Drive Space 2.5D Maniax RSSフィード

2016-04-12

まとめて見た2016第一四半期アニメ(1〜3月)

ハルチカ

ハルヒ氷菓なキャラクター。テンポがイイし(むしろ良すぎてやや駆け足感がある)、キャラクターデザイン最先端感がスゴイ。目の多重塗と唇の描画はファンタジックで頭から離れません。(はがない の時も思ったけど、もっと洗練されたアヴァンギャルド



・アクティブレイド

前半がいわゆるキャラクターのお当番制展開で、ちょっとおもしろいのかどうかわからなかったけど、一巡して主要メンバーが噛み合い始めると一気に面白くなってきました。こういう時間がかかる構成は1クールじゃもったいないと思ったら二期もあるようでよかった。


・この素晴らしい世界に祝福を

ダークホース。ひたすらギャグに徹しているおかげで息抜きにぴったり。湖に女神を浸けておく回がいちばんツボった。

転んで擦りむいたとこ〜♪

へっちゃらさすぐ治るから〜♪

無限ループ


灰と幻想のグリムガル

鬱なんだけど仲間に恵まれているから鬱感が薄れているかな?十二国記みたいに孤独なとことん鬱からちょっとずつ仲間が増える展開のほうが救いのある鬱な気もした。


最弱無敗の神装機竜

安定の石鹸枠。もはや伝統芸のような安心の面白さ。テンポがよく特定のキャラクターのお悩み相談を延々と引きずること無くポンポンと解決していくのでリラックスできる。あえて特定のキャラクターに絞らないことでまんべんなくハーレム展開なのは石鹸枠のなかでも様式美すら感じさせる。遺跡のビジュアルが面白い。


・シュバルツスマーケン

ねえタケル、マブラブあるあるいいたいの〜!

BETAと戦うより、仲間割れしてしまいがち」

戦術機戦のカッコよさ部分で前回のトータル・イクリプスより進化していたので飽きずに最後まで見られました。

2016-03-29

鉄血のオルフェンズはなぜつまらないのか。終

鉄血のオルフェンズが最終回を迎えた。まあ大団円といってもいい終わり方で、勢いはあったがよくわからない終わり方をすることが多いアナザーUCガンダムとしてはキレイな結末ではないだろうか。(二期は発表されてますが)

前回のままヤクザ映画で突っ走るかとおもいきや、なんだかみんな解脱してしまったような爽やかさで、とにかくこの作品はチグハグだ。思わせぶりな台詞は全部「うるさいな」で潰されてしまうことや、それでいて鉄華団内部では浪花節がまかり通る。

なんで、こうなるか、というのは、想像ではあるが…

鉄血の作られ方(想像)

お題「今までと違うガンダム

A「任侠!」

B「冷酷!ヒーロー台詞ダメ!」

C「格闘!実弾!ビームダメ!」

D「未開開拓!」

E「女性活躍!」

F「漢!」

G「電車!プチモビ!

H「団結!打倒既得権

総括「じゃあ○はA、△はB、□はC…な感じで…いいかな?割り振りはアレは○話…コレは△話…担当はコレなら○さん、アレなら△さん…ソレは□風でいきますか…

つまり、「お題」でみんなから上がってきた「今までと違うガンダムと思われる要素」を一通り詰めてみました、という「総花弁当」状態になってしまっているんですな。

これをうまくまとめて1本の作品としてキレイにまとめて完結させるという意味ではスタッフの手腕はスゴイと言える。それはそれで非常に素晴らしいことで、技術としては決して貶められるものではない。

しかし、1本の作品として盛り合わせや混ぜあわせがうまくいってないので、一つ一つは決してまずくないのに引き立て合わない。監督が強引ならうまくいくというものではないが、やはり噛み合ってない、咀嚼、撹拌できてない要素が多すぎる。

例えばビームを無しにしたことでビームの打ち合いはなくなったとしても、ならタイマンやケンカMSと組織で戦う要素が噛み合ってない。例えばグレイズのような量産機をだしてしまったためにタイマン格闘の必然性がすごく薄れてしまった。もともとガンダムフレームは72体、という設定があったのならば、量産MSは話にならないほど弱くして(エルガイムのA級B級のように)エースしかA級MSは乗れないようにするという手もあっただろうに(少数タイマンの必然性が出る)そんなのはガンダムらしくない!と量産機にこだわり、挙句の果てにラスボスグレイズでは「ガンダムフレームの意味って…」となる。

(このあたり、エルガイムや、比較的最近だと「ガン・ソード」なんかはうまくやっていると思う)

(ビームを弱くした例では「ドラグナー」がある。これも「関係者ドリブン」「調整型監督(総括者)が強く感じられる作品で、シーン単位では見どころも多いのにトータルではイマイチピンとこないところも「鉄血」と似ている)

つまり、話の内容に与えられた必須お題でも世界観にそぐわなければひねってこねてごまかしてしまうのではなく、「ガンダムらしい(量産)」「ガンダムらしくない(格闘、実弾)」「スポンサーはプラモデルガンダムフレームってのを入れるからね」といった何か芯があればスンナリ入りそうにない要素でも、要請があれば「ああ、わかりました」で素直に(ごまかしやひねりも工夫もなく)順番に入れてしまう、いや話の方をいじって適当につじつまを合わせてしまうからこうなるのである。逆に言えばオルフェンズの芯とは「来るもの拒まず」である。

このあたり「総括担当(たぶん監督だが、監督かどうかはわからないので)MS設定にはあんまり興味が無い、そのパート担当者まかせだろう」といえるのだ。

一般的にストーリーが完成する前に広報用や製作用に作られる「イメージイラスト」「決め台詞」「決めシーン」みたいなものが大量にあり、それをそのまま入れ込んだような印象である。各キャラお当番会で先にシーンが決まっており「このシーンを長回しで持ってくるためにはストーリーはこう繋ごう」的な。そこには「咀嚼」もなければ「ごまかし」もない。素直な入れ込み。

もちろん、素直だから悪いということではなく、例えばギャルゲーアニメ化であればそれがいいということもあるだろう。だがガンダム富野監督)というのはどっちかといえばそこに逆らい、抗い、誤魔化し、こねくり回してきたからこそ出た面白さというものが多分にある。そこへ多数の関係者の意向をストレートに取り込んでしまったようなオルフェンズはどうにもチグハグなのである。

もちろん多くの関係者の意向そのものが作品とマッチしていれば「歯車が噛みあう」作品もあると思う。だがオルフェンズにはどうにもこうにも歯車が噛み合わずガリガリし続けている印象を強く持った。この状況に陥ったであろう作品としては「艦隊これくしょん」があるだろう。

お色気担当の女優が「必然性があれば脱ぐ」というのと同じように、例え「お色気」(MS格闘)が作品を作るにあたって制作側からの詰め込み必須要素だったとしても、それをうまくストーリーに組み込むのか、たんなるラッキースケベなサービスシーンで済ませるのかではかなり違う。そういう意味でオルフェンズのMS戦は(それ自体は素晴らしい出来だとしても)ラッキースケベなサービスシーンと大差ない印象を受ける。なので「サービスシーン最高にシコ!」という評価が出てくるのは良いと思うが、やはり全体としてはチグハグなのだ。

お当番を別の言い方をすれば各キャラクター「歌舞伎、傾く」というか。「いよッ!待ってました!」的なところに各キャラクターの「キメ!」が入る。その繰り返し。芝居がかったとも言う。マンガのキャラクターっのはこう怒るでしょ、こう悲しむでしょ、こう発言するのが期待されるでしょ、こういうのはお約束でしょ、最近のはすこし悟り世代でしょ、という芝居。富野ガンダムの【リアル】とは、善悪がとか、兵器がとかもあるが、むしろこの「マンガちっくな傾いた芝居」を徹底的に排除するところから始まったのではないか。

ガンダム」はビッグビジネスであり、その関係者の数や意向というのはかなりのモノになると想像できる。御大は現在は御大故になにもしなくても声が大きくなっただろうが、逆に御大はそれが苦手な印象を受ける。自由になれば逆に話がまとめられなくなるというのはGレコが良い例だ。なにごとも「塩梅」というのは偶然に頼り続けるのが宿命だろう。

それでも後半は徐々にスタッフも手馴れてきて多少噛み合い始めた感はある。

1期のラストで綺麗に終わったことで、2期は「消化お題」があまり積み残されなかったように思えるため、それなりに仕切り直しができそうな状況にはなった気がする。たとえ与えられたスポンサー設定だとしても、それを活かすかただ組み込むだけかは総括しだい(監督かどうかはわからないので)期待したい。

2016-03-22

鉄血のオルフェンズはなぜつまらないのか。続

正確には、「つまらない」のではなく、「なぜガンダムと合わないか」がわかったというか。

24話も見てきてやっと気づいたのだが、鉄血のオルフェンズは例の「杯」だけではなく、全体のフォーマットが終始「ヤクザ映画」そのものだ。気づかせてくれたのは3月から出てきた「セーラー服と機関銃

言ってみれば、セーラー服をドレスに、機関銃モビルスーツ(チャカがプチモビ)に置き換えたものだ。つまり「赤いドレスとモビルスーツ」という作品だ。

「鉄砲玉用のガキが反乱起こしたところに出戻りの姐さん迎えて○○連合に殴りこむ」という話だと思えば全部すっきりピースがハマる。

盃はもちろん、途中シノギのために労働組合にチャカ流したりとか、家族を養うために組に入った奴が死んだりとか、生き別れの弟と再会したとか、敵方もまとまりがなくへんなコダワリがあって負けたりとか、ご隠居を姐さんが引っ張りだして連合でケリつけてくるわ(now)なので、当人にとっては戦争でも世間全体からみれば一部の勢力攻争でしかないため世界が〜とか言ってる割に一部の道路封鎖ぐらいで最終回が終わりそうな感じ。



基本的に【バトルマンガ】のフォーマットはヤクザ任侠と相性が良い。

勧善懲悪的というか、この場合の勧善懲悪はあくまで「主人公側」と「それ以外」なのだが、ある道徳(ルール)に従うことで相手と立ち向かう。

善悪がはっきりしてるというのは、この場合の「ある道徳」を世間一般的に受け入れられやすい「善」と「悪」としているだけで、いわゆるワルが主人公だとしても、ヤクザ任侠映画でも「本人ではなくグループなど外部にある道徳(ルール)を芯とし、それに主体的帰属し、身内を大切にするため戦う」という行動であるならば勧善懲悪的なのである。

一方でガンダム(特に富野作品)というのは、そこが非常に曖昧だ。良く当時のガンダムを表する言葉として「勧善懲悪でない」という表現が多かったが、それは単に「それぞれの陣営に主張がある」という意味だった。

しかし、今あらためて考えてみると、むしろそれだけなら単に善悪が反転する立場を交互に描くだけだ。それだけではなく、キャラクターが必ずしも「身内も含めた外部の道徳(ルール)にあまり従わない、それによって不安定である」ことがあるのだと。つまり「勧善懲悪でない」という表現よりも「キャラクターが精神的に何かへの帰属が弱く不安定であること」のほうがバトルマンガ的に異質なファクターだったのではないかと逆にオルフェンズに気付かされた。

だいたい家族関係が良好でないキャラクターが多いし、だからといってグループの規範全面的に受け入れているわけでもなく「しかたがなくそこにいる」が「いるうちに”それなりに”愛着も湧く」が「ひっくり返ることもある」というとにかく不安定な状態だ。そこに「モビルスーツ(をはじめとするロボット類)」がキャラクターの心象構築にある程度大きなウエイトを占めることでロボット存在感が増す。ガンダムを操縦することが自己主張の一部という描かれ方をすることで、ただの生産兵器として扱われるリアルロボット系にもかかわらずその登場メカニックにまでキャラクター性が付加されていくわけだ。

そしてそんなキャラクターたちの個人的な事情にいつの間にか世界の行く末がかかっていたりするところに「面白さ」があるわけだ。

このあたり、むしろ鉄華団という強固な拠り所があり、世界を平定した伝説の遺産兵器スーパーロボットとなったガンダムフレームに乗って世界のために戦っているわりにイマイチ世界を巻き込んでいる気がしないオルフェンズと対照的である。

この「キャラクターが道徳的に常に不安定」で「ある特定の道徳(ルール)に全面的にはなじめない」「その不安定さをなんとかしようと言葉を紡ぐ」のはバトルマンガには非常に不向きな要素である。

だからこそ世間にうまくなじめないヲタクの心をがっちり掴んだのであるが、やはりバトルマンガとしては非常に危ういのであり、そこが魅力でもある。富野作品でも主人公キャラクターを安定方向に振った「ZZ」や「F91」「Gレコ」が他ほど圧倒的な評価を得られないのはそこにあると思う。

それでもなお「不安定な危うさ」を感じさせることもある富野作品に比較すれば、オルフェンズのキャラクターの安定っぷりはどうだ。やはり支柱(規範)がグループにあって安定しているキャラクターはわかりやすい。ランバ・ラル的に言えば「しっかりしたキャラクターだ。だがそれゆえに予測しやすい」だ。

他監督のガンダムではやはり富野作品ほどではないにせよ、また意識しているのかガンダムっぽくしようとして自然とそうなったのかはわからないが、ある程度不安定なキャラクターが多かったように思う。

オルフェンズはまったくキャラクターが不安定じゃないので、逆にモビルスーツが引き立たない。だからこその面白さもある一方で、それはありふれた面白さであり、やはり「これはガンダムらしくない」と思えるのである。

※オルガにしてもふらついているように見えて「鉄華団」という外部の芯がある。この外部の芯が視聴者から見てあまり揺るがないということが「安定」なのである。芯がない、また芯が不安定だと見ている方はホントゾワゾワして落ち着かないのだ。それが面白さに繋がる保証はなく、不安定だからいいという短絡的な構造ではない。ただガンダムらしさは出ると思う。

※盛り上がりは全然なかったが「鋼鉄の意思アルジェボルン」のキャラクターはなかなかガンダムっぽかったかなと思う。

2016-03-14

鉄血のオルフェンズはなぜつまらないのか。

主人公の三日月の役割は「ジャンプ漫画みたいなセリフ禁止!」で、バトル漫画っぽいことを言う奴は問答無用で始末!っていうポエムキラーなのが面白さの基本構造だと思うんだけど、(ARIAの「恥ずかしいセリフ禁止!」と同じノリ)

肝心の鉄火団始め主人公側のメンバーもジャンプ漫画エグザイル系のポエマーなのでその面白さがスポイルされているというか、ポエムvsシリアスという対立構造が全然機能していないことがあるんじゃないかなと思う。

アトラあたりに、団員がポンポン死のうと「え?火星では仕事で死ぬのは普通よ。」ぐらいで何が問題なのかわからない?ぐらいの顔で言わせておけば、クーデリアの衝撃もよりもっともっとドラマチックになったと思うし、火星開放もより深刻な問題として盛り上げられただろうに。あ、でもPTAの抗議で打ち切りか(そして伝説へ…

よく考えたらザブングルでは殺そうが盗もうが何しようが3日にげきれば許される【3日の掟】破りから物語がスタートするんだよねえ……

これまたアトラあたりに「火星では、ヒトが死んでも悲しんでいいのは3日だけ」みたいな掟でも言わせておけば……

2016-03-10

AIで仕事が奪われるって言うけど…

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/356347/030200007/

そういうことを言う人は多分自分の仕事は知的創造分野だから大丈夫、奪われると思ってないんじゃないかな。しかしそうかね?

逆にコンビニやスーパーでバイトしたならわかると思うけど、いちばん大変なのって「品出し」さあ、これをAIロボット)がやってくれるか…まあ、ないね。

多種多様なサイズ、外見、形状の商品を見分けて、これまたきっちりしてない棚に並べる…おそらく「単純労働」に思えるんだろうけど、ロボットAIにとっての「単純」と人間にとっての「単純」ってぜんぜん違う。

Amazonがスゴイのはロボット化そのものよりも「ロボットに適した作業になるよう職場環境や倉庫から全部作りなおした(床は広いが上に高く積めるとか)」ことであって、それをやらずにAIロボットが”仕事を奪ってくれる”なんてチャンチャラおかしい。そのAmazonですらロボットが集めてきた箱モジュールから該当品をピックして発送箱に積める「品出しw」は人間だからね。

むしろ、奪ってくれるとしたらPOSのデータや世間の流行から「発注リスト」を生成したり、バイトが入力した勤務表からシフトを割り振ったり、勤怠表を管理したりすること。過去数年分の売上や傾向、天気や季節の影響、SNSを分析して流行を見たりとか…つまり店長の仕事。人間は知的労働に集中できるなんてウソ。むしろ逆だ。こういう作業に関しては人間よりAIのほうが遥かに大量のボリュームを処理できるだろう。そっちはAIにまかせてせっせと掃除したり品出ししたりするのがミライの仕事になるんじゃないかなと思う。

人間に合わせて作られた什器建築といったインフラを全部Aiロボット向けに作り変えるとかでないかぎり。たぶんそこまで世界の余裕はない。超新興国とかでないかぎり。

自動運転もさかんにいわれるけど、自動運転がメインになったら信号も横断歩道もいらなくなる。あれ人間のためのものだしムダ。そういう想像が必要。

介護業界もそうじゃないかな。ロボット介護してくれるんじゃなくて(補助はしてくれるだろうけど)AIが入居者の状態をモニタリングしてデータ蓄積して予測して「そろそろお漏らしする頃だからおむつ交換です」とか介護士に指示してくれて、ムダな「声掛け」とか「見回り」はいらなくなる…けどお世話は人間。「お体の具合はいかがですか?」とかだって、モニタリングと過去のデータの膨大な蓄積、他の大量の経験から得られた最適な返答。そういった心のケアとかがAIで(笑)、人間は下働きだよ。たぶんそっちのほうがはるかに現実的だと思う。

だから、AIが奪ってくれるのはむしろ人間がやりたい仕事なんだよ。単価の安い単純労働って実は(機械にとって)単純労働じゃないことが多い。OCRで全部片付くと思っていた文字読み取りですらまだの段階だ。パスワード文字列推測とかAI得意だけどな。

裁判官とかAIにぴったりだよ。検察官の出世とか人間関係とかガン無視して冷静に過去の事例っと法律と証拠から判断してくれる。まあそうなったら検察がガンガン負けてしまうだろうから導入されないだろうけど。

まあ言いたいのは、アナリストが言う人間の単純労働と知的労働と、ロボットAIが得意とするところの単純労働と知的労働ってのは案外重なっていないので、アナリストとやらが思っていることとはむしろ逆になるだろうってことだ。

囲碁にしても、画面上で打つんじゃなくて、ビシっと碁石を打ったり、取ったり、取った碁石を置いたり、かき混ぜたり、最後の並べまで全部こなせるようになってはじめて「人間の代替」足りうる。

それができる「カラダ」、考えた答えを現実世界に反映させられる「カラダ」を手に入れてやっとAIの時代となるが、それは案外遠くて、しかし、そのための「カラダ」を生産する方法を考えるようになり、細胞1個から単一の材料で生産可能な「生物」というボディは非常に生産性がよく、それは案外人間じゃないかもしれないし、人間のカタチをしていながら社会的に別のものとして扱われる「存在」となるだろう。全身がセンサーであり可動部でもある「生物」というボディを機械式メカニズムで置換するのは相当にこんなんだろうと思われるからだ。

そこまで到達した時、やっとAIは人間の敵となるのだろう。