ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

   
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■ 2016-07-20(Wed) このエントリーを含むブックマーク

 少し財布に余裕が出来そうなので、ちゃんとした画材でも買い揃えてみようかという気もちがある。もちろん油絵の道具などというとたいへんなことになってしまうけれども、水彩を描くための画材を揃えるのならばあまり無理しないでもそれなりのものを揃えられるのではないかと思う。あとは、そんな画材を使って、ちゃんと絵を描く時間をつくれるかどうかということ。まあ今は映画ばかり観て時間をつぶしてしまっているわけだから、そのあたりをちょっと考えれば時間はつくれるのではないかと思うのだが。せっかく画材を揃えても「三日坊主」とかになってしまってはどうしようもない。

 今日はまた、寝てばかりの一日になってしまった。昼からリヴィングで映画を観ていたら眠くなってしまい、そのまんま寝てしまった。
 目が覚めたらもう七時を過ぎていて、食事の準備もめんどうで、ちょうどスーパーで値引きの始まる時間だったこともあり、また南のスーパーまで出かけてお弁当とかを買って来て、それで晩ご飯にしてしまった。今日は中華弁当。明日のパンと、ニェネントにもあげられるように、かつおのたたきとかも買って帰った。
 食事を終え、ニェネントにかつおのたたきをちょっとあげ、そのあとはもう寝てしまった。書くこともあまりない一日だった。


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■ 2016-07-19(Tue)

 参議院の選挙が終わって、こんどは(わたしにはちょくせつ関係ないけれども)東京都知事の選挙になる。いちおう保守陣営ふたり、そして革新側ひとりというのが、知事をあらそうメインの顔ぶれになりそうだけれども、せっかく保守陣営が二手に分裂してしまっているというのに、それに対抗する側にいまいち迫力を感じない。なんとかこのチャンスをモノにしてもらいたいところだけれども、最悪の結果も考えられるだけに気分は暗くなる。
 アメリカの大統領選挙も共和党からの候補はトランプになりそうだし、先日の参議院選挙はもちろん保守の大勝利。トルコではクーデターが起こりそうになったり、どうも世界全体が右傾化しているのではないのかと思ったりする。右傾化というのか、ISのテロ行為がひんぱんに起こるようにもなり、戦争状態というのが常態化する世界になりつつあるのかと思ってしまう。

 こんな世界だから日本も憲法を改定しなくてはならない、という声に引きずられてしまう人も多いことだろう。特にやはり、現行憲法の第九条を改訂するかどうかということは、いろいろと論議を呼んでいることと思う。このことに関してじっさいのところ、自衛隊というものがありながらも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする条文を持つというのは矛盾ではないかと思う次第ではある。では自衛隊を現在の憲法に照らして「違憲」としてしまっていいのか、というもんだいはあるわけで、ここは憲法の中に、自衛隊という存在を規定する文言を入れるべきではないのかなどと、わたしなどは考えるわけである。こういうところを、現行憲法の精神を活かしながら改訂するのであれば、わたしは反対するものではない。
 しかし、現在の自民党の持つ「憲法改定案」というものは、その第九条関連のことではなく、むしろそれ以外の部分で基本的人権を放棄させるようなものがあるわけで、わたしはそっちの方がよほど問題だろうと思っている。
 護憲派の連中は決まったように「第九条を守れ」とか、「第九条をノーベル平和賞に!」などといっているわけだけれども、第九条ばかりを問題にしていると、つまりは墓穴を掘りかねないと思う。いったい守らなければならないものは何か。「基本的人権」「主権在民」もまた守られなくてはならない。はっきりいって、すでに自衛隊の存在で理念の危うくなっている第九条をいつまでも守ろうといっているのであれば、この件は簡単に保守側に突き崩されてしまう危険性がある(これはわたしが自衛隊の存在を支持するということを意味するのではないけれども)。じっさいに、テレビなどでみる「街頭インタビュー」では、第九条は実情に合っていないと考える人がいるようではある。そんなところよりも、例えば自民党の「憲法改正草案」お第十二条や第二十一条がどのように書き換えられようとしているか、ということこそを問題にすべきではないのか、とは思っている。とにかく、護憲側はあまりに第九条にばかりこだわるのはやめた方がいいのでは、とは思うのだけれども。

 

[]「シャイアン」(1964) ジョン・フォード:監督 「シャイアン」(1964)    ジョン・フォード:監督を含むブックマーク

 ジョン・フォードでも後期の作品で、70mmの超大作。尺も二時間半以上ある。内容はアメリカ先住民(インディアン)へのシンパシーに満ちた作品というか、強制移住させられたインディアン居留地の劣悪な環境から逃れようとしたシャイアン族が、アメリカ政府に反抗して故郷の土地へと移動するという物語である。この大移動は史実だったようで、この時代にはこのような居留地から逃亡する(移動させられる)インディアンの悲劇がいろいろとあったようである。そういうわけでこの作品の主役は先住民たちで、彼らに対するシンパシーに満ちた作品になっている。かつてのジョン・フォード監督の西部劇では先住民らはまさに「悪役」だったわけで、ここで監督がそんな先住民を主役にした映画を撮るというのも、時代の流れのひとつではあっただろう。

 映画ではそんな先住民の移動に同情的な警備隊の大尉(リチャード・ウィドマーク)と、先住民に同行するクエーカー教徒の教師(キャロル・ベイカー)らの存在を軸に、先住民らが通過するダッジ・シティの保安官ワイアット・アープ(ジェームズ・スチュワート)なども狂言回し的に登場もする。

 特に前半はジョン・フォード作品でおなじみのモニュメンタル・ヴァレーをバックでの撮影で、そんな荒野の中を騎馬隊や駅馬車が疾走するシーンだけでジョン・フォード作品の醍醐味を堪能できる気がする。しかし、先住民に英語を教えるというキャロル・ベイカーが、ずっと先住民といっしょにいながらも、これっぽっちも先住民の言葉をしゃべれないというのは、いかにそれが映画的な要請であるとはいっても、ちょっとばかし解せない気もしたのはたしか。
 終盤にシャイアン族らの到着する北部の砦には、カール・マルデンの演じる指揮官がいるのだが、インディアンに対してものわかりのいいようなことを語りながらも、自分からは何のアクションも起こそうとはせずに規則一点張り、上意下達のみに徹するその人物像は、この日本のあちこちにその類型を見出せそうだと思った。


 

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■ 2016-07-18(Mon)

 朝、しごとから部屋に戻ってくると、ニェネントの姿が見えなかった。和室の窓は開いてなかったのでどこか室内にいるはずと探したのだけれども、どうしても見つからない。いちおう窓を開けてベランダの外を見てみたら、駐車場にニェネントがいて、「へっへっへ」みたいに軽いノリで体をゆすりながら、駐車場を横断してくるところだった。「いったいどこから外に出たんだろう」と思ってリヴィングをみまわしてみると、リヴィングの窓がちょうどニェネントが通り抜けられるぐらい開いてしまっていた。そうか、こっちの窓も施錠していなかったから、自分で開けることを学習してしまったということか。
 こりゃいかんと、玄関から外にまわってニェネントのいる方へ行くと、ニェネントはあわててベランダに駆け上がって、開いている窓から室内に戻って行くのだった。

 いちおうわたしは四時間はしごとに出ているので、わたしがしごとに出かけてすぐにニェネントが外に出てしまったりして、そのままずっと外で過ごしたりするようだと、つまりは四時間も外で過ごしてしまうことになる。そのあいだわたしの目はまるで届かない。もしもそのあいだに近所の野良ネコとかがやって来て、しかもその野良ネコがオスだったりして、しかも発情期とか何とかで、ニェネントのことを陵辱してしまったりしたらいったいどうなるというのか。ネコの妊娠率は異常に高いはず。いやいや、そんな悪夢のようなことを想像するだけで恐ろしくなってしまう。これからは出かけるときにはしっかりとリヴィングの窓も施錠して、ニェネントが決して外に出てしまわないようにしなくってはならない。

 しかし、首輪をして外を歩くニェネントの姿(首輪をしていれば室内でも同じなんだけれども)をみると、それはやっぱり飼いネコに見えるわけで、つまり、「あのネコは飼いネコで、その飼い主はこのわたしなのだ」と思ってしまうことには、ちょっとした心地よさがある。英語でいうと「The Girl Is Mine」、というような感覚なんだろうか。

    f:id:crosstalk:20160718095643j:image

 

[]「チャイルド44 森に消えた子供たち」(2015) トム・ロブ・スミス:原作 ダニエル・エスピノーサ:監督 「チャイルド44 森に消えた子供たち」(2015)    トム・ロブ・スミス:原作 ダニエル・エスピノーサ:監督を含むブックマーク

 この原作本がベストセラーになったことはちょっと知っていて、内容もあのチカチーロをモデルにしたシリアルキラーもののサスペンス・ミステリーらしいので、時間があれば読んでみたいとは思っていた。で、とりあえずはその原作からの映画化作品というので、楽しみにして観た作品。キャストにもトム・ハーディにノオミ・ラパス、そしてゲイリー・オールドマンやヴァンサン・カッセルなどの名前があり、製作にはリドリー・スコットの名も。きっと娯楽作品として力の入った作品なのだろう。そう思って観はじめたのだけれども。

 舞台はソヴィエト時代のロシア。まずは1933年のウクライナの大飢饉(ホロドモール)時代の描写から始まり、この飢饉で生き残り、レオと名付けられ孤児院で育てられた少年が、以降の主人公として活躍する。時代は1953年になり、レオ(トム・ハーディ)はライーサ(ノオミ・ラパス)という女性と結婚し、ソヴィエトの国家保安省(MGB)に勤務している。映画で彼はまず、ブロツキーというスパイの嫌疑をかけられた男を拘束しに他のMGB職員と彼の家に行くのだけれども、ブロツキーは逃げようとしてつかまる。そしてMGB職員は、ブロツキーのふたりの幼い娘以外の家族を、みせしめに射殺する。
 レオは同僚の息子が森の中で死体で見つかった事件を「殺人事件」として捜査しようとするのだけれども、スターリンの「楽園には殺人は存在しない」というスローガンから、捜査することすら出来ないのである。同時に、捕まったブロツキーの自白で、妻のライーサの名がスパイリストの中に含まれていると聞かされる(これはライーサに横恋慕する他のMGB職員によるでっち上げだったのだが)。よくわからなかったのだが、レオはライーサを告発する証拠を見つけるように指示され、これを拒否したためにライーサと共に地方に飛ばされ、民警に降格させられてしまう。
 しかしその左遷させられた地には、ネステロフ将軍(ゲイリー・オールドマン)という頼りになる上司がいたのだった。レオはその土地でも少年が森で不審死をとげている事件が起きていることを知り、ネステロフ将軍の協力を得て調査を進めることになる。結果として、モスクワ近郊で44人の少年が同じような不審死を遂げていることがわかるのだが‥‥。

 どうも観ていると、「森に消えた子供たち」のことはあくまでも物語の副題でしかなく、つまりはソヴィエト・ロシアの組織の中で不条理な辛酸を味わうレオ、その妻のライーサを通して、ソヴィエトがいかに非人間的な国家であったかを告発する作品ではないか、という感想になる。そして少年連続殺人事件とは、レオとライーサとが復権するための小道具という役どころにされてしまった感がある。まあそういう「ミステリー」を期待して観てしまったものとしては、なんとも「置いてけぼり」をくってしまうような作品ではあったし、どうもこう、スターリン信奉者らの非人間的な行為をこそ際立たせようとしたためか、ストーリー展開がちょっとわかりにくい印象がある。ただ終盤に主役のトム・ハーディとノオミ・ラパスとがアクションシーンを繰り拡げる場面があり、そのシーンを観ながらわたしは、「さすがに<マッドマックス>と<ドラゴン・タトゥーの女>だわい」などと、ちょっとだけ溜飲を下げたのであった。


 

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