ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

   
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■ 2016-06-21(Tue)

 そろそろ七月になる。七月になればほんのわずかだけれども賞与も支給されるし(ほんと、いくらもらうか書くと笑えるぐらい小額だけれども)、七月はわたしの職場の繁忙期でもあるので、これも多少だけれども稼ぎが増える。それでこのところ大きな買い物をしていないので、そろそろ必要品で我慢してきたものを買おうかということになる。まずは炊飯器。これはもう今使っているものはボロボロになってしまっているし、まっ先に買い替えたい品である。新しい炊飯器で炊いたおいしい白米、早く食べてみたい。
 そして次に買いたいものは携帯電話。今使っているものはもうバッテリーが限界にきているようで、ふだんは充電器に差しっぱなしだからもんだいはないけれども、出かけるので外に持ち出して、帰ってそのまま充電器にセットし忘れたりすると、それだけで翌朝にはバッテリーが空になって電源が落ちてしまう。これはもう買い替えどきということで、近いうちにショップに行かなければならないと思っている。今は絶滅危惧種のPHSをいまだに使っているのだけれども、ついにスマホにしようかという考えもある。おそらくは今現在でも無駄に高い基本使用料を払っているはずなので、スマホに買い替えても、今よりも基本使用料は安くなる予感がする。
 あとはやはりパソコンを買おうかという気もちもあるのだけれども、これはもっと余裕が出来てからにしよう。

 ニェネントはすっかり和室の窓を開けて外に出ることを憶えてしまった。和室の窓を細く開けて部屋に風を入れるとすぐに気がついて窓のところにやってきて、前足で窓を自分が通り抜けられるだけ開けて外に出てしまう。このベランダのそばにはときおり近所に棲息する地域ネコもやって来るので、そのあたりのことは気をつけてやらなくっちゃいけない。
 まだまだニェネントが幼い頃、ときどきベランダに出してやっていたこともあったのだけれども、そんなときに地域ネコと遭遇してしまい、つまりは縄張り争いの暴力沙汰に発展してしまったことがあった。ニェネントはそんなケンカ沙汰の経験もなかったし、みごとに完敗。頬のあたりと腰のあたりの二ヶ所に爪で裂かれた傷をつくり、おびえて部屋に逃げ込んできた。それ以来ニェネントの外出恐怖症がはじまったと思っていたのだけれども、もうそんな過去の痛い記憶も消えてしまったのだろうか。そういうわけで、また地域ネコに襲われることは警戒しなくっちゃならないし、ただ襲われるのではなく、「貞操の危機」なんてことになって、妊娠などしてしまったらエラいことになる。


 

[]「宇宙戦争」(2005) H・G・ウェルズ:原作 スティーヴン・スピルバーグ:監督 「宇宙戦争」(2005) H・G・ウェルズ:原作 スティーヴン・スピルバーグ:監督を含むブックマーク

 スピルバーグ監督のこういうSFもの(パニックもの?)というのは、もう長いこと観た記憶もなくって、思い出してみても「未知との遭遇」とか「ET」とかを観た記憶があるぐらいのもので、つまりは何十年も観ていないという感じ。まあ前に観た「プライベート・ライアン」みたいなシリアスな劇ではない、つまりは100パーセント娯楽作(といっていいんだろう)というような作品を、スピルバーグという監督がどのように料理するのだろうかという興味はあった。
 これがやっぱり「さすが」というか、絵のすみずみまで神経の行き届いた演出というのは見事なものだなあと感心し、楽しんでしまった。と同時に、「やはりこのあたりが限界なのか」という感想を抱かなかったわけでもない。

 物語はトム・クルーズの演じるレイという男の視点で展開し、途中でちょっとだけ、レイのそばにいた軍隊からの視点に移動することはあるとはいえ、終始レイの視点を離れることはない。これはどうやら(Wikipedia で読んだかぎり)H・G・ウェルズの原作自体が基本的にそういう構造をとっているようで、そのあたり原作を踏襲したものなのだろう。ただし、もちろん描かれた時代は現代になっているし、原作の舞台イギリスはアメリカに変更になっている。レイの逃避行も原作とはずいぶんと異なるものになっているみたいで、この映画ではレイは息子と娘を連れての逃避行となっている。つまり「家族を守る父親」という、いかにもスピルバーグの好みそうな展開が選ばれているだろう。
 この「侵略者」である異星人は、とにかくは勝手に攻めてきて勝手に滅んでいく感じではあるけれども、その異星人による攻撃からいかにして家族とともに逃れるのか、というあたりがこの作品のポイントなのだけれども、長男とは途中ではぐれてしまう。有無をいわせずに行動を共に導くという「強い父親像」からは距離がある、という描き方ではある。しかしながら、逃げ込んだ地下室で遭遇した男(ティム・ロビンス)の無鉄砲な行動を封じ、いちどは異星人のトライポッドに飲み込まれそうになりながらも、その内部に手榴弾を仕掛けてこれを倒すなど、終盤にかけて父親の威厳を取り戻すような展開にはなっていく。

 トム・クルーズの演じるレイという男は港湾労働者というブルーカラーではあり、妻(ミランダ・オットー)とは離婚調停中なのかどうなのか、とにかくは別居状態ではあるようだ。もうハイティーンになる息子はあまり父親を尊敬していないようだし、まだ十歳の娘もまた、父のことを頼りないと思っているフシがある。そういう、スタート時点で負の要素があれこれあるわけだから、これは映画の展開にしたがって「頼りがいのある父」へとシフトしていくだろうことは容易に想像がつく。しかしティム・ロビンスを始末してしまうのはブラックだし(この部分はトムの行動を観客に想像させるだけで描かれることはなかったのだけれども)、トライポッドから生還するあたりはちょっと強引(このトライポッドの吸入口みたいなのはグロテスクでいい)。ラストに生きていた息子と再会出来るというのも「?!」ではある。
 そういう無理矢理な父親像の更新というのはアレではあるけれども、それでもパニック映画としての展開はやはり楽しめる。

 異星人が地球で繁殖させようとする赤い植物の色彩が非現実的に美しく、そんな植物がはびこった外の世界からは、なんだかアート映画を観るような感覚を味わってしまった。そう、ここでも撮影監督はいつものヤヌス・カミンスキーなのだけれども、CG画像との相性もいい感じで、やはり安定している印象。

 わたしはここで、トム・クルーズの娘を演じていたのはエル・ファニングなのではないかと思い込んでいたのだけれども、エンド・クレジットをみるとダコタ・ファニングだったのでちょっとおどろいてしまった。って、もう十年以上前の作品なのだから、ダコタ・ファニングもこんなに幼かったのか。しかしかわいい。そんな彼女が後にはランナウェイズのシェリー・カーリーを演じ、床に散らばったドラッグのカプセルを舌で舐めとったりしてみせるのだから、「おったまげ」ではある。


 

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■ 2016-06-20(Mon)

 今日はニェネントの六歳のお誕生日。毎年、「はたしてニェネントの誕生日は正確にはいつなんだろう」と考えてしまうわけで、可能性としては19日の午後から21日まで考えられるわけだけれども、やっぱり20日というのが妥当なところだと思う。来年からはニェネントの誕生日で悩まないことにしよう。しかしもう六歳。人間でいえば四十歳に相当するのだという。ニェネントもいつの間にか成長してしまったものだと思うし、もう「若い」といえる年齢でもないのだな。これからはわたしといっしょに老いていきますか。今日はそんなニェネントの、ちょっとあられもない格好を。

    f:id:crosstalk:20160619221925j:image:w360

 誕生日のお祝いとしては昨日買ったかつおの刺身があるし、午前中にドラッグストアで「焼かつお」というネコ用のフードも買ってきた。どのくらい喜んでくれているのかわからないけれども、とにかくは出した分はぜんぶ食べ切ってくれた。
 そう、この頃ニェネントは、和室の窓から外に出ることを憶えてしまった。とにかく暑くなってきたので、和室の窓をちょっとだけ開けて風を入れていたのだけれども、ニェネントはそのちょっとのすき間に前足を突っ込み、自分が出られるだけ窓を開けて外のベランダに出てしまうのである。まあドアから外に出るようにもなってしまっているし、ベランダから外に飛び出していく気配もないから、わたしとしても自分が和室に居るかぎりにおいては黙認というか、「ま、いいか」という気もちではある。これは油断しているととんでもないことになってしまう可能性もあるので、気をつけないといけないのだけれども、「ニェネントも気分転換があってもいいだろう」みたいな気分。

 わたしはといえば、まだまだカレーが残っている。もう本当にいいかげん飽きてしまって、これからカレーをつくるときには半分の量にしようと誓うのである。


 

[]「蛇の道」(1998) 田村正毅:撮影 高橋洋:脚本 黒沢清:監督・脚本 「蛇の道」(1998) 田村正毅:撮影 高橋洋:脚本 黒沢清:監督・脚本を含むブックマーク

 去年、「黒沢清レトロスペクティヴ」で観た作品なのだけれども、もうすっかり記憶から消えてしまっている。かすかに「コメットさん」の登場を憶えているぐらいか。しかしこの日記で検索しても、「観終わってまだわずかな時間しか経っていないというのに、もうわたしの中でこの作品の記憶がおぼろげになってしまっている」などと書いてしまっているから、観たときからこの忘却は始まっていたのだろうか。今でも映画を観て、観終えたときにはもう忘れかけている作品もあることだし、自分の記憶力の低下というのは深刻なもんだいではないかと思う。

 この作品でいえば、どこか「タマネギの皮をむくような」映画ではないかと思ったりする。ひとつ皮をむいても、同じような皮がまたあらわれる。二回むいても同じで、しかしさいごには実はその内側の皮はいちばん外側の皮にかぶさっていた、というような。


 

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■ 2016-06-19(Sun)

 今日はわたしの三連休の中日。せっかくの三連休なのだからどこかに出かけようと、昨日から公開の始まっている黒沢清監督の新作「クリーピー」を観に行こうと考える。新宿で一時五十分から上映の回があるので、ちょっと余裕を持って、一時間半ぐらい前に新宿に着く電車を使おうということにする。地元は十時半に出ればいい。

 予定通りに出発し、予定通りに新宿に到着。まずは映画館に直行し、座席を確保しようとしたのだけれども、これが行ってみるともう、最前列から二列目ぐらいの席しか残っていない。そういう前の方で映画を観たことはないし、おそらくは画面もかなり歪んで見えることだろう。ちょっと考えて何も無理して今日観ることもないではないかという結論になり、そのまま映画館を出た。それならどうしようかと考え、たしか六本木で「六本木クロッシング展」が開催中のはずなので、そっちに行くことにする。

 昼食は新宿の日高屋ですませ、丸ノ内線〜日比谷線と乗り継いで六本木駅に到着。あちこち移動して疲れたので、改札口に上がるにはエレヴェーターを使うことにした。エレヴェーターが降りて来るのを待っていたら、外人のおばさんたち四人連れがわたしの後ろでエレヴェーターを待つ。降りてきたエレヴェーターで上にあがり、ドアの「開く」のボタンを押して外人の方々を先に降ろしてあげたら、「ありがとう」と日本語でお礼をいわれた。日本人よりよっぽどマナーがすばらしい。

 会場の森美術館の方へ足を向けると、なんだかすごい列ができている。まさかこれだけの人数が「六本木クロッシング展」を観ようとしているとは考えられないので「何だろう」と思うと、同じ森タワーで「セーラームーン展」というのが今日まで開催されているのだった。並んでいるのはそちら目当ての人たちで、なんと入場口まで60分待ち、という表示も出ている。「六本木クロッシング展」を観るだけの人も、同じように60分並ばなければならないのかと危惧して、そばにいた係の人に聞いてみると、そういう人は「セーラームーン展」の列の左側を通り抜け、すぐに入場口まで行けるということだった。そうでなくっては。

 ちょっとVIP気分で並んでいる人たちの左をすり抜け、「六本木クロッシング展」の会場にすんなり入ることができた。しばらく観ていると、あとからきたお客さんの中に、先に駅のエレヴェーターでいっしょになった外人の四人連れの姿があった。「あの人たちもこの展覧会目当てだったのか」と思い、ちょっとあいさつをした。お客さんの外人率はけっこう高い。

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 ヴィデオ作品も多く、比較的ゆっくりと観ているとあっという間に三時間が過ぎてしまう。いちおう観終えたかなというところで時計をみると、もう四時を過ぎている。この時間に帰ればターミナル駅のスーパーで値引きの始まる頃になるだろうから、さっさと帰路に着くことにする。日比谷線で恵比寿駅に出て、湘南新宿ラインに乗ろうとしたら時間がちょっと合わず、それならと大崎駅まで逆戻りして乗ることにする。これがうまくいったというか、渋谷駅からはすわって帰ることができた。やはりたくさんすわっていたい。

 ターミナル駅で下車してスーパーに行ってみると、もう七時をまわっているのでやはり、値引きが始まっていた。夕食はまだまだ先日のカレーが残っているのでお弁当などは買わないけれども、明日はニェネントの誕生日でもあるし、半額になっていたかつおの刺身を買い、それとやはり半額のチャーシューとを買って帰った。チャーシューはインスタントラーメンに入れてやると、ちょっとリッチな気分になるのである。

 帰宅してそろそろ飽きてきたカレーライスを食べ、ニェネントに「前祝い」でかつおの刺身を分けてあげた。


 

[]「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」@六本木ヒルズ・森美術館 「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」@六本木ヒルズ・森美術館を含むブックマーク

「六本木クロッシング」は、森美術館が3年に一度、日本のアートシーンを総覧する定点観測的な展覧会として2004年から開催してきたシリーズ展です。5回目となる本展では、日本、韓国、台湾の4人のキュレーターによって選ばれた、20組のアーティストのバラエティーに富んだ表現を通して、日本の現代アートを幅広い視野から検証し、今日の社会とアートについて考察します。

今日、グローバル化やITの発達、SNSの普及により、個人による情報発信が可能となり、ネットを介したバーチャルなコミュニケーションの機会が増大しています。このことは自己と他者の関係性にも大きく影響を与え、これまで当たり前のように考えられてきた社会制度や世の中に存在する様々な枠組み、価値観の見直しが求められています。

本展では、独自のリサーチにより、個の事象やストーリーにスポットを当てる作品を制作している、アーティストたちのまなざしを通して、歴史や身体、性、風景についての新たなイメージを描き出します。「私」とは誰だろう。私の身体はどのように歴史や他者とつながっているのだろう。過去と未来、自己と他者が交錯する感覚を味わいながら、世界と自分との新たな関係性を探ります。

 全20組の作家による作品の展示。展示作家には例えば高山明のように、美術作家というのではない人たちも含まれている。やはりこういう展覧会はキュレーターの視点というものを強く感じるわけで、特にこの森美術館のキュレーター、荒木夏美さんの視座を意識しながら観ることになる。一点ずつでは弱さを感じるような作品もあるけれど、この「僕の身体、あなたの声」というテーマの中では生きてくる(逆に、その作品一点だけの方がインパクトのある作品もあったかもしれない)。もちろん、心に残る作品も、忘れたくなる作品もあった。わたしは小林エリカ(この人はマンガ家で、近年は芥川賞の候補にもなっているとか)の作品、百瀬文の作品などが印象に残ったかな。あとはボタン投げゲーム(野村和弘氏の作品「笑う祭壇」)にしばらくハマってしまった。

 この出典アーティストについてのサイトがいつまで継続されるのかわからないけれども、とりあえず記録しておく。

出品アーティスト・作品紹介


 

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