ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2018-10-22(Mon) このエントリーを含むブックマーク

 また月曜日で、仕事の日々が始まる。通勤の電車では、今日からは昨日借りた「テヘランでロリータを読む」を読むことにして、読みさしの「フランケンシュタイン」は寝るとき、その他時間があれば「ジェイン・オースティンの読書会」を読むことにした。それでちょっと「テヘランでロリータを読む」が痛切で、なんだか、「ジェイン・オースティンの読書会」はアホみたいな本になってしまったかな? わたしは中東地域で「ロリータ」を読むのであれば、もっとナボコフの姿勢に批判的な書き方になるのかと思っていたのだが、まるでそうではなく、「ロリータ」の中に解放への契機を読むような読み方というか。これは読み終えてからしっかり書くべきことだけれども、そこに「書物」というものの「奥深さ」を知らしめられるような気がして、啓発された。

 今日はちょっとした「知らせ」も受け取って、「これはいつまでもうかうかしてはいられない、わたしのタイムリミットも迫っているではないか!」という思いにもさせられ、本当に、今のようなウキウキした生活をつづけていてはいけないと思わされた。そろそろ、「大変革」を実施しなくてはならないか。

 それで、ニェネントくんが、食事を残す。朝の「カリカリ」は完食してくれるのだが、昼に出した「かつおのたたき」とか、ぜんぶは食べないで残しているし、「どうしたのよ」と。ちょっと心配になる。ま、「太れ!太れ!」と、やたらに食べものを出してあげるわたしのやり方がいけないのだろうけれども、見た感じで「どこか具合が悪い」ようにも見えないから大丈夫かと。心配だけれども、もうちょっと様子をみよう。

 わたしは、「あんかけ焼きそば」メニューを昨日完成したので、ちょっと有頂天である。今日も夕食で昨日のレシピを思い出しながら調理して、「やっぱりおいしいじゃないか!」という出来上がりでひと安心。このレパートリーは、もう万全であろう。


 

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■ 2018-10-21(Sun)

 日曜日だ。今日は雲もない晴天で、まさに「秋日和」。さて、こんな日は図書館まで歩いてみよう。今回は読みたい(借りたい)本がある。「テヘランでロリータを読む」という本。帰りにはショッピングプラザで買い物をして帰ろうか。

 昼前に家を出てぼちぼちと歩く。それで常磐線を越える歩道橋に上がろうとしたら、向かいからおじいさん(70歳以上?)とお孫さん(3歳ぐらい?)とが降りて来るところだった。「いいな、あいさつしよう」と思っていたら、おじいさんが先にその子に「ほら、おじさんにあいさつしてね」といわれてしまい、その子がごにゃごにゃとあいさつしてくれるのだった。わたしも「こんにちわ、かわいいですね〜!」とあいさつする。すれ違って、「いいですね〜!」と声をかけたけれども、もうひと言、「お気をつけて!」とかいえばよかったと思った。それでも気分はいい。もっとみんながね、すれちがうときにあいさつし合える世界だったらいい。わたしは職場で知らない人とすれちがうことが多いから、いつも基本はあいさつする。

 図書館で探していた本を見つけ、「他にも何か?」と考えて、ゴヤの薄い画集と、同じシリーズのバーン=ジョーンズの画集とを借りる。今ちょっと、ゴヤの版画をもっと観たいと思っているし、バーン=ジョーンズの作品の装飾性にも心動かされる。

 今日の手賀沼にはハクチョウの姿はみられなかった。オオバンとカモがいっしょの群れになってたむろしていた。

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 帰り道はショッピングプラザ経由。先日ニェネントのトイレ用品を買ったのだけれども、「あと900円分ぐらい買えば500円の商品券をあげますよ」という悪辣な商法にまた引っかかり、「ストックしておいても問題ないから」と、ニェネントの猫砂を買ってしまうのだった。
 スーパーで、またニェネントくん用に「かつおのたたき」を買い、帰り道には「ローソン100」に寄って、半額になっていたバナナとか、キムチとかを買うのだった。帰宅して、昼食はまた「栗ごはん」。

 午後はゴロゴロしていたら、「そういえば、北千住での展覧会で、Eさんが<作品の一部>になって参加しているんだったな」と思い出し、調べたらその展示も今日でおしまい。時間もギリギリだったので、ニェネントにごはんを出してからあわてて出かける。
 展示は午後5時までだというのに、会場のBUoYに着いたのは4時50分ぐらい。ほとんどエンヴァイラメント、という雰囲気の展示の作者はオーストラリアのHeather B. Swannという方。BUoYの半廃墟的空間を巧みに使い、とっても心にしみる展示だった(ちょっと詳しくは下に)。1階と2階との展示の、1階の方におそらくはEさんが「展示作品」になられていた。すぐにクロージングの5時になり、それでもしばらくは会場で作品を観てから帰ろうとすると、ちょうど外に出たところでうしろからEさんに呼び止められ、「シャンパンとかありますから」というのでまた会場に戻る。作者のSwannさんを紹介されてちょっとあいさつし、そのあとしばらくEさんとお話しする。「そろそろおいとまを」と、もういちどSwannさんのところへ行って、すっごい久しぶりに英語を使って話をした(大した会話をしたわけではないが)。いい気分で帰路に着く。空には月が輝いていたが、この夜は「十三夜」ということだったらしい。

 帰宅して、「お留守番」のニェネントに「かつおのたたき」を出してあげ、わたしは買ってあった焼きそば麺を使って、またまた「あんかけ焼きそば」に挑戦。それがついに、この日はうまく成功し、「見かけは悪いけれども、この味だったらそこいらの中華料理屋に負けないぞ!」というおいしい「あんかけ焼きそば」が出来た。かなりうれしい。ポイントのひとつは、麺を電子レンジの「トースター」機能で焼くこと。今日のこの手順は、しっかり記憶しておかなければいけない。


 

[]「I LEFT my BODY FALL into A RHYTHM」Heather B. Swann @北千住・BUoY 「I LEFT my BODY FALL into A RHYTHM」Heather B. Swann @北千住・BUoYを含むブックマーク

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 BUoYの廃墟のような空間と、人の身体、そしてSwannさんのオブジェ、そして音の統合された「環境」に身を浸す。良かった、というか、こういう表現をなされる方に嫉妬の感情を憶えた。

 さいごの写真の奥にいるのは、「作品の一部」の役目を終えて上がろうとするEさん。


 

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■ 2018-10-20(Sat) このエントリーを含むブックマーク

 土曜日で仕事休み。それでも6時半ぐらいには起きる。天気予報どおり、外はちょこっと雨模様。今日はいちにち、こんな天気だという。ニェネントの朝ごはんを出そうとすると、ニェネントが「今日は朝ごはんが遅いじゃないの!」という感じでニャンニャンなく。わたしの朝ごはんはハムトースト。それで、昨日仕込んだ栗がいっぱいあるので、「おつまみ」としてクイクイ食べる。
 昨夜観た「沖縄スパイ戦史」の記憶が鮮明で、朝のテレビのニュースをみていても、日本はまだ(また)そんな沖縄戦を再現してわたしたち国民(の中でもマイノリティー)を虐げようとしていると思える。なんとか、ニェネントとわたしとが生き残る術(すべ)を手に入れなければならない。

 意外と天気も持ち直したというか、午後からは晴れ間も拡がったので、明日にしようと思っていた洗濯を一気にやる。
 それで今日は20日で、某ドラッグストアでは某Tポイントが1.5倍で使えるという日。こういうことに乗せられてしまうのも情けない思いもするのだけれども(Tポイントのカードはいつの間にか使うようになっているけれども、他のポイントカードはもう、加入して手に入れようとは思わない)、その手持ちのポイントがいつの間にか600ポイントを越えてしまっているので、今日お買い物をすれば千円ぐらい値引きされる。やはり活用させてもらおうと、駅の向こう側にあるドラッグストアへ行くのだった。
 店に着いて、「買うのならコレしかない」と思っていたサプリメント、いつものDHAのサプリにプラスして、今回は先日国分寺のクリニックでも勧められた「鉄分」のサプリとを買う。両方合わせて4000円近いけど、今回はDHAの方は2ヶ月分、「鉄分」の方は100日分あるから、「ま、そんなもんか」とあきらめる。どうか記憶力がちゃんとして、そして健康でいられますように。

 夕食は、まだまだいっぱいある栗をインスタントのお赤飯に入れて、昨日につづいて秋らしい栗ごはん。珍しくテレビで「ブラタモリ」とかをみると、今夜は「有田焼」についてで、これが今までの「ブラタモリ」でもいちばんぐらいに、興味深くも面白くみてしまった。攻めどころが「有田焼」一点に絞られていたから、わたしの興味もつづいたのだろう。それで、「さあ、これからじっさいに焼きものを焼くぞ!」というところで、つづきはまた来週なのだった。「お、来週の土曜日の夜は予定が入っていたっけ?」とか確かめてみたりする。何も予定はなかったので来週もみよう。


 

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■ 2018-10-19(Fri)

 ようやく金曜日になった。今日仕事をやりとげれば、明日明後日は仕事は休み。しかし、一ヶ月ほど4労3休をつづけてきただけに、今週の月〜金の5日間は長かった。この体制こそは通常なのだから、早く馴れなくては。
 このごろ天気予報は毎日、「雨も降ったりするでしょうから傘をお忘れなく」といっていた。たしかに朝方にちょっと降っていたり、厚い雲が空を覆っていたりするのだけれども、傘が必要なほどに雨が降ることもなかった。天気予報は、明日もそんな不安定な天候だといっているけれども。

 先週半額で買って放置してあった栗、「いいかげん何とかしないと」と、ついに皮むきの下ごしらえをした。久々に圧力鍋を使う。そんな圧力鍋を引っぱり出してふたを開けてみたら、中に突っ込んであった取説〜レシピ集にすっかりカビが生えてしまっていた。鍋の中に水が残っていたのだ。大失敗。
 栗を取り出して、ペティナイフで栗の上のとんがったところに十字に切れ目を入れ、圧力鍋にぶっこんで火にかける。これで10分加熱してやると、鬼皮も中の渋皮も剝きやすくなるのだ。意味もなく栗の数を数えながら下処理していると、ちょうど50個あった。それで皮を剝いてみると、中がすっかり傷んでしまっているのが1割強。皮むきの見本のようにかんたんに、すっかりきれいに剥けた栗が2個(こんなのばかりだったらいいのに)。残りの栗は、ちょっと苦労して剝けばきれいに剥けるのが三分の一。一部傷んでしまっているのが三分の一。剝いていてぼろぼろになってしまったのが残り三分の一、といったところ。‥‥けっきょく、予想していたように、ペティナイフで2ヶ所ほど指を切ってしまった。‥‥まあ、バンドエイドのお世話になるような大きな切り傷でもなかったけれども。

 それでも皮を剝いた栗はそれなりの量もあり、食べてみると栗の甘みが口に拡がって「秋」。今ウチには職場からもらって来た「保存食」のお赤飯がいっぱいあるので、その中に栗を入れてみると、予想した通りにとってもおいしかった。これで、当分はそんな、「栗入りのお赤飯」の食卓がつづくことになるだろうか。

 今、となり駅の映画館で「沖縄スパイ戦史」というドキュメンタリー映画が上映されていて、その上映は今夜まで。おそらくはDVD化とかされない作品だろうし、「スパイ戦」というものに「どういうのだろう?」という興味もあったし、やはり沖縄戦というものについてもっと知っておきたく思ったので、観に行くことにした。

 映画館はこの日のこの回が最終上映ということもあり、それなりのお客さん。わたしの座った席の並びにはまだ高校生ぐらいに見える女の子がふたり並んでいたし、反対側にも二十代だろうという女性客がいた。若い人がこういうドキュメンタリーを観てくれるというのはうれしいが、若い男性の姿が見えないというのはちょっと寂しかったか。

 映画を観終えて外に出るとちょっとだけ雨が降っていたけれども、空を見上げると雲を透かして月の姿がみえた。自宅駅に着いたときにはすっかり雨もやんでいた。今日は金曜日なのでウチのそばの中華の店はドリンク類が皆半額。今日は給料振込み日でもあったので、「ま、いいか」と店に行き、ハイボールといつもの台湾焼きそばとで満足して帰宅。さっき観た映画のことを考えたりしながら、いつもよりは遅くに寝るのだった。


 

[]「沖縄スパイ戦史」三上智恵・大矢英代:監督 「沖縄スパイ戦史」三上智恵・大矢英代:監督を含むブックマーク

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 映画は主に3つのパートからなる。

1:本土からの軍人が、沖縄地元の少年を徴収して「護郷隊」を組織、山岳ゲリラ戦を遂行させる。少年らの身長を越える丈の銃器、少年らの体重ほどの装備を担がせ、沖縄北部の山中を右往左往させる。アメリカ兵が射殺した「護卿隊員」は、十歳にも見えなかったという。
 少年らを指揮した将校は生き残り、戦後に沖縄を訪れたとき、戦死した少年の遺族に「何でおまえが生き残ってるんだ」とつかみかかられたと。映画の末尾に、その元将校は毎年沖縄の慰霊祭に参列し、そして毎年自分の育てたソメイヨシノを沖縄に送りつづけたという。しかし、気候の合わない土地で、そのソメイヨシノが根付くことはなかった。
 晩年に車いすで慰霊祭に参列したその元将校は、慰霊碑の前で号泣したという。そんな彼の、心のうちを知りたいと思った。

2:例の「中野学校」出身者が偽名を使い、「教師」という名目で波照間島にやって来る。彼は全島民を北の西表島に強制避難させる。その西表島には「マラリア」が蔓延し、波照間島民の避ける土地だった。けっきょく、西表島で多くの島民がマラリアに感染し、五百人近い死者が出た。

 しかし、波照間島はアメリカ軍の攻撃対象ではなかった。日本軍は波照間島から住民を追い払い、島民の所有する家畜を日本兵の食糧として調達することが目的だった。島民は死んでしまってOKという判断だったようだ。波照間島の慰霊碑には、はっきりとその<教師>の名前が、怨みと共に刻まれている(その<教師>もまた戦後に生き残り、滋賀で工場の経営者になったという。彼の生前に、波照間島の生き残った人が彼と電話で話をしたテープが残っているのだが、彼からの<謝罪>の言葉はいっさいなかった、という)。

3:沖縄戦がほぼ終結したとき、「敗残兵」が山中などに降伏せずに居残った。彼らは島民が情報をアメリカに伝達するのを防ぐため、島民の間に「あいつはスパイだ」との情報を流し、多くの一般島民を殺害した。

 ‥‥これらの「戦略(?)」は、予想される「本土決戦」のシュミレーション(主に一般市民に対しての)として日本軍が試みた戦略で、つまり日本軍は日本の国民を守ろうなどとは考えていず、ただ日本の「国体」をこそ守ろうとしていたということ(このことはわたしが読んだ別の本で、戦争末期になお「一千万が<特攻とかで>死ねば、日本は勝てる」と語ったという軍人の発言に呼応する)。

 そして、このドキュメンタリーの末尾に、こういった戦中の軍隊の国民への姿勢は、今ある「自衛隊法」の中にそのまま生かされていることが語られる。

 この「悲劇」を繰り返してはならないが、安倍政権は憲法を変えて自衛隊を軍隊に昇格させ、「国民」ではなく「国体」を守る国をつくろうとしている。わたしたちはまた、踏みつけられようとしている。


 

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■ 2018-10-18(Thu)

 今朝も何か「気がかり」な夢をみていたのだけれども、夜中に目覚めたときに憶えていたことも、もちろん目覚めたときには忘れてしまっている。しかし、なぜ「忘れられた夢」は、いつも「気がかり」なのだろうか。思い出せなくなってしまったものは、どんなものでも気がかりなのだけれども。

 今日から、通勤の電車では昨日買った「フランケンシュタイン」を読みはじめたのだけれども、そのさいしょのところで、極地で犬ぞりに乗ったフランケンシュタインと彼のつくった「怪物」との追走劇の場面を読んで、「あらら、この本はずっと昔に読んだことがあるよ」と思い当たった。それでも、イメージに残っていたのはその冒頭の場面だけだったから、あとの展開を記憶しているわけでもない。読み進めることに支障はないし、こういう、「この本、過去に読んだことがあった」という追憶は、どこかでわたしのなかでプラスに作用するものだという気がする。読み進めよう。‥‥って、けっこう密度の濃い文章なので、さいしょは「今日と明日でだいたい読み終えられるかな」と思っていたのだけれども、これは四日間ぐらいかかりそうだ。読んでいて思うところはいろいろあるけれども、それは全部読み終えてから。

 米がなくなってきた。今日はスーパーの「S」が木曜日で10パーセント引きの日でもあるし、もう米を買うのはこのスーパーの「S」で木曜日に、と決めてあるので、5キロの米を入れて帰るためのキャリーをゴロゴロと転がせて、買い物に出た。スーパーの店内を一周し、米のほかにカップ麺とか、酒のおつまみとかを買う。仕事を終えて帰宅したとき、「あ〜、昼食つくるのめんどうだな〜」というとき、やはりカップ麺とかに頼ってしまうのだ。80円ぐらいなら「ま、いいか〜」と思って買ってしまうのはよくないのだが。

 家に帰って買って来たおつまみで酒を飲み、そうそう、ニェネントくんにご飯を出してあげ、それでしばらくネットとかを閲覧し、「もう日本もおしまいだね〜」とか思いながら時間が経って、夕食は昨日の残りの「ジャガイモの煮物/おでん」ですませ、ニェネントくんに追加で「かつおのたたき」で肥満を加速させる。
 食事を終えたら「もう寝ますか〜」って感じになり、ベッドに横になって、あと残り少しになっていた「ソフィーの世界」を読んでいたら読み終わってしまい、「あらら、読み終わっちゃったよ」と、次に先日買った「ジェイン・オースティンの読書会」を読みはじめたら、おもしろそうなんだけれどもスイスイと眠くなってしまい、まだ7時ぐらいだというのに寝てしまうのだった。


 

[]「ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙」ヨースタイン・ゴルデル:著 須田朗:監修 池田香代子:訳 「ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙」ヨースタイン・ゴルデル:著 須田朗:監修 池田香代子:訳を含むブックマーク

 この本の奥付を見ると、「1995年6月30日 第一刷発行 1995年7月27日 第11刷発行」とある。刷を重ねるペースが早い。つまり、当時の大ベストセラーだったのだ。‥‥いったいなぜ、この書物がそこまでに売れたのか、わたしはその理由を知らないが、とにかくは先日読んだ何かの本で、この頃にこの「ソフィーの世界」がベストセラーになり、「哲学ブーム」が起きたのだ、ということが書かれていた(何の本だったか、たいした本ではない)。「ほんとかよ?」と思う反面、そもそもが「哲学」というものはいつの時代にも偏在するもので、「ブーム」などということとは無縁だろうが、とは思うのである。それでわたしも当時、その「ブーム」がおさまった頃だろうか、例の某量販古本店で最安値で買って読んだ記憶はある。
 話は脱線してしまうけれども、そういう一過性の「ブーム」というものは、そのブームが去るとそういう量販古本店に最安値で並ぶことになるわけで、わたしなどは時にそういうことを「ありがたい」とは思う。例えば前に買ったオルハン・パムクの本なども、これはきっと彼がノーベル文学賞を受賞したおかげで一時売れてしまったのだろうけれども、ま、正直、普段「ラノベ」とかしか読まない人たちにはきっと歯が立たないわけで、そういう人たちは普通の古書店で処分せずにそういう量販古本店に処分してくれるので、わたしなどがチェックしているとすっごい安値で買えたりするわけだ。これはありがたいことで、これはついこのあいだそんな量販古本店で買った「ジェイン・オースティンの読書会」などでも同じようなことで、映画が公開されたからその原作を買ってみました、という人が、制覇出来ずに(というか、わたしが買った本は読んだあともなかったのだけれども)処分し、超安値で店に出されることになって、わたしなどが喜ぶわけである。
 当時この本を読み終えた頃に、知人の某女性とこの本の話題になり、わたしが通読終えたというと「すごい!」と驚かれた記憶がある。つまり、その女性はこの本でとちゅう挫折したらしいのだが、これしきの本で挫折するかね、と、ちょっとびっくりした記憶はある。

 閑話休題。とりあえずは、古代からの哲学史を要領よくまとめ、その上にちょこっと「メタ書物」的な仕掛けをほどこして、楽しく読める本ではあって、「そりゃあ売れただろう」とは思う。わたし自身だって、そんな「通史」として哲学のことを考えたこともなかったし、ヒュームやバークリなんて人物の思想なんか知るゆえもなかったわけだし、つまりは「勉強になった」。前にもこの日記の中でちょっと書いたことだが、この本が出版された1990年代は、世界でリベラリズムが優勢だった時代だろう。そんな空気感がこの本にも盛り込まれているわけだけれども、それからほぼ30年が過ぎようとする現在、世界はある意味とんでもないことになってしまっているのではないのか。この本を読んで、そんな当時の時代のことを呼び戻したくなってもしまうのだった。


 

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