シュンの日記なページ

当別町スウェーデンヒルズ移住者 ブックレビュー 悪性リンパ腫闘病中 当別オジサンバンドOJB&DUOユニットRIOのVocal&Guitarist ツアーコンダクター 写真 スキー 山 田舎暮らし 薪ストーブ

歌姫

 結局、昨日はナッシュビルのことを語っちまった後、『森山良子イン・ナッシュビル』は、i-tuneからダウンロードしちまったい。札幌の家には、レコードプレイヤーがあって、実際に当時買ったLPを乗せて、立派なハイファイセットで音を鳴らすことができるけれど、ちんけなPCスピーカーであっても当面、聴きたくなったのだ。
 ついでに森山良子のレパートリーの中から、大好きな曲を数曲落とした。古いのからは『悲しき天使』『死んだ男の残したものは』、比較的最近のものでは、倉本聰のドラマ『拝啓、父上様』のテーマ曲となった『パピエ』と『手』の二曲を。いいなあ、森山良子。彼女の息子は小学校唱歌しか歌えないような歌手でしかないのに、母親は凄いと思う。

拝啓、父上様 DVD-BOX パピエ

 そう言えば森山良子はナッシュビルのレコーディング直後に女の子を産んだ。その女の子につけた「菜穂」という名前が、つくづく、らしくって、いいなあ、と、当時の良子ファンであったぼくは、あくまで結婚して母になった彼女であっても、好きであり続け、ずっと新しい曲を聴き続けたのであった。
 母親の実家に誰かの葬儀で駆けつけたとき、夜の精進落しの合間に、シュンは歌手では誰が好きなの? と叔母の誰かが尋ねたとき、ぼくが躊躇っていたら、母が森山加代子だよね、と全面的に間違った答を大声で言って、へえーーって、親戚一同に意外そうな顔をされた。そんなに白い蝶のサンバが好きなんだ、って意外だよな、そりゃ。
 反抗期の中学生だったぼくはとても傷つき、それでいて、森山良子だよって言い訳する気にもなれなくって、大人たちの軽薄と若い傷つきやすいハートへの感受性の欠如に密かに怒り続けていたために、未だに赤面したくなるほどのそのときの恥ずかしさをずっと覚えているという自意識過剰ぶりであるのだ。
 ぼくは当時、年上で、ギター弾きで、和製ジョーン・バエズと呼ばれ、様々な表情をその声に乗せて届けてくれる、地味な女性歌手に心底恋をしていたのだと思う。大学三年くらいの時につきあっていた女性が、ちょうど森山良子の喋り方に声も雰囲気もそっくりなので、なんだか、恋が叶ったような気になってとても幸せだったのを覚えている。
 その後、森山良子はどんどんおばさんになってゆき、『金曜日の妻たちへ』で女優にまで挑戦したけれど、驚いたことに如才ない演技を見せたのだった。表現者のセンスというのだろうか。
 そういうわけで、この女性シンガーは、ずっとどこかでぼくの中にホットな感情を残したまま、錆び付くことなく、なおより一層の深みを湛えるばかりの歌唱力を武器に、ある種の独自な世界を席巻し続けている。ぼくの選択した日本の歌姫は、今でも正解だったのだ。密かにそう思っている。それはやはり恋のようで恋ではなく、憧れのようでそうではない。きっと歌というセイレーンの女神たちに惹き起こされた、心ときめく魅力の感覚であるのだろう。
 今日もギターを弾く。少しブルーグラスの練習をしようと、途轍もなく早いリズムの中でどれだけギターを歌わせることができるのかに挑戦する夜なのである。これもセイレーンの女神たちに誘われるままの感性が惹き起こす昔ながらの本能なのだ、きっと。