌いです。
でも、必ずやってくるものだから、気持ちよく送り出してあげなければいけないのでしょうね。
私もこの年だから、「あまり親を心配させないで。。。」とは、母はもう言わないでしょうけれど。

お母さん、ありがとう。

①デジタル庁(牧島かれん大臣)は犯罪集団「個人情報騙し取り庁」【国民の生涯学習支援の為】全国民の一生の教育データを収集すると騙す。データで教育はよくならない。データで金儲けする者の為に働くデジタル庁②eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)データを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。「国民全員が安倍総理大臣の犯罪の被害者となる」という点でロッキード事件より悪質です

このすぐ下に書いてある「国民を誘導する劇場型詐欺」については「新井紀子劇場」としてこちらのブログの冒頭、水色の大文字部分の下に小さな黒字で詳しく解説しました。下村博文プロデュースです。
 
私は、かつて公教育を主導した文部科学省はもはや日本には存在しない、と思っています。 文部科学省は業者の金儲けを手助けする役所に変わってしまいました。  生徒に英語の教科書のCD一つ与えないで、英語民間試験をしろと恫喝する国会議員下村博文が教育行政をそのように変えてしまいました。 日本には、もはや公教育をつかさどる文部科学省は存在しません。また、今回のデジタル庁の「国民の生涯教育データの収集」を見れば、政府が「公の利益のために働く役所から、業者の利益のために働く代理店」に変わってしまった、と私は思っています。 (文部官僚だけを責めても仕方ないですね。 国会議員下村博文に逆らっても左遷されるかやめさせられるだけでしょう。 一方では気に入られて偉くなりたい官僚もいるでしょうけれど、大多数の方は善良な人でしょう。) こうして業者の利益を優先する国会議員下村博文によって破壊された「子供たちに本当に学力をつけさせる教育」を守れるのはもう現場の先生方しかいない、と私は思っています。  先生方は子供の学力向上に真に役に立つ教育を教室で行ってください。新井氏は2011年自分が日本数学会教育委員長として率いた大学生数学基本調査の「偶数と奇数の問題」の誤答を見て学生の読解力の低下に気づいたと「AI vs 教科書が読めない子供たち」(東洋経済新報社刊)の174ページからで述べています。 この調査にはベネッセも協力しています。 子供を罠にかけるリーディングテストを作った動機は日本数学会の教育委員長として率いた大学生数学基本調査だったそうです。「日本数学会」「教育委員長」という名称、役職を見て、彼女の詐欺を信用した人も多かったでしょう。日本数学会は、名称、役職が詐欺に使われたことを重く受け止められた方がよろしいのではないでしょうか。 (下村博文文科省には逆らえなかったのでしょうけれど。そうやって、みんなが下村博文が怖くて何も言えずしたがって、だんだん日本の教育が壊れていくのでしょうね。 私がこのようなことを書くのは下村博文は私たちの周りにある、「権威」と呼ばれるものを次々取り込んで、国民を騙しているからです。  大学教授、日本数学会、国立の研究所(例えば国立情報学研究所:所長は喜連川優)、教育委員という肩書(新井紀子氏は東京都の教育委員です)、出版社、新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌、月刊誌、インターネット、今回は文部科学省が与える賞まで、ありとあらゆる「権威」「メディア」を取り込んで、詐欺などの犯罪で国民を騙しているからです。国民は全方位で、下村博文の「騙し」「誘導」に取り囲まれていると、私は新井氏の嘘にかかわって、初めて知りました。 「権威」どころか普通にブログを書く人までたくさん使って、国民に嘘を本当だと思いこませようとしているのを知りました。何も下村博文が直接言わなくても彼の意向に沿って動く政治関係者、教育関係者、出版関係者などのメディアの関係者がたくさんいるということでしょう。私は2021年1月14日に新井氏の読解指導の間違いを指摘してから、一年以上、政府に非常にきつい妨害をされながら、私の周りで起こっていることをじっと見てきました。 悪い政治家がどのように人々を騙していくのか、知りました。 「権威」「メディア」「普通の人々」を使って「国民の周り、360度に嘘の情報しか書かれていない壁を巧妙に構築する」そういうやり方でした。私は皆さんにそのことをお伝えする義務があると思いました。 それで、今回これを書きました。) そして、この子供を罠にかけるようなテストを新井氏は「読解力を科学的に測るテスト」とだまして、27万人に受けさせたそうです(新井氏のツイッターより)。  「27万人を騙した詐欺師を文部科学省が表彰する」やはり、かつて公教育を主導した日本の文部科学省はもはや日本には存在しません。

国立情報学研究所(所長喜連川優)のずさんな運営については青字の下の黒字の部分に書いてあります。 「英語喉」著者上川一秋氏の盗作については、最初の方にピンクの文字で書いてあります。 アメリカ人は喉だけで声を低くしているわけではありません。 鼻腔も含めた大きな空間にたくさんの息を使って声を共鳴させるとこういう英語になります。(川合典子HP(Wの練習「音声を聞く」)より)     なお「英語の音質で話す口、軟口蓋、鼻腔の形」も、「日本語化しない子音」も自分の耳で音を聞かないと習得できません。機械に発音を判定させて練習していると身に着きません。 発音練習には、自分の耳を使いましょう。



(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。陰謀論を信じる人たちには下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。陰謀論を信じる人たちには、下村博文は「日本を没落させるためにどこかの国が送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。



2022年1月26日  教育は規模が大きくなればなるほど劣化します。 小規模で教育者が一人一人の生徒とよくかかわれる環境で学ぶほど、質の高い教育が出来ます。ですから良い教師を育てることと、一人の先生が見る生徒数を少なくすることが質の高い教育をするために最も重要なことです。 デジタル庁は「長い年月をかけて、広範囲にデータを取る」ことを強調していますが、それはまさに、教育劣化への道です。 データは教師が指導の際、参考資料として活用するものです。 それ以上の意味はありません。 デジタル庁にはそれ以外に国民からとったデータの活用の仕方があるのですか? デジタル庁は参考資料である「データを取る」そのこと自体に非常に熱心ですね。 教育者の私には非常に奇異に見えます。 そんなことがなぜ教育をよくすることなのですか?  指導は学習者をよく理解し、その学習者にあった指導の仕方を教育者が学び取り判断しながら行っていくことによってのみ、一人一人に合った教育ができるようになります。 これは「理解」「判断」ができる人間にしかできません。だから良い教師の育成が必要です。データはあくまで教育者にとって参考資料です。 この参考資料を作ることになぜデジタル庁はそこまで熱心になるのですか。 教育者にとってただの参考資料です。参考資料が教育活動の主たる目的になることはありません。 
私は英語教育の専門家として国の英語教育の方針をずっと見てきました。政府が最も軽視している学校の先生方。 その先生方の学校教育における位置づけが間違っています。 良い教育ができるかどうかは良い教師を育成できるかどうかにかかっています。 良い教師を育成することにお金を使っても業者は儲かりません。 でも、だからこそ国が税金でやることです。 そして一人の教師が見る生徒数を少なくすることです。教育は規模が大きくなればなるほど劣化します。 デジタル庁の方針はまさに教育劣化への道です。         (現場の先生方は私がブログに書くようなことは全部ご存じです。 でも先生方は日々の生徒指導でお忙しくていちいちネット上で政府の間違いなど指摘する暇がないだけです。 例えば、教育は規模が大きくなればなるほど劣化する、という事も先生方は長年の経験からご存じです。 その地域で荒れている学校というのはたいてい大規模校です。 小さい規模で先生方がその学年の生徒全員とよくかかわれるような学校が荒れているという事はほとんどありません。 先生方は長いご経験から私がブログに書くようなことはみんなご存じです。)



ここから国立情報学研究所(所長喜連川優)のずさんな運営実態について書きます。
2022/1/23 22:53「川合典子ブログ」で検索すると(最初の6項目を除くと)昨日と出てくる記事が今日は昼から全く違っていました。私に関係のない記事ばかりでした。(私は何年も毎日「川合典子ブログ」で検索して結果を見てきました)今までこういうことはありませんでしたので政府の妨害は相当きついのだと思います。私がここに書いたことは国民にとって大事なことだと思います。政府が国民を騙して個人情報を盗み取っていいはずはないと思います。私はツイッターはやりませんので、ブログを妨害されたら、何の手段も使えません。 ツイッターをお持ちの方は、どうぞ周りの方々にデジタル庁のやっていること、岸田総理のやっていることについてお伝えください。  23時23分 政府は露骨にやりすぎたと思ったのか、今、見てみたら2ページ目までは直したみたいです。(けれども、この後12分したら、また妨害されて2ページ目も私に関係ない記事に戻されました。私が「直された」と書いたとたん、また妨害をしておけば妨害された画面のままにしておけると思ったのでしょうね。政府は本当に細かく汚い手段ばかり使います。民主主義を建前上でも取る国の政府が他人を妨害するプロを常時雇って使っているというのは恐ろしいことだと思います。政府が毎日犯罪やっているのと同じですから。国会で答弁する人が、裏で毎日犯罪やっているのですから)  私はもう一つ「川合典子ブログ」をある期間を限定して何年間も毎日見ています。 昨日までの数日間は「はてなブログタグ「新井紀子」(題名で言うと、新井紀子とは アイドルの人気・最新記事を集めました」というのがトップに出てきましたけれど、今日は全く違っていました。(新井紀子氏は令和3年6月15日より東京都の教育委員です。)それはもうどこにも出てきません。それがないだけでなく検索結果も昨日とは全く違いました。私と関係ない記事ばかりでした。今までそういうことはありませんでした。 いつものように新井紀子氏に頼まれて、政府が妨害して変えたのかな、と思いました。 今まで新井氏のことをブログに書くたびにいつも政府から妨害されてきましたから。(新井氏が本当に子供の人生を大事に考えていたら、あんなひどいことはおっしゃらないでしょう、ということはこちらのブログに書いた通りです。 新井紀子氏はベネッセに多額の”研究費”をもらいながら失敗してしまったので、下村氏とベネッセの信頼を回復しようと必死なのでしょうね。ベネッセと下村氏はこの「読解力テスト」を成功させれば、国からお金が入ってくるはずでしたから、成功させるためなら、新井さんにお金でも教育界の役職でも、目立つメディアで発言する機会でも、なんでも必要なものは与えてくれるのでしょう。 でも、いくら専攻が違うとは言え、新聞紙上で、「燃える太陽」という文学的表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません」という読解指導では「国立情報学研究所 教授」の肩書が泣きます。東京都の教育委員という肩書も泣きます。 国語の先生の勉強会なら嘲笑の的になります。 数学者に国語のテストを作らせるって、国立情報学研究所というのは専門分野はどうでもいいんですか? 専門分野は所長の喜連川氏の裁量でどうにでもなるのですか? 「数学者に読解力の研究をさせる」つまり適切な研究者の資格に基づいて研究が行われていない。 その上、その研究者が公のメディアで「燃える太陽という文学的表現に宇宙空間に酸素はありませんから太陽は燃えません、というとんでもない”読解指導?”をして回る」というのは、子供の読解力に百害あって一利なしです。「数学の文章問題の理解」が心配なら、「数学の文章問題の理解」の指導をすればいいでしょう。数学の文章問題に文学的文章なんか出てきません。 「燃える太陽」などという言葉は数学の文章問題には出てきません。 文学的文章と科学的文章の読解指導の違いも知らない人間が、国語教育の読解指導なんかできませんよ。(でも、本当はそれは言い訳でしょう。 ベネッセのために学校に売り込めるテストを作るには「読解力のテスト」が一番よかったのでしょう。 後から理屈をつけるからいろいろつじつまが合わなくなる。)「読書と読解力は関係ない」とか、自分の無知をさらけ出すのは結構ですけど、そういうことを触れ回るのは、社会に害悪をまき散らしているのと同じです。 国語の先生方がせっかく地道に子供たちに読書指導されているのに、新井氏はぶち壊して回っているようなものです。そんなことを言って、子供たちが本を読まなくなってもいいんですか。 子供の教育にとっては重大な損失です。東京都の教育委員がそういう間違った意見を触れ回るのは大変問題だと思います。 国立情報学研究所は、基礎も知らないド素人に”研究?”させて、いい加減なことを触れ回らせないでください。子供の読解指導に百害あって一利なしです。税金の無駄遣いです。喜連川所長が適正な資格を持つ研究者に研究をさせていないからです。研究所の規則にのっとって運営していないからです。 国立情報学研究所を管轄するのはどの公的機関なのですか? この研究所をずさんな運営のまま放置しておくのは税金の無駄遣いです。 研究者の適正な資格に基づいて研究が行われるよう指導してください。    読解力を科学的に測るテストでもないのに(そのテストは子供を罠にはめて間違えさせるテストなのに)、喜連川氏のお名前でこういうニュースリリースが出るくらいですから国立情報学研究所の内部は相当いい加減です。 この詐欺のような研究に研究費(税金)が出るのですか? もし本当に何かの間違えでこのようなニュースリリースを出したのなら、きちんと原因を究明して、訂正し公に謝罪するのが、研究者としてのあるべき姿勢ではありませんか? この国立情報学研究所は私たちの税金で運営されているんですよね? だったら国民の指摘や疑問に納得のいく返答をするのは所長喜連川氏の義務でしょう。少なくとも、所長というポジションにいるのですから逃げ回っていないで、きちんとお答えください。喜連川氏は研究者がミスを犯したときの基本的な対処方法もご存じないのですか?喜連川氏の基本姿勢は「研究者はミスを犯したら知らんぷりして間違いを押し通す」ですか?  それでは若い研究者によくない影響がありますから、辞任されることです。 研究者の基本姿勢も知らない人間に所長をする資格はありません。 喜連川所長の元で、国立情報学研究所は不祥事ばかり起こしています。(不祥事:(広辞苑)関係者にとって不名誉で好ましくない事柄・事件)けれども、不祥事として報道されないのは、後ろに政治家(下村博文)がいて守っているから。 その政治家は私が新井氏の”読解指導”の間違いを指摘しただけで、私のブログアクセス数を「1」に操作するほど一生懸命新井氏を守っている。 だから、新井氏の読解指導やリーディングテストの間違いを指摘するたびに、私はいつも政府からきつい妨害を受けていました。 ブログ掲載後30分でひどい妨害が始まったこともありました。 この政治家と新井氏はまるで一心同体のようだった。 新井氏はすぐに政府にすがりつき、一人では一瞬も対応できないようだった。私が新井氏が「教授」だということが信じられないのはこういうところです。 私は津田塾大学で女性の教授の講義はたくさん受けました。 先生方は静かな方でしたけれど、学生の私から見たら、例えば学説の論争などがあった場合は、たとえおひとりでも自分の信ずることを貫かれるのだろうな、と思うような強い信念をお持ちでした。 私に何か言われるたびに権力者にすがりつく新井氏を見ていると、これでも「教授」なのかなあ、と思いました。 データは捏造するし、権力者にすがり付くし、とんでもない教授だなあ、と思いました。 しかも、東京都の教育委員なんですよね。  新井氏の読解指導の間違いを指摘したときの政府の妨害は民間試験やeポートフォリオの問題点を指摘したときより、ずっとひどかったです。 「なぜ、朝日小学生新聞に載った新井氏の読解指導の間違いを指摘すると政府から妨害を受けるの?」その疑問が彼らのたくらみに気づく最初のきっかけだった。 国立情報学研究所は科学的テストでもないのに、「科学的テストを開発」と偽りのニュースリリースをしたり、国語教育の資格を持たない研究者が、データも取らずに、「教科書の読解力が人生を左右する」と嘘を提唱したり。研究者がデータを取らないでいい加減な結論をでっちあげるなど、捏造(ねつぞう)でしょう。(私はこちらのブログアメリカの高校の「Extra Help」の例を引いて、新井氏の嘘を証明しています。)研究所で無資格の研究者が捏造やっていていいんですか?  所長が捏造を支持していていいんですか? 挙句の果てに、子供を罠にかけるテストを「読解力を科学的に測るテスト」と偽ってお金を取って学校に売ったり、詐欺までやってる。新井氏は東京都の教育委員なんですよね。学校を騙していいんですか。 喜連川所長の元で国立情報学研究所は不祥事ばかり起こしています。 適切に研究所を運営する能力がないなら、喜連川氏は所長を辞任されることです。     国立情報学研究所所長喜連川氏は非常にずさんな運営をしています。 税金を使って運営されているのですから喜連川所長は研究所としてのルールにのっとって運営をしてください。 ご自身もミスを犯したときは、研究者としての基本にのっとって対処してください。 喜連川所長が適切に職務を遂行しているかどうかチェックする機関はおかれていないのですか。 だからこういういい加減なことが日常まかり通っているのです。国立情報学研究所を管轄する官庁は喜連川所長に対して適切な運営をするよう指導を行ってください。 不祥事ばかり起こす所長は普通は更迭されます。 昔、またデータの改ざんをしたある電機会社の株主総会を取材したニュースを見ていたら、出てきた株主の一人が「不祥事のデパート」といっていました。 国立情報学研究所のこれらのことは関係する政治家が抑えているから一般に報道されないけれど、国立情報学研究所だって立派な「不祥事のデパート」です。 中でやっていることはめちゃくちゃです。 とても研究所とは思えません。 資格のない研究者が詐欺の国語テスト作っているくらいですから。 これでも国立の「研究所」ですか?           新井氏は下村氏とベネッセに「使えない人間だ」と思われたら、すべてを失いますから必死なのでしょうね。そこが、東京外国語大学林佳代子学長とは、新井氏が決定的に異なるところなのだろうと私は思っています。林佳代子氏は間違いを指摘されたら、それ以上何も言いませんでした。彼女は自分の力で今の地位に就いた人ですから、下村氏に気に入られなくても地位を失うことはありません。新井氏の場合は、下村氏とベネッセに「使えない人間」だと思われたらすべてを失う。 だから「使える人間だ」と示すことに必死なのでしょう。(私も女性ですので、女性の学長を応援したかったです。でも、英語教育だったので出来ませんでした。すみません。ご専門の歴史学の方でご活躍ください。それなら応援できます。) 全員ではなくても、大多数の大学教授や教育関係者の方々は間違いを指摘されたら、新井氏のようにあえて世間に大々的にアピールしてその間違いを押し通すというようなことはなさいませんでした。 新井氏の場合はそれが出来ない事情がおありだと私は思っています。普通、教育者が「不適切な問題だ」と指摘され、自身もそれを認め訂正、謝罪したら、先生方はそれ以上批判はされません。 子供の読解力向上を願って指導しているのは皆同じだからです。 それなのに、新井氏は批判を徹底的に無視して、間違ったまま押し通しています。 だから、かえって、「間違いを認められない理由がほかにあるの?」と思われてしまうのです。 「このテストの作成には子供の読解力向上以外の目的があるの?」と思われてしまうのです。それに、もし訂正して「それでは読解力を科学的に測る設問の基準は何か?」と聞かれてしまうと、答えることが出来ないのでしょうね。「子供たちに間違えさせるように問題を作った」とはとても言えませんからね。) 1月24日0時5分 また2ページ目も関係ない記事に戻されてしまいました。 政府はそれをくりかえすのでしょうね。 妨害する人ってみんなそうなんですよね。 自分のしたことをしていないように見せることに策を弄する。 KADOKAWAもブログに書くと違うことをするし、東洋経済新報社もいろんな人に新井紀子の本の批判されない部分についてブログ書かせて詐欺ではないと言い張っているようでした。 はてなブログタグで私はそういうブログをよく見ました。 (一番傑作だったのは、私が「子供たちには新しい仕事を生み出す力がある」と書いた直後、「新しい仕事を生み出すのはAIに仕事を取られた子供たちではない」と書いたブログが載った時でした。 どこまで行っても「AIに仕事を取られる」という考え方から離れられないのね、と思いました。 指導者がそう思っていたら、子供たちは本当にそうなります。 それ以外に子供たちが持っている能力や可能性を指導者が見ようともしないからです。 それじゃあ人間の力も見えないわよねえ。と思いました。 傑作でした。 新井氏と東洋経済新報社の茶番です。  (新井氏が作ったアミラーゼの問題を見ると、新井氏は「書いてある文字や言葉をベタに取り込んで機械処理するロボット」と思考力を働かせて「何が重要か」を考えながら読んでいく「人間の脳」の違いを忘れてしまったのか、と思いました。  人間とロボットの違いを忘れた人に教育は出来ません。なぜなら、教育が育てるのはロボットにはない、人間の「思考力」だからです。  参考までに彼女の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の92ページに書いてある東ロボの読解問題の解き方を引用しておきます。 「傍線のついている部分とその前の段落の文を取ってきて「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、一番重複が多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。 文の意味どころか、単語の意味も調べません。無謀と思われるかもしれませんが、この方法で論説文の傍線問題は早々に正答率五割に達しました。」以上引用。 これでロボットを東大に合格させて何か子供の読解指導に役立つ意味がありますか。  2016年8月21日の東京新聞で新井氏は「(子供たちは)内容や意味を理解すれば正解にたどり着くはずだが、それができず、AIと似た誤答を選んでいるように見える」とコメントして、新聞には「AIロボと似た誤答 研究チーム謎解きへ」となっています。 冗談じゃないです。人間はロボットと違って文字の数を数えるのも大変です。 そんなことやってるわけないでしょう。子供たちが間違えたのは新井氏が間違えるように問題を作ったからです。 人間がアミラーゼについて書いた文を読んだら、アミラーゼに関する情報をつかむのが大事だと思考力を働かせて読んでいくのです。 そこでセルロースとデンプンの形を聞くんですから、間違える子が出るに決まっているでしょう。 思考力を働かせて読んでいる子供達にフェイントをかけているのは新井さんの方でしょう。 セルロースとデンプンの形の違いを子供たちに学んでほしいならそれを説明した文を教育者は読ませるべきです。 人間は何が重要なのかも考えずに字数で処理するロボットとは頭の中身が違うんです。新井さんにはロボットと人間の脳の違いもわかりませんか。「何が重要かを考えながら文を読む」これこそが人間の脳にしかできないことなのです。 新井さんの作ったこの問題は「何が重要かを判断して文を読む」人間にしかない思考力を否定するものです。   私は今回新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。 毎日「生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。     新井氏はテレビ・ラジオ・新聞などのメディアだけでなく、ブログを書く人もたくさん動員してもらえるのですね。権力者(下村博文)が後ろにいるから、有力新聞も出版社もよく言うこと聞いて新井氏を盛り立てている。権力者が後ろにいる、というのはそういうことです。(こう書かれると、今度は彼女はすぐに政権批判をしたりします)  今ではもう、皆さんにもこのからくりが全部見えますでしょう。 (でも、英語教育について言うと有力新聞といっても、2021年8月3日の日本経済新聞の「英語で教える」足りぬ教員」という記事などを読むと、「英語で教える? 私がアメリカで見てきた現実とは全然違う」と思いました。 またこの記事で「文科省の教職課程に海外留学を取り入れる方針」を無批判に掲載していることにも日本経済新聞の英語教育に対する見識に疑問を持ちました。文科省のこの方針についてはこちらのブログの10月9日加筆部分で私は厳しく批判しました。日本経済新聞のこの記事を読んだ時「日本経済新聞は日本人のための英語教育については何も知らない」と思いました。)           誰にどんなブログを書かせようと、「アミラーゼについて書いた文を読んでセルロースの形を問うテストが科学的に読解力を測るテストではない」という事実は変わらないのです。 だからそういうことをやればやるほど、「何かを隠ぺいしている」という印象を与えてしまいます。 駒橋憲一社長は大多数の真面目に仕事をしている社員に申し訳ないと思わないのですか?  自分のしたことを隠そうとする石渡誠氏は私がリンクを付けた記事を削除するし、内容を書き換えるし「英語で授業」を提唱した安河内哲也氏おひとりの写真も文章もブログから削除するし。 向後秀明教授は「記事の掲載期間が終わりました」とまでリンク先に書いて私が指摘した記事にジャンプできないようにするし。(実際には、その記事自体は存在させて、私のブログからジャンプしたときだけそういう表示が出てくるようにしていました。) 政府も私のブログのアクセス数を極端に少なくするし、検索しても私のブログが出てこないようにするし。 みんな自分のしたことを後からしていないように見せることに策を弄する。 妨害者の心理というのはそういうものなのでしょう。 政府は「妨害していない」と必死に隠そうとしているのでしょうが、私は5年以上「川合典子ブログ」で検索してそこにリストされている記事を毎日何回も見てきたのです。 今、読者の方が興味を持っているのは、英語学習なのか、教育なのか、子音の日本語化はどれほど皆さんに浸透してきたのだろうか、いろいろなことを考えながら、そこにリストされている記事をこの5年間、毎日何回も見てきました。 だからこれだけ検索の内容が一日でガラッと変わるのはおかしいと見た瞬間にわかりました。政府はいつも私が最もよく見ているところで妨害するから、すぐにわかるのです。  もう13年間もいろいろな人に不正行為を受けてきたから、いちいち追いかけているとまたつかれるので、終わりにします。 ある人に「政府は本当に細かく、汚く妨害する」とお話したら、「それは多分、内調がやっているんでしょう」といわれました。私は内調のことはあまり知りませんけれど、内閣調査室というくらいですから、税金使って妨害しているのですよね。政府は税金をそういうことに使っていいのですか? そして私に指摘されて、妨害しているとばれると上司に怒られるのでしょうか? だからこうやって策を弄して妨害していないふりをするのでしょうか?    そういえば、一人だけ、私に何を言われても、(していないように見せることもせず)ずっとひどいランキング(本)の妨害を続けていた人がいました。 私を盗作した「英語耳」の松澤喜好氏でした。      盗作も(ブログや子音の日本語化を含めれば)松澤氏以外に3回もされました。 子音の日本語化は、「英語喉」著者上川一秋氏に盗作されました。 もう名前を言わなくてもこの方に盗作されたことをご存じの方は多いと思います。 盗作をやめさせてくださったのは読者の皆さんでしょうから。 ネット上セミナーの前に「無断引用、無断使用に関するお願い」というブログまで書いて、盗作をしないでください、とお願いしたのですけれど、すぐに盗作されました。 私はもうどうしたらいいのかわかりませんでした。松澤喜好氏に盗作された時と同じ思いをまたするのか、と思うとつらかったですね。 でも、読者の皆さんが上川氏の盗作をやめさせてくださったので、本当にほっとしました。 読者の皆さんには感謝してもしきれないほど感謝しています。 ありがとうございます。 松澤喜好氏に盗作された「発声」に関することも、上川一秋氏に盗作された「子音の日本語化」も、私が40年、「声楽」と「英語の発音練習」を続けてきてわかったことでした。 人が40年努力してわかったことも自分の利益になるとわかればすぐ盗んでいく、ということが恐ろしかったです。(松澤氏の時はその盗みを出版社(当時のアスキーメディアワークス)まで一緒にやる、というのがさらにショックでした) 私は子音の日本語化のセミナーをやっていたときは「発音を教える方の無断使用は固くお断りします」と毎回お願いしていましたが、上川一秋氏はセミナーが終わるとすぐ盗んでいきました。「金になるものを盗むのは当たり前」といわんばかりの速さでした。そして自分のホームページで「日本人のMの発音は突然始まる。これを”音の○○”と言う」と盗んだものに自分で名前まで付けて提唱していました。 ご本人は盗んできても悪いこととも思っていらっしゃらないようですが、私には信じられませんでした。 もし、他の指導者が提唱していることを盗んできて、それと一緒に言わなければ自分の提唱していることが人々に聞いてもらえない、と思っているとしたら、提唱者自身が「自分の指導法には価値がない」と思っているのと同じです。「自分の指導法に価値がある」と信じているなら、他人の物など盗まず、自分の指導法で勝負すればいいでしょう。 提唱者本人が「価値がない」と思っているのですから他人が「価値がない」と思うのは当然です。   松澤喜好氏も、私が2016年7月3日のブログで、「英語の子音には ”日本人には聞き取れなかった長さ” があります」と解説した時から、私の本のランキングの妨害を始めました。 上川一秋氏は盗んでいくし、松澤喜好氏は妨害を始めるし、ブログは無断引用されているのにYahooは2度も削除の要請を出しているのに何もしてくれないし。  あの頃は本当にひどかったです。  上川一秋氏は「盗作だろうが、何を言われようが最後は声高に主張したほうが勝ちだ。」と思っているようでした。人々に受けそうなことは、盗んで来て、声高に主張して、自分が提唱者になればいい、ということですか。  上川一秋氏は私のネット上セミナーをごらんになっていらしたのなら「アメリカ人の英語を話すときの声の音質は喉だけでは出ない、鼻腔への共鳴がないと出ない」ということはもうご存じですね。(しかも、わざと低い声でしゃべっていると、鼻腔への共鳴は出来ません。それはこちらのブログの赤字の部分でも言っています。 わかりやすく言えば、喉の位置より鼻腔の位置は高いです。 そこへ共鳴させなければならないので、無理に喉で低い声を出していると、鼻腔に共鳴させるように軟口蓋が上げられないのです。) 「喉だけではだめだ」とわかったから、今度は私の子音の日本語化を盗んで、提唱し始めたのですか?  それは、あまりにも身勝手だと思いませんか。         読者の皆さんが上川一秋氏の盗作を止めさせてくださらなかったら、私が抗議したところで上川一秋氏は盗作をやめなかったでしょう。 最初から「声高に主張すれば人々は自分が提唱者だと思うようになる」と思っていたから、盗んできたものに名前まで付けて、堂々とネット上で提唱していたのでしょう。私は子音の日本語化を学習者の皆さんに聞き取ってもらう為に、練習ブログラムを作り、実践してくれる人を探し、何か月も毎日練習してもらい、指導しながら取ったデータをもとにネット上セミナーを行いました。 日本人が子音の日本語化を聞き取れるようにならないと通じる英語で話せない、とわかっていたからです。子音の日本語化が聞き取れるようになるまでだって、40年の発音練習の努力を続けてきていたのです。 それを「子音は英語も日本語も同じ」と違いも聞き取れなかった上川一秋氏が、セミナーが終わったら、結果だけ盗んで、自分で名前まで付けて提唱するというのは、いくら何でもひどすぎます。他人の物を盗んでも自分の本が売れればかまわないということですか。 「川合典子なら、簡単につぶして、自分が提唱者になれる」そう思ったのですか。「松澤氏だって川合典子から盗作しているんだから」   上川氏は自分の本を売るためなら、盗みもするし、本当の提唱者をつぶして自分が提唱者になりすますことも平気でするのですか。 読者の皆さんが言ってくださったから、上川氏は盗作をやめたのだと思います。 本当にありがとうございました。         休養中だったのですけれど、デジタル庁のすることがあまりにもひどかったから黙っていられなかった。さっき、夫に、「ブログはもう休止したんだろう? 何をやっているんだ」と言われてしまいました。 「だって、デジタル庁のすることがひどすぎるんだもの。」と言ったら「典子、もう発信をしないで。」と言われてしまいました。 (でも、もう書いてしまったの。「個人情報をだまし取るデジタル庁」って。)      国の機関がこんなひどいことをするなんてとても黙っていられませんでした。国民を騙して全国民の個人情報をだまし取ろうとするなんて、政府のすることではありません。 デジタル庁がする。ということは岸田総理も十分承知している、ということですよね。 安倍元首相は高校時代の情報だけだった。 でも岸田首相は一生分の教育の個人情報をだまし取る。 ひどすぎます。            いろいろなことを書いたついでなので、言わせていただきますけれど、はてなブログタグの「松澤喜好」氏のページでは、私のブログの「7年前の出来事」と「無断引用、無断使用に関するお願い」のブログが全部スクロールした一番最後に載っていました。その他の私のブログはトップにまとめて載っていますが、松澤氏はそのブログを誰にも読まれたくなかったのでしょうね。「7年前の出来事」のブログには松澤喜好氏がした盗作そのものの行為が書かれていますから。 「7年前の出来事」のアクセスは上位にリストされていたいくつかのブログより多いです。 また、はてなブログタグの「アスキーメディアワークス」のページも、私の「7年前の出来事」と「無断引用」「無断使用」に関するお願い」というブログが全部スクロールした一番最後に載っていました。 アスキーメディアワークスのページでも、私のブログはトップにまとめて載っています。 でもアスキーメディアワークスはこのブログをみんなに読まれたくなかったのでしょうね。やはり、盗作を手伝ったアスキーメディアワークスの行為そのものが書かれていますから。 彼らは「盗作だ」という読者の批判をかわすため、出版2か月で、松澤氏の本の題名も表紙のデザインも変えて出版し直したくらいですから。 隠ぺい工作をしたことを知られたくなかったのでしょうね。  妨害する人ってこういうことばっかりします。 人に気づかれないようにずるく、汚いやり方をします。何年もそんなことばかりされてきました。          盗作をしたころ、アスキーメディアワークスKADOKAWAとは関係ありませんでした。 盗作の後KADOKAWAのグループに入りました。 私は、自分が活動できなくなっても子音の日本語化が浸透するまでブログはそのまま何年でも置いておくつもりでした。 その時はKADOKAWAのことはブログから削除するつもりでいました。 彼らはもともと盗作とは関係ありませんでした。 それで、盗作をされた時のことを書いた「7年前の出来事」のブログを再度掲載したときも最初は松原眞樹前社長の名前は一切書きませんでした。  もし、あの時期にアスキーメディアワークスKADOKAWAのグループに入らなかったら、松原氏がこのようなことを私にすることもなかっただろう、と思いました。 時がたって、そんな風にも考えられるようになりました。それほど長い時間がたったのだなあ、と思いました。 (それに現在は国家からもっとひどい妨害を受けていますから。 表向きは「国民の為」「よい教育の為」「クリーンだよね」と言ってはばからない政治家から裏でずいぶんひどい妨害を毎日受けていますから。その悪さは民間の会社の比ではありません。「私の指摘したことが違う」と国民に思わせるためなら国の機関も、公式の肩書も、マスコミも、有名な媒体も、ありとあらゆるものを動員してきますから。政治権力、国家権力というのは恐ろしいです。それを相手にしたときの恐ろしさは民間の会社の比ではありません。) 松原眞樹前社長の名前や妨害のことを「7年前の出来事」のブログのトップや最後に書き加えたのはもっと後のことです。 妨害をされてつらい思いもしましたけれど、あの時は、「悪いコメントは広げない」そう決めていました(子供に悪いことをする人の場合は別です)。  でも、目の前で本が妨害されているのをそれから毎日見るうちに自分を抑えるのがだんだん難しくなりました。そして松原氏の名前を入れない、と決めたことも揺らいでしまいました。 「盗作」は10年以上の時がたった今でも許せないですが、ほかのことは時がたって、少しは怒りも薄れていきました。 今回ブログを休止するにあたって、2021年12月31日に見直しをしました。 その時、「私の本が裁断されて売られている」という記述をまた見ました。その時、アマゾンの中古の本の取り扱いのページで私の本がバラバラに切られて売られているのをまた見ました。本は自分の分身のようなものですから、自分の体が切り刻まれているようでした。  初めてそれを見た時のショックがよみがえりました。「もういい。KADOKAWAの記述はこのままでいい」そう思いました。       


2022年1月21日デジタル庁は国民の個人情報をだまし取る犯罪集団。「個人情報ぼったくり庁」(国民は業者の金儲けの為、法外な犠牲を払う。業者はだまし取った個人情報で暴利を上げる。) 岸田総理は国の機関に犯罪集団を置いておくのですか? これは、国民に対する岸田総理大臣の犯罪です。 総理の犯罪としてロッキード事件より悪質です。「全国民」が犠牲になるのですから。
2022年1月18日デジタル庁は国民の個人情報をだまし取る犯罪集団  教育理論をすり替え、国民を錯覚に陥れて個人情報をだまし取る。岸田首相はいつから犯罪集団を省庁としたのですか。それとも岸田首相は「総理大臣の犯罪としてロッキード事件より悪質なこと」をした安倍元首相と同じことをしようとしているのですか。つまり業者の金儲けのために「全国民の個人情報を国家権力によってだまし取る」 これは国民に対する国家権力の犯罪です。 岸田内閣、つまり岸田総理大臣の犯罪です。ロッキード事件よりひどい犯罪です。デジタル庁の国民のだまし方がひどすぎる。

デジタル庁は、あたかも教育データを入力すれば、最適な学びが実現するような錯覚に国民を陥れ誘導しています。「一人一人にあった個別最適な学習を可能にする」のはデジタルデータではありません。  「自分らしく学べる社会を実現する」のはデジタルデータではありません。 機械やデータは、教育の専門家がそれを適切に用いて判断し生徒(教育の主体)に指導した時に初めて効果を発揮するものです。  データが教育をするのではありません。(これについてはこちらのブログのGIGAスクール構想の部分に書いてあります。)  なぜそこまで国民を騙して個人情報を入力させようとするのですか。 教育理論をすり替え 国民に個人データを入力させるよう誘導する発言は政府として大変不適切です。それではまるで政府は国民を騙す犯罪集団です。 国民の個人情報を国家権力によって騙(だま)し取るのがデジタル庁の仕事でしたら、そういう役所はいりませんから、直ちに廃止してください。設立間もないのにもう、国民の個人情報を騙しとろうとするなど、デジタル庁はこの先、確実に「国民の個人情報で金儲けしようとする輩」の巣窟になります。直ちに廃止すべきです。
「一人一人にあった個別最適な学習を可能にする」のはデジタルデータではありません。  「自分らしく学べる社会を実現する」のはデジタルデータではありません。 機械やデータは、教育の専門家がそれを適切に用いて判断し生徒(教育の主体)に指導した時に初めて効果を発揮するものです。 デジタル庁は国民から教育データをだまし取るために理論をすり替えないでください。(安倍首相の犯罪も未成年者を騙して教育個人データを入力させるものでした) 教育の基本理論をすり替え、国民に個人データを入力させるよう誘導するような発言は政府として、大変不適切です。 デジタル庁は国民の個人情報をだまし取るために作られた役所なのですか。 もし国民の個人情報をだまし取るために作られたお役所なら、国民は誰一人そういう役所の存在を望んでいませんので、直ちに廃止してください。 堤未果さんの本に書いてあったように「これからは教育で金儲けだ。国家が業者にお金払ってくれる。(当然、日本では斡旋した政治家も儲かることでしょう)」という世界のトレンドに乗りたかったのなら、それは国民のためにご遠慮願いたいです。国民は誰一人、そんな役所の設立を望んでいません。子供の個人情報を国家権力によって入力させ、金儲けに使うのはやめて下さい。それは権力の乱用です。政府としてあるまじき行為です。  

(2022年1月14日 現在休養中ですが、デジタル庁に関するニュースを読んで、あまりにも悪質だと思いましたので、臨時にブログに加筆することにしました。あまりの悪質さにとても黙っていられませんでした。)デジタル庁が個人が幼児教育から生涯にわたる学習データを一元的に管理する仕組みを構築する教育のデジタル化の工程表を発表したというニュースを読んだ感想を中ほどに書きました。
中ほど黄緑色の部分の下から抜粋しました。
堤未果さんの「デジタル・ファシズム」という本に書いてありました。ひと昔前に「健康」が産業としてお金儲けになったように、これからは教育がお金儲けになる、と外国のどなたかが言って(書いてあったお名前は忘れました)世界は教育で儲ける方向に動いている、と。(国のお金ならとりっぱぐれないし、いくらだって払ってもらえるし、これを金儲けに使わない手はない、ということでしょう。政府は献金くれる業者の為なら国民の払った税金なんかいくらでも使ってくれる。)
教育がお金儲けになるから、日本の政治家は目の色変えて、国民の教育データをゲットしようとしているんでしょう。 もっともらしい理由をつけて、国家権力を使って国民の教育個人データを強制的に入力させて、それを業者のお金儲けに使わせようとしているんでしょう。国民を騙して、また個人情報を盗み取って、業者の金儲けに使おうとしているんでしょう。 eポートフォリオの時と同じです。 安倍総理大臣の犯罪と同じ手法です。 生涯学習のアドバイスなんて、余計なお世話よ。 国民は自分の学びを自分で考えられないほど馬鹿じゃありません。 働いている人の学びをサポートしたかったら、国民に生涯教育データなど入力させる前に、各企業をその方向に指導したらどうですか。 残業なんかしないで、夜学校に行けるような働き方を企業に指導したらどうですか。 シカゴにいた時お泊りに来た息子の友人のお父さんは、夜学校(大学)に通っていました。 5時に会社が終わるので、そのあと学校に通って勉強していました。 生涯教育データなど国民に入力させるより、残業しないで夜勉強できるように企業の働き方を指導する方がずっと国民は「生涯学習」ができます。 問題の本質、解決法をもう少し、真剣に検討されたらどうですか。 だから、eポートフォリオの時のように私は「おかしい」と感じるわけです。 デジタルデータでアドバイスされたからってOOを学ぼうなんて思うほど国民は馬鹿じゃありません。 それに、こんなに若い人が残業で長時間働かされていたら、社会人になって勉強なんかできません。 賃金がこんな長期間上がらないから、若い人は生活費を得るために長時間労働して勉強なんかできません。デジタルデータで生涯学習のアドバイス、そんな余計なお世話をするくらいなら、若い人の賃金をもう少し上げる努力をしてください。 そして本当に教育の効果を上げたかったら、一人の先生が見る生徒数を40人から30人に減らす努力をしてください。 その方がよっぽど国民の教育に役に立ちます。(先生が足りないのなら、その改善のためには抜本的な措置が必要でしょう。例えば先生の待遇の改善、仕事に見合う報酬がきちんと支払われるようにするなど学生にとって教師の仕事を魅力的なものにすることも必要でしょう。クオリティの高い仕事にはそれなりの報酬が支払われる、というのは当然だと学生は思っているでしょうから。  ニュースで聞いたことですが。。。。。
コロナで医療現場が大変になってきたとき、看護師さんが足りなくなり、政府はパートタイムで働く看護師さんに今より長い時間働いてほしいと要請しました。 でも、なかなか要請が聞いてもらえず、その理由を聞き取り調査したそうです。 そうしたら、パートの収入がある一定額を超えると夫が扶養控除を受けられなくなる、勤務時間を延長できない、という答えが多かったそうです。 それで、政府は、パートの看護師さんの収入が一定額を超えても、扶養控除が受けられるよう、検討に入る、というニュースでした。  その結果がどうなったのかは私もニュースで聞いていないのでわかりません。  私がこのニュースを聞いて思ったのは、本当に必要だったら政府は税制まで、(限定的な期間でしょうが)変えるわけです。  だったら、「教師が足りなくて、本当に増やしたいなら、どうすればいいか、学生や先生方に調査して、教職に就きたいと思う人がふえるよう抜本的な教師の待遇改善をしたらどうか、と思います。 本当に困ったら税制だって一時、変えるのですから、教師不足を解消することだって、本腰を入れてやれば出来ないことではないでしょう。 そうやって社会のニーズをいち早くとらえて対応していくのが政治でしょう。 私が若い時(こちらのブログに書いたころ)、私と上司のNさんが直面するのは、今まで解決したこともない問題ばかりだった。 でも、「必ず解決する方法はある」(だってそれを解決しないと、もう前には進めなかったから)そう思って絶対にあきらめませんでした。解決の糸口さえ見つけられないときでも、絶対にあきらめませんでした。 本当にしなければならない、と政府が思ったら、教師を増やすことも出来ないことではないでしょう。 世の中で起こる問題に最初から模範解答なんかありません。 それを原因を調べたり、現場の意見を聞いたり、自分で考え、解決策を考え実施して、もし失敗したら、また原因を調べて、やっていくのが仕事でしょう。 誰も解決策なんか教えてくれませんよ。 それを何とか解決しようとやっていくのが仕事でしょう。 政府が本気でやろうと思ったら出来ないことではないでしょう。 現状で私が知っているのはこんなことです。娘が幼稚園の時一緒だった友達のお母さんは、学校で先生方の指示に従って子供へのサポートをする仕事で毎日学校に行っています。 教員免許を持っている方とそうでない方では仕事が違うようですけれど。 また、現在教職課程にいる学生さんが週に一回実際の学校での仕事を勉強しながら、先生に言われたことをするヘルプに来ているということも小学校のお便りで見ました。 みんなで知恵を絞っていけばいろんなやり方を考えていけるのではないかと思います。 本当に子供に必要なことですから。。。。娘が5年生の時、授業参観がありました。幼稚園の時からいじめっ子でみんなに怖がられていたてっちゃんが同じクラスにいました。 先生が質問したとき、てっちゃんも手を挙げて答えました。 私はその答えを聞いてびっくりしました。 5人手を挙げた生徒の中で先生の質問に最も的確に答えていたのがてっちゃんでした。 参観が終わって先生が「お母さん方はお子さんの机の横に移動してください」とおっしゃいました。 てっちゃんは娘の3つ後ろの席でした。 娘のところに行く途中、私はてっちゃんに「さっきの答え、てっちゃんの答えが一番よかったね。」と思わず、声をかけてしまいました。本当に驚きました。先生の質問にあった数個のポイントすべてを的確に説明する答えでした。 その後、娘が雲梯(うんてい)から落ちてけがをしたとき、クラスの友達5人がお見舞いに来てくれて、その中にてっちゃんもいました。 いろんなことをおやつに出したお菓子を食べるのも忘れて一生懸命私に話してくれました。 「自分に誰かが注意を向けていてくれる」ということがこんなに子供に影響を与えるものなのだと改めて知りました。 先生のご指示に従って、先生に言われた通りサポートをするなら、教職員の方でなくても研修などをすればできるのではないかと思います。蛇足ですけど、私は「子供をほめて育てる」ということはしませんでした。 本当に感心したときだけほめました。でも、だから、ほめた時の影響は大きかったですけど。    話が脱線したついでにその一つを書きます。  娘は高校生の頃、行事の後でみんなでどこかに食事に行ったり、また、集まって何かしたりするとき、幹事みたいな仕事をよく引き受けていました。 私は高校生の時、みんなのためにそういう仕事はできなかったので、娘を見ながら偉いな、といつも思っていました。  卒業式が終わった日、家に帰ってきた娘は怒ったような顔をして台所にいる私のところに来て大きな声で言いました。 「由紀子はもう、こういうことは引き受けない。 先生に渡す花束は由紀子がお花屋さんに行って今日、先生に渡せるようお金も払っていたの。なのに、自分の分を払わないで帰っちゃった子がいて、由紀子が負担しなければならない。 損することばっかり。 由紀子はもうこういうことは引き受けない。」といいました。 私は、「そうだよね。そういうことをしてくれる子は損もするんだよね。 ママは、高校生の時、みんなのためにそういう仕事をやってくれる子を見て、いつも偉いな、と思っていた。 ママにはできなかったから。 そういう子がいてくれるから、クラスみんなで楽しいことができる。それがおとなになっていい思い出にもなる。 誰も、その子のおかげなんて気が付かないし、やってくれてありがとう、とも言わない。でもそういう子がいるから、楽しい思い出がいっぱいできた。 ママは自分がそういうことできなかったから、そういう役を引き受けている由紀子のことをいつも偉いな、と思っていた。   お金が大変だったら、言いなさい。 ママが出してあげるから」そう言いました。 娘は、その言葉を聞いてじーと何かを考えていました。 そして「ママのお金はいらない。 一緒に準備した美穂や明彦が「俺たちもお金出すよ」って言ってくれた。ママのお金はいらない」そう言って元気に部屋に戻っていきました。) 政府がそういう努力もしないのに、国民は生涯教育データなど入力できません。 政府が「国民の為」と称して行う政策は、国民を餌食にして業者を儲けさせるものばかり。 政府は「これから食い殺す獲物に猫なで声で近づいてくる正体を隠した獰猛で強欲な動物」みたい。 デジタル庁は絵にかいたような悪党です。政治家と業者の金儲けをセオリー通り(?)やろうとするデジタル庁は絵にかいたような悪党です。 国民は誰も、生涯教育データの管理なんか頼んでいません。 それほどまでに現政権が国民の生涯学習を推進したいなら、日本の労働者をみんな午後5時に家に帰してください。そうしたら、勉強もできるし、子育て世代も助かるし。 前提条件を整える努力も政治がしないで、生涯学習しろといわれても困ります。 本当は業者に金儲けさせる国民の教育データが欲しいだけではないですか。  政府は政治家、業者の金儲けでなく、国民の望むことをしてください。    次の時代を担う国民に良い教育をするためには、良い教師を育てることと、学校教育で一人の教師が見る生徒の数をできるだけ少なくすることです。(理想を言えば教師1人に対して生徒10人くらいでしょう。 そんなの無理だという人がいますけれど、政府は生徒に一台ずつコンピュータを使わせるGIGAスクール構想には莫大な予算を使っているのですから、やろうと思えばできないことではありません。)コンピュータも結構、デジタルも結構、インターネットも結構です。 でも、機械やデータに人間は育てられません。 人間を育てるのは人間です。 機械やデータは人間の判断に基づいて適切に使われた時、最もその効果を発揮します。(それについてはこちらのブログの「GIGAスクール構想」について書いた部分(黄緑色で書かれた部分の下に書いてあります)をご覧になってください。)

上の文章は下の文で始まるパラグラフの次に書いてあります。
安倍総理大臣は在任日数が最も長い総理大臣だそうですが、彼は国民全員を一私企業(ベネッセ)に売った、日本憲政史上初めての総理大臣です。

2020年7月9日 NHKニュースによると「文部科学省がe-ポートフォリオと呼ばれる大学入試の新システムの運営許可を取り消す方向で調整していることがわかりました」ということです。  けれどもまだ安心は出来ません。 自民党は、何度否定されても英語民間試験を導入させようとしてきました。今もスピーキング試験をやらせようと必死です。 「公平に議論をする」と先生方を騙して水面下で英語民間試験導入の準備を進めていました。  eポートフォリオの運営許可を取り消しても、彼らはベネッセから、献金をもらっているのですから、そんなに簡単にベネッセの金儲けをあきらめることはないでしょう。 今後、彼らが新しいプランを出したときは、その教育目的より、それによって、ベネッセがどういう金儲けをしようとしているのか、を考えたほうがいいと思います。 「学習に向かう主体性を育てる」という表向きの理由の下に「日本の国家にベネッセのマーケットデータを収集させる」という裏の目的がありました。 今後も自民党の出してくる教育プランの裏にどんなたくらみが隠されているのか、警戒し、見抜く必要があります。






私のブログは「民間試験」についても「ポートフォリオ」についても激しく妨害されています。 夜まで、アクセス数が一桁の日もあります。 けれども激しく妨害されるのは、私の書くことが、為政者にとって「不都合な真実」だからだと思っています。その計画の恐ろしさを知る人間が少なければ、反対運動も盛り上がらないと為政者が考えているためだと思います。私はツイッターはやりませんが、お持ちの方は出来るだけ多くの方にこの為政者のもくろみの恐ろしさをお伝えください。 教育関係者の方々はもちろんのこと、皆さんの趣味のお友達のネットワークで、仕事仲間のネットワークで、大学生のネットワークで、子を持つお父さん、お母さんのネットワークで、この計画の怖さをお知らせください。 ポートフォリオによって、やがて、ベネッセが全日本国民の「ID」と「個人情報」を握(にぎ)ることになります。 



2020年3月17日のブログも併せてご覧ください。「各大学は、スピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。 大学の先生方は「受験生をだます詐欺(犯罪)」に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。」
また、2017年11月2日のブログも為政者から妨害されていますのでトップに載せました。「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」
大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん為政者から激しい妨害が始まりました。


* * * * *

それでは今日のブログに入ります。

先生方のツイッターで「eポートフォリオについてわからない方はこちらをお読みください」と読んだので、そこに紹介されていたサイト「高大接続ポータルサイト「JAPAN e-Portfolioの概要・活用の意義<前編><後編>を読みました。 お話しされていたのは関西学院大学の尾木義久氏です。 文部科学省の「大学入学者選抜改革推進委託事業 主体性等分野」の学長特命担当という立場からのお話しでした。(何がご専門の先生でいらっしゃるのかは調べてもわかりませんでした。実業界でのお仕事は載っていたのですが、それ以外のことがわかりませんでした。) プリントアウトしたら、<前編><後編>それぞれ9ページ(合計18ページ)となりました。 

以下は私が読んだ個人の感想です。 

先日、記述式の問題の作成にかかわった大学の先生が、記述式対策問題集を出版していたことが発覚しました。 しかし、「問題ない」ということで、こういうことが野放しになっている現状を目の当たりにしました。  この件からわかったのは、
機密情報を扱う人の行動規範が定められていない。徹底していない。 
その機密情報の管理を誰が責任を持って行うのか、明確に定められていない。  
機密情報漏洩を防ぐための手段が講じられていない。 
機密情報が漏洩しても誰も責任を取らない。 
機密情報を漏らした人は、やり得となる。  

こういう現状が明らかとなりました。 (私たちの中にある「委員をするような人は悪いことはしない」という前提は見直して、誰もが機密情報を悪用する可能性がある、という前提で、きちんと行動規範は明文化したほうがいいと思います。委員になった人は機密情報保護の規定を守ることを誓約書など書かせて徹底するべきだと思います。 誓約書に違反した場合は具体的にどのような処分を受けるのかも明確にしておきます。 日本中の受験生に対する公平性が損なわれるのですから厳罰は当然です。) こういう現状を踏まえてポートフォリオについて私が読んだ感想を書きます。

このポートフォリオには日本全国の高校生の学習の記録や活動の記録が入力されます。このデータをベネッセがビジネスに使う危険性はないのですか。<前編>3ページ目に「ベネッセさんのハイスクールオンラインというプラットフォームを間借りさせていただいております。」と書いてありますが、 <後編>3ページ目に 「委託事業が終わりましたら別の法人が運営主体となって管理していきますが、」と書いてあります。しかし、法人名だけ変えて、実質的にはその後もベネッセが運営することはないのですか。私がそれを心配するのは、民間試験導入の時に、ベネッセが名前だけ変えていろいろなところに入り込んでいたからです。 ベネッセは「そういうことはない」というでしょうが、その法人の発言が信用できるかどうかは、今までその法人がやってきたことによって判断できます。 ベネッセの発言は信用できません。

たとえデータをベネッセが流用する形でなくても、これだけ政治家や文部科学省に食い込んでいるベネッセですから、「文部科学省から、夏休みに短期留学した高校生の数はどのくらいか調べてほしい」という要請があったので調べた、と言ってその人数を調べ、「これなら短期留学向けの本を出版すれば売れる」などの判断をすることはないのか、と思いました。6ページ目に「今年一年、何をやった?どんな資格とった?」ということを提出させると思うんですね」と書いてあり、リストされている資格は600種類と書いてありました。  文部科学省から、「高校生がどのような資格を取っているか資料を出してほしい」と言われたから、という理由を付けてベネッセがそれを調べ、「この資格についての問題集を出せば売れそうだ」と判断することはないのでしょうか。 

ここに集められた高校生のデータは市場調査データの価値としては数百億円の価値があると思います。 まず、対象の多さ(日本中の高校生)、データの正確さ、信頼性(先生が書き込む部分と先生の指示で生徒が書き込む部分がある)、ターゲットが高校生と絞り込まれている。 何年にも渡ってデータがとれる。 これを市場調査員を使って行ったら、ものすごいお金がかかります。 いくらお金をかけても、答えてくれない高校生もいるでしょうから、普通はこんなデータは入手できないでしょうね。 もちろんベネッセも露骨に自分達の下心は出さないように入念な準備をしてこのポートフォリオを提出してきたのですから、カモフラージュ(相手を欺く偽装)も徹底しています。生徒会活動や部活の記録なども入っています。 容易にベネッセの下心に教育関係者が気づかないような配慮は各所にしてあります。

私もポートフォリオについては何も知らなかったので、白紙の気持ちで読み始めたのですが、学習についての記述がやたら多くて細かくていくら「学習についての主体性を高める」と言っても、こんな情報が学校で必要なのかな?と思い始めました。 それで、2回目は「学習塾が必要な情報を集めるためにこのシステムを作った」という前提で読んでみましたら、非常によく理解できました。
どういうことが理解できたかというと次の通りです。


<後編>2ページ目に次のように書いてあります。 
37年度入学のところであるのが、この学習指導要領の中の、確認すべき項目ですね。(中略)中教審の学習指導要領が目指す姿の部分をよりどころにしながらやってます。  主体性。主体的に学習に取り組む態度。 主体的に学習に取り組む態度も含めた学びに向かう力。

これに関連して、<前編>4ページ目に探求について述べてあります。  

「探求に関しては、参考文献、実験の内容、研究室の訪問の履歴、フィールドスタディや調査、論文、発表の記録、コンクール・コンテスト発表の結果と、現段階ではここまでにしています。」

と書かれていました。

現場の先生方が、「学習に取り組む主体性」を心配するのは、研究室の訪問までする生徒ではありません。 現場の先生方が、心配するのは、「もう少し頑張れば、授業が分かるようになるのに、そこで頑張れなくて、結局授業が分からなくなってしまう生徒」です。

私はこの部分を読んだとき、

先生方が生徒の「学びに向かう主体性」をなんとかしたい、と思う「生徒像」と、このポートフォリオが情報を入手しようとターゲットにしている生徒像は違うと思いました。 後者は比較的よく勉強し、親も教育費を出せる生徒です。

それでは、このポートフォリオによって集められる情報が欲しいのは誰か。 これを「学習塾」と解釈して読んでいくと、集める情報の種類がとてもよく理解できました。  もちろんそれは露骨には表れていません。 他の情報(生徒会、部活動など)で上手に気づけなくしてあります。

このポートフォリオは学校で「学習に対する主体性を付けさせる」ことが目的で考えられたものではなく、学習塾が、顧客として想定している高校生の個人情報を集めるために作られたものです。 それを文部科学省によって導入させ、ベネッセのビジネスに必要な情報を国家に集めさせるものです。(「生徒も教師もベネッセのIDを取得しなければログインできない。」とこちらに書いてありました。)

以上の理由で、このポートフォリオは非常に危険だと思います。 導入はやめるべきです。 <後編>3ページ目に「委託事業が終わりましたら、別の法人が運営主体となって、管理していきますが、」と書いてあります。 まだ管理する主体も決まっていないのに高校生の個人情報を入力することは学校側は絶対に避けるべきです。


一連の教育再生実行会議の提言を見てきて思うことを書きます。

今後、下村博文議員と安倍首相が教育について、何かの会議や委員会やプロジェクトを立ち上げた時、その内容を精査するには教育関係者だけでなく、マーケティングの専門家、教育産業の動向をよく知る人にもチェックしてもらったほうがいいと思います。  下村博文議員と安倍首相は営利団体と相談してそういう教育案を出してきます。 ですから、私達もその教育案の下に隠された、営利団体の意図したお金儲けの仕組みを理解してから、対処したほうがいいと思います。 表向きに掲げられた教育案(例えば、民間試験、記述式、主体性)はお金儲けの意図を隠すために利用されたにすぎません。ですから、その教育目的について議論しても、彼らにとっては教育目的はどうでもいいのです。先生方が教育者として正当な反対理由を述べても、ベネッセを儲けさせるためなら彼らは強行突破するのです。「民間試験導入は検討する」と言って先生方をだまして、水面下で導入を進めていたことが何よりの証拠です。 まさに彼らは裏に隠れて強行突破の準備を進めているのです。 この方たちがこんなことを言うのも強行突破してベネッセを儲けさせる道筋を現在も作っているからでしょう。 彼らはそのために英検、TOEFLその他、全く違うテストの対照表まで作らせたのです。 お金儲けのためなら、英語指導の基本も常識もどうにでも捻じ曲げるのです。 普通だったら、「目的が違う英検、TOEFL、その他の試験を、同じ尺度で比較できない」「生徒に違うテストを受けさせて評価できない」ということでこの案は見送られるのが、正当な英語教育の見解です。 「これに対照表まで作らせる」もうここから、狂気の沙汰が始まっている。これでは、どんな正論も彼らを止めさせることは出来ないです。(でも、もしかしたら、その事は充分承知で、そのうちベネッセの試験一つに収束させるつもりだったのかもしれませんね。導入されてしばらくたったら、「やはり、皆さんの言う通り、目的が違うテストを同じ尺度で測れない」「違うテストで生徒を評価できない」「だから利用者の多いものに統一する」などと言ってベネッセのテストに統一するつもりだったのでしょう。とにかくベネッセが儲かるようにしなければならないのだから(それで献金もらっているのだから)、まず最初は、その意図に気づかれないために、公平を装って何種類でもいいから民間試験を導入する必要があったのでしょう。ベネッセ一つにするのはそのあとでいい。 そういう計画だったのでしょう。 「違うテストで生徒を比べられない」も「対照表を作って多種類のテストを導入する」も彼らにとっては「ベネッセが儲かるために」状況によって使い分ければいいわけです。どっちの理屈でも権威のある先生に言ってもらえば通るから。「権威」って何なんでしょうね。 日本にスピーキング教育の権威がいるのでしょうか。 学校の勉強の一環として発音習得をした英語教育の専門家に私はお会いしたことはありませんし、一人も存じ上げません。)
「民間試験」「記述式」「ポートフォリオ」すべてベネッセを儲けさせる手段でした。 私は先のブログで「教育再生実行会議」は「教育に業者を参入させる会議」と言いましたけれど、ポートフォリオ<前編><後編>を読んだ後は「教育再生実行会議」は「ベネッセを儲けさせる会議」だと思いました。(国民にベネッセのテストをさせて、国家にベネッセの見込み顧客のデータを取らせる)けれどもこの看板を「ベネッセを儲けさせる実行会議」としたら、国民から批判されるから「教育再生実行会議」としたのでしょう。本当は会議なんか作らなくたって、やることは決まっていたのです。 「ベネッセが金儲けに必要なことを学校教育に導入する」 それをストレートにやれば、国民から批判されるから、会議を作ってその提言だと言って実行すればいい。 それが会議を作った本当の理由でしょう。 最初から「国民を騙(だま)す」目的で、この会議は設立されました。 今後、首相が何かの諮問委員会や会議を作ったら、委員の半数は野党からの推薦者も入れることにしたほうがいいと思います。 本来なら実行できないことを、「会議の提言」として実行されることを防ぐ仕組みが必要だと思います  

今後は、下村博文議員と安倍首相が、教育の会議や委員会、プロジェクトを立ち上げた時は、どういうお金儲けの意図があるのか、それを指摘できるマーケティングの専門家、教育産業の動向に詳しい人々にもチェックに入ってもらって、下村博文議員と安倍首相が「業者のどういう金儲けを導入しようとしているのか」を充分理解したうえで議論したほうがいいと思います。表向きに掲げられた理由で議論しても彼らは何を指摘されようと強行突破するでしょう。 

それから、高校生は未成年です。 未成年の個人情報を国会議員が、一営利団体に売る(献金をもらうのだから売ることと同じ)ことが、国会議員の倫理規定に違反しないのか、法律の専門家にお聞きしたいです。 漏洩を防止する厳格な方策も講じることなく行うのですから、業者がその情報を流用することは、現時点でも容易に想像できます。 また、民間試験、記述式、という一連の流れで、ベネッセがとってきた行動を見ると、全く信用できない法人だということは明白です。 それを承知で、ベネッセに未成年のデータを集めさせる行為が国会議員の倫理規定に違反しないのか、知りたいです。しかも、未成年に個人情報を提出させる時には「学習に向かう主体性を高めるため」と目的を偽って入力させます。 国会議員が未成年者をだまして、個人情報を提出させ、一私企業に多額の献金と引き換えに渡します。これは国会議員の倫理規定に違反しないのですか。

会社の社長には特別背任のような罪が規定されています。
ほとんどの国民は高校時代を送って、大人になります。  ということはこのポートフォリオを何年も実施した場合、国民全員の個人情報が一私企業の手に渡ることになります。  国民を企業に売る(献金をもらうのだから売ることです)総理大臣には特別背任のような罪が規定されていないのか、法律の専門家にお聞きしたいと思います。総理大臣がかかわった犯罪としては田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件がありますが、あの事件には、数社の企業がかかわっただけでした。 今回は日本国民全員の個人情報が一私企業に売られるわけです。 ポートフォリオを導入し何年も続けた場合、国民全体が総理大臣の犯罪の被害者になるわけです。 しかも、国民が未成年の時に、「個人情報を入力させる目的は主体性を高めるため」とだまして入力させるのです。騙して集めた全国民の個人情報を一私企業に売る。 下村博文議員と安倍首相の罪は極めて重いと思います。国会議員と総理大臣の犯罪「ベネッセ事件」です。

安倍総理大臣は在任日数が最も長い総理大臣だそうですが、彼は国民全員を一私企業(ベネッセ)に売った、日本憲政史上初めての総理大臣です。(すでに少なからぬ数の高校生が個人情報を入力してしまっています) しかも、国民に個人情報を入力させるときには「学習に向かう主体性を高めるため」と未成年の時に騙(だま)して入力させます。 安倍総理は、国民全員の個人情報を未成年の時に騙して入力させベネッセに売ろうとした最悪の総理大臣です。国家権力による未成年者へのプライバシーの侵害を行った最長最悪の総理大臣です。 総理大臣の犯罪として安倍首相がロッキード事件よりいっそう悪質なのは「国民全員が国家権力による未成年者のプライバシー侵害のターゲット(標的)にされた」という点です。 安倍総理大臣は日本憲政史上最長最悪の総理大臣です。 安倍総理はほぼ全国民を国家権力による犯罪のターゲット(標的)にしました。 次の総理大臣も国民に気づかれないように目的や手法を変えて同じ犯罪を繰り返すのでしょうか。

田舎の町の小さな図書館だって、個人の貸出図書の記録は取らない、と書いてありました。 思想傾向などの分析に使わない、ということでしょう。 政治家が業者とつるんで教育行政やって業者を儲けさせて、自分も献金もらおう、などと考えている国では国家を発展させる教育は出来ません。
堤未果さんの「デジタル・ファシズム」という本に書いてありました。
ひと昔前に「健康」が産業としてお金儲けになったように、これからは教育がお金儲けになる、と外国のどなたかが言って(書いてあったお名前は忘れました)世界は教育で儲ける方向に動いている、と。(国のお金ならとりっぱぐれないし、いくらだって払ってもらえるし、これを金儲けに使わない手はない、ということでしょう。政府は献金くれる業者の為なら国民の払った税金なんかいくらでも使ってくれる。)

教育がお金儲けになるから、日本の政治家は目の色変えて、国民の教育データをゲットしようとしているんでしょう。 もっともらしい理由をつけて、国家権力を使って国民の教育個人データを強制的に入力させて、それを業者のお金儲けに使わせようとしているんでしょう。国民を騙して、また個人情報を盗み取って、業者の金儲けに使おうとしているんでしょう。 eポートフォリオの時と同じです。 安倍総理大臣の犯罪と同じ手法です。 生涯学習のアドバイスなんて、余計なお世話よ。 国民は自分の学びを自分で考えられないほど馬鹿じゃありません。 働いている人の学びをサポートしたかったら、国民に生涯教育データなど入力させる前に、各企業をその方向に指導したらどうですか。 残業なんかしないで、夜学校に行けるような働き方を企業に指導したらどうですか。 シカゴにいた時お泊りに来た息子の友人のお父さんは、夜学校に通っていました。 5時に会社が終わるので、そのあと学校(大学)に通って勉強していました。 生涯教育データなど国民に入力させるより、残業しないで夜勉強できるように企業の働き方を指導する方がずっと国民は「生涯学習」ができます。 問題の本質、解決法をもう少し、真剣に検討されたらどうですか。 だから、eポートフォリオの時のように私は「おかしい」と感じるわけです。 デジタルデータでアドバイスされたからってOOを学ぼうなんて思うほど国民は馬鹿じゃありません。 それに、こんなに若い人が残業で長時間働かされていたら、社会人になって勉強なんかできません。 賃金がこんな長期間上がらないから、若い人は生活費を得るために長時間労働して勉強なんかできません。デジタルデータで生涯学習のアドバイス、そんな余計なお世話をするくらいなら、若い人の賃金をもう少し上げる努力をしてください。 そして本当に教育の効果を上げたかったら、一人の先生が見る生徒数を40人から30人に減らす努力をしてください。 その方がよっぽど国民の教育に役に立ちます。政府がそういう努力もしないのに、国民は生涯教育データなど入力できません。政府が「国民の為」と称して行う政策は、国民を餌食にして業者を儲けさせるものばかり。 政府は「これから食い殺す獲物に猫なで声で近づいてくる正体を隠した獰猛で強欲な動物」みたい。デジタル庁は絵に描いたような悪党です。 政治家と業者の金儲けをセオリー通り(?)やろうとするデジタル庁は絵にかいたような悪党です。  国民は誰も、生涯教育データの管理なんか頼んでいません。 それほどまでに現政権が国民の生涯学習を推進したいなら、日本の労働者をみんな午後5時に家に帰してください。そうしたら、勉強もできるし、子育て世代も助かるし。 前提条件を整える努力も政治がしないで、生涯学習しろといわれても困ります。 本当は業者に金儲けさせる国民の教育データが欲しいだけではないですか。  政府は政治家、業者の金儲けでなく、国民の望むことをしてください。  次の時代を担う国民に良い教育をするためには、良い教師を育てることと、学校教育で一人の教師が見る生徒の数をできるだけ少なくすることです。(理想を言えば教師1人に対して生徒10人くらいでしょう。 そんなの無理だという人がいますけれど、政府は生徒に一台ずつコンピュータを使わせるGIGAスクール構想には莫大な予算を使っているのですから、やろうと思えばできないことではありません。)コンピュータも結構、デジタルも結構、インターネットも結構です。 でも、機械に人間は育てられません。 人間を育てるのは人間です。 機械は人間の判断に基づいて適切に使われた時、最もその効果を発揮します。(それについてはこちらのブログを参考にしてください。) 「一人一人にあった個別最適な学習を可能にする」のはデジタルデータではありません。  「自分らしく学べる社会を実現する」のはデジタルデータではありません。 デジタル庁は教育の基本が間違っています。 機械やデータで教育は出来ません。 機械やデータは、教育の専門家がそれを適切に用いて判断し生徒に指導した時に初めて効果を発揮するものです。 デジタル庁は国民から教育データをだまし取るために(安倍首相も未成年者を騙して教育個人データを入力させました)理論をすり替えないでください。 データが人を導くのではありません。 それを教育者が適切に判断し生徒を指導してこそ、一人一人にあった個別最適な学習が可能になるのです。 その子らしく学べるのです。  デジタル庁は国民の教育データをだまし取るため、教育の基本理論をすり替えないでください。 間違っています。 デジタル庁は政治家と業者の金儲けのために国民の教育データをだまし取るために作られた役所なのですか。 私は、デジタル化が遅れている行政サービスなどを整備するためだと思っていました。 もし国民を騙して個人情報を盗み取るためなら、そういうお役所はいりません。 さっさとなくしてください。 堤未果さんの本に書いてあったように「これからは教育で金儲けだ」というトレンドに乗りたかったのなら、それは国民のためにご遠慮願いたいです。国民は誰一人、そんな役所の設立を望んでいません。 子供の個人情報を国家権力によって金儲けに使うのはやめて下さい。 それは権力の乱用です。  



2021年1月14日のブログ(とGIGAスクール構想のブログ「7年前の出来事のブログ」)に書いた「学校教育とは何か」をこちらに転載します。

学校教育の目的


新井紀子氏は教科書を読んでその内容を問うテストにこたえられる読解力が人生を左右すると考えているようですが、学校教育の目的は字面の理解以上のところにあります。

例えば三権分立について教科書に書いてあったとします。 その説明と、権力を3つに分けて独立させる理由等が教科書に書いてあります。 その教科書の文を読んでテストの問いに答えられればそれでいいのか。 私はそうは思いません。 教科書を読んで理解することは必要ですけれど、学校教育の本当の目的は、それよりもっと上にあります。 教科書を読んだだけでは、何も子供の心には残りません。 子供の血となり肉となる教育は出来ません。 学校では先生の説明やお話もあり、子供たちはいろいろな学習活動をします。

例えば、子供はこんな風に考えます。

権力を分散しなかった時はどうなるの? その例はあるの?
昔だったら専制君主制があった。 今は独裁国家がある。
そういう権力が集中した社会では人々はどんな暮らしをするのだろうか?
法律はどう決めるの(立法)? その独裁者が都合のいいように決める。
日々の暮らしはどうなるの(行政)? 独裁者が決めたように行われる。独裁者がしてはいけないといったことは出来ない。 どんなにやりたくても出来ない。
裁判はどうするの(司法)? 独裁者が気に入らないことをした人は「国家反逆罪」とか言って逮捕されて、最悪の場合は死刑になる。 それが怖いから人々は独裁者に何も言えない。

こういう社会の様子を子供自身が自分の頭で考えると、子供はそういう社会では人々は安心して暮らせない、とわかってくる。 一人の独裁者のいいように国が動かされると、そのほかの多くの人々は、独裁者の気に入らないことは出来ない。 おびえて暮らすことになる、とわかってくる。 だから、権力はそれぞれ独立して判断して行使されることが人々が安心して自分の幸せを求めて暮らすためには大事なんだと自分で考えるようになる。  すると、自分がこれから生きていく社会はどうあるべきか、を子供は少しずつでも意識するようになる。 人々が幸せに暮らせる社会はどういう社会なのかを考える素地がその年齢なりに出来てきます。

これが国家が行う学校教育です。 なぜなら、国家は学校教育を行うことによって、その国の未来を創る国民を育てているからです。 多くの国民が幸せに生きていける国を作るその担い手を学校教育によって育てているからです。 どういう国を作っていけば、みんなが幸せに暮らせるか、子供は子供なりに考えていきます。 これは何も文科系の科目ばかりに限ったことではありません。 高校時代「生物」を学ぶことによって生命の不思議さや尊さを学びました。 命の尊さはすべての人間の活動の基本です。  理科で天体を学んだ時、宇宙を研究する人たちが、なぜ「かけがえのない地球」というのかを教えてくれました。 現在のところ地球のような気候で人間の住める星はありません。 私は中学生の時、月の観察をして、夜、月を眺めた時、太陽と地球と月の位置の関係で、月が今こういう形に見えているんだ、と思ったとき、一瞬、畏怖のような感情に襲われました。 日々の生活では人間はその力でなんでもできそうな気がしますが、(私が若いころを過ごした時代の一時期、科学万能のような時代がありました。そのころだったのでしょう)もっともっと大きな力の中で生かされているにすぎないんだ、と肌で感じました。月を見ながら、本当に一瞬怖くなりました。

新井氏が言うように教科書を注意深く読んでテストの設問に間違いなくこたえて、高い偏差値を取っていい高校に行くことが国家が行う教育の目的ではありません。

学校教育は、この国の将来を作っていく子供たちを育てる教育です。
業者の金儲けしか頭にない人には学校教育は出来ません。 (下村博文のように、公教育に業者を入れて金儲けしよう、などと考えている政治家が公教育を牛耳っている限り、日本の未来を担う子供たちを育てる学校教育は出来ません。 だから政治は日本を国民が幸せに生きられる国にしたい、という高い理想を持った政治家が行わなければだめなのです。 総理大臣や文部科学大臣がそういう高い理想を持っていなかったら、日本を良い国にする教育などできません。 今の日本の教育は業者とつるんで金儲けをしようという下村博文がいいようにやっているだけではないですか。 総理大臣も一緒になってやっている。こちらは朝日新聞DIGITALに載った「教育再生実行会議担当室」が設置された時の下村氏と安倍総理の写真です。 例えば、金儲けが目的の政治家は大学入試でスピーキングテストをやらせようと必死です。 テストをやって、スピーキングができるようになるわけないでしょう。学校で一回も発音教育もしないし、音声モデルも生徒に渡さないでスピーキングなんかできるわけないでしょう。スピーキングができるようにしたかったら、まず、学校でスピーキングを教えることを考えるのが、教育行政にかかわる人のするべきことです。 スピーキングテストをさせようとするなど金儲け目的なのが見え見えです。総理大臣まで下村博文と一緒になってやっているではないですか。 政治家が金儲けに必死だからこの国の教育は全然よくならないの。)

私は気負ってこういうことを言っているわけではありません。 それは私が受けてきた教育がそういう教育だったからです。 先生方の授業の後ろに私はいつも「君たちにこういう大人になってほしい」という先生方の思いをおぼろげですけれど感じました。 私たちより先に生まれた先生方が次の時代を生きる私たちにこういう社会で生きてほしいと思っているのが、おぼろげながら何となくわかりました。 だから今もこんな風に考えるのでしょうね。

ついでに言いますと、新井氏は、2021年1月15日のプレジデントオンラインに、「9割が教科書を読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路」という題で記事を書いていますが、こういう風に「あなたはダメな子」とレッテルを貼る教育者に子供が心を開くことはありません。 だからこういう教育者が私立文系に行く子供が内に持っている能力や可能性を見ることはできません。(彼女の視点で行くと国立理系の方は豊かな人生なのですか?)  それにしても、自分のテストを売るためとはいえ、新井氏は子供に対して、随分ひどい言い方をしますね。しかも言い方が非常に差別的です。 こんな風に子供を見ている新井氏が教育者とは私にはとても思えません。 私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。 子供の成長を暖かく見守る気持ちがみじんも感じられません。新井さんは教育者には向きません。 神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりになりません。新井氏は子供の命を軽視している。私はそれが一番嫌だった。(2022年10月28日、今日偶然この2021年1月15日のプレジデントオンラインの記事を見て驚きました。 私が2021年8月に見た時の文章が書き変えられていますね。あのひどい新井教授推奨「家でできる子供の読解力をアップする方法」も書き変えられていますね。 私がひどいといったところはみんな書き変えたのですか? 知らないうちにこういうことをして新井氏は本当にいつも汚いやり方をするのですね。)  (私はクリスチャンではないですけれど、20代の頃から現在もカール・ヒルティの著作が愛読書です。 だから神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりにならない、と思っています。)

2021年1月14日のブログからの転載は以上です。







(2020年12月21日加筆  eポートフォリオは参加する学校が少なく採算が取れないという理由で中止になりましたが、本当の理由は採算ではないと思っています。  安倍首相と下村博文議員がロッキード事件の時のような東京地検の取り調べを後々受けることになったらまずいと思ったからではないですか。 国会議員の権限を利用して「日本国民ほぼ全員を未成年の時にだまして、個人情報をとってベネッセに売る(献金もらうのだから売るのと同じ)」というのは相当罪は重いですから。   本当にeポートフォリオをやりたかったら、いくらでも学校にincentive(奨励金やその制度を受け入れた時にそれ相応の便宜や融通を図ってもらえる利点などを与える)をばらまいて参加校など増やそうと思えばこれからいくらでも増やしていけたのではないですか。 私の友人は、「eポートフォリオ引っ込めるの早かったね~」と驚いていました。  英語のスピーキングテストだって、効果を否定されても、白紙に戻されても、何回も何回も繰り返し提出してくるではありませんか。  本当にeポートフォリオをやりたかったら、incentiveを使って、これからいくらでも参加校を増やしていけたのではないですか。 それをやめた本当の理由は、安倍首相と下村博文議員が後々ロッキード事件の時のような東京地検の取り調べを受けたくなかったからではないですか。 「ベネッセの市場調査を国家にやらせる」という本当の目的がばれてしまった以上、実施したらただでは済まないと、お二人がお考えになったのではないですか。 友人の「eポートフォリオ引っ込めるの早かったね~」という言葉を聞きながら、私は「やめた理由は採算ではない」と思いました。 「採算」が理由でベネッセの金儲けをあきらめるような人たちではない、と思いました。補助金を出したって、業者に儲けさせようとする国会議員はたくさんいますから。採算ではなくて、彼らが「国会議員の権限で、未成年の国民を騙して個人情報を提出させ、業者の金儲けに利用させ、その見返りに献金をもらったなどとわかったら、ただでは済まない」と思ったからでしょう。「ベネッセのために東京地検の取り調べなんて冗談じゃない」と思ったからでしょう。 国会議員の権限で、こんな卑劣なことをした国会議員は今までいませんでした。「被害者が日本国民ほぼ全員」というところが罪の大きさを示しています。 「eポートフォリオはベネッセの市場調査」とばれた以上、これを反対を押し切って実施させたら、自分達が間違いなく糾弾されると思ったのでしょう。 さすがにベネッセより、自分たちの地位が大事でしょう。 国会議員でなくなったら元も子もありませんから(もう、儲け話はなくなってしまう)。  けれども私は、この計画が未遂に終わったからといって、無罪放免で済む問題ではないと思っています。 実際にプランは稼働し、いくつかの学校は高校生の個人情報を入力したのです。少なからぬ数の高校生の個人情報はIDを登録したベネッセにわたってしまっています。 ベネッセは市場調査データの一部をすでに受け取ったのです。(計画が中止になって情報は削除したといわれたって、入力された情報ですでに資格の統計ぐらい取っているでしょう。高校生が入力した情報を本当にどこにも保存していないかなんてわからないでしょう。 ベネッセは今までさんざん教育関係者をだましてきたのですから。民間試験の時も名前を変えていろいろなところに入り込んでいたではないですか。)  詐欺はお金をだまし取ろうと思っても途中でやめてお金をだましとらなかったら詐欺として立件されません。  今回は、eポートフォリオは現実に稼働し、「学習に向かう主体性を高めるため」と騙された高校生が入力し個人情報はすでにベネッセにわたりました。  その後「eポートフォリオはベネッセの市場調査を国家にやらせるもの」と、ばれてしまったから今になって中止してもすでに一部の高校生の個人情報がベネッセにわたっています。 被害は発生しています。 詐欺で言えば、お金は全額ではないけれど、全額の一部がだまし取られたのと同じ状態です。たとえて言えば、1億円だましとるつもりだったが、1千万円だまし取ったところだった、という状態です。  ここでeポートフォリオをやめたからといって、下村博文氏は全く無罪放免になっていいのですか。     下村博文議員が文部科学大臣になってから急激に業者が学校教育に入り込んできましたが、未成年者(高校生全員)をだまして業者に金儲けさせる仕組みを学校教育にまで導入した卑劣な国会議員は下村博文が初めてです。国民はここまで子供たちにひどいことをされても下村博文を罰することが出来ないのですか。これだけではない。下村博文がこれだけ力説したスピーキングテストも、効果の点では詐欺だったのですよ。(スピーキング指導なしのスピ―キングテストが子供たちのスピーキング能力を上げることがないことは英語教育の専門家ならみんな知っている。 指導なしのテストが有効だという人は、自社が作るテストを売り込むための営業トークを言っているにすぎません。そういう人は日本人は母国語の特徴が欧米とは違うため、欧米と同じ発音教育(スピーキング教育)をしても効果がないことを知らない。 つまり、発音を聞き取る耳の能力がない) こんなにひどいことを子供たちに繰り返しされているのに、国民は下村博文を罰することも出来ないのですか。 これは子供たちに対して行われた犯罪ではないですか。 子供は金もうけの道具ではない。  下村博文のやったことは未成年者に対する国会議員の犯罪です。  もし、eポートフォリオの本当の目的(ベネッセの市場調査を国家にやらせる)がばれなかったら、これから毎年、16歳になった子供たちが高校に入学してくるたびに未成年者の個人情報がベネッセに渡っていたでしょう。 途中でやめたからといって下村博文は無罪放免でいいのですか。 下村博文は子供が16歳になったら、自動的に業者に売られる仕組みを作り学校教育で実施した。 今回は少なくとも詐欺師が1億円のうち1千万円をだまし取った時と同じ状況です。 アメリカでは未成年者は法律ではMINORと呼ばれて、MINORに対する犯罪は厳しく罰せられます。(どこの国でもそうでしょう。 未成年者は保護されるべき存在ですから。) 下村博文のしていることは日本中の高校生、つまり未成年者に対して行われた国会議員の権限を悪用した犯罪です。 厳しく罰せられるのが当然だと思います。 国会議員にも倫理規定はあるはずです。 国会議員の権限を悪用して未成年者に対する犯罪を犯すことは当然、国会議員の倫理規定に違反します。     政治家の中には、道路建設補助金をめぐって悪い金儲けをする国会議員がたくさんいます。 でも下村博文は私たち生きている国民を自分の私物のようにベネッセに売って金儲けしている。 生きている子供たちをベネッセに売って金儲けしている。「悪さ」の度合いが違う。  毎年生まれてくる子供たちをベネッセに売って金儲けしているんですよ。 下村博文は子供を食い物にしているんですよ。  一度制度を作っておけば毎年受験生からお金をとれる(あるいは国家に支払わせる)。 毎年高校に入学してくる未成年から個人情報をだまし取れる(はずだった。) 下村博文は「悪さ」の度合いが違う。 道路や鶏卵でなく、人間(毎年生まれる子供たち)を食い物にして金儲けする。 だから儲けは尽きることがない。 こうして下村博文によって日本の教育はぼろぼろにされる。 下村博文は「悪さ」の度合いが違う。 子供を食い物にする。下村博文の計略はeポートフォリオだけではありません。 
(青字部分12月29日加筆)


(以下は2021年5月6日加筆)下村博文は公教育に対する考え方が根本的に間違っている。
先生方のツイッター下村博文氏の「公立小中学校の独立行政法人化という究極の改革に向けて」という対談を読みました。随分前の対談ですけど、彼の公教育に対する考え方が根本的に間違っていることをよく表しています。 3ページ目で彼は「公立学校には、競争の原理がはたらいていません。「児童生徒が集まらなければ淘汰されるかもしれない」という(私立学校のような)緊張感がないのです。」と述べています。
日本を発展させる公教育のあるべき姿は「日本中どこの学校に行っても同じように質の高い教育を受けられる」という状態を保つことです。 東京都は高い教育をしているが、○○県はレベルの低い教育をしているなどという状態で競争させるのは間違っています。 「日本中どこの県にいても同じように質の高い教育が受けられる」これこそが日本を発展させる公教育のあり方です。 才能のある子供たちは地域に関係なく日本中にいるのです。これによって、都心にいる生徒にも過疎の地域で勉強する生徒にも同じように質の高い教育をすることができます。 すべての日本の子供たちに同じように質の高い教育をするからこそ、日本の国が発展するのです。 

下村博文は公教育に対する考え方が根本的に間違っている。 こういう人間が日本の教育行政の中枢にいることは日本にとって非常に害があります。

同じく3ページ目で「校長に権限がないため、現場の教職員に総スカンを食らえば何も出来ないのです。  本来、校長のいうことを聞かなければ退職か転出させるくらいの権限を与えないと、学校改革は進まないでしょう。」と述べています。  下村博文がこれまでやってきたことを見ると、これでは政治家の息のかかった人間を校長にして業者が儲かる教育をさせて、それに反対する先生をいつでも退職あるいは左遷できる状態を作り出すことになります。 平たく言えば、今よりもっと容易に子供を食い物にする仕組みができる、ということです。 彼の学校教育理論は「いかに容易に子供を食い物にするか」それを基底に考えられている。 そうやって、例えば、新井紀子氏の作った「アミラーゼを学ばせたいのかデンプンを学ばせたいのかわからないような悪質なテスト」(注1)を容易に学校教育に持ち込めるようにするのではないですか。 つまり業者をどんどん公立学校に入れるのではないですか。
下村博文のような人間が日本の教育行政の中枢にいることは日本にとって非常に害があります。 
下村博文は国会議員として国から報酬をもらっているにもかかわらず、「国民のために働いても一銭の儲けにもならない」と思っている。 けれども「業者の儲けのために働けば、儲かった業者から金が入ってくる」と思っている。 だから国会議員の立場を利用して未成年者を食い物にして業者に儲けさせる制度ばかり導入しようとする。国会議員下村博文の目的は国民(未成年者)を食い物にして業者を儲けさせること。その儲かった業者から献金もらって私腹を肥やすこと。 子供たちなんか金儲けの道具としか考えていない。 学校を独立行政法人することが、彼が私腹を肥やすのに最も適した仕組みなのでしょう。



(注1) これは新井紀子氏作成のリーディングスキルテストの問題で私が非常に怒りを感じた問題です。 私はこういう「教育と称してその実、子供を罠(わな)にかけるようなテスト問題」に非常に怒りを感じます。このプロジェクトについては国立情報学研究所所長喜連川優氏が「文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発/産学連携で「読解力」向上を目指す研究を加速」というニュースリリースまで出しています。  詳しくは2021年1月14日のブログ「政治家(下村博文)の悪だくみに科学的お墨付きを与えたのは国立情報学研究所所長喜連川優。詐欺の実行犯新井紀子は子供を罠にはめるテストを”読解力を科学的に測るテスト”と偽って、指導資格のない国語教育で子供を食い物にする。 ベネッセは調査協力。詐欺は犯罪です。」の後ろの方に説明してあります。(そのブログの下から1/4くらいのところに書いてあります。左づめで問題が引用されていますので、(つまり右側が空いている場所ですので)すぐわかります。その問題のすぐ上に中世の騎士が身に着けていた鎧(よろい)の絵が貼ってあります。)新井紀子氏がどんな立派な言葉で教育を語ろうと、こういう「子供を罠にかけるようなテスト問題を作る」という事実から、彼女が子供のことなど全く考えていないのは明白です。 普通、教育者は子供の読解力に問題を感じたら、読解力を向上させるためにはどういう教育をしたらよいか、を考えます。 彼女がそれを考えるのではなく、最初からテスト問題を作るのは学校教育に導入できるテストを作ってベネッセに金儲けさせるためです。読解力のテストを作るもともとの動機がそこから始まっている(詳細は1月14日のブログ)。 彼女は子供を金儲けの道具としか見ていません。   新井紀子氏は教育について専門的に学んでいません。 大学時代教職課程は履修していないし、国語教育も専攻していない。 それに、文学的文章を科学的事実であげつらうような非常識なことを平気でするくらいですから本もあまり読んでいません。本(文学的文章、科学的文章)をたくさん読んでいる人は、そのくらいのことは常識として知っています。 つまり、新井紀子氏は国語教育(読解力の教育)をする資格も能力もないということです。 本人は数学者なんでしょう?  新井紀子氏には読解力とか内容の理解とか、言葉に関する教育を論ずる資格も能力もありません。  1月14日のブログを読んでいただけば、新井紀子氏の読解指導の非常識さがわかります。 つまり資格も能力も適性もありません。 そのひどさは国語教育を冒涜(ぼうとく)していると思えるほどです。 国語教育も学校教育も学んでいないのに教育に手を出す動機が金儲けではそうなるのも当然です。私がそのことを1月14日のブログで指摘したら、政府(政治家)から激しい妨害を受けましたから、すべては下村博文が裏でやっていることは明白でしょう。  だいたい、新井紀子氏は「燃える太陽」という文学的表現に対して「宇宙空間に酸素はありませんので、太陽は燃えません」などと子供たちに「読解指導???」するくらいですから、彼女の読解力のレベルはとても生徒の読解力を云々できるレベルではありません。 ご自身が大学で国語教育を一から勉強した方がいいでしょう。 国語教育を専門的に学んでいない素人が生半可な知識で本を書いてその中で「読解力と読書は関係ない」などと主張すると子供たちに対する悪影響は計り知れません。彼女の本は東洋経済新報社から出版されています。 こちらのページを見ると発行部数から、この詐欺に最も”貢献”しているのは東洋経済新報社でしょう。
(以上2021年5月6日加筆)



国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。  未成年の国民を騙して一私企業に売った総理大臣は安倍総理大臣が初めてです。 「国民」など、安倍総理にとってはそのくらいの価値しかないのでしょうね。 また、下村博文国会議員にとっても国民などそのくらいの価値しかないのは明白です。彼は、「有権者の子供など、ただの金儲けの道具」としか考えていません。 「東大に(全く詐欺の)民間試験をさせなければいけない」とすごんでいたことが、彼が、「有権者の子供などただの金儲けの道具」としか思っていない明白な証拠です。 ベネッセからの大金が目の前にちらついていたから、思わず、本心が出てしまったのでしょう。 口でどんなに立派なことを言っても、彼の本心(有権者の子供などただの金儲けの道具)はもうは隠せません。 まさに下村氏が、ベネッセから大金がもらえるかもらえないかは、東大が民間試験をするかしないかにかかっていたから、「東大に民間試験をさせろ」とすごんでしまったのでしょうね。 彼のベネッセから大金をもらいたいという願望はものすごいものですね。 阿部公彦先生が「下村さんの「恫喝発言」と書いていらしたように、あの時の下村氏の顔は本当に異様で怖かったです。 【恫喝=脅して恐れさせること(広辞苑)】

(この下の部分は2020年5月2日加筆しました。)

羽藤由美先生のツイッターで紹介された2020年4月30日の高知新聞を読むと、政府がいまだに、大学入試でスピーキングテストをさせようと考えているのではないかという気がいたします。  なぜそう感じたかといいますと、この新聞記事で東京外国語大学の林佳世子学長が「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている。物理で力学を出題しないのが変なように学んだことを入試で問わないのはおかしい。 可能ならば英語で話す力も測るべきだ。」と発言されていたからです。  

今の日本の子供達の発音を聞いて「スピーキング教育がされている」とおっしゃるのは変だと思い林学長の学歴を拝見しました。  大学時代のご専門は教育学部史学科、大学院でのご専攻は人文科学東洋史学でした。 林学長は歴史を学ばれてきたのですね。 ということは林学長は英語教育は専門的に学んだことはないのですね。

林学長は音声学も学んでいない。  だから、子供たちのこの発音を聞いても、「小中高では話す力も含めた英語教育を進めている」というご発言をされるのですね。 林学長は子供たちの英語を聞いて、カタカナ発音と英語の発音の区別もできないのですね。 私は個人的には英語教育を専門的に学んでいない人が英語教育(特にスピーキング教育)に口を出す資格はないと思っています。 どんなにご立派な肩書をお持ちでも、一英語教師の私はご発言の内容で判断するしかありません。 英語教育は専門分野です。 専門的に学んでいない人が口を出せるほどやさしい分野ではありません。 英語教育の指導者は実技の習得など、指導者として最低限出来なければならないことがあります。 歴史を専門に学ばれてきた林学長は英語教育の指導者としての実技の習得もされていませんね。英語の発音とカタカナ発音の区別もできない方が、英語教育に口を出す資格はありません。 英語教育を専門的に学ばれていない方が英語教育に口を出す資格はありません。 東京外国語大学林佳世子学長は歴史学がご専門ですので、英語教育に口を出す資格はありません。

授業で教えていなかったら、大学入試でスピーキングテストをしても、子供たちのスピーキング能力は上がりません。「教えていないことをテストしても子供たちは出来るようにはならない」ということは英語教育法を学んでいたら、当然知っているはずのことです。林学長は英語教育法も学んでいません。 

(私の学生時代、教師になる学生は音声学が必修でした。  先輩から、「音声学は必修なのに、単位を落とす学生が多いから気を付けなさい」といわれました。  大学側が音声学をきちんと勉強することは英語教師として非常に大事だと考えていたのだろうと私は思っています。)

安倍総理は、今はもう、「スピーキングを授業で教えることなく」テストをしても、子供たちのスピーキング能力が上がらないと知っているでしょう。  知っていても国民を騙すことなどたやすいと思っているのでしょうか。

日本の子供たちはかわいそうです。  高校生(未成年)の時に騙されて個人情報を取られて、大学入試で教えられてもいないスピーキングテストをされて、この国の子供たちは本当にかわいそうです。  たかが献金と引き換えに、首相にまで売られてしまった。   国民全員を一私企業に売った総理大臣は日本憲政史上、安倍総理大臣が初めてです。  (以上の部分は2020年5月2日加筆しました。)




「民間試験」「記述式」「ポートフォリオ」、何が一番危険かと言えば、ポートフォリオです。 これは 「ベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる」極めて危険で悪質な手段です。 子供たちの個人情報を守らなければなりません。

私はこういうことをブログに書きましたので、つぶされてしまう可能性もありますので、その時は、たとえ、おひとりでも、このブログを読んでくださった方はツイッターなどで先生方にお伝えください。(国会議員とお金の関係について書くと、妨害はとてもきつくなるようです。この時間(夜10時30分)でもアクセスは一桁です。妨害されているとしか考えられないです。)


最後に子育ての経験からひとこと(ちょっと昔聞いた話も入っています):

データを入力させれば、子供が「主体的に?」学習するのだったら、世の中の親は苦労しません。こんなもの入力したって、子供は「主体的に?」勉強なんかやらないの。 親は身にしみて知っています。(記入を面倒くさいと思う子も多いのではないですか。) 子供の主体性はその子の好きなことによっていろいろな分野で発揮されます。(勉強の分野だけではありません) だから社会は多様な方面で発展していけるのだと思います。 広辞苑の「主体的」の定義を見て、そう思いました。なぜなら、定義には「学習の」という制限がなかったからです。 基本にかえると見えてくるものがあります。 ニュージャージーにいたころ、その年、プリンストン大学アインシュタインが研究していた大学です)に合格した高校生の話を聞きました。 その子は車いすにもっと使いやすくする機能を研究して、実際に使えるようにした生徒だったそうです。日本の大学だって、資格や検定で小さくまとまった生徒でなく、多方面に主体性を持ついろいろな学生が欲しいのではないですか。(子供の主体性(時にはそれが才能と同じ意味を持ちます)は世の中のあらゆるところで発揮されます。大人が考え付かないようなところにも発揮されます。  それが社会を様々な方面で発展させます。 たとえて言えば、子供の主体性は視野360度、全方位で発揮されるのに、大人が学校生活で「学習に向かう主体性」しか評価しなかったら、それは視野360度のうち15度くらいしか見ていない、ということでしょう。) 「いくら指導要領に書いてあると言ったって、学習することに「主体性」を求めてここまでするのはなんか変だな~と私がポートフォリオ<前編><後編>を読みながら思ったのはそういうことだと思います。子供を育てていると子供の生活を全部見ますから、学習だけ取り上げてここまで細かく子供を評価するのは何かとても変だと思うわけです。 「学習に向かう主体性」など、テストの結果でわかるのですから、新たに評価なんかいらないのではないですか。



主体性を数値化なんかしようとするから。 子供の主体性って、そんなことで測れないの。 子供にはこの表にリストされていない学習以外の”主体性”だってたくさんあります。大人に見えない、子供のそういうものが、社会を新たな方向に発展させていくのではないですか。 それに数値化してしまったら、その子が音楽が好きなのか、スポーツが好きなのか、鳥を観察するのが好きなのか、植物に関心があるのか、わからなくなってしまいます。これ以上数値化して「子供自身を見ない」方向へ入試を持って行かないほうがいいと思います。

娘は帰国子女の受験でしたから、数の多い受験生には出来ないことだとわかっていますが、面接の時、娘は「ロバート・フロストの詩が好きだ」と言ったそうです。 そうしたら、面接官の先生が興味を持ってそのことを聞いてくれたと言っていました。きっと数値化したら、「詩が好きだ」なんて言うことは何の点数にもならないでしょう。 娘は、自分の好きな詩の話を面接官の先生が聞いてくれて、うれしそうでした。

私は高校生の時、通学途中の駅で倒れたりして、自分の体が弱いのがとても重荷でした。 それで、高校3年生の時、電車で40分くらいのところにある公営の運動施設に通うことにしました。電車を乗り換えるので、ちょっと面倒でしたけれど、使用料は公営なので安かったです。 午後は学校の授業が全部選択授業になるので、とらないようにして、週3回、その運動施設に通いました。 体を丈夫にすることが今の自分には一番大事だと思ったので、高校3年生の4月から3月まで1年間、通いました。(受験日の前の日、雪が降って「もし転んでけがをしたら試験が受けられなくなる」と思ったので、その日だけは休みました) もちろん、受験生でしたから、勉強をないがしろにしていたわけではありません。 毎回2時間運動していましたが、秋ぐらいから、さすがに2時間は出来なくて1時間に短縮して運動に通いました。 親は私が体が弱いことが負担なのを知っていたので、何も言いませんでした。 でも、もしあの時、こうやって資格や検定を取らないと主体性が評価されなかったら、運動施設に通うことが出来たかどうかわかりませんね。(受験のために資格を取るなら、それを主体性というのかどうかわかりませんけど) 私のしたことは、「学習に向かう主体性」ではなかったけれど、私が主体的に決めたことでした。 このポートフォリオの形式では、私の主体性は点数になりませんね。    なんだかこうやって子供たちが「学習」「学習に向かう主体性」って「学習」「学習」とがんじがらめにされてかわいそうな気がします。学習に対する主体性だけ取り出して、こうやって大学受験の点数に加算されるのなら、受験生は、その事に必死になるでしょう。だって、受験生は1点でも多く点数がほしいでしょうから。 そうしたら、子供の「そのほかのことに向かう主体性」は、失われてしまうと思います。 詩を味わうことも、車いすを使いやすくすることに興味を持つことも、自分の体を健康にすることも。 高校生が目の前の点数の方に必死になるのは当然のことですから。 これは社会にとって大きなマイナスだと思います。  そのうち、ベネッセのリストした「主体性???」しか持たない子ばかりになってしまうでしょう。 資格の教本や問題集はよく売れるようになるでしょうけれど、主体性を点数化して入試の点数に加算するのは止めた方がいいです。子供のそのほかの主体性が育たなくなります。 社会にとってマイナスです。  その子の主体性を評価するときというのは、高校3年間その子がその子の内に持っている興味に沿って育ててきたものを見るのが、「評価」ではないのですか。 だから歌の好きな子がコンクールで優勝したりしたら、そこまで頑張ったものを評価するのでしょう。 それを最初からコンクールに出たら何点、それが国際レベルなら何点、都道府県レベルなら何点、とか決めてそれを子供の前にぶら下げてやらせるものではないでしょう。 それぞれの子がうちに持っているものを一生懸命に育てた結果を見るようにするものでしょう。 だから、それが多岐の分野にわたるのは当然だと思います。 本来なら、そういうものを大学が見ていける方法を模索するのが先でしょう。 受験生が多くていちいち見ている暇がないから「学習に対する主体性」だけ数値化するというのは、本末転倒の気がします。 子供を大事にする気持ちがみじんも感じられません。 大人が「主体性」で何を評価するかを決め、点数を付けることによって、子供の真の主体性がなくなる、そういう気がします。社会にとってマイナスです。 この時期の子供に必要なのは、リストされた「主体性」を高める資格を取ることではなく、自分の心の中で育ってくるものを大事に育てることでしょう。それが何かは生徒によってみんな違います。 この先生が私にこういったのも、私の心の中にあるものを自分で育てさせたかったからでしょう。  ベネッセを儲けさせるために教育行政をやっていると、国が滅亡してしまいます。 教育再生実行会議は、まさに国をほろぼす「亡国会議」です。


この表の例を見るとコンクールとか大会に出ない子はスコアをもらえないようですね。 資格を取れない子もスコアをもらえない。 部活動できない子もスコアをもらえないようですね。 お金のない家の子はスコアをもらえませんね。 もう20年も前のことですけれど、息子が中学生になったとき、部活のユニフォームをそろえるのに3万円もかかったので、「公立中学なのに、お金がないと部活も出来ないのね。」と私が仲のいいお母さんに言ったら、彼女が「うちの娘は吹奏楽部に入部したんだけど、娘のフルートは70万円だった」といわれて、思わず笑ってしまったことがありました。そのお母さんは音楽家でしたから、楽器もよいものを選ばれたのでしょうね。家に帰って夫に「まどかちゃんのフルートは70万円だって」と言ったら、夫もびっくりでした。 民間試験もそうですけれど、経済的に恵まれない家庭の子がどんどん切り捨てられていくような気がします。お金を使える家庭の子ばかりを優遇する仕組みがどんどん取り入れられようとしているのを感じます。 今のような格差社会文部科学省の大きな役割の一つが教育の公平性を守る、ということだと私は思います。文部科学省のほかに、それをやってくれるところはありませんから。

【私が文部科学省のすることがおかしいと感じる理由】

本の学校の先生方は生徒の主体性を育てよう、とするとき、「学習に向かう主体性」だけ取り出して指導するようなことはなさいません。(アメリカの先生は本当に教科指導だけを行います。 清掃は清掃人がやりますので清掃指導もありません。日本の学校でのいわゆる生活指導も教科の先生方はしません。ですから日本の先生とは違うかもしれません) 日本の先生方は、主体性を育てようとするとき、まず、子供の生活全体で主体性を育てよう、とします。 生活がだらしないままで学習に向かう主体性だけがすぐれている、ということは普通はありませんので。 生活の中で主体的にできること、どの子でもできること、そういう観点から主体性を育てる指導の方法を決めていきます。 例えば、小学生なら、「自分から挨拶をしよう」などという身近な目標から設定していきます。  誰でもできるし、した後は気持ちいいし、ほかの人とのかかわりもできる。 やる前とやった後の変化を子供も感じることができる。 学年が上がるにしたがってすることは変わってくると思いますが、学校の先生は学習に関することだけで、何か指導しようというような目標はあまり立てません。中学生なら、生徒会や学級活動との関連で目標を設定するでしょう。(成績の悪い子がやりにくいような目標は普通学校では決めません) 私の高校生活では、勉強、部活、自分の関心、生徒はいろいろな興味がありますから、先生方は特に何も設定はされませんでした。 自分で好きなことをやっていました。 それが自分のしたいことができるのでとっても良かった。 

そういう経験がありますから、文科省がやたら、「学習」「学習」といってデータを入力させるのがなんか変だな、という気がしました。 学習なんて、定期試験があるのだから、これ以上、データなんか取る必要ないんじゃないの?と思ってしまいます。 もう少し、子供を放っておいてよ。 学校の勉強をちゃんとやってるんだから、あとはほっといて。と私だったら言いたくなりますね。 自分だけの世界で考えたいことだってあるし、勉強に全然関係ない本でも読んで考えたいことだってある。資格とかコンクールとか研究室訪問とか、子供のすることを先回りして、うるさく言わないで。 自分の中にわいてくるものをじっと育てたいことだってある。 友達と何時間も話すことだって、私には貴重な示唆を与えてくれた。何をしようと、少し勝手にさせておいて。と思ってしまいます。 私は、あの頃、一人こもって考えたことが、今ではとても役に立っている、と思うことがたくさんあります。 一人でこもることで、私という人間の根底が出来上がったんだろうな、と思う。助けが欲しい時は、自分で友達と話したり、年長者に疑問をぶつけたりして助けてもらった。 学校がなんでも先回りして決めないで、思春期の子が大人になるのをそっと見守っていてほしい、という気持ちがあります。だって、子供は自分で独り立ちして生きていく準備をこの時期に始めているのですから。





* * *

ここから先はいつも書いていることです。

2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です

①GIGAスクール構想は失敗。コンピュータは大量に買ったけど教師を増やさないから。②デジタル庁(牧島かれん大臣)は犯罪集団「個人情報騙し取り庁」【国民の生涯学習支援の為】全国民の一生の教育データを収集すると騙す。データで教育はよくならない。データで金儲けする者の為に働くデジタル庁。③大学入試は各大学が行う入学試験だけで充分です。40年前の津田塾大学入試世界史は記述式でした 

2022年4月30日 GIGAスクール構想部分(緑色の部分)に加筆しました。
5月5日新井氏への質問はこのパートの下に青字で書いてあります。 なお「国民を誘導する劇場型詐欺」については「新井紀子劇場」としてこちらのブログの冒頭、水色の大文字部分の下に小さな黒字で詳しく解説しました。下村博文プロデュースです。


私は、青年期には論旨をとらえながら本を読んでいくことは論理的な思考を鍛える上でとても重要だと考えています。 新井氏のリーディングテストと読書量に全く相関関係がないなら(つまり国語教育で言うところの論理的な読解と新井氏のテストが関係ないなら)、彼女の作ったテストを青年期にさせる必要はないと思います。 以下にそれを説明し、結論のところに、詳しく書いてあります。


初めて新井氏の本「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んだときから疑問を持っていた問題がありますので、それを書きます。
182ページに新井氏が行った大学生数学基本調査の問題が載っていました。問題は次の通りです。

次の報告から確実に正しいといえることには〇を、そうでないものには×を、左側の空欄に記入してください。

公園に子供たちが集まっています。 男の子も女の子もいます。 よく観察すると、帽子をかぶっていない子供は、みんな女の子です。  そしてスニーカーを履いている男の子は一人もいません。

(1)男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2)帽子をかぶっている女の子はいない。
(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子供は、一人もいない。

正しいのは(1)です。

国語の説明文というのは、まず、何を説明する文か、これを明確に決めて書きます。(私がアメリカ人の先生に習っていたエッセイもそうでした) だから知りたいことが書いていない文章を組み合わせて、知りたいことを探し当てなければならないような説明文はありません。 筆者は何を説明するかを明確に設定して説明文を書きます。 そしてそういう論旨のはっきりした良い説明文をたくさん読んで、子供達は論旨のはっきりしたわかりやすい説明文を書くようになります。 読み手が知りたいことをわざと隠したような説明文を国語の授業で読ませるようなことはありませんし、書くような訓練もしません。

新井氏の本によると、「この問題の正答率は64.5%でした。(中略)どこの大学に入学できるかは、学習量でも知識でも運でもない。論理的な読解と推論の力なのではないか。 6000枚の答案を見ているうちに、私(新井紀子氏)は確信するようになりました。」と書いてありました。

数学ではこれが論理的な読解と推論で解けるのであれば、数学の先生が数学の時間に文章題の解き方としてご指導なさればよろしいのではないですか。少なくとも国語では、こういう何を言いたいのかわからないような文章は説明文として学びません。


もし、上の選択肢の(1)、(2)、(3)のことを知りたかったら、国語では以下のような報告文を書くでしょう。

公園にいる男の子はみんな帽子をかぶっています。 女の子は帽子をかぶっている子もかぶっていない子もいます。帽子をかぶってスニーカーを履いている子が〇人います。

この問題は、わざと、知りたいことを隠して書いた文章から、知りたいことを求めさせる問題ですね。何を説明するかを明確に設定して書いてある説明文とは違います。つまり、国語の授業でこういう説明の文章(報告)を読むことはありません。  これは国語の授業で勉強する読解力とは異質な問題だと私は思います。(私の友人の娘さんは、こういう類の論理の矛盾を理解する勉強をするために、アメリカの大学院にもう一度勉強に行きましたけれど、それは、高校時代、大学時代を通じて、基礎となる、論理的な文章を書く練習を自分がたくさんした上で行う事です。日本で、そういう指導もしていないのに、知りたいことをわざと隠した文章を読ませて、知りたいことを探し当てるようなことをやっても生徒はちっとも論理的に考えるようにはなりません。 その結果、自分の意見を論理的に組み立てる力もつけませんから、論理的な文章を書けるようにもなりません。 学ぶ順番が違います。青年期にはまず、自分が論理的に考える訓練が必要です。) 



国語では「何を相手に説明したいのかわからない説明文(報告)」を子供達が学ぶことはありません。  たとえて言えば、国語の説明文が「タヌキ」について書く。ということであれば、この問題はタヌキがいることを書かないで木の陰に隠れているタヌキを探し当てるような設問です。  国語でタヌキの説明文を書く筆者は、最初からタヌキがよく見えるように書きます。  この違いですね。

国語では、論理的な読解をするには文章も論理的な骨組みに沿って書いてないとできません。何を言いたいのかわからない問題文から隠れたタヌキを探すような説明文は国語の時間には学びません。

東洋経済新報社はてなブログタグに載ったブログに「(この問題ができる)読解力が将来仕事をAIに奪われないかの分かれ道になるかも知れないのです。 」と書いてありましたが、会社で仕事していたらそれは全くありえません。 調査報告(説明文)は知りたいことが明確に書いて無ければ、使えません。 こんな報告を書いたら上司から「部署のみんなが知りたいと思っていることを明確にして書き直してこい」といわれるのがおちです。 

この問題文のような報告は、例えば、熱中症が心配でどれくらいの子供が帽子をかぶっているか調査している。帽子をかぶっている子とかぶっていない子で男女の違いがあるのか知りたいときなどこういう報告を書くでしょう。   
公園で遊ぶ男の子がスニーカーを履いているかいないか知りたい時、この問題文のような報告を書くでしょう。 そうでないことが知りたいのだったらこんな報告はするだけ無駄です。仕事なら上司から「調査して知りたかった事を明確に書いてこい」といわれるのが関の山です。

新井氏はこの大学生数学基本調査の問題で、大学生の読解力に疑問を持ったそうです。  
「どこの大学に入学できるかは、学習量でも知識でも運でもない。論理的な読解と推論の力なのではないか。」新井氏はそう確信したそうです。普通に考えてもこれは嘘です。 論理的な読解と推論の力で大学入試に合格するわけではありません。 大学入試に合格するには学習量も知識も必要です。 学習しなかったら大学入試に合格できません。世界史の暗記をした人はたくさんいるでしょう。 ここで彼女が「受験には読解力」と宣伝したい、という意図がみて取れます。彼女の最初の主張は「教科書の読解力が人生を左右する」でした。 私はこちらのブログでそれは嘘だと証明しました。彼女は「読解力をつければよい学校に入れる」と人々に思わせて、自分の読解力のテストを学校に売り込みたかったのでしょう。 それが彼女がベネッセや下村博文から請け負った仕事だったのでしょうね。 そうでなければ、それを嘘だと証明した私を政府がブログアクセス数を(1)にするほど妨害するのはおかしいです。 彼女のテストの間違いを指摘したら、どうして、政府から妨害を受けるのですか。 しかも、彼女は生徒に教科書を読ませたデータは全く取っていない。

この問題は、アミラーゼの問題と似ていますね。
アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースとデンプンの形を聞く問題です。

主題である、アミラーゼについては何も聞きません。「アミラーゼについて重要なことは何か」を考えながら読んできた子供たちの思考力は、何の評価も受けません。 アミラーゼの問題はただのひっかけ問題です。

タヌキをわざと隠してタヌキを探させる。  アミラーゼを説明してセルロースのことを聞く。 国語ではそういう説明文の読解はありません。
仕事では、こんな問題出来なくても、要求されている情報を的確に伝える文が書ければ、AIに仕事を取られることはありません。 むしろ、こんな報告文を書くより、仕事のスタッフが知りたいことを明確にストレートに書いた報告書が書けるほうが仕事では評価されます。  報告書を読むたびに隠れたタヌキを探すようでは仕事になりませんから。 会社というところは厳しいところです。 売り上げが上がらなければマネージャーはクビですし、オフィスはクローズですし、容赦なしです。 転職した先輩とあった時、先輩が「きのう、私の上司のところに業績の悪いマネージャーが呼ばれて、ドアイズオープンって言われてた。(やめるならやめてもいいよということでしょう)きびしいよね。」といってました。 就職した男の子は「この会社は UP OR OUT だよ」といわれたそうです。 業績上げて上に上がれなかったらやめるしかない。ということでしょう。 会社というところは厳しい所です。上司のNさんがアメリカ出張後、とても体調が悪そうだったので、「少し休暇を取られたらいかがですか」と私が言ったら、「僕が今長期に休まなければならないような病気になったら、僕はクビだよ」とNさんは言ってました。 新井氏は読解力がないとAIに仕事を奪われるといっていますけれど、仕事の厳しさをどれだけ知っているのでしょうね。 失敗したら政治家に泣きついて間違いを指摘した人間を徹底的に妨害して守ってもらえる職場はないですよ。


私は初めて新井氏の本を読んだときからアミラーゼの問題とこの問題が心に引っ掛かっていました。 少なくとも国語の授業でこういう読解力をつけさせるような説明文は読まなかった。 子供たちは読む練習を積み重ねたあと、書く練習に入ります。 そのとき、こんな文ばかり読ませていたら子供たちは何を言いたいのかわからないような支離滅裂な文章ばかり書くようになってしまうのではないか、と危惧しました。  これが論理的な読解力と推論で解く数学の文章問題なら、数学の先生が数学の時間にご指導なさればいいでしょう。 国語の授業ではこういう説明文は読みません。本を読むときもこういう説明文はありません。  本は明確な論旨に基づいて書いていきます。 何が言いたいのかわからないような本、知りたいことをわざと隠して書いたような本はありません。 だから新井氏のテストの点数と読書量には何の相関関係もないのでしょう。彼女の作ったこれらの問題は少なくとも、国語で言うところの読解力を測る問題ではありません。 私は青年期には、本が的確に読めるようになる読解力を育てることは非常に重要だと考えます。国語教育で言う論理的な思考は、論旨がはっきりした本を読むことによってついてきます。(その結果論旨がはっきりした文も書けるようになります。)論理的な思考は、青年期の思考力を育てるのにとても大事だと思います。自分の目標を達成するためには、どういうステップを取っていけばいいか、社会の問題を解決するためには何が必要か。そういうことを青年期に論理的に考えていけるようにするのはとても大事だと思います。なぜなら、自分が考えて出した結論に「それでいいんだ」と納得できた時、自分の考え方に自信が持てた時、若い人は今まで以上の能力と集中力を発揮して、目標に向かって行くことができるからです。それを実際の行動に移した時、自分のどこにそんな力があったのだろうと思うほど爆発的な力を発揮する若い子もいます。そのくらい、訓練をして、筋道を立てて考えられる、自分の出した結論、考え方に納得できるという事は大事なことです。  そういう観点からすると、新井氏の作ったリーディングテストの成績が読書量と関係ないなら、国語教育の意味で読解力を測っているかどうかわかりませんので、青年期に新井氏のテストをさせる必要はないと思います。(アミラーゼの問題だって、わざと子供たちを罠にかけて間違えさせる問題でしたし、こんなテストをわざわざ子供にさせる必要はありません)私は初めて新井氏のリーディングスキルテストの例題をやってみた時、読解力というよりはテスト問題に答える技術、という気がしました。それに、こういう何を言いたいのかわからない文を読んでいると何が言いたいのかわからない文を書くようになりますので、新井氏のテストなどやらなくていいです。 新井氏のテストをするよりは本を読んだ方が論理的な思考力を鍛えていけます。これからの人生に必要な論理の組み立てがしっかりした思考ができるようになります。青年期は論理的な読解により培った、骨組みでしっかり考えられる思考力を身に着けます。そういう読解力、骨太な思考力は彼らが生きていく上で力となります。良い本から力をもらうことはたくさんあります。 
 私は今回新井氏のことを知るもっともっと前から、「AIに負けない子どもを育てる」などという言葉を聞くと非常に違和感を感じていました。 AIというのは電源を入れると数量的な処理をする機械のことですよね。  機械は「思考」もしないし、「感動」もしないし、「問題意識」を持つこともない。 (私は「問題意識を持つこと」が、その人間が今まで気づかなかった自分の能力を発達させる大きな引き金になると思っています。 例えば、問題解決の方法は、現時点で誰も正解がわからないことを思考したり、実際に行動したりしながら求めていくことになります。 この過程で、思考力も行動力もとても鍛えられるでしょう) 機械はただの電気で動く「物」です。人間の持っている可能性は機械とは比べ物にならない。機械と人間は全く違うものです。 毎日生きている人間(子供たち)」を見ている教育者は「電気で動く機械に負けない人間(子供)を育てる」なんて考えもしません。 教育とはその子(人間)が内に持っている力を引き出して、育てること。今も昔もそれは変わらない。 人間が内に持っているものを引き出そうと毎日努力している教育者は機械のすることなんか考えない。  なんで機械とは全然違う人間(子供達)を同じところに置いて比べるの?と思います。私には「AIに負けない子供を育てる」は「銀行ATM(機械)に負けない子供を育てる」くらい違和感があります。 そんなちゃちなこと見て教育なんかしていない。 教育原理の伊勢田先生も教育心理の仁科先生も「教育とは人間を育てること」それを一番最初に私の心に植え付けてくれました。 新井さんは人間の子供達と電源入れれば動く機械なんかをよく比べる気になりますね。 


私は、こちらのブログで書いたセミナーで、通訳の方がとるメモの方法について習いました。 聞いている英語はどんどん進みますので、メモに時間を取っている暇はありません。 通訳の方々は→(矢印)や①,②などの番号や =(イコール)や括弧などを使って、手早くメモを取るようです。  それをそのセミナーで習って、実習が始まった時、ヘッドフォンで英語を聞きながらメモを取っている受講生の間を先生が回っていらっしゃいました。  その時、私の横にいらした先生から「以前こういうメモの取り方を習ったことがあるのですか」と聞かれました。私は「ありません」と答えました。  でも、今思うと私が10年以上にわたって自分が直面する問題を書いて整理し、解決を図っていた間に、そういう要点のまとめ方が身についていたのだろうと思います。実際、私は問題の構図がよく見えるようによく記号を使って図にしてまとめました。  そして、そういう要点をまとめていく思考の仕方はいつ身についてきたかといえば、この時だったのだろうと思います。 先生から、「川合、勉強しろよ。  君が集中して勉強出来るのは、これから結婚するまでの間だ。  先生の言う勉強は学校の勉強のことではない。  読みたい本を読め。  考えたいことを心ゆくまで考えろ」といわれ、私は、考えながら本を読み、本を読んでは考えました。 多分この時に思考を整理しながら、論旨を追って考えていくことが、思考の訓練になっていたのだろうと思います。 青年期に論旨をとらえながら本を読むことは思考力を鍛えるうえでとても大事だと思います。  新井氏のテストが、読書量と全く無関係なら、青年期にする必要はないと思います。 国語教育の意味で、重要な点を組み立てる読解力や思考力を育てているわけではないですから。
もし、私と同じことをやってみたいと思う高校生の方がいらしたら、一つお伝えしておきたいと思います。  いくら「心ゆくまで考えろ」といわれても、やはり、中間試験や期末試験の時はいったんその思考あるいは読書は中断して、試験の勉強をしてください。 その時やらないと後から追いつくのが大変になります。 それから、社会の問題などはいくら考えても出口が見つからないときがあります。まだ高校生ですからね。  そういう時は自分の無力さに絶望しないで誰かに話してみてください。友達でも先輩でもいいです。  大人はずるいって思うこともありますけど、大人にはちゃんと大人のやさしさがあります。 時には頼ってみてもいいと思います。   問題が全部解決できなくても人間一人分の努力が出来ればそれで充分だと思います。 

3/27新井紀子氏が東京都教育委員として説明責任を果たしていないことについてはこのブログの終わりの方にピンクの大文字で書いてあります。 (1)新井氏のテスト作成手順に重大な誤りがあること(子供たちに実際に教科書を読ませたデータを取っていない)、(2)設問に著しく不適切な内容があること(具体的には子供たちを罠にかける問題であること)、(3)読書と読解力は関係ないという主張。 読書量と新井氏作成の読解力のテストの点数にまったく相関関係がない。 でしたら、新井氏のテストが本当に読解力を科学的に測るテストであるのかどうか検証が必要です。(私は初めてこの問題を見た時は読解力というより「テスト問題に答える技術」という気がしました) 新井氏が教育委員としてこれらの指摘に全く答えず徹底的に無視して逃げ回っているのは「誠意がなくても教育委員の仕事なんかできる」という教育委員の仕事を軽視する姿勢の表れです。教育委員が教育者からの指摘に誠実に答えるのは当然の義務です。 都議会でお答えいただいても結構です。そうすれば各党の都議会議員も新井氏に質問ができますから。 (新井氏の教育委員への任命は都議会で行われたようですので。新井氏の教育委員としての任期は令和5年(2023年)9月30日までのようですね)その場合は、東京都に友人がいますので、資料を送ってもらいます。もちろんインターネットでも見られるでしょうけれど、私は正式な文書で新井氏の回答を残し、時間をかけて詳細にわたって検討したいと思います。  新井氏は教育委員として説明責任を果たしてください。 なお、ご回答の際は責任者である新井氏ご自身の言葉でお答えください。 他のどなたかに書いてもらうのは責任者としても、教育委員としても無責任だと思いますので、新井氏ご自身の言葉でお答えください。教育委員として誠実にご対応ください。 逃げ回ってお答えにならないのは、教育委員の仕事を著しく軽視している証拠です。 

(2022年3月4日)下村博文が教育行政にいることによって、日本の国際競争力は30%低下する。陰謀論を信じる人達にとっては下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。

「業者を儲けさせる為に、公教育の内容の一部を作為的に学校で教えないこと」によって、日本の国際競争力は30%低下する。

東京都は高校入試でスピーキングテストを実施することを決めています。 高校入試は本来中学校で習ったことを出題することが決まりですが、中学校でスピーキング教育は行われていません。 私がここで言っているスピーキング教育とは、「生徒が通じる正しい発音で英文を言えるようにする」教育です。 日本では現在、生徒に英語の教科書のCD(音声モデル)も持たせていませんので子供たちは発音練習するすべもありません。

学校で教えてくれないことが高校入試で出題されるとわかった時、保護者がすることは決まっています。 「塾や会話学校で教えてもらう」です。  けれども経済的な事情で塾にも会話学校にも行けない子供たちがいます。 以前塾に行っているのは生徒の7割くらい、と読んだ覚えがあります。 現在はどのような割合かわかりませんが、似たような割合だろうと思います。(そして、この高校入試でのスピーキングテストはやがて全国に広がっていくでしょう。 東京都に導入させた政治家は全国に広げるつもりでしょう。)

つまり3割の子供は必要なことを学校で教えてもらえなかったら、身に着けることはできません。 私は英語の教科書のCD(音声モデル)を生徒に与えてください、と言い続けてきました。  日本語と英語ではこれだけ音もリズムも違うのですから、それを身に着けようと思ったら、CDが必要だということは誰でもわかります。 コンピュータだって学校にあれだけ大量にそろえてくれるのですからCD一つ生徒に与えないのは、作為的に文科省がやっていると容易にわかります。  学校で、完璧なスピーキング能力を身に付けられれば、誰も会話学校に行きませんから。業者を儲けさせる為に公教育でするべき内容を作為的に教えないようにしています。 2020年「東大に英語民間試験をやらせろ」とすごんでいたのは下村博文でした。 教育行政で、業者が儲かるように方針を決めているのは下村博文です。

3割の子供は、スピーキング教育を受けられないまま高校受験に臨む。 本来なら学校でスピーキング教育を受け、学校から配布された教科書のCDで練習して、その努力に見合ったスピーキングテストの点数を取得して、自分が行きたい高校に入れるよう点数を取得できるはずなのに、学校で教えてくれないから、スピーキングテストの点数が取れないままの点数でいける高校に進学していきます。

つまり3割の子供たちは必要なことを教えてもらえない、そして自分にふさわしい教育を受ければ、本来の実力を発揮して進路を歩むことができたのに、不利をこうむった点数で進路を決めていくことになる。 つまり自分の本来の実力にあった教育を受けることが出来なくなる。 その子たちは自分の実力を十分に伸ばす機会を失います。

世界の国々では、業者が儲かるように公教育の内容の一部をわざと教えない、などという国はありません。  どこの国でも、国の未来を作る子供の教育では、教えるべきことはきちんと学校で生徒に教えています。  だから、例えば、外国では、10000人の子供に公教育を行えば、100人の各方面でリーダー的存在になる国民が育っていくとすると、日本では3割の子供が、公教育で充分な内容の教育を受けられないので、10000人の子供に公教育を行っても、70人しかリーダー的存在になる人間が育たない。ということになります。 

(大学入試でも、各大学はスピーキングテストをするよう文科省から求められていますが、自分の大学でスピーキングテストをする施設も人材もない大学がほとんどでしょうから、多くの大学が民間試験に頼ることになります。 その結果、経済的に複数回受けられない、あるいは住んでいる地域での受験が難しい、という理由で不利をこうむる受験生が何割か出てくるでしょう。 そうするとまた、受験料だけで済むはずの教育で、追加で課されるスピーキングテストのため、学力以外の要因によって自分の実力を充分に発揮して進路を選べない生徒が出てきます。 つまりここでも、何割かの生徒が充分に能力を伸ばす大学への入学が出来なくなり、人材の育成の割合が低下します。)

つまり、公教育の内容を「業者を儲けさせるために」作為的に取り除く下村博文のような政治家がいることによって、日本で育つ人材の数が低下するということです。

岸田首相が、日本の国際競争力を高める方針を懸命に実施しても人材が、他国より3割減少した人数しか育ちませんから、首相の努力は 0.7倍(3割減)しか機能しないことになります。 人材が育たない、というのはそういうことです。 政府がいくら良い政策を実行しようとしても人材が足りなかったら、効果は0.7倍(3割減)となります。

「公教育を浸食する」「業者が儲かるようにわざと公教育の内容の一部を子供に教えない」「公的なテストを業者に肩代わりしてやらせる」というのはそういう問題を引き起こします。  経済的に恵まれる、恵まれない、に関係なく能力や才能のある子はいます。 そのすべての子供の能力を伸ばそうとするのが、公教育の役割です。  ところが業者の利益のために、その公教育で本来教えるべきことをわざと教えない。 本来国がやるべきことをわざと業者に(例えば、スピーキングテストという形で)させる政治家がいると日本の人材は他国の0.7倍しか育ちません。 つまり3割少ない人数しか育たない、ということです。

公教育は国家の未来を創る人間を育成します。 公教育を浸食する政治家、下村博文がいるために、日本の国際競争力は30%低下します。
生徒全員に英語の教科書のCDを与え、学校で生徒全員にスピーキング教育をするべきです。
公教育を妨害し、日本の人材育成を妨害する下村博文は、首相の努力も政府の努力も妨げる。 陰謀論を信じる人達には、下村博文は「どこかの国が日本を没落させるために送り込んだスパイ」のように見えるでしょうね。


2022年1月31日 オレンジ色の文字の部分の下に「教育現場の先生方へ」という題で加筆しました。 その最後に赤い字でデジタル庁、文科省GIGAスクール構想)について加筆しました。一部そこから転載します。
国民を騙すデジタル庁のしたことは窃盗、監禁などと同じ「犯罪レベル」です。岸田総理は安倍元総理より悪質です。安倍元総理は高校時代のデータだけでしたが、岸田総理は「生涯教育」といって国民の一生分のデータをだまし取る。 国民の一生分の教育の歴史をだまし取る。 国民の人生の記録をだまし取って業者に売る(献金もらう)。 岸田首相は歴代首相の中で最も悪質です。 「全国民の人生の記録をだまし取って業者に売る」日本憲政史上最悪の総理大臣です。 2022年1月27日 デジタル庁の方針について最後の方にオレンジ色で加筆しました。その中に青字でデジタル大臣牧島かれん氏の間違いを指摘しました。2021年9月28日 中ほどに緑色の字で書いてある部分があります。     その下に文部科学省GIGAスクール構想は本当に個別最適化された学びを実現するものか?」を書きました。




(中ほど* * *の部分から今日のブログが始まります)そこに、私が受験したときの津田塾大学の記述式試験について書いてあります。

(2月27日木曜日教育再生実行会議の本当の目的)
私のブログアクセス数はどこからかの妨害によって見るも哀れな状態ですけれども、多くの方が読んでくださることを願っています。一応、親しい友人には、「私のブログへのアクセスができなくなったときには教えてね。」と2月1日(「民間試験導入へのシナリオはすでに出来上がっている」と書いた日)に頼んであります。

子供たちは授業で継続して「評価」を行うとこういうスピーキングをするようになります。民間試験を受けてもこうはなりません。「教育再生実行会議」の委員は英語教育については何も知りません。スピーキング能力を上げる方法も知りません。   今日(2月26日)先生方のツイッターこちらを見ました。ここまでしつこく民間試験に執着するということは「教育再生実行会議」の目的は教育の分野に業者を参入させることだったのですね。 また、こちらのポートフォリオというのも「ベネッセさんのシステムではなくあくまでも委託事業のシステム」と書いてありますが、業者が関係してくることは同じですね。 だったら、こんな回りくどい名前(教育再生実行会議)にしないで「教育に業者を参入させる会議」とはっきり命名したほうがわかりやすくてよかったと思います。 業者を参入させるために「4技能」「記述式」「主体性」と随分もっともらしい教育目標を考えたのですね。(でも、ベネッセのアルバイトに文章を採点させるとか、英検とTOEFLの対照表を作るとか、お粗末なものでしたけど。とにかく業者の参入が優先だから、こういうお粗末なものになるのですね。TOEFLと英検の対照表なんて、私の中では前代未聞の珍事だった。取り扱う英語が全然違うでしょう。)どんな理屈をつけても教育に業者を参入させるのが、この会議の目的だったのですね。(本当のことを言ったら、国民に受け入れられない、と命名した人は分かっていたんですね。つまり、「教育再生実行会議」という名前は最初から国民を騙すつもりで付けた名前ですね。) 教育の目的はビジネスの拡大とは違います。もし、本当に、「4技能」「記述式」「主体性」を子供たちに身に付けさせたいのであれば、まず、授業でそれにどう取り組むか、を考えるべきでしょう。それが、学校教育です。それこそが文部科学省がすることです。 まず、「評価」を持ってくるのは、「授業」では業者は入れられないけれど「評価」なら、業者を入れられるからですね。 このからくりでこの教育再生実行会議はずっと先生方を騙してきたのですね。 だましたのも一度ではないです。「民間試験を検討する」と言いながら、水面下で導入を目指し、ここでも、先生方を騙してきました。 人をだまして何かを教育の現場に導入させようとするこの会議は即刻解散するべきですし、この会議の決定も即刻白紙に戻すべきです。信頼のないところに教育などありえないです。(蛇足ですけれど、広辞苑によると「主体的」というのは、ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場に置いて行うさま。例「主体的な判断」「主体的に行動する」と書いてありますので、生徒に主体性を身に着けさせるには、まず、学校生活や社会生活で、自分から何をしていくかを考えさせて実践させることから始めたほうが良いのではないですか。そのほうが生徒の主体性を育てられると思います。教育では、「指導せずに評価する」などありえないです。 こんなに政治家に何度も騙されるなら、国民は自衛として、ベネッセの不買運動でもするしかないのでしょうか。でも、こどもちゃれんじとかやっているお子さんは多いですから、それも難しいのでしょうかね。だけど、これだけ悪質な企業も珍しいと思います。子供を食い物にするそのやり方が私はとても嫌です。ベネッセはそうやって儲かったお金で、献金するんでしょう。それでまた、ベネッセに有利な仕組みを作ってもらうのでしょう。皆さんが、教材など、もし選択肢がほかにあるなら、ベネッセ以外を選んでくださればいいなあ、と個人的には思います。)2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。生徒は学校の勉強と家庭学習をしていれば、ネイティブ発音でスピーキングできるようになるのですから、お金もかかりません。 スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 


国会議員が勝手に「○○会議」を作って、勝手に委員を選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。これが子供を食い物にする「ハゲタカビジネスモデル」です。 民間試験導入はこうして決まりました。 「教育再生実行会議」の人々は誰一人英語教育についてはご存じありません。知らない人に諮問して、知らない人の提言を実行して、教育の何が良くなるのですか。 国会はハゲタカビジネスモデルの使用を禁止する法律を制定してください。  そして国会議員が「特定の事柄を行うよう文部官僚に強要することを禁止する」と明記してください。違反した場合は議員活動停止など、具体的な罰則事項を明記してください。「ハゲタカビジネスモデル」がはびこる前にどうしても止める必要があります。 もし立法できなかったとしても、今後「○○会議」「○○委員会」が作られたらみんなで注視して、違反行為が行われていないか監視しましょう。もっともらしい名前に騙されないようにしましょう。教育は「再生」するどころか、もはやハゲタカに食い荒らされて、瀕死の状態です。「再生」していないのなら看板に偽りありですから、この会議は解散したほうがいいと思います。  逆に教育を食い物にした人の問題集はよく売れて儲かる。 まさに「教育再生実行会議」は「ハゲタカビジネスモデル」ですね。百害あって一利なし。即刻解散したほうがいいです。当然ですが、この会議が決めたことはすべて白紙に戻したほうがいいです。もちろん民間試験導入も。  

2月11日 朝、パソコンを開けたら(9:00)、ブログアクセス数は「0」でした。 10年ブログを書いてきて初めてでした。 文部科学省の妨害は相当きついですけれども、皆さんに知っていただきたい内容だったので、つぶされることも覚悟で書きました。 ツイッターなどで多くの方々にお伝えください。  私のように肩書もない一英語教師は圧力をかけられればすぐにつぶされてしまうのでしょうから(ブログだって、簡単にアクセス「0」にされてしまうくらいですから)つぶされる前に(まだ皆さんがブログを読んでくださっている間に)、最後に言いたかったことをひとこと言わせていただきます。  文部科学省や一部の国会議員、一部の大学教授、一部の経済界で活躍する方々は、もっともらしい名前の「会議」や「委員会」を作ってそこで子供を食い物にする「お金儲けの話し合い」をするのはおやめください。子供を守るのが大人の仕事ですから。 どんな立派な名前を会議に付けようと「ハゲタカ会議」や「ハゲタカ委員会」は子供にはいらないです。 「○○委員会」や「○○会議」は違法なことを「合法的に行った」というための隠れ蓑(かくれみの)に使われている。 自分の意向に沿った人間をたくさん会議に送り込めば、自分の思う通りに事を運べます。「ハゲタカ委員会」だって、「ハゲタカ会議」だってそうやって人選したのでしょう。思い通りにしたかったら何でも「○○会議」を作ればいいんです。 本来、入試を民間の業者に委託するかどうかなどという問題は国会で協議してから与野党の合意のもとに導入されるべきではなかったのですか。それを○○会議が決めたと言うからもともとが少数の意思であったものが(あるいは国会議員一人の意思であったものが)、まるで法律で決まったかのように導入できたのではないですか。 まるでマネーロンダリングのように「意見の出所を隠す」ために○○会議が使われたのではないですか。「資金洗浄」ならぬ「意見の出所洗浄」に「○○会議」が使われたのではないですか。 これからは「○○会議や○○委員会で決まったことは、国会の承認を経てから実行される」というような規定を設けたほうがいいのではないですか。そうしないと、好き勝手に委員会や会議を作って好き勝手なことをされてしまいますね。 これだけみんなが反対しているのに文部科学省が民間試験を死守しようとするのは、言われた通りしないと、怖いからなんでしょう?          私のブログのアクセスが禁止にならないことを祈っています。(私を「妨害する」ということは文部科学省だって、私の言う通りにすれば子供たちのスピーキング能力が上がるとわかっているのでしょう。分かっていてもそうできないのよね。ボスハゲタカが怖いから。人事権も握られているし。私の言う通りにしたら、ボスハゲタカがやりたがっている民間試験ができなくなってしまうからね。) 


民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている(2/1/2020)

文部科学省は、今は「民間試験導入に関して公平な議論をする」方針ではないのですか。 下のコメント(民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいない)と書いた日から、戻りつつあった私のブログのアクセスが再び激減しました。また同じ日から、いつも4つの検索ワードで検索すると2位に出てきていた「中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか」という2017年11月2日のブログが検索結果に全く出てこなくなりました。  文部科学省は今行っている、「検討会議」とか、調査とか、みんなただのポーズ(見せかけの態度)でやっていて、それが終わったら、「調査をやった」「検討した」「問題点を改善した。だから民間試験を導入する」というシナリオがもうすでに出来上がっているのではないですか? そうでなかったら、私のブログにこんな操作がされるのはおかしいでしょう。  上に上げたブログは1年以上毎朝同じ検索ワードで検索してきたものです。(昨年「英語教育改革は失敗した」と書いたとき一時検索結果に全く出てこなくなりましたけれど、その事をこのブログに書いた後、またいつもの順位に戻ってきていました)  いつもその検索では2位にあったものが、なぜおとといから突然、検索のどこにも出てこなくなったのですか?  また、同じ時から私のこのブログのアクセスが激減するのですか?(そういうことを専門に操作する機関がある、と昨年の7月知りました)  もしかして、文部科学省は民間試験に賛成する人たちが、「中学高校で学校の勉強の一環として、発音習得をやった経験がない」と私が書いたことを人々の目に触れさせたくないのではないですか? 私は文部科学省が公平な議論をしているようなふりをして、実は水面下で民間試験導入に向けて、情報操作をしている、とこの時、感じました。 だとしたら、今多くの先生方が一生懸命されている努力を踏みにじるものです。  この先に待っているのは、「検討した」「調査をした」「問題点を改善した」「だから民間試験を導入する」という文部科学省のシナリオではないのですか? 民間試験導入を「合法的に行っている」と主張するために「委員会」や調査をさせているだけではないのですか?  そういう視点から見ると、今、先生方が、疑問を呈している文部科学省の行動がよく説明できるのです。 私はこういうことをブログに書きましたので、この先、つぶされてしまうかもしれませんが、民間試験導入を生徒のためにやめさせようと努力されている先生方にお伝えしたかったので、怖かったですけれども書きました。 

民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。

【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です

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大学入試は各大学が行う入学試験だけで充分です(40年前に思ったこと)
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私が大学生になるころまで、大学入試は各大学が行う入学試験だけでおこなわれていました。 そこへ突然、各大学が行う試験以外に「全受験生が受ける共通一次試験を行う」という案が起こってきました。  「各大学が試験をしているのだから共通テストなどいらないだろう」というのが当時の多くの人の意見でした。 特に私立大学はそれぞれ特色のある教育をしているのだから共通テストを学生に課する必要はない、というのが多くの私立大学の考え方でした。

ところがこの方針はなかなか取りやめになりませんでした。 当時、自分の大学受験が終わっていた私は、その問題を深く考えることもしませんでした。  たぶんそれが政府の方針で、すでに実行の方向は確定していたのでしょう。 そんなある日、教育原理の授業で伊勢田耀子先生が授業の合間にこういうお話をされました。 


共通一次試験を行うかどうかを話し合う方々の中に、自分が国立二期校出身の先生がいらして、その方が国立一期校と二期校の区別をなくしたいという強い思いを持っていらっしゃるのです。 それで、全大学共通の試験を実施しようと大変熱心なのです。」とおっしゃいました。  当時国立大学には一期校と二期校の区別があり、人々の間では「二期校は一期校より劣る」という認識がありました。ですから、その先生は自分が世間で劣ると思われている二期校出身だという事実をなくそうと共通一次試験の導入に一生懸命だったのだろうと学生だった私は思いました。(もちろんそれは政府の方針でその先生がどう思っているかなど関係ないことだったと思います。でも学生だった私は、「共通一次試験を行うかどうか、国の制度を変えるような大変なことが、個人の劣等感を強い動機に動かされるというのは、驚きだなあ」と思いました。今の民間試験もお金儲けが動機でしょうから、国の制度も非常に原始的な動機で動いているというのもあながち間違いではないかもしれませんね。) その時、講堂で授業を受けていた学生全体がどよめくようでしたから、私のように思った学生はたくさんいたと思います。  教育原理の授業は、数学、英語、社会科、すべての教師になる学生の必修科目でしたから、大きな講堂のような教室で行われていました。 その学生たちが一瞬どよめくようでした。 そして、共通一次試験実施によって、国立一期校、二期校の区別はなくなりました。  共通一次試験は、その後大学入試センター試験に変わり、今年で最後となり2020年度からは大学入学共通テストが実施されるそうですね。

私は、全受験生に共通のテストを受けさせることなど、もともと必要ないものであると今でも40年前と同様に思っています。 夫は私より少し年上の世代ですが、先日「お父さんは当時共通一次試験についてどう思った?」と聞いたら、「大学が入学試験をするんだから2回もいらないと思った。」と言っていました。当時はそれが、普通の反応でした。 なぜあの頃、共通一次試験という案が出てきたのか、すでに自分の大学受験が終わってしまった私は深く調べることもしませんでした。たとえ、調べても、今ツイッターで情報を公開してくださる先生方のような情報は分からなかったと思います。



伊勢田先生は教育原理の最初の授業で、次のようなお話をされました。「教育とは何か」  先生は教育の「教」という字の左側の部分の成り立ちを説明しながら、(教の字の左側半分の下の部分は「子」という字ですね。)この部分を「弱い子を抱きとる」というようにおっしゃいました。 つまり教育とは「弱い子を抱きとって育てる」とおっしゃいました。(インターネットで調べたら、これとは違う解説でしたが、私は伊勢田先生がこう教えてくださってよかったと思います) 

なぜ「教育」が「弱い子を抱きとって育てる」という意味なのか、それ以来、ときどき私は考えました。 弱い子と言うのは大事に育てないと死んでしまいます。  弱い子と言うのはやさしく手をかけて育てないと死んでしまいます。  たぶん教育というのは大事に手をかけて子供を育てることなのだろうと思いました。



私が大学受験をした年の津田塾大学国際関係学科の世界史の試験は記述式でした。  ただ一問「1870年以降の世界の情勢について述べなさい。」という問題だったと思います。    私の答案の書き出しは、「世界はこのころから帝国主義的傾向を強める。」だったように記憶しています。

「自分の書く文章を自分が入学して学びたい大学の先生が読んでくださる」そう思って、試験時間内、一生懸命書いたのを覚えています。  入学して、私の担任になってくださったのは藤村瞬一先生でした。  藤村先生はある時、学生との親睦の食事をしていた時に、「僕は世界史の答案を採点したんだけど、目にじんましんが出来るようだった」と笑いながらおっしゃいました。 大学の先生方は、どんなに採点が大変でも、「自分の大学に、こういう学生が欲しい」という強い思いを持っていらっしゃるから、目にじんましんが出来るような採点でも、一生懸命してくださるのだろう、と思いました。自分が入学したい大学の先生が読んでくださると思うから私も一生懸命答案を書きました。  藤村先生がそうおっしゃったとき、 「この先生が、私の答案を読んでくださったのだな」と思いました。 その時、自分の書いた答案の書き出しが頭に浮かびました。 大学の先生方は、「自分の大学にはこういう学生が欲しい」「こういう学生を教えて、育てたい」という強い思いを持っていらっしゃるから、一つ一つの答案をどんなに大変でも読んでくださるのでしょうね。 入学してから、いろいろな国際問題を考えてみると確かに入試に出題されたあの時代に原因の一端がある問題がとても多いと思いました。 先生は「今、国際関係を学ぶ学生にはあの時代のことをきちんと理解したうえで学んでほしい」という思いがおありだったのだ、と思います。 この記述式の入試問題は「国際関係学科で学ぶ学生には、この時代のことをきちんと理解した上で入学してほしい」という先生の思いの表れなのだな、と思います。「国際関係学科にはこういう学生が欲しい。こういう学生を育てたい」という先生の思いがよくわかる入試問題でした。

藤村先生は、一年生全員が履修する国際関係概論を教えていらっしゃいました。  前期後期の試験は記述式でした。 先生は「テストには何を持ち込んでもよい」とおっしゃいました。 学生はいつも数冊の本を持ち込んでいました。 私は、大学の先生というのは、学生の書いた文章を読めば、その生徒が、どのくらいそのことについて考え、勉強し、調べ、本を読んでいるか、よくわかるのだろうと思っています。  それは、その分野を研究し、教えてきた大学の先生だからこそわかることなのだろうと思っています。(ベネッセのアルバイトにはこういうことはわかりません。) 受験生の小論文を読んで、その生徒がそのことについてどれくらい考え、勉強しているか、判断できるのは大学の先生のほかにはいないと私は思っています。 私は今まで、大学の先生をとても尊敬してきました。 大学時代講義を受けた国際関係学科の先生も英文学科の先生も今でもそのお顔が鮮明に思い出せるほど、授業の印象は強く心に残っています。 おっしゃった言葉を時々思い出すこともあります。 でも今回、大学の先生にも尊敬できる先生と尊敬できない先生がいるのだということを目の当たりにしました。

物事というのは大きくなってくると大きなお金が動きます。  大きなお金が動くところには必ず、悪い人が入ってきます。  大学入試も各大学が個別に行っている分にはそれほど大きなお金が動くこともないし、それでお金儲けができると先生方は考えないでしょう。 生徒が多くなれば受験料も大きな収入でしょうけれど、「50万人」とは規模が違います。

ところが一回に受験生全体、50万人というと(複数回受験するとそれ以上)民間試験のような場合には、受験料の合計だけで、億というお金が動くことになります。  こうなると各大学の先生が受験生の採点の時に持つ「自分の学校にはこういう学生が欲しい」という思いとはかけ離れた思いを持つ人たちが入り込んできます。  もはや学生を「大事に育てたい」という思いのない人がたくさんそこに入り込んできます。  これが質の高い教育をどんどん壊していくと思います。(スピーキングの評価なら民間試験はいらないと何度も私は申し上げていますし、その証拠も音声で載せてあります。)

一連の試験の中で、先生方が自分の学校にとりたい生徒を選ぶときのような気持を持っていたら、それほど不正は生まれないでしょう。   各大学が入学試験をするのだから、共通試験などいらないのではないですか。 もともと共通一次試験などなぜ必要なの?とあの頃(40年前)みんな思っていました。 共通一次の話がでると、みんな「もう試験は大学がやっているんだからなんでそんなものいるの?」「??????」という感じでした。  

「基本的な部分は共通テストではかれて、個別試験で限られた層に適した問題を出すことが出来る」という意見もありますけれど、例えば、東京大学の試験を受ける人が、基本的な部分を勉強していないことがあるのでしょうか。当然、基本的なことは勉強しているでしょう。 基本的なことを勉強していなかったら、どんな層に適した問題だって解けないのではないですか。  共通テストをやめたって、本当に基本ができている生徒がとりたいと思えば、自分の大学の入試で、基本的な問題を出せばいいでしょう。 英語に関して言えば、基本ができていなければ、どんなテストも出来ません。   読解も出来ませんし、英作文も出来ません。 (単語を意味が通るような語順に並べることが出来ませんから)  だから、基本と各層に適した問題などと2度に分けてテストする必要はないと思っています。 (個人的なことを言えば、津田塾大学の世界史の試験は記述式一問でしたけれど、私は世界史は文明の起源から、第二次世界大戦後の世界まで、まんべんなく勉強しました。 受験生はみんなそうではないですか。 共通一次試験がなくたって、受験生はみんな基本は学んでいます。 あの時の津田塾大学の入試で「1870年以降の出来事」だけ山をかけて学んで、その他の世界史の重要事項は何も勉強していない、などという受験生は一人もいなかったと思います。 基本を勉強するのは、勉強の手順として当たり前です。誰でも学習の一番最初にすることです。 基本を勉強していなかったら、どんな問題も解けません。)



文部科学省がこれからは記述式問題を増やす方向で出題してほしいと思うのであれば、そのような要請を各大学にすればいいでしょう。  各大学はそれに沿った出題をするでしょう。  立教大学のように民間試験をしたい大学にはしてもらえばいいでしょう。 「規模の大きい大学はどうするか」それはその大学の先生方に考えていただけばいいでしょう。 先のブログで、民間企業の人たちは一見不可能に見える問題にも挑戦していかなければならない、と書きました。 先生方が挑戦したら、今まで誰も考えもしなかった良い方法が見つかるかもしれません。 最初から出来ないと思うことなどありません。 「学生に未知のものに挑戦して」というのなら、先生方も挑戦してみてください。

教育は「こういう学生を育てたい」という思いを持つ人々だけがかかわれるような規模で行えるようにしておくほうが、教育の質は保持できます。 大学教育というのは入学試験で「うちの大学にはこういう学生がほしい」と先生方が選ぶところからもう始まっているのではありませんか? だから各大学が行う入学試験だけで十分だと思います。

共通テストに記述式を入れてベネッセの学生アルバイトに採点させる、という話を、先生方のツイッターで読んだとき、「もう、だめだなあ。こんなことでは学力は上がらない」と思いました。 私はアメリカにいたと言ってもニュージャージー州の私の周りの高校生のことしか知りませんけど、アメリカ人は本当に書くことをよく鍛えていました。 中学生はリーディングの授業で本を何冊も読んでいました。 プロジェクトで考えることもたくさんさせられていました。 ベネッセのアルバイトに採点させる記述式ではもう、とてもとても太刀打ちできないと思いました。中止になったとはいえ、その程度の認識で考えていたのですよね。 子供を変えたいのなら、授業を変えなければなりません。 テストの話ばかりするのは「テストなら、業者を入れられる」 「授業には業者は入れられない」だからでしょう。 でもね、子供の実力をつけるのは授業、子供を変えるのも授業。 学校教育は授業なんです。 先生方が「テストを変えれば高校生の実力が変わるというのは考え方が間違ってる」と何度も指摘されています。 その通りです。 でも、民間試験を推進しようとする方たちはすべて承知でおっしゃっているのです。 なぜなら「テストなら、業者を入れられる」「授業には業者はいれられない」からです。 「民間試験を導入したい」と主張する方のお話しを聞くときは「テスト業者を参加させるのが最も大事」「テスト業者を儲けさせるのが最も大事」という前提で聞いていると、その方のお話しがよく理解できます。    一部の政治家の皆さん、お金儲けのために子供を売らないでください。 これはやがて、国を没落させることになります。 一時のお金儲けのために国を滅ぼさないでください。

悪い人を強制的に排除したかったら、共通テストをやめればいいです。 大きなお金が入ってこなければ、不正も減るし、業者も入ってこないでしょう。 40年前、「もう各大学が入学試験をやっているんだから、どうして、もう一つ試験をしなければいけないの?」と思ったその思いは今も同じです。 

繰り返しになりますけれど、もう一度掲載しておきます。
「基本的な部分は共通テストではかれて、個別試験で限られた層に適した問題を出すことが出来る」という意見もありますけれど、例えば、東京大学の試験を受ける人が、基本的な部分を勉強していないことがあるのでしょうか。当然、基本的なことは勉強しているでしょう。 基本的なことを勉強していなかったら、どんな層に適した問題だって解けないのではないですか。 共通テストをやめたって、本当に基本ができている生徒がとりたいと思えば、自分の大学の入試で、基本的な問題を出せばいいでしょう。    英語に関して言えば、基本ができていなければ、どんなテストも出来ません。  読解も出来ませんし、英作文も出来ません。 (単語を意味が通るような語順に並べることが出来ませんから)  だから、基本と各層に適した問題などと分けて2回もテストすることはないと思っています。  (個人的なことを言えば、津田塾大学の世界史の試験は記述式一問でしたけれど、私は世界史は文明の起源から、第二次世界大戦後の世界まで、まんべんなく勉強しました。 受験生はみんなそうではないですか。 共通一次試験がなくたって、受験生はみんな基本は学んでいます。 あの時の津田塾大学の入試で、「1870年以降の出来事」だけ山をかけて学んで、その他の世界史の重要事項は何も勉強していない、などという受験生は一人もいなかったと思います。  基本を勉強するのは、勉強の手順として当たり前です。 誰でも学習の一番最初にすることです。 基本を勉強していなかったら、どんな問題も解けません。)





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40年前、なぜ共通一次試験が導入されたのかわかりませんが、今の民間試験導入の問題を見ていると、受験生全体が必ず受ける共通一次試験の問題集でも出してお金儲けしたい人がいたのか、と勘繰ってしまいます。 その大学を受験する生徒の学力を一番真剣に判断するのはその大学の先生方です。 「こういう学生を取りたい」「こういう学生を育てたい」と思っている大学の先生方です。 それ以上真剣に判断する人はほかにいません。 だったら大学の先生方にお任せすればいいでしょう。  何で、50万人も一度に試験をやって機械で処理したものを使わなければいけないのですか。 そこには大学入試で一番大事な「こういう学生を取りたい、育てたい」という思いはかけらも存在しません。 共通試験をする理由を教えてください。 高校3年生の学力を客観的に判断する資料が欲しいなら、問題を配って高校でやってもらえばいいでしょう。 同じ日に50万人にテストを受けさせる。このために日本中が相当無駄なエネルギーを使っていると思います。監督の先生方、大きな会場。 共通テストは何のためにやっているのですか?  必要ありませんからやめてください。 そうすれば、不正も減るし、業者も入ってこないでしょう。 もちろん民間試験なんか必要ありません。「ベネッセのアルバイト」などという発想が出てくるような人が「教育再生実行会議」にかかわっているようでは、もう日本の教育は落ちるところまで落ちていきます。奈落の底まで堕ちていきます。 そこには「こういう学生を育てたい」という理想がないからです。 各大学に入学試験を任せたら、質が落ちることはありません。 大学の先生方は真剣ですから。 藤村先生が目にじんましんができそうなくらい大変でも見てくださったのは、「自分の大学にはこういう学生を取りたい」「こういう学生を育てたい」という強い気持ちがあったからでしょう。それに、大学の先生方というのは生徒の書いた文章を読めば、日常その生徒がどのくらい物事について考えているか、本を読んでいるか、いろんなことがお分かりになるのではないですか。 こういうところが、「大学の先生が評価してもベネッセのアルバイトが評価しても同じだ」としか思わない人たちとは先生方の見識が違うところなのです。 教育者には教育者しか持っていない感覚や物の見方があります。 教師をしていたころ、2年生を担任しているベテランの数学の先生と帰り道が一緒になったときがありました。 いろんなことを話していた時、その先生が、「電車の中で、中学生が4人並んでいたら、顔を見ただけで、その子たちの学校の成績もだいたいわかります」とおっしゃいました。  長いご経験からそうおっしゃったのでしょうね。 大学の先生方が生徒の文章を見て、感じることは、テスト業者が雇った人が感じることとは違います。 これが、同じだと思うような人が、共通テストなどに手を出すから教育が瀕死の状態になるのです。 共通テストに使うお金を各大学の入学試験に使ってもらったほうが、よほど良い問題を先生方が作ってださると思います。教育者が判断すれば済むものをなんでそこに業者を入れるのですか。 (英語に関しては「評価自体」学校で出来ます。業者は不要です。)

大学時代、仁科弥生先生の教育心理学の授業でこういう話を聞きました。  「アメリカの教育番組「セサミストリート」は当初期待されたほどの成果を上げることはできなかった。」 セサミストリートは良心的に作られた教育番組ですし、ゲストに話題性もあって、長く続いていますが、当初期待されていたほどの効果はなかった。ということでした。 ある程度の成果はあるのでしょうから、最初の期待がとても大きかったのかもしれませんね。  それに続けて仁科先生がおっしゃったのは、「やっぱり、その番組を子供と一緒に見て、~~なんだね。とかそばで言ってくれる人がいないと、高い効果を上げるのは難しいようです。」ということでした。 高い教育効果を上げるのは、その子をこういう風に育てたい、と思う指導者なんですね。 (あるいは、この子の興味を大切に育てたいと思う大人でしょう)



2021年9月28日 文部科学省GIGAスクール構想は本当に「個別最適化された学び」を実現するものか。

私は仁科先生の上の言葉が忘れられませんでした。 それは教育の核心に触れる大事なことを含んでいるからだと思います。  先生のこの言葉に関連して、文部科学省が進めるGIGAスクール構想について私が思うことを書いていきたいと思います。

下の解説(第1回から第5回まで記載してあります。 第1回の最初は黄緑色で書いてあります)を読んでいただけば、GIGAスクール構想が失敗するということがお分かりになると思います。 でも、政府はGIGAスクール構想が失敗するとわかったからといって、GIGAスクール構想の目的をどんどん変えて、失敗したときの逃げ道を作るのはおやめください。 2019年12月9日に発表された萩生田文部科学大臣のメッセージにあった「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」これが目的だったのですよね。だから国民だって、莫大なお金を使って一人一台コンピュータを購入することに反対しなかったのでしょう。少なくとも逃げる前に「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」を実現する努力くらいなさったらどうですか。  そうしなければ、国民を騙していたことと同じです。 「どんな子供でも理解度に合わせて学べる」とバラ色の未来を約束するようなことを言って莫大な予算を使っておいて、後で「そういう意味じゃなかった」というのは国民を騙すことと同じじゃないですか。少なくとも逃げる前に「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」を実現する努力くらいしたらどうですか。


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2022年4月30日
結論から言うとコンピュータは授業で先生がその内容に合わせて適切に使ったとき、例えば実際に子供たちが見ることができないものを映像で見せるなどして活用したとき、効果的に使えると思います。また、生徒が調べものをするなどに使えばそれなりの効果はあると思います。

でも、生徒をコンピュータの前に一人で座らせて、コンピュータから一方的に送られてくる内容で、勉強させることが、学ぶ意欲を子供たちに起こさせることはないだろうと私は思います。  昔教えていた中学校の英語科の主任の先生が、英語教材テープのことを話していたときに、「Repeat after me. とか言って、英文を学習者に言わせて、生徒がしゃべった英文を聞いてもいないのに、Good. とかいわれてもねえ。」と言っていたことがありました。 それこそコンピュータは、生徒の反応なんか見てもいないし、聞いてもいないで、画面が流れていく。 その前に座って一方的に送られてくる学習をさせられながら、子供たちが勉強したいと思うようになるかどうかはわかりませんね。  私みたいなタイプの生徒は、先生の一言一言にいろいろなことを感じていろいろなことを考えましたから、私が生徒だったら、コンピュータの前に座って知識を一方的に教えられても、面白くもなんともなかっただろうと思います。 こちらのブログの社会科の授業のところに書きましたけれど、「ひろみちゃん、先生のお話はどんな小さなことでもノートに書いておいてくれる?」と頼んだのは私が、先生のお話のどんな小さなことでも、自分の好奇心や興味や、疑問に感じることを自分なりに考えることが好きだったからだと思います。  私みたいな生徒は、機械に教えられても能力が伸びることはなかっただろうと思います。 こっちは人間なのよ。決まったことしか言わない機械に教えられて、満たされるような頭や心じゃないのよ。 教育原理の伊勢田先生は「教育は弱い子を抱きとって育てること」と教えてくださいました。 コンピュータの前に座らせておくのは抱き取って育てることじゃない。コンピュータは知識を教えることはできるかもしれない(あくまで「かもしれない」です。なぜなら、仁科先生は、セサミストリートは当初期待されたような効果を上げることは出来なかった。とおっしゃいました。セサミストリートは学習することを楽しく教えようと制作された番組です。 それでも、高い効果を上げることができなかった。 だったら、子供たちが学びやすいように作られたコンピュータプログラムを一方的に見せられても、そんなに効果を上げるだろうか。と私は思います。 仁科先生は、「やっぱり番組を見ながら子供のそばにいて「~~なんだね。」とか言ってくれる人がいないと、効果を上げることは難しいようです。」とおっしゃいました。 その時と比べて、子供は今もあまり変わっていない、と私は思います。 機械が一方的にしゃべったことで、学力が上がるとは私には思えません。学力を上げるって、教師が一生懸命やっても子供のやる気も関係してくるし、すごく大変なことなのです。 (竹中平蔵みたいに教師は日本に一人いて、遠隔ですべての生徒に授業をすればいい、などということが私には信じられないです。 もう、教育が崩壊しますよ。)  せめて、そうやって機械で勉強した子供たちに、先生が、「どうだった?」「難しかった?」「どこが難しかった?」とか、結果を見て、「この前より、~~がたくさんできるようになったね」とか言ってくれたら、ずいぶん子供の勉強意欲も違ってくると思います。やはり、GIGAスクール構想が効果を上げるには先生方の存在が重要だということでしょう。)機械に教育は出来ない、と思います。 コンピュータは教師が適切な箇所で使えば、効果的に使える。 でも、子供を一人で画面の前に座らせて、勉強したいという意欲を起こさせることはできない。  昔、子供の教育についての話が出ると、子供にはそのことについて一流の人と接するようにさせるのがいい、とよく言われました。 海洋の専門家、宇宙の専門家、小説の専門家、音楽の専門家、彼らはそのことについて、膨大な知識、体験、思索、をし、自分なりの世界を持っている。 たとえどんな小さなことを教えても、彼らの持っている膨大な蓄積がいつもどこかで顔をのぞかせる。 それが、子供たちの学ぶ意欲や知識や興味を刺激する。 だから、子供にはそのことについて一流の人に接するように教育したらいい。とある時期、言われていました。子供がそういう人から思わぬ刺激を受けるからですね。一流の人たちが子供の反応を見ながら「この子はこういうことについてたくさん聞いてくる。これに興味があるんだね。」とか、「この子はこういうことが不思議でたまらないみたいだ、どうしてそうなるのか話してあげようかな」とか子供の反応を見ながらお話してくれる中で、そういう膨大な蓄積が顔をのぞかせて子供たちが刺激を受けるのだろう、と思います。 そういうことを考えると、コンピュータの前に座ってもそういう一流の人が持つ膨大な知識、体験、思索、から生まれる言葉はコンピュータは何も発さないわけですね。 先生方は、あることだけについて一流の専門家ではないかもしれませんが、少なくとも、教師になるにあたって、専門分野を勉強し、教育を勉強し、子供たちをどういう大人に教育したいかということはいつも考えていらっしゃると思います。  教えること以外についても教育者としての様々な蓄積を持っていらっしゃいます。それが授業の時に出てきます。  私はそういうものに反応して勉強意欲が高まったり、楽しさを感じたり、学んでいることに不思議さを感じたりしました。 コンピュータには、先生が持つそういうものは何もないですね。知識を切り取って教えるだけです。やっぱり教育をよくするには、良い教師を育成して、一人の先生が見る生徒の数を少なくすることでしょうね。その先生が、コンピュータを適切に使ったとき、GIGAスクール構想は効果を上げるでしょう。  工場の人手不足は機械が解消するでしょうが、教師の不足は機械で補うことはできません。 学生が教師と呼ばれる職業に魅力を感じられるようにすることも行政の大きな責任でしょう。教師の待遇の改善がまず先でしょう。英語教育の方針を見ても文部科学省は英語教育の専門家である高校の先生方の意見を非常に軽視しています。先生方は「英語で授業では生徒は理解できない」といっているのに、それを聞かず、松本茂氏や吉田研作氏の間違った意見をうのみにしている。 私に言わせれば、教師の存在を無視しているとさえ言える。 だから、劣悪な待遇で働かせても何も感じない。 教師をないがしろにする国が、教師に劣悪な待遇で働かせて、コンピュータをたくさん買っても、教育がよくなるわけないじゃないですか。コンピュータを大量に買うお金があったら、その前に先生方の待遇を改善したらどうですか。 30人学級の予算を認めたらどうですか。  ついでに言わせてもらえば、音声の面で先生方の指導力に問題がある、というなら、そういう先生方に英語教育をしてきたのは文部科学省の指導要領なんですよ。 先生方の「スピーキングの指導力に問題がある」としたら、それは中学校の学習指導要領(英語)にスピーキングの力をつけさせる教育が書いてないからです。 先生方を責めるのはお門違いです。 まず、文科省は指導要領にスピーキング力をつけさせる教育を入れるべきです。 そうすれば、ただちに教科書のCDを子供たちに配布して、まず正しい発音で子供達がしゃべれるようにする教育をスタートしなければならないとわかるはずです。 先生方のスピーキングの指導力を問題にして責める前に、自分の中学校学習指導要領(英語)の間違いを正すべきです。    (それをさせないのが下村博文です。 反社会的勢力(暴力団など)のようにすごんで「東大に英語民間試験をさせろ」と教育関係者を恫喝していた。下村博文は英語教育で一番重要なことを文科省にさせないで、「教育立国推進協議会」などたちあげて何の効果がありますか。 英語が通じない教育では教育立国にはならないです。下村博文は教育立国推進協議会など作る前に、中学生に英語の教科書のCDを配布するべきだ。 そうでなければ、下村博文のしていることは公教育崩壊推進協議会です。 そうやって下村博文は業者の利益のために日本の公教育を崩壊させている。この会議で講演を行った安西祐一郎氏は前出の「日本に教師は一人いて日本中に遠隔で授業をするのが究極の形だ」といった竹中平蔵氏と2017年7月1日に「教育改革推進協議会」を立ち上げてeポートフォリオを推進していた人ですね。竹中平蔵と教育観を共有するような輩(やから)に日本の教育ビジョンは描けません。 安西祐一郎にできるのはせいぜい教育で金儲けしたい下村博文竹中平蔵の為にもっともらしい理屈をつけることくらいでしょう。自分の肩書を利用して彼らの金儲けを金儲けに見せないような理屈をつけてやることくらいでしょう。 eポートフォリオはベネッセの見込み顧客データを国家に収集させる極めて危険で悪質なやり方で中止になりました。 安西祐一郎はそれを竹中平蔵と推進しようとしていた人です。(そんな人間、教育にはいらない。) その流れをくむデジタル庁の生涯教育データ収集も個人情報をだまし取る犯罪集団だ、と私は書きました。 データの収集なんかで教育はよくならない。教育者が一番よくそのことを知っています。 子供の学力を向上させるのは大変なことなのです。 データ取るくらいでそれが出来たら親も教師も苦労しません。そんなことを本気で言う人がいたら、「教育」を口実に個人情報をだまし取って金儲けしたい、と思って間違いないです。安西祐一郎も竹中平蔵も。    補足ですが。。。。私は上で、子供たちにそのことについて一流の人が接することが大事だとよく言われた、と書きました。  そういう意味でも、新井紀子氏が読解力に口を出すのはおやめになった方がいいと思います。新井氏が文学的文章と科学的文章の指導方法の違いも知らないのは読書量が非常に乏しいからでしょう。本をたくさん読んでいればそのくらいのことは誰でもわかります。 また、読解力と読書量には関係がない、などと平気で本に書いている。信じられないです。国語教育をする最低限の教養さえ持っていない。 新井氏に国語教育の素養はありません。) 



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文部科学省にはGIGAスクール構想というのがあるそうですね。  それについて書かれた記事を知人が時々送ってくれます。  最初に送ってくれたのは今年の1月。 二回目は8月でした。 その都度、私は文部科学省のHPでGIGAスクール構想のところを少しですが読んでいます。

コンピュータを使った一斉授業や生徒一人一人がコンピュータに向かって学習する形態などを見ました。  生徒一人一人がその子に合った教材で学習できるからでしょう、2019年12月9日に発表された萩生田文部科学大臣のメッセージの中に「個別最適化された学び」という言葉がありました。萩生田大臣は「この新たな教育の技術革新は多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びや創造性をはぐくむ学びにも寄与するもの」と述べています。 でも、GIGAスクール構想は本当に「多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学び」を提供するものなのでしょうか。 私はそれを考えていました。


私が子育てで学んだ一番大きな教訓は何か、というと次のことでした。
「馬を水辺に連れていくことは出来ても、水を飲ませることは出来ない」ということです。 つまり馬が水を飲むかどうかは馬次第、ということです。 子供の場合で言えば、大人は子供にいろいろなものを与えることはできるが、それをするかどうかは子供次第ということです。 
子供を一人一人コンピュータの前に座らせれば子供は自動的にそのプログラムで学習を始めるか? これについては私は懐疑的です。 

コンピュータをよく知る人はコンピュータの画像はきれいだから子供の関心を引き付けるといいますが、いくらきれいな画像でも、私なら一週間見ていれば飽きてきます。  その子のレベルに合った教材だ、子供を飽きさせない構成になっている、といわれても内容は「お勉強」です。  息子が夢中でやっていたスーパーマリオボンバーマンとは違います。  2次関数や室町時代の文化や心臓の構造(右心室とか右心房とか覚えましたよね)でしょう。  それを子供がボンバーマンのように熱心にやるだろうか、と思います。 熱心に勉強するお子さんもいるでしょうが、残念ながら私の知る子供たちはそういう子供たちではありませんでした。

「コンピュータで学習後、理解度をテストする」といっても、テストの点数なんか悪くても全然気にしない男の子はたくさんいます。 中学生だってたくさんいます。 コンピュータの前に座っても心は違うことに向いてしまう子に対してはどうするのでしょうか。  まさか先生が横についてコンピュータの内容に集中するようご指導なさるのですか。  そういう子はクラスに一人ではありませんから、それでは先生は体がいくつあっても足りませんね。

私はこの話を夫にして、「コンピュータの提供するプログラムをまじめにやらない生徒はやっぱり勉強ができないままよ」といったら夫が、「それは従来型の教室の一斉授業だって同じだろう? 勉強する子はするし、しない子はしない、ということだよ」といいました。

私が「従来型の教室の授業と同じで、勉強する子は勉強するし、しない子は勉強しないのだったら、何もGIGAスクール構想で多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最適化された学びに寄与するなんてわざわざ言わなくてもいいでしょう? 従来と同じだ、っていえばいいでしょう?」と言ったら、「そんなことをお父さんに言わないで。萩生田文部科学大臣に聞いてよ」と夫はもう答えるのが面倒くさそうでした。 GIGAスクール構想で「個別最適化された学び」が実現すると思っている人は、馬を水辺に連れて行ったら、自動的にガブガブ水を飲むと思っている人ではないか、と私は思います。 子供もそうだったら親は苦労しません。

今、子育て中のお父さんお母さんには「スマホに子供のおもりをさせてはいけない。」とよく言われます。  私が子育てをしていたときは「テレビに子供のおもりをさせてはいけない。」と言われました。  スマホやテレビはいけなくてなんでコンピュータはいいのですか? 内容がお勉強だからですか?  私は学習と称してコンピュータに子供のおもりをさせていいのか?といつも感じます。多分これは私が受けてきた教育が私にそう感じさせるのだと思います。  


この続きはまた後日書きます。 今、あまり体調がよくありませんので、一気に書けません。 書いたときはこちらのブログのトップでお知らせします。

これを書くにあたっていろいろなものを読みました。 堤未果さんが書かれた「デジタル・ファシズム」という本の204ページに竹中平蔵さんの言葉が書いてありました。引用させていただきます。

デジタル庁設立の中枢にいるパソナグループの竹中平蔵会長は、オンライン授業を主流にしてゆくと、教員の数は今よりずっと少なくて済むという。 「一人の優秀な教師が大勢の生徒たちを遠隔で教えられるからだ。  人手が足りない過疎地の学校も、少数の教師が遠隔でオンライン授業をすれば、廃校にせず存続させられる。 竹中氏はそう主張する。 〈究極的には通常の知識を教える教師は各教科に全国で一人いればよいのです〉と。


以上本から引用させていただきました。

教育は他の経済活動とは違います。 コストをカットすることが目的ではありません。 竹中平蔵は「教育とは何か」全く知らない。お金儲けは上手でしょうけれど。  教育は人間を育てる仕事です。 コストだけ考えてする仕事ではありません。 竹中平蔵は教育の根本を知らない。 こういう人は教育に口を出す資格はありません。 

私(川合典子)の考え方は竹中平蔵氏とは対極にあります。それは多分、私が受けた教育がそうさせるのだと思います。 それについても後日お話したいと思います。

10月1日 GIGAスクール構想は本当に「個別最適化された学び」を実現するか②

私のいうことは古いタイプの教育者だという人がいると思います。  でも哲学の先生に聞きましたが、人間は昔からあんまり変わっていないそうです。  世の中は変わり、インターネットや仮想通貨が現れたりしていますけれど、人間そのものは昔とあんまり変わらないそうです。  人間が悩むことは昔から「生きること」や「死」、「愛」など、あまり変わりません。 そして、アメリカ人の先生から、その人間の感情は聖書の中にすべて描かれている、とお聞きしたことがあります。 聖書は古い古い書物ですけれど、そこに人間の感情、例えば嫉妬とか恨みとか(アベルとカインの話を思い出しますね)、全部書かれているそうです。 世の中がどんなに変わっても人間そのものはあまり変わらないようです。 人間の子供は生物の中で、成人するまでに最も長い期間を要します。  その間、親が手をかけ、教育者が手をかけて育てていきます。  それも昔と変わりませんね。 


私が大学で勉強した教育原理の最初の授業で伊勢田先生は、「教育の主体は生徒である」と教えてくださいました。  私が大学で学んだのは昭和50年くらいの時でした。 戦前、戦中と権威主義的な教師主体の教育論が主流だったのを、新しい教育の理念として、伊勢田先生は「教育の主体は生徒である」と教えてくださいました。

教育の主体が生徒である。ということは、生徒中心に教育の仕方を考えていく、ということです。 教師中心ではなく、生徒を中心に教育を考えていくことです。

教育の主体が生徒であれば、教育をする教師は学習においては、まず現在の生徒の状態を正確に把握し、それに合わせて、子供たちが理解できるように教えます。 教えたことに対する生徒の反応を見ながら、その子に一番理解しやすい方法で教えていきます。  その例を私は大学4年生の春休み、ある先生の講演で聞きました。 

大学4年生の春休み、こちらの先生が、「来週市民会館で先生方の学校でのいろいろな教育の実践を発表する講演会がある。聞きにおいで」と声をかけてくださいました。  その講演会では7,8人の先生が普段学校で行っている取り組みについてお話されました。  その中で、今でも忘れられないお話が2つありました。

その中の一つは、いわゆる「不良」といわれる問題行動のある生徒を一定期間預かって、勉強を教えている数学の先生のお話でした。  当時、教室にいても全然授業がわからない生徒がいました。   その中には、茶髪で、だぶだぶのズボンをはいたいわゆる「不良」といわれる中学生もいました。 そういう生徒が何か問題を起こしたとき、一定期間預かって勉強を教えていた若い先生のお話でした。

そういう子供たちは、基本からわからないわけですから、先生はそこから忍耐強く教えます。  何度説明してもわからない場合もあるので、時間をかけて一つ一つ教えていきます。 お話の感じから、受け持っていたのは10人未満の生徒ではないかと思いました。  

いつも直接それぞれの子の反応を見ながら教えるわけですから、その子が何がわからなくてつまづいているのかを理解して教えることができます。

そうやって教えていくと、そういう子供たちでも、だんだん学習内容が理解できるようになってくるそうです。  そうすると彼らは自分から「先生、勉強やろうよ」と言うそうです。  そこで、先生も一生懸命教えます。  ただ、その先生が生徒を預かる期間は決まっているので、その期間が終わるとそういう子供たちはまた、もと居た学校に戻るそうです。  そうするとまた進度が速くなって、ついていけなくなってしまうそうです。  その先生はそれがとても残念だと思っていらっしゃるようでした。 公立学校の先生ですので、そういう教育も予算の関係で長くは受けさせられないのだろうと思いました。

私がこの先生のお話を40年も忘れられなかったのは、いわゆる「不良」と呼ばれる子供たちが、勉強がわかるようになって「先生、勉強やろうよ」と自分から言う。というところが忘れられなかったのだと思います。 その子が理解出来たかどうかを見ながら、その子の理解力に合わせて教えていくと、どんな子でも学習する内容がわかるようになるとこの先生は教えてくれました。 そのうえに、生徒が「先生、勉強やろうよ」と言う、ということは生徒が「学びたい」という気持ちを持ったことを表しています。

教育において、生徒が「学びたい」という気持ちを持つことは一番大事なことだと私は思っています。  また、生徒にとっても、少しわからないとすぐに投げ出していたけれど、自分はそこを頑張って、理解しようと努力したら、できるようになった。 こういう体験は彼らが自分自身に対して持っている「セルフイメージ」をも変えるだろうと思います。 「自分はやればできる」「投げ出さずがんばったら出来たんだ」という経験はその子自身が自分を見る目も変えるだろうと思いました。

よく授業は楽しくなければならない、という人がいます。 年齢が低い時はそうかもしれませんが、中学生くらいになれば、自分が辛抱して努力した結果、学習内容が理解できるようになった喜びを体験することも貴重な経験だと思います。 私は、中学生になっても授業が楽しくなければならない、という人を見ると、それでは子供たちの成長を見ることはないと思っています。

生徒の理解度や反応を教師が把握しながら、その子にあったやり方で教えていくことが「生徒が主体」の教育というのだと思います。 これをするためには教師が生徒をよく理解することが大事です。  そのためにも教師は自分が教えた時の子供の反応をよくつかんでいかなければなりません。  

それはコンピュータには出来ないことです。 コンピュータは、生徒の反応をつかむことも、この子にはどのような教え方をするのが一番効果的なのかを考えることもできません。 それが出来るのはやはり「人間」である教師です。  そこのところがセサミストリートについて仁科弥生先生がおっしゃったこととつながっている、と私は思いました。

一人の先生に生徒10人なんて言う学級は無理だ。と最初からあきらめて言う人が多いと思います。文科省が30人学級の予算を請求したら却下されたというニュースもありました。 でもコンピュータにはこれだけの莫大なお金をポンと政府は出してくれたんですよね。 だったら、教師一人が受け持つ生徒の人数を本気で減らす予算がないわけではないでしょう。(それは、業者を儲けさせはしませんけれど。 だから政府は出してくれないのでしょうけれど。)

こうやって本当に誰一人おきざりにすることなく、勉強がわかるようになる教育を日本で実現出来たら、日本は、変わるでしょうね。

私は今から20年前の2002年、アメリカに中学生(日本では小学5年生)と高校生(日本では中学3年生)を連れて行きました。 そして彼らが毎日パソコンで調べものをしながら宿題をし、パソコンで文章を仕上げて先生に提出するのを見ました。 アメリカでは当たり前のように生徒はパソコンを使っていました。 それを見て、こういう分野で日本はかなりの遅れをとっている、と思いました。私は日本の保護者の中で相当古くからこの分野で日本が遅れていると知っていた保護者の部類に入ると思います。 だから私も、子供たちがコンピュータを自由に使いこなせるようになるのは重要なことだと思っています。  でも私が思っているのは竹中平蔵のように、一人の教師が、生徒に遠隔で授業をするのが究極の形だなどと言うのとは全く違います。 堤未果さんの本に巨大企業がアフリカの教育を食い物にしている現実が書かれていました。 心ある教師の手に教育を戻してほしいという署名運動のことも書いてありました。

日本の教育を教師の手から離してはならないと私は思っています。 「人間が教育をする」ということは決して「コンピュータが教育をする」ということに劣ることではありません。 その子を見て、その子が最も理解しやすいように教えられるのは人間です。 人間を教育するのは人間です。 その人間がコンピュータを手段として使うことは出来ます。 それは文部科学省もわかっているようで、これは手段であり、目的ではない、と文部科学省のHPで読んだ記憶があります。  でも、本当にそう思っているのでしょうか。 私は疑問に思っています。 なぜ私が疑問に思ったのか、次回はそれについて、お話ししようと思います。

第3回(10月4日)
 
非常に単純化した例を挙げます。 教師が「この子は、足し算が苦手だから、足し算の問題をたくさんやった方がいい」と判断したとします。  そして教師の判断に基づいて、コンピュータでその子供に足し算の練習をさせる。 こういう使い方は、可能だと思います。 その子の状態をよく理解している教師の判断に基づいて、コンピュータでの学習が活用されるからです。
つまり、いくら「個別最適化された学び」といっても、それを実現するのは教師の判断に基づいてコンピュータを使ったときに実現されるものです。  文部科学省もそれはわかっているようで、文科省のHPで、コンピュータはあくまで手段であり、目的ではない、と読んだ覚えがあります。 でもだったら、どうしてこんなにコンピュータ導入にはお金も人も使っているのに、教師に対するサポートはお金も人も雀の涙ほどしか使わないのですか。 私が文科省のHPで先生方のサポートとして見たのは研修と各学校にアドバイザ^ーを置くくらいでした。

生徒一人一人に持たせたコンピュータを生徒の学習に合わせて活用するとき、その活用の仕方を判断するのはその生徒のことを一番よく理解している先生なのです。 この司令塔が適切な判断と指示を出せるからこそこのGIGAスクール構想は、成果を上げることができるのです。 コンピュータそのものが「個別最適化された学び」を子供にするのではなく、個別最適化された学び」ができるようにコンピュータを活用させる司令塔は教師なのです。 コンピュータは膨大なデータを持っていますから、理解度テストで何点なら、この教材がいい、とすぐに次の教材がしめされるでしょう。 でも生徒に対しては自動的にそれをクリックさせればそれで終わりということにはなりません。 これについてはこの後述べます。

先生方はそのほかに一斉授業でコンピュータを使う場合のために、「どんなソフトウエアがあり」、「どう活用したらよいか」を今から研修で学んで行くことになっていますね。 コンピュータを使って一斉授業をするティーチングプラン(教案)を自分で作れるようにするのですね。 それは、コンピュータの扱いに慣れていない先生にとっては休日も返上してやらなければ出来ないことでしょう。

コンピュータを使った個別学習の場合、子供の理解度別に推奨されるソフトがコンピュータのデータから示されるのでしょうけれど、だからといって子供にやらせっぱなしにすることは出来ないです。  教師なら、その子がその学習プログラムをやっている様子を見ていないと、その選択がその子にあっているかどうかを確認できません。  点数を見ればわかるといわれても、点数を見るだけで放っておいてよいとは先生は思わないでしょう。  終わった後、先生から「どうだった?難しかった? どこが難しかった?」と聞いてもらえるのと、全く放っておかれるのでは、生徒の気持ちは全然違います。

この場合、コンピュータに向かって学習している生徒を一人1分見ても、40人なら40分かかります。 終わった後、感想を聞いたり、その子の意見を聞いたりする時間を一人5分とっても一クラス40人なら200分かかります。 3時間20分です。  そのうえ、先生方はコンピュータを使った一斉授業のプランを作らなければならないのでは、慢性的な超過勤務に陥ることは目に見えています。  第一回のブログでも述べたように、コンピュータに向かって個別学習する時間も、コンピュータに集中して学ぶ生徒ばかりではありません。(馬を水辺に連れて行っても水を飲ませることは出来ない)  そういう子供たちへの対応もしなければならないとなれば、先生一人ではとても対応出来ないことは目に見えています。  今年の1月初めて文科省のHPでGIGAスクール構想について読んだとき、私は「これでは先生方は過労死する」と思いました。 それで、資料を送ってくれた方に、「問題点が一つありますね。」とメールしました。  そうしたら、その方が、「もう問題点を発見したんですか?」と驚いて返信をくださいましたけれど、教師にこのプランを見せたら、みんなそう思うのではないですか。  今の風潮だと、「あの先生はコンピュータも使えないの?」と言われたくないという気持ちがあるでしょうから、正面切ってそうは言えないかもしれませんけれど、私程度にしかコンピュータを使えない教師は、休日返上はもう目に見えています。  コンピュータに任せっきりにして、教育は出来ません。  あくまでその生徒たちの状態を把握している「人間」、つまり教師の判断に基づいて使ったとき、コンピュータは最もその効果を発揮します。

コンピュータの例ではありませんけれど、機械を使った学習についてこんな経験があります。
私が津田塾大学にいたころ、英語の学習にラボの時間というのがありました。  通常45分で学生は一人一人音声機器が備え付けられているブースに入ってヘッドフォンとマイクをつけてスピーキングの練習をします。

あるとき、授業終了後、教室を出るとき友人が「びっくりしちゃった。私が文章をリピートしていたら、ヘッドフォンから、助手の人の声がして、もっと最初のTの子音を強く発音してください。って注意があったの。 私たちの発音をちゃんと聞いてチェックしているのね。」といいました。  私は一度もヘッドフォンから注意を受けたことはなかったので、助手の方が聞いてチェックをしていることは知りませんでした。  でも英語を勉強したいと志して入学してきた大学生の学習にさえ、ちゃんと機器に向かって学ぶ間、助手の方がずっと見ていてくださっているわけですね。(この時、ラボに入る一クラスの人数は、25人でした。)でしたら、子供をコンピュータの前に座らせておけばいいわけではないですね。 その間だって、やっぱり「先生が見ていてくれる」「終わったら、僕の感想を聞いてくれる」そう思えるのと放っておかれるのでは生徒の勉強に対する姿勢は全然違います。  なのに、生徒の数は40人もいるのに、先生方には助手一人付けてはくれないのですね。 私はこのGIGAスクール構想が成功するかどうかは、司令塔である先生方を文部科学省がどれだけサポートできるかにかかっていると思っています。  なぜなら、コンピュータを使いこなすのは先生方だからです。 それができなかった時、莫大なお金を投入したGIGAスクール構想は教育成果においては従来の教育と何ら変わらなかった、という結果になるだろう、と思っています。過労死する先生も出るでしょう。  

業者はGIGAスクール構想の効果がどうでも、コンピュータを大量に売ればいいのかもしれません。 政府もそれが目的かもしれません。 でも司令塔となる先生方への支援が不十分だった場合、子供たちはその恩恵に預かることはないでしょう。


「英語で授業」の時も高校の先生に「英語で授業をしていない」と松本茂氏も吉田研作氏も非難していました。(こちらのページで知りましたが、吉田研作教授は今年4月から、上智大学名誉教授、公益財団法人日本英語検定協会会長になられたそうですね。「英語で授業」という間違った方針を日本中の高校でやらせて、間違っていると指摘されたら、正しい方針に変える努力もしないで、逃げ出す、というのは非常に無責任です。 高校の英語教育をめちゃくちゃにしておいて「後は知らないよ」ということでしょう。もし、大学で教えていた間、ずっと「英語で授業」を提唱していらしたのなら、ずっと間違ったことを学生に教えてきたことになります。 無責任です。)  本当は日本語で教えている先生方の方が正しい教え方なのに、松本茂氏も吉田研作氏も先生方の意見に一切耳を傾けませんでした。  松本茂氏は自分から新聞記者にメールまで送って、高校の先生方を非難する記事を書かせました。(自分が間違っていたのに、今だに先生方に謝罪もしません。新聞に載った自分の写真が若く見えると喜んでいるだけです。 松本茂氏は何のために有識者会議の委員を引き受けたのですか。自分が目立つためですか? そういう幼児性からくる理由で有識者会議の仕事をお引き受けになるのはおやめください。  「英語で授業」のような間違った方針を押し付けられて高校生も先生方も大変迷惑しています。  そんなに目立ちたかったら、テレビのお仕事に専念されたらいいでしょう。 テレビに出て満足していれば、新聞記者にメールまで送って先生方を批判して目立とうなどとお考えにならないでしょうから。) 今度も失敗したら、「教師がコンピュータを使いこなせないからだ」と文科省は非難するのでしょうか。 その前に私は言っておきたいと思います。 失敗するのはこのGIGAスクール構想の要(かなめ)となる先生方への文部科学省のサポートが不十分だったからです。今度は失敗しても、決して先生方のせいにしないでいただきたいと思います。 「教師の指導力の問題だ」などとは決して言わないでいただきたいと思います。 「教師の指導力を問題にするとき、文科省は自分の支援が不十分だったと認めている、と思って頂きたいです。

コンピュータは、子供の反応は把握できません。 コンピュータは、教師の判断と指示のもとに使われた時、初めてその威力を発揮します。  竹中平蔵は「一人の優秀な教師が遠隔で日本中に授業をすることが究極の形だ」と言いましたけれど、それではその教師は「教育の主体である生徒」を見ることもない。 どういう生徒なのか、理解することもない。 自分の言ったことに対する生徒の反応も見ることもない。 つまり、教育の主体(生徒)については何も知らず、しゃべるだけです。  竹中平蔵の言っていることは教育ではありません。 教育の主体(生徒)を知らないでする教育などありえません。 

コロナ禍の今だって、先日NHKニュースで見た小学校の先生は、コンピュータを使って「朝の会を始めます。みんな元気かな?」といって画面に映る子供たち一人一人をよく見ていらっしゃいました。 教育の主体(生徒)をないがしろにする教育はありえません。





第4回

3年くらい前、私はアメリカのハイスクールの先生にアメリカ人の生徒が学校で学ぶエッセイのタイプを一通り教えていただいていました。 ある時「比較について書く」という課題をやりました。  先生が提示してくれたテーマから私は「IT型授業と従来型授業の比較」を選びました。  「IT型授業というのは生徒一人一人がパソコンの前に座って授業を受ける形、と解釈していいでしょうか?」と先生に確認したら、「それで結構です。」といわれましたので、それで、エッセイを書いて先生に提出しました。 
エッセイを提出した後、私は「それでは、私自身が一番影響を受けた教育とは何だっただろうか」と考えてみました。  私が最も影響を受けた教育、それは私を教えてくれた先生方、教師が、「何を一番大事だと思っていたか」ということでした。  授業で直接そういう話をしてくれた先生もいましたけれど、普段の授業の中で、それを垣間見ることもありました。 例えば、手を挙げて答えたけれど間違ってしまった生徒に対するフォローの仕方でその先生が、答えの正否より、その子が手を挙げたということを大事にしたいんだな、と感じたりしました。
先生方を見て、勉強しなくちゃいけないんだな、と思ったり、こういうことも考えなくちゃいけないんだな、と思ったり、しました。 「国語」とか「社会」とか文化系の科目ばかりでなく、例えば、こちらの理科の先生にスプーンが水流に吸い込まれるところを見せてもらったときは、「実際にやってみると私が思っていたことと全然違う結果になるんだな。 やってみなくちゃわからないんだな。」と思ったりしました。 その時の先生も、「やってみるとわかるんだよ。」といいたかったのかもしれませんね。 私が最も影響を受けた教育、私が今のような大人になるのに最も影響のあった教育は私を教えてくれた先生方が「何を一番大事だと思っていたか」ということでした。 どんな先生の授業の中にも私はそれを感じました。 「その先生が大事だと思っていることが私があまり好きでないものでも、それはその先生の考え方ですから、仕方ない、と思ったこともありました。私にとって教育というのはあくまで人間が人間を教えていくことの中にありました。  

教育の主体が生徒であれば、教育をする教師は学習においては、教えたことに対する生徒の反応をよく見ながら、その子に一番理解しやすいように教えていきます。 実際に教えてその反応を見ながら、また教えますので、必ずその生徒が理解できる教育をすることができます。 「その生徒の反応を見ながら教える」これこそが「個別最適化された教育」だと私は思います。 ですから、竹中平蔵が言うようにその子を一度も見たことのない教師は、良い教育などできません。  

では、そんな個別最適化された教育が日本で可能か、といったら、可能だ、と思います。 一人の先生が受け持つ生徒の数を少なくしていけば必ずできると思います。 政府はコンピュータにはこれだけお金を出してくれるのですから、先生の数を増やすことだって真剣に考えればできるでしょう。 ただそれは業者を儲けさせることはありませんから、国会議員にやる気が起こらないだけです。でも、そのお金は私たち国民が払った税金なんですよ。国会議員のポケットマネーではありません。 国民のために、国民が使ってほしいように使うのが、筋でしょう。 


堤未果さんは本の最後で「倫理を持たないAI vs. 未来を選ぶ私たち」という題で書いていらっしゃいました。  「倫理を持たないAI」は確かにあたっています。 そして私は、さらに、教育の主体である生徒に「こういう人間に育ってほしい」という思いを持つ教師が教えることが重要だと思います。 それは私がそういう教育に最も影響を受けたからです。  機械にはそういう思いはありません。  このすぐ下に、「津田塾大学の藤村先生には「こういう学生が欲しい、という強い思いがあったから、目にじんましんができるような大量の記述式答案も読んでくださったのだと思います」と書きました。  ここでも、先生の「こういう学生が欲しい」という思いが非常に大事になっています。 何を生徒に指導するにしても教師の持っている価値観は必ず指導の時に出てきます。 一回ではわからなくても一年間継続して習っていけば必ず、出てきます。 例えば、先ほどお話したように生徒が手を挙げて答えたけれど間違ってしまったような時に、手を挙げたこと自体をとても大事にする教師は、子供たちに自分の考えや意見を言う、ということはとても大事なのだよ。と教えたい気持ちがあるからですね。  そうやって、この子たちにどういう人間に育ってほしいと思っているかは、毎日の指導の中で必ず出てきます。 そして生徒はそれを感じます。 何となくでも、生徒は先生が、どういうことが一番大事だと思っているのかがわかってきます。

私にはそれが一番影響を受けた教育でした。そして、それは生きていくうえでとても大きな支えになりました。 私が今、こういうブログを書いているのはそういう先生の影響が大きいです。 「川合、誰も君の味方をしてくれなくても自分の意見は言いなさい。 たった一人でも言いなさい。 そうすれば他人はそういう意見がある、ということだけは認めざるをえまい。」そういわれました。 言われた当時の私は弱虫でとてもそんなことは出来ない、と思っていました。 今も「自分の本が裁断されて売られている」という事実を知った時、ぼろぼろ涙が出るくらい弱虫ですけれども(こちらのブログの一番最後に書いてあります。「◆◆◆裁断済◆◆◆ 各ページがバラバラで製本されていない状態です」と書いてあるところです)、教育については知っていることですから自分の意見は言えます。 政府からブログアクセス数を(1)にされるまで妨害されても言えます。 教育の場合教師の存在は非常に大きいと思います。  確かに自分と合わない先生もいます。 でもあるお母さん達が話しているのを聞いたら、「合わないなら合わないなりに子供はやっていくから、あんまり担任の先生はコロコロ変わらないほうがいい」といっているのを聞いたことがあります。

教師が教育には非常に重要だということはアメリカに娘を連れて行ったときもわかりました。  娘は全然英語がわからないのに、「宿題やっていきたいの。先生のことが好きだから」といいました。  特定の先生ではなく全部の先生が好きだったようです。  英語がわからなくても、どの先生も娘を平等に扱ってくれていたのだな、とわかりました。  私も娘が教科を習う5人の先生と一緒に6人で学期末の面談をしましたが、どの先生も「教師」の自覚あふれる先生方でした。 これなら娘がそう思う理由もわかりました。

また、学校になじんだ後も、「どこかに書いてあることをそのまま写して提出すると先生から呼び出しがある」という話をしたときに、「点数を下げられる、とか言うことより、先生にそういうことをする生徒だと思われるのが嫌だ」といっていましたから、先生方のことをとても尊敬していたのでしょうね。

どの子も置き去りにしない個別最適化された学びを実現したかったら、良い教師を育てることと、一人の教師が見る生徒の数を減らすことだと思います。
そう申し上げても今の政権はそういうことをする気は全くないでしょうね。 それは業者を儲けさせませんから。 (繰り返しになりますけれど、国家が使うお金は国民の税金です。 国会議員のポケットマネーではありません。国民がしてほしいことに使われるべきです。)

仕方がないので、せめてGIGAスクール構想で私が望むことを書きます。
もう少し先生方のサポートを真剣に考えてください。 しわ寄せを全部先生方に押し付けないでください。 そして、失敗したとき、間違っても、教師がコンピュータを使いこなせないのが問題だ、などと言わないでください。 それは教師がコンピュータを使いこなせるような支援をしなかった文部科学省の失敗です。 コンピュータ購入にはこれだけのお金と人と時間をかけているのですから、コンピュータを生徒の学力向上の為に使いこなさなければならない先生方のサポートにはそれに勝るとも劣らないお金と人と時間をかけていただきたいです。 先生方の判断に基づいて先生方がコンピュータを使いこなしたとき、コンピュータは最も有効に働きます。 このGIGAスクール構想はその時、効果を上げるでしょう。 







第5回


おそらくこのブログが最後のブログになると思いますので、言い残したことを書きます。

数年前マイケル・サンデルというハーバード大学の教授が日本にきて、NHKホールで公開授業をしたのを見ました。 そのあと一冊彼に関する本も読みました。 どちらで見たのか覚えていませんが、こういう彼の質問がありました。 「ある町の財政がひどい赤字になり、窮迫しています。 その時ある企業が、この町の名前を売ってくれたら、今の財政赤字を解消して余りあるお金を払う、と申し出ました。 町は名前を売るべきかどうか。」という質問でした。  

これを見た時、私の中でアラーム(警報)がなりました。  「この質問を考えてはいけない。 こういう命題を考える土俵に決して上がってはいけない。」とその警報はいっていました。  「こういう視点で考えることを自分に許した時、私の中で「私」を強固にしていたものが崩れる」私はそんな風に感じました。

それより少し前に私はシモーヌ・ヴェーユという人の書いた「根をもつこと」という本を読みました。 この本は有名な本のようですが、私はそういうことは全く知らず、目に留まったのでただ買って読んだだけでした。でもあるとき、夫に「シモーヌ・ヴェーユの本を読んだ」といったら、夫が「それはとても有名な本だよ。」といいました。  夫はそういう内容の本は読まない人ですが、若い時から新聞の書評欄を非常に丹念に読む人でしたので、その本がどういう本かは、知っていたようでした。 私は読み終わって、「自分の名前、生れた所、そこで私の体にしみ込んだもの、そういうものは私という人間を作っているなくてはならないものなのだ」と感じました。 今まで自分が当たり前だと思っていたものが、本当は自分をとても強固に支えてくれていたんだ、と気づいたような気がしました。  だからマイケル・サンデルの命題を見た時、「この命題を考えさせることによって、知らないうちに私が誰かに自分を明け渡すような考え方を自分になじませることになる」と感じました。  それで、私は、どんなに世の中でマイケル・サンデルがもてはやされても、彼に関する記事も本もそのあと、一切読みませんでした。

(私はマイケル・サンデルについてあれ以来一切読むことはしませんでしたが、10月2日、このブログを書くにあたって、やはり少しは調べておかなければいけないと思ってWikipedia を読みました。 そうしたら彼の評価のところに私のアラーム(警報)が私に言ったことと同じことが実際にドイツで起こっていたことを知りました。 引用させていただきます。「サンデルらの主導するコミュニタリアニズムに頼ったドイツでは、 (中略) ドイツの地域共同体からは自国の歴史・文化・伝統が失われた。」と書いてありました。 そして(彼の思想は) 「人々の繋がり・関係性を破壊する」思想であり、「国内の政情を混乱に落としめる」ものとして警戒されている。 」と書いてありました。 私は何も知らなかったのですが、私のアラーム(警報)は正しかったと思いました。つまり、自分の中に培われたアイデンティティ確立に作用したものの重要性に彼は気づいていなかった、ということです。)

「AIに仕事を奪われる」という言葉を読んだ時、私の中で、これと同じアラーム(警報)がなりました。私はマイケル・サンデルの時に感じたのと同じ危険を感じました。「AIに仕事を奪われる」そのような基盤で教育を考えることを絶対に自分に許してはならない。 私はそう感じました。 教師は子供を決して機械との比較でみてはいけない、と感じました。 そんな視点を一瞬でも持ってはいけないと感じました。 生徒が内に持っているものから教師は決して目を離してはいけない。 そう思いました。

「AIに仕事を取られる」と今騒いでいますが、人間は産業革命以来、いろいろな技術が発明されるたびに従来あった仕事を失ってきました。 それは産業革命以来260年の歴史の事実でしょう。  自動車が発明されれば人力車はいりません。 記憶に新しい所ではパソコンで文章を書けるようになった時、和文タイプの仕事はなくなりました。  でも、人間は歴史の波の中で繰り返しそういう目にあいながらどの時代も、生き抜いていかなければなりませんでした。 AIだけでなく二酸化炭素排出の問題で、雇用が大きく変わってくる分野もあるでしょう。 自動車業界では実際にそれが始まっています。 いつの時代も人間は社会の変化の中で生き抜いていかなければなりませんでした。 新井氏は「自分がどういう仕事がなくなるか」を予想したことがとても自慢のようですが、そういうことは260年も前から歴史の中で繰り返されてきたのですよ。今に始まったことではありません。 (新井氏は令和3年6月15日から東京都の教育委員だそうですね。)

人間の知恵というのは浅知恵だと私は思っています。(特に欲得ずくで考えたことは浅知恵だと思っています。)  どんなに考えても神様には勝てません。  AIに仕事を取られないためには読解力だと言って、子供に読解力のテストばっかりさせて5年10年と経ったとき、AIに仕事を取られない為にはやっぱり読解力より○○だった。となるかもしれません。 人間の知恵などその程度のものだと私は思っています。 「AIに仕事を取られないためには読解力」などというのは新井紀子喜連川優がベネッセのために考えた計画です。 何のエヴィデンスもありません。 皆さんは本当に新井さんの作った読解力のテストができたら、AIに仕事を取られないと思いますか? 私は全然思いません。 

だったら子供たちに何を教えたらいいか。 それはそんな一時しのぎのことではないでしょう。 読解力もコンピュータも必要でしょうけど、教育は5年10年と続いていきます。 今、AIに仕事を取られないためにやるようなものではありません。

2回目のブログでいわゆる不良といわれる生徒に数学を教えた先生の話を書きました。 また、こちらのブログでは夏休みの研究がアメリカの大学の先生の目に留まって「うちの大学で航空宇宙工学を学ばないか」といわれてアメリカに行った高校生の話を書きました。 やはりその子が持っている力をその子を理解して引き出していく。 その子に好きなことがあれば伸ばしてやる。 そうやって、教育していくことが未知の時代を生きていく子供たちに私たちができることでしょう。  仕事を取られるのは何も今AIに始まったことではありません。  だから読解力だ、読解力だとそんなに騒ぐ必要もありません。 私には読解力があればAIに仕事を取られないとも思えません。 新井氏は他に目的があるから読解力に目をつけて、テストを作ったのでしょう。「創造力」のテストではベネッセは「偏差値の高い学校に入れる」とそのテストを売り込めませんものね。だから新井氏も喜連川氏も読解力を選んだのでしょう。読解力としておけば、「偏差値の高い学校に入れる」ももっともらしいし、テストも売り込めると思ったのでしょう。

このプロジェクトについては国立情報学研究所所長喜連川優氏が「文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発/産学連携で「読解力」向上を目指す研究を加速」というニュースリリースまで出しています。でも、アミラーゼについて書いた文を読ませてセルロースとデンプンの形の違いを問うテスト問題など、科学的に読解力を測る問題でも何でもありません。


誰がどんな意見を持とうとそれは自由です。 新井氏の本の中の都合の悪い部分、(つまり子供を罠にかける問題や、読書と読解力は関係ないという主張や、新井氏が行ったのは自分が「読解力を測る」と言い張るテストをやらせただけで実際に生徒に一度も教科書など読ませてはいない、そして「読解力が人生を左右する、という主張は嘘だった(その証明はこちらのブログアメリカの高校のEXTRA HELPのところに書いてあります)」というような都合の悪い部分)には一切触れないで、「AIで仕事がなくなるは嘘か」と自分の本の中で、誰にも批判されないような一部だけ取り上げて大きく強調するなら、それはそれでも結構です。 でもそれは、私が「東洋経済新報社代表取締役社長駒橋憲一氏もこの詐欺を知っていたのでしょう」とブログトップに書いた直後に出たブログでした。 詐欺だという批判をかわそうとする社長の意向でそういうブログが掲載になったのですか。 関係者はそうだとは認めないでしょうけれど。 それならそれでも結構です。 私は、そういう本の記述の一部にいちいち付き合う気はありません。私は、そういうことをするのは新井氏のもともとの意図を隠そうとするものだと思います。  そういうことをする前に中学生に全く教科書を読ませたデータも取っていないのに、「教科書がすらすら読める順に偏差値の高い高校に合格していることが分かってしまったのです」、と言ったことにたいして新井紀子氏は説明責任を果たしてください。子供を罠にかけるような問題を著書に掲載して「読解力を測るテストだ」と述べていることに対して説明責任を果たしてください。 他にも「読書と読解力は関係ない」と主張するのは明らかに間違いだと思います。 読書量と新井氏のテストの点数に相関関係がないのであれば、新井氏作成のテストは本当に読解力を測るテストなのか検証が必要だと思います。  新井氏は東京都の教育委員なのですよね。 でしたらなおさら、こういう点について、明確に答える責任があるのではないですか。 特に子供を罠にはめるような問題を作って、それを読解力を科学的に測るテストだといって、学校に売り込んだことに対して、明確に説明する必要があります。 教育委員が学校を騙していいはずはありませんから。






私が言いたいのは、

その意見の中にある間違いを指摘したとき、政府から妨害を受けるようでは、その仕事は公明正大な仕事ではない、ということです。 裏がある。 その裏は人には言えない裏でしょう。政治家と業者の金儲けです。だから政府が私を妨害するのでしょう。 私自身は、新井氏が子供を罠にかけるようなテストの売り込みなどしなかったら、一切何も言うことはありませんでした。 私自身が「AIに仕事をとれらる」などという観点から書かれた本を決して読みたくない、と思っているのは上に書いた通りです。 新井氏の本を読まなければいけないと思って付箋を貼りながら、疑問点を書き込みながら我慢して読みましたが、正直大変苦痛でした。

間違いを指摘したとき、政府から妨害されるようなら、それは、その仕事が公明正大な仕事ではないからです。  裏に違う目的を持った仕事だからです。 やましい目的を隠した仕事だからです。

このことだけは、新井紀子氏と東洋経済新報社駒橋憲一社長にはっきりお伝えしておきます。

ここで、私が学校教育についてどう考えているか2021年1月14日のブログより転載します。(そのブログの私の中学高校時代の勉強の仕方のところに書いてあります)


新井氏は教科書を読んでその内容を問うテストにこたえられる読解力が人生を左右すると考えているようですが、学校教育の目的は字面の理解以上のところにあります。

例えば三権分立について教科書に書いてあったとします。 その説明と、権力を3つに分けて独立させる理由等が教科書に書いてあります。 その教科書の文を読んでテストの問いに答えられればそれでいいのか。 私はそうは思いません。 教科書を読んで理解することは必要ですけれど、学校教育の本当の目的は、それよりもっと上にあります。 教科書を読んだだけでは、何も子供の心には残りません。 子供の血となり肉となる教育は出来ません。 学校では先生の説明やお話もあり、子供たちはいろいろな学習活動をします。

例えば、子供はこんな風に考えます。

権力を分散しなかった時はどうなるの? その例はあるの?
昔だったら専制君主制があった。 今は独裁国家がある。
そういう権力が集中した社会では人々はどんな暮らしをするのだろうか?
法律はどう決めるの(立法)? その独裁者が都合のいいように決める。
日々の暮らしはどうなるの(行政)? 独裁者が決めたように行われる。独裁者がしてはいけないといったことは出来ない。 どんなにやりたくても出来ない。
裁判はどうするの(司法)? 独裁者が気に入らないことをした人は「国家反逆罪」とか言って逮捕されて、最悪の場合は死刑になる。 それが怖いから人々は独裁者に何も言えない。

こういう社会の様子を子供自身が自分の頭で考えると、子供はそういう社会では人々は安心して暮らせない、とわかってくる。 一人の独裁者のいいように国が動かされると、そのほかの多くの人々は、独裁者の気に入らないことは出来ない。 おびえて暮らすことになる、とわかってくる。 だから、権力はそれぞれ独立して判断して行使されることが人々が安心して自分の幸せを求めて暮らすためには大事なんだと自分で考えるようになる。  すると、自分がこれから生きていく社会はどうあるべきか、を子供は少しずつでも意識するようになる。 人々が幸せに暮らせる社会はどういう社会なのかを考える素地がその年齢なりに出来てきます。

これが国家が行う学校教育です。 なぜなら、国家は学校教育を行うことによって、その国の未来を創る国民を育てているからです。 多くの国民が幸せに生きていける国を作るその担い手を学校教育によって育てているからです。どういう国を作っていけば、みんなが幸せに暮らせるか、子供は子供なりに考えていきます。 これは何も文科系の科目ばかりに限ったことではありません。 高校時代「生物」を学ぶことによって生命の不思議さや尊さを学びました。 命の尊さはすべての人間の活動の基本です。  理科で天体を学んだ時、宇宙を研究する人たちが、なぜ「かけがえのない地球」というのかを教えてくれました。 現在のところ地球のような気候で人間の住める星はありません。 私は中学生の時、月の観察をして、夜、月を眺めた時、太陽と地球と月の位置の関係で、月が今こういう形に見えているんだ、と思ったとき、一瞬、畏怖のような感情に襲われました。 日々の生活では人間はその力でなんでもできそうな気がしますが、(私が若いころを過ごした時代の一時期、科学万能のような時代がありました。そのころだったのでしょう)もっともっと大きな力の中で生かされているにすぎないんだ、と肌で感じました。月を見ながら、本当に一瞬怖くなりました。

新井氏が言うように教科書を注意深く読んでテストの設問に間違いなくこたえて、高い偏差値を取っていい高校に行くことが国家が行う教育の目的ではありません。

学校教育は、この国の将来を作っていく子供たちを育てる教育です。
業者の金儲けしか頭にない人には学校教育は出来ません。 (下村博文のように、公教育に業者を入れて金儲けしよう、などと考えている政治家が公教育を牛耳っている限り、日本の未来を担う子供たちを育てる学校教育は出来ません。だから政治は日本を国民が幸せに生きられる国にしたい、という高い理想を持った政治家が行わなければだめなのです。 総理大臣や文部科学大臣がそういう高い理想を持っていなかったら、日本を良い国にする教育などできません。 今の日本の教育は業者とつるんで金儲けをしようという下村博文がいいようにやっているだけではないですか。 総理大臣も一緒になってやっている。こちらは朝日新聞DIGITALに載った「教育再生実行会議担当室」が設置された時の下村氏と安倍総理の写真です。

私は気負ってこういうことを言っているわけではありません。 それは私が受けてきた教育がそういう教育だったからです。 先生方の授業の後ろに私はいつも「君たちにこういう大人になってほしい」という先生方の思いをおぼろげですけれど感じました。 私たちより先に生まれた先生方が次の時代を生きる私たちにこういう社会で生きてほしいと思っているのが、おぼろげながら何となくわかりました。 だから今もこんな風に考えるのでしょうね。

ついでに言いますと、新井氏は、2021年1月15日のプレジデントオンラインに、「9割が教科書を読めていない」私立文系しか行けない子供たちの末路」という題で記事を書いていますが(2022年10月28日、今日偶然この2021年1月15日のプレジデントオンラインの記事を見て驚きました。 私が2021年8月に見た時の文章が書き変えられていますね。あのひどい新井教授推奨「家でできる子供の読解力をアップする方法」も書き変えられていますね。 私がひどいといったところはみんな書き変えたのですか? 知らないうちにこういうことをして新井氏は本当にいつも汚いやり方をするのですね。)、こういう風に「あなたはダメな子」とレッテルを貼る教育者に子供が心を開くことはありません。 だからこういう教育者が私立文系に行く子供が内に持っている能力や可能性を見ることはできません。(彼女の視点で行くと国立理系の方は豊かな人生なのですか?)  それにしても、自分のテストを売るためとはいえ、新井氏は子供に対して、随分ひどい言い方をしますね。しかも言い方が非常に差別的です。 こんな風に子供を見ている新井氏が教育者とは私にはとても思えません。 私は新井氏が子供のことを金儲けの道具のように粗末に扱うのがとても嫌でした。 子供の成長を暖かく見守る気持ちがみじんも感じられません。新井さんは教育者には向きません。 神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりになりません。新井氏は子供の命を軽視している。私はそれが一番嫌だった。 (私はクリスチャンではないですけれど、20代の頃から現在もカール・ヒルティの著作が愛読書です。 だから神様は不幸になっていい子供など一人もおつくりにならない、と思っています。)

2021年1月14日のブログからの転載は以上です。
ここから元の話題に戻ります。




体調がよくないので、しばらくお休みしよう、と思います。  その間、ブログはこのままにしておきます。 子音の日本語化を日本のすべての英語学習者の方々に知っていただくまで、このブログはこのままにしておきます。   長い間読んでくださってありがとうございました。 (私がブログを書いていた長い間、ネット上で私のことを陰になり日向になり守っていてくださった方が何人もいらしたのではないかと思っています。 子音の日本語化について、私がネット上セミナーを始める前までは「子音は日本語も英語も同じじゃない」といっていた上川一秋氏がセミナー終了後、「日本人のMの発音は突然始まる。これを音の○○という。」といって、自分で名前まで付けて提唱しはじめたとき、それをやめさせてくださった方々がいらしたのではないかと思っています。  私に「音をよく聞いて発音しましょうという指導はやめましょう」といった発音教師に抗議をしてくださった方々がいらしたのではないか、と思っています。 また、ある時は、新しくブログを開設した人のブログが一週間分(一つを除いて)全部私のブログの無断引用だった時、その人をやめさせてくださった方々がいらしたのではないか、と思っています。いずれの場合も私は何もできませんでした。最後の場合はそのブログの掲載者を特定することさえ、私にはできませんでした。 でも、私が「困っています」とブログに書いたとき、それを特定してやめさせてくださった方々がいらしたのではないか、と思っています。 ありがとうございます。  盗作者松澤喜好氏とその出版社KADOKAWAにアマゾンの順位を毎日下げられ、政府からはブログのアクセス数を一桁にされるような妨害をうける日が続いても、そういう方々がいらしたから13年も頑張ってこられたのだと思います。本当にありがとうございます。)



私は第4回のブログで教師が生徒に対して持つ思い、「こういう大人に育ってほしい」という思いは指導の時、必ず表れる、と申し上げました。 またその思いは教師が教育法を判断するときにも必ず影響を与えます。 それを現実のものとして聞いたとがありますので、最後にそのことを書いてブログを終わらせたいと思います。

2回目のブログで大学生の春休み、市民会館でいろいろな先生方の実践をお聞きした、と述べました。その中に忘れられないお話が2つあった、と書きました。 一つは上に書きましたが、もう一つのお話はこういうお話でした。

ある中学校の取り組みを若い先生が話してくださいました。  その学校にA男君という男の子がいました。  その子が茶髪でだぶだぶのズボンだったかどうかは覚えていませんが、A男君は、学校の授業をよくさぼって、あまりよくない仲間と遊んでいました。  彼が中学3年生になって卒業の3月を迎えた時、先生方は話し合いました。  このままA男君を卒業させていいだろうか、と。

もちろん義務教育ですので、最終的には卒業になるのでしょうけれど、先生方は話し合って、こういう結論を出しました。  卒業式に他の生徒と一緒に卒業させることは出来ないけれど、中学卒業までに学ぶことで、大事なことを一週間各教科の先生がA男君に補習授業をして、その授業にA男が全部出席してきちんと学習を終えたら、卒業させよう、という結論を出されたそうです。  それを聞いてA男君のお母さんは、「教育委員会に訴えてやる!」と大変怒ったそうですが、先生方は予定通りにしました。 卒業式翌日に登校してきたA男君に各教科の先生がかわるがわる教えたそうです。(その発表をした若い先生は「A男は、登校してきても校門に隠れていました。わざと職員室から見えるように隠れていたんですけど。」とおっしゃいました)

英語や数学の先生が何を教えられたのかお聞きしましたが、40年も前に聞いたことですので、もう覚えていませんが、社会科の先生が教えたことは覚えています。  A男君は中学卒業後、働くことになっていたそうです。 社会科の先生はA男君に「労働基準法という法律があるんだよ。 もし君が法律で決まっている以上の時間を働かされて困った時は、君は役所に行って、こんなに長い時間働かされて困っています。と助けを求めることができるんだよ。 それは労働者の権利なんだよ。 君はそうやって不当に長い労働時間をやめてもらうことができるんだよ」と教えていたそうです。

A男君は16歳で仕事に就きます。 先生方は16歳で厳しい世の中に出ていくA男君に少しでも良い人生を歩いてほしい、という思いがあったのだと思います。 その先生方の思いがこういう補習授業をしてから卒業させよう、という結論に導いたのだと思います。 
そうやって各教科の先生が一週間補習授業をし、それに全部A男君が出席した後、教室で、先生方が出席して、A男君の卒業証書授与式を行ったそうです。

その先生が、「僕がA男は偉いな、と思ったのは、A男は二度と不良には戻らなかったことです」とおっしゃっていました。  それからしばらくしてA男君のことは本になったそうです。  今思うとその本の題名をお聞きしておけばよかった、と思います。  A男君は、そのことを聞いて「先生、僕のこと、本になったんだってね。」といったそうです。

教育には正解が用意されているわけではありません。  教育者はその子を理解しながらその子に最も適切な教育をしようと努力をします。  その時に、「その子にこういう大人になってほしい」「少しでも良い人生を歩いてほしい」という思いが大きく影響します。(だから私は「私立文系にしか行けない子供たちの末路」などという言葉を使う新井紀子が教育者だなどとはとても思えないのです。 実際彼女は金儲けのために教育に手を出したにすぎません。)

この学校の先生方の選択は、「A男君に卒業させない」という選択でも「そのまま他の生徒と一緒に卒業させる」という選択でもありませんでした。  最終的になぜ上のような選択をしたか、といえば、それは「A男君に少しでも良い人生を歩いてほしい」と願う先生方の思いの結果であったと思います。

思いはコンピュータでも測れませんし、理科で使う試薬で染めだすこともできません。  でも確かに教師の心の中に存在し、指導方法を考えるとき、必ず、それに影響を与えます。  だから教師の思いは教育において一番大事だと私は思います。 だから私は、「AIに仕事を取られないように教育する」などという観点から子供を見ることを決して自分にさせてはいけない。」と感じたのだと思います。

教育の主体は生徒である。 そしてその主体を理解し、その子に最も適した教育方法を考え実践しようと教師は努力します。 そういう教育者が適切にコンピュータを使う時、コンピュータは最もその力を発揮します。(2022年1月26日 デジタル庁が持ち出してきた教育データも同じです。 教育者が参考資料として適切に使う時、教育者の役に立つでしょう。     その子に最も適した教育方法を考え実践するのは教師です。 データはあくまでその参考資料です。なぜその参考資料をあれほど年月を追って、大掛かりにとらなくてはいけないのか、教育者の私にはわかりません。 子供は刻々と変わります。 その瞬間に立ち会う教師は今その子の状態に合わせて教育をします。 私はむしろ、教師は過去のデータなどで変な先入観を持つより、今、目の前にいる子供をよく理解することの方が、その子に最適な指導ができるのではないか、と思うくらいです。  子供は刻々と変わります。 良い刺激があれば、なおさらそういう変化を見せます。 例えば、このブログの前半に書いた不良と呼ばれる子供たちでさえ、丁寧に教えて勉強がわかるようになると「先生、勉強やろうよ」と自分から言うのです。 彼らのデータなど通知表は「1」や「2」ばかりでしょう。 でもそんなデータ、どうでもいいです。 「この子たちにわかるように教えたい」という教師の思いや適切な指導があれば、子供は変わるのです。 (文部科学省はすべての子に最適な教育をしたいのでしょう? だから莫大な予算を取って子供一人一人にコンピュータを与えたのでしょう? でも、本当に一人の子も置き去りにしない教育をするには一人の先生が見る一クラスの人数をなるべく少なくしていくことではないですか?)     デジタル庁はなぜそんなに長い年月をかけて、学校や塾や広範囲にわたってその子のデータなど取らなければいけないのですか? 教育は、確定したデータより、「この子たちにこれからこういう大人に育ってほしい」という観点から、研究実践されていくべき分野ではないですか? お金はデータの入力より、そちらの研究実践に使われるべきではないですか。 よい教師を育て、一人の先生が見る生徒の数を少なくするために使われるべきではないですか。 なぜならその教育によって子供たちが変わるからです。それが教育です。 それは何も、不良と呼ばれる生徒たちばかりではありません。 私は普通の生徒でした。 でも先生方の日々の授業で、国語の力も、理科への関心も変わりました。(こちらのブログに「赤い子馬」の授業の例を書きました。そのあとにちょっとした社会や理科のことも書きました。) 確定したデータなど、その時の子供たちを変える何の力もありません。 データに「教(おしえ)」「育(そだてる)」ちからはありません。 データはただの参考資料です。 膨大なデジタルデータが一人一人にあった個別最適な学習を可能にするなど、デジタル庁のどなたが提唱されているのですか? 私から見たら、そんな意見は教育を全く知らない人の言うたわごとです。様々な可能性を持つ人間を教育することの意味を全く知らない輩のいうことです。 デジタル庁のどなたの意見でこのような方針が決められたのですか。デジタル大臣牧島かれんさんの意見ですか。もしそうだとしたら、彼女は教育について無知すぎます。 教育者にとってデータは参考程度にあればいいものです。 デジタル庁が集める膨大なデータを本当に欲しがっているのは誰なのですか? その人たちの為に岸田総理大臣が国民の個人情報をだまし取って売るのですか?(献金もらう)それは国家の犯罪です。 総理の犯罪です。政権ぐるみで犯罪を犯しています。     データとしてデジタル庁が収集するのは教育に関するデータだけですね。 では、教育産業のための市場データの収集ですか? eポートフォリオはベネッセのための見込み顧客(高校生)データを国家に収集させるものでした。 今度はデジタル庁を使って教育産業に必要なデータを国家に収集させるのですか。 だとしたら、やはりデジタル庁は国民から個人情報を騙しとっています。「一人一人にあった個別最適な学習を可能にする」のはデジタルデータではありません。 「自分らしく学べる社会を実現する」のはデジタルデータではありません。いい加減なことを言って国民を騙さないでください。 デジタル庁はデジタルは専門家かもしれませんが教育については全く無知です。無知な人間が金儲け目当てに教育に口を出すのはおやめください。データなんか100万個取ったって教育はよくなりません。 子供たち(人間)を育てる教育がどれほど心血を注がなければよくすることが出来ないほど大変なものかデジタル大臣牧島かれん氏はわかっているのですか。データをたくさん取れば教育がよくなるなど、とてもまともな神経で言っているとは思えません。教育をネタにして国民から個人情報をだまし取りたいだけでしょう。 デジタル大臣牧島かれん氏は教育を何だと思っているのですか。教育は金もうけの手段ではありませんよ。だからデジタル庁はただの個人情報ぼったくり集団だ、といわれるんです。「教育産業の金儲けのために国民を騙して個人情報を入力させる」 デジタル大臣牧島かれん氏はそういう不正な手段で行政機関の仕事をしないでください。国会議員なのですから国民を騙す不正手段を使ってはいけないことくらいお判りでしょう。 そんなことも知らないで大臣をやっているのなら、教育ばかりでなく大臣の仕事についても相当無知だと思います。 データを入力すれば教育がよくなる、そんなまやかしを大臣が本気で国民に言うんですか。 政府は岸田首相の下で、デジタル庁が犯罪集団といわれることも牧島かれんデジタル大臣が国民の個人情報をだまし取っているといわれることも都合が悪いのか、私のブログの妨害はひどいままです。  大臣になったとたん、国民の個人情報をだまし取る牧島かれん氏に政治家を名乗る資格はありません。 ただの個人情報泥棒です。 教育を口実に子供を食い物にするのはおやめください。)

教育現場の先生方へ

初めてGIGAスクール構想の資料を知人が送ってくれた時「私はコンピュータのこともデジタルのことも何も知らない。私にこういう資料を送ってくださっても私は何も出来ない。」と思いました。 でも、せっかく送ってくださったので、文科省のHPを見ながら一生懸命読みました。 コンピュータのことやデジタルのことがわからなくても、教育として変だ、と感じることは初めて読んだときからいくつかありました。 例えば、先生の質問の答えを生徒にコンピュータの画面に書かせれば、手を挙げない生徒の書いた答えでも、良い答えだと教師にわかる、という例をみました。 「そんなの先生が教室をぐるっと回れば生徒のノートが見られるくらいの人数で教えていれば、いつでもできることよ。それを実現することにまず予算を使うべきだ。 子供は登校して教室にいるのに先生と画面でコミュニケーションするの?」と私にはとても違和感がありました。 たとえコンピュータやデジタルの専門家でなくても先生方は教育の専門家です。教育についてはデジタル庁などよりずっとよくご存じです。 デジタル庁は教育に関しては全く無知です。 あんな人たちのいうことを教育に持ち込まれたら大変なことになります。 教育をよくするのに個人情報などいりません。 どうぞ、先生方がおかしい、と思われたことに対しては、「おかしい」と声を上げられたらいいと思います。先生方は教育現場での経験も豊富にお持ちですから机上の空論で決められたことがおかしい、ということにはすぐにお気づきになると思います。毎日教科指導、生徒指導でお忙しいので、そこまでの時間がないかもしれませんが、どうぞ、「おかしい」と思うことに対しては遠慮なさらずにご指摘ください。実際に教育をしている人にしかわからないことが現実にはたくさんあります。 教育現場の声はとても貴重だと思います。(実際、GIGAスクール構想のページを読んでいると、言っていることは大変立派で素晴らしいですけれど、これを教室で、日々の授業でどうやって実行するの?と思いました。「一人一人にあった教育のためのフィードバックを全部先生がするの?(具体的には、いま行った学習の理解度を見て次にどのような指導をしたらよいかを考えて決める。例えば、もう少し教えたことを定着させるための練習が必要だ、あるいは、その前の段階で理解が不十分なところがあり、それがつまづきの原因になっている、などを判断して次の指導を決める)これを一人一人について全部先生がするの? 無理よね。一クラス40人だもの。」と思いました。机上のプランと実行段階の乖離が大きすぎる。その乖離を全部教師が埋めなければならない。 しかも教師へのサポートはないに等しい。 やってみればわかることだけれど。 うまくいかなかったら、また「教師の指導力の問題だ」って言って、文部科学省は逃げるのかしら。と思いました。デジタル庁は「教育産業のために国民の個人情報を騙してでも入力させる」文部科学省は、「一人一人の子供に最適化された教育ができると国民には言って、コンピュータを税金で大量に購入する。でもその使い方についてはおざなりな計画しか立てていない。 文科省の穴だらけの計画の不備は全部先生方の労働で埋めるよう押し付けている。」  デジタル庁、文科省、どちらも、子供に良い教育をすることを本当に願っているのでしょうか。業者に金儲けさせることがまずあって、そのために立派な理由を考えただけではないでしょうか。それで失敗したときは先生方のせいにしないでください。
私は、最初から国民を騙すつもりでやっているデジタル庁のしたことは特に悪質だと思っています。窃盗、監禁などと同じ「犯罪レベル」です。 こういうことをする集団を国の機関として置いておく岸田総理もひどいと思います。デジタル庁は「国の機関」という隠れ蓑の下で、総理に守られ、金儲けのためにやりたい放題悪いことをやっている。国民の利益なんかそっちのけ。最初から国民を騙して金儲けに使おうという犯罪集団。だからあんなお粗末な理屈を作って国民の個人情報をだまし取ろうとする。あの程度の理屈で全国民の個人情報を生涯に渡って騙しとれれば金儲けも簡単。「生涯教育」なんてもっともらしいこと言って国民一人一人の一生分のデータを全部だまし取る。 それは値段もつけられないくらい高価な市場調査データ。 政府が守ってくれるから、詐欺だって犯罪だってやりたい放題。デジタルで金儲けに必要なものは、今回みたいにデジタル庁に適当な理屈言わせて取らせればいい。 牧島かれんデジタル大臣には国会議員としての倫理はありません。金儲けしたい人の言う通り動いている。これからの金儲けはデジタルの分野でしょうから。デジタル庁は金もうけ目当ての人の言う通り動く犯罪集団。個人情報は私たちの個人財産です。他人が金儲けのために勝手に使っていいものではありません。 それをデジタル庁は「最適な教育の為」と騙して一生分国家権力によって強制的に持って行こうとした。(まさにデジタル庁は、「普通なら他人が手にすることの出来ない一生分の貴重な個人財産を力ずくで奪い取ろうとした」ぼったくり庁です。)  巷(ちまた)の詐欺師だって、だまして「同意させて」持っていくのに、デジタル庁は国家権力によって強制的に持って行こうとした。 巷の詐欺師より悪質です。デジタル庁は詐欺師より悪質な犯罪手口を使って国民の個人情報をだまし取る。 デジタル大臣牧島かれんは詐欺師より悪質な手口を使って全国民の個人情報を騙しとる。 岸田総理のすることは安倍元総理のしたことよりはるかに悪質です。 安倍元総理は高校時代のデータだけでしたが、岸田総理は「生涯教育」などといって全国民の一生分のデータをだまし取る。 国民の一生分の教育の歴史をだまし取る。 国民の人生の記録をだまし取って業者に売る(献金もらう)。 岸田首相は歴代首相の中で最も悪質です。 「全国民の人生の記録をだまし取って業者に売る」日本憲政史上最悪の総理大臣です。


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GIGAスクール構想の話題に戻ります。

政府、文部科学省はコンピュータにかけるのと同じくらい先生方の支援にお金も時間も人もかけてください。 現場の先生方の意見を丁寧に聞いてください。  その時「コンピュータを使えない教師が悪い」というような視点から先生方の意見をはねつけないでください。 業者は儲からなくても、先生方がコンピュータを使いこなせるかどうかにGIGAスクール構想の成否がかかっています。 失敗したとき、「教師の指導力の欠如」などという理由は決して言わないでください。



今日まで、「子供たちを守ってやりたい」という思いだけでやってきましたけれど、政治家、文部科学省、出版社、著者、政府、ブログを書く人(注*)など、たくさんの方面からの仕掛けに私一人で対処するのは、もう体がついていきませんでした。
(注*)政府や東洋経済新報社(新井氏)などが、私が指摘したことについて「間違っている」と言う目的でいろいろな人にブログを書かせているようです。 はてなブログタグでそういうブログをよく見ました。たいていの場合は私はスルーしていますけど。何人も何人も飽きもせず動員してくるのはすごいなあ、と思います。 一番傑作だったのは、私が「子供たちには新しい仕事を生み出す力がある」と書いた直後、「新しい仕事を生み出すのはAIに仕事を取られた子供たちではない」と書いたブログが載った時でした。 どこまで行っても「AIに仕事を取られる」という考え方から離れられないのね、と思いました。 指導者がそう思っていたら、子供たちは本当にそうなります。 それ以外に子供たちが持っている能力や可能性を指導者が見ようともしないからです。 それじゃあ人間の本当の力も見えないと思いました。)


これで、私のブログは終了いたします。 2011年から、長い間、読んでいただいて本当にありがとうございました。 子音の日本語化が多くの英語学習者に浸透するまで、このブログはこのまま掲載しておきます。 日本人が70年間も聞けなかった音ですから、皆さんに聞けるようになっていただけるまで10年や20年はかかるかもしれませんね。 それまでいるかどうかわかりませんけれど、娘には、頭を打った時、もしお母さんがこのままいなくなっても、ブログは10年くらいそのままにしておいてね。 英語学習にとっても大事なことが書いてあるから、といってあります。  他にも英語学習に役立つ記事がありますので、参考にしていただければ幸いです。  長い間、お読みいただきまして、本当にありがとうございました。 長い間、支えて下さった方々、ありがとうございました。





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ここから大学入試の話題に戻ります。

「こういう学生を育てたい」そういう思いのない、共通試験なんかやらなくていいのです。  そのうえ大学入試がベネッセのアルバイトで出来ると思っているような人がかかわってくるなら、共通試験など、やめることです。 共通試験に使うお金は各大学に良い問題を作ってもらうために使ってもらったほうがいいです。  

大学教育改革とかもっともらしいことを言っているけれど、大学入試のようなスタートのところで、大学の先生方と、受験生双方のやる気をそぐようなことばかりしているから、ちっとも効果が上がらないのです。 問題集を売って儲けたい人が作ったような問題、ベネッセのアルバイトが採点する文章、経済的に苦しい家の子供が最初からあきらめなければならない高額の民間試験、こんなことをやっているから、教育がハゲタカビジネスモデルで瀕死の状態になってしまうんです。  各大学が「こういう学生を育てたい」という志のもとに責任を持って入学試験を行うなら、こういうことは起こりません。(現在、○○大学の入試問題をつくっている先生が○○大学合格対策問題集を出しているなどと知ったら、大学当局が放っておかないでしょう。 学校の信用にかかわりますから。つまり公正な入試ということに対してもきちんとコントロールが行われるということです。今みたいに、野放しになるようなことはありません。)

誰も止めなかったら、子供たちはベネッセのアルバイトが採点するテストを受けさせられていたのですよね。こちらのお二人(下村氏と安倍首相)は、本当にベネッセのアルバイトの採点なんかで子供たちの学力が上がるとでも思っていたのですか。教育再生実行会議など、即刻解散させるべきでしょう。 彼らの決めたことは即刻白紙に戻すべきです。 英語教育に関しても彼らは何も知りません。

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先生方のツイッターで初めて「ベネッセのアルバイトが受験生の文章を採点する」という話を読んだ時、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。  この国の子供たちはかわいそうです。 首相にまで売られてしまった。 と思いました。 大学受験のために子供たちがどれほど一生懸命勉強しているか首相は知らないはずないでしょう。 昨日もそのことを考えていたら、いつの間にかぽたぽたと涙が落ちました。  安倍さん、業者にお金儲けの機会を与えたいなら、子供と関係ないところでやってください。 「その国の最高学府で勉強したいと思う子供たちの実力を採点するのが学生アルバイトで良い」そんな首相ではもう日本は終わりです。 

無意識の思い込みを見直してください。「民間試験不要」を証明する川合典子のスピーキング能力習得過程(中学高校時代)

私のブログには為政者から激しく妨害されているものがいくつかあります。このブログと併せてお読みください。日付をクリックすると移動できます。
2020年3月17日 各大学はスピーキング試験(民間試験)をする必要はありません。大学の先生方は受験生を騙す詐欺(犯罪)に加担するよう強制されることはありません。いかなる団体においても犯罪を強要する方針は無効です。(民間試験は50年やっても4技能向上に効果はなかった。)

2020年2月29日 eポートフォリオはベネッセの見込み顧客(高校生)のデータを国家に集めさせる極めて危険で悪質な手段です。 下村博文議員と安倍総理大臣がすべての国民のIDと個人情報をベネッセに与えてよいのですか。

2017年11月2日 中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?


大学入試改革を担った鈴木寛教授が実際には英語教育に全く無知であった(カタカナ発音と英語発音の区別も出来ない)ことについては2020年4月23日のブログに書いてあります。 鈴木寛教授のことを書いたとたん文部科学省から激しい妨害が始まりました。


* * * それでは今日のブログに入ります * * *


子供たちは授業で継続して「評価」を行うとこういうスピーキングをするようになります。民間試験を受けてもこうはなりません。「教育再生実行会議」の委員は英語教育については何も知りません。スピーキング能力を上げる方法も知りません。2月11日の朝日新聞東京大学・慶応大学教授鈴木寛氏が「民間試験を使うことが現実的です」とおっしゃっていますが、教室で評価したほうがもっと現実的ではありませんか?民間試験を受けさせても子供たちのスピーキング能力は上がりません。生徒と保護者(国民)も、なんの役にも立たない高額な民間試験より「学校で評価」してもらってネイティブ発音になる方がいいに決まっています。スピーキング能力の上げ方も知らないで民間試験を薦めるのはおやめください。 
国会議員が勝手に「○○会議」を作って、勝手に委員を選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。これが子供を食い物にする「ハゲタカビジネスモデル」です。 民間試験導入はこうして決まりました。 「教育再生実行会議」の人々は誰一人、英語教育についてはご存じありません。知らない人に諮問して教育の何が良くなるのですか。 国会はハゲタカビジネスモデルの使用を禁止する法律を制定してください。  そして国会議員が「特定の事柄を行うよう文部官僚に強要することを禁止する」と明記してください。違反した場合は議員活動停止など、具体的な罰則事項を明記してください。「ハゲタカビジネスモデル」がはびこる前にどうしても止める必要があります。 もし、立法できなかったとしても、今後「○○会議」「○○委員会」が作られたらみんなで注視して、違反行為が行われていないか監視しましょう。もっともらしい名前に騙されないようにしましょう。 教育は「再生」するどころかハゲタカに食い荒らされて、もはや瀕死の状態です。 


2月11日 朝、パソコンを開けたら(9:00)、ブログアクセス数は「0」でした。 10年ブログを書いてきて初めてでした。 文部科学省の妨害は相当きついですけれども、皆さんに知っていただきたい内容だったので、つぶされることも覚悟で書きました。 ツイッターなどで多くの方々にお伝えください。  私のように肩書もない一英語教師は圧力をかけられればすぐにつぶされてしまうのでしょうから(ブログだって、簡単にアクセス「0」にされてしまうくらいですから)つぶされる前に(まだ皆さんがブログを読んでくださっている間に)、最後に言いたかったことをひとこと言わせていただきます。  文部科学省や一部の国会議員、一部の大学教授、一部の経済界で活躍する方々は、もっともらしい名前の「会議」や「委員会」を作ってそこで子供を食い物にする「お金儲けの話し合い」をするのはおやめください。子供を守るのが大人の仕事ですから。 どんな立派な名前を会議に付けようと「ハゲタカ会議」や「ハゲタカ委員会」は子供にはいらないです。 「○○委員会」や「○○会議」は違法なことを「合法的に行った」というための隠れ蓑(かくれみの)に使われている。 自分の意向に沿った人間をたくさん会議に送り込めば、自分の思う通りに事を運べます。「ハゲタカ委員会」だって、「ハゲタカ会議」だってそうやって人選したのでしょう。思い通りにしたかったら何でも「○○会議」を作ればいいんです。 本来、入試を民間の業者に委託するかどうかなどという問題は国会で協議してから与野党の合意のもとに導入されるべきではなかったのですか。それを○○会議が決めたと言うからもともとが少数の意思であったものが、まるで法律で決まったかのように導入できたのではないですか。 まるでマネーロンダリングのように「意見の出所を隠す」ために○○会議が使われたのではないですか。 「資金洗浄」ならぬ「意見の出所洗浄」に「○○会議」が使われたのではないですか。 これからは「○○会議や○○委員会で決まったことは、国会の承認を経てから実行される」というような規定を設けたほうがいいのではないですか。そうしないと、好き勝手に委員会や会議を作って好き勝手なことをされてしまいますね。 これだけみんなが反対しているのに文部科学省が民間試験を死守しようとするのは、言われた通りしないと、怖いからなんでしょう?          私のブログのアクセスが禁止にならないことを祈っています。(私を「妨害する」ということは文部科学省だって、私の言う通りにすれば子供たちのスピーキング能力が上がるとわかっているのでしょう。分かっていてもそうできないのよね。ボスハゲタカが怖いから。人事権も握られているし。私の言う通りにしたら、ボスハゲタカがやりたがっている民間試験ができなくなってしまうからね。  どうしてあげたらいいのかしらね。 せめて「○○会議、○○委員会の決定は実行の前に国会の承認が必要」という規定があったら、ボスハゲタカから文部科学省を守ってあげられるのに。)

文部科学省の中立性を守るための立法を検討されたほうがいいのではないでしょうか。ほかの省庁とは違って文部科学省がかかわるのは「子供たち」です。例えば、今回の入試制度や学校教育など、人の人生に大きくかかわる分野です。 お金儲けで決められてはならない分野です。 民間試験導入の経緯からわかってきたことに基づいて、今後、教育をお金儲けに利用されないように、法律で文部科学省の中立性を守れるよう、検討を始めたほうがいいと思います。文部官僚だって、人事権を握られている以上言われた通りせざるを得ないと思います。  組織の位置づけから言って、会計検査院のようなわけにはいかないでしょうけれど、いろいろなことを参考にして文部科学省の中立性を守る仕組みや立法を考え始めたほうがいいと思います。 先生方の公開してくださる資料を見ていると億単位のお金がこの件で動いているのですね。(だから関係者は民間試験を死守したいのですか?) こういうことがあった以上、我々はその対策を立てる必要があります。  文部科学省をおやめになった方の講演会を去年聞きに行きました。  一般的に「会議」の委員というのはどういう風に決められるのかな?と思っていましたら、その方のお話しの中で、さらっと触れられただけでしたが、「そういう委員は適当に決まるんです」とおっしゃったように記憶しています。(もちろん経歴や適切な人材かは書類などで審査されているのでしょうね。本当に適当に決まっているとは思いません。話のながれでそうおっしゃったのでしょう。ただ、明確な基準はないようでした。)スーパーコンピュータの詐欺の例もありますし、委員を選ぶときの基準も明確にする必要があると思います。例えば親族にそれに関連する事業を行っているものがいる、あるいは大株主がいる場合は委員にしないとか、厳格に決める必要があります。 委員の選出は「与野党同数の選考委員が合意によって選出する」など、非常に厳格な条件のもとに行われる必要があります。 「○○会議」は不正と腐敗の温床です。 インサイダー取引が厳しく規制されているように、委員としての職務で金儲けをしないことも誓約書などを書かせて厳格に規制する必要があります。もちろん違反した場合の罰則を明記します。           「どのようにすれば文部科学省の中立性を保てるか」私がお話しを聞きに行った元文部官僚の方は、内部の仕組みをよくご存じでしょうから、お知恵を貸していただけたらありがたいですね。  たとえ、初代ボスハゲタカが選挙で落ちても、こうやってお金儲けができるとわかった以上、第2、第3、のボスハゲタカが出てくるでしょう。そして一度そういうことで大儲けが出来ると知った業者が第2第3のボスハゲタカに群がるでしょう。 そうしたら、また同じ手法が使われます。 ハゲタカ会議、ハゲタカ委員会のオンパレードとなり、ボスハゲタカの金儲けの意思が「公に設置された会議の総意」として「意見の出所を洗浄」され今回の民間試験導入と同じことが起こってきます。 文部科学省は人事権を持つボスハゲタカの言う通り動くしかなくなってしまいます。  ハゲタカ会議のおいしい仕組みを発見した第2、第3のボスハゲタカに私達は先んじていかなければなりません。指をくわえてまた同じことを彼らがするのを見ているわけにはいきません。「会議の委員になるような人が悪いことをするはずはない」と私達は思ってきました。 しかし、これを逆手にとって、「○○会議」や「○○委員会」を作れば大儲けが出来ると考えて、実行している人たちがいるのです。 それを知った私達が指をくわえて見ていたら子供たちは食い物にされてしまいます。  この民間試験への執着は文部官僚から出ているものではないでしょう。 ボスハゲタカが民間試験に異様なまでに執着しているのでしょう。 この執着の仕方は常軌を逸しています。「検討する」と先生方を騙して、水面下で実施の準備をしていたのです。信頼を裏切ろうと先生方を騙そうと、ボスハゲタカは自分のもくろみを実行していたのです。   私の言う通りスピーキング評価をすれば子供たちのスピーキング能力が上がる、ということは彼も知っている。 だから私は民間試験導入に邪魔なんでしょう。 生徒だって、保護者だって、なんの役にも立たない高額の民間試験より、学校で評価してもらって、ネイティブ発音になる方がいいに決まっています。 だから、こんな無名の一英語教師に妨害までするのでしょう。私をつぶすのも民間試験導入の準備だったのですね。(今の私は文科省以外からもいろいろ妨害を受けていますので、かなりきついです。)     民間試験に異様なまでに執着するボスハゲタカの目的が、鈴木寛東大・慶大教授がおっしゃるような「20世紀型の教育を押し付け続けないための第一歩、世界中の大学が受ける英語民間試験の活用、そして一発勝負に限定されない複数回の実施」(2月11日付朝日新聞)と思っている人はほとんどいないでしょう。

今のままなら、第二、第三の「民間試験導入事件(「検討する」と言いながら裏で導入を進めていた)」は必ず起こります。不正が起こると知りながら放置するのは、子供たちが犠牲になると分かっていて何もしないのと同じです。  不正という点では「○○会議」「○○委員会」は、政治家と業者のインサイダー取引と同じです。  勝手に「○○会議」作って、勝手に委員選んで、国民の知らないところで協議して、「会議の総意でこう決まった」と言って業者が儲かる方法を国民の反対を押し切って全国で実施する。 2度とこんな手法に騙されたくない。 私達の子供たちがこんな政治家と業者の裏取引に従わされる根拠はありません。「子供を食い物にするな」と何回も言っているでしょう。スピーキング能力の上げ方も知らないで「4技能」「4技能」と言わないでください。本音は業者にもうけさせたいだけでしょう。民間試験をやったって子供のスピーキング能力は上がりません。そんなことも知らないで「4技能」「4技能」などと言わないでください。子供のスピーキング能力を上げたかったら、学校の授業でスピーキングに必要な文章の発音指導をし継続して評価していくことです。 立法府文部科学省の中立性を守れる法律を制定してください。 先生方が公開してくださる情報を見ていると現在、学習塾と政界の間に次々とパイプが構築されているような感じを受けます。「いくらパイプを作っても無駄なんだ」と彼らにわからせる法律を作ってください。(私が知っている英語教育の分野に関しては、子供たちは学校教育だけで、グローバルな世界で十分やっていける英語力を身につけられます。業者はいりません。)



民間試験導入のシナリオはすでに出来上がっている(2/1/2020)

文部科学省は、今は「民間試験導入に関して公平な議論をする」方針ではないのですか。 下のコメント(民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいない)と書いた日から、戻りつつあった私のブログのアクセスが再び激減しました。また同じ日から、いつも4つの検索ワードで検索すると2位に出てきていた「中学時代にきちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか」という2017年11月2日のブログが検索結果に全く出てこなくなりました。  文部科学省は今行っている、「検討会議」とか、調査とか、みんなただのポーズ(見せかけの態度)でやっていて、それが終わったら、「調査をやった」「検討した」「問題点を改善した。だから民間試験を導入する」というシナリオがもうすでに出来上がっているのではないですか? そうでなかったら、私のブログにこんな操作がされるのはおかしいでしょう。  上に上げたブログは1年以上毎朝同じ検索ワードで検索してきたものです。(昨年「英語教育改革は失敗した」と書いたとき一時検索結果に全く出てこなくなりましたけれど、その事をこのブログに書いた後、またいつもの順位に戻ってきていました)  いつもその検索では2位にあったものが、なぜおとといから突然、検索のどこにも出てこなくなったのですか?  また、同じ時から私のこのブログのアクセスが激減するのですか?(そういうことを専門に操作する機関がある、と昨年の7月知りました)  もしかして、文部科学省は民間試験に賛成する人たちが、「中学高校で学校の勉強の一環として、発音習得をやった経験がない」と私が書いたことを人々の目に触れさせたくないのではないですか? 私は文部科学省が公平な議論をしているようなふりをして、実は水面下で民間試験導入に向けて、情報操作をしている、とこの時、感じました。 だとしたら、今多くの先生方が一生懸命されている努力を踏みにじるものです。  この先に待っているのは、「検討した」「調査をした」「問題点を改善した」「だから民間試験を導入する」という文部科学省のシナリオではないのですか? 民間試験導入を「合法的に行っている」と主張するために「委員会」や調査をさせているだけではないのですか?  そういう視点から見ると、今、先生方が、疑問を呈している文部科学省の行動がよく説明できるのです。 私はこういうことをブログに書きましたので、この先、つぶされてしまうかもしれませんが、民間試験導入を生徒のためにやめさせようと努力されている先生方にお伝えしたかったので、怖かったですけれども書きました。 (2月2日)現在の私のブログアクセス数は「3」(11時現在)です。こんなことは今までありませんでした。 私はtwitterはやりませんけれども、皆さんはお持ちでしょうから、どうぞそれで、先生方にお伝えください。そうしないと、先生方の重要な指摘がみんな無駄になってしまいます。 それでは子供たちを守ってやることが出来ません。

(それから、著者としてよくわからないのでお聞きしたいのですが、アマゾンでなぜ私の赤い本だけが「配送料599円」なのでしょうか。(2月4日午前10時38分現在)ほかの本は「通常配送料無料」ですのに。(この時点で、ランキング5ページ目までの本の送料がすべて無料であることを確認しています。「アマゾンは送料無料」と宣伝しているのですから当然ですね。)理由があれば教えていただきたいです。 在庫数は減っても順位は昨日より1ページ分下がっていますし。(午後は10ページ目まで下がってますし。17時07分) アマゾンの表示は下のようになっていました。  (午後、送料は訂正されましたが「入荷時期は未定です。」という表示に変わりました。私は今朝、出版社に電話して、入荷をしていただくようお願いしたばかりです。アマゾンへの入荷はアマゾンが発注して行われるそうです。 アマゾンから私の本への発注がないそうです。 だから「入荷時期は未定です」という表示になっています。 アマゾンは私の本を発注してください。すべての書籍に対して公平な商取引を行ってください。  アマゾンは公正な商業活動を行ってください。私の本だけ送料を599円にしたのはどなたの依頼ですか。 アマゾンも何の見返りも無くそのようなことはしないでしょうから、依頼した人とアマゾンとの間に金銭の授受があったのですか。会社としてのアマゾンも承知の上でしたら、その経緯に問題はないのでしょうから、教えてください。アマゾンは贈収賄を伴う不正行為でないのなら、どなたの依頼だったのか明らかにしてください。 出版社経由で結構です。私はその本の著者ですから。)2月6日、本は入荷しました。
3日たっても依頼主を明らかに出来ない、ということはやはりアマゾンは金銭をもらって特定の著者を妨害していたのですね。それは犯罪ですよね。 世界ではGAFAなんて言ってますけど、アマゾンはお金をもらえば裏で犯罪もする相当悪質な企業ですね。 犯罪も平気でするようなモラルの低い企業が巨大化するのは社会にとって、脅威です。
英語発音、日本人でもここまでできます。―発声から変える川合メソッド
川合 典子 | 2010/12/1
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ちなみに2月4日の私のブログアクセス数は「4」(10時40分現在)です。 文部科学省はこのブログを読まれたくないからずっと妨害していくのでしょうね。これは、「検討する」と約束した文部科学省が生徒や保護者、先生方(つまり国民全体)を騙していたわけですから、知られたくないですよね。 覚悟はしていましたけれど、不正行為を受け続けるのは、なかなかつらいものがあります。  私はすでに11年間、2者から不正行為を受け続けていますが(下に書いてあります。)不正行為というのは新たにされるたびにつらいですね。心身共に疲弊しますから。 「現在の」文部官僚に教育を任せていたら、日本は滅びます。 彼らは魂を売りましたから。 子供の未来を売りました。 文部官僚は子供たちが食い物にされると知りながら売ったのです。  「東大に民間試験をやらせなければいけない」とすごむ国会議員下村博文の映像を見ました。こういう人が子供を食い物にするのですね。







民間試験導入を主張する方々の中には、中学高校時代「学校の勉強の一環として」発音習得を行った人は一人もいません。彼らは学校教育におけるスピーキングの指導と評価について何も知りません。彼らの言う通りにするとまた失敗します。



【2024年、再び民間試験導入の口実を作らせないために】  スピーキングのスキルは本来学校で教えるものです。学校で教えることを学校で評価できないはずはないでしょう。民間試験導入などと言う教師は学校教育におけるスピーキングの指導・評価の方法を全く知らない教師です。 発音を習得する中学、高校の時期には、学校で継続してスピーキング評価を行わないと、子供たちに正しい発音でスピーキングすることが定着しないのです。 学校でレッスンが終わるごとに継続して評価されるからこそ、子供たちは家庭学習でスピーキングの練習をしてくるのです。(基礎は最低中学2年間。長い文をスピードを上げてしゃべれるようにする高校時代は3年間。継続して学校でスピーキングを評価する必要があります。評価はその都度生徒に知らされます。 前より上がっていたら、励みにもなるでしょう。 下がってしまったら、「今度は頑張ろう」という気にもなるでしょう。このように「評価」は長い発音習得期間中、生徒のモティベーション維持にも重要な役割を果たします。 入試の際は3年間の総合評価を高校、大学に提出すればよいのです。)  中学生が学校教育だけでこういうスピーキングが出来るようになる「指導と評価の方法」はあります。高校生の「指導と評価の方法」もあります。(「中学生がこういうスピーキングが出来るようになる」と例示した音声はHP「通じない日本人の発音」より転載しました。私自身が50年前、学校教育だけでこういうスピーキング能力を習得しました。私のスピーキング能力習得過程は「スピーキングの指導と評価」に「民間試験は不要」「業者は不要」、「必要なのは授業での継続する評価」を証明するものです。 民間試験導入を主張する教師など「スピーキングの指導と評価」のやり方を全く知らない教師です



こちらで読みましたが、「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長吉田研作氏は小学校1年生から6年生までアメリカ、カナダで過ごされて、中学校1年生の時に帰国されたそうですね。  私の子供たちで言えば、小学校1年生の息子が日本語で何も説明されなくてもアメリカの日常生活の中で英語を身につけられたときから、小学校5,6年の娘が「天体」や「古代文明」など、頭の中だけで考えて物事を理解できるレベルの英語まで、英語圏で習得されて、帰国されたということですね。  そういう経験に基づいて、英語が全く話されていない日本で育った子供たちが英語を学ぶ方針を立案されるのは無理です。 吉田研作氏には、日本の子供たちが英語を学ぶ基本的な状況が体験として理解できません。 日本の子供たちは、アメリカの子供のように「話される英語」と「それが意味するもの」が結びつくのを一日中、見て、体験しているわけではありません。 アメリカにいれば発音練習も子供は必要ありません。つまり、英語習得の基本的な条件が吉田研作氏と日本の子供たちでは全く違うのです。「英語で授業」は間違った方針です。 初級者、中級者には全く効果はありません。   吉田研作氏のように、日本の子供たちが「英語で授業」で英語や発音を習得することは出来ません。  11月18日付朝日新聞上智大学言語教育研究センター長吉田研作さんのコメントが掲載されていました。「半数近くの高校はまだ英語による授業が行われていない」と書いてありました。 私は、18年間にわたって、日本とアメリカを往復して育つ子供たちがゼロからバイリンガルになる過程を小学校・中学校・高等学校、すべての段階で観察してきましたが、「英語で授業」は、日本の中学・高校の段階では全く効果はありません。 効果がないどころか日本語を母国語とする初級者・中級者には「英語力が上がらない」という実害をもたらす「指導法?」です。 また、「英語で授業」をすると子供たちの発音はボロボロになります。 吉田研作氏は中学時代、ご自分が学校の勉強の一環として、発音習得をされたことがないので、そういうこともご存じないと思います。(帰国子女でいらした吉田研作氏には発音を学ぶ必要はなかったと思いますが、日本で育った子供たちには、発音は学校で教え、練習させなければ身につけられません。) 「英語教育の在り方に関する有識者会議」の座長、吉田研作氏がいまだにこういう間違った認識をお持ちなのは非常に残念です。吉田研作氏は「子供たちの英語力向上を阻害する方法」「発音をボロボロにする方法」を高校生にさせようとするのは、おやめください。 「文部科学省が高校の指導要領で「(英語の授業)は英語で行うことを基本とする」と打ち出してから10年が過ぎた。」とこちらの新聞記事に書いてありますが、10年も子供たちの英語力向上を阻害し、発音をボロボロにする方法を提唱してきた「英語教育の在り方に関する有識者会議」委員の責任は極めて重いと思います。 税金が使われているのですから、「間違った方針「英語で授業」のせいで、日本の英語教育改革が失敗したこと」は国民に知らされるべきだと思います。 文部科学省は「英語教育改革は失敗した」と国民に知られたくないのでしょうが、有識者会議の委員が間違った方針を提唱したから英語教育改革が失敗したのは事実ですから、皆さん、どうぞこのことも英語教育関係者の方々に口コミでお伝えください。  今、多くの教育関係者の方々が民間試験導入の問題点を追及してくださっています。 次々明らかになる実態のひどさには、驚愕するばかりです。「もし、こういうことが明るみに出なかったら」と思うとおそろしいです。 この件を究明される方々の努力に本当に感謝しています。 私はそういう情報を得る立場にないので、教えていただくことばかりです。 私は英語教育における実際の指導手順については、自分と子供たちの英語習得の経験からわかりますので、自分の分かることで問題点を指摘してきました。  実際の指導手順について言えば、「4技能」の方針もすでに失敗しています。 学習指導要領の中には3技能の習得の仕方しか書いてありません。どうやってスピーキングの基礎を教えるか、文部科学省有識者会議の委員もご存じないからでしょう。私は中学時代、学校の勉強の一環として、自分自身で家庭学習で発音を習得しました。 当時は今のように教科書の音声モデルは入手できませんでしたから、親にテープの教材を買ってもらって一人で発音を習得しました。  ですから、中学生がどう勉強すれば、通じる発音を習得できるか知っています。 私の発音は上で聞いていただきました。  発音習得の極意は自分の耳を使うことです。それは帰国子女が発音を習得するのと原理的に同じです。  この音声は、HP「通じない日本人の発音」より転載しました。戦後70年日本人は日本語の短い子音で英語の子音を代用してしゃべってきたことを明らかにしています。ほとんどの日本人が話している英語の子音は日本語の子音です。英語の子音ではありません。 だから、日本人の英語は分かりにくいと言われるのです。)  私は32歳まで、英語圏で暮らしたことはありません。普通の日本の子供と同じように中学生になって初めて学校で英語を習いました。 新学習指導要領のように音声モデルも生徒に与えないで、スピーキングの基礎が習得できるわけがないでしょう。 子供たちが、アジアのトップレベルの発音で、言いたいことをスラスラ英語で話すようにする教育方法はあります。こちらのブログに書いてある通り学校教育をしていただければそれは可能です。 すべて私自身が、自分の体で行ってきたことですから「英語で授業」のように日本で誰も成功出来ない「机上の空論」とは違います。 川合式英語学習法の効果は、体験によって実証されています。 日本の子供たちは学校教育だけでグローバルな社会でやっていくのに十分な英語力を身につけることが出来ます。 文部科学省は、子供たちをアジアのトップレベルの発音で言いたいことをスラスラ英語でしゃべれる大人にしてあげてください。




民間試験なしに学校教育の中で、生徒のスピーキング能力を公平に評価する方法は、下の小さな字で書いてある部分を飛ばして、大きな赤い字で書いてある部分から始まっています。その部分からお読みください。 これは一つの例です。 現場の高校の先生方はどのような試験のやり方が適切だとお考えになっているのか、聞く必要があると思います。 高校の先生方は文部科学省が選んだ有識者会議の委員松本茂立教大学教授や安河内哲也氏の間違った方針(英語で授業)からずっと高校生を守って来てくれました。文部科学省が、常に「英語教育改革の蚊帳の外において」その意見(日本語で教えてもわからない生徒がいるのにどうやって英語で教えるのだ!!)を省みようともしなかった現場の先生方が、実は文部科学省の選んだ「英語教育の専門家?」の間違った方針から、子供たちの英語力をずっと守っていてくれたのです。 この新聞記事のように「英語で授業をしない」と批判されても、ずっと子供たちの英語力を守ってきてくれたのですよ。 松本茂立教大学教授と安河内哲也氏は間違った指導法を提唱して日本中の高校生に被害を与えてきた責任を取らないのですか。 でたらめな指導法を提唱したのに、謝罪もせず、責任も取らず、知らぬふりをするのですか。 お二人とも、生徒の前に立って教える教育者でいらっしゃいますのに、そういうことでいいのでしょうか。  文部科学省はこの件に関して責任はないのですか。英語で授業(詐欺指導法)に加担した文部科学省は国家公務員法違反です。(こちらのブログ)  また、子供たちが学校で教えられてもいないスピーキングの試験を受けなければならなくなったのは、スピーキングの習得の仕方を知らない(つまり4技能のうち3技能しか習得の仕方を知らない)安河内哲也氏が「4技能4技能」と提唱したからです。 英語教育の専門家が「4技能」を提唱するのであれば、まず最初にするべきことは、学校教育の中で生徒に発音・スピーキングの基礎を教えることです。 でも、それを知らない安河内哲也氏は学校教育に発音指導を導入することなく「4技能」「4技能」と提唱し続けたから、子供たちは学校で習ってもいないスピーキングテストを受けなければならなくなったのです。  もし学校でスピーキングの基礎を教えていたら、民間試験の必要性など、出てこなかったはずです。 学校教育の中で、生徒のスピーキングの評価をすることが当たり前になるからです。 スピーキング能力の評価が授業の一環として学校で行えるからです。 英語教育の専門家、実際に授業でスピーキングの評価をする先生方が「この方法でスピーキング能力を評価していますから、民間試験は必要ありません」と言い切れば、英語教育を専門的に知らない人がごり押しすることは阻止できます。 そして、実際に先生方はすべての生徒のスピーキングの評価を提出することが出来る、という事実を突きつければ、それ以上民間試験をごり押しすることはできないでしょう。  それでもまだ、民間試験にこだわる人の中には、「高校の先生方に発音のチェックが出来るのか」という疑問を呈する方がいるかもしれませんが、中学時代から、こちらのように指導していただければ、子供たちはアジアのトップレベルの発音でスピーキングをするようになります。 そして中学・高校のスピーキングは、筋肉の訓練という面が大きいですから、よく練習した生徒とあまり練習していない生徒の違いははっきり分かります。 ほかの3技能(聞く、読む、書く)よりも練習量の違いが一番よくわかるのが、スピーキングですので、練習した生徒と練習しなかった生徒の違いは先生方には、はっきりお分かりになります。 高校の先生方にスピーキングのチェックをしていただいて、全く問題ありません。 中学1年生の耳の力は非常に高いですから、中学時代に発音習得をさせれば、基本的なスピーキングの仕方は大人など、口出しできないほど、彼らはネイティブに近い発音で話し始めますので大丈夫です。 ここまで申し上げても「民間試験が必要だ」とおっしゃる方がいらしたら、その方はおそらく子供たちのスピーキング能力向上以外に何かほかの関心がおありなのでしょうから、そういう人たちに2024年、再び、民間試験導入の口実を与えないためには、学校の授業の中で「スピーキングの指導と評価」がきちんと行われていることを確立しておくことが重要だと思います。 文部科学省には学校教育の中で、「スピーキングの指導と評価」が出来る体制を整えていただきたいと思います。 そうしないと子供たちがまた、今と同じ問題にさらされます。 もし、故意に2024年まで、学校教育における「スピーキングの指導と評価」の体制を整えなくて民間試験導入になった場合、その時は、政治家ではなく文部科学省自身の責任だと思います。 文部科学省は英語教育改革で一つも有効な方針を実行することができませんでした。 文部科学省の英語教育改革は完敗です。 詐欺指導法(英語で授業)に騙(だま)されて中学・高校の英語教育を乗っ取られるところでしたし、民間試験(営利団体)に大学入試も乗っ取られるところでした。 民間の会社ならこんなに何回もプロジェクトに失敗していたら、とっくに倒産しています。 文部科学省は結果の出せる仕事をしてください。 「子供たちの発音を通じるようにすること」「子供たちの英語力を上げること」どちらもちゃんとやり方がありますので、仕事できちんと成果を出してください。英語教育を経済活性化に利用しようという人たちもいます。けれどもそれは、方向性が初めから間違っています。理にかなった英語教育を学校で行えば、学校教育だけで、子供たちは正しい発音を習得し(それもアジアでトップレベルの発音です)大学卒業時には自分の言いたいことをスラスラ英語でしゃべれるようになります。 学校教育だけでそこまでの英語力を付けさせることは十分可能です。 もちろん子供たちに「音声モデル」を与えたり、大学の図書館にやさしい英書をそろえたり環境を整える必要はありますが、基本的に、学校教育だけで、生徒はグローバル化に対応した英語力を身につけます。  英語教育に無知で、経済活性化の観点からしか英語教育を見られない人は、英語教育を飛んでもない方向に持って行きます。 文部科学省は「スピーキングの指導と評価」が学校教育で出来る体制を整えてください。 変な指導法に学校教育を乗っ取られないで、子供たちの英語力を本当に向上させる方針を実行してください。英語教育は学校教育だけで完結できます。 そのためには、文部科学省はもう少し省内で、各教科の専門性を高めたほうがいいです。 文部科学省省内で、各教科とも本当に子供たちの実力を上げる方法に熟知する専門家を育て、お金儲けの部外者を排除出来るよう、ガードを固くした方がいいです。 英語だけでなく、国語も相当ひどいですから。 こんなひどい試験をやすやすと実施させるようでは、文部科学省としての役割が全く果たせていません。 各教科に関して、ただのド素人集団にすぎません。 だから付け込まれるのです。 省内で各教科の専門家を育成して、お金儲けの部外者に対するガードを固くする必要があります。 私は以前、通訳学校の方とお話しをした時、「外務省は以前は民間の通訳の方を利用していましたが、今は省内で通訳の方を育成しています。」とお聞きしたことがありました。 通訳とは違いますけれど、こういう不都合が出てきたのですから、これから、また、いつなんどき、お金儲け目当ての人に、教育が乗っ取られるかわかりません。文部科学省も省内で、しっかり各教科の専門家の方々を育成されたらどうですか。 「基本的に、文部科学省が学校教育ですべてを行う」この原則にのっとって(そうすれば、その専門家の方々に近づいてくる営利団体もないでしょう)、それぞれの教科の専門家が方針を決定する方向でガードを固めたほうがいいと思います。もちろん、その専門家の方々は常に現場の先生方と密接な関係を保ち、先生方が今何の問題に直面し、どのように解決したいと思っているのか、知っている必要があります。専門家は現場で、生徒の様子を常に把握していること。 今までの英語教育改革のように「9割以上の先生方が反対していることを強権で導入することは絶対に行わない」と最初から明確にしておく必要があります。 これまでと、文部科学省をとりまく環境が変わってきたのですから、文部科学省もそれに備える必要があります。 子供たちが公正な教育を受けられるようにするためにしっかりガードしてください。 文部科学省がしっかりしないと、一部のお金儲けしたい人たちによって、日本全体の子供たちの学力がボロボロにされてしまいます。この国語の試験のひどさを見れば明らかでしょう。 このひどい試験のどこが子供たちの思考力や文章表現力を上げるというのですか。 もし、国語教育の専門家がいたら、子供たちに思考してそれを的確に文章で表現する力をつけさせるためには、生徒に本を読む習慣を定着させることや、文章を書く指導を授業の中でどのように行うか、など根本的に問題を解決する方法から考えてくれるでしょう。(私も文章を書く指導についてはアメリカで子供たちの教育を見て知ったことをこちらのブログに書いています。「思考力を高める」という漠然とした目標より「どういう思考をさせるのか」を明確に目標設定してから、その思考の仕方を鍛える文章表現の練習をさせるほうが成果が上がります。「どういう思考をさせるか」その目標は4つほどありました。(4つはこちらのブログに書いてあります)そういう訓練が高校生の息子の化学のレポートを書くときなどもベースになっていました。)] 学校教育で子供たちの能力を伸ばすために必要なのはそういう方針です。 テスト業者ではありません。 お金儲けの人はすきがあればすぐに入ってきます。 文部科学省は、無防備ではだめです。 無知だとすぐにすきを突かれます。 自分たちの専門性を高めてください。やたらに外部に頼らないことです。 「外部に頼る」それこそがお金儲けの人の狙いです。外部を頼ったところで、この国語の試験のひどさでは、やらないほうがましです。 差別を生むなら英語の民間試験もやらないほうがましです(これについてはもっと本質的な問題がありますけれど、ここでは割愛します) 今回、「外部に頼っても何も解決しない」ということがよくわかりました。「解決にならないどころか、もっと大きな問題を作り出す」ということがよくわかりました。今回の国語と英語の例をみると外部業者の参入は明らかに教育の質を劣化させます。 学校教育としてやらないほうがましなことをお金儲けの人は巧妙な理由をつけて、導入しようとします。 これに対抗するためには文部科学省は自らの専門性を高めて文部科学省がすべてを行う」原則を確立してください学校で教えることを学校で評価できないはずはないのです。お金儲け目当ての人が巧妙につけるまやかしの理屈に騙されないでください。 50万人が一斉にテスト出来ない。などというのは最も大事なポイントではありません。論点をすり替える「お金儲け目当て」の人の巧妙な理屈に騙されないでください。 「子供の教育にとって最も大事なことは何か」その一番大事なことを些末な理由ですり替える人に常に目を光らせてください。OL時代のブログに書いた上司のNさんが、「相手の人が何を欲しがっているのか」それを注意深く見ると相手の人がどんな人かわかる」といいました。お金儲け目当ての人に教育行政はできません。 現実に外部(営利団体)を頼ったときから、腐敗が始まりました。 「英語教育改革」「大学入試改革」いろいろな改革が言われますが、今、一番必要なのは「文部科学省改革」ではないでしょうか。文部科学省の専門性を高めることではないでしょうか。  (小さな字の部分は、私が11年間不正行為ばかり受けてきて、今も、毎日毎日、本のランキングやブログを妨害されるのを見ていることに耐えられなかったので書いたものです。英語教育とは直接関係ありませんので、飛ばして読んでいただいて、結構です。民間試験なしに学校教育で生徒のスピーキングの評価をする方法は赤い大きな字で書いてある部分からお読みください  私が11年前から何をされてきたかは中ほどの水色の文字の部分に書いてあります。妨害をしているのが、ベストセラーの著者(「英語耳」松澤喜好氏)と一部上場企業の社長(KADOKAWA松原眞樹社長)では、私はどうすることもできず、ただ耐えるだけでした。でも、もう耐えきれなくなりましたので、英語のことではありませんが、書かせていただきました。松澤喜好氏のランキングの妨害は英語教師としての私の仕事を妨害するものですから、犯罪行為です。KADOKAWAは盗作や妨害など、犯罪行為をする松澤喜好氏を11年間ずっと守ってきました。 「会社の利益のためには、無名の犯罪被害者など、葬(ほうむ)ってしまえばいい」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。「会社の利益のためには犯罪さえかばう」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針のようです。 KADOKAWA松原眞樹社長は、法律が定める「取締役の善管注意義務」に明らかに違反しています。 犯罪をかばうKADOKAWA松原眞樹社長に社長の資格はありません。  社会通念として、株式を公開して社会から集めたお金で仕事をしている企業の社長が犯罪をかばうことが許されるのですか。 KADOKAWAはまさに、社長が「組織の解体・消滅」という隠ぺい工作まで行って、「盗作、妨害という犯罪行為」を行う著者の本を売る悪質出版社です。  株式会社の取締役は、株価などに影響を与える場合もありますので、情報操作は禁じられています。  私はこの先、何年、松澤喜好氏の犯罪行為(妨害)に耐えていけばいいのですか。 「無名の犯罪被害者なんか、ベストセラーの著者の犯罪行為に10年でも20年でも耐えていろ」というのが、KADOKAWA松原眞樹社長の方針ですか。  実際、KADOKAWAのそういうやり方に、2008年の盗作以降、私はどれほど泣いてきたかわかりません。アスキーメディアワークスが、解体・消滅させられたことを知った日を含めて、一日に何時間泣いてきたかわからないです。「本を売るために」松澤喜好氏も松原眞樹氏も随分ひどいことをするのですね。あの頃の私は人格が崩壊する一歩手前のような状態でした。)

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10月18日(金曜日) 私は松原眞樹社長に松澤喜好氏の妨害をやめさせてください、とお願いしているのです。赤い本も緑の本も2冊ともです。 2冊とも順位をいじらないでください。 ゲームではあるまいし、他人の本の順位を一日に何回も松澤喜好氏にいじらせないでください。 4年も妨害されて私は非常に不快です。 私の本は松澤喜好氏の私物ではありません。  松原眞樹社長は公正な企業活動が出来ないのなら、公正な企業活動が出来る方に社長職を代わってもらってください。 なぜ松澤喜好氏の犯罪行為を野放しにするのですか。 盗作を守ったときのように彼がベストセラーの著者だからですか。 それはゆがんだビジネスのやり方です。  そんなやり方でしか仕事が出来ないのでしたら、社長など、おやめになることです。  それから、松原眞樹社長は私のブログの検索結果を操作するのもやめてください。3年前から毎朝、同じ検索ワードで検索して結果を見ていますので下げられる操作が入るとすぐにわかります。私のブログがいつもの位置にありませんから。  松原眞樹社長はなんでそういう汚い手段でしか問題に対処出来ないのですか。なんでも隠ぺいして処理をしようとする松原眞樹社長の隠ぺい体質はあの時とちっとも変わらないですね。 そんなに自分の名前に傷がつくのがこわいですか。 社長だったら、例えば、読者から盗作だ、と指摘される問題が起こったら、その問題を精査して、公正な判断と処置を行うのが、社長の仕事ではないのですか。最初にそのように対処していたら、組織を解体・消滅させて、隠ぺいを図ることもなかったはずです。 松澤氏の妨害が早い段階でやめさせられていたら、私は今になってこの問題を持ちだすことはなかったと思います。 でも、毎日毎日不正に動かされる自分の本のランキングを見ていることに耐えられなくなりました。不正に順位を動かされるのを見ると憤りが心の中に芽生えます。 一日に何回も不正に順位を動かす松澤氏の行為は、憤りの火に油を注ぎます。 それが毎日毎日繰り返されると体の中が憤りでいっぱいになります。 いっぱいになった憤りは、行き場をなくし、爆発します。 今の私のように。 問題には早く対処することです。 松原眞樹社長は行動が遅いです。 隠ぺいをするときのアクションは早いですけど、不正行為をやめさせる行動は非常に遅いです。 全く「しない」に等しいくらい遅いです。そして裏で処理する。不正行為をやめさせることは社長の大事な仕事です。 社長が社員と一緒になって盗作の隠ぺいやっていてどうするんですか。 自分の業績が傷つくのが怖いからいつも不祥事は隠ぺいしてなかったことにするのですか。    社長として無傷でいることが尊いことではなく、日々起こってくる問題に正面から解決を図ることが社長として価値あることではないのですか。盗作の処理も自分が傷つくのが怖くて出来ないなら、出版社の社長などおやめになることです。 公正に盗作の処理もできない社長がいるから、私は11年もこんなにひどい思いをさせられてきたのです。  

11年間も不正行為を受け続ける被害者の苦痛がどれほどのものか、KADOKAWA松原眞樹社長はお分かりになりますか。

盗作をされて、抗議を徹底的に無視されて、何年か過ぎたころ、私はそのつらさから周りの人々に固く心を閉ざした時期がありました。 「自分の苦しさは誰にもわからない」と思っていました。  娘が心配して、ある日、こう言いました。 「お母さんが、そんなにかたくなだと、そのうち、お母さんの味方は、由紀子とお父さんだけになっちゃうよ。」 娘の心配も素直に受け入れられない私は、「お母さんの味方が一人もいなくても、お母さんはかまわないわ。」と答えました。 「人の苦しみのわからない人なんか、そばにいてくれなくたっていい。」私はそうやって、ますます自分一人のからの中に閉じこもるようになりました。娘はもう何を言ってもだめだ、と思ったのでしょうね。 あとは何も言わなくなりました。  普通の人は盗作や妨害は小さな犯罪だと思うでしょう。今朝(2日)早く、ランキングの1ページ目に仲良く上下に並んで載っていた私の赤い本と緑の本は、もう、全く違う位置に置かれています。 本当にストーカーのようにしつこく、しつこく松澤喜好氏]は、私の妨害をするのですね。  でも、その盗作や妨害の標的にされた人間がどれほどつらいか。     「一個人など、自分の(会社の)利益のためなら、どうなろうとかまわない」というのが、松澤喜好氏やKADOKAWA松原眞樹社長の考え方のようです。 犯罪も、強制的にやめさせられないかぎり、やってしまえば、やり得だと思っているのでしょう。 私が何を言おうと、一切取り合わなければいい、そう思っているのでしょう。 だから、KADOKAWA松原眞樹社長は、最後は組織変更までして、盗作を行った出版社の解体・消滅を謀(はか)ったのでしょう。 組織の消滅は社長以外誰もできない究極の隠ぺい工作です。 株式を公開している会社の社長は、情報操作は禁止されています。 不祥事の隠ぺいを謀(はか)る松原眞樹社長の不正行為です。 こういう方は社長として不適格です。 法律で定められた「善良な管理者」の資格にも当てはまりません。 「善良な管理者」として職務を遂行できる取締役の方と社長職を交代してください。 11年も犯罪被害を受けてきて、この先も、毎日毎日、松澤喜好氏の犯罪行為(業務妨害)を受け続けるのでは、こちらもたまりませんから。 問題が起きた時、自分の保身のために、裏から汚い方法で解決しようとするような人は企業のトップには向きません。 盗作した組織を消滅させたり、ネット上から都合の悪いニュースを削除したり、盗作本を11年も売り続けたり、犯罪被害者を攻撃するベストセラーの著者を守ったり、私が見た松原眞樹社長のすることは汚いことばかりだった。 汚いことばかりされても、無名の人間は11年も泣くことしかできなかった。  もういい加減、松澤喜好氏の妨害をやめさせてください。犯罪まで松澤喜好氏にやりたい放題やらせないでください。悪いことをされるのは盗作だけでたくさんです。                     松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、その標的になった人間の心も体も生活もめちゃめちゃにします。 小さな犯罪を毎日毎日され続けるとストレスが少しずつ溜まって心や体が影響を受けます。 私は最近、「自分は、松澤喜好氏と、松原眞樹氏に基本的人権を侵されている」と感じることがあります。 小さな犯罪であっても、毎日毎日繰り返してされれば、ストレスで少しずつ私の心や体が蝕まれていく。そう感じています。 私はもう、以前のように元気ではありませんから。 私が不正行為をされているのは2008年からですから、もう私の中で何かが限界を超えた感じがします。最近、こういう状態で生きているのはつらいなあ、と思うことが多いです。  松澤喜好氏とKADOKAWA松原眞樹社長のすることは、小さな犯罪で毎日当事者を追い込んで、10年以上の長期にわたって、真綿で首を絞めるように、じわじわと人を殺すようなものです。 私の体も心もこれだけ長く受けた不正行為によって随分弱ってしまいました。 私は、もう疲れました。 11年というのは、生まれた赤ちゃんが5年生になるまでです。 私は出産後その子が5年生になるまで不正行為を受けているのと同じです。(それでは、性格も暗くなるし、体の具合も悪くなって当然でしょう。) 毎日毎日盗作や、ランキングの妨害やブログの妨害や、数々の不正行為を目の前に見せつけられながら、誰が、11年も心身ともに影響を受けずに生きられると思いますか。 松原眞樹社長、あなたがしているのは、精神的にじわじわと長期に渡って人を追い込んで、証拠を残さずその人の人生を奪う殺人と同じです。  動物に毎日ストレスを与えて、11年たって、生きているかどうか見て見たらいかがですか。 ほとんどの動物は、生きていないのではないですか。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。  自分のしている不正行為を隠すために証拠の残らないような小さな不正行為で、犯罪被害者を長期に渡って攻撃する。 私は長期に渡って、じわじわとストレスを受けて様々な体調不良を何年にも渡って経験しています。 松澤喜好氏と松原眞樹氏、お二人のすることは恐ろしいです。 自分にとって邪魔な人間は消せばいい、というのですから、恐ろしいです。 それを承知で犯罪をかばう社長も恐ろしいです。 松澤喜好氏と松原眞樹氏にとって、邪魔な人間でも、家族もいますし、健康に生きる権利もあります。 邪魔な人間だから攻撃して消せばいい、というのはあまりにも身勝手な理由ではありませんか。  私が松澤喜好氏と松原眞樹氏に何をしたというのですか。  事の発端は松澤喜好氏の盗作だったではありませんか。 松澤喜好氏ご自身が「松澤は盗作!というのはすごーい!」とお書きになっていらしたではありませんか。 松澤喜好氏が、盗作を隠したくて、私を攻撃するなら、私は松澤喜好氏がいる限り攻撃を受けていくということですね。 KADOKAWAの社長松原眞樹氏もそれをかばってやらせているわけですから、誰も松澤喜好氏の攻撃をやめさせる人はいないわけですね。 私はずっと攻撃されていくということですね。 本来そういうことは、してはいけないことです。


9月16日 民間試験に頼らない、生徒のスピーキング評価の一例を書きます。  まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、中学時代、生徒に正しい発音でスピーキングが出来るよう学校で指導します。(やり方はこちらのブログに書いてあります。) 次に高校時代は、こちらのブログ(2015年8月2日)に書いてあるように授業を行います。 その練習法の中のスピーキングの活動に関するものを次に転載します。
2015年8月2日のブログ「高校時代は「日本語頭」から「英語頭」に切り替える練習をします」より青字の部分転載)  。。。。ですから、高校生が、英語の語順のまま理解するスキルを身につけるのは、学習が終わって、意味、構造ともによくわかるようになった英文を音読して行っていきます。 これがパート2の練習です。 従来の訳読式授業でやめないで、ここまで行ってください。学校では時間の関係で数回しか音読できないと思いますが、あとは家庭学習で何回も音読してください。 高校時代の私は授業で学習が終わったレッスンを何回も家で音読していました。 日本語の枠組みで理解した英語が、だんだん英語本来の語順で理解できるようになります。 この段階(家庭学習で授業で習ったレッスンを何回も音読する)まで学習したレッスンなら、終了後、小さなグループに分けて、「このレッスンで読んだことについての感想」などを言わせてみてもほとんどの生徒が英語で言うことが出来ます。 よく、対立する意見でディスカッションさせる方法が高校生の授業で言われますが、私はあまりそれには賛成できません。 発音がまた乱れるからです。 学んで、練習して、文章がほぼ頭に入り、口で言うことも上手になったものを使ってしゃべらせるほうが正しい発音の定着には効果があります。 ディスカッションで出てきた新しい視点に基づいて自分で新たに文章を考えてしゃべるとどうしても発音は乱れてきますし、スピーキングはたどたどしくなります。  それよりは、自分が練習した文に近いもので、しゃべらせる機会を与えたほうが生徒は「スラスラしゃべれる」体験をしやすくなります。 また、レッスンの内容について、二人一組で、生徒が英語で質問し、相手が英語で答えるような練習もこの段階でしたら、スラスラ英語でしゃべれます。 スピーキングも練習の後は「スラスラしゃべれる」という「成功体験」を生徒に味わわせた方が効果的です。

こういうスピーキングの活動を授業でレッスンが終わるごとに学校で行って、先生が一人一人の生徒のスピーキングを見ながら評価します。 それを高校3年間継続して行います。 一時間でたとえクラスの半分しか先生がチェックできなくても、次のレッスンが終わったときには、残りの半分の生徒のスピーキングをチェックすることが出来ます。  高校3年間継続してスピーキングの活動とその評価を行うわけですから、決して偏(かたよ)った評価にはなりません。 その最終的な総合評価を大学に提出すればいいわけでしょう。  この場合、「生徒の発音がカタカナにならないか」と心配する方もいらっしゃると思いますが、中学時代にこちらのブログに書いてあるように発音習得させれば少なくとも宿題(家庭学習)をきちんと行った生徒はネイティブに近い発音になります。 なぜかと言えば、中学1年生の「音をよく聞き取れる耳」を使って発音を習得させるからです。 日本の子供たちはアジアのトップレベルの発音を習得します。 こちらのブログを見ていただけば、ネイティブの先生が授業をしたからと言って子供たちがネイティブ発音になるわけではないとお分かりになります。 それに、民間試験を受ければ生徒の発音がネイティブ並みになるわけでもありません。 学校でスピーキングをきちんと教えれば、不公平な試験を生徒が受けなければならないような事態にはなりません。     私が挙げた上の例についても、それでは学校間のレベルの差をどう考慮するのかとか問題がないわけではありません。 けれども、相対評価ではなく、絶対評価とし、その基準を文部科学省が定めるなど、いろいろな方策をとっていけば、改善できます。     学校できちんと発音を教えて、スピーキングの指導をすれば、不公平な試験を生徒に受けさせる必要もなくなります。  「生徒のスピーキングの能力を上げる」という目標の達成は学校教育で出来ます。 すべては、「学校でスピーキングを教える」という基本から考えていくと解決出来ます。 私は、経済的に恵まれない家庭の子でも平等に教育が受けられる仕組みを壊してはならないと思います。 学校が学校としての機能をきちんと果たして、教えるべきこと(スピーキングのスキル)を教えれば、民間試験など必要ありません。文部科学省が責任を持って学校教育を行えば、民間試験など必要ありません。

(以前、「大学の英語の教師になるための教職課程に音声学が必修になっていないのは問題ではないか」と指摘していらした先生がいらっしゃいました。 現在でも必修でないのなら、必修にする必要があると思います)






8月23日 金曜日

日本の英語教育改革は失敗しました。高校の先生方があれほど強く反対していた「英語で授業」を強引に導入したからです。 現場の先生方の意見を聞かない英語教育改革は失敗します。英語教育に関しては、40年前、私が大学生のころから、通じない日本人の英語を何とかしなければいけないと、改革の必要性が言われていました。けれどもいまだに日本人の英語は通じるようにはならないですね。理由は、文部科学省が英語習得に関して何も知らないからです。(下の(1)から(8)をご覧ください。)私はそういう議論を聞くたびに「そんなの簡単なのに。私みたいに中学時代に練習すればだれでも通じる発音で話せるようになるのに。」といつも思っていました。 日本人が高い英語力を持つために必要なのは「発音と語順」の訓練です。 文部科学省耳のいい中学時代に正しい発音でしゃべる訓練もしませんし 、複雑な英語を学び始める高校生に語順の通りスピードを上げて英文を処理する訓練も行いません。 だから日本人の英語力は上がらないのです。 高い英語力を持つために必要なことは、時間はかかりますが、することは簡単です。発音は2年で効果が出ます。(こちらのブログに書いたように中学校で2年間、家庭学習を指導すると、子供たちはアジアのトップレベルの発音で話し始めます。 それが可能なのは音を聞く力が高い中学1年生の耳の力を使って発音を習得させるからです。)語順は3年で効果が出ます。大量のインプットは2年で効果が出ます。子供たちは、大学卒業時には思ったことをスラスラ英語でしゃべれます。これは全部私が自分自身で行ったことですので、必ず効果があります。「英語で授業」のような何の効果もない指導法とは違います。文部科学省は間違った英語教育の方針からそろそろ抜け出してください。効果のない方針に翻弄される子供たちがかわいそうです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、習ってもいないスピーキングのテストをされて、文部科学省の失敗のつけがみんな子供たちに回っています。しかも、文部科学省は失敗だとわかっているのに「面子をつぶしたくない」「責任を取りたくない」「だから続ける」という悪循環に陥っています。逃げ回って何と国民に言い訳をしようと、現実には逃げ回れば逃げ回るほど失敗の上に失敗が蓄積して、「英語力低下」「通じない発音から脱却できない」という失敗の証拠がどんどん明るみに出ます。いつまでも、「失敗する方針」を「効果がある方針」と国民に言いくるめられると思っていたら、大きな間違いです。    現在の英語教育改革では、子供たちの発音もよくならないし、英語力も上がらない。しかも、大学入試は不公平になる、と言ったら、これは失敗以外の何物でもないでしょう。 しかも、「スピーキングの基本も学校でおしえないで(練習のための音声モデルも与えないで)、4技能を試験する」など、ありえないです。 (「4技能」、「4技能」と提唱している有識者会議の委員(安河内哲也氏)が、正しい発音習得の仕方も知らないから、こういうことになるのです。) なんで最初から丸投げばかり考えているのですか。 丸投げで公平な大学入試が出来るのならそれでもいいです。 でも、出来ないのなら、他の方法を考えざるを得ないでしょう。 それは大変な仕事ですけど、世の中に楽して出来る仕事はありません。  どんな企業でも外国に工場を立ち上げる時は第一陣としていく人たちは非常に大変な思いをします。  初めて導入する試験ならばそれを作る人たちに生みの苦しみが伴うのは当然です。 それをしないで済ませようとするから「不公平な大学入試」などという問題が起こってくるのです。      

私自身は、もともとその目的が違ういろいろな種類の試験で、受験生を評価する、ということが理解できないです。 やはり同じ基準で評価するべきだと思います。(出題、採点、管理は公的機関が行うのは言うまでもありません。そうでなければ、問題が起こったとき、企業秘密の壁に阻まれて解明、改善ができません。) それが大変で、対応できないから、こういう方式にしたようですけれど、「それが大変だ。難しい」などというのは民間の会社に勤めていたら、いつだって起こってくる問題です。 一見、不可能に見える問題を解決するためにみんな必死に努力して仕事をしているわけです。 (何も50万人の受験生全部に同じ日の同じ時間にスピーキングテストをしなければならないわけではないでしょう。 そういう発想になるのは、スピーキングは学校の授業で教えるもの、という考えが全くないからです。) 私は昔、40代50代のビジネスマンの方とよく一緒に仕事をしました。(「OL時代」のブログに書いてあります)一見不可能に見えるような問題にも、慌てず騒がず、皆さん、全力で対応していらっしゃいましたね。 20代の私には、時に彼らの仕事の仕方は感動的でさえありました。 昔のNHKの「プロジェクトX」という番組に出てくるような仕事をするビジネスマンの方にあの頃の私は何人もお会いしました。 そういう人たちのする仕事を目の当たりにして、「これが仕事をするということなんだ」と20代の私は知りました。若くても、少しでもそういう人たちから学ぼうと私も必死でした。 だから毎日清水の舞台から飛び降りるような気持で、仕事をしていました。   結婚して、アメリカにいた時、「この人は本当にアメリカで仕事ができるのかなあ」と思うような方が、駐在員として赴任していらっしゃいました。 私は思わず、夫に「この方はアメリカで大丈夫なの?」と聞いてしまったことがありました。 そうしたら夫が、私の方を見ることもなく、「大丈夫であろうとなかろうとやるんだよ。仕事だからね。」と言いました。  民間の企業で働く人はみんな一見不可能に思えるようなことでも必死にやっていかなければならないのですよ。 文部科学省は何で、そういう必死の努力をしないのですか。 なんでいつも丸投げなんですか。なぜ「同じ基準でスピーキングの評価が出来る方法」を必死で作り上げようとしないのですか。 「同じ基準で評価が出来る方法」についてもっと多くの人のアドバイスを集めないのですか。まず、「スピーキングのスキルは学校で教えるもの」という原点に立ち返って、生徒にスピーキングを学校で教えることです。 そうやって、生徒がスピーキングの能力を日々の授業で向上させるのを見ていけば、おのずと、大学入試での生徒のスピーキング能力の評価の仕方も決まってきます。 先生方はそういうスピーキング能力向上の過程を全部見てくるわけですから。  スピーキングの基本は学校の授業で教えるべきことなのです。  学校の授業で教えるべきことを文部科学省が「評価」出来ない、というのはおかしいでしょう。  学校で教えることなら、民間試験なんかで評価しなくたって、文部科学省が評価できるでしょう。  先生方が評価できるでしょう。 「英語で授業」を持ち込んだときもそうでしたけれど、現場の先生の意見を無視したら、必ず失敗します。  文部科学省はすでに、一回失敗しているのですから、同じ過ちを繰り返さないことです。  はっきり言って、今、大学入試でスピーキングのテストをしても、子供たちのスピーキングの実力は上がりません。 スピーキングの能力は学校教育で正しい発音を教え、一定の期間(2年位)音声モデルを使って練習させることによって身につきます。 それをしないで、「テストをすればスピーキングが出来るようになる」と考えるのは、文部科学省が英語教育について何も知らないからです。  発音習得を学校で指導していない現段階で(音声モデルも与えられていない段階で)スピーキングテストをやっても無意味です。 英語の音声もほとんど聞いていない段階で子供たちに正しい発音など身についているはずないでしょう。 これは現段階ではなんの役にも立たないテストです。 教えていないことをテストするのですから。 日本中の教育関係者ほぼ全員が「問題がある」と言っているテストを強行したら、文部科学省の暴挙です。
学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないのに、「4技能」「4技能」と提唱してきた有識者会議の委員、安河内哲也氏は、子供たちが今、学校で教えられてもいないスピーキングのテストを受けなければならない状況に立たされた責任を少しは感じてください。 自分がやってもいないこと(どうやって教えるのかも知らないこと)を提唱するから、こういうことになるのです。

文部科学省はスピーキングに関しては、
(1)正しい発音でしゃべることを学校で教えない。(つまり塾に丸投げ)
(2)入学試験は民間試験に丸投げ

つまり文部科学省はスピーキングに関しては、「教えること」も「テストすること」もすべて外部に丸投げしているわけです。 ひどくありませんか? あまりにも手を抜いていませんか。 スピーキングに関してはすべてを丸投げしています。 自分たちは何もやっていません。 そして、「難しい仕事はしたくない」というわがままのつけをみんな子供たちに押し付けています。 民間の企業の社員だったら、「自分の仕事をまじめにやれ」と言われます。  文部科学省が全部丸投げするから、子供たちがそのつけをかぶって不利益を受けてしまうのです。 先生方はそれが分かるから苦悩されているのです。 文部科学省は少しはまともに働いたらどうですか。いくらなんでも、全部丸投げはひどいです。



私は、1年くらい前から毎朝、ある4つの検索ワードで検索をしていました。 そうすると検索結果に私のブログ「文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 「4技能」は全く効果がない」(2017年10月12日)と「中学時代に、きちんと発音習得を行った英語教育の専門家はいないのでしょうか?」(2017年11月2日)という2つのブログが、1位と2位に出てくるのです。 最初は期間を限定して検索をしていたのですが、最近は期間を限定しなくても、この2つのブログが1位と2位に出てくるようになりました。 ところが、今週から、この2つのブログが全く検索結果に出てこなくなりました。 (「日本の英語教育改革は失敗した」とはっきり言いきったことが文部科学省の気に障ったのかもしれませんね。) 1位と2位でないのなら、下の方の順位で出ているのかと思って下がって見てみてもどこにも出てこなくなりました。 7月に知人から「そういうことを専門に操作している機関がある」と聞きましたけれど、「こういうことなんだな」と思いました。 私は文部科学省に都合の悪いブログばかり書いていますから。(でも、嘘は書いていません。 全部自分がやってきたことと、自分の子供がやってきたことに基づいて書いています) 私はアマゾンの本のランキングももう4年も松澤喜好氏(「英語耳」(KADOKAWA/アスキーメディアワークス刊)に、赤い本も緑の本も妨害されていますから、初めて妨害を受けるわけではありません。 ですから「今度はブログの妨害なのね」と思うだけです。 この11年、盗作、隠ぺい、妨害、たくさん不正行為はされてきました。 「やめてください」とお願いしてもやめてもらえず、11年前、最初に松澤喜好氏に盗作されたころは、毎朝、夫や子供が出かけた後、一人で泣きながら朝ご飯を食べていました。 眠る時は泣きながら眠りました。 けれども最近はなるべく考えないように、思い出さないようにしています。  でも、たまに、疲れた時など「なんでこんなに長い間、不正行為ばっかり受けなくてはならないのかな」と思うと涙がこぼれるときもあります。 あの頃、一番つらかったのは、「ベストセラーの著者を守るためなら、無名の人間など、つぶしてしまえばいい」というKADOKAWA/アスキーメディアワークスの露骨なやり方でした。 こういうやり方は、現在も、アマゾンのランキングの妨害をする松澤氏を黙ってやらせておく、KADOKAWA(松原眞樹社長)の姿勢にもつながることですね。 出版社がここまでひどいことをするということに私は非常にショックを受けました。  「相手が無名の人間なら、つぶしてしまえば、どんなにひどいことをしても世間に知られることはない」と思っていたのでしょうね。 彼らは、その標的になった人間がどれほどつらい思いをするかなんて、考える必要さえなかったのでしょう。 あの頃、娘がよくテレビで2時間ミステリーを見ていました。その中で、若い作家や作曲家志望の人が盗作されて自殺する話がありました。 それはドラマの中のことですけれど、現実にそういうことをされたときのつらさは、自殺はしませんでしたけれど、耐え難かったですね。 ここ4年は、妨害ですね。   この2つ前のブログに「子供たちの発音を学校教育によってアジアのトップレベルにする方法」を後から書き加えたときの妨害は特にひどかったですね。 一日に何回も「順位が上がっては下げられる」を2冊の本とも数日間繰り返しました。(2019年3月15日ごろのことです) さすがにその時は「ひどい」と思いました。 こんなにやりたい放題、妨害をさせておいていいのか、と思いました。 普通は盗作をしたり、他人の妨害をしていたら、社会人として受け入れられないのでしょうが、KADOKAWA/アスキーメディアワークスが必死に松澤喜好氏の盗作を守って来ました。 そのやり方は、最初は「ボイストレーニング」という題名で出版した本を、「盗作だ」と批判されると、出版2か月で、題名を「英語耳ボイトレ」と変え、表紙を松澤喜好氏の前作「英語耳」と色違いで同じデザインに変えて出版しなおしました。 そして、出版社著者ともに「これは松澤喜好氏の英語耳シリーズの一つだから、松澤喜好氏自身のアイデアで書かれたものだ」と強調しました。つまり、題名や表紙を変えるという手段まで使って、盗作の隠ぺいを図りました。 「盗作だ」という読者の批判は徹底的に無視でしたので、当時松澤氏の掲示板に書き込んだ読者の中にはコメントの最後に「Shame on you.」と書いた方もいました。 「恥を知れ」という意味です。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は読者から「恥を知れ」と言われるような出版の仕方はおやめになったほうがいいと思います。 読者に盗作だと言われ、松澤喜好氏の掲示板は荒れに荒れて、閉鎖になりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は松澤喜好氏の妨害も知っていても、黙ってやらせているだけですね。 そういうやり方は「ベストセラーの著者を守るためなら、どんな汚い手段を使っても邪魔な人間はつぶしてしまえばいい」という11年前の盗作隠ぺいの時と同じですね。 一応「営業妨害」は犯罪のようです。(業務妨害罪 松澤喜好氏は、ランキングを操作して、私の英語教師としての仕事を妨害しています。順位が下がれば、広告宣伝の効果も下がります。だからランキングを妨害するのでしょう。) KADOKAWA/アスキーメディアワークスは、11年前松澤喜好氏の犯罪(盗作)を必死で守りましたから、松澤喜好氏は、今回の犯罪(営業妨害)も出版社が守ってくれると思っているのでしょう。 その証拠にKADOKAWA(松原眞樹社長)は4年も松澤氏にやりたい放題妨害をさせています。 それは、KADOKAWA(松原眞樹社長)も松澤喜好氏の犯罪に加担していることと同じです。 東京証券取引所に一部上場している企業は普通は犯罪には加担しません。 ベストセラーの著者だから、営業妨害という犯罪を犯しても守る、というのは、11年前、ベストセラーの著者だから盗作という犯罪を犯しても守ったのと同じですね。 会社の利益のためなら、犯罪を犯す者さえ黙ってさせて守る、これがKADOKAWA(松原眞樹社長)がこの11年、私にやってきたことです。そしてKADOKAWA(松原眞樹社長)が現在も私に対してやっていることです。 こういう陰湿なやり方には、株主も眉(まゆ)を顰(ひそ)めるのではないですか。 その後、2018年、KADOKAWA(松原眞樹社長)は組織変更を行いアスキーメディアワークスを解体しました。(プレスリリースニュース)「もう、私が何を言おうと「昔あった会社がしたことですから」で片づけられてしまう」と分かった日は、11年前のように何時間も泣かずにはいられなかったですね。  私にとっては、当事者の消滅はKADOKAWA(松原眞樹社長)による究極の隠ぺいでした。(アマゾンに載っている「英語耳ボイトレ」は私がこの文章を書いた後、絶版にしたのですね。今日(9月17日)気が付きました。 私が初めてこの文章を書いて「英語耳ボイトレ」にリンクを付けた日は、普通に売られている本のように定価の価格表示でした。 11年間盗作本を、批判は徹底的に無視して売り続けてきたのですね。) 松澤喜好氏の盗作、妨害については、私は、その苦しさから、一度はこのことは忘れようと思いました。 「7年前の出来事」のブログを削除した日です。でも、一向にやめない松澤喜好氏の妨害を毎日見るうちに、犯罪被害者が、犯罪をされたまま黙って忘れて、犯罪者は妨害をし続けるなんておかしい。と思いました。なぜ、犯罪をする人がやめないで、犯罪被害者がその苦しさからのがれるために忘れなければいけないのか、それはおかしい、と思うようになりました。 KADOKAWA(松原眞樹社長)は、松澤喜好氏にやりたい放題、盗作や妨害の犯罪をやらせています。 犯罪者が犯罪被害者をつぶそうとするのを黙って見ています。 ついさっきまで「英語耳ボイトレ」も、普通に売られていました。KADOKAWA松原眞樹社長は、出版社の社長なのに、盗作が悪いとさえ思っていません。 KADOKAWA松原眞樹社長は松澤喜好氏の犯罪をやめさせてください。                     






(2019年7月7日、日曜日)

「英語で授業」の方式で成果を上げる為には一日7時間英語で授業をやって(帰宅後授業内容すべてを毎日全文和訳で生徒に理解させる。この家庭学習は最初の年は高校生で7時間、小学6年生で4時間)それを続けて、2年間かかることを最後の部分に付け加えました。有識者会議の委員松本茂氏に「ご自分が知らないことは提唱しないでください」とお願い致しました。「英語で授業」は詐欺です。全く効果のない詐欺です。騙(だま)すつもりがあろうとなかろうと、まったく効果のない方法を効果があると言って、学校教育にもちこみ税金を使わせているのですから、詐欺は詐欺です。騙(だま)すつもりでなければ、他人に損害を与えても罪にならないわけではありません。(大人は生徒が英語で授業をしているのを見ると、うれしいのでしょうね。子供たちが理解していようがいまいが、ネイティブと同じことをしているように見えますから。それで、簡単にだまされるんでしょうね。でも、その英語の授業を家に帰ってから日本語でわかるように説明してくれる人がいなかったら、子供たちの英語力はボロボロになります。子供にとっては使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなんです。英語で教えたことなんて、そのあと日本語でよくわかるように説明してあげなかったら、ほぼ何にも定着しない、と思ったほうがいいです。 中学生も、高校生も、同じです。  これは私の経験から申し上げています。  分詞構文を日本語で教えることを批判する松本茂氏はこういうこともご存じないのでしょうね。華やかなプログラムを提示することより、もうちょっと子供の状態をよく見てあげてください。)文部科学省は学習指導要領(公文書)にまで詐欺指導法をいれるのですか。 有識者会議の委員、松本茂氏や安河内哲也氏が、「英語で授業」を提言したからですか。 けれども詐欺は犯罪です。間違っていたら、撤回するべきでしょう。 撤回しないのなら、学習指導要領は「文部科学省、詐欺」の証拠を示す公文書になりますね。 詐欺は犯罪です。他者に損害を与える犯罪です。  中学校英語教育、高校英語教育、その二つともを詐欺指導法で行うと方針を決めるなど、ありえないことです。 なぜ日本の英語教育が中学、高校とも詐欺指導法に乗っ取られなければならないのですか。学習指導要領(英語で授業)の間違いについてはこちらのブログに書いてあります。 文部科学省が行っている英語教育改革というのは何を目的に行っているのですか。生徒の英語力を壊す方針ばかりです。  私がそう思う理由を下記に8項目まとめました。(日本人の英語教育は生徒が理解できる日本語で教えて「発音」と「語順」を重点に訓練しないと、通じる発音でスラスラ話せるようにはなりません。的外れなことばっかりやっていないで、核心から手を付けなければなりません。時間はかかりますが、やり方は簡単です。)

(1)「英語で授業」のもとになった松本亨氏の「英語で考える指導法」は単なる松本亨氏の勘違いでした(こちらのブログ)。彼は7年前日本語訳で理解したテキストを7年後英語のまま理解できたので「日本語訳は害になる」と主張し、日本語訳を使わせない「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を日本中に広めました。(ひどい話です。英語をこれから学ぶ学習者が英語を英語で理解できるはずはありません。) その後は英語学校FORWARD石渡誠氏が、「英語を英語で理解する指導法」「英語で考える指導法」を主張してきました。石渡誠氏は「日本語訳は害になる」が間違いであると6年間指摘されても、決して認めません。生徒に20年以上嘘を教えてきたことを決して認めません。指摘されればされるほど動画で強く「英語で考える指導法は素晴らしい」と主張してきました。石渡誠氏はこれからも日本語訳を使わせない「英語で考える指導法」を継承していくとこちらのブログで述べています。(12月9日:最初に私がつけたリンクではこのブログにアクセスできないようになっていました。「該当するページはない」という表示が出てきました。けれどもURLを見て、そのリンク先が石渡誠氏の2019年7月15日のブログだとわかりましたので、石渡氏のブログリストに行って2019年7月15日のブログをクリックしたら、URLを変えて同じブログがアップされていました。 それで、そちらのURLにリンクを付け変えました。 ちなみに「来年で50周年」と書いてありますから、間違っている「英語で考える指導法」は50年も提唱されているのですね。) だますつもりがあろうとなかろうと虚偽の指導法で、生徒が車を売って払うほどの授業料を取ってきたのなら詐欺商法といわれても仕方ないでしょう。石渡誠氏はブログに「英語学習にはお金がかかる」(2011年7月2日のブログ)とか、「生徒はそのお金をどうやって作ればよいか」(2011年5月31日のブログ)書いていますが、お金がなくても英語学習は出来ます。(当時そのブログの内容を知った若い女性の知り合いから「川合先生、お金がなくても英語学習ができることをブログに書いて下さい。英語学習にお金をかけられない人はたくさんいます。」と強く頼まれましたので、私はこちらのブログを書きました。 「リスク回避を考えるのは甘い」と石渡誠氏は述べていますが(2011年6月6日のブログ「英語をモノにする心構え13)、詐欺指導法を20年以上も提唱して来て、訂正も謝罪もできない石渡氏の方がよほど甘いのではないですか。   石渡誠氏の2011年6月7日のブログ「英語をモノにする心構え14はひどいですね。「なぜ高校生のバイトを禁止している高校が多いのか」お分かりにならなかったら、近くの高校に行って、生活指導担当の先生から、お聞きになることですね。 (大学できちんと教職課程を学んでいれば、バイトをさせない理由もよくわかります。高校生は社会を知らない分、怖い思いをすることになる子もいるからです。世の中、良い大人ばかりではありませんから)こんなことまで生徒にさせて自分の英語学校にお金を持ってこさせたいですか。しかもやっているのは勘違いから生まれた詐欺指導法なのに。これだけ激しいことを生徒に言っておいて、先生方は詐欺指導法の責任はとらないのですか。「詐欺指導法のために生徒にバイトまでするように言って何十万という授業料を払わせる」松本亨氏の学校は随分ひどいやり方をしていたのですね。これでは自分のために生徒を働かせているようなもんでしょう。 「スクールで一番大切なのは、受講生です」と2019年7月15日のブログに書いてありますが、人は一番大切な人を騙(だま)したりはしません。 石渡誠氏は自分のビジネス存続のためなら、生徒に嘘もつくし、騙(だま)しもするということでしょう。そうでなかったら、なぜ「日本語訳は害になる」が間違いだと生徒に伝えないのですか。 なぜ本当のことを生徒に伝えないのですか。 なぜ嘘をつき通そうとするのですか。 明らかに自分の保身以外の何物でもないでしょう。「来年で50年」「これからも英語で考える指導法を継承していく」などとブログを書くくらいなら、50年「日本語訳は害になる」と間違った指導法を提唱してきたことをきちんと訂正、謝罪するべきでしょう。騙(だま)し通せると思うこと自体、石渡誠氏は心の中で英語学習者を馬鹿にしている。学習者に「嘘(うそ)だ」とわかりはしないと高をくくっている。 けれども、英語学習者は、石渡さんが考えているほど簡単に騙せる人たちではありません。 石渡さんが考えているより、はるかに鋭い人たちです。 石渡さんはうまくだましていると思っているかもしれませんが、英語学習者の方々は、騙されていません。本当のことをちゃんと知っています。  私のブログのアクセス状況から、わかりました。  「英語の思考活動」のブログは2017年2月4日に書いたものですが、私は2018年の終わりに、数回書き加えて「英語で考える指導法」は松本亨氏の「勘違い」だと明らかにしました。 書き加えていた間、このブログのアクセスは大変多かったようです。(はてなダイアリーのアクセスサービスが終わってしまっていたので、私は自分のブログで検索をして、そこに出てくるブログの順番でどのブログが読まれているのか見ていました)私のブログで検索をしたとき、最新のブログが、まずリストの一番上に出てくるのが普通です。けれども、あの時はそれを抜いて「英語の思考活動」のブログがしばらくの間、リストの一番上に出てきました。(今まで過去のブログに何回か加筆したことはありますけれどそういうことはありませんでした) 私は「現在「英語の思考活動」のブログに書き加えています」とは皆さんに一言もお知らせしていませんでしたが(黙って書き加えていました。 皆さんにそのブログに加筆したことをお知らせしたのは、数日間にわたる加筆が全部終わった時でした。)多くの人が読んでくださっていると知ってびっくりしました。 ブログの読者の皆さんは「英語学習に必要な情報はちゃんと入手される」と思いました。  加筆が終わったときは「書き加えました」と最新のブログに書きましたので、石渡氏も、それを読んで「英語で考える指導法」は松本亨氏の勘違いだとお分かりになったのでしょうね。  私が「英語の思考活動」のブログにそのことを書き加えてから数か月間、石渡誠氏のブログトップにデザインされた「石渡誠発 Language Teaching for a Better World FORWARD」の部分は削除されて真っ白でしたね。 石渡誠氏は一番上の部分が削除された真っ白な状態で数か月間ブログをアップされていましたね。(最近また戻ってきていますけれど) 私が嘘だと指摘した「英語で考える指導法」を提唱する自分の名前と自分の英語学校FORWARDの名前が結びつくと学校の経営に良くないと思われたのでしょうか。 また、最初のころ自分の英語学校は松本亨氏の「英語で考える指導法」に基づいていると大きく紹介していらっしゃいましたけれど、ホームページを改訂するたびにその部分は縮小され、今は数行で触れるだけですから、ご自身も松本亨氏の「英語で考える指導法」が彼の勘違いであったともうわかっているのでしょう。   もう一つ、「読者の方は鋭いな」と私が思うのは、2017年7月19日のブログのアクセス順位が結構高いからです。順位だけ見ていた時は理由が分からなかったのですが、読んでみてその理由が分かりました。  私が、「英語で考える指導法は間違っている」と解説したブログ21個がこのブログにリストされていました。  私が447個もブログを書いている中で、「読者の方はこういうブログをよく見つけられるな」と思いました。 すごいと思いました。  もう一つは、2016年にネット上セミナーを行い、皆さんに子音を長く発音する方法をご紹介しました。  ネット上セミナーが終わってもこちらのブログ(Rの練習)がずっと検索の上位に出てきました。  たぶん、日本の英語学習者の方々の中にはRを通じるように発音する練習を探している方が多いのだろうな、と思いました。  447個のブログの中からこれを見つけられるのもすごいな、と思いました。
石渡誠氏は自分の学校の生徒にも、どうせ「英語で考える指導法」が嘘(うそ)だとわかりはしないと思っているのでしょう。 そして「英語で考える指導法」が間違いだったと伝えると、生徒はもう授業料を払って受講しに来なくなるかもしれないと思っているのでしょう。 だから、このまま騙(だま)しておこうというのが石渡誠氏の方針でしょう。まさに詐欺です。 日本語に訳さないで英語のまま言っていたって意味もニュアンスもわかりません。 当然です。それを勉強するのが英語学習です。そういう勉強を母国語でしながら同時に英語を使っていくのが英語学習です。英語のまま使わせればわかるわけではありません。 生徒を騙(だま)せると思うこと自体、生徒を馬鹿にしています。 石渡氏の学校の生徒さんは、みんな日本語訳を使っています。日本語訳を知らないと初・中級者は思ったことを英語に出来ないからです。学業や仕事で使う英語は日本語訳なしに習得は出来ません。「Honey(蜂蜜)と「歯に~」のようになってしまうからです。 石渡誠氏も松本亨氏もかつて日本語訳を使って勉強しています。先生も生徒も学校中が日本語訳を使って勉強しているのに、「日本語訳を使わない英語で考える指導法」は素晴らしいと宣伝するのはおかしくありませんか。日本語訳を使わずに英語を習得した人など石渡さんの学校に一人もいないのに。 石渡さんの学校でやっているのは、「日本語訳で英語を学んで、学校で英語を話す練習をしている」そういうことでしょう。  私も息子が小学校1年生の時には何も教えませんでしたけれど、5年生以上で使う英語では英語のままでは理解できませんでした。 実際に見ているものではなく、頭の中で考える事項が入ってくると、母国語がないと理解はできません。 まさに「英語で考える指導法」は机上の空論です。全く日本語訳を使わず、学業や仕事で使うレベルの英語は習得できません。 英語教育を論じるときに、私の息子が1年生で飛び跳ねながらやっていた I'm jumping. のようなレベルの英語を想定していてもしょうがないでしょう。(子供の英語は自動的に大人の英語にはならないのです。)(こちら) 政府や経済界が想定している英語力は、抽象的な思考も英語で出来るレベルでしょう。 そういう「思考」を英語でするためには、英語による思考回路を頭の中に作らなければなりません。 そのためには膨大な量の英語の蓄積が必要です。 英語で授業を一日7時間受けて、家に帰ってから7時間日本語で英語の意味を理解して(小学5年生のレベルでしたら、4時間くらい)それを2年間続けるほど意味の分かった英語を蓄積させないと英語の思考回路は出来ません。 「英語で考える」は石渡さんが考えているほど簡単なことではありません。日本語に訳さないで英語を言っているくらいでは、とても英語の思考回路は頭の中にできません。 現在、学習者が唯一思考できる言語(日本語)でやっている思考活動を、その言語の後ろになんの経験も蓄積されていない英語で出来るようにするためには、膨大な量の英語の蓄積が必要です。 しかも、「意味の分かった英語」を蓄積させることが必要です。 (石渡さんの言うような「日本語に訳さないで英語を言う」つまり、意味の分からない英語をいくら言っても脳は働かないのです。) 「日本語に訳さないで英語を言う」くらいのことでは、頭の中に新しい英語の思考回路は出来ません。 そんなことで英語で考えるようにはならないのです。 「英語で考える指導法」を今後も提唱されるのでしたら、ご自分でフランス語だけでフランス語を習得して、その学習記録を公開してください。  それが出来ないのでしたら、石渡さんが主張した「日本語訳は害になる」これを訂正していただきたいと思います。    学業や仕事で使う英語は「習うより慣れろ」では習得できません。英語は「習ってから慣れないと習得できません」。その「習ってから」の部分に日本語がいるのです。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりましたので、「日本語訳は害になる」は明らかに間違いです。(2019年8月1日) 石渡氏は、ご自分の主張「日本語訳は害になる」が間違いであったと認め、訂正してください。石渡氏におかれましては、迅速に英語教育にかかわる人々に明確にわかる方法で、間違いの訂正を行ってくださいますようお願いいたします。 そうすれば、もう、中学生も、高校生も「英語で授業」の犠牲になることはありません。よろしくお願いいたします。   ちなみに、私は2011年から447個のブログを書いていますが、はてなブログについているアクセス解析を見ると最近は「英語の思考活動」の後に書いた「松本亨氏が提唱した「英語で考える指導法」はインプットをさせないでアウトプットだけをさせる方法 英語学習者が実際にはできない机上の空論でした」というブログが、アクセスの10位以内にいつも入っています。 石渡さんが思っているよりたくさんの人が松本亨氏の「英語で考える指導法」は間違っていた、と知っていると思います。 「英語学習者を簡単にだませる」と思わないほうがいいです。 自分は他人をうまくだましていると思っていても、実は、みんな本当のことを知っている場合もあります。「英語で考えるには そのヒケツと練習」(松本亨著)という赤い本も私が上記のブログを書いた後に絶版になっています。    私のブログはそんなにアクセス数が多いわけではありませんが、私が「この英語指導の方法はだめです。」と書いたことは、たいてい皆さん、もうおっしゃらなくなりますね。  以前は、「ヨーロッパの国でこういう英語の早期教育が行われている」(だから日本も参考にすべき)と書いている方はたくさんいらっしゃいましたけれど、今はほとんどいらっしゃいません。 また、CAN-DOリストを提唱する方も最近はあまり見ませんし。  文部科学省も、数年前「英語で授業」をあれだけ華々しく打ち上げましたけれど、あの華々しさはもうどこにもありませんね。(「英語で授業」は英語教育改革失敗の象徴です) 私は肩書もない、なんのお墨付きもない、一英語教師ですけど、私が「この指導法はだめです。」と書いたことは、たいていもう主張されなくなりましたね。(「2018年ごろまでにはそうなる」ということは、こちらのブログに書いた外国人の方から、1999年に言われていました。 「2018年ごろまでには仕事の分野で最も高い領域にいる」と言われました。 ただ、何の仕事の分野でそうなるのかは言ってくださらなかったのでわかりませんでした。 当時は子育てとご飯を作ることで忙しかったので、「将来、お料理の本でも書くのかなあ」と思いました。 英語教育の分野だったのですね。 私がそう思う理由は3つあります。(1)私が自分の子供たちが、ゼロからバイリンガルになる過程を小学校、中学校、高校、すべての段階で毎日見てきたことと、(2)私自身が中学時代、学校の勉強の一環として、自分で発音習得した経験があったことだと思います。 この2つをした経験のある英語教育の専門家は日本には一人もいないと思います。 私が特に、首をかしげたくなるのは、中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をしたこともない人が、「日本人の英語を通じるようにする英語教育改革の方針を決めていること」でした。  これじゃあ、間違った方針が決められて、英語教育改革が失敗するのは当然だと思いました。 もう一つは(3)日本人の発音が通じない理由を私が自分の耳で聞き取れるようになったことだと思います。 私が、日本語の子音の長さと英語の子音の長さの違いが聞き取れるからだと思います。  英語教育の専門家でも、日本語の子音で英語の子音を代用して話している人はたくさんいます。 というか、ほとんどの方がそうですね。  この11年、盗作、隠ぺい、妨害など様々な不正行為を受けてきました。「やめてください」といくらお願いしてもやめてもらえず、つらくて、どうしようもないときは、2018年まで我慢してみよう、と思いました。 20年前に「2018年ごろまでには、仕事の分野で最も高い領域にいる」と聞いていなかったら、おそらく私は今日まで一人で持ちこたえることはできなかっただろうと思います。(10年以上にわたって、不正行為を受け続けるというのは、やはり、とてもつらいものがあります。Amazonでのランキングの妨害はもう4年目に入りました。やめていただきたいです。) その外国人の方は、別れるときに心配そうに私を見ていました。なんで、そんなに心配そうに私を見るのか、その時の私にはわかりませんでした。 でも、この10年を振り返ると「この女性がそれに耐えられるか」と思っていたのでしょうね。 この外国人の方が私に対していったことは、私には全く根拠が分からないことですので、多くの人が読むブログにこういうことを書くことがいいことかどうか、時々迷いました。 それで、アメリカにいた親友が日本に帰ってきたときに、「そういうことをブログに書くことをどう思う?」と聞いたことがありました。 そうしたら、彼女が「私は典子からその話はずっと前から聞いていたから、何とも思わないよ。普通。」と言いました。 彼女には1999年11月にそういわれた直後、そのことを話していました。  彼女がそう言ったので、「私が3つのことを繰り返し書く理由」というブログもアップしたまま、今日まで来ました。) 私が「この英語指導の方法はだめです。」とブログに書いたことはたいてい提唱されなくなるのは、きっと英語教育を真剣に考えている方々が読んでいるからだろうと思っています。 そういえば、「大学教育を英語で行うこと」も数年前までは、よく新聞で著名な方にインタビューする形で特集されていました(ノーベル賞を受賞した方で、大学教育は英語で行うべきだと力説していた方もいました)けれど、最近は全く言われなくなりましたね。 高校生まで、全く社会生活、家庭生活、その言語で何かを学んだことのない言語で、大学レベルの学問はできません。
 

石渡誠氏は、「日本語訳が害になる」が間違いだと結局認めることはしませんでした。(8月6日) 生徒に真実を伝えず騙し通すと決めている石渡氏が、「人の心を動かすスピーチの顔の表情やアイコンタクト、ボディーランゲージなどを学校で教える」  石渡氏の考えている教育というのはそういうものなのですね。生徒のこともスピーチを聞く人のことも馬鹿にしている。 石渡氏は「彼らは嘘にも気づかない人間」だと思っているのですね。 「英語で考える」 詐欺指導法をこれからも継承していくと公言してはばからない人は、もう教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師が教える「人の心を動かすスピーチの仕方」とは何なのですか。騙しのテクニックですか。  裏で、文部科学省を騙して、日本中の高校生に詐欺指導法をさせていても、舞台の上で、両手を広げてスピーチをすれば、人を感動させられると、教えることですか。 随分スピーチを聞く人を馬鹿にしているのですね。 英語でしゃべれば、そんなことは分かりはしない、とでも思っているのですか。  50年も日本人を騙して、生徒から車を売るほどのお金を搾(しぼ)り取ってきて、まだ足りませんか。 石渡氏は、これ以上、日本人を騙してまだ、お金儲けをしたいですか。 石渡氏の詐欺指導法のせいで日本中の中学生、高校生が犠牲になっているのですよ。 50年も日本人を騙しておきながら、まだ足りないというのなら、石渡氏はどこまで厚顔無恥なんですか。 石渡氏は自分のお金儲けのために、子供達まで犠牲にしてもまだ平気なんですか。 子供は大人の決めたことに文句は言えません。 それをいいことにこれだけ子供たちを犠牲にしておきながら、「これからも詐欺指導法を続けていく」と公言するなど、何も言えない子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 おそらく「これからも嘘を教える」「これからも詐欺をしていく」と公言する教師は法律で教育活動をすることは許されないのではないですか。詐欺は犯罪ですから、石渡氏の言っていることは「これからも犯罪をしていく」ということです。 「犯罪をする意志」を明確にしている以上、石渡氏は教育界から退いて下さい。 「英語が上手になりたい」という人々の気持ちにつけ込んで詐欺商法をする石渡氏のしていることは公共の利益に反します。 日本の英語教育改革が失敗した原因は「英語で授業」です。 これを学校教育にもちこんだのは、石渡誠氏です。 「英語で授業」という詐欺指導法のせいで、日本中の高校生が何年にも渡って大きな被害を受けました。 これだけのマイナスを日本の社会にまき散らし、なおかつ「これからも詐欺指導法を提唱していく」と公言してはばからない石渡誠氏はもう、教育界から退いて下さい。 これ以上英語教育を詐欺の道具にしないでください。    日本人を50年も騙してきて、これからも騙して商売して行くと言いきる石渡氏には、もう「人を騙すことが悪いことだ」という意識もないのですね。20年以上、人を騙して生計を立ててきたから「悪いことだ」という意識もないのですね。「被害を受けたのが、大人に何も言えない子供たちだから、知らんぷりして続けよう」などというのは弱い立場の子供を踏みつけにする卑劣なやり方です。 (裏で、卑劣なことをやっていても、人の心を動かすスピーチのアイコンタクトやボディーランゲージは教えられるのですね。)   生徒のスピーチにやたら、「感動」「感動」と言ってますけど、石渡さんは、その生徒たちを今も騙(だま)しているんですよ。「英語で考える指導法をこれからも続けていく」と言って。  騙(だま)している生徒のスピーチを「感動」「感動」と言って自分の学校の宣伝に使う。「詐欺から出発している教育を顔色一つ変えずに生徒を使って宣伝する」「詐欺と分かっている指導法を顔色一つ変えずに舞台の上で英語をしゃべって宣伝する」 教育者として最低です。)  「日本中の中学生、高校生を犠牲にしても知らんぷり」「これからも詐欺指導法を提唱すると公言してはばからない」石渡氏のしていることは、教育者として最低です。 教師というより詐欺師でしょう。 詐欺師(犯罪者)が、教師として生徒の前に立つことなど、絶対に許されないことです。 石渡氏は教師として働きたいなら、まず、犯罪である詐欺指導法の提唱をやめるべきです。 犯罪者でありながら教師として生徒の前に立つことなど絶対に許されないことです。 私は中学生や高校生が、石渡氏の詐欺指導法(犯罪)の犠牲になるのを黙って見ていられませんでした。(もう数年前になりますけれど、私が初めて石渡氏のブログを読み始めたころ、高校を卒業した石渡氏が松本英語学校に入学を決めた時の話が載っていました。 「お金がない」と石渡氏が相談すると森先生から「働け」といわれた、という話でした。 それで、石渡氏は働きながら学校に通った、と書いてありました。  今、どこを探してもその個所は見つかりませんでした。 でも、確かにそういう話が書いてありました。 読んだとき、あまりの衝撃に忘れられませんでした。 「そんなことをさせるなんて未成年者を自分の学校の利益のために労働させているようなものだ」と思いました。 (今は18歳は大人の扱いですね) 今は書いていない、ということは削除されたのでしょうね。 教育者としてひどすぎますから。 松本亨さんの学校は随分ひどい学校経営をしていたのだと思いました。)

(2)文部科学省 新中学校学習指導要領 英語 は全く効果がない。 (理由は2017年10月12日のブログ)
(3)現在、高校生が行っている「英語で授業」は効果がない。  (理由はこちら
(4)「CAN-DOリスト」は効果がない。 (理由はこちら
(5)「4技能」は効果がない。  (理由はこちらこちら
(6)入試のスピーキングテストは子供を親の収入で差別するもの(理由はこちら
(7)現在、小学校の英語教育で子供たちが話しているのは、英語の発音ではない。 (理由はこちら

(8)大学教育を英語で行うと日本の学問は壊滅的な打撃を受ける。 (理由はこちら


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朝日新聞の記事「英語をたどって8:2「英語で授業」本当の意味は」に載っている松本茂氏の授業例は実際には高校生にはできない授業でした。 「実際にはできない授業」をあたかも出来るかのように新聞に掲載して日本語で授業をする高校の先生を批判するのは公平な新聞記事の書き方ではないと思います。 読んだ人は、高校の先生方が英語で授業をしないのが悪いと思ってしまいます。 記事の冒頭に「分詞構文がどうこう」と教師が日本語で説明する、従来型そのもの。同行の見学者が「これは日本語の授業か」とつぶやいた」と書いてありますが、日本の高校生が唯一理解できる言語は日本語なのですから、先生方が日本語で教えるのは当然です。 理解できない言葉で授業をしたら、どうなるのかもこの同行者はわからないのでしょうか。 こういう認識で英語教育改革をやっているから間違った方針ばかり出してくるのです。英語で授業をしていたら、今頃高校生の英語力はボロボロになっていたでしょう。 それを食い止めて下さったのが日本語で教えてくれていた高校の先生方です。 それなのに新聞記事でこういう批判をするのは公平ではないと思います。 「日本語で教えてもわからない生徒がいるのに、英語でどうやって教えるのだ」という現場の先生方の苦悩には一切触れず、いかにも「英語で授業」を提唱する松本茂氏が正しくて、日本語で授業をする高校の先生方が悪いような記事の書き方です。 これは公平な新聞記事の書き方ではありません。 松本茂氏は、ディベートのご指導もされていますね。でしたら自分もできない授業を根拠に先生方を批判するのは正当なやり方ではないとお分かりになるでしょう。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をする先生方が悪い」もう一度、このことが真実かどうか多くの人に考えていただきたいと思います。  無意識にそう信じていたら、子供たちの英語力を本当に上げる英語教育改革はできません。

だから私は、「英語で考える指導法」「英語を英語で理解する指導法」は単なる松本亨氏の勘違いであり、間違った指導法であったと英語学校FORWARD石渡誠氏が正式に認めることが必要だと思っています。  50年にも渡って、松本亨氏と石渡誠氏によって「日本語訳は害になる」「英語を英語で理解する(不可能)」などと提唱されてきたことによるマイナスは計り知れないです。松本亨氏と石渡誠氏によるこの提唱は日本の英語教育を現在も大きくゆがめています。  日本語が母国語である初級者中級者には、絶対に日本語訳が必要なのです。  日本語訳と一緒に英語を覚えないと、彼らは自分の言いたいことを英語にすることもできないのです。 初級者中級者に日本語訳を教えなかったら、彼らは自分の言いたいことを英語でしゃべることはできません。 それでもいいのですか。 「英語オンリーにすれば英語力が上がる」などという思い込みはもう一度見直していただきたいのです。 「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」こういうことを提唱している方は、自分の言っていることが日本の英語教育の大きな障害になっている事を知ってください。  そういうことを提唱するなら、自分が日本語訳を一切使わず、ロシア語でもドイツ語でも結構ですから、習得してその学習記録を公開してください。  それが出来ない人は、一切「英語で授業」などと提唱することはやめてください。  一日一時間英語で授業をすれば生徒が英語が分かるようになる、などということはありません。  もし、その方式をとるのであれば、一日7時間英語で授業をやって2年たたないと生徒は英語のまま理解するようにはなりません。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  しかも、その場合でも、帰宅したら、その日の授業内容は全部和訳して生徒に理解させなければ、生徒は2年後英語のまま理解できるようにはなりません。「英語で授業」は松本茂氏が頭の中で考えているほど簡単なことではありません。  子供にとっては、使ったことのない言語で言われたことなんて、「何にも教えてもらっていない」のと同じことなのです。 子供にはその時間だけ使われた言語(外国語)で言われたことなんて頭の中に深く入っていくことはできないのです。 子供にとっての言語というのは、コンピューターゲームの言語設定とは違います。  言語設定を「日本語」から「英語」に変えたら、その瞬間から英語が日本語(母国語)のように使えるわけではないのです。  使っていない言語で言われたことなんて、子供の頭の中深くに入っていきません。  当然でしょう。  生まれた時から自分の周りで使われてきた日本語とは違うのです。  英語は子供たちの体の中でまだ言語として機能していない言葉なのです。  「言語として機能する」とはどういうことかといえば、「英語を聞いた瞬間にイメージが広がる」とか「思考活動が始まる(英語で考え始める)」とか、そういう言葉になっていない、ということです。  だから英語で授業をやっても教えたことは何も定着しないのです。 松本茂氏はそういうこともご存じないですね。  ご存じないことを「英語教育改革」の方針として提唱するのはおやめになることです。     現場の先生方もお困りになりますし、授業を受ける生徒達もかわいそうです。 (今の英語教育改革は生徒がかわいそうなことばっかりです。よくわからない英語で授業をしろと言われ、学校で教えてもらってもいないスピーキングのテストをされて。本当に生徒がかわいそうです。  松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。松本茂氏がお書きになった本「生徒を変えるコミュニケーション活動」の中に書かれているとおり中学校でやっていたら、生徒の発音はボロボロになる - 現実の日本での英語習得はそういう世界です。 松本茂氏は中学時代に学校の勉強の一環として発音習得をした経験がないからお分かりにならないでしょう。 松本茂氏が頭の中で考えているほど日本での英語習得は簡単な話ではありません。  よくご存じでないことは提唱なさらないほうがいいと思います。  「英語で授業」が正しくて日本語で授業をするのが悪い」この思い込みをもう一度見直していただきたいと思います。



渡米して数か月たったころ、ESLクラス(英語が母国語でない子供のクラス。一日そのクラスにいるわけではなく多くの科目は自分のクラスに戻って授業を受けます。)にいた娘が言いました。「今日ね、5年生の女の子がESLクラスに入ってきたんだよ。マリアナちゃんっていうんだ。 おうちではスペイン語を話しているみたい。」同じ学年の女の子が入ってきて、うれしかったのでしょうね。  でも、それからしばらくして、娘が「今日、マリアナちゃん、泣いていた。」といいました。  またしばらくしたら、「マリアナちゃん、今日も泣いていた。」といっていました。  言葉が分からない、というのが大変なことは娘もわかっていましたから、心配していたのでしょうね。  それからしばらくして、「マリアナちゃん、学校に来なくなった。」といいました。 娘はさみしそうでした。  子供だから、英語だけの環境に入れられて、自然に英語が分かるようになるわけではありません。  日本で生活している子供たちには子供が分かるように日本語で教えるのが学校の授業でしょう。  「英語に慣れさせるために英語で授業をする」なんて言ってますけど、その程度の量の英語を聞いたって、英語に慣れはしません。  慣れさせるのなら、(中学生の場合だったら)毎日家庭学習で、典型的な文章を正しい発音で何十回も発音させることですね。 耳の中に音が残るくらい。 日本人の英語力が上がらなかったのは、日本語を使って英語を教えたからではありません。 それは、松本亨氏の単なる勘違いです。  本当の理由は大学生の段階で英語の大量のインプットをしなかったからです。  問題の原因を誤って特定すると、本当は最も学習者にとって必要なことが排除されるような教育方法が提唱されることになります。  そこをきちんと見抜いてください。  重ねて皆さんに、申し上げますね。  私の子供たちは全文和訳でバイリンガルになりました。  日本語訳は決して高い英語力を持つ障害にはなりません。  障害どころか学習者が分かる言葉できちんと基本を教えることが強固な英語力の基礎を作ります。  日本人がヨーロッパの人々のように簡単に英語を習得できないのは母国語の性質上仕方のないことです。 時間がかかっても生徒が困難だと感じることを一つ一つ教えて、正しい発音で言いたいことをスラスラ話せるようにして社会に送り出してあげればいいことです。 「日本語訳を使わないで」「英語で授業をすれば」その瞬間に子供の英語力が上がるわけではありません。そういうやり方では、現実には子供は何も習得していません。「英語学習の階段」の一番下にいる子供に、「英語学習の階段」の一番上にいる上級者と同じことをやらせても、子供たちは階段の一番下にいることに変わりはないのです。  その証拠にそういう授業をして、生徒が自分の言いたいことを正しい発音でスラスラ話しだしたことがありますか?  英語でしゃべっているのは教師だけでしょう。 松本茂氏の提唱する授業をして、高校生が開発か自然保護か正しい発音で英語でスラスラ意見を述べるようにはなりません。  日本語で英語を教えることを悪いことだと思わないでください。 松本亨氏や石渡誠氏が提唱する「英語を英語で理解する指導法」など、現実には全く存在しない指導法です。 だから詐欺指導法の提唱はおやめください、と言っているのです。



ちなみにこちらは小笠原諸島の貴重な自然について書かれたフランス語の記事です。 これを読んで、和訳しないで、意味が分かってフランス語で意見が言えますか。  皆さんは英語をすでに学んでいますから英語ならそれが出来ると思ってしまいますけど、子供にとってこれから学ぶ英語というのは、大人にとって、「まだ学んでいないフランス語」と同じです。 子供にとっては、よくわからない言語なのです。 理解できる母国語で文法事項(分詞構文など)も説明してもらえないで授業を受けている子供の気持ち(つまり、よくわからない言語で授業をされる子供の気持ち)が分からなかったら、フランス語でフランス語を教えるクラスに自分が出席しているところを想像すれば、わかります。
「英語で考える指導法」を提唱する人たちは、「学ぶ時に日本語を使ってはいけない」「和訳しないで英語(フランス語)のまま読んでいれば意味もニュアンスもわかる」といいますけれど、実際には、読んでも何もわからないのではないですか。(英語と似ている単語はわかりますけど)  言語の横列のところにあるフランス語の2つ隣にあるRusseをクリックするとロシア語が出てきます。  これはもう全然わかりませんね。  こういう言語で何を教えても全く子供の頭に定着しません。 例え、意味が分かったとしても、日常使っていない言葉で習ったことなど、子供の頭の中には全く定着しません。  

体になじんでいない言語で授業を受けなければならない子供の気持ちなんて、石渡誠氏にも有識者会議の松本茂氏にもわからないのでしょうね。