ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2004-05-18(Tue)

[]『プラットホーム』賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督 『プラットホーム』賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督を含むブックマーク

   プラットホーム [DVD]

 千石の「三百人劇場」で開催中の「中国映画の全貌2004」上映作品の一本として、やっとスクリーンで見た。以前ヴィデオで見たことはあったけれど、こうして大きなスクリーンで見ると、ちょっと感動も新ただし、登場人物の着ていたTシャツにプリントされた文字も読めた(笑)。

 とにかく、20世紀における「中国」という国の歴史には凄まじいモノがあるというか、20年も経たないうちに昨日までの価値観が全て逆転してしまうような激動を、常に、何度も体験して来ている。現在ではこの国は「中華人民共和国」と呼ばれているけれども、そこからはみだした(という言い方が適切かどうかわからないけれど)「中華民国」、かつての長崎の「出島」のような「香港」と合わせて、一種強烈な歴史をくぐり抜けて来た土地だろう。中華人民共和国に限って言えば、この国からのメッセージとしての映画表現に外から出会えるのには、皮肉な事に「文化大革命」と呼ばれた時期を精算するまで待たなければならなかった。ある意味、この国の対外的な表現はその「文化大革命」を否定する事で一つの契機をつくったのではないか、と思える程だけど、その事に夢中になるあまりに『さらば、わが愛/覇王別姫』(チェン・カイコー)みたいな、下らない国家公認プロパガンダ映画までも妙な評価もされてしまうような状況も産み出してしまった。とにかく、世界的な共産主義陣営の崩壊もあって、「文化大革命」っていうのはひどかったんだよ、と言っていれば済むような状況もあり、外からの視点もそういうものを求めていたというのも事実だろう。

 わたしはチェン・カイコーやチャン・イーモウの作品にさしたる興味もないし、中国映画界の「第三世代」とか「第五世代」とかいうレッテル貼りも全然知識はない。ただ、今の中華人民共和国の映画では、田壮壮(ティエン・チョアンチョアン)、そしてこの賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の二人には強烈な印象を覚える。先日見た『春の惑い』などの印象では、ティエン・チョアンチョアンという監督はもうちっと審美的な厳しい眼を持っている気がするけれど、この『プラットホーム』のジャ・ジャンクーには、強烈な自我、時代と心中してしまうような強い同時代意識を感じ取ってしまう。


 そう、実は、わたしはこの『プラットホーム』という映画を見た時、かつてゴダールの『男性・女性』を公開当時に見た時のような興奮を味わったのだ。

 この『プラットホーム』には、1979年から1991年までの12年間にわたる時間経過の中での二組の男女の愛の遍歴(?)が語られる。その背景に、文化大革命の破産のあとの西欧文化の急激な摂取、そのような「走資的」傾向への反動としての「天安門事件」がピタッと埋め込まれている。これらの動向がTVやラジオの音声、町内放送(?)などを通じて挟み込まれる見事さは素晴らしい効果をあげている*1し、その背景と登場人物との絡み方が、ちょっとタダ事ではない感動を呼ぶ。

 この作品には、いくつか、その背景の音楽に合わせて踊る登場人物の姿が描写されるのだけど、それらのシーンがどれもあまりに象徴的にこの映画の中にはめ込まれてしまっている。

 その中でも圧倒的なシーンが、主人公たちが在籍する文化劇団のミーティングで、「これからは西洋の軽音楽も取り入れて行くのだ」などと話している時にヒロインの一人がパーマをかけて登場し、団長の勧めで赤い衣装をまとって、カルメンのようにフラメンコを踊る。このシーン。「赤」という共産主義のシンボル・カラーが、カルメンの衣装とされて、しかも毛沢東の肖像の前で踊られる。西欧の資本主義原理が、この東洋の共産主義イデオローグを凌駕する、なんという強烈なメッセージだろう*2

 そして、広州への旅行から戻った男が持ち帰ったラジカセから流れる『ジンギスカン』*3に合わせて皆が踊る。この作品の中でもキャッチーな印象的なシーンだった。涙が流れるほど美しいのが、ヒロインの一人が税務署員になり、その事務所で一人ラジオを聴きながら、流れる感傷的な歌に合わせてバレエ的な踊りを踊り出すシーン。この場面は映画のストーリーの流れとシンクロした歌の内容と合わせた登場人物の内面を視覚化した、美しい場面だった。それから、主人公たちの在籍する文化劇団の後期、双児の姉妹が踊る哀しいディスコ・ソング。こういったシーンが見事に時代のアクチュアリティを表出している、というのは、この日本でも、同時代的な文化進行として同様な道をたどって来ている事を追体験出来るのだ。

 全てが回想の夢の中に回収されるようでいながらも、見るものにその十二年間の反省を促すようなラストも見事な作品。『傑作』と呼ぼう。

*1:同じ方法論の、次作『青の稲妻』では空転している印象がある

*2:注意すべきは、この視点が資本主義原理の全面的肯定ではないという事

*3:この曲を唄っていたのはたしかドイツのバンドで、このバンドも「ジンギスカン」という名前だったと思う。この曲は日本でもかなりヒットした。

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