シュンの日記なページ

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イーハトーブ再訪

 朝から発熱していることが自覚される最悪の体調である。関節痛を伴うのがいけない。運転が辛い。それでも今日からは息子との親子水入らず日程を組んであるのだ。しっかりせねば。

 さて、宮沢賢治生誕百年祭の折には息子はまだ幼稚園にさえ行っていなかった。中二の息子には、宮沢賢治記念館も、童話村も初めてきたような思いしかないという。息子の好きな注文の多い料理店<山猫軒>だってその昔には誰もいなかった。私がここを訪れたのは大学生の頃の正月だ。花巻出身の山の後輩にくっついていって彼の一家の正月に完全に入り込んでしまった。宮沢賢治記念館に出かけたときには受付嬢を見て、後輩がびっくりしていた。高校の同級生だったのだ。

 今は、イーハトーブは人で溢れている。今日までが青森ではねぶただ。帰省客も多いだろう。東北中が観光客でいっぱいらしい。童話村は百年祭を機に作られ、そのまま今でも侘しいながら観光客を待っている。

  

 大沢温泉の露天風呂にとの予定も欲張って持っていた。ここも息子が二歳の折に連れて行っているが、息子には当然何の記憶もない。

 東北道にふたたび乗って、盛岡ICで下りる。ぴょんぴょん舎が懐かしく、あまり食欲がないものの、焼肉と冷麺をと思ったのだ。しかし、あまりの混雑はここも一緒だった。昔、レッズのプレシーズン・マッチを見に単身出かけてきたとき、岩手在住のサポ仲間であるタケちゃんに連れられてきた店だった。Jリーグでレッズがお荷物と呼ばれていたころのことだ。相手は確か柏レイソルだったか。結果は全然覚えていない。しかしこのときを境に盛岡冷麺の虜になったのは事実だ。

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 そんなぴょんぴょん舎に見切りをつけて、高速に戻り、途中滝沢PAでワンタンメンを食べる。息子は満足の様子。

十和田越え

 篠突く雨とはこんな天気のことを言うのだろうか。尋常ではない雨量に脅えながらも、十和田ICで高速を下り、一路初の十和田湖へ。展望台より見下ろした十和田湖は雨と霧のフィルターで、やっぱりぼんやりしていた。映画「八甲田山」のポスターがとても印象的だったため、いつかは機会を見たいと思っていた。遠き山の中の巨大湖という印象は思ったとおりのままだが、ポスターの猛り狂ったような吹雪の湖面と、雨に煙る夏の湖とは、あまりに様子が違った。

 青森へ下る道、十和田湖から流れ出す急流が、いわゆる奥入瀬渓谷なのだとは、全然不勉強で知らなかった。散策する女性が多い。瀬に沿って作られた散策道を辿る人々のあまりの多さに驚いた。美しい渓流といえば、笛吹川の西沢渓谷にある七ツ釜五段の滝を思い起こすのだが、あのように徒歩でしか行けない木道ではなく、生活道路の脇に延々と続く渓谷なんである。だから見た目は綺麗でも、何だかそわそわして環境が悪い。確かに途中の滝などは車を止めたくなるほどの大景観なのだが、これとても層雲峡みたいに横を通り過ぎちまえばいいのかな、と面倒くさくなってしまう。やはり秘瀑は歩いて辿り着く場所にある方が有難みもあるというもの。

 その後、八甲田の残雪スキーで有名な酸ヶ湯温泉の前を通る。ここも是非寄りたいのに、毎度毎度予約で満室と断られ、未だに機会がない。そこから海抜0mの青森市までただひたすらに下る。

海辺の湯宿にて

 この日の宿は浅虫温泉の一番古いような旅館辰己館である。窓を開けてがっかり。海側に新館を立てたせいで、せっかくの老舗本館から風景が失われていたのだ。古い建築文化よりも収容能力による収益性を採ったのだろう。商売は難しい。

 それでも温泉には満足。たっぷり湯に浸かり、発熱を促し、部屋に帰り、夕餉とする。部屋食の膳に、生ビールと熱燗を2合頼み、とりわけ熱い酒を唇に持ってくるうちにさらに汗が噴き出た。息子が卓球部仕込みの腕前を是非見て欲しいというので、食後には卓球にも付き合い、さらに滝のような汗。もう一度風呂に浸かり、寝る前に、自販機を探しついでに温泉街をうろつこうと、浴衣下駄姿で二人、それなりに闊歩したのである。立派な温泉ホテルに暗くて狭い裏通り。活気というものはないな、と見切り、飲み物を自販機から取り出し、夜の海を見つめながら息子と二人で喉を鳴らしてこれを呑んだ。

 昨日も納骨の折に息子には大変な忍耐を強いた。東北の老人たちに囲まれながら、同年齢どころか、私より若い人間はどこにもなく、酒と食べ物に和気藹々の、私たちとは血も繋がっていない人たちに囲まれて父は暮らしていたのだ。私を捨てた父を、私は凝りもせず訪れてきたのだが、同じように父への強い思いを息子は私に求めているに違いない。

 息子と風呂に浸かり、息子に背中を流してもらう。息子と卓球で技を競い合い(親子ともども中学校卓球部という偶然だ)、息子と夜の海を見に、散歩に出たのだ。思えば、ほっとするようなひと時が流れる陸奥湾の宵なのだった。