ワニ狩り連絡帳 このページをアンテナに追加 RSSフィード

       

■ 2005-04-30(Sat)

[] 1994/12/11  1994/12/11を含むブックマーク

 1994.12.11

 10日、朝洗濯してからけっこうギリギリの時間で出かける。1時ぴったりに渋谷でYYちゃん他2名(あかねちゃん&良太クン)と会う。で、4人で学生映画祭に。良太クンは途中でダウンするがその真相は知らない。機会を生かせなければそれはそれでわたしの関与することではない。

 映画祭の作品についてここにあまり書こうとは思わないが、虚心にVividな作品にふれられることはうれしいことだ。最後の『小春日和』という作品は大傑作だと思った。

 帰りはYYちゃんとあかねちゃんと3人で食事をして、最後に電車の中で、YYちゃんと金曜日に約束する。

 そのあと、「J・V」へ。TTさん、TAさん、N(夫)さん、HYさん、UNさん、MUさん、MGさん、FMさんってメンバーかな。Nさんとまたマジな話をして、電車の動いているうちに帰ろうとしたら、JRが止まっていて大変な状態。HYさんに別れ際に「もっと自分のアイデンティティを考えて生きろ」なんて言われてたのも気になって、また「J・V」に戻る。HYさんと話して、フラフラするなって言われる。言われてる意味はよくわかった。NAさんとまた論争になる。彼はわたしの天敵なのだ。わたしは彼から見ればタダのバカにすぎないのだろうか。わたしは生きようとしている。そこをみとめてくれないのであればわたしは彼と交通したくない。TTさんはわたしの言う「交通」論は、ユートピアであって実現不可能だって。そうかもね。でもやるよ。

 結局ウチに帰ったのは5時近く。

 11日も映画祭に行くつもりだったけれども、10日と同じように2時頃スタートだと思って12時すぎに起きると、スケジュールを見ると12時50分スタートだった。初回プログラムはパスして行って、とも枝さん、UNさんに会う。とも枝さんにビールごちそうになって嬉しかった(昨日のことがあるから)。プログラム最後まで見て、Tさんと、その友人のHSさんというミュージシャンといっしょに飲む(ちょっと飲みすぎじゃないの)実り多い会話。みんな。プラスに話そうね。

 希望をふくらますことはできた一日。実現はいつの日か。


 この「学生映画祭」は、当時毎年開催されていた「国際学生映画祭」のこと。この年で以後打ち切りになったはずだけれど、近年京都の方で開催されている学生映画祭とは関係があるのだろうか? Tさんはその映画祭のディレクターだった人。奥さんが美術作家で、後にわたしもプロデュースに関わったグループ展に参加してくれました。ま、この頃から、メジャーなモノよりはもっとインディペンデントなモノに惹かれる体質が出てますね。しかしもう少し作品の解説を書いてくれ、10年前のわたしよ。『小春日和』なんか、もうすっかり忘れてる。あ、ちょっと思い出したかな。『青いパパイアの香り』みたいな作品だった。

 飲み屋では青い議論を闘わせて、皆の顰蹙を買っていたわたしです。書いていることも青いです。でも、こうして10年経ってみると、その「青さ」の成果は、たしかに実ったのではないかな。この時期(これから後の時期)の自分の行動力には、今思い返しても、自分の事ながら感嘆する事もあるのね。自分を誉めても仕方ないけれど。その背景には、こうして日記を書いていた事も役に立っていた気がする。「天敵」と書いたNAさんとは、その後仲良くなりました(笑)。

 とも枝さんは、その「J・V」のママさん。本当にお世話になった方です。2年前に癌で他界されました。合掌。その葬儀の席で、ここに書いた方々の多くと再会しましたけれど、おそらくはもうこれから先お会いする事もないのではないでしょうか。

 Tさんの友人のHSさんは、実は、知る人ぞ知る伝説のミュージシャンでして、その後もわたしのイヴェントに出ていただいたり、最近はちょっとごぶさた気味だけれど、交流は続いています。

 

 

 

 

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■ 2005-04-29(Fri)

[] 1994/12/09  1994/12/09を含むブックマーク

 えっと、この間に12月5日付けの日記があるんだけれど、ここには自分の娘との交流記しか書いていないので、ちょっと気恥ずかしいので割愛させていただきます。って、やっぱ追想モードになってしまいますね。何とか断ち切ろう。では次に行きましょう。今回は長いです。

 1994.12.09

 正確にはもう10日になって4〜5分たっている。今までの記録と。

 5日は昼からギャラリー初日に顔を出す。へんなオヤジがひとり座っていて、あいさつもせずに感じ悪い。ちょっとだけギャラリーにいてから、ユーラシア企画という旅行社へ行ってチュニジアへの日程、運賃などを確かめる。アエロフロートでモスクワ経由が安いのだが、週に1便だけ。チケットは往復106000円くらい(安い!)。どうやら火曜出発の金曜帰国の日程になりそう。思っていたほどチュニジアに行く人は多くないようだ。旅行社の人もチュニジアことはほとんど知らないようだった。(チベットなんかすすめられてしまった)

 そのあとでチュニジア大使館(すっごくいいところにあるいいたてもの)によって、チュニジア観光の英文パンフレットなんかをドッサリともらってきた。観光用パンフレットだから仕方がないけれど、あまりにこぎれいな写真ばかりで、いかにもリゾート地。ちょっとこんなんじゃーな、という思い。ギャラリーにSOさんが来るはずなので、最後はまたギャラリーに。そうだ。作品としてはわたしのは(皆の中では)イイ線いってる。SOさんと帰りに以前行った四ッ谷のキタナい料理屋(?)で飲んでおしまい。またムキにマジメな話に引きずってしまった。

 6日は初めて昼ずっとウチにいたが、たまっていたヴィデオを消化しなくちゃならなかったので大変。『夢の涯てまでも』と『時の翼に乗って』の、ヴェンダースのむちゃくちゃ2本立てと、タルコフスキーの『ストーカー』という、長篇3本。『ストーカー』は仏教説話みたいな話で、やはり水にあふれた絵が美しい。ラストがミステリアスで強い。にくらべるとヴェンダースは‥‥ 言うまい。

 で、この日は火曜日なので、「J・V」に。DさんにEさん、Tさんってメンツ。Eさんは7日にギャラリーに来るっていってたけれど、翌日は結局来られなかったようだ。ちょっと待ちぼうけをくらった。

 で、7日になだれ込むけれど、昼は何していたんだろ? ちょっと思い出せないのはいけないな。ギャラリーに行って一度帰って、8時にTさんの事務所に電話した。Tさんが出て、じゃ「J」にってことになって、彼女が今日は居るかも知れないので、ちょっとちゅうちょ(字がわからん)したが、とにかく飛び出す。飛び出してみたら財布の中身が3000円ぐらいしかなかった。

 店に行くとやはり彼女いて「いらっしゃーい」なんて元気に言われてしまった。HYさんがいて、すぐにTさんも来て、わたしにとっての最強トリオ。Tさんはチュニジアじゃなくってパリ・ロンドン・ダブリンにしようと言われ、すんごく迷う。確かにそっちも一度足を踏み入れたい所だし、いちど旅なれしておくのも悪くない。YYちゃんが一緒に行くとしてもその方が心配少ないんじゃないかとか、いろいろ考えてしまう。

 というわけでやはり、というかとうとうYYちゃんの話を始めてしまって、場を変えて西荻まで行って、2時までほとんどこの話やらかしてしまう。バカ。仕事をやめた話をふくめて(仕事をやめたことでは、別の意味合い−けっきょく同じことだが−もみつけた)、小坂はロマンチストだなどと言われてよけい舞い上がってしまう。

 夜はHYさんの部屋に泊めてもらい、8日の朝になだれこむ。ここで西荻で最後に飲んだブルースの店に大事なカバンを忘れた事に気付く。夜また行かなくては。

 寝る前にしばらくHYさんと話して、電気を消して寝ようとする時、HYさんが突然わたしに「馬鹿野郎」ってボッソリ言った。「え?本当にそうだと思う?」と聞き返したら、「いや、ちがう」。「じゃ、オレにエール送ってくれてるわけ?」って聞いたら、「そうだ」って言う。本当のとこはどうなのかわからないけれど、ものすごくうれしくなってしまって、涙がちょっとあふれてしまった。そしたらHYさんが突然電気をつけて人の顔をのぞき込んで来て何かいうもんだから‥‥

 アルコールのせいもあって、もうしばらくあふれっぱなしで寝てしまった。ちょっと忘れられないかな。

 朝、「シェルタリング・スカイ」のサントラを聴かせてもらい、ライのCDを2枚貸してもらった。

 吉祥寺まで歩いて井の頭線で帰り、ちょっと休んでから渋谷に買い物。でもって、朝の「シェルタリング・スカイ」を買ってしまって、あと、「ワンダーアート」なんてーの(土曜日にKさんがパフォーマンスをやる)を観る。つまり、障害のある人たちの美術展で、なんだかものすごいのもあった。

 夕方から、又カバンを取りに行かなきゃならないので「シェルタリング・スカイ」のサントラをざっと聴いてから出かける。どうせ西荻なんだし、と思ってSOさんの店に行って彼と会い、いっしょにその店に行ってまたちょっと一杯。SOさんもブルースはどうも‥‥ってクチののだが、店の空間はちょっとイイので気になった様子。来週江古田にライヴをいっしょに行くことにする。

 帰ってYYちゃんに電話。けっこうチュニジア行きをさそった件は乗り気だったようだが、1月のバイトもまだ決まらないし、無理かもしれないって。「小坂さんとはこれから長いつきあいになるから‥‥」なんて言ってくれて、先の先にはなんだかいっしょに行けたりするのだろう。そうすると、このワニ狩り、長期戦になるな。なんて思っている。新しい希望ってやつかな。

 ファウストは、時に対して「止まれ、おまえはいかにも美しい」というわけだけど、時は動いているからこそ美しいではないか。これはわたしのみつけたたった一つの真理だ。この一日に考えたことはこれにつきる。今日は美しい一日だったと。

 9日、午前中○○○○△○○○○○○ー○○○○。○○○○○○(○○○○○)。

午後はまずは新宿へ行って世界堂でパネルを買おうと思ったが、まずどのくらいの大きさの金属板が手に入るかわからなければ、と思い、電話帳で見つけてあった金属材料の店に行く。ちっちゃい事務所だけのとこだったけど、鉄板0.3mm厚で3尺X6尺が1枚2000円ってことなんで(ほんとはもっと安く手に入るところもあるのだろうけれど)3枚買って配送してもらうことにした。さあ、始まりだぞ。

 帰りは道すがらだったのでギャラリーに寄って、しばらくギャラリーの人と話ししてたら、何とオーナーのAさんの奥さんだったとわかってビックリ。前から何かとコモンセンスのようなもののある人だなって思ってたら、哲学科を出た人らしい。美術のことは最初全く門外漢だったって。

 もう遅くなってしまったのでペンを置くけど、短期決戦のつもりでいたこのワニ狩り、なんとかがんばって長期戦に持ち込まなければ!

 あ、忘れてた。7日の昼は○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。○○○○○○○○△○○。このことはそのうちあらためて書こう。


 この日記の12月5日から、わたしは、当時曙橋にあった「ギャラリー・ルネサンス」という画廊でのグループ展に出品したのです。ギャラリーに自分の作品を持ち込んで、参加させてもらった。翌95年の12月にも、このギャラリーで3人展をやらせていただきました。もう今はこのギャラリーはありません。あの美しい奥さまは、今はどうされているのでせう。って、また追想モードだな。

 この頃はマジでチュニジアに行く準備をすすめてました。チュニジアという土地は、わたしにとって、合田佐和子にとってのエジプト、みたいなものだったんです。

 「J・V」は、新宿区役所の隣のビルにあった飲み屋。もともと「SMILE」という名前だった店で、結局この後にまた「SMILE」に名前を戻し、しばらくこの店でわたしがバーテンダー(!?)をつとめたこともあるのね。これからこの日記に何度も出て来ます。

 今日は「伏字」を使ってみました。伏字にしなかった部分でも、相当恥ずかしいことも書いてるけれど、ま、いいや。この頃は新年早々の「AU展」に向けての作品造りを開始しようとしています。この95年の「AU展」が、わたしにとっての大きな展開点になるのですが。あとは続きを待って下さい。

 

 

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■ 2005-04-28(Thu)

[] 1994/12/02  1994/12/02を含むブックマーク

 さてさて、10年前の日記も佳境に入って来ましたね〜、って、んなことはないか。

 1994.12.02

 2日目。深夜に缶コーヒー買いに出たら、やっとのことでトナリのミュージシャンに会えた。あいさつして握手してグループ展の案内状あげて、CDをもらった。

 朝はなんだか又7時頃に目覚めてしまい、そのままCDなんか聴いたり、洗濯したりして10時頃、『アブラハム渓谷』を観に出かけた。金曜日の初回は割引料金で見れるのだが、行列が出来ているのにびっくりした。わたしは行列がキライなんだ。誰がワニ狩りに行列するかっていうんだ。おまけにチケット売りがスムーズに行ってなくって遅いこと遅いこと。イライラ。というわけで初回から満席。フィルムは長くって疲れたけれど、重量感はあった。男がバカだと女は生きてゆけないってところだろうか。おそい昼食は銀座1丁目か2丁目のウラの方の店で定食を食べて、これも重量感があった。そのあとK画廊へ行って、Tさんのプッツンぶりをあらためて再確認。おっと、こういうことは書かない方がいいのかもネ。知らんワ。そのあと日本橋三越行って「Kiss」の写真展観て(これも仕事)、パンフレット買って(高かった)、八重洲ブックセンターで、KYのためにエリザベート・バートリの、昔KHが持っていたのと同じ本を買う。なんだか馬鹿みたい、なんて思ったりしたけれど、あんまり小ムツカシイ文章の本買ってやっても、読み続けられないんじゃ何にもならない。

 そのあと、未来社の『未来』って雑誌探したら、無料パンフレットだった。

 明日はKYが来る。だから下北沢の「無印良品」で、ふとんや毛布や枕を買った。帰宅ラッシュとぶつかる時間だったので歩いて帰ることにしたら、やはりやはり路をまちがえてしまった。


 今日は補足説明がたくさん必要ですね。

 当時、わたしは、杉並の永福町と中野方南町の中間のあたりに住んでいて、ま、2階建ての建物で、2階に大家さんが住んでいて、この建物はその大家さんが自分で設計した建物で、1階には3軒の店子が入っていたのだね。とにかくこの建物のユニークなのは、コンクリート打ちっぱなしの地下室が付いていた事。これが1階の面積と同じだけズドンと地下にある。天井は低いんだけれど、ここでその後、crosstalk絡みで、あれこれとパーティーを開きましたね。

 で、この1994年末の時点で、この住居に住んでいた3軒の店子、わたし以外は皆ミュージシャンだった。いちばん端は当時CXTVの「青春の食卓」とかいう番組のエンディング・テーマを歌っていたらしい、「キューブリック」とかなんとかというデュオの片っぽが住んでた。いつも犬を連れて散歩している、かわいい女の子でした。この日の日記に出て来る「トナリのミュージシャン」は、当時まだメジャー・デヴューしたばかりだった「Judy & Mary」のギタリストだったのです。この時にもらったCDは、彼らのデヴュー作のサンプル盤でしたね。このあとしばらくして、2階の家主さんの所に家賃を払いに行くと、「小坂さん!今、隣の人、TVに出てるわよ!」とかって言われて、「ミュージックステーション」か何かだったのかな? そんなうちに彼らは超・兆・有名になってしまって、この1年ほど後に、家主さんに「ボク、大金持ちになるんです!」という「捨て台詞」を残して、引っ越して行ってしまいましたね。その後、FMか何かで、彼がこの住まいのことを語っているのを聞いた事がありました。地下室に憧れて住んだけれど、ツアーから戻って来ると、地下室においてあったものが皆カビて、真っ白になってしまっていた話とか、でした。

 わたしのばやいも、地下室においてあったCDが腐食してしまって、聴けなくなってしまった、などの被害は受けていますけれどもね。ま、この地下室の話題は又どこかで。

 今はなきK画廊については、後日書きます。

 ココで出て来るKYは、実はわたしの娘です。わたしが離婚して母方で暮らしていて、たまに一緒に遊びました。「クレイマー・クレイマー」です。この当時で多分小学5年生ぐらいでしょう。今でも彼女は時々、「友だち」のフリをして、わたしの日記の登場していますけれど。

 

 

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■ 2005-04-27(Wed)

[] 1994/12/01  1994/12/01を含むブックマーク

 こんばんは。茨城県に無事引っ越しいたしました。予告の通り、それに合わせて、10年前に書いていた日記をココに連載します。今日はその第一回。今日から始めます。

1994.12.1

 今日から始める。これはワニ狩りの経過をあなたに伝えるための連絡帳だ。とりあえず今日からだ。昨日までのことはあまり関係ない。

 朝7時頃に一度目が覚めた。早すぎるのでもういちど寝た。9時半から10時の間に起きてゆっくりと着替えたり片付けたりしてから出かけた。とにかく今日は最初の日だ。もっとのんびりしていい日だったけど、スケジュールはびっちり。

 まず、中野に『つめたく冴えた月』を観に行った。ここにいちいち感想は書かないけれど、よかったよ。うれしいフィルムだった。次に、池袋に移動して『青い凧』。これはとてもいいフィルムだった。子役の子がすんごいんで、涙出そうになった。音楽は大友良英。さいごはその大友良英とカール・ストーンのライヴを吉祥寺で。頭がグニグニになりそうだったけれど、エネルギーは受け止めた。いい体験だった。このことはあとに続いてゆく。いや、続けるつもりだ。

 帰ってからKYとYY、そしてSOさんに電話する。これがワニ狩りの初日だ。とりあえずはやりたいとおりにやりおおせた。一日ぐらいでどうこうってことはないんだが、スタートとしてはこんなもので及第点だろう。

 ど〜なんでしょうね。補足説明すると、要するに、1994年11月30日で、わたしはそれまでの仕事を辞めて、ただの遊び人に変身するわけです。その第一日目の日記です。いきなりハシゴ3軒というのも気負ってますな。

 大友良英とカール・ストーンのライヴは、吉祥寺の「MANDALA-II」ですね。覚えてます。前の方のスピーカーの脇の席に座っていて、ほとんど無音の状態から、いきなりスピーカーから大音量が響いた時に、自分のからだが「ビクッ」と反応してしまって、後ろの席の人に笑われた、その笑い声が、記憶に残ってるんです。

 当時はメールも携帯もなかったので、毎日やたらと電話しまくっています。人の習慣って、10年でこんなに変わってしまうのだな、などという感慨もありますね。

 映画の感想なんか、10年前のわたしは、もうちょっと書いて欲しいですね。どんな映画だかわかんねぇよ。ま、あまり読むに耐えるような日記ではありませんな。


 

 

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■ 2005-04-23(Sat)

crosstalk2005-04-23

[] お知らせ:10年前の『わに狩り連絡帳』連載よ!  お知らせ:10年前の『わに狩り連絡帳』連載よ!を含むブックマーク

 いや、なかなか落ち着かない日々が続いてしまいまして、じっくりとココに書く習慣も途絶えてしまいました。明日引っ越しです。で、そんな引っ越しの準備をしていたら、10年前に書いていた日記、2冊のノートブックが出て来たのです。そのタイトルが『わに狩り連絡帳』。そう、このブログのタイトルは、その、10年前に書いていた日記の、タイトルを引き継いだモノだったのですよ。

 10年前と言うか、1994年11月30日付けでわたしは仕事を辞め、以後10年間、遊び呆けたわけです。自称アーティスト、自称アート・ディレクターの世界を突き走る事になるわけです。一体それから先がどうなるのかわからないままに、仕事を辞めた翌日、1994年12月1日から書き始めたのが、この元祖『わに狩り連絡帳』です。

 で、しばらくは、このブログ継続の方法もあまり見えないし、10年前のドキュメントとして、その『わに狩り連絡帳』を、このブログに書き写してみようと思っています。えっと、基本的に人名をイニシャルにするとかして、そのまま書き写すつもりですけれど、あまりにも恥ずかしい記述は編集、検閲します。って、オレの文章だから、オレがどう動かそうが文句言うんじゃない! もともとが自分のために書いていた日記だから、全部そのまま書き写すわけにもいきませんよ。

 この、1994年12月1日から、1995年11月21日までの、ほぼ1年間書き続けられた日記の中には、「神戸大震災」とか、「地下鉄サリン事件」とか、ま、歴史を動かしたような瞬間も含まれているし、いろんなイヴェントの記録も含まれている。とにかく「何ものでもなかった」わたし、という人間が、この約1年間の短期間に、それなりの成果を残すような(自画自賛)プロデューサー/ディレクターになって行く様子が、何となく伝わるんではないかな?なんて思います。というか、10年という時を措くと、誰の日記でも、読んで面白くない事もないよ。わたしの記憶での、わたしの主宰になる最初の大きなイヴェントは、1995年12月1日の「Alternative Unity Alive Up!」というイヴェントになるわけで、その直前までの、ただの男が「何かやってみようか」と思う所から、「出来るかも知れない」/「やってしまった」という過程の記録として、ま、自分でもこの間その日記を読み返してみて、そんなに自己露呈だけのつまらんモノでもないのではないか、この場に書き写してもそれなりに意味あるんじゃないか、などと思っています(正直、日記の後半〜1995年6月以降〜は、なんか女の子の話ばっかで、さすがにここにアップするのはためらわれるのだけれどもね。KMちゃん、Sさん、お元気ですか?)。

 で、そんな10年前の日記に、現在のわたしの視点からの注釈、コメントを付けながら、少しずつ書き写し続けて行きたいと思っています。それを、自分自身でも過去を懐古的に振り返るのではなく、この情況から先に発展させる活力に出来ないだろうか。そんな思いを込めながら、10年前の日記をブログにアップして行きたいと思います。可能なら今週中にも、遠く下館の地から書き始めようと思っています。つまらなかったらコメントしてね。複数の、「お前の話はつまらン」との声があれば、止めますから。

 

 

蒼穹蒼穹 2005/04/25 21:31 あ、いや、ぜひに。たいへん興味あります。「女の子の話」もぜひそのままに。伏字は許可しますので。

crosstalkcrosstalk 2005/04/27 23:42  蒼穹さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
 いや、書き写してみるとあまり面白いモノでもないのですけれどもね。でも、何とか続けてみたいと思います。伏字、やらせていただきます。では始めます。

蒼穹蒼穹 2005/04/29 00:29 待ってました!ぜひ「御開帳」気分でがんばってください。

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■ 2005-04-11(Mon)

[] ローザス 『ビッチェズ・ブリュー/タコマ・ナロウズ』 さいたま芸術劇場大ホール  ローザス 『ビッチェズ・ブリュー/タコマ・ナロウズ』 さいたま芸術劇場大ホールを含むブックマーク

 下館のインターネット・カフェから書いてます。

●いやもうね、このMilesの「Bitches Brew」は学生の頃にリアルタイムで聴いた音楽だし、っていうか、この音に対する入れ込み方は、わたしの中でもそ〜と〜なモノではあるのよ。で、なぬなぬ、ケースマイケルが不埒にもこの音楽にダンスを振付けるだとぉ?いったいどうしてくれようというのか?だから見に来た。つまんなかったら音だけ聴いてますからね。

●客入れの段階で、客席にはファンキーなR&Bが流れ、ちょっとオサレでアートな舞台の奥には、すでにダンサーがうろちょろしているその足元が見えている。く〜、なんてゴージャスなんだ。茨城県からこうして埼玉県にやって来た観客は、「やっぱり都会はカッコいいなぁ」と、ため息をつきながら開演を待つ。

●どうやらこりゃあれだね、セッションのためにスタジオに集結したミュージシャンたちの、そのセッションの模様を模したステージなんだな。普段着とかファー・コートとか着込んだダンサーたちが雑談しながら舞台の中に入って来て、上着とかを脱いで、さぁ、始まるよ。

●舞台下手にDJブースみたいなのがあって、そこでアナログ盤をかけている。このモコモコした音は確かにアナログ盤のだと思う。で、アルバムの「Bitches Brew」の1曲目は「Pharaoh's Dance」って曲なんだけれど、ま、このタイトルはダンサーたちには荷が重過ぎるからか、2曲目の「Bitches Brew」から始まる。

●なるほどなるほど、ここでは音源のソロのパートに合わせて、それぞれ特定のダンサーが特定のミュージシャンを演じる、というか、それぞれが踊る。ここはソロのダンスの比率が高く、おそらくはかなり即興的な部分も多かったのではないだろうか。

●マイルス役は、チラシにフィーチャーされていた、手足の長いのっぽ君で、えっと、正直言って、「え、こいつがマイルスかよ!」って、ちょっと拍子抜け。この男はあれだな、私見ではリー・コーニッツなんかの音に近いダンスではないかなぁ。あ、そうそう、こいつはチェット・ベイカーだよ。線が細すぎる。

●ここでのお気に入りは日本人ダンサー社本さんの、ジョン・枕不倫‥‥おっと、マクラフリンのギターのパート。黒い衣装でえっちっぽくって、かわゆかったではないか。あとはウェイン・ショーター役のラテンな男性ダンサーもよかった。

●で、2曲目は「Spanish Key」で、これはわたしが聴き始めに最初に好きになった曲で、ま、キャッチーなんだけれども、ここでのケースマイケルの解釈は圧倒的に「ファンク・ミュージック」としての解釈で、「ソウルトレイン」風になったり、ストリートっぽくなったり、へぇぇ、ローザスがこんな踊りをやるんだぁ、と、ちょっと驚いて見せたりして。

●でも、どうなんだろう。ファンキーでいいのか?この曲の後にまさしくジェームズ・ブラウンへとなだれ込んだりするんだけれど、しょっぱなでの「ちょっと実験やってみました」という空気は希薄。というか、結局、ローザスの舞台としては思ったよりもラフな印象。

●この後にまた「Sanctuary」で実験的な雰囲気に回帰して、最後にまたファンキーに〆るんだけれども、どうしてもよくわからないのが中盤にはさまれる「タコマ・ナロウズ」崩壊の映像の部分で、いったいこれはどう捉えるべきなのか、60年代アメリカの何かの崩壊の象徴と捉えるべきなのだろうか。

●てなこと書いていたら、時間がなくなってしまった。続きを書く気力があればまたこのインターネット・カフェに来て書きましょう。ではとりあえず。

 

 

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■ 2005-04-04(Mon)

[] 『失踪日記』 吾妻ひでお:著  『失踪日記』 吾妻ひでお:著を含むブックマーク

   失踪日記

 あ、ごめんなさい。Red Krayolaのライヴの続きはもう時間が経ち過ぎてしまったから割愛。わたしの心の中だけに大事にしまって置きます。失礼。

 さてさて、この一ヶ月ほど捜しまわっていた、吾妻ひでおの『失踪日記』を、やっと、神田の「書泉ブックマート」にて購入。「書泉」で本を買うのなんて何十年ぶりだろう。本屋のモティヴェーションはすっかり変わってしまっても、付けてくれるブックカヴァーは昔と同じなのだね。

 さて、わたしは、それほどまでに吾妻ひでおという作家のマンガを読み込んだ記憶はないのだけれども、曖昧な記憶の中でも、日本の「おたく」文化形成に、決定的な影響力を与えた作家だとは思う。こんなことはわたしがココで中途半端な知識でおさらいしなくっても、他の人がいくらでも書いてくれていることだろう。よって割愛。

 とにかく、この『失踪日記』、一気読みしてしまい、しかも今までの読書で体験したことのないような大笑いをしながら読んでしまった。この本の全体は、「夜を歩く」、「街を歩く」、「アル中病棟」の3部で構成されていて、最初の「夜を歩く」がホームレス時代、「街を歩く」が、配管工時代+吾妻ひでおのマンガ家としての履歴書、「アル中病棟」ではアル中時代〜入院時代の事が語られているわけで、わたし的には、圧倒的に最初の「夜を歩く」にハマってしまった。それはもちろん、わたし自身が非常に短い時間ではあれども、そんな「夜を歩く」という体験をしたことがある、と言うことにもよるのだね。はは、衝撃の告白かな。もう20年以上も前の事だけれども。だから、ここで吾妻ひでおの書いている徹底的に「人に会わない」という行動パターンのおもしろおかしさ、もう自分は「人」ではないのかも知れない、というギリギリの立場、そこを突き放して描写する視点の奥に、やっぱ自分は人間、という最後の立脚点が、奇妙なユーモアとともに語られる所に共感してしまうわけで、それと、そんな生活からの帰還のポイントとしての、警察署での体験の不条理感が、もうこれは見事としか言い様がなく、色紙に「夢」と書かされてしまう強烈さは、まさにそれが現実への回帰へのポイントとして恐ろしいほどに現実的。

 去年の暮れだったか、ホームレスの人が書いていると称したブログを、ずっと読んでいた時期があったけれど、結局、それはドキュメンタリー作家を目指していた青年が、知り合いのホームレスの人から聞いた話などからブログ化したものだったのだけれども、そこで描かれたホームレス・ピープルの社会空間、と言う視点よりも、やはり『失踪日記』での、圧倒的な他者の不在、というか、他者/社会との関係性の距離こそがものすごくリアルで、例えば、自分の目の前でバイクで事故ってしまう青年に対して、一度は「大丈夫ですか〜」と声をかけながらも、「他人の心配してる場合でないか」と、背を向ける男がいるわけで。

 後の二つ、「街を歩く」と「アル中病棟」では、多少、そんな「社会の吹きだまり」に彷徨するような人々との交流が主題になってしまっているような所があり、その「夜を歩く」での圧倒的な孤独感は、そこにはない。でも、「街を歩く」の後半で描かれる吾妻ひでおのマンガ履歴書を読むと、マンガ家、という職業の中で、一人の人間が徹底的に疎外されてしまう物語として、もちろんそれは「残酷物語」なのだけれども、わたしは永島慎二は大ッ嫌いだったのだ。そういう意味では、マンガ作家が自己の状況を語るという語り口としては、ま、つげ義春とかがあるのだろうけれど、この吾妻ひでおの作品は「マスターピース」として、日本のマンガ文化の裏面を照射する作品として、というか、日本の文化の裏面だよね、そんなのを描写する作品として目一杯読まれていいんでないの?

 あ、わたしもかつては、ここでの「街を歩く」でのような肉体労働者への道まであと一歩、という所までは行っていたね。そっちへ行っていたらもう全然違う人生になっていただろうな。「アル中」にはならない、と思う。朝から飲んだりするけれど。

 

 

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