ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2017-09-17(Sun) このエントリーを含むブックマーク

 昨日九州に上陸した台風が、その後四国、本州と縦断し、今日は新潟のあたりの日本海を通過するようで、このあたりも朝からずっと雨。「この雨なら窓を開けてもニェネントは外に出て行かないんじゃないかな?」と思って窓を開けてみたら、やっぱりニェネントは外に出ないでいる。前の住まいは窓の外はベランダで、雨が降り込むことはなかったから、ニェネントが外に出ても雨に会うことはなかったと思う。だからニェネントには「雨」の初体験、という感じなのだろうか。

     f:id:crosstalk:20170917125229j:image

 ‥‥空から水が降っていて、とても外には出られないな〜、という感じ。

     f:id:crosstalk:20170917130245j:image

 そのうちに、外にクロがやってきた。雨宿りなのかニェネントへの「あいさつ」なのか。しかしニェネントは前からクロにはまるで関心はないようで、今日も完全に「無視」。

     f:id:crosstalk:20170917142332j:image

 そういうわけで、わたしも今日は一歩も外に出ないで過ごした。読んでいる「V.」は、昨日150ページぐらいまでしか読み進めなかった。今日もがんばったけれど、なんとか200ページぐらいまで。この三連休で一巻目は読み終えようかと思ってもいたけれども、ちょっと無理っぽくなってきた。

 十二月に黒沢美香さんの一周忌に合わせていろいろとイヴェントが予定されているようで、一日にはアップリンクで武藤さんのトークがある。これは行きたいなと思っていて、もうチケットの発売が始まっているはずとネットでみてみると、会場も狭くってもうほとんどの席が埋まってしまっていた。「これは押さえておかなければ」と思って、ネットでチケット購入の手続きを進めてみると、けっきょくクレジットカードがないと買えないことがわかった。
 最近はこういうケースが多くて、スマホを持っていないとダメだとか、クレジットカードがないとダメだとか、わたしには住みづらい世界になってきた。ひょっとしたらわたしもスマホにはしようかと思ってもいるけれども、逆にこういう「スマホ優先」の社会になるなら、意地でスマホにするのはやめようかとも思う。クレジットカードはそれは持っていればいろいろと便利だけれども、なければないで何とかなる余地も残っている。今回の黒沢美香さんのイヴェントのチケットにしても、ちょくせつアップリンクの窓口へ行けば買えるわけだ。もう残り席も少ないので、今日中に完売してしまうことも考えられるけれども、明日渋谷に出かけてチケットをゲットする、ということを考える。明日はもう台風も行ってしまって、きっと好天だろうし。明日の朝またネットで残り席をチェックして、まだ出かけて行って買えるぐらい席が残っていれば、渋谷まで出かけよう。

★昨日観た「ヨコハマトリエンナーレ」の作品で、印象に残ったものを備忘録的に書いておきたい。
 ●アイ・ウェイウェイ:じっさいに難民たちに使われた救命胴衣、そして救命ボートを横浜美術館正面にディスプレイしたインスタレーション。まずド〜ンと、今の世界が抱える問題をアート作品として提示して、この「ヨコトリ」の基調精神をあらわしたような。インパクト大。
 ●ロブ・プルイット:毎日描かれた絵日記カレンダー。「そうか、こういうやり方もあったか」という感じで、実に楽しく観た。
 ●畠山直哉:部屋一面に展示された陸前高田の360°フォトの中に身を置き、視線を移動させて行くと、ふいにあの震災の痕跡が姿をみせる。なんだかリアルな体験で、部屋の真ん中に立っていて、涙がこぼれそうになった。
 ●クリスチャン・ヤンコフスキー:重量挙げのポーランド代表選手らが、歴史的モニュメントの銅像を持ち上げようとする。TVレポーターがその様子を中継する。ただ観ていて笑えるのだけれども、その奥にアイロニカルな歴史意識がみてとれる。
 ●ラグナル・キャルタンソン:ヘッドフォンから聴こえる他の人の演奏をたよりに、異なる部屋にいる九人のミュージシャンが即興で、「ひとつの曲」を成り立たせようとする。展示室には九つのスクリーンそれぞれにミュージシャンひとりずつの演奏が(もちろん同期させて)再生される。音楽も美しかったし、わたしはこの作品がいちばんだった(ちょっと泣きそうになった)。もういちどゆっくりと、この作品を体験したい。

 その他にも、ザオ・ザオ、マーク・フスティニアーニ、パオラ・ピヴィ、キャシー・プレンターガストらの作品も心に残った。そして、青山悟の次の「メモ」に、いろいろとヒントをもらった。

     f:id:crosstalk:20170916173912j:image

 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170917

■ 2017-09-16(Sat)

 台風が接近しているので、午後からは雨になるだろうという予報が出ている。今日は横浜に出て、アート三昧をやるつもりでいる。観たいのは「ヨコハマトリエンナーレ」と「NISSAN ART AWARD」、そして水族館劇場がその公演地の寿町でやっている「アウトオブトリエンナーレ」、「盗賊たちのるなぱあく」というのとを観ようと思っているのだけれども、どういう順番で観ようかと考えてしまう。やはり「ヨコハマトリエンナーレ」と「NISSAN ART AWARD」を順に観て、少し薄暗くなる頃に(雨になっていても)「盗賊たちのるなぱあく」を観るという順番が、歩く経路としてもいいだろうと思う。

 朝早く(わたしにとってはそんなに早い時間ではないが)、九時頃に家を出て横浜に向かう。大手町で東京駅まで歩き、そこからはJRで横浜は桜木町へ行く。桜木町に着いたのは十一時ぐらいだったろう(ケータイを家に置いてきたので、時間がまるでわからない一日になってしまった)。

     f:id:crosstalk:20170916122950j:image

 まずはトリエンナーレの第一会場の横浜美術館へ行き、ほんとうはもっとサッサと観て歩くつもりだったのが、やはり観ていると面白いのでけっこう時間がかかってしまい、横浜美術館を出たのは(多分)一時になっていた。ちょうど第二会場の赤レンガ倉庫へ行く無料バス(ボディにジェニー・ホルツァーの「作品」が描かれている)が待っていてくれたので、それに乗って赤レンガ倉庫へ。

     f:id:crosstalk:20170916144504j:image

 先に腹減ったので食事にしようと、食事のできるところを探したのだけれども、これがなんだか「ここにしよう」というところがなかなか見つからなくって、けっこう歩きまわってしまった。けっきょくは「大戸屋」とかで食事にして、少し食べ過ぎてしまった感じ。
 そろそろ外は、雨が降り始めてきた。順路的に、赤レンガでトリエンナーレの続きを観る前に、BankART Studio NYKで「NISSAN ART AWARD」を先に観るつもりで歩いたのだけれども、その途中にある「横浜税関資料展示室」というところに寄り道してしまった。ここには「密輸品を持ち込む密輸の手口」のディスプレイだとか、ワシントン条約による「輸入禁止品」の展示などがある。「そうか! そんなことをやって密輸するのか!」とか、「ドラッグって、そんなケースに入ってるのか!」とかあるけど、ちょっと、「ワシントン条約」で輸入禁止されているものの展示での、「ワニ革のハンドバッグ」というのが強烈だった。あまりにすごいので、受付の人に「ココって、撮影してもいいんですか?」と確認して、撮影させてもらった。って、いったいどんな女性が、こんなハンドバッグを肩にさげて街を闊歩するというのか。ダミアン・ハーストの作品よりスゴいんじゃないのか。

     f:id:crosstalk:20170916163450j:image

 意外なことに、「二胡」も禁制品として展示されていた。共鳴部に張ってある動物の革がいけないのだろう。蛇革?

     f:id:crosstalk:20170916163510j:image

 次はようやくBankART Studio NYK。昨日知ったニュースでもって、このスポットも閉められるのかという気もちもあって、展示された作品よりも建物の中をじっくりとみてまわった感じ。外のスペースにはゾウやカバもいた。閉鎖されてしまったら、このゾウやカバはどこへ行くんだろうか。

     f:id:crosstalk:20170916175658j:image

     f:id:crosstalk:20170916180751j:image

 せっかくだから、1階のPubでウォッカトニックとかを飲む。となりのテーブルで盛り上がっているおじさんたちは、ホッピーを飲んでいる。そう、ここのホッピーは、追加の「なか」が激安というか、目一杯注いでくれるのである。どこの居酒屋よりもぜったいに安い! 空のグラスを戻すとき、カウンターのコ(かわいいコだった)に、「ここも閉めちゃんですね、残念ですね」とか話しかけようとしたのだけれども、タイミングを逃してしまった。

     f:id:crosstalk:20170916185033j:image

 そんなBankARTを出て、トリエンナーレの第二会場の赤レンガ倉庫へ行く。ここでもじっくり観てしまって、外に出るともうすっかり、薄暗くなってしまっていた。トリエンナーレの第三会場、「横浜市開港記念会館」へ行くと、もうこの日の展示は終了しまったところだった。ここでの展示は柳幸典の作品だけではあったけれども、観られなくて残念だった。
 それで最後の予定は「盗賊たちのるなぱあく」。関内の駅に出て、その反対側にまわって行く。けっこう雨も強くなっていた。その「水族館劇場」のイントレが見え、区切られた区画に入ってみると、そろそろ水族館劇場のその夜の公演が始まろうとしている時間だった。周辺はもう照明も落ちてしまっていたので、ほとんどの展示は観ることができなかったけれども、鬼頭弘雄の「人間の海」という肖像写真集(たいていは寿町の住民?)、「焼け落ちた追憶のお化け屋敷」、などなどは観ることができ、まさに「ヨコハマトリエンナーレ」を「寿町」から補完する視点を読み取ることはできた。写真はボケてしまったけれども、「ドラえもん」ならぬ「ドザえもん」。

     f:id:crosstalk:20170916192805j:image

 

[]ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」 ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」を含むブックマーク

ディレクターズメッセージ

「接続性」と「孤立」から
世界のいまをどう考えるか?

いま、世界は、これまでの枠組みを超えてネットワークが急速に拡大する一方で、紛争や難民・移民の問題、英国のEU離脱やポピュリズムの台頭などで大きく揺れています。
また、人間の処理能力を大幅に超える量の情報が氾濫し、高度に複雑化する環境の中、SNS等のコミュニケーションツールの急速な発達により、ネット上の小さなコミュニティやグループの中だけに身を置くような、世界の島宇宙化が進んでいるようにも見受けられます。
さらには、これまでの大国や中央集権の論理に抗うかのような、さまざまな小規模共同体の動きも活発化しています。
このような状況を踏まえ、ヨコハマトリエンナーレ2017では、「島と星座とガラパゴス」というタイトルのもと、「接続性」と「孤立」をテーマに、約40組のアーティストを厳選して展覧会を開催します。あわせて幅広い分野の専門家が参加する公開対話シリーズ「ヨコハマラウンド」で討論を重ねます。こうして、視覚と対話の両面からテーマを掘り下げることで、「共有と共生」の多様な機会となることを目指します。
参加アーティストたちが扱うテーマは、個人と社会、私と他者の関係、国家や境界の問題について、あるいは異なる歴史観や人類の営み・文明への問いから、日本社会における孤立の問題まで多岐にわたります。それぞれが異なる小さな個展の集合体のような展示は、星が緩やかに繋がる星座や島が点在する多島海をイメージしています。鑑賞者の皆さんには、それらを自由に巡りながら、世界の複雑さや流動性について、複眼的な視点で思考を深めていただければ幸いです。

先行きの見えないこの時代に、人間の勇気と想像力・創造力がどのようなヴィジョンや可能性を拓くことができるのか。多くの人々とともに考え、開港の地・横浜から新たな視点を発信します。

                       ヨコハマトリエンナーレ2017 ディレクターズ
                            三木あき子、逢坂恵理子、柏木智雄

 ‥‥「接続性」と「孤立」というのは、つまり1960年代に谷川雁がいった「連帯を求めて孤立を恐れず」なんじゃないか、などと思ってしまうわけで、それは最近読んでいる絓秀実の戦後社会運動史とも繋がるものではないかと思ったし、じっさいにわたしは、そこからの連続の中で今回のトリエンナーレを観てまわったところがある。しかもこの展示には世界的な視点があり、そんな日本国内の動きが世界的視点の中でどうあらわされるのか、などというところにも興味は持っていた。そこでまだ分断を感じる部分もあったし、まさに「世界問題」として連なるところも感じる部分もあった。

 今はまさに「政治」の時代であって、世界は21世紀に突入したとたんに「ありうべき世界」から急旋回し、ディストピアな世界へ向かっているように思える。そんな中でいったいどこに「希望」があるのか、そういうことを感じさせられる作品がいくつかあったこと、そんな作品に出会えたことをうれしく思った。また、自分の思考の中での「よりどころ」となる思想への、より確かな親和性を感じ、その路線で考えを深めて行きたいとは思った。時間があればもういちど、ゆっくりと観てまわりたいという気もちはある。そして、分けては書かなかったけれども、水族館劇場一派による「盗賊たちのるなぱあく」を合わせて観たことで、触発されることも大きかった。


 

[]「NISSAN ART AWARD 日産アートアワード2017」ファイナリスト5名による新作展 @横浜・BankART Studio NYK 2F 「NISSAN ART AWARD 日産アートアワード2017」ファイナリスト5名による新作展 @横浜・BankART Studio NYK 2Fを含むブックマーク

 「ヨコハマトリエンナーレ」を観たあとでは、やはりどうしても「予備軍」的なというか、トリエンナーレ参加作家に比べると力量の差は感じてしまう。そんな中では、田村友一郎の作品がひとつ抜きん出ていたようには思った。



 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170916

■ 2017-09-15(Fri)

 というわけで、今日から仕事の担当区画が変わってしまった。区画が変わるだけではなくて仕事内容もガラリと変わってしまい、これは慣れるまでなかなか大変そう。今までは仕事をしながら手を動かしていても、頭ではそんな手の動きとはまるで関係のないことを考えることができ、それが「脳の運動」にいい働きをしていたように思うのだけれども、しばらくは目の前の作業に追われて、余計なことは考えることはできないだろうと思う。そういう「脳の運動」をいつ取り戻せるだろうか。今日の感覚では、ちょっとうんざり。

 昨日借りた「V.」を、今日から「通勤電車読書室」で読み始めた。行き帰りでなんとか50ページぐらい。「このペースではとても二週間では読み終えられないぞ」と、帰宅してからも読みつづけるのだけれども、やはり家で読むといろいろと他のことをやりたくなったり、電車の中でのように読書に集中することができない。なんとか80ページぐらいまで。明日は横浜まで出て、ヨコハマトリエンナーレとかを観てこようかと考えているので、横浜までの車内で読み進められることを期待したい。

 そんな、「明日は横浜へ行こう」と考えていたときに、横浜のBankART Studio NYKが来年四月で閉鎖されるというニュースをみた。古い記憶は消えてしまっているけれども、何度も何度も訪れたスポットで、いちおう脳がものごとをちゃんと記憶してくれるようになってからも複数回行っているので、どんなところだかはキチンとわかっている。元倉庫だったから真ん中に柱があったりして、それがじゃまになっているともいえるのだけれども、それを転化して考えれば面白い空間で、たとえばわたしがcrosstalkをやったSPACE EDGEに似たところもあった。1階にあるPubも採算を度外視した会計だったし、そうやって考えれば「ああいうところでcrosstalkをやりたい」とも思えてしまう。もう遅い。明日はちょうど、そのBankARTで始まる「NISSAN ART AWARD」というのも観に行こうと思っていたので、明日行くのを最後にしたくはないけれども、「ここも閉鎖されるんだな」と思いながら観てこよう。


 

[]「スウィングしなけりゃ意味がない」佐藤亜紀:著 「スウィングしなけりゃ意味がない」佐藤亜紀:著を含むブックマーク

 わたしの周辺でとても評判の高かったこの本を、ようやく読んだ。ナチス政権下のドイツはハンブルクで、「敵性音楽」であるジャズに酔い痴れた「スウィング・ユーゲント」と呼ばれた若者たちの、終戦に至るまでの歩みを描いた小説。全十章のタイトルがいずれもその章を象徴する曲名になっていて、それがある意味、一枚の(サウンドトラック)アルバムとも取れるようになっている(著者による「サウンドトラック」は別に、著者自身のブログに載っているのだけれども)。

 まずは秘密バーでレコードをかけ、生演奏で踊り楽しんでいたメンバーらは、BBC放送をチェック出来る高性能ラジオを手に入れ、ジャズレコードが廃棄されたあとには、当時最新の録音機材とアセテート盤へダイレクトにカッティングできる機材を入手し(ブルジョワだったのだ)、ラジオからレコード盤をカッティングして密売するようになる(つまり、「ブートレグ」ではないか!)。戦況は悪化して、ハンブルクは大空襲を受け、彼らの状況も切迫したものになる。

 同時代アメリカ音楽への憧れ、その延長から「自分たちは何者なのか」という問いかけも読み取れるようなこの作品、後半のハンブルク空襲の悲惨でリアルな描写もあって、読み終わると「生き残ったのは何だったのか?」という思いにも捉えられる。それは同時代のこの日本とも比べてみたくもなるだろうか。

 章のタイトルになっている十曲、わたしにはわからない曲が二曲ほどあった。「赤い帆に黒いマストの船」というのは、調べたらワグナーのオペラの曲みたいだ。読めば、いったいなぜ第四章のタイトルが「奇妙な果実」なのかとか、いかに第五章の中に「Night and Day」の歌詞が活かされて挿入されているかなど、多少は「クイズ」感覚もあるのかな?


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170915

■ 2017-09-14(Thu)

 仕事で担当している区画が、急に変更されることになってしまった。つまり新しく入った人がわたしの区画を引き継ぎ、わたしは明日からは別の区画にまわされるのだ。それで今日はその引き継ぎで、その新しい人といっしょに今までの区画をまわる。けっこう気に入っていた区画なので変更されたくはなかったのだけれども、逆らいようはない。その区画をふたりでまわっていると、そこの顔見知りの方が「あれ?」というような顔をされるので、「今日で別の区画へ行くんです」と説明、「それはそれは」と、「今までお世話さまでした」とあいさつをされた。別にわたしの仕事はそうやって区画の人と親しくなる仕事というわけでもなく、「見えない存在」として無視されるのが普通だと思うのだけれども、そうやっていつの間にかあいさつをされるようになり、軽い会話も交わされるようになったというのはやはりうれしかったことで、それはわたしが、外から見た外見だけでも、忌避すべき存在に見えなかったというか、親しみをおぼえて下さった方がいた、ということでもうれしいことだった。やはりこの区画を離れるのは残念なことだ。

 今日は仕事のあとに銀座の方に出て、黒沢清の新作「散歩する侵略者」を観ようという計画。大手町から丸ノ内線で銀座へ出て、その映画館を探すのだけれども、なかなか見つからない。上映開始まで時間の余裕があったからよかったけれども、見つけてみるとさいしょに遠くから見た東映系の映画館だった。わたしはまさか「東映」とは思っていなかったので意外。映画が始まってみても、配給は松竹と日活になっているわけで、なぜ東映系の映画館で公開されているのか、よくわからない。ちょっと長い映画だったけれども、いつもの黒沢清らしい映画というか「新境地」というか、楽しい映画ではあった。

     f:id:crosstalk:20170914140428j:image

 来たときのように大手町経由で帰ろうかと思っていたら、歩いていたら日比谷駅が意外と近いことがわかり、その日比谷駅から乗り換えなしでまっすぐ帰宅できた。
 帰宅したあと遅い昼食を取り、そのあとは、柏の図書館の分室にリクエストしてあったピンチョンの「V.」が来ているとの連絡を受けていたので、それを借りに行く。我孫子の図書館から借りている、読みさしの「スウィングしなけりゃ意味がない」を早く読み終えないと、「V.」に移行できないので、集中して「スウィングしなけりゃ意味がない」を読み、なんとか読了。感想は明日にでも。


 

[]「散歩する侵略者」黒沢清:監督 「散歩する侵略者」黒沢清:監督を含むブックマーク

 原作は「イキウメ」の前川知大による舞台作品ということ。「イキウメ」の名前は知っていたけれども、彼らの舞台は観たことはない。脚本は黒沢清監督自身と、「トウキョウソナタ」でも脚本を分担していた田中幸子。撮影はいつもの黒沢清作品のように、芦澤明子である。

 ストーリーはフリーライターの桜井(長谷川博己)が出会うふたりの「宇宙人」(恒松祐里と高杉真宙)のパートと、行方不明になって戻って来たときには侵略されて「宇宙人」化していた加瀬真治(松田龍平)と、その妻(長澤まさみ)のパートとで分かれて進行する。この三人の「宇宙人」は、本格的な地球侵略の先行部隊で、人間の持つ「概念」というものを奪って調査している。長谷川博己と長澤まさみとは、そんな宇宙人の「ガイド」役とされ、彼、彼女は「概念」を奪われることはない。

 これは「宇宙からの地球侵略」という、1950年代ぐらいのアメリカのB級SF映画からのパロディ、というかパスティーシュという要素が大きいと思う。たしか「光る眼」という映画があったなー、とか思っていたら、どこかで黒沢清監督もその「光る眼」のことを語っていた。しかしこの作品、これまでの黒沢清作品から引き継いでのスクリーンプロセスによる「浮遊する車内」や「風になびくビニールカーテン」、そして唐突な暴力シーンなどが数えられるのだけれども、意外なコメディータッチというか、笑ってしまう笹野高史だとか「あらら」という光石研だとか、ちょっと「新境地」めいたところもあるだろうか。いろいろと観たあとに気になるところもあり、もういちど観てみたいという気にもなっているのだけれども、恒松祐里の「ゴーゴー夕張」的な暴力女子高生は、ステキだった。


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170914

■ 2017-09-13(Wed)

 空はすっかり秋空だけれども、今日は気温はちょっと高め。

     f:id:crosstalk:20170913115729j:image

 仕事から帰宅してまったりしているとニェネントが和室から這い出て来て、窓のところへ行ってニャンニャンとなく。伸び上がって窓ガラスに爪を立てようとする。どうみても、「外に出たい〜!」と、訴えているようだ。外に出してやってもそのうちに戻って来ることは予測できるし、窓を開けて外に行かせてあげてもいいとも思うのだけれども、そのことが習慣化してしまっても困る。ひとつにはココの賃貸条件に「ペット(ネコ)は部屋飼い」という一項があるわけだし、わたしもそのことは「もっともだ」と思う。そして、この部屋からニェネントが外に出ると、わたしには見えないところへ行ってしまうことになり、わたしの見えないところで何が起こるのか予測もつかないし、「それは出来ない」と思うのである。でも今日はついつい、いつまでもニェネントが窓際でなくので、「部屋の中での生活にストレスがたまってるのかな? 今日だけは行かせてあげようか」と、窓を開けてニェネントが外に出れるようにしてやった。もちろん、窓を開ければとたんにニェネントは外に飛び出して行く。たしかに、外に出たニェネントはのびのびとしているようには見える。あたりに生えた雑草を食み、ウチの前の空き地にある捨てられた自動車の下にもぐったりしている。「探検!」という気分なんだろうか。

     f:id:crosstalk:20170913133006j:image

 わたしの考えでは、臆病なニェネントは人の姿を見たらすぐに部屋に逃げ戻って来ることだろうと思っていたのだけれども、ウチの前の家の人らしいおばさんが庭に出て、洗濯物を干しはじめた。「さて、ニェネントは?」と見ていると、距離は保っているんだけれども、そんな洗濯物を干すおばさんのことをじっと見ている。おばさんもニェネントのことに気づいて、ニェネントに手招きしている。って、ニェネント、逃げ戻ってこないじゃん。たしかに上品でやさしそうなおばさんだったから、ニェネントも恐れなかったのだろうか。でもそんなことでは、「誘われてそのままついて行って、そのおばさんちの<飼いネコ>になってしまうのかよ?!」と心配になってしまうではないか。首輪もつけてないから「野良ネコ」と思われてるだろうし。

     f:id:crosstalk:20170913132151j:image

 ちょっとそんな展開にハラハラドキドキしていたのだけれども、ニェネントはそれからしばらくして部屋にふっとんで戻って来た。何かニェネントには「びっくり!」ということがあったのかもしれない。おばさんはもう洗濯物を干すのを終えていたから、おばさんが原因ではなかったようだ。「ほ〜ら、外の世界は怖いだろ!」と窓を閉めて、ニェネントの今日のアバンチュールはおしまい。やはりニェネントを外に出してはいけないなあ。
 ニェネントはそのあと、なんだかわたしにまとわりつくような感じで、「かわいい飼いネコ」を演じてくれているような感じではある。ときどき、食事の時間でもないのにわたしの顔をみてニャ〜ニャ〜となく。何を訴えたいんだろう。遊んでほしいのかと、抱き上げて喉の裏をなでてあげたり、「ぶら〜んぶら〜ん」してあげたりする。それで満足したのか「そうじゃないんだよ」と嫌がったのか、そのあとはおとなしくなった。


 

[]「モロッコ」(1930) ジョセフ・フォン・スタンバーグ:監督 「モロッコ」(1930)   ジョセフ・フォン・スタンバーグ:監督を含むブックマーク

 マレーネ・ディートリッヒ主演作として有名。わたしもマレーネ・ディートリッヒが靴を脱ぎ、砂漠の中をゲイリー・クーパーを追って行くショットのことは記憶にあるような気もする。映画ではこのマレーネ・ディートリッヒとゲイリー・クーパーのふたりともうひとり、アドルフ・マンジューという役者が印象的な役割を果たすのだけれども、わたしはなぜか、このアドルフ・マンジューのことを、その顔もしっかり記憶していた。しかし彼のことを調べてそのフィルモグラフィーをみても、彼の出演した映画をわたしは観たおぼえがない。観ているとしたらこの「モロッコ」だけなので(ひょっとしたら「オーケストラの少女」?)、古い古い記憶の中でこの映画のことは忘れてしまっていても、「アドルフ・マンジュー」のことだけ憶えていたのかもしれない。

 物語はめっちゃ直線的というか、登場人物は「わが道をまっすぐに」というわけなのだけれども、そんな中でゲイリー・クーパーがマレーネ・ディートリッヒの部屋を去ること、そのことで一度はアドルフ・マンジューとの結婚を決めるマレーネ・ディートリッヒが、部隊の帰還する太鼓の音を聴いてまた心変わりをするあたりが大きなドラマとなる。その、ディートリッヒの部屋に来たアドルフ・マンジューとディートリッヒの前の鏡に、ゲイリー・クーパーの書き置きが書かれていて、そこでゲイリー・クーパーはいないけれども「三角関係」な展開になるあたりもポイント。
 ディートリッヒの前のめりな気もちが乗り移ったような、ぐんぐんとディートリッヒに付き添って移動するカメラがいい。ディートリッヒに去られたアドルフ・マンジューとしては、財力にモノをいわせてディートリッヒをフォローして、彼女が砂漠でのたれ死にするのを防ぐしかないし、じっさいにそうするのだろうな。


 

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170913
   2763806